Page 1017 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼小泉自民党政権は怖い マゴ 04/6/9(水) 0:31 ┣Re(1):小泉自民党政権は怖い しゃねる 04/6/9(水) 5:46 ┣Re(1):小泉自民党政権は怖い アルテマ@ぷりきゃ 04/6/9(水) 13:01 ┃ ┗Re(2):小泉自民党政権は怖い 小鉄 04/6/9(水) 13:27 ┃ ┣Re(3):小泉自民党政権は怖い マゴ 04/6/10(木) 8:42 ┃ ┃ ┗Re(4):小泉自民党政権は怖い 敦煌 04/6/11(金) 22:56 ┃ ┃ ┗Re(5):小泉自民党政権は怖い マゴ 04/6/11(金) 23:59 ┃ ┃ ┗Re(6):小泉自民党政権は怖い 敦煌 04/6/12(土) 0:49 ┃ ┃ ┣Re(7):小泉自民党政権は怖い マゴ 04/6/12(土) 1:28 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):小泉自民党政権は怖い 小鉄 04/6/12(土) 18:02 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):小泉自民党政権は怖い アルテマ@ぷりきゃ 04/6/12(土) 18:17 ┃ ┃ ┣Re(7):小泉自民党政権は怖い マゴ 04/6/17(木) 13:13 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):小泉自民党政権は怖い がりんこ 04/7/10(土) 21:20 ┃ ┃ ┣Re(7):小泉自民党政権は怖い マゴ 04/7/10(土) 12:50 ┃ ┃ ┃ ┗デモもできない恐怖政治 110 04/7/10(土) 22:45 ┃ ┃ ┣Re:小泉自民党政権は怖い〔言論統制と独裁化〕 マゴ 04/7/12(月) 17:54 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):小泉自民党政権は怖い〔言論統制と独裁化〕 rerere 04/7/12(月) 21:30 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):小泉自民党政権は怖い〔言論統制と独裁化〕 マゴ 04/7/12(月) 22:34 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):小泉自民党政権は怖い〔言論統制と独裁化〕 小鉄 04/7/12(月) 22:50 ┃ ┃ ┗Re:小泉自民党政権は怖い〔米国の戦争に巻き込まれる?〕 マゴ 04/7/12(月) 18:12 ┃ ┃ ┣Re(1):小泉自民党政権は怖い〔米国の戦争に巻き込まれる?〕 小鉄 04/7/12(月) 18:29 ┃ ┃ ┣Re(1):小泉自民党政権は怖い〔米国の戦争に巻き込まれる?〕 飛龍 04/7/12(月) 21:54 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):小泉自民党政権は怖い〔米国の戦争に巻き込まれる?〕 小鉄 04/7/12(月) 22:52 ┃ ┃ ┗Re(1):小泉自民党政権は怖い〔米国の戦争に巻き込まれる?〕 源蔵 04/7/12(月) 22:28 ┃ ┣Re(2):税制 マゴ 04/6/10(木) 17:24 ┃ ┣Re(2):税制 マゴ 04/6/10(木) 18:19 ┃ ┗Re(2):自民党を倒そう マゴ 04/6/11(金) 11:41 ┣選挙に行く前にこれを読もう!脆弱者たちの悪あがき ・小泉自民党政権は怖い 大岡越前 04/7/10(土) 19:44 ┃ ┣Re(1):選挙に行く前にこれを読もう!脆弱者たちの悪あがき ・小泉自民党政権は怖い 小鉄 04/7/10(土) 20:51 ┃ ┃ ┗靖国神社参拝問題の本質 小鉄 04/7/10(土) 21:16 ┃ ┃ ┣Re(1):靖国神社参拝問題の本質 通 04/7/10(土) 22:12 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):靖国神社参拝問題の本質 小鉄 04/7/11(日) 20:56 ┃ ┃ ┣Re(1):靖国神社参拝問題の本質 つるみ 04/7/10(土) 22:42 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):靖国神社参拝問題の本質 小鉄 04/7/11(日) 20:59 ┃ ┃ ┣Re(1):靖国神社参拝問題の本質ー 初めて知りました 弱虫っ子 04/7/11(日) 20:16 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):靖国神社参拝問題の本質ー 初めて知りました MNG 04/7/11(日) 22:25 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):靖国神社参拝問題の本質ー 初めて知りました 弱虫っ子 04/7/12(月) 0:00 ┃ ┃ ┗Re(1):靖国神社参拝問題の本質 小鉄 04/7/12(月) 12:36 ┃ ┃ ┗Re(2):靖国神社参拝問題の本質 マゴ 04/7/12(月) 20:42 ┃ ┃ ┗Re(3):靖国神社参拝問題の本質 小鉄 04/7/12(月) 20:52 ┃ ┃ ┗Re(4):靖国神社参拝問題の本質 飛龍 04/7/12(月) 21:43 ┃ ┗自民党はウヨサヨ論争しか武器がない!? 森下 泰典 04/7/10(土) 22:21 ┣「正へ」まえがき 大岡越前 04/7/10(土) 23:31 ┃ ┗「正へ」 大岡越前 04/7/10(土) 23:32 ┃ ┗「正へ」 続き 大岡越前 04/7/10(土) 23:34 ┃ ┗Re(1):「正へ」 続き 敦煌 04/7/11(日) 0:06 ┣Re(1):小泉自民党政権は怖い つるみ 04/7/11(日) 2:28 ┣Re(1):小泉自民党政権は怖い ニック 04/7/11(日) 10:29 ┃ ┗Re(2):小泉自民党政権は怖い 頑固生きがい 04/7/11(日) 17:15 ┃ ┗Re(3):小泉自民党政権は怖い ニック 04/7/12(月) 1:07 ┗辻本さん ポロリスト 04/7/11(日) 18:08 ┣Re(1):辻本さん 敦煌 04/7/11(日) 19:42 ┣Re(1):辻本さん 小鉄 04/7/11(日) 21:02 ┗Re(1):辻本さん 森下 泰典 04/7/12(月) 23:21 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 小泉自民党政権は怖い ■名前 : マゴ ■日付 : 04/6/9(水) 0:31 -------------------------------------------------------------------------
このまま現政権が続けば財政破綻か軍国主義に逆戻りする…そんな強い恐怖を感じてる。きっと小泉は3年前からそのつもりで経済や他の事はそっちのけで戦争関連の事には異常な迄に力を入れてたのだろうと。“戦争で沢山の死人が出れば余剰人員の削減になり産業空洞化や失業が原因の経済の停滞問題が解消される”“老人、身障者、病人等が戦争に巻き込まれて死ねば年金や健康保険の支給が軽減され財源窮乏問題の解決になる”きっとそう考えてるんじゃないの?そんな気がしてくる。尤もあらゆる金は軍事費につぎ込まれて社会保障や福祉は廃止になるだろうけど |
ながいこと自民党腰抜け政権が続いたのでちょっとゆり戻しが 来ただけ.もう収まりそうで心配なし. 北朝鮮との腰砕け外交交渉みても分かるでしょう. 小泉政権の怖いのは50年の自民党政権と同じ、政治献金して もらえそうな企業、団体にのみ有利な法律を作り 政治献金できない個人を痛めつける体質、ほんとに怖いです. 天下り官僚天国と利権アサリの政治屋、それに漬け込む企業. まったく人道支援米を商社に買い戻させ、裏金を受け取る 自民党政治屋、拉致被害が多数出ていることを知りながら 国民には隠し莫大な北朝鮮援助をして、北朝鮮にのこのこ 出かけ、おみやげに金の延べ棒もらい大喜びの政治ボス. 小泉さんのことじゃないよ. かたや庶民にたいしては 1 アルバイトを奨励しながら厚生年金の企業負担を をかばっての加入基準の緩和反対. 2 人材派遣業界に有利な対象職域の拡大による 労働対価賃金の搾取奨励. 3 請負契約による大企業での闇就職の放置による 低賃金労働者の増加. これで高賃金正社員を減らし企業は高業績、献金増加. 4 年金制度を改悪し、年金関連公務員の乱脈経理. 公務員のでたらめ行政黙認による年金制度破綻 高負担低給付の法律改悪.また公務員天国、天下り先 企業の新設. 5 老人医療費負担の増額. 6 歯医者の月ごとの初診料上澄み、天下り官僚と歯科医師会 それと献金受領の悪徳政治屋の謀略.公明党にも政治献金増加? 7 健康保険の負担率の窓口1割引き上げ、サラリーマンと所得把握 不十分な個人経営者の保険料払込をそのままに給付のみ一元化. 8 介護保険導入による地域ボランチアの壊滅と親子関係破壊. 聞くところによると「寝たきり老人のところに、おかゆ雑炊や 焼き芋を差し入れると、介護士で無いと抱き上げて起こし おさじで一口ずつ食べさせると法律違反で罰金とか. おかゆ枕もとにおいて帰って、地域無償ボランテアになるかよ. そしてBSUの牛肉処理に部落出身者が逆差別で大もうけ放任と 同様に介護関連業者は保険料から政府公認で金取り放題. 公明党や自民党議員へのキックバック献金の拡大. とにかく、民主党の党首もややこしい疑惑があるがなんとしても 応援して、自民・公明政権を崩壊させねば. 民主党もしんけんに 1 投票率向上に努力すること 2 個人に不親切な現政権を批判し、創価学会と公明党の分断工作に 努力すること、 3 自民党反小泉勢力に切り込み、衆議院の解散、衆参同時選挙 実施に努力すること. それにしても全政党の中でも、日ごろの地方活動は最低ですよ. もっと足腰つよくしなきゃどうにもならんよ. |
>このまま現政権が続けば財政破綻か軍国主義に逆戻りする 日本が軍国主義に「逆戻り」することは絶対ないですね。なぜなら日本が軍国主義だったことはないから。 >もあらゆる金は軍事費につぎ込まれて社会保障や福祉は廃止になるだろうけど あらゆる金というのは大袈裟だけど、福祉なんかよりは優先すべきだと思います。というより、福祉なんてのは一番最後。もっとやるべきことがある。 しかし小泉は危機感が足りないなぁ・・・ほんとに。「恐い」というのは同感ですな。 まぁ今までのよりは幾ばくかマシなのだろうけど・・・・・・岸級の大宰相は無理でも、もう少しなんとかならないだろうか。 |
>あらゆる金は軍事費につぎ込まれて社会保障や福祉は廃止になるだろうけど 国の安全が確保されなければ福祉は意味を持たない事をお忘れなく。 |
自衛隊を海外に出す事は絶対反対。天災や事故等の救助活動はOKだけど軍事関連では絶対反対。もうやめて貰いたい。80年代迄の政策に戻すべきだ。50年前の国会で決議しあの岸信介も『自衛隊が国外に出る事は許されない』と言ったとか。 前に書いたけど小泉や石破は軍需産業の三菱グループ(三菱重工、三菱商事、米国三菱商事)のトップと去年の10月に利権談合を岩崎迎賓館でやったそうな(週刊特報4/19号より) 己のドス黒い利権と引き替えに平和を壊して国民を危険に晒すつもりなのか?米国の軍産複合体の利益のおこぼれにあやかれる事になってるのか?許せん |
▼マゴさん: >自衛隊を海外に出す事は絶対反対。天災や事故等の救助活動はOKだけど軍事関連では絶対反対。もうやめて貰いたい。80年代迄の政策に戻すべきだ。50年前の国会で決議しあの岸信介も『自衛隊が国外に出る事は許されない』と言ったとか。 >前に書いたけど小泉や石破は軍需産業の三菱グループ(三菱重工、三菱商事、米国三菱商事)のトップと去年の10月に利権談合を岩崎迎賓館でやったそうな(週刊特報4/19号より) 己のドス黒い利権と引き替えに平和を壊して国民を危険に晒すつもりなのか?米国の軍産複合体の利益のおこぼれにあやかれる事になってるのか?許せん マゴさん。 三菱だけでなく、名だたる重工業、通信、電機メーカーは 殆どが日米の軍産複合体ですよ。 だから経団連はイラク派遣にも、今回の占領軍協力にも 反対しないでしょ? 皆さんの生活も軍産・・・なければ成り立たないのです。 |
海外進出に熱心な日本の大企業は自衛隊海外派兵や集団自衛権行使にやたら乗り気らしいね。その代表的な存在の経済同友会代表をしてた牛尾と安倍晋三は確か親戚じゃなかったっけ? 私は自衛隊を海外に出す事は絶対に反対。あんな事ばかりしやがる小泉は害虫以下の存在だと思う |
▼マゴさん: >海外進出に熱心な日本の大企業は自衛隊海外派兵や集団自衛権行使にやたら乗り気らしいね。その代表的な存在の経済同友会代表をしてた牛尾と安倍晋三は確か親戚じゃなかったっけ? > >私は自衛隊を海外に出す事は絶対に反対。あんな事ばかりしやがる小泉は害虫以下の存在だと思う いや、一番乗り気なのは奥田経団連会長ですよ。 今回の戦争で、アメリカ車は欧州、アラブで売れなくなる・・・ そうすれば次に来るのは・・・ |
奥田はトヨタだったよな。でも日本企業がドンドン海外に進出すれば国内の失業や産業空洞化の問題が悪化するんじゃ?もはや大企業は己の利益をあげる事に一心で国民の生活や国内の従業員や顧客の事など眼中に無いんだろう。 小泉内閣が出来てから世論も著しく右傾化が進んでるようで怖い。 有事法制や自衛隊はやたら海外に出すしで…小泉の存在そのものが有事って感じ |
>小泉内閣が出来てから世論も著しく右傾化が進んでるようで怖い。 有事法制や自衛隊はやたら海外に出すしで…小泉の存在そのものが有事って感じ 今までの日本は左傾化してましたからね。いわばマイナス100の状態。マイナス100から見ればゼロですら極右に見える。そう言う事。 |
▼小鉄さん: >>小泉内閣が出来てから世論も著しく右傾化が進んでるようで怖い。 >有事法制や自衛隊はやたら海外に出すしで…小泉の存在そのものが有事って感じ > > 今までの日本は左傾化してましたからね。いわばマイナス100の状態。マイナス100から見ればゼロですら極右に見える。そう言う事。 そうですね。やっと少しはマシになってきたという状態かな。依然としてド左には変わりないが。 |
有事関連7法案成立といい独断で多国籍軍参加といい本当にいい加減にして欲しい。 まさに『小泉=有事、脅威、テロ、大量破壊兵器、悪の枢軸、戦争、軍国主義』だろう 昨日閉幕した国会では議会制民主主義も政党政治も破壊し尽くされた事が浮き彫りにされた様に思える。もう日本は以前の平和主義では無くなり確実に独裁や軍国主義の方向に進んでる |
小さい泉は必要ない、底が悪臭を放つ泥でメタンガスを放し放題もう我慢が出来ない明日はメタンガスを放す、小さい泉(小泉)を埋めてしまいましょう。 |
小泉や石破の馬鹿共が主張する集団的自衛権とは国連憲章51条にある“相手が一方的に侵略して攻めてきた時の正当防衛”の様な物では無く、米国の実在しない脅威をでっち上げて言いがかりをつけ国際法も無視した単独行動での侵略先制攻撃にドンドン参加しようとする事を言うのだろう。そんな事が許されて良いものなのか? 反米勢力から際限無く狙われて日本は常に危険に晒されるだろう。 それと相手基地を侵略して先制攻撃をかけたがってる危険な輩が今の自民党に氾濫していて怖いと思う。これ以上奴等に権力を握らせておくのは危険 |
▼マゴさん: >小泉や石破の馬鹿共が主張する集団的自衛権とは国連憲章51条にある“相手が一方的に侵略して攻めてきた時の正当防衛”の様な物では無く、米国の実在しない脅威をでっち上げて言いがかりをつけ国際法も無視した単独行動での侵略先制攻撃にドンドン参加しようとする事を言うのだろう。そんな事が許されて良いものなのか? >反米勢力から際限無く狙われて日本は常に危険に晒されるだろう。 >それと相手基地を侵略して先制攻撃をかけたがってる危険な輩が今の自民党に氾濫していて怖いと思う。これ以上奴等に権力を握らせておくのは危険 国歌を歌えと 強制され 警察と 作家崩れのお方から 暴力を受け 精神の自由を奪われ 行動の自由を奪われ 集会の自由も奪われる 独裁国家です こんな政治体制に 反対 |
抵抗勢力といわれた野中氏が引退をしてから小泉の独断専行が一段とヒドくなったと私は思ってます。同時に小泉批判を良くしていた江藤隆美氏も引退表明し、それ以来は与党内に小泉批判をする者がいなくなり独裁の方向に拍車をかけて進んでるみたいで。 昨年の総裁選で古賀誠氏が小泉批判をしたら米国のベーカー駐日大使に小泉批判を控える様にいわれ、それから古賀氏は黙り込んでしまったとか。小泉は米国の戦争政策にとって都合の良い存在なので守られてるのでは? |
その通りかと思います。おそらくアメリカの力を借りて抵抗勢力を排除したのでしょう。 中曽根氏、宮沢氏がまだ代議士だったころ、やはりベーカーに呼びつけられて小泉に全面的に協力するように申し渡されたようです。 アメリカのために日本売りを絶対に止めない小泉は確かに国内政治では敵はないでしょう。しかし、そもそも派閥や強力な支持基盤の背景のない小泉が首相に成れたのは国民の支持であることをすっかり忘れていました。そして年金法案の強行採決やイラク派遣問題で国民の支持をなくしました。国民の支持がなければブッシュに気に入られようと首相の座は安泰ではないことにやっと気付いたかも知れませんが、残念ながら今後も日本潰しの首相です。今回の選挙で自民議席を30台にまで落とし有無を言わさずやめさせるべきでした。 |
最初から米国の意向で小泉政権が出来たんじゃ?実際には清和会森派が擁立して中川秀直が真紀子に小泉応援を頼んだらしいし。米国が主流派平成研の実際の会長で、野中の権勢が面白くない青木を動かしたんじゃ?青木が森に小泉擁立させたり地方票集めたりしたんじゃない?2000年秋に作成された対日政策のアーミテージリポートには日米軍事同盟の重視や若手政治家に期待する構想があるらしいし。橋龍が勝ってたら親中で反戦の野中&古賀や親ロシアの宗男の権勢が強くなり親米一辺倒にはならなかっただろうから。それで最初からメディアが持ち上げたのでは? |
>橋龍が勝ってたら親中で反戦の野中&古賀や親ロシアの宗男の権勢が強くなり親米一辺倒にはならなかっただろうから。それで最初からメディアが持ち上げたのでは? 対中隷属の親分であり、北朝鮮にも隷属する「同和利権の帝王」野中が引退した事は日本にとってプラスでした。 政界の同和利権王が去ったお陰で、同和利権をむさぼっていたハンナングループ(牛肉偽装)や浅田農産の悪行をようやく暴く事が出来ましたから。 |
5年位前から周辺事態法や日米ガイドライン等米国の戦争に協力する制度が出来、その時に有事法制の事が持ち上がってたけど法制化はされなかった。これは日本が一方的に侵略されて攻撃される事を想定しての事よりも極東における戦争で日本本土をノルマンデー上陸作戦の様な軍事作戦の舞台にされる事を想定しての事の様に思えてきてならない。台湾海峡での有事や第二次朝鮮戦争が起きればそういう事になりそう。小泉が総理になるまでは有事法の成立は躊躇されてたのに好戦的で米国にいい顔したい小泉等のバカ共は喜び勇んで踏み切ったのだろうかと |
>小泉が総理になるまでは有事法の成立は躊躇されてたのに好戦的で米国にいい顔したい小泉等のバカ共は喜び勇んで踏み切ったのだろうかと 有事の際にきちんと法整備がされていなければ、自衛隊は超法規的に行動せざるを得ません。そうなると困るのは貴方方左翼でしょう? 軍事を考えるのはタカ派であり危険だとする思想は冷戦とともに崩れ去り、ようやく日本でもタブーでなくなりました。現実を見てきちんと対応するのがタカで、現実を見ず観念の世界に現実逃避するのがハトならどちらが人間としてまともですかね? 冷戦真っ只中のような「軍事を考える事=危険」という思想は、もはや博物館にでも飾っておくべき物です。 |
極東における戦争で日本本土をノルマンデー上陸作戦の様な軍事作戦の舞台にされる事を想定しての事の様に思えてきてならない。>>実際にそのように画策しているのは、支那・南北朝鮮という事が分かりませんか? 尖閣諸島での天然ガス盗掘・竹島不法占拠・ 『対馬はウリナラ領土ニダ』というのはどこの国でしょう? 好戦的で米国にいい顔したい小泉等のバカ共は喜び勇んで踏み切ったのだろうか>>好戦的なのは、上記の通りの国ですが。 具体的に日本が先制攻撃をするメリット・正当な理由があれば、納得できる答えを出してもらいましょう。 半島には天然資源とか、地政学的な利用度とかはありませんよ。もし日本がそのような行動に出れば、世界的な非難を浴びます。寧ろ、侵略されても有効な反撃すら出来ない現行憲法が異常です。爆弾倉が開いても反撃・撃墜すら出来ない憲法がね。 |
>爆弾倉が開いても反撃・撃墜すら出来ない憲法がね。 ミサイルが飛んで来ても災害出動でスコップ持って出動しましょうって言ってる国ですから・・・(苦笑 |
支那中央電視台CCTV7chは朝から晩まで人民解放軍による軍事専門番組のめじろ押し。出るわ出るわ戦闘機に駆逐艦に戦車etc....。視聴者は主に若年層とか。中共のプライベートアーミーの勇姿をいやという程見せつけられる。こんな超大国が隣で虎視眈々と狙っているわけです。日本を。 有事法成立に就いて云々言っている場合でしょうか。主権国家の主権が消滅してから騒ぎ立てても遅い。 |
皆さん共感して下さって有り難いですね。実は私は消費税導入された80年の末期から、当時のリクルート事件とも重なり自民党が病的に大嫌いになったのよね。もう庶民にとっては敵でしかないのだと。 実は私はPCを持ってなくてケータイでやってるので…不便だなー |
ごまめの翁さんへ 一般庶民の年収分の金額やそれ以上の金を当然の如く平然と受け取ってる様な連中は金銭感覚が違うんでしょう。また大企業と政治家は利益を共有しあう事が自民党政治の根幹の様なものだし。 バブル崩壊後、さらにはビッグバン導入後は中小&零細企業は金融機関の貸し渋りや貸し剥がしで虐げられる傾向にあるし、構造改革だの規制緩和だのって言われてる政策は結局、大企業を利するだけの事になりそうで。本当にこの状態では庶民大衆には何一つ希望がもてそうにないですね |
小泉が壊そうとして壊した“自民党”とは自民党の左側。野中氏は抵抗勢力呼ばわりされ失墜し引退。加藤紘一は失脚。宮沢喜一も引退させられた。そして石破のような好戦タカ派ばかりが権威を握り自民党内は戦争への扇動に溢れ、残った左派は古賀、河野洋平と復帰した加藤紘一等ごく少数になってしまった。 公明党は冬柴や神崎をはじめすっかり連動してしまい、逆に背中を押すようになったって感じ |
自民党が、民主党を批判する文書を配布しているそうだが、その論拠が余りに情けなさすぎて興味深い。 民主党の政策のうち、文書の中で槍玉に挙げられているのが、 「旧日本軍による『慰安婦』問題の解決」 「新たな国立追悼施設の設置」 「ジェンダーフリー社会」 の3点。これらは、我が国の今後の外交・経済戦略を考えたとき、当然の帰結として導き出される政策だと思うのだが。 翻って自民党はこれらを、 「民主党の歴史観は東京裁判史観や抗日戦争史観と同じ『自虐史観』」 「かつての社会党の歴史観をそっくり引き継いでいる」 「民主党の目指す社会は左翼思想と全く同じ」 「民主党は家族の崩壊を目指す」 として、 「民主党の歴史観、教育政策は日本の歴史、伝統、国家そのものを否定した『日本解体プログラム』なのである」 と結論している。 かつて、その左翼・社会党とやらと仲良く連立政権を組んでいたのがどこの政党かは兎も角として、自民党のこうした主張から浮かび上がってくるのが、言うまでもなく「歴つく史観」もしくは「オヤジ慰撫史観」と「西部道徳」。 採択率が1%にも満たない教科書の歴史観・国家観を拠り所としてネガティブ・キャンペーンを張った処で、果たして如何程の効果があるのかは未知数だが、もともと正面からの政策論争では勝ち目がないと自覚しているようだ。その証拠に、青木幹事長は創価学会会長に「頭を下げ」、平沼前経産相は創価文化会館で選挙協力を請い、党は霊友会・仏所護念会・全日本仏教会にも手を伸ばしている。 脆弱者は、とかく「国家」「権力」などに忠誠を誓い、一体化することで一時的・擬似的に自尊心を慰撫する。しかし、それすらも叶わぬと知った時、絶望して玉砕するか、もしくはより「大いなるもの」すなわち「宗教」に救いを求め、縋りつくのだろう。(勿論、宗教の信徒一般を卑下しているのではないし、宗教自体を否定するつもりもない。) しかし、こうした者どもの振る舞いは、いささか宗教的節操を欠いていると言わざるを得ない。すなわち、これまでの「日本は神の国」としてきた国家神道への「信心」は、どこへ消えたのか。 また逆に、この期に及んで自民を支持する諸団体には、藤原弘達の言葉を借りれば「そもそも宗教をなんと心得るか」と問いたい。崇拝の対象が仏陀なのか日蓮上人なのか名誉会長なのか支離滅裂な某団体はさておき、卑しくも「霊」や「仏」を説く者が、イラク戦争を支持した政権を推薦するとは何事か。 そこには、表敬訪問してきたブッシュ大統領に延々とイラクの惨状を説教したローマ法皇の気概はない。 |
>民主党の政策のうち、文書の中で槍玉に挙げられているのが、 「旧日本軍による『慰安婦』問題の解決」 「新たな国立追悼施設の設置」 「ジェンダーフリー社会」 の3点。これらは、我が国の今後の外交・経済戦略を考えたとき、当然の帰結として導き出される政策だと思うのだが。 一つずつ誤りを正しますか。まず慰安婦問題について。 慰安婦問題の経緯 昭和58年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で,昭和 18年に軍の命令で「挺身隊」として、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという「体 験」を発表。朝日新聞は、これを平成3年から翌年にかけ、4回にわたり、報道。 同3年8月11日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が」名乗り出たと報じた。 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表。 石原副長官がすかさず軍・官の強制連行の証拠は発見出来なかった (今に至るも発見されていない)と発表したが時既に遅し。 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記述されることになった。 この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者と秦郁彦日大教授の調査により原著書は全くの作り話であることが判明。 所で河野談話には実は裏がある。反日日本人が仕掛けた慰安婦協奏曲に躍らされた韓国政府は必死に強制連行の証拠を探そうとするが、当然ながら反日日本人の捏造であった為見つからなかった。国民に吊るし上げられ、引くに引けなくなった韓国政府は「この問題は貴方の国の新聞が作ったのだから、せめて面子だけでも立てて欲しい。国家賠償請求を韓国側が放棄する代わりに、こちらの顔を立ててくれ」と要求。目先の金に目がくらんだ日本政府はそれにとびつき、性犯罪国家の烙印を押された。 自ら名乗り出た慰安婦について:この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語り生活苦から14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」ことも判明。当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。国家による組織的な強制連行とは関係ない。 そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定されたもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在していない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。 軍の関与について:発見された文書とは昭和13年に陸軍省通達、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」であり、その趣旨は民間の悪徳業者による誘拐まがいの行為即ち「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なのである。 さて、慰安婦問題において日本では余り知られていない事が2つある。一つは慰安婦といってもその多くが内地の貧しい日本人女性であった事。 もう一つは自分の利益の為に偽慰安婦を製造する反日日本人がいると言う事。彼らは日本を訴えれば金がたんまり入るとして、真偽の程を見極めずとにかく人集めを行う。次に彼ら人道主義の仮面をかぶった反日日本人は訴訟費用として彼女らに多額の借金をさせる。実はこの訴訟ビジネスこそが彼らの「平和運動」の活動資金になっている。彼らにとっては裁判の勝ち負けは関係無い。裁判に勝てば、老女達から「コンサルタント料」として多額の金を奪い取る。負けたら負けたで、彼らは知らぬ顔をし、結局老女達には多額の借金だけが残る。つまりどっちに転んでも美味しいビジネスだと言う事。「謝罪と反省」の美名ので、如何に彼ら反日日本人が悪事を働いてきたか知っておく必要がある。 次に新しい国立慰霊施設について。はっきり言えばそんな小手先の対応をとっても解決しない。何故なら中国の靖国参拝への抗議自体、極めて「政治的意図を持った」物だから。中国が靖国参拝に反対したのは中曽根総理の頃だったが、実は当時中国共産党内部では、日本と友好関係を築く事で経済発展を推し進めようとする若手を中心とした改革派と、それに反対する年寄り連中中心の守旧派の対立があった。守旧派は、日本の靖国参拝に抗議する事が、結果的に改革派の立場を悪くする事に繋がると気付き猛烈に攻撃した。この時、中曽根総理は「中国の改革派の友人を助ける為」として中国の内政干渉に屈したがこれは正に守旧派の思う壺だった。計画通り改革派は潰され、守旧派が権力闘争に勝利。靖国カードを手にした中国は歴史カードと絡めて日本をATMの如く利用し続け今に至っている。 ここでもう一つ注意しておかねばならない事がある。それは「中国共産党の声=中国人全体の声では無い」と言う事だ。そもそも中国人の一体何%が「ヤスクニ」を知ってるだろうか?現在の中国は一党独裁体制であり、言論の自由は認められていない。南京で当時の人口以上の30万人の人間が殺されたなんて信じる南京市民はおらず、他の中国人も共産党政府が言ってる事は内心嘘だと思っても表立ってそれを表現する事が出来ない。 日本が本当にやるべき事は、「中国共産党=中国人全体の意見」という誤った公式を捨て、中国国内での言論の自由に関する状況が少しでも改善されるように中国共産党を恐れず、堂々と主張する事では無いだろうか?日本のそうした姿勢こそ中国国内の「声無き多数派」を助ける事になり、引いては民主化への原動力になると思うのだが。 次にジェンダーフリーですが、現在の誤ったジェンダーフリー運動のままでは危険だと言う事。社会の慣習、常識まで全て「権力が作ったもの」として子供の頭を空にし、そこに画一的なジェンダーフリー思想を注入するのは洗脳に過ぎないという問題点がある。又現在のジェンダーフリー運動が少数派による多数派(らしく生きたいとする人)への思想の押し付けといった要素が強く、正しくファシズムの要素を呈しているのも問題です。 |
平たく言えば日本人がこれまで通り「水に流す文化、死ねば皆仏と考える文化」を守り続けるか、それとも中国の「死者に鞭打つ文化」に屈するかと言う事です。 中国では、戦争に勝った側が負けた側の人間の墓を暴いて遺体に凌辱を加えるなんて事は、王朝の交替時にはよくある事でした。前の王朝はすべて悪であり、悪だから滅ぼしたのだ。だから新王朝は正しいのだ、と言うのが「中国史のかたち」。そして、悪人(つまり前王朝の支配者)は一切祀る事を許されず、墓や祠があれば徹底的に破壊する、というのが彼等の文化なのです。逆賊とされ、死刑になった人間の銅像を作り、それにつばを吐いたり、足蹴にしたりする文化。中国・韓国の文化、つまり儒教文化は「死者に鞭打つ」文化で、「悪」と決めつけた者には死んだあとの慰霊すら決して認めない文化です。 彼等自身が、同じ国の人間に対してそういう態度を取るのは彼等自身の問題であり、あえて干渉しない。しかし、だからこそ、彼等の文化に我々が迎合する必要は全く無い。それぞれ違う文化を持った国であり民族なのだから。 最後に中国人が作った東条英機の銅像の写真を紹介します。 http://j.people.com.cn/2004/01/10/jp20040110_35732.html 大岡さんは、日本を中国の様にしたいのですか?教えて下さい。 |
はじめまして。 私は近代史をよく知らないため靖国問題については正直なところ解らないのですが、疑問に思った点があったので質問いたします。 > 平たく言えば日本人がこれまで通り「水に流す文化、死ねば皆仏と考える文化」を守り続けるか、それとも中国の「死者に鞭打つ文化」に屈するかと言う事です。 とのことですが、日本には明治初期まで「晒し首」という刑がありましたよね。 これは「水に流す文化」の範疇からは外れるように思うのですが、日本は本当に「水に流す文化、死ねば皆仏と考える文化」の国なのですか? 議論の本質からは離れると思いますが、疑問に思いましたので投稿させていただきました。お答えをいただければ幸いです。 |
>とのことですが、日本には明治初期まで「晒し首」という刑がありましたよね。 これは「水に流す文化」の範疇からは外れるように思うのですが、日本は本当に「水に流す文化、死ねば皆仏と考える文化」の国なのですか? 議論の本質からは離れると思いますが、疑問に思いましたので投稿させていただきました。お答えをいただければ幸いです。 晒し首というのは近代化以前の社会に於いては「社会秩序の維持」の為として取られていた手段でした。悪事を働いた人間を誰も知らないような処刑場で始末するだけでは、一向に犯罪が減りませんから。問題は晒した後如何するかと言う事ですよ。 極悪人であってもきちんと弔ってもらえる。 中国では一度悪人とされれば永遠に悪人であり、弔われる事すら叶いませんからね・・・。 |
▼小鉄さん: 靖国神社の前身「東京招魂社」は維新の中で闘られた方を祭神としたところから始まりましたが、東軍の戦没者のみたまも慰霊碑が建っているんですよ。 で、ここは敵味方問わず、我が国におけるいくさでなくなった方の魂を慰霊するものとして今もあるわけですが、そういう事はあまり知られていないようですね。 |
>靖国神社の前身「東京招魂社」は維新の中で闘られた方を祭神としたところから始まりましたが、東軍の戦没者のみたまも慰霊碑が建っているんですよ。 で、ここは敵味方問わず、我が国におけるいくさでなくなった方の魂を慰霊するものとして今もあるわけですが、そういう事はあまり知られていないようですね。 こう言う事はマスコミでは取り上げられませんからね。もっと広くこうした事実を広めて行く事が、靖国にまつわる誤解を解くカギですね。 靖国=軍国主義とせき髄反射して、知ろうとしないのは非常に残念な事です。 |
▼小鉄さん: はじめまして。 私と同じようにウミサチヒコ氏から悪名?を頂戴した訳がよ〜く分りました。 > 平たく言えば日本人がこれまで通り「水に流す文化、死ねば皆仏と考える文化」を守り続けるか、それとも中国の「死者に鞭打つ文化」に屈するかと言う事です。 ★何で執拗に中国が靖国問題にコダワリ続けるのか、本質を教えていただきまして、目から鱗です。文化の違いだったんですか。 正しいものの見方を教えてくれる方がおりますので老人党に入ってよかったと思います。そして 改めて死者を丁寧に弔う日本に生まれた事に胸を撫で下ろしました。 日本人でよかった! (左側の中国に心酔している投稿氏からこわーい反論が来るでしょうか?私など小物は無視して下さいね。) > > 彼等自身が、同じ国の人間に対してそういう態度を取るのは彼等自身の問題であり、あえて干渉しない。しかし、だからこそ、彼等の文化に我々が迎合する必要は全く無い。それぞれ違う文化を持った国であり民族なのだから。 > > > 最後に中国人が作った東条英機の銅像の写真を紹介します。 > > http://j.people.com.cn/2004/01/10/jp20040110_35732.html こんな写真あったんですか。正視にたえません>>>> ものの考え方が違うと言うのはこんな事なのでしょうか? 弱虫っ子拝 > > |
特攻隊の生き残りにしてジャーナリストの田英夫さんの主張です。 靖国神社にも触れられていますので、読んでみて下さい。 http://www011.upp.so-net.ne.jp/dennews/panf/3.htm |
▼MNGさん: はじめまして。 刻々と参院選の投票結果がTVから流れる今夜、田英夫さんの資料を見させていただく機会を頂いた事に感謝いたします。 プリントアウトしましたので、これからじっくり勉強させて頂きます。 日本の喉元に引っかかっている、靖国問題、慰安婦のこと、等、〇〇新聞はあの国の方を向いて、莫大な賠償金を払わせ、恥ずかしい国という印象を世界に印象つけ、教科書に載せ、国を売る気でないのかと何時も密かに感じておりました。 真相は、、? 読みこなせるか分りませんが読ませて頂きます。 ありがとうございました。 弱虫っ子拝 >特攻隊の生き残りにしてジャーナリストの田英夫さんの主張です。 >靖国神社にも触れられていますので、読んでみて下さい。 > >http://www011.upp.so-net.ne.jp/dennews/panf/3.htm |
昨日の選挙特番を見ていたら「無宗教の慰霊施設を作る」という議論をしていて民主党はそれを盛んに主張していたのだが、これについて一度立ち止まって考えてみよう。 彼らの主張は「どの国の首脳でも行ける施設を作ろう」と言う物だが、中国・韓国・北朝鮮以外の国はこの問題について何も言ってこない。ミャンマー、ベトナム、タイ、インドネシア、台湾は何も言わない。アメリカに至ってはブッシュも参拝を希望したが、これは売国害務官僚の横槍によって潰されている。因みに靖国神社に参拝した外国人第一号は、敵として戦ったアメリカ人(軍人)自身だった。 こうした事を考えると、実は民主党が言ってる事は「国民の税金を使って、中国・韓国・北朝鮮の為に新たな出費をせよ」と言う事に他ならない事に気づく。 さて、「無宗教の慰霊施設」という物にこだわる連中は重要な事を見落としている。それは「慰霊」という行為自体が、魂の存在を認めた上で行われておりその時点で「無宗教の慰霊施設」など存在しないと言う事だ。 次に彼らは「A級戦犯が合祀されてるから問題であり、分祀するべき」と言うがここには2つの事実誤認がある。 一つはA級戦犯の合祀その物は中国の政治的抗議が来る前から報道されており、その理由は「旧敵国による裁判で犯罪人とされた者は、国内での犯罪者扱いはしない」という国会決議が出た結果(社会党すら賛成)であり、旧敵国のA級、B級、C級という極めて勝手な分け方に関わらず等しく「昭和殉難者」として扱われたという事実。 もう一つは分祀を行った所で靖国神社からA級戦犯とレッテル貼りされた方たちの御霊が消える訳では無いという事。 神道には「分け御霊」という考え方がある。これは、神として祀られる御霊を勧請する際に、その御霊の霊性を分けて貰う事を指す。 つまり、A神社で祀っている神様に効力が無いと、B神社にお願いして、B神社の神様をA神社にお迎えし、A神社の神様と一緒に祀ることを「勧請する」という。 なかなか合理的な考え方だが、これは日本神道では古来より行われてきた宗教行事でもある。今でも、日本の神社では主祭神の他に、多くの神様が祀られている神社は少なく無い。主祭神は元々の神様、そしてその他の神様が勧請されてきた神様という事。 さて、その勧請に際して、B神社からそのまま神様がA神社に移ると、B神社には神様がいなくなる。そこで「分け御霊」の登場。分け御霊とは、このB神社の神様を勧請する場合に、その霊性を分けて貰い、世俗的な言い方なら「分身の術」という感じで、A神社に移って貰う。だから、元々B神社に鎮座する神様の本体は動くことはなく、言ってみれば神様の分身がA神社へ移動したことになる。 そして、一連のこの神様の分身移動を「分祠」と呼び、神様を他に移してお祀りする。 しかし既に述べたとおり、神様の本体自体は元々の場所を動くことはないので、例え分祠をしても、元にいた場所から神様を消す事ではない。神道では、一旦お祀りした神様を、人間の都合で勝手に無くしたりする事は出来ない。 こうした基本的な事実認識を欠いた上での議論はまるで意味が無い。 |
戦犯合祀の問題以前に靖国が国家神道だった頃は暗黒で恐ろしい時代だったと思う。軍部ばっかじゃなく当時の権力層の大半は残虐非道で冷酷なサディスティックな変質者の集合体で一般人の権利や自由は一切認められない恐怖政治の体制だっただろうと。権力者が靖国参拝する事はその時代と政策に究極の理想を感じていてそれを何としても復活させたいという意思表示の様に思えてならない。それとも己が将来戦犯として処刑されて祀られる事を予測した上で予め生前に己自身の霊を参拝するつもりなのかと 信教の自由で私人が参拝するのは構わないと思う |
>戦犯合祀の問題以前に靖国が国家神道だった頃は暗黒で恐ろしい時代だったと思う。軍部ばっかじゃなく当時の権力層の大半は残虐非道で冷酷なサディスティックな変質者の集合体で一般人の権利や自由は一切認められない恐怖政治の体制だっただろうと。 戦後の日本では左翼勢力に牛耳られたマスコミ、教育界を中心にある一方的な歴史観がはびこりました。それが、共産主義者の主観だけで語った「暗黒史観」です。でもこれは当時の一般の人間の生活に基づいた物ではないですから、極めて無価値です。 マゴさんも、国家イコール絶対悪というイデオロギーの呪縛から解き放たれて、もっと自由に歴史を見るべきでは無いだろうか? というか戦後の歴史こそ、共産主義の化石となった者達が一方的な情報を流しミスリードするという酷い物でした。 >権力者が靖国参拝する事はその時代と政策に究極の理想を感じていてそれを何としても復活させたいという意思表示の様に思えてならない。それとも己が将来戦犯として処刑されて祀られる事を予測した上で予め生前に己自身の霊を参拝するつもりなのかと いや、それは如何だろうか?ソ連崩壊以前はソ連の共産主義の悲惨さを国民に知らせずにミスリード。ソ連崩壊後は総括すらせず、未来を語れなくなった腹いせに過去の日本を叩き国を売りつづける。 左翼こそが「戦後犯罪人」と言えるでしょう。 >信教の自由で私人が参拝するのは構わないと思う 公人だの私人だのという論議は、マスコミが作り出したデタラメな理論。日本国の総理大臣として国難に殉じた人に礼を尽くす。それだけの話。 まぁ霊魂の存在を認めないマルクス真理教の方に何を言っても通じないでしょうが・・・ |
公人だの私人だのという論議は、マスコミが作り出したデタラメな理論。>>マスコミに聞かれたら『日本人として参拝した』と切り返した議員がいましたね。いいところ突いて ました。 未だに共産主義を信奉する低能君は、権力を嫌いながらその権力を打倒すれば、自分が新しい権力となる矛盾に気が付いていないんですなぁ。 |
▼大岡越前さん: > 民主党の政策のうち、文書の中で槍玉に挙げられているのが、 > 「旧日本軍による『慰安婦』問題の解決」 > 「新たな国立追悼施設の設置」 > 「ジェンダーフリー社会」 >の3点。これらは、我が国の今後の外交・経済戦略を考えたとき、当然の帰結として導き出される政策だと思うのだが。 歴史観云々抜きで見ても、「年金・イラク」での分が悪いことの裏返し、としか 言いようがないですね。 ついでに、「階層の2極分化」「年収300万円時代間近」と言われるくらいの 国民生活の悪化と、 「借金王」を自嘲していた小渕さんならいざ知らず、あれだけ「財政再建」を 叫んでいた小泉政権の下でも、国の借金は700兆円(国民一人当たり借金550 万円)にまで悪化した事実に対しても、まともな反論もできないから、 ウヨサヨ論争しか武器がない、ということになるのでしょう。 |
「まえがき」 森田正は、昭和十九年九月十五日、満二十一歳の若さで、戦争の犠牲となって、この世を去った。遠く中支において戦死したのである。家族が、正の死を知ったのは、戦後になってからである。昭和二十一年三月十五日のことである。 森田正は、大正十二年三月、森田四郎・ふでの次男として生まれた。長男が出生後間もなく死亡していたため、事実上は長男として育った。あとには五人の弟妹がつづいた。幸子、弘子、耕造、実、豊治である。現在、五人ともに健在で、それぞれ独立の充実した生活をしている。私(実)は三十五歳、末の豊治は三十二歳である。父母も健在で、六人の孫がある。 兄が死んでから二十四年が過ぎた。来たる九月十五日に二十五回忌の法要をいとなむ。この機会に『森田正のおもいで』を出版することになり、私が製作面を引き受けることになった。 思えば、兄の死を知った日(昭和二十一年三月十五日)のわが家の光景は“悲惨”としか表現しようのないものであった。当時私は十三歳(中学一年)であったが、あのときの家族の悲しみ、とりわけ母の悲しみは、いまも忘れることができない。一家の支柱であった兄の死が、家族に与えた悲しみは、想像を絶するほどであった。その後長い間、兄に関する話題はわが家ではタブーのようであった。両親が少しでも悲しみを忘れてほしいという気持ちからであろうか。 記録を出版しようということになったのは、両親の悲しみが、いくらかでもやわらいだ証拠である。うれしいことである。この小冊子によって、兄を失った両親の悲しみが、少しでもやわらげられ、残る老後を平穏に過ごしてほしいと思う。これが、これを作ることを思いたった動機でもある。 はじめの「息子正のこと」は、兄の葬儀が終ってから、父が家宝帳に記録しておいたものの一部で、そのままひき写したものである。 つぎの「正へ」は、母のとめどもない話を口述筆記したものである。 「兄を偲ぶ」は姉真田弘子が、兄の手紙を整理しながら、思い出を綴ったものである。 最後に、兄をよく知っている方々に思い出を書いて戴いた。工科学校時代の親友の佐藤一芳氏、小学校時代の同級生村上弘氏、従姉杉本一江氏の三氏で、この内輪のささやかな思い出ばなしに花を添えて戴くことができた。厚く御礼申し上げたい。 文集の出版という困難な仕事が実現できたのは、出版を計画し、原稿を依頼したり作成したりする仕事一切を引受けた姉弘子の努力によるものである。感謝にたえない。彼女の手伝いができることを、私はひそかに誇りに思うほどである。 表紙ととびらの題字は、姉幸子の筆になる。 昭和四十三年八月 森田 実 -------------------------------------------------------------------------------- |
「正へ」 正、元気かえ。あんたが逝ってしまってから、もう二十五年にもなるんだねえ。その間、一日だって、あんたを思い出さない日はなかったよ。神や仏をうらんだり、自分の不運をなげいたり、あんたがあわれでならなかったり。あんたの事をおもって、どれだけ涙を流したろう。 優しかったねえ、あんたは。どうしてあんなに優しかったんだろうねえ。「お母さん、あんまり働いてはいけませんよ。楽にしていなさいよ」と手紙をくれたあんた。東京から帰省の時、私の手が荒れてるから、と言って、ゴムの手袋を土産に持って来てくれたあんた。「今は春だから良いけれど、夏は、お母さんは夏やせするタチですから、気をつけて下さい」と戦地から言ってきたあんた。どんなときも、いつもあんたは優しかった。だから余計、私はたまらなくなってしまう。 長男だから、家が貧しいから、弟や妹が沢山いるからと、どうしてあんなに家の事ばかり心配したんだろう。戦地からも、ずい分、耕造たちに、しっかりやってくれ、って言って来たねえ。どんなに家の事を心配して死んだろうねえ。 あんたが出征の日、昭和十八年十二月五日、まだ明けきらない朝の五時に、あんたは伊東駅から汽車に乗って出征して行ったねえ。あの時あんたは、送って来なくても良いからって、一人で家を出て行ったねえ。「行ってきます」と言って、そのまま清平丸の角のところに立っていた私たちの方を、とうとう、ふりかえりもしないで歩いて行ってしまったけど、あれは、胸が一杯でふりかえったりなんか、できなかったんだねえ。お父さんも私も何も言えやしない。あんな時代だったのに、「お国の為にしっかりやって来なさい」なんて言葉、思いつきもしなかった。どんなに家のことを心配しているだろう、心残りだろうと思って、胸が一杯だった。上の耕ちゃんさえ十三なんだもの、昔、ほんのチビちゃんだったんだから。それでも、あんただって、はたちになったばかりなのにねえ、かわいそうに。あとから駅へ行ったら、あの列車は何輛あったろう。一列車ぎっしりと甲種合格の人ばっかりつめこんで、そしてみんな殺されちまって。ひどいねえ。甲種合格だから、皆、前線の大変なところに廻されたんだねえ。静岡聯隊は強いなんて言われて。 静岡に入隊してから、一度面会に行ったね。お父さんと豊坊と弘子と四人で。ぼたもちを作ったり、おこわをたいたり、おすしをつけたりして一杯持って行ったけど、あんたは、はじめそんなに食べきれないから、なんて言ってたね。誰かにあげれば良い、って言ったら、全部持って行ったけど。豊坊は縞の背広を着て、とってもかわいらしかったのを覚えているかしら。あの子は、あんたが行ってしまった時、まだ小学校一年生だったから、ちっとも覚えていないらしいよ。広い部屋で皆が一緒に面会するんで、落着いて話しもできなかったねえ。出征しても、一度や二度、家へ帰される人もあるのに、あんた達甲種合格組は、一度も家に帰してくれなかったねえ。面会がある位だから、もうきっと、どこかへ連れて行かれるだろうって事は覚悟していたけど、十八日にもう日本を発つなんて、あんまりだと思いました。それも何の通知もなくて、こっそり連れて行かれるところだったんだから。 静岡の本部詰だった炭屋の佐藤秋作さんのおじいさんが教えてくれて、分ったんだよ。だけど、皆、どうして知ったんだろう。軍では秘密にしておいたのに、ずい分多勢の人が集まっていたねえ。十一時の汽車で連れて行かれちまうって事だったから、聯隊の門を出てから駅まで会えるかも知れないと皆六時頃から、あそこで待っていた。お父さんと虎好さんの叔父さん三人で、私達もずーっと、門のところで待っていたんだよ。くし柿だのビールだの、おすしを沢山持ってね。まるで、蟻の様に聯隊の門のところにむらがる見送りの人達を、馬に乗った憲兵が追い払うんだけど、また、たちまち門のところは人だかりがしてね。憲兵は何回でも追い払いに来る。私達はその度に散ってはまた集る。私も夢中だったから追い払われるのなんか、気にならなかったけど、ひどい事をするもんだねえ。何時頃だったかしら、皆が出て来たのは。そうその頃は、何時になったかなんて、ちっとも頭になかったから、どれ位、憲兵と鬼ごっこをしていたか、どうしても思い出せなくなってしまった。 いよいよあんた達が真暗ななかを、四列に隊列を組んで門から出て来た。すると、見送りの人達は、わが子の名前を口々に叫んで、その合間に、兵隊さん達に「◯◯隊はどこですか」「ここは××隊ですか」と絶叫する。私だって。他の人達以上に、「タダシー、タダシー」って声をかぎりに叫んでね。あの夜は、もうこの世のものとは思われなかった。まるで地獄絵そのままだったね。他の人の声にかき消されないように、あらんかぎりの声を出すんだけど、皆が、他の人より大きい声を出そうとしているんだから。でも、あの夜のことを思うと、あんたも私も、ただただ運が良かったとしか言いようがないねえ。 家を出る時に、誰かが、自分の屋号を大きく書いた堤灯を持って行くと良いって教えてくれたから、大きい提灯に「森四」って書いて持って行って、それをかかげながら、「タダシやー、タダシや」って叫んだけど、あんたは四列にならんでいる一番端で、それも、私達が立っている方の端で、提灯を見てすぐ気がついてくれたねえ。どうして、あんなに、うまくいったのかねえ。それからは、静岡駅まで一歩も止まらないで行軍するあんたに三人で走りながら、くっついて行ったっけ。どれ位歩いたろうねえ。無我夢中で、そんな事は、何も覚えていないよ。食べものを渡そうとしたら、あんたは荷物になるから持って帰れなんて言ったけど、隣の人も何も持っていないんだから、その人にあげてもいいから、とに角、持って行ってくれって言って、やっとあんたに二包み持って行かせたね。本当によかった。向うへ着くまで食べつないだって葉書を読んだ時は、とっても嬉しかったよ。駅へ近づいた時、あんたは「お父さん行って来ます。叔父さん行って来ます」って言ったけど、とうとう「お母さん行って来ます」とは言えなかったねえ。私へのあいさつが、どうしても口にできなかったあんたの事を思うと、本当にたまらなくなる。とうとう、あんたは、行ってしまった。私に物を言うこともできず、私の方を、じっと見ることもできずに、とうとう行ってしまった。あれが最後だったんだねえ。あんたが行ってしまったのは、とってもとっても辛いことだったけれど、でもあれが、今生の別れになるとは、夢にも思わなかった。戦争はきびしいと言っても、いつかはきっと勝つと思っていたし、そうでなくても、あんたと永久に別れてしまうなんて、そんな恐ろしいことは、考えつきもしなかった。ただ、その時の別れが、一時の別れが、辛くて仕方がなかった。 駅へ入ってからは、もうどこにあんたがいるのか、ちっとも分からなかった。ホームになんか、勿論入れてはくれないんだから、線路のところに立って見送ったけど、どの辺かも見当がつかなかった。分かるわけはないねえ。夜の十一時だもの。十二月なんだから、寒かったろうけど、季節のことなんか、全然覚えてないねえ。ここでも、憲兵が馬で私達をけちらかしたけど、誰もそんなものにかまっている人なんかいない。あんたがどこにいるのかも分からないままに、とうとう、列車が出てしまった時は、一ペンに力が抜けてしまってね。 その夜は、駅前の三宝館とか言う旅館に泊ったけど、夜もおそいし、急なことなんで、タタミの部屋がなくてね、三階のベットの部屋だったよ。なれないベットだし、あんたがあんな風にして行ってしまったあとだし、ちっとも休まらなくてね。次の朝、家へ帰る汽車の中で、お父さんが提灯をかかげて、 「この提灯は殊勲功だ」 って言ったけど、本当に、あの提灯がなかったら、六時から聯隊の門に立ち続けて会えないで帰るところだったねえ。そんな人がずい分たくさんいてね。なにしろ、正式に教えてくれたんじゃなし、むこうで、会わさないようにしているんだから。あれでは、会える方がおかしいねえ。私達みたいに、一緒に駅まで行けた人なんて、あまりなかったんだろうよ。 子供達には、一生懸命勉強しろ、私達には体を大事にしろって、あんたは、何枚も葉書をよこしたねえ。でも、次の年の夏ごろからちっとも手紙が来なくなってしまった。でも、あんたが死んでしまうなんて、どうして、そんな恐ろしい事を、考えつくもんですか。いつかは、帰ってくる、って事だけは、信じていたんだよ。元気でやっているだろうか。戦地は大変だろう、家のことを心配しているだろうなあって事は、心配しつづけていたけど。中支が全滅したなんて話はきかないし、丈夫なあんたが病気で死ぬなんて思いもよらなかったし、それに、何よりも、公報が来ないんだしね。それなのに、あんたは、十九年の九月十五日に、天に昇ってしまったんだねえ。私を残して。どうして、夢枕にでも立ってくれなかったんだろう。あんなに私に優しくしてくれたあんたが、私の知らない所で、知らないうちに死んでしまったというのに、虫の知らせさえ、ないなんて。よく、親しい人に別れを告げに、夢に出るって言うじゃないか。あんたは、中国から、一旦家に帰らないで、そのまま、まっすぐに天国へ行ってしまったんだねえ。 私は、ただただ、あんたが元気に帰ってくる、としか思わなかったんで、終戦の時にはね、真っ先に、ああ、正が帰ってくる、って思ったもんだよ。便りがなかったんで、ちっとも様子が分からないから、もどかしくて、毎日のように、支那方面から復員した人達の所へ、あんたの消息をたずねて、かけずりまわっていたんだよ。あんたが、いつ帰ってくるのか、その日を教えてもらいたくてね。あんたが帰って来たら、こんな食糧難でも、あんたの好きなものを一杯食べさせてやろうと思って、畠に、いろんなものを作って、あんたが帰るまでに早く実がついてくれ、のびてくれ、って言いながら、世話していたのに。 それなのに、あんたは、もう、この世にはいなかったんだねえ。私以外の人は、知っていた人も多かったらしいけど、誰も、気の毒がって内緒にしていたもんで、私だけが、あんたの帰りを楽しみに、とびまわっていたんだよ。本当に何て事だろうねえ。そうしてとびまわっているうちに、とうとう、あの、三月十五日が来てしまった。あんたは、いくつも命日がある。あんたが死んでしまった事をはじめてきいた、この三月十五日、本当の命日の九月十五日、お骨で帰って来た日、公報が来た日と。 あの日も、まだ生きているものとばかり思って、中支から復員した劇場の近くの富田清造さん、ホラ、あんたの葉書に、世話になったって、書いてあったねえ、あの人に様子をききに訪ねて行ったんだけど、帰りは、どんな風にして家までたどりついたのか、ちっとも覚えていないんだよ。お湯から帰ったら、富田さんが復員したってきいたもんで、桶をほうり出してすぐ、富田さんの家へとんで行ったら、 「実は、十九年の九月に戦病死して、私達が火葬にしました。遺骨は私達が持って帰りましたが、博多の復員局に置いてきました。」 と言う話。 http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0733.HTML 続く |
「正へ」 のつづき 池谷の叔母さんが藤井病院に入院していてね、その藤井さんの前も気がつかないで通りすぎて家に帰って来てしまってね。あとで、叔母さんが、「お前がどんな気持ちで、あそこを通って行ったかと思うと……」って言ってくれたけど、富田さんの家を出てからあと、幾日かは、私の記憶からポッカリ抜けてしまって、今だに分からないんだよ。ただ一つ、あの日は、幸子の方が、先に聞いて来てね。幸子は、下田さんにお花を習いに行っていたんだけど、誰かが不用意に、「あそこの人も戦死した、この人も戦死した。森四さんでも死んだ」って話しているのをきいて、驚いて帰って来たってわけ。あれから、幸子は、もう二度とお花の先生の家へは行かなくなってしまった。その事だけは、覚えているよ。あとはなんにも分らない。 お父さんは、役場に届け出て証明書をもらったり、あんたの預金通帳のこと、保険のこと(こんなものは皆、預金封鎖で何もならなかったけれど)、遺骨引取の事など、とても忙しかったけど、私はもうすっかりふぬけになってしまって、寝こんでしまってね。一日とて、看病してあげられたわけでなし、せめて、あんたのお骨のお守くらい、十分にしたいと思っていたんだけど、丁度、あんたがお骨で帰ってくる頃、今まで、したこともない病気になってしまったんだよ。大腿部に大きなできものができてね。あんたの祭壇の前に床を敷いて、そこに釘づけになってしまった。あんたが呼んだんだねえ。あのときは。それに、お腹なんかこわした事もないのに、下痢のひどいのを起して、痛む足をひきずって便所がよいした時も、あんたが、 「下痢は辛かったよ」 と私に言っているみたいで、何か、お骨のあんたが、私に話しかけている気がしたよ。 富田清造さんの話や、和田武男さんの手紙から、あの頑丈なあんたが、下痢で死んだって知らされたあとなんで、本当に、あの時は、あんたが私に乗りうつったような気がしたよ。だけど、どんなに辛かったろうねえ。入院すれば死んでしまうからって、皆にたすけられながら行軍をしたなんて。そんなに重症なのに、静かにしていられないで。 コレラのような病気なのかねえ。何か悪いものを食べたんだろうか。水に菌が入っていたんだろうか。流行で皆がバタバタ倒れるって言うなら、あんたも罹るかも知れないけど、殺しても死なないような丈夫なあんただけが、一人、病気になるなんて。 荷物も持てないで、ほうり出してしまったんだそうだねえ。そんなに辛かったんだねえ。治療もしてもらえなかったろう。荷物をほうり出す時、何を考えていたろう。何か言いたい事もあったろうに。それとも、何も言えないし、考えられない位、辛かったんだろうかねえ。あんたの、あの体を滅してしまう位だから、よっぽどのきつい病気だったんだね。どんなに辛かったろう。家で横になりたかったろう。「お母さん、苦しい」と声に出たかも知れない。まわりの人に、よくしてもらったかい。ああ、口をしめしてやりたかった。ボタンもはずしてあげたかった。何の看病もしてあげられないで、あんたは、皆の足手まといのようになって、死んでしまったんだねえ。あんなに優しかったあんたを、なんにもみとってあげられないで、殺してしまって。 あんたの魂が、あんたの体から離れてゆく時、昭和十九年九月十五日の午前十一時頃、私は、どこで何をしていたんだろう。虫の知らせさえなかったんだよ。人一倍親思いで、どこの親子よりもずっと、ずっと強い絆で結ばれていたあんたと私なのに、どうして、私に、なんにも、教えてくれなかったんだろうねえ。心配をかけるからかい。それに、あんたは、夢枕にさへ立ってくれたことが、今だにないねえ。いつか、遺族会で出した本に、 うたゝ寝の夢になりとも帰り来て 語れ手柄をおひしいくさの って歌が出ていたけど、私の気持ちも、この通りだよ。手柄なんかいらない。夢に来て、辛かった話を、思う存分、私にしてごらん。 隣のサブちゃんも、上のよっちゃんも帰って来たのに、真中でうちは貧乏くじを引いちまったねえ。 五月八日には、大仁で慰霊祭があって、その時、あんたの遺骨が漸く私達のところに帰って来た。あんたは、お父さんの胸に抱かれて、二年半ぶりに、変り果てて帰って来たね。富田さん達が、戦地でずっと一緒に連れて歩いてくれたそうで、遺骨の袋が汚れていたけど、その為に、本当のあんただと言う気がしたよ。「歯も入っています」って富田さんも言ってくれたしね。沖縄や南方でなくなった人達は、何も帰らないんだから、まだしあわせだって言ってくれる人もいるけど……。 食糧不足で、子供達も多かったから、しゃにむに働いたけど、どんな事をしても、どうしても、あんたの事を忘れることができない。あきらめられないし、悲しみがやわらぐ時がない。何をしても、心から楽しむこともないし、心から笑うことも、できなくなってしまってね。こんなにしていては、あんたも、あの世で、やすらかにできないだろう。あんたが心配してるだろうと、いくら思ってみても、あんたを諦めることなんかできやしない。戦場で、病死したあんたが、ただただ、あわれで仕方ない。月を見るとね、どういうわけか、必ずあんたのこ事を思い出すんだけど、どういうわけだろうねえ。それに、あんたは、あんなに食べっぷりがよかっただろう。本当においしそうに、「ウマイナア、ウマイネエ」の連発で。だから、あんたが喜んで食べたものを見ても、すぐ思い出してしまう。ほんとに、どうして、いつの日もあんたは、あんなに、やさしくて、気がよかったんだろうねえ。あんたが出征する少し前、瓶山で仕事をしているあんたの所に、弁当を持って行った日のことを覚えているかい。 あんたは、前から、私の為に、あの古い家を建て直したいって言い続けていたねえ。紺屋の白袴で、お父さんは、到底、建ててくれそうもない。もう、あんたが一人前になって建ててくれるのを待つしかない、と思っていたんだけどそのあんたも、もうすぐ、出征してしまうんじあ、新しい家も、とても当分の間は望めないって、私も諦めていたんだよ。それでも、あんたは、何とかして、私に新しい家に入れてあげたいって言って、自分で設計図を引いて、 「僕が出征したら、おやじに、こんな家を建ててもらいなよ。ホラ、ここが台所で、ここが、玄関で……」 って、説明して、その設計図を、私の手許に置いて行ったね。そんなあんただから、私が瓶山へ行ったら、私を連れて、ほとんど完成するばかりの家を、 「ホラ、ここが台所だよ、ここが太陽室だよ」 って言いながら、案内してくれたねえ。 あんたの設計図の通りじあなかったけど、耕ちゃんが立派に一人前になって、家も建て直してくれたし、私も新しい木の香りをかぐことができたから、あんたも、どんなにか、喜んでくれたろうねえ。でも、あんたには、とうとう新しい家を見せてあげられなかった。私だって、本当は、家なんか欲しくない。もとの、あのボロ家で良いから、ただ、あんたに帰ってもらいたかった。そうして、あの優しい話し方で、私に話しかけてほしかった。 富田清造さんには、あの日に会ったっきり、一度も会ってないんだよ。富田さんの家へは、よくまあ一人で行けた、って人に言われるけど、あんたの帰る日をききに行ったんだもの。まさか、あんな話になるなんて、夢にも思っていなかったもの。富田さんの他にも、あんたの事をいろいろと話してくれた人もいたけど、戸田の人なんか、お金を持って行ったりしてね、それっきり来なくなってしまった。 たきえがね、 「叔母さん、この上、正が生きていたら、叔母さんはしあわせすぎるわよ」 って言ったんだけど、私は、あんたが死んでしまったことで、もう、他のどんなことも、しあわせだなんて思えなくなってしまったよ。あとに、五人も残っていて、皆、出来の良い子だからって、たきえは言うんだよ。丁度、実に続いて、豊治も東大に入学できたあとだったからね。皆、良い学校を出たけど、でもね、やっぱり、あんたみたいに優しい、良い子は一人もいなかったよ。あんたが早く死んでしまったから、それで良く見えるんだ、なんて言う人もあるけれど、それは、あんたをよく知らない人が言っているだけ。少しでも、あんたを知っている人は、誰でもあんたほど良い子はいなかったって言うし、第一、残った五人の子供達が、ちゃんと認めているのだから。 どんな日でも、この二十五年の間、一日も、あんたを思わなかった日はなかったし、この年月の間、あんたへの思いが弱まるということもなくて、今日まで生きて来たけど、これからも、死ぬまで、そうだろうと思うよ。お父さんや私が、何かみじめな思いをした時は、余計あんたを思い出してね。お父さんも終戦後、たった一人で仕事をやっていた時は、とても大変で、ふっと、「正がいたらなあ」って溜息をつくこともあったけど、やっぱり、あんたを頼りに思う気持ちよりは、あんたが、あんな可哀相な死に方をしたのに、看とってもあげられなかったあわれさの方が、いつも、先に立ってしまう。 無為な戦いに、あんたを連れて行って、私の知らない所で死なせてしまったお国を恨んだ事もあったけど、あんたが死んで十年目の昭和二十九年の九月十五日に、そのお国から扶助料が出てね。ずっと、もらっているんだよ。死んだあんたが、小づかいをくれるような気がしてね。でも、これが、あんたのいのちの代価だと思うと、何とも辛くてね。 去年の七月には、勲章も来たんだよ。そんなもの、今さらもらったって、なんにもならないし、喜ぶ気持にはならないけど、勲記の方は額に入れて飾っておくことにしたよ。あんたの思い出につながるものだからね。 あんたのお墓を、早く建てたいと思っていたけど、なかなか建てられなくて、やっと、この二十五回忌に間に合わして、でき上ることになってね。きっと、あんたは、 「そんなもの、いらないよ」 なんて言うかも知れないけれど、私にしてみれば、あんたをも、私をも慰める道は、こんな事しかないんだから、やらせておくれ。お父さんや私でさへ、新しい家に入れたのに、あんたは、新しい家にも入れないで死んでしまったんだもの。お墓ぐらい新しいのに入っておくれ。お父さんは今、お墓の土台に使う石に、一つ一つ、お経を書きこんでいるよ。新しい墓で、やすらかに眠っておくれ。 吾子(あこ)逝きて 身は空蝉(うつせみ)のわがいのち 二十五とせは夢のまにまに 夫(つま)よりは 汝(なれ)欲し残れる子らよりは 汝(なれ)欲しとて二十五とせを 炎天の いくさの庭にたおれたる いまわのきわになにをおもいし 母に語れ 汝(なれ)がおもひのかずかずを いまわのきわの胸にうかびし http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0734.HTML |
これで、靖國の何を語ろうと仰るのですか? このような方々は、たくさんいらっしゃいます。 それも、国がしっかりとしてこなかったからです。 英霊に感謝せず、あまつさえ「代替施設」などと・・・ これも現政権の悪しき部分です。 老婆心ながら・・・大岡さん。これ著作権の問題はクリアなんですよね・・・? 全文の引用は不味いですが・・・。 |
▼マゴさん: >戦争で沢山の死人が出れば余剰人員の削減になり産業空洞化や失業が原因の経済の停滞問題が解消される”“老人、身障者、病人等が戦争に巻き込まれて死ねば年金や健康保険の支給が軽減され財源窮乏問題の解決になる”きっとそう考えてるんじゃないの? 戦争があればまず健康な青年が戦場に出て、何%か亡くなり、何%かは障害者になって帰ってきます。障害者や老人、病人は本土が攻撃されない限り「巻き込まれて死ぬ」ことはないでしょう? 財源窮乏問題の解決どころかものすごい財政負担ですよ。 本土が攻撃されれば、復興にもものすごい金がかかる。これは財政的には自殺行為ですね。 ただ、日本を守るために八方手を尽くしてそれでもなお、というのでなく軽率に米国の戦争に加担して日本国民、日本軍人(自衛官)の命、そして日本財政を犠牲にする現小泉政権はナンとかしなきゃいけないでしょう。 対米隷従の解消! ここからが日本再生の出発点ですね! |
最近特に顕著なのが報道規制ですね。 自己に都合の悪い報道機関は圧力をかけて潰そうとする、言論封鎖は一番恐ろしい手法です。 |
報道規制、言論封鎖の傾向が強くなったのは安倍幹事長になってから顕著になったような気がしますが、違いますか?。ご婦人方の人気が高いという事と関係があるのでしょうか?。識者の方教えて下さい。 |
安倍氏以前から、パフォーマンスに長けた小泉政権は、マスコミの力を危惧していたと思います、特に小泉氏の秘書の噂揉み消し行動は特筆に価するでしょう。 私的には、安倍氏は秘書が出来なかった大々的な行動をおおっぴらにしているだけで、マスコミ叩きは安部氏以前から行なわれていたと考えています。 |
http://homepage2.nifty.com/goken-osaka/1027zdoi.htm >憲法調査会の議論について >辻元 清美(衆議院議員、衆議院憲法調査会委員) >本当は1条から8条はなくしたい >ですから、本当は1条から8条はカットして、日本国憲法は9条から始め、 >天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人か何かになってもらう。 >財団法人でも宗教法人でもいいけど。 >そして、皇居をセントラルパークにし、アジア平和記念館とかをつくり、 >アジアの留学生を呼ぶという計画を立てているのですが、賛同者は少ないのです。 こういう発言は怖くないのか。 |
▼ポロリストさん: >http://homepage2.nifty.com/goken-osaka/1027zdoi.htm > >>憲法調査会の議論について >>辻元 清美(衆議院議員、衆議院憲法調査会委員) > >>本当は1条から8条はなくしたい > >>ですから、本当は1条から8条はカットして、日本国憲法は9条から始め、 >>天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人か何かになってもらう。 >>財団法人でも宗教法人でもいいけど。 >>そして、皇居をセントラルパークにし、アジア平和記念館とかをつくり、 >>アジアの留学生を呼ぶという計画を立てているのですが、賛同者は少ないのです。 > > >こういう発言は怖くないのか。 薄甘い、ピースボートなどという反体制団体構成員(組員とでも言いましょうか?)など、こんなものでしょう。 よりも、当選したら・・・大阪の人は「大馬鹿」だと言うことです。 |
>ですから、本当は1条から8条はカットして、日本国憲法は9条から始め、 天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人か何かになってもらう。 財団法人でも宗教法人でもいいけど。 そして、皇居をセントラルパークにし、アジア平和記念館とかをつくり、 アジアの留学生を呼ぶという計画を立てているのですが、賛同者は少ないのです。 この程度で「日本国の」国会議員・・・。恐ろしいなぁ・・・ しかし日本の護憲派が「エセ」であると言う事を「本当は1条から8条はカットして、日本国憲法は9条から始め、天皇は伊勢にでも行ってもらって」という発言ははからずも露呈していますね(w |
▼ポロリストさん: >http://homepage2.nifty.com/goken-osaka/1027zdoi.htm > >>憲法調査会の議論について >>辻元 清美(衆議院議員、衆議院憲法調査会委員) > >>本当は1条から8条はなくしたい > >>ですから、本当は1条から8条はカットして、日本国憲法は9条から始め、 >>天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人か何かになってもらう。 >>財団法人でも宗教法人でもいいけど。 >>そして、皇居をセントラルパークにし、アジア平和記念館とかをつくり、 >>アジアの留学生を呼ぶという計画を立てているのですが、賛同者は少ないのです。 > >こういう発言は怖くないのか。 ムネオも落選。やはり、有権者の目も、厳しくなってる、ということでしょう。 (それにしても、辻元さんがでなければ、共産党の「現職」が、「元職」に なる、ということもなかったのに…。) |