Page 1035 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼新スレッド 哲学 20代 04/7/11(日) 18:58 ┣Re(1):新スレッド 哲学 悠々 04/7/14(水) 18:43 ┣Re(1):新スレッド 哲学 ぎみゆら 04/7/14(水) 21:16 ┗Re(1):新スレッド 哲学 peace 04/7/14(水) 23:10 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 新スレッド 哲学 ■名前 : 20代 ■日付 : 04/7/11(日) 18:58 -------------------------------------------------------------------------
前のスレッドが長くなったようなのでよろしければこちらにお書きください。 思いのほか多くの方が参加してくださって本当に充実した内容となりました。 皆様のそれぞれの環境から発されるそれぞれのご意見を重く受け止めさせていただき、勉強させていただいています。 皆様のご意見はすべて拝読させていただいているのですが 全てにレスをつけることができないでいることをお許しください。 少し考えてみました。 やはり人間は思考をすることができるだけであって、 宇宙にとってはなんら他の動物と変わりの無いものであるような気がします。 太陽系が消滅することも理にかなったことであり、 人類が滅亡することも当然なのではないでしょうか。 動物の世界では自然淘汰がなされ、弱い種は絶滅しますよね。 それと同じように人間も環境と作用して様々な原因から絶滅することは 自然だと思うのです。 人間が思考することができるのは生きている間を、 いかに有意義に過ごすかを考えることができるようにするためなのではないでしょうか。 学術、芸術を人間が育ててきたことがその証であるように思います。 その人間の思考は自然と対立することはできないのです。 地球上の重力を変えたり、地球の自転を変えたり、太陽をON、OFFしたり。 無理な話ではないでしょうか。 ですから、自然に従い生活することが本来の状態だと思います。 人間が生きることで感じるジレンマは、 自分勝手に生きたいという事と、 そうすると環境を破壊し自らの種を危険にすることかな?と思ったりして。 動物には種の繁栄という本能をインプットされていますが、 その制約として自然の有限性があります。 人間はいわば増えすぎた狼が羊を食いつくし、 自らに食料がなくなり絶滅するという方向へ向かって走っています。 ここら辺でスローライフに切り替える必要があるのではないでしょうか。 スローライフを世界に発信する日本なんてどうでしょう。 種の保存が真の目的であるならば、人間は農耕ができるようになったあたりで 十分なような気もします。 また考えながら書いて、めちゃくちゃな文章になりました。 しかも長文で申し訳ないです。 |
>ここら辺でスローライフに切り替える必要があるのではないでしょうか。 寄宿舎生活をおくる子供を休暇の度に訪れた、イギリスの田舎は スローライフに相応しい風土と佇まいを備えていました。 なだらかに広がる牧草地、ゆるやかに流れる小川、旧く整った町並み・・。 よく利用したBB(朝食付きの民宿)のうち、もっとも古いのは16世紀のもの。 太い梁が歴史を語り、モダンなインテリアと見事に融合していました。 古いものを現代に活かすためには、スクラップ&ビルドの方法より 何倍もの創意工夫を要するはず。 だからこそ、色彩や技が磨かれるのだろうと思ったことでした。 どこでも同じものを食べさせるファーストフードに対してのスローフード。 ’86年にイタリアから始まった、風土に根ざした食生活を見直す運動について イタリア・スローフード協会の責任ある方がいうには「スローは食だけでなく、 生活の質を考えることにつながっているのです」。そして、社会の在り様にも。 先日、放映された教育テレビ『こころの時代』のなかで、 多田道太郎さんがこんなことを話しておられました。 「型にはまった、強制されたところに創造力・想像力は育たない」。 多田さんの俳号はその名も”道草”。気持ちのゆとりは大切なことなのですね。 |
20代さん、こんにちは。 うーんと。 ひょっとして、何かのとっかかりになるのか、それとも、まったくの 見当違いに過ぎないのか、自分でも、よくわからないんですけど。 お書きになっていることすべての前提として、そう思考しているのは 「自分」であるというお考えが、あるのではないでしょうか。そのように、 「私が」「個人が」が考えている。でも本当に、そうなんでしょうか? 20代さん「個人」が、そう考えているんなら、たしかに、考えているだけ では、世界を変える力になんか、なりっこない。おっしゃるとおり、自然に 従って、自然が呼ぶままに、成り行きにまかせて、ただ生きていけばいい。 でも、そんなふうに考えているのは、本当に、20代さん「個人」なんで しょうか? 考えることそのものに、「全体」とシンクロする通路や、 「何かもっと大きなもの」と交わったりする可能性は、ないんでしょうか。 一人で「自分」のなかに入り込んで、考え込んでいる限り、「世界」と なんか、つながれっこないっていうイメージが、どこかしら、あるんじゃ ないでしょうか。でもそれは、本当に、そうなんでしょうかね。 「自分」は「自分」にしか過ぎないっていう考えのほうが、むしろ、 ただの思い込みに過ぎないような気がして、とくに最近、そう思えて 仕方がないんですけど、こんな私は、20代さんから見ると、ヘンですか? なんかやっぱり、あんまりうまく書けないですね。ごめんなさい。 |
こんばんは 同じように環境問題を考えた事が有ります。 僕は環境問題の基本的には人口過剰問題であると思っています。 今、人類は地球と言う限られた資源の中で生きていますよね、環境問題とはまるで牛に寄生しているダニたちが増えすぎて「おい、ちょっと待てよ、俺たち増えすぎて牛が弱ってきてるんじゃないか?ちょっと顔色悪いよ。このまま死んじゃったら俺たち共倒れじゃないの。やばいから、みんな血吸うの控えようよ。」と言っているように思えます。 もし、ほんとに牛に元気になってもらうにはダニが死滅するのが一番では無いですか? 環境問題って何ですか。一番の問題は人間ではないですか?真剣に環境問題を解決しようとするのならば人類滅亡が一番で有ると思いますがいかがでしょうか。 環境問題の解決方法を考えていたのですが、フロン、CO2等いろんな問題が存在しますが、もしかすると第二次世界大戦でヒットラーなどが勝利し独裁政権が世界を席巻していたら、このような問題は取るに足らないものでは無いでしょうか。 もし独裁者がフロンの問題を知ったら「俺の地球を汚してはならん、明日からフロンは使うな!」と言えばそれで解決する問題では無いでしょうか。もしかしたらみんなが主権を持っている民主主義が環境問題の根っこにあるのではと思いますね。 現に衛星写真の夜間の光の量を見ても北朝鮮のスローライフぶりは見習うべきものがあるのでは無いですか。イギリスの田舎町なんて目じゃない。公園のブルーシートの家に住むおっちゃんたちといい勝負ではないですか? しかし、一度開かれた民主主義と言うパンドラの箱はもう閉じることはできないでしょう。じゃあどうすればいいのか、僕は一つだけ方法が有ると思っています、それは独裁者ではなく一人一人が「俺の地球を汚してはならん、明日からフロンは使わない!」と言うことではないでしょうか。他人に対して影響力を持とうとせず、自分の行動に責任を持つことが牛をちょっとは長生きさせられるのではないかと思います。そして情報には気をつけて。さもなくば民主主義は捨てる方が良いと思われます。 僕は環境保護運動家では無いので人に影響力を持って環境を保護しようとは思いませんが、人は化石燃料を使って作った飯を食って、わざわざ化石燃料を使って糞を浄化して、息して二酸化炭素はいて、へこいてメタンガス出して、環境問題を考えに行くと言って飛行機に乗ってオゾン層を破壊して、こうして電気を使ってパソコン動かして。 人は何の目的で生きていますか? ひとに影響力を持って生きるってそんなに大事なことですか? 生きると言うのは自分自身の一秒一秒を大切にすごすことではないでしょうか。 ミヒャエル・エンデの「モモ」を一度読まれることをお勧めします。 |