Page 1054 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼子鉄さんについて勝手に想像してみる ギアえもん 04/7/8(木) 23:06 ┣つけたし ギアえもん 04/7/9(金) 0:28 ┣Re(1):今夜も、ご苦労様です。子鉄さん! 猫猫 04/7/17(土) 0:01 ┃ ┗Re(2):今夜も、ご苦労様です。子鉄さん! ニック 04/7/17(土) 7:16 ┣Re(1):子鉄さんについて勝手に想像してみる 森下 泰典 04/7/17(土) 0:07 ┃ ┗Re(2):子鉄さんについて勝手に想像してみる 小鉄 04/7/17(土) 10:47 ┃ ┗ところで、「小泉改革」についての評価は? 森下 泰典 04/7/17(土) 10:53 ┗Re(1):小鉄考! 流水 04/7/17(土) 11:30 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 子鉄さんについて勝手に想像してみる ■名前 : ギアえもん ■日付 : 04/7/8(木) 23:06 -------------------------------------------------------------------------
もしかして、老人党内で民主支持または政権交代支持が多数派だから バランスを取るために民主批判役を買って出てるのかも? |
子鉄 ( ´Д`)< 老人党ではあえて批判しているが・・・・がんばれよ、民主。 だったりして? |
中国脅威論を構築中の小鉄さん。 北京の水不足問題などを含めて、 考えていらっしゃるのでしょうか。 僕は、中国の経済成長には、限界があると思っています。 あれだけの人口を養うためには、農業も重要なのですが、 中国は、農業よりも、工業を重視するようになりました。 12億人の食糧を、将来、誰が生産するのでしょうか?? 中国政府が支配したいのは、たぶん「東南アジア」です。 「タイのような食糧生産豊かな国」を支配したいのだと思います。 中国政府は、日本よりも、 タイを支配したがっているのではないでしょうか? 中国脅威論を構築することによって、 何か、国益にプラスになるのでしょうか? 日本も、東南アジアとの貿易を推進するべきだと思いますが。 「中国が脅威だ」と言うならば、 「中国包囲網」でも作る努力でもしたらどうでしょうか? 「中国包囲網」を作りながら、 小鉄さん、北朝鮮に対応できると思っているのでしょうか? 先に、「北朝鮮包囲網」を作り上げて、 無条件降伏、不戦条約・・・などの平和解決の流れを作らねばなりません。 北朝鮮問題をかたづけてから、 「中国包囲網」でも、暇つぶしに語ってくださいな。 今の状況で、中国&北朝鮮を、仮想敵国とするのは、 勇み足すぎると思います。 ロシアも敵方になると、たいへん、ややこしいのです。 今現在の「六カ国協議」は、「北朝鮮包囲網」のようなものです。 さまざまな人たちが、努力して築き上げてきたシナリオです。 そのような状況で、「中国脅威論」は、タイミング悪すぎです。 まだ、「中国脅威論」を唱えるタイミングではないと思います。 |
仕切りに中国・北朝鮮脅威論を吹聴する方々の提示される根拠は実に薄弱としか言い様がありませんし、何より「何故攻めてくるのか、何処から攻めてくるのか、どのくらいの軍備で攻めてくるのか」等と言った事には一切回答してらっしゃいません。 はっきり申せば良く町を真っ黒い車で走り回っている方々の主張と変わりないと言えましょう、傾向としては大抵「中国人や韓国人に何らか嫌な事をされた過去が有る」方々のようですが、個人の好き嫌いと国民性を同一視するのは問題があり過ぎます。 何処の国でも良い人も居れば悪い人も居る訳で、その点には全く触れず「俺が中国に行った時、中国の若者は年寄りをないがしろにしていた」と話され、堂々と中国バッシングを行なっていた方がいらっしゃいますが、是などは典型と申せましょう。 それを目撃した事実はあるでしょうが、だからと言ってそれが中国人の全てかと言えば絶対にそんな事は無い訳で、その辺りを考慮しない好戦的発言には、「実はこの人達は戦争が好きなだけではないだろうか?」と考えてしまいたくなる部分が多々見え隠れします。 根拠を明示しない批判はただの誹謗中傷な訳で、特に「戦争は駄目」と述べると直ぐに「あか、共産主義、親中国」と罵る(?)姿勢には全く何のデータも無しに批判していると言う事が良く分かります。 |
▼ギアえもんさん: >もしかして、老人党内で民主支持または政権交代支持が多数派だから >バランスを取るために民主批判役を買って出てるのかも? いや、バランスどころか、 「ポチ首相のポチ」程度の存在としか思えません。 同じ保守でも、櫻井よしこさんなんかは(「イラク復興支援」派ではあるけど) 道路公団の「偽りの民営化」についてはビシッと批判してるし。 <参照;http://weblog.yoshiko-sakurai.jp/> そういう、毅然としたところがかの人には見受けられないから、 こちらとしても、「ポチ首相のポチ」と言わざるをえないわけである。 |
>同じ保守でも、櫻井よしこさんなんかは(「イラク復興支援」派ではあるけど) 道路公団の「偽りの民営化」についてはビシッと批判してるし。 彼女は広島の偏向教育の実態を告発したり、従軍慰安婦問題は捏造である事を暴き、左翼団体によって言論弾圧を受けた人でもあるのですが? 都合のいい所だけ持ってくるのは見苦しいので止めなはれ |
▼小鉄さん: > 都合のいい所だけ持ってくるのは見苦しいので止めなはれ でも櫻井よしこさん、「小泉改革」に対してはとっくに見切りをつけてますよ。 その点では評価をする、私はそう言いたいだけですよ。 「ポチ首相のポチ」程度でしかないあなたより、「ベター」だと 思いますけど。 (そういえば、「小泉改革」についての貴方の評価、お目にかかった記憶が ございませんが。是非一度、ここでご一席ぶってくれませんか)。 |
小鉄という名称は、裏面史を見るときに重要なものである。 (1)一つは、日本の暴力団の歴史を見るとき(会津の小鉄⇒会津小鉄会の創始者) (2)ジャリンコチエの父親の名前(日本漫画史を考えるときの貴重なキャラクター) 今日は、1について考えてみよう。 会津小鉄については、飯干晃一の小説「会津小鉄」で有名であるが、どうも、来歴については諸説があり一定しない。 生れは弘化2年(1845年)といわれ、生国不明。一時、大阪におり、後江戸にいたといわれている。 文久2年(1862年)、会津藩主、松平容保が京都守護職として上洛、京都警備の任に就いた頃、会津屋敷中間部屋に入り込み、中間として働く一方、会津印の法被を着た賭場荒しの博奕打として畏れられ、また、短躯であったことから、何時しか会津の小鉄の異名をとるようになった。 小鉄は、顔から全身にかけて70余ヶ所の刀傷があり、左手は親指と人差し指しかなかったといわれている。−ミニ暴力団史ー その後、慶応4年(1868年)に至り、博徒上坂音吉親分の盃をもらって上坂仙吉と名乗り、京都白川に一家を構えて勢力を張り、会津小鉄一家を名乗った。 彼の死去、その名跡は途絶えていたが、それを復活させたのが、図越利一で、昭和50年3月です。 現在の会津小鉄会は、この系譜をついでいる。 幕末期、清水の次郎長と並び称された会津小鉄の軌跡は、その後の次郎長の生き方(富士山の開墾事業や、波止場の建設に力を注いだ社会篤志家として生きる)とは対照的に、明治16年(1883年)の明治政府による「博徒狩り」で捕えられ、一年間の獄中暮らしをしている。 幕末期をいわゆる侠客として生きた次郎長と会津小鉄の、明治期以降の生き方を別けたのは何だったのか。それは【政治】とか【公】というものに対するスタンスの取り方にあると思う。 おそらく、次郎長は、侠客としての自分の生き方を外から見る目を持った、つまり自分の生きてきた基盤を自分で崩したのであろう。 それに対して小鉄は、自分の生きてきた基盤を掘り続けることを選択したのである。 これは、善悪の問題ではなく、生き方の問題である。 歴史の表面には浮かび上がってこないが、清水の次郎長にしろ会津小鉄にしろ、動乱期から平和確立期の人間の生き方に対する貴重な示唆を与えてくれる。 このような人物の名前を冠した人間が、権力によりそい、【強きを助け、弱きをくじく】投稿を繰り返しているのは、会津小鉄が自分が生きるバックボーンにした侠客精神(強きをくじき、弱きを助ける)(自分が損をしても、他人のために尽くす)に反すると思うがどうであろう。 |