Page 1237 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼親を面倒見るのは子供です。 月光仮面のおじいさん 04/8/12(木) 7:56 ┣Re(1):親を面倒見るのは子供です。 ワクチン 04/8/12(木) 8:16 ┃ ┗Re(2):親を面倒見るのは子供です。 月光仮面のおじいさん 04/8/12(木) 8:55 ┃ ┗Re(3):親を面倒見るのは子供ではない ふくちゃん 04/8/12(木) 14:14 ┃ ┗Re(4):親を面倒見るのは子供ではない 月光仮面のおじいさん 04/8/12(木) 15:12 ┃ ┗Re(5):親を面倒見るのは子供ではない ふくちゃん 04/8/14(土) 17:23 ┣Re(1):親を面倒見るのは子供です。 こんぺいとう 04/8/12(木) 10:17 ┃ ┣Re(2):親を面倒見るのは子供です。 悠々 04/8/12(木) 13:11 ┃ ┗Re(2):親を面倒見るのは子供です。 安本単三 04/8/12(木) 17:27 ┃ ┗Re(3):親を面倒見るのは子供です。 石頭の息子 04/8/12(木) 18:15 ┃ ┗政治的天才とは 僭称二代目人生幸朗 04/8/12(木) 22:41 ┃ ┗Re(1):政治的天才とは - ウソタケル 石頭の息子 04/8/12(木) 23:38 ┣Re(1):子供に期待するのは酷です。 王里 04/8/12(木) 16:15 ┣Re(1):親を面倒見るのは子供です。 僭称二代目人生幸朗 04/8/12(木) 17:18 ┣Re(1):親を面倒見るのは子供です。 未来永劫 04/8/12(木) 17:55 ┣Re(1):親を面倒見るのは子供です。 ワクチン 04/8/12(木) 19:37 ┃ ┗Re(2):親を面倒見るのは子供です。(終わりに変えて) 月光仮面のおじいさん 04/8/14(土) 9:40 ┃ ┗Re(3):親を面倒見るのは子供です。(終わりに変えて) 高橋 04/8/14(土) 17:24 ┃ ┗Re(4):親を面倒見るのは子供です。(終わりに変えて) 月光仮面のおじいさん 04/8/15(日) 6:58 ┗Re(1):親を面倒見るのは子供です。 桃李 04/8/14(土) 18:01 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 親を面倒見るのは子供です。 ■名前 : 月光仮面のおじいさん <t-kayama@xf7.so-net.ne.jp> ■日付 : 04/8/12(木) 7:56 -------------------------------------------------------------------------
老人党の皆さんは日頃の生活に余裕がある方が多いのでしょうか。(そうしないとパソコンなんか持てないなんて。)だからどなたかの援助で暮らしている方は少ないかも知れません。 さて年金問題にも絡むのですが、60歳以上になって年金の支給が足りない事態になったら、それは国が援助すべきなんでしょうか。それとも子供たちが面倒みるべきなんでしょうか。 正論として親の面倒は子供や親族が見るのが当たり前だと思うのですが、それが全面に出ないのはいかなる原因なのでしょうか。老人党こそ声を大きくして叫ばなければならないと感じます。 |
私事ですが、私の両親もすでに70半ばを越え、体長がすぐれず寝込んだりしています。さすがに最近は私どもが面倒をみておりますが、まだ体がきく頃は子供に面倒はかけたくないといっていました。 今のお年寄りはかつて誰に頼ることも無く自分の親の面倒をみて大変苦労されていたのだと思います。そしてこの苦労は子供にはかけたくないと思っています。面倒かけたくない、迷惑かけたくない、これが美徳であるという認識がどこかにあるのではないでしょうか。 子供が親の面倒をみるのが当たり前です。制度の問題でなくそれが当たり前です。でもどうしても人それぞれで場合が違うためにできない人もいる。本来はそのような場合でも隣近所、地域で面倒をみてやらなければならない。それを制度化して日本全国一律(地域別ではありますが)にしてしまった役人的考えが問題だと思っています。 親の面倒は子供がみる。その子供が歳をとったときまたその子供が面倒見る、この輪廻ともいえる行為で人間は生きていけると思います。それをもしかしたら断ち切る行為をしているのかもしれません。 |
ワクチンさま いつもご意見見させていただいています。 ご指摘の点、我々自身で変えていかねばなりませんね。 しかし、事が起こるたびに世間が悪い、政治が悪いと言っているのはどうしてなんでしょうね。そのほうが楽なんでしょうか。 |
月光仮面のおじいさんさん: ワクチンさま: はじめまして 私は山の中で暮らしており、家内と今は二人で暮らしております。 子供は1人いますが、私の老後は子供に見てもらおうと思っていません。 なぜなら今、子供は町に出て、1人で生活し将来の事を思って、 手に職を付けるため勉強しているからです。 もし、お二人のおっしゃるように面倒を見てもらおうとしたら 子供の将来はどうなるのでしょう? 残念なことに通学はここからは出来ません。 「通えないからやめろ!」というしかありません。 子供の将来の芽を摘むことになります。 私たち夫婦より少なくても永いこと活きて貰わないと、 何のために作ったのか解りません。 「私ら夫婦は今、話していますがどちらかが、 亡くなるまではココで生活し、町の方に子供が呼んでくれても、 決して泣き言は言わないようにしよう」と 常日頃から話しています。 またたとえ結婚して「子供の家に呼んでくれても、 いかない(共に住まない)ようにしよう」 でないと子供の家庭を壊すことになりかねないから。 私たちの考えは間違っているのでしょうか? 面倒を見るとか、見ないとか、 それぞれの家庭で決めたらいいのだと思います。 断言するのはおかしいのではないでしょうか? |
ふくちゃん様 仲の良さそうなご夫婦で気持が伝わってきます。涼しそうで羨ましい。もう少し緑の多い所に住みたいなと思っていますが、ふんぎりがつきません。 私宅も子供が嫁に行き、女房と私(そして猫少々)の二人住まいです。ご指摘の件、面倒を見ると言いましたのは、経済面の話です。”もし生活のお金が足りないのなら、それをまず国や自治体で補助する”のが本来なのかとの質問です。ですので同居しろと言うのではありません。私の所も娘が寄り付きません。。女房は教育に失敗したと嘆いています。 文面では幸せなご夫婦としっかりしたお子様のご様子。だからこそ、安心して送り出したのでしょう。。独立独歩の気概が感じられます。縁が有ったらお伺いして、お酒でも飲みたいとも思うのですが。。。 |
▼月光仮面のおじいさんさん様 他のスレッドで教育の議論をしてましたよ。 私の早とちりなのか、ワクチンさんの内容をお聞きしていたら、 毎日の生活のことしか考えられない様にとれました。 私宅も今二人+ペット(室内犬シーズー)と暮らしております。 このペット犬が喧嘩したとき、しそうなとき、 思わぬ役に立ってくれております。 はっきり言って寂しいです。 家内もそうだろうと思います。 月光仮面のおじいさんさん様は、 猫少々とあるんですが少々の意味が、 はっきり分かりません。 私もはっきり言って、これから先のことを考えると不安です。 しかし、子供の将来を考えると 「行動は子供に任すしかない」と思っています。 |
子どもに面倒をみさせる? それが出来る老人は幸せですよね。私のように一人息子を女手一つで 育ててきて、社会人にさせやっとほっとした矢先、心不全で急逝された者 はどうしたらいいのでしょうか。幸いまだ元気ですし、現役の頃自力で 買った家もありますが、途中就職の女の年金は男性のそれより現役の時 の給料が低いので知れたものです。今60代の女性は配偶者であったほう が何事も有利な時代でしたので。 月10万にも満たない年金が生活費ですが、このところジリ貧に 減っています。最低年金でも一律に減になっていますのでこのままでは いまに無くなってしまうのではと心配ですが、頼る子供もいない私は 誰に面倒を見てもらうのでしょうか。 面倒を見てもらうという発想はもうやめて、死ぬまで元気でやりくりして 行くことのほうが人間としての当たり前の姿だと思うのですが。 最後まで、自分のことは自分で始末して誰かに頼る発想をしない明治時代の 凛とした女性の生き方を学びたいと今、生きていますが。 |
毎朝、小さな庭におりるときの大地の感触に幸せを感じます。 昨年のミニトマトやとうがらしや蕗や大葉はそのままに大きくなり、 あるいは実をつけたりして、日ごと赤味を増しています。葡萄は細い枝に 数十もの不揃いの房を抱えています。いちじくの実もいつのまにか熟しつつあって 故人の愛した日常が偲ばれます。゛実”のなる木が多く、 いまもって私どもは四季の味覚の恩恵にあずかっています。 時折、拙宅の前に「ご自由にお持ち下さい」の札とともに、 花々や柚子などを置いたりもいたします。ポストに一片のthanks cardが 匿名で入いっていたりしたときには、こちらもなんとなく嬉しい気持ちになります。 先週は娘とお墓参りにまいりました。毎年のことながら 夏草の生命力に驚きながらも、掃除をすませ、手を合わせたあとでは、 おたがいに清々しい感覚を覚えました。 こんぺいとうさん、ご子息への深い想いとその意思を受け継がれての ボランティア活動が、若い世代にきっとつながることを信じております。 昨日、年上の知人から暑中見舞いが届きました。彼女もまたご子息に 先立たれた方。若かりし頃、陰に陽に心にかけていただいたのですが、 訃報を人づてに聞いた時には、あまりに痛ましくて、お辛い心情を想うと 何もできないでおりました。にもかかわらず、先方からの暑中見舞いに 多少なりとも心を癒す時を経たのだと感じました。 早速、返事をお出ししましょう。 どうぞ、その想いを生きる力にかえて。我が身に言えることですが、 日々の暮らしのなかで、確かな自分を育ててまいりましょう。 |
こんぺいとう さん こんにちは あなたの場合つらいですね。しかし立派に生きておられる。 私(63才)は、仕事に油が乗っていた頃、親を田舎で孤独死させました。全国転勤の職場だったから、物理的に面倒見切れませんでした。また自分のほうに引き寄せることもできませんでした。 私の現在は、子供が2人いますが、どちらもお先真っ暗で、私の年金の一部でまだ子を養っているような状況です。 彼らが面倒見てくれる余裕などありませんし、期待もしていません。 出生率の低下と核家族化の進行を考えると老々扶助も重要である気がします。老人党の掲示板も、精神衛生面で一役買っている。 私の属しているサークルで、とある有料老人ホームに慰問に行ったのですが、こんな良いところに私はとても入れないだろうなと思いつつ交流を深め喜んでもらいました。まあ、人様が喜んで下さるならひがまないひがまない。 人それぞれですが、福祉の問題を、人生いろいろ老後もいろいろと言ってはこれまたおしまいですね。 |
安本単三さん、 お近くに住まわれていると聞き及んでいますが、ご事情も良く似ているのに驚きました。 僭称二代目人生幸朗さんのお話も身につまされました、この歳でお盆になりますと同じようなお話を伺うことが多いようです。 何かの機会があればお会いしたいものです。 |
まとまりのない、文字通り「愚痴」を読んでくださってありがとうございます。 具体的な行動を起こすべきだと思ってはおりますが、生来の怠け者・持続力の無い情けなさ、実際行動をおこせず、こちらのような掲示板に泣き言を吐露するのが関の山です。お恥ずかしい。(詳しくはまた別の機会に書きます。) ただ、愚痴をあっちこっちでこぼしているのも、全くなにもしないよりはまし。五十歩百歩も、屁理屈をこねれば、前者が少しはましとも言えましょう。 いきなり話は変わりますが、私の前便の後半でふれた、踏んだり蹴ったりの政府与党の政策(悪法も法なりですから、あれも政策というしかありません。無策と言っても反政策といっても指すものは同じですから)について、ふと思い出したことがあります。 石川達三の『金環食』のモデルの一人である池田勇人が総理のとき、「貧乏人は麦を食え」と言う趣旨の発言をして、問題になったことがありました。マスコミも庶民も一斉に非をならしたはずです。しかし、反面教師ふうにとらえてみると、国民をナメきっていたとは言え、彼はすこぶる「正直」だったわけです。 翻って現政権の、いまなお多少の人気を保っている御方は、じつにじつに嘘つき、いな、明瞭な形ではうそさえも言わずに、次々に隼人以上の悪政を断行してきたと言えましょう。隼人より上だから「タケル」とあだ名したいくらいです。奸計に長ける御方。 彼を「パフォーマンス時代」の政治的天才と評した人がいました。現代政治家に必要なものは、理想でも理念でも誠実さでもなく、国民を気分で引っ張って行く才能だと、その論者は喝破しているのを、ふた月ほど前の朝日新聞の文化欄か何かで読みました。 それでも、あるいはそれゆえか、国政選挙の動向はなお大きく変化しない。検察も一味同心でしょうね。橋本派の一億円を摘発したのが参院選の直後なんですから。次の衆院選挙の頃はまたまた、みんなそんなことは忘れてしまっている。 また、二大政党政治など明らかにまやかしだと思っています。リングの上だけで格闘するレスラーのように、形ばかりの論戦をしてみせるだけの、実体は現代版大政翼賛会だと言ってよいと思っています。 願わくばこの国の行く末が再び戦争の惨禍に見舞われることのないように、祈るばかりです。今回もまとまりませんが、悲観的な見通しはまだまだたちきれません。 |
僭称二代目人生幸朗さん、 もやもやっとした私の思いを、思い出させて下さいました、戦後の政治を見てきましたが、えー それはないだろう! と何度思ったことでしょう、余りにも多すぎて思い出せなくなっています、多少ボケも混じっていますが。 思い起こすに、自衛隊の設立、この頃に同級生が勧誘(大々的な)で、就職難でもあったので入隊していました、朝から晩まで無線車で市内をドライブするのが仕事だと言っていた、ニコヨン時代でした。 安保反対も学生が危機感を持って反対しました、私はと云えばその日暮らしの極貧(今でも)でしたので、参加できなかったが、多くの同級生は先頭に立って頑張っていた、政府の押さえ込みがきつくなってからは、社会の為になることをしなければと日本主婦連とか共産党に走った奴もいた、みんな輝いていた、私は無力感にさいなまれていた。 退職した今、家族を抱えて自分に何が出来るのかと、相変わらず暗い思いです。 タケル 良いですね、「長ける」の韻を含んで「ウソタケル」なんかどうでしょうか? こんな戯言を言うぐらいしか庶民は抵抗できません。 庶民は自民党の政治が金権と権力(派閥)の増大しか考えていない、官僚の成すに任せているのをよく知っている、だから小泉が「自民党をぶっ壊しても」とのキャッチフレーズに惑わされたのです、化けの皮はすぐ剥げましたが、本当に自民党をぶっ壊す者が見当たらないので、安穏として権力の座にしがみ付いている、一昔前の代議士なら潔く身を引いたものだが、彼の権力欲は並じゃない。 二大政党はプロレス(ですね)とのたとえは慧眼ですね、まったくそのとうりです、いずれ庶民はこのプロレスまがいのパーフォマンスに熱狂するのではないかと思うとやりきれない。 戦後の「大政翼賛会」が結集する気配があります、自民党、民主党のガラポンです、やはり民主政治はカメラの三脚のように三本柱でなければ、二本では傾きます、第三の政党が現れるのは何時になるのでしょうか。 やはり、日本の急務は金権政治形態、なし崩し的に改悪された選挙制度、この二つの改革が根幹だ、もしそうなれば枝葉末節の不正はすぐにでも正される、だがその方法が見出せないジレンマだ。 暑い夏の夜の愚痴になってしまいました。 |
▼月光仮面のおじいさんさん:こんにちわ >さて年金問題にも絡むのですが、60歳以上になって年金の支給が足りない事態になったら、それは国が援助すべきなんでしょうか。それとも子供たちが面倒みるべきなんでしょうか。 > 私は現在、ちょっと呆け気味の母親と家内の3人で生活しております。幸いにも、すぐにお金に困る状況ではありませんが、年金のことなど考えると将来に不安がない訳ではないです。子供は2人いますが、どちらも将来的に同居は難しいと思いますし、それぞれが自立して生活してくれれば、充分と考えています。 年金の支給で生活できない場合は、どうするかとのご質問ですが、ぎりぎりまで生活をきりつめていくしかないと考えます。幸い田舎に住んでますし、狭いながら畑もありますので自給自足でなんとかやっていけるだけ頑張って、それが出来なくなったら黙って死にます。 ここに、お集まりの皆さんも、子供のお世話にならずにやっていきたいとお考えの方が多いと思います。もし、国が助けてくれるのなら有難いことですが、子供にそれを期待するのは酷というものではないでしょうか。 |
大変に難しい問題ですね。私もどなたかと同じように、子供の厄介にならずに暮らそうと思っています。 当方も一人息子で、これもまた、東京に出て自分のやりたい道を模索しております。給料は低く抑えられ、退職金も年金もいったいもらえる者かどうかさえ危ぶまれるご時世に、学費と生活費を合わせれば馬鹿にならない出費です。知らない方がお聞きになったら、なんたる親ばか、なんという親の苦労も知らぬ馬鹿息子と思われるでしょう。私自身、そのように言われて一言の反論もできません。まさにそのとおりなのですから。 では、なぜこのようにしているのかを申しましょう。私自身は病弱な両親の許に一人子として生まれ、中学を卒業すると同時に働きに出ました。学校は高校・大学ともに夜学を卒業しました。それを「勲章」にするつもりは全くありません。誇りにするにはあまりにもお粗末な「苦学生」でしたから。ただ、中学卒業以後、学費は一切親に負担をかけませんでした。月々の給料に加えて奨学金も家に入れていましたから、その点だけは親孝行だったと言えるでしょう。自慢できるとすればこの一事のみです。 当時は、現代とは全くちがい、職業選択についての情報など殆どない時代であったことも大きな負荷でしたが、それよりも年老いた両親を捨てて出て行けるような条件の下にはいませんでした。当時は、子供が親を養うのは当たり前でしたから。東京――今どき、東京、東京でもありませんが、当時も今も選択肢の多い場所といえば、そこしかありませんでしたから――はおろか、「自分の家を出て好きなことをやる」などということは夢にも考えられませんでした。そういう自分を無意識に隠蔽して、私も「東京がなにさ」と思っていたわけです。 両親とは亡くなるまで同居し、母を二十台で見送り、父を見送ったのが四十歳近くになってからです。一種の虚脱状態の中で「おとうさん、遅すぎたわ」と心につぶやいたのを今も覚えています。生まれ故郷から一歩も出られずに青年期を通過してしまったわけです。 そんな青年期を経てきた私が、子供には選択の自由を与えてやりたいと考えて、罰は当たりますまい。その息子が果たしてどれほどのものになれるかどうか、これは全くあてになりません。平凡な勤め人にはなれますまいし、本人もなりたくないと申しています。父親の情けない姿を見てそう考えたのでしょう。私も、同じ一生なら、後々悔いることのないようやるだけのことはやってみるのが良いと、今は思っています。若い者に「平穏無事な一生」というものの値打ち説いてもわかろうともしないでしょうから。そんなわけで、子供に養って貰うかどうかどころか、最初から全く期待していないのです。 では、老後の備えはできているのか、と問われれば、答は「否」です。いえ、つい十数年前まではある程度の目算もありました。が、私のごとき特別の「スキル」を持たない勤め人が、辛うじて口を糊する手だて――「年金・退職金・給料・預金利息」のすべてが、まるで意地悪をされるようにあっというまに奪われてしまいました。とどめの最後通牒が「自己責任論」です。 まさか家まで喪うことはあるまいと思ってもいましたが、「すわ有事」となれば家も土地も「お国」に召し上げられないとも限らなくなってしまいました。いったいどうすればいいのですかね。 合法的な報復手段はないものでしょうか。「投票」も今の状態では、あまりに迂遠です。自爆テロをやったろかと冗談を言ってみても、もうそんな膂力さえもなくなりつつあります。 団塊の世代よりわずかに上の世代の私たちは、実に貧乏くじばかりひかされてきたものです。一生の締めくくりをするべき時になって、さらに追い打ちをかけられようとは、さすがにそこまでは思い及びませんでした。 今日は、話がどんどんずれてしまいましたが、今の私たちの最大関心事が那辺にあるかはわかっていただけると思います。 |
親を孝行することは子として当然。 子の道云々ではない。 考を疎かにすれば譬え偉業を成すとも恥ずべし。 架空の観念に捕らわれ本道を逸してはならぬ気がする。 子供の夢を優先するということなどは親の思い上がりである。 親が病めば子が助ける、当然だと思うが。 人生において「時期を逸したから」と言うのは言い訳である。 |
私もできれば最後まで自分の力で生きていこうと思います。しかし、この問題は親が子供に面倒をみてもらうのではなく、子供が親の面倒をみるのです。親の面倒をみようと思わない子供になりたくないし、そのような子供に育てたくありません。確かに身近でも介護をされている方は非常に大変で、自分の人生を犠牲にしかねないこともあり、すべてを子供が行うことは現実的に不可能な場合もあります。公的介護に助けを求めることも当然必要ですが、基本は子供が親の面倒をみることは当然と思います。 親が必要ないというならそれはそれでしょう。 最初にいったように私も体のきく限り自力で生きていこうと思っています。そして親がいる限り子供の義務として可能な限り面倒は見ていきたいと思います。 (私は若年老人党です・・もうすぐ50ですが) |
ワクチンさま この提起もそろそろ終わりにしたいと考えます。皆様のご意見本当に有難うございました。ワクチン様がお答えになったことが一つの結論と感じます。 皆様の内容はどれも素晴らしい内容でした。私はこのような方向ではなく、もう少し政府の政策に問題有との見解が出るかと思いましたが、まるで教科書のような結論で面食らっています。 我々の老人党ではまだまだ人に頼らず、自前で生きていこうと言う人達が残っていることを誇りに思います。又この素晴らしい想いを次世代に残して置ける幸運を感謝します。自分の息子や娘に面と向かって話せなくても、この投稿内容が何らかの形で残っていくことを期待しましょう。 なお、投稿された皆様方のご活躍をお祈りいたします。 |
この話題がそろそろ終わりそうなので、慌てて投稿させていただきます。 皆さん、親の面倒は自分が見る、だけど自分の老後に子供の世話はあてにしないという、(仰るとおり)道徳の教科書になりそうなお話ですが、これだけでは結論にならないと思います。 現実こんなにうまく行くものでしょうか。老老介護における精神的・肉体的なつらさの問題などは、この欄では経済面にだけ絞って居られるようなので議論に入らないかとも思いますが、話を経済面に限っても、子供に世話にならないと思っていても、いざ自分の経済力で及ばなくなる事もあれば、更に子供もその負担に耐えられなくなることも、現在の介護保険制度(もっと悪くなるかもしれない)では充分あり得るのです。 例えば、私の母の例ですが、要介護3で慢性の病気にかかった場合、病院には最長3ヶ月しか置いてもらえず、介護療養型医療施設に入った場合、介護保険外費用を含めて月二十数万円かかります。兄弟が多い場合は何とかなる額かもしれませんが、それでも何年もとなると如何でしょうか。ましてやこれから少子化の時代でもあり、経済の先行きもあまり楽観できないところで、「元気に生きてポックリ死ぬ」という我々の願いどおりに行かなかった時はどうするか。 精神的には兎も角、経済的,肉体的(物理的)に「親の面倒は子供が見るという美徳」が社会の風潮になり、「他人の世話にはなれない」社会になるようなことはないでしょうか。(実際ここの処は良く知らないのですが)子供が居るから生活保護が受けられない、お金がないから介護医療施設にも入れないなどということにならなければ良いのですが。 |
高橋さま 今回の内容に関し、何名の方から”ちょっと不満”と投稿がありました。どなたも正面から親の面倒は国が見るべきとは書いてありませんが、それが言い出せないのが問題と感じる方もいらっしゃるかも知れません。一時流行った自己責任論に重なる部分もあるでしょう。 個々の事情にはお答えしない事にし、しかしどなたも精一杯自分自身で生きようとしていると強く感じます。その上で皆で助け合おうと思う心を無くしてはならないとの指摘は重要と思います。(それを否定するものでは有りません) この議論は多岐に渡る価値観の一端です。今後も様々な議論の中からお答えしなかった方にもお判りいただけるよう努力いたします。 |
すみません。終わりに飛び込みませていただきます。 私は、つい最近、父の野辺の送りを済ませ、今度は母の先が長くありません。 でも、全て面倒見られるかと言うと、100パーセントはとても無理です。 結論から言えば、実際は誰でもが、できることしかできないのです。自分で自分のことができない状態になれば、他の人の手を借りることもありだと思います。 安心して、助けが借りられ、支払ってきた保険や年金に見合った福祉をうけることは、私たちの権利です。 住んでいる地域の慣習、個人の価値観、互いにかかわる人が、どこで、どのような状態で、どうやって暮らしているかによっても、この問題は、見解の相違が 大幅にでてくることでしょう。 そういう見方で考えると、自分の経験を通じましても、 「子は親の面倒を見るべき」という「べき論」でまとめてしまうのは、個人に話を還元した場合、一般論の域を出ず、一人一人の生活に生かせる部分が少ないと思います。 こんぺいとえさまのように、残念ながら親御様が、お子を先に送る場合もあります。また、親の無い子、この無い夫婦もあります。こうしたことまで考え、視野を広く私たちの社会を考えていくことが、温かい気持で暮らしていくためにも、社会福祉にとっても、大切ではないでしょうか。 助けが必要なときに、親でも子でもないものが、助けられ助けてもらう。そういうことが安心してできるようにすることも重要な課題です。 |