Page 1252 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼戦犯の定義について 飛龍 04/8/16(月) 13:56 ┣Re(1):戦犯の定義について(追加) 飛龍 04/8/16(月) 14:06 ┃ ┣Re(2):戦犯の定義について(追加) 小鉄 04/8/16(月) 17:24 ┃ ┗:戦犯の定義について(追加)その2 飛龍 04/8/16(月) 18:51 ┗Re(1):戦犯の定義について 小鉄 04/8/16(月) 18:03 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 戦犯の定義について ■名前 : 飛龍 ■日付 : 04/8/16(月) 13:56 -------------------------------------------------------------------------
アジアの諸国家とか、近隣諸国というボカした言い回しで、さも日本はアジアで支持されていないという刷り込みを与える、朝日新聞等の報道・・。実際は支那・南北朝鮮のみ が内政干渉をいう、近代国家にあるまじきことをしているだけだ。彼らの言う『A級戦犯が合祀されている・・』というお題目であるが、A級戦犯とは何か?と問われるとこれが意外に正しく理解されていない。 極東軍事裁判において、日本の軍・政府首脳が断罪されたのは裁判の名を借りた報復である。戦犯というからには戦争犯罪、即ち戦時国際法に 違反した罪で裁かれるのである。では1945年当時の戦時国際法とは何か?別の呼称をハーグ陸戦協定と言う。 http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/haug.htm A級戦犯=平和に対する罪 B級戦犯=占領地人民の殺人、虐待、奴隷労働など C級戦犯=人道に対する罪 これらで当時の日本人は断罪されている。しかし戦時国際法違反で裁かれるとすれば、 B級戦犯のみであり、ハーグ陸戦協定条文を何度読み直しても、平和・人道に対する禁止事項というものは見出せない。ポツダム宣言受諾当時にすら、このような条文はなかった のである。慣例法でもない。これは完全な【事後立法】であり、裁判とは名ばかりである。事後立法・遡逆法を認めてしまうと、何ら問題とされていない事であろうと、一旦法制化されれば、過去に遡ってまで罪を問われることになる。韓国で現在行われている、親日反民族特別法などが、これに相当する。このような事は近代法治国家と呼べないのであるが、このような偽善が極東軍事裁判では平然と行われたのだ。 ここでパリ条約を引き合いに出す意見もあろう。 第1条は〈締約国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし相互の関係において国家の政策の手段としての戦争を搏棄することを各国の人民の名において厳粛に宣言〉しており,第2条は〈相互間の紛争,紛議は必ず平和的手段により処理,解決すること〉と約束している。これには違反に対する明確な罰則規定が欠落している。ハーグ陸戦協定のような「このようなことをしてはならない」とかの具体策が何ら示されていない。よって 法的拘束力は極めて弱い。また『戦争は国際犯罪である』とか『自衛権すら認めない』 という文言で、その解釈は各国の自主的判断に委ねられた。罰則規定が無い、若しくは甚だ曖昧というのは、もはや法律と言えるようなものではない。 さて、極東軍事裁判は中立的であったか?裁判長ウェップ(豪)主席検事キーナン(米)など概ね戦勝国であった。唯一国際法学者ラピッド・パール博士のみが法律の専門家であった。パール博士は『人権宣言は、暴虐なる封建的専制政治に対し、民衆が血を以って戦い取った尊い遺産である。二十世紀の今日、自ら文明国と称する連合国が、勝者の故を以って、権力を濫用し人権宣言を蹂躙し、裁判という形式を取って、この暴虐を敢えてしたことは、文明の恥辱として、後世史家の弾劾を受けることは当選であろう』と喝破している。キーナンに至っては、ポツダム宣言条文に『日本軍は無条件降伏した』というのを拡大解釈・曲解して『日本国が無条件降伏した』と言う無知ぶりである。 長々と書くのは本位ではない。要するに、A・C級戦犯なるものは所謂事後立法で裁かれたのであり、当時は【平和に対する罪・人道に対する罪】という条文・文言は存在していなかったのだ。 しかしこれを以って東京裁判は無効であるとは言わない。 裁判という名を借りた、文明国・法治国家とは言い難い不条理によって意図的に断罪されたのである。 皆様の建設的な意見をお待ちする。 ☆尚、自説を糊塗せんが為の曲解・拡大解釈はご勘弁願いたい。 |
そもそも靖国神社の首相参拝については、諸外国から文句が出たことはなかった。では何故、このような問題が出たのか? http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20040809 <<左翼系機関誌と朝日新聞などの国内マスコミだけでした。 では、なぜ中国などからの非難を受ける様になったのでしょうか。 それは、A級戦犯合祀完了の7年後の 1985年中曽根首相の公式参拝からです。 この時、朝日などのマスコミで問題になった政治と宗教分離の問題がきっかけでした。 朝日新聞は、この公式参拝と宗教分離問題で大キャンペーンを展開したのですが、 政府に聞き入れてもらえず。 これ以降作戦を変更して、次年度の公式参拝に備えこれを中止させるべく、 次の様な手段に打ってでました。 その手段とは、A級戦犯合祀の靖国への政府首相の参拝は軍国主義に 復活でありこれを中国(北京)政府が黙認するのは、 日本軍国主義復活の黙認と同義であると中国政府へ朝日新聞の 記者は北京へ直接出向きご注進したのです。 この作戦が功を制し、文句を付けはじめたのが昭和60年(1985年)>> これを見ても分かるように、昔はこのような内政干渉など存在していなかった。 自分の意見が通らない=政府に相手にされない事を逆恨みし、外圧によって自説を ゴリ押ししようなどとは、外患誘致罪ものである。政治的・思想的中立を以っての 報道などとても出来まい。 これが発端になり、本来なら存在しない筈の問題をわざわざ ご丁寧に作り上げたのだ。 |
>これを見ても分かるように、昔はこのような内政干渉など存在していなかった。 自分の意見が通らない=政府に相手にされない事を逆恨みし、外圧によって自説を ゴリ押ししようなどとは、外患誘致罪ものである。政治的・思想的中立を以っての 報道などとても出来まい。 朝日は戦前も、敗戦革命に導くために戦争を煽りまくった(コミンテルンスパイにして朝日記者尾崎秀実)という罪業がありますが、懲りない新聞ですね・・・(苦笑 |
書籍以外に妥当なHPが見つからない為、これを引用する。 http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/20040211-20.html <サンフランシスコ平和条約締結後、昭和27年5月1日付の法務府注意総発第52号「連合国の軍事裁判により刑に処せられた者の国内法上の取り扱いについて」によって、すべての戦犯の名誉は回復された。A級戦犯として有罪判決を受けた軍人・文官合計25人も、絞首刑によって処刑された7人は刑死ではなく公務死となり、生き残りは全員、戦犯ではなく「抑留又は逮捕された者」となった。>>以上引用。 これをを見るまでもなく、戦勝国の一方的な処断により戦犯の汚名が着せられた方々は 既に国内においては、完全に名誉拝復がなされている。更に4000万人の署名と国会でも 圧倒的多数で法案可決がなされたのも事実である。しかしこれが公になれば、朝日・岩波 日教組・共産・社民などである。 蛇足ではあるが、以下のHP参照されたい。 http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/00092.HTM 現時点は元より、A・B・C級戦犯という呼称自体が昭和27年5月1日(実に54年も前)に 国内においては失効している。厳しい言い方をしなくとも、これらの事実が厳然として存在する故に、未だに戦犯云々は甚だ理解に苦しむ。 |
「この裁判は史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、息子には軍人になることを禁止するだろう」 (GHQ、ウィロビー将軍。判決の後、帰国のあいさつに訪れたオランダ代表のレーリンク判事に、語る。 ) この言葉が全てを表してますね。 |