Page 1352 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼勉強をするということ・教育の話題より 桃李 04/8/22(日) 18:08 ┣Re(1):勉強をするということ・教育の話題より 三吉 04/8/23(月) 23:27 ┃ ┣Re(2):勉強をするということ・教育の話題より 敦煌の倅 04/8/23(月) 23:43 ┃ ┃ ┣Re(3):勉強をするということ・教育の話題より 蟷螂の斧 04/8/24(火) 0:17 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):勉強をするということ・教育の話題より 桃李 04/8/24(火) 0:39 ┃ ┃ ┗Re(3):勉強をするということ・教育の話題より 三吉 04/8/24(火) 0:22 ┃ ┃ ┗Re(4):勉強をするということ・教育の話題より 敦煌の倅 04/8/24(火) 0:44 ┃ ┃ ┗Re(5):勉強をするということ・教育の話題より 三吉 04/8/24(火) 9:53 ┃ ┗Re(2):勉強をするということ・教育の話題より 桃李 04/8/24(火) 0:20 ┃ ┗Re(3):勉強をするということ・教育の話題より しろは 04/8/30(月) 23:56 ┃ ┗Re(4):勉強をするということ・教育の話題より 桃李 04/9/5(日) 1:00 ┣Re(1):勉強をするということ・教育の話題より ワン太郎 04/8/24(火) 11:15 ┃ ┣Re(2):勉強をするということ・教育の話題より 桃李 04/8/25(水) 0:04 ┃ ┗Re(2):例えば、数学の愛しかた・ピーター・フランクル 桃李 04/8/25(水) 0:36 ┣学ぶとは胸にまことを刻むこと Ray 04/8/25(水) 21:20 ┗Re(1):勉強をするということ・教育の話題より オセッカイ屋 04/9/5(日) 18:58 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 勉強をするということ・教育の話題より ■名前 : 桃李 <touri1968@aol.com> ■日付 : 04/8/22(日) 18:08 -------------------------------------------------------------------------
どんなに教育システムを整えても、「何で勉強するのか」という 目的が、実感できないと、なかなか勉強は身につかないのかもしれません。 今まで色々な方のお話を聞くと、お金の余裕が無くて、夜間の学校へ通った方々は、難しい環境にいながらも学ぶことに喜びと、充実感を感じている方が多いようです。「何で勉強するか」という目的が分かったときから、本当の勉強が始まるように思います。 また、人は、分からないものだナァと想うことには、我が家の隣に住む、数学者は、中学、高校と、数学が大嫌いでした。それを聞くと、若いうちの苦手も、本人の目的がしっかり定まれば、自力で挽回できることもあるのだと感じます。 さらに、貧しくて本が買ってもらえず、家にある古い百科事典をいつもいつも読んでいた児童が、貧しさの中から勤労学生になり、歴史の研究者になった話もありました。 そういうことを考えると、教育の目的の最たることは、長い期間で教育を考えて 「学問への愛情を持たせる」これに尽きるような気がいたします。 |
私流の考えで間違っているかもしれませんが、学問は本来 「人が幸せになり、かつ周囲の人を幸せにするため」にあるべきもの ではないでしょうか。 奇麗事を言うみたいですが。 残念ながら人を不幸にする「核兵器の開発」などを「エリート」と 呼ばれる(?)人間が取り組んでいたりします。 何年か前、テレビ番組で、各国のトップの大学生が討論する企画が ありました。 そこで東大生が「我々は人一倍勉強したのだから、 天下りとかの恩恵を受けるのは当然だ!」と言ったため、イギリスの オックスフォード大学の学生が怒り、「あなたは間違っている、 人一倍勉強した事を何故、社会に生かそうと考えないのか!」と 言っていたのが印象的でした。 残念ながら我が国の大学生は ヨーロッパあたりと比較して、まだまだ子供だと思いました。 |
▼三吉さん: >私流の考えで間違っているかもしれませんが、学問は本来 >「人が幸せになり、かつ周囲の人を幸せにするため」にあるべきもの >ではないでしょうか。 奇麗事を言うみたいですが。 >残念ながら人を不幸にする「核兵器の開発」などを「エリート」と >呼ばれる(?)人間が取り組んでいたりします。 だって、学問なんて究極は自己満足ですもの。その道を極めたい。 向学心の発露なんて案外ステージの低いものです。 >何年か前、テレビ番組で、各国のトップの大学生が討論する企画が >ありました。 そこで東大生が「我々は人一倍勉強したのだから、 >天下りとかの恩恵を受けるのは当然だ!」と言ったため、イギリスの >オックスフォード大学の学生が怒り、「あなたは間違っている、 >人一倍勉強した事を何故、社会に生かそうと考えないのか!」と >言っていたのが印象的でした。 仕方ありません。官僚機構がずっと昔の大名時代からあって、 学閥などの存在で、ある意味。「保護」されてきたわけですから で、受験制度にしても、そうなっている訳ですし。 「死ぬほど勉強したのだから・・」というのが人情ですよね。 残念ながら我が国の大学生は >ヨーロッパあたりと比較して、まだまだ子供だと思いました。 ヨーロッパとは社会の仕組みや、文化が違います。ボキャブラ違えば 何でも違います。私、現役ですが。その仰り方失敬ですね。 |
▼敦煌の倅さん: こんばんは。はじめまして。 その昔、学友の友人が言った言葉を貴メッセージを見て、思い出しました。 「学問は道楽である(道楽で無いと結果は得られない?)」そして、あらゆる「芸術」も道楽と思っています。 「偏らないパトロン」の庇護があってこそ、学問・芸術が育ち、進歩するものと信じます。 問題は、「偏らないパトロン」を育てることです。今は、「税金」の筈ですが、それを扱うのが「卑小な官僚」、それを監視するのが「姑息な国民」ですから、難しいかもしれません。 更に、本来、「学術」を実施する者は、真の「研究者、芸術家」でもありますが、結構「偽物」もいますから。 現今、王も、皇帝もいないとき、どなたが「パトロン」でしょうか? 「知は快」と言う感覚は、ヒトは持っていると信じたいのですが。 なお、「知識は快」と「知は快」との違いも慮(おもんばか)って下さい。 年寄りが余分なことを申しました。 |
▼蟷螂の斧さん: >「学問は道楽である(道楽で無いと結果は得られない?)」そして、あらゆる「芸術」も道楽と思っています。 蟷螂の斧さんこんばんは。これは言い換えると「好きこそものの上手なれ」ということになるでしょうか。 もし、そうならば、好きなことに精進するのがいいよ。という示唆に受け取りました。それなら、自分が学ぶことに喜びも一入でしょう。 私の義父は、フランスのブルターニュ地方に暮らしています。75歳ぐらいですが、道具をいじることがとても好きで、200年前の石の家をかって、内装を全て自分でしました。だから、間違いもあって、お風呂の水の栓が赤で、お湯の栓が青だったりします。壊れた冷蔵庫の部品から、自分で乗るトラクターも作りました。 そして、大腸がんで人工肛門をつけても、昔からやっている釣りに出かけます。 彼は文字の読み書きがあまりできませんが、それらを自分で学びました。 そして、自分の糧にしています。今は本当に生きる糧であり、生きがいです。 好きなことを仕事にして板金をやっていたそうです。 そういう人を、私は、言葉が足りませんが、「すごい」と思います。そして、彼の姿から自分も学びます。学ぶということがどういうことなのかを。 日本で、どんな人でも好きなことを伸ばしていける場所が、どんどん増えてくれるといいと思います。 >「知は快」と言う感覚は、ヒトは持っていると信じたいのですが。 >なお、「知識は快」と「知は快」との違いも慮(おもんばか)って下さい。 勉強になります(^−^) |
▼敦煌の倅さん: >仕方ありません。官僚機構がずっと昔の大名時代からあって、 >学閥などの存在で、ある意味。「保護」されてきたわけですから >で、受験制度にしても、そうなっている訳ですし。 >「死ぬほど勉強したのだから・・」というのが人情ですよね。 ↑ あなたの言い分にも一理あります。 元ヤンキーだった私は、 偉そうな事言えないかも知れませんが、この文面には「若さ」 が感じられず残念です。 矢沢永吉氏を尊敬していたせいかも 知れませんが、私は「現状に満足せず、攻撃すること」こそ 若者の特権と思っておりました。 正直、「仕方が無い」という 言葉は特に若い人には不似合いだと思いました。 それから最後の方で言葉が足りなかった点は失礼しました。 全部が全部という訳ではないのですからね。 あと、余計なことかもしれませんが、私が別スレッドで紹介 しました本「ヤンキー弁護士になる(講談社)」、 もしよろしければお読みになって下さい。 |
▼三吉さん: >▼敦煌の倅さん: >>仕方ありません。官僚機構がずっと昔の大名時代からあって、 >>学閥などの存在で、ある意味。「保護」されてきたわけですから >>で、受験制度にしても、そうなっている訳ですし。 >>「死ぬほど勉強したのだから・・」というのが人情ですよね。 > >↑ >あなたの言い分にも一理あります。 元ヤンキーだった私は、 >偉そうな事言えないかも知れませんが、この文面には「若さ」 >が感じられず残念です。 矢沢永吉氏を尊敬していたせいかも >知れませんが、私は「現状に満足せず、攻撃すること」こそ >若者の特権と思っておりました。 正直、「仕方が無い」という >言葉は特に若い人には不似合いだと思いました。 > >それから最後の方で言葉が足りなかった点は失礼しました。 >全部が全部という訳ではないのですからね。 >あと、余計なことかもしれませんが、私が別スレッドで紹介 >しました本「ヤンキー弁護士になる(講談社)」、 >もしよろしければお読みになって下さい。 すみません。仕方ないというのは、そうとしか表現できない 東大生(東大。及びその卒業生の方。失礼)を揶揄してです。 言葉足らずで申し訳ありません。 決して現状に満足はしていないのですが、今。学校で行われている 進路指導というのは酷いものです。例えば、「挑戦」すらさせては もらえなくなってきております。 「君は、偏差値が〜だから○○大学は諦めて、こっちはどうだ?」 こんな言い方です。そこを受験してみたい。そんなことすら出来ない現状が あります。そりゃ、麻布・開成・武蔵なんて出たらガンガン狙えますよ。 しかし、私のような地方出身者はせいぜいが「一般推薦」あとは 進路指導の教師の敷いたレールに沿って、篩いにかけられて・・ 学校合格率なんてものが「公立」にもあって、生徒の知らないところで 競われているなんて・・それも問題ですよね。 これをやりたい!だからこの学校の、この学部に行きたい。と言っても 願書すら出させない。教育を受ける自由の侵害ですよね。 まぁ、こんなことを言っても負け惜しみみたいですが、 幸か不幸か、私は志望校に入りましたが・・不条理ですよね。 |
▼敦煌の倅さん: >▼三吉さん: >>▼敦煌の倅さん: >すみません。仕方ないというのは、そうとしか表現できない >東大生(東大。及びその卒業生の方。失礼)を揶揄してです。 >言葉足らずで申し訳ありません。 >決して現状に満足はしていないのですが、今。学校で行われている >進路指導というのは酷いものです。例えば、「挑戦」すらさせては >もらえなくなってきております。 >「君は、偏差値が〜だから○○大学は諦めて、こっちはどうだ?」 >こんな言い方です。そこを受験してみたい。そんなことすら出来ない現状が >あります。そりゃ、麻布・開成・武蔵なんて出たらガンガン狙えますよ。 >しかし、私のような地方出身者はせいぜいが「一般推薦」あとは >進路指導の教師の敷いたレールに沿って、篩いにかけられて・・ >学校合格率なんてものが「公立」にもあって、生徒の知らないところで >競われているなんて・・それも問題ですよね。 >これをやりたい!だからこの学校の、この学部に行きたい。と言っても >願書すら出させない。教育を受ける自由の侵害ですよね。 >まぁ、こんなことを言っても負け惜しみみたいですが、 >幸か不幸か、私は志望校に入りましたが・・不条理ですよね。 なるほど、そうでしたか。 ほんと自由の侵害で、ひどい話ですね。 そう言えば、私の高校(いわゆる低偏差値校)では、高1の時の進路希望 調査である生徒(成績は中の上レベル)が、某公立大学を書いたところ、 担任の先生が激怒しました。 「おまえ、何考えとんじゃ! お前らは どうせ私立しかいけんのやから、自覚せい!」 数ヶ月前、テレビ(20年程前の録画)で湯川秀樹博士が「今の教育は 人間個々が持つ良い個性を抑制している」言っておられました。今でも そんな気がします。 |
▼三吉さん: >私流の考えで間違っているかもしれませんが、学問は本来 >「人が幸せになり、かつ周囲の人を幸せにするため」にあるべきもの >ではないでしょうか。 奇麗事を言うみたいですが。 三吉さん、こんにちは。 いいテーマに出してくださいました。 おそらく多くの方がお考えのようにに、勉強は机の上でするものだけではないと思います。学問として学習を進めるものは勉強の一部です。学ぶということ全てについて、学んでいる方にとっても、日々を生きている我々にとっても、学びを得た後それをどう生活に活かしていくのかは、学ぶご本人や、学ぶ我々の、未来に通じる大事なことではないでしょうか。 >何年か前、テレビ番組で、各国のトップの大学生が討論する企画が >ありました。 そこで東大生が「我々は人一倍勉強したのだから、 >天下りとかの恩恵を受けるのは当然だ!」と言ったため、イギリスの >オックスフォード大学の学生が怒り、「あなたは間違っている、 >人一倍勉強した事を何故、社会に生かそうと考えないのか!」と >言っていたのが印象的でした。 残念ながら我が国の大学生は >ヨーロッパあたりと比較して、まだまだ子供だと思いました。 そういう学生さんばかりではないと思いますが、日本の最高学府の入試制度は このような気持を持つ学生さんを生み出す原因のひとつになりかねない気がします。 それでも大学に入った頃から天下りのことなど考えるようでは、若者としての夢が小さすぎるところで気になりますね。「限界を超えていける勇気は、若さならでは」という部分もあると思うと寂しい気持です。 日本の学生さんの幼さが、時として気になるのは、個人の考え方の違いはもとより、子どもを囲む学校システムや社会の決まりによっても、子育てについての考えの違いがあり、日本の子どもは守られて狭いところで生活している節があるからでしょうか? フランスでは18歳から成人です。が、心も含めて人間は、死ぬまで成長する生き物ですから、ではいつ本当の意味で大人になるか。という問題は、成人云々に関係なく、ごくごく個人的な歴史の中に見つけられる、例えれば、和紙にぼんやりにじんだ墨の線ように、曖昧な境界線のような気がします。 |
▼桃李さん: こんにちは、良いお話ですね。 私は勉強で一番大切なことは学んだことに対する 問いだと思います また自分なりの大人の定義なのですが 自分が大人になりたいと強く思い続ける人 大人としての責任を果たそうとする人 そして小中学生の中にも大人は居ると思うのです |
▼しろはさん: >▼桃李さん: > >こんにちは、良いお話ですね。 >私は勉強で一番大切なことは学んだことに対する >問いだと思います > お返事ありがとうございます >また自分なりの大人の定義なのですが > >自分が大人になりたいと強く思い続ける人 >大人としての責任を果たそうとする人 大人になりたいのに、なり方が分からない人がいます。 責任も果たしたいのに、どうやってやったらよいのか 途方にくれている人もいます。 そういう人たちにも、温かい目を向けて、軌道修正できるように 少しのヒントを与えたり、見守ったりする人が必要です。 「どんな人でも、悪い態度を取ったとしたら、その人もそういう態度 しか取れないこと自体が気の毒なことだ。そう思いなさい。決して、 その人がいなくなればいいんだとか、こう変えてやれ。と悪く 思ってはいけないよ。」とは、私の恩師の言葉です。 |
▼桃李さん: 初めまして、ワン太郎と申します。ヨロシクお願いいたします。 >どんなに教育システムを整えても、「何で勉強するのか」という >目的が、実感できないと、なかなか勉強は身につかないのかもしれません。 私も、子供たちから「何で勉強するのか?」の質問を受け 答えに詰まったことがあり、 懸命に考えたことがあります。 結果「好きな事、やりたい事」をする為には、勉強が必要となるのじゃないの? と答える事に決めました。 この答えについては、ほとんどの子供は理解を示してくれますが、反論を受けます。 そういう事は「勉強には入らない」と云います。 どうも彼らの「勉強」と言うのは「学校で(否応なしに)教えられるもの」を指しているようです。 「何で勉強するか」と言う問いは、「何でイヤな勉強をしなければいけないのか」と解釈しなければ いけない様です。 近代の教育制度が確立する前は「学びたい人が学ぶ」というのが大勢で、 今の様に、勉強を義務付けられるのは 武士の子程度でした。 それがダメなシステムかと云うとそうでもなく、世界トップクラスの教育水準にあったと聞きます。 >そういうことを考えると、教育の目的の最たることは、長い期間で教育を考えて >「学問への愛情を持たせる」これに尽きるような気がいたします。 確かに、愛情を持たせられれば ベストですが、問題は「いかに愛情を持ちうるか」であります。 これは「制度、システム」の問題でなく、教える「人」と教えられる「人」に依存するものでしょう。 現状の「制度、システム」は、その関係を助長するというより 阻害するケースの方が多いと感じるのは 私だけでしょうか? 制度、システム、思想・・・こういった類については、少なくとも初等教育・義務教育からは 極力排除したいと望んでいます。 はっきり云えば、「良い先生をたくさん育成し、悪い先生を排除する」だけ、で 「あとは何もしない」のが一番ではないかと思っています。 |
▼ワン太郎さん: >▼桃李さん: > >初めまして、ワン太郎と申します。ヨロシクお願いいたします。 こちらこそ、初めまして。宜しくお願いします(^−^) >私も、子供たちから「何で勉強するのか?」の質問を受け 答えに詰まったことがあり、 >懸命に考えたことがあります。 あぁ、やっぱりそういう質問が出ますか・・・。私もおんなじことを考えながら 子ども時代を過ごしました。 >結果「好きな事、やりたい事」をする為には、勉強が必要となるのじゃないの? >と答える事に決めました。 >この答えについては、ほとんどの子供は理解を示してくれますが、反論を受けます。 それはいいお答えだと思います。 私の場合は、亡くなった父にが、「うちは財産なんて無いんだから勉強をしないと ご飯が食べられない。」とか「文字を読んで理解できることから、物を知るきっかけができる。」と言われました。ワン太さんの書き込みを読ませていただいて、今考え直してみると、父は、私の質問に困っていたのだと思います。だって、時には「それって、こじつけじゃない?!めちゃくちゃやがなーー」と思うような理由もありましたし、とにかく色んなことを言ってましたもの。 >「何で勉強するか」と言う問いは、「何でイヤな勉強をしなければいけないのか」と解釈しなければ いけない様です。 ふむふむ。生きるために必要なことがわかって、そのための勉強をやりたくても勉強する環境が整わない人から見ると、うらやましいような複雑な気持です。 >近代の教育制度が確立する前は「学びたい人が学ぶ」というのが大勢で、 >今の様に、勉強を義務付けられるのは 武士の子程度でした。 そのようですね。一昨年、正月に歌舞伎を観に行きましたら、松本幸四郎さん、坂東玉三郎さん、坂東三津五郎さんが出ている演目で「菅原伝授手習鑑より寺子屋」 というのを観ました。先生も武士出身のようで、刀を携えていました。 当時の生活に役立てるためとはいえ、学校で習う学問と、親方のところで修行する技術などでは、随分雰囲気が違うと思いながら観ました。 >確かに、愛情を持たせられれば ベストですが、問題は「いかに愛情を持ちうるか」であります。 >これは「制度、システム」の問題でなく、教える「人」と教えられる「人」に依存するものでしょう。 独学でなければ、何らかの形で人を介して、みな学ぶでしょうから、人はとても大切だと私も思います。 >現状の「制度、システム」は、その関係を助長するというより 阻害するケースの方が多いと感じるのは 私だけでしょうか? >制度、システム、思想・・・こういった類については、少なくとも初等教育・義務教育からは 極力排除したいと望んでいます。 そうですね。最も必要な事を吟味して残す。と言うことも考えられる選択の大事な一つと思います。 そのためには「何が価値のあるものなのか」よく見つめて自分に問うてみる。という豊か、公平で精緻な目を持つように努めなくてはならないナァと、私は思います。 |
NHKの人間講座ですが、たまたま昨日、本屋の棚に見かけました。 私が思っていることと少し関係があるかもしれないと思い、テキストを買い求めました。 「数学の愛しかた」ピーター・フランクル(数学者)ハンガリー生まれ 1971年国際数学オリンピック金メダル、77年オトボス大学にて 博士号取得。78年サーカス芸人国家試験合格・・・ サーカス芸人国家資格って、面白そうです。教育テレビ午後10時25分からだそうです。 |
▼桃李さん、みなさま: こんばんは、Rayです。 ちょっとずれたレスになってしまうかも知れませんが、 勉強というと学校でやる勉強しか思い浮かばないのは もったいないことだと思います。 新しいこと・知らなかったことを知る、わかるようになるというのは 本来とても楽しいことのはずですし、 生き延びて行くために必要な知識(知恵)というのも 大昔にはきっとあったことと思います。 大人が勉強が嫌だ(勉強は辛いことだ)と思っていれば その大人に育てられた子どもは当然のようにそう思うでしょうし、 大人が勉強は楽しいと思っていれば子どもも自然にそう思うようになるでしょう。 結局のところ、子どもは大人の姿を見て育つので、 「こういう大人になってほしい」と思うのであれば 自分たち大人がまずそういう大人であろうと努力することが 必要なのではないでしょうか。 なお、この書き込みのタイトルは 『ストラスブール大学の歌』というアラゴンの詩の一節で、 このあとには「教うとはともに未来を語ること」と続きます (すみません、誰の日本語訳か忘れました(^^;))。 前にも書いた気がしますが、私の好きな言葉の一つです。 |
勉強って翻訳しちゃって定着し、変えようもありませんが〜〜。 懐疑することがスタ−トでしょうか?心ある親、先輩、教師、友 などがモチベ−シヨンを与える。簡単に答えを示さない。それは 麻薬だから・・・。無精卵か有精卵かの識別は必要かな・・・。 問いかけ、煩悶し、驚き、感動し・・・若者に期待してます。 |