Page 1429 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼シンポジウム死刑停止について 20代 04/8/29(日) 10:49 ┣Re(1):シンポジウム死刑停止について もの申す 04/8/29(日) 11:58 ┃ ┗国家の殺人について 20代 04/8/29(日) 18:25 ┣Re(1):シンポジウム死刑停止について J.J.Mack 04/8/29(日) 12:16 ┃ ┣Re(2):シンポジウム死刑停止について もの申す 04/8/29(日) 12:36 ┃ ┃ ┗Re(3):シンポジウム死刑停止について J.J.Mack 04/8/29(日) 13:46 ┃ ┗Re(2):シンポジウム死刑停止について 宮崎故郷人 04/8/29(日) 12:51 ┃ ┗Re(3):シンポジウム死刑停止について J.J.Mack 04/8/29(日) 14:17 ┃ ┗Re(4):シンポジウム死刑停止について 宮崎故郷人 04/8/29(日) 14:32 ┃ ┗Re(5):シンポジウム死刑停止について J.J.Mack 04/8/29(日) 14:52 ┃ ┗Re(6):シンポジウム死刑停止について 宮崎故郷人 04/8/29(日) 15:08 ┃ ┗Re(7):シンポジウム死刑停止について J.J.Mack 04/8/29(日) 16:37 ┃ ┗残念・・・ 20代 04/8/29(日) 18:49 ┃ ┗Re(1):残念・・・ J.J.Mack 04/8/29(日) 20:34 ┃ ┗Re(2):残念・・・ 宮崎故郷人 04/9/1(水) 12:30 ┣「2;冤罪の存在」について 森下 泰典 04/8/29(日) 13:50 ┃ ┗Re(1):「2;冤罪の存在」について 20代 04/8/29(日) 18:34 ┣Re(1):シンポジウム死刑停止について 野村星慈郎 04/8/30(月) 18:46 ┣死刑論争はこのスレッドでしませんか 宮崎故郷人 04/9/15(水) 10:14 ┗池田小学校事件 20代 04/9/15(水) 14:05 ┗死刑廃止反対ですね tomyk 04/9/15(水) 21:04 ┗Re(1):死刑廃止反対ですね 宮崎故郷人 04/9/16(木) 8:40 ─────────────────────────────────────── ■題名 : シンポジウム死刑停止について ■名前 : 20代 ■日付 : 04/8/29(日) 10:49 -------------------------------------------------------------------------
昨日広島で行われたプレシンポジウム死刑停止を考えるに参加しました。 そこで皆さんに死刑に関しての考えを伺いたいと思います。 私の考えは死刑存置で現在の死刑制度の手続きの適正化のための 一時的な死刑停止には賛成です。 死刑廃止論者の論拠とするところは 1、国家による殺人は人道的に許されない 2、冤罪の存在 3、感情論(死刑囚への同情) が主なものだと思います。 私の考えは 1については、江戸時代まで認められたあだ討ちを禁止することによって、 私人間における報復の連鎖を断ち切り公平の立場から国が裁判を行うことに なったのであり、公権力の恣意を排除すれば筋は通っていると思う。 また憲法理念である個人の尊厳の尊重の趣旨に照らしても、 犠牲になった被害者と犯罪を犯した者の命の重さは同じであり、 他人の全ての権利を奪っておいて自らの権利を主張するのは間違っていると考える。 死刑廃止論者の論理からするとあのヒトラーでさえ終身刑で済んでしまいそうである。 2について、冤罪の存在は決して許されるものではない。 しかしそこから制度の廃止を導くことはできない。 パネリストが良い例えを用いておられたのでここに紹介します。 自動車が事故によって人を殺傷するから自動車に乗ってはいけない、という命題を導くことはできない。 自動車に事故を発生させる要因があるなら、その要因を最小化させることが本当ではないのか。 実際スピード規制、シートベルトの着用義務付けなどが行われている。 冤罪についても、冤罪が発生しないような手続きの厳正を図ることが課題であって、死刑廃止の論拠とはならない。 3について、死刑前後の死刑囚の状態を語って感情に訴えるやり方である。 では残虐な手段によってしかも意思に反して死んでいった被害者はどうなのだろうか?その現場を自分の目で見て、被害者のご遺族にそんなことが言えるのだろうか。死刑には必ず加害者と被害者がいる。 死刑はその被害者のためのものであると思う。もし自分の家族全員を殺された時に、裁判でどのような判決を求めるかということを念頭にこの問題を考える必要があるのではないか。その事件の被害者の遺族の数は全国民に対して圧倒的少数であって、なかなかその意見の反映は難しい。であるから、我々が死刑を考える時、自分が被害にあったらと考えることによって、少しでも現在の被害者の遺族の方の思いを感じることができると思う。 また死刑の反射的効果として犯罪への抑止効果が挙げられる。 実際に死刑がなくなった世の中を考えるとぞっとする。 何十人もの無辜の民の命を奪ったものが寿命までぬくぬくと暮らしていることを考えると・・・おぞましい。 死刑が廃止されたからと我先に人を殺そうと思うものはほとんどいない。 しかし、殺人を犯したとなるとそこにいる目撃者を全員殺して、放火をして証拠隠蔽を図るという事件が起こるだろうということは容易に想像できる。 死刑の存続によって、人の権利を奪うということは最大自分の命を持って償わなければならないという考え方を持つことは何も後進的なことではないと思う。 死刑になる犯罪が無くなれば、死刑を宣告しなくても済む。 それが死刑が無くなる日だと信じて。 長文になりましたが、昨日のシンポジウムにて自民党の亀井議員(死刑停止の会の会長だったかな?)のあまりにもお粗末な話と、それに基づいて死刑を廃止しようとしている姿勢に憤りさえおぼえたため皆さんに問いかけてみようと思いました。 よろしければご意見などお待ちしています。 |
20代 様 私も貴方のご意見に賛成です。己の欲求のために他人の人生(自然死するまでの時間)を奪い、遺族に耐え難い悲しみと苦難を与えた犯罪者が、罪を償う方法は自らの命を提供する以外に方法はないと思います。被害者の時間を奪った者は自分の時間も奪われて当然です。牢獄で何を償うのでしょうか。後悔しても懺悔しても被害者は生き返りません。遺族の悲しみや苦難は元にもどりません。死刑廃止論者の主張を聞くたびに、全て他人事との印象を拭えません。 死刑が残酷ならば、命を奪った犯行は残酷ではないのでしょうか。遺族の悲しみと苦難をどうしたらゼロにできるのでしょうか。死刑を廃止したら犯罪は減少するのでしょうか。 人が毎日のように殺害され犯罪が多発ている背景には、罰則が軽すぎることが一因だと考えます。一人くらい殺しても死刑にはなりません。中には懲役5年程度で済まされている例もあります。計画性がないとの理由で死刑が回避されることも納得できません。計画性があろうが無かろうが、人の命を奪ったことには変わりありません。計画性が無ければ、身内を殺されても遺族の痛みは軽くなるのでしょうか。 実に矛盾したことが平気で行われています。 また冤罪を心配する人も多いのですが、捜査方法・取調べ時の映像・音声の記録・ 弁護士の同席等々、密室での取り調べを改めることにより不当な逮捕や冤罪発生の原因を除去することは可能です。 死刑廃止論者は加害者側に立った意見を陳述することが多く、被害者の気持ちに配慮することが少ないと思います。加害者の人権よりも被害者と遺族の人権こそ優先されて然るべきです。また、ご遺族の中には犯人の死刑を望まないと言われる方もあると聞いておりますが、それは極めて少数ではないでしょうか。理由は分かりませんが、刑罰が社会秩序の維持を目的としているならば、遺族の意向を汲むことは一定の制限が設けられるのもやむを得ないことだと思います。 国家が人の命を奪うことを否定する人達は、戦争で罪もない大勢の人々が殺害されている現状をどのように考えているのでしょうか。いずれも人の命に変わりはありません。 |
これについて 亀井議員は 国家を守る為の戦争などはしょうがないといっていました。 しきりに小泉批判をしていましたが、 あんたの方がよっぽどアホだろという印象でした。 |
▼20代さん: >死刑廃止論者の論理からするとあのヒトラーでさえ終身刑で済んでしまいそうである。 私は、”生きて”罪を償わせるべきだと思います。 それには、死刑廃止と共に”終身刑”の制定が絶対条件ですが。 現行の無期は、”期限を定めない”だけで、いつかは出てくる可能性が高い。 これでは被害者の理解は得られないし、犯した罪とのバランスがとれない。 |
J.J.Mack 様 生きて罪を償なわす、とは何をさせることなのでしょうか。教えて下さい。 また終身刑は一考に値しますが、死刑とどちらが残酷な刑罰なのか十分検討が必要です。聞いた話ですが、某国の終身刑受刑者の相当数が精神異常をきたすか、自ら死刑を望む例もあるとのことでした。 |
▼もの申すさん: >生きて罪を償なわす、とは何をさせることなのでしょうか。 残酷な刑罰に耐えて、残りの人生を過ごすことも その一つです。 >死刑とどちらが残酷な刑罰なのか十分検討が必要です。 私は、凶悪犯の刑を軽くしろというつもりはありません。 むしろ逆です。 外国では、懲役何百年なんていうのが出てきます。 恩赦などで、絶対に社会復帰させないぞ、という強い意志が感じられます。 被害者も、国民も納得するのではないでしょうか。 重罰は犯罪抑止力にもなると思います。 |
▼J.J.Mackさん: >▼20代さん: >>死刑廃止論者の論理からするとあのヒトラーでさえ終身刑で済んでしまいそうである。 > >私は、”生きて”罪を償わせるべきだと思います。 >それには、死刑廃止と共に”終身刑”の制定が絶対条件ですが。 > >現行の無期は、”期限を定めない”だけで、いつかは出てくる可能性が高い。 >これでは被害者の理解は得られないし、犯した罪とのバランスがとれない。 私は20代さんに賛成です。要領をえたまとめ方をなさっていると思います。 Mackさんのお考えのように「生きて償いをさせても良い」場合もありますが、残酷な殺人や大量殺人の場合、それではすまないことが多いですね。 「目には目を」の論理は命に関するかぎり、現代においても残すべきだというのが私の考えです。 また遺族の感情は大変だいじなもので、20代さんがおっしゃっているように、近代における死刑は前近代までの「仇討ち」や「決闘」に代わるものなのですから、死刑を廃止するわけにはいかない。 死刑宣告と死刑執行には一定の慎重さが求められますが、それは「死刑廃止」とはまったく次元が違う問題ですね。 「無期懲役と死刑の併置」は、「死刑廃止と終身刑」よりも優れていると私はみています。死刑が残酷というなら終身刑も残酷です。 死刑廃止論者の最大の論拠、「冤罪」については裁く者が神でない限り100%防ぐことは困難と答える以外にないのですが、しかし99%以上、限りなく100%に近づけることは可能だと思っています。それは再審制度、死刑執行のありかたなどによってです。 これまでの冤罪の数々をあげて「廃止」を言われる向きには以上のことから同調しえないですね。大東亜戦争における過ちをただちに軍備廃止につなげた戦後日本の統治者の誤りと同じと思っております(最後のフレーズ、別の方向に議論を呼ぶやもしれぬと思いつつ、あえて書きました)。 ※管理者さま、パソコンを取り替えました。 |
▼宮崎故郷人さん: >「生きて償いをさせても良い」場合もありますが、残酷な殺人や大量殺人の場合、それではすまないことが多いですね。 > 死刑が残酷というなら終身刑も残酷です。 いや、死刑以上でしょう。 社会から隔絶された状態が、 泣こうがわめこうが、天が赦すまで、 続くのですから。 だからこそ終身刑にしろと言ってるんです。 自業自得、それが償いというものです。 そして被害者は、一般国民は、彼らを事実上死んだものとして、 枕を高くして寝られるというものです。 |
▼J.J.Mackさん: >▼宮崎故郷人さん: >>「生きて償いをさせても良い」場合もありますが、残酷な殺人や大量殺人の場合、それではすまないことが多いですね。 > >> 死刑が残酷というなら終身刑も残酷です。 > >いや、死刑以上でしょう。 >社会から隔絶された状態が、 >泣こうがわめこうが、天が赦すまで、 >続くのですから。 >だからこそ終身刑にしろと言ってるんです。 >自業自得、それが償いというものです。 > >そして被害者は、一般国民は、彼らを事実上死んだものとして、 >枕を高くして寝られるというものです。 なるほど「償い」に加えて、「応報刑」「見せしめ刑」としての終身刑ですね? 「人道的」死刑廃止論者とはあなたは異なるスタンスなのですね。お立場、了解しました。 ところで、次のような場合でも死刑に反対なさいますか? 現行犯逮捕、緊急逮捕で100%犯人が特定できるため冤罪の可能性がゼロ。そして、その殺人の残虐性などから遺族が「犯人とともに天を戴きたくない」といって、仮に終身刑が存在する状況だとしても、死刑判決を望む場合。 |
>ところで、次のような場合でも死刑に反対なさいますか? >現行犯逮捕、緊急逮捕で100%犯人が特定できるため冤罪の可能性がゼロ。そして、その殺人の残虐性などから遺族が「犯人とともに天を戴きたくない」といって、仮に終身刑が存在する状況だとしても、死刑判決を望む場合。 反対します。 1.刑は客観性が第一、遺族の望みは無視するのが法治国家。 2.”死刑では軽すぎる。終身、刑に服すべし。”が終身刑の理念。 |
▼J.J.Mackさん: >>ところで、次のような場合でも死刑に反対なさいますか? >>現行犯逮捕、緊急逮捕で100%犯人が特定できるため冤罪の可能性がゼロ。そして、その殺人の残虐性などから遺族が「犯人とともに天を戴きたくない」といって、仮に終身刑が存在する状況だとしても、死刑判決を望む場合。 > >反対します。 >1.刑は客観性が第一、遺族の望みは無視するのが法治国家。 >2.”死刑では軽すぎる。終身、刑に服すべし。”が終身刑の理念。 私は遺族の気持ちは大事であると考え、リンチは無論のこと決闘や仇討ちのように刑の執行を個人にゆだねる類の「私」刑を禁止する見返りとしての司直刑罰たる死刑を積極的に是認する立場ですので、Mackさんとは意見を異にしますが、あなたのお考えはふたたび了解しました。 たびたびの質問で恐縮ですが、終身刑の刑務所内での待遇はどのようなものを想定されていらっしゃいますか?死刑よりも重い終身刑という概念ですと、その待遇は今の懲役刑のようなものとは想定できないのですが。 今の懲役刑でも「刑務所内の取り扱いは人権にもとる」といって犯罪者の人権を云々する向きが強くありますので、ちょっと気にかかりますので質問させていただきました。 |
▼宮崎故郷人さん: > 終身刑の刑務所内での待遇はどのようなものを想定されていらっしゃいますか?死刑よりも重い終身刑という概念ですと、その待遇は今の懲役刑のようなものとは想定できないのですが。 受刑者は、社会的には死んだも同然。 終身専用の刑務所で お迎えを待つだけの人生。 財産は処分され、戸籍は抹消される。 何人も面会はもちるん、手紙も届かない。 我々にとって 犯人が刑務所内に一生居る≒死後の世界に居る >今の懲役刑でも「刑務所内の取り扱いは人権にもとる」といって犯罪者の人権を云々する向きが強くありますので、ちょっと気にかかりますので質問させていただきました。 申し訳ありません。刑務所内の取り扱いについてはあまり深く考えていません。 我々との接触が一切なくなるのですから。 死刑執行されたものがあの世でどのような扱いを受けているのか、あまり興味が無いように。 現在、長期といえども更生、社会復帰を目的とした日常としていると聞いています。 終身となれば、そんな訓練を受ける権利は剥奪されてしかるべきでしょう。 |
>受刑者は、社会的には死んだも同然。 >終身専用の刑務所で お迎えを待つだけの人生。 >財産は処分され、戸籍は抹消される。 >何人も面会はもちるん、手紙も届かない。 >我々にとって 犯人が刑務所内に一生居る≒死後の世界に居る > >申し訳ありません。刑務所内の取り扱いについてはあまり深く考えていません。 >我々との接触が一切なくなるのですから。 >死刑執行されたものがあの世でどのような扱いを受けているのか、あまり興味が無いように。 > >現在、長期といえども更生、社会復帰を目的とした日常としていると聞いています。 >終身となれば、そんな訓練を受ける権利は剥奪されてしかるべきでしょう。 まったくの空理空論で少し悲しくなります。 在監者といえども制約はされますが一定の人権は保障されます。 毎日温かいご飯を食べられます。本も読めます、週に何度か風呂も入れます。 すべて税金ですよ。 被害者の払った税金もそこには含まれています。 以前読んだ本では死刑囚などは看守をコキ使い、挙句の果てには刑務所内で無修正のAVを鑑賞する始末。 しかし中には仏心に目覚めたり、詩をはじめて改心する者もいるそうです。 現在獄中からの手紙など多く出版され、 これが死刑囚が書いたものかと驚き、内容に感動するものも少なくありません。 多くの看守の方々は死刑囚を最後の最後まで更正して天に帰って欲しいと望み、日々がんばっておられるのです。 あなたのおっしゃる非人道的な刑こそ認められるべきではありません。 |
▼20代さん: >毎日温かいご飯を食べられます。本も読めます、週に何度か風呂も入れます。 私は、終身犯を虐待しろと言うつもりは無いですよ。 食事や風呂は当然でしょう。 本もいいでしょう、ある程度の娯楽も良しとしましょう。 ただし、絶対に、二度と、一般社会への復帰は許さない。 仏心に目覚めようが、どんなに改心しようが です。 (さもなくば、死刑やむなし) |
▼J.J.Mackさん: >▼20代さん: >>毎日温かいご飯を食べられます。本も読めます、週に何度か風呂も入れます。 > >私は、終身犯を虐待しろと言うつもりは無いですよ。 >食事や風呂は当然でしょう。 >本もいいでしょう、ある程度の娯楽も良しとしましょう。 >ただし、絶対に、二度と、一般社会への復帰は許さない。 >仏心に目覚めようが、どんなに改心しようが です。 >(さもなくば、死刑やむなし) 仏心に目覚めたり、本当の改心をしたりの殺人犯は、一般社会への復帰=己の幸せを求める道は望まないでしょう。 それはともかくとして終身犯に対する待遇が上のようなものですと、今の懲役刑と変わらない待遇ですね。 命を奪ったことを償うには終身シャバに出られないというだけでなく、それに加えてもっと違うものも考えなければならないのではないでしょうか? 命を奪われた人、一生悲しみを背負って生きなければならない残された遺族、その人々の苦しみを十分あがなえる形のものを考えなければならないのではないでしょうか。 「さもなくば死刑やむなし」という言葉を添えてらっしゃいますが、私は死刑はやむをえないものではなく、「なくてはならぬ」ものと思っております。 もちろん前に述べましたように死刑判決、死刑執行には慎重さが求められますし、冤罪防止の方法は研究を尽くしていかなければなりませんが、死刑を廃止することは、廃止論者の意図とはさかさまに、実は人間の命を軽んじる道だと私は思っております。 |
▼20代さん: >昨日広島で行われたプレシンポジウム死刑停止を考えるに参加しました。 >そこで皆さんに死刑に関しての考えを伺いたいと思います。 >私の考えは死刑存置で現在の死刑制度の手続きの適正化のための >一時的な死刑停止には賛成です。 >死刑廃止論者の論拠とするところは >1、国家による殺人は人道的に許されない >2、冤罪の存在 >3、感情論(死刑囚への同情) >が主なものだと思います。 (中略) >2について、冤罪の存在は決して許されるものではない。 >しかしそこから制度の廃止を導くことはできない。 >パネリストが良い例えを用いておられたのでここに紹介します。 >自動車が事故によって人を殺傷するから自動車に乗ってはいけない、という命題を導くことはできない。 >自動車に事故を発生させる要因があるなら、その要因を最小化させることが本当ではないのか。 >実際スピード規制、シートベルトの着用義務付けなどが行われている。 >冤罪についても、冤罪が発生しないような手続きの厳正を図ることが課題であって、死刑廃止の論拠とはならない。 (中略) >死刑の存続によって、人の権利を奪うということは最大自分の命を持って償わなければならないという考え方を持つことは何も後進的なことではないと思う。 >死刑になる犯罪が無くなれば、死刑を宣告しなくても済む。 >それが死刑が無くなる日だと信じて。 「2;冤罪の存在」についてですが、本日の東京新聞の「筆洗」に興味深い 箇所がございました。 http://www.tokyo-np.co.jp/hissen/index.shtml ////////////////////////////////////////////////////////////////////////// ▼その司法。四十年近くも無罪を叫び続けてきた袴田巌死刑囚の再審請求に対し、 東京高裁は棄却の決定を下した。自白の信用性、現場から見つかった検察側の物証 への疑問があるからこその再審請求なのに、一、二審とも審理に十年以上もかけて この決定とは。取り返しのつかない命にかかわる問題なのに、司法に死刑制度への 「イナーシア(注;慣性、惰性)」はないと言いきれるか ////////////////////////////////////////////////////////////////////////// いずれにせよ、私個人としては、こういうケースもあるからこそ、死刑制度に 対する不信はどうにもぬぐう事も出来ないものであります。 ともあれ、「要因を最小化させること」が可能としても、「ゼロ」になるか どうか甚だ疑問であるのは確かです。 裁判官、検察ですら、100パーセント完璧とは言えないわけですから。 |
>いずれにせよ、私個人としては、こういうケースもあるからこそ、死刑制度に >対する不信はどうにもぬぐう事も出来ないものであります。 >ともあれ、「要因を最小化させること」が可能としても、「ゼロ」になるか >どうか甚だ疑問であるのは確かです。 >裁判官、検察ですら、100パーセント完璧とは言えないわけですから。 私は冤罪と死刑は切っても切れないものだと思います。 ですから冤罪が起こらないような適正な手続きが整うまでの 死刑停止には賛成です。 疑わしきは罰せずです。 まずは適正な手続きの完成が目標だと思います。 冤罪の存在は死刑停止の論拠とはなりえても、死刑廃止の論拠とはなりえないのではないでしょうか。 |
私は死刑賛成論者です。以下ちょっと乱雑ですが、考えを述べます。 そのシンポジウムでは、欧米の現状について言っていたでしょうか。欧米は死刑廃止の方向で動いているようですね。正確には知りませんが、先進国で死刑が残っているのはほとんど日本だけだそうな。 基本的には、人を殺したら死刑にすべきと考えています。法律云々の話というよりは、共同の社会生活を営む上での「掟」と私は考えています。しかし殺人を犯した方に同情の余地がある場合は、それなりに考慮する。例えば、寝たきりの身内の看病に疲れて殺してしまった場合など。 死刑ではなく終身刑という考えもありますが、麻原彰晃のような人間には生きていて欲しくないです。(死刑にすれば済む問題ではありませんが) 犯人が明確で冤罪の心配がない場合は、基本的に死刑にすべきでしょう。例えば大阪 池田小学校の児童殺傷事件の犯人など。もちろん殺人に至った経緯、社会背景を調べる事は重要です。 死刑廃止派だったある弁護士で、不幸にも奥さんを通り魔殺人で失った方がいます。この方は事件後、次のように語っています。「死刑を廃止にすべきか悩んでいる。自分は弁護士なので、被害者の気持ちはわかっているつもりであったが、自分が被害者になって初めて本当に被害者の気持ちがわかった」 ところで私なんぞは、飲酒運転で事故を起こして死者を出した悪質なドライバーにも、死刑を適用しても良いのではないかと考えています。何年か前、大型トラックの運転手が飲酒運転し、前の乗用車に追突して幼い子供2人の命を奪った事故がありました。(これをきっかけに危険運転防止法が制定されました)。 飲酒運転などという悪質な行為は、それこそ運転手の「自己責任」であり、それによって引き起こされた事故なら合わせて「結果責任」を厳しく問うて良いのではないかと考えています。(結果責任を問うなら、事故を起こさなければ飲酒運転してもいい、と主張するものではありません) 厳罰主義では犯罪が減らないという意見もありますが、どちらかというと日本は犯罪に対する刑罰が甘すぎると思います。でも最近は徐々に厳しくなってきていますかね。 まあ廃止か存続か、有識者だけで決める事はせず、国民投票で決めたい問題ですね。 |
▼20代さん・閑古鳥さん: 【20796】9月14日で閑古鳥さんが次の投稿をなさっていましたので、 このスレッドで討論してもらった方が良いと考えて、勝手にここに以下の文章を写させてもらいました。 閑古鳥さん、こちらで議論してもらうわけにはいきませんか? >>九月十四日、八人の児童を殺害し十五人に重軽傷を負わせた男の死刑が執行された。死刑制度反対を唱える団体から早速政府に対する非難の声が上がっている。 >>平成十三年度我が国では年間約千三百件の殺人事件が発生し、同じく千三百人が逮捕・起訴されている。同年裁判で死刑判決を受けた者は、一審で十三名、二審では十七名、最高裁での確定はゼロであった。参考までに平成十四年度の裁判では、一審で十二名、二審で十四名、最高裁では九名の死刑判決が確定している。 >>日本には死刑制度が存在するが、前述の如く死刑判決を受ける者は極めて少数で、死刑制度は事実上機能していないように思えます。千三百件の中には、大阪の事件ほど残虐ではないものの、極悪非道な殺人も多く含まれているはずであり、大勢の被害者遺族の方々が悲しみに打ちひしがれて毎日を過ごしていることは間違いありません。 >>冒頭の死刑執行を契機に、死刑制度の是非について老人党の皆様のご意見を伺いたいと存じます。 |
昨日、判決確定から異例のはやさで死刑が執行されました。 この事件に関しては冤罪の可能性は無いと思われるので、 早期の死刑執行は妥当であると思いました。 宅間は最期の時まで遺族の方の気持ちを逆撫でする発言を繰り返したようです。 しかし、宅間もこの国のある面をあらわした存在なのではないでしょうか。 彼を切り捨て、人間ではないと言ってしまうことは簡単ですが、 実はあのような犯罪を犯す可能性は多くの人にあるのではないでしょうか。 ある事がきっかけで劣等感を抱え、被害妄想がはじまり、復讐心になっていく。 精神的に疲弊した状態が続けば(幼少期の環境など)こういった心理状態に陥りやすいものです。 競争が激化する社会において、競争に敗れたと感じて生活していく人々についても考える必要があると思います。 昨日テレビにてご遺族の方が無念を言っておられたが、今回のケースでは殺人を犯し、反省謝罪は無く、死刑を望み、死刑を執行されるという、宅間の筋書き通りに全てが進んでしまった。 ご遺族の方の心中は計り知れない。 行政は犯罪被害者に対してのケアや保障を徹底することをもっと議論すべきだと思う。亀井静香のように馬鹿のひとつおぼえで死刑廃止を訴える暇があるなら、そちらに力を尽くしてもらいたいものだ。 |
軍事面での顔だしばかりでしたが、興味のあるスレッドでしたのでお邪魔いたします。 死刑廃止論者の方々のご意見は、人間性善説に基いているのではないかと感じてしまいました。 どんな凶悪犯罪であっても、慈悲の心を忘れないという姿勢は、ある意味達観、またある意味人の生死を論ずる恐怖からきてるのでしょうか? とりあえず、冤罪という線は置いておくとして、凶悪犯の犯した罪に対してどう処罰をするべきか? 被害者の感情からすれば当然憎むに足りないものでしょう。 自分の子供がもし宅間に殺されたとすれば、普通の死刑では満足しません。 それこそ、足元から一センチずつ切り落としてやりたくなります。 死の恐怖というものを実感させてから殺してやりたくなります。 自分的には死刑を始めとする刑罰に対する抑止効果が薄れているのではないかと思う節があります。 犯罪の低年齢化もそうですが、中国人犯罪者曰く日本の刑務所は暮らしやすいから、捕まっても問題無いとのたまったそうです。 そして、そんな彼らの刑務所にかかる費用は何処から出てるのでしょうか? 税金ですね。 自分達の血税が、居心地の良い施設に使われてるわけです。 そして、死刑廃止、終身刑制度が出来たら? どれだけの負担が税金に使われるのか? 刑罰は犯した罪に対する処罰であり、同一の犯罪に対する抑止になるのです。 重大な犯罪を犯しても、死刑にされる事は無い、生きていくには問題無いという空気が出来あがる。 犯罪に対するリスクを考慮しなくなる。 これ以上日本の犯罪発生を増やす可能性のある事は御免ですね。 |
▼tomykさん:はじめまして >死刑廃止論者の方々のご意見は、人間性善説に基いているのではないかと感じてしまいました。 >どんな凶悪犯罪であっても、慈悲の心を忘れないという姿勢は、ある意味達観、またある意味人の生死を論ずる恐怖からきてるのでしょうか? > tomykさんの投稿で、 死刑廃止論の方々の主張のなかに 「日本では平安時代、嵯峨天皇が死刑禁止通達を出して以来300年を超える間、死刑が廃止されていた」というのがあるのを思い出しました。 その主張によれば「死刑を復活させたのは、その後に歴史に登場した戦闘集団たる武士階級だ。残酷な武士階級が残酷な死刑を復活させた」というわけです。 嵯峨天皇にはじまる死刑禁止は仏教の死生観に基づくもので、虫けらをふくめすべての生き物を殺してはならないという考えに基づくものです。その間の死刑廃止は宗教的色彩というより宗教そのものです。政治的に世の中を統御してゆくか、また犯罪をどのように抑止していくかという世俗的観点ではないわけですね。 ですから国家による死刑禁止にかわって、私刑たる報復が横行したであろうことは想像にかたくありません。 鎌倉幕府はむしろ御成敗式目などの法制化によって整えていくわけで、武士階級は残酷を好き好んだものではありません。 |