Page 2601 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼勉強する理由(2) 団塊党 05/3/16(水) 1:36 ┣Re(1):勉強する理由(2) 団塊党 05/3/16(水) 1:52 ┃ ┗Re(2):勉強する理由(2) 悠々 05/3/16(水) 8:10 ┃ ┗Re(3):まずは土作り 団塊党 05/3/16(水) 19:46 ┃ ┗Re(4):まずは土作り 三吉 05/3/17(木) 0:27 ┃ ┗Re(5):まずは土作り こんぺいとう 05/3/17(木) 14:40 ┃ ┗Re(6):まずは土作り 団塊党 05/3/26(土) 11:31 ┣Re(1):勉強する理由(2) 秋明菊 05/3/16(水) 8:56 ┃ ┗Re(2):勉強する理由(2) 相良唯夫 05/3/16(水) 16:53 ┃ ┗Re(3):勉強する理由(2) 秋明菊 05/3/17(木) 8:52 ┣Re(1):勉強する理由(2) こんぺいとう 05/3/16(水) 13:58 ┃ ┗Re(2):勉強する理由(2) 団塊党 05/3/16(水) 20:08 ┃ ┗Re(3):勉強する理由(2) パンドラ 05/3/16(水) 20:19 ┃ ┗教師にとっての困難さ 団塊党 05/3/25(金) 21:30 ┃ ┗Re(1):教師にとっての困難さ パンドラ 05/3/26(土) 0:56 ┣心やさしい「オレ様」たち ぎみゆら 05/3/18(金) 19:05 ┃ ┗Re(1):心やさしい「オレ様」たち 団塊党 05/3/26(土) 11:13 ┃ ┗Re(2):心やさしい「オレ様」たち 悠々 05/3/27(日) 19:08 ┣Re(1):勉強する理由(2) 団塊党 05/3/18(金) 20:34 ┗Re(1):勉強する理由(2) 珍 源斎 05/3/27(日) 14:39 ┗Re(2):勉強する理由(2) 団塊党 05/3/29(火) 21:49 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 勉強する理由(2) ■名前 : 団塊党 ■日付 : 05/3/16(水) 1:36 -------------------------------------------------------------------------
北の老兵さん >私たちの子供の頃は、親よりも先生に褒められるのが嬉しくて、先生に褒められようと一生懸命努力したものです。私は昔も今も同じだと思うのですが、最近の子供を見ていると、先生にたいする言葉遣いがまるで友達扱いです。いつ頃からこうなったのか?どうしてこうなったのか? 先日の新聞で子どもが「オレ様化」していると書いていました。 他の誰よりも自分が偉いんです。 親の育て方にもよるでしょうが、社会の中にも子どもを「オレ様化」させる要因があるような気がします。 先日、隣のクラスの担任がちょっと子どもに注意したら、その子が顔を真っ赤にして怒る場面を見ました。 こんな子はごく一部ですが、多くの子どもの意識のそこには「オレ様化」が進行しているのかも知れません。 言葉遣いは場面場面できちんと教えて行かなくてはいけないですね。 言葉遣いは子どもの内面に大きな影響を与えると思います。 >私の子供の頃は、個性のある先生がたくさんいました。例えば国語の女の「ガマ先生」英語の「タコ先生」数学の「大根先生」とニックネームで呼んでいましたが、それぞれ皆、大好きな先生で、数年前の卒業40年の同窓会には、その先生方も呼んでいろんなエピソードを披露し合って、楽しいひと時を過ごしました。 確かにそうかも知れません。 今は教師がミスをしないように、批判されないようにと、ビクビクしているような雰囲気があります。 これでは個性的な教師が育ちようがありません。 もっと大らかさを取り戻さなければいけないですね。 >今は世の中変わり過ぎました。教師に全てを押し付けるのはなく、家庭、地域社会、行政が相互に連携を密にし協力し合っていかなければならないと思う。 >そして国に望みたいのは、教育の現場に過度な口出しをしないでほしいという事です。 まったくそうです。 しかし、どうも口出ししないではおれないようです。 |
ぎみゆらさん >「生命」と「成長」、それに利するもの。よい風、よい水、よい土。 >そのまた大元は、たっぷりの「よい時間」なんじゃないでしょうか。 >医療の世界でも、「時間がいちばんのお薬」といったセリフを、 >案外よく聞きます。「日薬(ひぐすり)」なんて言う人もいます。 >医者が患者を治す。親が、教師が、子供を育てる。それはいわば、 >便宜上の言い方であって、患者は自分で治るし、子供は自分で育つ。 殆どすべてを言い尽くしていますね。 そして今一番に足りないことがこれなんですね。 教育の世界だけでなく社会の仕組み、風潮がぎすぎすしてますます余裕がなくなってきています。 「たっぷりのよい時間」「のびのび空間」を取り戻すことで、今の色々なおかしさやゆがみの多くが自然に治癒していくと思います。 |
▼団塊党さん: >ぎみゆらさん > >>「生命」と「成長」、それに利するもの。よい風、よい水、よい土。 >>そのまた大元は、たっぷりの「よい時間」なんじゃないでしょうか。 > >>医療の世界でも、「時間がいちばんのお薬」といったセリフを、 >>案外よく聞きます。「日薬(ひぐすり)」なんて言う人もいます。 > >>医者が患者を治す。親が、教師が、子供を育てる。それはいわば、 >>便宜上の言い方であって、患者は自分で治るし、子供は自分で育つ。 > >殆どすべてを言い尽くしていますね。 まさにそのように感じます。 地域を草花で彩っているHさん。まずは土作りから。 落ち葉を拾い集め、2,3年の時間を惜しまずによい土を作り その苗床に種を蒔く。よい風と水と光を浴びて・・芽が育ち、花が咲きます。 私の目に触れるのは草花の美しさもさることながらHさんのこんな姿 →乾いた真夏にポリタンクにいれた水をせっせとかけ、 秋には枯れ草との格闘。大変な労働です。 ・・そうして咲いている季節の草花です。 帰国子女だった末っ子は小学校の頃、2人のいい友達に出会いました。 一人はクラス文集に他が勉強ができるようになりたい、有名人になりたいなどと 書くなかで、ひとり「人の話がきける大人になりたい!」と書いた子。 もうひとりは、気持がとっても広〜く大きい子。小学生時代の三人は、毎日 暗くなるまでよく遊んでいたことを思いだします。今、その頃のたっぷりの 遊びの時間が子どもたちの柔らかな気持の一部分を育てているのではないかと 感じています。 |
▼悠々さん: >地域を草花で彩っているHさん。まずは土作りから。 >落ち葉を拾い集め、2,3年の時間を惜しまずによい土を作り >その苗床に種を蒔く。よい風と水と光を浴びて・・芽が育ち、花が咲きます。 教育も同じですね。 土作りをていねいにたっぷりやるかやらないかで実りが違います。 たっぷりとした時間と空間と仲間の中で自然に育つものが育っていないと、大きな実りはないでしょうね。 >小学生時代の三人は、毎日暗くなるまでよく遊んでいたことを思いだします。今、その頃のたっぷりの遊びの時間が子どもたちの柔らかな気持の一部分を育てているのではないかと感じています。 遊びが今の子どもは本当に足りないです。 自然の中で全身を使ったり、友だちと体をぶつけ合ったり、物を工夫して作ったり利用したり、こんな中でしか育たない大事なものがあると思いますね。 |
▼団塊党さん: >▼悠々さん: > >>地域を草花で彩っているHさん。まずは土作りから。 >>落ち葉を拾い集め、2,3年の時間を惜しまずによい土を作り >>その苗床に種を蒔く。よい風と水と光を浴びて・・芽が育ち、花が咲きます。 > 昔、おやじから聞いた話です。 どこかの本で読んだらしいが、「親は 自分の子供が『薔薇の芽(即ち優等生)』と見た時は、一生懸命に育てるが、 『タンポポの芽(即ち劣等性・何故なんだ?)』と見たら、あきらめてしまう。 タンポポの芽だって、きちんと育てたらタンポポの花が咲くじゃないか。」と。 私は勿論後者でした。 そんな事言っていた父も、私がグレだした途端さじを投げた様に見え、「おやじは綺麗事だけじゃないか!」と憤った事もありました。 しかし、ある時、いとこの写真(小学校時代の)を母親から見せられたおやじは 「人の子なんか可愛くない! 俺は自分の子しか可愛いとは思わないんだ!」と 言ったのです。 涙が出ましたよ、それ聞いて。 「世界にひとつだけの花」決して負け惜しみではありません。 人それぞれ役割 は違うのでしょうし、天命も違うのでしょう。 勉強は一生かかってするものでしょうね。 それなら楽しくやりましょうよ。 私は未だに花が咲きませんが・・・ |
▼三吉さん: >▼団塊党さん: >>▼悠々さん: >「世界にひとつだけの花」決して負け惜しみではありません。 人それぞれ役割 >は違うのでしょうし、天命も違うのでしょう。 勉強は一生かかってするものでしょうね。 それなら楽しくやりましょうよ。 私は未だに花が咲きませんが・・・ 前にも別のスレッドに書きました。この言葉をもう一度、子供にかかわって いるすべての大人に、読んで欲しくて・・・・ わたしは、どのようにして子供を教育すべきか頭を悩ませている親に とっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く 信じている。 子供たちが出会う真実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす 種子だとしたら、さまざまな情緒や感受性は、この種子をはぐぐむ肥沃な 土壌です。 幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。 レイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』 新潮社 上遠惠子訳 この本は子供にかかわっているいないにかかわらずぜひ、読んでください。 自然や地球、子供達ににもう一度目を向けなおしたくなるとおもいます。 いい土壌環境で育ててやりたいのです。 子供達はそれぞれにきっと素敵な花を咲かせてくれる事でしょうに・・・ |
▼こんぺいとうさん: >▼三吉さん: >>▼団塊党さん: >>>▼悠々さん: >>「世界にひとつだけの花」決して負け惜しみではありません。 人それぞれ役割 >>は違うのでしょうし、天命も違うのでしょう。 勉強は一生かかってするものでしょうね。 それなら楽しくやりましょうよ。 私は未だに花が咲きませんが・・・ > >前にも別のスレッドに書きました。この言葉をもう一度、子供にかかわって >いるすべての大人に、読んで欲しくて・・・・ > > わたしは、どのようにして子供を教育すべきか頭を悩ませている親に > とっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く > 信じている。 > 子供たちが出会う真実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす > 種子だとしたら、さまざまな情緒や感受性は、この種子をはぐぐむ肥沃な > 土壌です。 > 幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。 > > レイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』 > 新潮社 上遠惠子訳 > >この本は子供にかかわっているいないにかかわらずぜひ、読んでください。 >自然や地球、子供達ににもう一度目を向けなおしたくなるとおもいます。 > >いい土壌環境で育ててやりたいのです。 >子供達はそれぞれにきっと素敵な花を咲かせてくれる事でしょうに・・・ センス・オブ・ワンダー是非読んでみます。 子どもにもう一度目をむけなおしたくなるという一言に惹かれました。 有り難うございます。 |
相良唯夫さま はじめまして!レスありがとうございます。 >籠に乗る人になりたいと思いましたが、担ぐ人で終わりそうです。 >汗を拭き吹きワラジを作る人を立派だと思います。 担ぐ人やワラジを作る人が、この社会の担い手であり、いなければ社会が成り立って行かない主役であると思います。 なかなか主役なんて思えないかもしれませんが。 >農家の方は朝早くから、収穫した野菜が一把、?円の値段が付けられながらも腐らず、「この仕事しか出来ないから」と次の日も次の日も畑に出かけます。 >ところが、農家の息子であっても、勉強の出来る子は高校、大学と進み、家に帰ることがありません。 >その方は言われました。「兄ちゃんは頭がよかったからね」と。 その農家の方は、お兄ちゃんのお陰で周りの人にチヤホヤされたりして、誇らしい思いをされたので、その思い出だけで満足されているのかもしれませんね。 自営業をしている友達の子供は、成績が良くなかったのですが、彼女は 「ヘタに成績が良いと遠くの大学へ行って家に帰ったこなくなる心配があるけど、成績が悪いから就職先も思った所へ入れない。家業を継いでくれる可能性が強いから、このまま成績が上がらない方がいいわ」なんて言っていました。 その代わり、家族揃ってよく遊んでいました。夜遅くカブトムシを捕りに行ったり人のいない公園で一輪車の練習をしたり、楽しそうでした。 >教育で大事なことは、それぞれに与えられた役割を認識することであるようにも思えるのです。勉強の得意の子、苦手の子と言うように生まれ持ってどうしようもないことはいくらでもあります。 勉強と言っても、暗記は苦手だけれども想像力・創造力には秀でている子もいますし、早熟型と大器晩成型もあると思います。 今の教育は最高学府など一部を除いて、暗記型・早熟型中心ではないかと? >でも、勉強が苦手だからと言って「勉強をしなくてもよい」とするのは間違いであり、学校に通っている限り、「勉強するのが本分」であると思います。 もちろん、そうです。そして人間には誰にも知識欲が備わっていると思います。 >勿論、一生が勉強ですが、親や先生や社会の恩恵で学校に行かせて頂いているときに勉強することは大事なことです。 ホントにそうですね。 でも、子供が興味を持った時には、すごい力を発揮します。 中学校を卒業をして働いてから、何かに興味を持って勉強をしたいと思った時には与えられて勉強していた時より、もっと勉強が身に付くのではないでしょうか? 大人社会にもイジメがあるように、子供社会にもイジメがあります。 子供はある意味で、大人より残酷な所もあります。大人が敵の場合もあります。 子供の心が壊されそうな時は、サッサと学校から逃げればいいと思います。 私の周りでも、自殺した子供が2人いました。 2人ともマジメで大人しい子でした。 男の子は、両親が教育にはお金が掛かるから1人だけ産んで、英才教育をしようと大切に大切に育てていました。 女の子も、同じように成績の良い、優しい子でした。その子の友達がすごくショックを受けて、学校に行けなくなりました。 >何を基準に頭の良し悪しを言われているのかが分かりませんが、私の場合は授業の1時間が辛かったし、先生の言われることも理解出来ず、当然成績も悪かった。 ↑の方で申し上げた通り、成績は頭の良さの一部分だと思います。 それに、相良唯夫さまの文章を読んでいて、成績が悪かったなんて想像も付きません。学校の勉強では、要領良さなどが力を発揮する事も多いと思います。 もっと世の中がフレキシブルになって、多くの人の心の壁が取り払われれば、子供も生き生き過ごせるのかと思います。 少子化の進む今、子供が自ら命を絶つような事のないよう、まともな大人に育つように大人達がサポートする必要があります。 特に、途中で人生を突然絶ってしまうような人災は避けなければ、って思います。 文字数の関係で、相良唯夫さまのご意見を細切れにしてしまいました。 偉そうな事を書いてしまったかもしれません。ごめんなさい。 |
▼秋明菊さん: レスして下さってありがとうございました。 正直に言って、レスされないと思っていました。 私はこの掲示板に登場されている方や、老人党の方と意見を異にしていることが多いから、相手にされないだろうなって思っていました。 「相良唯夫さまの文章を読んでいて、成績が悪かったなんて想像も付きません。」と言って頂いて喜んでいいのか分かりませんが、素直に「ありがとう」と申しあげます。あれは中学校2年生だと思います。父親に答案用紙を勝手に見られ、怒られると思い逃げ出そうとしました。父親は私に言いました。 「3つできたか・・・。 3つできてよかったな」 「うん・・・。」 「おまえよりできなかった子はいないだろう?」 「○○君は2点だったよ」 「そうか、大したものだ、ビリじゃなかったか」 そういい残し、父は私に背を向け畑に行きました。 私は父の言葉に言い知れない寂しさを感じた。 母も、「この子はどうなるだろう」と心配していたようでありました。 私はぐれるでもなく、不良になるでもなく、それでも学校に行き続けました。 勉強をしなくても良いなどと思ったことは一度もありませんでした。 出来ない、覚えられないだけでした。 そんな私でも、面白い教科があった。 数学でした。 この教科はゲーム感覚でできたからです。 国語や社会は大の苦手でした。上の3点のテストは英語でした。 そんな私が、この老人党の掲示板に参加させて頂けるまでになるのに 半世紀の時が必要であったのです。 今も、少しずつ少しずつではありますが、勉強させて頂いています。 最後に美しい言葉でしめたいと思います。 真実とは人の心を打つものなり 真実ほど心のこもる事はないのです。 心がこもるから人の心を打つのです。 心がこもる時は必ず自分という存在を捨てて、 相手のために一生懸命になっている時です。 真実ほど強いものはない。 真実は大いなる勇気を与えてくれるものです。 又真実は絶対に変わる事はないのです。 故に安心して託すことが出来るのです。 真実の心には神の御心そのものがあるのです。 |
相良唯夫さま おはようございます! >レスして下さってありがとうございました。 >正直に言って、レスされないと思っていました。 こちらこそ、ありがとうございます。 私も理論的に書き込み出来なくて、いつもスレッドに井戸端会議的おしゃべりを持ち込んでいますので、レスなんて頂けないのでは?と思っています。 ですので、レスを頂くとヤッターなんて喜んでいます。 >私はこの掲示板に登場されている方や、老人党の方と意見を異にしていることが多いから、相手にされないだろうなって思っていました。 これには同意出来ません。 色々な意見を交わし合う事は大切な事で、皆さんもそれを望んでいらっしゃると思います。 ただ、人の意見を理解しようとせず、議論の為の議論や、曲解して自分の意見に導こうなどとされる人には、レスしない方々が多いのです。板が荒れます。 私に関しては、ただ難しい話は脳が受け付けない、反論できる能力がないだけですが。 私もそうですが、仕事があったり用事ががあったりしてレス出来ない場合や、意見がまとまらなくて断念する事もありますので、レスがなくても気にしないようにしています。お互い様です。 >私はぐれるでもなく、不良になるでもなく、それでも学校に行き続けました。 >勉強をしなくても良いなどと思ったことは一度もありませんでした。 相良唯夫さまの真っ直ぐな心と、健全なご家庭で育てられたお陰だと思います。 >そんな私でも、面白い教科があった。 >数学でした。 きっと、暗記力はあまりなかったけど(ごめんなさい)、考える能力が大きかったのですね。思考力の方が生きていくのに大切だと思います。 >国語や社会は大の苦手でした。上の3点のテストは英語でした。 国語の詩や文章については、各々が文から感じる事には違いがあってもおかしくないと思うのに、正解として答えを決めつけているのには疑問を持ちました。 社会科だって、歴史の年号をしっかり覚えていれば良い点が貰えますが、その歴史の経過、起きた原因・結果については、教科書以外の本を読んだ方が頭に入りますし、そちらの方が人生には大切です。ちょっと大げさですね。すみません。 それやこれやで、学校の成績がよくても頭が良いとは限りません。 要領のよさや記憶力のよさなど脳の一部の力が大きく影響します。 >そんな私が、この老人党の掲示板に参加させて頂けるまでになるのに >半世紀の時が必要であったのです。 >今も、少しずつ少しずつではありますが、勉強させて頂いています。 私も相良唯夫さまを見習って、努力をしたいと思います。 せめて、考える事を続けられるように。疑問を感じる心を持ち続けられるように。 >最後に美しい言葉でしめたいと思います。 > >真実とは人の心を打つものなり > >真実ほど心のこもる事はないのです。 >心がこもるから人の心を打つのです。 >心がこもる時は必ず自分という存在を捨てて、 >相手のために一生懸命になっている時です。 >真実ほど強いものはない。 >真実は大いなる勇気を与えてくれるものです。 >又真実は絶対に変わる事はないのです。 >故に安心して託すことが出来るのです。 >真実の心には神の御心そのものがあるのです。 ありがとうございます。大切な時には、真実に真摯に向き合いたいと思います。 |
▼団塊党さん: お久しぶりです。 先生である方と、私のようにかつて学校の裏側から先生達を支えていた つもりの職員とでは少し立場が違うかとおもっていましたが、私が立場を こえて退職後も仲良くして頂いている先生方と団塊党さんは同じような方と いつもおもっています。 よく言われる今の子には「サンマ」がない時間のマ、仲間のマ、空間のマ (これは遊ぶ場の意味)を大人がいつから盗ってしまったのでしょね。 自分で何かを見つける好奇心はこうした「間」をもたせてやらねば出来 ないとおもいます。 私のいつもの口癖ですが、子供は大人に迷惑をかけながら大きくなる。 その迷惑をきちんと受け止め何が迷惑なのか、どうすれば良いのか大人が 一緒に考えてやる。勉強も遊びも自分が楽しくおもわなければ身につかない と同じように、周りがその子のすることの何が迷惑かを納得させてやらねば 子供はいつまでも人に迷惑をかけている事に気づかないとおもいます。 春、進路が決まってくる受験生、私は受験した子にかける言葉の中で絶対に こちらから言わない事、それはどこの学校に入ったの? 学校で決まるのではありませんね.その子の価値は。 学問だけが勉強ではない、良い社会人になるのはいろいろあるという事だと おもいます。 釈迦に説法で、失礼いたしました。 |
▼こんぺいとうさん: >お久しぶりです。 >先生である方と、私のようにかつて学校の裏側から先生達を支えていた >つもりの職員とでは少し立場が違うかとおもっていましたが、私が立場を >こえて退職後も仲良くして頂いている先生方と団塊党さんは同じような方と >いつもおもっています。 有り難うございます。 私もいつも読ませて頂きながら共感するところが多いです。 子どもと接した経験のある方とこうやってお話しできるのは大変嬉しいことです。 >よく言われる今の子には「サンマ」がない時間のマ、仲間のマ、空間のマ >(これは遊ぶ場の意味)を大人がいつから盗ってしまったのでしょね。 >自分で何かを見つける好奇心はこうした「間」をもたせてやらねば出来 >ないとおもいます。 まったくです。 サンマさえあればあとは何もいらないくらいです。 >私のいつもの口癖ですが、子供は大人に迷惑をかけながら大きくなる。 >その迷惑をきちんと受け止め何が迷惑なのか、どうすれば良いのか大人が >一緒に考えてやる。勉強も遊びも自分が楽しくおもわなければ身につかない >と同じように、周りがその子のすることの何が迷惑かを納得させてやらねば >子供はいつまでも人に迷惑をかけている事に気づかないとおもいます。 なるほどなあと思います。 昔はクラスに一人か二人しかいなかったいわゆる手のかかる子が最近はとっても増えてきました。 こういう子ども達とどうつき合うのか、これが今の時代の教師には避けては通れない問題です。 この掲示板でも話題にしていきたいことの一つです。 今後ともよろしくお願いいたします。 |
▼団塊党さん: こんばんは 何時も団塊党さんのご投稿を拝読いたしております 教育現場からの真摯な書き込みにPCの前で何時もうなずいて いる私です。 >なるほどなあと思います。 >昔はクラスに一人か二人しかいなかったいわゆる手のかかる子が最近はとっても増えてきました。 >こういう子ども達とどうつき合うのか、これが今の時代の教師には避けては通れない問題です。 >この掲示板でも話題にしていきたいことの一つです。 という書き込みにございました「手のかかる子」がとても増えて来たという ことですが、どのような子が増えているのですか? 差し支えのない範囲でお話いただければ幸いに存じます。 放課後の子ども達と時間を過ごすことを仕事にしている私ですが 同じような年齢の子ども達が学校の先生にはどんな顔を見せて いるのか教えて頂きたいのです。 私も子どもの様子などお話したいと思います。 今一番気になるのは家庭内虐待の疑いのある子が何人かいることです。 |
▼パンドラさん: ようやく仕事も一段落しました。 長いことレスができなくてすみません。 >「手のかかる子」がとても増えて来たという >ことですが、どのような子が増えているのですか? >差し支えのない範囲でお話いただければ幸いに存じます。 > >放課後の子ども達と時間を過ごすことを仕事にしている私ですが >同じような年齢の子ども達が学校の先生にはどんな顔を見せて >いるのか教えて頂きたいのです。 > >私も子どもの様子などお話したいと思います。 >今一番気になるのは家庭内虐待の疑いのある子が何人かいることです。 「手のかかる子」という言い方は教師の立場からしか考えていない印象を与え、ひっかかりを持たれるかもしれませんが、あえてこの言葉をつかっておきます。 一般にこれがあまり理解されていないと感じますので。 また、教師一人では背負いきれないほど手がかかる子が増えてきているというのは、私の個人的な印象ですから、これが日本の子ども達の傾向だということではもちろんありません。それを前提にお読み下さい。 学校では何と言っても、集団の生活に適応できない子は指導が難しいです。 授業中、落ち着いて席に着いていられない子、または席に着いていても絶えずがたがたと物音を立てたり、大声を出したり隣の子にちょっかいや乱暴をふるう子は、一般の方が想像する以上に教師を困難に陥れます。 一クラスに3人もいればもうかなり難しいクラスと言えます。 教室の環境はこれだけで一変します。 学級担任は30人なり40人なりの子ども達を朝から帰りまで見ます。 狭い教室の中で、5時間から6時間の授業、それに掃除や給食も面倒みます。 難しいクラスを受け持つと、1日の間にケンカの仲裁だけでも何度もします。 時には怪我をして、親に謝りの電話も入れます。 放課後は会議やさまざまな事務処理で追われます。 集団の生活に適応できない子が一クラスに4人も5人もいればもうお手上げです。 こうなると担任を補助する人がどうしても必要になります。 集団の中では手のかかる子でも、個人的にはそれぞれかわいいところがあり、家ではまた違った面を見せているということが多いと思います。 パンドラさんが一緒に過ごされる放課後の子ども達もきっとそうだろうと思います。私もそうです。 しかし、これが30人や40人の集団をある一定の規律の中で生活させようとすると、そこにさまざまな困難が生じてくるのです。 一クラスの定員を減らすことや、担任の補助をする人をつけるようにしていかないと、これからの学校はますます難しくなりそうです。 パンドラさんのご質問の意図とは違った話になってしまいました。 でも、ここに書いたことが多くの教師にとっては、教室にいる限り一瞬たりとも逃げることの出来ない切実な問題なのです。 集団の生活に適応できない子の中には、先天的な発達障害(ADHDやアスペルガー)を持っていると思われる場合が多いです。 最近は特にこのケースが多いと感じます。 しかし、親自身がこれを自覚できていず、自分の育て方が悪いと思っていることがよくあります。 私は子どもの様子を見て発達障害の可能性を感じるときは、チャンスを見て、親に病院で診断を受けるように話を出しています。 もちろん、家庭環境が原因の子もいます。 パンドラさんが気になさっている家庭内虐待のケースも中にはあるかもしれません。 しかし、私の学校ではそれほど深刻なケースは耳にしません。 不登校になったり、アレルギーが出たりという子はいますが、これはごく少数です。 このほかに、親の育て方や社会環境の変化が原因のケースももちろんあり、これが深刻さを増していると感じていますが、これについては、また機会を改めまして・・・ |
▼団塊党さん: こんばんは この時期先生方は年度末で一番お忙しい時期ですね そんな時に私の質問にレス頂きあろがとうございます >また、教師一人では背負いきれないほど手がかかる子が増えてきているというのは、私の個人的な印象ですから、これが日本の子ども達の傾向だということではもちろんありません。それを前提にお読み下さい。 > >学校では何と言っても、集団の生活に適応できない子は指導が難しいです。 > >授業中、落ち着いて席に着いていられない子、または席に着いていても絶えずがたがたと物音を立てたり、大声を出したり隣の子にちょっかいや乱暴をふるう子は、一般の方が想像する以上に教師を困難に陥れます。 >一クラスに3人もいればもうかなり難しいクラスと言えます。 >教室の環境はこれだけで一変します。 今、よく言われている学級崩壊にも繋がりかねないですね >学級担任は30人なり40人なりの子ども達を朝から帰りまで見ます。 >狭い教室の中で、5時間から6時間の授業、それに掃除や給食も面倒みます。 >難しいクラスを受け持つと、1日の間にケンカの仲裁だけでも何度もします。 >時には怪我をして、親に謝りの電話も入れます。 >放課後は会議やさまざまな事務処理で追われます。 本当に先生方は何故子どもに関わること以外にあんなに忙しいのでしょう 私の子どもが小学校へ通っておりました頃も先生は出張が多くて自習の時間 も多々あったように思います。 >集団の生活に適応できない子が一クラスに4人も5人もいればもうお手上げです。 >こうなると担任を補助する人がどうしても必要になります。 そうですね、一人ではなく副担任制も必要ですね >しかし、これが30人や40人の集団をある一定の規律の中で生活させようとすると、そこにさまざまな困難が生じてくるのです。 学校はやはりきちんとしたかカキュラム、文部科学省の指導要領に乗っ取って 運営されていますものね >一クラスの定員を減らすことや、担任の補助をする人をつけるようにしていかないと、これからの学校はますます難しくなりそうです。 そうですね、この問題は最早一教師の方の努力や力量では対処出来ない所迄 来ているのですね >でも、ここに書いたことが多くの教師にとっては、教室にいる限り一瞬たりとも逃げることの出来ない切実な問題なのです。 おっしゃる通りです、今先生方がある意味とっても大変な立場におられるのは良く 分かります。 一クラスの子どもの数を減らして、副担任制を取り先生がクラスの一人一人の 子どもとじっくり付き合えるような環境にしていかないと先生と子ども達の 信頼関係を築くのも難しいかと思います。 私の職場は一年生から六年生ませ80人以上の子ども達がおりますが 一人ではなく複数で指導に当たっています。 >集団の生活に適応できない子の中には、先天的な発達障害(ADHDやアスペルガー)を持っていると思われる場合が多いです。 >最近は特にこのケースが多いと感じます。 そうですね、私の所にはADHD,やLD(学習障害)、ダウン症、自閉症、の子ども 達がいます 自閉症の子どもは、こだわりが強く、気が済む迄望むことをやらないとパニック になって暴れます。 異常に切れやすい子ども、もいます。 多分子ども達の生活の場である私の職場は学校より決まりも緩やかで 集団生活と言っても子ども達ものびのび過ごしているのだと思います。 だから色々な子ども達がごった煮のように生活しながらまだ保っている のかもしれません。 思いのほか多いのは虐待の疑いのある子どもです 月曜日に必ず両足の太ももに煙草の火による火脹れのような 跡が見える子どもがいます。 又両方の頬を真っ赤に腫らして来る子どももいます 児童相談所と連絡を取り担任の先生や校長先生とも相談し、その子が分からない 内に皆で写真を取って証拠として提出したこともあります。 本当に先生にとっても子ども達にとっても今は大変な時代なのだと思います ころころ変わる文科省の指導方針と時間と気持ちに余裕が持てない環境の中で 毎日子ども達に接して行くのも大変なご苦労がおありだとは思いますが 団塊党さんの「学ぶということ」のスレッドの発言を拝見いたしまして 真摯に子ども達と毎日向き合っておられる先生と思っております。 それにしても、大変ですね‥。 |
団塊党さん、こんにちは。 > 先日の新聞で子どもが「オレ様化」していると書いていました。 > 他の誰よりも自分が偉いんです。 > 親の育て方にもよるでしょうが、社会の中にも子どもを「オレ様 > 化」させる要因があるような気がします。 > > 先日、隣のクラスの担任がちょっと子どもに注意したら、その子が > 顔を真っ赤にして怒る場面を見ました。 > こんな子はごく一部ですが、多くの子どもの意識のそこには「オレ > 様化」が進行しているのかも知れません。 そういった傾向は、もうずいぶん前から静かに進んでいて、すでに 「若い大人のオレ様」が、だいぶ見られるように思います。簡単に 言うと、「他者からの当たり前の批判」に、ものすごく弱いんです。 しばらく前、実家の母が、ある飛び込み訪問セールスマンのことを 話していました。普段は見知らぬ訪問販売員には玄関も開けないが、 そのときは気まぐれで、玄関先でしばらく相手をしたら、あまりに 態度も口のきき方も横柄なんで、一言二言注意して追い返した。 そうしたら、帰り際に庭先の辺りからこちらに向かって、「そんな 言い方しなくたっていいじゃないか! 覚えてろ!」とかなんとか、 周りにも聞こえるような大声で、それこそ顔を真っ赤にして怒って、 捨てゼリフを怒鳴り散らしていったというんです。 うちの母は、背丈は150センチに満たない小柄な女ですし、見た目も ポワンとしていて、人に注意をするにしても、怒鳴ったり頭ごなしに 押し付けたりするのは、息子の私だって見たことがないような人間 です。それに第一、もう75歳のオバアチャンです ^_^; それを、いやしくも販売営業の仕事をしている人間が、見込み客に ちょっと小言されたからといって、辺りも憚らずに悪口雑言を撒き 散らしていったというのですから。まぁ、後からその話を聞いて、 母と二人でひとしきり大笑いして、茶飲み話のネタにしましたが。 ある意味で昔からよく言われてきたことですし、私自身、このごろ よく思うんですが、人から何か嫌なことを言われたときに、それを まともに受け止めて、グサッと傷ついちゃうような「馬鹿正直者」の ほうが、案外見込みがあったりもするんじゃないでしょうか。 そのセールスマンも、団塊党さんの隣のクラスの子供も、端からの 「きつい言葉」を、いちばん上辺でガードしちゃってるんだろうと 思うんです。たぶん、普段はけっこう周りにもやさしかったりする。 やさしくて、お互いに「もう一歩踏み込む」のを慎重に避けている。 でも、もちろん程度の問題はあるんですが、相手から言われたことが 正しいかどうかによらず、それを馬鹿正直に受け止めちゃったり、 それで傷ついたり、落ち込んじゃったりとか、そういったことにも、 案外大切な意味があるんじゃないかと、思ったりもします。 昔の人の言葉を借りれば、苦労は買ってでもしろとかいうのには、 こういったことだけではないと思いますが、けっこういろんな意味が 含まれているんじゃないのかなぁと、思ったりもするのです。 |
▼ぎみゆらさん >そのセールスマンも、団塊党さんの隣のクラスの子供も、端からの >「きつい言葉」を、いちばん上辺でガードしちゃってるんだろうと >思うんです。たぶん、普段はけっこう周りにもやさしかったりする。 >やさしくて、お互いに「もう一歩踏み込む」のを慎重に避けている。 なるほど、そうですね。 私が例に挙げた子はまさにそうです。 優しいところを持っています。 パンドラさんへのレスでも言ったのですが、一人一人の内面にはどんな子にも隠れた良さがあります。 ところがこれが集団の中に入ると、けっこういろんな難しさが出てくるんです。 今の学校のシステムには、こういう個性の強い子を包み込むだけの包容力がありません。 一クラスの定員を30人にするとか、教師の数をもっと増やすとかいうことは何を置いても実現して欲しいところです。 もちろん、それだけでなく、学校は学校でさまざまな改革をしていかなければ、これからの時代には対応していけません。 無駄を省いて教師の力を子どもをよくしていくという一点に集中していけるような方向で改革していく必要があります。 >でも、もちろん程度の問題はあるんですが、相手から言われたことが >正しいかどうかによらず、それを馬鹿正直に受け止めちゃったり、 >それで傷ついたり、落ち込んじゃったりとか、そういったことにも、 >案外大切な意味があるんじゃないかと、思ったりもします。 > >昔の人の言葉を借りれば、苦労は買ってでもしろとかいうのには、 >こういったことだけではないと思いますが、けっこういろんな意味が >含まれているんじゃないのかなぁと、思ったりもするのです。 ぎみゆらさんが仰るように傷ついたり、落ちこんでしまったりということは大切だと思います。 軽く傷つくことはけっこうあるんですが、深く自分の中に沈み込んでいくような悩みとか、不安とか、孤独とかそういう人間を寡黙にし、深く感じさせるようなものは少ないですね。 苦労は本当に買ってでもさせたいですね。 しかし、これを心底理解し実行できる親は私も含めて少ないでしょうね。 やはり、どこか思い切って突き放せません。 今の社会はあまりにも危険な誘惑がころがっていますからね。 |
昨年、拙宅にホームスティした留学生はコミックマートのために来日?! 開催期間中、連日ビッグサイトに出かけていました。そこで出会った コスプレ軍団のいずれもが彼女のデジカメのなかで、ニッコリポーズを 決めていました。「みないい人よ!」。奇抜な姿かたちをものとともせず、 人を見た目でなんかで判断せずに、気軽に声をかけては情報交換をしたらしく 毎日が弾んでいました。 国境をスルリと越えて行動できる若い世代はたしかに育っていますね。 |
パンドラさん 三吉さん ぎみゆらさん ちょこちょこ開いて気にはなっているのですが、ここ数日、仕事が立て込んでいますので、レスが出来ない状態です。 申し訳ありませんが、一段落するまでしばらく時間を下さい。 |
団塊党さん 他このスレッドに参加されてる皆さまへ こんにちわ! 昨晩、NHKスペシャルと云う特集番組をみて色々と考え させられた。列強・諸外国の圧力かわしてあの困難な時代を 切り抜けた明治の先達が第一に取り上げた重要課題は教育の 重視にあったとされてます。 寺子屋から小学校それも全国に配置して国民が等しく教育を 受ける機会を創ったこと・。 高等教育ではお雇い外国人教師を導入して日本人の中から 高等教育を任せられる教師の育成を図った・等々 明治政府は財政的にも厳しい中にあっても教育には格段に 力を入れたようです。 当時の多くの日本人は「ひたむき」に学んだことが外人教師たち のその後日本人観を変えたエピソードなどもあります。 「少年よ大志を抱け」と札幌農学校「北海道大学の前身」の 生徒たちへ別れに際して残した言葉は良く知られてることでも あります。 今、勉強する理由云々が論じられてますが、教育の原点とは 何かを・もっと単純に考えてみる必要があります。 人間として生きる為には「学ぶ」ことは極めて大切です。 「学ぶこと」「勉強すること」は言葉尻を捉えるようですが 何処か異なるように思えます。 テレビ映画「おしん」そ主人公「おしん」が子守をしながら でも学びたいと思ったのは何だったのでしょうか・? どうも学びが原点を外れて「ハウツー」になってしまた・ との感は・・正直・否めません。 今、混迷と云われてる時代の変わり目、潮目にあって 「先祖帰り」ではありませんが、明治時代のことを考えて 見る必要があるように思います。 ・・先祖帰りの注釈・・ 作物や家畜の品種改良のされたものが幾世代かを経ると 能力が低下してしまいます。その一旦低下した能力を再び 蘇えさせる方法として幾世代前か、或いは野生に近い原種を 配合させることで能力を再び向上させることが出来ます。 パソコンの場合でもOSの働きが悪くなったときに リセットを掛け行為も・OSの再セットアップなども意味として この範疇に入ります。 |
▼珍 源斎さん レスが遅くなりました。 >今、勉強する理由云々が論じられてますが、教育の原点とは >何かを・もっと単純に考えてみる必要があります。 > >人間として生きる為には「学ぶ」ことは極めて大切です。 >「学ぶこと」「勉強すること」は言葉尻を捉えるようですが >何処か異なるように思えます。 各地の学校をまわって一万回(二万回だったかもしれません)を超える授業を観て歩いている教育学者の佐藤学氏は、学びには対話があるのに対して、勉強には対話がないと言っています。 学びには必ず自分や他人との対話、物との対話があると言っています。 人は自分や他人や物との対話を通して、考えをすり合わせながら何事かを学ぶというのです。 学ぶことの本質を簡潔に言い当てていると思います。 >テレビ映画「おしん」そ主人公「おしん」が子守をしながら >でも学びたいと思ったのは何だったのでしょうか・? > >どうも学びが原点を外れて「ハウツー」になってしまた・ >との感は・・正直・否めません。 > >今、混迷と云われてる時代の変わり目、潮目にあって >「先祖帰り」ではありませんが、明治時代のことを考えて > >見る必要があるように思います。 学ぶことにくっついてしまった余分なものを取り払って、学ぶことの本質に帰るということでしょうか。 もしそうでしたら、私も同感です。 佐藤氏流に言えば、自己や他との対話、物との対話のある学びを実現することと言えるかも知れません。 また、今泉博という教師は基礎を豊かに学ぶことの大切さを言っています。 あれもこれも雑多な脈絡のない知識を詰め込むのではなく、人類の築いてきた文化遺産のエキスを豊かに味わせることを語っています。 学ぶ喜びのないところに豊かな学びはないと私も思います。 これを実現するのは実は大変なんですが・・・子どもが過密な教室、親の要求、役所の要求、カリキュラムの制約、教材研究の時間の無さ、受験、等々の障壁があるだけでなく、それ自体が簡単なことではありませんので・・・ しかし、目指す方向はこれだと思います。 学力論争も、学ぶことの本質をよく吟味した上で行う必要があると思います。 学力低下という時の学力を一体どうとらえるのか、そこを抜きにして学力低下という言葉がムードだけで語られると非常に危険な気がします。 文科省(大臣も含めて)はその辺をどう考えているのかさっぱり分かりません。 世論が学力低下を叫び出すと、すぐそれに流されてしまう。 情けなくなってしまいます。 |