Page 549 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼つつじ型政治の行く末 流水 04/5/19(水) 22:54 ┗Re(1):つつじ型政治の行く末 ニック 04/5/19(水) 23:41 ┗赤信号、皆で渡れば怖くない、、、 シンシン 04/5/22(土) 15:09 ─────────────────────────────────────── ■題名 : つつじ型政治の行く末 ■名前 : 流水 ■日付 : 04/5/19(水) 22:54 -------------------------------------------------------------------------
花の散り方には、三種あるそうである。 はらはらの桜型。ぼたりの椿型。朽ちていくつつじ型の3種だそうである。(天声人語) 古来より、日本人は、桜型にシンパシーを感じていた。 ●落花して すべての花の 地に還る (佐竹 弘江) 桜の花のはかなさに、人生のはかなさを写したのである。そして、一瞬の美しさ(純粋さ)にすべてを賭けることに、無上の美しさを感じたのである。 武士道と桜が一対のものとして語られるのも、その「散り際の潔さ」が強調されるからである。(散華の美学) それに比べて、西欧の美しさは、薔薇に象徴される。新渡戸稲造は、「散らんよりもむしろ枝上に朽つるを選び、あたかも死を嫌い恐るるが如く」と書いた。(武士道) 新渡戸は、西欧人の個人主義(個の強さ)を薔薇の朽ち方に象徴させたのである。 薔薇のように、一輪一輪の美しさを際立たせて、生への執念をあらわにして、朽ちていく。 新渡戸の時代は、桜と薔薇の散り方の対比で、西欧と日本の比較ができたかも知れないが、戦後の日本人にはこの比較は当を得ていない。 わたしの故郷では、春になると山つつじが一斉に花を開く。 学校への行き帰りの山つつじの美しさは、目に焼きついている。しかし、一斉に咲いたつつじは、一斉に朽ちる。 つつじは、薔薇のように一輪の美しさはない。特に、山つつじの一輪一輪は、小さく可憐な花である。 それが、山一面を黄色の花で染めるのは、一斉に咲く「集団の美」である。 しかし、それが一斉に朽ちていく様は、哀惜の念に駆られる。 わたしは、日本人は昔から「山つつじ」ではないかと思っている。新渡戸のように桜と武士道を結びつけて日本人を論じるのは、無理があると考えている。 桜と武士道は、支配の論理に過ぎないと考えている。 ところが、昨今の政治家・官僚などの支配層は、「薔薇」のように咲き誇るわけでもなく、「桜」のような散り際の潔さもない。 彼らの散り際は、「山つつじ」の朽ち方そのままである。 しかも、「山つつじ」のような集団の美もなければ、一輪の可憐さもない。 朽ち果て方も山つつじのような「哀惜の念」を掻き立てるわけでもなく、ただその醜さが際立つばかりである。 年金国会は、国民の目の前で、「山つつじ政治家」の腐臭ただよう朽ち果て方をさらしただけである。 さらに、無残なのは、政治家にその自覚がないことであり、国民がその腐臭に慣れてしまったことである。 せめて、「桜」の美しさとは言わないまでも、「山つつじ」の可憐な美しさぐらいは見せて欲しいものである。 |
政治家になる為の心得。 1.ばれない嘘をつく事、又は明らかな嘘を堂々と述べてさも本当に見せかける事。 2.危機に落ち入った時に開き直る事の出来る度胸。 3.貰えるものは何でも貰う。 4.強きを助け(大企業)、弱気を挫く事(国民、中小企業)。 5.アメリカに対して滅私奉公をする事。 政府が消費税を上げて国民の負担を増やした分がおよそ15兆円、大企業に対し優遇税制を敷き、負担を減らした分がおよそ14兆円だそうです。 流石は自浄能力の無い与党、財界とつるんでますなぁ。 某長官は軍国化して保有株で利益を上げる事に熱心ですし、某長官は前任者が辞めたばかりで人材派遣会社からマネーを受け取っていた事が発覚・・・・所謂財テクと言うヤツでしょうか?、一般庶民には思いつきもしない方法ですねぇ。 |
要するに、日本人の政治家・官僚さんというのは、総じて小粒であって 本来、一人では何も出来ない、人畜無害的な、でも地元民の信頼 というか、票をくれれば利権を誘導してくるだけのマメさはあって 業界・企業には献金さえしてもらえば、諸々裏で手を回して善処させて 頂きますという健気さが信条の、利害関係で対立する相手に対しても、 お金を仲介して「ここはひとつ・・・」で、見事に仲直りも出来る? お利口さんな人達であった、ということなのでしょう。 一人一人の人間は、政治家さんも官僚さんも、かなりお勉強も出来て 弁も立つ、容姿もそう悪くはないのかどうかは関係あるのかないのか 要は人間が誰しも内側に持つ、好い加減な部分、弱い部分を 「お互いしょうーがないよねそれは、、、」と、過小評価して、甘やかして、 傷を舐め合っている内に、その悪い部分がじわじわと積もりに積もって、 にっちもさっちも行かなくなってしまった、巨悪と呼べる大きさに いつの間にか成長してしまったということじゃないのでしょうか? まぁ、ここはひとつ、思いっきり全部完全に壊してしまって 意識の高い、自分に甘くない、有能の士、を政界・官界に送り込む、、、 言葉で言えば簡単なんですが、一度全部、世の中の実態というものを 洗いざらいぶちまけて整理して、今、議員・官僚が全員総辞職・引退 さえしてくれれば、これまでの罪・悪事は全部ちゃらにしてやる・・・ として、リセットしてしまえられたなら、あるいは 世の中は 善くなる? のかなぁ、とぼんやり考えもする今日この頃です。。。 |