Page 1042 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼自動車の所有の負担の重さを考える・ 珍 源斎 05/10/12(水) 9:48 ┣車の経費 たけチャン 05/10/12(水) 11:11 ┣脱自家用車? キタキツネ 05/10/12(水) 11:36 ┣Re(1):徒歩圏で用の足せる街へ・ 珍 源斎 05/10/12(水) 12:33 ┃ ┣Re(2):徒歩圏で用の足せる街へ・ キタキツネ 05/10/12(水) 14:56 ┃ ┃ ┣Re(3):徒歩圏で用の足せる街へ・ 珍 源斎 05/10/12(水) 17:16 ┃ ┃ ┃ ┗個人主義者の限界 たけチャン 05/10/12(水) 18:44 ┃ ┃ ┗Re(3):徒歩圏で用の足せる街へ・ キタキツネ 05/10/12(水) 18:34 ┃ ┃ ┗Re(4):徒歩圏で用の足せる街へ・ 珍 源斎 05/10/12(水) 21:21 ┃ ┃ ┗Re(5):徒歩圏で用の足せる街へ・ キタキツネ 05/10/13(木) 9:18 ┃ ┃ ┗Re(6):徒歩圏で用の足せる街へ・ 珍 源斎 05/10/13(木) 10:37 ┃ ┃ ┗Re(7):徒歩圏で用の足せる街へ・ キタキツネ 05/10/13(木) 11:41 ┃ ┃ ┗Re(8):徒歩圏で用の足せる街へ・ ワクチン 05/10/13(木) 12:45 ┃ ┃ ┗Re(9):徒歩圏で用の足せる街へ・ キタキツネ 05/10/13(木) 13:10 ┃ ┗Re(2):徒歩圏で用の足せる街へ・ ギアえもん 05/10/12(水) 21:47 ┃ ┗Re(3):徒歩圏で用の足せる街へ・ 珍 源斎 05/10/13(木) 11:04 ┣Re(1):自動車の所有の負担の重さを考える・ J.I 05/10/13(木) 5:12 ┣Re(1):自動車の所有の負担の重さを考える・ しまったk2 05/10/15(土) 23:33 ┃ ┗Re(2):自動車の所有の負担の重さを考える・ 珍 源斎 05/10/18(火) 0:54 ┃ ┣Re(3):自動車の所有の負担の重さを考える・ キタキツネ 05/10/18(火) 8:37 ┃ ┃ ┗Re(4):自動車の所有の負担の重さを考える・ 珍 源斎 05/10/18(火) 10:14 ┃ ┃ ┗Re(5):自動車の所有の負担の重さを考える・ 健太郎 05/10/18(火) 20:05 ┃ ┃ ┗Re(6):自動車の所有の負担の重さを考える・ 珍 源斎 05/10/18(火) 21:50 ┃ ┃ ┗Re(7):自動車の所有の負担の重さを考える・ 健太郎 05/10/19(水) 11:47 ┃ ┗Re(3):自動車の所有の負担の重さを考える・ しまったk2 05/10/18(火) 21:49 ┃ ┗Re(4):自動車の所有の負担の重さを考える・ 珍 源斎 05/10/18(火) 22:38 ┗Re(1):自動車の所有の負担の重さを考える・ ごまめの翁 05/10/16(日) 9:57 ┗Re(2):自動車の所有の負担の重さを考える・ 珍 源斎 05/10/17(月) 10:45 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 自動車の所有の負担の重さを考える・ ■名前 : 珍 源斎 ■日付 : 05/10/12(水) 9:48 -------------------------------------------------------------------------
首都圏ではデイーゼル車の法規制が厳しくなり私の車も デイーゼル乗用車「三菱スペースギヤー」であるので今年の車検が 最終となり以後は首都圏では所有が出来なくなると云うこと・。 大切に乗ってましたので7年を経過した現在でも外観をメカも 殆どやつれは無く新車当時のままです。 で比較的に車重があるにも関わらず燃費も13Km/リットル の優れものでしたが・・・、 来年以後は廃車にするにしても経費を要することになりますので 残念ながらガソリンエンジン車に乗り換えることにしました。 改めて自動車に関係する税金を含め諸々の経費が多額なのに 改めて憤りさえ覚える始末です。 私も仕事「事業」に使用しなければ自動車は所有する必要は ないのですが、普通のサラリーマン家庭での自動車の所有は 家計に大きな負担ではないかと思います。 思い切って脱・自家用車にしたら生活へのゆとりも大幅に 増えるのではないかと・手取り早い豊かさの追求には自動車の所有を やめることにあるように思われます。 |
私は約150万円くらいの軽自動車に乗っています。時々、客先に行く時、車がどうしても必要になり、乗っています。仕事も2、3年で引退するつもりである。それまでの間は、どうしても必要である。仕事以外では、旅行は電車がいいし、買い物は歩けば、かえって健康的で長生きできるからいいと思っています。 ところで、車に関係した経費は、150万円を3年で償却すると一年当たり50万円、税金、ガソリン代で約年10万円の計60万円である。月にすると5万円である。これは、私にとっては最大の出費である。年金だけで生活する場合には、削りたい出費になります。あまり必要でもない出費を抑えて、浮いたお金で豪華に旅行するのが私のスタイルである。 |
脱自家用車ね、う〜ん……。 自家用車を止めて生活に支障のない人は止めたら良い。人それぞれ、大いに賛成だ。 しかし、首都圏のような便利なところは、自家用車は必要ないだろうが、北海道では自家用車は必需品だ。 歩いていけるところに店はなく郊外の大型店ばかり、近所に銀行もなければ、郵便局はない(郵政民営化なる前に、郵便局は既に閉鎖されたところたくさんある)。挙句は歳をとるごとに病気は増えるのに近所に病院はない。私などは週に2回も病院通いだ。タクシーを使えば何千円も取られる。 こういう状態では自家用車を止めるわけにはいかない。出来れば冬道などは運転などしたくはないが、背に腹は返られない。老人や、障害者専用の福祉バスでも走らせてくれれば別だが。 最近はもみじマークをつけて、ノロノロ走る年配者の車が富に増えた。交通渋滞の原因になるとか、交通事故の原因になるとか簡単に言ってくれるが、じゃどうすればよいのだ。教えてほしい。 地方切捨てが益々進む……。都会に住む「恵まれた老人」には分からないだろうなぁ。 |
青森市や一部の都市では徒歩圏で用事の足せる街への試みが 実施に向けて検討されてると聞いたことがあります。 徒歩で無くても市街電車などを利用することで高齢者でも 手軽に出かけることが出来る人にとって優しい街へ・との 試みと云うか実施されてる処はオランダ、ドイツ、スエーデン 等々の国々では既に定着しており、自動車の街への乗り入れは 規制されてるそうです。 これらが実施されることにより街の空洞化による商店街が 寂れることも避けられて街が賑やかになることなど・ 楽しめる街造りに叶うように思われます。 日本では函館市、松山市、長崎市など市街電車が残ってる 街では雰囲気的にも暮らし易いのではないかと訪れる度に 感じてます。 都市の再開発が云々されてる昨今、高齢者に住み易い 街造りに資源を集中すべき・だと思います。 引いてはそれが高コスト構造と云われてる日本の現状を 是正する道に通じると思います。 |
>日本では函館市、松山市、長崎市など市街電車が残ってる >街では雰囲気的にも暮らし易いのではないかと訪れる度に >感じてます。 たまに観光に訪れる人には、そう見えるのですかね? 雰囲気的だけで暮らしやすいと言われてもね……。 函館の市電は、今や観光の目玉としての役目しかありません。たった一路線しかなく、オフィス街も移り、住宅街も大野、七飯、上磯方面に延び、市電は通勤の足としての役目は終わったといえます。 冬季は路面が凍り、交差点内の線路では、思わずスリップしての交通事故が多発しています。市民としては残してほしいが、赤字は増えるばかりで、いつまで存続できるやら……。 なかなか住んで見なければ分からないものです。 |
函館市も札幌市も住んで暮らしたことがあります。 冬のササラ電車も良く知ってます。 札幌は市電より地下鉄が便利になりましたが市の経営が 問題なのか赤字で困ってるようですね・ 地下鉄路線を中心とした自動車に頼らなくても良い 街造り、郊外より冬場でも交通アクセスのよい場所への 住み替えは高齢者にとって必要のようです。 私の知人も郊外の住宅を処分して地下鉄駅へ徒歩2分の 高層住宅へ住み替えしました。買い物でも何でも便利この上 ないとご機嫌の様子です。 寒冷地では庭付き一戸建てより集合住宅の方が住み易いの ではと思います。 家賃の比較的に安い集合方式の公営住宅「借り上げでも良い」 にして高齢者に住んでもらうようにすることの道や市の施策が あっても良いのではないかと思います。 今後は地域・毎の住み易さを競争する時代になることも 予想されます。既に先取りしてる地方もあるようです。 多くの人たちに機嫌良く健康的に住み着いたもらうように することが地方の行政としては考えねばならぬ処です。 生活コストを低下せしめんと考えると・自ずから、努力すべき 方向性は決まってくる・と21世紀の住環境について若い代議士の 「アイデイア」を聞いたことがあります。 |
▼珍 源斎さん: 北海道には2回旅行したことがあります。今年の6月に行きました。ラベンダーの花が丘一面に咲くという農園にも行きました。「北海道は広くて大きいな」という印象でした。身近には無いものを、人は求めるのでしょうかね。眺めるだけなら良いが、そこで生活するとなると、場合によっては大変かもしれない。個人的には、一時間くらいなら良く歩いています。山道を8時間も歩いたこともあります。人それぞれの趣味でしょうかね。 趣味ではなくて、実際の生活の問題となると、老人むきの集合住宅はこれからずいぶん必要になると思います。必要なものは工夫して作れば良いじゃないかというわけで、アジア、アフリカでは住宅ではなくて交通手段の共有化が進んでいます。アフリカではタクシーと言えば、普通乗用車に10人くらいが詰め込まれる乗り合いバスならぬ、乗り合いタクシーだったりします。フィリピンでは20円くらいで乗れるジプニーが普及しています。何事も、必要性が必要条件になると思います。 必要条件に対して、十分条件もあると思います。誰が主体となって、乗り合いタクシー、ジプニーを運営するかということです。約50万円くらいの資金があれば誰でもできるようです。日本の老人向けの集合住宅の場合はどうでしょうか。老人ホームとか、特養老人施設が公的に運営されていました。特殊ではあるが、一種の集合住宅ともいえます。公的な集合住宅はなぜか、老人には人気がないようです。最近は私設の老人施設も増えています。老人本人が希望して入るのだから、人権にも十分な配慮がなされていると思われる。 最近はNPOが増えてきました。都会でも結構、空き家が増えている。1年で蜘蛛の巣がはり、埃もたまり朽ち果てていくわけである。これは、見方によれば資源の無駄使いである。無駄な資源を、家主からただで借りて、都会の老人の集会場として使っている例もあるとか。ただでは無くて、証券会社によって空き家を証券化すれば、家主にはカネが、利用者には安価な住まいと、利便性が提供できる。そのような仕組みを提案しているNPOもあるとか聞いています。 私のような個人主義者ではなくて、多くの方々の必要性を考慮しながら、利便性を提供できるNPOが活躍してくれればと思います。 >函館市も札幌市も住んで暮らしたことがあります。 >冬のササラ電車も良く知ってます。 > >札幌は市電より地下鉄が便利になりましたが市の経営が >問題なのか赤字で困ってるようですね・ > >地下鉄路線を中心とした自動車に頼らなくても良い >街造り、郊外より冬場でも交通アクセスのよい場所への >住み替えは高齢者にとって必要のようです。 > >私の知人も郊外の住宅を処分して地下鉄駅へ徒歩2分の >高層住宅へ住み替えしました。買い物でも何でも便利この上 >ないとご機嫌の様子です。 > >寒冷地では庭付き一戸建てより集合住宅の方が住み易いの >ではと思います。 > >家賃の比較的に安い集合方式の公営住宅「借り上げでも良い」 >にして高齢者に住んでもらうようにすることの道や市の施策が >あっても良いのではないかと思います。 > >今後は地域・毎の住み易さを競争する時代になることも >予想されます。既に先取りしてる地方もあるようです。 > >多くの人たちに機嫌良く健康的に住み着いたもらうように >することが地方の行政としては考えねばならぬ処です。 > >生活コストを低下せしめんと考えると・自ずから、努力すべき >方向性は決まってくる・と21世紀の住環境について若い代議士の >「アイデイア」を聞いたことがあります。 |
>私の知人も郊外の住宅を処分して地下鉄駅へ徒歩2分の >高層住宅へ住み替えしました。買い物でも何でも便利この上 >ないとご機嫌の様子です。 > >寒冷地では庭付き一戸建てより集合住宅の方が住み易いの >ではと思います。 へぇ、それはそれは……。よほど経済的に恵まれた方なんでしょうね。 私はそれがかなわなくて、郊外に一戸建てを建てました。人それぞれ事情がありますんで、なか々々理想どおりにはいかないものです。 それに地下鉄とおっしゃいますが、けっして老人や、障害者にとっては便利なものじゃありません。 階段の上り下りが大変きつくて、ましてや、乗り継ぎなどの時には音を上げます。うちの妻は障害者なので無料なのですが、未だ地下鉄は利用したことがありません。中心街にどうしても行かなければならないときには、高いけどタクシーを使わざるを得ません。 あなたは恵まれた方のようですから、いろんな選択の幅があるようで、うらやましい限りですが、貧乏人はできない相談です。 |
小さい切り口から話題の展開をせねばならぬ事により 狭い処から入らねばなりませんが・ 私の云いたいのは個人としての経済的な裕福か否かのこと ではなく、自動車主役の社会から人間主役社会へと変換を図らねば・ とするところが本意ですので、其処の処を誤解のないように・。 札幌の地下鉄でもバイリヤーフリーの施設を充実されつつ あります。主要駅には必ずエレベーターが設置されつつあります。 新札幌駅・大通り・大通り10丁目、琴似など等駅には既に 設置されてます。 首都圏のJRや私鉄の駅にもバリヤーフリー化が徐々に 設置されつつあります。 高齢者対策にもバリヤーフリーは有難い施設です。 地下鉄などへのアクセスし易い近い処へ空きビルの有効活用など で家賃の安い賃貸住宅を手当することも決して難しくないと 思います。 要は知恵と実行力の有るか否かのことであると思います。 今までは面として広がった生活のエリアを広がりを抑える だけでなく中心へ復帰させること・が、 人間が主役になる社会構造へと変換させることの試みが 今、実施へと検討されてる処です。 実際に北欧やヨーロッパの都市へ実状視察に出向いてる 議員や行政マンがおりますが、実際に日本でそれが可能か 実施に及ぶまで「まだまだ」日時を要すると思います・・・。 市街電車の復活への地方都市での取り組みが緒についた処も あります。低床式で高性能の市街電車用の車両は既に設計段階から 製造されてます。一部はヨーロッパから輸入されてる車体も あります。 給電架線「トロリー」を必要としない次世代型の市街電車用の 車体が試作されてます。 このままでは人間の暮らし易い街が消滅してしまうのでは ないかと懸念される処から・・の取り組みが始まってるように 感じます。地方都市、同士の競争になれば事態の進展は早まる ものと期待されます。 |
>小さい切り口から話題の展開をせねばならぬ事により >狭い処から入らねばなりませんが・ そうでしたか。私はまたこのスレッドの始めに、自分の乗っているスペースギアをひとくさりした後に、ガソリン車に乗り換え云々――そしていきなり脱自家用車ときたものだから、あれっ、この人何を言いたいのだろうと、不思議に思ったのでございます。 なにか、お金持ちが自分の事をさておいて、貧乏人は自家用車など乗らないで、電車に乗ったらよい、と聞こえたものですから……。貧乏人の僻みですかね。 そういえばむかし、どこぞの国の総理大臣が、「貧乏人は麦を食え」といって物議を呼んだ事を思い出しました。 >札幌の地下鉄でもバイリヤーフリーの施設を充実されつつ >あります。主要駅には必ずエレベーターが設置されつつあります。 >新札幌駅・大通り・大通り10丁目、琴似など等駅には既に >設置されてます。 札幌に住んでいる私より詳しいんですね。いや〜、御見それしました。エスカレーターは良く利用するのですが、エレベーターがあるのは知りませんでした。 しかしね、私は清田区に住んでいるのですが、家からバス停まで、健常者の足で10分、私の妻なら、20分はかかります。例えば真駒内まで行こうとすると、バスで地下鉄大谷地駅まで行き、そこで地下鉄に乗り換え、東西線で大通り駅まで行きます。 大通り駅で地下鉄南北線・真駒内行きに乗り換えるのですが、これがまた大変、東西線乗り場から、南北線乗り場までかなりの距離を歩きます。目的の真駒内に着いたときにはくたくたです。 だいたい、公共交通って通勤通学を第一目的にしているので、高齢者や障害者の対策は二の次ですよ。 あなたの言っている事は、やっぱり、金持ちの戯言に聞こえてしまうのですよ。【自動車の所有の負担の重さを考える】などとした切り口じゃなく、「21位世紀の公共交通を考える」とか「マイカーと公共交通を考える」とか、せめて公共交通機関のあり方を持ってくれば良かったのですよ。 まぁ、自家用車がなくても、不便なく生活できる世の中は願っていますが、それまで紅葉マークをつけて、道路をノロノロ走りますので、よろしくお願いします。 |
偏光レンズと云うのがあります。人の目にもひがみ・妬みにより 人の見方、モノの捉え方が狭く歪んで見えることがあります。 私自身、加齢と共に劣情とも云える「ひがみや妬み」による心の 歪みが生じないように努力してます。 年寄りになるほど、その辺りは意識してそれこそ修行する必要が あると師からの教唆を頂いたことがあります。 人をみて全くその通りであると実感します。 それから、老いは早足で身に迫り来るのを感じます。 今は、視力も、視野も、反射もある程度保持してますが、やがて 衰えは自動車の運転には合わなくなります。 高齢ドライバーの人身事故が急増してる交通事故統計が明らかに なってます。 自分自身のドライバーとしての能力が及ばなくなった時は 躊躇無く運転免許は返納してドライバーたる自身に引導を 渡さねばと思う今日この頃です。 |
>偏光レンズと云うのがあります。人の目にもひがみ・妬みにより >人の見方、モノの捉え方が狭く歪んで見えることがあります。 ごあいにくさま。実は私、偏向レンズだいっきらいなんですよ。 それに私は偏った考え方も嫌いでして、常にいろんな方のご意見を聞くようにしています。 車の運転も性格が現れると申します。自分で運転が上手いと過信している人間ほど事故を起こす確率が高いんだそうです。自分の運転の技量を自覚することが一番大事なことですね。 私は運転は自分でヘタだと思っているので、それが功を奏しているのか、未だに無事故、無違反なんです。もっとも、二十数年前に、無謀運転するアホなばか者のお陰で一家死ぬような大事故を経験していますがね……。 今年、免許の更新でした、もちろん、ゴールドです。 あなたは視野が広いようですので、よそ見しないで、スピードを出しすぎず、くれぐれも安全運転をしてください。 ご自愛申し上げます。 |
私の町では雁木があり雨や雪の日でもなんとか歩けるような町・・・でした しかし、最近の新築の家などは雁木を作らずに雁木の流れが途切れています 昔は雁木伝いに近くの商店街でたいていの用は済ませられました。しかし、今では郊外の大型店のために商店街は軒並み店を閉じ、商店街の機能を果たせなくなりました。 つまり車がないと生活できなくなりました。今でも限られた商店には年老いた老人が買い物用の押し車で買い物にきます。 北海道の事情はわかりませんが、昔は車がなくても十分生活できました。近くに商店街があったからです。大型店は確かに便利ですが、年寄りには便利かどうかわかりません。私の父は大型店に行きたがりません。広い売り場を歩けないそうです。 車がなくてもいい社会のほうがいいですよね |
ワクチンさん こんにちは。レスありがとうございます。お元気でしたか? >北海道の事情はわかりませんが、昔は車がなくても十分生活できました。近くに商店街があったからです。大型店は確かに便利ですが、年寄りには便利かどうかわかりません。私の父は大型店に行きたがりません。広い売り場を歩けないそうです。 > >車がなくてもいい社会のほうがいいですよね 北海道も昔はそうでした。 昔は、近所で全て間に合いました。子供が熱を出すと、すぐに近所の薬屋さんに駆け込んで解熱剤を買い求めたり、或いは転んで擦りむいたら、傷薬やガーゼ、包帯を買いに行ったものです。 夕飯の支度をして急に、味噌醤油など切らし時には、すぐに近所の店に駆け込んだり、晩酌のつまみが足りないと言っては買いに走らされたことを思い出します。年寄りにとっては、本当に暮らしやすい時代でしたね。 私は十数年前、ある商店街の活性化に関わったことがありますが、どういうわけか、お店の経営者は大型店の真似をしたがるのですよ。 大型店・いわゆる量販店と、同じことをやっても勝てるわけがないのですが、零細小売業者は、すぐに目先の売りに走っちゃうのですよ。 この頃、いろいろ全国に視察に行ったり、海外のことも勉強しましたが、ドイツの大型店に対する取り組みの仕方が非常に参考になった記憶があります。 私は車の運転はヘタクソなものですから、運転はしたくないのですが、妻の通院にはどうしても、私のヘタな運転で連れて行かなければなりません。 人生は、自分の思うとおりにはいかないものだ、と諦めていますが、車は今のところ我が家の必需品です。 |
▼珍 源斎さん: >青森市や一部の都市では徒歩圏で用事の足せる街への試みが >実施に向けて検討されてると聞いたことがあります。 > >徒歩で無くても市街電車などを利用することで高齢者でも >手軽に出かけることが出来る人にとって優しい街へ・との >試みと云うか実施されてる処はオランダ、ドイツ、スエーデン >等々の国々では既に定着しており、自動車の街への乗り入れは >規制されてるそうです。 > >これらが実施されることにより街の空洞化による商店街が >寂れることも避けられて街が賑やかになることなど・ >楽しめる街造りに叶うように思われます。 > >日本では函館市、松山市、長崎市など市街電車が残ってる >街では雰囲気的にも暮らし易いのではないかと訪れる度に >感じてます。 > >都市の再開発が云々されてる昨今、高齢者に住み易い >街造りに資源を集中すべき・だと思います。 > >引いてはそれが高コスト構造と云われてる日本の現状を >是正する道に通じると思います。 うちは松山の隣りですw 普通の電車に混じって蒸気の列車を模した「坊ちゃん列車が」走ってます。 ときどき、ポッポー!といいます。マラソンのQちゃんや小泉まで乗りました。 何か言いたくなったんです; |
ギアえもんさん こんにちわ! そうですか・私はよく仕事で八幡浜市に出かけますが その折りには必ず道後温泉「銭湯」に立ち寄ることにしてます。 松山市の市街電車や坊ちゃん列車には御地を訪れる度に 利用させて頂いてます。 それから道後温泉駅の近くに子規記念博物館に数回、立ち寄り 展示物を見て明治時代の人々司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれた 覇気に富んだ気風にふれることで何か得るモノがあるように感じました。 今でも愛媛県人の気質にはその伝統を引き継いでる気風を 訪れる度に感じます。良い意味でのローカルカラーです。 >うちは松山の隣りですw >普通の電車に混じって蒸気の列車を模した「坊ちゃん列車が」走ってます。 >ときどき、ポッポー!といいます。マラソンのQちゃんや小泉まで乗りました。 >何か言いたくなったんです; レス有難うございました。 |
皆様へ・・横レス?失礼いたします。 自動車・私は持っていません・まず免許持って 居ませんし、住まいが横浜のど真中で(中区) 自動車必要無いので・・1キロも歩けば郵便局 コンビニ、スーパー、銀行(出張所含み)何軒?? も有りますんで・市内大抵のところは自転車で間 に合ってしまいますから専ら市内移動は自転車・ でも周囲を見ると大抵の家、自家用車お持ちの ようです。 買い物時刻になると(多分)皆様車で出動・・ 横浜なんて狭いところに民家、商家、・・密集して ますからコンビニ、小さいスーパー、駐車場 ありません・で買い物の皆さんずらりと路上駐車 ・それも大きなワンボックスカー?など・・・ 自転車は軽車両、車道を走れ・って言われたって ずらーっと路上駐車では怖くて走れないし、歩道 走れば暴走自転車!って言われるし・・は余談ですが 自家用車族の方、歩きか自転車で間に合うところは 車使われない方が・・・健康にも良いし、CO2対策にも。 でも、一方地方へ行くと、なくてはならないもの・ なんですね。私の妹が10年前くらいかな、某地方大都市 がら同県の小都市に引越ししました・住んだところが 市内とは言いながらJRの駅から車で30分・・(なんで 市内?ですが)車無しでは生きていけないといって・当時 60歳くらいだったか、教習所に通って免許とって、いま 「軽」に乗ってます(もっともその亭主も車持ってますけど) それに・・なんたって自動車産業って国の「産業牽引車」 なんでしょうね・・優秀な車を大量生産・大量消費?しな ければならないからどんどん新車・で買い替え奨励?中古車 は私みたいな自動車無縁族には信じられないような安価で 需要者の手に(足に・か) で、狭い日本の道路に車がひしめいて・・・・・ 買うのは日本経済の為にもいいらしいから・でも必要無い時は 動かさないで・・・ |
▼珍 源斎さん:こんばんわ タイムラグのやり取りも、意識しながらコメントさせてもらいます。 >首都圏ではデイーゼル車の法規制が厳しくなり私の車も >デイーゼル乗用車「三菱スペースギヤー」であるので今年の車検が >最終となり以後は首都圏では所有が出来なくなると云うこと・。 > そうですか。ちょっと唐突に聞こえますが。石原さんの決断ですか。自家用車の前に、圧倒的に、延べ走行距離が多い、ディーゼルトラックの規制が効果的でしょうが、やはり、個人よりも企業に配慮しているのでしょうか。 > >改めて自動車に関係する税金を含め諸々の経費が多額なのに >改めて憤りさえ覚える始末です。 自動車本体の消費税から始まり、重量税、取得税、自動車税、そして、燃料の税金が、二重、三重に掛けられて、税金が走っているようなものです。そして、特定財源と称して、道路族に、大盤振る舞いされているわけですから、毎日、憤り、怒りながらも、運転は冷静に走っているのが現状です。 >思い切って脱・自家用車にしたら生活へのゆとりも大幅に >増えるのではないかと・手取り早い豊かさの追求には自動車の所有を >やめることにあるように思われます。 車が無くてもそれほど不便でない地域や人間は、車を持つリスクを避ける意味でも、自動車を使用しないで済ませる方が賢明とも云えます。 ただ、キタキツネさんが北海道の地域事情を、実態として話しているように、世の中が、住民の車所有を前提にして展開されてきていることも、念頭に置く必要もあります。 アメリカを引き合いに出すまでも無く、北海道や九州でも、今では、車が無いと生活ができない地区、地域に住んでいる住民が沢山います。 キタキツネさんが、居住されているという清田区は、札幌市の千歳空港寄りになる、新興住宅地です。そこは区役所はじめ、大学、病院、大型スーパー、大書店、公園等が、都内では、想像も付かないくらいの距離で散在しているわけです。 そして、公共交通機関といえば、かなり時間を絞ったバスだけです。こういうところでは、マイカーが無ければ、まともな生活は出来ません。 札幌市では、路面電車や地下鉄は、線状です。そして、その沿線の住民だけが、日常生活的に、利用できる状態です。 マイカーを持つか持たないかは、条例規制も含む地域特性による必要条件での取捨選択の状況に、まだ、あるのではないでしょうか。 |
しまったk2さん こんばんわ・レスコメント有難うございます。 >そうですか。ちょっと唐突に聞こえますが。石原さんの決断ですか。自家用車の前に、圧倒的に、延べ走行距離が多い、ディーゼルトラックの規制が効果的でしょうが、やはり、個人よりも企業に配慮しているのでしょうか。 営業・自家用に関わらずデイーゼルトラックは強化された排ガス規制に適合 するものへの「買い換え促進」やデイーゼル排ガス除去装置の取り付けの 義務化が法規制のもとに図られました。「大気汚染や環境対策のため」 既に新聞だねになってるのでご存じかも知れませんが大手商社が排ガス 除去装置の性能を偽り問題になったこともありましたがこれに関連した ことでした。 私も当初そのような法規制が自家用の乗用車へも成されるとは考えずに 10年と走行距離20万KMを超えて利用する積もりでしたが適当な 排ガス除去装置も無く、残念でしたが7年間の使用をもって手放すこと になりました。 現在首都圏での宅配便の自動車はデイーゼルエンジントラックより天然ガスを 利用したものが多く見られるようになってます。 >>改めて自動車に関係する税金を含め諸々の経費が多額なのに >>改めて憤りさえ覚える始末です。 > >自動車本体の消費税から始まり、重量税、取得税、自動車税、そして、燃料の税金が、二重、三重に掛けられて、税金が走っているようなものです。そして、特定財源と称して、道路族に、大盤振る舞いされているわけですから、毎日、憤り、怒りながらも、運転は冷静に走っているのが現状です。 > >>思い切って脱・自家用車にしたら生活へのゆとりも大幅に >>増えるのではないかと・手取り早い豊かさの追求には自動車の所有を >>やめることにあるように思われます。 > >車が無くてもそれほど不便でない地域や人間は、車を持つリスクを避ける意味でも、自動車を使用しないで済ませる方が賢明とも云えます。 冬期間の除雪した雪で道路が狭まり激しい交通渋滞に見舞われることも スリップ事故もありで多くのドライバーの難儀には同情する処です。 私も北海道に住んでたこともありその辺りは身をもって経験してます。 > ただ考えますことは、高齢化と云われてる事情に鑑みまして 高齢ドライバーには老齢に伴う自動車の運転への適正低下は 避けては通りませんことも視野に入れて考えなければとおもいます。 その意味で高齢者が暮らしやすい街造りを改めて考えなければ ならぬ段階にあると思います。 既に面で広がった街を生活に便利な徒歩圏内に纏めて 市街地の再開発を図らんとしてる地方もあります。 これは住民の熱意と行政の先取性があれば取り組めないことは 無いように思えます。 今こそマイカーが無くて用の足せる街に再開発の目標を絞り込むこと が大切に思われます。 首都圏でも子供達を育て上げた夫婦が郊外のマイホームを処分して マイカーの不要な生活基盤を整えることへ転換してる例も見聞きします。 個人個人の問題としては「一に選択」に関わることですが、引退そして年金生活 を考えれば当然想定の範囲にはいるのではないかと思います。 現状から見れば貴兄の云われてるようにマイカーあっての生活に慣らされて しまってますが、マイカーの所有にかかる経費も必要なものとは云え 高負担であり生活コストを押し上げる何者でもありません。 その辺りをもう一度原点から考える必要あり・とするのが私の持論です。 >そして、公共交通機関といえば、かなり時間を絞ったバスだけです。こういうところでは、マイカーが無ければ、まともな生活は出来ません。 > >札幌市では、路面電車や地下鉄は、線状です。そして、その沿線の住民だけが、日常生活的に、利用できる状態です。 > >マイカーを持つか持たないかは、条例規制も含む地域特性による必要条件での取捨選択の状況に、まだ、あるのではないでしょうか。 |
珍 源斎さん 結局、あなたの意見は遠い高山の頂上から、俯瞰しているようなもので、本当に困っている人のことは見えていないのですね。高山の頂から見た素晴らしい眺望も、近くに行ってみれば、そこにはいろんな世界があるものです。 北海道に住んだ事があるといいますが、どこに住んでいたのでしょうか? 一歩地方に足を伸ばしてみてください。まったく公共交通機関が無いところもあります。また、あっても一日数本しかないところは珍しくありません。 こういう所では、正に自家用車は命を繋ぐ足なのです。 かつて国鉄が民営化され、JRになって赤字ローカル線がすべて廃止なりました。今度は郵政民営化で、赤字郵便局は閉鎖に追い込まれるでしょう。現在でもかなりの郵便局が閉鎖されていますから……。 病院、銀行、郵便、買い物と、なに1つ地元で間に合うものが無いというのが現状です。あなたが言う自家用車のいらない社会は、地元の住民みんなの願いなのです。そこのところをお忘れなく……。 |
キタキツネさん 足下ばかり見ないで時には俯瞰してみる視線も必要でないか? と云うのが私の見解です。 自動車も運転する人にしても老朽化や老化による限界や寿命があります。 そのことまで視野に入ってますか?そのことを私は云ってるのです。 理想論などと狭義の枠にいれて考えないで頂きたい。 現実には自動車が運転できない人自動車が持てない人もおりますので そこまでお考えになっておられますか? 引退後の年金生活で現在の形で自動車を保持続けられますか? > > 結局、あなたの意見は遠い高山の頂上から、俯瞰しているようなもので、本当に困っている人のことは見えていないのですね。高山の頂から見た素晴らしい眺望も、近くに行ってみれば、そこにはいろんな世界があるものです。 > > 北海道に住んだ事があるといいますが、どこに住んでいたのでしょうか? > 一歩地方に足を伸ばしてみてください。まったく公共交通機関が無いところもあります。また、あっても一日数本しかないところは珍しくありません。 私の北海道での住まいは札幌市でしたが、仕事では稚内、北見紋別、北見、 網走、釧路、根室、の道東、道北を始め、十勝、夕張、芦別、旭川、 道南は函館を中心としてその近辺、周辺と道内をくまなく歩いてます。 それも未だ道路が未整備でそろばん道路で土埃もうもうの頃です。 北海道が北海道らしく元気であった頃です。 そのご暫く北海道より離れた遠い処に居りましたが、 自分で小さな仕事を始めてからは、この十数年来三月と空けずに 北海道へ行っておりました。それも札幌だけでなく道北道東方面には 余り出向きませんが、小樽、苫小牧、日高、室蘭、胆振地方など へ行ってます。 それにしても北海道の街々札幌市の表面の賑やかさに比べ かつての賑やかさが失せ、の寂れた街々の姿を散見するにつけて 哀しい想いにかられてます。 > こういう所では、正に自家用車は命を繋ぐ足なのです。 > かつて国鉄が民営化され、JRになって赤字ローカル線がすべて廃止なりました。今度は郵政民営化で、赤字郵便局は閉鎖に追い込まれるでしょう。現在でもかなりの郵便局が閉鎖されていますから……。 > > 病院、銀行、郵便、買い物と、なに1つ地元で間に合うものが無いというのが現状です。あなたが言う自家用車のいらない社会は、地元の住民みんなの願いなのです。そこのところをお忘れなく……。 そこの処の住民の願いを大きな意志として形に表すことが可能なのは 住民の意識改革です。そこのところをお忘れなくというのは・・ 私の云わんとする本意でもあります。 住民が他人任せでなく真に自分自身の欲求として要望を纏めて 力にすることが必要であると思っております。 北海道に定住してる若い友人や知り合いと議論をする機会がありますが 海外生活に経験のある若い友人は「住民自治の何たる・か」には教えられる ことがあります。 |
▼珍 源斎さん:こんばんは。 横レス失礼します。 自動車なんて持ちたくないですね。 お金もかかるし、CO2もまき散らして。 私も、車の運転は、椎間板ヘルニア、座骨神経痛で、治療院通い。 車を使わざるを得ません。 車にかかる、費用は、税金、保険、車検、駐車料金、燃料費等負担が非常に大きい。 できれば、持ちたくないです。 しかし、今の生活では、どうしても必要です。 それだけのことです。 私は、今の車を15年間乗っています。 車屋は、さかんに買うことを勧めますが、走っているので、その必要性を感じません。 >そこの処の住民の願いを大きな意志として形に表すことが可能なのは >住民の意識改革です。そこのところをお忘れなくというのは・・ >私の云わんとする本意でもあります。 > >住民が他人任せでなく真に自分自身の欲求として要望を纏めて >力にすることが必要であると思っております。 意味が分かりません。一般庶民に解る言葉で説明をお願いします。 貴方が、非常にハイレベルな方である事は、私も認識しておりますが、一般庶民に解る説明をお願いします・ > >北海道に定住してる若い友人や知り合いと議論をする機会がありますが >海外生活に経験のある若い友人は「住民自治の何たる・か」には教えられる >ことがあります。 「何たるか」とは、どういう事でしょうか。 一般庶民に、解る言葉で、説明して頂ければ幸いです。 私の海外旅行は、修学旅行と、新婚旅行の2度です。 海外とは、北海道から海を渡ったことです。 北海道から海を渡った国内旅行です。 |
健太郎さん こんばんは。 >横レス失礼します。 歓迎します。 > >自動車なんて持ちたくないですね。 >お金もかかるし、CO2もまき散らして。 >私も、車の運転は、椎間板ヘルニア、座骨神経痛で、治療院通い。 >車を使わざるを得ません。 >車にかかる、費用は、税金、保険、車検、駐車料金、燃料費等負担が非常に大きい。 >できれば、持ちたくないです。 >しかし、今の生活では、どうしても必要です。 >それだけのことです。 私は自動車も空飛ぶ乗り物もどれも大好きです。趣味としても 今、云うオタクの部類に入るのではないかと周りから云われてる始末です。 >私は、今の車を15年間乗っています。 >車屋は、さかんに買うことを勧めますが、走っているので、その必要性を感じません。 >>そこの処の住民の願いを大きな意志として形に表すことが可能なのは >>住民の意識改革です。そこのところをお忘れなくというのは・・ >>私の云わんとする本意でもあります。 >> >>住民が他人任せでなく真に自分自身の欲求として要望を纏めて >>力にすることが必要であると思っております。 > 言葉の通りに受け取って頂ければ良いのではないでしょうか・ 住民の要望を身近な政治や行政に反映させることで、民主主義を 標ぼうする国々では当たり前に実践されてることと思います。 現状のお任せ民主主義で無い形を・・とする意味です。 >> >>北海道に定住してる若い友人や知り合いと議論をする機会がありますが >>海外生活に経験のある若い友人は「住民自治の何たる・か」には教えられる >>ことがあります。 > >「何たるか」とは、どういう事でしょうか。 真の民主主義は住民自治ということが機能してることに尽きるようです。 例えば、治安も西部劇に見られるような住民から委嘱された保安官がそれに 当たってる地方ももあるそうです。 「何たるか」はアメリカに商社マンとして在住したことのある若い友人達から・ アメリカでは普通に機能してる住民自治・と云うことを諸々の議論の中から 私なりに納得したことです。 それから広いアメリカでは自動車無しには暮らせないと云われてますが 実際には街の様々な機能が徒歩圏内に纏まってる処も多く、自家用の自動車を 持てない人でも暮らせるようになってることは意外でした。 それに引き替え日本では旧市街として纏まってた街並みが廃れて 量販店などの配置により広がってしまい、自動車が無ければ不自由な 仕儀となってる地方都市が目立つように感じます。 要は住民の意志をより政治や行政に反映させるための政治に目覚めなければ・と 云うことが・本意であります。 大都市圏では交通機関の駅などでは移動手段にハンデイのある弱者への対応か・ エレベターなどのバリヤーフリーの設備が着々と整えられつつあります。 これも住民の要望に応える形で実施されてることの一例では無いでしょうか。 |
▼珍 源斎さん: こんにちは。レス有り難うございます。 私は自動車は、2台目です。 スキーが、3度の飯より好きでしたから、車が欲しかったです。 しかし、車を養うと、リフト代が無くなり、独身時代は、車は持てませんでした。 二人目の子供が、出来てから購入しました。 妻が娘を抱き、私が荷物を持ちで、4人家族の移動には車が必要に成りました。、 今は、治療院通いや、妻と、買い物や、近くの公園に行って散策でしょうか。 > 北海道では、必需品の人が多いと感じます。 大都市こそ、車の止める所もなく、不自由では無いでしょうか。 本州のお盆や、お正月の高速道路の渋滞は、テレビで見ても気の毒です。 本当に、車が便利なのか?と思ってしまいます。 私の結論は、住んでいる地域の、交通事情で、「車が必需品の人もいれば、そうでない人もいる」ということでしょうか。 貴方のおっしゃることは、その交通事情も「住民の要望、意見を行政に反映させなさい」ということは理解します。 だが、現実論としては、まだまだ難しい問題と感じます。 行政にとっても、採算性という問題が必ず出てくるからです。 でも、この狭い日本に車は何台ぐらい走れるのか?と思うときがあります。 |
▼珍 源斎さん:こんばんわ ここでのコメントが意図するところは基本的には賛同いたします。 > >冬期間の除雪した雪で道路が狭まり激しい交通渋滞に見舞われることも >スリップ事故もありで多くのドライバーの難儀には同情する処です。 > >私も北海道に住んでたこともありその辺りは身をもって経験してます。 >> >ただ考えますことは、高齢化と云われてる事情に鑑みまして >高齢ドライバーには老齢に伴う自動車の運転への適正低下は >避けては通りませんことも視野に入れて考えなければとおもいます。 > >その意味で高齢者が暮らしやすい街造りを改めて考えなければ >ならぬ段階にあると思います。 高齢ドライバーの事故率が高まってきている状況から、十分に研究されるべき課題です。 > >既に面で広がった街を生活に便利な徒歩圏内に纏めて >市街地の再開発を図らんとしてる地方もあります。 > >これは住民の熱意と行政の先取性があれば取り組めないことは >無いように思えます。 > >今こそマイカーが無くて用の足せる街に再開発の目標を絞り込むこと >が大切に思われます。 > >首都圏でも子供達を育て上げた夫婦が郊外のマイホームを処分して >マイカーの不要な生活基盤を整えることへ転換してる例も見聞きします。 >個人個人の問題としては「一に選択」に関わることですが、引退そして年金生活 >を考えれば当然想定の範囲にはいるのではないかと思います。 > >現状から見れば貴兄の云われてるようにマイカーあっての生活に慣らされて >しまってますが、マイカーの所有にかかる経費も必要なものとは云え >高負担であり生活コストを押し上げる何者でもありません。 >その辺りをもう一度原点から考える必要あり・とするのが私の持論です。 > 目的物に合理的にアクセスできる交通体系、移動量が少なくてもいい住環境、等をセットで研究し、我々世代はともかく、近未来に実現できるようにしたいものです。 |
しまったK2 さん こんばんわ・レス有難うございます。 よくよく考えてみますと、便利であるべき自動車が不便な 街並みや住環境を造ってしまった。パラドックスめいてますが、 あながち・的外れでもないように思えてきました。 土日では銀座の大通りではノーカーデイが実施されてますが 三々五々車の通らない路を楽しそうに大勢の人たちが歩いてるのを 見るにつけ、自動車に寄り掛かった生き方が反省せらるべき 時代に入ったのかな?・とフト感じました。 自家用自動車は贅沢品だから高い税金もその他の費用も大いに 負担すべきであると怖ろしい事を言う人もおりましたが、考えて みるとそれは正論として一理あるように思えて来ました。 私は自分自身でノーカーデイを決めて意識的に自動車を利用しない日を をもうけて徒歩または自転車を利用することにより身近な街の 新発見に繋がることもあります。 暮らしを少しでも豊かに・と考えた場合「脱・自家用車」も 一つの選択肢ではないかと思はれる処です。 |
珍 源斎さん 書き込みをする時間がなく、貴兄の書き込みにはひさしぶり。 私は65歳の時高速道路を走っていると動態視力の低下を感じ、自分だけではなく人様に被害を与えたくなく、限定解除の大型二輪と四輪は廃車しました。 考えると、地方で交通の便が悪い所では車も必要ですが、都会に住んでいると老人にはあまり自動車は必要がなく、タクシーをいくら利用しても所用で市内だけの移動では、自動車を所持している時のガレージ代やガソリン代、税金、車検など毎年いる必要経費の10分の1も要りませんから自動車の購入費を入れると大分得です。 まあ本音を言うと、国民年金生活では自動車は持てないと云う事ですか。 |
ごまめの翁さん こんにちわ!お久しぶりです。レス有難うございます。 そうですね・老いに伴い視力でも動態視力の低下は避けられませんね。 それから視野が狭くなること、夕暮れには更にそれが低下することなど、 年寄りの冷や水ではありませんが、高齢ドライバーがブレーキと アクセルを踏み違えで起こる事故も多いと聞いてます。 自動車がないと生活に大きな不便な処も多いのは判りますが、 住環境を徒歩圏内で諸々の用足しが可能なような街造りを行政など の施策として未来対応して出来ないものか? それのメリットは社会的なコストの低下から省エネルギーにまで 及ぶと考えられており、ドイツやオランダ、北欧諸国では既に 実施されてる処があると聞いております。 それから仰るように自動車の維持費は高いことには憤りすら 覚えます。私の場合は仕事での利用ですから自動車に掛かる 費用は経費として処理できますが、 源泉徴収をされた上での一般サラリーマンにとっての負担の重さに は同情すら覚えます。 若いサラリーマンではエンゲル係数ならぬ「カーゲル計数が」所得の 大部分を占めて生活費は親掛かりなどの例もあり、個人としての 自立からほど遠い現実も身近で見聞きします。 仕事を引退したら自動車の所有は考えねばならぬと思ってます。 > > 私は65歳の時高速道路を走っていると動態視力の低下を感じ、自分だけではなく人様に被害を与えたくなく、限定解除の大型二輪と四輪は廃車しました。 > > 考えると、地方で交通の便が悪い所では車も必要ですが、都会に住んでいると老人にはあまり自動車は必要がなく、タクシーをいくら利用しても所用で市内だけの移動では、自動車を所持している時のガレージ代やガソリン代、税金、車検など毎年いる必要経費の10分の1も要りませんから自動車の購入費を入れると大分得です。 > > まあ本音を言うと、国民年金生活では自動車は持てないと云う事ですか。 |