Page 1188 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼靖国神社とは何か(II) BadBloke 05/12/16(金) 10:40 ┣私の靖国神社に対する認識 peace 05/12/16(金) 12:10 ┣[管理人削除] ┃ ┣[管理人削除] ┃ ┃ ┗[管理人削除] ┃ ┃ ┗Re(4):靖国神社とは何か(II) BadBloke 05/12/16(金) 13:49 ┃ ┃ ┣Re(5):靖国神社とは何か(II) 告天子 05/12/16(金) 13:55 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):靖国神社とは何か(II) BadBloke 05/12/16(金) 14:32 ┃ ┃ ┃ ┣Re(7):靖国神社とは何か(II) 告天子 05/12/16(金) 15:00 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):靖国神社とは何か(II) BadBloke 05/12/16(金) 16:00 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):靖国神社とは何か(II) 告天子 05/12/16(金) 16:58 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):靖国神社とは何か(II) BadBloke 05/12/16(金) 18:06 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):靖国神社とは何か(II) 告天子 05/12/16(金) 19:32 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):靖国神社とは何か(II) 告天子 05/12/16(金) 15:07 ┃ ┃ ┗Re(5):靖国神社とは何か(II) 退役軍人 05/12/16(金) 14:30 ┃ ┃ ┗Re(6):靖国神社とは何か(II) BadBloke 05/12/16(金) 15:32 ┃ ┃ ┗Re(7):靖国神社とは何か(II) 退役軍人 05/12/16(金) 19:26 ┃ ┗削除対象一覧 管理スタッフ 05/12/16(金) 22:49 ┣★☆★スレッドへの書き込みを禁止します★☆★ 管理スタッフ 05/12/16(金) 22:51 ┗Re(1):靖国神社かキリスト教か。 昭和 人 05/12/16(金) 23:27 ┗Re(2):靖国神社かキリスト教か。 BadBloke 05/12/17(土) 9:11 ┣Re(3):靖国神社かキリスト教か。 k.satou 05/12/17(土) 9:51 ┗Re(3):靖国神社かキリスト教か。 昭和 人 05/12/18(日) 22:14 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 靖国神社とは何か(II) ■名前 : BadBloke <v_badbloke@yahoo.co.uk> ■日付 : 05/12/16(金) 10:40 -------------------------------------------------------------------------
太平洋戦争による戦没者の慰霊碑は、全国各地、どんな辺境にも見られるものらしいです。それを建立した人の気持ちは、次のような慰霊塔の碑文にあらわれています。 「戦没将兵の冥福を祈り永くその勲をたたえることに致しました。冀くは英魂永く安らかに茲に鎮まりまして新日本建設の御光となり.....」(石川県黒百合の塔建設委員会、1962年11月7日建立) 兵隊の死を無駄にしたくはないという気持ちは多くの人に共通するものでしょう。何よりも、遺族にとっての無念な思いは、人の想像を超えるものであったでしょう。しかし、兵隊の死をその勲(つまり立派な働き)に対する名誉で飾ることによって、ほんとうにその死は、無駄死にでなかったことになるのでしょうか。戦争で死ぬことを名誉なこととして、本当にいいのでしょうか。むしろ、戦争で死ぬなんてことは無駄死になんだという事実を謙虚に認めて、二度と戦争を起こさないような国の建設をめざすことこそ、戦没者の死を生かすことになるのではないでしょうか。 1960年代に建立された全国各地42の慰霊塔のうち、戦争や戦死を美化・肯定しているものが32もあったそうです。1987年、箕面忠魂碑違憲訴訟で原告側の証人として立った沖縄戦没者遺族の大城勲氏は、このような歌を詠んでいます。 戦死者を英霊と呼ぶ人ありて反戦平和の声遠ざかる この大城氏は、証言台で、戦後に沖縄の地元住民が建立した碑の多くは戦争を讚えてはいないと証言しました。沖縄の人にとっては、あの戦争を美化することなど、とうてい不可能だったのでしょう。 息子や兄や弟を失った遺族の悲しみは、誰にも共通するものであったと思います。その悲しみを乗り越える仕方は、人によってちがうのでしょう。その悲しみを生かす道も、また、ちがうのでしょう。 1945年4月9日、フィリピンのバキオ北方1052高地で戦死した竹内浩三さん(当時25歳)は、次のような詩を残していました。 アア 戦死ヤアハレ 兵隊ノ死ヌルヤアハレ コラヘキレナイ サビシサヤ 国ノタメ 大君ノタメ 死ンデシマフヤ ソノ心ヤ (碑文や詩歌は、すべて岩波新書『遺族と戦後』から引用しました。) |
レスしてよいのかな? 私の靖国神社に対する認識です。 時間の流れを追って考えてみました。 まず一番はじめ 戊辰戦争の朝廷方戦死者を慰霊するために創建されたのでこれはあなたたちの犠牲があってこそ日本と言う近代国家ができました(天皇が主権をとりました)と言う感謝の気持ちで戦死者が祀られたのでしょう。 二番目に 維新以降、第二次大戦以前、日本は外国との戦争で負けたことが無かった訳で、そのような状況で海外における日本の戦死者とは、その身を呈して日本に繁栄をもたらしてくれた恩人であったのでしょう。(戦争行為自体の是非は別として) この大日本帝国の繁栄はあなたたちの犠牲の上で成り立っているのですと言う感謝を込めた施設であったのではないでしょうか。 亡くなられたが少しでも国家の主権者(天皇)に地理的にも宗教的にも近い所にお祀りします、と言うことなのかなと想像します。 国家・天皇の繁栄ために犠牲になった人を追悼する施設と言うのが本音ではなかったのではないでしょうか。だから戦争で犠牲になった民間人は含まれていない。 三番目に 戦後になってそれまでとはかなり意味合いが違ってきます。なぜならば第二次大戦での戦死者は少なくとも結果的に日本に繁栄をもたらしてくれた方々ではなかったからです。戦死者は単なる戦争の犠牲者でしかなくなってしまったのです。 特別な感謝の対象でも英雄でもない人たちを祀ることになったからです。 遺族たちは天皇陛下万歳と言って死んでいった家族はお国のために死んでいったのだから今まで通り靖国に祀られて当然だと主張する方達もいたのでしょう。 しかし、もはや先の大戦の結果、主権者は天皇ではなくなり、また大多数の国民の感情は、先の大戦がもたらした多くの民間人の犠牲と敗戦により民間人、軍人の分け隔てなく戦争により没した方々を悼むようになっていました。 戦後、もはや靖国神社はお国のための存在ではなくなり、皆は臣民ではなく国民になったのです。 それでも昭和天皇は先の大戦での戦死者を悼み1975年までは数年おきに参拝されていたのでしょう。しかし、1978年にA級戦犯が合祀されてからは参拝されていません。側近によれば昭和天皇はA級戦犯合祀に反対だったようです。 靖国神社自体の存在はそれを心のよりどころにされている方々が大勢いるかぎり単純に否定しませんが。日本を結果的に破壊をもたらし、戦前の主権者である天皇にも反対されたA級戦犯をなぜ合祀しているのか疑問に感じます。 そして今、小泉は近隣諸国を刺激するために靖国神社を利用しています。 以上。 |
この書き込みは管理人によって削除されました。(05/12/24(土) 9:18) |
この書き込みは管理人によって削除されました。(05/12/24(土) 9:18) |
この書き込みは管理人によって削除されました。(05/12/24(土) 9:18) |
▼退役軍人さん: > ...(略) >信仰を持つと明らかにした者が、靖国を肯定するか(私)、否定しないか(松さん)というだけで、キリストを信仰する者にあるまじきというより、信仰の態度そのものを否定し、人格にまで言及して非難したのは貴兄です。 > ...(略) そういう反応も、日本人によくある反応ですね。ぼくはあなたがたの人格を批難した覚えはないです。キリスト者なら通じるだろうと思ったことを話しただけのこと。そして、通じないらしいことがわかっただけのことです。 |
▼BadBlokeさん: >▼退役軍人さん: > >> ...(略) >>信仰を持つと明らかにした者が、靖国を肯定するか(私)、否定しないか(松さん)というだけで、キリストを信仰する者にあるまじきというより、信仰の態度そのものを否定し、人格にまで言及して非難したのは貴兄です。 >> ...(略) >そういう反応も、日本人によくある反応ですね。ぼくはあなたがたの人格を批難した覚えはないです。キリスト者なら通じるだろうと思ったことを話しただけのこと。そして、通じないらしいことがわかっただけのことです。 じゃ、「キリスト者なら当然こう考えるだろう」と思っていたBadBlokeさんの思いこみは誤りだった、ということですね。 そうでないのだとすれば、あなたのしていることは、相手を信仰上の理由で非キリスト者として認定している、ということになるかとおもいます。 |
▼告天子さん: >▼BadBlokeさん: >>▼退役軍人さん: >> >>> ...(略) >>>信仰を持つと明らかにした者が、靖国を肯定するか(私)、否定しないか(松さん)というだけで、キリストを信仰する者にあるまじきというより、信仰の態度そのものを否定し、人格にまで言及して非難したのは貴兄です。 >>> ...(略) >>そういう反応も、日本人によくある反応ですね。ぼくはあなたがたの人格を批難した覚えはないです。キリスト者なら通じるだろうと思ったことを話しただけのこと。そして、通じないらしいことがわかっただけのことです。 > > >じゃ、「キリスト者なら当然こう考えるだろう」と思っていたBadBlokeさんの思いこみは誤りだった、ということですね。 > >そうでないのだとすれば、あなたのしていることは、相手を信仰上の理由で非キリスト者として認定している、ということになるかとおもいます。 論旨が不明ですが、ぼくが言いたいのは、とにかくこういうことです。聖書に反することを信じていても自分がキリスト者だと思い込むだけの自由は人間に与えられているけれども、一方で、聖書に反することはキリスト者としてはすべきではないと反省するだけの謙虚さは、少なくとも、キリスト者には期待されるだろうということです。それが通じないばあい、批難されただとか、不愉快だとか言って、聖書よりも自分の感情を優先することになるのでしょう。 彼らは自分たちこそ寛容なキリスト者だと主張するかのような姿勢を見せていますが、彼らの言動によって、どれだけ聖書に従って生きようとしている人の気持ちを傷つけていることか。ぼくはかなり精神的には頑丈にできているほうだと思いますが、それでも相当にショックを受けているんですよ。それでも、傷ついただとか、不愉快だとか嘆いていてもしょうがないから、あくまでも聖書を基準にして彼らに訴えてきたつもりです。 |
▼BadBlokeさん: >>じゃ、「キリスト者なら当然こう考えるだろう」と思っていたBadBlokeさんの思いこみは誤りだった、ということですね。 >> >>そうでないのだとすれば、あなたのしていることは、相手を信仰上の理由で非キリスト者として認定している、ということになるかとおもいます。 > >論旨が不明ですが、ぼくが言いたいのは、とにかくこういうことです。 論旨は、「では問いますが、キリスト者なら当然に靖国神社についてあなたのように考えるのですか」、ということです。 続く説明からしても、あなたは、キリスト者であるならば、聖書に基づいて考えねばならず、自分はそのように考えた結果、これまでの靖国神社に対する意見に到達したのである、キリスト者ならばそう考えなければ、聖書に反したことになる、と。 そして、事実あなたのように考えない方に対して、その「キリスト者であること」自体を批判というか、非難しておられるように見えますが、だから「キリスト者であるなら、必ず靖国神社についてそう考えるのか」と問うているわけです。 そうではない、という実例を、歴史上も、また、この掲示板の上でも、見せていただいたわけですが。 >聖書に反することを信じていても自分がキリスト者だと思い込むだけの自由は人間に与えられているけれども、一方で、聖書に反することはキリスト者としてはすべきではないと反省するだけの謙虚さは、少なくとも、キリスト者には期待されるだろうということです。それが通じないばあい、批難されただとか、不愉快だとか言って、聖書よりも自分の感情を優先することになるのでしょう。 ほら、「この人たちは、聖書より感情の方を大事にしている」として、非難しているじゃないですか。 >彼らは自分たちこそ寛容なキリスト者だと主張するかのような姿勢を見せていますが、彼らの言動によって、どれだけ聖書に従って生きようとしている人の気持ちを傷つけていることか。ぼくはかなり精神的には頑丈にできているほうだと思いますが、それでも相当にショックを受けているんですよ。それでも、傷ついただとか、不愉快だとか嘆いていてもしょうがないから、あくまでも聖書を基準にして彼らに訴えてきたつもりです。 だから、そうすると、靖国神社を擁護してくれたクリスチャンの方も、あなたの論理からすると「非難されるべき」キリスト者であり、真のキリスト者にはあらず、ということになると思いますが。そうならなければ、おかしいと思います。 で、あなたがそうお考えになるのは任意ですが、あまり一般性のない話ではないか、と思われますが如何。 ごく端的にいえば、キリスト者であれば、必ずあなたのように考えるのか、考えねばならないのか、ということです。とても、明快で、「論旨不明」の余地などないと思いますが・・・。 |
▼告天子さん: > ...(略) >ごく端的にいえば、キリスト者であれば、必ずあなたのように考えるのか、考えねばならないのか、ということです。とても、明快で、「論旨不明」の余地などないと思いますが・・・。 > ...(略) キリスト者であれば、聖書を基準にして考えるのがふつうであると発言してきたつもりです。たとえば、英国にジョン・ストットという牧師がいます。この人は国教会に所属する人ですが、その聖書に対する姿勢は、ぼくから見てキリスト者として正しいと思っています。なぜなら、聖書に絶対的な権威をおいて、聖書を語っているからです。聖書を基準にしなければ、キリスト者は、イエスの代わりに池田大作を信じたっていいことになるでしょう。 ぼくは今、「正しいと思っています」と、ぼくの意見を言いました。しかし、その意見は、ジョン・ストット牧師の聖書に対する態度を評価しての意見です。ぼくはストット牧師の礼拝メッセージを何度か聴いたことがありますが、彼はいつだって聖書を語っています。聖書が現代に生きる我々に何を語っているかを伝えようとしています。それはもはや、ストット牧師の個人的なメッセージというよりも、聖書そのものから出てくるメッセージです。 ぼくはもちろん牧師ではない。しかし、聖書は何度も読んでいます。聖書に靖国問題のことは残念ながら書かれてはいないけれど、人を神として崇めることを絶対に禁じているのが、聖書のメッセージです。ぼくはそれが正しいと思います。だから、ほかの宗教の信者ならともかく、キリスト者を自認する人が英霊崇拝者であることは、どう考えてもおかしいと思う。宗教的なことでは、ぼくはかなりキリスト教的な思考をするので、先日、無神論者の友人に訊いてみました。すると、彼もぼくと同じ意見で、キリスト者が戦死者を神として崇めるなんてことは想像もできないと言ってました。 |
▼BadBlokeさん: >キリスト者であれば、聖書を基準にして考えるのがふつうであると発言してきたつもりです。たとえば、英国にジョン・ストットという牧師がいます。この人は国教会に所属する人ですが、その聖書に対する姿勢は、ぼくから見てキリスト者として正しいと思っています。なぜなら、聖書に絶対的な権威をおいて、聖書を語っているからです。 ですから、みんなあなたのように考えるんですか、と尋ねています。そりゃ、キリスト教全般の公式見解ですか、靖国神社に対する。だとしたら、戦前のクリスチャンはみんな「反靖国」だったわけですか。それとも戦後になったから意見が変わりでもしたのですか。戦前と戦後では、聖書は同じだと思いますが、戦前のクリスチャンは、みんなあなたのように考えたのですか、そうとは思えませんが。 >聖書を基準にしなければ、キリスト者は、イエスの代わりに池田大作を信じたっていいことになるでしょう。 それは極論ですね。イエスの代わりに靖国神社を信じろ、なんて誰も言ってませんよ。英霊がイエスと同じ神性を持つ、とか、そういうこと言っている人、誰もいません。 >ぼくは今、「正しいと思っています」と、ぼくの意見を言いました。 なら、他人に対してそれは力を持たないですね。あなたが思うからといって、他人もそれと同じ意見でなければならない、ということはありません。だから、改めて、「他人もそう思わなければならないのか」と問うているのです。 >しかし、その意見は、ジョン・ストット牧師の聖書に対する態度を評価しての意見です。ぼくはストット牧師の礼拝メッセージを何度か聴いたことがありますが、彼はいつだって聖書を語っています。聖書が現代に生きる我々に何を語っているかを伝えようとしています。それはもはや、ストット牧師の個人的なメッセージというよりも、聖書そのものから出てくるメッセージです。 ですから、クリスチャンはみんなそう考えるのか、そう考えねばならないということなのか、と尋ねているのはそういうことなんです。あなた以外の誰かがそう考えている人もいます、という例を求めているのではなく、「キリスト者ならば、誰でもそう考えなければならない」のか、と言ってるんですよ。 もしそうだとすれば、いろいろ例外はありますし、そういう人のことを「キリスト者として間違っている」というのか、という話になるわけです。 >ぼくはもちろん牧師ではない。しかし、聖書は何度も読んでいます。聖書に靖国問題のことは残念ながら書かれてはいないけれど、人を神として崇めることを絶対に禁じているのが、聖書のメッセージです。 ならモノでも何でも神にしてしまうような日本の国は、キリスト教のルールにアタマから大違反ですね。 >ぼくはそれが正しいと思います。 だからといってそれを強要されるのは迷惑な話です。 >だから、ほかの宗教の信者ならともかく、キリスト者を自認する人が英霊崇拝者であることは、どう考えてもおかしいと思う。 神学的にも様々な見解があるんじゃないんですか。そういう濃淡を切り捨ててしまったら、キリスト教史自体が成り立たなくなるように思いますけどね。 >宗教的なことでは、ぼくはかなりキリスト教的な思考をするので、先日、無神論者の友人に訊いてみました。すると、彼もぼくと同じ意見で、キリスト者が戦死者を神として崇めるなんてことは想像もできないと言ってました。 そりゃあ、無神論者の言うことだから、当てにならない話でしょう。無神論者からしてみたら、あなたが神を拝むことも「理解できない」迷信でしかないはずですから。ないはずの神を拝む者が、他にどんな神を拝もうとも、彼にとっては全てが「迷信」であり、もし判断をしているとするならば、それは「教条に基づいた」、つまり、「信仰に基づいていない」判断でしかあり得ません。無神論者なんですからネ。 |
▼告天子さん: キリスト者でモーニング娘が好きだって人もいるでしょうし、それだからといって、その人がキリスト者でないとは言えません。バッハが好きなキリスト者のほうが、よりキリスト者らしいってわけでもないでしょう。どうもあなたとこういうテーマで話していると、その程度の次元で語っているような気がして仕方がないのですが。 もう一度言いますが、キリスト者だって何を信じてもかまわないってな話なら、イエスの言葉よりも池田大作の言葉を信じても、その人の勝手でしょってなことになるでしょう。カラスの勝手でしょなんてことなら、そもそもなぜキリスト教なの?って質問が出て来ても不思議はないんじゃないですか。それも勝手でしょなんて言われそうだけれども。 キリスト教史から学べることは、教会が聖書を勝手に解釈したり、聖書に反する行動をとるときに、キリスト教は腐敗するということです。これはハッキリしています。その歴史はまさに醜悪な人間の歴史の一部となっているでしょう。しかし、その一方で、初代教会の時代から変わらない純粋な信仰が今に至るまで個人の信仰に受け継がれていることも確かなのです。それはキリスト教には聖書というものが残されているからです。 ぼくは日本人の愛犬家と英国人の愛犬家が大違いであることを体験しています。日本人のばあい、自分は犬が好きだ・かわいいで止まっている人が目立つ。そして、自分が飼い主として他人にどう見られるかを気にして、そのためには犬の幸福も犠牲にできるような人が多い。英国人には、どうしたら犬が幸福に生きられるかを考える人が目立つ。そして、他人にどう見られようが、自分が犬の幸福のために正しいと思うことを堂々とする人が多い。 愛犬家といってもここまで違うわけです。そんなことどっちだっていいだろうで済ませることのできる人も多いでしょう。しかし、ひとつまちがいなく言えることは、英国に比べて、日本には、不幸な犬の数があまりにも多いということです。その原因は、愛犬家のあり方になければ、どこにあるでしょう。 キリスト者は、どうやら愛犬家以上に種類が豊富なようです。この現実は、キリスト教史が語るとおりです。ぼくがいくら何を言っても、本人が認めない以上、その現実はどうしようもない話です。ぼくはただキリスト者として共有すべきたいせつなものは、ちゃんと共有すべきだと言うしかない。それを強要と解釈するのも、また、その人の勝手なのでしょう。 |
▼BadBlokeさん: >▼告天子さん: > >キリスト者でモーニング娘が好きだって人もいるでしょうし、それだからといって、その人がキリスト者でないとは言えません。バッハが好きなキリスト者のほうが、よりキリスト者らしいってわけでもないでしょう。どうもあなたとこういうテーマで話していると、その程度の次元で語っているような気がして仕方がないのですが。 私はそんなことは全然言っておりませんが。好き嫌いの話などしてませんよ。 >もう一度言いますが、キリスト者だって何を信じてもかまわないってな話なら、イエスの言葉よりも池田大作の言葉を信じても、その人の勝手でしょってなことになるでしょう。カラスの勝手でしょなんてことなら、そもそもなぜキリスト教なの?って質問が出て来ても不思議はないんじゃないですか。それも勝手でしょなんて言われそうだけれども。 何を信じてもいいんだ、なんて言ってませんよ、私は。「このように信じなければ、よきキリスト者とは言いがたい」と言っているのはBadBlokeさん。 >キリスト教史から学べることは、教会が聖書を勝手に解釈したり、聖書に反する行動をとるときに、キリスト教は腐敗するということです。 だから、あなたの解釈が「全てのキリスト者にとって」正しい解釈なのか、と問うております。 >ぼくは日本人の愛犬家と英国人の愛犬家が大違いであることを体験しています。日本人のばあい、自分は犬が好きだ・かわいいで止まっている人が目立つ。そして、自分が飼い主として他人にどう見られるかを気にして、そのためには犬の幸福も犠牲にできるような人が多い。英国人には、どうしたら犬が幸福に生きられるかを考える人が目立つ。そして、他人にどう見られようが、自分が犬の幸福のために正しいと思うことを堂々とする人が多い。 それこそ、好き嫌いの話でしかないと思います。英国人の犬の扱いが立派であるなら、それは結構なことだと思いますが、それが「英国人は立派で、日本式のやり方は劣っている」と一概に一般化は出来ますまい。「自分らほど立派な者はいない」などと言い出すなら、それこそ独善ですしね。 >愛犬家といってもここまで違うわけです。そんなことどっちだっていいだろうで済ませることのできる人も多いでしょう。しかし、ひとつまちがいなく言えることは、英国に比べて、日本には、不幸な犬の数があまりにも多いということです。その原因は、愛犬家のあり方になければ、どこにあるでしょう。 よいところは真似してよいと思いますが、日本流の犬とのつきあい方というのを見出して、洗練していくのも、一つの行き方でしょう。 >キリスト者は、どうやら愛犬家以上に種類が豊富なようです。この現実は、キリスト教史が語るとおりです。ぼくがいくら何を言っても、本人が認めない以上、その現実はどうしようもない話です。ぼくはただキリスト者として共有すべきたいせつなものは、ちゃんと共有すべきだと言うしかない。それを強要と解釈するのも、また、その人の勝手なのでしょう。 「その人の勝手だ」と言いつつ、あなたの場合は「あまたある勝手の中で、キリスト者の言い分のみが正しい、分けても自分の言っていることが正しい」というものでしょう。 それで靖国神社に「頭を下げない」のはご自由ですが、あたかも神社が戦争の原因であるかのように言ったり、平和に敵対する存在であるかのように言い立てるのは、「勝手な」他人にとっては、驚き訝しむほかない話でしたよ。「自分の勝手」なら、そんなことは言わないことです。 あなたは「キリスト者なら思いを共有するはずだ」と仰いますが、だからこちらは、それが「全てのキリスト者がそう思うべきことなのか」と、何度も尋ねているのです。 |
▼BadBlokeさん: >彼らは自分たちこそ寛容なキリスト者だと主張するかのような姿勢を見せていますが、彼らの言動によって、どれだけ聖書に従って生きようとしている人の気持ちを傷つけていることか。ぼくはかなり精神的には頑丈にできているほうだと思いますが、それでも相当にショックを受けているんですよ。それでも、傷ついただとか、不愉快だとか嘆いていてもしょうがないから、あくまでも聖書を基準にして彼らに訴えてきたつもりです。 聖書に反する現実に傷つく、というお気持ちも分からないではありませんが、だからといって、靖国神社は聖書の精神に反しているから、壊してしまえというのもどうかと思いますね。精神的に否定しているのだから、物理的な破壊より尚程度は重いわけでしょう。 で、靖国神社を参拝することを、戦争を肯定することだ、平和への害悪だ、と言われているのですから、これは、靖国神社を参拝する方からすれば、余程「傷ついて、ショックを受ける」話ですよ?。 ご自身の信心に反する、だから壊す!、というようなことをされたら、それが精神的意味論的な領域においてされたこととはいえ、迷惑な話かと思いますけどね。一般的な通用性を持った話じゃないでしょ、実際。 |
BadBlokeさん、おはようございます。 こちらでは午前七時を少し回ったところです。 早いですね、そちらはまだ真っ暗だと思いますが。 近々、同じタイムゾーンに移動する予定ですけれど。 ▼BadBlokeさん: >▼退役軍人さん: > >> ...(略) >>信仰を持つと明らかにした者が、靖国を肯定するか(私)、否定しないか(松さん)というだけで、キリストを信仰する者にあるまじきというより、信仰の態度そのものを否定し、人格にまで言及して非難したのは貴兄です。 >> ...(略) >そういう反応も、日本人によくある反応ですね。ぼくはあなたがたの人格を批難した覚えはないです。キリスト者なら通じるだろうと思ったことを話しただけのこと。そして、通じないらしいことがわかっただけのことです。 キリスト教徒であれば通じるはずという貴兄の意識が、既に独善であることの証左ですよ。 その独善を全てのキリスト教徒が共有すべきという趣旨の発言と、その意識に基づく批判は、非寛容というキリスト教徒として最も忌むべきものです。 ましてや、人格を批判した覚えはないという発言も忌むべき発言です。 あなたの価値観や倫理観に照らせば問題なしなのでしょうが、何故厳しい反発が貴兄に向けられるのかを、キリスト教徒であれば聖書とともに考えてみられるべきでしょうね。 自省というのは信仰のなかで最も大事な要素であるのですから。 私個人の聖書の定義に言及すれば、聖書は日々の導きの書です。 新しい約束に基づいて書かれた聖書ですけれど。 キリスト教徒の価値観をこうであるべきと規定する書ではありません。 導きによって近い価値観を共有する現実はありますが、あくまでも結果です。 前提などでは断じてありません。 教会というコミュニティに属されていないようですが、信仰の外面的な形としては別に問題ではないでしょう。 しかしながら、同じ信仰を持つ者が集う場所である教会というコミュニティから学ぶ多くのことがあると指摘しておきます。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん: > ...(略) >教会というコミュニティに属されていないようですが、信仰の外面的な形としては別に問題ではないでしょう。 > >しかしながら、同じ信仰を持つ者が集う場所である教会というコミュニティから学ぶ多くのことがあると指摘しておきます。 > そこです。ぼくもずっと気になっていたのです。退役軍人さんがいかなる教会に属しているのかと。 ただ、あまり個人的なことを訊くのは、掲示板にはふさわしくないと思ったものですから、訊きませんでした。あなたはたしか、牧師の中には左翼思想の牧師がいるようなことを、半ば批判の気持ちを込めて指摘されていましたね。実は、ぼくは日本のある地方都市の教会で、そのような系統の牧師の礼拝メッセージを聴いたことがあるのです。当然ながら、聖書朗読はあったのですが、牧師のメッセージは、聖書の内容とはほとんど関係がないような社会問題を、始めから終わりまで話していました。 牧師のつとめの第一は、聖書を語ることだと思います。これはぼくの独善じゃなくて、キリスト教会の正統な伝統でしょう。ところが、現実には、聖書のことはそっちのけで、いきなり社会的なことばかりを問題にする牧師もいるらしい。そういう話なら、何もキリスト教会に行かなくてもすむことです。 それで、退役軍人さんの教会のことですが、その教会では、ほとんどの教会員が靖国問題に関して、あなたと同じような感覚だと、おっしゃっていましたね。じゃ、きっと牧師もそうなのでしょう。となると、ぼくはいよいよその正体、つまり、プロテスタントといっても、どういう教団に所属するのか知りたい気持ちになってしまいます。なぜなら、ぼくの経験では、その種のキリスト教会には、一度もお目にかかったことがないものですから。 もちろん、無理に答えていただかなくても、けっこうです。ただ、あなたのおっしゃる「同じ信仰を持つ者が集う場所である教会というコミュニティ」というものが、かなり気になっていましたので。ぼくのばあい、日本のキリスト教会の、あまりにも日本的な<和>の世界になじめなかったもので、うちからそう遠くない場所にあった聖公会の礼拝に出席しても、礼拝が終わるとさっと帰って来るなんてことをしてました。東京を離れてから知ったことですが、その教会は小泉信三の母教会だったそうで、それならもう少し教会員の人との交わりをもって、小泉先生のことなど聞けばよかったかなと思いましたが。 |
BadBlokeさん、こんにちは。 ▼BadBlokeさん: >▼退役軍人さん: >>しかしながら、同じ信仰を持つ者が集う場所である教会というコミュニティから学ぶ多くのことがあると指摘しておきます。 >> >そこです。ぼくもずっと気になっていたのです。退役軍人さんがいかなる教会に属しているのかと。 とてもポピュラーな会派ですよ。 教団が運営する大学も日米双方にありますし。 私はその教団が運営する高校(ミッションスクール)の出身です。 まったく違うところで知り合った嫁さんが、国籍や国境や民族等の壁を凌駕して、私が通った高校を運営する同じ教団のキリスト教徒であったことに、運命的なものを感じましたよ。 多くの偶然の重なりでしか得られないはずの結果なのに、必然としか説明しようがない現実でしたから。 >それで、退役軍人さんの教会のことですが、その教会では、ほとんどの教会員が靖国問題に関して、あなたと同じような感覚だと、おっしゃっていましたね。じゃ、きっと牧師もそうなのでしょう。となると、ぼくはいよいよその正体、つまり、プロテスタントといっても、どういう教団に所属するのか知りたい気持ちになってしまいます。なぜなら、ぼくの経験では、その種のキリスト教会には、一度もお目にかかったことがないものですから。 私の投稿を正確に理解して頂けませんか。 こういう主張をしているのだから、こうに違いないという思い込みが強すぎますよ。 削除されてしまった私の投稿【68286】には<こう書かれていました。 【引用開始】 >>【68286】根拠無き言いがかり >> 退役軍人 - 05/12/11(日) 16:05 - <中略> >>私と私の家族が集う会派の教会では、靖国を否定する方もいらっしゃいますが少数派ですよ。 >>私のように英霊崇拝者が少数派であるように。(笑 >>会派の歴史や、存在意義と集う者の政治的考え方に直接の因果関係は存在しません。 【引用終了】 この文をどう読めば、私と私の家族が通う教会の大部分が私と同じ感覚であるという理解になるのでしょうか。??????? 聖書に対する理解や持ちうる価値等を語る前に、対話している相手が何を言っているのか正確に理解されるべきです。 失礼いたしました。 |
▼みなさま: Ray@スタッフです。 以下の書き込みは掲示板のルールのうち ・掲示板を混乱させる恐れのある投稿(揶揄、挑発、侮蔑的表現) ・削除対象書き込みに関連する投稿 に該当するため、削除対象としてスタッフ連絡板に移動しました。 以後これらの書き込みへのレスを禁止します。 掲示板をご利用の際は掲示板のルールおよびネットマナーに ご配慮くださるようよろしくお願いいたします。 ---- (削除対象一覧) ●【68615】Re(1):靖国神社とは何か(II) 告天子 - 05/12/16(金) 12:32 - ●【68617】Re(2):靖国神社とは何か(II) BadBloke - 05/12/16(金) 12:45 - ●【68619】Re(3):靖国神社とは何か(II) 告天子 - 05/12/16(金) 13:07 - ●【68620】Re(3):靖国神社とは何か(II) 退役軍人 - 05/12/16(金) 13:16 - ●【68643】Re(1):靖国神社とは何か(II) YOTA - 05/12/16(金) 20:55 - ---- |
▼BadBlokeさん、みなさま: Ray@スタッフです。 前スレッド「靖国神社とは何か」を 書き込み禁止+過去ログ化したのは、 靖国神社とキリスト教を巡る議論が 罵倒・中傷等掲示板のルールに抵触する表現を伴う 水掛け論になっていたためです。 しかし、後継スレッドである当スレッドでも 同様の状況になっているため、このスレッドを書き込み禁止とします。 また、同様のテーマで新たなスレッドを立てることは 当面お控えください。 掲示板の円滑な運営にご理解とご協力を賜りますよう よろしくお願い申し上げます。 |
靖国問題論とキリスト教(神学論争)がチャンポンになってしまいましたね。 6801 BadBloke(Bさん) 68163 Peace(Pさん) 68615 告天子さん ここまでは、大変よい靖国論争だな〜と、ROMしようとしていました。 68620 退役軍人さん入る。 ここから、キリスト教と靖国問題になってきた。 第三者からみると、ますます解りにくくなってしまう。 如何なものでしょうか。靖国問題について、絞って議論して、いただけませんでしょうか。 キリスト教と靖国との関係は、別なところで、Bさん、退役軍人さん、(できれば松さんも含め)、キリスト者の生き方の問題として、議論してみたら、如何でしょうか。 二つの異質な問題(係わり合いはあるでしょうが)が、一緒になっていると、信仰をもたない一般人は、レスもできなくなります。 掲示板を汚す元にも、なりかねません。 余計なことかもしれませんが、感想です。 私は、どちらも、関心が深くROMしたいと思います。 靖国問題については、リベラリストとして、Bさんにも、告天子さんとも少々違う意見と感情をもっています。(中間派かな)後から入りたいとも思っていました。 靖国は、個人の体験と感情の問題が多く、理論で割り切れないことが多いと思う。 キリスト教は、神と人との関係と聖書をどう読むか。でしょう。判断は神に任せるべきでしょう。 いずれにしても、キリスト者らしく、謙虚に、思いやりのある、かつ妥協のない、仲良い論争(難しいかな)を望みます。 |
▼昭和 人さん: > ...(略) >キリスト教と靖国との関係は、別なところで、Bさん、退役軍人さん、(できれば松さんも含め)、キリスト者の生き方の問題として、議論してみたら、如何でしょうか。 > >二つの異質な問題(係わり合いはあるでしょうが)が、一緒になっていると、信仰をもたない一般人は、レスもできなくなります。 > >掲示板を汚す元にも、なりかねません。 > >余計なことかもしれませんが、感想です。 >私は、どちらも、関心が深くROMしたいと思います。 ぼくも段々そのような気持ちになっていました。関心のある方には、それなりに意味のある議論ができそうな気がして、今までぼくなりにベストを尽くしてきたつもりです。しかし、おっしゃるように、関心のない方には、議論の焦点も見えないでしょうね。 >キリスト教は、神と人との関係と聖書をどう読むか。でしょう。判断は神に任せるべきでしょう。 > ぼくが言いたいことも結局はそういうことです。ただ、神と言ってもキリスト者でさえハッキリしていない人もいる。だから、聖書でがんばったのです。キリスト教のばあい、それがやはり正しいとぼくは思うのです。いくらローマ法王が人間的に立派な人だとしても、教会がその権威の上に立つのはおかしい。やはり聖書の上に立つべきだと思うのです。 >いずれにしても、キリスト者らしく、謙虚に、思いやりのある、かつ妥協のない、仲良い論争(難しいかな)を望みます。 まさか老人党で、キリスト教論争をキリスト者を相手にやることになるとは、ぼくには予想外でした。しかも、きっかけが靖国問題だとは! しかし、こういう論争はいつかはどこかでやらねばとは感じていました。 |
▼BadBlokeさん: よこからすみません。 いろんな人がいるもんですね。 コリント13章に 愛は寛容にして慈悲あり、愛はねたまず、愛は誇らず、たかぶらず。 とありましたね。 論説は最終的には 原則への信頼によって構築されねばならない。 ためにするものとの前提でのものは あんがいつまらないものです。 私の友人のものは 日曜日に教会に行ったか 聖書を読んだか それのうち暗誦できるところはあるか なんてことは言いません。 君はどういう風に育ったのか 君のお母さんは人を殺すことに どう言ってるのか こんな話で靖国のも自身の宗教の話も でもこいつ(牧師)は好かれてます。 >▼昭和 人さん: > >> ...(略) >>キリスト教と靖国との関係は、別なところで、Bさん、退役軍人さん、(できれば松さんも含め)、キリスト者の生き方の問題として、議論してみたら、如何でしょうか。 >> >>二つの異質な問題(係わり合いはあるでしょうが)が、一緒になっていると、信仰をもたない一般人は、レスもできなくなります。 >> >>掲示板を汚す元にも、なりかねません。 >> >>余計なことかもしれませんが、感想です。 >>私は、どちらも、関心が深くROMしたいと思います。 > >ぼくも段々そのような気持ちになっていました。関心のある方には、それなりに意味のある議論ができそうな気がして、今までぼくなりにベストを尽くしてきたつもりです。しかし、おっしゃるように、関心のない方には、議論の焦点も見えないでしょうね。 > >>キリスト教は、神と人との関係と聖書をどう読むか。でしょう。判断は神に任せるべきでしょう。 >> >ぼくが言いたいことも結局はそういうことです。ただ、神と言ってもキリスト者でさえハッキリしていない人もいる。だから、聖書でがんばったのです。キリスト教のばあい、それがやはり正しいとぼくは思うのです。いくらローマ法王が人間的に立派な人だとしても、教会がその権威の上に立つのはおかしい。やはり聖書の上に立つべきだと思うのです。 > >>いずれにしても、キリスト者らしく、謙虚に、思いやりのある、かつ妥協のない、仲良い論争(難しいかな)を望みます。 > >まさか老人党で、キリスト教論争をキリスト者を相手にやることになるとは、ぼくには予想外でした。しかも、きっかけが靖国問題だとは! しかし、こういう論争はいつかはどこかでやらねばとは感じていました。 |
▼BadBlokeさん: ちょっとした感想でしたのに、ご丁寧なレスを有難うございました。 土曜日から、旅行に出てしまい、言いっぱなしで、レスが遅れ失礼しました。 >▼>> ...(略) >>キリスト教と靖国との関係は、別なところで、Bさん、退役軍人さん、(できれば松さんも含め)、キリスト者の生き方の問題として、議論してみたら、如何でしょうか。 >> >>二つの異質な問題(係わり合いはあるでしょうが)が、一緒になっていると、信仰をもたない一般人は、レスもできなくなります。 >> >>掲示板を汚す元にも、なりかねません。 >> >>余計なことかもしれませんが、感想です。 >>私は、どちらも、関心が深くROMしたいと思います。 > >ぼくも段々そのような気持ちになっていました。関心のある方には、それなりに意味のある議論ができそうな気がして、今までぼくなりにベストを尽くしてきたつもりです。しかし、おっしゃるように、関心のない方には、議論の焦点も見えないでしょうね。 > >>キリスト教は、神と人との関係と聖書をどう読むか。でしょう。判断は神に任せるべきでしょう。 >> >ぼくが言いたいことも結局はそういうことです。ただ、神と言ってもキリスト者でさえハッキリしていない人もいる。だから、聖書でがんばったのです。キリスト教のばあい、それがやはり正しいとぼくは思うのです。いくらローマ法王が人間的に立派な人だとしても、教会がその権威の上に立つのはおかしい。やはり聖書の上に立つべきだと思うのです。 よく理解できます。 プロテスタントの本流の思想であり、考え方なんでしょうか。 > >>いずれにしても、キリスト者らしく、謙虚に、思いやりのある、かつ妥協のない、仲良い論争(難しいかな)を望みます。 > >まさか老人党で、キリスト教論争をキリスト者を相手にやることになるとは、ぼくには予想外でした。しかも、きっかけが靖国問題だとは! しかし、こういう論争はいつかはどこかでやらねばとは感じていました。 同感です。 でも、まあ〜、やさしく、してあげてください。 「妥協」ではない、「憐れみ」でしょうか。 X,masも近くなりました。 皆さんの論争は、このスレッドだけでは、なかったようですね。 Rayさんが、Stopかけたのも後から気がついて、驚いた次第です。 失礼しました。 靖国問題を外した、キリスト教(神学)論争は、是非、お聞かせください。 靖国問題は、「靖国礼拝」はすべきではありません。亡くなった人の「追悼」(想いで)なら、解ります。 松さんが、靖国の議論したくない、お気持ちも、わかるような気がします。 |