Page 1299 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼郊外型大型店の規制 キタキツネ 05/12/22(木) 8:08 ┣Re(1):地についた生活拠点を壊さぬ当然の配慮 珍 源斎 05/12/22(木) 12:08 ┃ ┗Re(2):人々の伝統的な生活基盤の破壊を許さぬ! 珍 源斎 05/12/22(木) 14:25 ┃ ┗Re(3):大きいことは良いことからの離脱を! 珍 源斎 05/12/24(土) 10:15 ┃ ┗Re(4):大きいことは良いことからの離脱を! 虎キチ大好き 05/12/25(日) 0:40 ┃ ┣Re(5):大きいことは良いことからの離脱を! 珍 源斎 05/12/25(日) 12:10 ┃ ┗Re(5):大きいことは良いことからの離脱を! キタキツネ 05/12/25(日) 13:37 ┃ ┗Re(6):大きいことは良いことからの離脱を! 虎キチ大好き 05/12/26(月) 23:44 ┣Re(1):郊外型大型店の規制 虎キチ大好き 05/12/22(木) 14:37 ┗Re(1):郊外型大型店の規制 J.I 05/12/27(火) 5:28 ┗Re(2):郊外型大型店の規制 珍 源斎 05/12/27(火) 12:41 ┗Re(3):郊外型大型店の規制 J.I 05/12/28(水) 4:48 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 郊外型大型店の規制 ■名前 : キタキツネ ■日付 : 05/12/22(木) 8:08 -------------------------------------------------------------------------
ショッピングセンターなど大型商業施設の郊外進出に国や地方自治体の間で規制を強める動きが出てきている。、スーパー業界で困惑が広がっている。地方都市で深刻化する中心市街地の空洞化にブレーキをかけるのが狙いだ。これはイオンなどの大手スーパーが巨大駐車場や映画館なども併設した郊外型SCを成長分野とみて出店を加速させているからだ。 あるジャーナリストが、例えると郊外型の大型店は動物で、地方都市の中心商店街は植物だと。郊外型の集客力が弱まると撤退することが出来る動物のようで、中心街の商店街は、地元に密着し集客が減っても動く事が出来ないので、いろいろ工夫をし客を呼ぶ、つまり花が蝶や蜜蜂を呼ぶような植物だと。 これから、超少子高齢化時代を迎える。車の運転出来ない高齢者にとっては、郊外型の大型店は行きたくともいけない。やはり徒歩で行ける商店街はありがたいのだ。自然界では植物も動物もお互いに与え合って生きている。人間にとっても同じで、郊外型の量販店は、小さな子供を抱えた家庭に取っては非常にありがたい存在です。 やはり、両方大事なのであって、一方に偏るのは生活が不便になるという事です。 自治体も住民の声を良く聞き決めていただきたいものです。 |
以前に徒歩圏内での街造りが必要であるとの旨を訴える 投稿をしたことがあるが・・・、 それは高齢化時代だけのことでは無く、生活環境の問題や 省エネルギーにも対応することの意味と・・・、 更に近郊の農業生産に関わる農地の保全や地域の固有の 文化拠点として旧市街地的な枠組みには捨て難いものが あり、次世代に残すモノとしての価値は大いにあると思う。 資本の論理に任せてしまうのは、如何なものと思う 西部劇にすら出てくる「かつて」の反映が消え失せた 廃墟の姿の虚しい光景が現実のものとなる事さえ想像できる。 街道筋に見られる大型レストランや商業施設の赤茶けた錆ついた 強者共の夢の後的な廃墟は日本でも身近に見ることができる、 漸くその辺りに政治も気付いたのか?少々遅すぎたきらいも なくもないが・・・。 大資本で無くても個人個人の創意工夫が生かせる稼業の復活する 方へ向く可能性もあると・・思う。これは後ほど纏めてみたい。 |
今、地方を中心に高まってる郊外型大型商業施設を規制する 動きの背景には、人々の伝統的な生活基盤の破壊をこれ以上 許すことが出来ないとする人々の想いが漸くにして纏まりつつ あるように思える。 経済効率第一主義の弊害に政治も行政も漸く気付き始めた事ならば 良いのだが。まだまだ反動の怖れはある。 生産の大規模化、流通の大規模化には諸々の弊害が現実のものとして 現れてる。 農業生産にしても、大規模化が必ずしも良いとは限らぬ、 それより地域に出来る限り密着した循環型の再生産システムを 構築することが重要に思える。 地域に密着した再生産システムを担うのは当然その地域毎の 生活基盤をもつ人々であり、若者達である。 仕事が細分化され創意工夫が活かされる稼業としての仕事が 創れれば、それは正に生き甲斐の創造にも繋がること・ やり甲斐のある仕事が増えるコトによりニートも減少する・。 「大量生産:大量消費」時代は既に環境問題や資源的な枷により 終焉を迎えておる現実もある。 地域文化の再構築そして循環型の社会構造を構築することの 必要性は一段と高まってる。 アメリカ的思考や文化の一辺倒から離脱してヨーロッパや 日本固有の文化へとマルチ的な思考による新しい文化の創造が 近未来の日本の幸せに通じてるように思える。 |
経済の高度成長期に「大きいことは良いことだ」のキャチフレーズが 無条件に我々は刷り込まれてしまった。 その弊害は至る所に現れてる。取り分け日本の地方都市の街並みや 日本農業の形態や変遷にもそれが見られる。 地方経済や雇用形態にもそれがみられる。 「地方経済の衰退」や「地方の文化力の後退」地方での人口年齢構成上 の老齢化、などなど。 大都市への過度集中により「生きる・働く・暮らす」ための生存条件が 損なわれてしまうこと、ニート問題なども関連性があるのではないか・。 日本国の真の底力は首都圏など大都市ではなく地方にその泉源は あると思う・。 次世代へ幸せを考えた時、「大きいことは良いこと」では無く 小さくても多様性が生きる社会、國の在り方、人々の意識改革が 必要に思える。 |
▼珍 源斎さん: >経済の高度成長期に「大きいことは良いことだ」のキャチフレーズが >無条件に我々は刷り込まれてしまった。 > >その弊害は至る所に現れてる。取り分け日本の地方都市の街並みや >日本農業の形態や変遷にもそれが見られる。 > >地方経済や雇用形態にもそれがみられる。 >「地方経済の衰退」や「地方の文化力の後退」地方での人口年齢構成上 >の老齢化、などなど。 > >大都市への過度集中により「生きる・働く・暮らす」ための生存条件が >損なわれてしまうこと、ニート問題なども関連性があるのではないか・。 > >日本国の真の底力は首都圏など大都市ではなく地方にその泉源は >あると思う・。 > >次世代へ幸せを考えた時、「大きいことは良いこと」では無く >小さくても多様性が生きる社会、國の在り方、人々の意識改革が >必要に思える。 ただ「大きい事はいい事だ」では無くて例えば家の近所に大型店が有れば 障害者・高齢者等の「移動弱者」にとってはよっぽど小さな商店よりは良いです 何故かと言えば地方の商店街と言うのは「衣食住」必要な物を揃えるのに 魚屋、服屋、肉屋等買う物毎に違う店に行き、荷物もかさばってしまうが 総合スーパーなら1ヶ所で済むから移動弱者にとっては商店街より 近くに有れば使い勝手は商店街より良いと思います。 問題はまだ完全な移動弱者社会ではないので動物が将来のエサをまだ食べに来ない と言う所ですね。 |
虎キチ大好きさん こんにちわ 折角のレスを頂きましたが、少し的外れのようです。 私は地方経済の仕組みについての方向性にかんして投稿させて 頂きました。 現在、地方の経済がおかれてる状況はこのまま放置できない処まで 来ています。その事に絞って考えれば高度成長経済に伴う 弊害が浮上してきます。過密、過疎もその現れの一つです。 これらに対応する方向としては、小ささもメリットであるとする 見方もあります。大量生産、大量販売、大量物流、でなくても 地域、循環型の経済システムの構築が可能になってる現実も あります。 イメージとしては買い物袋一つで用が足せ、しかも徒歩圏内にて それが可能になること、 食料生産も地産、それを地元で消費する形ができれば、循環型の 経済システムの一助にもなり得ます。 そしてそれが地方経済を復活させ支える仕組みに通じると 思考する処です。 事々、左様に高度成長経済の望めなくなった時代背景も踏まえて 地についた暮らしを確立する・コトへのご提案の意味も含めての ことですので、その辺りのご意見を頂ければ幸いです。 >>経済の高度成長期に「大きいことは良いことだ」のキャチフレーズが >>無条件に我々は刷り込まれてしまった。 >> >>その弊害は至る所に現れてる。取り分け日本の地方都市の街並みや >>日本農業の形態や変遷にもそれが見られる。 >> >>地方経済や雇用形態にもそれがみられる。 >>「地方経済の衰退」や「地方の文化力の後退」地方での人口年齢構成上 >>の老齢化、などなど。 >> >>大都市への過度集中により「生きる・働く・暮らす」ための生存条件が >>損なわれてしまうこと、ニート問題なども関連性があるのではないか・。 >> >>日本国の真の底力は首都圏など大都市ではなく地方にその泉源は >>あると思う・。 >> >>次世代へ幸せを考えた時、「大きいことは良いこと」では無く >>小さくても多様性が生きる社会、國の在り方、人々の意識改革が >>必要に思える。 > > |
虎キチ大好きさん >ただ「大きい事はいい事だ」では無くて例えば家の近所に大型店が有れば >障害者・高齢者等の「移動弱者」にとってはよっぽど小さな商店よりは良いです それは一概に言えませんね。移動弱者って言葉初めて聞きますが、車の運転できないお年寄りはやはり近くの商店街の方が便利ですよ。 大型店は大型店の良さがあります。それは否定しません。成長盛りの子供のいる家は、量販店は助かると思いますよ。しかし、私のような年寄りになると食べる量も少なくなるし、量販店で買い物しても量が多すぎて余してしまいます。 だから「量販店」も「商店街」も両方必要なんであって、選択の余地を消費者に与える事が大事なんですよ。 それを、何でも「大きいことは、良いことだ!」とばかりに、全国どこへ行っても、同じような店舗をバカスカ建てて、挙句の果てには過当競争で倒産……。 お陰で周辺の住民は更に遠くへ買い物に行かなければならない。そういう状況が北海道の各地で見られます。 |
>▼キタキツネさん: > それは一概に言えませんね。移動弱者って言葉初めて聞きますが、車の運転できないお年寄りはやはり近くの商店街の方が便利ですよ。 「移動弱者」とは一般語ではなくて私が作った造語なんですが 車等を運転不能で「移動手段」が徒歩や公共交通機関しか無い人(自分も)の 事を総じて移動弱者と言ってます。 > > 大型店は大型店の良さがあります。それは否定しません。成長盛りの子供のいる家は、量販店は助かると思いますよ。しかし、私のような年寄りになると食べる量も少なくなるし、量販店で買い物しても量が多すぎて余してしまいます。 > >だから「量販店」も「商店街」も両方必要なんであって、選択の余地を消費者に与える事が大事なんですよ。 > それを、何でも「大きいことは、良いことだ!」とばかりに、全国どこへ行っても、同じような店舗をバカスカ建てて、挙句の果てには過当競争で倒産……。 > お陰で周辺の住民は更に遠くへ買い物に行かなければならない。そういう状況が北海道の各地で見られます。 何故私が移動弱者にも関わらず大型店のが便利と言ったかと言えば 結論は違っても珍源斎さんが【69159】で >イメージとしては買い物袋一つで用が足せ、しかも徒歩圏内にて それが可能になること、 と仰ってましたが、私も基本的には同じです。 但し違っているのは私の主張のように「総合スーパー型店舗」で そこに行けば衣食住全てが揃う「ワンストップサービス型店舗」か 昔ながらの個人商店でそれぞれ売っているものが別々の店舗になる 「商店街型店舗」かの違いだけだと思います。 |
▼キタキツネさん: > これから、超少子高齢化時代を迎える。車の運転出来ない高齢者にとっては、郊外型の大型店は行きたくともいけない。やはり徒歩で行ける商店街はありがたいのだ。自然界では植物も動物もお互いに与え合って生きている。人間にとっても同じで、郊外型の量販店は、小さな子供を抱えた家庭に取っては非常にありがたい存在です。 > > やはり、両方大事なのであって、一方に偏るのは生活が不便になるという事です。 自治体も住民の声を良く聞き決めていただきたいものです。 私も車を使えぬ障害者ですからよく分かりますがそれにしても今回の決定は 「法律を変えてまで動物(大型店)の郊外出店をしばる必要があるのか? と思います。 と言うのは植物(商店街)は一度生えたらそこから動く事は出来ないが 動物は(大型店)は群れの仲間(従業員)を食べさせて行く為に 郊外にエサ(顧客)が少なくなれば又新たなエサを求め中心部に戻ってくるもの だと思います。事実県内の郊外型大型家電店2店が中心部から徒歩15分以内の場所に移転しました。 機動性が植物は利かないが動物は利くのでいちいち法律でしばらなくとも戸思います。 |
それは・いわゆる「行政」が口を出す必要がある 事なのかなあ?本当に「地域住民(私が嫌いな言葉 だけれど)」の事を考えて「規制」なり何なりやるの ならいいけれど「陳情」とかなんとかする企業とか 業界に動かされてだったら・・ 所謂「大店出店」その地域の人達に利便をもたらす ことは一方では確かなので・・それは何人かの方がここで 言われている過疎地域の高齢者にとっては非常な厳しい 状態を齎すのでしょうけれど、それを「救済」するのは それこそ国の仕事でしょう・・ 今の小泉政権にはその造った国家の制度の為に「落ち こぼれた弱者」を国の責任として救済するという姿勢 は感じられませんね。 なんか「やぶにらみ」みたいな書きこみになって しまいましたが・・ |
J.Iさん こんにちわ! 地方の時代が今問われてます。 地方行政が住民主体に運営されることの芽生えとでも云える 動きがあります。 個人としては力になり得ぬことも住民主体の政策が地方行政として 発揮されれば暮らし向きも良くなることに通じると思います。 今までは、それにより大きな利益を生むであろう圧力団体が 行政に歪みを及ぼしてたことは否定出来ませんが、 それを其処に暮らす住民が取り戻し正常に行政を機能させる ことにあります。 > 所謂「大店出店」その地域の人達に利便をもたらす >ことは一方では確かなので・・それは何人かの方がここで >言われている過疎地域の高齢者にとっては非常な厳しい >状態を齎すのでしょうけれど、それを「救済」するのは >それこそ国の仕事でしょう・・ そのお考えは?です。國任せでは無い住民主体でなければ ことは運びません。國に任せるともの凄い蒿コストになって しまう例は枚挙にいとまがありません。 其処の処は既に経済の高度成長期とそれに続いた今日までの 経過の中で多くの学び得た事柄にあるのではないでしょうか・。 >今の小泉政権にはその造った国家の制度の為に「落ち >こぼれた弱者」を国の責任として救済するという姿勢 >は感じられませんね。 > きめの細かいセフテイネットはやはり地域の住民や地方行政が 機能して取り組む必要があるように思えます。 |
珍源斎様・おはようございます。 いつも丁寧なコメント、有難うございます。 総論としてはおっしゃるとおりだと思うのですが・・ わたしの住んでいるところはいわゆる6大都市・・ (でも大店の出店で小さな、昔からのお店はどんどん ?閉店していますが)前にも何かの時書いたような気が しますが私の老母は地方の小都市にいる私の妹が面倒を 看ています(その間の事情は略させていただきますが) その「介護」の質はかわらないけれど、何しろ介護施設 が少ししかない、いろいろ思うように行かないようです。 地方自治体の・そのもつ「力」で住民サービスにどう しても差が出てきてしまいます。でもその地方の「住民」 も同じ日本国民なので・・・ もっとも、その市、隣の市と合併した方が・という話も 出ているそうですが・その辺になると部外者には分かり ませんので・・・・・ |