Page 259 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼人の思考法あれこれ! 流水 05/5/30(月) 14:22 ┣Re(1):人の思考法あれこれ! ステディ ベア 05/5/30(月) 18:32 ┃ ┗Re(2):人の思考法あれこれ! 流水 05/5/30(月) 19:15 ┃ ┗Re(3):人の思考法あれこれ! ステディ ベア 05/5/31(火) 0:05 ┃ ┗Re(4):人の思考法あれこれ! 流水 05/5/31(火) 9:54 ┃ ┗Re(5):人の思考法あれこれ! ステディ ベア 05/6/1(水) 12:00 ┃ ┣Re(6):人の思考法あれこれ! 海幸彦 05/6/1(水) 12:53 ┃ ┃ ┣Re(7):人の思考法あれこれ! 告天子 05/6/1(水) 13:48 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):人の思考法あれこれ! 海幸彦 05/6/1(水) 21:21 ┃ ┃ ┃ ┣Re(9):人の思考法あれこれ! 告天子 05/6/1(水) 22:49 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(10):人の思考法あれこれ! 海幸彦 05/6/2(木) 10:41 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗警告>海幸彦さん 管理スタッフ 05/6/3(金) 9:45 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗警告>告天子さん 管理スタッフ 05/6/3(金) 9:29 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):人の思考法あれこれ! 告天子 05/6/1(水) 22:49 ┃ ┃ ┗警告>海幸彦さん 管理スタッフ 05/6/1(水) 22:11 ┃ ┣Re(6):人の思考法あれこれ! 流水 05/6/1(水) 13:44 ┃ ┃ ┗[管理者削除] ┃ ┃ ┣Re(8):人の思考法あれこれ! taka 05/6/1(水) 21:18 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):人の思考法あれこれ! ゆきりん 05/6/1(水) 21:53 ┃ ┃ ┃ ┗Re(10)忠告! 流水 05/6/2(木) 11:14 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):Re(10)忠告! ゆきりん 05/6/2(木) 18:02 ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):Re(10)忠告! 流水 05/6/2(木) 19:06 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):Re(10)忠告! ゆきりん 05/6/2(木) 20:15 ┃ ┃ ┃ ┗移動しました 管理スタッフ 05/6/3(金) 9:46 ┃ ┃ ┣Re(8):人の思考法あれこれ! 加茂井77 05/6/1(水) 21:30 ┃ ┃ ┗移動しました 管理スタッフ 05/6/1(水) 22:20 ┃ ┗Re(6):人の思考法あれこれ! 安本単三 05/6/3(金) 14:10 ┃ ┣警告>安本単三さん 管理スタッフ 05/6/3(金) 20:19 ┃ ┗Re(7):人の思考法あれこれ! ステディ ベア 05/6/4(土) 2:10 ┃ ┗Re(8):人の思考法あれこれ! 安本単三 05/6/4(土) 9:13 ┣流水様、こんばんは ニック 05/5/31(火) 0:13 ┃ ┗Re(1):平和主義と軍隊 流水 05/5/31(火) 12:22 ┃ ┣流水様、こんにちは ニック 05/5/31(火) 12:48 ┃ ┃ ┗明示されてますよ。 退役軍人 05/5/31(火) 16:33 ┃ ┃ ┗またまた、珍説といわざるをえない 海幸彦 05/5/31(火) 17:08 ┃ ┃ ┗またまた、珍説といわざるをえない <-同感です ニック 05/5/31(火) 21:02 ┃ ┃ ┣何故に多数派が出来ないのですか。? 退役軍人 05/5/31(火) 21:58 ┃ ┃ ┗警告>ニックさん 管理スタッフ 05/6/1(水) 9:32 ┃ ┗Re(2):平和主義と軍隊 ぎみゆら 05/6/7(火) 12:09 ┣Re(1):人の思考法あれこれ! ぎみゆら 05/5/31(火) 11:50 ┃ ┣戦争を、聞く、読む、話す、書く、ということ ぎみゆら 05/5/31(火) 15:49 ┃ ┃ ┗Re(1):戦争を、聞く、読む、話す、書く、ということ 流水 05/5/31(火) 18:00 ┃ ┃ ┗Re(2):戦争を、聞く、読む、話す、書く、ということ ぎみゆら 05/6/1(水) 20:03 ┃ ┗戦争を、聞く、読む、話す、書く、ということ (続) ぎみゆら 05/5/31(火) 16:00 ┗Re(1):人の思考法あれこれ! 団塊党 05/6/4(土) 20:52 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 人の思考法あれこれ! ■名前 : 流水 ■日付 : 05/5/30(月) 14:22 -------------------------------------------------------------------------
わたしは掲示板を読むとき、その人の思考法を読むのが常です。 常に理論から考えないと、思考が動き出さない人。ほんの少しの事実から、想像の翼を広げる人。自分の感性を信じている人。人さまざまです。 月並みですが、人にはさまざまな思考法があり、さまざまな感じ方があるのだな、というのが感想になります。 先日から、フィリッピンのミンダナオ島の生き残りの日本兵の話題で持ちきりです。本当に生きているのか、それともガセネタか。それにも興味がありますが、それより何より第30師団の悲惨な敗退戦の実態が、生き残りの人々によって明らかになっていったことに意味があります。 特に、衛生兵だった平岡氏の話は、耳をふさぎたくなるような話だった。「人間の新鮮な血をみたら、おいしいそうだった」という感性は、飢餓地獄の中をさまよった人でないと決して出てこない言葉だった。 問題は、この事実から何を感じ、何を考えるか、という受け取る側の問題だと思います。一口に歴史と言いますが、人はどのように歴史を再構成するのでしょうか。 1、条約・法律・外交文書などの条文 2、当時の政治家・官僚などの演説2、各省庁の資料(統計その他)4、当時の政治家・官僚などの日記・著作5、政策を具体的に実施した現場の指導者の日記や著作、証言6、戦争なら相手国の政策・外交文書、政治家の演説、相手国の資料など その他もろもろありますが、いわゆる一次資料と呼ばれる資料を比較検討し、歴史的事実の再構成をする、というのが、通例でしょう。 そうなると、上に書いた平岡氏の話などは、現場兵士の一挿話程度の扱いを受けざるを得ません。つまり、彼の話の相対的価値が低くなるのです。 ところが、彼の話を【人間】という観点から聞くと、人肉を食うことに抵抗がなくなるという人間の無残さに、非常な関心を抱かざるを得ません。同時にこのような非人間的行為をせざるを得ないところまで追い詰めた【戦争】という行為について大きな疑問を抱かざるを得ないのです。 一つ事実を眺めても人の思考法によって、事実の解釈は違ってきます。軍事を通じて政治を語る時、一番陥りやすい欠陥は、【人間】についての感覚が鈍磨することです。 上記のミンダナオ島などの日本軍の敗走戦を、戦術の失敗などのタクテイスの視点で考えるか、一人の人間の命という視点で考えるかによって、歴史の歩き方が変わります。 同じ自国民でもこれくらい違うのですから、他国民とでは同じ事実でも見方が全く異なるのは当然です。まして、加害者と被害者の関係にある場合、その見方は絶望的なくらい違っていると考えるのが正しいと思います。 では、【絶望的な違い】を克服するのは何か? 唯一の道は、人間の命を大切に考える立場だと思います。中国人の命、日本人の命、韓国人の命。この一人一人の命を大切にする思考法ならば、普遍性を持つことができます。 日本がアジアでの孤立を避ける道は、文字通り一人一人の命を大切にする思考法をもう一度取り戻すことだと思います。 |
▼流水さん: 失礼いたします。 >わたしは掲示板を読むとき、その人の思考法を読むのが常です。 ・・・(長文につき、途中省略失礼します。)・・・ >まして、加害者と被害者の関係にある場合、その見方は絶望的なくらい違ってい >ると考えるのが正しいと思います。 ここまでは全く同感です! >では、【絶望的な違い】を克服するのは何か? >唯一の道は、人間の命を大切に考える立場だと思います。中国人の命、日本人の >命、韓国人の命。この一人一人の命を大切にする思考法ならば、普遍性を持つこ >とができます。 >日本がアジアでの孤立を避ける道は、文字通り一人一人の命を大切にする思考法 >をもう一度取り戻すことだと思います。 「生命至上主義」を個人が持つことは、何にも異論はありません。 さまざまな哲学者、思想家が人間として生きるべき道を模索し、説いています。 しかし、現実の「国を司る」ということはそうではないと思います。 相手の国々が「自国を司っている」思考もまた同じ(これ重要)と思います。 このことは「お国のためなら戦場へ行け、命を大切にするな」ということでは断じてありません。 国家の運用は複雑を極めます。個人の思想と、国家の運用とを同一視は出来ない、と言うことだと思います。 その前にまず、個人の思想を皆同じ見方にする、しよう、とする方が無理であり、ましてやそれをそのまま国家運用に適用しようとすることのほうが怖いでしょう。 生命至上主義は怖い部分を持っています。 それと「加害者側、被害者側という関係にある場合」というステレオタイプの見方はいただけません。 こういう考え方は絶望的でしょうか? |
▼ステディ ベアさん: ●しかし、現実の「国を司る」ということはそうではないと思います。 >相手の国々が「自国を司っている」思考もまた同じ(これ重要)と思います。 > >このことは「お国のためなら戦場へ行け、命を大切にするな」ということでは断じてありません。 >国家の運用は複雑を極めます。個人の思想と、国家の運用とを同一視は出来ない、と言うことだと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしは過去の投稿で、個人と国家の位相の違いについて何度も述べています。 国家論を語るならまずそこから出発しなければなりません。国家の運用と個人の思想とは違う、の一言で思考停止してはならない問題だと考えています。 ●その前にまず、個人の思想を皆同じ見方にする、しよう、とする方が無理であり、ましてやそれをそのまま国家運用に適用しようとすることのほうが怖いでしょう。 >生命至上主義は怖い部分を持っています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【個人の思想を皆同じ見方にする】などとどこに書いています。書いていないことを前提に論理を展開しては、議論はかみ合いません。 > ●それと「加害者側、被害者側という関係にある場合」というステレオタイプの見方はいただけません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ では、どのように解釈すればよいのですか。どんなに理屈をこねても、日本が中国の領土で戦争したことは否定できないでしょう。つまり、攻め込んだ日本は加害者、攻め込まれた中国は被害者、というのは国際的常識でしょう。 ナチスドイツに攻め込まれたポーランドは被害者ではないのですか。 この当たり前の歴史的事実をステレオタイプと言い切るあなたは、よほど世界の人々が驚愕し、心の底から納得するような事実と解釈を持っておられるのですね。ぜひ、ご教授いただきたいものです。 ただし、聞き飽きた右派の論理はごめんこうむりますよ。 > |
▼流水さん: >>国家の運用と個人の思想とは違う、の一言で思考停止してはならない問題だと考>>えています。 はい、「国家の運用と個人の思想とは違う」の一言で思考停止するつもりなどありません。 >>問題は、この事実から何を感じ、何を考えるか、という受け取る側の問題だと >>思います。一口に歴史と言いますが、人はどのように歴史を再構成するので >>しょうか。 >>1、条約・法律・外交文書などの条文(以下省略) >>ところが、彼の話を【人間】という観点から聞くと・・・ 流水さんは1〜6の他に、さらの「その他もろもろの・・・」とお書きですが、その中には「現場兵士の一挿話」は含まれていないのでしょうか? 生身の人間の証言も『5、政策を具体的に実施した現場の指導者の日記や著作、証言』の内に含まれるものもあるでしょう。 私はいろいろな資料を読むときに「現場兵士の一挿話」の類も読みますが・・・ 流水さんがこの「現場兵士の一挿話」をリストから外し、さらに外された「現場兵士の一挿話」のほうに価値がある、そのほうがより真実である、と意義付けようとされておられるならばそれは一種の印象操作といえなくも無いでしょう。(あくまでも仮定ですが、でも、そう読めますね、ハズレてたら撤回します) 『人、皆、飾っていう』『苦労話は七割引』 窮地から脱して帰還した斥候の報告や、一ヶ月間張り込んで獲得したスクープ記事は鵜呑みにするな、というのが指揮官やジャーナリスト責任者の心構えです。 ましてや一個人の体験談を以って他の資料を上回る評価を下す・・・心情的には理解出来なくもありませんが、『彼の話の相対的価値が低くなる』のは決して失礼なことでもなければ、真実から眼を背けさせるものでもないと思います。 >>【個人の思想を皆同じ見方にする】などとどこに書いています。書いていない >>ことを前提に論理を展開しては、議論はかみ合いません。 それでは >>唯一の道は、人間の命を大切に考える立場だと思います。中国人の命、日本人の>>命、韓国人の命。この一人一人の命を大切にする思考法ならば、普遍性を持つこ>>とができます。日本がアジアでの孤立を避ける道は、文字通り一人一人の命を大>>切にする思考法をもう一度取り戻すことだと思います。 このくだりは誰が誰に向かって仰っているのでしょうか。私の読み間違いならお許しください。老人党の目指すところは時の政府に働きかけることなのではなかったのでは有りませんか? 政府に向かって、世論として、もの申すことではないのですか? >>では、どのように解釈すればよいのですか。どんなに理屈をこねても、日本が >>中国の領土で戦争したことは否定できないでしょう。つまり、攻め込んだ日本は加>>害者、攻め込まれた中国は被害者、というのは国際的常識でしょう。 >>ナチスドイツに攻め込まれたポーランドは被害者ではないのですか。 >>この当たり前の歴史的事実をステレオタイプと言い切るあなたは、よほど世界の >>人々が驚愕し、心の底から納得するような事実と解釈を持っておられるのです >>ね。ぜひ、ご教授いただきたいものです。 >>ただし、聞き飽きた右派の論理はごめんこうむりますよ。 論点の拡大は望みません。日中戦争だけに絞ります。 >>つまり、攻め込んだ日本は加害者、攻め込まれた中国は被害者、というのは国際>>的常識でしょう。 「春秋に義戦なし」は故 山本 夏彦氏の言(その前の故事は知りません)ですが、そのとおりと思っています、しかし、中国人が日本人を罵るのなら判りますが、日本人が日本人を罵る、それはどういうスタンスなのでしょうか。 世の中にはその方が気持ちが良い、と考える方も居るでしょう。 しかし、自分の国が一番良いに決まっている、それは他国から見ればきわめて不健康なのですが、それが当たり前でしょう、当たり前ではない考え方が私にはどうしても判りません。誰か(又はどこかを)日本以外を意識しての発言としか思えません。 付け加えますが、右だ、左だなどという言葉は止めませんか。 老人党に数少ない論客からそのような言葉は聴きたくないのですが・・・ |
▼ステディ ベアさん: >流水さんは1〜6の他に、さらの「その他もろもろの・・・」とお書きですが、その中には「現場兵士の一挿話」は含まれていないのでしょうか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 当然、含まれます。ただし、資料的価値が相対的に低下すると書いているはずです。 ●流水さんがこの「現場兵士の一挿話」をリストから外し、さらに外された「現場兵士の一挿話」のほうに価値がある、そのほうがより真実である、と意義付けようとされておられるならばそれは一種の印象操作といえなくも無いでしょう。(あくまでも仮定ですが、でも、そう読めますね、ハズレてたら撤回します) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それはあなたの読み方がおかしいのです。 歴史を再構成する通常のやり方と【現場兵士の一挿話】とをなぜ持ち出しているか。それは一次資料を駆使して歴史を再構成するとき、現場兵士の血を吐くような思いを感性として取り込む必要があるといっているのです。 > ● >ましてや一個人の体験談を以って他の資料を上回る評価を下す・・・心情的には理解出来なくもありませんが、『彼の話の相対的価値が低くなる』のは決して失礼なことでもなければ、真実から眼を背けさせるものでもないと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これもあなたが自分で設問をつくり、自分で答えを出すやり方であまり感心しませんね。 上記に書いたことで、この答えは出ていると思います。 ●このくだりは誰が誰に向かって仰っているのでしょうか。私の読み間違いならお許しください。老人党の目指すところは時の政府に働きかけることなのではなかったのでは有りませんか? >政府に向かって、世論として、もの申すことではないのですか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ くどく説明するのは本意ではないのですが、歴史観・国益論などをいくら論じたところで所詮はかないものです。一人一人の人間の命を如何に大切にするか、という視点で話し合えば、普遍性を持つことができる、と説いているのです。 > ●「春秋に義戦なし」は故 山本 夏彦氏の言(その前の故事は知りません)ですが、そのとおりと思っています、しかし、中国人が日本人を罵るのなら判りますが、日本人が日本人を罵る、それはどういうスタンスなのでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしにはその発想が全く理解できませんね。日本が加害者、中国が被害者という国際常識から、正しい解決法を模索するのが、論理的態度ではないですかね。 中国ならいってもよいが、日本人は日本のやったことは黒いものも白といいなさい、とあなたは主張されるのですか。 わたしは別に日本や日本人を貶めるつもりはありませんが、黒いものを白いといいつくろうことは、結果日本や日本人のためにならないと考えているのです。 国際的常識にあらがうのに、黒いものを白といって理解を得られるはずがないのです。 わたしは21世紀の国際関係は、黒いものは黒い、白いものは白い、ということをお互いに認めることからしかはじまらないと考えています。これは日本に対しても中国に対しても韓国に対しても米国に対しても同様です。 黒いものを黒い、白いものは白い、と主張できる日本でありたいと考えています。 ●付け加えますが、右だ、左だなどという言葉は止めませんか。 >老人党に数少ない論客からそのような言葉は聴きたくないのですが・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 間違えないでいただきたいのですが、わたしは当初から左右の原理主義を排す、という立場です。だから、聞き飽きた右派の論理ならごめんこうむります、といっているのです、 |
▼流水さん: 前段部分は了解致しました。 >わたしにはその発想が全く理解できませんね。日本が加害者、中国が被害者とい >う国際常識から、正しい解決法を模索するのが、論理的態度ではないですかね。 長文ですが、失礼致します。 日中間の戦争の本質を考える時、日清戦争に始まる一連の衝突事件、事変、戦争は決して近代国民国家間の国民戦争とはいえない、ということに注意する必要があると思います。 どの政府も全中国を代表する政党政府を唱えながら、対外的に一国の政府の責任を負えるものは皆無であり、国家の体をなしていなかったのです。 したがって、それは両国の国益の衝突というよりも、日本の国益対中国各武装集団の私利私欲との衝突と見るほうが正しく、また、両国のナショナリズムの対立というよりも、日本の興亜を目指した超国家主義(大アジア主義)対中国の欧米勢力と結託した排他的中華思想との葛藤だった、というべきでしょう。 中国は有史以来、統一の時代という秩序安定期と、天下大乱、乱世という混乱期とが交互に繰り返されて来ました。中華世界は中国人=漢人だけによって築かれて来た訳ではありません。むしろ混乱の再建は外来の「夷狄」によって行われてきた、という事実があります。 清の隆盛は十八世紀末に峠を越え、白蓮教徒の乱をはじめ、太平天国の乱、回乱、教匪、会匪の乱と続きます。二十世紀に入ってからは辛亥革命が起こり、中華民国が誕生したものの、この統一国家とは名ばかりの多政府国家の時代は、軍閥内戦、国民党内戦、国共内戦と、以前にも増して延々と激しい騒乱が繰り広げられていたのです。 戦乱や飢饉による死者は一回ごとに百万人から千万人にも達し、中国国民は疲弊しきっていました。そんな清王朝末期の混乱の再建を試み、カオスの中国に参入、新しい秩序の建設に臨んだのが日本なのです。 日中戦争が始まる前の中国とはどういう状態であったのでしょうか。 当時の中国は英国、ロシアの「半植民地」であり、アメリカの後押しで唯一体裁を整えていると言えそうだったのが、蒋介石率いる国民党でした。 世界恐慌後の各国の排斥的なブロック経済に対抗し、日本は自国防衛のために満州、華北を対象としたブロック経済圏構想を持たざるを得ませんでした。 消費財の多くを自給できない当時の中国にとっては、他国より廉価な製品の輸入は得策でした。また、農業の発展や資源開発を行う資本、技術、経営力がなく自力でこれを行うことは困難でしたから、日本の支援は必要だったのです。 このように日本による中国の経済建設を、単に「日本軍の作戦上の都合」とする見方だけでは、当時の歴史の大きなうねりを説明できません。 『春秋に義戦なし』とは前にも述べましたが、列強の時代にはなおさら義戦というものはないでしょう。全てが国際力学によって左右され、その中で発生したのがこの日中戦争です。そして、そのパワーゲーム(誤解を恐れずに使います)の中で敗れ去った国(中国)を被害者、被侵略国として、その側に『正義』があったとする歴史認識は正鵠を得ているとは到底思えません。 歴史はマクロで見なければなりません。中華世界にとっては外来民族が救世主だったという歴史の視点が必要なのです。この非漢民族(モンゴル人、満州人、日本人)が果たしてきた役割や貢献は、今日の近代ナショナリズムの視点、あるいは漢民族主義、中華民族主義の視点からでは決して理解できません。 そもそも戦争とはさまざまなトラブル、事件の積み重ねがあって発生するものです。一方的な侵略戦争観、侵略陰謀史観だけで日中戦争を眺めていていいのでしょうか。無数の事件の中には計画の誤りや誤解に基づいたことなど人間の予期できなかったことが多く含まれていることはいうまでもありません。 でありながら、加害者と被害者の二分法で複雑極まりない日中衝突の歴史に判定を下すことなど決して科学的な態度とはいえない、と思います。 日本の侵略によって一方的に苦しめられたことばかりを強調し、挙句には他国の教科書にまで書けと厳命する、これほど独善的な態度は如何なものか。 ましてや、中国人が言うならまだしも、日本人がそのような見方で日本を侵略国と断定し、それを正しい歴史認識として学校で教育し、公式見解にまで取り入れようとすることは、もはや先人を侮辱し愚弄している、としか思えないのです。 |
▼ステディ ベアさん: >▼流水さん: >戦乱や飢饉による死者は一回ごとに百万人から千万人にも達し、中国国民は疲弊しきっていました。そんな清王朝末期の混乱の再建を試み、カオスの中国に参入、新しい秩序の建設に臨んだのが日本なのです。 暴論です。日本は、混乱に乗じて「カオスの中国に参入、新しい秩序の建設に臨んだ」のであります。アメリカが中近東でしていることと重なります。なぜ日本は他国の地に乗り込み、他国民を殺してまで自国の政策を遂行できるのでしょうか。 日清戦争以来、日本が血税で支出した戦費は膨大です。それで得た「利益」はそれよりはるかに少なかった、と言われております。戦争は決してもうからなかった、のであります。しかも戦争で利益を得るのはごく一部です。もちろん日本国内での弾圧も伴いました。 「支出は国民から、収入は政商のふところへ」という構造です。人道的にも、純経済的?にも、まったく愚かな政策であったと言わざるを得ません。これは日本に今でも続いている構造です。「政官財癒着・国民財産横領・無駄遣い」がそれです。この内、戦費の支出と一部勢力が得る利益は「横領・無駄遣い」に当たります。 その過ちを過ちとして認めようとしない愚かな輩が次のようなことをほざけます。 >ましてや、中国人が言うならまだしも、日本人がそのような見方で日本を侵略国と断定し、それを正しい歴史認識として学校で教育し、公式見解にまで取り入れようとすることは、もはや先人を侮辱し愚弄している、としか思えないのです。 >中国人が言うならまだしも、 というのはどういうことでしょうか。あなたは先の一連の戦争が、中国人にとっては侵略であったと感ずることには同意できるのでしょうか?中国人であろうが日本人であろうが、共通の認識を持つのになにか問題があるのでしょうか。 「先人を侮辱し愚弄」と言いますが、愚かな政策を国民に押し付けたことは事実なのです。 あなたのように先人の政策を賛美する人間には日本の現在・未来をとても任せられません。深く反省して出直すことをお勧めいたします。 |
▼海幸彦さん: 横レスします。 >「支出は国民から、収入は政商のふところへ」という構造です。人道的にも、純経済的?にも、まったく愚かな政策であったと言わざるを得ません。これは日本に今でも続いている構造です。「政官財癒着・国民財産横領・無駄遣い」がそれです。この内、戦費の支出と一部勢力が得る利益は「横領・無駄遣い」に当たります。 典型的な、政商悪玉史観だと思います。では、日本が当時の列強のパワーゲームの舞台となったアジアで、独立を維持するためには、どうしたらよかったのですか。当時の国内・国際状況に即して、理想的な「横領も、無駄遣いもなく、独立も維持できる」システムというのは、作り得たものでしょうか、 まず、どうしたらよかったのか、教えてください。 >その過ちを過ちとして認めようとしない愚かな輩が次のようなことをほざけます。 あなたは人を愚かと言いきるのですから、是非教えてください。日本人はどうしたらよかったのですか。 >>ましてや、中国人が言うならまだしも、日本人がそのような見方で日本を侵略国と断定し、それを正しい歴史認識として学校で教育し、公式見解にまで取り入れようとすることは、もはや先人を侮辱し愚弄している、としか思えないのです。 このステディ ベアさんのご発言は、自尊の精神を持つ一国民として当然に出てくる意見ではないかと思いますが、海幸彦さんはそれを「愚か」というのですから、先人が取り得なかった道を示してくださると確信しております。 それも出来ずに、言っているのであれば、あなたは「先人への侮辱や愚弄」を他人に強要までし、それをしない者を「愚か」と貶めることをしているのでしょう。 > >>中国人が言うならまだしも、 >というのはどういうことでしょうか。あなたは先の一連の戦争が、中国人にとっては侵略であったと感ずることには同意できるのでしょうか?中国人であろうが日本人であろうが、共通の認識を持つのになにか問題があるのでしょうか。 しょせん中国人と日本人とでは、別の国の人です。我々は、違う運命を持って生まれた、それを受け入れるべきでしょう。中国には中国の事情と言い分があり、日本人にもやはり事情と言い分があります。 >「先人を侮辱し愚弄」と言いますが、愚かな政策を国民に押し付けたことは事実なのです。 では、中国の言うがまま、当時の中国の望むとおりに日本が動いていたとして、日本の独立は、アジアの・・・朝鮮や中国大陸の独立というのは、あり得たものでしょうか。中国側では、日本人の虐殺や陵辱、排日の愚かな政策は採らなかったのですか。「それらの原因は、全て日本側にある」、というようなことなら、日本は大陸から全面撤退でもするより他なかったろうし、しかし、だったら日本の手はきれいだったかもしれないが、今のアジア世界もきれいさっぱりなかったかもしれないですね。 >あなたのように先人の政策を賛美する人間には日本の現在・未来をとても任せられません。深く反省して出直すことをお勧めいたします。 あなたの場合は、先人の政策を全面的に侮辱し、否定されているように思います。さぞかし、良策がおありのことと思いますが、また、どういう立脚点から「絶対の正義」の如きものを他人に(先人に)要求できるのか、不思議に思います。 |
▼告天子さん: >▼海幸彦さん: >横レスします。 ヨコレスですか…。 そもそも私がヨコレス中ですから、それにヨコレスされてもちょっとねー。それに「教えて下さい」という割には、あなたも随分と饒舌ですねー、まるで自説を開陳しているだけじゃないですか?第一「告天子」さんに私が「教える」ことなど、ありましょうかねー。(「告天子」…、どういうおつもりでこのHNを使っていらっしゃるのか…) まあ、ぼちぼちお答えしましょう。 あなたの質問: (その1.)当時の国内・国際状況に即して、理想的な「横領も、無駄遣いもなく、独立も維持できる」システムというのは、作り得たものでしょうか ■(私の考え、答え)どこまで戻りましょうか。日清・日露に行きましょうか。 地主と新興商業資本に依拠した天皇制半封建主義としての明治政府は、文明開化の影響を受け澎湃として湧き上がった自由民権運動を弾圧したように、その成立当初からして「反動」であった。国際経済が十分発達していない当時にあって(=国民経済)、反動的為政者=明治政府は海外(朝鮮・中国)からの直接収奪・支配をもくろんで、ここに進出した。 この政策を遂行するために、為政者は国民に満足な選挙権も与えず、天皇制半封建主義軍事政権を維持するためにあらゆる弾圧法を利用して国民を弾圧した。非公開裁判、別件逮捕、拷問、ありとあらゆる弾圧は、当時の国民が為政者に反対の意思を持ち、為政者が支持を失っていたことの証左である。半封建制経済のために、自立した個人として生きることの難しかった多くの民衆は、反対運動の根拠を奪われたまま、世を恨んでいたことでありましょう。 従って、当時の社会が取るべき道は勤労国民に自由な選挙権を与え、産業を発展させ、自国平和経済を充実させることであった。国民経済的発展段階では、自国は専守防衛の軍備はやむをえなかったであろうが、軍事的海外進出は決して正当化できない。太平洋戦争以前の段階でも、海外からの、暴力を伴う収奪(=一連の戦争)が結局「収支マイナス」であったことからも、そのことは明らかである。まして太平洋戦争においておや。それは国家・民族の絶滅の危機すら招いたのであるから。 すなわち「当時の国内・国際状況に即しての」システムとは、徹底した民主主義・選挙制度の導入、政党活動への特権の廃止と自由、これである。民衆の声が社会に反映する制度、これこそが現在過去未来、永遠の真実である。また、それを実現する過程では、あらゆる暴力装置の解体を絶えず目指さなければならない。ヒトラー、ヒロヒト、スターリン、これらの時代はすべて暴力装置を内包していた。民衆の声と暴力装置は相反するものである。社会には絶えず進歩に反する勢力が跋扈するものだが、私たちは絶えず「民主主義とは何か」の教育と宣伝をして行かなければならない。 あなたの質問: (その2.)日本の独立は、アジアの・・・朝鮮や中国大陸の独立というのは、あり得たものでしょうか。 ■(私の考え、答え) 欧米(数カ国)による中国侵略は当時すでに行われていましたが、孫文・蒋介石・毛沢東などの人材を輩出する中国にどこまで本気で食いついて行くつもりだったか、それは定かでありません。ロシアは確かに朝鮮・満州を狙っていたでしょう。しかし、ロシアは中国も朝鮮も征服出来なかったでしょう。もしそれに手をつけていたら、中国・朝鮮の手痛い反撃をくらって退散し、日本が手を出さなければなおさら、中国・朝鮮の国家としての自立はむしろ早まったかもしれません。また、ロシアは1905年から1917年にかけ、国内が内乱状態でしたから、ロシア擬似革命政権にそれが出来たかどうか。血迷った天皇制・半封建主義軍事政権のみが、かくもおろかな道を進んだのある。 |
▼海幸彦さん: >それに「教えて下さい」という割には、あなたも随分と饒舌ですねー、まるで自説を開陳しているだけじゃないですか?第一「告天子」さんに私が「教える」ことなど、ありましょうかねー。(「告天子」…、どういうおつもりでこのHNを使っていらっしゃるのか…) いや、教えてくださいと言っても、実際には抗議の意も入ってますからね。私の意見も言わなかったら、おかしいでしょう。で、饒舌だからひばりでピッタリでしょう。 >地主と新興商業資本に依拠した天皇制半封建主義としての明治政府は、文明開化の影響を受け澎湃として湧き上がった自由民権運動を弾圧したように、その成立当初からして「反動」であった。 日清戦争やれやれとけしかけたのは、その「自由民権運動」の側、民論の方ですよ。明治政府が成立当初から「反動だった」とか言いますが、近代化を推し進めたのは政府側。 >この政策を遂行するために、為政者は国民に満足な選挙権も与えず、天皇制半封建主義軍事政権を維持するためにあらゆる弾圧法を利用して国民を弾圧した。 典型的な明治真っ暗史観だが、「選挙」に対する海幸彦氏の信仰的態度や、現実無視で即座に「直接民主制」を導入することが目的視されているような今までの意見傾向からすると、「こんなことを考えていたのか・・・」と、ある意味納得。 >非公開裁判、別件逮捕、拷問、ありとあらゆる弾圧は、当時の国民が為政者に反対の意思を持ち、為政者が支持を失っていたことの証左である。半封建制経済のために、自立した個人として生きることの難しかった多くの民衆は、反対運動の根拠を奪われたまま、世を恨んでいたことでありましょう。 世を恨んで生きていた人ばかりではなかったはずだが、海幸彦氏の歴史レーダーには、怨念の声が多く受信されるのであろう。「怨念の歴史」みたいなものをベースにして世の中を「作り直そう」とする姿勢の本質を見たり。 >従って、当時の社会が取るべき道は勤労国民に自由な選挙権を与え、産業を発展させ、自国平和経済を充実させることであった。 選挙権を与えても、どんな結果が導き出されたかは不明。現に、清国撃つべしを叫んだのは別段政府首脳ではない、むしろ民衆である、激烈な戦意を持っていたのは日本人民の方であり、「選挙権を与えれば、自国平和主義は充実された」というのは単に希望的観測に過ぎない。何の根拠があるのか。 >国民経済的発展段階では、自国は専守防衛の軍備はやむをえなかったであろうが、軍事的海外進出は決して正当化できない。太平洋戦争以前の段階でも、海外からの、暴力を伴う収奪(=一連の戦争)が結局「収支マイナス」であったことからも、そのことは明らかである。まして太平洋戦争においておや。それは国家・民族の絶滅の危機すら招いたのであるから。 日本が専守防衛で閉じこもったとしても、海外の状況は激動の時代である、韓国の李氏王朝は「近代文明」に基づいた国家経営が出来なくて破綻寸前だし、清国にしてもロシアにしても朝鮮への影響力行使に於いては全く「専守防衛」で閉じこもるつもりなどない。だからどうしたらよかったのかと尋ねているのに、長たらしいだけで何の回答にもなっていない。 要するに、「選挙権を与えて、専守防衛していれば上手くいったはずだ」というドグマを繰り返しているだけ。 |
▼告天子さん: あなたの返事らしきものを見ました。食べ散らかしのようなあなたのカキコ(つぶやき)には答える価値がありませんので、返事はひとまず保留します。 まともな議論をしたいのであれば、人の意見に逐語的に付いてきてコメントをつけるだけでなく、意見を受け止め、自分で再構成してから反論するなり、ディベートの基本について工夫をしたらどうでしょうか。 ちなみにあなたは、「日清戦争をけしかけたのはむしろ民衆」とかおっしゃっていますが、当時の為政者=明治政府の政策をその程度にとらえているわけですね。けしかけられてしたことか、けしかけるように仕向けたのかは、想像することにしましょう。 |
▼海幸彦さん(52733): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 >食べ散らかしのようなあなたのカキコ(つぶやき) 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿(煽り・からかい)」 に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
▼告天子さん(52710・52711): Ray@スタッフです。 これらの書き込みは、 > 世を恨んで生きていた人ばかりではなかったはずだが、海幸彦氏の歴史レーダーには、怨念の声が多く受信されるのであろう。「怨念の歴史」みたいなものをベースにして世の中を「作り直そう」とする姿勢の本質を見たり。 >(中略) > だからどうしたらよかったのかと尋ねているのに、長たらしいだけで何の回答にもなっていない。 >(中略) > 要するに、「選挙権を与えて、専守防衛していれば上手くいったはずだ」というドグマを繰り返しているだけ。(52710) * > ホントに、海幸彦氏流の「民主主義」政治が明治時代の日本の到来していたら、どんな歴史になっていたか、想像するとすごいな・・・。(52711) 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿(煽り・からかい)」「侮蔑」 に抵触する可能性の高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
続き。 >すなわち「当時の国内・国際状況に即しての」システムとは、徹底した民主主義・選挙制度の導入、政党活動への特権の廃止と自由、これである。 ドグマを繰り返しているだけ、と書いたら、やっぱりそうだった。 >民衆の声が社会に反映する制度、これこそが現在過去未来、永遠の真実である。 だから、民衆は清国の暗殺政治みたいなことに激怒したんでしょう?。日本に避難していた独立運動家を、暗殺者を繰り出して殺しまくっていたんだよ?。それに、民衆の声がどうたら言うんだったら、今の中国共産党とかはどうなのよ。 >また、それを実現する過程では、あらゆる暴力装置の解体を絶えず目指さなければならない。ヒトラー、ヒロヒト、スターリン、これらの時代はすべて暴力装置を内包していた。民衆の声と暴力装置は相反するものである。 ほんなら、今の中国共産党の「暴力装置」の解体はどうなんのよ。北朝鮮のも抜けてるんじゃないの?。 >社会には絶えず進歩に反する勢力が跋扈するものだが、私たちは絶えず「民主主義とは何か」の教育と宣伝をして行かなければならない。 江戸時代から比べたら、明治時代は遙かに「民主主義的な政治」になっとるじゃないですか。民主選挙を導入しても、全然戦争なんかなくならないよ。因果関係なんかないのに、「民主化すれば、戦争はなくなるんだー」と、ドグマ的に振り回されても全然納得できませんな。間違った教育と宣伝など、すべきではありません。 >■(私の考え、答え) >欧米(数カ国)による中国侵略は当時すでに行われていましたが、孫文・蒋介石・毛沢東などの人材を輩出する中国にどこまで本気で食いついて行くつもりだったか、それは定かでありません。ロシアは確かに朝鮮・満州を狙っていたでしょう。しかし、ロシアは中国も朝鮮も征服出来なかったでしょう。もしそれに手をつけていたら、中国・朝鮮の手痛い反撃をくらって退散し、日本が手を出さなければなおさら、中国・朝鮮の国家としての自立はむしろ早まったかもしれません。 何を言ってるんですか。ロシアには中国は手も足も出なくて、朝鮮だってそうでしょうが。当時のアジアで、ロシアと正面から戦う実力を曲がりなりにも持っていたのは、日本だけです。「中国・朝鮮の手痛い反撃」なんて、ロシアに対してあり得なかったし、だから外国の力を借りてロシアを追い払おうとして、却って傷口を広げるみたいなことばかりしてたんじゃないの?。 中国・朝鮮の国家としての自立はむしろ早まった、なんて、それはないでしょうね。まあ、現に現在、中国は国家として自立・独立してはいますが、その政治に、独裁性や暗黒性は全くないとでも?。二十一世紀にもなって、地球に残った危険な体制と言えば、まさにアジアのその一画当たりじゃないですか。 国家として独立とか言っても、自由の国、人間の尊厳が認められる国、ではない、というのが現状なのではないですか。 >また、ロシアは1905年から1917年にかけ、国内が内乱状態でしたから、ロシア擬似革命政権にそれが出来たかどうか。血迷った天皇制・半封建主義軍事政権のみが、かくもおろかな道を進んだのある。 成る程ロシアは内乱状態で、その時期にはアジア侵略の余裕などなかったでしょう。しかし、ソヴィエトになって安定したらどうです。日本のことばかりを言うが、満州にはロシアだって居座り続けたし、日本が大金を支払ったから北満から出て行っただけのこと。革命でロシアがよれよれになったのだって、日本が戦ったことでロシアの社会不安が増したことは大いに関係がある。まあ、日本戦力がアジアで暴れ回ることがなかったら、中国や朝鮮の独立は夢のまた夢、だったんではないですかね。日本の独立自体にしてもね。 ホントに、海幸彦氏流の「民主主義」政治が明治時代の日本の到来していたら、どんな歴史になっていたか、想像するとすごいな・・・。 |
▼海幸彦さん(52666): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 >その過ちを過ちとして認めようとしない愚かな輩が次のようなことをほざけます。 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」「侮蔑」 に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
面倒ですので、一々反論しません。 あなたの長広舌も、きわめて単純なわたしの質問(※他国の領土内で戦争を行い、多くの中国民衆を犠牲にしたことをどう釈明しますか)の答えになっていません。 まさか、あなたはただの一人も中国民衆を殺していないなどとはおっしゃらないでしょうね。 ●戦乱や飢饉による死者は一回ごとに百万人から千万人にも達し、中国国民は疲弊しきっていました。そんな清王朝末期の混乱の再建を試み、カオスの中国に参入、新しい秩序の建設に臨んだのが日本なのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 満州国建国の論理ですか。そういう論理が現代に通用すると考えているからおかしくなるのです。 戦乱や飢饉で何人死のうと、基本的には中国の国内問題です。 そういう国の現状を見て、新しい秩序の建設を中国人が自分たちの手で行おうと考えるのが正当な感覚です。それが、中国国内の混乱の理由です。 それを日本が代わりに新しい秩序建設にあたったなどといういう理屈で、侵略を肯定するなどという論理は、国際的に通用しませんね。 この背景にあるのは、中国や中国人は劣った民族という抜きがたい差別的心情があると思います。 あなたは感じないかも知れませんが、少しでもプライドのある人間なら、自国の歴史をこういう言い方で誹謗されて、腹が立たないほうがおかしいのです。 あなたは何度も中国の教科書で日本が侵略者とされていることに腹を立てているでしょう。 中国人も同じです。お前たちの国がしっかりしていないから、日本が新しい秩序を作ってやろうとしたんだから、侵略ではないといわれて、日本にありがとうと感謝する人間がいますか。 つまり、反日を叫ぶ中国のナショナリストもあなたも同類なのです。 わたしが最初にした問い(※他国の領土に侵攻し、他国民を塗炭の苦しみに陥れたことをどう説明しますか)の答えには、全くなっていませんね。 つまり、どう釈明しても【日本が悪い】というのが、国際的評価なのですよ。もちろん、西欧各国にも植民地支配の原罪はありますよ。そんなことは常識です。 しかし、それを言い募っても、中国を侵略した過去が消えるわけがないのです。 国際政治のリアリズムでいえば、大義名分を相手に取られたのです。 戊辰の役の時、長州藩がインチキでも何でも【錦の御旗】を取ったのが、勝利の原動力になったのと同じです。 幕府が【朝敵】となったように、日本・ドイツ・イタリアは、民主主義の敵であり、侵略者になったのです。 河井継之助のようにすぐれた人材でも、朝敵の汚名を着て涙を呑まざるを得なかったのです。 日本人どうしならこの汚名も時間の経過とともに名誉回復も行われるかも知れませんが、他国を相手にした場合、そうはいきません。 論理的に考えるなら、あなたの主張は米英など西欧各国に向けられるべきものです。「中国を侵略した俺たちの戦争は正しかった」と国際社会に向かって主張してみたらいかがでしょう。はたして、そうだ、そうだ、と賛同してくれる国家がいくつあるでしょうかね。国際性とはそういうものだと思いますよ。 |
この書き込みは管理者によって削除されました。(05/6/2(木) 12:19) |
▼ゆきりんさん: >日本の過去の行為をもっと反省すべきだとお考えの老人党の皆さんに >お聞きしたいことがあります。 >過去に日本が中国で行ったことを反省するとして >では現在の日本は何を為すべきでしょうか? > >反省しますとか言う抽象的な文言ではおそらく中国は納得しないのではないでしょうか? > >そこで私は提案があります。 >老人への年金の支払いを停止してその資金を使って >年間20兆円から30兆円を中国へ謝罪の気持ちとして >今後200年くらい払い続けたらどうでしょうか? >口先だけの反省よりよっぽど中国人は喜ぶと思いますし >老人党の皆さんも日本の反省を表すなら、自らが餓死しても本望だと思うのですが >如何でしょうか。 >日本が反省を表す以上、日本人である老人党の皆さんも自らの痛みを持って >それを表現することが求められると思います。 > >あるいは尖閣列島は言うに及ばず、沖縄や九州を中国へ割譲したら如何でしょう。 >で、老人党の皆さんは沖縄や九州へ移動して晴れて中国国民として >言論や行動の自由を制限されて、望む社会の中で暮らせるし >おぞましい日本国から離脱できる訳なのでめでたしめでたしだと思いますよ。 > >おそらく速攻で削除でしょうが、、、、、、 ゆきりん さん、こんばんは。 削除せずに、可能な限り晒しておいた方が宜しいかと。 貴方はまだ若い方だと思いますが、10年〜15年後にこの文を読んだとき 貴方自身が恥ずかしくて居られないと思いますね。 管理人さん、速攻で削除するのだけはやめて下さい。お願いします。 taka |
▼takaさん:こんばんは > ゆきりん さん、こんばんは。 > > 削除せずに、可能な限り晒しておいた方が宜しいかと。 > 貴方はまだ若い方だと思いますが、10年〜15年後にこの文を読んだとき > 貴方自身が恥ずかしくて居られないと思いますね。 > > 管理人さん、速攻で削除するのだけはやめて下さい。お願いします。 > taka 削除の中止依頼ありがとうございます。 この書き込みを十数年後の私が見てどう思うかはタイムマシンでも無い限り判りませんが、 一つだけ言えることは、皆さん方が日本の過去は駄目だ、日本人は屑だ、日本の過去に誇れるものなど何もない、 日本は戦後60年以上も時間が経過しているにも拘わらず、常に中共へは贖罪の気持ちを持ち続け 国家としてのアイデンティティを否定され続け無ければならない 領海侵犯されても仕方がない、国家資産(海底油田)の略奪も仕方がない いま現在に同胞が拉致されても100年前の植民地支配の歴史と相殺されるべきだ ウィーン条約違反の暴動被害を受けても80年前の戦争責任だから仕方がない 死んだ人を葬う方法も他国の指示を仰ぐべきであると 書き連ねれば連ねるほど私のような人間をどんどん増殖させていると思いますよ。 そういう意味では皆さんは、日本人を覚醒させる貴重な触媒になっているのかもしれません。 感謝。 |
▼ゆきりんさん: まず、人に反論する時は、人の文章をきちんと読んで、その文意に即して自分の考えを書くのが最低限のマナーというものです ●皆さん方が日本の過去は駄目だ、日本人は屑だ、日本の過去に誇れるものなど何もない、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしの文章のどこに、【日本人は屑だ、とか過去に誇れるものは何もない】と書いています。きちんと示してください。 > ●日本は戦後60年以上も時間が経過しているにも拘わらず、常に中共へは贖罪の気持ちを持ち続け国家としてのアイデンティティを否定され続け無ければならない >領海侵犯されても仕方がない、国家資産(海底油田)の略奪も仕方がない >いま現在に同胞が拉致されても100年前の植民地支配の歴史と相殺されるべきだ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ などとわたしの文章のどこに書いています。きちんと根拠を示してください。 ● ウィーン条約違反の暴動被害を受けても80年前の戦争責任だから仕方がない >死んだ人を葬う方法も他国の指示を仰ぐべきであると >書き連ねれば連ねるほど私のような人間をどんどん増殖させていると思いますよ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしの文章のどこにそんなことを書いています。これもきちんと根拠を示してください。 つまり、あなたの文章は最初から最後まであなたの頭の中の妄想を書き連ねただけの代物です。あなたが頭の中でこしらえあげた妄想に基づいて、その妄想に対して反論しているだけでしょう。 わたしはあなたの頭の中の妄想にまで責任は取れません。 公開掲示板は、全国の人が見ているものです。その掲示板に自分の妄想を書き連ねて論争を挑むなど、少しでも恥を知っている人なら決してしないことです。 あなたは過去の日本や日本人に誇りを持っている愛国者らしいので、あへて忠告をしますが、もう少し【恥】ということをしったらいかがですか。 無知は、恥ではありません。勉強すれば良いことです。【無恥】は救いようがありません。過去の日本人は、恥知らずといわれることを何より嫌いました。人前で恥をかかされたことを理由に自決した武士もいるくらいです。 過去の日本に誇りを持とうというのなら、せめて日常のたたずまいから、過去の日本人に学ぶことから始めてはいかがですか。 |
▼流水さん:こんばんは >▼ゆきりんさん: >まず、人に反論する時は、人の文章をきちんと読んで、その文意に即して自分の考えを書くのが最低限のマナーというものです > >●皆さん方が日本の過去は駄目だ、日本人は屑だ、日本の過去に誇れるものなど何もない、 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >わたしの文章のどこに、【日本人は屑だ、とか過去に誇れるものは何もない】と書いています。きちんと示してください。 >> 私の書き込みの何処に流氷さんが書いてあると述べていますか? 私は”皆さん方”という一般形にして老人党の掲示板の底流に流れている 反日思想を表す惹句として上記の文章を書いたのですよ。 これはレスの流れを見て下されば判ると思いますが、 流氷さんへの最初のレス(既に削除されていますが)にも、流氷さんへのコメントではなく このスレッドの起草文に対してと言う形で私の意見を述べているだけです。 以下も同様ですので略しますが流氷さんの文の何処に書かれているのか根拠を示せと言われても 元々私の書いている対象が違いますので単なる誤解だと思いますよ。 >つまり、あなたの文章は最初から最後まであなたの頭の中の妄想を書き連ねただけの代物です。あなたが頭の中でこしらえあげた妄想に基づいて、その妄想に対して反論しているだけでしょう。 >わたしはあなたの頭の中の妄想にまで責任は取れません。 別に流氷さんの書かれた文章を対象に私はレスを書いた訳ではないので責任を取って頂く必要など毛頭ありません。 >公開掲示板は、全国の人が見ているものです。その掲示板に自分の妄想を書き連ねて論争を挑むなど、少しでも恥を知っている人なら決してしないことです。 >あなたは過去の日本や日本人に誇りを持っている愛国者らしいので、あへて忠告をしますが、もう少し【恥】ということをしったらいかがですか。 > >無知は、恥ではありません。勉強すれば良いことです。【無恥】は救いようがありません。過去の日本人は、恥知らずといわれることを何より嫌いました。人前で恥をかかされたことを理由に自決した武士もいるくらいです。 >過去の日本に誇りを持とうというのなら、せめて日常のたたずまいから、過去の日本人に学ぶことから始めてはいかがですか。 随分な言われようですが、特に私自身は流氷さんから恥知らずと罵られようと 全く気にしておりませんのであしからず。 妄想をベースに議論をすべきではないと言うのは仰る通りだと思いますので 前段の部分を読んで頂ければ、特に私からは反論はありません。 それと私の日常のたたずまいにまでご心配をいただいておりますが ありがたいご忠告と受け止めておくことにします。 私自身も掲示板という公開の場において他人を恥知らずと罵倒できような偏狭な人間になるよう心がけたいと思っております。 |
まあ。ものはいいようですね。 削除された最初のあなたのレスにtakaさんがつけたレスは、ほとんど中国問題など書いてないはずです。 それに対して、今回わたしが取り上げた文章があるわけでしょう。 流水さんの文章だとどこに書いてあるなど、屁理屈をいいなさんな。私以外、誰も中国問題などあなたに書いていないでしょう。 つまり、あなたがつけたレスの枝に関する限り、私以外中国問題の見解は書いていないのです。 だから、わたしが反論したのですよ。 誰に向かってでもない、自分の見解を述べるのなら、自分できちんとスレッドを立ち上げなさいよ。つまらない言い訳はしないこと。見苦しいだけですよ。 |
▼流水さん: >まあ。ものはいいようですね。 >削除された最初のあなたのレスにtakaさんがつけたレスは、ほとんど中国問題など書いてないはずです。 >それに対して、今回わたしが取り上げた文章があるわけでしょう。 > >流水さんの文章だとどこに書いてあるなど、屁理屈をいいなさんな。私以外、誰も中国問題などあなたに書いていないでしょう。 >つまり、あなたがつけたレスの枝に関する限り、私以外中国問題の見解は書いていないのです。 >だから、わたしが反論したのですよ。 はははははは、これって流氷さんが言っていた妄想そのものじゃないのですか? そもそも、流氷さんの文章の何処に書いてあるのかって言い出したのは貴方自身じゃないですか。 こんな些事で議論をするつもりはないのでどうでも良いですけどね > >誰に向かってでもない、自分の見解を述べるのなら、自分できちんとスレッドを立ち上げなさいよ。つまらない言い訳はしないこと。見苦しいだけですよ。 そうですね。 見苦しくてどうもすいません。 もっとも流氷さんは見苦しいと思っても、多くのロムの方がどう思うかの方が私には大切なので、 私は私の方法で私の意見を述べたいと思います。 尚、この件ではもうレスはしませんのであしからず |
▼ゆきりんさん(52751・52759): Ray@スタッフです。 これらの書き込みは、 >老人党の掲示板の底流に流れている >反日思想を表す惹句 >(中略) > 私自身も掲示板という公開の場において他人を恥知らずと罵倒できような偏狭な人間になるよう心がけたいと思っております。(52751) * > はははははは、これって流氷さんが言っていた妄想そのものじゃないのですか?(52759) 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 7. この掲示板の設置目的から著しく逸脱した書き込み、または無関係なサイト等の宣伝、勧誘は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿(煽り)」「誹謗中傷、侮蔑、罵倒」 に抵触するものと見なし、削除対象として スタッフ連絡板に移動しました。 以後、この書き込みへのレスを禁止します。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
▼ゆきりんさん: >日本の過去の行為をもっと反省すべきだとお考えの老人党の皆さんに >お聞きしたいことがあります。 >過去に日本が中国で行ったことを反省するとして >では現在の日本は何を為すべきでしょうか? > >反省しますとか言う抽象的な文言ではおそらく中国は納得しないのではないでしょうか? > >そこで私は提案があります。 >老人への年金の支払いを停止してその資金を使って >年間20兆円から30兆円を中国へ謝罪の気持ちとして >今後200年くらい払い続けたらどうでしょうか? >口先だけの反省よりよっぽど中国人は喜ぶと思いますし >老人党の皆さんも日本の反省を表すなら、自らが餓死しても本望だと思うのですが >如何でしょうか。 >日本が反省を表す以上、日本人である老人党の皆さんも自らの痛みを持って >それを表現することが求められると思います。 > >あるいは尖閣列島は言うに及ばず、沖縄や九州を中国へ割譲したら如何でしょう。 >で、老人党の皆さんは沖縄や九州へ移動して晴れて中国国民として >言論や行動の自由を制限されて、望む社会の中で暮らせるし >おぞましい日本国から離脱できる訳なのでめでたしめでたしだと思いますよ。 > >おそらく速攻で削除でしょうが、、、、、、 いいえ、削除されないように、コピーしておきましょう。 人間、どこまでひねくれた性格に堕落できるかという標本ですから。 |
▼ゆきりんさん(52686): Ray@スタッフです。 この書き込みは、掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 7. この掲示板の設置目的から著しく逸脱した書き込み、または無関係なサイト等の宣伝、勧誘は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿(煽り・からかい)」「差別」「掲示板の設置目的から著しく逸脱した書き込み」 に抵触するものと見なし、削除対象として スタッフ連絡板に移動しました。 以後、この書き込みへのレスを禁止します。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
ステディ ベアさん これだけ良くまとまった自慢史観を聞いたことがない。感心するよ。コピペしておいた。 ところで日本海軍の海軍大臣・米内光政、海軍次官・山本五十六、軍務局長・井上成美は戦争への道につながるとして日独伊三国軍事同盟条約締結阻止に全力をあげた。彼ら海軍トリオを私は尊敬している。あなたの理屈でいくと彼らは国賊になるようだ。 |
▼安本単三さん(52814): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 > これだけ良くまとまった自慢史観を聞いたことがない。感心するよ。 掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿(揶揄)」 に抵触する可能性の高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
▼安本単三さん: >ステディ ベア >これだけ良くまとまった自慢史観を聞いたことがない。感心するよ。コピペして >おいた。 うーん、ま、お褒めの言葉と受け取っておきます。 >ところで日本海軍の海軍大臣・米内光政、海軍次官・山本五十六、軍務局長・井 >上成美は戦争への道につながるとして日独伊三国軍事同盟条約締結阻止に全力 >をあげた。彼ら海軍トリオを私は尊敬している。あなたの理屈でいくと彼らは国賊 >になるようだ。 海軍三羽ガラスですか、はい、私も、尊敬というほどではありませんが、当時の海軍内ではリベラリスト(それも極めて中途半端な)だったかなぁ、と思っています。 安本単三さんは、彼らが「結果はともあれ、全力で努力した」という点を高く評価されておられるようですね。これには反論すべきものを持ち合わせていません。 ただ、人間には見たくない、知りたくない部分も含めていろいろな側面があります。 山本五十六は軍人には珍しく政治屋だったようです。昭和11年、盧溝橋事件の約半年前に海軍次官でしたが、戦争が始まってからも、昭和14年からの連合艦隊司令長官として政治にコミットしています。彼の頭の中にどの位のポテンシャルかは判りませんが、まず日本陸軍に勝つことを主目的にしていた節があります。 当時の日本人が快哉を叫んだ昭和17年10月のガダルカナル島艦砲射撃がそれです。 「『ガ』島は海軍のヘマから始まったのに、何もしないのか」と陸軍から突き上げられた山本は、戦艦二隻を以って深夜沖合いから艦砲射撃を行わせています。「ガ」等の飛行場は火の海になったと発表、海軍は偉いものだ、と国民は思いました。 しかし実態は一式徹甲弾と零式通常弾、三式通常弾の三種類、合計九百十八発はいずれもその性能上陸上砲撃には効果が少なく、枯れ草を燃やすか、地面に弾丸で穴を開けただけでした。 効果がないことを知っていながら、天皇陛下の御下問と、再度の陸軍の催促にもう一度連合艦隊にやらせ、待ち構えていた米軍の反撃で一隻沈んでしまう、軍令部は、せっかく人気のある提督なんだから・・と責任を不問にしました。 陸軍への面子と天皇陛下に対するスタンドプレーのために、死んだ乗組員こそいい面の皮です。 ミッドウェー海戦もそうです。空母部隊の600キロも後方にいて、作戦指揮もないものです。 全滅の空母部隊にあって「赤城」だけは航行不能でしたが、まだ沈んでいなかった、曳航すればまた使えたのに、「大和」にいた山本は敵機来襲を恐れて、「赤城」に近づかず、駆逐艦の持つ細い索で曳航させたため、結局持って帰れませんでした。あれだけの戦闘をすれば、米軍も弾薬があまり残ってない、航空攻撃はないと考えるのがプロですが、ひるんだのです。海戦に参加すれば、戦闘が直接なくても勲章が一つ増えるし、航海手当ても倍額になる、散歩気分でミッドウェー海戦に臨んだ山本以下、司令部の姿がはっきりとそこに現れています。 真珠湾攻撃で、石油タンクを破壊しなかった言い訳とか、ミッドウェーの『運命の五分間』とか、山本海軍の周囲には彼の神格化を守ろうとする組織の胡散臭さが多々あります。 |
▼ステディ ベアさん >▼安本単三さん: >>ステディ ベア >>これだけ良くまとまった自慢史観を聞いたことがない。感心するよ。コピペして >>おいた。 > >うーん、ま、お褒めの言葉と受け取っておきます。 > >>ところで日本海軍の海軍大臣・米内光政、海軍次官・山本五十六、軍務局長・井 >>上成美は戦争への道につながるとして日独伊三国軍事同盟条約締結阻止に全力 >>をあげた。彼ら海軍トリオを私は尊敬している。あなたの理屈でいくと彼らは国賊 >>になるようだ。 > >海軍三羽ガラスですか、はい、私も、尊敬というほどではありませんが、当時の海軍内ではリベラリスト(それも極めて中途半端な)だったかなぁ、と思っています。 > >安本単三さんは、彼らが「結果はともあれ、全力で努力した」という点を高く評価されておられるようですね。これには反論すべきものを持ち合わせていません。 > >ただ、人間には見たくない、知りたくない部分も含めていろいろな側面があります。 そうなんです。なんとなく胡散臭い面もあります。自分が彼らを見た訳じゃないので、若い頃、上司に勧められ、小説で呼んだ記憶しかありません。とかく小説は主人公を美化しがちです。 彼らが話し合った場所は、有名な料亭内で、作戦の後に芸者と相手したなどと書かれていました。戦場では兵士が生死をかけているのに、高級幹部は料亭で芸者という違和感があったことを憶えています。 私は、あなたのような第二次大戦史観は全く持っていません。しかし、戦後、軍部が資料を焼き捨てたためか、マッカーサーのの指示によるのか、国民の放心状態、・一億層懺悔状態によるのか分かりませんが、日本側の戦略・外交がいかに失敗していったかを具体的に考えない風潮がありました(小中学時の経験)。ま、途中で和平していたとしても、民族独立運動の時代でしたから、私が抗日運動の前戦に配備され、戦死していたかもしれません。 戦争のことは「具体的」に反省したくない。それは左右の陣営で今までも続いているようです。戦後は、牢獄に入った徳田球一らが反戦の英雄扱いされていました。 たしか吉田茂も自由主義者として拘束されたはずですが、学校では教わりませんでした。徳球のことは成人してから本で読んだのですが個人としては憎めない男だとの印象でした(コミンテルンがどうのこうのはヤボ・・)。 日本軍の一般兵士が中・朝の非戦闘員にもかなりひどいことをしたことは、父、叔父、その他親戚、中学教師、上司から聞いていましたので、戦争は人を鬼にするからやはり悪だという体感を持って育ちました。私は山地育ちですから、戦死した人の特に立派な墓を見て育ちました。故郷の山の懐に抱かれて眠っています。ですから戦死者が靖国神社に祀られているという体感がどうしても涌きません。 ジャングル日本兵のうわさが流れているようですが、かの小野田さんがヒロシマの「過ちは二度と繰り返しません」という碑を見て、「これは米国が言ったのか?」 と言ったらしいです。「過ちは二度と繰り返しません」私はこの言葉が大嫌いです。主語がないからです。私だったら「人類がこのような残忍な行為を二度と繰り返さないよう願う」などとしたい。 というように、私の話はとりとめがない。 それゆえ、「すらすらまとまった戦争史観を聞いたことがない」との意を申しあげたのです。 |
いつも勉強させて頂いています。 流水様の御考えは理路整然としており、私等が読んでも非常に分かりやすいのが特徴です。 私は軍隊保有賛成でも、色々な方がいらっしゃると考えています。 1.強力で中国・北朝鮮に負けない軍隊保有賛成派。 2.現状維持派。 3.規模縮小派。 1番はここの掲示板で良く見られるタイプの考え方、2番は軍隊は有った方が良いと思うが、強化する必要は無いと考える方、3番はあまり多くは無いと思いますが、規模を縮小すれば軍隊としても良い、と言う考え方。 この中で1番に位置する方々の考え方はこちらで飽きるほど掲載されましたが、纏めて見ると「責任所在は曖昧でも良い」、「軍隊の暴走を止める手段は議論しなくとも良い」、「政府は憲法を変えて軍隊が持てるようにしても、絶対に戦争はしない」、「軍隊は国民を守る事はあっても、国民に仇なす事は絶対に無い」の4点に考えを集約している様に感じます。 流水様の御考えはそれらの欠点を突くものになっており、非常に興味深いものになっています。 今回も勉強させて頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。 |
ニックさん、 平和主義と軍隊という問題の立て方は、非常に矛盾に満ちているようにみえますが、実は憲法9条が厳密に実行された、と仮定すれば、この矛盾に満ちたありようが現実のものとなる可能性が高いのです。 具体的に語ると、段階的に自衛隊を縮小する(平和主義を実行するには現実的政治過程としてはそうなります)としても、平和主義と軍隊の共存状態がかなりの期間続くであろうことは、誰にも簡単に予想ができます。 こんなシュミレーションをしなくても、日本の戦後の大部分はこの矛盾に満ちた状況であったと総括できます。現在の改憲派の主張の多くは、軍隊を持てるように憲法9条を書き直すことによってこの矛盾状況を解決しようという発想です。 であるとするならば、その逆、自衛隊を縮小することにより、憲法9条を実効性あるものにするという論理も成り立つのではないかと思います。 そうなると、【平和主義と軍隊】の共存を想定した論理構築が求められます。 では、具体的にはどのように考える必要があるのか、という問いになります。 まず、最初に考えなければならないのは、【民主的な軍隊】ということです。そもそも軍隊というものは、非民主的組織であり、民主的な軍隊などというのは語義矛盾である、と言い切ればその通りかも知れませんが、先に書いたように平和主義と自衛隊の共存という状況を想定すれば、このような語義矛盾を承知で問題を考える必要があります。 日本が非武装を実現しようとしても、世界の国々が非武装をするわけではありません。この現実を現実として認めるならば、相当長期間にわたって軍隊を保持しなければならないと考えられます。 そうなると、軍隊の持つ非人間的組織という側面を如何に緩和し、どのように民主的にコントロールするか、という課題は避けては通れません。 問題は、このような問題の立て方が、今まであまりされてこなかったという点にあります。しかし、現実的政治過程を考えれば、この問題を避けては通れないことは確かです。 つまり、平和主義を標榜しながら現実には自衛隊(軍隊)を持つという戦後日本の政治過程を逆のプロセスで脱却していくときわめて複雑なプログラムが必要になるのです。 私自身は、これからの平和運動にはこのようなプラグマテイックな議論が必要になるのではないかと考えています。 |
▼流水さん: >では、具体的にはどのように考える必要があるのか、という問いになります。 > >まず、最初に考えなければならないのは、【民主的な軍隊】ということです。そもそも軍隊というものは、非民主的組織であり、民主的な軍隊などというのは語義矛盾である、と言い切ればその通りかも知れませんが、先に書いたように平和主義と自衛隊の共存という状況を想定すれば、このような語義矛盾を承知で問題を考える必要があります。 >日本が非武装を実現しようとしても、世界の国々が非武装をするわけではありません。この現実を現実として認めるならば、相当長期間にわたって軍隊を保持しなければならないと考えられます。 >そうなると、軍隊の持つ非人間的組織という側面を如何に緩和し、どのように民主的にコントロールするか、という課題は避けては通れません。 > >問題は、このような問題の立て方が、今まであまりされてこなかったという点にあります。しかし、現実的政治過程を考えれば、この問題を避けては通れないことは確かです。 >つまり、平和主義を標榜しながら現実には自衛隊(軍隊)を持つという戦後日本の政治過程を逆のプロセスで脱却していくときわめて複雑なプログラムが必要になるのです。 >私自身は、これからの平和運動にはこのようなプラグマテイックな議論が必要になるのではないかと考えています。 おっしゃる様な、民主的な軍隊をどう構築するのかはいままで全く軍隊大好きな方々の口からは出てきませんでした。 軍隊を作ると仮定すれば、必ずどの程度の規模が必要なのか・・・などの具体的な部分が必要になってきますし、それに対する予算を国は国民の負担を増やさずに捻出できるのかと言った問題も出てきます。 加えて軍隊の暴走をどのように防ぐのか、政治家の暴走をどのように防ぐのかに関しては全く議論されませんでした、しかし流水様がおっしゃるような民主的な軍隊を作るのであれば、必ず権力の暴走を押さえる機構と言うものが必要になってくると考えます。 ただ単純に「政府を信用する」「軍隊は悪いことをしない」とこの部分において性善説を採用する方々が、一方の隣国に対する見方では性悪説を採用する。 このような自己矛盾に気が付かない議論は不毛であると考えます、もし軍隊が必要だと言うのであれば、流水様のおっしゃるような現実的なプロセスを考える為の議論が必要だと私は考えます。 |
▼ニックさん: >おっしゃる様な、民主的な軍隊をどう構築するのかはいままで全く軍隊大好きな方々の口からは出てきませんでした。 自衛隊は十二分に民主的な軍隊ですよ。 何故かというと、シビリアンコントロールという枠組みで、軍隊という組織に政治的意思を持たせない仕組みが機能しているからです。 自衛隊の最高指揮官は誰ですか。 国民参加の選挙という過程を経て選良となった者の中から選ばれた、日本国総理大臣が最高指揮官ですよ。 国民の直接参加による選挙で選ばれた者が国政の場での多数派を形成し、その代表が最高指揮官となる。 これ以上民主的な制度って存在するのでしょうか。 >軍隊を作ると仮定すれば、必ずどの程度の規模が必要なのか・・・などの具体的な部分が必要になってきますし、それに対する予算を国は国民の負担を増やさずに捻出できるのかと言った問題も出てきます。 防衛計画の大綱で中期的な、【脅威】の分析やその分析結果に基づく編成計画や装備調達計画が明らかにされていますよ。【専守防衛という不変の軍事ドクトリン】に基づいて。 何度も言うように、軍事は装置産業なんですよ。社会保障という仕組みと同じように。 その国家が持つ経済規模が負担できる軍事費や社会保障費の限界を決めてしまうと言うことです。 先進七ヶ国のGDPに対する軍事費の割合を見れば一目瞭然でしょうに。 米国 3.68% イギリス 2.33% フランス 2.51% ドイツ 2.33% イタリア 1.97% カナダ 1.12% 日本 0.99% ちなみに、中国は公開されている軍事費だけで 3.92%、但しこれには糧食費が含まれていませんからね、これを推計すると 6% 近い水準になります。225万人の現役兵士の食費が一年にいくらかかると思われますか。 北朝鮮では、なんと 25% を超えています。さすが先軍政治を標榜するだけのことはありますよね。 統計が存在する主要39ヶ国では、最低はインドネシアの 0.4% 二番目は メキシコの 0.87% で、日本のGDP/軍事費比率 0.99% は、下から三番目という低い水準です。 これは、通常 2.5% 程度が健全であるとされている指標の半分以下に過ぎません。 これは、専守防衛という軍事ドクトリン、即ち他国を攻める軍事力は保持しないとした防衛方針に忠実であるということです。 即ち、自らに課した 【 1 % 枠 】 が、妥当であることの証左でもあると考えます。 >加えて軍隊の暴走をどのように防ぐのか、政治家の暴走をどのように防ぐのかに関しては全く議論されませんでした、しかし流水様がおっしゃるような民主的な軍隊を作るのであれば、必ず権力の暴走を押さえる機構と言うものが必要になってくると考えます。 その仕組みが国民が手にする参政権でしょうに。 かてて加えて、まがりなりにも三権分立って仕組みが機能していると思いますけれど。 国民の意志に沿わなければ選良としての資格を失う仕組みが機能しています。 その仕組みが機能しているという信頼が根底にあるから、選挙を通じて権利を行使し政権交代させようという老人党の主張が存在するのです。 >ただ単純に「政府を信用する」「軍隊は悪いことをしない」とこの部分において性善説を採用する方々が、一方の隣国に対する見方では性悪説を採用する。 性善説でもなければ性悪説でもない、現実が示す意味をどう捉えるのかと主張しているのです。 隣国の一つである北朝鮮の核武装はどう見ます。?? 隣国の一つである中国の毎年15%を超える軍事費の伸びは、何を意味しているのですか。?? >このような自己矛盾に気が付かない議論は不毛であると考えます、もし軍隊が必要だと言うのであれば、流水様のおっしゃるような現実的なプロセスを考える為の議論が必要だと私は考えます。 自己矛盾でもなんでもありませんよ。 現実を示して、どう捉えるのかと問うているのです。 失礼いたしました。 |
▼退役軍人さん: >▼ニックさん: >>おっしゃる様な、民主的な軍隊をどう構築するのかはいままで全く軍隊大好きな方々の口からは出てきませんでした。 > >自衛隊は十二分に民主的な軍隊ですよ。 >何故かというと、シビリアンコントロールという枠組みで、軍隊という組織に政治的意思を持たせない仕組みが機能しているからです。 立法府の問題はおいて置くとして、日本のあらゆる行政が腐敗していることは事実です。政官財癒着・汚職・国民財産横領、無駄遣い、これらは枚挙にいとまがありませんね。国民の目の届かないところで行われているこれらのことは、明らかに非民主的であります。まして、軍隊が「十二分に」民主的であるとはとても思えません。 立法府、行政、司法、すべてが国民主権から遊離しています。民主主義の基幹は主権在民でありますが、現実はこれと反している。例示するまでもありません。 >自衛隊は十二分に民主的な軍隊ですよ。 それ故、このような基本認識は、老人党とは無縁な、誤ったものといわざるをえません。軍事費が何%であるかなどとは別の基本的問題であります。 |
▼海幸彦さん: >▼退役軍人さん: >>▼ニックさん: >>>おっしゃる様な、民主的な軍隊をどう構築するのかはいままで全く軍隊大好きな方々の口からは出てきませんでした。 >> >>自衛隊は十二分に民主的な軍隊ですよ。 >>何故かというと、シビリアンコントロールという枠組みで、軍隊という組織に政治的意思を持たせない仕組みが機能しているからです。 > >立法府の問題はおいて置くとして、日本のあらゆる行政が腐敗していることは事実です。政官財癒着・汚職・国民財産横領、無駄遣い、これらは枚挙にいとまがありませんね。国民の目の届かないところで行われているこれらのことは、明らかに非民主的であります。まして、軍隊が「十二分に」民主的であるとはとても思えません。 >立法府、行政、司法、すべてが国民主権から遊離しています。民主主義の基幹は主権在民でありますが、現実はこれと反している。例示するまでもありません。 > >>自衛隊は十二分に民主的な軍隊ですよ。 >それ故、このような基本認識は、老人党とは無縁な、誤ったものといわざるをえません。軍事費が何%であるかなどとは別の基本的問題であります。 一票の格差が5倍に達している選挙区が有り、自民党が負けそうになると次々と国民を騙して変更してきた選挙制度。 国民の生活を知らない議員達、国益に反する発言を次々とする内閣、憲法を勝手な解釈で次々とMyルールに変更する小泉首相とその取り巻き。 これであの方は民主主義的な軍隊だと述べるのですから非常に驚きです。 |
▼ニックさん: >>一票の格差が5倍に達している選挙区が有り、自民党が負けそうになると次々と国民を騙して変更してきた選挙制度。 騙したのですか。.....絶句 選挙については【国会議決】で制度変更されたはずですよね。 では何故阻止出来なかったのでしょうね。 あなたが支持される方々が、国民の支持を得て多数派になれなかったってことでしょ。 海幸彦さんが、有権者の10%強で国会議員になれるのはおかしいと仰っていましたけれど、逆説的にいえば強固な支持者を10%強確保できれば相手が自民党だろうが民主党だろうが当選出来るということでもありますよね。 >国民の生活を知らない議員達、国益に反する発言を次々とする内閣、憲法を勝手な解釈で次々とMyルールに変更する小泉首相とその取り巻き。 こういったご主張をされるのであれば、具体的な根拠を示すべきですよ。 もっとも、根拠があなたの主観だけというのなら話は別ですけどね。 >これであの方は民主主義的な軍隊だと述べるのですから非常に驚きです。 堂々と私の名前を書かれた方がよろしいかと。 少なくとも、民主的な軍隊であるとの発言をしたのは私だけでしょうからね。 失礼いたしました。 |
▼ニックさん(52615): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 > これであの方は民主主義的な軍隊だと述べるのですから非常に驚きです。 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 の「伏せ字、隠語の使用」「掲示板を混乱させる恐れのある投稿(煽り)」 に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
流水さん、こんにちは。 たいへんゆっくりなレスになりましたが、お書きいただいたこと、 基本的におっしゃるとおりと思います。 もう一つ付け加えるならば、日米安保条約、日米軍事同盟に関する 中長期展望と、その過程で、流水さんの使った「民主的な軍隊」と いう言い方になぞらえれば、それこそ「平和的な日米安保」という、 一見言葉遊びのような、あるいはパズルのようなことを、これから もっと、真面目に考えなければならないのだろうと思います。 遠い将来の解消を展望するといったところで、それだけでは、何も 言っていないに等しいので。いまはこれ以上あまり言えませんが、 とりあえず、自衛隊と安保のことは、もう少し勉強し直さなければ いけないと思っています。 |
流水さん、お久しぶりです。 お書きいただいたことは、取材に基づく執筆を仕事にしている私の ような者にも、わかりやすく、うなずけるところの多いお話です。 医師など専門家の話を聞いて文章にまとめるのでも、病院で働く人 たちの実際を見聞してレポートするのでも、あるいは、たとえば C型肝炎という病気の病態と治療法を実用記事としてまとめるとき でも、基となる材料は、変わらず次の三つです。 1)紙資料 2)当事者や周辺の人から実際に聞いた声 3)現地、現場に足を運んで感じた自分なりの肌合い、手触り ただ必要な文字数を埋めるだけなら、紙資料さえあれば書くだけは 書けるのですが、それでは生きた記事にはなりません。生きた記事 というのは、読み手の心に響く文章、読んで、理屈で簡単には説明 できない「何か」を感じるような記事のことです。 書くときに直接参照するのは、多くは紙資料ですが、生きた記事に するための「重み」ということで実感としていえば、書籍の幾冊か 分の紙資料と、実際に聞いた人の声二言三言、現場で自分なりに 感じた空気の少々が、だいたい等価値という感じになります。 これは、プロ、アマを問わず、取材して書くという作業を意識的な 営為としてやっている人の多くが、感じたり、口にしたりしている ことでもあります。 たとえば私の父は、各地の公民館などでやっている地域の高齢者向け 自分史講座の講師を引き受けたことが、これまで何度かありますが、 そこで繰り返し言ってきたことが、「自分の書きたいことを、見聞き したこと、感じたこと、事実を中心に書く」ということと、「当時の ことを記述した資料を、よく調べて書く」ということの二つでした。 歴史家などが書いた本から自分の経験に関連するところを引き写して 書いただけでは、単なる孫引きです。ただ自分の見聞や感慨を書く ばかりでは、独りよがりになりがちです。「あの頃はほんとにいつも お腹が空いていた」という一文を、当時の状況に関する客観資料を、 素人なりにできるだけ調べたうえで、書く。 そうするとその文章が、生きた自分史になってきます。なぜならば、 文書の核心のところに、他の何ものにも置き換えられない、その人 だけの見聞、経験、思いがこもっているからです。だけど、自分の 経験や見聞をただ真っ直ぐに書き連ねるだけでは、読み手の気持ちに 響くところまでは、なかなか届かない。 技術ではないのですね。特別な技術は必要ない。ただ、自分なりの、 自分だけの、見聞、経験、思いを、書きたい、書き残したい、書き 伝えたいという気持ち。それを、いくつかの客観資料に自分自身で あたりながら、振り返ったり、確かめたり、補強したり、ちょっと 疑ってみたり、別の意味に気づいたりしていく根気。 それさえ実行できれば、誰にでも必ず書けるというのが、数多くの 体験に基づいた、父の信念であるようです。 文章や執筆の話になってしまいましたが、これを、読む、聞くという 視点、立場にひっくり返せば、流水さんがご提起したことにつながる のではないかと思います。 その辺についても、最近の自分の経験に関連して、もう少し書いて みたいことがあるのですが、すでにだいぶ長くなりましたので、 いったんここまでにいたします。 |
自コメント【52573】に続けて。 流水さんが提起された、戦争の実相にどう近づくかということに ついて、最近の自分の経験を、少し書いてみます。 先日、父と一緒に長崎に旅行をしてきました。この掲示板で何度か 書きましたが。私の父は長崎原爆の被爆者です。爆心地の南南東に 3キロ余の道端で、友達と立ち話をしていたとき、突然周りじゅうが 真っ白になり、角の板塀まで吹き飛ばされたといいます。その現地に 出かけ、その場所で父と話したり、様子を調べたりもしてきました。 この辺で友達と話していた。たぶんここいらあたりで体が宙に浮き、 あそこの、いまは駐車場の金網フェンスになっているところが当時は 料亭の板塀で、そこまで飛ばされ打ちつけられた。そう聞きながら、 2回歩測してみて、2回とも21歩でした。私の歩幅は80センチ弱と いったところなので、15〜16メートル見当ということになります。 爆心地の浦上と、そのとき父のいた場所の間には、金比羅山という 標高366メートルの山があり、たくさんの人や建物を焼き尽くした 熱線はさほど強く浴びず、飛ばされて右腰を強打したものの、大きな ケガはなく、その後現在に至るまで目立った病気も障害もなく、最も 幸運な部類の被爆者だろうと、父自身いいます。 平和公園や原爆資料館の他、諏訪神社、眼鏡橋、グラバー園、新しく できた美術館など一般的な観光地も見て歩きながら、父はボソッと、 「オレのことなんか長崎じゃ原爆の内に入らないから」といいます。 それは照れるのでも、悪びれるのでも、拗ねるのでも、強がるのでも なく、ごく自然な感懐に聞こえ、それがまたすごいなと思うのです。 そんなふうに父の話を聞き、現地を見て、地図で調べ、原爆に関する 戦災誌や体験記を読み、また長崎の町を歩き、そんなことを重ねて いるうちに、ああこの長崎の町は本当に、原爆で町中が灰燼になり、 遺体だらけになったその日から、人々がまた暮らし始めて、それが そのまま今日まで続いているんだということが、少しですが、肌身で わかってきます。広島も、やはりそうなんだということも。 旅行中、父の小中学校時代のお友達と何人か会い、帰京後それぞれの 方に簡単なお礼状を出しました。その一人Tさんからハガキで届いた お返事は、「また長崎に来て下さい。長崎の街も、すっかりキレイに なりましたが、私たちからみると、そこここに無惨な遺体が転がって いるのが見える街です」と結んでありました。これも、ペンの調子や 全体の文言から、上の父の呟きと同じく何の気負いもない、嫌みでも 脅かしでも何でもない、今日はいい天気ばいというのと変わらない、 ごく自然な述懐なんだと、いまの私にはわかります。 この方は原爆が落ちたとき、父がいた場所に近い、当時の県立長崎 中学校にいて、やはりご本人は大きなケガはしていないのですが、 ご自宅が爆心地間近の城山だったために、半月の内に、下の弟、姉、 母親、上の弟の順でなくしています。お父さまも原爆から16年後に がんでなくなっています。こんな話でも、たとえば新聞や雑誌の囲み 記事になっていれば、どこかで聞いたような話として読み流される かもしれません。でも私にとっては、父やTさんの話が一つの芯に なり、ナガサキの証言や、それからヒロシマの体験記が、他人ごと ではない言葉として、自分の中に入ってきます。 流水さんは、教え子を何度も広島に連れて行かれた先生ですから、 こういったことはよくご存じと思いますし、またいろいろな言い方で 何度も言われてきたことでもあるとは思うのですが、やはり、そう いったところが、一つの要なのではないかと、このごろあらためて 感じています。 *長くなりましたので、コメントを改めます。 |
▼ぎみゆらさん: ●>この辺で友達と話していた。たぶんここいらあたりで体が宙に浮き、 >あそこの、いまは駐車場の金網フェンスになっているところが当時は >料亭の板塀で、そこまで飛ばされ打ちつけられた。そう聞きながら、 >2回歩測してみて、2回とも21歩でした。私の歩幅は80センチ弱と >いったところなので、15〜16メートル見当ということになります。 > >爆心地の浦上と、そのとき父のいた場所の間には、金比羅山という >標高366メートルの山があり、たくさんの人や建物を焼き尽くした >熱線はさほど強く浴びず、飛ばされて右腰を強打したものの、大きな >ケガはなく、その後現在に至るまで目立った病気も障害もなく、最も >幸運な部類の被爆者だろうと、父自身いいます。 > >平和公園や原爆資料館の他、諏訪神社、眼鏡橋、グラバー園、新しく >できた美術館など一般的な観光地も見て歩きながら、父はボソッと、 >「オレのことなんか長崎じゃ原爆の内に入らないから」といいます。 >それは照れるのでも、悪びれるのでも、拗ねるのでも、強がるのでも >なく、ごく自然な感懐に聞こえ、それがまたすごいなと思うのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしの県の修学旅行は、毎年九州でした。その中で長崎は修学旅行のメインといってよかったのです。 平和公園では、全生徒がつくった千羽鶴を奉納し、原爆資料館は2時間近くかけて 見学させました。 修学旅行前は、クラスごとに長崎原爆を調べさせ、それを小冊子にして勉強させました。 本当は、各班で長崎市内を自分たちで見学させたかったのですが、管理職が事故を恐れ実現できなかったことが今でも心残りです。 長崎市内へは観光バスいくのが通例でしたが、わたしの現役当時のバスガイドはそれは見事な語り口で原爆の悲劇を語ってくれました。 中でも永井博士の「この子残して」の話では、大半の子供が涙を流していました。 そして夜には原爆の語り部の人を呼んで話を聞きました。 しかし、平和教育も付け焼刃では身につきません。修学旅行で長崎を訪れたからといって、平和への思いが高まるものでもありません。私は、自分の学年の子供たちには、まず「民主主義的感性」を育てることからはじめました。なにより「話し合い活動」を大切にしたのです。そして、社会科の授業では、教科書以外の本を調べることを教えました。 そして、夏休みなどを利用して、「はだしのゲン」などの映画などを計画的に見せました。 修学旅行での長崎訪問は、1年・2年の積み重ねがあって、はじめて意味があります。その意味で、長崎訪問は、平和教育の総仕上げという位置づけをしていました。 きみゆらさんの長崎の旅は、子供たちの長崎の旅よりはるかに、深みのあるものだと思います。多少、感傷的な表現をさせてもらえば、親子の「心の旅」とでもいうべきものだと思います。 わたしもたった一度親父と旅行をした経験があります。高校受験で広島の国立大学付属高校を受験したのです。そのとき、親父と一緒に広島までいきました。親父の友達の息子が広島大学の助教授をしていたので、その研究室を訪問しました。 今でもよく記憶していますが、研究室のある建物がぼろぼろになっていました。親父が、「これが原爆の跡だ。酷いものだ」と呟いたのを思い出します。 助教授の人も、「原爆の後遺症から回復するには、何年かかるのでしょうね。見当もつきません」と諦め顔で語っていました。 親父との旅行はこの一度だけですが、今でも墓参りをするたびにこの旅行のことを思い出します。わたしにとっては、宝物の記憶です。 きみゆらさんのお父上との旅行もきっとそれ以上の「宝物」になると思います。 |
流水さん、こんにちは。 丁寧なお返事、ありがとうございます。 そうですか。長崎に行かれていたのですか。そうですよね。岡山の 中学校の修学旅行なら、行き先は隣県の広島ではなく、長崎になる のが自然ですよね。そういえば、私たちが平和公園に行ったときも、 校名はわかりませんでしたが、岡山県の中学生たちがいました。 たぶん、だいぶ以前に流水さんがどこかで、広島は何度も訪れた ことがある、という意味のことをお書きになったのを覚えていて、 修学旅行先と思い込んでしまっていたのでしょう。浅はかな思い 込みで、たいへん失礼いたしました。 個人という意味でも、その地域に住む人々という意味でも、町、 いまどきの言葉ならコミュニティという面でも、心の傷は、時間を かけてきちんと癒さなければなりません。それは当然の、とても 大事なことです。けれども、長崎や広島の場合、それと並行して、 経験と記憶の掘り起こし、保存、普及、継承を実行していかなければ ならないというところに、何とも言いようのない苦心、葛藤があるの だと、今回の旅行を通じて、今さらながら、つくづく思いました。 比類なき悲痛な体験を、自分たちで癒し、同時に自分たちで、残し、 伝える努力を続けなければならない。60年経った今も。これからも ずっと。なぜならば、国は、政府は、ろくに何もやらないから。 たとえば、父が被爆した辺りは、町名でいうと、伊良林、中川町と いったところなのですが、この辺は先に書いたとおり、爆心地に 対してちょうど金比羅山の山陰にあたる地域で、人も建物も比較的 被害が少なく、そのせいか原爆被害に関する記録や体験記などが、 ほとんど残っていないんです。 しかし、被害が少ないといったってそれは、全身を瞬時に焼かれた とか、三階建て、四階建ての建物があっという間に全壊したとか、 そんな、今でも信じられないような地獄絵図と比べたらということで あって、父のように体ごと吹き飛ばされたり、割れたガラスでケガを したり、家の中のもの一切合財放り出されたり、それくらいのことは いくらでもあったのですが、そんな記録はろくに残っていない。 父の郷里は雲仙の西麓、小浜という小さな温泉町で、墓参等のため そちらにも立ち寄ったのですが、そこで会った父の小学校時代の 友人らからは、そのとき小浜の沿岸の製塩工場で窓ガラスが割れた、 その日の午後小浜でも黒い雨が降った、などという話を聞きました。 島原半島の西岸、長崎から直線距離で優に30キロはある小浜で、 です。酒席の世間話としてそんな話題が出てくるのですが、その ようなことも、記録としてはまるで残っていません。 人類史上たった二度、実際の戦争で、一般市民老若男女、非戦闘員が 核兵器攻撃を受けたという、あえてこういう言い方をしますが、この 上なく貴重な体験であるのに、原爆の被害を細大漏らさず明らかに しようという努力さえ、この国は、ろくにやっていない。エライ人 たちが、それを落とした国の顔色をうかがうばかりで、戦後60年 ずっと、ほどほどのところでお茶を濁す程度のことしか、やって こなかった。多くの被爆者は、いまでも、そう思っているはずです。 せめて、その小浜の工場窓ガラスと黒い雨の話くらいは、それぞれの 相手から連絡先は控えてありますので、できればいつか、もう一度、 聞きに出かけたいと思っています。でも、次にいつそんなことが できるのか、いまのところ、正直いって自信がありませんが。 しだいにグチのようになってしまいました。しかし、この国の 歴代政府による「原爆隠し」の姿勢は、当時から現在に至るまで、 一貫して変わらないのだと、今回の旅行を通じて、あらためて、 数々、思いました。 |
*自コメント【52590】の続きです。 以上長々と書いてきたことから、いくつか要点と思うことを引き 出してみます。 まず、平和を大切にする、戦争の悲哀、苦痛を知るという意味でも、 もっと違った意味でも、とても大事なこととして、自分自身の、 つらい経験、苦しかった思いを、大切にするということがあるの ではないかと思います。つらさから逃れよう、苦しかったことを 忘れようとするのは自然な人情であり、それはそれで別にいいと 思うのですが、いつかまた思い出して、自分の糧にするというのか。 それから、身内や身近、親しい人などの、つらかった話、切ない 気持ちを、機会を捉えて、きちんと聞いておくこと。できれば、 そのときの話そのものだけでなく、前後のいろいろな経緯や事情も 含めて。とくに、広島、長崎だけでなく、かつての戦災体験の話は、 当事者から直接聞くという意味では、もうほんとに、あまり多くの 時間は残されていないということもありますし。 あと、流水さんが紹介してくださった、「人間の新鮮な血を見たら、 おいしそうだった」といった話などもそうなのですが、それだけ 聞けば異常きわまりない話と、いまふつうに生きて暮らしている 自分とが、何ら変わることがない、同じ当たり前の人間なんだという 視点を、どこで手に入れるかということなのではないかと思います。 そういった意味では、たとえば戦災体験記を「読む」ということで あっても、ある程度長いもの、直接の戦争体験ばかりでなく、その 人の日常や、趣味、食べ物や恋愛のことなども書かれている、日記 とか、手記を集めたものとか、そのような読み方をするというのも、 ひとつ大事なことなんだろうなあ、とも思います。 私たちの先輩にあたるちょっと前の時代の取材者はとくに、「取材 ノートを閉じてから」「録音テープを止めてから」ということを、 取材術として意識的に使っていました。「今日お聞きしたいことは、 だいたいこれくらいです」と言いながら、実際に、相手にはっきり わかるように、ノートを閉じたり、テープを止めたりして見せます。 「ここからが本当の取材」と、内心で呟きながら。 でもそれは、そうしたやり方で本音を引き出すという意味もあるの ですが、結果的に記事の文言にする情報だけでなく、そういった 「裃を脱いだ」交流の仕方を通じて、その人の、「ふだんの顔」 「ふつうの声」を見聞きしておくことが、見えない勘所になると、 昔の取材者たちはみんな知っていたからだろうとも思います。 そのような、「ふだんの顔」「ふつうの声」に自分の肌でふれると、 たとえば話し手が医者であれば、病態とか最新医学とか治療法とか、 いままで「堅苦しい話」に聞こえていたものが、そのときから全部、 「人間についての一つの真実」となって、生き生きと血が通い始める んです。これは本当に、実感として、そういうことがよくあります。 戦争体験や、それにまつわるさまざまなことを、そのようにして、 聞く、読む、話す、書く、ということが、いまのような時代だから こそ、あらためて、ものすごく、必要になってきているんじゃない のかなあと、最近はそんなことを、仕事の合間合間に、ずーっと 考えています。 |
▼流水さん: >一つ事実を眺めても人の思考法によって、事実の解釈は違ってきます。軍事を通じて政治を語る時、一番陥りやすい欠陥は、【人間】についての感覚が鈍磨することです。 >上記のミンダナオ島などの日本軍の敗走戦を、戦術の失敗などのタクテイスの視点で考えるか、一人の人間の命という視点で考えるかによって、歴史の歩き方が変わります。 > >同じ自国民でもこれくらい違うのですから、他国民とでは同じ事実でも見方が全く異なるのは当然です。まして、加害者と被害者の関係にある場合、その見方は絶望的なくらい違っていると考えるのが正しいと思います。 >では、【絶望的な違い】を克服するのは何か? >唯一の道は、人間の命を大切に考える立場だと思います。中国人の命、日本人の命、韓国人の命。この一人一人の命を大切にする思考法ならば、普遍性を持つことができます。 >日本がアジアでの孤立を避ける道は、文字通り一人一人の命を大切にする思考法をもう一度取り戻すことだと思います。 お久しぶりです。 加害国と被害国を隔てる絶望的な違いを克服する道、「一人一人の命を大切にする」思考法。 これ以上、普遍的な理念はないですね。 しかし、これはまた国と国との利害が絡んでくると、非常に難しくなるから問題がややこしくなります。 しかしからまった糸を解きほぐす道はこれ以外にないと私も思います。 すべての判断基準をここにおくと解けない難問も案外解ける糸口が見えてくるのかも知れません。 靖国参拝を単に内政問題としてかたずける思考法ではもうどうにもならない気がします。 これからの国のリーダーには自分の国の利害だけでなく、世界的、普遍的な価値を判断基準としていく視野の広さが求めらます。 残念ながらこの条件を満たしている世界の指導者はいないように思います。 被爆国日本にはこの条件を満たす指導者が現れる一縷の希望はあるのでしょうか・・・ |