Page 561 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼平成【貧乏物語】 流水 05/8/3(水) 11:33 ┣Re(1):平成【貧乏物語】 ウミサチヒコ 05/8/3(水) 20:49 ┃ ┗Re(2):平成【貧乏物語】 流水 05/8/4(木) 10:02 ┃ ┗Re(3):平成【貧乏物語】 昭和 人 05/8/4(木) 15:53 ┃ ┗Re(4):平成【貧乏物語】 流水 05/8/4(木) 16:53 ┃ ┗Re(5):平成【貧乏物語】 MNG 05/8/5(金) 0:09 ┣Re(1):平成【貧乏物語】 ワン太郎 05/8/4(木) 15:21 ┃ ┗Re(2):訂正 流水 05/8/4(木) 15:53 ┣Re(1):訂正 流水 05/8/4(木) 15:55 ┃ ┗Re(2):訂正 珠 05/8/5(金) 1:53 ┣Re(1):平成【貧乏物語】 JS 05/8/4(木) 16:03 ┃ ┗Re(2):平成【貧乏物語】 流水 05/8/4(木) 16:55 ┗【貧乏物語】の背後に隠れた価値観の変化 たけチャン 05/8/4(木) 23:03 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 平成【貧乏物語】 ■名前 : 流水 ■日付 : 05/8/3(水) 11:33 -------------------------------------------------------------------------
昨日の朝日新聞「文化欄」で、橋本俊明京大教授が、【深刻さ増す日本の貧困】という文章を書いていた。 非常に衝撃的な内容であるが、わたしたちの実感ときわめて近いものである。 とりあえず、その内容をかいつまんで紹介してみる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★OECD(経済開発協力機)の加盟国の所得分配と貧困の現状に関する比較調査(最も最近のもの) 日本の貧困率(国民のうち何%が貧困であるか)⇒15.3%(※先進国中第3位) 1、メキシコ 2、アメリカ 3、トルコ 4、アイルランド 5、日本 ※貧困の定義⇒EUやOECDの定義は、全国民の平均的所得の50%以下の所得しか稼いでいない家計を貧困者とみなす。 この中で、メキシコ・トルコはまだ中進国とみなされるので、日本は先進国中3位といってよい。10年前は約8%だったので、およそ2倍に増えている。 上記のことは、生活保護制度の受給者の数でも、確認できる。 ※ここでの貧困の定義⇒地域や家族構成に応じて最低限生きていくための生活費が計上されて、その額が【貧困線】として定義されている。 世帯数⇒10年前 約60万世帯 現在 100万世帯を超えている 受給者数⇒10年前 90万人 現在 140万人を超えている 貧困者数の急増の現象的原因 1、平成大不況 2、労働形態の変化:フリーター・パートタイマー・派遣社員の増加 これらの労働者は、正社員に比較すると時間当たり賃金も低く、雇用も不安定。社会保障制度からも排除されている⇒いわば劣悪な労働条件下にある 3、高齢者間の貧富の差が拡大 OECD調査(貧困率) 66〜75歳 19。5% 75歳以上 23.8% 若者の貧困率(OECD調査) 18〜25歳 16.3% 4、離婚率の上昇⇒母子家庭の増加 制度(システム)的要因 ●最低賃金制度が、先進国に比べて低い。それも、生活保護支給額より低い。 ●生活保護制度がうまく機能していない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(8月2日 朝日新聞 文化欄) 簡単に要約すると、以上のようになる。これはわれわれの生活実感にきわめて近い数値であり、きわめて適切な問題提起だと思う。 本来、政治や政治家はこのような問題に対して、具体的な政策を提示するのが仕事であるべきだが、年金・医療・介護保険、先日の税制調査会の増税勧告に見られるように、この貧困率をさらに加速させる方向しか出てこない。 わたしが、小泉政権を反国民的政権と断定するのは、国民の貧困率を拡大させる方向での改革しか行っていないからである。 |
▼流水さん: 日本は世界でも飛びぬけたリッチな国(国民)だと言われます。平和活動家のきくちゆみさんも、(辻元さんだったかな)、言っていました。 数字的にはそうなんだと思います。 けれど、生活保護を本当に必要としている人や、働き口のない人がゴロゴロしています。経済自殺も増加しています。それはやはり較差の問題なのだと思います。皆が普通の着物を着ているのに自分は継ぎ当ての着物だったら、普通は惨めなものです。みんなが白いランニングを着ているのに自分は茶色っぽいランニングだったら惨めなものです。 それを、最貧国よりは生活レベルが上だ、ということはなんの意味も成さないわけです。 生活保護を受けなくても、粥をすすって生きられる、そう達観できたとしても、今の時代、それでは子供には「普通の」教育は受けさせられません。100万世帯に100万円の援助をすることによって、その一族が自立できるなら、そういう社会は健全です。1兆円あればそれが出来ます。一人に100万円でも3兆円です。 人助けで言っているのではありません。 そうしてそういう人たちにも選挙に行く余裕をもってもらって、社会を変えたいのです。そういう社会は、教科書問題も、外交問題も解決する力が備わります。アジアに文化で覇をとなえることも出来ます。経済もうまくまわります。そうやって世界に日本が範を示してパレスチナ問題も解決させる、そういう時代に自分は生きたいと思います。 |
もう20年以上前になりますか。 教師仲間で給食の是非が、話題になったことがあります。 給食廃止論者の言い分は、子供の食事を親が面倒をみるのは当たり前。その程度の 面倒を見れないで、親の責任が果たせるか。だいたい、今の親は横着すぎる。給食を止めれば、仕方なく弁当を作るだろう。 もう一つは、給食では犬食になりやすい。食事マナーを身に着けさせるためにも、給食は止めたほうがよい。 この発想の前提には、これだけ豊かな世の中になったのだから、食事に困る家庭はごく少数になっている、という認識がありました。 それに対して、給食継続論者の言い分はこうでした。給食廃止論者の言い分は、現実を見ていない。今の子供たちがどれだけ朝食を食べていないか知っているのか。 朝食を食べていない理由のなかで、朝食を準備してもらえないというのが、非常に大きいというのを知っているのか。養護の先生の悩みの大きなものが、きちんと朝食をとる事の大切さをどうやったら分かってもらえるか、ということなのを知っているのか。 つまり、多くの子供たちが発育に必要な栄養の多くを給食でとっている現実を知っているのか。給食を廃止したら、この種の子供たちはどうなるのか。 確かに、給食継続論者の指摘の現実がありました。その中には経済的には困っていないが、食事を準備するのが面倒という家庭もありましたが、それより生活に追われてそこまで考える余裕のない家庭も多かったのです。 給食が唯一のきちんとした食事という子供もいたのです。 公立学校というのは、社会の縮図です。社会のあらゆる矛盾が最も尖鋭な形で噴出している場所なのです。 日本社会の貧困の問題は、公立学校では何十年も前から顕在化していました。それでも、高度成長期・バブル期などは、その数はきわめて少数派だったといえます。 しかし、現在はその数は確実に増加しているそうです。わたしの後輩の教師たちは、そのことを実感しているといいます。 こういう中で教育改革の名の下に、給食廃止の傾向は増大しています。食べ物の貧しさ(友達と比較して)は、子供の心に【惨めさ】を植えつけます。この【惨めさ・恥ずかしさ・悔しさ】が自分を成長させるバネになることもありますが、多くの場合、社会に対する恨みや自暴自棄的心性を増幅させます。 これが、貧困というものが、社会の現場に与える影響の一つの例です。わたしたちが20年以上前から現場で痛感していたことが、いよいよ看過できないところまで大きくなったという感じがします。 |
タイトルを見て、河上 肇が懐かしくなって寄ってみました。 私の育った時代はお弁当持ちの登校が当たり前でした。 1950年前後は中学(旧制)でさえ食糧難で疎開組の人たちは持って来られない時もあったが。 給食は戦後にできた、貧富の差がなく、健康的で良い施策だと思います。 継続させていきたいものです。 子供を育てた時代には、妻とともに小学校の給食に喜び、感謝したものです。今では孫と給食のメニューの話をするのが楽しみです。 ここ数十年、競争、効率化、グローバルスタンダード、に追いまくられながら生きてきましたが、ごく最近になって、もんとうに良かったのかと疑問をもつようになりました。 私の生きた昔の時代は軍隊と民間の差等は大きかったが、今ほどの貧富の差はなかったと思う。 かといって特殊法人のように親方日の丸は反対、嫌いです。 どこか おかしい、流水さんのいうとおりです。 老人、ビジネス現役者のぼやきかな。 |
昭和人さん たしか、初めてレスするのではないかと思います。 わたしも、この記事を読んで、河上肇の【貧乏物語】を読み直しました。 大内兵衛氏の評では、【貧乏物語】はさまざまな欠点があるとしても、 「1、この【貧乏物語】は日本にも貧乏があることを経済学として論じたこと 2、この【貧乏】は【富裕】の裏返しであること 3、【貧乏】を退治する思想として世界史的には、【社会主義】があることを示したこと。(※当時、河上は反対だった) その意味で、この【貧乏物語】は【歴史の経済的説明】の始まりだった。そしてそういう武器としての経済学の誕生だった。」そうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どうやら現在の日本も、新たな【貧乏物語】を書いてくれる経済学者が必要な時代になったようですね。 給食の話ですが、実は学校給食の実現には、部落解放運動が深く関係していました。被差別部落の子供たちの現状を何とかしようという運動が、学校給食として結実していったのです。当然、戦後の食糧事情の悪さもその一因でした。 今でもわたしの脳裏には、小学校時代の記憶が鮮やかに残っています。ある日、わたしのクラスに転校生がきました。彼のお父さんは炭焼きをしながら、各地を転々としていました。寝泊りは炭焼き小屋でしていたようです。そのため、彼は学校に弁当を持ってくることができませんでした。 わたしの田舎は結構寒いところなので、冬場は槙ストーブがありました。弁当が冷たくなるので、わたしたちはストーブの周りに弁当を置いたものです。弁当が温まってくると、おかずのよい香りが教室中に漂い始めます。 その匂いに我慢できなくなったのでしょう。その転校生が人の弁当を食べてしまう事件が起きました。 担任教師は彼の家庭の事情をよく知っていたのでしょう。弁当を食べられた子供には、自分の弁当を与え、転向生をあまり強く叱りませんでした。 次の日から、担任教師は毎日彼の弁当を作ってきて、わたしたちに見えないようにそっと渡していたそうです。(※後で聞いた話です) 戦後の学校ではこの種の話は山ほどあります。給食には、学校で惨めな思いをする子供たちを一人でもなくそうという願いが込められていました。 当時と今とでは事情が全く違いますが、それでも給食で救われている子供や家庭は多いと思います。 |
▼流水さん: >昭和人さん >たしか、初めてレスするのではないかと思います。 >わたしも、この記事を読んで、河上肇の【貧乏物語】を読み直しました。 > >大内兵衛氏の評では、【貧乏物語】はさまざまな欠点があるとしても、 >「1、この【貧乏物語】は日本にも貧乏があることを経済学として論じたこと 2、この【貧乏】は【富裕】の裏返しであること 3、【貧乏】を退治する思想として世界史的には、【社会主義】があることを示したこと。(※当時、河上は反対だった) >その意味で、この【貧乏物語】は【歴史の経済的説明】の始まりだった。そしてそういう武器としての経済学の誕生だった。」そうです。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >どうやら現在の日本も、新たな【貧乏物語】を書いてくれる経済学者が必要な時代になったようですね。 残念ながら【貧乏物語】は読んだことがないのですが、今読んでいる山田風太郎の「人間臨終図巻」(徳間文庫)に、河上肇も出ていました。 亡くなる一年前、終戦の年、知人にあてた彼の手紙より。 「・・・お目にかかった当時と違い、今ではすっかり老衰の境に追い込まれ、辛うじて最後の一線に踏み留まっている処です。食料がいよいよ不自由になり、四人世帯で二日目に鼠のシッポのような大根一つ、おろして小皿にやっと一杯、それが六度分の副食物ですが、それすらない日があり、自家耕作の体力も空き地もなく、買出しにゆく人手もなく、法外の闇を漁る金力もなき老生如きは、餓死の外ないのですが・・・」 「なんでも書ける世の中になり乍らなんにもよう書かぬ老耄さ残念ですが致し方ありません。・・・」 彼自身も凄まじい貧乏の中に、その生涯を終えたようです。 |
▼流水さん: >昨日の朝日新聞「文化欄」で、橋本俊明京大教授が、【深刻さ増す日本の貧困】という文章を書いていた。 確認させてください。 「橋本俊明京大教授」という方をネットで検索しても出てきません。 京大のHPを調べても「橋本俊明教授」は検索不能ですし、論文も記録がありません。 橋本教授に間違いはありませんか? |
▼ワン太郎さん: > >「橋本俊明京大教授」という方をネットで検索しても出てきません。 >京大のHPを調べても「橋本俊明教授」は検索不能ですし、論文も記録がありません。 >橋本教授に間違いはありませんか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これはわたしの間違いでした。 橘木教授の間違いです。 謹んで訂正いたします。 |
申し訳ありません。橋本教授は、橘木教授の間違いです。 訂正いたします。 |
▼流水さん: 橘木は合っていますが、俊明ではありません。 橘木俊詔と書きます。読み方は同じですけれど。 3年ほど前に彼の著書を読んで、社会保険制度についてお話を伺いたく、京大の研究所をお訪ねしたことがあります。社会保険の基礎的な部分は、国民が安心して暮らすために国家の責任として税収を使って取り組むべき。日本の社会保証制度は充実しているとは言い難い。それを充実させるには、まず税金や社会保険料の使用内容をもっと明らかにすべき。消費税は値上げするが福祉目的税として使い道をハッキリさせる。社会保険・社会福祉は過度の損得勘定が入らない精神が支える等のお話を伺ったものでした。その時に日本はもっと所得格差が大きくなると心配していらしたことを思い出しました。 |
▼流水さん: >昨日の朝日新聞「文化欄」で、橋本俊明京大教授が、【深刻さ増す日本の貧困】という文章を書いていた。 1998年、京都大学経済研究所の橘木俊詔が『日本の経済格差』という本を世に出しました。橘木氏は、この本の中で豊富なデータを駆使して、日本の所得格差が1980年代から急激に拡大し、先進国の中でも最も不平等な社会に向かいつつあると指摘していました。 おそらく、この本に基づいたことだと思います。 『日本の経済格差』は、ジニ係数という指標を用いて各国の所得分配の不平等度を数値化したものです。 (ジニ係数とは、私も良く理解できないので、本を読んでください。) 本によると、日本はジニ係数の水準で低い貧困率と言えますが、それでも主要先進諸国との比較の中では中では低い水準にあるとは言えないようです。 しかし、日本の貧困率は年々増加傾向にあり、失業率の高まりなどでさらに貧困層が拡大していく可能性もあるということです。 ジニ係数の上昇は高齢者の増加に伴う「見かけの不平等化」の進展であって、現実の社会構造が不平等化しているわけではないという批判もあるようです。 |
▼JSさん: > >1998年、京都大学経済研究所の橘木俊詔が『日本の経済格差』という本を世に出しました。橘木氏は、この本の中で豊富なデータを駆使して、日本の所得格差が1980年代から急激に拡大し、先進国の中でも最も不平等な社会に向かいつつあると指摘していました。 >おそらく、この本に基づいたことだと思います。 >『日本の経済格差』は、ジニ係数という指標を用いて各国の所得分配の不平等度を数値化したものです。 >(ジニ係数とは、私も良く理解できないので、本を読んでください。) >本によると、日本はジニ係数の水準で低い貧困率と言えますが、それでも主要先進諸国との比較の中では中では低い水準にあるとは言えないようです。 >しかし、日本の貧困率は年々増加傾向にあり、失業率の高まりなどでさらに貧困層が拡大していく可能性もあるということです。 >ジニ係数の上昇は高齢者の増加に伴う「見かけの不平等化」の進展であって、現実の社会構造が不平等化しているわけではないという批判もあるようです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ご教授ありがとうございます。 ジニ係数については、少し勉強してみたいと思います。 |
▼流水さん: マルクスが言うには、「労働」が全ての価値の源泉であった。 ところが、現代日本ではどうか、国会議員の息子は馬鹿でも国会議員になれる。 社長の息子は、中小企業であれば、エスカレータに乗った気分で、社長になる。 金融資産が数億もあれば、働か無くても金利収入が年数千万円も手に入る。これら現実を見ると、マルクスは嘘つきだったのかとなる。 自然で言えば、太陽の光が、生命活動の源泉である。太陽のエネルギーを植物は上手く取り入れて、成長している。動物は、それら植物に支えられて生きている。したがって、太陽活動が弱まれば地球の生命も終わる。日本の源泉は同じ意味で、労働が源泉である。日本人の減少、労働力人口の減少も、同じく労働の源泉が少なくなるということである。 したがって、日本復活の鍵は、労働の価値観の復活にかかっていると考えます。 カネの効率化のために、郵貯をいじくっても、全く何にもならないと考えます。 民主党に提案したいのは、65歳以上の年金支給と同時に、老人にふさわしい「労働」を義務つけることです。 |