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 ▼菅直人に見る政治家と野望と挫折  流水 04/7/26(月) 10:16
   ┣Re(1):遍路道再考  流水 04/7/26(月) 12:33
   ┣Re(1):菅さんに  王里 04/7/26(月) 15:30
   ┃  ┣Re(2):菅さんに  流水 04/7/26(月) 16:30
   ┃  ┗一度お参りしてみてください!  ふくちゃん 04/7/26(月) 22:23
   ┗Re(1):菅直人に見る政治家と野望と挫折  こんぺいとう 04/7/28(水) 10:59

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 ■題名 : 菅直人に見る政治家と野望と挫折
 ■名前 : 流水
 ■日付 : 04/7/26(月) 10:16
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   菅直人の四国八十八箇所巡りが、昨日で一応の終わりを見た。24箇所を巡ったのだから、約1/4である。
結願(けちがんと読む)までは、後3/4を巡礼しなければならないが、ぜひ結願まで巡って欲しいものである。
菅氏の巡礼には、様々な意見がある。大方は、揶揄・嘲笑に近いものが多い。

しかし、わたしは菅氏の今回の巡礼旅を評価したいと考えている。

生きていると、人は誰でも、誰にもいえない苦しみの一つや二つは抱え込むものである。生きるとは、その辛さ、苦しさを呑みこむことである。
遍路道沿いの人々は、黙々と歩く遍路さんを見ながら、「よほどの苦しみを抱え込んでいるのだなあ」と共感し、接待をし、差し入れをし、歩き遍路さんの背中をそっと押すのである。ここには、勝者も敗者もない。あるのは、辛さ・苦しさに耐えて、生きている人間に対する共感である。

菅氏は、この人間の共感の渦を身を持って体験した。前にも書いたが、政治家は普通の生活と離れることによって、政治家になる。そのことは、戦争を考えればすぐ理解できる。普通の人間は、人を殺したり殺されたりするようなことは嫌いである。それを決断するということは、政治家が、如何に普通の人間の位相から離れたところにすんでいるかを如実に物語る。
すぐれた政治家と駄目な政治家を分ける分岐点は、この決断の裏にどのような人間的苦悩が隠されていたかにある。漫画【子連れ狼】の拝一刀の家に自分が介錯した人間の全ての位牌が置いてあり、毎日供養を欠かさない、というような苦悩である。

菅氏の論法の鋭さは万人が認めるところだが、惜しむらくは彼は論理人間であっても、論理では割り切れない人心の機微をつかむすべに欠けていた。
菅氏は、今回の歩き遍路で、この【人心の機微】に触れた。【人生万事 塞翁が馬】ということの意味を体得できるきっかけを得たと思う。

菅氏の行為を鼻で笑っている人間の多くは、冷房の効いた部屋に住み、送り迎えの車でふんぞり返っている。そんな奴は、この猛暑の中(37度ぐらい)、一日40km歩いてみたらよく分かる。
たとえ、動機がどうあれ、生半可な覚悟でできるものではないことくらいすぐ理解できる。
菅氏は、勝海舟ではないけれど、【褒貶は他に存す。我にあらず、我に関せず】と嘯けばよい。

人間は10日くらい歩いたからといって、そんなに簡単に変わるものではない、というのも真実だが、本当に変わりたいと願っている人間には、10日は充分な日数でもある。
菅氏がどちらに当たるかは分からないが、わたしは彼の変身にかけたいと思っている。必ず、民主党に、彼が必要な時がもう一度訪れると思う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):遍路道再考  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/7/26(月) 12:33  -------------------------------------------------------------------------
   世界にも遍路道はある。
世界遺産に登録されている、スペインのサンティアゴへの巡礼路もそうである。
この道を歩いた日本人の言葉が、印象に残った。
この巡礼道を歩くとき、フランス側の教会で証明書をもらう必要があるのだが、カソリックでない日本人がこの証明書をもらうのは結構大変だそうである。
ここにも一神教の厳しさが垣間見える。

また、サンチアゴへの巡礼路は、一本道である。ただ目的へ向かって、ひたすらその道を歩むのである。先に書いた【中心思考】の発露である。

ところが、お遍路道はそうではない。どこから歩いても良いし、誰が歩いても良い。弘法大師(空海)の巡った道を歩くのだが、別に真言宗の信者でなくてもかまわない。
スペインの巡礼道は、ひたすら神の御許へ近づく旅であり、日本の遍路道はひたすら【自分と向き合う】旅である。

今年、世界遺産に登録された熊野古道もある意味で日本的信仰の象徴である。
高野山から歩くも良し、吉野山から歩くも良し、田辺から歩くも良し、別に那智大社の信者でなくても良い。深山幽谷の中で、ひたすら自己と向き合い、自らの存在のあり方を根底から問い直す巡礼である。

この自由さ、寛容性、自然との共生を感ずる感じ方、どれも現代の日本人が忘れかけたものである。ここに、歩き遍路が見直される要因があると思う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):菅さんに  ■名前 : 王里  ■日付 : 04/7/26(月) 15:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:はじめまして


この暑さの中、歩き遍路を続けられた菅さん、ご苦労さま。汗は煩悩を流し、足の痛みは生身の人間を実感させてくれたでしょうか。マスコミの取材がありましたので、自分自身と向き合う時間は取れたでしょうか。どなたか一緒に歩いてくれた人は、いましたか。お接待は受けられたでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):菅さんに  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/7/26(月) 16:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼王里さん:
>▼流水さん:はじめまして
>
>
>この暑さの中、歩き遍路を続けられた菅さん、ご苦労さま。汗は煩悩を流し、足の痛みは生身の人間を実感させてくれたでしょうか。マスコミの取材がありましたので、自分自身と向き合う時間は取れたでしょうか。どなたか一緒に歩いてくれた人は、いましたか。お接待は受けられたでしょうか。
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わたしが答えるのは筋違いですが、分かる範囲でお答えすると、かなり足にきていたようでね。石段を降りるとき、足をかばっていたようでした。

マスコミの取材は、昼間だけで、夜は取材していなかったのではないですか。(映像はなかったです)
お遍路さんの背中には、【同行二人】と書いてありますが、これはお釈迦様と一緒という意味なので、菅さんには特別同行者はいなかったようです。

お接待は、大変よく受けられていたようですよ。四国の遍路道は、お接待道でもあるので、この心の篭もったもてなしこそ歩き遍路の醍醐味でしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 一度お参りしてみてください!  ■名前 : ふくちゃん  ■日付 : 04/7/26(月) 22:23  -------------------------------------------------------------------------
   歩き遍路の始まり

歩き遍路をしたら藤井寺から焼山寺に行く途中1本杉があります。

遍路の元祖 衛門(えもん)三郎の「杖杉庵」です
静かなお堂で、衛門三郎が病死した場所といわれる墓もあります。

衛門三郎は、伊予国の荏原に生まれた、たいへん欲が深い男だったそうです。
ある日托鉢僧が三郎の家の前に立ったとき、三郎は僧を馬の鞭で払ったので、
僧の手から鉄鉢が滑り落ち、鉄鉢は八つに割れ散りました。

すると翌日から、三郎の8人の子供たちが8日間のうちに
次々と死んでいったといいます。
托鉢僧は大師だったそうです。「子供が死んだのは、私の罪のせいだ」と
考えた三郎は、大師の後を追いかけて、八十八ケ所を歩きました。
ところが、21回まわっても大師に会うことができません。

22回目、八十八ケ所を逆にまわり、
ついにこの焼山寺で大師に巡り会うことができました。
大師に「何か望みはあるか」と尋ねられ、
三郎は「もう一度生まれ変わり、民衆のために功徳をつみたい」
と言い残して、息を引きとったそうです。

大師はこのとき「衛門三郎再来」と書いた石を三郎の手に握らせ、
再来を祈願しました。大師が墓標として三郎の杖を立てると、
杖から芽が出て大杉が育ったとか。

しかし、現在の境内にある杉は、
享保年間に火災で焼けた後に芽生えた杉らしいです。
堂の中には、弘法大師と衛門三郎の木像が祀られています。
また五十一番石手寺には、三郎の生まれ変わりとして、
生まれてきた子供が握り締めていたという石が残っています。
また四十七番八坂寺の近くには、
三郎の子供たちの墓が残されていると言うことです。

四国の人間の88カ所巡りのご招待でした。
これからはちょっとキツいかも?
春や秋にいかがですか?
四国の人間はお接待しますよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):菅直人に見る政治家と野望と挫折  ■名前 : こんぺいとう <shima-mama@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 04/7/28(水) 10:59  -------------------------------------------------------------------------
   この猛暑の中ご自分が決めた日数を歩きとおしたこと評価したいですね。

彼のような地位を得た方ならば、辛くなれば何かの言い訳をつけて途中
離脱をしても誰も文句を言わせないぞ、見たいな態度をとる事だって
出来たはずですが。
自然の中をただ黙々と歩く、たった3日ぐらいでも人生観は変わります。
それを10日間、きっと政界へ戻っても心のどこかでいわゆる庶民の
日常を思い出してくれるのではないでしょうか。

私もこの仕事(首相)を引退したらいくつか回ってみたいなどと
のたまわっていた方がいましたがお付をぞろぞろつれて歩くつもりですかね。

今後の管さんに期待したいものです。

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