Page 1122 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼環境問題スレッド・3 Ray 04/7/16(金) 20:13 ┣リサイクル運動を排撃せよ! 蝦夷縞 ふく朗 04/7/17(土) 16:44 ┃ ┣Re(1):リサイクル運動を排撃せよ! ワン太郎 04/7/17(土) 20:20 ┃ ┃ ┗Re(2):リサイクル運動を排撃せよ! 蝦夷縞 ふく朗 04/7/18(日) 0:00 ┃ ┃ ┣ふく朗さんへの レス(1‐1) ワン太郎 04/7/18(日) 7:59 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):ふく朗さんへの レス(1‐1) ワクチン 04/7/18(日) 10:06 ┃ ┃ ┃ ┗モノの道理 沈黙の初夏 04/7/18(日) 10:56 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):モノの道理 ワクチン 04/7/18(日) 12:19 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):モノの道理 沈黙の初夏 04/7/18(日) 12:40 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):モノの道理 蝦夷縞 ふく朗 04/7/18(日) 17:13 ┃ ┃ ┃ ┗ちょっと愚痴 沈黙の初夏 04/7/18(日) 20:36 ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):ちょっと愚痴 蝦夷縞 ふく朗 04/7/18(日) 23:56 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):ちょっと愚痴 ワクチン 04/7/19(月) 9:26 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣マスコミ、そして「科学」 蝦夷縞 ふく朗 04/7/20(火) 0:23 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):マスコミ、そして「科学」 ワクチン 04/7/20(火) 7:18 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗科学と「科学」と庶民の判断 蝦夷縞 ふく朗 04/7/25(日) 9:17 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):科学と「科学」と庶民の判断 ワクチン 04/7/25(日) 10:49 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗狂牛病・アメリカの「科学」と庶民の判断 蝦夷縞 ふく朗 04/7/27(火) 23:46 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗誰の立場にたった「科学」なのか? 江角と福祉ボランティア 04/7/26(月) 18:54 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):立場で「科学」も変わるのか? 蝦夷縞 ふく朗 04/7/28(水) 23:29 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗説得対象の理解とフィールドワークの大切さ 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 19:28 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):ちょっと愚痴 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 18:49 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):ちょっと愚痴 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 18:48 ┃ ┃ ┗ふく朗さんへの レス(1‐2) ワン太郎 04/7/18(日) 10:57 ┃ ┃ ┣Re(1):ふく朗さんへの レス(1‐2) 蝦夷縞 ふく朗 04/7/18(日) 14:35 ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):ふく朗さんへの レス(2‐1) ワン太郎 04/7/18(日) 20:51 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):ふく朗さんへの レス(2‐1) 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 20:39 ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):ふく朗さんへの レス(2‐2) ワン太郎 04/7/18(日) 21:08 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):ふく朗さんへの レス(1‐2) 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 20:32 ┃ ┃ ┗Re(1):追記 レス(1‐2) 蝦夷縞 ふく朗 04/7/18(日) 22:37 ┃ ┃ ┣Re(2):追記 レス(1‐2) ワン太郎 04/7/19(月) 10:52 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):追記 レス(1‐2) 蝦夷縞 ふく朗 04/7/19(月) 18:10 ┃ ┃ ┃ ┣バカに「どう説明し 納得させるか」 ワン太郎 04/7/20(火) 11:48 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):追記 レス(1‐2) 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 20:45 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):追記 レス(1‐2) ワクチン 04/7/22(木) 8:16 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):追記 レス(1‐2) 江角と福祉ボランティア 04/7/22(木) 13:02 ┃ ┃ ┣14448見落としていました(そのレス) ワン太郎 04/7/19(月) 12:33 ┃ ┃ ┃ ┣毎度、引用は正確に 沈黙の初夏 04/7/19(月) 13:24 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):14448見落としていました(そのレス) 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 19:53 ┃ ┃ ┗【14681】14448見落としていました(そのレス)の修正版 ワン太郎 04/7/19(月) 15:02 ┃ ┗Re(1): 栄養学的 リサイクル 猫猫 04/7/18(日) 22:47 ┃ ┗Re(2): 栄養学的 リサイクル 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 20:11 ┣Re(1):予算消化の発想 猫猫 04/7/19(月) 8:04 ┃ ┗Re(2):予算消化の発想 江角と福祉ボランティア 04/7/21(水) 20:13 ┣Re(1):環境問題スレッド・3 ごまめの翁 04/7/19(月) 9:55 ┣エルニーニョもどきとバタフライ効果 江角と福祉ボランティア 04/7/23(金) 18:39 ┗運動としての廃油石鹸・リサイクル 蝦夷縞 ふく朗 04/7/25(日) 10:50 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 環境問題スレッド・3 ■名前 : Ray ■日付 : 04/7/16(金) 20:13 -------------------------------------------------------------------------
▼このスレッドにお集りのみなさまへ: こんばんは。Ray@スタッフです。 「環境問題スレッド・2」の書き込み数が60を超え、 だいぶ重くなってきましたので 新スレッド「環境問題スレッド・3」を立てました。 以後のご議論はこちらでお願いいたします。 なお、前スレッドのいくつかの書き込みを読んで、 少し言葉がきつくなっているような印象を持ちました。 どうぞやわらかめの言葉で、しっかりしたご意見をお書き下さいますよう、 よろしくお願い申し上げます。 以下は前スレッドの最後の書き込みの転載です。 --------- 【14443】Re(3):再々度「家庭廃棄油石鹸化の是非」... 蝦夷縞 ふく朗 - 04/7/16(金) 19:32 - ▼ワン太郎さん: >▼蝦夷縞 ふく朗さん: > >先ずはお詫びを。 > >この【14204】を【13989】「再度石鹸の是非についての 独り言」につけるべきところを、 >蝦夷縞 ふく朗さん のスレにつけてしまいました。 >申し訳ございません。 これは気にしないで下さい。文体・内容から、見もしないで自分へのものではないと思いました。だから「横レス失礼」と書きました。そうであっても、言わずにおれなかったのです。 > > >次に、なにか誤解があるのではないでしょうか? ><合成洗剤の経済的優位性を熱弁していた・・・> > >私は いまだかつて 「合成洗剤を 肯定した事はありません」 >どなたかの意見と混乱されて いるのではありませんか? > >> ウールを、化学合成物質で処理しないと使い物にならないかのように書いていたじゃないですか! > >「ウールを、化学合成物質で処理」している「現状」を(批判的に)述べたつもりです。 >ダイオキシンを発生させない処理方法を発明しても、巨大な組織がそれを押しつぶしてしまう、ことを嘆いたつもりなのですが・・・。 > >蝦夷縞 ふく朗さんは 総て私の意図と 逆に解釈されていらっしゃるようです。 >もう一度、「ワン太郎は 環境を大切にしようとしている人間かも・・・」という目で、 >読み直していただければ 誤解は解けると思うのですが。 僕が悪意を持って意図的に曲解した、とおっしゃりたいのなら、それはそれでよござんす。皆さんが判断されるでしょう。「巨大な組織」については完全に見落としたようです。引用していただけると有り難い。 >> 廃油をリサイクルする意味で、「家庭で」石鹸を作るのが有効か、 >> という議論だったのでは? > >その通りです。私もそのつもりでいます。 > >現実社会の中には「油を下水に流す」困ったことをする 人々がいるので、 >現実社会の実態と比較出来るように、 >「家庭廃油を石鹸に作り変えること」がそれほど「非難されるべき事」なのかどうか、が確かめたかったのです。 > > ><人を小馬鹿にした態度> <ここまで頑迷なアホウが> >とは あまりにも酷な云われ方だと、少々めげております。 > >もう一度いいます。 >私は「知りたいだけです」。 >「家庭廃油を石鹸に作り変えること」が犯罪行為と言われるほど、悪い事かどうかを。 >純粋に、それだけであります。 めげているなどと、らしくもないことをおっしゃいますな。 石鹸にした油と、ただの油が、どちらが生分解性が高いか、データを持っていません。調べようとも思いません。それが主要な問題と思っていないからです。 自家製石鹸を使っているワン太郎さんは、洗濯も食器洗いも、それで済ませているのですね? ただ、多くの人は洗濯には市販品を使うのではないかと思います。洗濯機ですから粉が適しています。食器洗いには液体が便利ですから。 遊びなら目くじらを立てるつもりはありません。 しかし石鹸に出来るからと油を使いまくる姿は異様です。普通なら油なんか余らないでしょう? ましてや環境に意識の高い人なら。(僕の文を読んで下さい)天ぷら数回で油を用済みにしているのですよ! この姿が異様だと言いたい。 問題は 「総量」に対する感覚を失わせること 主要な問題から目をそらせること この意味に置いて 「犯罪行為」 なのです。 現にワン太郎さんも「石油文明論」からは撤退して石鹸まみれではありませんか。 環境問題を語る中でムキになる問題でしょうか? 石鹸に限らず、全体を見渡す目を曇らせる「犯罪行為」は跋扈しています。 ひょおっとして、僕の書いた他の話題の中にも、そうしたものがあるかも・・・。 指摘はしていただきたい。 |
せっかく管理人さんが新スレッドを作って下さったのに、 ワン太郎さんのお返事を待っているのに、 誰も書き込んでくれないので、スレッドを上に上げる目的で書き込みます。 多くの方にはすでに常識となったことではありますが、「リサイクル運動」がいかに環境を悪化させる「犯罪行為」であったことか。いや、今現在も犯罪行為であることか。 一例としては、リサイクルすればいいのだからと、際限なく使い捨ての商品が生まれてしまったこと。さらに腹立たしいのが、その大量のゴミ処理に税金が使われること。 処理費用はすべて製品に上乗せしろ! |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >せっかく管理人さんが新スレッドを作って下さったのに、 >ワン太郎さんのお返事を待っているのに、 失礼いたしました。 (言い訳ですが、私ただいま入院中です、体調のよろしい時、検査のない時、看護婦に咎められない時、に集中してキーを叩いています、事情ご賢察のほど・・・) >多くの方にはすでに常識となったことではありますが、「リサイクル運動」がいかに環境を悪化させる「犯罪行為」であったことか。いや、今現在も犯罪行為であることか。 > >一例としては、リサイクルすればいいのだからと、際限なく使い捨ての商品が生まれてしまったこと。さらに腹立たしいのが、その大量のゴミ処理に税金が使われること。 質問させてください。 蝦夷縞 ふく朗さんは 「リサイクル運動」そのものに反対されているのか、 「リサイクル運動が悪しき方向に進んでいる」事を憂いておられるのか? >処理費用はすべて製品に上乗せしろ! 「一つの考え」として尊重はしますが、 私はやはり ごみ処理、リサイクル、リユースなどは、行政の仕事とする方に賛成なのです。 財源は税金(消費税)とするのが合理的ではないかと。 そして、リサイクル、リユースなどの効かない製品の廃却には料金を徴収する。 (とすれば、そういった製品は売れなくなる・・・というように) |
ワン太郎さん 入院中とは存じませんでした。ご自愛下さい。 病院でパソコンが使えるのですか?電磁波問題で禁止されているものとばかり思っていました。お返事を待っていたのは、「石油文明」に対してです。が、ご事情がおありなのは分かりましたから、無理せずともよろしいです。 この掲示板は忙しすぎます。少し書き込みをしないと、ずうっとあとに押し流されてしまいますから、そのペースに僕も巻き込まれていたのでしょう。不躾な発言をお許し下さい。 それから、「沈黙の初夏」さんに最後通牒的な発言をされていましたが、公開の掲示板ですから、発言は自由です。きっと、これからも発言は続けられます。すべての発言に立ち向かう「気力」は必要ですね。でも、こうした掲示板では神経をすり減らすものです。僕も、少しでも自分の考えに共感してくれるよう努力しているつもりです(暑苦しいでしょうが)。無理なさらず、まず、完治されることを望みます。 僕にこの掲示板を教えて下さったのは「沈黙の初夏」さんです。 それ以前に「槌田敦」を教えて下さったのも。 考える過程や材料は違っていても、大きな部分では共感しあえる仲であろうと(自分だけ?)思っています。その点はお含み置き下さい。 沈黙の初夏さんの「投稿姿勢」に問題ありとして議論を一方的に断ちきられる場面は今まで数多く見てきました。 しかしながら、僕は沈黙の初夏さんの小気味よい簡潔な切り捨て方の、実は「ファン」なのでありました。 さて >質問させてください。 > >蝦夷縞 ふく朗さんは >「リサイクル運動」そのものに反対されているのか、 >「リサイクル運動が悪しき方向に進んでいる」事を憂いておられるのか? > > >>処理費用はすべて製品に上乗せしろ! > >「一つの考え」として尊重はしますが、 >私はやはり ごみ処理、リサイクル、リユースなどは、行政の仕事とする方に賛成なのです。 >財源は税金(消費税)とするのが合理的ではないかと。 > >そして、リサイクル、リユースなどの効かない製品の廃却には料金を徴収する。 >(とすれば、そういった製品は売れなくなる・・・というように) 数多くの言葉が使われて、僕には混乱のもとです。リサイクル(マテリアルとサーマル)・リユース・リフューズ・リデュース・リペア・・・。日本語で話したいですね。逐一脚注をつけたくなります。 「リサイクル運動」という限り、庶民の多くが参加する「運動」として捉えています。「そのもの」と「方向」に区別されていますが、その区別が僕にはまだ理解できません。今は用心して、答えないことにしておきましょう。現実やその場面を具体的に提示していただかないと考えられないのです。確固たる理論の演繹的な手法を取っていないのでしょう、僕の脳は。 風景を思い浮かべます。そうであるならどのような風景が出現するか、と。 今日の資本主義社会を肯定はしていません。しかしながら、人間の活動、労働、というものには一定の価値があると考えています。分別・リサイクルに使われる労力も一定の価値であろう、と。その価値を無駄遣いさせていいのか? 燃やしたり腐敗(発酵)させるのが不要物の最終処理の正しいあり方だと思います。ゴミの処理に税金を投入するのは、ゴミを出さない人からは大変な不公平です。 リサイクルすればよいと言う考え方が(石鹸づくりと同様)大量消費の免罪符になってしまった。僕は大量消費・大量廃棄に異を唱えています。石油文明拒否です。企業が儲けを拡大するために、自分(企業)の作ったゴミが税金で処理されることに怒っています。私たちはゴミを欲しくて買っているのではないのですから。 瓶のようにリユースできるものを主流にすべきです。新聞紙のように焼却できるものを包み紙とすべきです。パックに対し処理費用を事前にかけるなら、新聞紙の包み紙で販売する形態が復活するかも知れません。「安さ」を受け取れなくなりますが、大規模スーパーが小規模小売店をつぶした歴史を少し軌道修正できるかも知れません。 アルミ缶リサイクルがアルミの輸入を減らしたか? ペットボトルのリサイクルが石油消費を減らしたか? 数字は苦手ですが、数字として提示して貰いたいところです。 ゆっくりと、情報を集め、そして、想像して下さい。 石鹸づくりやリサイクルが、環境問題の解決からどんなに遠いものであるか。 むしろ大量消費から目をそらし、人々が社会に参加している喜びをかみしめながら、より企業の論理に巻き込まれているかを、想像して下さい。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >ワン太郎さん > >入院中とは存じませんでした。ご自愛下さい。 ありがとうございます。 今回は(持病の再発です)命には別状なし、ということなので入院生活をエンジョイしてやろうと企んでいます。 >病院でパソコンが使えるのですか?電磁波問題で禁止されているものとばかり思っていました。 PCが駄目なら、それより先にTVが駄目でしょう。 携帯電話も最近はエリアを決めて「可」となってきました。 「電磁波問題」も結論が出ていませんが、ひょっとすると「現代の迷信」となるかもしれませんね。 >お返事を待っていたのは、「石油文明」に対してです。が、ご事情がおありなのは分かりましたから、無理せずともよろしいです。 >この掲示板は忙しすぎます。少し書き込みをしないと、ずうっとあとに押し流されてしまいますから、そのペースに僕も巻き込まれていたのでしょう。不躾な発言をお許し下さい。 本当にそうですね、もう少し落ち着いて「意見のキャッチボール」をしたいものです。 「石油文明論」はいろいろな問題が絡んでいて短時間では議論しつくすことは不可能でしょう。 少なくとも、私の考えには、単なる環境問題、経済問題、アラブ対欧米問題、程度では片付きそうに思えません。 > >それから、「沈黙の初夏」さんに最後通牒的な発言をされていましたが、公開の掲示板ですから、発言は自由です。きっと、これからも発言は続けられます。すべての発言に立ち向かう「気力」は必要ですね。でも、こうした掲示板では神経をすり減らすものです。僕も、少しでも自分の考えに共感してくれるよう努力しているつもりです(暑苦しいでしょうが)。無理なさらず、まず、完治されることを望みます。 > 「最後通牒」を何度も出されていたのは 私の方です。 それにもめげずに しつこくして初夏さんには嫌がられていたのです。 初夏さんとはもっと「議論」をしたい気持ちはあります。 しかし、初夏さんとは「議論の仕方」で私と一致しません。 私が「議論に望むこと」は、「何か自分に無いものを得たい」であります。 自分の考えを理解・納得していただければ嬉しいのは当たり前ですが、それは二の次です。 「自分にない考え」を自分の中に消化吸収したいのです。ですから、しつこく質問します。悪意は何もありません。 初夏さんとの対話を放棄したのは、初夏さんは終始一貫 私の質問を「かわして」こられたからです。 まともに回答をいただいたことがありません。 必ず私の質問に対して、質問すること自体を非難されます、そして質問の前提条件を設定しなおされます。 「大人の思考」を持った回答者であれば、 おかしな質問であっても、先ずは 相手のレベルに立って答え、その後に「本来あるべき質問の仕方」を諭す、 という方法をとります。 初夏さんは、最後は 相手を非難・侮辱することで締めくくります。 本当に槌田氏を信奉するなら、もう少し懐を広げた「啓蒙者」であるべきだと思います。 (槌田さん自体が「懐の狭い人」の様ですから 仕方がないのかもしれません) 環境問題を「真に理解している」と自負するなら、「真には理解できていない人」に対しもっと寛容であるべき、と思ってしまうのです。 そういった思いでやり取りを続けましたが、姿勢に変化は見られませんでした。 残念ながら、初夏さんの求めに応じ、終結といたしました。 >僕にこの掲示板を教えて下さったのは「沈黙の初夏」さんです。 >それ以前に「槌田敦」を教えて下さったのも。 >考える過程や材料は違っていても、大きな部分では共感しあえる仲であろうと(自分だけ?)思っています。その点はお含み置き下さい。 >沈黙の初夏さんの「投稿姿勢」に問題ありとして議論を一方的に断ちきられる場面は今まで数多く見てきました。 >しかしながら、僕は沈黙の初夏さんの小気味よい簡潔な切り捨て方の、実は「ファン」なのでありました。 初夏さんは私を嫌って、侮辱や悪口を並べられましたが、私は一貫して「質問者としての礼」は守ったと思っていますし、 ある意味では「初夏さんファン」でもあった訳です。 (アンチ・ジャイアンツ 実は ジャイアンツ・ファン、といった意味で) ・・・・ 少し休憩させてください、まだまだお話したいことは沢山あります。 (続きは 追って) |
私はリサイクル運動そのものは賛成しています。ここまでものに溢れ、すべてゴミとして処理され、資源の無駄をしている現在、リサイクルという意識を皆が持つことは回りまわって、物を大事にし、いらないもの、あえて必要の無いものは買わないくらいのことにつながるのだろうとも思っています。 ただ、技術屋として見たときにリサイクルそのものが本当に価値のあるものであるのかということを考えてしまうのです。この価値とはいろんな意味を含んでいるのですが、エネルギー的、経済的(これは両方同時に考えるべきことなんですが)にどうなのかですよね。このへんまで考えると、リサイクルが必要なものは最初から使わないほうがいいのではないかという結論になってしまうんです。 毎日のゴミとして出されるものは昔とは違い、殆どが包装関係、入れ物等ですよね。かさばるから余計にそう思うのかもしれませんが、これは大量生産、大量販売、大量消費のツケだと思うんです。結果的に安く買い物ができるというメリットはありますが、このしわ寄せはゴミの増加で、自治体が背負っているわけです。 このスレッドは環境問題スレッドなので関係ない話になりますが、私の住んでいる町は地方の中都市です。この市ではこの10年に大型スーパーが郊外に建ち並び、そういう意味では便利になりました。しかし、その影響で地元商店が軒並み休業状態となり、実は一番不便をしているのがお年寄りなんです。体がきいて車の運転ができるうちはいい。でも、歩くのもつらくなってきたら買い物は近所以外では無理なんです。まして、私の町は雪国です。冬は外にでるのはつらい。 多くの地方では郊外型大型スーパーが出来て地域商店街がなくなっています。これは老人にとって非常に冷たい社会にあきらかに進んでいっています。私はどれもこれも経済のみを優先した結果であり、大量生産、大量消費、・・これを便利だからといって安易に利用してきた消費者であり、そのツケをすべて自治体に押付けているといった構造になっていると思っています。 この解決の一つの手段としてペットボトルを使った飲料等に税金をかける、ビニール袋、発砲スチロールパック等は自治体の用意したものをスーパーなどの販売業者が買い取ってそれを利用する。など、自治体での条例くらいでなにか解決できそうなものがあるんじゃないかと思っています。もうこれ以上大量生産、大量消費をやめることが結果的に環境によく、エネルギーを無駄にせず、地域、老人にやさしいということになると思っています。 |
いつも拝読させていただいております。 私と違いワクチンさんのやわらかい表現には感服いたします。(笑) 使用した後、廃棄物として始末におえない資源の使用の阻止。 私は最後の手段として、 槌田の言う「毒物等使用税の導入」が理論としてあるので、 とりあえずは安心しております。 いわゆる「環境にヨイ製品」を使わせたいなら、 それに補助金を出して無理やりに使わせるよりも 「環境にワルイ製品」に税金をかけそちらのほうの使用を抑制し、 間接的に「環境にヨイ製品」の使用を奨励するのは、 理論的にも、情緒的にも、市場経済からみても、 まことに合理的だと思うからです。 この論にそっていけば、 庶民にとって廃棄物が無料で処理できる今の行政が 廃棄物事情悪化の主犯でしょう。 単純にゴミの処分を有料化すれば、ゴミが減るという事実。 たしか昭和30年代初期までは家庭で出るゴミの処分は有料だったように 記憶しています。 どこぞのアホウがゴミ収集を無料にしてから、 妙なことになりました。 東京都では美濃部知事がこの政策をとってから、 出るゴミの量は抑止が効かずどんどん増える一方となったそうです。 某田中カクエイは使い捨てを奨励し、 国土は土建屋の不法投棄物で汚染されまくりです。 両者ともロクな政治家じゃありません。 まことに学問のない為政者は困ったものです。(笑) |
私的には環境にあきらかに優しくないもの、リサイクルしずらいもの等には物品税を復活させるべきと考えています。物品税は消費税の出現とともになくなりました。いわゆる贅沢品に課税していたわけですが、これを環境にあてはめて環境物品税にして課税し、なるべく使わないように誘導すべきと思っています。 しかし、物品税はなくなったおかげで金持ち優遇になったことは誰も言いませんでしたね・・・。 |
▼ワクチンさん: >これを環境にあてはめて環境物品税にして課税し、なるべく使わないように誘導すべきと思っています。 税金の市場調整機能とでもいうべき特性を多いに利用すべきということでしょう。 消費税のように広く浅くかけるのでは、この機能は全く期待できませんからなぁ。 >しかし、物品税はなくなったおかげで金持ち優遇になったことは誰も言いませんでしたね・・・。 ああ、これは農奴体質というヤツでしょう。(笑) ところで、 ワン太郎氏が私に絡むのはおそらく別の理由があると思うのですが、 氏がワクチンさんの発言に返答できないのはワクチンさんの説明が的確なのでしょう。 見習たいものです。 |
ワクチンさん、こんにちは。 リサイクル運動には賛成という一行目で、「ウエッ」と思ったのですが、そのあとで >リサイクルが必要なものは最初から使わないほうがいいのではないかという結論になってしまうんです とのことでほっとしました。多くの人のそうした意識が始まりだと思います。現実にそのように変えて行くには相当困難が予想されますから。 税金は僕も考えます。ただ、何の税金であれ、上がればウハウハしてしまう輩がいるので、めったやたらに上げたくない。うかつに口にすると上げるだけは速やかにやられてしまいそうです。 僕としては「消費税完全廃止・そのあと物品税復活」(環境付加−負荷−税込み)です。 大型スーパーについては、僕も話題にしました。同じお考えのようで、自分の見方もそうはずれていないかな、と確認できた気がします。このように現実の風景を描きながら考えていくことが大事ですよね。環境問題と無縁ではないと考えます。むしろ、今日のゴミ問題と同根の風景なのです。 何かを我慢させられる、それが進歩だと思い込まされる、・・・ダムや原発が生活や地域を破壊していく構図と、何ら変わりはないと思うのです。対抗する考え方として「スローライフ」であったり「地産地消」であったりします。しかしどこかでは何かとぶつからなければなりません。「環境にいいこと」をする気持ちよさ、誰とも争わずに問題が解決できるという幻想、これに埋没することが危険なのです。それに埋没させようと意図する者が、目指すべき「敵」です。すでに埋没してしまった人々には早く気づいてほしいものです。 沈黙の初夏さん、こんにちは。 美濃部都知事のゴミ無料化は聞いたことがあります。それまでの有料というのはどんなシステムだったのでしょうね? 昔なら有料のゴミ袋さえも負担だったでしょうから、町内会単位で集金とか? 確か共用の木製のゴミ箱だったのでは? >ところで、 >ワン太郎氏が私に絡むのはおそらく別の理由があると思うのですが、 >氏がワクチンさんの発言に返答できないのはワクチンさんの説明が的確なのでしょう。 > >見習たいものです。 と言うことは、僕も、ですね。的確な説明というのは難しい。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >沈黙の初夏さん、こんにちは。 > >美濃部都知事のゴミ無料化は聞いたことがあります。それまでの有料というのはどんなシステムだったのでしょうね? 昔なら有料のゴミ袋さえも負担だったでしょうから、町内会単位で集金とか? 確か共用の木製のゴミ箱だったのでは? そうそう、木製のフタがついたコンクリートのゴミバコが世帯にひとつはあった。 昔はゴミ袋などなかったからゴミ収集の人が熊手でカキ出し車にのせて持って行った。 市民税の中に収拾代金としてもっていってたような記憶があるが、 なにぶん太古の記憶ゆえ定かではない。 ひょっとしたら、 米穀通帳の親戚のようなものだったかもしれない。 誰かおぼえていたら教えてほしい。 >>ところで、 >>ワン太郎氏が私に絡むのはおそらく別の理由があると思うのですが、 >>氏がワクチンさんの発言に返答できないのはワクチンさんの説明が的確なのでしょう。 >> >>見習たいものです。 > >と言うことは、僕も、ですね。的確な説明というのは難しい。 いや蝦夷縞殿は的確だと思う。 蝦夷縞殿はヒントはいっぱい出したではないか。 いかんせん相手が悪かった。 あの理解力と 洞察力では何をいっても無駄なような気がする。 廃油を使いきる。 廃油を捨てる。 廃油に資源を投入し製品をつくりその製品を捨てる。 いちばんシンプルな図式だと思うが、 この順番で環境負荷があがるのは自明の理だと思う。 しかし、細部にとらわれて妙な不等式を出して 全体を概観する視点をもちあわせていないのだ。 入力、出力、投入する資源という単語までヒントを出した。 ご自身で気がついてほしかったからである。 期待は裏切られ、あまつさえ私など不当な罵倒を受ける はめになった。 まぁ、あんな妙な不等式にお付き合いした私も悪いのだと あきらめたが、世の中には頭がほんとうに不自由な 人がいるものだと思った。 しかし家庭用石鹸がそんなに素晴らしいかなぁ。 蝦夷縞殿のおっしゃるように思考停止を招くという意味では、 諸悪の根源であるな。 |
環境問題の入り口として、 石鹸づくりやリサイクルも、一定の意義があるかな、 と思っていた時期があります。 儚い幻想は今も胸の中にあったのかも知れません。 ただ、ワン太郎氏との対話を通して、 その儚い幻想も完膚無きまでに打ちのめされました。 今やはっきりとしてしまいました。 リサイクル、廃油石鹸づくりは 環境問題から目をそらす「悪」だ! 「敵」だ! と。 これはたくさんの敵を作ってしまったな。 江角と福祉ボランティア氏などは、分かっていながら、やっているようなので、 これはもう「確信犯」かな。 対立する意見のあった方が語りやすい、という面はあるのですが、 (誰も何も言わないところで一人だけ熱弁していてもねえ・・・) なかなかにしんどいものがあります。 ワン太郎氏に、というよりも、 読んで下さる不特定多数の方に語りかけるつもりで 書いて行けたらよいかな、と思います。 自分の不確かなところの確認でもあります。 儚い幻想が、またうち砕かれるかも知れませんから。 道のりは長いですね・・・。 |
どのような問題でも、マスコミ、一部評論家の無知が原因です。マスコミはいわゆる文系ですよね。しかし、環境問題、科学的問題は完全に理系なんです。理系的思考、理系の難しい理論、理屈を基本的に理解し、そして判断しないといけない。でも、多くのマスコミ、評論家は「理系の難しい理屈はわからない、しかし我々は物事を正しく判断できる」と思っています。ここにあきれるほど観念的な誤解?もしかして作為的な運動になってしまっている。 もう少し科学的思考を入れればかなりの誤解、無知を防げると思っています。未だにどのマスコミも温暖化とCO2の関係やリサイクル問題を再度検証することもしていない。やっと原発再処理でのコストデータが出てきて問題になってきていますが、こんなこと今までの資料やデータを積み重ねただけでもちょっと考えればわかりそうなもんです。 マスコミは科学にはあきれるほど無知であることを認識してください。 もう一度言います。 「理系の難しい理屈はわからない。しかし我々は物事を正しく判断できる」 これがマスコミの姿勢です。 |
報道人としての使命はどうなっているのか。 正義感に燃える若い記者が上役に押さえ込まれ苦悩する・・・、などとは古い構図なのかも知れない。辺見庸の講演では、逆に若い記者ほど「そんなこと書いて大丈夫ですか?」、古い記者は「面白いじゃない」の構図だそうだ。 心の底から毒されている、骨抜きにされている。おそらくトップは権力者の言いなりだろう。検閲など不要なくらい統制のとれた報道体制ができあがっているのだろう。記者は記事が採用されることを目標にし、トップは売れることを目標にする。 マイナーな雑誌を買おう。読まなくたっていい。カンパのつもりで買い続けたい。 括弧付きの「科学」。ダム建設、原発、無知な民衆を騙すのに「科学」が使われ過ぎた。環境系活動家が、わずかの情報で一気に動き出す原因だ。「科学」が証明しない限り国・企業は知らんぷりする、そうした歴史があるからだ。「科学」の結論を待っていては殺されてしまう。御用科学者が営々と築き上げてきた「科学」。民衆にも活動家にも、「科学」は恐怖の色を帯びる。「科学」は胡散臭いものだ。「科学」は民衆を騙すものだ。 科学軽視はこうして作られた。学者の言っている事はまあ、書いておこう、自分の発言ではないから責任はない、が記者の気分だろう。 真の科学者が少ない。いても黙殺される。 最近で一番輝いた科学者は北大の岡田教授だろうか。有珠山というわかりやすい火山だが、噴火前の避難を成功させた。噴火後であれば国道がふさがれ渋滞の中、火山弾で死者も出ただろう。 マスコミだけが悪いのではない。こうした場でも、問題の重要な点を理解しない人が居る。科学が難しいのではない。数式やデータの読みとりは訓練が必要だが、おおざっぱでも考えることは出来る。正しいことを見るのに、細かいことにこだわるようなことがかえって本質から遠ざける。科学的な考え方は筋道立てていけばよいことなのだから。理系か文系か、ではないはずだ。 科学者がこだわりすぎて気が付かなかったこと。水俣病を追い続けた原田先生の話。 「水俣病の症状から脳梗塞などを引いて考えていたんですね。脳梗塞の人は水俣病ではないと考えて進めていた。でも、ある時患者さんに言われたんです。 “先生、水俣病の人だって脳梗塞になるんじゃない?” いやあ、びっくりしましたね。そんなことに気が付かなかったなんて。そう考えると、水俣病が他の病気を併発、さらに誘発していることさえあるんじゃないかと思えてきましてね。」 お話を伺ったので正確ではないかも知れないが、興味のある人は本でもこのエピソードは探せると思う。原田先生のような人でも、陥る所はある。アカデミックな意味での学問はない人でも、しっかりと考えられる人はいる。この当時の民衆・マスコミの科学的思考力にはたくましさを感じる。今はどうだろうか。騙す「科学」の餌食になっていないだろうか? 環境問題の多くは科学的分析を必要とする。しかしその根本は社会科学的に解明されなければならない。今、そこをつなぐのは槌田敦だけだろうか? |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: > >括弧付きの「科学」。ダム建設、原発、無知な民衆を騙すのに「科学」が使われ過ぎた。環境系活動家が、わずかの情報で一気に動き出す原因だ。「科学」が証明しない限り国・企業は知らんぷりする、そうした歴史があるからだ。「科学」の結論を待っていては殺されてしまう。御用科学者が営々と築き上げてきた「科学」。民衆にも活動家にも、「科学」は恐怖の色を帯びる。「科学」は胡散臭いものだ。「科学」は民衆を騙すものだ。 > >科学軽視はこうして作られた。学者の言っている事はまあ、書いておこう、自分の発言ではないから責任はない、が記者の気分だろう。 > 科学者も持論を正当化するがゆえに別の数字、都合の悪い数字を出さなかったりします。これは当然真の科学者ではありません。しかし、マスコミ、政治家?はもっと悪い。例えば政府側調査、大学側調査等でも、人体には影響ないと発表された事例があったとしても、では全く無害なのかという質問になる。とすれば全く無害ではないが影響は少ないと答えざるをえない。こうなると、そらやっぱり有害じゃないかという結論にして発表するなり、コメントをつける。こうして本来ならばなんの対策もしなくていいはずのものも国民一斉に不安に陥れ、排除等に向かいます。環境ホルモン騒ぎや、所沢ダイオキシンなんかもこの例です。 >真の科学者が少ない。いても黙殺される。 >最近で一番輝いた科学者は北大の岡田教授だろうか。有珠山というわかりやすい火山だが、噴火前の避難を成功させた。噴火後であれば国道がふさがれ渋滞の中、火山弾で死者も出ただろう。 > >マスコミだけが悪いのではない。こうした場でも、問題の重要な点を理解しない人が居る。科学が難しいのではない。数式やデータの読みとりは訓練が必要だが、おおざっぱでも考えることは出来る。正しいことを見るのに、細かいことにこだわるようなことがかえって本質から遠ざける。科学的な考え方は筋道立てていけばよいことなのだから。理系か文系か、ではないはずだ。 いえ、これはマスコミ、役人、政治家の殆どはいわゆる文系であり、この人たちは理系に詳しい、数字に強いことはよいこととは思っていないようです。概念的に大衆に説明できるほうが出来る人間であるという評価をもっているような気がします。 >科学者がこだわりすぎて気が付かなかったこと。水俣病を追い続けた原田先生の話。 > >「水俣病の症状から脳梗塞などを引いて考えていたんですね。脳梗塞の人は水俣病ではないと考えて進めていた。でも、ある時患者さんに言われたんです。 >“先生、水俣病の人だって脳梗塞になるんじゃない?” >いやあ、びっくりしましたね。そんなことに気が付かなかったなんて。そう考えると、水俣病が他の病気を併発、さらに誘発していることさえあるんじゃないかと思えてきましてね。」 どこかのHPで見た覚えがありますが、カネミ油事件でも、あのときはPCBでしたか?カドミウムだったかな?中毒事件でした。報道では中毒によって百人以上が死亡したことになっていましたが、これは中毒後20年以上たっての裁判での結果的な発表だったのですが実は20年たてば普通の寿命計算でも百人以上は亡くなるわけで、統計の取り方によっては長生きしていたという結果にもなっていたそうです。つまり中毒症状はおこり、皮膚、神経等に症状は出たが命に関わる中毒ではなかったと思われます。中毒、即死亡にはつながらなかった。 時間との戦いの場合も当然ありますが、じっくり科学的に検証すると間違いは多くあるものです。人間はそれほど利口ではありません。科学の進歩も間違えを繰り返しながら進歩していきます。(この間違えの中には人為的な間違いもありますが) |
環境問題スレッドも落ち着いてきましたね。 真の科学の必要性について書いてみましたが、 >>括弧付きの「科学」。 については、僕自身の「科学」への感じ方でもあります。 庶民としては科学と「科学」は判断が難しい。 難しくてもどちらが「より正しそう」か、判断して行かねばなりません。 しばらくレスが出来なかったのは、 >こうして本来ならばなんの対策もしなくていいはずのものも国民一斉に不安に陥れ、排除等に向かいます。環境ホルモン騒ぎや、所沢ダイオキシンなんかもこの例です。 >つまり中毒症状はおこり、皮膚、神経等に症状は出たが命に関わる中毒ではなかったと思われます。中毒、即死亡にはつながらなかった。 の文に衝撃を受けていたからです。 真の科学的手法を強調する目的であろうとは、分かるのですが、それでもこうした言い方が容認されるか、大変疑問です。科学の立場にない文系の人間からすると、こうしてやられてきた経過の方が重要になります。 私たちは危険が確認されない限り受け入れるのが義務なのでしょうか? 生命の質(健康)はさして重要ではないのでしょうか? 「不安」そのものが害毒であるという考えは極端でしょうか? これに科学はどう答えてくれるのでしょうか。 ▼ワクチンさん: >▼蝦夷縞 ふく朗さん: >> >>括弧付きの「科学」。ダム建設、原発、無知な民衆を騙すのに「科学」が使われ過ぎた。環境系活動家が、わずかの情報で一気に動き出す原因だ。「科学」が証明しない限り国・企業は知らんぷりする、そうした歴史があるからだ。「科学」の結論を待っていては殺されてしまう。御用科学者が営々と築き上げてきた「科学」。民衆にも活動家にも、「科学」は恐怖の色を帯びる。「科学」は胡散臭いものだ。「科学」は民衆を騙すものだ。 >> >>科学軽視はこうして作られた。学者の言っている事はまあ、書いておこう、自分の発言ではないから責任はない、が記者の気分だろう。 >> > >科学者も持論を正当化するがゆえに別の数字、都合の悪い数字を出さなかったりします。これは当然真の科学者ではありません。しかし、マスコミ、政治家?はもっと悪い。例えば政府側調査、大学側調査等でも、人体には影響ないと発表された事例があったとしても、では全く無害なのかという質問になる。とすれば全く無害ではないが影響は少ないと答えざるをえない。こうなると、そらやっぱり有害じゃないかという結論にして発表するなり、コメントをつける。こうして本来ならばなんの対策もしなくていいはずのものも国民一斉に不安に陥れ、排除等に向かいます。環境ホルモン騒ぎや、所沢ダイオキシンなんかもこの例です。 > >>真の科学者が少ない。いても黙殺される。 >>最近で一番輝いた科学者は北大の岡田教授だろうか。有珠山というわかりやすい火山だが、噴火前の避難を成功させた。噴火後であれば国道がふさがれ渋滞の中、火山弾で死者も出ただろう。 >> >>マスコミだけが悪いのではない。こうした場でも、問題の重要な点を理解しない人が居る。科学が難しいのではない。数式やデータの読みとりは訓練が必要だが、おおざっぱでも考えることは出来る。正しいことを見るのに、細かいことにこだわるようなことがかえって本質から遠ざける。科学的な考え方は筋道立てていけばよいことなのだから。理系か文系か、ではないはずだ。 > >いえ、これはマスコミ、役人、政治家の殆どはいわゆる文系であり、この人たちは理系に詳しい、数字に強いことはよいこととは思っていないようです。概念的に大衆に説明できるほうが出来る人間であるという評価をもっているような気がします。 > >>科学者がこだわりすぎて気が付かなかったこと。水俣病を追い続けた原田先生の話。 >> >>「水俣病の症状から脳梗塞などを引いて考えていたんですね。脳梗塞の人は水俣病ではないと考えて進めていた。でも、ある時患者さんに言われたんです。 >>“先生、水俣病の人だって脳梗塞になるんじゃない?” >>いやあ、びっくりしましたね。そんなことに気が付かなかったなんて。そう考えると、水俣病が他の病気を併発、さらに誘発していることさえあるんじゃないかと思えてきましてね。」 > >どこかのHPで見た覚えがありますが、カネミ油事件でも、あのときはPCBでしたか?カドミウムだったかな?中毒事件でした。報道では中毒によって百人以上が死亡したことになっていましたが、これは中毒後20年以上たっての裁判での結果的な発表だったのですが実は20年たてば普通の寿命計算でも百人以上は亡くなるわけで、統計の取り方によっては長生きしていたという結果にもなっていたそうです。つまり中毒症状はおこり、皮膚、神経等に症状は出たが命に関わる中毒ではなかったと思われます。中毒、即死亡にはつながらなかった。 > >時間との戦いの場合も当然ありますが、じっくり科学的に検証すると間違いは多くあるものです。人間はそれほど利口ではありません。科学の進歩も間違えを繰り返しながら進歩していきます。(この間違えの中には人為的な間違いもありますが) |
科学や数字は判断材料です。それが全てではありません。このデータをどう考えるかです。これを判断するのは人間である限り誤りはあります。 いくら科学でも、いろんな分野の科学があり、様様な方面から学者は研究します。そしてある結論を出すわけですが、その分野からみた結論としては正しいものが出てくると思います。しかし、他の問題もそうかもしれませんが、環境問題は化学、物理、経済、政治、いろんな要素が深く絡んでいます。いったい何を優先して解決していかなければならないのか、全くわからないため、それぞれが主張を始め、言論として強いものが他を隠し表へでてくるような構図で進んでいる。 これはこれでしかたのないこととは思います。しかし、科学の目をもってみて、本当に正しかったのかという検証を絶えず忘れないことが必要ということです。 こういう発表がされたからこうらしい、とか安易に信用せずもっと踏み込んで検証してみようということです(なかなか材料が少ないために簡単にはいきませんが) 私自身も影響は少ないといわれても気持ち悪いものは気持ち悪い。ヤバそうなものは避けます。でも、実際の数字として考えてどうであったのかということも同時に理解しておきたいものです。 逆に安心して使っているものが本当は危険、不潔なものも多いからです。 数字的に言えば微々たるもので、本当は別の問題の方が遥かに大きいなんてことはよくあることですよね。いったいなにが問題なのかをもっと科学の目で見てみませんかということです。 |
まあ、そこは分かった上での発言であったわけです。進行形のものに対する技術者達の心情はいかなものか、想像していただけたら、と思いましたが。 現在進行形と言えば、アメリカの狂牛病でしょうか。アメリカは日本の全頭検査を「非科学的」と非難し、輸入を強要する気配です。 アメリカからの牛肉が輸入禁止になったとき、冷凍保存されていた肉の牛丼が飛ぶように売れていった風景は、僕にはとても異様だったのです。プリオン入りかも知れないのに、なぜ、そんなに食いたがる? http://www.tanakanews.com/e0706BSE.htm 狂牛病がクロイツフェルトヤコブ病の原因か、確認されていなかったかと思いますが、一つの職場での高率の発生は、原因を決定づけたと僕は思います。こう思うことは、科学の目でいうと、やはり非科学的なのでしょうか? アメリカの方が科学的なのでしょうか? それとも科学の問題ではないのでしょうか? この件に関して輸入禁止を貫く日本政府を支持すべきか、それとも牛丼のために解禁を要求すべきでしょうか?(僕は前者ですが。)いや、科学的真理を追究するために踏みとどまって静観するのが正しいあり方か。たかだか数人が発症しただけですし危機感を煽るのは科学的判断を曇らせそうですか。 科学の目でどのように見ていくべきでしょうか。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >>こうして本来ならばなんの対策もしなくていいはずのものも国民一斉に不安に陥れ、排除等に向かいます。環境ホルモン騒ぎや、所沢ダイオキシンなんかもこの例です。 > >>つまり中毒症状はおこり、皮膚、神経等に症状は出たが命に関わる中毒ではなかったと思われます。中毒、即死亡にはつながらなかった。 > >の文に衝撃を受けていたからです。 >真の科学的手法を強調する目的であろうとは、分かるのですが、それでもこうした言い方が容認されるか、大変疑問です。科学の立場にない文系の人間からすると、こうしてやられてきた経過の方が重要になります。 目の前に分かり易い答えを提示するのが科学と考えていると限界があると思います。 単純化された実験結果では、複雑な現実を把握することができないことが多いようです。 複雑な物質、多様な物質との生命の見えざる営みが複雑に絡み合い、 そして氷山の一角としての現象がそこに現れる。(実は現れてからでは遅い。末期。) 何らかの結論をもたらすために、思考停止するために「科学」が利用されているのでは。 >即死しなければ安全であるかのごとき発想は、科学的といえないでしょう。 >企業論理や供給者論理の逃げの言説に過ぎません。 >倫理的な発想からは、全ての規制等法律等に則っていても、 >消費者の安全を第1に考えているかということでしょう。 >そういう意味では、無関心の寝ている層にとって所沢毒菜事件は、 >必要悪であったといえるでしょう。 誰のために「科学」が利用されているかということを考える必要があるのではないでしょうか。 消費者、生産者、為政者のため? なぜ、焼却炉問題を放置した所沢市役所(埼玉県)を主ターゲットに、生産者が消費者に 安全な野菜を通常の努力で生産する権利を保障できないのかという行政の失態を追求し、 過去はともあれ未来へ向けて一致協力できなかったのでしょうか? テレ朝の報道問題に矛先をそらせたのは、やはり自民党支持者の集団だったからでしょうか。 (ちょっと考えすぎか。単純に自分たちに全く非がないと思い込んでいたのか。被害者であると。) それとも、所沢農民たちは、安全な農地を保てないことを消費者と問題を分かち合い、 真の供給者の利益権利を主張できないほど、市役所に弱みを握られていたのでしょうか。 お上に楯突けない「農奴根性」という言葉が頭をチラチラ過ぎります。 (暖簾に腕押しという対応も多かったのでしょう。安全を守るためには危険性を 明示する必要に迫られ、生産活動への影響を短期的な視点で躊躇したのかもしれません。) 国民の生命安全を考えるならば、一部の産廃業者やつらなる政治家に遠慮して、 特に影響の大きい乳飲み子や幼児、児童・生徒の健康や未来などを 為政者は軽視して当然なのたっだのでしょうか。 しかるべき対応をしていく様を報道し、安心して作物をつくれる農地に改善されていく様を 積極的に報道させることで、影響の責任の一端を果たさせるという選択を 農民たちはなぜできなかったのか?(最終的には和解したが、Nステが終わったからか。) 所沢問題は、おかげで安いだけの野菜にはそれ相応の問題があるのではないかという、 消費者教育のきっかけになったかもしれません。 懐が寂しい向きには、難しいところですが、まっとうな野菜をつくるには、 通常の努力だけでなく、特別な努力が必要で、それにはある一定の代価が必要であると。 安いより安心な野菜を口にするには、生産地の「まっとう」な事情も踏まえ、 消費者が生産者を後押しするための選択をしなければならないということを考えます。 中国毒菜や韓国汚染魚問題など、日本にもその手の人間がいないわけではありませんが、 どうせ自分の口に入らないと公言して、テレビ取材に答えていた漁民の姿は象徴的でした。 (ちなみに、韓国汚染魚はソウル方面に出荷するという件で、日本相手ではありません。) 他人に自分たちの食卓を任せきりにすることはできない。そのために、消費者(地)は、 生産者(地)をどのようにサポートできるのか。共通の子孫繁栄というテーゼのもとに。 地産地消、都市と農村の交流、信用できる人間の手でつくられた野菜を手にするために。 信用できる人間の生活基盤を支えるために、何ができるか。従来型でなく。 >私たちは危険が確認されない限り受け入れるのが義務なのでしょうか? >生命の質(健康)はさして重要ではないのでしょうか? >「不安」そのものが害毒であるという考えは極端でしょうか? > >これに科学はどう答えてくれるのでしょうか。 影響が大きいという一言で、「科学」という道具を免罪符に利用することが法治国家であるのか、 子孫繁栄のために、事が発生する前に段階的にでも対応を取ることが不可能なのか。 御用学者という人々の存在をどのように「科学的」に評価するかということなのでしょう。 せめて、報道で問題点をディスクローズしてもらわなければ、 野菜も株(国債)も会社(政府)も、その安全性の手がかりすらわかりません。 一過性でない、継続した報道も必要ですね。報道消費先(情報ソース)の多様化も。 報道は、瞬間を切り取った一段面であるという、消費者教育も必要です。 それこそが欠陥商品である報道(大本営発表含め)を熟成させ、 教育で、メディアリテラシーへの取り組みの必要性が求められるのです。 |
技術には生まれたときからそれを必要としたり、技術が規定してしまう社会のあり方があると思っていました。 しかし、科学の方は、科学である以上、真理は一つであるのですが、明確なものでさえ力と情報操作で封じ込められてしまいます。地球温暖化二酸化炭素元凶説や自然エネルギー利用の嘘がまかり通っています。そういえば、新規の風力発電を行うには、不要時には送電を止めることが条件となるようですね。 科学というよりも技術が先行しすぎています。遺伝子操作・生殖産業(もう医療ではないかも知れない)も、化学物質の増加も。それにしばし「待った」をかける方法はないものか。 マスコミも大衆操作の中心だ。アメリカの牛肉を待ち望む日本国民を演出していた。アメリカの肉しか食べられないアメリカ国民こそが真剣に対策を打つべきなのに、かの国の国民も報道では羊のようにおとなしい。科学を民衆のものにしていく手だては必要であると考えていますが、なかなか見えません。 |
ちなみに本職も理系です。研究室に閉じこもった(引きこもった)研究者は 往々にして判断を間違います。もう少しフィールドにでて色々なものに接して感じた 方がよいと思いますよ。確かに、文系主流の物事理解には辟易とすることもありますが、 大半の主婦層が理解者として参画してもらわなければ、環境活動など絵に描いた餅です。 間違いでも始めて相互交流をして、学習の場にして欲しいというのはそのためです。 なぜなら、彼女たちはひとりでその現実を把握することが大半できないからです。 ひとりでも、賢明な判断をすることができる女性もいますが希です。 専業主婦の大半は永久就職で、暇をもてあまし、生きている意味や意義を求めて 何らかの活動をし、そこでの友情あるいは人間関係の中に身を置くことで 快楽(充実)感を求めているからです。そういう人にいきなり論理は通じません。 民主党が女性受けしなかった原因がここにあるからです。 でも、まじめそうな人間が分からなくても真摯に答えて説得してくれたという事実に 感動して、説得されるのです。論理的な説得ではありません。大半が。 (ところで、生物学の個体淘汰の話からは、強者(口先)が弱者(誠実)を食い荒らすと 次第にそういう口先だけの個体を避けるようになり、弱者(誠実)が見直されるという 話があります。 一般化して、口先男にいいように騙された女(うぶ)たちも、あまりに酷い口先男への 集団としての警戒感(情報交換)が高まり、つまらなく思えた誠実男を見直すことになる。 ただし、忘れた頃に口先男を魅力的に思う個体が増え、また繰り返される。 一番いいのは、相手に応じて態度を変える個体の生存率が高いという事実。 竹内久美子が、著書に紹介していたはずですので、ご一読を。) そこが理系の表現能力に欠陥があるという厳しい言い方(自分にも)をしなければ ならない理由でしょうか。研究室の中の非常にパラメータの限られた条件の下での 結論では、現実を把握することはできないのです。 (パラメータを極限することが、検証性再現性のない意味のない実験につながる。 そこから出てきた結論らしきものなど、信用性が著しく低いのも頷けます。) 環境ホルモンという問題に、研究室に引きこもっている化学者が答えを出せたでしょうか。 致死性毒以外、環境や生物、人間に悪影響を与えないと信じてきた粗忽者たちが。 なんらかのフィールドワークを行う生物系・農学系・野に出る化学者が、色々な複合的 条件の中から地道な観察と検証からその事実を突き止めたのです。 沈黙の春を著した、レイチェルカーソンは、数字での検証を主体としたでしょうか? 老子も、複雑なことが奇怪なことを増やすだろうと、科学技術の発達に警鐘を鳴らして いたという解釈も、数十年前から既になされていることです。 地球が回るというガリレイの言葉は、地道な観測からなされたことですが、そのように 単純な観測で解明できる科学的知識というものは、今後果たしてあるのでしょうか? 現在の人間たちの科学力なるものは、当人たちが想像するほど大した力など持ってはいないのです。 現状での科学現象や原理の理解に過ぎません。どのように覆されるか、 その可能性を否定するようでは、科学を理解しているとは言えないでしょう。 地球温暖化に関する安易な否定論は、単なるカルトだと言えます。 地球環境内の熱収支は人類が大量繁殖して以来、異常でバランスを欠いています。 現状の経済活動を否定したくない筋が、喧伝しているに過ぎないと感じます。 漁民やフィールドワークをしている科学者の言葉をもっとその先の何かを捉えようと しているさきがけとして、受け止める必要があると考えます。 多様な視点から、物事を捉えないと足を踏み外すと思います。 まず、文面そのものだけでなく、文脈や行間を読むことも必要だと思いますよ。 掲示板でのやりとりは、相手が分からず難しい場合も多いですが、他のスレッドよりは この議論は比較的かなりまじめになされていると思いますから。 |
ひとつだけ指摘をしておきますが、本職は石けん作りはしておりません。 あしからず(はあと) |
リターナブル瓶の件が適切かなと思いますが、 再生にエネルギーコストが(人的コストもか)かからない方法で、 リサイクルする形態の循環しか、 資金(税金)的にも、物質(エネルギー)的にも 見合わないのではないかと思います。 しかし、これは10年以上前から欧州では当然のように行われていることですが。 その他のリサイクルにも、米国ではなく、欧州には経験と知恵と叡智が 蓄積されているので、それを紹介するのも初めて見聞する人々にはいいかもしれません。 NHK特集などで、数十年かけてインプットしてきた身としては、 今更なことも多いですが、状況が変わっているものもあるかもしれません。 リサイクル運動を学習の場、現状認識を深める場、それを相互に分かち合う場、 新たなる地平を目指して取り組む場、としての認識があれば、リサイクル運動そのもの ではなく、硬直化した手段が目的化した似非リサイクル教がはびこることのみを 嫌悪することができるのではないでしょうか。 それ以外に、当人はもとより第三者にそれを伝えることができないかと思います。 最近、山田ズーニーにはまっているのですが、答えを示されることを人は望んでいない のではないかという指摘が面白いです。子どもでもそうですが、色々とヒントを出し、 ある意味見え透いた答えギリギリのヒントであっても、答えを自分で見つけられた 時の喜びというものが、学習の意欲を高める力になるようです。 それは、実は大人も同じなのです。高見から提示されるより、試行錯誤の中から 「気づき」というものがいくつか繰り返されてようやく、それを血肉として受け取ること ができるようになるのです。そういう過程を抜きにして、説得しようとしても 共通理解を得ることは難しいのです。おしてもダメなら引いてみな、というところでしょうか。 小泉政治が、青木と手を握った約3年前、今日の惨状はもう見えていたことではありますが、 残念ながら、一般の政治にあまり興味もなく(興味を持ってもここ5〜10年)、 テレビやニュースの言説をそのまま脳内に流し込む人々には、ポーズが構造的な問題を 解決できないのを承知で行われていたことなど理解できる訳もなかったのです。 一足飛びに糧を血肉にすることはできないのではないかという、もどかしい現実を踏まえ 議論を進めて欲しいのです。企業の中では命令言語でことは済みますが、家庭や地域では 情緒言語による共感こそが、他者理解と現実への対応のとっかかりの第1歩として 必要不可欠な要素であることです。それができないと怒れる父として孤立するのです。 家庭内で。まず、相手の地平に立って、見えない現実を実感し、如何にしたら俯瞰、 鳥瞰できる地平まで視点の移動ができるのかを考えなければならないと思います。 本質論より表現論になってしまいますが、自覚されている部分があるので、 一旦、想いを裁ち切りリセットして、もう一度すっぴんの「問い」の部分にのみ 対話されると良いのではと思います。 山田ズーニー氏の話から、この一見不毛にも思える議論も、沈黙の初夏氏が 新たなる地平にたどり着くための試練であるのかもしれません。健闘を祈ります。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >数多くの言葉が使われて、僕には混乱のもとです。リサイクル(マテリアルとサーマル)・リユース・リフューズ・リデュース・リペア・・・。日本語で話したいですね。逐一脚注をつけたくなります。 >「リサイクル運動」という限り、庶民の多くが参加する「運動」として捉えています。「そのもの」と「方向」に区別されていますが、その区別が僕にはまだ理解できません。今は用心して、答えないことにしておきましょう。 それ程 難しいことを言おうと思っている訳ではありません。 私が言う「リサイクル運動」は、 「多くの人々」(一定の主義主張の集団ではなく、多様な人々)が、 今の繁栄を次代・次次世代へと「継続・発展させていきたい」と望み、 「地球の環境をこれ以上悪くしない」為、 「資源を大切にしよう、無駄を無くそう」と心がけて行う一連の活動。 この様なイメージを持っています。 ふく朗さんが用心深くしているのは、「リサイクル活動家」の中に悪い人たちが(悪い組織と結託して)いて 悪さを企んでいる、 そういうことなのですか? それとも、リサイクル活動を実際に進めている人々の行っている「活動の中身」が、本来の主旨からズレてしまい、誤った方向に進んでしまっている。 そのズレを指摘しても聞く耳を持つ人が少なく、かえって反発する人がいる。 というようなことなのですか? 今ひとつ、理解しにくいところがあります。 >今日の資本主義社会を肯定はしていません。 これがもし「大前提」であるとすれば、この後の対話は成立しないでしょう。 私は、環境問題に、政治的意図や思想は関係ない、持ち込むべきでない、という硬い思いがあります。 >燃やしたり腐敗(発酵)させるのが不要物の最終処理の正しいあり方だと思います。 地球自然環境の循環システムのバランスを崩さない為の方法であるなら「何でも良い」 というのが私の姿勢です。 > ゴミの処理に税金を投入するのは、ゴミを出さない人からは大変な不公平です。 基本の姿勢に差を感じます。 税金というものをそういう風に捉えると、行政が行う行為のすべてに不満が出ます。 私は、集めた税金を使うことと、税金をかけることとを両方バランスをとりながら判断すべきと思います。 「ゴミの処理」には税金を使って効率よくおこなう。 「ゴミを沢山出す人」には税金も沢山払ってもらう、といった考え方です。 >リサイクルすればよいと言う考え方が(石鹸づくりと同様)大量消費の免罪符になってしまった。僕は大量消費・大量廃棄に異を唱えています。石油文明拒否です。 >企業が儲けを拡大するために、自分(企業)の作ったゴミが税金で処理されることに怒っています。私たちはゴミを欲しくて買っているのではないのですから。 こういった問題意識の持ち方を私はしません、 この社会、総ての行為に善悪が混在していると考えます。「善>悪」となるよう、その差が大きくなるように「努力を続けよう」というのが 私の姿勢です。 「悪」の部分だけを槍玉にあげて駆逐して、大事な「善」まで潰して何になる、ということです。 > >瓶のようにリユースできるものを主流にすべきです。 これとても、瓶の洗浄の手間・洗浄剤の排水、10回程度の使用で作り変え・瓶製造のエネルギー使用、輸送重量の増加によるエネルギー増、・・・ 等々を考えて「トータル的に」どちらが良いのか・・・、私には判らないので、専門家の研究を望んでいます。 > 新聞紙のように焼却できるものを包み紙とすべきです。パックに対し処理費用を事前にかけるなら、新聞紙の包み紙で販売する形態が復活するかも知れません。「安さ」を受け取れなくなりますが、大規模スーパーが小規模小売店をつぶした歴史を少し軌道修正できるかも知れません。 こういうことを「軋轢を少なく実現」していこう、というのが私の考えです。 新聞紙を使えばよい様なことに、格好をつけて化粧紙を使いたい人には沢山税金を払ってもらう、ということです。 良くないことは「すべてダメ!」というファッショ的発想は 人間社会そのものを駄目にする、との考えです。 > >アルミ缶リサイクルがアルミの輸入を減らしたか? >ペットボトルのリサイクルが石油消費を減らしたか? >数字は苦手ですが、数字として提示して貰いたいところです。 >ゆっくりと、情報を集め、そして、想像して下さい。 その通りです。常に「検証作業」を続けなければいけません。 その結果を情報公開して、多くの人々が議論して「民主的に決めて」いけばよいことです。 何も難しいことではありません。 >石鹸づくりやリサイクルが、環境問題の解決からどんなに遠いものであるか。 >むしろ大量消費から目をそらし、人々が社会に参加している喜びをかみしめながら、より企業の論理に巻き込まれているかを、想像して下さい。 何が、どうダメなのかを「判っている」という人は説明する義務があります。 「判らない奴がアホだ」という姿勢で 何か解決できるのでしょうか? 私くらい「物分りの良い人間(自己評価!)」が「判らない」といっているのですから、 広く一般社会の人々に理解・納得してもらうのは・・・不可能でしょう。 |
>それ程 難しいことを言おうと思っている訳ではありません。 >私が言う「リサイクル運動」は、 > 「多くの人々」(一定の主義主張の集団ではなく、多様な人々)が、 > 今の繁栄を次代・次次世代へと「継続・発展させていきたい」と望み、 > 「地球の環境をこれ以上悪くしない」為、 > 「資源を大切にしよう、無駄を無くそう」と心がけて行う一連の活動。 >この様なイメージを持っています。 > >ふく朗さんが用心深くしているのは、「リサイクル活動家」の中に悪い人たちが(悪い組織と結託して)いて 悪さを企んでいる、 >そういうことなのですか? > >それとも、リサイクル活動を実際に進めている人々の行っている「活動の中身」が、本来の主旨からズレてしまい、誤った方向に進んでしまっている。 >そのズレを指摘しても聞く耳を持つ人が少なく、かえって反発する人がいる。 >というようなことなのですか? > >今ひとつ、理解しにくいところがあります。 僕が用心深くなったのは、「正しいリサイクル運動があるだろうか?」という点です。見落としはないか、自分に問いかけていました。現在の所、運動として行われるリサイクルに正しいものがあるとは思えません。したがって、運動そのものを否定します。工場の中などにおける廃棄物のリサイクルは、ここでは考えません。運動としてのリサクル、です。 方向が本来と違っているから駄目、というよりも、本来影響について吟味されずに進んで、結果として現在の状況を生んでいる、と言うことです。方向が始めから間違っていたのかも知れません。 リサイクル運動の最初の弊害は、ただで集めてしまうために業者をつぶしていったこと。リサイクル品も商品ですから、多ければ暴落します。そのため多くの業者が生活の糧を失いました。これはひどい営業妨害でした。まさに「犯罪」と呼んではばかりません。その後指定された業者だけがリサイクルを担います。 処理できる量を超えて集めてしまうこと。普通は物を納めたらお金が支払われます。リサイクルは、(ものによるでしょうが)お金とともに処理費を支払う場合があります。 さらに回収に税金の投入。分別の手間までかけて金まで取られる。最近はゴミ有料化、等と言っているが、ゴミのでない商品をどこで探すんだ?もはや探すこともできないくらい使い捨て容器を定着させてしまった。 「集めれば資源」の思考停止状態で集めてしまう。今では核燃料もリサイクルすると宣伝する。出来たリサイクル商品は高く、あまり消費されない。 見落としはあるだろうが、これがリサイクル運動の呼びこんだ害悪です。 >>今日の資本主義社会を肯定はしていません。 > >これがもし「大前提」であるとすれば、この後の対話は成立しないでしょう。 >私は、環境問題に、政治的意図や思想は関係ない、持ち込むべきでない、という硬い思いがあります。 大前提というよりも、環境問題を考えていく中で、根本は何か、と問うならば、ここへ行き着く、と言うことです。また中立な技術はない、という点については以前(石油文明)書きました。経済や政治の動きが公害を起こし、より儲けを拡大する活動が今日の問題の根本であると見当をつけています。 >>燃やしたり腐敗(発酵)させるのが不要物の最終処理の正しいあり方だと思います。 > >地球自然環境の循環システムのバランスを崩さない為の方法であるなら「何でも良い」 >というのが私の姿勢です。 リサイクルは循環システムを崩さないでしょうか。リサイクルも加工の一種であり、再び使うために本来の原料を使う以上に手間とエネルギーがかかります。エネルギー消費の拡大は環境負荷の一つだと思います。 >> ゴミの処理に税金を投入するのは、ゴミを出さない人からは大変な不公平です。 > >基本の姿勢に差を感じます。 >税金というものをそういう風に捉えると、行政が行う行為のすべてに不満が出ます。 >私は、集めた税金を使うことと、税金をかけることとを両方バランスをとりながら判断すべきと思います。 >「ゴミの処理」には税金を使って効率よくおこなう。 >「ゴミを沢山出す人」には税金も沢山払ってもらう、といった考え方です。 ゴミを出さない生活が選択できる人は限られています。ゴミを出さざるを得ない生活に追い込まれた上に、税負担・ゴミ有料化、というのはあまりに酷です。儲けを拡大した企業に負担して貰いましょう。製品が高くなれば、燃やせる容器が復活するのではと(少し儚いかな)期待します。規制緩和ではなく規制強化です。ゴミ処理に税金を投入することで企業が免罪されています。使い捨てプラスチック容器を我々がいつ要求したでしょう? >>リサイクルすればよいと言う考え方が(石鹸づくりと同様)大量消費の免罪符になってしまった。僕は大量消費・大量廃棄に異を唱えています。石油文明拒否です。 >>企業が儲けを拡大するために、自分(企業)の作ったゴミが税金で処理されることに怒っています。私たちはゴミを欲しくて買っているのではないのですから。 > >こういった問題意識の持ち方を私はしません、 >この社会、総ての行為に善悪が混在していると考えます。「善>悪」となるよう、その差が大きくなるように「努力を続けよう」というのが 私の姿勢です。 >「悪」の部分だけを槍玉にあげて駆逐して、大事な「善」まで潰して何になる、ということです。 「善」の実体をまだお伺いしていないように思いますが? 本当になくては困るような物なのか、お尋ねしたい。 焼却には、分別しない方が良いとも聴きます。プラスチックだけになったらそれこそねっとりして、釜の温度が上がって、始末に負えないとか。埋め立ては限界に来ています。焼却しか道がないなら、現時点では、焼却しやすい製品に変えていく必要があります。 >>瓶のようにリユースできるものを主流にすべきです。 > >これとても、瓶の洗浄の手間・洗浄剤の排水、10回程度の使用で作り変え・瓶製造のエネルギー使用、輸送重量の増加によるエネルギー増、・・・ >等々を考えて「トータル的に」どちらが良いのか・・・、私には判らないので、専門家の研究を望んでいます。 長距離輸送に瓶はむきません。以前は小さな都市にも瓶の飲料・牛乳の工場がありました。今は廃止・統合され、軽い容器で長距離輸送です。そして容器のゴミは税金で処理します。昔の方がゴミを出さなかったのです。ガラスを溶かすには熱源があれば良く、同じメーカーの瓶ですから同じ品質の瓶に作り替えられます。ペットボトルのように不純物の入らないように注意して(ガラスなら多少の不純物は焼き切る温度に出来ますが、プラスチックは燃える温度まで上げられません))カレットに整形して、というよりは手間がかからないはず。しかし競争という大原則の中では瓶はほって置いては復活しません。 >> 新聞紙のように焼却できるものを包み紙とすべきです。パックに対し処理費用を事前にかけるなら、新聞紙の包み紙で販売する形態が復活するかも知れません。「安さ」を受け取れなくなりますが、大規模スーパーが小規模小売店をつぶした歴史を少し軌道修正できるかも知れません。 > >こういうことを「軋轢を少なく実現」していこう、というのが私の考えです。 >新聞紙を使えばよい様なことに、格好をつけて化粧紙を使いたい人には沢山税金を払ってもらう、ということです。 >良くないことは「すべてダメ!」というファッショ的発想は 人間社会そのものを駄目にする、との考えです。 良くないことを駄目、というのがファッショとは・・・。これほど世の中を悪くしてきているのに。また、化粧紙は燃やせます。石油製品のパック類を言っています。焼却炉でもゴミを送る部分にねっとりとへばりついてなかなか難物のようです。今は解決したのかな? でも、塩素はない方が余計な装置をつけなくてもよくなりますよね。ただ、生分解できる物(木の薄皮とか)なら焼却炉建設に税金を投入しなくても良いのですが。 >>アルミ缶リサイクルがアルミの輸入を減らしたか? >>ペットボトルのリサイクルが石油消費を減らしたか? >>数字は苦手ですが、数字として提示して貰いたいところです。 >>ゆっくりと、情報を集め、そして、想像して下さい。 > >その通りです。常に「検証作業」を続けなければいけません。 >その結果を情報公開して、多くの人々が議論して「民主的に決めて」いけばよいことです。 >何も難しいことではありません。 その民主主義の中で、衆愚・マインドコントロールに落ちいらぬよう、警告を発し続けたと思います。 >>石鹸づくりやリサイクルが、環境問題の解決からどんなに遠いものであるか。 >>むしろ大量消費から目をそらし、人々が社会に参加している喜びをかみしめながら、より企業の論理に巻き込まれているかを、想像して下さい。 > >何が、どうダメなのかを「判っている」という人は説明する義務があります。 >「判らない奴がアホだ」という姿勢で 何か解決できるのでしょうか? > >私くらい「物分りの良い人間(自己評価!)」が「判らない」といっているのですから、 >広く一般社会の人々に理解・納得してもらうのは・・・不可能でしょう。 以前から説明しているつもりなのですが・・・。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >僕が用心深くなったのは、「正しいリサイクル運動があるだろうか?」という点です。見落としはないか、自分に問いかけていました。現在の所、運動として行われるリサイクルに正しいものがあるとは思えません。したがって、運動そのものを否定します。 ふく朗さんご自身の評価について異論は挟みません。 質問させてください。 「現行のリサイクル運動の中に、正しいものは無い」しかし「正しい運動はやり方しだいではあり得る」というご見解なのか、 「どのような方法手段を講じても、正しいリサイクル運動というものは存在し得ない」というのか、 この差が私にとって、議論の継続を判断する 大きな問題の一つとなります。 >>>今日の資本主義社会を肯定はしていません。 >> >>これがもし「大前提」であるとすれば、この後の対話は成立しないでしょう。 >>私は、環境問題に、政治的意図や思想は関係ない、持ち込むべきでない、という硬い思いがあります。 > >大前提というよりも、環境問題を考えていく中で、根本は何か、と問うならば、ここへ行き着く、と言うことです。また中立な技術はない、という点については以前(石油文明)書きました。経済や政治の動きが公害を起こし、より儲けを拡大する活動が今日の問題の根本であると見当をつけています。 > なるほど、この「大前提」というか「根本」というか、ここに決定的な違いがありそうですね。 私が「根本」とするものと問われれば「人の幸せ(追求)」と答えます。 「人の幸せ」において、政治思想も体制も関係なんぞありはしない、 そんなものは「幸せの追求」における「手段やプロセスに過ぎない」と思っているのです。 従って、技術が中立であろうが、右でも左でも結構だ、「それで人が幸せになる方向へ進むなら」という考えであります。 どうやら、このあたりに差がある状態で、議論を進めることは困難と感じ始めましたが、 ふく朗さんはどんな感じをお持ちでしょうか? 【レス(2−1)】終わり |
>従って、技術が中立であろうが、右でも左でも結構だ、「それで人が幸せになる方向へ進むなら」という考えであります。 この部分だけは、問題があります。 もちろん右や左の問題ではありません。 現在の国家体制が、持続可能な社会をつくることをテーゼにしていないことです。 既得権益者が現状追認で利益を貪ることを 継続させる政治体制だからです。 せめて、固定化したこの体制を倒す必要があることは自明です。 但し、新政治体制が、持続可能な社会をつくることをテーゼにしているかは疑問です。 100倍位はマシな気がしますが、そのことを本質的に主要な柱として 捉えているかは、不安があります。監視し、干渉することで テーゼを崩さないように継続的にプレッシャーをかける必要があります。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >>> ゴミの処理に税金を投入するのは、ゴミを出さない人からは大変な不公平です。 >> >>基本の姿勢に差を感じます。 >>税金というものをそういう風に捉えると、行政が行う行為のすべてに不満が出ます。 >>私は、集めた税金を使うことと、税金をかけることとを両方バランスをとりながら判断すべきと思います。 >>「ゴミの処理」には税金を使って効率よくおこなう。 >>「ゴミを沢山出す人」には税金も沢山払ってもらう、といった考え方です。 > >ゴミを出さない生活が選択できる人は限られています。ゴミを出さざるを得ない生活に追い込まれた上に、税負担・ゴミ有料化、というのはあまりに酷です。儲けを拡大した企業に負担して貰いましょう。 企業(大企業)の儲けにご不満がおありのようですが。 多くの企業は、一般大衆に商品を買ってもらうことによって儲けを確保していることがほとんどです。 また、多くの企業は競合し合っています。 「ゴミを出さざるを得ない生活」に追い込まれるような商品が競合に勝ち残るとは思えません。 それが自由で民主的であることを保障した資本主義の良いところだと思っています。 今のところ、この「自由で民主的な資本主義」より優れたものを私は知りません。 ただ現実は、理想には程遠く不満は沢山あります。 しかし、他の制度を選択するまでの不満にはいたっておりません。 >「善」の実体をまだお伺いしていないように思いますが? >本当になくては困るような物なのか、お尋ねしたい。 絶対的な「善」などあるとは思っておりません。 一つの物(や行為)の中に「善と悪」が同時に存在する、その善と悪の比率を問題にしているだけのことです。 私がこだわった「家庭廃油の石鹸化」と「企業で製造した石鹸 + 廃油の焼却」について 何れが「善:悪」比率のスコアが高いか? を私が理解できるように説明してほしい、 ということでした。 結局、納得できずに終わってしまいましたが、・・・そういうことです。 >>良くないことは「すべてダメ!」というファッショ的発想は 人間社会そのものを駄目にする、との考えです。 > >良くないことを駄目、というのがファッショとは・・・。これほど世の中を悪くしてきているのに。 「良くないことを駄目、という」とは言っていません、「良くないことは『すべてダメ!』という」と申しております。 世の中それ程簡単に「良し悪し」が判定できるとは思いません。 (ふく朗さんは、判定が可能という見解をお持ちですか?) 時代の流れで変わります。技術の進歩でも判定がひっくり返ることもあるでしょう。 ですから、「すべてダメ」というのは「ファッショ的発想」だとして、私はとても嫌っております。 こういった発想の政治家は問題ですが、まだ選挙で落とすことが可能だけ「まし」であって。 選挙で落とせない「ファッショ発想科学者」の害をなくす方法は見つかっていないことは心配です。 こういった科学者は、右も左も真ん中にも かなり存在しています。 本来、マスコミ諸氏の見識に期待すべきではありますが・・・今のところ 信頼できるものはあまり有りません。 【レス(2−2)】お終い 他にもコメントしたい項目がありましたが、疲れました。 ここで一応「シメ」させて下さい。 |
せっかく本質を突いた議論もしているのに表現が悪いと伝わりませんよ。 リサイクル業者をつぶすという話は、ODAなどで安い食料や衣料品を 提供して、その地での産業の芽を摘むという行為に重なるので トータルな循環環境活動をデザイン仕切れないで行政なりが音頭を 取ってしまっている一面を感じます。まったくその通りです。 確かに、企業の製品を悪く言い、自分の家内制手工業に近い商品を売りつける 一部の活動家もいるようですが、そもそもどちらか一方だけが正しいと 考えることは正しくないように思えます。 企業側も活動家側もどちらも間違っているのではないでしょうか?ある部分に関して。 >焼却には、分別しない方が良いとも聴きます。 複数の化学物質の反応から有害な物質の発生を招くのでドイツあたりでは主に焼却しない 方法をとります。高温で焼却するとダイオキシンがでないという話がありますが、 その他の有毒化学物質を除去できる訳ではありません。高温燃焼下で。 高温燃焼は、それ以外の化学物質生成の問題をはらんでいるので、おすすめできません。また、不用意に炉が高温化して、炉の寿命を縮めるのでプラスチック類は分別する 必要があるのです。 高温溶融炉の件で、提灯記事を書いた山根一真(字が少し違うかな)は恥ずかしい。 もっとも、悪気はなかったようにも思えますが、かえってタチが悪い。 でも、議論の場を提供するということは大事ですから、そういう視点で再検証を 何度でも行うことは大事です。ダイオキシンに目が眩みその他の化学物質の問題点 について想像力を失いました。 RDFも高温溶融炉もダメとなるとなかなか難しい。 ちゃんとした分別、限定的な焼却が必要なのではないでしょうか。 ダイオキシンが分解できる微生物がという話を最近聞いたような。 広告性を犠牲にしても、リターナブル瓶と再利用型厚手のペットボトルの利用は 促進しても良いと思います。他に、リサイクル可能なものを列挙するのもいいな。 運動自体が目的化すると何でも危険だと思います。それは確かです。 |
>私は、環境問題に、政治的意図や思想は関係ない、持ち込むべきでない、という硬い思いがあります。 この「硬い思い」はどこから来たのでしょう。経済・政治によって引き起こされた悲劇は環境問題ではない、というのでしょうか? >こういった問題意識の持ち方を私はしません、 このようにして、あなたは理解する以前から、シャットアウトしています。この堅くなさが、理解を阻害していると考えます。 >こういうことを「軋轢を少なく実現」していこう、というのが私の考えです。 軋轢少なく、等と言うことは、問題解決の放棄に近い。何が善かを常に選び取っていくのが人間であると思います。悪には軋轢があろうと立ち向かうべきです。個別のことについては個別に議論しましょう。 >何が、どうダメなのかを「判っている」という人は説明する義務があります。 >「判らない奴がアホだ」という姿勢で 何か解決できるのでしょうか? > >私くらい「物分りの良い人間(自己評価!)」が「判らない」といっているのですから、 >広く一般社会の人々に理解・納得してもらうのは・・・不可能でしょう。 他の方の投稿姿勢に批判を述べておられましたが、上に書いたように、理解しようとしない姿勢を持って「わからないのはおまえの説明が悪い」とでもいっているかのような物言いは、不誠実のそしりを免れないでしょう。 現実の風景、仮定した風景、を思い浮かべてみましょう。誰が笑っているか、誰が泣いているか。自分はどちらの方に立つか、その側に身を置いたとき正義は何か。 ワン太郎さんは現状追認のようにお見受けします。 ワン太郎さんの考える環境「問題」とは何ですか? どの範囲ですか? 僕は人間に悪影響を与えるものすべてを含みたいと考えています。公害が原点ですが、アレルギー・農薬・食料・自然保護・大規模構築物による自然破壊〜人間生活への圧迫・人のつながり・地域・文化の破壊・・・。 環境問題そのものの解決を考えると同時に、そのおおもとは何か、単純な形で切り出せないか、と考えています。 現代社会の病根を、「環境」をキーワードにどこまでえぐり出せるか、という視点でも考えたいと思っています。 あらゆる悲劇を事前に察知できるように。 その解決を訴えるために。 過去の悲劇は、軋轢を生むかどうかどころの生やさしいものではなかったのです。 その悲劇から目をそらすはたらきをするものは、 リサイクル運動を含め、 環境問題解決の「敵」です。 水俣では20種類くらい(10何種類?)のゴミ分別をします。環境都市をイメージづけたいのでしょう。それで水俣病によって破壊された肉体が、バラバラになった地域のつながりが、回復されると言うのでしょうか。ごまかし以外の何物でもない。 チッソ職員の、反省のひとかけらもない、見学者への説明。「あのときは分からなかった。わざとではなかった。今でも患者には風邪の治療費まで会社で出している」 ここでの風景、僕が想像する・・。若い奥さんが仕事へ行く前にゴミ出ししていると、老婦人から注意される。このゴミはこっち、これはあっち、ちゃんとしなきゃ駄目でしょう? 仕事に遅れそうな若奥さんはむっとしながらゴミを18分別する・・・。最近の若い人ときたら、と後ろから声が聞こえる・・・。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >>私は、環境問題に、政治的意図や思想は関係ない、持ち込むべきでない、という硬い思いがあります。 >この「硬い思い」はどこから来たのでしょう。経済・政治によって引き起こされた悲劇は環境問題ではない、というのでしょうか? 経済・政治が環境問題【解決】に入り込んでくることによって悲劇が増幅したと確信しています。 (問題「解決」という意味で申しました、言葉足らずでありました) 従って、環境問題解決の場には 主義・思想の対立を持ち込むことは排除したいと考えています。 >>こういった問題意識の持ち方を私はしません、 >このようにして、あなたは理解する以前から、シャットアウトしています。この堅くなさが、理解を阻害していると考えます。 「この頑なさ」という表現は当てはまらないと思います。 >リサイクルすればよいと言う考え方が(石鹸づくりと同様)大量消費の免罪符になってしまった。僕は大量消費・大量廃棄に異を唱えています。石油文明拒否です。 >企業が儲けを拡大するために、自分(企業)の作ったゴミが税金で処理されることに怒っています。私たちはゴミを欲しくて買っているのではないのですから。 こういった 今の世の中を「スネた見方」を「私はいたしません」ということです。 基本的な姿勢として、この「人の世」を「嫌って見る」か「いとおしく見る」かの違いと感じています。 その違いが、問題意識の持ち方の差となるのではありませんか? 誤解しないでください、ふく朗さんを非難しているのではありません。 「この差について、非難・攻撃し合ったりする事ではない」といっているつもりです。 それぞれ個人の「ものの見方、考え方」である、といっているのです。 >>こういうことを「軋轢を少なく実現」していこう、というのが私の考えです。 >軋轢少なく、等と言うことは、問題解決の放棄に近い。何が善かを常に選び取っていくのが人間であると思います。悪には軋轢があろうと立ち向かうべきです。個別のことについては個別に議論しましょう。 「何を目的として」問題解決するのか? です。 発生してしまった事象を解決する過程で被害(者)を増幅しては、何をかいわんや、であります。 しかし、現実はこういう事例が多すぎます。 ですから、私は「軋轢を少なく実現」することが一番「目的にかなっている」と考えているのです。 戦うことが「軋轢の最小化の手段」であれば戦うのが当然 の理屈です。 、 私は「何が何でも平和主義」なんて人間ではありません。 >>何が、どうダメなのかを「判っている」という人は説明する義務があります。 >>「判らない奴がアホだ」という姿勢で 何か解決できるのでしょうか? >>私くらい「物分りの良い人間(自己評価!)」が「判らない」といっているのですから、 >>広く一般社会の人々に理解・納得してもらうのは・・・不可能でしょう。 > >他の方の投稿姿勢に批判を述べておられましたが、上に書いたように、理解しようとしない姿勢を持って「わからないのはおまえの説明が悪い」とでもいっているかのような物言いは、不誠実のそしりを免れないでしょう。 もうこの議論は勘弁してください。 アサハラ・ショウコウの信者に教祖様の姿勢について議論しても、何か意味があるとは思えません。 (これも誤解しないでください、非難や当てこすりのつもりはありません、わかり易く表現しただけのつもりです) 一つだけ申せば、「世に認められない」ことをもって「世が悪い」という考え方に反対しているのです。 (その典型が「オウム」でありました) >ワン太郎さんは現状追認のようにお見受けします。 >ワン太郎さんの考える環境「問題」とは何ですか? >どの範囲ですか? 「追認」という言葉を使われるとしっくりきません。(どう言いましょう?) 「現状のあるがままを受け入れる」とでも言いましょうか、 「八つ当たりのような考え方はしない」とでも言いましょうか。(この方が良さそう) 私の考える『環境問題』とは、 人が(人の集団が)生を営むうえで発生してしまう「自然のバランスを崩す イヤな事」と考えます。 『範囲』は 地球の「自然のバランスを崩す もの・ことのすべて」 『認識』は 人(と集団)が生活するうえで発生してしまうので 難しく複雑な問題が多い 『対処』は なるべく利害や思想の「対立関係」を正面に出さないで 問題解決の努力をした方が良い。 いってみれば、クーベルタンの提唱した「オリンピック精神」の様な概念と組織で対応できると一番良い。 と考えています。 ですから、対処方法について等の対立関係を「敵・味方」のように明確に打ち立てず、 お互いの「解決へのベクトルを一つにしていく努力」をすることの方が、 結果として苦しむ人々を少なくする効果があると信じています。 くだいて言えば、 「臭いものはもとから絶たなきゃダメ」と焦って、直截・拙速に根本解決に走るのではなく、 (根本解決の「手段選択、主導権で争ったり」せず) 先ず「臭いものには、とりあえず蓋をして」 それと並行しながら「根本解決を考え」、「手段を確立し」、『合意して』 その条件が揃った時点で「もとから絶つ」 という訳です。 まだるっこいですが「急がば回れ」と思っていますし、これが「被害の極小」に繋がると信じています。 >その悲劇から目をそらすはたらきをするものは、 >リサイクル運動を含め、 >環境問題解決の「敵」です。 環境問題に「敵・味方」の概念を持ちこむことは 望ましくないと思います。 「すべての人が被害者であり、将来の被害者だ」と考えないと 解決に無駄なエネルギーを必要とし、 結局は解決を遅らせると考えます。 >水俣では20種類くらい(10何種類?)のゴミ分別をします。環境都市をイメージづけたいのでしょう。それで水俣病によって破壊された肉体が、バラバラになった地域のつながりが、回復されると言うのでしょうか。ごまかし以外の何物でもない。 >チッソ職員の、反省のひとかけらもない、見学者への説明。「あのときは分からなかった。わざとではなかった。今でも患者には風邪の治療費まで会社で出している」 私には批判・評価する資格がありません、実態をよく知らないからです。 でも、想像はつきます。 >ここでの風景、僕が想像する・・。若い奥さんが仕事へ行く前にゴミ出ししていると、老婦人から注意される。このゴミはこっち、これはあっち、ちゃんとしなきゃ駄目でしょう? 仕事に遅れそうな若奥さんはむっとしながらゴミを18分別する・・・。最近の若い人ときたら、と後ろから声が聞こえる・・・。 人間社会の歴史はこういったことの繰り返しでした。 これからも続くでしょう。 「二度と起こしてはならない!」という話でもない のではありませんか? |
>経済・政治が環境問題【解決】に入り込んでくることによって悲劇が増幅したと確信しています。 >(問題「解決」という意味で申しました、言葉足らずでありました) >従って、環境問題解決の場には 主義・思想の対立を持ち込むことは排除したいと考えています。 抽象論になってしまった。個別具体的に検討する必要があると思う。水俣の解決が政治的なもので、不十分さを残したのはうなずける。しかし、ここで僕が言う言う政治・経済は、石油文明について語った所の世界を動かすようなものについてです。 >>リサイクルすればよいと言う考え方が(石鹸づくりと同様)大量消費の免罪符になってしまった。僕は大量消費・大量廃棄に異を唱えています。石油文明拒否です。 >>企業が儲けを拡大するために、自分(企業)の作ったゴミが税金で処理されることに怒っています。私たちはゴミを欲しくて買っているのではないのですから。 > >こういった 今の世の中を「スネた見方」を「私はいたしません」ということです。 >基本的な姿勢として、この「人の世」を「嫌って見る」か「いとおしく見る」かの違いと感じています。 >その違いが、問題意識の持ち方の差となるのではありませんか? > >誤解しないでください、ふく朗さんを非難しているのではありません。 >「この差について、非難・攻撃し合ったりする事ではない」といっているつもりです。 >それぞれ個人の「ものの見方、考え方」である、といっているのです。 問題意識の違いは大きい。すねていようがいまいが、害悪(問題解決への意識を阻害して行く動き、力)は防ぎたいものです。 >>>こういうことを「軋轢を少なく実現」していこう、というのが私の考えです。 >>軋轢少なく、等と言うことは、問題解決の放棄に近い。何が善かを常に選び取っていくのが人間であると思います。悪には軋轢があろうと立ち向かうべきです。個別のことについては個別に議論しましょう。 > >「何を目的として」問題解決するのか? です。 >発生してしまった事象を解決する過程で被害(者)を増幅しては、何をかいわんや、であります。 >しかし、現実はこういう事例が多すぎます。 >ですから、私は「軋轢を少なく実現」することが一番「目的にかなっている」と考えているのです。 >戦うことが「軋轢の最小化の手段」であれば戦うのが当然 の理屈です。 >、 >私は「何が何でも平和主義」なんて人間ではありません。 個別の具体例がないと、考えられません。被害者が増幅した点について、多くの事例の中からいくつか上げていただきたい。 >>他の方の投稿姿勢に批判を述べておられましたが、上に書いたように、理解しようとしない姿勢を持って「わからないのはおまえの説明が悪い」とでもいっているかのような物言いは、不誠実のそしりを免れないでしょう。 > >もうこの議論は勘弁してください。 >アサハラ・ショウコウの信者に教祖様の姿勢について議論しても、何か意味があるとは思えません。 >(これも誤解しないでください、非難や当てこすりのつもりはありません、わかり易く表現しただけのつもりです) > >一つだけ申せば、「世に認められない」ことをもって「世が悪い」という考え方に反対しているのです。 >(その典型が「オウム」でありました) 認められるように努力する、その一環ですかね、ここへの書き込みも。 >それと並行しながら「根本解決を考え」、「手段を確立し」、『合意して』 >その条件が揃った時点で「もとから絶つ」 という訳です。 > >まだるっこいですが「急がば回れ」と思っていますし、これが「被害の極小」に繋がると信じています。 長いので引用を省略しましたが、合意がないとき、解決はないわけですね? 多くの公害薬害事件で、裁判・運動で闘わなければならなかったのは、急ぎすぎというのでしょうか? これでは巨悪を利することになると考えます。 >>その悲劇から目をそらすはたらきをするものは、 >>リサイクル運動を含め、 >>環境問題解決の「敵」です。 > >環境問題に「敵・味方」の概念を持ちこむことは 望ましくないと思います。 >「すべての人が被害者であり、将来の被害者だ」と考えないと 解決に無駄なエネルギーを必要とし、 >結局は解決を遅らせると考えます。 上に書いた公害裁判についてと同じこと。 >>チッソ職員の、反省のひとかけらもない、見学者への説明。「あのときは分からなかった。わざとではなかった。今でも患者には風邪の治療費まで会社で出している」 > >私には批判・評価する資格がありません、実態をよく知らないからです。 >でも、想像はつきます。 環境について一家言をお持ちの方なら、一くさり語ることはあっても良いのではと存じます。遅すぎる、と言うことはありません。ご自分の意見を語れるくらいには学ばれてはいかがでしょうか。知らないことを攻めるつもりはありません。知ろうとしないなら話は別ですが。 >>ここでの風景、僕が想像する・・。若い奥さんが仕事へ行く前にゴミ出ししていると、老婦人から注意される。このゴミはこっち、これはあっち、ちゃんとしなきゃ駄目でしょう? 仕事に遅れそうな若奥さんはむっとしながらゴミを18分別する・・・。最近の若い人ときたら、と後ろから声が聞こえる・・・。 > >人間社会の歴史はこういったことの繰り返しでした。 >これからも続くでしょう。 >「二度と起こしてはならない!」という話でもない のではありませんか? この風景(むろん想像ですが)から何を連想するか、唐突に持ち出すことで何を言いたかったかは、僕の独りよがりの部分もあるでしょうから、あえて申しません。 お読みになった中で、理解される方がいらっしゃれば幸いです。 >(「犯罪行為」と発言したのは 沈黙の初夏さんですが、ふく朗さん、代わって受けて>ください) >ふく朗さんのご見解はいかが? >(念のため、私は「家庭廃油石鹸化推進の活動家」でも、そのシンパでもありません) 「犯罪行為」がどこにかかるかは後述。 加工のたびに無駄が出るのは世の常。それ以上の便利さ・快適さを手にするか、の問題なのか、単にエネルギーで見るのか、生分解性の優位さを言うのか、良くわからないので、あまり参加しなかったのですが・・・。蟷螂の斧さんに質問したときは、よっぽどとんちんかんだったらしく、たちまち相手にされなくなりました。どなたか、どこがとんちんかんだったか、解説して下さるとありがたい。・・・と言うわけですよ。犯罪行為については何についてかを大きく誤解されているようですから、廃油石鹸に関してはこんな所です。 >待ってください、私が家で石鹸を製造していると 言いましたか? >ハハァー、沈黙さんの「おそらく作っているのであろう」を真に受けましたな? う〜ん、僕の読解力ですね、問題は。ワン太郎さんが間違った場所にレスを付けてもすぐに判断出るくらいの読解力はあると思っていたのですが。つまり言ってなくても、文の勢い・熱の入り方、そうしたもので判断しています。レスが違うことも、理屈ではなく瞬時の判断でしたから、書かれた以外のことも、そうであろう、で考えてしまいます。罠にはまったようで面白くないので、今後気をつけます。あ、罠にかけたと避難しているのではないですよ、はまったような「気がする」ですから。(こうした注釈が多いのはワン太郎さん流の文脈なのですね。) 小学校の理科の実験以来、石鹸を自分で製造したことはありませんし、人に製造を勧めた事もありません。 以前TVで家庭廃油で「粉石けん」を主婦が作っているのを見たことがあるのは白状します。 >それから、市販石鹸、洗剤の購入・使用を推薦をされているのですか? >石鹸・洗剤大メーカーの悪事は良く知っていますぞ、仕事の関係であきれ果てた情報を>手に入れたことがあります。 >しかし、今はそれが主題ではありません。 洗剤大メーカーの悪事! これは興味あります。純粋にお願いです! 教えて下さい! 石鹸と洗剤大メーカーを同列に置いていらっしゃることから、石鹸と合成洗剤の区別をご存じないかとお見受けします。ご存じであれば、書き方に工夫されることをおすすめします。 僕が使う石鹸関係は、身体に触れるものに限定しています。身体に触れないトイレ用洗剤等は合成洗剤を買っています。食器洗い石鹸は、液体が使いやすいので石鹸分は28%、安定させるためでしょうか、アルカリが添加されています。手荒い・風呂では石鹸分99%の固形、洗濯も石鹸分99%の粉末を使っています。水質汚染を心配しているのではなく(ちょっとはあるけど)、自分の身体のことを考えての利己的なものです。科学的に証明はされていない(だろうと思う)ので、気休め程度ですが。なお、石鹸と呼ばれるものでも、エデト酸塩(おそらく金属封鎖材)や香料を添加したものを、僕は石鹸と認めていません。石鹸製品は、まあおすすめです、合成洗剤に対しては。それ以外のものは現代社会では手に入れられませんから。 >ふく朗さん、これは『八つ当たり発言』ですね。 >誰の姿を見て「異様だ」とおっしゃっているのですか? 誰かの家を覗いた訳でもない>でしょうが。 >「石鹸を作るために 油を使いまくる」・・・何ですか? こんな人が存在するのです>か? 想像ですが、こうして風景を思い浮かべます。いなければ幸いです。油の使いすぎに逃げ道をつけないで欲しい、それを【環境の文脈で使わないで欲しい】という願いです。おいしい天ぷらのためには新品の油が必要だ、という方には何も文句はありません。 これらの発言は「異様」です。 どうも、沈黙さんといい、ふく朗さんといい、エキセントリックな発言が飛び出します。 槌田イズムはそういった危険な要素を含んでいるのでしょうか? 槌田先生ご自身、素人向けの本の中では、書き始めはエキセントリックを装いますね。読み進むと合理的なんですけど。これまで常識とされてきたことをひっくり返そうというのですから、挑発的な書き方をされます。まあ、演出ですけど。要素ではありません。各個人のキャラクター・サービス精神・相手の馬鹿さ加減によるでしょう。あ、ワン太郎さんを馬鹿だと言っているのではないですよ(今は)、念のため。 沈黙の初夏さんからの横レスに対してのこと。 <<正確に引用してみます。>> >> そういう知識もなく「家庭用廃油から石鹸を作ろう、簡単ですよ」 >> などと言うのは馬鹿をとおりこして、これはもう犯罪に近いと思う。 これに対して、そのように読まれますか、ワン太郎さんは・・・。 これは何かのメッセージでは、とお考えになりませんか? 僕は何度も自分に関する所ではそれに近いことを申し上げましたつもりですが、主要なテーマが、始めからずれています。 >> 文脈で読めば私の主張の重心は別のところにあるはずだ。 ここが重要な部分です。 上の沈黙の初夏さんの文では、 「犯罪に近い」の主語は、石鹸作りではなく、 「などと『言う』」です。 「石鹸作りが犯罪」ではなく、 「言うのが犯罪」です。 ここで「言う」は、考えを広く流布したりする事です。 (僕は若干の強制力を感じましたが、それはまあ、感じ方ですから) このような解説はかえって失礼かとは存じますが、やはり言わずにおれませんでした。 最後に一言だけ、ホントに一言だけ、言わせて下さい。 バカ! |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: >最後に一言だけ、ホントに一言だけ、言わせて下さい。 > > バカ! そう、本当にバカですね、認めます。(よくここまでバカなことを続けてきたと思います) 問題は そのバカに 「どう説明し 納得させるか」 でしょ? 「家庭廃油の石鹸化活動」は一般庶民・大衆のものでしょう。 (その実態に詳しい訳ではないのですが) 少なくとも今、庶民・大衆の活動として 家庭廃油の石鹸化があります。 沈黙さんやふく朗さんは「これを間違い」と否定される。 この活動を勧めることは「犯罪に近い」とまで言われる。 (何度も言います、私は活動の推進者でも推奨者でも「ありません」、推奨者と見たのは誤りです) 庶民大衆に この活動を始めさせる「理由」は何でしょう ―― 「判り易さ」と「気持ちよさ」だと思います。 そのまま捨てるのは「もったいない」というのは 非常に判り易いし 説得力がある。 そして環境に貢献している気持ち良さの ご褒美があります。(正否の問題は別ですよ) それなのに、なぜそれほど「発展しない」か ―― 出来上がる石鹸の「質が期待以下」だからでしょう。 「汚れ落ちの悪さ」「不快な臭い」等を解消する 簡単で安価な方法が考えられれば、活動は大きく活性化するでしょう。 (ここは、活動を活性化させる方法を考えるのが 趣旨ではありません) この活動に沈黙さんやふく朗さん等は反対します。 おそらく、これには庶民大衆は驚くでしょう。 今まで環境に良いことをしているつもりだったのに、まったく逆の事を言われてしまえば 「それ本当?」と疑いの目を向けるでしょう。 私がお二人に「説明する責任」の存在を語ったのはその意味です。 「判りやすい理由」で始まった庶民・大衆の「誤った」活動を 終息させるためには、 やはり「判りやすい理由・理屈」が必要でしょう、エントロピとか入力出力等と言っても まったく判り易くも 説得力もありません。 本気で 家庭廃油の石鹸化を否定・反対されるのなら、 「バカ」でも判る「わかりやすい説明」が必要じゃないですか? と言っているのです。 その説明を受ける「バカ 第一号」の栄誉を私に与えてはいただけないか、とお願いしているわけなのです。 石鹸・洗剤大メーカーの「悪行話」についてのお求めがありました。 結構 知っています。 なぜ知っているかといえば、私は仕事上、石鹸・洗剤をかなり大量に仕入れたことがあります。 (数億円の仕入れ金額になりましたが わけあって2年ほどで中止しました) また、十年来 ある中堅クラスの石鹸等の製造販売会社を ほぼ毎月訪れています。 石鹸の話をする為ではありませんが 自然といろいろな話が耳に入ります。 界面活性剤の話、酵素の話、「環境にやさしい企業イメージ造り」戦略、・・・等々における大企業の悪行です。 これは、ほとんどが差し障りのある話なので「内容を見極めて」からとさせていただきます。 |
界面活性剤は、禿を促進するという話はけっこう聞きますよ。 毛根にもよくなければ、その排水が河川に何をするか考えねば。 一時泡の立ち上る洗剤が売られていた時期がありましたが、 その後、泡はでない洗剤に変わりました。 でも、環境に対しての悪影響にかわりはなかったようですが。 最近の酵素の類はどうなのでしょうか? ちなみに○○物語からオリーブ油のせっけんしゃんぷーに 変えてから、髪の発育は良くなったようです。寂しさが減った。 ヘアーメイクします。というシャンプーを使ってた頃には、 異様に髪の量が落ち着いて少なくなったように感じました。 髪の太さに影響していたのかもしれませんね。 |
私は環境の問題はもっと科学的に、そしてグローバルに解明していかなければいけないと思っています。今の世間の考え方はあまりにも観念的な考えが多いのではないか、偏見が多いのではないかということです。 但し、科学的に考えたとき、社会構造に当てはめて意味の無い場合もあります。いい例が先に言っておられました界面活性剤の件でもこのまま自然界に出せば環境負荷がかなりありますが、下水整備されたところでは殆ど問題になりません。むしろ化学洗剤より石鹸のほうが製造時に油脂をはるかに多く使うために環境負荷が大きい。都会では化学洗剤の方が環境負荷的にみればすぐれていることになるからです。 先にもいったとうり、マスコミ、一部の科学者により真の姿を捻じ曲げられて、または大げさに伝えられていることは多くあると思っています。環境問題はまだ殆ど解明されていないにもかかわらず、不安だけを助長しています。これは言ってみれば宗教論争、または終末論にも似た形になっているような気さえします。 何も解明されていないままある時点の現象だけをみて論議するのではなく、その現象について様様な角度から科学的にみてどうなのかといったことが必要です。 いますぐ人の命に関わる問題はともかく、環境を論議することは未来を論議することです。つまり誰もわからないことを論議するわけです。終末論的思考に偏らず、しっかり科学の目をもってみていきたいものです。 (残念ながら日本人は科学的教育を受けていませんが・・・) |
ワンフレーズポリティックスではないですが、一面的な話題提供に終わる報道は 問題が多いような気がします。まるで、思いっきりテレビの司会者のように、 深く理解せず、矛盾し合うことを毎日のようにサプライズを提供し続ける。 ただ、そういう安易な人間を集める場でこそ、「問い」を発することが必要に思います。 焦る気持ちを抑えて、その安易に何かをカプセルにつめて受取、そのままに行動する人たちに。 子育てで子どもに、ストレートに答えを与えることばかりをしていると、ものを考える力が 育ちません。答えのない「問い」を抱えて数年、10数年と色々な情報源とそれに反応する 自分を見つめ、そこで初めてテーゼとアンチテーゼの間以外の昇華した案が、思い浮かぶ のではないかと思います。アウフヘーベン(止揚?)というらしいのですが、このレベルに まで思考の柔軟性と懐の深さが得られないと、なかなか人との間で有益な意見交換が できないように思います。中学生のようにどこかで聞いた言葉を繰り返すオウムになってしまう。 あたりまえのことでも、独立発見しないと人の心には定着しないようです。 >何も解明されていないままある時点の現象だけをみて論議するのではなく、その現象について様様な角度から科学的にみてどうなのかといったことが必要です。 今の学校教育では、このような「問い」や「問題に佇む態度」を身につけることは できないでしょう。個人的に、そういった視点を有している教員などに出会わなければ。 本の方が、多様にそういった世界の断片を見せてくれることが多いように思います。 ただ、対話や検証、再考が行われなければ、文章化された考えや発表データは バイブルと化す傾向があり、複眼的に様々な角度で見直すことが必要です。 個人的には、ある問題を対立する2人の話をもともと他の分野で2人とも好意を個人的に 持っていたケースで、行き違いや思いこみ、レッテル貼り、データの古さからの勘違い、 全体像からの双方の問題点をそれぞれ感じることができたことが、本職の中では得難い 経験だったと思います。 おふたりだけではないですが、そもそも主旋律では対立するような印象を受けなかった のに、何故か言葉の端々で行き違いと表現の稚拙さ(本職も含め)で もったいないなぁと感じていたので、個人的に興味の強い分野であることもあり、 横から色々見直していただけたらなぁと話題提供をしていたのです。 >いますぐ人の命に関わる問題はともかく、環境を論議することは未来を論議することです。つまり誰もわからないことを論議するわけです。終末論的思考に偏らず、しっかり科学の目をもってみていきたいものです。 (残念ながら日本人は科学的教育を受けていませんが・・・) そうですね。科学的教育の不足が、問題意識の低い国民性に孕んでいるように思えます。 ただ、科学を主張する人々の中に、現時点での知識や理論の集大成に過ぎない直近を 微分した「科学」の一瞬を未来永劫続くかのように語る一面を時々感じます。 そこを更に突き抜けて思考できるようになると、科学的教育が一面的に終わらずに、 新たな地平を模索することができるような気がします。ノーベル賞の小柴さんが やっているような、トリガーとしての科学教育が、小中高大成人と一つの流れとして 確立すると良いと思います。 そういう意味では、食べ合わせなど身近な話題から攻める必要性を科学と無縁の一般女性 などには必要かなと思います。巡り巡ってくることが自分の身近にどのように具体的に 関わってくるか、まず考えるのではなく感じさせること。違和感を感じさせることから、 そのことをもっと時間をかけて考えるキッカケにし、思考を昇華させることができたなら。 >下水整備されたところでは殆ど問題になりません。むしろ化学洗剤より石鹸のほうが製造時に油脂をはるかに多く使うために環境負荷が大きい。都会では化学洗剤の方が環境負荷的にみればすぐれていることになるからです。 下水整備なども、条件によっては、浄化槽の方がコストパフォーマンスも良く、 エネルギーや物資、資金の無駄につながる場合もあるので、地域地域の実情に合わせて 適切なものを条件によって選択するという発想が必要なのでしょう。 金太郎飴のような一律な解がひとつであるかのようなモノカルチャーな認識を 与えられた条件から選び直すことが必要であること。複数のプランがあること。 そういう視点・発想を多くの人に感じてもらうことが大事だと思います。 そのためには、伝える相手を理解して美しいシルキーパスをだせるように問題意識を 持った人間の側がより努力する必要性を感じます。受け手の努力を期待するのは難しいですから。 (自分にも返ってくる言葉ですが(但し、カルトで現体制利権者には配慮不要な気も)) いろいろな可能性や理解の形、遷移について、言葉で伝えることの難しさやすばらしさを 感じさせてくれるホームページです。中田のキラーパスより、中村俊介のファンタジスタ より、小野伸二のシルキーパスが、相手の能力を引き出し美点を強調し、その突破口から 問題の深い理解に繋がってゆくのではないかと感じます。 下の3点だけでなく面白い話が多いので、是非読んでいただけたらと思います。 参考HP:山田ズーニー(ほぼ日刊イトイ新聞) おとなの小論文教室。感じる・考える・伝わる! Lesson142 「ちゃんと読めよ!」の落とし穴 http://www.1101.com/essay/2003-04-09.html Lesson157 ネットで批判が難しい理由 http://www.1101.com/essay/2003-07-23.html Lesson158 人の話が聞ける強さ http://www.1101.com/essay/2003-07-30.html |
申し訳ない、【14448】環境問題スレッド・3について、見落していました。 ごまめの翁さんのスレを見て気がつきました。 レスさせて下さい。 【ワン太郎】 >>もう一度いいます。 >>私は「知りたいだけです」。 >>「家庭廃油を石鹸に作り変えること」が犯罪行為と言われるほど、悪い事かどうかを。 >>純粋に、それだけであります。 【ふく朗さん】 >めげているなどと、らしくもないことをおっしゃいますな。 >石鹸にした油と、ただの油が、どちらが生分解性が高いか、データを持っていません。 >調べようとも思いません。それが主要な問題と思っていないからです。 私もそんなことを質問しているわけではありません(質問をうまくすり替えないでください)。 「お前の言う「家庭廃油を石鹸化」は『犯罪行為』だ」と云われたので、 それ程『悪いこと』であるなら、『明確な事実やデータ』の裏づけがあるだろうと質問したのです。 (「犯罪行為」と発言したのは 沈黙の初夏さんですが、ふく朗さん、代わって受けてください) 『明快な事実やデータ』も無しに、人の意見や行動を『犯罪行為』と断定する訳はありません。 しかし、百歩譲って、『明確な事実やデータ』が無くても良しとしましょう(不満ですが)。 「家庭廃油の石鹸化・使用」 と 「廃油の焼却処分」+「市販石鹸の購入・使用」 との間にある *** 「犯罪行為」と決め付けるほどの『決定的な差』を教えていただきたい *** ふく朗さんのご見解はいかが? (念のため、私は「家庭廃油石鹸化推進の活動家」でも、そのシンパでもありません) >自家製石鹸を使っているワン太郎さんは、洗濯も食器洗いも、それで済ませているのですね? >ただ、多くの人は洗濯には市販品を使うのではないかと思います。 >洗濯機ですから粉が適しています。食器洗いには液体が便利ですから。 待ってください、私が家で石鹸を製造していると 言いましたか? ハハァー、沈黙さんの「おそらく作っているのであろう」を真に受けましたな? 小学校の理科の実験以来、石鹸を自分で製造したことはありませんし、人に製造を勧めた事もありません。 以前TVで家庭廃油で「粉石けん」を主婦が作っているのを見たことがあるのは白状します。 それから、市販石鹸、洗剤の購入・使用を推薦をされているのですか? 石鹸・洗剤大メーカーの悪事は良く知っていますぞ、仕事の関係であきれ果てた情報を手に入れたことがあります。 しかし、今はそれが主題ではありません。 >遊びなら目くじらを立てるつもりはありません。 >しかし石鹸に出来るからと油を使いまくる姿は異様です。普通なら油なんか余らないでしょう? >ましてや環境に意識の高い人なら。(僕の文を読んで下さい)天ぷら数回で油を用済みにしているのですよ! >この姿が異様だと言いたい。 ふく朗さん、これは『八つ当たり発言』ですね。 誰の姿を見て「異様だ」とおっしゃっているのですか? 誰かの家を覗いた訳でもないでしょうが。 「石鹸を作るために 油を使いまくる」・・・何ですか? こんな人が存在するのですか? これらの発言は「異様」です。 どうも、沈黙さんといい、ふく朗さんといい、エキセントリックな発言が飛び出します。 槌田イズムはそういった危険な要素を含んでいるのでしょうか? |
まだやっとるのか。 どんな議論をしようと勝手であるが、 私の主張を浅い理解力で曲解し、 くわえて事実誤認と捏造はやめてくれんかね。 ▼ワン太郎さん: >【ワン太郎】 >>>もう一度いいます。 >>>私は「知りたいだけです」。 >>>「家庭廃油を石鹸に作り変えること」が犯罪行為と言われるほど、悪い事かどうかを。 >>>純粋に、それだけであります。 > >【ふく朗さん】 >「お前の言う「家庭廃油を石鹸化」は『犯罪行為』だ」と云われたので、 >それ程『悪いこと』であるなら、『明確な事実やデータ』の裏づけがあるだろうと質問したのです。 >(「犯罪行為」と発言したのは 沈黙の初夏さんですが、ふく朗さん、代わって受けてください) >『明快な事実やデータ』も無しに、人の意見や行動を『犯罪行為』と断定する訳はありません。 >しかし、百歩譲って、『明確な事実やデータ』が無くても良しとしましょう(不満ですが)。 > >「家庭廃油の石鹸化・使用」 と 「廃油の焼却処分」+「市販石鹸の購入・使用」 との間にある >*** 「犯罪行為」と決め付けるほどの『決定的な差』を教えていただきたい *** 「犯罪に近いのではないか」 ・・と疑問形で発言したおぼえはあるが、どこに人の意見や行動を「犯罪行為」と「断定」してあるのだろう? こんな瑣末なところにこだわって暑苦しい質問を続けたのなら、 それこそ犯罪行為ではないか?(苦笑) いや、そもそも言ってないことを「断定」という表現ですりかえているのは 犯罪であろう。 いわゆる環境運動家もそうだが、そうやって正確さを欠いた発言で人を煽動することこそ、 糾弾されるべきである。 ・・・ 「犯罪に近いのではないか」と投稿した記事の再読をおすすめする。 文脈で読めば私の主張の重心は別のところにあるはずだ。 それを瑣末なあげあしとりに終始もっていきおって・・・。 どの記事かは当然覚えておるよな。 |
一種の原理主義ですから、その一面は否めないと思います。 ただ、売り言葉に買い言葉の面もあるので、双方リセットして 対話した方が良いと思います。 誤魔化しの数値操作は結構あります。 ダイオキシンの問題点を指摘した、敢闘言なる雑文を書くジャーナリストも 企業に乗せられて、ダイオキシンに害はないなる世迷い言を書きました。 その理由に使った論文のはしょり方に、著しい問題があり信用を彼は落としました。 (彼は、理系ではなく法学系のようですが) 初乳の大切さを考えれば、ダイオキシンが母乳に混入していても全て与えないことは かえって多くの問題があるという、免疫物質の伝達という機能を持つ初乳の大事さを 歪めて安全であるから与えるた方が良いなどと、全体のコンテクストを寸断して行ったのです。 この論文を寸断された科学者は、母乳の機能に深い造詣がある権威の方でした。 PCBの件もカネミ油症の話もダイオキシン類が存在していたことが原因との話も 一部記事で読んだ記憶もあります。ダイオキシン無害論も、実はダイオキシンと 一緒に発生するより希少な物質が原因という可能性すらあり、何を検証したのか不明です。 検証するための前提が破綻している場合、その実験そのものが意味を持ちません。 何か一物質を取り出して、実験して無害であるという主旨の実験はだいたい意味がありません。 複数物質が複数トリガーを引いて数次の「交雑」が「帯化」を起こした事例が「たんぽぽ」であります。 複雑系の世の中でこれまでの科学的検証方法の限界を迎えたのではないでしょうか。 携帯電話をズボンのポケットに入れていると精子の製造に問題がでるとの 英国の研究も出てきています。危険であるとなると膨大なコストと事業の運営が困難に なる類の物事の判断に、必ずねつ造された言説や数値遊びや誤差の範囲といった言説が ついて回ります。タバコの発ガン物質の話も相当ねじ曲げられ、疫学調査を不必要に 意味のない検証と一笑に付しましたが、その論拠は砂上の楼閣で儚いものでした。 今頃、問題ないと蜷局を巻いている科学者はカルトか業界の提灯科学者であるのでしょう。 |
▼蝦夷縞 ふく朗さん: どこやらから、聞こえてきました。 「正確に引用せい!」と、 >「犯罪に近いのではないか」・・と疑問形で発言したおぼえはあるが・・・ とおっしゃる <<正確に引用してみます。>> >> そういう知識もなく「家庭用廃油から石鹸を作ろう、簡単ですよ」 >>> などと言うのは馬鹿をとおりこして、これはもう犯罪に近いと思う。 <<以上が原文>> 『正確に!』とおっしゃるご本人が 犯罪に近いのではないか → 犯罪に近いと思う。 ・・・ と、かなり違う。 『捏造!』とおっしゃるご本人が ・・と疑問形で発言したおぼえはあるが → どう見ても 疑問形じゃない! {{ヒソヒソ : これも捏造では・・・? いえいえ「単なるミステークでしょう」 }} まあ、正確さを欠いた私が悪い、修正いたします。 <<以下が14681の修正部分です>> 「お前の言う「家庭廃油を石鹸化」は『犯罪に近い』」と云われたので、 それ程『悪いこと』であるなら、『明確な事実やデータ』の裏づけがあるだろうと質問したのです。 (「犯罪に近い」と発言したのは 沈黙の初夏さんですが、ふく朗さん、代わって受けてください) 『明快な事実やデータ』も無しに、人の意見や行動を『犯罪に近い』と喝破する訳はありません。 しかし、百歩譲って、『明確な事実やデータ』が無くても良しとしましょう(不満ですが)。 「家庭廃油の石鹸化・使用」と「廃油の焼却処分」+「市販石鹸の購入・使用」との間に *** 「犯罪に近い」というほどの『決定的な差』を教えていただきたい *** ふく朗さんのご見解は? (念のため、私は「家庭廃油石鹸化推進の活動家」でも、そのシンパでもありません) <<以上>> でも、こういう些細な表現の間違いを指摘するくらいなら、 チャッチャと自分で答えればいいのに。 こんな難しい人「わけわからん!」 (←これ、いま若い女性ではやっている言葉遣いだそうな) ふく朗さん どうですか? |
1gのダイオキシンは体重50kgの人を1万人殺す力がある。 今現在では、人類が生産する毒物の種類は、数えられないほどだ。 肉体に貯蓄されてゆく毒物を減少させる手段として、 「リサイクル」や「循環社会」という概念が生じた。 毒物を、世界にたれ流しにしないために。 一枚の葉が落ちて、土壌成分へと分解され、また、一枚の葉となる。 これが、自然の摂理。 日本の社会は、「コエダメ」に無関心になった。 「コエダメ」のように、栄養成分を循環させないことにより、 我々、人類は、自然社会からはずれてしまったのである。 そのような現代人のモノの考え方も、ひどく馬鹿げている。 不健康、不健全な世界の中で、生き残れると思っているのでしょうか。 サプリメントだけで、生き残れると思っているのでしょうか。 >> リサイクルすればいいのだからと、 >> 際限なく使い捨ての商品が生まれてしまったこと。 リサイクル法が生じる前から、 使い捨て商品は、際限なく生じていた。 >> 処理費用はすべて製品に上乗せ 良い考えだと思いますが、 海外から輸入されてくる製品は、どのようになるのでしょうか。 世界的な法律を作らねばなりませんね。 |
サプリメントは大人には一定の効果があるようですが、 幼児には危険なものだという研究成果がどこかで最近発表されていました。(yahoo!) 純度の高い物質は、水でも危険ですので、安全とは何かを 考えることが大事なのではないでしょうか。 たんなる数値でなく。 |
観光振興に名を借りたヨットハーバーなどの箱モノ、 国の予算消化と思わせる漁港の建設で、 砂浜は急速に姿を消している。 「予算は、使い切らねばならない」という考え方は、 今現在も、日本の省庁の中に存在している。 つまり、税金の無駄使い。 |
コンクリを消費することで、利権は回るよ身内には。プールしてキックバック。 てなとこではないでしょうか。 政治行政産業構造改革が必要ですな。 |
▼Rayさん: 環境問題スレッドに書き込まれているのを全て拝見で来ていませんから重複する部分が有ると思いますのでご勘弁頂きます。 人類が自分達に便利に生きようとすればする程、環境は悪く成ると思います。 電気はクリンエネルギーですが発電するのに環境を悪くする物質を出します。 皆さんも書き込まれていますが、港湾、飛行場、鉄道、ビルの建設など一見環境を破壊しないと思われるものでも確実に環境を悪くしています。 最近一番気に成る事は新聞広告で、土日の其の量の多さは皆さんビックリしませんか。あれだけの紙、広告用紙はリサイクルできないらしくゴミ収集では燃えるごみに入れています。たかが紙されど紙です、世界の国々が先進国、特に日本の様な資源の使い方をするとどのくらいで地球が砂漠化されるのでしょうか。 今人類のしていることは何事も(戦争も科学や化学の発達も)自然の摂理から逸脱した事ばかりです。自然の中の環境で消滅した種は致し方有りませんが、人為適に破壊した物や種は戻ってまいりません。 > >この意味に置いて 「犯罪行為」 なのです。 > >現にワン太郎さんも「石油文明論」からは撤退して石鹸まみれではありませんか。 > >環境問題を語る中でムキになる問題でしょうか? >石鹸に限らず、全体を見渡す目を曇らせる「犯罪行為」は跋扈しています。 リサイクルでもリサイクルするのに多少は環境破壊物質を出すと思います。見方によっては今ごろ環境に気が付いても地球に対しては遅過ぎるます。Ray@スタッフ様の書いておられる「犯罪行為」。本当に人類は地球に「犯罪行為」をしていると思います。 |
エルニーニョもどきが原因 今夏の猛暑と豪雨 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040723-00000030-kyodo-soci 予想通り、エルニーニョが原因であった。新潟豪雨。 しかし、福井豪雨とこの2箇所に大量の高温海水域ができたのは偶然ではないのではないか。 福井と新潟。そう原発である。海流の異常と梅雨前線の異常、全般的高温化に 更に、局所的な高温海水塊を形成する要因として、原発の大量の温排水を指摘したい。 異常潮位による高潮が今夏予想されており、海流の影響や気流の影響からなる 天候の変動が、普段あまり影響を見せないその他の拡散要因が今年働かず、 エルニーニョが発生するレベルの海水温まで上昇させたのではないだろうか。 (海流や気流、気圧配置に大きな影響を与えているのは、中部太平洋の温海水塊。 新潟豪雨のころの局地風は、北西からの風が新潟に注ぎ込むように流れていた。 その途中の日本海の海水面での蒸発量はどうだったのだろう。ここの水温データは? 温度差のある風が上空で水蒸気を積乱雲に変え、執拗に雲を注ぎ込む。ゴーズ画像) 赤潮などの発生も、一部の微量な重金属が引き金となって、条件の整った海域で 発生するという話もきく。微量だから無視できるという発想は、本当に妥当であるのだろうか? 生物や大きな意味での生命体である地球の生態系に、取るにたらない量の物質が 影響を与えている場合も多くあるのではないか? そういえば、バミューダ海域の植物プランクトン群が、紫外線を嫌って夏場に、 雲を生成しやすくする成分を放出しているという研究結果がどこかの記事に載っていた。 それにより、雲で紫外線を反射するためらしい。バタフライ効果という話もあるなぁ。 |
なかなかけたたましくかったが、自分の中ではある程度まとまりが付いた。 ●廃油石鹸作り おそらく、リン化合物を添加した合成洗剤が水の富栄養化→水質汚染をもたらしたことに対する運動の一環としてあったのだと思う。そのころには洗濯用石鹸はほとんどなくなっていたのではないだろうか。したがって自分で作ってでもリン入り合成洗剤は使わないよう訴えるためのパフォーマンスとしての意義が大きかったと思う。リンを抜くよう働きかける活動もしっかり行われていたはずだ。 この運動は、合成洗剤が無リン化すること・洗濯用の粉石鹸が市販されるようになったこと、によって「終結」したと見るべきだ。 終結した闘いに力を注ぐのは無駄以外の何物でもない。かえって他の環境問題への力をそぐはたらきしかしない。 合成洗剤か石鹸か、はもう一つ別な課題としてあるが、市販品として良質のものが手にはいるようになった現在、廃油石鹸作りは意義を失った。現実に運動として大規模には行われていない。しかし概念としては目的を持たぬ抜け殻としてしぶとく残り、環境問題を考える際に「混ぜっ返す」最適の材料として利用される。 ●リサイクル この運動も終結している。石鹸作りよりもずっと悪辣な状況を残して。 大量消費・使い捨てに対抗する考え方として始まったが、 結果は使い捨て商品のいっそうの増加。 リサイクル業の壊滅。 税金の負担。 ゴミ処理場・埋め立て処分場の限界。 そして税金以外にも処理費用の負担・ゴミ有料化。 リサイクルも民衆の運動としては終焉しているかも知れない。 むしろ役所の運動と化している。 出現したのは「隣組」を思わせる風景。 これを民衆の運動と誤解してはいけない。 これからはゴミ処理を企業に任せる方向へ向かうべきだろう。 焼却を主流とするなら、毒物を出さない、安全に燃やせる包装を義務化させるべきだろう。 運動が新たな方向へ向かわないように「公的リサイクル運動」がある。 石鹸以上の劣悪な結果を残して、「リサイクル運動」は今日も行く。 |