Page 1180 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼人と道具の関係:携帯電話症候群 流水 04/7/30(金) 10:11 ┣Re(1):人と道具と機械の関係 歴史に学ぶ 04/8/2(月) 15:02 ┃ ┗Re(2):人と道具と機械の関係 流水 04/8/2(月) 15:51 ┗Re(1):人と道具の関係:携帯電話症候群 珍 源斎 04/8/2(月) 17:43 ┗Re(2):人と道具の関係:自動化により人間の主体性が失われる! 珍 源齊 04/8/6(金) 15:09 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 人と道具の関係:携帯電話症候群 ■名前 : 流水 ■日付 : 04/7/30(金) 10:11 -------------------------------------------------------------------------
老人党参加者の多くの方には、関係ないかもしれないが、現在若者たち、サラリーマンの多くに携帯電話症候群とでも呼ぶべき様々な症状が出ているそうである。 1、『バリ3』症候群 これは、若者たちに多く見られる症状で、【インジケーターが3本立っていないと、社会から疎外され手いるように感じてしまう精神状態。】をいうそうである。 具体的には、 ★お店では必ず窓際に座る。 ★道の真ん中を歩く。(電波が届きやすいと噂される) ★電波圏外の地下街には立ち寄らない。 というような行動に現れるといいます。 わたしには、全く了解不可能なのですが、どうも携帯電話だけで人とつながっている精神状態の現れだとされています。 2、『携帯電話不安症』症状 1、いつも誰かに追われているような気がしてストレスを感じる。 2、携帯電話の電源をオフにする勇気がない。 3、呼び出し音がする度にドキッっとする。(心拍数の上昇) 4、冷や汗が出る。 5、呼吸が苦しくなる。(過呼吸症候群) 6、動悸・息切れがする。 7、お腹が痛くなる。(過敏性腸症候群) これはサラリーマンに多く見られる症状で、携帯電話が管理社会の便利なツールとして使われおり、管理されることに対する人間の自然な反応が現れていると思う。 一昔前、営業マンは、一度外に出れば、かなりの行動の自由があったが、最初はポケベル今度は携帯電話と徐々【自由の領域】が狭められているのが分かる。 これは、会社などの机の配置を少し考えても分かる。 上司の机が部下たちの方を向いているのは、今も昔もそんなに変わらない。問題は部下たちの机の向きである。 上司に正対して机を配置するか、部署ごとに、部下同士が顔を向き合うように配置して、上司とは正対しないようにするかで、部下たちの【管理されている意識】は 相当違う。 現代社会のストレスは、様々なところで感じるが、この【管理されている意識】が最も大きいものであることは間違いない。 携帯電話の普及は、この【管理されている意識】が会社外まで及ぶことを意味している。【携帯電話不安症】は端的にそのことを示していると思う。 現代社会の【管理】は、人間の本質的な【自由意識】を容赦なく侵略し、これが過去にはあまり考えられなかった精神的不安の要因になっていると考えられる。 道具と人間という関係のあり方をもう一度根底的に考えなければならない時代になったと思う。 |
流水様 人と道具,とりわけ携帯電話との関係についての考察, 興味深く読ませていただきました。 まとまりはありませんが,以下,私の考えたことです。 作家の浅田次郎氏がこんなことを書いていました。 私は手先が器用だから道具はうまく使いこなせるが, 機械は苦手である。道具と機械とを分けるのは, 説明書の有無である。説明書なしでコツをつかんで 使いこなすのが道具,説明書がついてくるのが機械である。 なるほど,うまく言うなぁと感心したのですが, こんな風にも言えるかもしれません。 道具は人間の能力を衰えさせないが,機械は人間に備わった なにがしかの能力を衰えさせる。 炊飯器なしでは御飯が炊けない,洗濯機がないと洗濯ができない。 私(39歳)よりも若い人は,本当はそんなことはないのに, そう信じこんでいるでしょう。 では,携帯電話はどうか。 人と人との関係を信じる能力を衰えさせると思います。 私と同世代の子育て中の女性は,外で働いているかどうかを問わず, 携帯電話を持っている人が多いです。 私は必要ないから持っていないのですが,持っていないと, 番号の交換やメールアドレスの交換が為される場面で 確かに疎外感を感じさせられます。 携帯電話の番号を私に教えてくれない人もいます。 【皆が持ってる圧力】(?)というようなものを感じます。 それでも,怪我や急病での入院,突然の発熱などで 保育園に子供を迎えに行けないなど,私が実際に困った場合に, なんとか連絡もとれるし,母親仲間で助けてくれる人がちゃんといるのですね。 子供の学校でちょっとした事件が起きたときも, 近所の人が直接家に来て連絡してくれたりして頼りになりました。 阪神大震災のときでも言われたことですが, 結局は人と人との顔を見ての関係が一番確かなのです。 携帯電話でつながっているなどと,確認するまでもなく, しっかりした人間関係が結べていれば,それで良いのです。 そういう関係を時間をかけて積み重ねていかず, 手短にさっさと番号交換で安心を手に入れようとし, それでも不安だから,ますます携帯電話依存症になり, という悪循環に陥っているのですね。 「人を信じて待つ」能力を衰えさせているのだと思います。 【皆が持ってる圧力】(?)というのは,こんなことかもしれません。 最近,3歳上の兄が私に言った言葉です。 私「うちには携帯電話,ファックス,ホームビデオ, デジカメ,コードレスホンのどれもないよ。 別に必要ないから」 兄「お前が欲しいかどうかじゃなくて, 世間の人の大半が持ってるものは, 買うようにしろ。それが景気回復を呼ぶんだ」 皆が持っているというのが,購買の理由になるということを, あまりにストレートに言われたので驚きましたが, 高度経済成長以来,現在まで, 三種の神器だ,3Cだ,デジタル三種の神器だと, 日本人はずっとそれで物を買ってきたのです。 オイルショックなど,こういう消費生活に水をさすような こともあったのに,しばらくすると元に戻るという 繰り返しですね。 何が言いたいのかよくわからない,とりとめのない文章で すみません。 |
▼歴史に学ぶさん レスありがとうございます。 >●作家の浅田次郎氏がこんなことを書いていました。 > 私は手先が器用だから道具はうまく使いこなせるが, > 機械は苦手である。道具と機械とを分けるのは, > 説明書の有無である。説明書なしでコツをつかんで > 使いこなすのが道具,説明書がついてくるのが機械である。 > >なるほど,うまく言うなぁと感心したのですが, >こんな風にも言えるかもしれません。 > >道具は人間の能力を衰えさせないが,機械は人間に備わった >なにがしかの能力を衰えさせる。 /////////////////////////////////////////////////////////////////// 大学時代に、道具と人間の歴史について学んだことがあります。 浅田氏の指摘、その通りだと思います。 わたしは、元教師ですので、子供たちの身体に現れた人間としての『退化現象』が非常に気になっていました。 まず、『転び方』が大変下手になりました。子供はヨチヨチ歩きをし始めたときから、よく転びます。転ぶことによって、『転び方』を体で覚えていきます。ところが、もう30年以上前ぐらいから、前に転んだとき手で支えることができない子供が増えてきました。転んだとき、あご・口をもろにうつのです。 高度成長経済期ぐらいから、子供が外で遊ぶことが少なくなった影響だと思います。 教育現場にいると、経済の拡大・便利さの拡大とともに、子供たちの人間としての能力の衰退が顕著になっていったと思えるのです。(明確なデータはありません) わたしの子供時代、日本には青洟を二本たらした、見るからに『いたずら坊主』がいました。しかし、現在は、青洟をたらした子供自体がいなくなりました。 わたしたちの子供時代、女の子もどこからどう見てもお世辞にも美人といえない子供がかなりいました。ところが、現在の女の子はわたしたちの子供時代のような女の子はほとんど見かけなくなりました。みな、そこそこ可愛いのです。 これも豊かさとか格好よさとか可愛いとかという目に見えない社会の基準に無意識のうちに合わせていることが、子供たちの姿形すら変えていったのだと思います。 (もちろん、保健知識・食事・生活形態の変化などが背景にあります) 子供たちの変化を見ていると、人間というものは、『環境の生物』だとつくづく感じさせられます。 道具とか機械とかいうものは、その中の一部ですが、大きくいえば『環境と子供』という視点が、これからの日本を考えていくときに最も必要だと考えています。 |
流水さん&このスレッドの皆さんこんにちわ! 人と道具の関係では人は主体的な存在で「もっぱら」道具は 人間にとって道具は使用する・利用する・単純な関係ですが・・・、 機械となると、その辺りは複雑になり、機械が人間を使用する?ような 形さえ現出します・・。 実際に携帯電話の場合では、流水さんのご指摘のように携帯電話が あたかも人間を支配するか・本来の人間の生活圏の中へ奥深く侵入して るような感じさえ、受けてます・・。人と人との語らいの領域さえ侵しかねない・か、既に侵してる状態にあるようにも思えます・・。 喫茶店を経営してる知人の話では「彼と彼女」とおぼしき二人連れが テーブルに着くや否や携帯電話を取り出してボタン操作をしてるとのこと 面対でお互いのメールでのやり取りなら、それはそれで遊びとも思われますが・・ お互いに関係の無い処との交信の様子、目前の彼と彼女はお互いに無視の状態・ 「これには現実と仮想」の領域が無意識状態の中で区別がつかなくなるのでは ないか?人間同のが生の会話、語らいがもつ大切なことが「ないがしろ」に なってる事は決して好ましい事とは思われません・。 短絡思考・云々による社会現象もこの辺りが原因のようにも思われます・・。 携帯電話・症候群に付け加えるならば、「人、其処にありて:其処に在らず」 と云ったこともあるのではないかと・・思います・・。 |
携帯電話の病理的な症候群に鑑みて諸々観察しますと 見えてくるものがあります・・・。 これは道具は人間が主体性を持って使うもの、人間の手足機能の延長線上に あるが・・、機械・それも自動化されたものになると・・・、 機械が逆に人間を使う事にさえなりかねない状態も明らかになります。 高度に自動化されたものは人間の判断力や理性さえ不要になる感さえあります。 それらに「かまけてる」と人間本来の知能「想像力も含めて」さえ衰弱さえ 免れないような危機感!に襲われます・・・。 ワープロにしてもペンや筆をもって文章を書く事に較べても・・、 書くことの安易さから・やたらと文章が長くなり内容の纏まりさえ 一昔前の方々が自筆をもって書かれたものから見ると「正直・見劣る」と 感じます・・。特に読む人への配慮を欠いた長たらしい文章を見るのは つらいと多くの知人と共に感じてます・・。 そう申しながらも長文になりました・・。後許容の程! |