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 ▼きょうはくだけて  僭称二代目人生幸朗 04/8/14(土) 16:25

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 ■題名 : きょうはくだけて
 ■名前 : 僭称二代目人生幸朗
 ■日付 : 04/8/14(土) 16:25
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   いつも難しい話ばかりなので、小生の筆名に恥じない馬鹿話を送ります。
反論・賛成おおいに結構です。ばかばかしければどうぞ無視してください。
きな臭いこと、おぞましいことばかり続く現代、たまには息抜きにこんなネタもいかが。
管理者もお許しくださるでしょう。


私がさだまさしを嫌う理由

 芸名のひらがな表記が気に入らない。およそひらがな表記をする芸能人のみかけの主張の一つは、「やさしさ」である。万人にわかりやすく親しみやすい名前に「しているのだ。自分は庶民の味方なのだ」と表明しているわけである。それがまやかしであることは、長者番付における彼らの位置を見ればすぐにわかる。

 「関白宣言」なる代表歌でデビュー(?)し、シンガーソングライターとしての地位を固めたわけだが、世がこぞって口先だけ男女平等を言い、内心男達の大半は、従順な妻を求めていることを見抜いての歌詞だったから、ヒットしたのだ。女権拡張論に与するはずの若い女性達に、その彼が人気があったのはなぜなのか、私にはいまもってわからない。

 彼は、ある番組で永六輔を褒めた。「女一人」とかいう例の「京都大原三千院」ではじまるステロタイプな歌詞についてであった。いわく、永六輔は本当の詩人だ。この歌のどのフレーズも差し替えがきかない云々。あほうか。根岸の里のわび住まいよろしく、1番も2番も3番も、どうとでも入れ替えのきく歌詞だからこそ、大衆が気安く口ずさんだのではないか。

 この、さだが言った、一語一語がその場所を得て一言の変更もきかないというのは、手あかがつくくらいの、名詩への褒め言葉である。そんなに気安く使ってもらっては困る。つまり、さだのセンスはこの程度の大衆向きにできているわけである。もしくはそれを気取ってみせているわけである。大衆向きにできているセンスなら、いい格好をせず、故村田英雄なみに「皆の衆」と歌っていればよいではないか。

 その永六輔が、詩人かどうかの吟味も必要だ。これも彼の代表作「こんにちは赤ちゃん」を俎上にのせればたちまち明らかになる。あの曲が発表され評判になったとき、すでに誰かが批評していた。あれは母親の歌ではなく、父親の歌だと。自分のおなかを痛めて産んだ赤ん坊の顔をしみじみとながめて、生みの母親が、あらためて「私がママよ」と言うわけがない、というのである。納得しましたねえ、その解説を聞いて。

 眠狂四郎の生みの親、故柴田錬三郎がなにかのおり、傲然とこう言っていたのを読んだことがある。オレは大才子だが永六は小才子だと。永六程度を蔑みする柴錬も大人げないが、そう言われて仕方ないなあと当時も思った。永六輔の尺貫法反対、市民運動的発言は支持するが、さだまさしが持ち上げるほどの詩人では決してない。人が他者を褒めるとき、その裏には、それだけの鑑識眼が自分にはあるのだと、暗に自慢しているわけだから、さだは大詩人永六輔を認めることをもって、自らも大詩人の仲間入りをしているつもりだったのろう。

 「おやじの一番長い日」とかいう歌がある。そのなかに娘と結婚させてくださいと言ってきた男に、「親父」が、承諾はするが、「お前をなぐらせろ」とかなんとかいう部分があったかと思う。三十才になるかならぬかの、さだがそういう詞をつくったことに、そのときも腹立ちを覚えた。経験もない話を、類型的知識のみで「利いた風なことを言うんじゃねえよ」と。

 そのさだまさしのどの曲かを、タクシーかどこかの中で初めて聴いた故辻邦生が、かれは天才だとのたもうたことがある。「えっ」と、そのときは思ったが、いま、つらつら考えてみるに、辻邦生は常に若い女性に人気のある作家だった。作品も女性の内面から見た世界を描いたものが多く、だれだったか女流作家に、ここまで女の心理を描かれたかと、強い衝撃を受けた云々の評言のあったこと覚えている。

 作家も詩人も作詞家も万能ではない。どんな「えらい」人にも凡人が耳を疑うようなつまらぬところがあったりする。辻邦生のさだまさし賛辞もその例の一つかと思うが、案外、辻邦生はミーハー的女性のセンスを身につけていたためかも知れない。

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