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 ▼政教分離の原則について  pcog_ngo 04/2/22(日) 13:21

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 ■題名 : 政教分離の原則について
 ■名前 : pcog_ngo <matuoka_@mvi.biglobe.ne.jp>
 ■日付 : 04/2/22(日) 13:21
 ■Web : http://www2u.biglobe.ne.jp/~matuoka/
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   「総理・閣僚の靖国神社への公式参拝、並びに玉串料等の名目での公金の支出は、政教分離の原則に反しており違憲であると言うこと。」その理由について、以下のとおり詳述する事にする。

政教分離の原則(憲法20条・89条)は近代憲法が打ち立てた重要な原則の一つであり、国家の根幹に係わる重大事項であるので、政教分離の原則について、歴史的な背景をも含めて論述する事にする。政教分離の原則とは、要するに、宗教の問題は、国家的事項ではなく、個人の私事であり、政治的次元を超える人間の魂の救済の問題であるから、これを世俗的権力である国家(地方公共団体を含む)の関心外の事項とする、ということである。

憲法で信教の自由を保障しているのは、近代各国における憲法の特徴である。歴史的に見てもヨーロッパにおける信教の自由は、精神的自由権の先駆的且つ中枢的役割をなしたものであり、信教の自由を獲得した事が、やがて思想、良心、及び表現等の自由権の確立に繋がったものである。日本は、ヨーロッパの諸国民がかって教会及びこれと結合する国家権力の圧力に対立抗争し、数世紀にわたる宗教的自由獲得のため、自らの血を流して自由権を闘い取ったような経験を持たないので、日本国民は信教の自由に対する尊厳不可侵の認識が未だに希薄である嫌いがある。

信教の自由を憲法で保障する為の態様は国によって異なる。
1.国教制度を建前として、国教以外の宗教について広汎な宗教的寛容を認め、実質的に宗教の自由を保障するもの。(英国・スペイン等)
2.国家と教会とは各々その固有の領域において独立である事を認め、教会は公法人として憲法上の地位を与えられ、その固有の領域については独自に処理し、競合事項については、和親条約(コンコルダート)を締結し、これに基づいて処理ずべきものとする。(イタリア・ドイツ等)
3.国家と教会ないし宗教を完全に分離し、相互に干渉しないことを主義とするもの。(フランス・米国)
日本の政教分離は、上記3の米国型をより完璧化した政教分離の形式を採用したものであり、最も進歩的なものと言える。

よって、西欧キリスト教国においては、国家的な行事がキリスト教の司祭によって執り行なわれているし、米国では、大統領就任に際し聖書を用いて宣誓する儀式等が慣行として行なわれているからといって、歴史的な背景及び宗教事情を異にする日本では、神道による儀式行事を公的に執行してはいけない。

さて、明治新政府は明治憲法の基本理念とされた天皇崇拝の精神的基盤を固めるために、天皇を神格化(現人神・あらひとがみ・living god)することを考えた。即ち、江戸後期の国学者、平田篤胤(1776〜1843)が創設した、儒仏2教を排斥し国学を極端な国粋主義にまで発展させた「平田神道」を日本国民の思想の根幹に置くべきであると考えた。そして、天皇の神格の根拠としての神道(神社)に対して、国教的性格を与えることが必要であると考え、「平田神道」を土台として、国家神道を成立せしめた。つまり神道(神社)国教制が確立されるに至った。明治新政府は、祭政一致(政教一致)を布告し、特権として神社には公法人の地位を、神職には官公吏の地位を与えた。そして、国家神道の体制を固め、仏教その他の宗教は神道の下に従属することとなった。

終戦に至るまで、神社は国教的地位を保持し、その間に制定された、治安維持法、宗教団体法、警察犯処罰令のもとで、大本教・創価教育学会(現在の創価学会)・日本キリスト教団・ひとのみち教団(現在のPL教団)・法華教等多くの教団は、国家神道の体制に反するとして徹底的に弾圧され、志を枉げない高潔な教祖の中には獄死する者が続出した。その結果、戦前・戦中に於いては、戦後の日本国民には到底理解出来ない位の、物凄い言論統制、思想統制が行なわれる結果を招来した。政党も1940(昭和15)年には大政翼賛会(総裁は総理大臣)として統合され、議会政治は事実上その機能を喪失した。日本共産党は特高警察により、地下活動さえ出来ない壊滅状態にまで弾圧された。

如かして、神権天皇主義を国体の根本義とし、富国強兵策と神道(神社)国教制を車の両輪としての義務教育を徹底して実施した結果、薬が効き過ぎて、太平洋戦争開始前には、澎湃として興った国家主義・軍国主義・ファシズムは、政府・軍部をはじめとして、何人たりとも押さえる事ができないエネルギーに迄高まってしまった。マスコミも挙って、鬼畜米英撃ちてし止まんと書き立てて戦意高揚に協力させられた。当時の日本で戦争反対を唱える事は、とりも直さず、一家眷族が抹殺される事を意味した。

教育による洗脳・マインドコントロールの怖さを思い起こすと共に、人間が如何に心理的に弱い面を持っているかの証左とも見る事が出来る。そして遂には、神国日本・神州不滅のかけ声のもとに、現人神(あらひとがみ・living god)である天皇を頂点に戴く選民である日本民族は、他の民族に優越した民族であり、地球(世界)を支配すべき使命を持つという、八紘一宇(はっこういちう)を夢見る狂信的な神国主義が日本を戦争に駆り立て、近隣諸国に大いなる迷惑をかける結果を招来した。

この狂信的な神国主義が日本を支配するのに、神道(神社)国教制が大きく寄与したと言う歴史的な事実に鑑みて、信教の自由の保障については格別の配慮が必要とされるのは当然のことである。如かして、信教の自由の保障を完全なものにするためには、国家と宗教とを絶縁させる必要がある。国家が全ての宗教に対して中立的立場に立ち、宗教を全くの「わたくしごと」にする必要がある。これが、国家の非宗教性または政教分離と呼ばれる原理である。

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