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 ▼明日は、何の日、 ふっふーん  僭称二代目人生幸朗 04/8/14(土) 18:19
   ┣Re(1):明日は、何の日、 ふっふーん  蟷螂の斧 04/8/14(土) 20:54
   ┃  ┗Re(2):明日は、何の日、 ふっふーん  僭称二代目人生幸朗 04/8/14(土) 22:01
   ┃     ┗Re(3):明日は、何の日、 ふっふーん  蟷螂の斧 04/8/14(土) 22:16
   ┃        ┗Re(4):明日は、何の日、 ふっふーん  僭称二代目人生幸朗 04/8/15(日) 11:21
   ┃           ┗Re(5):明日は、何の日、 ふっふーん  蟷螂の斧 04/8/21(土) 16:29
   ┗Re(1):明日は、何の日、 ふっふーん  こきみ 04/8/15(日) 0:08

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 ■題名 : 明日は、何の日、 ふっふーん
 ■名前 : 僭称二代目人生幸朗
 ■日付 : 04/8/14(土) 18:19
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    くだけついでにもう一つ。(ただし、これは最後まで読んでください)

 太平洋戦争・日中十五年戦争(皇室用語では「先の大戦」)中、戦時歌謡というべきものも作ら(さ)れました。その中で、今聴いてもじつに巧妙に作詞したものだと思われる作品があります。

 「九段の母」

 煩わしいかも知れませんが念のため全部引用します。ただし、文字遣いが初出と違っているかも知れません。

  上野駅から 九段まで
  かつてしらない じれつたさ
  杖をたよりに 一日ががり
  せがれきたぞや 会いにきた

  空をつくよな 大鳥居
  こんな立派な おやしろに
  神とまつられ もつたいなさよ
  母は泣けます うれしさに

  両手あわせて ひざまづき
  おがむはずみの おねんぶつ
  はつと気づいて うろたえました
  せがれゆるせよ 田舎もの

  鳶が鷹の子 うんだよで
  いまじや果報が 身にあまる
  金鵄勲章が みせたいばかり
  逢いに来たぞや 九段坂

 うかつに聞いていれば、戦死したものの、その息子が金鵄勲章の栄誉にあずかり、あまつさえ神としてまつられたうれしさを、息子を失った悲しみを抑えて歌っている健気な母の思いだと解釈できます。その観点から、この詞は検閲にひっかからなかったのでしょう。作詞家は戦後、戦争協力者と見なされたかも知れません。

 が、ちょっと意地悪な読み方をしますと、こんなふうにもとれる歌なのです。

 話は、おそらく東北の寒村の一老婆が、戦死した息子の「英霊」にあうため、金鵄勲章を携えてはるばると靖国神社までやってきた、という設定でしょう。

 老体に鞭打って、はるばる東京にまで彼女を赴かせたものは、息子に会いたい思いだけではなく、お国から戴いたありがたい勲章の手前、隣組の面々に指弾されまいための気遣いだったろうとも思われます。

 「せがれ」は「神」としてまつられ、自分の息子ではなくなっているはずです。「うれしさに泣く」のは、表向きは不肖の息子を神様にしていただいたありがたさに対してですが、もう一つは、働き手を失い、かわいい息子を亡くしてしまった悲しみを新たにしたからにちがいありますまい。それが証拠に「母は泣けます」と、彼女は神にではなく人間の子供に対して自分を位置づけています。神であろうが何であろうが自分の息子に変わりがあるものですか。

 「両手合わせ」ることも「おがむはずみの お念仏」も、明らかに仏教的習慣に従ったものです。つまりこの母は、死んだ息子を佛として礼拝しているわけです。しかも、見逃してならないことは、「はっと気づいて、うろたえ」た心理でしょう。

 うろたえたのは、ここが「神を斎きまゐらす」べき場所であることに気づいたばかりではありません。そんな自分の姿と念仏とを、周りの誰かに気づかれはしなかったかと、人聞きを憚る思いから生まれた狼狽に違いありません。誰かの叱責をうけるのでは無いかと恐れたためです。ここにも目に見えない「世論」が監視をしています。

 そうして、ここでも、老婆は「神」であるはずの自分の子供に「せがれゆるせ」と呼びかけています。

 「鳶が鷹の子 うんだよで いまじや果報が 身にあまる」にも注意しましょう。「いまじゃ果報が身に余る」のですから、それまでは、嘆きと恨みとに泣き暮らしたことが暗示されています。だれだって自分の息子が殺されてうれしいものか。

 と、まあこんなふうに読むこともできるのではないかと思った次第。ちょっとばかり作者贔屓にすぎましたかな。

 ところで、こんな歌を歌わずにすみたいものだと、我々はもう一度、五十九年前を明確に思い出しましょう。自分自身の原体験のなかに、降ってくる焼夷弾の炎がなくても、「戦争の惨禍」がどのようなものだったかは、普通の想像力をもったものなら間接・直接に「思い出す」ことが可能なはずですから。

 明日は八月十五日。タモリの誕生日だ、なんぞと能天気なことを言っていてはなりませんぞ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):明日は、何の日、 ふっふーん  ■名前 : 蟷螂の斧  ■日付 : 04/8/14(土) 20:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼僭称二代目人生幸朗さん:

こんばんは。

> ところで、こんな歌を歌わずにすみたいものだと、我々はもう一度、五十九年前を明確に思い出しましょう。自分自身の原体験のなかに、降ってくる焼夷弾の炎がなくても、「戦争の惨禍」がどのようなものだったかは、普通の想像力をもったものなら間接・直接に「思い出す」ことが可能なはずですから。
>
> 明日は八月十五日。タモリの誕生日だ、なんぞと能天気なことを言っていてはなりませんぞ。

「戦争の惨禍」「母の悲哀」「肉親の悲哀」・・・経験者の語る言葉以外に歴史上の書物、記録・・・その気になって観れば身近に満ち溢れていると思います。

要は「大砲を撃つ側に立つか」、「大砲の弾の落ちる側に身を置く想像力があるか」の違いかと、いつも考えております。

またまた余分な一言を申し上げました。失礼。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):明日は、何の日、 ふっふーん  ■名前 : 僭称二代目人生幸朗  ■日付 : 04/8/14(土) 22:01  -------------------------------------------------------------------------
   ふざけたタイトルを嫌忌されず、最後まで読んでくださってありがとうございます。

おおせの通り、その気になればいくらでも資料はありますね。

ただ、同じ事を繰り返すようですが、多数の日本人が、心底「戦争はイヤだ」と、思わない限り、再び同じ愚を繰り返すおそれは十分にあると思います。他の投稿士の筆名を無断借用して、「蟷螂の斧・ゴマメの歯ぎしり」であっても、しつこく訴え続けるしかありませんね。

いいわけ:ふざけたタイトルは、主婦の無知につけ込んでいる例の番組をおちょくり、戦時歌謡の深読みは、良心的庶民は、たとえどんな状況に置かれても、つねにあらゆる方法で息を潜め、嵐の過ぎ去るのを待つ知恵があるのだと言いたかったのです。ただ、そんな時代には絶対逆戻りしたくはありませんが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):明日は、何の日、 ふっふーん  ■名前 : 蟷螂の斧  ■日付 : 04/8/14(土) 22:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼僭称二代目人生幸朗さん:

こんばんは。

少し、意が分からない点がありますので、確認させて下さい。

>他の投稿士の筆名を「無断借用」して、「蟷螂の斧・ゴマメの歯ぎしり」であっても、しつこく訴え続けるしかありませんね。

これは如何なる意でしょうか。「蟷螂の斧」本人としてお伺いいたします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):明日は、何の日、 ふっふーん  ■名前 : 僭称二代目人生幸朗  ■日付 : 04/8/15(日) 11:21  -------------------------------------------------------------------------
   他意はありません。

私同様、と申しては失礼かも知れませんが、みなさんが「大きな力を持たないものたちが、それでも、こういった書き込みを通じて、意見を言い、なにがしかの影響を与えられるのではないか」と、お考えになっているであろうと忖度し、仲間として、親しみを込め、ハンドルネームに用いておられる「蟷螂の斧」「ゴマメの歯ぎしり」という成語・慣用句を、そのまま私のメールの一部にに応用させていただいた次第です。

このことをあらかじめお断りせず、勝手に仲間扱いをして、気安くお名前を使用してしまったことは、私の軽率でした。お詫びします。

なお、私の「僭称二代目人生幸朗」もまた、ご存じかと思いますが、亡くなった大阪の、「ぼやき漫才」人生幸朗師を勝手に使わせて貰っています。師が、おはこの「責任者出てこい!」で、激昂してみせると、相方が「出て来やはったら、どないするねん?」とつっこみます。すると師は、あつさり「謝ったらええやないか」と、落としてしまうところで笑いを取ります。これも含めて、このハンドルネームを使っているわけです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):明日は、何の日、 ふっふーん  ■名前 : 蟷螂の斧  ■日付 : 04/8/21(土) 16:29  -------------------------------------------------------------------------
   ▼僭称二代目人生幸朗さん:

誠に遅くなりました。

「ぼやき漫才」の師匠とは、当然承知しておりました。
ただ、一応本掲示板では、「HN」が「人格」である以上、それ相応のマナーはあるかと思い申し上げました。了解はしております。

すみませんでした。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):明日は、何の日、 ふっふーん  ■名前 : こきみ  ■日付 : 04/8/15(日) 0:08  -------------------------------------------------------------------------
   すみません、横レス失礼します。
タモリさんの誕生日は8/20ですよー!

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