Page 1337 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼靖国神社を考える・2 Ray 04/8/25(水) 21:07 ┣「【18495】靖国を考える 2 敦煌の倅」を転載します Ray 04/8/25(水) 21:50 ┃ ┗Re(1):「【18495】靖国を考える 2 敦煌の倅」を転載します ウミサチヒコ 04/8/25(水) 22:26 ┃ ┗Re(2):「【18495】靖国を考える 2 敦煌の倅」を転載します 敦煌の倅 04/8/25(水) 23:14 ┃ ┣Re(3) 九段の母 行雲 04/8/25(水) 23:43 ┃ ┃ ┗Re(1):Re(3) 九段の母 敦煌の倅 04/8/25(水) 23:57 ┃ ┃ ┗Re(2):Re(3) 九段の母 行雲 04/8/25(水) 23:59 ┃ ┃ ┣Re(3):Re(3) 九段の母 敦煌の倅 04/8/26(木) 0:09 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):Re(3) 九段の母 行雲 04/8/26(木) 0:17 ┃ ┃ ┗Re(3):Re(3) 九段の母 行雲 04/8/26(木) 0:11 ┃ ┃ ┗Re(4):Re(3) 九段の母 敦煌の倅 04/8/26(木) 0:19 ┃ ┃ ┣Re(5):Re(3) 九段の母 行雲 04/8/26(木) 0:26 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):Re(3) 九段の母 敦煌の倅 04/8/26(木) 0:30 ┃ ┃ ┗補足 敦煌の倅 04/8/26(木) 0:29 ┃ ┃ ┗Re(1):補足 行雲 04/8/26(木) 11:54 ┃ ┃ ┣Re(2):補足 Ina 04/8/26(木) 22:36 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):補足 ウミサチヒコ 04/8/26(木) 22:49 ┃ ┃ ┣Re(2):補足 Ina 04/8/26(木) 22:52 ┃ ┃ ┃ ┣Re(3):補足 飛龍 04/8/26(木) 23:58 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):補足 Ina 04/8/27(金) 20:19 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):補足 ウミサチヒコ 04/8/27(金) 21:04 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):補足 行雲 04/8/27(金) 0:05 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):補足 Ina 04/8/27(金) 20:35 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):補足 行雲 04/8/27(金) 23:20 ┃ ┃ ┃ ┣Re(6):補足 松 04/8/28(土) 1:10 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(7):補足 飛龍 04/8/28(土) 12:18 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):補足 松 04/8/28(土) 13:58 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(7):補足 MNG 04/8/28(土) 14:56 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(8):補足 松 04/8/28(土) 15:30 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):補足 MNG 04/8/28(土) 17:51 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(10):補足 松 04/8/28(土) 18:47 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(11):補足 MNG 04/8/28(土) 23:46 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):補足 松 04/8/29(日) 0:20 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(13):補足 松 04/8/29(日) 0:23 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):補足 MNG 04/8/29(日) 0:32 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(14):補足 松 04/8/29(日) 0:42 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(15):補足 MNG 04/8/29(日) 0:54 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(16):補足 松 04/8/29(日) 1:01 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):補足 MNG 04/8/29(日) 0:20 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):補足 松 04/8/29(日) 0:30 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):補足 MNG 04/8/29(日) 0:41 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(14):補足 松 04/8/29(日) 0:46 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(15):補足 MNG 04/8/29(日) 1:07 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(16):補足 松 04/8/29(日) 1:15 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(17):補足 hitomi 04/8/29(日) 4:58 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):補足 敦煌の倅 04/8/28(土) 21:23 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(11):補足 MNG 04/8/28(土) 23:52 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):補足 敦煌の倅 04/8/29(日) 13:31 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):補足 飛龍 04/8/28(土) 23:56 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):補足 松 04/8/29(日) 0:37 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):補足 つるみ 04/9/3(金) 6:48 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):補足 MNG 04/9/3(金) 12:18 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):補足 行雲 04/8/28(土) 18:48 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):補足 松 04/8/28(土) 19:46 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):補足 敦煌 04/8/28(土) 21:12 ┃ ┃ ┃ ┣Re(7):補足 敦煌の倅 04/8/28(土) 21:15 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):補足 行雲 04/8/28(土) 22:22 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):補足 敦煌の倅 04/8/28(土) 22:53 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):補足 飛龍 04/8/28(土) 23:07 ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):補足 敦煌の倅 04/8/29(日) 1:10 ┃ ┃ ┃ ┗補足 敦煌の倅 04/8/29(日) 11:48 ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):補足 ウミサチヒコ 04/8/29(日) 12:15 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):補足 行雲 04/8/29(日) 20:58 ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):補足 ウミサチヒコ 04/8/29(日) 21:30 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):補足 敦煌の倅 04/8/29(日) 22:05 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):補足 ウミサチヒコ 04/8/29(日) 22:20 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):補足 飛龍 04/8/29(日) 23:12 ┃ ┃ ┃ ┣Re(5):補足 ウミサチヒコ 04/8/29(日) 23:59 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):補足 行雲 04/8/30(月) 0:13 ┃ ┃ ┃ ┣Re(6):補足 敦煌 04/8/30(月) 0:35 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):補足 行雲 04/8/30(月) 0:53 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):補足 飛龍 04/8/30(月) 1:14 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):補足 飛龍 04/8/30(月) 1:18 ┃ ┃ ┗Re(2):補足 敦煌の倅 04/8/26(木) 23:14 ┃ ┃ ┗Re(3):補足 行雲 04/8/26(木) 23:46 ┃ ┃ ┗Re(4):補足 敦煌の倅 04/8/27(金) 0:00 ┃ ┃ ┗Re(5):補足 行雲 04/8/27(金) 0:14 ┃ ┗Re(3):「【18495】靖国を考える 2 敦煌の倅」を転載します ウミサチヒコ 04/8/25(水) 23:50 ┣靖国神社に関する問題点を整理します Ray 04/8/25(水) 22:35 ┃ ┗Re(1):靖国神社に関する問題点を整理します 敦煌の倅 04/8/25(水) 23:53 ┗新スレッドへ移行願います Ray 04/9/3(金) 17:33 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 靖国神社を考える・2 ■名前 : Ray ■日付 : 04/8/25(水) 21:07 -------------------------------------------------------------------------
▼みなさま: 「8月15日は靖国神社へ」 「靖国神社を考える」 「御霊をだしに使わない」 の三スレッドをまとめて新しいスレッドにしました。 以後のご議論はこちらをご利用下さい。 なお、旧スレッドでは誹謗中傷と思われる書き込みも見受けられました (ハンドルネームなしの書き込みも禁止されています)。 書き込まれる際は掲示板のルールを遵守していただきたく 重ねてお願い申し上げます。 (以下は旧スレッド最後の書き込みのコピーです) =========== (「靖国神社を考える」スレッド) ----------- 【18478】Re(10):靖国神社を考える ウミサチヒコ E-MAIL - 04/8/25(水) 20:50 - ▼竜胆さん: 右翼軍国主義&天皇崇拝主義者が「英霊」などと言って靖国参りをすることに憤りを感ずる。すべて、日本の敗戦と共に自決すべきだった人達に連なる人たちではないか。 天皇と軍国主義によって、何千万もの人が死んだ。何億人もの人々が、いわれなき苦しみを受けた。支配者はまつりごとをする。しかし、そのまつりごとの結果には、おのずと責任をとらなければならない。 2000年にわたる天皇の権威はたしかに存在した、しかし、たった50年の出来事でそれは地に落ちた。 古い宗教観・迷信の類で神社に向かう人々はいよう。しかし、それらはすべて裸の王様だ。神社仏閣を利用するな。死者をもてあそぶな。死者は恨んでいる、天皇制軍国主義を。すべての母も恨んでいる。靖国や過去や戦争を賛美するのは、ずるい男たちだけだ。 ----------- 【18479】Re(11):靖国神社を考える ニック - 04/8/25(水) 20:50 - ▼sinさん: >ニック様 >早々にお答えいただきまして、本当に感謝申し上げます。 > >で、大変申し訳ないのですが、よんどころなき事情がありレスが少々遅れます。 >お許しくださいますようお願い申し上げます。 >なるべく早く戻って参ります。 承知致しました、老人党はきままに投稿できるのが良い所ですので、時間に追われる事なくのんびりとした気分で議論致しましょう。 =========== (「御霊をだしに使わない」スレッド) --------- 【18471】Re(3):■■ 早期戦争支持表明していた人... [名前なし] - 04/8/25(水) 20:08 - ▼MNGさん: >ここに米軍の犠牲になった、イラクの子供たちの写真があります。 >とても残酷な写真なので、心臓の悪い方、血圧の高い方、体調の悪い方は見られない方がいいと思います。 > >でも、敦煌さんには見て欲しい。 >石油の為に、石油なんかの為に、何の罪もない子供たちが殺されてもいいのですか。 >もし、あなたの子供や孫が、石油の為に殺されても仕方がないと言えるのですか。 > >これが現在のイラクの日常であり、アラブ世界の人たちはテレビを通じてこの惨状を目の当たりにしています。 >彼らにとってアメリカ軍こそがテロリストなのです。 >そのテロリストの手助けをしている自衛隊も同罪なのです。 > >*残酷に付き要注意* >http://www.aztlan.net/iraqichildrenhorror.htm 見させていただきました。凄まじい残酷シーンですね。現実は、あの何万倍で しょう。そして残された母親達の悲しみ苦しみ、そしてその苦しみに決して終わ りが来ないと思うと涙が止まりません。 私、中近東諸国で日本人であることが、身の危険の直接の原因になる日が来る など夢にも思っていませんでした。アメリカ人にとっても同じようなものです。 卒業して以来、ほとんどあの地域で働き、退職後も現地企業のコンサルタントと して過ごし、アラビアに住み、骨を埋める気でいたアメリカ人もいましたが、 彼らもアメリカやスペインに移るそうです。まったくなんという愚かしいことを してくれたのか。 もう二年も前でしょうか、自民党の総裁選で、藤井氏だけが、イラクの抵抗を、 イラク人のレジスタンスとはっきり言い切っていました。日本の政治家にも皮膚 感覚で世界がわかる人がいると感心したのですが、せっかくの有能な人材も活用 できないとは情けない限りです。 |
以下、「【18495】靖国を考える 2 敦煌の倅」の転載です。 ----------- 【18495】靖国を考える 2 敦煌の倅 - 04/8/25(水) 21:39 - 前スレで竜胆さん。ウミサチヒコさん。の続きです。 ▼ウミサチヒコさん: >▼竜胆さん: >右翼軍国主義&天皇崇拝主義者が「英霊」などと言って靖国参りをすることに憤りを感ずる。すべて、日本の敗戦と共に自決すべきだった人達に連なる人たちではないか。 軍国主義とは無縁の小さな子供達までがきちんとお参りします。 また靖国神社の周辺には所謂。「名門校」も多々存在します。 これら学校の生徒さんも学校の行き帰りにはこと有るごとに本殿にお辞儀 しています。私は未だ参拝したことはありません。 靖国と聞いただけで決め付けるのは、間違っています。 >天皇と軍国主義によって、何千万もの人が死んだ。何億人もの人々が、いわれなき苦しみを受けた。支配者はまつりごとをする。しかし、そのまつりごとの結果には、おのずと責任をとらなければならない。 具体的な数字を示してください。苦しみを受けたと云う方が正確に何人か? >2000年にわたる天皇の権威はたしかに存在した、しかし、たった50年の出来事でそれは地に落ちた。 >古い宗教観・迷信の類で神社に向かう人々はいよう。しかし、それらはすべて裸の王様だ。神社仏閣を利用するな。死者をもてあそぶな。死者は恨んでいる、天皇制軍国主義を。すべての母も恨んでいる。靖国や過去や戦争を賛美するのは、ずるい男たちだけだ。 御自分の価値観を提示なさるのは結構なことですが、全てを否定するのは 如何なものかと思います。竜胆さんは持論を述べられただけで・・ ウミサチヒコさんが、それに否定的なのは理解できますが、断言なさるのは 承服いたしかねます。 |
▼敦煌の倅さん 誰だろうと、子供だろうと、名門校の生徒だろうと、「多くの人が参拝している」などということは、あまり関係ありません。というか、議論の場合、全然問題になりません。 また、「何千万人が死んで、何億人が苦しみを受けた」という記述に対して、―何人か正確にその数字的根拠を示せとは、なんたる粗雑な問いかけでありましょうか。 また、断言することが何かいけないことのように仰っていますが、それもお話にならないでしょう。 倅さん、ことの本質を語る場合、数の多寡はほとんどの場合、問題になりません。真実は数でない場合が多いのです。また、断言がいけないというのは、日常のマナーのレベルでのことであり、ディベートの場合、「断言がいけない」ということは、「断言できない」ということに通じ、論理の不成立を意味します。「…でないでしょうか」というのと「…だ」ということは、多いに違うわけです。 混ぜ返しはいくらでも出来ます。「多くの人が参拝している」というのは国民の何%でしょうか?というぐあいに。そういう問いかけをあなたがされたとしたら、あなたは、どう答えることが出来ますか?質問に何かためにするものを感ずることと思います。 何千万、何億、という記述が何か気に障りましたでしょうか?私は良く知らないのですが、アジアだけで第二次世界大戦では、最低2千万人の人が戦死した「ようです」。2千万の人々には3−4人の家族が居たでしょう。また、ケガをした人は死者の何倍かはいたでしょう。怪我をした人にも、その家族が居たでしょう。それを合計すれば簡単に「億」のオーダー(単位)に達するということがあなたにはイメージ(想像)できませんでしょうか? |
▼ウミサチヒコさん: >▼敦煌の倅さん > >誰だろうと、子供だろうと、名門校の生徒だろうと、「多くの人が参拝している」などということは、あまり関係ありません。というか、議論の場合、全然問題になりません。 >また、「何千万人が死んで、何億人が苦しみを受けた」という記述に対して、―何人か正確にその数字的根拠を示せとは、なんたる粗雑な問いかけでありましょうか。 >また、断言することが何かいけないことのように仰っていますが、それもお話にならないでしょう。 >倅さん、ことの本質を語る場合、数の多寡はほとんどの場合、問題になりません。真実は数でない場合が多いのです。また、断言がいけないというのは、日常のマナーのレベルでのことであり、ディベートの場合、「断言がいけない」ということは、「断言できない」ということに通じ、論理の不成立を意味します。「…でないでしょうか」というのと「…だ」ということは、多いに違うわけです。 > >混ぜ返しはいくらでも出来ます。「多くの人が参拝している」というのは国民の何%でしょうか?というぐあいに。そういう問いかけをあなたがされたとしたら、あなたは、どう答えることが出来ますか?質問に何かためにするものを感ずることと思います。 >何千万、何億、という記述が何か気に障りましたでしょうか?私は良く知らないのですが、アジアだけで第二次世界大戦では、最低2千万人の人が戦死した「ようです」。2千万の人々には3−4人の家族が居たでしょう。また、ケガをした人は死者の何倍かはいたでしょう。怪我をした人にも、その家族が居たでしょう。それを合計すれば簡単に「億」のオーダー(単位)に達するということがあなたにはイメージ(想像)できませんでしょうか? 貴重な御意見ありがとうございます。 私的な見解ですが、下記は「九段の母」という唄です。 遺族の気持ちはこれに尽きると思います。 一 上野駅から 九段まで かってしらない じれったさ 杖をたよりに 一日がかり せがれきたぞや 会いにきた 二 空をつくよな 大鳥居 こんな立派な おやしろに 神とまつられ もったいなさよ 母は泣けます うれしさに 三 両手あわせて ひざまづき おがむはずみの おねんぶつ はっと気付いて うろたえました せがれゆるせよ 田舎もの 四 鳶が鷹の子 うんだよで いまじゃ果報が 身にあまる 金鵄勲章が みせたいばかり 逢いに来たぞや 九段坂 |
▼敦煌の倅さん: すでに【17521】で解説済み。 |
▼行雲さん: >▼敦煌の倅さん: > >すでに【17521】で解説済み。 捻じ曲がった解釈で・・・ね。 |
▼敦煌の倅さん: >▼行雲さん: >>▼敦煌の倅さん: >> >>すでに【17521】で解説済み。 > >捻じ曲がった解釈で・・・ね。 貴方の軍国崇拝解釈はどのようなものでしょうか? |
▼行雲さん: >▼敦煌の倅さん: >>▼行雲さん: >>>▼敦煌の倅さん: >>> >>>すでに【17521】で解説済み。 >> >>捻じ曲がった解釈で・・・ね。 > >貴方の軍国崇拝解釈はどのようなものでしょうか? 崇拝などしてません。戦いを命懸けで行い、それを支えた方は 「英霊」でしょう。それだけです。 日本が今あって、「オリンピックでメダルを幾つ取れた」 なんて話も、この国を護ってくれた皆様がいるからですね。 それより「靖国」というと、直ぐ「軍国主義」とか「A級戦犯」なんて 仰らない方がいいですよ。敵を増やし、世間を狭くします。 |
▼敦煌の倅さん: >▼行雲さん: >>▼敦煌の倅さん: >>>▼行雲さん: >>>>▼敦煌の倅さん: >>>> >>>>すでに【17521】で解説済み。 >>> >>>捻じ曲がった解釈で・・・ね。 >> >>貴方の軍国崇拝解釈はどのようなものでしょうか? > >崇拝などしてません。戦いを命懸けで行い、それを支えた方は >「英霊」でしょう。それだけです。 >日本が今あって、「オリンピックでメダルを幾つ取れた」 >なんて話も、この国を護ってくれた皆様がいるからですね。 >それより「靖国」というと、直ぐ「軍国主義」とか「A級戦犯」なんて >仰らない方がいいですよ。敵を増やし、世間を狭くします。 命がけで銃剣を人に刺してぐりぐりと腹をえぐれますか。 おなかが空っぽになっても吐きますよ。 |
▼行雲さん: >▼敦煌の倅さん: >>▼行雲さん: >>>▼敦煌の倅さん: >>> >>>すでに【17521】で解説済み。 >> >>捻じ曲がった解釈で・・・ね。 > >貴方の軍国崇拝解釈はどのようなものでしょうか? 焼夷弾で焼け死ぬときの匂いをしらないのでしょう。 |
▼行雲さん: >▼行雲さん: >>▼敦煌の倅さん: >>>▼行雲さん: >>>>▼敦煌の倅さん: >>>> >>>>すでに【17521】で解説済み。 >>> >>>捻じ曲がった解釈で・・・ね。 >> >>貴方の軍国崇拝解釈はどのようなものでしょうか? > >焼夷弾で焼け死ぬときの匂いをしらないのでしょう。 五感に覚えはありません。最後の戦争にしても、生まれる40年も前のことですから。ただ「東京大空襲」の話は母方の祖父母から聞きました。 あれは、日本の罪ではないですよね。あれこそ人種差別の非戦闘員殺戮という 「戦争犯罪」ですよね。あなたは悲惨な戦争を経験されて、その後のWGIPで洗脳されてしまったんですね。それも否定しませんが、私は日本人ですから、そんな昔のことを何時まで(支那や朝鮮に・・)という気持ちもあります。 |
▼敦煌の倅さん: >▼行雲さん: >>▼行雲さん: >>>▼敦煌の倅さん: >>>>▼行雲さん: >>>>>▼敦煌の倅さん: >>>>> >>>>>すでに【17521】で解説済み。 >>>> >>>>捻じ曲がった解釈で・・・ね。 >>> >>>貴方の軍国崇拝解釈はどのようなものでしょうか? >> >>焼夷弾で焼け死ぬときの匂いをしらないのでしょう。 > >五感に覚えはありません。最後の戦争にしても、生まれる40年も前のことですから。ただ「東京大空襲」の話は母方の祖父母から聞きました。 >あれは、日本の罪ではないですよね。あれこそ人種差別の非戦闘員殺戮という >「戦争犯罪」ですよね。あなたは悲惨な戦争を経験されて、その後のWGIPで洗脳されてしまったんですね。それも否定しませんが、私は日本人ですから、そんな昔のことを何時まで(支那や朝鮮に・・)という気持ちもあります。 おわかい。ご自分の矛盾している言葉がわからないのではありませんか。 そんな昔のことを何時までも。 |
▼行雲さん: >▼敦煌の倅さん: >>▼行雲さん: >>>▼行雲さん: >>>>▼敦煌の倅さん: >>>>>▼行雲さん: >>>>>>▼敦煌の倅さん: >>>>>> >>>>>>すでに【17521】で解説済み。 >>>>> >>>>>捻じ曲がった解釈で・・・ね。 >>>> >>>>貴方の軍国崇拝解釈はどのようなものでしょうか? >>> >>>焼夷弾で焼け死ぬときの匂いをしらないのでしょう。 >> >>五感に覚えはありません。最後の戦争にしても、生まれる40年も前のことですから。ただ「東京大空襲」の話は母方の祖父母から聞きました。 >>あれは、日本の罪ではないですよね。あれこそ人種差別の非戦闘員殺戮という >>「戦争犯罪」ですよね。あなたは悲惨な戦争を経験されて、その後のWGIPで洗脳されてしまったんですね。それも否定しませんが、私は日本人ですから、そんな昔のことを何時まで(支那や朝鮮に・・)という気持ちもあります。 > >おわかい。ご自分の矛盾している言葉がわからないのではありませんか。 >そんな昔のことを何時までも。 自虐的に考えなければならないんでしょうか? って。言ってるんですが。 |
行雲さん。 私は、学校で先生の教える歴史など、これっぽっちも信じていません。 ただ、試験の手段として記憶はしましたが・・ こんなのも今は、ボタン押せば学習できますし。 http://www.history.gr.jp/index1.html |
▼敦煌の倅さん: >行雲さん。 > >私は、学校で先生の教える歴史など、これっぽっちも信じてmiいません。 >ただ、試験の手段として記憶はしましたが・・ >こんなのも今は、ボタン押せば学習できますし。 > >http://www.history.gr.jp/index1.html 拝見しました。その程度ですか。 銃剣で敵の腹を刺した後は味方にまで銃剣をふりまわしていました。 上官が後ろから軍刀でなたのように叩きつけ、とどめは首を刺した。 軍刀は血だらけでボロボロになり曲がっていた。怖かった その戦友の田舎へ墓参りに行きましたが、立派な墓で皇軍云々と刻まれていた。 戦友も上官も靖国神社にまつられているらしい。 現実を知らないのなら、まんべんに資料を読みなさい。 疑いなさい。自分で考えなさい。 |
あなたは、さぞや何でも知っているのでしょうね(爆笑) では、あなたは如何思っているのですか? 是非具体的な意見をお聞きしたいで すね |
▼Inaさん: > あなたは、さぞや何でも知っているのでしょうね(爆笑) > では、あなたは如何思っているのですか? 是非具体的な意見をお聞きしたいで >すね 全然面白くないところで(爆笑)使わないでくんない?(笑) |
ああすみません。どうも「南京大虐殺」の事を言っているみたいなので質問です が、 あなたは本当に「30万人殺害された」と思っておられるのでしょうか? と言うのも、「東京裁判」では当初「5万人」と言われていました。では、いつ からそれが「30万人」となったのでしょうか? 「30万人」なら、頻繁に殺害現場を目撃されているはずですが、なんとマギー 牧師は殺人を目撃したのはたった一件、それも占領直後日本兵に質問されて逃げ出 した男が撃たれるのを見たという。では、「彼に自由行動をとらせて、なおかつ彼 に気づかれないように殺害した」とでも言いたいのでしょうか? また「刀」の話が出ていましたが、「刀」は結構もろいもので人一人斬ると刃こ ぼれし、突いたとしてもそれで少なめに見て1万人として、彼等を殺す労力を使う のでしょうか? 左翼掲示板ですが、「南京大虐殺はあった」と頑固に言っている「熊猫 氏」で すら「30万人虐殺は嘘だろう。虐殺とは、惨い方法で殺すと言う意で、人数は関 係ない」と言っていますよ。そこのところ是非聞きたいですね |
と言うのも、「東京裁判」では当初「5万人」と言われていました。では、いつ からそれが「30万人」となったのでしょうか?>>Inaさん、こちらでしたか。 最近では5万人すらあやしいもんです。まずはこれをご覧あれ。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~sus/door.htm プロパガンダ写真研究室 私はのれのNo9についても非常に怪しい思っています。それは戦後撮影されたものではないかと。画面では分かりませんが、雑誌等を見るとコントラストが非常に不自然です。 当時のフィルムではなく、戦後のコダック・トライ-Xかプラス-Xで撮影した物をD-76か マイクロドールXで現像したんではなかろうか?と考えます。そして印画紙は4〜5号を使う。でなければ、シャドウの潰れ方からして夏に間違いありません。また後ろの将校と思しき人物がゲートルを巻いている。将校は半長靴であり、兵はベルトがありません。 ここの写真にはありませんが、目隠しした人物を銃剣で刺す写真もあります。 これがまたヤラセなんですな。当時の銃剣は鍔部分が鉤状になっており、後に南方のジャングルでは不都合として、鍔部分がストレートになっています。 http://taka25th.cathand.com/newpage272.htm しかし『虐殺証拠写真』とされるものはこれがストレートになっており、しかも銃身と比較して人物が異常に大きい。三八式歩兵銃が着剣状態で1685ミリにも関わらず。 その写真の銃とはこれです。これはおかしい。銃が短い。ウソ写真だな・・。 http://taka25th.cathand.com/newpage59.htm マウザー(モーゼル)kar98k モーゼル(ドイツ)は当時の国民党軍が制式採用していた銃です。因みに日本がマウザー を装備したのは、三式戦闘機・飛燕(キ-61)が最初で、しかもニューギニア・ウエワク 飛行場に展開した飛行第六八戦隊・七八戦隊が最初です。電気装填の20ミリ機関砲で 銃800門、弾丸40万発でした。それ以外はありません。 |
なるほど、大変勉強になりました。こういった事実を突きつければ、「南京大虐 殺」等という妄想を唱えているサヨク連中もダンマリでしょうね。 もっとも、「30万人虐殺されたとは言っていない。むごい方法で殺すことが虐 殺で、人数は関係ない」と言っている人がだんだん出てきていますが(笑) |
▼Inaさん: > なるほど、大変勉強になりました。こういった事実を突きつければ、「南京大虐 >殺」等という妄想を唱えているサヨク連中もダンマリでしょうね。 > もっとも、「30万人虐殺されたとは言っていない。むごい方法で殺すことが虐 >殺で、人数は関係ない」と言っている人がだんだん出てきていますが(笑) そこでどういう意味で笑うのさ。人でなし! |
▼Inaさん: > ああすみません。どうも「南京大虐殺」の事を言っているみたいなので質問です >が、 > >あなたは本当に「30万人殺害された」と思っておられるのでしょうか? > > と言うのも、「東京裁判」では当初「5万人」と言われていました。では、いつ >からそれが「30万人」となったのでしょうか? > 「30万人」なら、頻繁に殺害現場を目撃されているはずですが、なんとマギー >牧師は殺人を目撃したのはたった一件、それも占領直後日本兵に質問されて逃げ出 >した男が撃たれるのを見たという。では、「彼に自由行動をとらせて、なおかつ彼 >に気づかれないように殺害した」とでも言いたいのでしょうか? > また「刀」の話が出ていましたが、「刀」は結構もろいもので人一人斬ると刃こ >ぼれし、突いたとしてもそれで少なめに見て1万人として、彼等を殺す労力を使う >のでしょうか? > > 左翼掲示板ですが、「南京大虐殺はあった」と頑固に言っている「熊猫 氏」で >すら「30万人虐殺は嘘だろう。虐殺とは、惨い方法で殺すと言う意で、人数は関 >係ない」と言っていますよ。そこのところ是非聞きたいですね > 何故南京大虐殺なのですか、あなた南京に居たからですか。 軍刀は突くか叩くように振るのですよ。折れるより曲がるのが多い。 子供のチャンバラゴッコしかしらないのではありませんか。 あなた銃剣で人を刺した後どうするかも知らないのでしょうね。 知らないのなら、ご自分で考えなさい。 靖国神社では教えてくれませんよ。 真実を見つけなさい。 |
行雲、 日本語を解からない人に何を言っても無駄だと思いますし、また私の「質問」を 全て答えてくれるなどとは期待してはいませんが、あなたが「南京」の話をしたの でしょう? まさか、「してはいない」等と妄論を述べはしないでしょうね。 それと厳密に言えば、居合い有段者に扱わせれば、「日本刀」は振るだけで曲が る、というかシナリます。百人切りは「日本刀」で行われたと言われています。 じゃあ、何回突いても大丈夫で頑丈な「目釘」を使用していたのでしょうね。あなたこそ、日本刀の性質も知らないくせに イッチョマエ に説教すべきではないです ね。 また「銃剣」のことなら、飛龍 様 が詳しく仰っていたので、少しは読んで勉強 した方がよろしいと思いますが? |
▼Inaさん: > 行雲、 > > 日本語を解からない人に何を言っても無駄だと思いますし、また私の「質問」を >全て答えてくれるなどとは期待してはいませんが、あなたが「南京」の話をしたの >でしょう? まさか、「してはいない」等と妄論を述べはしないでしょうね。 > それと厳密に言えば、居合い有段者に扱わせれば、「日本刀」は振るだけで曲が >る、というかシナリます。百人切りは「日本刀」で行われたと言われています。 >じゃあ、何回突いても大丈夫で頑丈な「目釘」を使用していたのでしょうね。あなたこそ、日本刀の性質も知らないくせに イッチョマエ に説教すべきではないです >ね。 > > また「銃剣」のことなら、飛龍 様 が詳しく仰っていたので、少しは読んで勉強 >した方がよろしいと思いますが? あなたは南京玉簾の話がしたいのですか。 おしゃることが支離滅裂ですね。 日本刀と戦時の軍刀の違いも知らないようですね。 古来日本刀の闘い方は突いてから切るのです、 しかし近代戦ではこれは通用しない。 銃剣術も知らないようですね、 相手を刺してその後はどうしますか。 あなたは戦場では錯乱して一等早死に(犬死)するお方だ。 あなたの靖国英霊に笑われるでしょう。 結局あなたもお仲間も実戦を知らない。 戦争懐古をしているだけです。 教える値打ちが無い。 |
▼行雲さん: 横から失礼します。 日本刀に関心があって、個人的に少しづつではありますが、調べています。 もし宜しければお付き合いいただけると嬉しく思います。 また、議論をするつもりではないので、もしもお気に触りましたら読み流していただいて結構です。 軍刀についてですが、軍刀は尉官以上になると皆持ったと聞いています。 これは軍が揃えるのではなく、家族が地元で買って送ったと聞いています。 ですから、体裁だけ揃えるために数打ちの、とても日本刀とは言えない粗末なものが多かったとか。 しかし、中には非常に立派な日本刀を持つ方もいたそうです。 日本刀の特徴は、反りにあります。 日本の刀も古来はもともと諸外国のものと同様に真っ直ぐでした。 しかし、東北地方から刀を反らせるようになりました。 何故刀を反らせる様になったかというと、東北地方は日本馬の原産地であり、戦闘に馬を用いるようになったからです。 馬を利用した戦いの利点は、馬上から敵を斬り下せる事にあります。 そこで、それまで使用していた直刀ではその使用法に耐えられず、刀の細工を工夫する必要に迫られた。 直刀の特性は突きに強い点にありますが、斬る事には弱い。 その弱点を解決するために、馬上からの斬り下ろしが効果的になる様に刀に反りを入れるようになったわけです。 つまり、外国の直刀のような突くためのものとは違い、反りの入った日本刀は斬る為の刀である、という事です。 そこで、行雲さんの書かれた >古来日本刀の闘い方は突いてから切るのです、 >しかし近代戦ではこれは通用しない。 >銃剣術も知らないようですね、 >相手を刺してその後はどうしますか。 の部分ですが、私は上に挙げた様な知識しかないので、貴方の仰られたお話は初見でした。 突いてから斬る、という戦い方が一般的だったのですか? もし宜しければもう少し詳しくお教え願えたらと思うのですが、よろしいでしょうか? |
横レスですが 古来日本刀の闘い方は突いてから切るのです>>これは銃剣でしょう。それか蘇我馬子・聖徳太子の時代まで。源平合戦の頃は既に刀身の反りがありました。しかもこの時代は 刀身が厚い斬鉄剣でした。薄い鉄を装備した鎧などは、そのままぶった斬ることが可能 でしたが、蒙古襲来で革の鎧を斬るのは難渋しています。そこで刀身を薄くした刀が出現するんです。近所に居合の先生が居りますんで、そのあたりを聞いたところ、鍛鉄剣は 現在の玉鋼では製作不可能です。近世の刀の方が反りが浅いとも。更に追加するなら、これら日本刀で一番切れる個所は切っ先なんですな。初心者の場合は『相手の額に鍔をぶつ けるつもりで臨め』とは有名なことばです。 軍刀についてですが、軍刀は尉官以上になると皆持ったと聞いています。>>海軍士官が 腰からぶら下げていた刀はこれは完全なかざりもんです。服の上からでは殺傷能力が無い ばかりか、簡単に曲がってしまいます。 http://www2d.biglobe.ne.jp/~yamaka/ 日本刀について |
▼飛龍さん: >横レスですが >古来日本刀の闘い方は突いてから切るのです>>これは銃剣でしょう。それか蘇我馬子・聖徳太子の時代まで。 なるほど。 >源平合戦の頃は既に刀身の反りがありました。 この時代は騎馬での戦いが主流になってますね。 >しかもこの時代は刀身が厚い斬鉄剣でした。薄い鉄を装備した鎧などは、そのままぶった斬ることが可能でしたが、蒙古襲来で革の鎧を斬るのは難渋しています。そこで刀身を薄くした刀が出現するんです。近所に居合の先生が居りますんで、そのあたりを聞いたところ、鍛鉄剣は現在の玉鋼では製作不可能です。近世の刀の方が反りが浅いとも。更に追加するなら、これら日本刀で一番切れる個所は切っ先なんですな。初心者の場合は『相手の額に鍔をぶつけるつもりで臨め』とは有名なことばです。 ありがとうございます。この部分は私にとっては初めての知識で興味深く読ませていただきました。 >軍刀についてですが、軍刀は尉官以上になると皆持ったと聞いています。>>海軍士官が腰からぶら下げていた刀はこれは完全なかざりもんです。服の上からでは殺傷能力が無いばかりか、簡単に曲がってしまいます。 そうだったのですか。私の身近におられる方々は陸軍出身の方が多いのでそのお話は知りませんでした。貴重なお話ありがとうございます。 >http://www2d.biglobe.ne.jp/~yamaka/ 日本刀について さっそく登録しました。ご教授ありがとうございます。 |
▼松さん: >軍刀についてですが、軍刀は尉官以上になると皆持ったと聞いています。 >これは軍が揃えるのではなく、家族が地元で買って送ったと聞いています。 >ですから、体裁だけ揃えるために数打ちの、とても日本刀とは言えない粗末なものが多かったとか。 >しかし、中には非常に立派な日本刀を持つ方もいたそうです。 戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った刀剣研究家成瀬関次氏が、その様子を「戦ふ日本刀」という著書にまとめておられます。 現在入手できるかどうか分かりませんが、下記サイトに一部引用されています。 http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm また鵜野晋太郎氏による「日本刀怨恨譜」には、中国戦線での日本刀による捕虜殺害の体験が書かれています。 http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA.html#nanking2 |
▼MNGさん:ご返信ありがとうございます。 >戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った刀剣研究家成瀬関次氏が、その様子を「戦ふ日本刀」という著書にまとめておられます。 >現在入手できるかどうか分かりませんが、下記サイトに一部引用されています。 >http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm > >また鵜野晋太郎氏による「日本刀怨恨譜」には、中国戦線での日本刀による捕虜殺害の体験が書かれています。 >http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA.html#nanking2 ご提示いただいたページを拝見させていただきました。ありがとうございます。 それで素直に疑問に思ったのですがこの >今度の事変中、一戦ごとに一人で十人二十人という敵を斬つた事が新聞にも現はれ、従軍後は、各部隊でさうした功名談もよく聞き、部隊長又は隊長からも、部下のかうした武功談を屡々耳にした。実際誇張や法螺でない事は、血刀を修理して見ただけでも、それが頷けた。 という部分、信じておられますか? 私は日本刀を調べる過程で刀商の方からも話を伺った事があります。 その方が仰るには、数打ちの軍刀では3人斬る事もできないだろう、という事でした。 日本刀は刀剣として世界でもレベルの高いものなのだそうですが、それでも斬る目標に対して垂直に斬り下ろさなくては曲がってしまうのだそうです。日本刀の黄金時代と言われるのは鎌倉時代だそうですが、最高の品質の刀を使えば、使用者の腕によっては10人は斬れるのではないか?とその刀商の方は仰っていました。それでも、例え軍人とは言え戦国時代の武将とは腕が比べ物にならないだろうから軍人が10人を斬るのは無理だろうとも言っていました。また、最高10人は斬れる、という意見は専門家の間では少数意見で、ほとんどの専門家の方は、歴史上の記録から見ても、一本の刀で斬る事のできる数はそれよりも少ないと見ているそうです。 ですから以上より、10人20人の敵を斬った、という話を容易に信じる事は、私にはできません。 |
▼松さん: >▼MNGさん:ご返信ありがとうございます。 > >>戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った刀剣研究家成瀬関次氏が、その様子を「戦ふ日本刀」という著書にまとめておられます。 >>現在入手できるかどうか分かりませんが、下記サイトに一部引用されています。 >>http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm >> >>また鵜野晋太郎氏による「日本刀怨恨譜」には、中国戦線での日本刀による捕虜殺害の体験が書かれています。 >>http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA.html#nanking2 > > >ご提示いただいたページを拝見させていただきました。ありがとうございます。 > >それで素直に疑問に思ったのですがこの >>今度の事変中、一戦ごとに一人で十人二十人という敵を斬つた事が新聞にも現はれ、従軍後は、各部隊でさうした功名談もよく聞き、部隊長又は隊長からも、部下のかうした武功談を屡々耳にした。実際誇張や法螺でない事は、血刀を修理して見ただけでも、それが頷けた。 >という部分、信じておられますか? >私は日本刀を調べる過程で刀商の方からも話を伺った事があります。 >その方が仰るには、数打ちの軍刀では3人斬る事もできないだろう、という事でした。 >日本刀は刀剣として世界でもレベルの高いものなのだそうですが、それでも斬る目標に対して垂直に斬り下ろさなくては曲がってしまうのだそうです。日本刀の黄金時代と言われるのは鎌倉時代だそうですが、最高の品質の刀を使えば、使用者の腕によっては10人は斬れるのではないか?とその刀商の方は仰っていました。それでも、例え軍人とは言え戦国時代の武将とは腕が比べ物にならないだろうから軍人が10人を斬るのは無理だろうとも言っていました。また、最高10人は斬れる、という意見は専門家の間では少数意見で、ほとんどの専門家の方は、歴史上の記録から見ても、一本の刀で斬る事のできる数はそれよりも少ないと見ているそうです。 > >ですから以上より、10人20人の敵を斬った、という話を容易に信じる事は、私にはできません。 さっそくの返信ありがとうございます。 日本刀の強度についての疑問ですが、紹介致しました下の方のリンクもご覧頂いたでしょうか。 そこには鵜野氏本人の体験として 「 私は常用の貞光を引き抜くと、一息入れて剣背(峰、つまり刀の刃の背)を軽く村長の首に当て、間合いを見て足の位置を定め、今度は刃部を前に戻し乍ら一気に振り下ろした。 "ドスッ"と鈍い手応えと同時に、噴水の如く、二、三本と吹き出す血。村長の首は胴体より僅かに早く落ち、顔は苦悶に歪み、歯はガチガチと砂を噛んだ。凄愴、無惨。漂う血の匂い。・・・・・・つづいて私は四十がらみの村幹部の後方に廻った。 (先ずはうまくいったが、目釘はどうかな。刀の曲りは出たかな? 目釘は異状ないが、刀身は僅かに曲りが出たようだ。 (大丈夫だ。連続してどこまでいけるか、やるんだ) 次の首に剣背を当てるや、返して振り下ろす。そして三人、四人目へと息もつかせず斬った。だが四人目は八分通りの斬れ方で首は胸に垂れて倒れた。 (失敗だ!落着け!) 私は強いて笑顔を試みたが、泣き面になってしまった。 「おい!警戒兵、そこの水桶を持ってこい!」 私はひったくるようにして水桶の水で刀の血糊を拭いた後、タオルを刀身に巻いて切先から四〇センチのところに膝をあてがい、右に約五度曲がったのを両手でぐいと元に戻したが、僅かな曲がりは残った。 (エイッ、あとの五人を殺らなくちゃ) そのとき、聞き覚えのある不気味な歌−「抗日歌」を、五人が涙を流して斉唱し始めた。低く怒りの気概が迫る。 「止めろ!止めないか!よーし、斬ってやる」 だが不安がふとよぎった。−(貞光の目釘はかなり緩んどる。これ以上緩めば刀は使えないぞ。でも父の祐定※に取り替えて使うべきではない。勿論郭劉湾で一度血を吸わせたが、父の魂として祐定は一旦緩急の決戦の秋まで静かに保管した方がよいと決心してきたではないか。この母の魂たる貞光は昭和新刀だが、据え物でもこんなに曲るとは思わなかった。しかしここで父の祐定に取り替えては母の貞光を汚すことになる。そうだ!母のためにも断じて貞光で斬ろう!) そのとき五人の斉唱は止んでいたが、悲痛な鳴き声は続いていた。私は一段と凶暴に刀を振るって斬った。目釘は更に彎曲して緩み、鍔元がガタガタになって来た上、再び刀身の四〇センチまでが右五度に曲がった。そのため二人斬首して曲りを直し、また二人斬っては直して、ようやく最後の九人目の首を斬り落とした。首を完全に落としたのは一番目と九番目だけであった。 血の匂いは暫らく消えなかった。鉄柵の中の捕虜の集団は、涙を拭おうともせず立ちすくんでいた。」 と、あります。使用した貞光というのは昭和新刀で、名刀ではありません。 また、実際は首を斬り落とさなくても失血死させればいいわけですから、10人以上の殺傷能力は十分あるのではないかと思います。 それから最近のテレビ番組に「トリビアの泉」というのがあるのですが、そこで面白い実験をやってました。 日本刀と銃とどちらが強いかというものです。結果は日本刀の圧勝。銃弾は真っ二つに分かれて飛んでいきました。 http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/trivia.htm そして後日同じ番組で、今度はウォーターカッター対日本刀もありました。マッハ3のスピードであらゆるものを切断してしまうウォーターカッター。出刃包丁もきれいにアジの開きのように2枚におろされてしまいました。 つばを切断しながら進むウォーターカッターが日本刀の刃を通過しました。 さあどうなったか。結果は日本刀の勝利。キズひとつなく、まさに刃が立ちませんでした。 |
▼MNGさん: さっそくのご返信ありがとうございます。 > >さっそくの返信ありがとうございます。 >日本刀の強度についての疑問ですが、紹介致しました下の方のリンクもご覧頂いたでしょうか。 拝見しました。 >使用した貞光というのは昭和新刀で、名刀ではありません。 との事ですが、それ故にこの話自体信じて良いものかどうかと思えます。 >また、実際は首を斬り落とさなくても失血死させればいいわけですから、10人以上の殺傷能力は十分あるのではないかと思います。 戦国時代は命がけの場であらゆる方法が試されていたであろうと思われます。その中でも10人という記録はありませんから、例え失血死であろうと10人というのはなかろうと思っています。 >それから最近のテレビ番組に「トリビアの泉」というのがあるのですが、そこで面白い実験をやってました。 >日本刀と銃とどちらが強いかというものです。結果は日本刀の圧勝。銃弾は真っ二つに分かれて飛んでいきました。 >http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/trivia.htm > >そして後日同じ番組で、今度はウォーターカッター対日本刀もありました。マッハ3のスピードであらゆるものを切断してしまうウォーターカッター。出刃包丁もきれいにアジの開きのように2枚におろされてしまいました。 >つばを切断しながら進むウォーターカッターが日本刀の刃を通過しました。 >さあどうなったか。結果は日本刀の勝利。キズひとつなく、まさに刃が立ちませんでした。 私もその回はたまたま見ておりました。 日本刀の強さにあらためて感心したものです。 しかし、強度と耐久性は別の問題です。 切れ味が鋭い=耐久性がある、とはならないと思っています。 私は男性なので髭剃りに使う剃刀を例に出させていただきますが、いくら最初に切れ味の良い剃刀であっても、2回3回と使っている間に明らかに切れ味が悪くなり、最後には使用に耐えなくなります。 1回や2回の実験でわかるのは、切れ味とその強度だけで、耐久力の証明にはなりません。 |
▼松さん: >>さっそくの返信ありがとうございます。 >>日本刀の強度についての疑問ですが、紹介致しました下の方のリンクもご覧頂いたでしょうか。 > >拝見しました。 > >>使用した貞光というのは昭和新刀で、名刀ではありません。 > >との事ですが、それ故にこの話自体信じて良いものかどうかと思えます。 体験者の記述を前にして、先入観から信じられないというのであれば、それ以上何も言うことはありません。 >>また、実際は首を斬り落とさなくても失血死させればいいわけですから、10人以上の殺傷能力は十分あるのではないかと思います。 > >戦国時代は命がけの場であらゆる方法が試されていたであろうと思われます。その中でも10人という記録はありませんから、例え失血死であろうと10人というのはなかろうと思っています。 戦国時代の戦闘の主力は槍であり、刀で何人斬ったという記録がなくても不思議ではありません。 いちいち記録を取ったとも思えませんし。 |
▼MNGさん: > >体験者の記述を前にして、先入観から信じられないというのであれば、それ以上何も言うことはありません。 > 野球に例えさせていただきます。 現在投手の投げる球で最高速度は160キロあまりですが、あなたは180キロ投げたという人の言葉を、その書物を読むだけで経験者の言葉だからと信じる事はできますか? >>>また、実際は首を斬り落とさなくても失血死させればいいわけですから、10人以上の殺傷能力は十分あるのではないかと思います。 >> >>戦国時代は命がけの場であらゆる方法が試されていたであろうと思われます。その中でも10人という記録はありませんから、例え失血死であろうと10人というのはなかろうと思っています。 > >戦国時代の戦闘の主力は槍であり、刀で何人斬ったという記録がなくても不思議ではありません。 >いちいち記録を取ったとも思えませんし。 槍に移行する戦国までの時代でも、刀で10人斬ったなどという記録は、私の知る限りではありません。 いちいち記録をとらなかっただろうと仰いますが、一兵士にとっては、討ち取った敵の数こそが論功行賞の対象でした。 論功行賞は記録に残ります。 10人もの戦果が400年もの間全く記録に残っていない、という状態の方が不自然です。 |
400年もの間=鎌倉時代から戦国時代を通じて江戸時代まで、の期間です。 書き忘れたので捕捉です。 |
▼松さん: >▼MNGさん: > >> >>体験者の記述を前にして、先入観から信じられないというのであれば、それ以上何も言うことはありません。 >> > >野球に例えさせていただきます。 >現在投手の投げる球で最高速度は160キロあまりですが、あなたは180キロ投げたという人の言葉を、その書物を読むだけで経験者の言葉だからと信じる事はできますか? ではあなたは人を斬ったこともない刀商の話は信じて、実際に中国で人を斬り、それを日記に残した人を嘘つきだと言うのですね。 なぜ刀商の話の方が信じられるのか不思議ですし、体験者が反論できないのをいいことに、嘘つき呼ばわりするのはあまりにも非道ではないでしょうか。 |
▼MNGさん: >▼松さん: >>▼MNGさん: >> >>> >>>体験者の記述を前にして、先入観から信じられないというのであれば、それ以上何も言うことはありません。 >>> >> >>野球に例えさせていただきます。 >>現在投手の投げる球で最高速度は160キロあまりですが、あなたは180キロ投げたという人の言葉を、その書物を読むだけで経験者の言葉だからと信じる事はできますか? > >ではあなたは人を斬ったこともない刀商の話は信じて、実際に中国で人を斬り、それを日記に残した人を嘘つきだと言うのですね。 >なぜ刀商の話の方が信じられるのか不思議ですし、体験者が反論できないのをいいことに、嘘つき呼ばわりするのはあまりにも非道ではないでしょうか。 何故それまでの長い年月で10人斬るなどという人間がいなかったのに、近代になってから突然できるという人が現れるようになったのですか? 私の知っている経験者は、10人斬るのは無理だ、と申しております。 また、日本に残る数多くの資料も、専門家も同様の結論を出しております。 むしろ、経験者の話だからと無検証に信じてしまう方が不思議です。 |
▼松さん: >▼MNGさん: >>▼松さん: >>>▼MNGさん: >>> >>>> >>>>体験者の記述を前にして、先入観から信じられないというのであれば、それ以上何も言うことはありません。 >>>> >>> >>>野球に例えさせていただきます。 >>>現在投手の投げる球で最高速度は160キロあまりですが、あなたは180キロ投げたという人の言葉を、その書物を読むだけで経験者の言葉だからと信じる事はできますか? >> >>ではあなたは人を斬ったこともない刀商の話は信じて、実際に中国で人を斬り、それを日記に残した人を嘘つきだと言うのですね。 >>なぜ刀商の話の方が信じられるのか不思議ですし、体験者が反論できないのをいいことに、嘘つき呼ばわりするのはあまりにも非道ではないでしょうか。 > > >何故それまでの長い年月で10人斬るなどという人間がいなかったのに、近代になってから突然できるという人が現れるようになったのですか? >私の知っている経験者は、10人斬るのは無理だ、と申しております。 >また、日本に残る数多くの資料も、専門家も同様の結論を出しております。 > >むしろ、経験者の話だからと無検証に信じてしまう方が不思議です。 昔の戦争では大将が「やあやあ我こそは何の何某・・・」と名乗って、正々堂々一対一の勝負をやったから、一人で何人斬りましたなどという記録がなかったんじゃないですか? それに10人斬る人間がいなかったどころか、豪傑は来る敵来る敵をちぎっては投げちぎっては投げなどと形容されているように、いくらでも斬りまくっていたと思いますが。 あなたの知っている経験者は何人か人を斬られた方なのですか? たとえ一度に10人斬らなくても、何日か掛けてもっとたくさん斬った人もあるでのではないですか? 事実を直視できない人は悲しいとしか言いようがありません。 |
▼MNGさん: > >昔の戦争では大将が「やあやあ我こそは何の何某・・・」と名乗って、正々堂々一対一の勝負をやったから、一人で何人斬りましたなどという記録がなかったんじゃないですか? >それに10人斬る人間がいなかったどころか、豪傑は来る敵来る敵をちぎっては投げちぎっては投げなどと形容されているように、いくらでも斬りまくっていたと思いますが。 > >あなたの知っている経験者は何人か人を斬られた方なのですか? >たとえ一度に10人斬らなくても、何日か掛けてもっとたくさん斬った人もあるでのではないですか? >事実を直視できない人は悲しいとしか言いようがありません。 戦争の経験者は日本中にたくさんいます。 貴方の周りにもいるでしょう。 何の資料もなく想像だけで人数を語り始めたらキリがありません。 貴方のお言葉は全て想像の上に立脚してのものと感じます。 戦国時代以前の資料も、10人斬ったという記録はないから私は、ない、と言っています。 それに反論なさるのでしたら、想像だけではなくて、10人斬ったという資料を提示していただけるとありがたく存じます。 |
▼松さん: >私もその回はたまたま見ておりました。 >日本刀の強さにあらためて感心したものです。 >しかし、強度と耐久性は別の問題です。 >切れ味が鋭い=耐久性がある、とはならないと思っています。 >私は男性なので髭剃りに使う剃刀を例に出させていただきますが、いくら最初に切れ味の良い剃刀であっても、2回3回と使っている間に明らかに切れ味が悪くなり、最後には使用に耐えなくなります。 >1回や2回の実験でわかるのは、切れ味とその強度だけで、耐久力の証明にはなりません。 飲んで帰ったもので後半を見落としていました。 剃刀の切れ味はデリケートなものですよね。 痛かったら剃るのをやめます。 日本刀はどうでしょうか。相手が痛いと言ったらやめるでしょうか。 やめませんよね。殺すためにやってるんですから。 日本刀は時代劇の竹光のように、ヒラリヒラリと扱えるような軽いものではなく、一振り一振りを渾身の力を込めて振り下ろすものです。 たとえ少々刃の切れ味が落ちようとも、鉄の塊として十分な殺傷力を持っています。 金属バットでも十分殺人が可能なように、刃の切れ味に関わらず、刀には十分な殺傷力があるのは理解できるしょう。 |
▼MNGさん: > >飲んで帰ったもので後半を見落としていました。 >剃刀の切れ味はデリケートなものですよね。 >痛かったら剃るのをやめます。 >日本刀はどうでしょうか。相手が痛いと言ったらやめるでしょうか。 >やめませんよね。殺すためにやってるんですから。 >日本刀は時代劇の竹光のように、ヒラリヒラリと扱えるような軽いものではなく、一振り一振りを渾身の力を込めて振り下ろすものです。 >たとえ少々刃の切れ味が落ちようとも、鉄の塊として十分な殺傷力を持っています。 >金属バットでも十分殺人が可能なように、刃の切れ味に関わらず、刀には十分な殺傷力があるのは理解できるしょう。 刀は対象に垂直に切り下ろさないと曲がってしまうのです。 ですから切れ味が落ちてきたらやはり殺傷能力は落ちるでしょうね。 曲がった刀では殴り殺すのにも限界があるでしょう。 もしあなたの仰るとおりでしたら専門家が皆口を揃えて、10人斬るなぞありえない、などとは言わないと思います。 |
▼松さん: >▼MNGさん: >> >>飲んで帰ったもので後半を見落としていました。 >>剃刀の切れ味はデリケートなものですよね。 >>痛かったら剃るのをやめます。 >>日本刀はどうでしょうか。相手が痛いと言ったらやめるでしょうか。 >>やめませんよね。殺すためにやってるんですから。 >>日本刀は時代劇の竹光のように、ヒラリヒラリと扱えるような軽いものではなく、一振り一振りを渾身の力を込めて振り下ろすものです。 >>たとえ少々刃の切れ味が落ちようとも、鉄の塊として十分な殺傷力を持っています。 >>金属バットでも十分殺人が可能なように、刃の切れ味に関わらず、刀には十分な殺傷力があるのは理解できるしょう。 > >刀は対象に垂直に切り下ろさないと曲がってしまうのです。 >ですから切れ味が落ちてきたらやはり殺傷能力は落ちるでしょうね。 >曲がった刀では殴り殺すのにも限界があるでしょう。 >もしあなたの仰るとおりでしたら専門家が皆口を揃えて、10人斬るなぞありえない、などとは言わないと思います。 素人でも、普通垂直に斬り下ろしますよ。 多少曲がっても、十分致命傷になるでしょう。 まだ息があると思えば、何回でも斬ればいいんですから。 あなたのおっしゃる専門家とは何の専門家でしょうか。 この刀で何人斬れるかを知っている専門家ではなく、この刀はいくらで売れるかを鑑定する専門家でしょう。 先入観を排して、常識的に考えてみて下さい。 金属バットと日本刀とどちらが殺傷力があるのかを。 |
▼MNGさん: >▼松さん: >>▼MNGさん: >>> >>>飲んで帰ったもので後半を見落としていました。 >>>剃刀の切れ味はデリケートなものですよね。 >>>痛かったら剃るのをやめます。 >>>日本刀はどうでしょうか。相手が痛いと言ったらやめるでしょうか。 >>>やめませんよね。殺すためにやってるんですから。 >>>日本刀は時代劇の竹光のように、ヒラリヒラリと扱えるような軽いものではなく、一振り一振りを渾身の力を込めて振り下ろすものです。 >>>たとえ少々刃の切れ味が落ちようとも、鉄の塊として十分な殺傷力を持っています。 >>>金属バットでも十分殺人が可能なように、刃の切れ味に関わらず、刀には十分な殺傷力があるのは理解できるしょう。 >> >>刀は対象に垂直に切り下ろさないと曲がってしまうのです。 >>ですから切れ味が落ちてきたらやはり殺傷能力は落ちるでしょうね。 >>曲がった刀では殴り殺すのにも限界があるでしょう。 >>もしあなたの仰るとおりでしたら専門家が皆口を揃えて、10人斬るなぞありえない、などとは言わないと思います。 > >素人でも、普通垂直に斬り下ろしますよ。 >多少曲がっても、十分致命傷になるでしょう。 >まだ息があると思えば、何回でも斬ればいいんですから。 >あなたのおっしゃる専門家とは何の専門家でしょうか。 >この刀で何人斬れるかを知っている専門家ではなく、この刀はいくらで売れるかを鑑定する専門家でしょう。 >先入観を排して、常識的に考えてみて下さい。 >金属バットと日本刀とどちらが殺傷力があるのかを。 貴方は人を実際に斬った事があるのですか? もしもないのであれば、何故充分に致命傷になるなどと言い切れるのですか? |
▼松さん: >貴方は人を実際に斬った事があるのですか? >もしもないのであれば、何故充分に致命傷になるなどと言い切れるのですか? 斬ったことがあったら刑務所行きですよ。 人間には想像力というものがあります。 あなたのお知り合いの専門家さんに、刀を手に取らせてもらって下さい。 なければ土産物屋の、刃のついていない刀でもいいでしょう。 それを人間に振り下ろして、無事でいられると思いますか? これで分からなければ、それまでですね。 さようなら。 |
▼MNGさん: >▼松さん: >>貴方は人を実際に斬った事があるのですか? >>もしもないのであれば、何故充分に致命傷になるなどと言い切れるのですか? > >斬ったことがあったら刑務所行きですよ。 > >人間には想像力というものがあります。 > >あなたのお知り合いの専門家さんに、刀を手に取らせてもらって下さい。 >なければ土産物屋の、刃のついていない刀でもいいでしょう。 >それを人間に振り下ろして、無事でいられると思いますか? > >これで分からなければ、それまでですね。 > >さようなら。 私も刀は何回か持った事はありますよ。 刃のついたものです。 人を殺傷するための道具ですから、振り下ろしたらもちろん無事ではいられないでしょうね。 でも人間ですから想像力があります。 ものには限界というものがあるという事も知っています。 また、資料を調べるという事も知っていますし、現在僅かづつではありますが、専門家や戦争経験者に問い合わせる等して調べています。 その上で、現段階での結論は、一本の刀で一度に多くの人間を斬り殺すのは無理だ、という事です。 お相手していただきありがとうございました。 できればもう少し、想像だけではなく何らかの資料を提示していただけるとありがたかったです。 さようなら。 |
すごく根本的な疑問なんですが、戦闘で敵の兵隊と戦うのって当然だと思う。 だから、日本刀で敵を斬っても責められることじゃないと思うんです。 捕虜を殺害したとか、なんていうんですか、据え物斬りしたとかならもんだいですが、そういう事じゃないと信じます。だって、そんなに暇じゃないはずですよ、戦闘下。 |
▼MNGさん: >▼松さん: >>▼MNGさん:ご返信ありがとうございます。 >> >>>戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った刀剣研究家成瀬関次氏が、その様子を「戦ふ日本刀」という著書にまとめておられます。 >>>現在入手できるかどうか分かりませんが、下記サイトに一部引用されています。 >>>http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm >>> >>>また鵜野晋太郎氏による「日本刀怨恨譜」には、中国戦線での日本刀による捕虜殺害の体験が書かれています。 >>>http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA.html#nanking2 >> >> >>ご提示いただいたページを拝見させていただきました。ありがとうございます。 >> >>それで素直に疑問に思ったのですがこの >>>今度の事変中、一戦ごとに一人で十人二十人という敵を斬つた事が新聞にも現はれ、従軍後は、各部隊でさうした功名談もよく聞き、部隊長又は隊長からも、部下のかうした武功談を屡々耳にした。実際誇張や法螺でない事は、血刀を修理して見ただけでも、それが頷けた。 >>という部分、信じておられますか? > >>私は日本刀を調べる過程で刀商の方からも話を伺った事があります。 >>その方が仰るには、数打ちの軍刀では3人斬る事もできないだろう、という事でした。 >>日本刀は刀剣として世界でもレベルの高いものなのだそうですが、それでも斬る目標に対して垂直に斬り下ろさなくては曲がってしまうのだそうです。日本刀の黄金時代と言われるのは鎌倉時代だそうですが、最高の品質の刀を使えば、使用者の腕によっては10人は斬れるのではないか?とその刀商の方は仰っていました。それでも、例え軍人とは言え戦国時代の武将とは腕が比べ物にならないだろうから軍人が10人を斬るのは無理だろうとも言っていました。また、最高10人は斬れる、という意見は専門家の間では少数意見で、ほとんどの専門家の方は、歴史上の記録から見ても、一本の刀で斬る事のできる数はそれよりも少ないと見ているそうです。 >> >>ですから以上より、10人20人の敵を斬った、という話を容易に信じる事は、私にはできません。 > >さっそくの返信ありがとうございます。 >日本刀の強度についての疑問ですが、紹介致しました下の方のリンクもご覧頂いたでしょうか。 >そこには鵜野氏本人の体験として >「 私は常用の貞光を引き抜くと、一息入れて剣背(峰、つまり刀の刃の背)を軽く村長の首に当て、間合いを見て足の位置を定め、今度は刃部を前に戻し乍ら一気に振り下ろした。 > "ドスッ"と鈍い手応えと同時に、噴水の如く、二、三本と吹き出す血。村長の首は胴体より僅かに早く落ち、顔は苦悶に歪み、歯はガチガチと砂を噛んだ。凄愴、無惨。漂う血の匂い。・・・・・・つづいて私は四十がらみの村幹部の後方に廻った。 > (先ずはうまくいったが、目釘はどうかな。刀の曲りは出たかな? > 目釘は異状ないが、刀身は僅かに曲りが出たようだ。 > (大丈夫だ。連続してどこまでいけるか、やるんだ) > 次の首に剣背を当てるや、返して振り下ろす。そして三人、四人目へと息もつかせず斬った。だが四人目は八分通りの斬れ方で首は胸に垂れて倒れた。 > (失敗だ!落着け!) > 私は強いて笑顔を試みたが、泣き面になってしまった。 > 「おい!警戒兵、そこの水桶を持ってこい!」 > 私はひったくるようにして水桶の水で刀の血糊を拭いた後、タオルを刀身に巻いて切先から四〇センチのところに膝をあてがい、右に約五度曲がったのを両手でぐいと元に戻したが、僅かな曲がりは残った。 > (エイッ、あとの五人を殺らなくちゃ) > そのとき、聞き覚えのある不気味な歌−「抗日歌」を、五人が涙を流して斉唱し始めた。低く怒りの気概が迫る。 > 「止めろ!止めないか!よーし、斬ってやる」 > だが不安がふとよぎった。−(貞光の目釘はかなり緩んどる。これ以上緩めば刀は使えないぞ。でも父の祐定※に取り替えて使うべきではない。勿論郭劉湾で一度血を吸わせたが、父の魂として祐定は一旦緩急の決戦の秋まで静かに保管した方がよいと決心してきたではないか。この母の魂たる貞光は昭和新刀だが、据え物でもこんなに曲るとは思わなかった。しかしここで父の祐定に取り替えては母の貞光を汚すことになる。そうだ!母のためにも断じて貞光で斬ろう!) > そのとき五人の斉唱は止んでいたが、悲痛な鳴き声は続いていた。私は一段と凶暴に刀を振るって斬った。目釘は更に彎曲して緩み、鍔元がガタガタになって来た上、再び刀身の四〇センチまでが右五度に曲がった。そのため二人斬首して曲りを直し、また二人斬っては直して、ようやく最後の九人目の首を斬り落とした。首を完全に落としたのは一番目と九番目だけであった。 > 血の匂いは暫らく消えなかった。鉄柵の中の捕虜の集団は、涙を拭おうともせず立ちすくんでいた。」 >と、あります。使用した貞光というのは昭和新刀で、名刀ではありません。 > >また、実際は首を斬り落とさなくても失血死させればいいわけですから、10人以上の殺傷能力は十分あるのではないかと思います。 > >それから最近のテレビ番組に「トリビアの泉」というのがあるのですが、そこで面白い実験をやってました。 >日本刀と銃とどちらが強いかというものです。結果は日本刀の圧勝。銃弾は真っ二つに分かれて飛んでいきました。 >http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/trivia.htm > >そして後日同じ番組で、今度はウォーターカッター対日本刀もありました。マッハ3のスピードであらゆるものを切断してしまうウォーターカッター。出刃包丁もきれいにアジの開きのように2枚におろされてしまいました。 >つばを切断しながら進むウォーターカッターが日本刀の刃を通過しました。 >さあどうなったか。結果は日本刀の勝利。キズひとつなく、まさに刃が立ちませんでした。 アハハハハ・・・親父の狩猟についてったことありますが、斬れませんよ10人は無理でしょう。 原因は「脂」ですよ。これが刃物の切れ味を著しく落とします。 ワンオフの手打ちの逸品と、鈍ら軍刀じゃ無理なのは、私のようなガキにも判ります。こんなテレビのバラエティ番組の愚にもつかない実験で、全てを評価するようでは、貴方も相当浅いですね。 |
▼敦煌の倅さん: >アハハハハ・・・親父の狩猟についてったことありますが、斬れませんよ10人は無理でしょう。 >原因は「脂」ですよ。これが刃物の切れ味を著しく落とします。 >ワンオフの手打ちの逸品と、鈍ら軍刀じゃ無理なのは、私のようなガキにも判ります。こんなテレビのバラエティ番組の愚にもつかない実験で、全てを評価するようでは、貴方も相当浅いですね。 狩猟で日本刀で何かを斬られたんですか? 動物は強靭な毛皮をまとっていますから、人間とはかなり違うでしょう。 それに脂がついても拭けばいいでしょう。 中国の現場では、戦闘中よりも捕虜に対する斬殺が多かったようなので、脂を拭く余裕は十分あったと思われます。 |
▼MNGさん: >▼敦煌の倅さん: > >>アハハハハ・・・親父の狩猟についてったことありますが、斬れませんよ10人は無理でしょう。 >>原因は「脂」ですよ。これが刃物の切れ味を著しく落とします。 >>ワンオフの手打ちの逸品と、鈍ら軍刀じゃ無理なのは、私のようなガキにも判ります。こんなテレビのバラエティ番組の愚にもつかない実験で、全てを評価するようでは、貴方も相当浅いですね。 > >狩猟で日本刀で何かを斬られたんですか? >動物は強靭な毛皮をまとっていますから、人間とはかなり違うでしょう。 >それに脂がついても拭けばいいでしょう。 >中国の現場では、戦闘中よりも捕虜に対する斬殺が多かったようなので、脂を拭く余裕は十分あったと思われます。 はぁ、(脱力 日本刀であれナイフであれ鍛造の金属刃物は変わりありません。 脂を拭き取る・・・(w あの南京攻略は冬ですよね。 哺乳動物は体温が高めなんですよ。判りますよね? 冷たい外気に晒された脂(所謂、脂肪)は直ぐに凝固してきます。 すき焼きや焼肉を思い出して下さい。固まった脂を拭くだけで除去するのは 至難の業ですよ。それに血液。血小板の作用によって直ぐに固まろうとします。 貴方は、「据え物斬り」が多かったと仰りたいようですが、 斬るという動作は重労働ですよ。切るのとは違いますし。 骨に当たれば「斧」のように厚みのある刃でなければ大なり小なり「刃こぼれ」は 免れません。鋼材は緩慢な荷重、衝撃には粘り強いですが、瞬間的な衝撃には案外 脆いものなんですけど。粘りは金属分子の並び方にあります。 綺麗な鍛流線があります鋳造品にはありません。固定された刀に、固定された銃から発射された半溶融状態の弾丸を、斬る方向にしか応力の働かない状態で撃ち込めば、弾丸は切れて日本刀は刃こぼれしません。 蛇足になりますが、銃から発射された弾丸はフォロー、ソフト限らず かなり軟らかいものです。(薬莢装薬の爆発熱により)ソフト・ポイントは この状態と、被甲を除くことによって、着弾時マッシュルーム効果(弾頭がきのこ状に潰れる)によってダメージを増幅する構造になってます。 射撃場の着弾点で弾を拾うと、かなり後でも暖かい状態です。 人間が斬る動作のときには少なからず、折る方向に力が加わる筈です。 それで硬度の高い骨に刃が当たったら・・こぼれない訳がありません。 血液と脂を同時にきれいさっぱり拭いながら斬っていたんでは効率が 悪いですよね。斬らなくても銃殺という方法もありますよね。 逃げない相手を斬る。必要性も疑問ではありませんか?交戦中に 敵と遭遇したらば、斬るというのは考えられます。ピストルと「刀」を 比較したのも同じ「マン・ストッピング・ウェポン」だからでしょう? 敵の攻撃をかわし、敵を止める。役目の主体はどちらも一緒です。 |
ワンオフの手打ちの逸品と、鈍ら軍刀じゃ無理なのは、私のようなガキにも判ります。>>いくら手打ちの刀であっても、『玉鋼の材質自体が昔(鎌倉〜戦国時代)とは異なる為、当時のような刀を再現するには、当時の刀を一度解かしてから再製作しないと不可能である。しかし何故玉鋼の材質が現在と昔で違うのかは私にも分からない』とは例の居合 の先生です。また『模造刀?そんなもん真剣とは重心位地が全然違うし、模造刀では練習にはならんよ。実戦で使う?一度刀身に強い衝撃を受けたら、目に見えない傷が入って もし刃こぼれでもしていたら、そこから折れてしまうよ』とも聞いています。 更に『時代劇で何人も斬る場面があるが、あれはテレビドラマだけの世界。本当は無理。 刀の重さは野球のバットより重いし、下手をすると自分の足を切ってしまう。それに変な方向に力を加えると意外なほどに脆いよ。折れてしまうんじゃ。川の下流に刀を差して 草を斬るというのは確かに可能かも知れんよ。しかし人間の試し斬りとかは斬鉄剣でも 4〜5人が限界じゃろうて。骨を斬っただけでも刃こぼれをするでのう。しかもこれは素人には無理な話じゃよ。練習を積んだ私らでもな』という話でした。近所に元騎兵連隊の 人が居りますんで、機会があれば新しい情報でも仕入れます。 |
▼飛龍さん:こんばんは、貴重なお話ありがとうございます。 >ワンオフの手打ちの逸品と、鈍ら軍刀じゃ無理なのは、私のようなガキにも判ります。>>いくら手打ちの刀であっても、『玉鋼の材質自体が昔(鎌倉〜戦国時代)とは異なる為、当時のような刀を再現するには、当時の刀を一度解かしてから再製作しないと不可能である。しかし何故玉鋼の材質が現在と昔で違うのかは私にも分からない』とは例の居合の先生です。 先のご投稿でもそうでしたが、玉鋼の材質のお話は特に非常に興味深く読ませていただいています。 興味を惹かれたので、私も機会を見つけて調べてみます。 >近所に元騎兵連隊の人が居りますんで、機会があれば新しい情報でも仕入れます。 よろしくお願いします。楽しみに、でも気長に待っています。 |
▼MNGさん: >戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った刀剣研究家成瀬関次氏が、その様子を「戦ふ日本刀」という著書にまとめておられます。 >現在入手できるかどうか分かりませんが、下記サイトに一部引用されています。 >http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm 拝読しましたが、 「戦線では軍の中堅をなす下士官全部が兵種を問はず佩用する事となつた等から、爾来日本刀が実戦に於いて有史以来の使用量を見せるに至つたのである。」 との一文を見つけ、首を傾げました。 伍長、軍曹は軍刀を持っていなかった筈。 帯刀は曹長からでして、基本的な部分での間違いがある。どうも全体としての信憑性に疑問を抱かざるを得ないですね。 昭和15年の本ですが、戦意高揚のために書かれた著作と考えても差し支えないのではないでしょうか。 |
▼つるみさん: >▼MNGさん: >>戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った刀剣研究家成瀬関次氏が、その様子を「戦ふ日本刀」という著書にまとめておられます。 >>現在入手できるかどうか分かりませんが、下記サイトに一部引用されています。 >>http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm >拝読しましたが、 >「戦線では軍の中堅をなす下士官全部が兵種を問はず佩用する事となつた等から、爾来日本刀が実戦に於いて有史以来の使用量を見せるに至つたのである。」 >との一文を見つけ、首を傾げました。 >伍長、軍曹は軍刀を持っていなかった筈。 >帯刀は曹長からでして、基本的な部分での間違いがある。どうも全体としての信憑性に疑問を抱かざるを得ないですね。 >昭和15年の本ですが、戦意高揚のために書かれた著作と考えても差し支えないのではないでしょうか。 本来は【軍刀を佩用するのは「士官」・「准士官=准尉(特務曹長)」・「上級下士官=曹長」である。】 しかし【戦地の状況に依り臨機応変だったようで、支那事変の初期には前線の軍曹・伍長が既に帯刀している。 軍の文官 も軍刀を佩(は)き、 逓信(ていしん)・報道等の軍属も「軍属刀」を携えた。】そうで、基本的な部分での間違いではないようですし、それを根拠にした信憑性への疑問は当たらないようです。 http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_037.htm |
▼松さん: >▼行雲さん: > >横から失礼します。 > >日本刀に関心があって、個人的に少しづつではありますが、調べています。 >もし宜しければお付き合いいただけると嬉しく思います。 >また、議論をするつもりではないので、もしもお気に触りましたら読み流していただいて結構です。 > >軍刀についてですが、軍刀は尉官以上になると皆持ったと聞いています。 >これは軍が揃えるのではなく、家族が地元で買って送ったと聞いています。 >ですから、体裁だけ揃えるために数打ちの、とても日本刀とは言えない粗末なものが多かったとか。 >しかし、中には非常に立派な日本刀を持つ方もいたそうです。 > >日本刀の特徴は、反りにあります。 >日本の刀も古来はもともと諸外国のものと同様に真っ直ぐでした。 >しかし、東北地方から刀を反らせるようになりました。 > >何故刀を反らせる様になったかというと、東北地方は日本馬の原産地であり、戦闘に馬を用いるようになったからです。 >馬を利用した戦いの利点は、馬上から敵を斬り下せる事にあります。 >そこで、それまで使用していた直刀ではその使用法に耐えられず、刀の細工を工夫する必要に迫られた。 >直刀の特性は突きに強い点にありますが、斬る事には弱い。 >その弱点を解決するために、馬上からの斬り下ろしが効果的になる様に刀に反りを入れるようになったわけです。 >つまり、外国の直刀のような突くためのものとは違い、反りの入った日本刀は斬る為の刀である、という事です。 > >そこで、行雲さんの書かれた > >>古来日本刀の闘い方は突いてから切るのです、 >>しかし近代戦ではこれは通用しない。 >>銃剣術も知らないようですね、 >>相手を刺してその後はどうしますか。 > >の部分ですが、私は上に挙げた様な知識しかないので、貴方の仰られたお話は初見でした。 >突いてから斬る、という戦い方が一般的だったのですか? >もし宜しければもう少し詳しくお教え願えたらと思うのですが、よろしいでしょうか? 私の話は靖国に祭られている将兵の戦場での話です。 日本刀は鋼だから曲がらない折れるなどと、 たわけた話で本題をそらそうとするもので、 姑息な話になってしまった。 日本刀のお答えは皆さんがすでになさっているようですが、 あなたならすでにご存知でしょう。 日本刀の突く切るが以外なようですがね。 甲冑を着けた相手にその隙間を切先で突いて、 手負いになったところを切って仕留める。 これは源平、戦国時代の兵のやりかたですがね、 消耗品であるからして何口も持ち歩いたようです。 刀だけで戦ったのでもありませんがね。 将は刃をぬかぬものです、権威付けの飾りです。 命を懸けて戦うのは兵です。 文献、剣術書の多くは剣術の奥義などがかかれているが、 これは試合の技とか兵法が書かれている。 兵はなにも書きませんからね、集団で接近戦の使い方は みあたらないかもしれない。 靖国神社のお話から離れてしまったようです。 |
▼行雲さん:ご返信いただきありがとうございます。 >日本刀の突く切るが以外なようですがね。 >甲冑を着けた相手にその隙間を切先で突いて、 >手負いになったところを切って仕留める。 >これは源平、戦国時代の兵のやりかたですがね、 >消耗品であるからして何口も持ち歩いたようです。 >刀だけで戦ったのでもありませんがね。 >将は刃をぬかぬものです、権威付けの飾りです。 >命を懸けて戦うのは兵です。 > はい、日本刀の突く斬るは意外でした。 日本刀の形状からくる本来の働きを無視していますから。 しかし、合戦上での主役が鎌倉時代から戦国時代にかけて、斬る主体の日本刀から突く主体の槍に移っていった事を考えると、仰るとおりなのかも知れません。 機会を見つけて、頂いたお言葉を頭に置いて調べてみたいと思います。 戦国時代では槍で突き倒し、鎧通しで止めをさす、というのが主だったようです。 ただし、槍は相手を突くというよりも、むしろ殴り倒す事の方が多かったようです。 また仰るとおり、将の持つ刀は権威付けの飾りであったと思います。 だからこそ、川中島での武田信玄と上杉謙信との対決が後世への語り草ともなった。 将と将との一騎打ちという珍しさゆえです。 更に、戦の中心は刀から槍に移ったはずなのに、江戸時代になってもまだ刀が武士の命と呼ばれたのは何故なのか? 何故槍術以上に剣術が好まれたのか? 調べはじめると興味が尽きません。 剣豪と呼ばれた室町13代将軍足利義輝は、彼を暗殺するため松永久秀らが急襲してきた祭、畳に数振りの抜き身の日本刀を突き立てて迎え撃ちました。 これは有名な話です。 この話からわかるのは、日本刀が槍にその主役の座を奪われたとはいえ、それでも戦では重要な武器であったという事。 そして、日本刀の耐久性の限界を義輝が頭に入れて戦っていた、という事です。 刀がどれだけ持ちこたえられるのか、というのは、刀に親しく生活していた当時は当然の知識であったのでしょう。 一本の刀で100人斬れる、などと言ったら当時の武将は何と言うでしょう。 >文献、剣術書の多くは剣術の奥義などがかかれているが、 >これは試合の技とか兵法が書かれている。 >兵はなにも書きませんからね、集団で接近戦の使い方は >みあたらないかもしれない。 > 集団での接近戦の使い方、というのは見つからないかも知れませんね。あったら非常に興味深いのですが。 文献などの多くは試合の技とか兵法が書かれているというのは私も同様のイメージを持っています。 できれば他のものも探したいのですが、まだとてもそこまでは至らずにボチボチと読んでいます。 ただ、面白いものもありました。 合気道は今でこそ有名な武術になりましたが、もともとは武田信玄を生み出した武田家の秘伝だったそうです。 戦場で武器を失った際の戦い方が武田家には代々伝わっていたそうです。 その武術が明治時代になってから警察の逮捕術として伝承された。 それでもまだ当時は秘術扱いで、世間に広く知られるようになったのは日本が負けた戦後になってからなのだそうです。 もしかしたら探せばまだまだ世間にはこの様な隠れたものがあるかも知れませんね。 >靖国神社のお話から離れてしまったようです。 いや、私のせいです。 関心のある分野だったのでつい好き勝手な事を長々と並べてしまいました。 お付き合いさせてすみませんでした。 そしてありがとうございました。 |
▼行雲さん: >▼Inaさん: >> 行雲、 >> >> 日本語を解からない人に何を言っても無駄だと思いますし、また私の「質問」を >>全て答えてくれるなどとは期待してはいませんが、あなたが「南京」の話をしたの >>でしょう? まさか、「してはいない」等と妄論を述べはしないでしょうね。 >> それと厳密に言えば、居合い有段者に扱わせれば、「日本刀」は振るだけで曲が >>る、というかシナリます。百人切りは「日本刀」で行われたと言われています。 >>じゃあ、何回突いても大丈夫で頑丈な「目釘」を使用していたのでしょうね。あなたこそ、日本刀の性質も知らないくせに イッチョマエ に説教すべきではないです >>ね。 >> >> また「銃剣」のことなら、飛龍 様 が詳しく仰っていたので、少しは読んで勉強 >>した方がよろしいと思いますが? > >あなたは南京玉簾の話がしたいのですか。 >おしゃることが支離滅裂ですね。 >日本刀と戦時の軍刀の違いも知らないようですね。 >古来日本刀の闘い方は突いてから切るのです、 >しかし近代戦ではこれは通用しない。 >銃剣術も知らないようですね、 >相手を刺してその後はどうしますか。 ちょっとお待ち下さい。 銃剣は突くということしか出来ない筈ですが・・・ 貴方は旧軍の兵卒でしょうか? 御自分で「研ぎ出し」斬る為の「刃」を付けたなら 「重営倉」行きの軍規違反ですが・・・ 下士官か兵かは知りませんが、御自分の軍規違反を自慢になさるようでは 「劣兵」だったようですね。 因みに私の曽祖父は幼年学校、予備士官学校、士官学校とすすんだエリートでした。軍刀は斬る為よりも、主に指揮の為に使ったようですが。 >あなたは戦場では錯乱して一等早死に(犬死)するお方だ。 >あなたの靖国英霊に笑われるでしょう。 >結局あなたもお仲間も実戦を知らない。 >戦争懐古をしているだけです。 > >教える値打ちが無い。 |
昨夜の親父の投稿のまま、投稿者を直さず入れてしまいました。 ↑は、私の投稿です。 |
▼敦煌さん: >▼行雲さん: >>▼Inaさん: >>> 行雲、 >>> >>> 日本語を解からない人に何を言っても無駄だと思いますし、また私の「質問」を >>>全て答えてくれるなどとは期待してはいませんが、あなたが「南京」の話をしたの >>>でしょう? まさか、「してはいない」等と妄論を述べはしないでしょうね。 >>> それと厳密に言えば、居合い有段者に扱わせれば、「日本刀」は振るだけで曲が >>>る、というかシナリます。百人切りは「日本刀」で行われたと言われています。 >>>じゃあ、何回突いても大丈夫で頑丈な「目釘」を使用していたのでしょうね。あなたこそ、日本刀の性質も知らないくせに イッチョマエ に説教すべきではないです >>>ね。 >>> >>> また「銃剣」のことなら、飛龍 様 が詳しく仰っていたので、少しは読んで勉強 >>>した方がよろしいと思いますが? >> >>あなたは南京玉簾の話がしたいのですか。 >>おしゃることが支離滅裂ですね。 >>日本刀と戦時の軍刀の違いも知らないようですね。 >>古来日本刀の闘い方は突いてから切るのです、 >>しかし近代戦ではこれは通用しない。 >>銃剣術も知らないようですね、 >>相手を刺してその後はどうしますか。 > >ちょっとお待ち下さい。 >銃剣は突くということしか出来ない筈ですが・・・ >貴方は旧軍の兵卒でしょうか? >御自分で「研ぎ出し」斬る為の「刃」を付けたなら >「重営倉」行きの軍規違反ですが・・・ >下士官か兵かは知りませんが、御自分の軍規違反を自慢になさるようでは >「劣兵」だったようですね。 >因みに私の曽祖父は幼年学校、予備士官学校、士官学校とすすんだエリートでした。軍刀は斬る為よりも、主に指揮の為に使ったようですが。 >>あなたは戦場では錯乱して一等早死に(犬死)するお方だ。 >>あなたの靖国英霊に笑われるでしょう。 >>結局あなたもお仲間も実戦を知らない。 >>戦争懐古をしているだけです。 >> >>教える値打ちが無い。 私の官位は問題ではないでしょう。 それに「劣兵」などといふ言葉はありませんよ。 エリートがご自慢のようですね。それで少尉ですか。 あなた軍隊をよく知らないのではないのですか、 やたら軍隊用語をおつかいだが。 銃剣にこだわっていますね、刀剣オタクですか。 日本刀は日本人が精緻をきわめた芸術品ですがね。 近代戦闘では飾りなんですよ。こけ脅しの道具でしたね。 実戦ではね、銃剣で突いた後は相手の目を見据えるのですよ。 それでどうするかご存知かどうか、ご尊父にお聞きなさい。 知っているが多分お答えにならないでしょう、 仕官であればなおさらですよ。 でも、すこしだけ身近な例でお教えしましょう。 ヤクザさんが体当たりでドスを刺すでしょう、 相手の目をみているが、すぐには匕首を抜かない。 だが少しすると抜けなくなる、なぜですかね。 人を殺すといふことは同じなのです。 これ以上はお聞きなならないことですね。 言いたくもありませんのでね。 |
少尉!?軽く見られたもんですね。 まぁ、貴方よりは上でしょうから・・・いいですわ。 |
因みに私の曽祖父は幼年学校、予備士官学校、士官学校とすすんだエリートでした。>> ダメだこりゃ。陸士卒では卒業時には少尉に任官しているはずですよ。それすらご存知ないとは・・。トホホですな。それに大東亜戦争では陸士53期(昭和15年2月卒)では 戦争末期には指揮官戦死による不足からか、少佐が多いですな。これ常識。 |
▼飛龍さん: >因みに私の曽祖父は幼年学校、予備士官学校、士官学校とすすんだエリートでした。>> >ダメだこりゃ。陸士卒では卒業時には少尉に任官しているはずですよ。それすらご存知ないとは・・。トホホですな。それに大東亜戦争では陸士53期(昭和15年2月卒)では >戦争末期には指揮官戦死による不足からか、少佐が多いですな。これ常識。 そっかぁ、似非日本兵登場っすかぁ? 妄想ビンビンっすね。 ってゆーか、やっても居ない女とやった・・・とか言ってる ○○と一緒!? なんかストーカー予備軍みたいな・・・ ヤバいっすよ。ホント・・・ 少尉ってバカにするけど、「小隊長」クラスですから・・・ 軍刀は叩きつけるように・・・支那の青竜刀じゃないんですから 両手持ちですから斬線は弧を描きますしね。 相手の目を見るって・・そりゃ精神論で技術じゃありません。 ってゆーか行雲さんは招集ですか?志願ですか? まさか予科練なんて仰らないで下さいね。禿藁っすから・・・ で、所属と戦闘地域は?ここまで仰ったんですから 豊富な実戦経験を教えてください。 ホントは私。「防衛大学校」行きたかったんです。 従兄弟が防大から護衛艦勤務ですから。 まぁ少し勉強が足らなかったから。 エリートはお嫌いですね、私、お札になってる方の開いた学校ですけど |
行雲さん 戦場へ行けと仰いましたね。 では、御一緒に「安保粉砕!国軍創設!」を訴えてください。 で、実現した暁には、市ヶ谷台上に上がるべく、(江田島でも・・・) 学校やめて受験します。士官学校か、兵学校しか受ける気はありません。 エリートは「努力の結果」ですから劣兵とは違います。 ウェスト・ポイントや、アナポリス卒はアメリカでも一目置かれます。 それは、狭き門ですから、厳しいし・・・ 敢えて私はやりたいですね。「国を護る」為に・・・。 それが、育てて貰った、全てへの恩返しです。 軍国主義?右翼?なんとでも仰ってください。これが私の「信念」です。 誰に、どのように言われようと・・・変える気なんかありません。 |
エリートさん、 >「学校やめて受験します」 どちらに今通っているか存じませんが、防大ばかりがお国に奉仕の道ではあるまい。無理せんで、せいぜいネットウヨクぐらいにしておきなさい。エリートというのは精神力だけではなれないのと違います?血筋、というのもあります。失礼しました。 |
▼敦煌の倅さん: >行雲さん >戦場へ行けと仰いましたね。 >では、御一緒に「安保粉砕!国軍創設!」を訴えてください。 >で、実現した暁には、市ヶ谷台上に上がるべく、(江田島でも・・・) >学校やめて受験します。士官学校か、兵学校しか受ける気はありません。 >エリートは「努力の結果」ですから劣兵とは違います。 >ウェスト・ポイントや、アナポリス卒はアメリカでも一目置かれます。 >それは、狭き門ですから、厳しいし・・・ >敢えて私はやりたいですね。「国を護る」為に・・・。 >それが、育てて貰った、全てへの恩返しです。 >軍国主義?右翼?なんとでも仰ってください。これが私の「信念」です。 >誰に、どのように言われようと・・・変える気なんかありません。 お若い。 何故少尉と言ったとおもっとられるか。 お仲間に聞きなさい、尉官には詳しいようですからね。 エリートに憧れるのは劣等だからですよ。 エリートは初めからエリートなんですよ。 防衛大に憧れてるが、不合格だったでしょう。 武闘の基本はね、相手の目を見据えることですよ。 あなたは刺した相手に不意を突かれる手合いですな。 分をわきまえて銃後に居たほうがよろしい。 長居した、老兵は消えることにしましょう。 |
行雲さん、ほかのスレッドに移りましょう。 ずっと思っていたんですけど、このスレッド「気持ち悪いです」。 |
▼行雲さん: >▼敦煌の倅さん: >>行雲さん >>戦場へ行けと仰いましたね。 >>では、御一緒に「安保粉砕!国軍創設!」を訴えてください。 >>で、実現した暁には、市ヶ谷台上に上がるべく、(江田島でも・・・) >>学校やめて受験します。士官学校か、兵学校しか受ける気はありません。 >>エリートは「努力の結果」ですから劣兵とは違います。 >>ウェスト・ポイントや、アナポリス卒はアメリカでも一目置かれます。 >>それは、狭き門ですから、厳しいし・・・ >>敢えて私はやりたいですね。「国を護る」為に・・・。 >>それが、育てて貰った、全てへの恩返しです。 >>軍国主義?右翼?なんとでも仰ってください。これが私の「信念」です。 >>誰に、どのように言われようと・・・変える気なんかありません。 > >お若い。 >何故少尉と言ったとおもっとられるか。 >お仲間に聞きなさい、尉官には詳しいようですからね。 > >エリートに憧れるのは劣等だからですよ。 >エリートは初めからエリートなんですよ。 > >防衛大に憧れてるが、不合格だったでしょう。 > >武闘の基本はね、相手の目を見据えることですよ。 >あなたは刺した相手に不意を突かれる手合いですな。 >分をわきまえて銃後に居たほうがよろしい。 > >長居した、老兵は消えることにしましょう。 あの、防衛大学校は受験もしてないですけど・・・ 劣等ね・・・私の質問にも答えられない貴方に、「劣等」呼ばわりされる 筋合いはありませんね。 武闘の基本!? 貴方は銃剣で突いた後・・と仰いましたが・・・ なんとも支離滅裂ですね(藁 よりも、志願か、徴兵なのか。所属と派遣先を出してください。 まぁ、出せないから逃げるんでしょう。逃げたから今も生きておられる 「腰抜け」が偉そうなことを仰らないで下さい。嘲笑っちゃうから。 |
▼敦煌の倅さん: あなたね、もういいから、あなたに合った場所を探してどこへでも行きなさい。老人をからかっていい気になって、あたら若い時間を無駄に消耗しなさんな。お父さんの恥を晒すようなもの。 あなたはあなたの信ずる道を行きなさい。どう考えてもここはあなたの「知識」をひけらかす場所ではない。あなたもごく普通の庶民だ。エリートになるなど考えずに、今は良い友人と多く過ごすことを考えなさい。 さようなら。 |
横レスですが、陸士出身の尉官を少尉とか言うから突っ込まれる訳なんですな。 少尉は卒業時と同時に任官します。因みに志願兵は伍長・軍曹で班長(部下5〜6名) 曹長・准尉で分隊長(部下10〜15名)というのは軍隊経験者なら常識のはずなんですがねぇ。んで少尉は小隊長(部下30〜50名)。志願兵でも7〜8年の古参になると少尉候補生と しての資格が与えられる。これらを知らずに、いかにも軍隊経験者ぶるから突っ込まれる。そして論理破綻すれば、『あなたね、もういいから、あなたに合った場所を探してどこへでも行きなさい。』という具合ですわ。軍事について語りたいなら、もう少し戦記物でも読まれたらいかがでしょう?所謂百人斬りについても、先月に元毎日新聞カメラマンが『あれは朝海記者の完全なニセ報道だった』と老体をおして証言されていますよ。 まぁ【日本軍は何がなんでも悪役でなければならない】という信仰から抜け出せない諸君 にとっては、絶対に認めたくないだろうが事実は事実として認めましょうや。まるでハンマー投げ【幻の金メダリスト】アヌシュ選手と同じですぞ。ドーピングでもしてラリパッパにでもなっているのかと、小一時間・・・・。 <週間新潮7月22号は、特集として南京大虐殺「100人斬り訴訟」が暴いた大新聞の「歴史的ウソ」という記事を掲載しました。下記はその特集より引用したものです。 7月12日、東京地裁第103号法廷で開かれた民事訴訟に、車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した。佐藤振壽氏。大正2年生まれであるから、今年91歳になる。 佐藤氏は、日中戦争が中国全土に拡大していく最中、昭和12年9月から12月まで、東京日々新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海、南京戦線に従軍した。南京陥落が12月13日。いまや当時を知る数少ない貴重な証言者と言えるだろう。佐藤氏は巷間伝わる「百人斬り競争などなかったことを証言するために、この日の法廷に立った。 (中略) 問題の東京日々新聞に掲載された向井、野田両少尉の写真は、そもそも佐藤氏が撮影したものだった。記事を執筆したのは、浅見一男記者(戦後、毎日新聞労組委員長、退職後、中国問題評論家。故人)。佐藤氏と浅見記者は、南京攻略の途上、常州に一番乗りした第16師団の片桐部隊と合流する。そこで向井、野田両少尉と出会い百人斬りの話を聞く。 しかし、佐藤氏は2人の話を信用しなかったという。 「野田さんは大隊副官で、向井さんは歩兵砲の小隊長出した。2人とも兵を指揮する役職ですから、刀を振り回して白兵戦に参加することはありえない。私は最初からホラ話だと思って、たいして気にもとめていなかったのです。その後、2人には会っていませんが、2人が所属していた冨山大隊には何度も行きました。そこの兵隊から100人斬りの話は聞いたことがありませんでした。 佐藤氏が両少尉に会った時点では、まだ競争は始まっていない。しかし第1報ではすでに何十人も斬ったことになっているのである。 佐藤氏は、まさかホラ話が記事になるとは思っていなかったという。そうしてこう懺悔する。「南京大虐殺記念館では私の写真を勝手に使っている。南京軍事裁判でも、人定尋問で私の写真が使われた。記事はウソでも写真は本人に間違いないですからね。その写真がもとで銃殺されてしまって遺族の方には申し訳ないと思います。私が今回証人として出ることにしたのは、遺族への謝罪の気持ちと、真実をはっきりさせなければならないと思ったからです。陸軍省は、ホラ話でも、戦意高揚のために都合のいい話だから検閲を通してしまったんですよ」 浅見記者は、100人斬りの現場を目撃して記事を書いたわけではない。確かに、その場で百人斬りの話題にはなったのだろう。少尉も大言壮語したと思われる。とはいえ、事実かどうかも確認せずに送稿したのだから、明らかに創作である。(中略) 被告側は非を認めていない。毎日新聞は裁判の中で、「適正に取材し、かつ正確に記録したもので記事は真実である。他者が誤って引用したとしても、それは毎日の責任ではない」と主張している。だが、当の毎日新聞自身が、平成元年に発行した「昭和史全記録」の中の南京関連の項目で、「100人斬りは事実無根だった」とはっきり記述しているのだから、その矛盾をどう説明するのか。 また朝日新聞も後に単行本となった本多勝一氏の連載に付いて、「60数年も前の新聞記事の記載を歴史上のものとして紹介したものであり、また、当該行為を当時の戦場でありがちだったものとして評論したものである。したがって、同記述によって両少尉の子や兄弟が社会的に非難されることになるとは、通常考えられない」と主張するのである。 報道被害を訴える大新聞が、自社の「歴史的ウソ」に頬被りするつもりか。>> http://homepage3.nifty.com/kyoho-enzai/boad/contents/E0700_33.html ☆百人斬り肯定真理教信者にはイタイ事実ですなぁ。 |
▼飛龍さんとやら、 ご苦労さんです。あなた見たいな人をナニ・オタクと言うんでしょうね。馬鹿やってないで寝なさい。私も寝ます。さいなら。 |
▼飛龍さん: >横レスですが、陸士出身の尉官を少尉とか言うから突っ込まれる訳なんですな。 >少尉は卒業時と同時に任官します。因みに志願兵は伍長・軍曹で班長(部下5〜6名) >曹長・准尉で分隊長(部下10〜15名)というのは軍隊経験者なら常識のはずなんですがねぇ。んで少尉は小隊長(部下30〜50名)。志願兵でも7〜8年の古参になると少尉候補生と >しての資格が与えられる。これらを知らずに、いかにも軍隊経験者ぶるから突っ込まれる。そして論理破綻すれば、『あなたね、もういいから、あなたに合った場所を探してどこへでも行きなさい。』という具合ですわ。軍事について語りたいなら、もう少し戦記物でも読まれたらいかがでしょう?所謂百人斬りについても、先月に元毎日新聞カメラマンが『あれは朝海記者の完全なニセ報道だった』と老体をおして証言されていますよ。 > >まぁ【日本軍は何がなんでも悪役でなければならない】という信仰から抜け出せない諸君 >にとっては、絶対に認めたくないだろうが事実は事実として認めましょうや。まるでハンマー投げ【幻の金メダリスト】アヌシュ選手と同じですぞ。ドーピングでもしてラリパッパにでもなっているのかと、小一時間・・・・。 > > <週間新潮7月22号は、特集として南京大虐殺「100人斬り訴訟」が暴いた大新聞の「歴史的ウソ」という記事を掲載しました。下記はその特集より引用したものです。 >7月12日、東京地裁第103号法廷で開かれた民事訴訟に、車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した。佐藤振壽氏。大正2年生まれであるから、今年91歳になる。 > 佐藤氏は、日中戦争が中国全土に拡大していく最中、昭和12年9月から12月まで、東京日々新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海、南京戦線に従軍した。南京陥落が12月13日。いまや当時を知る数少ない貴重な証言者と言えるだろう。佐藤氏は巷間伝わる「百人斬り競争などなかったことを証言するために、この日の法廷に立った。 >(中略) > 問題の東京日々新聞に掲載された向井、野田両少尉の写真は、そもそも佐藤氏が撮影したものだった。記事を執筆したのは、浅見一男記者(戦後、毎日新聞労組委員長、退職後、中国問題評論家。故人)。佐藤氏と浅見記者は、南京攻略の途上、常州に一番乗りした第16師団の片桐部隊と合流する。そこで向井、野田両少尉と出会い百人斬りの話を聞く。 > しかし、佐藤氏は2人の話を信用しなかったという。 >「野田さんは大隊副官で、向井さんは歩兵砲の小隊長出した。2人とも兵を指揮する役職ですから、刀を振り回して白兵戦に参加することはありえない。私は最初からホラ話だと思って、たいして気にもとめていなかったのです。その後、2人には会っていませんが、2人が所属していた冨山大隊には何度も行きました。そこの兵隊から100人斬りの話は聞いたことがありませんでした。 > 佐藤氏が両少尉に会った時点では、まだ競争は始まっていない。しかし第1報ではすでに何十人も斬ったことになっているのである。 > 佐藤氏は、まさかホラ話が記事になるとは思っていなかったという。そうしてこう懺悔する。「南京大虐殺記念館では私の写真を勝手に使っている。南京軍事裁判でも、人定尋問で私の写真が使われた。記事はウソでも写真は本人に間違いないですからね。その写真がもとで銃殺されてしまって遺族の方には申し訳ないと思います。私が今回証人として出ることにしたのは、遺族への謝罪の気持ちと、真実をはっきりさせなければならないと思ったからです。陸軍省は、ホラ話でも、戦意高揚のために都合のいい話だから検閲を通してしまったんですよ」 > 浅見記者は、100人斬りの現場を目撃して記事を書いたわけではない。確かに、その場で百人斬りの話題にはなったのだろう。少尉も大言壮語したと思われる。とはいえ、事実かどうかも確認せずに送稿したのだから、明らかに創作である。(中略) > 被告側は非を認めていない。毎日新聞は裁判の中で、「適正に取材し、かつ正確に記録したもので記事は真実である。他者が誤って引用したとしても、それは毎日の責任ではない」と主張している。だが、当の毎日新聞自身が、平成元年に発行した「昭和史全記録」の中の南京関連の項目で、「100人斬りは事実無根だった」とはっきり記述しているのだから、その矛盾をどう説明するのか。 > また朝日新聞も後に単行本となった本多勝一氏の連載に付いて、「60数年も前の新聞記事の記載を歴史上のものとして紹介したものであり、また、当該行為を当時の戦場でありがちだったものとして評論したものである。したがって、同記述によって両少尉の子や兄弟が社会的に非難されることになるとは、通常考えられない」と主張するのである。 > > 報道被害を訴える大新聞が、自社の「歴史的ウソ」に頬被りするつもりか。>> >http://homepage3.nifty.com/kyoho-enzai/boad/contents/E0700_33.html > >☆百人斬り肯定真理教信者にはイタイ事実ですなぁ。 あなた少尉は揶揄だと言わなければ判らないのですかね。 軍隊経験者なら常識などと戦争資料館あたの知識でしょうが。 このようなところで自分の軍籍をだすほど耄碌しておらん。 今時己の武勲を披露すれば嘲笑されるだけでしょう、 わからんかね。 戦争ゴッコ愛好者にはわからんでしょう。情けない。 あなたのような者が教唆するゆへに、 このような子倅を山口おとやにするのですぞ。 恥を知りなさい。 南京玉簾(意味が判らんじゃろが)もやめなさい、 何を喧伝しているかわかっとるのかね。 お仲間の戦争愛好会にお戻りなさい。しれものが。 |
▼行雲さん: >▼飛龍さん: >>横レスですが、陸士出身の尉官を少尉とか言うから突っ込まれる訳なんですな。 >>少尉は卒業時と同時に任官します。因みに志願兵は伍長・軍曹で班長(部下5〜6名) >>曹長・准尉で分隊長(部下10〜15名)というのは軍隊経験者なら常識のはずなんですがねぇ。んで少尉は小隊長(部下30〜50名)。志願兵でも7〜8年の古参になると少尉候補生と >>しての資格が与えられる。これらを知らずに、いかにも軍隊経験者ぶるから突っ込まれる。そして論理破綻すれば、『あなたね、もういいから、あなたに合った場所を探してどこへでも行きなさい。』という具合ですわ。軍事について語りたいなら、もう少し戦記物でも読まれたらいかがでしょう?所謂百人斬りについても、先月に元毎日新聞カメラマンが『あれは朝海記者の完全なニセ報道だった』と老体をおして証言されていますよ。 >> >>まぁ【日本軍は何がなんでも悪役でなければならない】という信仰から抜け出せない諸君 >>にとっては、絶対に認めたくないだろうが事実は事実として認めましょうや。まるでハンマー投げ【幻の金メダリスト】アヌシュ選手と同じですぞ。ドーピングでもしてラリパッパにでもなっているのかと、小一時間・・・・。 >> >> <週間新潮7月22号は、特集として南京大虐殺「100人斬り訴訟」が暴いた大新聞の「歴史的ウソ」という記事を掲載しました。下記はその特集より引用したものです。 >>7月12日、東京地裁第103号法廷で開かれた民事訴訟に、車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した。佐藤振壽氏。大正2年生まれであるから、今年91歳になる。 >> 佐藤氏は、日中戦争が中国全土に拡大していく最中、昭和12年9月から12月まで、東京日々新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海、南京戦線に従軍した。南京陥落が12月13日。いまや当時を知る数少ない貴重な証言者と言えるだろう。佐藤氏は巷間伝わる「百人斬り競争などなかったことを証言するために、この日の法廷に立った。 >>(中略) >> 問題の東京日々新聞に掲載された向井、野田両少尉の写真は、そもそも佐藤氏が撮影したものだった。記事を執筆したのは、浅見一男記者(戦後、毎日新聞労組委員長、退職後、中国問題評論家。故人)。佐藤氏と浅見記者は、南京攻略の途上、常州に一番乗りした第16師団の片桐部隊と合流する。そこで向井、野田両少尉と出会い百人斬りの話を聞く。 >> しかし、佐藤氏は2人の話を信用しなかったという。 >>「野田さんは大隊副官で、向井さんは歩兵砲の小隊長出した。2人とも兵を指揮する役職ですから、刀を振り回して白兵戦に参加することはありえない。私は最初からホラ話だと思って、たいして気にもとめていなかったのです。その後、2人には会っていませんが、2人が所属していた冨山大隊には何度も行きました。そこの兵隊から100人斬りの話は聞いたことがありませんでした。 >> 佐藤氏が両少尉に会った時点では、まだ競争は始まっていない。しかし第1報ではすでに何十人も斬ったことになっているのである。 >> 佐藤氏は、まさかホラ話が記事になるとは思っていなかったという。そうしてこう懺悔する。「南京大虐殺記念館では私の写真を勝手に使っている。南京軍事裁判でも、人定尋問で私の写真が使われた。記事はウソでも写真は本人に間違いないですからね。その写真がもとで銃殺されてしまって遺族の方には申し訳ないと思います。私が今回証人として出ることにしたのは、遺族への謝罪の気持ちと、真実をはっきりさせなければならないと思ったからです。陸軍省は、ホラ話でも、戦意高揚のために都合のいい話だから検閲を通してしまったんですよ」 >> 浅見記者は、100人斬りの現場を目撃して記事を書いたわけではない。確かに、その場で百人斬りの話題にはなったのだろう。少尉も大言壮語したと思われる。とはいえ、事実かどうかも確認せずに送稿したのだから、明らかに創作である。(中略) >> 被告側は非を認めていない。毎日新聞は裁判の中で、「適正に取材し、かつ正確に記録したもので記事は真実である。他者が誤って引用したとしても、それは毎日の責任ではない」と主張している。だが、当の毎日新聞自身が、平成元年に発行した「昭和史全記録」の中の南京関連の項目で、「100人斬りは事実無根だった」とはっきり記述しているのだから、その矛盾をどう説明するのか。 >> また朝日新聞も後に単行本となった本多勝一氏の連載に付いて、「60数年も前の新聞記事の記載を歴史上のものとして紹介したものであり、また、当該行為を当時の戦場でありがちだったものとして評論したものである。したがって、同記述によって両少尉の子や兄弟が社会的に非難されることになるとは、通常考えられない」と主張するのである。 >> >> 報道被害を訴える大新聞が、自社の「歴史的ウソ」に頬被りするつもりか。>> >>http://homepage3.nifty.com/kyoho-enzai/boad/contents/E0700_33.html >> >>☆百人斬り肯定真理教信者にはイタイ事実ですなぁ。 > >あなた少尉は揶揄だと言わなければ判らないのですかね。 >軍隊経験者なら常識などと戦争資料館あたの知識でしょうが。 > >このようなところで自分の軍籍をだすほど耄碌しておらん。 >今時己の武勲を披露すれば嘲笑されるだけでしょう、 >わからんかね。 >戦争ゴッコ愛好者にはわからんでしょう。情けない。 > >あなたのような者が教唆するゆへに、 >このような子倅を山口おとやにするのですぞ。 >恥を知りなさい。 > >南京玉簾(意味が判らんじゃろが)もやめなさい、 >何を喧伝しているかわかっとるのかね。 > >お仲間の戦争愛好会にお戻りなさい。しれものが。 おおっと。倅煽ったら今度は飛龍さんに噛み付くんですか? 出したらよろしいじゃないですか?誰も嘲笑なぞ致しません。 少なくとも、私を含めて幾人かは・・。 御自分の武勲を堂々と言えない世間がおかしいとは、思いませんか? ウチの御近所の方は、シベリア抑留を経験されても、武勲は語って下さいました。 (すでに鬼籍に入られてますが)貴方が戦ったのは紛れも無い事実でしょう? 世の中がどんなに変わっても、伝えるべきではないかと存じます。 旧軍の戦友会の方々は、靖國で広報活動をなされてます。 重みのある言葉は、若い人たちにも届きます。 なぜ、年々靖國の参拝者が増えているのか?それは戦友会の皆さんの功績が 大きいと私は思っています。我祖父は将校でしたから、覚悟どころか本望でしたでしょうし。好むと好まざるに関わらず「挙国一致」国難に立ち向かったのではありませんか?何を恥じたり、謙遜されることがありましょう? 軍隊経験を恥としている今の風潮がおかしいんですよ。 別スレで仏蘭西人の発言を上梓しております。これこそが愛国心ではありませんか? |
▼敦煌さん: >▼行雲さん: >>▼飛龍さん: >>>横レスですが、陸士出身の尉官を少尉とか言うから突っ込まれる訳なんですな。 >>>少尉は卒業時と同時に任官します。因みに志願兵は伍長・軍曹で班長(部下5〜6名) >>>曹長・准尉で分隊長(部下10〜15名)というのは軍隊経験者なら常識のはずなんですがねぇ。んで少尉は小隊長(部下30〜50名)。志願兵でも7〜8年の古参になると少尉候補生と >>>しての資格が与えられる。これらを知らずに、いかにも軍隊経験者ぶるから突っ込まれる。そして論理破綻すれば、『あなたね、もういいから、あなたに合った場所を探してどこへでも行きなさい。』という具合ですわ。軍事について語りたいなら、もう少し戦記物でも読まれたらいかがでしょう?所謂百人斬りについても、先月に元毎日新聞カメラマンが『あれは朝海記者の完全なニセ報道だった』と老体をおして証言されていますよ。 >>> >>>まぁ【日本軍は何がなんでも悪役でなければならない】という信仰から抜け出せない諸君 >>>にとっては、絶対に認めたくないだろうが事実は事実として認めましょうや。まるでハンマー投げ【幻の金メダリスト】アヌシュ選手と同じですぞ。ドーピングでもしてラリパッパにでもなっているのかと、小一時間・・・・。 >>> >>> <週間新潮7月22号は、特集として南京大虐殺「100人斬り訴訟」が暴いた大新聞の「歴史的ウソ」という記事を掲載しました。下記はその特集より引用したものです。 >>>7月12日、東京地裁第103号法廷で開かれた民事訴訟に、車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した。佐藤振壽氏。大正2年生まれであるから、今年91歳になる。 >>> 佐藤氏は、日中戦争が中国全土に拡大していく最中、昭和12年9月から12月まで、東京日々新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海、南京戦線に従軍した。南京陥落が12月13日。いまや当時を知る数少ない貴重な証言者と言えるだろう。佐藤氏は巷間伝わる「百人斬り競争などなかったことを証言するために、この日の法廷に立った。 >>>(中略) >>> 問題の東京日々新聞に掲載された向井、野田両少尉の写真は、そもそも佐藤氏が撮影したものだった。記事を執筆したのは、浅見一男記者(戦後、毎日新聞労組委員長、退職後、中国問題評論家。故人)。佐藤氏と浅見記者は、南京攻略の途上、常州に一番乗りした第16師団の片桐部隊と合流する。そこで向井、野田両少尉と出会い百人斬りの話を聞く。 >>> しかし、佐藤氏は2人の話を信用しなかったという。 >>>「野田さんは大隊副官で、向井さんは歩兵砲の小隊長出した。2人とも兵を指揮する役職ですから、刀を振り回して白兵戦に参加することはありえない。私は最初からホラ話だと思って、たいして気にもとめていなかったのです。その後、2人には会っていませんが、2人が所属していた冨山大隊には何度も行きました。そこの兵隊から100人斬りの話は聞いたことがありませんでした。 >>> 佐藤氏が両少尉に会った時点では、まだ競争は始まっていない。しかし第1報ではすでに何十人も斬ったことになっているのである。 >>> 佐藤氏は、まさかホラ話が記事になるとは思っていなかったという。そうしてこう懺悔する。「南京大虐殺記念館では私の写真を勝手に使っている。南京軍事裁判でも、人定尋問で私の写真が使われた。記事はウソでも写真は本人に間違いないですからね。その写真がもとで銃殺されてしまって遺族の方には申し訳ないと思います。私が今回証人として出ることにしたのは、遺族への謝罪の気持ちと、真実をはっきりさせなければならないと思ったからです。陸軍省は、ホラ話でも、戦意高揚のために都合のいい話だから検閲を通してしまったんですよ」 >>> 浅見記者は、100人斬りの現場を目撃して記事を書いたわけではない。確かに、その場で百人斬りの話題にはなったのだろう。少尉も大言壮語したと思われる。とはいえ、事実かどうかも確認せずに送稿したのだから、明らかに創作である。(中略) >>> 被告側は非を認めていない。毎日新聞は裁判の中で、「適正に取材し、かつ正確に記録したもので記事は真実である。他者が誤って引用したとしても、それは毎日の責任ではない」と主張している。だが、当の毎日新聞自身が、平成元年に発行した「昭和史全記録」の中の南京関連の項目で、「100人斬りは事実無根だった」とはっきり記述しているのだから、その矛盾をどう説明するのか。 >>> また朝日新聞も後に単行本となった本多勝一氏の連載に付いて、「60数年も前の新聞記事の記載を歴史上のものとして紹介したものであり、また、当該行為を当時の戦場でありがちだったものとして評論したものである。したがって、同記述によって両少尉の子や兄弟が社会的に非難されることになるとは、通常考えられない」と主張するのである。 >>> >>> 報道被害を訴える大新聞が、自社の「歴史的ウソ」に頬被りするつもりか。>> >>>http://homepage3.nifty.com/kyoho-enzai/boad/contents/E0700_33.html >>> >>>☆百人斬り肯定真理教信者にはイタイ事実ですなぁ。 >> >>あなた少尉は揶揄だと言わなければ判らないのですかね。 >>軍隊経験者なら常識などと戦争資料館あたの知識でしょうが。 >> >>このようなところで自分の軍籍をだすほど耄碌しておらん。 >>今時己の武勲を披露すれば嘲笑されるだけでしょう、 >>わからんかね。 >>戦争ゴッコ愛好者にはわからんでしょう。情けない。 >> >>あなたのような者が教唆するゆへに、 >>このような子倅を山口おとやにするのですぞ。 >>恥を知りなさい。 >> >>南京玉簾(意味が判らんじゃろが)もやめなさい、 >>何を喧伝しているかわかっとるのかね。 >> >>お仲間の戦争愛好会にお戻りなさい。しれものが。 > >おおっと。倅煽ったら今度は飛龍さんに噛み付くんですか? >出したらよろしいじゃないですか?誰も嘲笑なぞ致しません。 >少なくとも、私を含めて幾人かは・・。 >御自分の武勲を堂々と言えない世間がおかしいとは、思いませんか? >ウチの御近所の方は、シベリア抑留を経験されても、武勲は語って下さいました。 >(すでに鬼籍に入られてますが)貴方が戦ったのは紛れも無い事実でしょう? >世の中がどんなに変わっても、伝えるべきではないかと存じます。 >旧軍の戦友会の方々は、靖國で広報活動をなされてます。 >重みのある言葉は、若い人たちにも届きます。 >なぜ、年々靖國の参拝者が増えているのか?それは戦友会の皆さんの功績が >大きいと私は思っています。我祖父は将校でしたから、覚悟どころか本望でしたでしょうし。好むと好まざるに関わらず「挙国一致」国難に立ち向かったのではありませんか?何を恥じたり、謙遜されることがありましょう? >軍隊経験を恥としている今の風潮がおかしいんですよ。 >別スレで仏蘭西人の発言を上梓しております。これこそが愛国心ではありませんか? 部隊名を知りたいかね。 靖国には絶対に行かない部隊をしらべなさい。 戦友から電話が有った、行雲はお前だろうとね。 即刻止めろといっとるが、お迎えはちかいからね。 |
お仲間の戦争愛好会にお戻りなさい。しれものが。>>いやいや必死さがひしひしと伝わってきますな。(笑 私も煽られてカーッとなるような年ではありませんぞよ。 それと断っておくが、私は戦争推進者なんぞではありません。家族も居る身ですしねぇ。 出切れば家族を危険に晒したくありませんわな。アンタらの言う『いつまでも中国様の言いつけ通り、反省しておれ』というのが納得できない訳ですな。『先覚諸島の石油盗掘にせよ教科書の内政干渉にせよ、過去に日本軍は悪いことをした。だからどのようなことをされても、大人しく黙って中国様の言い分に無批判で従え』と言わんばかりの意見には従えないんですよ、残念ながら。何故そこまで卑屈になる理由があるのか納得出来ませんな。いいですか、戦記物を読んだりしているのは【相手の出方を窺う】のに参考になるんですよ。つまり戦略眼を持つということです。戦略=政治=経済ですから、このラインが しっかりしていれば国策を誤る割合が少なくなる。 中・韓がなぜ日本に内政干渉するかご存知かな?彼らは日本の国策を誤らせることに主眼を置いている。 つまり経済面ではもはや太刀打ち不可能であるから、精神面で何とか従属させ賠償金目的で【自分たちは楽 をして日本から金をせしめる】ということですな。 それが彼らの真意であり、これを見抜けないようではお話にもなりませんぞよ。 |
もうひとつ付け加えておくと、私の投稿も所詮はディスプレイ上の単なる文字の羅列にしか過ぎませんよ。あまりカッカするのはよろしくありませんな。冷静に、冷静に。 |
▼行雲さん: >▼敦煌の倅さん: >>行雲さん。 >> >>私は、学校で先生の教える歴史など、これっぽっちも信じてmiいません。 >>ただ、試験の手段として記憶はしましたが・・ >>こんなのも今は、ボタン押せば学習できますし。 >> >>http://www.history.gr.jp/index1.html > >拝見しました。その程度ですか。 > >銃剣で敵の腹を刺した後は味方にまで銃剣をふりまわしていました。 >上官が後ろから軍刀でなたのように叩きつけ、とどめは首を刺した。 >軍刀は血だらけでボロボロになり曲がっていた。怖かった >その戦友の田舎へ墓参りに行きましたが、立派な墓で皇軍云々と刻まれていた。 >戦友も上官も靖国神社にまつられているらしい。 > >現実を知らないのなら、まんべんに資料を読みなさい。 >疑いなさい。自分で考えなさい。 あの!?軍刀はいくら鈍らでも「鋼」ですから曲がるということは 斬るという行為ではありえません。刃の縦部分に横方向の応力が加わったとしても 折れることはあっても曲がることは有り得ません。 叩くようにしても斬れませんよ。刃物ははらわないと・・・ |
▼敦煌の倅さん: >▼行雲さん: >>▼敦煌の倅さん: >>>行雲さん。 >>> >>>私は、学校で先生の教える歴史など、これっぽっちも信じてmiいません。 >>>ただ、試験の手段として記憶はしましたが・・ >>>こんなのも今は、ボタン押せば学習できますし。 >>> >>>http://www.history.gr.jp/index1.html >> >>拝見しました。その程度ですか。 >> >>銃剣で敵の腹を刺した後は味方にまで銃剣をふりまわしていました。 >>上官が後ろから軍刀でなたのように叩きつけ、とどめは首を刺した。 >>軍刀は血だらけでボロボロになり曲がっていた。怖かった >>その戦友の田舎へ墓参りに行きましたが、立派な墓で皇軍云々と刻まれていた。 >>戦友も上官も靖国神社にまつられているらしい。 >> >>現実を知らないのなら、まんべんに資料を読みなさい。 >>疑いなさい。自分で考えなさい。 > >あの!?軍刀はいくら鈍らでも「鋼」ですから曲がるということは >斬るという行為ではありえません。刃の縦部分に横方向の応力が加わったとしても >折れることはあっても曲がることは有り得ません。 >叩くようにしても斬れませんよ。刃物ははらわないと・・・ だから現実を知らないと申し上げた、軍刀は折れずに曲がったのです、 日本刀は闘う時は突くものですが、軍隊では鉈のように叩きつけます。 命がかかっている時は理屈じゃないのです。 まんべんに資料を読みなさい。 疑いなさい。 自分で考えなさい。 真実を見つけなさい。 |
▼行雲さん: >▼敦煌の倅さん: >>▼行雲さん: >>>▼敦煌の倅さん: >>>>行雲さん。 >>>> >>>>私は、学校で先生の教える歴史など、これっぽっちも信じてmiいません。 >>>>ただ、試験の手段として記憶はしましたが・・ >>>>こんなのも今は、ボタン押せば学習できますし。 >>>> >>>>http://www.history.gr.jp/index1.html >>> >>>拝見しました。その程度ですか。 >>> >>>銃剣で敵の腹を刺した後は味方にまで銃剣をふりまわしていました。 >>>上官が後ろから軍刀でなたのように叩きつけ、とどめは首を刺した。 >>>軍刀は血だらけでボロボロになり曲がっていた。怖かった >>>その戦友の田舎へ墓参りに行きましたが、立派な墓で皇軍云々と刻まれていた。 >>>戦友も上官も靖国神社にまつられているらしい。 >>> >>>現実を知らないのなら、まんべんに資料を読みなさい。 >>>疑いなさい。自分で考えなさい。 >> >>あの!?軍刀はいくら鈍らでも「鋼」ですから曲がるということは >>斬るという行為ではありえません。刃の縦部分に横方向の応力が加わったとしても >>折れることはあっても曲がることは有り得ません。 >>叩くようにしても斬れませんよ。刃物ははらわないと・・・ > >だから現実を知らないと申し上げた、軍刀は折れずに曲がったのです、 >日本刀は闘う時は突くものですが、軍隊では鉈のように叩きつけます。 >命がかかっている時は理屈じゃないのです。 > >まんべんに資料を読みなさい。 >疑いなさい。 >自分で考えなさい。 >真実を見つけなさい。 命を賭けて戦った。結果がその自虐ぶりですか?いやいや御立派ですね。 真実はじぶんで判断します。洗脳は受けません。 THE END |
▼敦煌の倅さん: >▼行雲さん: >>▼敦煌の倅さん: >>>▼行雲さん: >>>>▼敦煌の倅さん: >>>>>行雲さん。 >>>>> >>>>>私は、学校で先生の教える歴史など、これっぽっちも信じてmiいません。 >>>>>ただ、試験の手段として記憶はしましたが・・ >>>>>こんなのも今は、ボタン押せば学習できますし。 >>>>> >>>>>http://www.history.gr.jp/index1.html >>>> >>>>拝見しました。その程度ですか。 >>>> >>>>銃剣で敵の腹を刺した後は味方にまで銃剣をふりまわしていました。 >>>>上官が後ろから軍刀でなたのように叩きつけ、とどめは首を刺した。 >>>>軍刀は血だらけでボロボロになり曲がっていた。怖かった >>>>その戦友の田舎へ墓参りに行きましたが、立派な墓で皇軍云々と刻まれていた。 >>>>戦友も上官も靖国神社にまつられているらしい。 >>>> >>>>現実を知らないのなら、まんべんに資料を読みなさい。 >>>>疑いなさい。自分で考えなさい。 >>> >>>あの!?軍刀はいくら鈍らでも「鋼」ですから曲がるということは >>>斬るという行為ではありえません。刃の縦部分に横方向の応力が加わったとしても >>>折れることはあっても曲がることは有り得ません。 >>>叩くようにしても斬れませんよ。刃物ははらわないと・・・ >> >>だから現実を知らないと申し上げた、軍刀は折れずに曲がったのです、 >>日本刀は闘う時は突くものですが、軍隊では鉈のように叩きつけます。 >>命がかかっている時は理屈じゃないのです。 >> >>まんべんに資料を読みなさい。 >>疑いなさい。 >>自分で考えなさい。 >>真実を見つけなさい。 > >命を賭けて戦った。結果がその自虐ぶりですか?いやいや御立派ですね。 >真実はじぶんで判断します。洗脳は受けません。 > > THE END 洗脳なんてとんでもない。 戦さ場に行けば真実がありますよ。 行きなさい。 終。 |
▼敦煌の倅さん: >▼ウミサチヒコさん: >>▼敦煌の倅さん > >貴重な御意見ありがとうございます。 >私的な見解ですが、下記は「九段の母」という唄です。 >遺族の気持ちはこれに尽きると思います。 そうでしょうか?あえて否定しませんが、なにか屈折した心境をあらわした詩、あるいはふとした感情に流され、なにか便乗したもの、とも感じます。歌謡曲もいいですが、はっきり言って歌謡曲にあまり崇高なのはありませんから、私は好きになれません。 |
▼みなさま: こんばんは、Rayです。 靖国神社をめぐる議論の際に問題になるのは、 (1)戦死者の神格化 (2)宗教施設への首相・閣僚などの参拝 (3)A級戦犯の合祀 の三点だと思います。 まず(1)についてですが、 靖国神社が神社であり、そこに祀られているのが 明治以降(と大雑把に言ってしまいますが)の戦死者であることは 靖国神社のサイト↓にある解説からも明らかです。 http://www.yasukuni.or.jp/annai/index.html したがって、「靖国神社は戦死者を神として祀った宗教施設である」 という点には、賛成反対どちらの立場であっても異論はないものと思います。 次に(2)ですが、 憲法二十条には 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、 又は政治上の権力を行使してはならない。 2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」 と定められています。 (1)で確認したとおり靖国神社は宗教施設ですから、 そこに参拝することは宗教的活動そのものであると思います (観光で行ったわけではないのは玉串料を納めていることからも明らかです)。 今年四月に九州地裁で行われた裁判では、 「首相・閣僚らの靖国神社への参拝は 公人が公的に行った宗教活動と見なされうるものである」 との理由で上記の憲法二十条第三項に違反すると判断されています。 さらに、(3)のA級戦犯の合祀について問題となるのは、 「首相・閣僚らが靖国神社に参拝することの問題点は A級戦犯が合祀されていることにあるのかどうか」という点だと思います。 靖国神社側(?)は靖国神社の公式サイトで、 神道政治連盟という団体が発行した冊子を引用(転載)して 「A級戦犯という語は、日本の国内法に基づいて生まれた語ではなく、 国際法を無視して行われた不当な東京裁判(=極東国際軍事裁判)での用語である (昭和28年当時から日本政府は『戦犯者』を国内的には犯罪人と認めていない)」 「靖国神社は、国が「公務死」と認めたことを踏まえ(A級戦犯を) 一般戦没者と同様に「昭和殉難者」として合祀している」 などの理由を挙げて 「A級戦犯が合祀されていることが中国などから反感を受ける理由である とするのは当たらない」 と述べています(一部要約しました;Ray)。 しかし、A級戦犯という語が不当であるにしても、 太平洋戦争当時日本軍を率いる立場であった人たちには 戦争そのものに対してそれ相応の責任があったと考えるのが 本来であろうと思いますから、 (彼らの判断に従って軍(=兵)が動いたのは確かだと思います) 中国の人たちがそれを理由に首相・閣僚らの靖国参拝に対して 不快感を覚えるのも無理はないことだと思います (現職のドイツの大統領・閣僚らがヒトラーを神格化している宗教施設に 参拝(?)しているとしたら、イスラエルは猛反発することでしょう)。 したがって、 国内的には(1)(2)で確認した理由から、 また、国際的には(3)の理由から 首相・閣僚らは靖国神社に参拝するべきではないと私は思います。 (一般の人が各自の主義に従って参拝することは その人の自由だと思います;それを他の人に強要することはできません) *A級戦犯を分祀すれば靖国神社に参拝しても問題はない、という論理は (3)の問題に対しては回答になりうるかも知れませんが (1)(2)を解決できないので根本的には何の意味も持たない論理であると思います。 |
▼Rayさん: >▼みなさま: > >こんばんは、Rayです。 > >靖国神社をめぐる議論の際に問題になるのは、 >(1)戦死者の神格化 >(2)宗教施設への首相・閣僚などの参拝 >(3)A級戦犯の合祀 >の三点だと思います。 > >まず(1)についてですが、 >靖国神社が神社であり、そこに祀られているのが >明治以降(と大雑把に言ってしまいますが)の戦死者であることは >靖国神社のサイト↓にある解説からも明らかです。 >http://www.yasukuni.or.jp/annai/index.html > >したがって、「靖国神社は戦死者を神として祀った宗教施設である」 >という点には、賛成反対どちらの立場であっても異論はないものと思います。 兵士のみ。とは書いてありませんね。看護婦も、学童疎開途中の小学生も 含まれます。将兵も銃後の皆様も殉難者ですから、「護国の神」ですが何か? >次に(2)ですが、 >憲法二十条には >「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 > いかなる宗教団体も、国から特権を受け、 > 又は政治上の権力を行使してはならない。 >2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 >3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」 >と定められています。 > >(1)で確認したとおり靖国神社は宗教施設ですから、 >そこに参拝することは宗教的活動そのものであると思います >(観光で行ったわけではないのは玉串料を納めていることからも明らかです)。 > >今年四月に九州地裁で行われた裁判では、 >「首相・閣僚らの靖国神社への参拝は >公人が公的に行った宗教活動と見なされうるものである」 >との理由で上記の憲法二十条第三項に違反すると判断されています。 本件裁判は「違法判決」として、担当の三裁判官には弾劾による罷免請求が だされております。(以下。産経新聞8月24日記事より) 「靖国参拝は違憲」とした3裁判官の罷免要求 訴追請求提出へ運動 小泉首相の靖国神社参拝をめぐる違憲訴訟で今年四月、福岡地裁の亀川清長裁判長が「主文」で原告の損害賠償請求を棄却する一方、判例拘束力のない「判決理由」で「参拝は違憲」とした問題で、市民団体が二十三日までに、「判決は越権行為で違憲」などとして、亀川裁判長ら三裁判官の罷免を求めて国会の裁判官訴追委員会に数多くの訴追請求状を提出する運動を始めた。(中略) 訴追請求状によると、「判決は(形式上勝訴のため)被告の憲法第三二条『裁判を受ける権利』を奪うもので憲法違反」「政治的目的で判決を書くことは、裁判官としての職務を逸脱した越権行為。司法の中立性、独立を危うくした」などとしている。 訴追委は衆参両院議員十人ずつの計二十人で構成、国民からの訴追請求状を受け、訴追を行うかどうかを決める。訴追が決定すると、弾劾裁判所で罷免、不罷免の判決が下される。罷免判決は、児童買春をした裁判官に対する判決(十三年十一月)など五件がある。 でありまして、本件裁判は損害賠償請求事件であり。「違憲・合憲」を審判する裁判ではありませんでした。従って正規の司法判断ではありません。 >さらに、(3)のA級戦犯の合祀について問題となるのは、 >「首相・閣僚らが靖国神社に参拝することの問題点は >A級戦犯が合祀されていることにあるのかどうか」という点だと思います。 > >靖国神社側(?)は靖国神社の公式サイトで、 >神道政治連盟という団体が発行した冊子を引用(転載)して >「A級戦犯という語は、日本の国内法に基づいて生まれた語ではなく、 > 国際法を無視して行われた不当な東京裁判(=極東国際軍事裁判)での用語である > (昭和28年当時から日本政府は『戦犯者』を国内的には犯罪人と認めていない)」 >「靖国神社は、国が「公務死」と認めたことを踏まえ(A級戦犯を) > 一般戦没者と同様に「昭和殉難者」として合祀している」 >などの理由を挙げて >「A級戦犯が合祀されていることが中国などから反感を受ける理由である >とするのは当たらない」 >と述べています(一部要約しました;Ray)。 これはそうでしょう。国会で「全会一致」で「赦免」を可決したのですから 国民が認めた。ということですね。 >しかし、A級戦犯という語が不当であるにしても、 >太平洋戦争当時日本軍を率いる立場であった人たちには >戦争そのものに対してそれ相応の責任があったと考えるのが >本来であろうと思いますから、 >(彼らの判断に従って軍(=兵)が動いたのは確かだと思います) >中国の人たちがそれを理由に首相・閣僚らの靖国参拝に対して >不快感を覚えるのも無理はないことだと思います >(現職のドイツの大統領・閣僚らがヒトラーを神格化している宗教施設に >参拝(?)しているとしたら、イスラエルは猛反発することでしょう)。 「国家」である「ドイツ」と、「政党」である「ナチス」はまったく別物で、 当時のドイツ政権党であったというだけのことです。 ヒトラーを神格化!?それは飛躍しすぎです。基督教国ではありえませんね。 可能性が「ゼロ」に等しいことを例として挙げても、説得力はありません。 では、パレスチナはユダヤ教に反発しているのでしょうか? (間接的にはそうでしょうが・・。) ナチスには「人道の罪」があります。ですから、ドイツは過去の「ナチス」の 犯罪には「遺憾の意」を表していますが「国家」としての「謝罪」も「賠償」もしていません。 >したがって、 >国内的には(1)(2)で確認した理由から、 >また、国際的には(3)の理由から >首相・閣僚らは靖国神社に参拝するべきではないと私は思います。 >(一般の人が各自の主義に従って参拝することは >その人の自由だと思います;それを他の人に強要することはできません) > >*A級戦犯を分祀すれば靖国神社に参拝しても問題はない、という論理は >(3)の問題に対しては回答になりうるかも知れませんが >(1)(2)を解決できないので根本的には何の意味も持たない論理であると思います。 (2)についてですが、首相指名の「お伊勢参り」はどう説明されるのですか? 難くせつけて否定なさっているだけですね。 |
▼みなさま: このスレッドの書き込み数が80近くなっていますので 新スレッド「靖国神社を考える・3」を立てました。 以後のご議論は新スレッドをご利用下さい。 なお、掲示板は公開の場所ですから、 議論の直接の相手以外にも多くの人が 読んでいるということを考え、 言葉遣い・表現等に御配慮下さいますよう 重ねてお願い申し上げます。 |