Page 1362 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼昔々の話です あくまの査問官 04/9/6(月) 21:59 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 昔々の話です ■名前 : あくまの査問官 ■日付 : 04/9/6(月) 21:59 -------------------------------------------------------------------------
昔々、この国は戦争をしました。 しかし、戦争をするのに必要なもの、飛行機や船や戦車を造る材料が足りませんでした 南の島々にはその材料が豊富にありました。 この国はその南の島々に攻め込みました。 この国は次々と勝ちました。 南の島々にある、特別な石の出る場所や、特別な油の出る場所を手に入れました。 そうした南の島で、次々と戦争をするための材料が採られて、この国に送られました。 最初はそれで上手くいきました。 しかし、月日が経つにつれて上手くいかなくなりました。 何故でしょう? 特別な石や油をこの国に届けるための船が、その大事な役目の途中で、沈んでいったからです。 船の多くが、海の上で、沈んでいったのです。 沈めているのは、敵の国のセンスイカンでした。 戦争をしている相手が、この国が戦争をできないようにしようと考えて、攻撃していたのです。 船を守るのには、軍隊の船が必要です。 軍隊は、船を守るための『ソシキ』を作りました。 その『ソシキ』の人達はとても苦労しました。 なぜなら『ソシキ』はあっても、軍隊の船はあまり無かったからです。 何故、軍隊の船が無かったのでしょう? この国には軍隊の船が無かった? いえ、戦争で少なくなってはいましたが、とても強い軍隊の船は、まだまだありました。 『ソシキ』の人たちは、その強い軍隊の船をもらいに行きました。 しかし、強い船を持っている人たちは、こう言いました。 「石や油を運ぶ船を守るため? そんな事にうちの船を出せるか」 そう言って、出し渋ったのです。 『ソシキ』の人たちは、何とか手に入れた、強くない船を使うしかありませんでした。 強くない船は、頑張りました。 敵の『センスイカン』にやられながらも、自分の役目をはたそうとしました。 『オトリ』になってでさえ、石や油を運ぶ船を守ろうとしました。 でも、強い船が無いと、どうにもなりませんでした。 強くない船はつぎつぎに沈められました。 守ってくれる船がなくなった、石や油を運ぶ船も、つぎつぎに沈められました。 こうして、特別な石や油をこの国に届けるための船は、ほとんど無くなりました。 船がなくなれば、南の島で特別な石や油を採っても、この国には届きません。 この国には、特別な石も、特別な油も、無くなりました。 そしてこの国は、戦車も船も飛行機も造れなくなりました。 この国は戦争ができなくなりました。 戦争をする道具がないために、多くの勇敢な兵隊さんが、この国を信じて戦った兵隊さんが、死にました。 そうして、この国は、負けてしまったのです。 おしまい。 (参考文献:『太平洋戦争 日本の敗因1. 日米開戦 勝算なし』 NHK取材班 編 、角川書店 発行) 人には、他人を見下す心理に淫する傾向があります。 それは、情報を蔑視する姿勢、見栄えの良くない事柄を蔑視する姿勢に繋がります。 先の大戦で、日本が負けたのは、それが重要な一因でした。 この掲示板でもそうですが、『自虐』などという軽蔑的な表現がよく使われています。 そんなものの言い方・考え方をする人々によって、憲法が改変されて、軍隊が作られたとします。 そんなものの考え方は、いずれ軍隊にも伝染するでしょう。 そうなった時、この日本は大丈夫でしょうか? 先の大戦の繰り返しになるのではないでしょうか? 私は、憲法改変に反対ですが、改正するべきだという考えにも一理はあると思います。 しかし、その考えを『自虐』などという表現を使い、他人を見下す事で推し進める風潮を信頼できるかどうか……。 この様な蔑視的表現は『平和ボケ』と言われる人々が使って、真剣に有事を考えている人々が使わないのなら、筋が通ります。 でも、現実は逆です。 現実を見よ、戦争は必要だ、と『現実的』な人達ほど使っています。 そんな人達に聞きます。 貴方は、戦争の『現実』の何を知っているのですか? 『自虐』などという表現を使う程度の心構えで、戦争ができると思っているのですか? 長文失礼しました。 |