Page 1365 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼靖国神社を考える・3 Ray 04/9/3(金) 17:45 ┣Re(1):靖国神社を考える・3 pierre 04/9/5(日) 16:19 ┃ ┗Re(2):靖国神社を考える・3 敦煌 04/9/5(日) 17:02 ┃ ┣Re(3):靖国神社を考える・3 源蔵 04/9/5(日) 17:12 ┃ ┗「無理やり戦争」論について 森下 泰典 04/9/5(日) 17:42 ┃ ┗森下さん 流れ星 04/9/6(月) 2:47 ┃ ┣Re(1):森下さん 石頭の息子 04/9/6(月) 2:55 ┃ ┣Re(1):森下さん ニック 04/9/6(月) 19:29 ┃ ┗「酷」なのはどちらか? 森下 泰典 04/9/6(月) 23:40 ┗Re(1):アメリカの戦略のひとつ。 猫猫 04/9/7(火) 0:31 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 靖国神社を考える・3 ■名前 : Ray ■日付 : 04/9/3(金) 17:45 -------------------------------------------------------------------------
▼みなさま: こんにちは。Ray@スタッフです。 「靖国神社を考える・2」スレッドが長くなってきましたので 新スレッドを立てました。 以後のご議論はこちらでお願いいたします。 なお、以下は前スレッド最後の書き込みの転載です。 ============= 【19516】Re(8):補足 つるみ E-MAIL - 04/9/3(金) 6:48 - ▼MNGさん: >戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った刀剣研究家成瀬関次氏が、その様子を「戦ふ日本刀」という著書にまとめておられます。 >現在入手できるかどうか分かりませんが、下記サイトに一部引用されています。 >http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm 拝読しましたが、 「戦線では軍の中堅をなす下士官全部が兵種を問はず佩用する事となつた等から、爾来日本刀が実戦に於いて有史以来の使用量を見せるに至つたのである。」 との一文を見つけ、首を傾げました。 伍長、軍曹は軍刀を持っていなかった筈。 帯刀は曹長からでして、基本的な部分での間違いがある。どうも全体としての信憑性に疑問を抱かざるを得ないですね。 昭和15年の本ですが、戦意高揚のために書かれた著作と考えても差し支えないのではないでしょうか。 ---------- 【19528】Re(9):補足 MNG - 04/9/3(金) 12:18 - ▼つるみさん: >▼MNGさん: >>戦時中刀剣修理の技術者として大陸に渡り、多数の損傷刀の修理を行った刀剣研究家成瀬関次氏が、その様子を「戦ふ日本刀」という著書にまとめておられます。 >>現在入手できるかどうか分かりませんが、下記サイトに一部引用されています。 >>http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm >拝読しましたが、 >「戦線では軍の中堅をなす下士官全部が兵種を問はず佩用する事となつた等から、爾来日本刀が実戦に於いて有史以来の使用量を見せるに至つたのである。」 >との一文を見つけ、首を傾げました。 >伍長、軍曹は軍刀を持っていなかった筈。 >帯刀は曹長からでして、基本的な部分での間違いがある。どうも全体としての信憑性に疑問を抱かざるを得ないですね。 >昭和15年の本ですが、戦意高揚のために書かれた著作と考えても差し支えないのではないでしょうか。 本来は【軍刀を佩用するのは「士官」・「准士官=准尉(特務曹長)」・「上級下士官=曹長」である。】 しかし【戦地の状況に依り臨機応変だったようで、支那事変の初期には前線の軍曹・伍長が既に帯刀している。 軍の文官 も軍刀を佩(は)き、 逓信(ていしん)・報道等の軍属も「軍属刀」を携えた。】そうで、基本的な部分での間違いではないようですし、それを根拠にした信憑性への疑問は当たらないようです。 http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_037.htm =========== |
小泉首相が財界人との懇談の席で、 「日中友好派だが、靖国参拝は別」 と発言したという新聞報道(「朝日新聞」2004.09.01.朝刊)がありました。首相がしつっこく靖国参拝を主張されているようですから、私も同様にしつっこくそれに反論したいと思います。 「靖国神社を考える(2)」の冒頭で、Rayさんがその問題点を大変要領よくまとめて下さり、結論として 「首相・閣僚らは靖国神社に参拝するべきではない」 と書いておられることに大変心強く思っております。しかし、小泉首相は頑なに参拝を続ける一方で、その趣旨をわれわれに理解できるように説明しようとは決してしません。つまり、言葉がないのです。こういう人物をリーダーに戴かねばならないとは、民主国家の国民として大変不幸ではないでしょうか。 (1)戦犯と戦争責任について 敦煌の倅さんによりますと、 「国会で『全会一致』で『赦免』を可決したのですから、国民が認めた、ということですね」 といって、戦犯の「罪」はすべて「赦免」したように書いておられますが、これは「戦犯者」を国内的は犯罪人とみなさず、刑死者は「法務死」と呼称し、恩給法、選挙法などの権利の剥奪もなくなったことを意味するものに過ぎません。彼らの多くが、あの戦争に国民を引きずり込んだ戦争責任まで免除したものではありません。戦犯の是非とはまったく別に、戦争責任は本来は問われなければならないのです。 (2)A級戦犯合祀と中国などの批判について サンフランシスコ平和条約で、日本は 「極東国際軍事裁判所並びに…他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」 と明確に約定しています。その判決の当・不当を超えて、日本はこの約定を国際的に遵守しなければならないはずです。あの戦争で甚大な被害を受けた中国の人たちがその約定の遵守を日本に求め続けることは当然で、われわれはそのことを厳粛に受け止めるべきではないでしょうか。東アジアの国際関係は一層一体不可分のものになっていくでしょう。一刻も早く過去を清算して、前向きの関係にしていくべきであり、それにブレーキとなる言動は国家百年の計を誤るものになりかねません。 (3)A級戦犯「分祠」と靖国神社 かって新聞に、日本政府の高官がG8のある国の大使から 「靖国神社裏の展示館に行ったことがあるか。…あそこに行けば、あの神社の性格がわかる」 といわれたという記事がありました。(「朝日新聞」2003.02.02.朝刊) まさにその通り、この展示館は遊就館のことでしょうが、あの展示を見れば、靖国神社が持っている戦争観は一目瞭然であり、あそこがそれを変えない限り、A級戦犯の「分祠」に応じるはずはなく、また応じたとしてもあまり意味のあることとは考えられません。こういうスタンスを続ける限り、靖国神社という存在はその信者たちのための1つの宗教施設以上でも以下でもあってはならないのです。 |
▼pierreさん: >小泉首相が財界人との懇談の席で、 >「日中友好派だが、靖国参拝は別」 >と発言したという新聞報道(「朝日新聞」2004.09.01.朝刊)がありました。首相がしつっこく靖国参拝を主張されているようですから、私も同様にしつっこくそれに反論したいと思います。 > 「靖国神社を考える(2)」の冒頭で、Rayさんがその問題点を大変要領よくまとめて下さり、結論として >「首相・閣僚らは靖国神社に参拝するべきではない」 >と書いておられることに大変心強く思っております。しかし、小泉首相は頑なに参拝を続ける一方で、その趣旨をわれわれに理解できるように説明しようとは決してしません。つまり、言葉がないのです。こういう人物をリーダーに戴かねばならないとは、民主国家の国民として大変不幸ではないでしょうか。 >(1)戦犯と戦争責任について > 敦煌の倅さんによりますと、 >「国会で『全会一致』で『赦免』を可決したのですから、国民が認めた、ということですね」 >といって、戦犯の「罪」はすべて「赦免」したように書いておられますが、これは「戦犯者」を国内的は犯罪人とみなさず、刑死者は「法務死」と呼称し、恩給法、選挙法などの権利の剥奪もなくなったことを意味するものに過ぎません。彼らの多くが、あの戦争に国民を引きずり込んだ戦争責任まで免除したものではありません。戦犯の是非とはまったく別に、戦争責任は本来は問われなければならないのです。 息子のレスに対してなのでお許しいただきたい。 「戦争に引きずり込んだ」と仰いますが、その辺が既に認識に違いがあるところで 「嫌がる国民を・・」という前置詞があって良いと思うのですが・・・ 当時の世界。アジアだけを見ても独立国は、日本、タイ、ネパールのみでして 松岡洋右が「国際連盟」を脱退した時。喝采をもって迎えたのは国民です。 また。「中国を侵略した。」という歴史認識をお持ちでしょうが? 国体をなしていない場所を侵略するのは不可能ですし。 ならば、戦勝国になっていたら変わっていた?と仰りたいのですね? 戦争犯罪という言葉自体がおかしいのでして、事後法(しかもアメリカをはじめとする戦勝国の)で敗者を裁いた卑劣極まる濡れ衣です。 >(2)A級戦犯合祀と中国などの批判について > サンフランシスコ平和条約で、日本は >「極東国際軍事裁判所並びに…他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」 >と明確に約定しています。その判決の当・不当を超えて、日本はこの約定を国際的に遵守しなければならないはずです。あの戦争で甚大な被害を受けた中国の人たちがその約定の遵守を日本に求め続けることは当然で、われわれはそのことを厳粛に受け止めるべきではないでしょうか。東アジアの国際関係は一層一体不可分のものになっていくでしょう。一刻も早く過去を清算して、前向きの関係にしていくべきであり、それにブレーキとなる言動は国家百年の計を誤るものになりかねません。 お待ちください。サンフランシスコ講和条約で全ては解決済みでありまして 事有るごとに、蒸し返しているのは支那であります。 大体。20年ほど前は首相靖国参拝に何も言わなかったのに 今更のように言い出したのも支那側です。 明らかな「内政干渉」行為に抗議をしない日本政府の方が おかしいですがね。 >(3)A級戦犯「分祠」と靖国神社 > かって新聞に、日本政府の高官がG8のある国の大使から >「靖国神社裏の展示館に行ったことがあるか。…あそこに行けば、あの神社の性格がわかる」 >といわれたという記事がありました。(「朝日新聞」2003.02.02.朝刊) まさにその通り、この展示館は遊就館のことでしょうが、あの展示を見れば、靖国神社が持っている戦争観は一目瞭然であり、あそこがそれを変えない限り、A級戦犯の「分祠」に応じるはずはなく、また応じたとしてもあまり意味のあることとは考えられません。こういうスタンスを続ける限り、靖国神社という存在はその信者たちのための1つの宗教施設以上でも以下でもあってはならないのです。 神道は宗教と仰るのであれば、首相指名時の「伊勢神宮参拝」も 立派な宗教行為ではありませんか? 靖國神社の戦争観!?あのう、それはどこにあるのでしょうか? 靖國神社は「戦没者慰霊施設」でありまして、平和を希求しているのは事実なんですが・・・。遊就館の展示の何処に戦争賛美があるのでしょうか? 事実を展示してあるのみですけれども。戦没者慰霊のあり方は見えてまいりますが 戦争観などどこにあるんでしょうか?宮司さんでも仰っているのでしょうか? 戦争犯罪とはいかなるものなのか、はっきりと仰ってから意見を述べられたい。 無理やり戦争をした。という論拠は何ですか? |
これでも無理やり戦争をしたと云うのでしょうか。 ↓ http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-1.html (要フラッシュプレーヤー) |
▼敦煌さん: 「戦争論ーいい戦争・悪い戦争 ー日清戦争から太平洋戦争までー」 というサイトにて、「太平洋戦争は歴史的必然だったのか?」 という考察がなされていますので、ご参考になればと想い、ここに紹介します。 http://www.ss.iij4u.or.jp/~nfuji/index.fuzoku2.htm#taiheiyousensou%20rekisiteki%20hituzen ////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 満州事変、日中戦争、太平洋戦争が、避けることの出来ない歴史的必然だったとは 考えられない。 ・満州事変を独断で始めた板垣征四郎・石原莞爾らを、陸軍中央が罰していれば。 ・満州国建設に専心し、河北省への勢力拡大をしなければ。 ・蘆溝橋事件の時、華北での支配権強化を企てなければ。 ・南京占領の時、中国側が受け入れ可能な和平条件を提案してれば。 ・日独伊三国軍事同盟を結ばなければ。 ・南部仏印進駐を行わなければ。 ・英、蘭とだけ戦い、アメリカへの宣戦布告をしなかったら。 ・対米開戦の時期を、「独が対ソ戦で勝利するのを見極めてから」としておけば。 その時々の誤った決断、あるいは必要な決断を先送りしたことが、ついには アメリカとの全面戦争を引き起こしてしまった。 ////////////////////////////////////////////////////////////////////////// |
歴史に学ぶちゅう姿勢は大切やと思いますが、あとからこうしていたら良かったんやないかいうのは現在に生かすためにのみ有効なんであって、後知恵で評価するためのんやない。 後からこうしていたら良かった、せやからこうせんかった当時の指導者はあかんちゅうのは違うんと違いますか? 仮に森下さんが当時の閣僚や軍人、外交官やったとしてそないな判断できました? ワシならできたと強弁されたらそれきりでっけど、それはあまりに酷なんと違います? |
▼流れ星さん: >歴史に学ぶちゅう姿勢は大切やと思いますが、あとからこうしていたら良かったんやないかいうのは現在に生かすためにのみ有効なんであって、後知恵で評価するためのんやない。 >後からこうしていたら良かった、せやからこうせんかった当時の指導者はあかんちゅうのは違うんと違いますか? >仮に森下さんが当時の閣僚や軍人、外交官やったとしてそないな判断できました? >ワシならできたと強弁されたらそれきりでっけど、それはあまりに酷なんと違います? なるほど「歴史に学ぶちゅう姿勢は大切やと思います」 なるほど「現在に生かすためにのみ有効」 なるほど「こうしたから当時の指導者はあかん」 なるほど「ワシならできたと言ったことない」 なるほど、レスは簡単につけられる。 |
▼流れ星さん: >歴史に学ぶちゅう姿勢は大切やと思いますが、あとからこうしていたら良かったんやないかいうのは現在に生かすためにのみ有効なんであって、後知恵で評価するためのんやない。 >後からこうしていたら良かった、せやからこうせんかった当時の指導者はあかんちゅうのは違うんと違いますか? >仮に森下さんが当時の閣僚や軍人、外交官やったとしてそないな判断できました? >ワシならできたと強弁されたらそれきりでっけど、それはあまりに酷なんと違います? 普通に考えて、まず彼我の国力の差と戦力の差を正視しようとしなかった当時の政府や軍部の態度からして非常に問題があったと考えます。 これは「推測できたかできないか」のレベルではなく、普通の思考力があれば出来た事でしょう、そのような非常識な判断・考え方の積み重ねがあの大戦を引き起こしたと言う事を森下様は論証しているのであって、「もしあの時ああだったら」と言うシミュレーションを行っているのとは違うと私は理解しています。 例えば宿敵であったソ連に停戦の斡旋を頼もうとするなど、当時の軍部は常識では考えられないことをソ連駐在員に要請しましたが、当時の駐在員は「それをソ連が受け入れるわけが無い」事は知っており、それを東京に向けて打診したが東京はその判断を無視したと言う証言があります。(NHK番組より) 山本五十六の、日本が米国と戦争すれば負けるだろうと判断していたとの話は有名であり、要は当時から正常な判断をする人は多数居たにもかかわらず、それらのまともな意見を聞こうとしなかった一部人士に非常に問題があったと言うことです。 この辺、国民の声を聞こうとしない小泉首相に似ていますね。 |
▼流れ星さん: >歴史に学ぶちゅう姿勢は大切やと思いますが、あとからこうしていたら良かったんやないかいうのは現在に生かすためにのみ有効なんであって、後知恵で評価するためのんやない。 >後からこうしていたら良かった、せやからこうせんかった当時の指導者はあかんちゅうのは違うんと違いますか? >仮に森下さんが当時の閣僚や軍人、外交官やったとしてそないな判断できました? >ワシならできたと強弁されたらそれきりでっけど、それはあまりに酷なんと違います? あの太平洋戦争で亡くなられた330万日本国民(うち非戦闘員が110万人) の事を考えて書き込みを為されているのですか? そう考えると、「酷」なのははっきり言って、貴方の方でしょう。 |
アメリカにとっては、日本と中国がぶつかっている方が、うれしいのだろう。 よって、大統領が、首相に、靖国神社参拝を強制しているのではないか? と予想することもできる。が、真相は、謎である。わからない。 |