Page 1509 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼教育について 東京都の取り組み しろは 04/9/3(金) 0:09 ┣Re(1):教育について 東京都の取り組み 月光仮面のおじいさん 04/9/3(金) 7:54 ┣しろは様。 清水潤 04/9/3(金) 8:27 ┣Re(1):教育について 東京都の取り組み 森下 泰典 04/9/3(金) 23:15 ┃ ┣Re(2):教育について 東京都の取り組み J.I 04/9/4(土) 3:53 ┃ ┃ ┗僭越ながら 清水潤 04/9/4(土) 17:02 ┃ ┃ ┗Re(1):僭越ながら J.I 04/9/5(日) 1:51 ┃ ┣Re(2):教育について 東京都の取り組み 宮崎故郷人 04/9/4(土) 9:59 ┃ ┣Re(2):教育について 東京都の取り組み 桃李 04/9/4(土) 12:11 ┃ ┃ ┗Re(3):教育について 東京都の取り組み 宮崎故郷人 04/9/4(土) 12:31 ┃ ┃ ┗Re(4):教育について 東京都の取り組み 桃李 04/9/4(土) 12:52 ┃ ┃ ┣Re(5):教育について 東京都の取り組み 宮崎故郷人 04/9/4(土) 13:37 ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):教育について 東京都の取り組み ウミサチヒコ 04/9/4(土) 13:56 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):教育について 東京都の取り組み 石頭の息子 04/9/4(土) 14:08 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):教育について 東京都の取り組み 宮崎故郷人 04/9/6(月) 11:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):教育について 東京都の取り組み 石頭の息子 04/9/6(月) 13:57 ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):教育について 東京都の取り組み 宮崎故郷人 04/9/6(月) 14:34 ┃ ┃ ┃ ┣Re(11):教育について 東京都の取り組み 桃李 04/9/6(月) 15:23 ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):教育について 東京都の取り組み 石頭の息子 04/9/6(月) 15:26 ┃ ┃ ┃ ┗桃李さん、石頭の息子さん 宮崎故郷人 04/9/6(月) 16:23 ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):桃李さん、石頭の息子さん 石頭の息子 04/9/6(月) 18:17 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):桃李さん、石頭の息子さん しげちよ 04/9/18(土) 15:37 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(3):桃李さん、石頭の息子さん 団塊党 04/9/18(土) 18:53 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):桃李さん、石頭の息子さん しろは 04/9/19(日) 19:15 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):桃李さん、石頭の息子さん 桃李 04/9/7(火) 12:27 ┃ ┃ ┗Re(5):教育について 東京都の取り組み しろは 04/9/4(土) 20:01 ┃ ┃ ┗Re(6):教育について 東京都の取り組み 桃李 04/9/5(日) 0:24 ┃ ┃ ┗Re(7):教育について 東京都の取り組み 桃李 04/9/5(日) 0:36 ┃ ┃ ┗Re(8):親の問題 王里 04/9/5(日) 10:44 ┃ ┃ ┣Re(9):親の問題 桃李 04/9/5(日) 11:03 ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):親の問題 しろは 04/9/5(日) 21:56 ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):親の問題 桃李 04/9/6(月) 23:55 ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):親の問題 しろは 04/9/13(月) 21:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):親の問題 桃李 04/9/13(月) 22:34 ┃ ┃ ┃ ┗Re(14):親の問題 しろは 04/9/15(水) 21:44 ┃ ┃ ┃ ┗Re(15):親の問題 桃李 04/9/15(水) 23:02 ┃ ┃ ┗Re(9):親の問題 しろは 04/9/8(水) 21:45 ┃ ┃ ┗Re(10):子供の不作法は親の恥 王里 04/9/9(木) 23:17 ┃ ┗Re(2):教育について 東京都の取り組み 小鉄 04/9/12(日) 15:46 ┣Re(1):教育について 東京都の取り組み 団塊党 04/9/4(土) 16:22 ┃ ┗Re(2):教育について 東京都の取り組み 悠々 04/9/6(月) 8:41 ┣Re(1):教育について 東京都の取り組み 団塊党 04/9/4(土) 17:38 ┃ ┣Re(2):教育について 東京都の取り組み しろは 04/9/5(日) 22:28 ┃ ┗今の子ども達に一番大切なことは 団塊党 04/9/12(日) 9:19 ┃ ┗Re(1):今の子ども達に一番大切なことは しろは 04/9/14(火) 20:41 ┃ ┣Re(2):今の子ども達に一番大切なことは 団塊党 04/9/17(金) 22:22 ┃ ┃ ┗Re(3):今の子ども達に一番大切なことは しろは 04/9/19(日) 18:56 ┃ ┗気はやさしくて、力持ち。 ぎみゆら 04/9/18(土) 11:43 ┃ ┣Re(1):気はやさしくて、力持ち。 団塊党 04/9/18(土) 20:30 ┃ ┗Re(1):気はやさしくて、力持ち。 しろは 04/9/19(日) 22:50 ┃ ┗Re(2):気はやさしくて、力持ち。 ぎみゆら 04/9/20(月) 12:26 ┣Re(1):心の教育について 流水 04/9/4(土) 18:12 ┃ ┗Re(2):心の教育について;補足説明 流水 04/9/4(土) 18:33 ┃ ┣Re(3):心の教育について;補足説明 元ウルトラ警備隊 04/9/4(土) 23:04 ┃ ┗Re(3):心の教育について;補足説明 桃李 04/9/4(土) 23:45 ┣結果より過程を大切にする教育 団塊党 04/9/23(木) 2:30 ┃ ┣Re(1):結果より過程を大切にする教育 流水 04/9/23(木) 7:49 ┃ ┃ ┗Re(2):結果より過程を大切にする教育 団塊党 04/9/23(木) 8:50 ┃ ┣Re(1):結果より過程を大切にする教育 ぎみゆら 04/9/23(木) 16:56 ┃ ┃ ┗Re(2):結果より過程を大切にする教育 団塊党 04/9/24(金) 19:16 ┃ ┃ ┗現場教師の「雑用減らし」 ぎみゆら 04/9/25(土) 13:03 ┃ ┃ ┗Re(1):現場教師の「雑用減らし」 団塊党 04/9/25(土) 14:12 ┃ ┣Re(1):結果より過程を大切にする教育 王里 04/9/23(木) 17:52 ┃ ┃ ┗Re(2):結果より過程を大切にする教育 団塊党 04/9/24(金) 19:39 ┃ ┃ ┗Re(3):「楽しむこと」重視なのですね 歴史に学ぶ 04/9/25(土) 21:19 ┃ ┃ ┗Re(4):「楽しむこと」重視なのですね 団塊党 04/9/26(日) 9:54 ┃ ┃ ┗Re(5):「花笠音頭」の持つ力 歴史に学ぶ 04/9/26(日) 19:57 ┃ ┣Re(1):結果より過程を大切にする教育 こんぺいとう 04/9/23(木) 20:17 ┃ ┃ ┣Re(2):結果より過程を大切にする教育 団塊党 04/9/24(金) 20:27 ┃ ┃ ┗Re(2):結果より過程を大切にする教育 しろは 04/9/26(日) 20:03 ┃ ┃ ┣こんな教師に教わるのが悲劇 敦煌 04/9/26(日) 22:40 ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):こんな教師に教わるのが悲劇 tomyk 04/9/26(日) 22:48 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):こんな教師に教わるのが悲劇 団塊党 04/9/27(月) 19:51 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):こんな教師に教わるのが悲劇 敦煌 04/9/27(月) 20:25 ┃ ┃ ┃ ┣Re(3):こんな教師に教わるのが悲劇 ナベ講師ね 04/9/27(月) 22:38 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):こんな教師に教わるのが悲劇 団塊党 04/9/28(火) 0:15 ┃ ┃ ┗Re(3):結果より過程を大切にする教育 天声老語 04/9/27(月) 22:20 ┃ ┣Re(1):結果より過程を大切にする教育 しろは 04/9/25(土) 10:06 ┃ ┃ ┗Re(2):結果より過程を大切にする教育 団塊党 04/9/25(土) 11:47 ┃ ┗Re(1):結果より過程を大切にする教育 しろは 04/9/25(土) 10:36 ┣Re(1):鹿児島(だったかな)の試み 昼寝もぐら 04/9/28(火) 0:23 ┗新スレッドへ移行願います Ray 04/9/28(火) 19:11 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 教育について 東京都の取り組み ■名前 : しろは ■日付 : 04/9/3(金) 0:09 -------------------------------------------------------------------------
東京都のHPからの引用です >「心の東京革命」は、次代を担う子どもたちに対し、 >親と大人が責任をもって正義感や倫理観、思いやりの心を育み、 >人が生きていく上で当然の心得を伝えていく取組です。 > 心の東京ルール 〜7つの呼びかけ〜 >東京都は、子どもたちに教え伝えていくべき社会の基本的な >「心の東京ルール」を提案しています。 > ○ 毎日きちんとあいさつさせよう > ○ 他人の子どもでも叱ろう > ○ 子どもに手伝いをさせよう > ○ ねだる子どもにがまんをさせよう > ○ 先人や目上の人を敬う心を育てよう > ○ 体験の中で子どもをきたえよう > ○ 子どもにその日のことを話させよう 石原都知事の教育政策に関してこの七つのルールのような取り組みを されている点に敬意を表します。 私は学校教育現場の端っこで少し子供達に接する時間を持つのみですが 先生達の大変さは多少なりとも理解できているつもりです。 他人の子供を叱るのは本当に大変で、叱られた子供の親に「ルールを破れる 特別なときもある」と言われてしまうこともありました。 実にエネルギーが要ることです。 地域社会の教育力の再生、ここから教育を立て直していく事も必要だと 私は考えます |
しろはさま 素晴らしい内容の紹介有難うございました。最近いやに目に付く電車の中で平然と化粧する女性を見ると黙認するだけが了承されたとなって来るのを怖く思います。 ”黙っていることはよい事だ”とは言われない時代になったのでしょうね。 石原知事のことですから、今度は不良老人の扱い方なんて出てくるかも知れません。弾はどこから飛んでくるか判りません。 ”ねだる老人にはがまんをさせよう”なんてね。。。。。。 |
初めまして。なるほど、石原氏は単なる「狂った果実」ではなかったようです。 東京から遠く離れた島暮らしでは、入るニュースの殆どが新聞。テレビ、ラヂオと限られます故。ご紹介のホーム・ページを見るまで気がつきませんでした。 私が思うに、インター・ネット以外のメディアは5W1Hのみで、うーん。で、その後どうなったのか?という疑問には答えてくれません。 例を挙げれば、「三菱車また燃えた」リコールか、整備の問題か?原因を調査。これで終わりです。 報道も、教育も、事実を最後まで正確に伝えなければ「嘘」になります。横道に逸れました。元に戻します。 こちらに書かれている内容は、どれも至極当たり前のことに思います。敬う、挨拶など、当然のことのように感じていました。私は、街を歩いていて知らない方にも目が合えば挨拶をしますが…東京では無理ですね。いずれにしろ石原氏に対して、少し見方が変わりました。この御仁をもう少し研究してみたいと…。 皆さんが仰るように、単なる「右翼過激派」なのか?「都民を考えている首長」なのか?きっかけをいただきました。ありがとうございました。 |
▼しろはさん: >東京都のHPからの引用です > >>「心の東京革命」は、次代を担う子どもたちに対し、 >>親と大人が責任をもって正義感や倫理観、思いやりの心を育み、 >>人が生きていく上で当然の心得を伝えていく取組です。 > > > 心の東京ルール 〜7つの呼びかけ〜 > >>東京都は、子どもたちに教え伝えていくべき社会の基本的な >>「心の東京ルール」を提案しています。 > > > > ○ 毎日きちんとあいさつさせよう >> ○ 他人の子どもでも叱ろう >> ○ 子どもに手伝いをさせよう >> ○ ねだる子どもにがまんをさせよう >> ○ 先人や目上の人を敬う心を育てよう >> ○ 体験の中で子どもをきたえよう >> ○ 子どもにその日のことを話させよう 私個人の私見を。 この「心の東京ルール」だけなら、別にどうこう言う気もしないのだが、 例の「つくる会教科書」の1件しかり http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/top_f.htm ジェンダーフリーの1件しかり http://www.seikatsusha.net/pro-board/back_no/back_no.php?action=back_no&id=1093600830&site=www http://www.terra.dti.ne.jp/~reico/gender.htm どうにもこうにも、この「心の東京ルール」が、オブラートというか、 メッキのようなものに思えてならない。 |
東京ルール・・・ つまりは・・年長者を敬い、年長者の言うことに従い・(従え?)・・ と言うことですね。われわれ年長者・高齢者にとっては耳に心地よい言葉ですが・・ でもその「年長者・・石原都知事?」の思想・思考性向に従え・と言うことになると・・・何しろ都知事に牛耳られてる東京都だから |
J.Iさん。初めまして、掲示板を汚している清水です。 本件に関してJ.Iさんのお考えは、些か深読みされ過ぎてはおりませんか? 私は都民ではありませんので論ずる資格はないかとおもいますが、昨今の世相を知るにつけ、教育の重要性を思い知っております。 人が文化を創り。街が出来上がるように、大事なことは教えていかなければならないと思うのであります。平和とか、差別のない社会というのは、当たり前が、当たり前になった後になしえることではないでしょうか?石原氏の意図ではないように思えますが。 |
深読みと言われればそれまでなのですが・・これが他府県のことであれば気にもならないのですけれど・・ごく当然の事ですし・・ なんかなあ・東京都版「教育勅語」 |
▼森下 泰典さん: >▼しろはさん: >>東京都のHPからの引用です >> >>>「心の東京革命」は、次代を担う子どもたちに対し、 >>>親と大人が責任をもって正義感や倫理観、思いやりの心を育み、 >>>人が生きていく上で当然の心得を伝えていく取組です。 >> >> > 心の東京ルール 〜7つの呼びかけ〜 >> >>>東京都は、子どもたちに教え伝えていくべき社会の基本的な >>>「心の東京ルール」を提案しています。 >> >> >> > ○ 毎日きちんとあいさつさせよう >>> ○ 他人の子どもでも叱ろう >>> ○ 子どもに手伝いをさせよう >>> ○ ねだる子どもにがまんをさせよう >>> ○ 先人や目上の人を敬う心を育てよう >>> ○ 体験の中で子どもをきたえよう >>> ○ 子どもにその日のことを話させよう > >私個人の私見を。 >この「心の東京ルール」だけなら、別にどうこう言う気もしないのだが、 > >例の「つくる会教科書」の1件しかり >http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/top_f.htm > >ジェンダーフリーの1件しかり >http://www.seikatsusha.net/pro-board/back_no/back_no.php?action=back_no&id=1093600830&site=www >http://www.terra.dti.ne.jp/~reico/gender.htm > >どうにもこうにも、この「心の東京ルール」が、オブラートというか、 >メッキのようなものに思えてならない。 http://www.terra.dti.ne.jp/~reico/gender.htm あなたの紹介された上掲ホームページの主張は 論者の意図とはさかさまにジェンダーフリー不要論になっていると思いますが。 男女平等という言葉で十分。 男女混合名簿を主張しながら身体計測用名簿を作る愚。名簿は男女別五十音順(女男別と表現しても良いが)一本あれば良いのです。 ジェンダーフリーに関する東京都の決定はまったく正しいと思います。「心の東京ルール」はそのような正しい感覚の東京都だから作ることができたものです。ジェンダーフリーに冒された自治体ではこうはいかないと思いませんか? |
森下さま、 私も、違和感を感じます。 >どうにもこうにも、この「心の東京ルール」が、オブラートというか、 >メッキのようなものに思えてならない。 どうして、政府が「心の改革」を唱えるのでしょうね? このような形で、目標を掲げられないと、市民が動けないのだとしたら 私たち市民の感覚に任せていられないから、指導しようと言うことですね。 見くびられていますよ。 人が生きていく上での当然の心得なんて、一人ずつが、怒られたり、嫌な思いをしたり、傷つけられたり、「失敗したぁ!」「お袋やオヤジはこう言ってたな」とか 「好きな先生は、一生懸命こんなこと教えてくれたよなぁ」と言うように、心で感じながら、自分のものにして、分かっていくことではないでしょうか。心に響く経験がないと、本当に自分の物になんてならないと思います。 賛否は別のところにおいても、何も引っかかりもなく、受け入れてしまえるとしたら、非常に残念です。 |
▼桃李さん: >人が生きていく上での当然の心得なんて、一人ずつが、怒られたり、嫌な思いをしたり、傷つけられたり、「失敗したぁ!」「お袋やオヤジはこう言ってたな」とか >「好きな先生は、一生懸命こんなこと教えてくれたよなぁ」と言うように、心で感じながら、自分のものにして、分かっていくことではないでしょうか。心に響く経験がないと、本当に自分の物になんてならないと思います。 それらのことが現代はなくなっているから行政が呼びかけざるをえないということではないでしょうか。 |
▼宮崎故郷人さん: >それらのことが現代はなくなっているから行政が呼びかけざるをえないということではないでしょうか。 本当にできなくなっているのでしょうか。たとえば、ご自分やそのまわりでも、やっぱりそうですか?ここをまず、疑ってみないといけないと思います。 自分は子どもにこういうことが教えられないから、東京都で呼びかけてくれるとありがたい。という親御さんが回りにどのくらいいらっしゃるでしょうか。 私は、このようなルールより肝要なことは、子どもをうまく導いていけないと自信がない、子どもに対して分からないという大人がいたら、どの様にその悩みをひろって、一緒に考えて良い方法を見つけていくかだと思います。そつちのほうが、手間がかかりますが、丁寧な方法だと思います。 例えば、この掲示板に関わる方で、こどもさんに対して、「自分は、こどもに、人として生きていくために必要な心のルールのようなものを、伝えたり教えたことは無かった。」という人は少ないと思います。 こんな風に子育てしてきちゃったから、政府にやってもらわなくちゃもうお手上げだ。という親御さんが、何人くらいいるでしょう。言葉でなくても、親は子どもが生きていくために必要な心は、自分の生き方を通してわかってもらおうとしたりしているんじゃないでしょうか。子どもは本当に昔より駄目になっていると言えるのでしょうか? |
▼桃李さん: > >こんな風に子育てしてきちゃったから、政府にやってもらわなくちゃもうお手上げだ。という親御さんが、何人くらいいるでしょう。言葉でなくても、親は子どもが生きていくために必要な心は、自分の生き方を通してわかってもらおうとしたりしているんじゃないでしょうか。子どもは本当に昔より駄目になっていると言えるのでしょうか? 子どもの素質は変わっていないと思います。それは変わりようがない。 しかし大人による子どもの躾はまちがいなく後退していますね。 「子どもは大人の後姿に学ぶ」といいますが、後姿だけ見せていれば子どもが育つというわけではありません。後ろ姿とともに口での躾、手による躾が必要ですが、それらは明確に後退していると私は言えます。 |
▼宮崎故郷人さん:19676 >▼桃李さん: >後ろ姿とともに口での躾、手による躾が必要ですが、それらは明確に後退していると私は言えます。 横レスですが… 確かに親子関係は昔に較べて希薄になってきている。人間関係一般に言えることだと思う。封建時代は、人間は土地に縛られ執着して生きてこなければならなかったから、主従関係はもちろん、家族関係も「家=土地」の相続関係をもとに緊密にならざるを得なかった。親が子供の躾(しつけ)をすることは、単に道徳的要請でなく、死活問題であった。現代は、生活手段(生産手段と言うべきか)は「家=土地」に縛られていない。親は子供の教育に道徳的関心しかない。子供も世界は広いことを知っている、大人の言うことに縛られなくても…と感じている。 資本主義は主従関係・大家族制度を葬り、牧歌的風景を変えた。否応なしに個人は独立した。そのような社会的風潮の中で、大人は権威を失い、電車の中のマナー一つでも子供に語れない。駅前で子供がウンコ座りでタバコを吸っていても何も言えない。そういう子供がもう30−40の大人になっている。子供の躾は、大人が新たな高い理想の社会観を獲得するまでは、単なるお題目の域を出られない。 |
▼ウミサチヒコさん: >▼宮崎故郷人さん:19676 >>▼桃李さん: > >>後ろ姿とともに口での躾、手による躾が必要ですが、それらは明確に後退していると私は言えます。 > >横レスですが… >確かに親子関係は昔に較べて希薄になってきている。人間関係一般に言えることだと思う。封建時代は、人間は土地に縛られ執着して生きてこなければならなかったから、主従関係はもちろん、家族関係も「家=土地」の相続関係をもとに緊密にならざるを得なかった。親が子供の躾(しつけ)をすることは、単に道徳的要請でなく、死活問題であった。現代は、生活手段(生産手段と言うべきか)は「家=土地」に縛られていない。親は子供の教育に道徳的関心しかない。子供も世界は広いことを知っている、大人の言うことに縛られなくても…と感じている。 >資本主義は主従関係・大家族制度を葬り、牧歌的風景を変えた。否応なしに個人は独立した。そのような社会的風潮の中で、大人は権威を失い、電車の中のマナー一つでも子供に語れない。駅前で子供がウンコ座りでタバコを吸っていても何も言えない。そういう子供がもう30−40の大人になっている。子供の躾は、大人が新たな高い理想の社会観を獲得するまでは、単なるお題目の域を出られない。 ウミサチヒコあにさん、 あたしゃ、単純なんでね、子供は社会の鏡と思ってるんでやんす。 |
▼石頭の息子さん: >▼ウミサチヒコさん: >>▼宮崎故郷人さん:19676 >>>▼桃李さん: >> >>>後ろ姿とともに口での躾、手による躾が必要ですが、それらは明確に後退していると私は言えます。 >> >>横レスですが… >>確かに親子関係は昔に較べて希薄になってきている。人間関係一般に言えることだと思う。封建時代は、人間は土地に縛られ執着して生きてこなければならなかったから、主従関係はもちろん、家族関係も「家=土地」の相続関係をもとに緊密にならざるを得なかった。親が子供の躾(しつけ)をすることは、単に道徳的要請でなく、死活問題であった。現代は、生活手段(生産手段と言うべきか)は「家=土地」に縛られていない。親は子供の教育に道徳的関心しかない。子供も世界は広いことを知っている、大人の言うことに縛られなくても…と感じている。 >>資本主義は主従関係・大家族制度を葬り、牧歌的風景を変えた。否応なしに個人は独立した。そのような社会的風潮の中で、大人は権威を失い、電車の中のマナー一つでも子供に語れない。駅前で子供がウンコ座りでタバコを吸っていても何も言えない。そういう子供がもう30−40の大人になっている。子供の躾は、大人が新たな高い理想の社会観を獲得するまでは、単なるお題目の域を出られない。 > >ウミサチヒコあにさん、 > >あたしゃ、単純なんでね、子供は社会の鏡と思ってるんでやんす。 「社会の鏡」のまえに「親の鏡」ですね。 |
▼宮崎故郷人さん: >▼石頭の息子さん: >>▼ウミサチヒコさん: >>>▼宮崎故郷人さん:19676 >>>>▼桃李さん: >>> >>>>後ろ姿とともに口での躾、手による躾が必要ですが、それらは明確に後退していると私は言えます。 >>> >>>横レスですが… >>>確かに親子関係は昔に較べて希薄になってきている。人間関係一般に言えることだと思う。封建時代は、人間は土地に縛られ執着して生きてこなければならなかったから、主従関係はもちろん、家族関係も「家=土地」の相続関係をもとに緊密にならざるを得なかった。親が子供の躾(しつけ)をすることは、単に道徳的要請でなく、死活問題であった。現代は、生活手段(生産手段と言うべきか)は「家=土地」に縛られていない。親は子供の教育に道徳的関心しかない。子供も世界は広いことを知っている、大人の言うことに縛られなくても…と感じている。 >>>資本主義は主従関係・大家族制度を葬り、牧歌的風景を変えた。否応なしに個人は独立した。そのような社会的風潮の中で、大人は権威を失い、電車の中のマナー一つでも子供に語れない。駅前で子供がウンコ座りでタバコを吸っていても何も言えない。そういう子供がもう30−40の大人になっている。子供の躾は、大人が新たな高い理想の社会観を獲得するまでは、単なるお題目の域を出られない。 >> >>ウミサチヒコあにさん、 >> >>あたしゃ、単純なんでね、子供は社会の鏡と思ってるんでやんす。 > >「社会の鏡」のまえに「親の鏡」ですね。 宮崎故郷人さん, そうです、だから「子供は社会の鏡」といってるんです、親だけで子供が育つのではないのです、世間を見て子は育つのです。 |
▼石頭の息子さん: >▼宮崎故郷人さん: >>▼石頭の息子さん: >>>▼ウミサチヒコさん: >>>>▼宮崎故郷人さん:19676 >>>>>▼桃李さん: >>>> >>>>>後ろ姿とともに口での躾、手による躾が必要ですが、それらは明確に後退していると私は言えます。 >>>> >>>>横レスですが… >>>>確かに親子関係は昔に較べて希薄になってきている。人間関係一般に言えることだと思う。封建時代は、人間は土地に縛られ執着して生きてこなければならなかったから、主従関係はもちろん、家族関係も「家=土地」の相続関係をもとに緊密にならざるを得なかった。親が子供の躾(しつけ)をすることは、単に道徳的要請でなく、死活問題であった。現代は、生活手段(生産手段と言うべきか)は「家=土地」に縛られていない。親は子供の教育に道徳的関心しかない。子供も世界は広いことを知っている、大人の言うことに縛られなくても…と感じている。 >>>>資本主義は主従関係・大家族制度を葬り、牧歌的風景を変えた。否応なしに個人は独立した。そのような社会的風潮の中で、大人は権威を失い、電車の中のマナー一つでも子供に語れない。駅前で子供がウンコ座りでタバコを吸っていても何も言えない。そういう子供がもう30−40の大人になっている。子供の躾は、大人が新たな高い理想の社会観を獲得するまでは、単なるお題目の域を出られない。 >>> >>>ウミサチヒコあにさん、 >>> >>>あたしゃ、単純なんでね、子供は社会の鏡と思ってるんでやんす。 >> >>「社会の鏡」のまえに「親の鏡」ですね。 > >宮崎故郷人さん, > >そうです、だから「子供は社会の鏡」といってるんです、親だけで子供が育つのではないのです、世間を見て子は育つのです。 石頭の息子さん 私が言っているのは社会のまえに親ありきということです。 社会がしっかりしても親が駄目なら子は育ちません。 逆に社会が駄目でも親がしっかりしていれば子は育ちます。 親の貧富は関係ありません(昔から「家貧にして孝子出づ」と言いました。 子は世間をみるまえに親をみます。まず親の目をとおして世間を見るのが子です。 |
>> >>宮崎故郷人さん, >> >>そうです、だから「子供は社会の鏡」といってるんです、親だけで子供が育つのではないのです、世間を見て子は育つのです。 > >石頭の息子さん >私が言っているのは社会のまえに親ありきということです。 >社会がしっかりしても親が駄目なら子は育ちません。 >逆に社会が駄目でも親がしっかりしていれば子は育ちます。 >親の貧富は関係ありません(昔から「家貧にして孝子出づ」と言いました。 >子は世間をみるまえに親をみます。まず親の目をとおして世間を見るのが子です。 おふたかた、おっしゃっておられること分かります。ただ、社会も子を育てます。 なかなか捨てたモンじゃないですよ。 私なんかは、親が子育てに、なかなか難しい環境でしたから、育てきれずに、ヘレン・ケラーのサリバン先生みたいな人に育ててもらいましたよ。私がぐれてたわけでもないんですけどね。 だから、おふたりのおっしゃっていることは、私は同時に二つあっていいと思いますよ。 |
▼宮崎故郷人さん: >▼石頭の息子さん: >>▼宮崎故郷人さん: >>>▼石頭の息子さん: >>>>▼ウミサチヒコさん: >>>>>▼宮崎故郷人さん:19676 >>>>>>▼桃李さん: >>>>> >>>>ウミサチヒコあにさん、 >>>> >>>>あたしゃ、単純なんでね、子供は社会の鏡と思ってるんでやんす。 >>> >>>「社会の鏡」のまえに「親の鏡」ですね。 >> >>宮崎故郷人さん, >> >>そうです、だから「子供は社会の鏡」といってるんです、親だけで子供が育つのではないのです、世間を見て子は育つのです。 > >石頭の息子さん >私が言っているのは社会のまえに親ありきということです。 >社会がしっかりしても親が駄目なら子は育ちません。 >逆に社会が駄目でも親がしっかりしていれば子は育ちます。 >親の貧富は関係ありません(昔から「家貧にして孝子出づ」と言いました。 >子は世間をみるまえに親をみます。まず親の目をとおして世間を見るのが子です。 宮崎故郷人さん, 学校教育では親の教育が先と申しあげた。 屁理屈を言うつもりはありませんが、親が駄目でもね反面教師て、ありますね。 同級生でね、赤線宿の息子がいましたが、こいつが秀才で社会運動なんかをおっぱじめましたね。 他に、ポン中の両親だったが、そいつは田舎で教師をしていましてね、尊敬されてます。 それから、PTAに熱心な親の息子、こいつも弁護士になったけど、詐欺でぶちこまれましたね、今はしらないが。 同級生の右翼崩れは市会議員に落っこちた、その息子は正業で立派にやってますよ、その老いぼれ右翼は、息子には頭が上がらないと、嬉しそうに私に言いますね、たまに一杯やる時に。 例外が居たな、暴力すりを家業にしてた奴、親も子も開き直ってましたね、親も子も社会がわるいと悪態をついていたな。 子は親の後姿は見るが、でも「子は社会の鏡」なんですよ。 議論して負かそうとか思とっりません、子を悪くしようとする親は稀ですからね。 |
▼石頭の息子さん: >▼宮崎故郷人さん: >>▼石頭の息子さん: >>>▼宮崎故郷人さん: >>>>▼石頭の息子さん: >>>>>▼ウミサチヒコさん: >>>>>>▼宮崎故郷人さん:19676 >>>>>>>▼桃李さん: >>>>>> >>>>>ウミサチヒコあにさん、 >>>>> >>>>>あたしゃ、単純なんでね、子供は社会の鏡と思ってるんでやんす。 >>>> >>>>「社会の鏡」のまえに「親の鏡」ですね。 >>> >>>宮崎故郷人さん, >>> >>>そうです、だから「子供は社会の鏡」といってるんです、親だけで子供が育つのではないのです、世間を見て子は育つのです。 >> >>石頭の息子さん >>私が言っているのは社会のまえに親ありきということです。 >>社会がしっかりしても親が駄目なら子は育ちません。 >>逆に社会が駄目でも親がしっかりしていれば子は育ちます。 >>親の貧富は関係ありません(昔から「家貧にして孝子出づ」と言いました。 >>子は世間をみるまえに親をみます。まず親の目をとおして世間を見るのが子です。 > >宮崎故郷人さん, > >学校教育では親の教育が先と申しあげた。 > >屁理屈を言うつもりはありませんが、親が駄目でもね反面教師て、ありますね。 > >同級生でね、赤線宿の息子がいましたが、こいつが秀才で社会運動なんかをおっぱじめましたね。 > >他に、ポン中の両親だったが、そいつは田舎で教師をしていましてね、尊敬されてます。 > >それから、PTAに熱心な親の息子、こいつも弁護士になったけど、詐欺でぶちこまれましたね、今はしらないが。 > >同級生の右翼崩れは市会議員に落っこちた、その息子は正業で立派にやってますよ、その老いぼれ右翼は、息子には頭が上がらないと、嬉しそうに私に言いますね、たまに一杯やる時に。 > >例外が居たな、暴力すりを家業にしてた奴、親も子も開き直ってましたね、親も子も社会がわるいと悪態をついていたな。 > >子は親の後姿は見るが、でも「子は社会の鏡」なんですよ。 > >議論して負かそうとか思とっりません、子を悪くしようとする親は稀ですからね。 桃李さま、石頭の息子さま、 おふたりのご趣旨理解しました。 社会と親、どっちも大事だということですね。 確かにそのとおりです。おっしゃるとおり、どっちが先で争うものでもありません。 石頭の息子さんの例示されたケース、なるほどなるほどと思いながら読ませてもらいました。わかります。 その中で以下のようなケースの親も子も「社会が悪い」といって自分を棚にあげる人がいるのでそういうのが許せないというのが私の趣旨です。 >例外が居たな、暴力すりを家業にしてた奴、親も子も開き直ってましたね、親も子も社会がわるいと悪態をついていたな。 良い例示をあげていただいてありがとうございました(そのくらい先に気がつけという声が聞こえてきそうですが・・・我が不徳!) |
宮崎故郷人さん、 私もえらそうな事はいえまへんが、子供や青年を見ていると世相が分かるような気がします、私等の世代がなんか間違ったんでしょうか? 多分そうでしょう。(これどの時代の年寄りのタワガゴトと同じでんな) |
▼石頭の息子さん: >私もえらそうな事はいえまへんが、子供や青年を見ていると世相が分かるような気がします、私等の世代がなんか間違ったんでしょうか? 多分そうでしょう。(これどの時代の年寄りのタワガゴトと同じでんな) 「社会」とは主に,子どもが出会う大人の態度,行状ですよね。 他人の子どもに対して,「悪いことは悪い」といえず,無視している,子どものほうにも,あの大人は何かいいたいのだろうが,遠慮しているというのがわかる。 大人が子どもにいえないのは,その子どもの親に対する遠慮があること。子どもは親だけではなく,社会の宝だというのに。 また,これらが一番大きい理由なのではないかと思うのですが, 「自分が他人に説教するガラではない」といった,自分に自信がない,という理由。自分も公明正大に生きていないのになど。 または,「下手に注意して殴られてはかなわない」といった,「さわらぬ神に祟りなし」型。 昔は,怖いおっさんやうるさいおばさんがいたものですが,今はすっかり大人の物わかり(?)がよくなりすぎているのではないでしょうか? |
▼しげちよさん: >昔は,怖いおっさんやうるさいおばさんがいたものですが,今はすっかり大人の物わかり(?)がよくなりすぎているのではないでしょうか? しげちよさん、お久しぶりです。 怖いおじさんやうるさいおばさんはどこか暖かかった。 人間的な匂いが漂っていました。 現代は物わかりがよすぎるという面もありますが、それ以上に無関心な人ばかりです。 私の学区に怖いおじさんがいますが、不思議と子どもに好かれています。 竹とんぼなんかを飛ばして遊んでくれています。 |
しげちよ様 よろしくお願いします >大人が子どもにいえないのは,その子どもの親に対する遠慮があること。 >子どもは親だけではなく,社会の宝だというのに。 私の場合はこのパターンに一番困っています >昔は,怖いおっさんやうるさいおばさんがいたものですが, >今はすっかり大人の物わかり(?)がよくなりすぎているのでは >ないでしょうか? 言いたくてもいえない、状況が多いです 先月花火大会を見物しに行ったときの事ですが 午後二時くらいから川原でシートを張って文庫本を 読んでいると高校生くらいの男の子達六人が隣に 場所をとりました その中の一人がタバコをふかし始めます 正直この集団に殴られてはかなわないと思ったので 特別注意しないでその子の方を向いて 思いっきり睨みつけてやりました まあ結果的にピタリと煙が流れてこなくなりましたが 中学高校位でタバコや酒やってみたい気持ちは 分かりすぎますが、目の前でそんなことがあったら やはり「タバコはやめとけ」と常に言いたいものです 待ち時間中に「どこから来たの?どうやって来たの?」 等彼等に話しかけてみますときちんと礼儀正しく答えてくれます 花火大会が始まり、夜になって大掛かりな仕掛け花火が 始まると会場は総立ちになります。 すると高校生達が花火が見えない隣のシートの保育園位の 子供二人を肩車して見せてあげているのです。 花火が上がるたびの子供達の喜び様や (大げさに喜んで楽しんでいるのでしょうか) 飽きてきて花火そっちのけで夢中に父親と遊ぶ子供達 私には花火よりもその光景が美しく思い出に残りました。 「周りがいい子供達で楽しかった。」我が家の感想です |
宮崎故郷人さま お返事ありがとうございました。 ▼宮崎故郷人さん: >その中で以下のようなケースの親も子も「社会が悪い」といって自分を棚にあげる人がいるのでそういうのが許せないというのが私の趣旨です。 賛成です。私も、人生に逃げ道だって無きゃいけないと思いますが、そういう風に逃げて、大事な自分の人生と世の中を観ることができないまま生きていること自体は救われない。お気の毒です。 |
皆様のレスに感謝します。 桃李さんよろしくお願いします。 この話題の出展は「東京の窓から日本を , 石原慎太郎/著」からです。 この本の中で、授業参観の最中にお母さんたちがおしゃべりをしてしまい 授業ができなかった等の話が出てきます 学級崩壊の理由について桃李さんはどう考えておられますか? 私はまず親の世代がより良い大人になるべく頑張らなければならないと思います >私は、このようなルールより肝要なことは、子どもをうまく導いていけないと自>信がない、子どもに対して分からないという大人がいたら、どの様にその悩みを>ひろって、一緒に考えて良い方法を見つけていくかだと思います。そつちのほう>が、手間がかかりますが、丁寧な方法だと思います。 確かにその通りだと思います >子どもは本当に昔より駄目になっていると言えるのでしょうか? 言えません、 ただし何時までたっても大人になれない子供に対しては (先進国間共通の永続する思春期問題)話が違います |
▼しろはさん: >皆様のレスに感謝します。 >桃李さんよろしくお願いします。 こちらこそどうぞ宜しくお願いします(^−^) >この話題の出展は「東京の窓から日本を , 石原慎太郎/著」からです。 >この本の中で、授業参観の最中にお母さんたちがおしゃべりをしてしまい >授業ができなかった等の話が出てきます そうなんですか。それは随分失礼な父兄だと思います。そのとき、先生は何らかの注意を促したと思うのですが、先生はどういう対応を取られたのでしょう。 >学級崩壊の理由について桃李さんはどう考えておられますか? >私はまず親の世代がより良い大人になるべく頑張らなければならないと思います そうですね。恥ずかしいことです。先生が、注意をしたにもかかわらず、そういう状況であれば、そのことについて、まず先生方は父兄を指導しなければなりませんもの。大変な苦労だと思います。このお話を聞くと、やっぱり、大人のマナーについて考え直してもらうほうが先だと思います。 そうすると、「子どもに心のルールを教えましょう」と言うのは、「大人に心のルールを教えましょう」に置き換えられると私は思います。その点で、このルールの対象が子供さんだと言うことは、不自然に感じます。 私の経験ですと、小学生のころから、つまらない授業はノートも取らないで考え事をしていたので、親が先生に注意されていました。 中学校では、先生と心が通じないと、家庭科の授業などは「カンペン」(当時の筆箱で金属でできています。)をみんなでいっせいに床に落として、反発したりしました。 社会の授業は、宿題を出しませんでした。先生が生徒をよく殴る人だったので大嫌いだったのです。それで、先生から宿題を出さないと「通信簿に1をつけますよ。」とうちに電話がかかってきました。それでも出しませんでした。1をもらいました。 記念になりました。自分の意志を通した結果のことでしたから、平気でした。 高校の地理の時間は、先ず先生が出席を取ります。それから生徒は廊下にあるロッカーへ地図帳をとりに行くんです。出席は取ってありますから、そのまま逃げて、一ツ橋大学の方まで自転車で遊びに行きました。授業に魅力がありませんでした。 私服の学校でしたので、喫茶店で音楽を聴いたり本を読んだり友達と話したり、一ツ橋の図書館にもぐりこんで、つまみ出されたりしました。屋上で寝ていることもありました。遅刻すると、先生は「なぁんだ。社長出勤かぁ」と笑っていました。 私にはそういうことのほうが大事な時間でした。そうやって大人を観察しました。 この先生は熱心にやってる。とか、この先生は自分の今日しゃべる台詞だけ用意してきて、しゃべったら帰ってしまう。とか・・・そういうことはとてもよくわかりました。 今思い起こしてみれば、私の好奇心が強くて、なぜ??と思う私の疑問に根気よく付き合ってくださる先生とは、よい関係で授業ができました。周知のことと思いますが、先生が生徒の心を知ることは授業を作るうえでとても大切です。 あとは、学級の人数はどうでしょう?これも、先生の手の届く範囲かどうか、気になります。 >>子どもは本当に昔より駄目になっていると言えるのでしょうか? >言えません、 >ただし何時までたっても大人になれない子供に対しては >(先進国間共通の永続する思春期問題)話が違います そうですね、私はこちらの方を成長できるように促すことの方が、親御さんもお子さんもうまく行くのではないかな。と思っているんです。ただし、それは、先生だけの問題にしないで、心理の専門家などのタイミングのよい援助が必要だと思いますから、難しいでしょう。本気でやろうと思えば、やり方も工夫がとっても必要なはずです。でも、ここのところを根気良く直していくほうに、私は目を向けています。 |
ちなみに、私の夫が学校の先生なんです。 夫から、授業中の生徒さんの様子は良く聞きます。 携帯とか帽子は、教室では使用すると、取り上げです。 先生達の話も聞きます。そういうこともあったし、自分の経験も思い出して こんな感想になりました。 |
しろはさん: 桃李さん:こんにちは。横から失礼します。 子供の教育問題は親の問題とおっしゃられてますが、そのとおりだと思います。自分の子育ての経験から言っても、子供から教わることが本当にたくさんありました。その積み重ねで親になっていくんではないでしょうか。 今、少子化が進んでますが、その原因のひとつに親になることへの不安があるのではないかと思います。親になる自信がないから子供を作らない、家庭を維持する自信がないから結婚しない、そんな人たちが増えている。 頭でいくら考えてもどうにもなりません。子育ては試行錯誤の連続、問題にぶつかったら、それを乗り越えていくしかないんですから。 それにしても、昔はたくさんの子供がいました。4人兄弟で両親を入れて8人家族なんていうのが平均的でした。大家族の中で子育ての文化も自然に継承されていました。それが今は行政が口を出す子育てですか。なにか不自然な違和感を感じます。 |
▼王里さん: >しろはさん: >桃李さん:こんにちは。横から失礼します。 こんにちは(^−^) >大家族の中で子育ての文化も自然に継承されていました。それが今は行政が口を>出す子育てですか。なにか不自然な違和感を感じます。 私は歳の離れた妹としかいませんから、大家族という経験がないんですが、私の祖母は、働きながら弟の学費を払っていたそうです。そういうことだと学校へ行っても勉強はちゃんとやらなくちゃ。という気持になるでしょう。 時代背景と、その家庭の内容にも左右されるのかもしれませんが、大きな家族の中では、互助作用もあって、それがよいほうに働くと、今のような問題は出てきづらいのかなぁと思いました。 それに比べると、今はそういう助け合いが、家族の中でやりづらい少ない人数の家庭が多いでしょう。「行政が口を出す」子育てではなくて、親御さんやこれから親になる人の、不安を包んで、問題を聞いて、解決の糸口を見つけるヒント探しを一緒にやってくれるような人がいることで、親も試行錯誤の中、自信をつけていけるんではないかと思いました。 そういう人は、行政でなくていいんです。ただ、どうしたらよいのか、誰に相談したらよいのか、話を聞いて欲しい時に、親身になってくれる人間が、どこにいるのかということを考えないといけない時代になりました。 |
桃李さん 王里さん よろしくお願いします >そういう人は、行政でなくていいんです。ただ、どうしたらよいのか、誰に相談>したらよいのか、話を聞いて欲しい時に、親身になってくれる人間が、どこにい>るのかということを考えないといけない時代になりました。 では行政の力抜きで例えば子育て相談については 人生経験豊かなその道に長けた方々にボランティアの相談員として各地域でにて 相談所を開いて対応していただき、ネット上でも同様の取り組みを展開する。 こういった取り組みは以前から在るのですが、規模が小さい、期間が短い等等 有りますので、、 ちょっと調べてみたのですがここのHPは勉強になりました ピッカリさんの子育て相談所 >http://homepage1.nifty.com/pikkari/ |
▼しろはさん: >ちょっと調べてみたのですがここのHPは勉強になりました >ピッカリさんの子育て相談所 >>http://homepage1.nifty.com/pikkari/ しろはさま、ご教示ありがとうございます。 こういう風に調べていくと本当に勉強になりまね。 私は、行政、民間関係なく、こういうことに携わる人の 信念と、努力して身につけられた技術を尊敬して、高く 評価したいです。 行政が心のルールなどと言ったって、コンピューターに ソフトを入れるわけじゃないですから、心に響かなければ 強制しても駄目です。 また、人はみんな自分に誇りがあるのですから、そこを大切に 傷つけないように見て、ルールを強制せず、失敗を執拗に咎め ることなく、許す範囲も狭めず求められた時に手助けをする。 そういうのがいいと思います。 制度に乗るほうが、安心できそうな誘惑もありますが、人の心は そんなものでは動かせやしません。 |
桃李さんこんばんは 簡単に納得しないと言うこと「常に何故?」と自分に問う事 行政の能力が低いからと言って行政サイドは何も出来ないのでしょうか? 政治で教育現場は良くなるかならないか?今までは無理だった、この先は? 「やらなければ出来ない、」と以前社会に出てから出会った先生に教わりました。 |
しろはさま お返事ありがとうございます> 教育関係のシンポジウムで文部科学省がパネリストになった会議に、 昔は事務局サイドとして毎年2回出ていたのですが、現場の先生方の 感覚と文部科学省の方のものの見方のの隔たりに、 「現場を知らずに理想論だけ言っている。」という先生方の 影の批判が思ったより大多数でした。 ですから、「深くて暗い川」のようなものを 先生方はじめ、事務局サイドみなが感じていました。 私は、行政は何もできないとは言っていないんです。 大事なのは、「現場の問題を臨場感をそのままに掬いとって 検証し、解決に努力する積極的な姿勢がある人間がいるか」ということです。 そういうことをするのは、行政で難しいでは難しいようです。 法律と現実の間を、行政の方々だけでは埋められない。 「はがゆい問題がある。」ということです。 私の職場でも「わかってはいるし、個人的には こうしてあげたいけれど、自分の職場の性質や、法律上できない。」 そういうことが非常に多かった。そのじれったさ!民間はそこを、 時流に乗って、うまく柔軟に埋めていける可能性が高い点で期待します。 ただし、相談に行く場合は、その民間が、胡散臭くないか、調べるのは 私たちのやらなければいけない大切な確認事項だと思っています。 行政がやってみるのはかまいませんが、肝要なのは、お仕着せでないこと、 いつも市民の声が、行政を動かすという力学が、民主主義の大事な部分では ないかと思います。 |
桃李様 お返事ありがとうございます 私の先輩であり友人の現役中学校教諭と様々な話をしていますと 言葉には露骨に表れませんが、先生は普通の状態でもとにかく 仕事量が多く大変であること、子供たちの幼児化が進んでいること 親の問題には手がつけられないことなどが伝わってきます 部活の顧問持ちだと何かの大会で勝ち進むと土日が朝から 晩まで部活動の引率になっていますし (嬉しいことなのですが上の大会とかも有って大変です) 先生に助手をつける取り組みもなされていますよね、 どんな形にしろ先生の余分な負担を軽くすることは必要だと思います 礼儀についてのスポーツ教室での体験なのですが 「礼儀については個人の品性の問題で尊敬する相手には自然に頭が下がる、 決まりによっての礼に何の価値があるか、」 と子供に学びはしましたが、礼に始まり礼に終わる スポーツの型そのものは崩せません 事実教室で挨拶を決まりにしたところで 二年三年経っても何故挨拶をするのか理解した子供は一部です ここでも何故の所を子供らに考えてもらおうとやってきたのですが なかなかに難しいですね 大人達が尊敬できる存在なら礼儀は自然と修まると言うことですが |
▼しろはさん: >桃李様 お返事ありがとうございます > >私の先輩であり友人の現役中学校教諭と様々な話をしていますと >言葉には露骨に表れませんが、先生は普通の状態でもとにかく >仕事量が多く大変であること、子供たちの幼児化が進んでいること >親の問題には手がつけられないことなどが伝わってきます しろはさま、お返事ありがとうございます。 夫が今の学校に来る前に、非常勤である学校のフランス語教師をしていました。 どことは申せませんが、国際的という大きな宣伝を掲げている学校です。 日本人の先生とふたりでこの授業を持っていました。日本人の先生は、もともと 英語の先生なので、フランス語を教えるのは大変過ぎたようで、子供たちの喜ぶ ファッションやカフェなんかのお話が中心で、本格的な勉強にはならず、夫は、生きた発音マシーンとして雇われている格好でした。 何より夫を傷つけたことは先生から「今の子供たちはとてもわがままになっているから子供が気に入らないことを言ってはだめだ」と言われたことです。 でも、日本人の先生は悪くありません。こんな無理やりなことをさせる学校の側の問題です。そして、そういうふうに子供を過保護にした親の責任も大きくないとは決していえません。 「余計なことは言うな」と釘を刺された夫は、自分の国の言葉を、まるでアクセサリーのように教えているこの学校が大嫌いになり、とてもストレスが大きくなりました。そして、子供たちも本当のフランス語のよさを学ぶ機会を奪われる結果になりました。 どこから歯車が食い違ったのか、先生方は、みんな無理をしなければならなくなりました。もしくは、教育者としては不本意でも、仕方なく楽なほうへ姿勢を転換していく。 残念です。 |
王理さんよろしくおねがいします >子供の教育問題は親の問題とおっしゃられてますが、そのとおりだと思います。>自分の子育ての経験から言っても、子供から教わることが本当にたくさんありま>した。その積み重ねで親になっていくんではないでしょうか。 子供から教わる事は本当に色々ありますね 私はパソコンやスポーツ教室にて教える立場に立つ時がありますが 事ある度に「ああ教えるとは学ぶことだ」としみじみ感じます 不足なところを教えられ、どうあるべきかと考え悩み 人や本に相談して勉強します 時には大学生や高校生に真剣に教室について相談にのってもらい、 凄い辛口の意見を聞くことが出来ます 先日下記の新聞記事を読んでいてはっと思ったのですが、 小学校でも父兄の皆様に先生体験をしていただくというのはどうでしょうか? >保育所で月一回の誕生会の際該当する子供の親を招待する。 >ただの参観ではなく、エプロンを着けてケーキ作りをしてもらい、 >さらに即席の先生になって一日中保育の手伝いをもしてもらう。 >我が子の性格や暮らしぶり分かるし他の子供や保育士の動きをじっくり見る >機会にもなる。 >仕事を休み、子供と向き合った人も多い。 >誕生会は子育てに悩む親への小さい贈り物かもしれない。 |
▼しろはさん:こんばんわ。ご返事いただきありがとうございます。 >子供から教わる事は本当に色々ありますね >私はパソコンやスポーツ教室にて教える立場に立つ時がありますが >事ある度に「ああ教えるとは学ぶことだ」としみじみ感じます >不足なところを教えられ、どうあるべきかと考え悩み >人や本に相談して勉強します >時には大学生や高校生に真剣に教室について相談にのってもらい、 >凄い辛口の意見を聞くことが出来ます > > >先日下記の新聞記事を読んでいてはっと思ったのですが、 >小学校でも父兄の皆様に先生体験をしていただくというのはどうでしょうか? > 子育てって、すごくエネルギーがいりますよね。父兄に先生体験をさせるのは良いアイディアですが、毎日の仕事に疲れた父兄がどれだけ参加できるか。そこにかかっていると思うんですが。 ちょっと本筋からはずれます。英語の先生にティチャーとエデュケーターの違いを説明されたことがあります。彼はエデュケーター(教育者)はティチャー(教師)+ペアレント(親)だと言いました。自分なりに教えるのは教師、育てるのは親の役目とあらためて納得しました。 なんで、こんなあたりまえの話をするかというと、育てられない親が増えている、あるいは育てることまで先生に頼っている親がいるように思うからです。 最近、子供のマナーの悪さが目立ちますが、これは親の責任です。子供の不作法は親の恥です。 そして、そんな親を育てた我々世代の責任でもあります。 子供の教育は親と教師が中心となり家族や地域社会が応援し、行政がささえる。どれがかけても、どれが行き過ぎても、うまくいかないのではないかと思います。 そういった意味で子育てを卒業した我々にもまだ出番がありそうです。出来るだけの応援はしていきたいと思います。とりとめのない話になりました。申し訳ありません。 |
>例の「つくる会教科書」の1件しかり http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/top_f.htm 要は従来通りの「赤らしい教科書」を次代を担う子供たちに与えるか、マルクス主義、階級闘争史観から解放された新しい教科書を与えるかの問題。マルクス主義が滅んだ今、わざわざ大量の餓死者を出したロシア革命を礼賛したり、相も変らぬ貧農史観に基づいた教科書を採用する事もないだろう。 >ジェンダーフリーの1件しかり http://www.seikatsusha.net/pro-board/back_no/back_no.php?action=back_no&id=1093600830&site=www http://www.terra.dti.ne.jp/~reico/gender.htm 偏ったジェンダーフリー(性差その物を否定)であり、特定の政治的意図を持ったものだから廃止したまで。男女混合名簿で無いと差別という意見その物がナンセンスだった。 >どうにもこうにも、この「心の東京ルール」が、オブラートというか、 メッキのようなものに思えてならない。 今までは人権というオブラートを使って特定の赤き思想が注入されたわけだから、まずはその反省から始めないと。 |
> > ○ 毎日きちんとあいさつさせよう >> ○ 他人の子どもでも叱ろう >> ○ 子どもに手伝いをさせよう >> ○ ねだる子どもにがまんをさせよう >> ○ 先人や目上の人を敬う心を育てよう >> ○ 体験の中で子どもをきたえよう >> ○ 子どもにその日のことを話させよう > >石原都知事の教育政策に関してこの七つのルールのような取り組みを >されている点に敬意を表します。 七つとももっともなことばかりですが、語尾に「させよう」が 多いのがひっかかります。 簡単に「させよう」などと呑気に言ってもらっては困る。 かけ声だけなら誰だってかけられる。 子育てに悩んだり苦しんだりしている人達の気持ちを本当に受け止めた上での言葉かどうかで、意味合いが全然違います。 そんな言葉を出す前に、「子育て支援策」や「30人学級」の実現にもっと力を入れて欲しい。 大体、上からのかけ声で教育がよくなったことは未だかつて一度もありません。 家庭や学校、地域の実態をよく見ることから始めてもらいたい。 現場を何も知らないお偉いさん達がどんなかけ声をかけようと何も響いてくるものはありませんね。 それに、勘ぐれば、いくらでも勘ぐることのできる言葉ですね。 何か思惑がないのかどうか・・・ |
団塊党さんと同じく心の東京ルール〜7つの呼びかけ〜には ひっかかるものがありました。”させる”という使役の言い方は、 少なくとも私には馴染まないもの。なにか、傲慢なものの言い方に聞こえます。 子どもに聞いてみたら、「強制を感じるね」。 例えば、子どもにその日のことを話させよう→子どもとその日のことを話そう なら、すんなりと受けとめられるのですけれど。 不出来な私は子どもが小学校に入学した時、「一緒に学んで行こう」と 思ったものです。それが、「教えられることのほうが多いなぁ」と感じるまで そう時間がかかりませんでした。わが子に限らず、子どもの視点の純なところ、 ものも見方が真直ぐなところは、いつも、今ある自分を省みる機会を与えてくれました。 【子育て】は、とりもなおさず【自分育て】でもあるのですね。 |
少年院の子ども達が一番切実に願っていることはなんだと思いますか? それは大人の心からの一声だそうです。 「どうした、この頃元気ないぞ」 「寒くないか、風邪ひくなよ」 「何かあったら相談しろよ」 親や教師や地域の大人達が子ども達にこんな関わり方をもうちょっとできればそれだけで少年犯罪は減るんじゃないでしょうか。 東京都の七つのかけ声には、この点が欠けています。 「・・・させる」と子どもに要求するばかりでは、今の教育問題の解決にはなりません。 |
団塊党さんよろしくお願いします >そんな言葉を出す前に、「子育て支援策」や「30人学級」の実現にもっと力を入れて欲しい。 私が望むのはまさに >そんな言葉から発した問いに対する 団塊党さんのそのお言葉です 老人党として「子育て支援策」や「30人学級」の早期実現を求める 私は大賛成です >少年院の子ども達が一番切実に願っていることはな>んだと思いますか? >それは大人の心からの一声だそうです。 高校生の友人と色々な会話をしていると 自分の少年時代感じていた感覚と同じ寂しさを 感じているのが伝わってきます 知っている若者たちにはなるべく笑顔でこちらから挨拶しています。 道で車で行き会うときに手をあげたりします。 一人で出来ることは小さいです |
悠々さん、しろはさん 今の子ども達に一番大切なことは、「優しさ」と「希望」ではないでしょうか。 これなくして、子ども達はどうやって未来を明るく力強く生き抜いて行けるでしょうか。 子どもを将来の人材としてみるような議論が政界財界では氾濫していますが、その前に今現在をどう豊かに過ごせ、未来に希望を持てるようにしていくのか、その道しるべをつけてあげることが大人の責任だと思います。 これなくして、国を愛せよだの日の丸を敬えだの言っても、子どもに響くものはないでしょう。 愛するに足る国を大人達がまず創って行かなくては。 お互いが思いやりを持ち、未来に希望の持てる国を政治家達は指し示してあげなくては。 自ら悪いお手本を示す大人達や政治家がこんなに多くては、どうにもなりません。 |
団塊党様 >今の子ども達に一番大切なことは、「優しさ」と「希望」ではないでしょうか。 >これなくして、子ども達はどうやって未来を明るく力強く生き抜いて行けるでし>ょうか。 確かにそうですね、子供たちには何らかのボランティア活動を経験してもらい 優しさとは何か、ボランティアは何故気持ちいいのか 考えてもらえたらいいですね。 子供に対しての優しさについてですが、わたしにとって優しさとは厳しさです 以前私は恩師に「いいか?自分が子供のころはとにかく父親が何か事あると 物も言わずに殴る、鼻血が止まらない位殴られたことがある、 今の世の中ではそれは通用しないが、それが有るから自分が今ある」 と説教していただき、どれだけ優しさの中に強さと厳しさが必要なのか、 優しさとは何か?を考えさせてもらいました (暴力を肯定するのではありません) http://www.koto.ed.jp/4dai-sho/gatayori/H13_7ga.htm http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7355/myclaims/goodness.html 優しさについてネットで調べていたらこんな一文がありました 中でもヘレンケラーの話は改めて為になりました >子どもを将来の人材としてみるような議論が政界財界では氾濫していますが、そ>の前に今現在をどう豊かに過ごせ、未来に希望を持てるようにしていくのか、そ>の道しるべをつけてあげることが大人の責任だと思います。 希望は一番大事なのですが一番難しいですね |
▼しろはさん: >子供に対しての優しさについてですが、わたしにとって優しさとは厳しさです 優しさに裏打ちされた厳しさは、子どもが成長していく上で絶対に必要なことだと私も思います。 甘ったるい優しさなんか底の浅いもので、子どもはすぐに見破ります。 |
団塊党 様 こんばんは >優しさに裏打ちされた厳しさは、子どもが成長していく上で絶対に >必要なことだと私も思います。 >甘ったるい優しさなんか底の浅いもので、子どもはすぐに見破ります。 子供って本当に敏感だとおもいます 昔話になりますが、私が少年時代尊敬した先生は保育園の保母さんです (当時はみんな先生付けで呼んでいましたので) この先生には私と同い年の男の子が居て、 私と同じ組でした。 優しく、またとにかく厳しい先生で、私等いたずらが過ぎて年長組から 年少組へ一時間ほど落第させられた事が有ります その先生が自分の子供が悪い事をした時その子を窓から 外に追い出してしまうのです (凄く厳しく感じた記憶があります) 泣き出すその子を見ながら 「自分の子供が特別ではない」 「ああこれが先生なんだ」 と強く思うのです。 小学生くらいになると大人のどんな感情も顔に表れなくても 雰囲気とかで分かるのでしょうね。 |
しろはさん、団塊党さん、こんにちは。 以前にある本の著者になっていただいた栄養学の大学教授が、 こんなお話をしてくれたことがあります。 「気はやさしくて力持ち、という言葉がありますね。いまの人は これを、力持ちで、『たまたま』、気持ちがやさしい人もいる、 というくらいに思っています。なかには、力持ちで乱暴そうに 見える『のに』、気持ちはやさしい、と受け取っている人もいる。 でも、違うんです。力があるから、お年寄りの重い荷物を持って あげることができる。小さい人の二倍も三倍も力仕事をして、 助けてあげられる。力持ち『だから』、やさしくなれるんです」 やさしさや希望という言葉が、お菓子のように甘いイメージで 語られるようになったのは、いつごろからだったでしょうか。 人にやさしくなるためには、たくましさの裏打ちが要ります。 状況が厳しくても希望を持ち続けるには、強靱で柔軟な精神が 大切です。したたかで、しなやかな心、とでも言いましょうか。 それは、昔もいまも、大人でも子供でも、本質的には変わらない ことなんじゃないかと思います。 |
▼ぎみゆらさん: >やさしさや希望という言葉が、お菓子のように甘いイメージで >語られるようになったのは、いつごろからだったでしょうか。 >人にやさしくなるためには、たくましさの裏打ちが要ります。 >状況が厳しくても希望を持ち続けるには、強靱で柔軟な精神が >大切です。したたかで、しなやかな心、とでも言いましょうか。 > >それは、昔もいまも、大人でも子供でも、本質的には変わらない >ことなんじゃないかと思います。 やさしさとか希望という言葉はその意味をよく考えないで遣いがちですが、自分の心の中をよく吟味するとあやふやなものでしかないということが分かります。 そのイメージに反して厳しい言葉ですよね。 |
ぎみゆら 様 よろしくお願いします >やさしさや希望という言葉が、お菓子のように甘いイメージで >語られるようになったのは、いつごろからだったでしょうか。 >人にやさしくなるためには、たくましさの裏打ちが要ります。 >状況が厳しくても希望を持ち続けるには、強靱で柔軟な精神が >大切です。したたかで、しなやかな心、とでも言いましょうか。 「やさしさや希望」について親子で考えてもらう取り組みがあったらいいですね >力持ち『だから』、やさしくなれるんです 親子で一緒に勉強する事はすばらしいです 私の母は高卒ですがその昔中3までの数学を教えてくれました。 当時の学校の先生がびっくりしていた事を憶えています、 ラッキーだと思う反面「家の母さん凄い」と思うようになりました。 例えば小学校高学年より上の勉強は教えるとなるとなかなか難しいと思いますが、 家で親子が一緒に勉強の出来る時間は親子にとって素晴らしいものだと思います、 (大変嫌がる子供も居るでしょうが) 勉強嫌いでスポーツが好きのタイプ そのスポーツで一緒に軽い練習をしたりその時間の中で色々語り合えたら 良いですね。 |
しろはさん、こんにちは。 > 私の母は高卒ですがその昔中3までの数学を教えてくれました。 > 当時の学校の先生がびっくりしていた事を憶えています、 > ラッキーだと思う反面「家の母さん凄い」と思うようになりました。 素敵なお母さまですね。 「本気でやる」「飾りを捨てて向き合う」というのは、 ものすごい「力持ち」の一種だと思います。 気持ちのよいお話を、ありがとうございました。 |
文部省や都教委のいう【心の教育】は本当に可能なのでしょうか。 そもそも、【心】とは一体何なんでしょうか。 【心】とは、目に見えず、形に見えず、もっとも個人に属するものなのです。これを教育するとか育てることなど本当に可能なのでしょうか。 まして、思想・信条に属することまで、他人が容喙することが許されるのだろうか、という疑問が残ります。 私が推測するに、ここで使われている【心】とは、【人間が人間であるための基本的倫理と社会を社会として成立させるための基本的な約束事】ということだと思います。 どのような未開社会でも約束事は存在します。この約束事が、【タブー】や【道徳律】として刷り込まれ、社会が存続してゆくわけです。 だから、時代とともにこの約束事が変容していくのは当然であり、そうならなければその社会は瓦解していくわけです。 では、現代日本社会においての【約束事】とは何か、という議論になります。 ところが、現代のように社会が複雑化し、グローバル化した社会では、この【約束事】それ自体にも様々な議論があり、約束事自体が【相対化】され【不安定な】価値しか持ち得ないのです。 従って、何が【絶対】の【約束事】かという価値観がない【不安な時代】にわれわれは住んでいると言ってよいのです。 では、このような不安な時代の【心の教育】とは、何か、という議論ですが、わたしは以下の点を踏まえる必要があると思います。 1、社会の構成員自体が自らの規範に絶対の自信がもてない時代なのだから、子供たちが不安になり、揺れ動くのは当然です。だから、自分のアイデンテイテイに不安を覚え、自分自身が何者であるか判然としない人が増えてきます。 2、このような不安の時代を生きるためには、社会の規範に従うより、【自らの欲望】や【自らの利益】に忠実に従ったほうが不安がないし、得であるということになります。 ※ベンチャービジネスの成功者などの言動をみれば、一目瞭然です。見事に自信に満ち溢れています。 3、教育の歴史は、【私権=親・家族】と【公権=国家】の争奪の歴史でした。一般の理解に反して、戦後教育の実態は、教育権を過剰に公権が簒奪した結果、【親・家族・地域社会】の教育力が低下し、【社会を社会として成立させていた約束事(精神的紐帯)の伝承が希薄になった(特に都市部)】ことに、現在の子供たちの心の荒廃の大きな要因があると思います。 4、この結果、これまで【親・家族・地域社会】に依存していた【約束事の伝承】を 国家の手で行わなければ、社会の存立そのものが危うくなったのです。 5、欧米では、この【約束事の伝承】を自立した【親・家族】と【教会】が担っており、国家の介入は最小限にとどめられていたのです。 日本では伝統的にこの役割を学校が担ってきたのです。しかし、自立意識を伴わない【私権意識の肥大化】と産業社会による【良質な人材育成とその配分】要請による【競争の激化】が、学校の伝統的【約束事伝達機能】は、完全に機能不全に陥ったのです。 文部省のいう【心の教育】とは、学校の伝統的【約束事伝達機能】の復活を意図していることは明白なのです。 わたしは、この【伝達機能】回復には、3つの方法があると考えています。 1、人類普遍の価値とされているもの(現在のところ) =人権を中心とした民主主義的価値観の伝承。環境を中心とした人類共生の課題など。 2、国家的価値観の伝承(国権を私権より上位におく) 3、生活の知恵の伝承(人との付き合い方・家族を大切にする・友人を大切にするなどの人倫的要素) しかし、3の問題についてはあまり異論はないでしょうが、1、2の問題については議論が大きく分かれます。 ただ、3の問題については、これまでも学校で行われてきたし、現在でも行われています。しかし、この問題は学校だけで解決できるほど単純な問題ではなく、背景には社会の価値観の多様化があり、親・家族・社会の教育力の低下という深刻な問題があります。だから、文部省も【家庭教育に関するパンフレット】を保護者に配布しているのです。 ということは、【心の教育】の目的は、1,2しか残らない。 たしかに、環境教育はかなり熱心に取り組まれているが、人権教育はそれほどでもありません。つまり、1ではないということです。 残るところは、2しかないということになります。 これが、紹介された都教委の指針に見事に具現化されているというわけです。教育勅語の平成版というわけです。なかなか良くできた指針で、誰もが反対できないが、どこかおかしいというのは、目的が2だからです。 このことをしかっかり押さえておかないと、簡単にだまされます。 |
>3、教育の歴史は、【私権=親・家族】と【公権=国家】の争奪の歴史でした。一般の理解に反して、戦後教育の実態は、教育権を過剰に公権が簒奪した結果、【親・家族・地域社会】の教育力が低下し、【社会を社会として成立させていた約束事(精神的紐帯)の伝承が希薄になった(特に都市部)】ことに、現在の子供たちの心の荒廃の大きな要因があると思います。 【補足説明】 戦後、教育権に過剰に国家が介入したものには、校舎建築の基準・学級定員・教室の基準など戦前は地方にゆだねられていたものまで、含まれます。 今回の教育改革の一つは、これまで文部省が持っていた権限を地方に委ねるという側面もあります。 理由は簡単です。金がないということです。 2、国家的価値観の伝承(国権を私権より上位におく) 残るところは、2しかないということになります。 【補足説明】 しかし、文部省は、教育権のうち教育内容などは、決して手離さないということの証明です。 戦後、やろうとしてできなかった【国を愛する心】を注入しようという狙いでしょう。そのために都合のよい道徳律を刷り込もうという狙いだと思います。 |
▼流水さん: >>3、教育の歴史は、【私権=親・家族】と【公権=国家】の争奪の歴史でした。一般の理解に反して、戦後教育の実態は、教育権を過剰に公権が簒奪した結果、【親・家族・地域社会】の教育力が低下し、【社会を社会として成立させていた約束事(精神的紐帯)の伝承が希薄になった(特に都市部)】ことに、現在の子供たちの心の荒廃の大きな要因があると思います。 >2、国家的価値観の伝承(国権を私権より上位におく) >残るところは、2しかないということになります。 > >【補足説明】 >しかし、文部省は、教育権のうち教育内容などは、決して手離さないということの証明です。 >戦後、やろうとしてできなかった【国を愛する心】を注入しようという狙いでしょう。そのために都合のよい道徳律を刷り込もうという狙いだと思います。 私もそのような狙いを感じています。 公教育の発展は、少なくとも欧米諸国では、教育の私事性を完全に否定したわけではないのです(流水さんのおっしゃるとおり欧米では家庭・教会の影響が大きかったのでしょう)。ところがわが国の近代以降これが欧米から一足飛びにやってきて、富国強兵・国威発揚を優先したため、本来の価値観までは国民には浸透しなかったのでしょう。公教育の土台には親の教育の自由があり、けれども、こどもの教育の公共性にかんがみ、親は学校教育の部分に関して社会全体に信託したものと考える。そしてその教育は、専門的な教師たちにより、組織的・体系的に行なうことで知育に加え、社会性を身につけ、相互の人間の尊重と、自分達にかかわる諸問題を民主的な過程をつうじて解決するというプロセスも学ぶという、これらが公教育の作用であると思います。加えて、発達した社会では専門家による教育が無ければ社会に出て職業に就くことができないから、これについても社会全体の要請であると考えられます。 ところが、この「職業に就く」ことを主眼に子供を教化し、さらに、「公共性」ということを国家(単一の民族や地域という意味)に異小化し、これの発展に役に立つ人材の育成という意味で教育というものを捉えようとする考え方が強くなってきているわけです。ある意味で、二次的な利益の方を優先させてしまっているわけです。 そもそも「国民の教育権」について考えるときに、例えば、教育基本法に言う「人格の完成」とは個人主義の教育であると考えられるのですが、その前文にもあるとおり「民主的で文化的な国家及び社会の形成者」、「世界の平和と人類の福祉に貢献する決意(憲法の理念)」、そして「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民」であるわけです。これを教化(押し付け)ととらえるかどうかは個人の感情論(または個人の経験的な認識の違い)にもなると思うのですが、しかし、ここで少なくとも「社会の形成者=人間の社会性(類的)」としての最低限の一定の価値観を規定しているものとも考えられるのです。統治機関が文化的中立にもかかわらず、ここでこのような一定の価値観を示す必要があったという意味は如何なることか・・。思いますに、これまでの歴史、ことに我が国の近代史における教育の役割が、例えば「教育勅語」などに代表されるような「国家の発展に奉仕しうる人材の養成」に片寄ったことへの反省があるためと考えられるのです。すなわち、旧国家主義から個人主義への転換が図られたのだと考えるべきであって、個人の「人格の完成」という意味は、「統治機関としてはここまでしか規定できない。したがって、これらは最低限であるから、それ以上は各人が自分で考えるのだ(つまり、自分に対するそれ以後の縛りは自分で課すのだ)」と解しても差し支えないと思うのです。 国家的価値観の伝承(国権を私権より上位におく)という教育?は、近代思想とは相容れない教育であり、国際的にも国家間の緊張のみを増幅させる教育だと思います。 |
流水さま > >【補足説明】 >しかし、文部省は、教育権のうち教育内容などは、決して手離さないということの証明です。 >戦後、やろうとしてできなかった【国を愛する心】を注入しようという狙いでしょう。そのために都合のよい道徳律を刷り込もうという狙いだと思います。 賛同します。 |
今の子どもは努力することを非常に厭う傾向がある。 第一、世の中全体が努力することにあまり価値を置かない風潮がある。 いかにもそれが古くさい根性主義だと言わんばかりに。 そして教師達も何となく、癒しとか寄り添うとかという空気に重きを置き、子どもを努力させることから逃げている。 子どもと正面から対決し、力を引き出すことはあまり流行らなくなってきている。 しかし、果たしてそれが今の子ども達にとって、本当の救いになるだろうか? 私は違うと思う。 教師も子どもと一緒になって必死になって目標達成のために努力していく姿勢を今こそ持つべきだろう。 子どもの興味や関心や個性を大切にすることと、クラスが一つの目標に向かって立ち向かい努力していくように要求することは矛盾するのだろうか。 違うと思う。矛盾しない。 私のクラスは今、鉄棒の逆上がりに全員挑戦「させて」いる。 休み時間には私も校庭に出て、子どもの指導に汗を流している。 少しずつ、進んで練習する子が増えてきている。 この努力する姿、目標に向かって努力する課程が子どもの成長に欠かせないし、尊いことだと私は信じている。 今では、あまり流行らなくなったやり方であり時流に逆らうようだが、私は意地でもやり通す決意でいる。 根性主義やガンバリズムは「結果を優先」するが、私は「結果よりも努力する課程の大切さを子どもに分からせたい」と思っている。 そういう意味で、ちっとも古くさい方法だとは思わない。 東京都が一段高いところから涼しい顔で「・・・させよう」「・・・させよう」などと子どもに要求ばかり言っていることとは本質的に違うのだと思っている。 流水さん始め、みなさんのご意見は如何でしょうか。 |
▼団塊党さん: ●そして教師達も何となく、癒しとか寄り添うとかという空気に重きを置き、子どもを努力させることから逃げている。 >子どもと正面から対決し、力を引き出すことはあまり流行らなくなってきている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「がんばれ」という言葉自体の響きがよくないのです。 わたしは、保護者には、【鍛える、とか鍛錬】という言葉を使ってきました。 【鉄は若いうちに打て!】とも言いました。 ポイントは、教師・親主導ではじめ、子供がそのことが好き(夢中)になり、子ども自身が自分で鍛えるようになり、そこから教師・親などに自分から疑問をぶつけ、また自分を鍛える、という【螺旋構造】を指導者がきちんと意識することだと思います。 子供主導か指導者主導かなどの不毛な論議は、そろそろ卒業する必要があります。 問題は、上記の【螺旋構造】を指導者がどのように意識し、現在の自分の位置をきちんと測ることができているか、という点にあるのです。 ●私のクラスは今、鉄棒の逆上がりに全員挑戦「させて」いる。 >休み時間には私も校庭に出て、子どもの指導に汗を流している。 >少しずつ、進んで練習する子が増えてきている。 >この努力する姿、目標に向かって努力する課程が子どもの成長に欠かせないし、尊いことだと私は信じている。 >今では、あまり流行らなくなったやり方であり時流に逆らうようだが、私は意地でもやり通す決意でいる。 > >根性主義やガンバリズムは「結果を優先」するが、私は「結果よりも努力する課程の大切さを子どもに分からせたい」と思っている。 >そういう意味で、ちっとも古くさい方法だとは思わない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしなど、古くささの権化のようなものでした。一番注意しなければならないのは、「方法論」というものは、必ずそれが生み出されなければならなかった【理念】があるということです。 自分の教育理念を具現化していく過程で、どうしてもその【方法論】が必要とされるのなら、古い・新しいなど一切考慮に入れる必要はないと思います。 その意味で、自分の教育理念具現化のために必要な方法論は、常に【新しい】のです。 教師・指導者が一番心しなければならないのは、今子供たちの【何】を育てているかをきちんと意識することです。その意識がないから、【根性論】が生まれるのです。 子供たちは【過程】の存在です。【結果】を求めすぎる考え方は、このことを忘れているのです。 教師・指導者は、子供たちが【過程】のなかのどの位置にあるのかを、きちんと測ることが重要なのです。 スポーツでよく言われる【燃え尽き症候群】は、【過程】の存在ということがきちんと認識されていないことに起因します。 |
▼流水さん: 催促してしまって申し訳ありません。早速回答頂き有り難うございます。 >問題は、上記の【螺旋構造】を指導者がどのように意識し、現在の自分の位置をきちんと測ることができているか、という点にあるのです。 ややもすると教師だけが燃えて、子どもはいつまでたっても点火しない。 私は何度もこれで失敗してきました。 出発点は子どもであれ、教師であれ、要は子どもがいずれ点火することですね。 そのためにどうすれば良いか、今、私が考えていることは、子どもの表現している姿をていねいに受け止めていくと言うことです。 結果だけを焦って求めないで、子どもの取り組んでいる課程を大切にしていく。 そういう姿勢を教師が本音で持ち続けるかどうかが、子どもの意欲を引き出すポイントじゃないかと考えています。 >子供たちは【過程】の存在です。【結果】を求めすぎる考え方は、このことを忘れているのです。 >教師・指導者は、子供たちが【過程】のなかのどの位置にあるのかを、きちんと測ることが重要なのです。 >スポーツでよく言われる【燃え尽き症候群】は、【過程】の存在ということがきちんと認識されていないことに起因します。 授業でも同じですね。 とかく、教師にとって都合の良い答えだけを求めがちです。 いわゆる正当主義というやつです。結果主義と同じ根っこです。 これが自分では良くないと思っていても、どこかに染みついて残っています。 これを完全に払拭しない限り、子どもは自分の考えを自由に発言するようにはならないですね。 進んで疑問を持ったり、友達の発言に耳を傾けるようにもなりません。 つまり意欲的な姿は見せてくれません。 子どもが出してくるどのような姿をもきちんと受け止め、敬意を払うという教師の姿勢をもっと大切にして行かなくてはと思っているところです。 |
団塊党さん、流水さん、こんにちは。 クラス全員で、先生も一緒に逆上がりに挑戦。素敵な光景ですね。 なんかちょっと、泣いてしまいました。 会社勤め時代のある時期、看護師の読む月刊誌を作っていました。 看護師なら誰でも知っている、こんな言葉があります。「すべての 病気は、回復の過程である」(ナイチンゲール、看護覚え書き) その連想で言えば、「すべての子供は、成長の過程である」という ことでしょうか。病気から子供への連想とは、いささか不謹慎かも しれませんが。(笑) 燃え尽き症候群(バーンアウト)は、いまから十数年前に、看護師の 世界で大きな問題になりました。ちょうど、マスコミでも騒がれた 「看護師不足」の時代でした。正確には、著しい求人難、求人と求職の 極端なアンバランスだったんですが。 人手不足。三交替勤務。過酷な労働環境が、多くの看護師を燃え尽きに 追いやっている。メディアは興味本位でそうあおり立てました。でも、 実態はかなり違っていました。燃え尽きていったのは、実際には、 自分の仕事に張りや手ごたえを持てない看護師たちだったんです。 たとえば、難治性の癌や慢性病の高齢者をケアする病棟の看護師。 いくら頑張っても、心を尽くしても、患者さんは毎日亡くなっていく。 医師も看護師も、患者さんの命を救うことを最大の目標として、厳しい 教育を受け、日々の仕事に臨んでいますから、これはこたえます。 ある看護師と、取材の流れで飲みに行ったときのこと。(ごくたまに、 そんなこともありました、笑)、救命救急センター勤務の、たしか入職 二年目の看護師でした。ひとしきり当たり障りのない話の後、ポロッと、 「でも、もう辞めようかと思ってるんですよー」と言います。 「ふうん。どうかしたの」と聞き返すと、しばらく遠い目をしてから、 「なんか。救急車で、運ばれてくる患者さん、運ばれてくる患者さん、 みーんな死んじゃうんですよねー」と、ニッコリ笑います。ああ、 虚ろな目ってこういうのだよなあと、妙に納得したことを覚えています。 いまは、まともな医療機関なら、ターミナルケア(終末期医療)という 考え方が、どこでもいちおう確立しています。 医療的に根治できない、限られた命の人でも、それまでは生きている。 その時までは、痛みをきちんと取って、心地よいコンディションで、 ご家族やお友達も含めて、できるだけその人らしく生きていただく。 医師や看護師の、知識、技術、経験を使って、その手助けをする。 いまは、いつかターミナルケアの職場で働きたい。そういう分野で 自分の経験と力を生かしてみたい考えている中堅の看護師が、 けっこう少なくないと聞きます。 現場レベルでは相変わらず、さまざまな悩みやトラブルが日常的に あるようですが、上のような視点と姿勢が浸透することによって、 ターミナルケアは、医療の新しい挑戦課題の一つにもなりました。 ちょっと重たい話になってしまいましたが、団塊党さん、流水さんの お話を聞いて、そんなことを思い出し、考えました。 |
▼ぎみゆらさん: >人手不足。三交替勤務。過酷な労働環境が、多くの看護師を燃え尽きに >追いやっている。メディアは興味本位でそうあおり立てました。でも、 >実態はかなり違っていました。燃え尽きていったのは、実際には、 >自分の仕事に張りや手ごたえを持てない看護師たちだったんです。 教師の燃え尽き症候群(バーンアウト)と同じですね。 自分の仕事に張りや手応えを感じられなくなった時にそれは襲ってきます。 真面目な教師ほど可能性が高くなります。 逆上がりに全員挑戦なんて、熱血教師みたいなことを言っている私にも、いつ襲ってくるか分かりません。 すぐ側で口を開けて待っているような気持ちでいつもいます。 やってもやってもクラスが思い通りに行かなくて焦り苛立つ。 そうするうちに子どもの悪い面ばかりが目に付くようになり、時として怒りの感情が押さえられず爆発する。注意ばかりが多くなり授業も当然うまくいかない。 そうするとクラスがかさかさした雰囲気になり、物かくしやいじめなどが起こる。そしてさらに悪い方向にいき焦りや苛立ちが募り、自分の指導に自信を失う。 隣のクラスがやけによく見えてくる。 さらにそれに加えて、子どもの指導とは関係ない雑務が重なりたまっていく一方。 そうすると焦燥感、疲労感ばかりが蓄積し、そのうちに無気力状態がやってきます。 そういうときにバーンアウトがやってきます。 決して人ごとではありません。 |
団塊党さん、こんにちは。 前回書いた、十数年前の看護師不足時代以降、看護界では、 看護師の「燃え尽き」「やりがい」についての現場報告や 研究が盛んになり、その着眼点や対策ノウハウについて、 いまではかなりの蓄積ができています。 たとえばこんなふうに↓簡潔に要領よくまとめらるのも、 たぶんその成果なんだろうと思います。 http://www.cmh.ne.jp >メンタルヘルスについて >燃え尽き症候群について 栃木県の、精神保健ネットワーク作りを目指している人たちの サイトです。トップページを紹介したのは、上の項目以外でも、 老人党板に参加しているみなさんの参考になるかもしれない事項が 少なくないのでは、と考えたからです。 * 看護師の「燃え尽き」対策のなかでも、「雑用」「雑務」対策は 重要なテーマの一つとして焦点化していきました。私がやっていた 看護雑誌でも、「看護業務のスリム化」というテーマで特集記事を 組んだことがあります。 平たく言えば、ナースをできるかぎり雑用から解放し、患者さんの ベッドサイドにいられる時間を、少しでも多くするということです。 昔の看護師は、本当に雑用の固まりだったんです。薬は、薬剤部から まとめて届いたものを、ナースが患者別に病棟のナースステーションで 仕分けしていました。食事の配膳もナースの仕事でした。 これらがすべて、ナースの手から切り離されていきました。薬は 各患者分ごとに薬剤部で分包されます。いまでは、薬剤師が患者の ベッドサイドまで行って服薬指導をしているような病院もあります。 配膳は看護助手さんの仕事になりました。やはり、栄養士が患者の もとに食事指導に行くようなことも試みられています。 病院というのは、物品(薬や医材料、等々)と重要な医療行為 (手術、検査、等々)は、それぞれ薬剤部、中央材料室(しばしば 「中材、ちゅうざい」と略称されます)、手術室、検査室、等々に よって集中管理されている一方で、現場(入院病棟)は全施設内に 分散していますので、絶えず物と人の動き、流れがあり、それらは すべて、無数の伝票によって処理、管理されています。 薬の追加、包帯やガーゼなど医材料の補給、手術室や検査室への 送り迎え。そのつど依頼や確認のために伝票が発生しますが、 これらの伝票類も、かつてはほとんどナースが自分で書いていました。 そこで、十年くらい前から、各病棟のナースステーションごとに、 事務のオネエサンを配置するという取り組みが進みました。「病棟 クラーク」と呼ばれます。病棟にクラークさんがいる病院は、看護 業務の改善が進んでいる病院。そのころは、そんなことが一つの 着眼点にもなっていました。 その後、それらすべての連絡業務のコンピュータ化が進み、いまでは、 各病の端末に伝達事項のカチャカチャ入力をするのも、クラークさんの お仕事です。 * 当時は、看護師不足を背景として、とにかく「燃え尽きるナース」を 一人でも減らさなければという強い要請が、医療界全体で共有されて いるような雰囲気がありましたので、そのつどの温度差はあっても、 病院界、看護界、行政、こぞっての取り組みという趣がありました。 団塊党さんのお話を聞いていると、いま現場の先生方の置かれている 状況は、上から雑用がどんどん降りてくる、という様子のようですね。 それならばむしろ、ちょっと具体的な方法論はわかりませんが、現場の 教師側からの対抗軸の一つとして、積極的に「教師の雑用減らし」に 取り組むという視点も、あるのかなあと思いました。 何と言いますか。単に管理職、管理強化に逆らうということではなく、 「雑用を減らす = 子供と接する時間を増やす」という図式を、もう一度 現場で共有し直して、堂々と雑用を拒否する、とでも言いましょうか。 もちろん、現実には、そんなに簡単なことじゃないとは思いますが。 |
▼ぎみゆらさん: >団塊党さんのお話を聞いていると、いま現場の先生方の置かれている >状況は、上から雑用がどんどん降りてくる、という様子のようですね。 > >それならばむしろ、ちょっと具体的な方法論はわかりませんが、現場の >教師側からの対抗軸の一つとして、積極的に「教師の雑用減らし」に >取り組むという視点も、あるのかなあと思いました。 > >何と言いますか。単に管理職、管理強化に逆らうということではなく、 >「雑用を減らす = 子供と接する時間を増やす」という図式を、もう一度 >現場で共有し直して、堂々と雑用を拒否する、とでも言いましょうか。 > >もちろん、現実には、そんなに簡単なことじゃないとは思いますが。 実は仰るとおりの取り組みをして成功している学校もあります。 学校の校務分掌組織を整理して、会議を月に1回の職員会議だけに縮小した学校もあります。 あるいは学校行事を子どもにとって本当に必要なものだけに精選した学校もあります。 私も毎年そういう方向で発言しています。 部分的には改善していますが、組織全体の見直しというところまではなかなかいきません。 教師達は忙しさを口にしますが、いざ各論になると「それは必要だ」「これも大事なことだ」と言って、思い切った整理には躊躇してしまう傾向がありますね。 |
▼団塊党さん:こんにちは >私のクラスは今、鉄棒の逆上がりに全員挑戦「させて」いる。 >休み時間には私も校庭に出て、子どもの指導に汗を流している。 >少しずつ、進んで練習する子が増えてきている。 >この努力する姿、目標に向かって努力する課程が子どもの成長に欠かせないし、尊いことだと私は信じている。 >今では、あまり流行らなくなったやり方であり時流に逆らうようだが、私は意地でもやり通す決意でいる。 > 私の子供時代、子供たちの子供時代には、ごく普通の光景であった逆上がりの練習が時流にさからう教育方法なんですか! 子供に目標をもたせ、努力と達成の感動を教えないでいったい何を教えようというのでしょうか? 癒しとか寄り添うに重きをおくやり方などは瀕死の病人のように子供たちを扱っているとしか思えません。個性を大切にすることは、自由放任を許すことではない筈です。 書込を拝見して現在の教育は病んでいると感じました。どうか、あなたのやり方を押し通してください。お願いします。 |
▼王里さん: >私の子供時代、子供たちの子供時代には、ごく普通の光景であった逆上がりの練習が時流にさからう教育方法なんですか! >子供に目標をもたせ、努力と達成の感動を教えないでいったい何を教えようというのでしょうか? >癒しとか寄り添うに重きをおくやり方などは瀕死の病人のように子供たちを扱っているとしか思えません。個性を大切にすることは、自由放任を許すことではない筈です。 >書込を拝見して現在の教育は病んでいると感じました。どうか、あなたのやり方を押し通してください。お願いします。 励ましの言葉を頂き有り難うございます。 しかし、こうなってきた理由にはいくつかあります。 まず何と言っても学習指導要領が変わってきたこと。 技や技能を教えることよりも、体育を楽しむという方向が強調されてきたことです。 教えることに対してあまり価値を置かない。 色々な技を楽しみながらやらせるという方向なんです。 ですから、逆上がりだけは何が何でもという考え方は少なくなりました。 これにも一理はあります。 せっかく逆上がりが出来るようになっても、やりようによっては体育が嫌いになることだってありますから。 だから私は結果主義よりも努力する課程を大切にしたいと思っているのです。 このちょっとした考え方の違いが大きな指導の違いとなって出てきます。 また、教師の忙しさが年々激しくなってきたことも一つの理由でしょう。 子どもに関係のないところでの様々な雑務が押しつけられてきています。 心に余裕がなくなってきています。 さらに教師の仕事に対する評価の問題もあります。 一般的に言えば、親も管理職も逆上がりなんかに熱中する教師を本音のところではそんなに評価はしません。 ふーんと言う感じで終わりですね。 説明してもなかなか本音のところで納得させることは難しいですね。 |
団塊党さま 今日は子供の運動会でした。 小学校2年生の子供の演技はミニモニというアイドルグループの 「ラッキーチャチャチャ」という歌に合わせてポンポンをもって 踊るものでした。 去年の演技は「モーニング娘。のひょっこりひょうたん島」での踊りでした。 私の小学校時代はフォークダンスか日本の民謡の踊りでしたので, 「何でこんなテレビでのアイドルの曲を使うの?」と一種カルチャーショックをうけました。 今回,「楽しむこと」重視だという団塊党さんの投稿を読んで納得しました。 子供が通った保育園は,「山猿の放牧場」というようなところで, 就学前3年の子(年少組・年中組・年長組)の障害物競走は 2メートルくらいの戸板を乗り越えたり,2メートルくらいの棒を登りてっぺんの鈴を 鳴らしたり,跳び箱3段以上をとぶなどのかなり難しいことを,1人1人ができるまで 練習し,本番でもきちんとできるまで何度もやり直すというものでした。 年に一人くらいとても苦手な子がいて,本番で全員がゴールした後, 一人で十回以上もやり直し,会場中の注目と声援を受ける状態になり, 見ている私は「達成感よりも苦手意識の方が強くなるんじゃないか」 と心配に思うくらいでした。 どちらが良いのか,難しいですが,私は保育園でのあり方のほうが良いと思います。 何でわざわざ学校で,テレビで見聞きするアイドルの歌の踊りを 教えてもらわなければならないのかと思います。 学校では学校でしかできないこと,例えば逆上がりなどを頑張ってもらいたいです。 こういう考え方親は少数派なのでしょうか。少数派だということ自体が少なからぬ ショックなのですが。 |
▼歴史に学ぶさん: >どちらが良いのか,難しいですが,私は保育園でのあり方のほうが良いと思います。 >何でわざわざ学校で,テレビで見聞きするアイドルの歌の踊りを >教えてもらわなければならないのかと思います。 歴史に学ぶさんが仰るように一般的にはアイドルの歌や踊りでは、子どもは表面上楽しそうでも案外満足していないのではないでしょうか。 「子どもが楽しく興味を持つように」という教師の配慮が「低いレベルに合わせる」ことにつながり「子どもの伸びようとする意欲を満足させない」ことにつながるとすれば良くないですね。 ただその中に子どもの挑戦意欲をそそるものがあれば、そして教師も一緒にそれに燃えて行けるものがあれば、例えアイドルの曲でも何らかの教育効果はあると思います。 しかし子どもの文化性を高めるということまで考えれば、学校にわざわざアイドルの曲を持ち込む必要はないと私も思います。 民踊に良い教材がたくさんありますので、それをやる学校は今でも多いです。 ただ、最近は運動会の練習にかける時間がとりにくくなった事情がありますのでこれも難しくなってきています。 手軽にアイドルの曲を使うのもその辺の事情がありますね。 >学校では学校でしかできないこと,例えば逆上がりなどを頑張ってもらいたいです。 >こういう考え方親は少数派なのでしょうか。少数派だということ自体が少なからぬ >ショックなのですが。 教師達のエネルギーが以前ほど、「全員達成」とか「一つの目標に向かって」ということには向かわなくなっているのは事実だと思います。 学習指導要領の影響は大きいですね。 体育に限らずその傾向はあります。 「出来ない子はそれなりにやればよい」などという発言が財界とか政府の諮問機関の関係者からぽんぽん飛びだしていますね。 |
団塊党さま >子どもは表 面上楽しそうでも案外満足していないのではないでしょうか。 全くその通りです。 一学年上の子供たちは4年ぶりに復活の恒例の「花笠音頭」を踊りました。 私の子供はとても印象に残ったらしく,今日は「花笠音頭」について, 質問ぜめにあいました。 〇笠についている花はいくつなのか 〇なぜたすきをするのか,たすきってなにか 〇「わかまつさま」がめでたいってどういうことか 結局インターネットで調べ,踊っている場面の映像,花笠,歌の歌詞など, 一緒に「へぇ」「ふーん」と感心しました。 私は「めでためでたの 若松様よ…」という歌詞を知っていたのですが, もっと色々あるのですね。はじめて知りました。 全6学年がいろいろな演技をしたのですが,3学年がアイドルの曲や テレビアニメの曲,2学年が民謡,1学年が組体操でした。 そのなかで,子供にもっと深く知りたいという欲求を持たせたのは 「花笠音頭」だったようです。 これが文化の力だと思います。 体を動かす楽しさを知ることも大切でしょう。 でも,アイドルの曲を踊るのは食事にたとえると, デザートやお菓子のようなものだと思います。 主食や主菜をきちんと食べた上で,ちょっぴり加わるのなら 構わないと思いますが,2年続きでデザートを与えられているのを 見ると,やはり疑問に思います。 主食やおかずもきちんと食べましょうよと言いたくなります。 団塊党さんに愚痴っていても仕方がないですね。 親がしっかり教えなければならないのでしょうね。 |
私は社会教育で子供達と20年来活動をしています。今から20年前の親と 現在の親(現在の親は私の子供の年代です)とでは基本的な子供への期待が 変わっているような気がします。 私達の活動は、学校ではありませんから成績表や通知表みたいなものは もちろんありませんが、個人が努力をすれば進級した証がもらえます。 個々にがんばっていくる事を指導者が見ていますので到達度は各々違いま すが、個に応じて進級の証をいただけます。 サッカーや野球のようにすぐに優勝などという結果は出ませんが、この子が 青年になるまでに多くの大人にかかわりゆっくりと個性や人格を形成して いくのを大人がバックアップします。 でも、昨今は親御さんも子供も結果がすぐに出ないこの活動に入れる事が 少なくなりました。目に見える結果をすぐに求めようとします。 私達の団体のきまりは、決して「〜しましょう」や「〜しなさい」という 文言は使いません、「〜します」と言い切ります。 たとえば「弱い者をいたわります。進んでよいことをします」などという 言い方をします。これは、人に言われてするのではなく自らに約束する 言い方です。 しかし、世に中癒しや優しさなどという言葉が大手を振ってるので、 厳しさも優しさのうちと実体験中心に活動する私達の活動は今の親 や子供には敬遠されます。でも、努力して出来た時のうれしそうな 子供の顔はボランテイアで活動する私達指導者の何よりの報酬なのですが。 |
▼こんぺいとうさん: >私達の活動は、学校ではありませんから成績表や通知表みたいなものは >もちろんありませんが、個人が努力をすれば進級した証がもらえます。 >個々にがんばっていくる事を指導者が見ていますので到達度は各々違いま >すが、個に応じて進級の証をいただけます。 社会教育には学校のようにカリキュラムがないことが、むしろうらやましくさえ感じます。 カリキュラムに限らず日本の学校は制約が多すぎて、身動きできない窮屈さをいつも感じます。 もっとすっきりとした組織や運営方法を見つけていきたいのですが、現実の壁は厚いです。 >でも、昨今は親御さんも子供も結果がすぐに出ないこの活動に入れる事が >少なくなりました。目に見える結果をすぐに求めようとします。 目に見えない成果をもっと認めて欲しいですね。 目に見える結果ばかりが評価される現状は学校教育の衰退、塾化を促すばかりです。 >しかし、世に中癒しや優しさなどという言葉が大手を振ってるので、 >厳しさも優しさのうちと実体験中心に活動する私達の活動は今の親 >や子供には敬遠されます。でも、努力して出来た時のうれしそうな >子供の顔はボランテイアで活動する私達指導者の何よりの報酬なのですが。 今の子ども達は癒しや優しさを求めていることは事実ですし、大人が子どもを大らかに見守ることがますます必要な時代になってきていることを実感します。 しかし、厳しさも心の底では求めています。 その辺の微妙な子どもの心理があまり一般には理解されていないように思います。 平凡な結論になってしまいますが、時には厳しく時には暖かく優しくということでしょうか。 |
団塊党 様 流水 様 ぎみゆら 様 こんぺいとう 様 よろしくお願いします 私は仲間とボランテイアでスポーツ教室を開いています 土日週二日の活動が8年目になります 結果を目指す過程を子ども自身が選び取って行く場として 近隣の各校から部活の中学生を中心に子供たちが集まります 出欠と教室開催時間中にどう出入りするかは自由で 年間どれだけ出席するかも子供次第です (休みがちの子供については何回か同じ学校の子供に声をかけたりはします) 当然の事ですが教室に来る子供はどこの学校の子供でも公平に接します。 余程のことで無い限り子供たちを注意したりはしません 教室の決まりとしては挨拶で始まり挨拶で終わる事と 用具をきちんと使い片付けること位で、それは 子供達の中で先輩から後輩に伝えられています 初心者には基礎と型を教えますが中級者からは自分から求めて強くなって 欲しいので基本的には質問されなければ教えない方針です。 高いレベルを求める子にはそれに応じたメニューを組みます 子供達を見ているとついつい教えたくなってしまうのですが、 技術的なことについて指摘するのもなるべく控える事にしています 私個人としては子供達に居場所を提供出来れば良いと 思い活動してきました。 ただ最近困っているのが借りている施設のルールを破る大人が居る事 (子供達の母親や一部の学校職員) やんわりと注意しても「硬いことを言うな」「今は特別だから」 のような返事が返って来ます。 ルールを守る空気を大人に破られるのです 学校週五日制と共にだんだん完全に遊びに来ている感覚の子供が増えた事です |
http://www4.ocn.ne.jp/~ttutokyo/newpage2.html これが悲劇でなくてなにか?闘争ですか?子供には関係ありません。 わざわざHP開くことですかねぇ!? |
▼敦煌さん: 教師が運動家になったのか、運動家が教師になったのか・・・。 権利云々より、彼らに義務の履行を求めたいものです。 子供に勉強教えてなんぼのもんだろう。 |
▼敦煌さん: >http://www4.ocn.ne.jp/~ttutokyo/newpage2.html >これが悲劇でなくてなにか?闘争ですか?子供には関係ありません。 >わざわざHP開くことですかねぇ!? プロ球界の選手組合の闘争(スト)ご存じでしょう。 選手達の熱い思いがオーナーを動かしました。 そしてこれがファンの共感を呼んでいます。 教職員組合の運動にも、これまでに同様な成果がたくさんありました。 これからもあるでしょう。 子どもに関係ないなんてとんでもありません。 子どものためでもあるのです。30人学級実現の運動などその典型です。 組合運動は賃金闘争だけではありませんよ。 それに授業を放棄してストをしているわけでもありません。 子どもにとばっちりが行くような運動はやっていません。 よく分かってもいないのに無責任な批判はやめましょうね。 あなた方の批判にはよくこの手の無責任な批判がありますね。 だから信用できないのです。 右とか左とかの問題以前にです。 |
▼団塊党さん: >▼敦煌さん: > >>http://www4.ocn.ne.jp/~ttutokyo/newpage2.html >>これが悲劇でなくてなにか?闘争ですか?子供には関係ありません。 >>わざわざHP開くことですかねぇ!? > >プロ球界の選手組合の闘争(スト)ご存じでしょう。 >選手達の熱い思いがオーナーを動かしました。 >そしてこれがファンの共感を呼んでいます。 > >教職員組合の運動にも、これまでに同様な成果がたくさんありました。 >これからもあるでしょう。 >子どもに関係ないなんてとんでもありません。 >子どものためでもあるのです。30人学級実現の運動などその典型です。 >組合運動は賃金闘争だけではありませんよ。 >それに授業を放棄してストをしているわけでもありません。 >子どもにとばっちりが行くような運動はやっていません。 > >よく分かってもいないのに無責任な批判はやめましょうね。 >あなた方の批判にはよくこの手の無責任な批判がありますね。 >だから信用できないのです。 >右とか左とかの問題以前にです。 申し上げます。当地では組合主催の教育研究集会に教師が休暇を取って 出席しています。よくお分かりになっていないのは貴方様では? 私は現に、中学生も小学生もいる父親です。 学校にも伺いますし、書類もめを通します。 現にあるからこちらに書き込みました。 公務員の組合活動は、禁じられている筈ですが・・・ どんなに高邁な理想を掲げても法律に違反していては・・・。 |
公務員の組合活動は禁じられていません。禁じれれているのは、ストライキです。 |
▼敦煌さん: >申し上げます。当地では組合主催の教育研究集会に教師が休暇を取って >出席しています。よくお分かりになっていないのは貴方様では? 教育研究集会(教研集会)とストとは違います。 昔は教研集会には休暇ではなくて職免という権利で行けたんです。 市主催の研究会には今でも職免で行けます。 それぐらい教師にとっては研究は大切なこと。 研究が保証されていないような国では後進国と呼ばれてしまいます。 >私は現に、中学生も小学生もいる父親です。 >学校にも伺いますし、書類もめを通します。 >現にあるからこちらに書き込みました。 >公務員の組合活動は、禁じられている筈ですが・・・ >どんなに高邁な理想を掲げても法律に違反していては・・・。 公務員の組合活動が禁じられているなんてどこの国のことでしょうか? |
▼しろはさん: >団塊党 様 流水 様 ぎみゆら 様 こんぺいとう 様 >よろしくお願いします > >私は仲間とボランテイアでスポーツ教室を開いています >土日週二日の活動が8年目になります >結果を目指す過程を子ども自身が選び取って行く場として >近隣の各校から部活の中学生を中心に子供たちが集まります > >出欠と教室開催時間中にどう出入りするかは自由で >年間どれだけ出席するかも子供次第です >(休みがちの子供については何回か同じ学校の子供に声をかけたりはします) >当然の事ですが教室に来る子供はどこの学校の子供でも公平に接します。 > >余程のことで無い限り子供たちを注意したりはしません >教室の決まりとしては挨拶で始まり挨拶で終わる事と >用具をきちんと使い片付けること位で、それは >子供達の中で先輩から後輩に伝えられています > >初心者には基礎と型を教えますが中級者からは自分から求めて強くなって >欲しいので基本的には質問されなければ教えない方針です。 >高いレベルを求める子にはそれに応じたメニューを組みます > >子供達を見ているとついつい教えたくなってしまうのですが、 >技術的なことについて指摘するのもなるべく控える事にしています > >私個人としては子供達に居場所を提供出来れば良いと >思い活動してきました。 >ただ最近困っているのが借りている施設のルールを破る大人が居る事 >(子供達の母親や一部の学校職員) >やんわりと注意しても「硬いことを言うな」「今は特別だから」 >のような返事が返って来ます。 >ルールを守る空気を大人に破られるのです >学校週五日制と共にだんだん完全に遊びに来ている感覚の子供が増えた事です 別スレの、22731「しろはさんへのご提言に」からやってきた天声老語です。これまで「民の声」の方で投稿していました。こちらへのお誘いを受けながら要領が判らなくて時々眼を通すくらいでした。 今回、しろはさんの提言コーナーを読ませていただき、是非参加したくなりました。 団塊党さん、しろはさんからご返事をいただきましたので、やって参りました。 私は広島の私立高校で定年を迎え、その後、講師生活三年、最後に丸亀の私立高校の校長に赴任しましたが、一年で理事長と対立し首になりました。その間、父兄や生徒が立ち上がってくれ授業ボイコットが三日続きました。 組合活動もしました。というより組合造りもやりました。ストもやりました。しかし、デモシカ教師にだけはなるまいと44年間自分の教育観を貫いてきました。 クラブ活動では水球の監督を永く務めました。歌手になった吉川晃司も私の育てた選手です。 審判の贔屓に抗議して日本水泳連盟会長の古橋広之進に提訴して勝ちました。お蔭で選手は岩手国体に出ることが出来ました。スポーツも国体となると地元贔屓がすごいのです。何度も選手と泣かされました。 「結果」よりも「過程」が大切だという皆さんの体験談には納得していますが、「勝つ」ことを目標にしたクラブでは妥協は許されません。そのために一生懸命に練習した生徒を生かすために審判とも闘いました。今も間違っていたとは思っていません。 しろはさんのボランテァのスポーツ教室の指導者の苦労の何度か目にしました。 立場立場で目標と達成感が異なるのが教室、スポーツの難しさだと思います。 団塊党さんと敦煌さんの意見交換がこの後にありましたが、敦煌さん、団塊党さんは組合かぶれでもシンパでもありません。私より良識を備えた生徒思いの現場教師と思います。 「公務員の組合活動云々」は解釈が狭義に過ぎませんか。私たちは活動も交渉も時間外にきっちりやっていました。でなければ法内組合の資格を失った御用組合になりますから。 |
団塊党様 こんにちは >東京都が一段高いところから涼しい顔で「・・・させよう」「・・・させよう」>などと子どもに要求ばかり言っていることとは本質的に違うのだと思っている。 7つのルールをどう捉えるかは人それぞれなのですね 子供の側から考えようとするとやはり要求(かなり大変な)になりますね。 ただ、これは社会に対しての提案ですから、私には子どもにだけ 要求している事だとは思えないのです 例えば祖父と父、祖母と母の間にも必要なことなのではないかと、 私が7つのルールを読んでいて私の頭に浮かぶ言葉はしつけの出来る親、 会話の多い親子、親子がそろって成長して行く事。 社会とは何かを考え学んでいくことの出来る家庭、等ですが 少なくてもこのようなルールがあるから、 子どもに「ルールで決められたことをしなさい」 と言った取り組みではないはずだと考えています |
▼しろはさん: >私が7つのルールを読んでいて私の頭に浮かぶ言葉はしつけの出来る親、 >会話の多い親子、親子がそろって成長して行く事。 >社会とは何かを考え学んでいくことの出来る家庭、等ですが >少なくてもこのようなルールがあるから、 >子どもに「ルールで決められたことをしなさい」 >と言った取り組みではないはずだと考えています そのように素直に解釈されるのをあえて否定はしません。 しかし、私には涼しい顔でしかもとぼけていると思えてくるのです。 東京都では教育予算は年々削減されています。 30人学級が各自治体の裁量で次々に実現していますが東京都では遠のくばかりです。 また、教育の個性化に名を借りた教育の差別化、二極化を促す施策がどこよりも激しく推進されています。(いずれ詳しく書くつもりです) このような背景があるということを忘れてはいけないと思います。 こういうものとどこかでリンクしているはずです。 だまされてはいけないぞと思っています。 |
団塊党様 皆様 こんにちは TV番組で知った取り組みを紹介させていただきます NHKで知った富士登山する保育園には家族一同びっくりしまして 「偏っているのではないか?」「無茶苦茶」とか言ってましたが 番組を見ているうちにシーンとなってしまいました。 気象条件や高山病等で泣きながらも足を止めない子供達の体力は 園での毎日6、7時間の山歩きから来ていると言うんです。 番組の最後に一人ずつ内容の違う賞状を子供に手渡す園長の姿に この先生は凄い「道を貫いている」と感じました。 一生のこるであろう自信を保育園児と親御さん達が得れる取り組み 驚きでした。 調べてみたらHPが有りましたのでアドレスを載せておきます http://www.hadano.net/webdata/wakagi/hoikuen/wa_009_04.html#fuji_04 |
九州の確か鹿児島のどこかの市町村で、地域ぐるみで子供を見守り、時には叱ろうという運動をやっているとの紹介をNHKのテレビで見ました。2、3ヶ月ほど前でしたか。 内容ははっきり覚えていなくて恐縮なんですが、運動を始めたきっかけは、地域ぐるみで(少年)犯罪の防止を目指すことだったと思います。その中で時には子供も叱りましょう、ということだったと思います。決して子供を監視するというわけではなく、周りの大人が気がついたら注意するという感じでした。 かつての不良少年が、現在は大人になり、この運動に参加している人もいました。 こうした運動により、町に活気が戻り、町に戻ってくる若者も増えたきたそうです。 曖昧な内容で申し訳ありませんが、しろはさんのスレを読んでこの番組を思い出しました。 |
▼みなさま: こんばんは。Ray@スタッフです。 「教育について 東京都の取り組み」スレッドの書き込み数が だいぶ多くなってきました。 新スレッドを立てようかと思いましたが、すでに同じ趣旨の 「【22731】しろはさんのご提言に」 がありましたので、以後のご議論はこちらをご利用下さいますよう よろしくお願い申し上げます。 |