Page 1510 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼疾走した人生:サガンの死 流水 04/9/28(火) 6:52 ┗Re(1):疾走した人生:サガンの死 こんぺいとう 04/9/28(火) 9:31 ┗Re(2):疾走した人生:サガンの死 流水 04/9/28(火) 18:26 ┗Re(3):疾走した人生:サガンの死 こんぺいとう 04/9/28(火) 20:26 ┗Re(4):疾走した人生:サガンの死 こんぺいとう 04/9/28(火) 20:27 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 疾走した人生:サガンの死 ■名前 : 流水 ■日付 : 04/9/28(火) 6:52 -------------------------------------------------------------------------
もはや戦後ではない、という言葉が聞かれ始めた50年代半ば、一人の少女の書いた小説が熱狂的に迎えられた。 フランソワーズ・サガンの「悲しみよ こんにちは」である。17歳の少女が主人公で、青春時代の女の子の複雑な心理が乾いた文体で描かれていた。 特に、全編を流れる「アンニュイ」の感覚は、戦後の匂いが色濃く残る時代、逆にまぶしい光をはなっていた。 【悲しみよ こんにちは】の題名は、エリュアールの詩からとっていた。プルードンにはじまるシュールレアリズムの旗手として有名なエリュアールだが、彼とサガンの違いは、戦争というものくぐり方の違いだった。 パリ占領時代に書かれたエリュアールの詩の一節である。 ぼくの 大切な ノートに 机に 木々に 砂に そして 雪のうえにも ぼくは きみの名を書く 読み終わったページに 真っ白な ページのすべてに 石 皿 紙 灰のうえにも ぼくは きみの名を書く ねがいがすべて 消えてしまっても ひとりぼっちで なにもかもなくなってしまっても 死が ちかづいてきても ぼくは きみの名を書く そして ひとつひとつの言葉の力で ぼくは もう一度 人生に立ち向かう ぼくは きみに出会うため うまれてきた ぼくは きみの名を書きしるすため エリュアールにとって【自由】とは、このように【何者から】の自由だった。戦後、サルトルが「シチュアシオン」の中で、【占領下のパリの時代が、もっとも自由だった】と書いた逆説の中にエリュアールも生きていた。 だからこそ、エリュアールはひたすら愛を歌った。自由とは自分だけのものでなく、他者への愛だったのである。 しかし、サガンにとって、【自由】とは【アンニュイ】に他ならなかった。 「彼女は人生を疾走した」とフランス各紙は、彼女をこう評しているそうである。 彼女は、多くの小説、戯曲を書いたが、酒・麻薬・賭博・交通事故・結婚と離婚の繰り返し、いかにも破滅的な人生を過ごした。 生涯大人になることを拒否した彼女にとっては、自由とはまさに【悲しみよ こんにちは】の状況だったのであろう。 彼女は、このように青春の「シュトルム ウント ドランク」を生きたのであろう。フランス紙の評するように、まさに【人生を疾走した】のである。 また一人、わたしたちの時代のシンボルが消えてしまった。 |
そうですね、中学生から高校生の頃サガンの本を抱えているのが 女の子のファッションでしたね。遠くなりました。 同級生はみんな爺さん婆さんになりました。サガンのことも このニュースでそんな時代もあったなと涙ぐんでしまいました。 忘れていた夢見る少女時代を思い出させていただきました。 |
こんぺいとうさん、こんばんは そうですね。わたしの姉もサガンの【悲しみよ こんにちは】を読んでいました。 自分の心の中の年齢と鏡に映るわが姿の落差に愕然としているのは、どうやらわたしだけではないようです。 先年、ボーバワールがなくなり、今年はサガンです。さびしい限りです。 わたしたちの世代は、米国文化にも影響を受けましたが、フランス文学・フランス映画・イタリア映画などにも多大な影響を受けました。 近年、米国文化一辺倒の傾向には、違和感を覚えます。もう一度、エスプリに満ちたフランス映画の小品を見たいものです。 |
流氷様 青春の甘酸っぱい思いが急に45年くらいタイムスリップしてしまった ような気がします。 当時文学少女だった友人がサルトルやカフカを読んでいるのを羨望の眼で 見ていたのを思い出します。友人がすごい大人に見えて、せめともと思い 「狭き門」や「罪と罰」を図書館で借りて四苦八苦して読んだものでした。 本当に、昨今はすべてのもがおおらかさやエスプリがなく均一な世の中に なってしまったようで息苦しいですね。大人も子供も読書という脳を発達 させる一番大切なものから離れていくようで、どんどんつまらない短絡的 な文化が良しとされだしています。 歴史の長いヨーロッパ文化はどこか本来の日本文化と通じるところがある はずなのですが、なんとなく薄っぺらな昨今の日常がかつての日本を 懐かしく思われます。アメリカ文化も戦後の青年達にジャズや映画を もたらしてくれてそれはそれで楽しい思いでもありますが。 |
すみません流水様でした、訂正しておわびいたします。 |