Page 1667 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼平和主義と軍隊;一つの提案 流水 04/10/16(土) 16:31 ┣Re(1):平和主義と軍隊;一つの提案 告天子 04/10/16(土) 18:18 ┃ ┣Re(2):平和主義と軍隊;一つの提案 しげちよ 04/10/16(土) 19:06 ┃ ┗Re(2):平和主義と軍隊;一つの提案 流水 04/10/16(土) 19:16 ┃ ┗Re(3):平和主義と軍隊;一つの提案 告天子 04/10/16(土) 19:38 ┃ ┗Re(4):平和主義と軍隊;一つの提案 流水 04/10/16(土) 19:59 ┃ ┗Re(5):平和主義と軍隊;一つの提案 告天子 04/10/16(土) 20:23 ┣Re(1):平和主義と軍隊;一つの提案 ウミサチヒコ 04/10/16(土) 19:00 ┃ ┣Re(2):平和主義と軍隊;一つの提案 告天子 04/10/16(土) 19:14 ┃ ┗Re(2):平和主義と軍隊;一つの提案 流水 04/10/16(土) 20:20 ┣Re(1):平和主義と軍隊;一つの提案 団塊党 04/10/17(日) 18:33 ┣Re(1):平和主義と軍隊;一つの提案 高橋 04/10/17(日) 21:31 ┃ ┗Re(2):平和主義と軍隊;一つの提案 流水 04/10/18(月) 8:02 ┃ ┣Re(3):平和主義と軍隊;一つの提案 高橋 04/10/18(月) 11:58 ┃ ┃ ┗Re(4):平和主義と軍隊;一つの提案 流水 04/10/18(月) 12:42 ┃ ┗Re(3):平和主義と軍隊;一つの提案 遍巳亭 04/10/18(月) 20:28 ┃ ┗Re(4):平和主義と軍隊;一つの提案 安本単三 04/10/19(火) 7:00 ┃ ┗Re(5):平和主義と軍隊;一つの提案 ウミサチヒコ 04/10/20(水) 9:03 ┣Re(1):平和主義と軍隊;一つの提案 安本単三 04/10/18(月) 15:11 ┣Re(1):平和主義と軍隊;一つの提案 ぎみゆら 04/10/21(木) 14:00 ┃ ┗Re(2):大場より急場! 流水 04/10/21(木) 15:08 ┣Re(1):平和主義と軍隊;一つの提案 Ray 04/10/22(金) 16:51 ┣Re(1):米軍のトランスフォーメーション(1) 流水 04/10/22(金) 21:47 ┃ ┗Re(2):米軍のトランスフォーメーション(2) 流水 04/10/22(金) 22:05 ┗Re(1):平和主義と軍隊;一つの提案 ウミサチヒコ 04/10/23(土) 7:50 ┣Re(2):平和主義と軍隊;一つの提案 団塊党 04/10/23(土) 9:06 ┃ ┗Re(3):平和主義と軍隊;一つの提案 団塊党 04/10/23(土) 9:25 ┗Re(2):ウミさんに提案 流水 04/10/23(土) 9:26 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 平和主義と軍隊;一つの提案 ■名前 : 流水 ■日付 : 04/10/16(土) 16:31 -------------------------------------------------------------------------
民主的な軍隊とか平和主義と軍隊などと書くと、いかにも矛盾した概念を無理やり結合したように見えますが、憲法改正や9条改正が視野に入っている現在、真剣に考える価値があると考えます。 軍隊の本質論論議が盛んに行われているが、一見相容れない立場の論議のように見えて、実は非常に重要な示唆をわたしたちに与えてくれているのです。 人間の歴史を考えるとき、戦争というものを排除して、歴史を語ることができないことは、誰も異論がないと思います。戦争を排除できないなら、当然のこととして戦争の主体的担い手である軍隊や軍事的思考を排除して、歴史を語ることができないのは、当然の結論ということになります。 逆に、争いや揉め事をなくして、平和に生活をしたいと願うのも、人間の本然の性として、誰しも肯定することでしょう。 これを否定する人間は、よほど争い好きの人だと思います。 (※時代が混沌としたとき、このタイプの人が増殖します。平和な時代の微温的空気が大嫌いなタイプです。意外とこのタイプの人は多いのです。平和な時代では、このタイプの人は、出世主義に走るか、スポーツで活躍するかで、解消しています。しかし、状況が厳しくなると、これが政治の世界に表出してきます。) それは、ともかく、戦争や軍隊を語ることと、平和を語ることは、人間の持つ二面性を語ることと同義であることは、了解していただけると思います。下での論争は、人間の持つ二面性の対立であると考えれば、どちらかに正当性があるという問題でないことも了解していただけると思います。 わたしの軍隊についての考え方は、【やはり自衛隊は歓迎されていない】というスレッドの中で書いていますので、お読みください。(2509) わたしは、戦争や軍隊を語ることと、平和を語ることとをトータルに考えなければ、現実的でないと考えているのです。 わたしは、歴史的に考えれば、軍隊は権力者のための【戦争の道具】と考えています。そして、今もその本質を脱していないと考えているのです。 同時に、近代社会は、【権力者のための戦争の道具】という軍隊の本質に何らかの歯止めを変えようとさまざまな工夫を凝らしてきたのも事実だと考えています。 軍隊が諸刃の剣であることを深く認識して、如何にその危険性を回避するシステムを構築するか、という視点で考えられたのが、「シビリアンコントロール」でしょうし、「権力者の道具」という本質に歯止めをかける制度が民主主義的手続きと制度でしょう。 このために、生み出された理念が、【国民の命と安全を守るための軍隊】というものだと思います。先進国の軍隊は、ほとんどこの理念で構築されている、と考えられます。 では、警察で十分でないか、という議論が起こりますが、これは軍隊でなければならないのです。 たしかに、両者には、共通する点があります。両方とも武装が許されている公的な組織であり、共に善良な国民を守ることを目的としていることです。 しかし、それ以外に両者に共通点はないのです。むしろ、その違いが大きな意味を持っているのです。 警察は社会が通常に機能しているときに、その活動が想定されています。しかし、軍隊は、たとえば戦争が起こり電力、水道、ガス、そして交通手段など麻痺状態になっても、その機能が働かなくなることは許されないのです。 例えば、敵やテロリストに原発が攻撃されたとしましょうか。もし、日本社会がそのために完全に機能不全に陥ってしまうのなら、敵対勢力やテロリストにとってこんな攻めやすい国はないでしょう。 軍隊は、そういう国家の社会的機能が麻痺してしまっても活動できるような組織なのです。 これが、警察と軍隊を分けるもっとも大きな相違点なのです。イラク派遣を決定するとき、自衛隊は「自己完結組織」という理由が何度となく繰り返されたのは、この意味です。 軍隊は敵に負けないために様々な事態を想定して相手の妨害工作に対抗できるように組織を作り、準備(情報、研究を含む)を怠るわけには行かないのです。その結果として、大規模なテロなどがあって警察機能が麻痺されてしまったときに、そのバックアップとして存在することの価値が出てくるのです。この具体的な考え方は、元兵士さんが書いておられます。 警察と軍隊の本質的違いは、ここにあると思います。 しかし、如何に民主主義国家であろうと、人間の本質(二面性)がそんなに変化するものではありません。 権力を掌握した人間が、軍隊を【戦争の道具】として自分の自由に使いたいという誘惑に駆られるのを防ぐことは難しいのです。ヒトラーでさえも、民主主義的手続きで権力を掌握したのです。 このことの持つ意味は、人々が思う以上に深い意味をもっていると考えられます。 軍隊をその性質によって、二つに分けた場合、(1)敵を攻めることを主体に考える軍隊と(近代以前の軍隊)(2)敵から攻められないような防御を主体に考える軍隊に分けられます。(近代的軍隊) わたしは、この(2)の意味をもっと徹底させることが、平和主義と軍隊を共存させる唯一の方法論であると考えています。 アメリカ軍は、世界でもっとも進んだ近代的軍隊組織としての性格を持っていますが、やはり【権力者の戦争の道具】という側面を持っていることは否めません。 アメリカは、防衛に専念するという理念が欠けているのです。 なぜ、そうなるのか。理由は簡単です。アメリカは、国土が敵によって焦土にされるという経験がないからです。9・11など、第一次・第二次大戦のヨーロッパや日本の本土空襲などに比べれば、それこそ屁みたいな被害でしょう。 これが、どうしても「戦争の道具」としての軍隊という性格を色濃くもたせたのです。もう一つは、世界の警察官としての過去のアメリカの役割意識だと思います。また、米国はそれで困るわけでもありません。何しろ、世界唯一のスーパーパワーなのですから。 ところが、日本は違います。日本国憲法には、平和主義という確固たる理念が書かれています。 この理念は、世界の人々に発信しうる十分な力を持っています。 これをなくしてしまえば、日本はただ米国に付き従うただの普通の国になるしかありません。 しかし、現在の北東アジアは、いまだ冷戦時代の残滓が残り、中国も覇権国家としての野望を捨ててはいません。 この中では、自国防衛を完全に放棄する選択肢は、現実政治の文脈で考えれば、国内世論を納得させる力をもち得ない、と考えるのが、普通でしょう。 世界中の【完全軍備撤廃】という理念は、人類の見果てぬ夢ではありますが、現実の国際情勢から考えれば、【夢】という段階を抜け出ていないとみることに誰も反対はしないと思います。 この悩ましいジレンマを抜け出す道は、現在の自衛隊を全く違う理念で再編成する道を提示するのが、もっとも現実的方法ではないかと考えます。これが、国論の分裂状態を克服する唯一の道だと思います。 同時に、この全く新しい理念で構築された軍のあり方は、世界に発信しうる力を持つのではないかと思います。 つまり、防衛だけに徹した【近代的国家防衛組織】に、自衛隊を改変するのです。 先に書いたように、軍隊を性質に応じて二つに分けると、(1)敵を攻めることを主体に考える軍隊と(2)敵から攻められないような防御を主体に考える軍隊に分けられます。 (2)の軍隊が、近代的軍隊といわれるものですが、ヒトラーの例でも分かるように、(2)に徹した軍隊は近代的民主主義国家でも、見つけ出すことはなかなか難しいのです。 これを真の意味で徹底した軍隊に改変しようというのが、わたしの提案です。 つまり、権力者の道具になり、戦争に勝つための軍隊でもなく、ひたすら防衛にだけ特化した軍隊です。 このためには、政治からどれだけ独立した位置を与えるかが考えられなければなりません。 同時に、そうはいっても、国内最大の実力組織です。彼らの中から、軍事クーデターを企てる人間が生まれないともいえません。これをチエックするシステムも同時に構築されなければなりません。 つまり、【近代的国家防衛組織】という理念のもと、【権力者の道具としての軍隊】という危険性をできるだけ排除し、【軍事力による政治的支配の危険性】も排除した日本的な軍事組織のシステム構築が求められているのです。 この文脈から考えれば、自衛隊を軍にするという発想は拒否されます。軍という名称に改変すれば、理論的には憲法改正しなければならなくなるからです。 この「近代的国家防衛組織」をどのような理念で、どのような方策で構築するか、という議論を行えば、きわめて現実的で生産的な議論になると思います。 こうすれば、憲法がどうのこうのとか、軍国主義がどうのこうのという不毛な論争を繰り返す必要もなく、同時に「平和の盾」としての自衛隊員の地位も確立され、【国民の命と安全を守る】という彼らの誇りも守られ、国民からの尊敬も勝ち取られます。 この提案で最大のネックは、国際貢献をどうするか、という問題です。これは、小沢一郎氏などが提案している国際協力待機部隊という別組織で対応するのが、もっとも現実的提案だろうと考えます。これは、民間人と自衛隊の混成にし、総合的な分野で国際協力をできるという発想で、編成される必要があります。 要は、憲法の理念を守り、現実的な問題にも、国際協力にも対応でき、世界の国々に尊敬される平和理念を遵守しているというメッセージも発信できる、という複雑な連立方程式を解くために、多くの人の「知恵」が求められているのだと思います。 そして、これがもっとも重要なのですが、「戦争のない世界」「軍備が必要でない世界」の構築という理念だけは、世界にも国民にも常に、発信され続けなければならないと思います。 それだけ、権力者にとって「戦争をするための道具」である「軍」という組織は、ものすごい魅力のあるものだからです。絶え間ない国民の監視があって初めてその誘惑に勝てるものだという認識だと思います。 |
▼流水さん: こんにちは、初めまして。告天子、ひばりです。 まず、戦争と平和を対立的なものとすることに無理があると思います。これは言葉面だけの話で、実際には、平和のうちにも対立はあり、経済を以てする「戦争」もあります。戦争でなければ平和、平和でなければ戦争、こういう考え方にまず問題が潜んでいるのではないかと・・・。 その上で >わたしは、戦争や軍隊を語ることと、平和を語ることとをトータルに考えなければ、現実的でないと考えているのです。 ということであれば、納得です。 >わたしは、歴史的に考えれば、軍隊は権力者のための【戦争の道具】と考えています。そして、今もその本質を脱していないと考えているのです。 現代の日本に於いては、主権者は国民ですね。権力者はわれわれである、ということではないかと思いますが、何故か老人党では一方的に国民を弾圧するヒットラーや戦国武将みたいな「権力者」が想定されがちのように思います。 >軍隊が諸刃の剣であることを深く認識して、如何にその危険性を回避するシステムを構築するか、という視点で考えられたのが、「シビリアンコントロール」でしょうし、「権力者の道具」という本質に歯止めをかける制度が民主主義的手続きと制度でしょう。 「シビリアンコントロール」を加えるのは、政府であって、直接に人民が軍を制御する、ということではありません。 >軍隊をその性質によって、二つに分けた場合、(1)敵を攻めることを主体に考える軍隊と(近代以前の軍隊)(2)敵から攻められないような防御を主体に考える軍隊に分けられます。(近代的軍隊) >わたしは、この(2)の意味をもっと徹底させることが、平和主義と軍隊を共存させる唯一の方法論であると考えています。 国防、つまり「防衛軍」ということと、「どちらが先に手出しをするか、攻撃するか」「的の直接的な攻撃に対する、防御行動」とが、無知故に混同されているところに、これまで革新政党などで主張してきたことの無理があると思います。 >アメリカ軍は、世界でもっとも進んだ近代的軍隊組織としての性格を持っていますが、やはり【権力者の戦争の道具】という側面を持っていることは否めません。 >アメリカは、防衛に専念するという理念が欠けているのです。 攻撃も国防目的のため、と考えているのではないでしょうか。積極的国防です。安全保障のためには、戦争も辞さず、という考え方でしょう。 >ところが、日本は違います。日本国憲法には、平和主義という確固たる理念が書かれています。 >この理念は、世界の人々に発信しうる十分な力を持っています。 問題はこれが変な具合に歪められているところにあるのだと思います。 以下、ご意見におおむね賛成したい部分も多くあります。 |
▼告天子さん: >国防、つまり「防衛軍」ということと、「どちらが先に手出しをするか、攻撃するか」「的の直接的な攻撃に対する、防御行動」とが、無知故に混同されているところに、これまで革新政党などで主張してきたことの無理があると思います。 それは感じますね。 だから,有事法制というと,「日本が戦争ができる国にする」などと的はずれな言い方をするのでしょう。 そうではなくて,そういう危機に瀕したときの行動様式を定めるのであって,ないほうがよっぽど危険(軍隊を持っていることの)だということです。 軍隊に勝手に行動されたら,戦前とおなじですから。 ▼流水さん: 賛成できるところが多々あります。非常に有意義だと思います。 |
▼告天子さん: > ◎まず、戦争と平和を対立的なものとすることに無理があると思います。これは言葉面だけの話で、実際には、平和のうちにも対立はあり、経済を以てする「戦争」もあります。戦争でなければ平和、平和でなければ戦争、こういう考え方にまず問題が潜んでいるのではないかと・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしは、人間の持つ二面性を語っているのです。政治論的なことは、二元論を克服しようという視点で語っています。 >>わたしは、歴史的に考えれば、軍隊は権力者のための【戦争の道具】と考えています。そして、今もその本質を脱していないと考えているのです。 >現代の日本に於いては、主権者は国民ですね。権力者はわれわれである、ということではないかと思いますが、何故か老人党では一方的に国民を弾圧するヒットラーや戦国武将みたいな「権力者」が想定されがちのように思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 民主主義というものを考えれば、その見方は、幻想に近いとわたしは考えています。 現実的に考えて、あなたは本当に国民が主権者であると考えていますか。権力というものは、そんな甘いものではないでしょう。 民主主義国家の本当の権力というのは、顔が見えないのが特色です。民主主義国家といわずに資本主義国家、官僚主義国家と言い換えたら、ことの本質はよく見えます。 つまり、民主主義というシステムは、それだけ不十分なシステムだという認識が必要なのです。 だから、ヒトラーでさえも、民主主義的システムで選ばれた、ということの意味を深く考えようといっているのです。 ただ、残念ながら、それを超えるシステムを人類は持っていない、ということだと思います。 ◎「シビリアンコントロール」を加えるのは、政府であって、直接に人民が軍を制御する、ということではありません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 当然、そうでしょう。よく読んでください。誰も人民が直接軍を制御するなどと書いていないでしょう。 > ◎攻撃も国防目的のため、と考えているのではないでしょうか。積極的国防です。安全保障のためには、戦争も辞さず、という考え方でしょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「先制攻撃論」的発想を許したら、どの国も先制攻撃をする権利を有する、という理屈になります。 そうなれば、ジャングルの掟に逆戻りです。現に、ロシアのプーチン大統領も先制攻撃を言い始めました。一番心配なのは、イスラエルが、イランに先制攻撃する可能性が高まってることでしょう。 それを抑えるために、国連で、戦争をする要件が厳しく定められているのです。歩みは遅々として進まなくとも、こういう用件を定めたということが、人類の知恵なのだと思います。国連の一番重要な構成国が、真っ先にルールを破るでは、国連の権威などないも同然になります。 |
▼流水さん: >▼告天子さん: >> >◎まず、戦争と平和を対立的なものとすることに無理があると思います。これは言葉面だけの話で、実際には、平和のうちにも対立はあり、経済を以てする「戦争」もあります。戦争でなければ平和、平和でなければ戦争、こういう考え方にまず問題が潜んでいるのではないかと・・・。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >わたしは、人間の持つ二面性を語っているのです。政治論的なことは、二元論を克服しようという視点で語っています。 話がかみ合っていないということですね。それは失礼しました。 >民主主義国家の本当の権力というのは、顔が見えないのが特色です。民主主義国家といわずに資本主義国家、官僚主義国家と言い換えたら、ことの本質はよく見えます。 軍隊を道具として使っている「権力者」がそれだ、ということですね。それなら分かります。それと主権論とは話が別でしたね。「権力者」という言葉で言い表そうとしているのは、「資本主義」とか、「官僚主義」という顔のない権力であり、それが現代の国家の問題なんだ、と。なるほど。だったら、「権力者」などといわずに、最初から官僚主義や資本主義の問題、として表現した方が通りがよいと思います。 >つまり、民主主義というシステムは、それだけ不十分なシステムだという認識が必要なのです。 >だから、ヒトラーでさえも、民主主義的システムで選ばれた、ということの意味を深く考えようといっているのです。 >ただ、残念ながら、それを超えるシステムを人類は持っていない、ということだと思います。 「民主主義」という言葉を、統治者の選択方法として言っているのか、主権は国民にあり、という意味で言っているのか、その辺り、用法が曖昧なのではないかと思いました。 >◎「シビリアンコントロール」を加えるのは、政府であって、直接に人民が軍を制御する、ということではありません。 >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >当然、そうでしょう。よく読んでください。誰も人民が直接軍を制御するなどと書いていないでしょう。 その政府を選んだのは、人民ですよ。政府を「権力者」として人民に対して対立的にばかり考えているような傾向は、やはり感じます。 >「先制攻撃論」的発想を許したら、どの国も先制攻撃をする権利を有する、という理屈になります。 その通りです。 >そうなれば、ジャングルの掟に逆戻りです。 そうとは限らないと思います。ここに「相手が先に攻撃したが故に、自分の方の攻撃は防御だ」、とする革新政党的な考え方があるのかと思います。「先取」と、「積極的国防」は別の話です。 戦争勃発防止のための国際的ルール形成や、そのために知恵を絞るということとは別の話です。 |
▼告天子さん: : ◎そうとは限らないと思います。ここに「相手が先に攻撃したが故に、自分の方の攻撃は防御だ」、とする革新政党的な考え方があるのかと思います。「先取」と、「積極的国防」は別の話です。 > >戦争勃発防止のための国際的ルール形成や、そのために知恵を絞るということとは別の話です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ という発想では、結局帝国主義時代に逆戻りですね。 まあ、その論争は、やめにしましょう。 わたしは、新たな発想でシステム作りをしようという提案をしたのです。こんな問題を論争するつもりではないのです。話を生産的論議に戻しましょう。 |
▼流水さん: >わたしは、新たな発想でシステム作りをしようという提案をしたのです。こんな問題を論争するつもりではないのです。話を生産的論議に戻しましょう。 了解です。話の腰を折ってしまいまして、どうも相済みません。基本的に、帝国主義時代に逆戻りということは環境的にあり得ない話ですので、そのご心配はそれほどされなくともよいのではないかと思います。むしろ、帝国主義時代よりもぐちゃぐちゃにたちが悪いテロルの時代の来訪と、中国、朝鮮半島などの「遅れてきた帝国」の勃興とが重なっているわけで・・・。時代環境的にはそういう認識を持っていますが、流水さんのお話に興味があって書き込んだので、他意はありません。 よろしくお願いします。 |
▼流水さん: 思い切った提案ですね。流水さんの目論みは理解します。(一点、憲法改正なく自衛隊(=軍)の存在を認めるという記述には疑問符です。) その大小強弱は別として、今世界で軍備を持たない国はありません。たとえコスタリカでも。問題は、世界に先駆けて、日本がどのようにして平和国家を作るかです。世界が平和になれば、ちょうど中国が平和の世界で躍進してきたように、地球は新しい局面を迎える可能性を持ちます、少なくともそういう希望を持つことができます。 キーポイントはシビリアンコントロールです。本質的には民主主義をいかに高め実現するかにかかっています。一部の勢力による一部の利害に基づき戦争が行われ、そして国家が坂道をコロゲ落ちていった歴史を見れば、いかに民の声が政治=戦争に反映されなかったか分かります。ヒトラーも民主主義から生まれて民主主義を殺した。強い民主主義をどうやって育て定着させ、どんな時でも生き続けさせられるか、考えています。それも、民主主義を実現しようとする中で獲得できると信じます。 流水さんの提案の中で、民主的な軍隊組織のようなことが語られています。それは、国民を説得する為のものであることは分かります。実際問題脅威はいつ来るか分かりませんから、そういう国民の不安にも答えていかなければならない。同時に、アメリカ・中国などに積極的に社会・国家のあり方を働きかけ、軍縮を実現していかなければなりません。 軍備を語りだせば究極は効率よい武器の話になります。そんなことで人類がいいわけないという信念で考えていかなければならないと思っています。 ところで早速、典型的ウヨクヤローから通俗的なレスが付きましたね。あんなもんはムシムシコロコロキンチョール。現在及び将来の軍事、それはパンドラの箱かもしれませんが、老人党なればこそ話せることですね。 |
▼ウミサチヒコさん: >ところで早速、典型的ウヨクヤローから通俗的なレスが付きましたね。あんなもんはムシムシコロコロキンチョール。現在及び将来の軍事、それはパンドラの箱かもしれませんが、老人党なればこそ話せることですね。 キミ、そのウヨクヤローから攻撃されて、あらぬことを喚いたあげくに遁走したという話ではないか。キンチョールなら自分に向けて噴射したまえよ。 |
▼ウミサチヒコさん: ★思い切った提案ですね。流水さんの目論みは理解します。(一点、憲法改正なく自衛隊(=軍)の存在を認めるという記述には疑問符です。) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 思い切った提案でもしなければ、本当の意味での論議が深まらないのではないかと思ったのです。 憲法改正なくて、自衛隊の存在を認めるのではなくて、国土防衛隊とでも改称して、専守防衛という徹底的な枠をはめて、社会的認知を明確にしたほうが現実的であると考えています。憲法の原理的解釈はしばらくの間、目をつぶれという提案です。今まで、かなり無理をした解釈をしてきたのですから、それよりかなり状態は改善されると思いますよ。 > ★世界が平和になれば、ちょうど中国が平和の世界で躍進してきたように、地球は新しい局面を迎える可能性を持ちます、少なくともそういう希望を持つことができます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 安全保障論議も一番重要なのは「希望」です。だから、常に、すべての軍備がいらなくなるという世界を実現しようという夢を語り続ける必要があるのです。 その理念の基になら、自衛隊員の皆さんも胸を張れるというものです。 ★キーポイントはシビリアンコントロールです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本当は、わたしの考え方は、少し違うのです。実は、シビリアン・コントロールという考え方は、軍人以外の政治家などにより、軍を管理下におくという考え方です。つまり、「軍隊を戦争のための道具」と考える考え方の延長線上に位置しているのです。 そうではなくて、軍隊を「国民のための武器」という考え方に転換するということを考えているのです。これを実現するためには、「専守防衛」という理念が、一番重要になるのです。 まだ、わたしにもはっきり見えていないのですが、このための新たな理念が考え出される必要があると思います。 ★本質的には民主主義をいかに高め実現するかにかかっています。一部の勢力による一部の利害に基づき戦争が行われ、そして国家が坂道をコロゲ落ちていった歴史を見れば、いかに民の声が政治=戦争に反映されなかったか分かります。ヒトラーも民主主義から生まれて民主主義を殺した。強い民主主義をどうやって育て定着させ、どんな時でも生き続けさせられるか、考えています。それも、民主主義を実現しようとする中で獲得できると信じます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これは同意いたします。 > >流水さんの提案の中で、民主的な軍隊組織のようなことが語られています。それは、国民を説得する為のものであることは分かります。実際問題脅威はいつ来るか分かりませんから、そういう国民の不安にも答えていかなければならない。同時に、アメリカ・中国などに積極的に社会・国家のあり方を働きかけ、軍縮を実現していかなければなりません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これも最後の方で、書いているつもりです。普段にそのことは、主張し続けねばならないと思います。 > ★軍備を語りだせば究極は効率よい武器の話になります。そんなことで人類がいいわけないという信念で考えていかなければならないと思っています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これはいつかまた新たな理念を提示するつもりでいますが、効率性という考え方を超える理念の提示が必要だと考えています。 |
▼流水さん: >この悩ましいジレンマを抜け出す道は、現在の自衛隊を全く違う理念で再編成する道を提示するのが、もっとも現実的方法ではないかと考えます。これが、国論の分裂状態を克服する唯一の道だと思います。 >同時に、この全く新しい理念で構築された軍のあり方は、世界に発信しうる力を持つのではないかと思います。 >つまり、防衛だけに徹した【近代的国家防衛組織】に、自衛隊を改変するのです。 憲法を改正しないで近代的国家防衛組織をつくるという斬新なアイデアは初めて聞きました。 これなら護憲を唱える人達にも、防衛に徹するための改憲を唱える人達にも受け入れられる可能性がありますね。 現在の日本の国民の民意はこのあたりにあるのではないかと私は想像しています。 社民党、共産党、民主党はこれを真剣に検討して欲しいと思います。 特に社民、共産は現在の護憲の行き詰まりを打開する上で大いに参考にして欲しいのですが、無理でしょうかね。 >要は、憲法の理念を守り、現実的な問題にも、国際協力にも対応でき、世界の国々に尊敬される平和理念を遵守しているというメッセージも発信できる、という複雑な連立方程式を解くために、多くの人の「知恵」が求められているのだと思います。 > >そして、これがもっとも重要なのですが、「戦争のない世界」「軍備が必要でない世界」の構築という理念だけは、世界にも国民にも常に、発信され続けなければならないと思います。 >それだけ、権力者にとって「戦争をするための道具」である「軍」という組織は、ものすごい魅力のあるものだからです。絶え間ない国民の監視があって初めてその誘惑に勝てるものだという認識だと思います。 このような理想主義を貫きながら、一方では国家防衛組織をしっかり作るという試みが成功すれば、これは世界に誇れる素晴らしいことだと思います。 流水さんの提案に対してみなさんのお考えはいかがでしょうか? 老人党として各政党に提案していけないものでしょうか? |
流水さん (直接お話しするのは)お久し振りです。余り時間も能力もない私はこの掲示板の全てを読むことも出来ずに居りますが、先生のお書きになった文章はいつも注意深く読ませて頂いて居ります。 仰るような、建設的な意見を述べられないかとは存じますが劣等生のたわごとと御容赦願います。 まず第一に、私は世界の平和共存⇒非戦を最大の念願としており、軍隊の存在は決してその方向には近付けない、先生の仰る権力者がどうしても戦争の道具に使ってしまう可能性が高いのではないかと惧れてしまいます。 日本は折角一旦は憲法に不戦平和の理想を掲げた。その理念を50余年にして持て余すかのようになったのは、理想を掲げることが間違っていたわけではなく、我々国民がその理想を負う努力をして来なかったからだと思います。”理想で飯が食えるか”と何方かもこの掲示板で言っておられましたが、我々国民は現実に流れ易い、それを為政者はよく承知していて、どんどん安易な方向に大衆を引き込んでゆくのです。「国際紛争を回避する必死の外交努力もしないで、何が軍隊か」という気持ちです。 どういう軍隊なら平和主義に沿うか、という設問より、今いかなる外交努力をすべきか、というほうが現実解決に近いような気がします。 先生(済みません、どうも流水さんに呼びかける時にはこの方がしっくりするので、こう呼ばせてください)は無用な議論を終結、止揚させるために提案された、その趣旨は理解しますが、オピニオンリーダーの発言として、”何らかの形で軍隊を容認”ということがこの掲示板の流れになることに、やや不安を感じたため、そういう者もいる、とだけ(言う迄もないことでしょうが)付言させて頂きます。 これも先生のご発言の主旨から少し外れますが、一体”自衛の為だけの”軍隊って存在するものでしょうか。近代、殆ど(例外があるかどうか私は存じません)の戦争は自衛のためと称して始められた。ということは自衛のためと言い繕えれば、どんな戦争も始められるということではないか。先生はその為に軍隊を権力から切り離す方法を、と考えておいでですが、では誰がコントロールするのか。防衛庁を政府から独立させる(一番効率的な移行方法か)のでは余り変わり映えしないでしょう。しかし厳然たる国家の責務を、国が責任を負わない形で渡せるものだろうか。 国民の意思が直裁に反映できる組織、とのことですが、国民だって既成事実には容易に流されるし、愛国心とやらを煽られれば暴走するかもしれない。 いつも書くことなのですが、皆さん、独立した自前の軍隊なるものが存在するかのように議論されますが、今の日本において、それは中々難しいのではないか。現在、政府が対米追従(日米同盟強化に外交の主軸を置いている)であるのは政権が変われば変わりうるものとしても、現実として自衛隊は戦略的にも、情報網などの技術的な環境においても、完全に米軍の一翼になっているのです。狭義に考えれば、その方が日本の”自衛”に最も効率的であるとも思われます。 その自衛隊を、その組織を、武備を活用しながら、理念だけを全く新しく入れ込むということが可能でしょうか。 さらに、防御専念という軍隊があり得るか。既に防衛庁の幹部は、「自衛の目的には敵のミサイル基地を先制攻撃したほうが効率的だ」という発言もあり、事実としては確かにその通りかもしれません。何方かも言って居られたように、やられるまで待っているのか、という議論もあり得る、そうなると何処で、誰が”自衛”と判断するのか。 これらを考えた上、もし先生のご議論に乗るとすれば、(先生のお話から、国連やEUの動きが参考になると思い、)むしろシステムというより、具体的な行動を考える、例えば自衛隊が東アジア全国家と軍事同盟を結ぶ、という案は如何でしょう。日本を攻撃するかもしれないと想定される国も全て含まれます。その場合でもアメリカとの関係、どう独立できるかが最も問題になるでしょうね。 |
▼高橋さん: レスありがとうございます。 ●まず第一に、私は世界の平和共存⇒非戦を最大の念願としており、軍隊の存在は決してその方向には近付けない、先生の仰る権力者がどうしても戦争の道具に使ってしまう可能性が高いのではないかと惧れてしまいます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その危険性は大だと思います。 ●日本は折角一旦は憲法に不戦平和の理想を掲げた。その理念を50余年にして持て余すかのようになったのは、理想を掲げることが間違っていたわけではなく、我々国民がその理想を負う努力をして来なかったからだと思います。”理想で飯が食えるか”と何方かもこの掲示板で言っておられましたが、我々国民は現実に流れ易い、それを為政者はよく承知していて、どんどん安易な方向に大衆を引き込んでゆくのです。「国際紛争を回避する必死の外交努力もしないで、何が軍隊か」という気持ちです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この認識にも賛成いたします。ただ、冷戦時代をどう見るかによって、その評価も大きく分けられると思います。 冷戦時代、日本の地政学上の位置からいっても、白か黒かはっきりしなければならない立場におかれていたと思います。現実的に中立政策という選択肢がありえたか、という点に関しては、議論が分かれるのではないでしょうか。 その点を考慮に入れても、日本の外交的視点の幅の狭さは、これから変えなければならない重要なポイントだと考えます。 > ●どういう軍隊なら平和主義に沿うか、という設問より、今いかなる外交努力をすべきか、というほうが現実解決に近いような気がします。 >先生(済みません、どうも流水さんに呼びかける時にはこの方がしっくりするので、こう呼ばせてください)は無用な議論を終結、止揚させるために提案された、その趣旨は理解しますが、オピニオンリーダーの発言として、”何らかの形で軍隊を容認”ということがこの掲示板の流れになることに、やや不安を感じたため、そういう者もいる、とだけ(言う迄もないことでしょうが)付言させて頂きます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その意見がでるであろうことは、相当考えました。 わたしは、その点に関しては、社民・共産などの護憲政党のあり方には不満です。同時に、民主党も、やはり「権力者の道具」という発想から抜け出ていません。自民党はいわずもがなです。 冷戦終了後の世界を統御する新たな理念がみえない現在、外交努力も理念不在の国益思考万能主義に傾斜する傾向がみえています。 しかし、逆に、そのような時代だからこそ、理念リーダーとしての日本のあり方の存在価値が増せる国際環境が整っていると考える必要があります。 しかし、現実的には冷戦終了後の世界を統御する理念が構築されるまでには、まだ相当の年月が必要でしょう。その間に不足な事態が起きないとは誰も断言できないと思います。この先の見えない不安が、護憲政党の支持を失わせた最大の要因です。逆に、この不安が、社会の右傾化を進めた要因でもあります。 わたしの提案は、その意味で「過渡期の発想」だと認識しています。同時に、護憲政党の理念は正しいが、どうも現実的ではないよな、これでは不安だな、という国民の感覚。しかし、今の右傾化傾向のまま突っ走ったら、戦前の逆戻りだよな、という不安もあるのです。 このアンビバレンツな感覚の落ち着き場所を提示できれば、国民の支持を一挙に獲得できると思います。 その一つの試みだと考えてください。 ●これも先生のご発言の主旨から少し外れますが、一体”自衛の為だけの”軍隊って存在するものでしょうか。近代、殆ど(例外があるかどうか私は存じません)の戦争は自衛のためと称して始められた。ということは自衛のためと言い繕えれば、どんな戦争も始められるということではないか。先生はその為に軍隊を権力から切り離す方法を、と考えておいでですが、では誰がコントロールするのか。防衛庁を政府から独立させる(一番効率的な移行方法か)のでは余り変わり映えしないでしょう。しかし厳然たる国家の責務を、国が責任を負わない形で渡せるものだろう か。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この問題は古くて新しい問題です。どのような組織でも、組織の論理というものがあります。軍には軍の論理があるのです。 同時に力の行使は、複雑な問題を一挙に解決できる可能性を秘めているため、その行使への誘惑を断ち切るのはきわめて難しいのです。 あなたがいみじくも書いている「国家」が責務を渡せるか、という疑問が浮かび上がるのも当然でしょう。 だからこそ、全てを配慮した「知恵」が必要なのだと思います。 現在のわたしにも、少しのアイデイアはありますが、熟したものではありません。 ぜひ、皆さんの知恵を出し合ってみてくだされば、という意図なのです。 |
流水さん 何を今更、とお叱りを受けるのではないかと思っておりましたが、ご丁寧なお返事を頂き、恐縮しております。 私が申し上げたのは、既に先生の勘考された思索の中に全て入っていることはほぼ理解しておりました。ただ、平和ボケ,平和オタクの小生としては、ある条件をつければ軍隊の存在を認める、という方向にどうも違和感があったのでそういう者もいるということを一言掲示板に述べておきたかったのだとご了承下さい。 次に、私のような、目の前の事しか分別出来ない者には、今の自衛隊のシステムを変えるとか、新しい理念を注入するということの具体像がどうも想像できないのです。未だ熟していないとのことですが、ヒントでよいからそれを皆にお示し頂ければ、皆さんからももう少し進んだ議論が出てくるのではないでしょうか。 というわけで、私は先生の議論のご本意ではないかもしれないが、自衛隊を平和的維持部隊として誇れるものとするという一つの具体的な方法として、全東アジア軍事同盟創設、加盟というのはどうかと思った次第です。私としてもいわば突然の思い付きであり、勿論これもそう簡単に実現するとは思えない、が少なくともイメージとしては、皆さんのご批評を伺えるものではないかなと思います。本スレッドをお立てになった趣旨との関連も含め、先生のご意見が伺えれば幸いです。 なお、私は明日から一月ほど留守がちになり、申し訳ないながら余り投書が出来なくなるかと存じます。(何しろ書き込み能力が乏しいので、一寸書きこむだけで数時間かかってしまったりするのです。ただ、出来れば今夕にでも先生のお立てになった般若心経につい私の考えを述べさせて頂くつもりですが) 今後とも、先生初め皆様のご投稿について勉強だけはさせて頂きたいと思っておりますので、何卒宜しくお願い致します。 |
▼高橋さん: わたしは、ただの田舎の一教師として、人生の大半を過ごしてきた人間で、それほど学識があるわけでもなく、それこそ日本のエリートと呼ばれる人たちから比較すると、ただの凡夫に過ぎません。高橋さんのような丁寧な書き込みをされますと、恐縮するばかりです。 できれば、老人党の趣旨に賛同してこの掲示板に参集する一人の老人として扱っていただければ幸いです。 それは、さておいて、高橋さんのお尋ねにお答えしたいと思います。 ●未だ熟していないとのことですが、ヒントでよいからそれを皆にお示し頂ければ、皆さんからももう少し進んだ議論が出てくるのではないでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 具体的イメージとして、わたしは現在のNATO軍から、米軍を抜いた状況を想定しています。 現在のEUは、じょじょに国家を超える存在として発展しつつあります。これをマルクスが夢想した「国家の廃絶」の一段階とみるか、グローバリゼーションの一変形と見るかは人によって評価が違うかも分かりませんが、従来の国益至上主義からの脱出の試みと見ることには異論がないと思います。 「戦争」の要因には、大きくいって二つあると考えられます。1、国益の争い 2、戦争当事国同士の意思疎通の欠如(情報の不足) EUの発想には、この二つの要因の排除という原則があると考えられます。ここに、過去の二度の大戦で塗炭の苦しみをなめた、西欧各国の歴史に学ぼうという姿勢があると考えられます。 わたしは、日本はこのヨーロッパ諸国の思考方法に学ぶ必要があると考えているのです。ただ、現実的には、NATO軍と米国の関係もあります。また、EUに対するトルコの加盟が難航していることにみえるように、まだまだEUの本質も未解明な部分も多々あります。ですから、皆がうんと納得できるような具体的イメージを伴った提案ができないのです。 この文脈で考えると、あなたの下記の提案、 ●、全東アジア軍事同盟創設、加盟というのはどうかと思った次第です。 というのは、考慮に値する提案だと思います。 現実には、「日本の安全保障政策」と「アセアン地域」との関係を考察する「地域的安全保障」を考える発想も出されていますが、まだまだ、ただの提案の息を出ていないようです。 ぜひ、皆さんからさまざまのアイデイアを出していただければと思います。 |
▼流水さん: >しかし、現実的には冷戦終了後の世界を統御する理念が構築されるまでには、まだ相当の年月が必要でしょう。その間に不足な事態が起きないとは誰も断言できないと思います。この先の見えない不安が、護憲政党の支持を失わせた最大の要因です。逆に、この不安が、社会の右傾化を進めた要因でもあります。 > >わたしの提案は、その意味で「過渡期の発想」だと認識しています。同時に、護憲政党の理念は正しいが、どうも現実的ではないよな、これでは不安だな、という国民の感覚。しかし、今の右傾化傾向のまま突っ走ったら、戦前の逆戻りだよな、という不安もあるのです。 >このアンビバレンツな感覚の落ち着き場所を提示できれば、国民の支持を一挙に獲得できると思います。 >その一つの試みだと考えてください。 特に、 >同時に、護憲政党の理念は正しいが、どうも現実的ではないよな、【これでは不安だな、という国民の感覚】。 流水さんの分析と試論、これまで漠然と考えていたことに表現を与えられたように、読ませて頂きました。「これでは不安だな、という国民の感覚」に応える平和主義が右傾化に抗し、右傾化を超えうる平和主義なのではないかと、小生も思います。 その感覚にそぐわない、リアリティを欠いた空想的平和主義はかえって右傾化を後押しする追い風となるのかもしれない。 |
▼遍巳亭さん: >▼流水さん> >特に、 >>同時に、護憲政党の理念は正しいが、どうも現実的ではないよな、【これでは不安だな、という国民の感覚】。 > >流水さんの分析と試論、これまで漠然と考えていたことに表現を与えられたように、読ませて頂きました。「これでは不安だな、という国民の感覚」に応える平和主義が右傾化に抗し、右傾化を超えうる平和主義なのではないかと、小生も思います。 > >その感覚にそぐわない、リアリティを欠いた空想的平和主義はかえって右傾化を後押しする追い風となるのかもしれない。 私もそう思います。 私が、京都で行われた九条の会に行った際、演者の鶴見俊輔氏は「この護憲運動は負けても良い、負けて歴史に影響を残せば良い」と言うような表現をされました。私がこれを文化運動と呼ぶゆえんです。護憲政治団体がこう言ったら敗北主義であるし、現に劣勢にあります。しかし京都の九条の会の盛り上がりに方に従来とは異なるものを感じました。これを政治的に見ないならば、これはこれで盛り上がって欲しいと思います。 *リアリティを欠いた空想的平和主義はかえって右傾化を後押しする追い風となるのかもしれない。 その危惧は私も十分持っています。 |
▼安本単三さん: おはようございます。 おすすめスレッド、上げておきます。 |
流水さん:はじめまして 私は、憲法9条の2項は改正して、明確に自衛軍を持てるようにすべきと考えている一方で、護憲の講演会に参加したりしています。一種の自己矛盾なのですが、ひょっとしたら多くの日本国民の抱えている矛盾そのもののようにも思います。 そこで、社共主導でない9条の会などの護憲運動は、政治運動ではなく、一つの「文化運動」だと思うことにしました。いわゆる「文化」人が引っ張っていて、その意味でずばりなのですが、皮肉ではありません。改憲、創憲、加憲という政治課題を掲げる人たちへの、文化的風送り運動として捉えてみました。そうすると文化は護憲で、政治的には・・・・のように自分で割り切れるのです。 その政治的意味で、流水さんの説は大変参考になりました。ありがとうございました。ダウンロードして保存しました。 |
流水さん、お久しぶりです。 ご提案、たいへん興味深く読みました。 何か意見をとずっと思いながら、うまく考えがまとまらない ままでいます。しかし、今年50年を迎える自衛隊の存在と役割 という現実から出発している点、実際的には国際貢献活動が 大きなポイントになろう見込んでいる点、ともに共感できます。 「武装した自衛隊を海外に出させない」ために、国際貢献活動を 担う部隊に「武力」以外の付加価値を持たせる、日本の国際貢献隊 ならではの、独自の特色を打ち出すという発想の方向性は、もっと 広く議論されていいと思います。 自衛隊+日赤医療団、これは比較的容易に実現できそうです。 それでは、自衛隊+JVCなど実績ある民間NGOというのはどう でしょうか。相応の工夫と努力があれば、案外すんなりできそうな 気もするのですが。 今ごろではありますが、とりあえず、思いつきのみ、ということで。 多くの方の「思いつき」を読みたいと思います。 |
▼ぎみゆらさん: お久しぶりです。 ●自衛隊+日赤医療団、これは比較的容易に実現できそうです。 >それでは、自衛隊+JVCなど実績ある民間NGOというのはどう >でしょうか。相応の工夫と努力があれば、案外すんなりできそうな >気もするのですが。 > >今ごろではありますが、とりあえず、思いつきのみ、ということで。 >多くの方の「思いつき」を読みたいと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ありがとうございます。このような具体的提案を通じて、議論していくことが重要だと思います。 難しい議論はさておき、わたしの提案は、わたしの経験から類推してみたのです。 わたしたちが物凄い荒れた学校に転勤したとき、【なぜ荒れた】という原因論も重要ですが、【荒れている現実】をどう変えるか、という議論が必要になります。 自衛隊の存在は、もう50年です。これは、もはや所与の現実と言ってよいと思います。 憲法論議も重要ですが、わたしからいわせれば、これは【なぜ荒れた】の原因論だと思うのです。【荒れている現実】を変える議論にはなりません。 同時に、自衛隊拡大論は、【力による荒れの制圧】論だと思います。 わたしは【力による制圧論】の行き着く先を何度も見ています。【不登校】の増加と、陰湿な【いじめ】の増加です。同時に、これがもたらすのは、普通の子供の【無力感】ないし【絶望感】の拡大です。どうせ、正しいことをいっても、通らないという無力感や諦めの気持ちです。 これは、今の世界のアメリカに対する気持ちを考えれば、簡単に理解できると思います。 政治論的に語ると、【人心が倦んでいる】ということになります。 わたしの経験からいえば、この二つの原理主義を止揚しなければ、荒れも克服できなければ、長続きする学校の平和も実現できないのです。(これに対する具体的方法論は、団塊党さんとのやり取りを見てください) 今、必要なのは、平和主義と自衛隊の存在を共存できる理念と具体的方法論だと思います。 その理由は、米国の【力による制圧】による【平和の確立】というパックス・アメリカーナ理論では、世界中に紛争の種を撒き散らすだけだと思うのです。それについいていくだけの日本では、またぞろ世界の中で過ちを犯す危険性が大だと思うのです。 わたしは、日本人の大半は、今の世界のあり方を正しいと思っていないと考えています。しかし、目の前で多くのテロを見たり、北朝鮮の理解できない振る舞いを見ていると、何もしないわけにはいかないじゃないか、と考えているのだと思います。 これは、誰も【荒れる学校】が良いとは思わないというのと同じだと思うのです。難しい理屈はとにかく、とりあえず【荒れ】を鎮めろ、となります。そのためには、少々の体罰も仕方がないし、少々の人権無視も許されるとなるわけです。そのとき、荒れる子供に体罰を加えた教師に対して、体罰は許されないとか人権がどうのこうの、と騒ぎ立てれば、たとえそれが正しくても、荒れる子供や親を擁護する人たちは非難されるわけです。 この構図が、現在の政治的空気と同じだと理解できないと、結局選挙では勝てないのです。これが、共産党や社民党退潮の最大の要因です。 わたしは、このような状況の中で何をなすか、ということを仲間の教師に理解してもらうのに、囲碁の格言【大場より急場】という言葉で説明してきました。 つまり、平和主義というような理念的なことは【大場】です。これがないと、碁には勝てません。しかし、今打たないと自分が完全に不利になるというところがあります。これを【急場】といいます。 急場を見抜けない碁打ちは、碁に勝てるわけがないのです。 現在の世界の政治状況、日本の政治状況を見て、【急場】は何かを見抜いて適切な一手を打つことが、重要になるのです。 わたしの提案は、【大場】の重要さをにらみながら、【急場】を見逃さない手をうつべきだという主張のつもりです。 ぜひ、皆さんの提案をお待ちしています。 |
こんにちは。Rayです。 みなさまのご議論はとても興味深く拝読しています。 考えがまとまったら議論に参加しようと思いますので どうぞよろしくお願いいたします。 |
いよいよ、米軍のトランスフォーメーションが、現実の政治課題に浮上した。山崎拓氏を首相補佐官に任命したのも、北朝鮮問題ではなく、米軍のトランスフォーメーションにどう対応するかという意図の表れであろう。 ここでは、米国側の計画内容、米国の政治状況などと日本国内の問題点を考えて、それがわたしの提案する「近代的防衛組織」という理念とどのようにかかわるのかを考えてみたい。 「米国の計画内容」 米軍再編(トランスフォメーション)の影響を一番受ける沖縄のメデイア「沖縄タイムス」は、以下のように伝えている。 ブッシュ米大統領が、世界的な米軍再編を打ち出したのは二〇〇三年十一月。日本、韓国それに北大西洋条約機構(NATO)の加盟国との本格協議に入ると表明した。 狙いは、冷戦が崩壊し軍事技術の向上とあいまって大規模な地上兵力は必要とせず、代わりに機能・機動力を高め軍事力は維持しようというものだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(沖縄タイムス) 主な構想を列挙すると、以下のようになる。 ▲グアムの第13空軍司令部を東京・横田の第5空軍司令部に統合 ▲米ワシントン州の陸軍第一軍団司令部を神奈川県のキャンプ座間に移す ▲沖縄海兵隊の一部を日本本土に移転させる ▲空母艦載機の夜間離発着訓練を神奈川県厚木基地から山口県岩国移す。 朝鮮半島から台湾海峡、インド、パキスタン、中東にいたる不安定な地域を睨んで、【日本を作戦の中心】と位置づける狙いが明確である。作戦司令部の集中がそのことを物語る。 そもそも、米軍のトランスフォーメーションは、RMA(Revolution in Militaly Affairs)と呼ばれる軍事技術革命がその背景にある。つまり、情報技術の飛躍的な進歩が、陸・海・空3軍と海兵隊の垣根を越えた軍の効果的な運用を可能にした。部隊の効果的な運用が可能になると、部隊の移動と配備が容易になり、既存の駐留米軍の抜本的見直しが可能になったのである。 時系列に見ると、米軍のトランスフォーメーション計画は、クリントン政権時代にスタートしている。 1997年12月の国防諮問委員会(National Defense Panel)で”Transforming Defense-National Security in the 21th century"(軍隊のトランスフォーム、21世紀の国家安全保障)という報告書で概念が確立したといわれている。 クリントン政権は、今後20年間に取り組むべきもっとも重要な課題として位置づけていた。 ブッシュ政権は、成立当初から、このトランスフォーメーションに熱心であったが、それを実行する最大の障害が、膨大な予算と差し迫った危機の欠如であった。 この二つの障害とも、9・11事件により、見事にクリアーされた。 皮肉な言い方をすると、トランスフォーメーションにとって、9・11事件は、救いの神だったともいえる。 ※(9・11同時多発テロ米国陰謀説の一つの根拠になっている) 9・11テロで明らかになった「国境を越えて活動する非国家勢力(武装勢力)」の活動は、領土を持つ国家とは異なり、事前に所在地を特定することが困難なため、軍隊の柔軟な行動が要求される。ホーエン国防次官補代理は、テロリストグループの武装が進んでおり、それを防ぐためには地球規模での防衛が必要であり、米軍基地のトランスフォーメーションが必要だと説いている。(3年6・11付けワシントンポスト) 9・11事件以降、多額の予算が獲得され、国防総省にトランスフォーーメーション局が創設された。 さらに、アフガン戦争やイラク戦争での精密誘導爆弾などに象徴される米軍の圧倒的軍事力の優位性は、トランスフォーメーションの必要性をさらに印象付けた。 上記の文脈から考えると、米軍のトランスフォーメーションは、もはや後戻りのできない既定の路線であり、たとえケリーが大統領になっても、後退することはないと考えられる。 ★「米国の政治状況」 米軍のトランスフォーメーションの主要目標は、【不安定な弓状地帯】と名づけられた、朝鮮半島から台湾海峡、インド、パキスタン、中東にいたる不安定な地域への対応に主眼が置かれていることは間違いない。 しかし、韓国の兵力削減の背景には、反米感情を訴えて当選し、北朝鮮に融和的政策をとるノテウ政権に対する懲罰的色彩が濃いと見る専門家が少なくない。同時に、イラク戦争に非協力的なドイツ・フランスなどに対する警告と見る向きもある。 さらに詳しく見ると、米軍のトランスフォーメーション推進の旗振り役は、ラムズヘルド国防長官とその周辺のシビリアン、ウオルフォウイッツ国防副長官、ファイス国防次官であることは、衆目が一致する。つまり、国防省内部のネオコン派である。 しかし、よく考えてみれば、彼らこそがイラク戦争遂行の中心人物であり、イラク統治失敗の張本人である。アブグレイブ刑務所の虐待事件の最終責任もかれらにある。 しかし、彼らのうち誰も責任をとったものはいない。たしかに、テネットCIA長官は辞任したが、それも大量破壊兵器について間違った情報を出したことに対する責任であろう。 イラク戦やイラク統治の失敗に対する責任ではない。先日のニュースでも流れていたが、ブッシュ再選の時には、ラムズヘルド国防長官の再任もありうるそうである。理由は明確で、彼を辞任させたらイラク戦の失敗を認めることになるから、それはできない、ということである。 ここに現在の米国の奇妙さがある。大量破壊兵器などの戦争の大義がなかったこと(国民に嘘の情報を与え、国際社会を欺いたこと)に対する責任は取らない、イラク統治に失敗し、現在の状況を招いたことに対する責任もとらない。それでいて、国防費は増大し、トランスフォーメーションはどんどん推進していく。これを政治力といえば政治力であろうが、このことにより他国の米国に対する信用度は落ち、国論は二分化していくという結果に陥っている。 イラク戦前、エリック・新関元参謀総長が、イラク統治に必要な兵力を30〜50万人と見積もってそのように主張したが、ラムズヘルドなどに受け入れられず、参謀総長を辞した話に象徴されるように、制服組のシビリアンに対する不満はかなり渦巻いている。 制服組以外にも、ケリーを初めとする民主党や議会でも、国防省のシビリアンに対する信用度は落ちている。これが、今回の大統領選の大きな争点の一つであろう。 これが、わたしのいう「権力者の道具」とされた米軍の内実である。シビリアン・コントロールというものの危うさが、露呈しているのである。 わたしの主張する「権力者の道具」としての軍隊、「戦争のための軍隊」としての本質があらわになった現状がよくみえる。 しかも、本土防衛という発想から導き出される具体策が、米国に入国する外国人の情報管理、国民すべての情報を管理するという監視国家体制に移行しつつある。これだけでは足りず、各国政府に協力を求めて、世界の人間の情報管理まで行おうと考えている。 さらに、危機を煽り立てる情報を何度も出し、国民の不安を掻きたて、それをバネにさらなる軍備増強、情報統制(操作)、国民監視体制の強化に乗り出そうとしている。 国家は、国民に安全と安心を提供するからこそ国家であり、不安を煽ることは国家としての基本的なあり方に反する。 歴史は、国家が国民に不安を煽りだしたときには、その指導層に何らかの意図があるということを教えている。 われわれは、一度ならずこの光景を見た記憶がある。 政治的には、過去のファッシズムとか超国家主義とか呼ばれる体制と、酷似している。その結果がどのような悲惨な結果をもたらしたかは、世界の多くの国々が体験している。 わたしが、ヒトラーさえ、民主主義的手続きにより選出されたことの重さを、改めて考え直さなければならないという意味はここにある。 ここ数年の米国のあり方は、米国の国家としての危うさを露呈していると考えたほうが良いのではないか、と考えられる。 同時に、このことは、日本にも同じことがいえる。ここ数年、メデイアを通じて煽られた危機の本質を、わたしたちはもう一度よく考えるときが必要である、と思う。 |
次に、米軍のトランスフォーメーションが日本にもたらす影響を考えてみる。 【軍事的問題点】 1、日米安全保障条約第六条の【極東条項】をどのように考えるか。 「第六条」 日本国の安全に寄与し,並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため,アメリカ合衆国は,その陸軍,空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。 前記の施政及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は,千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。」 この極東条項を巡って、防衛庁と外務省の意見が対立しているらしい。 町村外務大臣は、先日、極東条項の柔軟な運営を語っていたが、どうやらお得意の誤魔化しで切り抜けるつもりではないかと推測できる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 背景には米軍再編問題をめぐる首相官邸・外務省と防衛庁の温度差がある。再編を契機に米軍普天間飛行場の返還など国内の基地負担軽減を進め、その代わりに「対テロ戦争」などで日米同盟を世界規模の協力関係に格上げするのが防衛庁の主張だ。一方、外務省は在日米軍への基地提供目的を「極東の平和と安全」に限定した日米安保条約第6条を盾に再編に難色を示し、これに二橋副長官ら官邸サイドが同調している構図だ。 米国は世界規模で進める米軍の変革・再編(トランスフォーメーション)で在日米軍基地を世界戦略の拠点に位置づけ、新たな「安保再定義」を迫っている。米側の本音は日本側の対応にいら立ちを見せた局長級協議で鮮明になった。=つづく http://www.mainichi msn.co.jp/search/html/news/2004/08/30/20040830ddm003070126000c.html ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 要するに、防衛庁幹部の主張は、米軍再編をとらえて、日米安全保障条約の【再定義】することである。 その代償として、嘉手納基地でのヘリコプター墜落事故を受けて、96年の日米特別行動委員会SACOの見直しも視野に入りつつある。 http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/10/16/20041016ddm002040009000c.html ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、今日の朝日新聞によれば、細田官房長官は、「まったく(安保)共同宣言見直しを考えていないし、極東条項についても見直しを考えていない」と発言し、防衛庁の考え方を否定している。 どうやら首相官邸は、多くの政治課題を抱えて、政治的リスクを避けたのであろう。 2、米国の世界戦略に完全にビルトインされ、「専守防衛理念」が空文化されてしまうのではないか。 このことについては、先日来、TV朝日で報道されているように、実質的には自衛隊は米軍の一部になってしまっている現実がある。特に、米軍の武器技術の進歩にあわせて自衛隊の装備・訓練は、実質的に米軍と一体化しており、9・11同時多発テロ以降、ますますその傾向は顕著になっている。 3、「日本の安全保障についての考え方」をどうするか。 【危機の実態】 1、世界を取り巻く紛争危機 ★非国家組織によるテロ攻撃 ★古典的な戦争(国家VS国家)の可能性 インド・パキスタン 、カフカス地方、中東、アフリカなど。 ★非国家組織と国家の組み合わせのよる危機(さまざまな場合が想定できる) 2、環境破壊 3、核物質管理の問題 4、サイバーテロの可能性 5、感染症の問題→エイズ・鳥インフルエンザなど 6、地球温暖化→今年の夏の猛暑(ヒートアイランド現象)・台風の大型化・水面上昇 7、米国の一極支配構造→情報の統制→国際的な混乱を招く(風評被害) 8、食糧危機 9、食物汚染の問題 10、貧困問題 etc 安全保障問題を考えるとき、いわゆる軍事的安全保障に傾斜した議論が、如何に局部的であるかは、上記の危機を見ただけでも了解できる。 上記の問題をすべて包含した【安全保障政策】の提示こそ、現在一番必要なことである。 しかも、これらの問題の解決は一国だけでできるわけがない。どうしても、国際的な解決の枠組みが必要になる。 その意味でも、日本独自の明確な安全保障政策の提示がなければ、国際的な協力など得られるわけがない。 わたしの提示した理念は、その一つの試みである。 ところが、防衛庁に提出された防衛力整備の答申「未来への安全保障・防衛力ビジョン」によると、以下のような点が書かれている。 ★基本概念として「基盤的防衛力」つまり、独立国として必要最小限度の防衛力に代わる「多機能弾力的防衛力」を提示している。 つまり、非国家主体(テロゲリラ)からの攻撃、及び、弾道ミサイル対応を明確にし、情報収集・分析能力の強化(諜報重視)とサイバー攻撃に対応するセキュリティシステムを明示した。 1、陸海空三自衛隊を統合運用する中央組織(統合幕僚監部)を設ける。 2、陸上自衛隊は、冷戦時代の本格的な武力侵攻を予想した「戦車」「特科(大砲)」重視から、重要施設を守る歩兵、及び、核・生物・化学兵器に対処する防護部隊に力点を移す。 3、海上自衛隊は、対潜水艦重視(対潜哨戒機P3C)を転換し、武装工作船対策及び、弾道ミサイルの監視と対応に重点を置く。 4、航空自衛隊は、戦闘機と有人偵察機を削減し、MD(ミサイル防衛)のための部隊を拡充するほか、無人偵察機の導入と輸送機部隊を拡充する。 5、武器輸出三原則(対米技術供与を除く、事実上の武器輸出禁止)を見直し、米国への武器輸出に関しては解禁する。 6、国内攪乱・島嶼(トウショ)部侵略・周辺海空域での軍事的不法行為に対し即応する。 上記の答申を読むと、米軍のトランスフォーメーションの発想と酷似しており、しかも米軍のトランスフォーメーションに対応できる体制を整備することに重点を置かれていることが見て取れる。 つまり、わたしのいう「戦争をする軍隊」への転換が確実に行われつつある。 防衛庁幹部の発想とは逆の意味で、この米軍再編(トランスフォーメーション)を契機に、日本の自衛隊の基本理念などあらゆる意味で、日本の安全保障を考えた意見が求められていると思う。 わたしに言わせれば、米軍のトランスフォーメーション問題こそ、【急場】の問題であり、これに対する明確な政策を打ち出さなければ、平和主義の理念も本当に危うくなると考えている。 |
流水さん、 おはようございます。流水さんはあらゆる情報を頭の中に持っていて、何かが起きるとパッと判断を下す。野球のキャッチャーのようだと誉めたら、流水さんに対する最大の賛辞になるのでしょうね。(「そういうのはご無用に願いたい」というお顔が見えるようですが。) 軍の重要さをあげたらきりがありません、軍事は重要です。また、世の中にはそれにも劣らぬ重要なものが幾つもあります。流水さんもお気づきのように、具体的には食糧危機や地球温暖化(温暖化説に従えば)、病気、難民、等々。死者の数で言えば、「自然死」は別としても、交通事故、自殺、殺人、戦争、テロ……。また、ある人は重要なものとして、資本、金品・財産、平和、夢、希望、愛、信仰、友情、いろいろあるでしょう。 私は急場は選挙制度だと思っています。トランスフォーメーションの意味を掴むことは、大局観判断の一要素ではあっても、唯一最大の急場であるとは思えません。本当は生きてる石を取ってしまうか、大石を無理攻めしてでも取ってしまえれば勝負は早いのですが、それが無理とすれば、民にできることは民の意思を一票で示すことしかありません。 ところが、今の選挙制度は、A党・B党もともと棋力はA党の方が上なのに、置石・持ち時間ともにA党有利、B党不利のような状態です。9条改正反対が国民の中で多数であるのに、国会議員のなかでは極めて少数であることが、これを典型的に示しています。社共のいたらなさを何百回言ってみても、このカラクリを正さない限り、すべてのアイデアは単にアイデアで終ってしまいます。その内、9条改正も国民の多数意見として現実に作られていくでしょう。これに抗していくこと、これが急場だと思っています。 |
▼ウミサチヒコさん: >私は急場は選挙制度だと思っています。トランスフォーメーションの意味を掴むことは、大局観判断の一要素ではあっても、唯一最大の急場であるとは思えません。本当は生きてる石を取ってしまうか、大石を無理攻めしてでも取ってしまえれば勝負は早いのですが、それが無理とすれば、民にできることは民の意思を一票で示すことしかありません。 横レス失礼します。 確かに現在の小選挙区制が変われば、護憲政党が大幅に伸びると思います。 しかし、その選挙制度を変えるにはどうしたら良いでしょうか。 自民党も民主党も小選挙区制を見直すつもりはありません。 そうすると、今の勢力分布のままではどうあがいても小選挙区制の見直しはありえません。 では何が急場か。 私は護憲政党が勢力を回復することだと思います。 そのためには社民党と共産党が合流するか、または協力体制を格段に強めることしかありません。 そして、現在の公明党のように政権交代のキャスティングボードをにぎるところまで、たどり着くことです。 今のままでは、民主党からも相手にされなくなる可能性があります。 護憲勢力の勢力拡大が何よりの緊急課題ではないでしょうか。 社民、共産はそのためには流水さんの提案も検討するくらいの柔軟性も持つべきです。 いまのままのかたくなな姿勢ではじり貧になってしまいます。 国民はまだ護憲勢力への希望を捨てていません。 変わるなら今のうちです。 早く、社民、共産はこのことに気づいて欲しいと思います。 |
>では何が急場か。 >私は護憲政党が勢力を回復することだと思います。 ここで「急場」を使ったのは流水さんの言われる意味での「緊急避難的」という意味ではありません。 一番急ぐべきことという意味です。 ウミサチヒコさんもその意味で使われていると思います。 流水さん申し訳ありません。 |
▼ウミサチヒコさん おはようございます。 相変わらずの活躍ですね。ウミさんの声が聞こえないと、妙にさびしくなるので、できれば一日一回くらい顔を出してください・ それはさておき、下の書き込み。 ●おはようございます。流水さんはあらゆる情報を頭の中に持っていて、何かが起きるとパッと判断を下す。野球のキャッチャーのようだと誉めたら、流水さんに対する最大の賛辞になるのでしょうね。(「そういうのはご無用に願いたい」というお顔が見えるようですが。) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ は、買い被りですね。 わたしは社会科教師でしたので、如何に生徒に興味を持たせるかに苦労したので、あらゆるものに目を配る習慣ができただけです。 他の一つは、世の中の出来事は、それだけ単独でおきることというのは、ごく少数で、たいていのことは何かしら連動しているものだと考えています。一時複眼的という言葉がはやりましたが、総合的に物事を判断する癖がついたのです。これも一種の職業病です。 > ●私は急場は選挙制度だと思っています。トランスフォーメーションの意味を掴むことは、大局観判断の一要素ではあっても、唯一最大の急場であるとは思えません。本当は生きてる石を取ってしまうか、大石を無理攻めしてでも取ってしまえれば勝負は早いのですが、それが無理とすれば、民にできることは民の意思を一票で示すことしかありません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ トランスフォーメーションは、軍事的話題を書いていたので、それに付随しての【急場】という意味で書きました。 おっしゃるとおり、今早急に手をつけなければならないのは、政治改革、行政改革です。 これは以前にも書いたのですが、わたしは公職選挙法とか政治資金規制法などの政治家たちの身分にかかわる規制や法律作成は、すべて外部団体に一任する、という 法律をつくる運動をするのがもっとも有効であると考えています。 具体的にいうと、政治学会(特に、選挙法を専門にしている学者)に、完全に丸投げするのです。そこでできた法律は、修正なしに国会で議決するのです。 具体的手順を書くと、 1、政治学会の中で人選をする(選挙法専門家) 2、素案を作成 3、政治学会で議決 4、マスコミ公表→できれば、国民投票。難しければ、世論調査方式。(世論調査は。完全中立の第三者機関が行う) 5、法案を国会に提出 6、議決、施行 要するに、政治家たちの身分や損得にかかわる事項を政治家たちに任せるのは、泥棒に自分を捕まえさせる法律を作らせるようなものだということです。 わたしは、これを老人党の提案にして、各政党に提示すればよいと考えています。 これを呑める政党を支持すればよいのです。【政治と金】の問題、【腐敗選挙区】の問題など、自分の身分にかかわる問題は、政治家には解決できない、という原則を適用すればよいのです。 話はかわりますが、忘年会にはぜひ参加したいと考えていますので、また誘ってください。 |