Page 1777 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼求められる「社会的役割分担」 なお 04/10/19(火) 22:47 ┗自己責任論批判 なお 04/11/4(木) 18:01 ┗なおさん 清水潤。大野派右翼? 04/11/4(木) 19:03 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 求められる「社会的役割分担」 ■名前 : なお ■日付 : 04/10/19(火) 22:47 -------------------------------------------------------------------------
「社会的役割分担」再考 アリストテレスが述べているように人間とは「社会的動物」です。 その社会が住みよくなるかどうかは、その社会にいる”人”(”個人”と表現すべきかどうか私にはわかりません)が、その社会で受け持つ社会的役割がはっきりしており、そしてその社会的責任もはっきりしたものになっていなければならないと思います。 大統領、総理大臣、国連(様々な国際機構)、知事、市町村長、国会議員、地方議会議員、官僚、様々な職種の公務員、企業、NPO、ボランティア、会社員、様々な自由業者、農林水産業者 ets (あとわかりません) 様々な社会的役割を担う個人、組織あります。今、これらの「社会的役割分担」はうまく働いているでしょうか? 今、世界やわが国で起きている様々な問題はこの「社会的役割分担」がはっきりしたものになっていないことに起因しているように私には思えます。 この「社会的役割分担」をはっきりさせるための仕組みづくりが、今、”人”には必要なんだと思います。 できれば質問して下さい、リアルタイムすぐには返答できませんができるだけ答えます。わからない時はわからないと答えます。 (この文章をまとめるのにくたびれたので、今日はお答えできません。明日以降よろしくお願いします) |
責任とは本来個人的なものではありません。責任を取るとは、誰かに対して責任を取ります。自己に責任を取る、自己完結で一人で個人的に責任を取ることはありえません。 責任を取るとは、大なり小なりの社会に対して責任を取るはずです。 本来、責任とは、社会的責任以外ありえません。「自己責任」という日本語は間違っています。 人質事件では、被害者本人、政府とそれぞれの社会的責任を考慮しなければ、本当に誰かが責任を取ったことにはならないと思います。 |
自分自身に責任を執る。というのはあります。 戯言を言ってもらってはこまります。よく人は「私なりに…」などという言葉を使いますが、一番簡単で無責任な逃げ口上ですね。 思想、信条。職業選択の自由を与えられている以上。自己責任は存在します。 〜によって私はこうなった。こうさせたのは〜の所為だ!などと安易な責任逃れが何と多いことでしょう。フリーダムとリバティは違います。自分自身に責任を執れない人間は、社会にも執れない!世の中は甘くない。自己責任は存在します。 |