Page 1867 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼わが国の仏教・・・ オセッカイ屋 04/10/31(日) 19:12 ┣Re(1):わが国の仏教・・・ しろは 04/11/10(水) 20:44 ┃ ┗Re(2):わが国の仏教・・・ オセッカイ屋 04/11/11(木) 11:04 ┃ ┗Re(3):わが国の仏教・・・ しろは 04/11/11(木) 11:47 ┣Re(1):わが国の仏教・・・ 秋明菊 04/11/12(金) 17:00 ┃ ┗Re(2):仏教とキリスト教のこと 佐藤 圭 04/11/12(金) 17:51 ┃ ┗Re(3):仏教とキリスト教のこと 秋明菊 04/11/14(日) 12:25 ┃ ┣Re(4):仏教とキリスト教のこと 愚民 04/11/14(日) 13:13 ┃ ┃ ┗Re(5):仏教とキリスト教のこと 秋明菊 04/11/14(日) 15:33 ┃ ┃ ┗Re(6):仏教とキリスト教のこと 愚民 04/11/14(日) 16:18 ┃ ┃ ┗Re(7):仏教とキリスト教のこと 秋明菊 04/11/14(日) 20:17 ┃ ┣Re(4):仏教とキリスト教のこと 佐藤 圭 04/11/14(日) 21:16 ┃ ┃ ┗努力目標 数理梵哲 04/11/14(日) 21:48 ┃ ┃ ┗Re(1):努力目標 しろは 04/11/15(月) 14:45 ┃ ┗Re(4):仏教とキリスト教のこと しげちよ 04/11/15(月) 17:46 ┃ ┣Re(5):仏教とキリスト教のこと 秋明菊 04/11/15(月) 19:28 ┃ ┗Re(5):仏教とキリスト教のこと 愚民 04/11/15(月) 22:36 ┃ ┗禅宗と日蓮宗 しげちよ 04/11/17(水) 18:00 ┣Re(1):わが国の仏教・・・ オセッカイ屋 04/11/15(月) 16:45 ┣Re(1):わが国の仏教・・・ 高橋 04/11/15(月) 22:07 ┃ ┗Re(2):わが国の仏教・・・ 高橋 04/11/15(月) 22:13 ┗Re(1):わが国の仏教・・・ オセッカイ屋 04/11/17(水) 18:11 ┗Re(2):わが国の仏教・・・ 今日は なな氏 04/11/19(金) 2:47 ─────────────────────────────────────── ■題名 : わが国の仏教・・・ ■名前 : オセッカイ屋 ■日付 : 04/10/31(日) 19:12 -------------------------------------------------------------------------
憂愁の秋がめぐってきました。「死出の旅」に身にまとう白装束姿。 西国33カ所巡り。八十八カ所遍路〜〜〜。仏教の今を語りあいたい 想いがいたします。 |
オセッカイ屋 様 わが国の仏教は明らかに救世能力を失いつつあります 流水さまのスレッドで般若心経の勉強をさせて頂いたので 何かが色々と見えるようになってきました 風の色とか空とは何か?見たいのに見えず 見たく無いのに聞こえる。みたいに色々と、、 般若心経のフアンは実に多くある人に 写経をすすめられて また筆ペンを少しだけすすめています しろは |
しろは様 ご高見を拝誦いたしました。救世能力の低下どころか 寺の運営(経営)に汲々とし宗教法人のトップの座の 世襲が散見されます。事業も無料と表示し、公開講座 名は例えば『歎異抄に学ぶ・・・』とあり、参加しま すと驚くべき低レベルで終了退場時に心理的強制行為 で協力者が賽銭箱を眼前に〜〜〜広域的で開催頻度が 高いので悲しくなります。会場は公の生涯学習センタ −とか多々・・・・・末世ですか?【それでいいのじ や! 親鸞】といはれそうです??? |
こんにちは オセッカイ屋 様 お返事ありがとうございます 嘆くだけでは何も変わりませんから 身の回りから少しずつ変えていきましょう 何か出来るはずです、そうなにかが 最近お宮参りに日参していますが健康にいいですし、 皆様の心の中に平和がおとずれるよう 祈ることも出来ます。 お元気で「まけるなー」です しろは |
オセッカイ屋さま こんにちは。初めまして。 >憂愁の秋がめぐってきました。「死出の旅」に身にまとう白装束姿。 >西国33カ所巡り。八十八カ所遍路〜〜〜。仏教の今を語りあいたい >想いがいたします。 仏教については、お詳しいのですか?教えて戴きたいのですが。 以前、ヨーロッパから来日されて間もないクリスチャンの方から、日本人の宗教について尋ねられました。 日本人のほとんどは仏教徒か?家に仏陀が祀ってあって、お祈りしているのか?あなたも仏教徒か?などなど。 私は、 多くの日本人は仏教に対して、クリスチャンとかムスリムのような信仰心は持っていないと思う。死者に対するセレモニーや慣習として、受け入れている場合が多いのではないか。 日本の古来の宗教は神道で、天皇家の宗教は神道である。神道の神様はギリシャの神様の様に、沢山おいでになると答え、 私自身についても、小学生の時は日曜学校に行って、聖書のお話を聞いたり賛美歌を歌ったりしていた。神社で結婚式や子供の宮参りなどを行い、お寺でも神社でもお参りする。祖父母の葬式や法要には、僧侶にお経を読んで戴く。 家には仏壇も神棚もあり、毎日お参りする。と答えました。 答えながら、不思議な気持ちになって来ました。先方も同じような感じで、二人ともクエスチョンマークを顔に貼り付けたまま、会話が終わりました。 お釈迦様の教えに、諸行無常・輪廻転生という言葉があります。 諸行無常とは、この世の物事はすべて移り変わる。 輪廻転生とは、動・植物すべて生き物が死ねば記憶を抹消されて、他の動・植物に生まれ変わり、それは永遠に続く。 という意味だと思うのですが、忌明けがすめば死者は記憶を消されて他のモノに生まれ変わっているか、生まれ変わるのを待っている状態だと思います。 なのに、1周忌・3回忌などの法要があり、お盆や彼岸の行事も毎年行います。 仏壇やお墓に手を合わせれば、亡くなった人の魂が会いに来てくれると聞きます。 なんとなく納得がいきません。宗教とは、心で信心するもので、頭で考えるものではないとは思いますが。 インドから中国・朝鮮半島を経由している間に儒教の影響を受けたり、その国の慣習が加わったり、日本で高僧が布教をされる時に変化したりしたのだと思います。 キリスト教では、天動説などについてバチカンの訂正があったようですが、仏教界では、輪廻転生と法要などの矛盾について議論などがあったのでしょうか? ちょっと不思議だと思ってお聞きしました。 もし、ご存じでしたら、お教えください。長々と申し訳有りませんでした。 |
秋明月さんへ 私も同じです。同じことを感じているので書きます。 私の宗教観は簡潔にかつ誤解を覚悟のうえ述べるとつぎのとおり。 ●仏教 自我、自己を捨てることができれば救済、幸せ、になれる。 この世の本物がみえる。自我を捨てることは修行です。 死んでも極楽へ行ける。 全て仏に頼む。ナムアムダブツと唱え祈る。 これが救いの道です。 ◎キリスト教 聖書、イエスキリストを信じる。 自我、人間の考えを捨てる。(仏教と同じ) 一切をキリストに委ねて祈る。 これで救われる。 永遠の命が与えられる。天の御国(心配のない国)へ行ける。 私はこのように考えています。 もともと宗教は私個人と神との関係であり他人(学者を含む)に聞いても 正解などありえないと考えています。 行事とか儀式とかは歴史的、文化的に自然に発生したものでどうでもよいこと。 生意気なことを書いてしまったかな。 |
佐藤 圭さま こんにちは。初めまして! >私の宗教観は簡潔にかつ誤解を覚悟のうえ述べるとつぎのとおり。 >●仏教 自我、自己を捨てることができれば救済、幸せ、になれる。 > この世の本物がみえる。自我を捨てることは修行です。 確か、日本は大乗仏教だと思ったのですが、悟りへの修行という事ですね。 > 死んでも極楽へ行ける。 > 全て仏に頼む。ナムアムダブツと唱え祈る。 > これが救いの道です。 これは、日本の仏教の事ですね。いわゆる御利益仏教という。 でも、お釈迦様の言葉?によると、極楽にお釈迦様は住まわれるが、地上の動植物は輪廻転生で次々と生まれ変わるので、極楽へは行く事がない、と思うのですが? >◎キリスト教 > 聖書、イエスキリストを信じる。 > 自我、人間の考えを捨てる。(仏教と同じ) > 一切をキリストに委ねて祈る。 > これで救われる。 > 永遠の命が与えられる。天の御国(心配のない国)へ行ける。 日本仏教・キリスト教とも、金持ちで信心深い人よりも、貧しくて罪を犯した人の方が、極楽・天国に近いとも言われています。 また自助努力を必要とされます。 神仏の御心に添い、人として頑張って生きる事を望まれているのでは?と思います。 考え始めると分からなくなります。 >もともと宗教は私個人と神との関係であり他人(学者を含む)に聞いても >正解などありえないと考えています。 私も同じ考えです。 私自身、お釈迦様でもイエス様でも神道の神さまでもないけど、ミックスした感じの神様を心に描いています。たぶん、それぞれの宗教についてちょっとずつしか知らないのと今までの慣習からそうなったのだと思いますが。 やはり集団になると、資金や運営問題、権力闘争などが起き、生臭くなります。ですから、宗教は神仏と個人との関係である方がよいと思います。 >行事とか儀式とかは歴史的、文化的に自然に発生したものでどうでもよいこと。 これも、そうだと思います。 ただ、行事・儀式については、どうでもよい事では片づかない面があります。 疑問を持っていても、やめる!とはなかなか口に出せません。 特に、私の考えでは死んでしまえば「無」だと思っていますので、死んでから法名を付けられたり、葬式・法要で大金を子供達に使わせたりしたくないのですが、葬式などは、生き残った人の心の平安や世間との付き合い?の為にするものだと言われれば、余計な事を言えば、子供達に迷惑を掛けるかなっても思います。 また、文化としての仏教についても知識があまりないので、ご存じだったら教えて戴きたいと思ってレスしました。 >生意気なことを書いてしまったかな。 こちらこそ、支離滅裂な感じになってしまいました。(#^^#) |
▼秋明菊さん: はじめまして。 私は宗教についてこの年まで深く考えたことがありませんでした。 今年妻に亡くなられてやっと少し勉強した次第です。 葬式からその後49日等の法事など、同じ仏教でも宗派によって随分違うことが分かりました。 >また自助努力を必要とされます。 >神仏の御心に添い、人として頑張って生きる事を望まれているのでは?と思います。 我が家は浄土真宗ですが親鸞さんは自助努力を求めません。 ご自身が比叡山でいくら難行苦行努力しても、人としての煩悩から離れることが出来なかったためらしいです。 すべてを阿弥陀様にお任せし、ただ祈ることだけしか救いの道はないというのが教えです。(他力本願) 肉食妻帯をいち早く認め実行しました。 他宗派では49日まで仏になれず、霊のままらしいですが浄土真宗は死んだ時から成仏します。 したがって浄土真宗では霊の存在を認めないということらしいですね。 お経も短く、決まり事も少なく位牌もない。なまぐさな信者には楽な宗教で助かります。 |
愚民さま はじめまして。レスありがとうございます。 >私は宗教についてこの年まで深く考えたことがありませんでした。 >今年妻に亡くなられてやっと少し勉強した次第です。 >葬式からその後49日等の法事など、同じ仏教でも宗派によって随分違うことが分かりました。 お寂しいと思います。慰めの言葉もありません、ただお悔やみを申し上げます。 >我が家は浄土真宗ですが親鸞さんは自助努力を求めません。 >ご自身が比叡山でいくら難行苦行努力しても、人としての煩悩から離れることが出来なかったためらしいです。 >すべてを阿弥陀様にお任せし、ただ祈ることだけしか救いの道はないというのが教えです。(他力本願) >肉食妻帯をいち早く認め実行しました。 他力本願とかは、聞いた事があります。学校で学んだと思います。 親鸞さんは、破壊坊主とか呼ばれた方ですね? >他宗派では49日まで仏になれず、霊のままらしいですが浄土真宗は死んだ時から成仏します。 >したがって浄土真宗では霊の存在を認めないということらしいですね。 成仏して即、極楽へ行けるわけですね。地獄行きもありますか? 私の知っている他の仏教宗派とは、随分違いますね。 > >お経も短く、決まり事も少なく位牌もない。なまぐさな信者には楽な宗教で助かります。 位牌もないのですか?俗にはなんて呼ばれていますか?お寺はどこですか? 私の生家は東本願寺で、母はよく「仏ほっとけ、それより周りの生き神さま(人)を大事にしなさい」って言っています。 婚家は禅宗なので、決まり事が多くて覚えられるか心配です。 私の周りでも、仏教はお金が掛かるから、神道に宗旨替えされた家が何軒かあると聞きます。仏教でもそのような宗派があるのですね。 あまりに無知なので、驚かれたと思いますが、懲りずに色々お教え下さい。 ありがとうございました。 |
▼秋明菊さん: >成仏して即、極楽へ行けるわけですね。地獄行きもありますか? >私の知っている他の仏教宗派とは、随分違いますね。 地獄行きは聞いたことがありません。なにしろ閻魔様の話も出てきませんから。 >位牌もないのですか?俗にはなんて呼ばれていますか?お寺はどこですか? >私の生家は東本願寺で、母はよく「仏ほっとけ、それより周りの生き神さま(人)を大事にしなさい」って言っています。 >婚家は禅宗なので、決まり事が多くて覚えられるか心配です。 浄土真宗西本願寺派です。 東本願寺とは信長の石山本願寺攻めをきっかけ(徹底抗戦か和睦か)として、家康の時代に兄弟が西(和睦派)と東(徹底抗戦派)に別れました。 私も親から「死んだ人より生きている人が大事」と教わって育ちました。 ご実家が東本願寺ならご実家には位牌は無いはずです。代わりに過去帳か名称は失念しましたが戒名を書いてぶら下げる掛け軸の小さいような物が有るはずです。 >私の周りでも、仏教はお金が掛かるから、神道に宗旨替えされた家が何軒かあると聞きます。仏教でもそのような宗派があるのですね。 私の周りも禅宗の方が多いです。お金が掛かると言う方が多いですね。 私は親鸞の教えを利用して死んだ人にあまりお金をかけないよう、お寺との付き合いは程々にしています。 |
▼愚民さま >地獄行きは聞いたことがありません。なにしろ閻魔様の話も出てきませんから。 地獄絵図は、禅宗なのでしょうね。 >浄土真宗西本願寺派です。 >東本願寺とは信長の石山本願寺攻めをきっかけ(徹底抗戦か和睦か)として、家康の時代に兄弟が西(和睦派)と東(徹底抗戦派)に別れました。 >私も親から「死んだ人より生きている人が大事」と教わって育ちました。 >ご実家が東本願寺ならご実家には位牌は無いはずです。代わりに過去帳か名称は失念しましたが戒名を書いてぶら下げる掛け軸の小さいような物が有るはずです。 独身の時は興味がなかったので、東本願寺だと言う事しか知りませんでした。 父が亡くなった時、葬儀に使用した白木の位牌は見ましたが、仏壇に位牌があるかどうか覚えがありません。掛け軸も見た事がありません。恥ずかしいです。 今度、実家に帰った時に見てみます。 > >私の周りも禅宗の方が多いです。お金が掛かると言う方が多いですね。 >私は親鸞の教えを利用して死んだ人にあまりお金をかけないよう、お寺との付き合いは程々にしています。 盆正月やお施餓鬼、棚経などで毎年5万円ほど出費します。 今はいいですが、これからは年金なども当てに出来なくなりそうで、将来が心配です。 愚民さまのおかげで、本願寺が東西に分かれた理由も分かりました。 実を言いますと、後継者争いで東西に別れたと思っていました。 ありがとうございました。 |
秋明菊さんへ >> >>これは、日本の仏教の事ですね。いわゆる御利益仏教という。 (佐藤) 違います。 ご利益仏教とは人間が我欲で都合のよいように作ったものです。 日本ではない。仏教もキリスト教も世界宗教です。 (以後私のいうことは日本の〜ではない) > >日本仏教・キリスト教とも、金持ちで信心深い人よりも、貧しくて罪を犯した人の方が、極楽・天国に近いとも言われています。 >また自助努力を必要とされます。 (佐藤) 前2行はそのとおり 救いに善行、努力などは 愚民さんのいうとおり必要ありません。 信じて、祈る ことが必要条件です。 罪人、貧乏人、弱い人の方が救われ易い。(仏もキリスト神も同じ) >神仏の御心に添い、人として頑張って生きる事を望まれているのでは?と思います。 (佐藤) 頑張らなくとも、祈り、頼めばよい。 愚民さんのいうように自己の力よりも「他力」に頼む、祈るのです。 >、お釈迦様でもイエス様でも神道の神さまでもないけど、ミックスした感じの神様を心に描いています。たぶん、それぞれの宗教についてちょっとずつしか知らないのと今までの慣習からそうなったのだと思いますが。 (佐藤) それではダメですね。 宗教、信仰は困ったとき、悩んだとき 藁をつかむように絶対の信頼できる神 仏に祈り真剣に相談しなければ 体験しなければわかりません。 >>行事とか儀式とかは歴史的、文化的に自然に発生したものでどうでもよいこと。 >これも、そうだと思います。 >ただ、行事・儀式については、どうでもよい事では片づかない面があります。 >疑問を持っていても、やめる!とはなかなか口に出せません。 (佐藤) 行事、儀式は本来宗教と関係ありません。 人間が作った形式です。 大切なのは救いに預かれるかどうかです。 行事はやめても罰当たりはありません。 > >また、文化としての仏教についても知識があまりないので、ご存じだったら教えて戴きたいと思ってレスしました。 > (佐藤) ここでは知識、勉強について述べることは辞めたい。 いいですか あなたは 幸せで 困って、苦しんでいないのでしょう。 (違ったらごめんなさい)または知識など贅沢です、暇があったら本をよむしかないでしょう。 しかし本はよんでも救われません。念のため。 >言葉がややきつくなってごめんなさい。 ただあなたも愚民さんも真面目なようで私には好感なのでまともに、私の信仰体験 からのべました。 そういう私も「迷える羊」です。 秋明菊さん、愚民さんも 平安で健康ありますよう お祈りします。 > |
▼佐藤 圭さん: >秋明菊さんへ >>日本仏教・キリスト教とも、金持ちで信心深い人よりも、貧しくて罪を犯した人の方が、極楽・天国に近いとも言われています。 >>また自助努力を必要とされます。 > >(佐藤) > 前2行はそのとおり > 救いに善行、努力などは 愚民さんのいうとおり必要ありません。 > 信じて、祈る ことが必要条件です。 > 罪人、貧乏人、弱い人の方が救われ易い。(仏もキリスト神も同じ) > >>神仏の御心に添い、人として頑張って生きる事を望まれているのでは?と思います。 > >(佐藤) > 頑張らなくとも、祈り、頼めばよい。 > 愚民さんのいうように自己の力よりも「他力」に頼む、祈るのです。 私の理想は「神仏は敬すべし。もって寄るべからず。」(山中鹿之助?) ですが、行うは難しで、道通しです。 |
こんにちは 皆様 「鬼神は敬して、遠ざけるべし」論語 しろは |
▼秋明菊さん: >>●仏教 自我、自己を捨てることができれば救済、幸せ、になれる。 >> この世の本物がみえる。自我を捨てることは修行です。 これは小乗仏教の修行法です。 大乗仏教では,他人の幸福のために生きることを教えます。 >> 死んでも極楽へ行ける。 >> 全て仏に頼む。ナムアムダブツと唱え祈る。 >> これが救いの道です。 > >これは、日本の仏教の事ですね。いわゆる御利益仏教という。 浄土宗の基本的な教えで,成仏はしない。往生するだけです。 どこがちがうかというと,法然和尚はこう言っています。 「法華経や華厳経は正しいが,この世の人間がこのような修行をしても千人に一人も成仏しない。だから,阿弥陀仏におすがりして,阿弥陀仏がおられる西方浄土に生まれるように南無阿弥陀仏と唱える。法華経の修行は,西方浄土で阿弥陀仏のもとで行って成仏する。」 浄土宗では,自助努力をすること自体,阿弥陀仏に反しているとする徹底的な他力本願。自分自身は唱名する以外,何もしてはいけないし,何も考えてはいけない,という考え方が親鸞の教えとなる。もちろん,教義について学んではならない。 知るべからず,知らしむべからず。 >でも、お釈迦様の言葉?によると、極楽にお釈迦様は住まわれるが、地上の動植物は輪廻転生で次々と生まれ変わるので、極楽へは行く事がない、と思うのですが? 天台が書いた「摩訶止観」では,仏の住むのは寂光土,菩薩が住むのは実報土,二乗(声聞・縁覚)が住むのは方便土などとされるが,法華経では十界互具とされ,釈迦自身この娑婆世界(人間が住む世界)で仏になって常住していると法華経で明かされているので,法華経では地獄界の人間でも成仏できるとする。 法華経では,他の大乗仏典と違い,女人・二乗も成仏できるとする。法華経以外では,女人は男に生まれ変わらなければ成仏できないとされている。 二乗という人間は,賢く,自分で理屈を考えるので,(いくら賢くても仏智にはかなわないので)結局成仏できない種類の人間とされていた。だから,半端な学者(仏教を修行,研究する徒)ほど,成仏できないということらしい。 また,六道輪廻では生まれ変わったら新しい命を得るのではなく,以前の業(身口意の行いの集積)をもったまま生まれる。 天台の修行法は「観心」とされ,心の中に十方界を観る,覚知する,自分が仏であるということを悟る,ことが成仏であると説いている。 比叡山では,天台宗と言われるが,伝教大師から3代目くらいになると,密教(真言宗)の教えを取り入れており,純粋な天台宗ではなくなっている。また,3代目の末裔と,4代目の末裔が分裂し,山門派(比叡山)と寺門派(三井寺)に分かれてしまっている。 三回忌とかの仏事や卒塔婆などは,たぶん後生の僧侶が金儲けの手段として考えたものと思われます。仏教の元祖では,現在行われるような葬式・仏事に関することを書いたものは見られません。 仏教では,死んだら仏,ということもありません。俗説です。死んだ方に向かって,「仏になられました」という,一種の慰めやほめことばが世間に広まったということでしょう。 |
しげちよさま > >>>●仏教 自我、自己を捨てることができれば救済、幸せ、になれる。 >>> この世の本物がみえる。自我を捨てることは修行です。 > >これは小乗仏教の修行法です。 >大乗仏教では,他人の幸福のために生きることを教えます。 > >>> 死んでも極楽へ行ける。 >>> 全て仏に頼む。ナムアムダブツと唱え祈る。 >>> これが救いの道です。 >浄土宗の基本的な教えで,成仏はしない。往生するだけです。 >どこがちがうかというと,法然和尚はこう言っています。 >「法華経や華厳経は正しいが,この世の人間がこのような修行をしても千人に一人も成仏しない。だから,阿弥陀仏におすがりして,阿弥陀仏がおられる西方浄土に生まれるように南無阿弥陀仏と唱える。法華経の修行は,西方浄土で阿弥陀仏のもとで行って成仏する。」 >浄土宗では,自助努力をすること自体,阿弥陀仏に反しているとする徹底的な他力本願。自分自身は唱名する以外,何もしてはいけないし,何も考えてはいけない,という考え方が親鸞の教えとなる。もちろん,教義について学んではならない。 >知るべからず,知らしむべからず。 どこかで目にしましたが、お釈迦様も、やたら苦しいだけの修行には、疑問を持たれたようですね。 庶民にとっては、極楽往生が一番の望みになるのでしょうか? > > 天台が書いた「摩訶止観」では,仏の住むのは寂光土,菩薩が住むのは実報土,二乗(声聞・縁覚)が住むのは方便土などとされるが,法華経では十界互具とされ,釈迦自身この娑婆世界(人間が住む世界)で仏になって常住していると法華経で明かされているので,法華経では地獄界の人間でも成仏できるとする。 >法華経では,他の大乗仏典と違い,女人・二乗も成仏できるとする。法華経以外では,女人は男に生まれ変わらなければ成仏できないとされている。 >二乗という人間は,賢く,自分で理屈を考えるので,(いくら賢くても仏智にはかなわないので)結局成仏できない種類の人間とされていた。だから,半端な学者(仏教を修行,研究する徒)ほど,成仏できないということらしい。 >また,六道輪廻では生まれ変わったら新しい命を得るのではなく,以前の業(身口意の行いの集積)をもったまま生まれる。 > > 天台の修行法は「観心」とされ,心の中に十方界を観る,覚知する,自分が仏であるということを悟る,ことが成仏であると説いている。 >比叡山では,天台宗と言われるが,伝教大師から3代目くらいになると,密教(真言宗)の教えを取り入れており,純粋な天台宗ではなくなっている。また,3代目の末裔と,4代目の末裔が分裂し,山門派(比叡山)と寺門派(三井寺)に分かれてしまっている。 宗派によって、成仏できたり出来なかったり、随分違いがありますね。 実家が東本願寺で婚家が禅宗ですが、その2宗派だけでも随分違いがあります。 東本願寺では、何も考えずただ南無阿弥陀仏と唱え、仏にすがればよいのですね。でも、今は禅宗の家にいますし…私には、難しくてさっぱり判りません。 > 三回忌とかの仏事や卒塔婆などは,たぶん後生の僧侶が金儲けの手段として考えたものと思われます。仏教の元祖では,現在行われるような葬式・仏事に関することを書いたものは見られません。 > 仏教では,死んだら仏,ということもありません。俗説です。死んだ方に向かって,「仏になられました」という,一種の慰めやほめことばが世間に広まったということでしょう。 年に何回も和尚様にお会いしているのに、仏教の事をあまりに知らないので、物知りの老人党のみなさまに、簡単に教えて戴こうなんて不遜な事をしました。 丁寧に教えてくださって、ありがとうございました。 どうか、お気を悪くなさらないようお願い申し上げます |
▼しげちよさん: >浄土宗の基本的な教えで,成仏はしない。往生するだけです。 >どこがちがうかというと,法然和尚はこう言っています。 >「法華経や華厳経は正しいが,この世の人間がこのような修行をしても千人に一人も成仏しない。だから,阿弥陀仏におすがりして,阿弥陀仏がおられる西方浄土に生まれるように南無阿弥陀仏と唱える。法華経の修行は,西方浄土で阿弥陀仏のもとで行って成仏する。」 成仏と往生の違いも知りませんでした。 >浄土宗では,自助努力をすること自体,阿弥陀仏に反しているとする徹底的な他力本願。自分自身は唱名する以外,何もしてはいけないし,何も考えてはいけない,という考え方が親鸞の教えとなる。もちろん,教義について学んではならない。 >知るべからず,知らしむべからず。 「他力本願」は良く分かりました。ありがとうございます。 >二乗という人間は,賢く,自分で理屈を考えるので,(いくら賢くても仏智にはかなわないので)結局成仏できない種類の人間とされていた。だから,半端な学者(仏教を修行,研究する徒)ほど,成仏できないということらしい。 なんか面白いですね。 > 三回忌とかの仏事や卒塔婆などは,たぶん後生の僧侶が金儲けの手段として考えたものと思われます。仏教の元祖では,現在行われるような葬式・仏事に関することを書いたものは見られません。 なるほど、やはりあまりお金を掛けることはないようですね。 > 仏教では,死んだら仏,ということもありません。俗説です。死んだ方に向かって,「仏になられました」という,一種の慰めやほめことばが世間に広まったということでしょう。 そうですか。う〜ん、少し納得できないような。 私も勉強して数ヶ月なものですから大変勉強になります。 今後ともご指導お願いします。 ところで、禅宗や日蓮宗の考えはどのようになっているのでしょう。 ぜんぜん分かりませんので誰か教えて下さい。 |
▼愚民さん: >ところで、禅宗や日蓮宗の考えはどのようになっているのでしょう。 >ぜんぜん分かりませんので誰か教えて下さい。 わたしも半端知識と思いますので、詳しくは調べられた方がいいと思いますが、わたしの知識の中で書きます。 禅宗はあまり深く学習しなかったのですが、釈迦の最高の悟りを法華経としているようです。「正法眼蔵」にはそう書かれているようです。 ただ、釈迦の説法は文字を頼ってはいけない、釈迦が何を意味したのかはその心で知るべきである、とし、経文を読まず、自分で瞑想をして悟る、という立場だと思います。それが座禅です。しかし、天台宗のように、十法界を観るという具体的なことは、何もなかったように思います。 日蓮宗は、天台教学と骨格には変わりないと思いますが、天台・伝教の時代は像法時代であり、日蓮の時代は末法時代である、というところに起因しているようです。 確かに、天台も伝教も、書き残したものから推察するに、末法に焦がれていたようです。釈迦が現れて(これは釈迦に限らず仏が現れてから)千年は正法時代といい、次の千年を像法時代、次の千年を末法時代といいます。 法華経では、釈迦の仏教は末法にはその功力は失われる、と説かれているということです。そして、法華経はそれにもかかわらず、末法の民衆のために説かれている、ということらしいです。(天台) 像法時代の観念観法(瞑想して自分の中に十法界を観る修行)ではなく、日蓮宗では日蓮の建立した本尊(本尊は法華経であると明言されている)に南無妙法蓮華経という題目を唱えることが修行の一つであるとされています。題目を唱えること、この法華経を他の人に勧める(折伏する)ことを、この2つの修行で自己の中に十法界を見ることができ、成仏することができるとしているようです。 日蓮教学になると修行方法などは簡単になりますが、根拠となる内容(教学)はかなりむずかしいようです。 |
拈 華 微 笑 (?_?) |
仏教について語ることは簡単ではありません。この掲示板では無理かとも思いましたが、余りにも皆さんがあっさりと議論されているので、小生の意見を述べさせて頂きたいと存じます。 私の宗教に対する基本的な思考・信条は流水さんのスレッド”般若心経”の26119に述べました。心血を注いだ、というと大袈裟ですが、一生懸命に書いたのでお読み下されば幸いです。 原始(初期)仏教は釈迦の教えを伝え、自身(個人)が悟りを得る(小乗)仏教でしたが、在家信者が増え、(釈迦の教えに反して)仏塔(ストゥーパ)信仰が生まれるに及んで、大衆を救う大乗の教えが発生したとのことです。 小乗仏教の思考の精髄が般若心経だと思うのですが、五蘊一切空といっても大衆は救われない。如何にして仏に近づき、仏に救われるかを古の賢人達がそれぞれ考えたのでしょう。漢語訳の経典が渡来し、聖徳太子時代或いは南都六宗といわれる各宗派、更に日本化された鎌倉仏教の諸宗派が生まれました。 以前読んだ「日本仏教史」で著者末木文美士氏が後書きで「書けば書くほど仏教とは何か分からなくなる」と述べて居られたと思いますが、各派教義から修行の仕方まで全く異なります。 従って日本で仏教信者と言えば、真言宗なら空海の、浄土宗なら法然の、浄土真宗なら親鸞の信者ということになるのではないでしょうか。 釈迦の教えには地獄も極楽も、念仏も呪詛もない。あるのはただ、「如何に煩悩(貪欲,執着,我執)を捨て、悟りを得るか」という人生哲学のみです。 (ついでに言えば、輪廻転生というのは釈迦の発明ではなく、当時のジャイナ教やバラモン教で広く唱えられていた、いわば民間信仰のようなものであったらしいです。それに対し釈迦は、(生きることはは生病老死として「苦」であると考えられていたので)、真に悟ったものはもはや輪廻転生することがない、と説いて居られます。) 親鸞上人の「歎異抄」には、いかにも日本人らしい悩みが率直に語られていて(例えば有名な「たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ」というくだりなど)、私には好感が持てますが、禅などというものは未だ良く理解出来ておりません。公案に対する回答が一つでしかあり得ないなど、私には理解不能です。 私は26119に書いたように、初期仏教・般若心経の立場に立って生きてゆきたいと思っています。勿論煩悩の塊で、悟りの境地になど死ぬまで達し得ないと思いますが、それでも、世の中全てが「空」あるいは相対的な(種々の要素が偶々寄り集まり現れている、また相互に依存しあい,影響しあって変化してゆく不安定な)存在として、自己を(自己の思いを)客観化し,他人の思いも客観化して観じてみると、意外に自分も楽になり、それにより自分の思いも相手に伝えられるように思います。 しかし自分の死を客観視して迎えることが出来るか。 私の母は今年99歳で亡くなりました。50歳を過ぎてからキリスト教に入信し、かなり熱心に教会に通っていました。その人柄から、皆にも愛され、信じられていたようです。昨年入院してからは、神父さんが1時間半かけて隔週お見舞いに来られ、また親しい教会仲間も何回となく来てくれました。その度に母は半分意識不明の筈なのに、言葉や手振りで心から感謝を表していました。 教会での前夜祭,本葬の2回とも、牧師さんが故人の紹介をする時に涙ぐまれたのにも驚きましたが、二百余人の教会仲間に心から見送られて、(絶対者を信じることにより)母は本当に幸せだったと思います。 自分を「空」なる「色」の一つとみて、自分の死を客観視して受け容れることが出来るか。体力が無くなって意識朦朧として死んでゆけるとは限らないですから。 やはり日本人らしく阿弥陀さまなり、菩薩さまなりに手を差し伸べてもらう方が楽かも知れませんね。 これも26119にも書いたことなのですが、私は”気”或いはもしかしたら”霊魂”とも言うべきものの存在を信ぜざるを得ない経験をしているので(そのことについてはここでは触れませんが)、尚更時々悩んだりしています。ついて語ることは簡単ではありません。しかし皆さんが余りもあっさりと議論しておられるので、嫌われるのを承知で(なるべく短く)小 |
申し訳ありません。31846の最後2行半ほどを省いてお読み下さい。編集時のミスです。 |
皆さん! あっさりとカキコなさって頂けません? 肩のコル〜〜〜宗教学的議論ではなく、平々凡々と した凡夫の タワゴト や巷での『お寺さん』話し など日常の宗教との関わり・・・ソノアタリオ 楽 しく、うれしく、あるいは悲しく、はたまた悦 ♪ |
▼オセッカイ屋さん: >皆さん! あっさりとカキコなさって頂けません? > >肩のコル〜〜〜宗教学的議論ではなく、平々凡々と > >した凡夫の タワゴト や巷での『お寺さん』話し > >など日常の宗教との関わり・・・ソノアタリオ 楽 > >しく、うれしく、あるいは悲しく、はたまた悦 ♪ 楽しげなHNに惹かれて レスしました。 12月8日は 仏教徒にとりまして大事な行事 成道会 です。 平たく言えば菩提樹の下でお釈迦様が人生とは、苦とは 等等思索を重ねて 「悟りを開いた日」がきます。 オセッカイ屋さんの スレッドは グットタイミングでした。 日本に渡った仏教で最大で最短の言葉は 『有難う』ダト思います。 有る事が難しい、、、私がここにいるのは一個の卵子と 10億分の1この 精子が結びつき、 母の狭い産道を無事に通り抜け、生んで育っててもらい、 戦後の食糧難を何とか餓死しないで生き延び、、、、色んな人、物、空気 水 諸々のお陰で 今日此処に存在してるんで、、、。 仏教的には『諸法無我』ですね。 それを一言で言えば 有難うさんです。 外国に行っても其々の国の有難う一つ知ってると何とか為るさ、と教えて くれた 外国通の方のお話を聞いたばかりです。 其々の国で一番良い言葉なのかもしれません。オセッカイ屋さんありがとう! |