Page 1928 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼美空ひばりの体現した戦後! 流水 04/11/30(火) 19:39 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 美空ひばりの体現した戦後! ■名前 : 流水 ■日付 : 04/11/30(火) 19:39 -------------------------------------------------------------------------
美空ひばりは、誰が何といおうと、少女時代が良い。 中でも、【悲しき口笛】は最高だ。 「丘のホテルの 赤い灯も 胸のあかりも 消えるころ・・」(藤浦洸作詞 万条目正作曲) わたしが、この歌を知ったのは、ラジオである。何とも大人びた歌い方で、辛い現実を歌いながら、港の風景、海の彼方の幻想の国への想像を掻き立てる声だった。 現実的にいえば、今のイラクと同様に停電続きだった横浜で、自家発電によって煌々とした灯りをともし、真っ暗闇の日本人町を睥睨していた占領軍の米軍将校御用達の高級ホテルの明かりが落ちたころ、小雨に濡れた道を、さびしく口笛を吹きながら、肩を落として路地の奥へ消えていく敗残帰還兵の歌である。 わたしは、小さいとき、姉に手を引かれて、この白黒映画を、中学校のグランドにしつらえられた屋外の臨時映画場で茣蓙の上に座って見た。スクリーンがわりに張られた白い布が、風に吹かれて微妙に揺れるのである。これが、なんともこの映画に似合っていた。 夜の学校のグランドは、寒々しく、何もなかったが、空には満天の星が輝き、スクリーンの中の美空ひばりは文字通り天空の星のように輝いていた。 当時、NHKのラジオ歌謡で、「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 ・・・」(とんがり帽子:菊田一夫作詞 古関祐而作曲)という歌が流れていた。 戦後の子供たちは、この歌のイメージに憧れたものである。よく考えれば、これこそ占領軍のキリスト教的(外国的)イメージの押し付けだった。NHKは常に体制の賛美者であったことは、今も昔も変らない。 それに比べて、美空ひばりの「悲しき口笛」は違う。 敗戦帰還兵のデスペレートの心情を歌いながら、見事に明日への希望を歌い上げている。 こんな戦後を歌ったのは、美空ひばり以外にない。 悲しい歌を歌いながら、美空ひばりは悲しくない。彼女は、大好きな歌を、彼女の心のままに歌っていた。だからこそ、「悲しき口笛」は、辛い現実を歌いながら、希望の歌に聞こえたのであろう。 まさに、「天才」と呼ぶにふさわしい歌だった。 戦後歌謡史を語るとき、「りんごの歌」と「星の流れに」を対比させる場合が多い。 「赤いリンゴに唇よせて 黙ってみている青い空・・・」 戦後の解放を赤と青に象徴させたのであろう。そういえば、「とんがり帽子」も緑と赤だった。戦後の解放感には、赤と青の原色が似合ったのだろう。 一方、「星の流れに」はこう歌う。 「星の流れに 身を占って どこをねぐらの 今日の宿・・・」 ここには、解放感のかけらもなく、戦後の現実の前になすすべもなく堕ち行く自分を呪いながら、開き直って生きていくたくましさがある。 この二曲を戦後思想の対極とすると、美空ひばりの「悲しき口笛」は、見事に民衆的だった。 昨日まで「天皇陛下万歳」を叫んだ民衆が、明くる日には「Give me chocolate」に変身する日本民衆の強かなまでの生き方が反映されていた。 「戦争に負けたんだから仕方がない」と日常生活の苦労は我慢しながら、「今に見ていろ」と明日への希望は捨てない。 戦後の日本人は、そのように地べたにはいつくばって明日への希望を捨てずに生きてきた。 その意味で、美空ひばりの歌は、戦後民衆の心の底に錘を下ろしていた。 彼女が戦後が生んだ最高のスターである由縁である。 |