Page 1987 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼国語力、低下と少年犯罪、不祥事の増加との関連? 珍 源斎 04/12/10(金) 14:07 ┣Re(1):国語力、低下と少年犯罪、不祥事の増加との関連? 頑固生きがい 04/12/10(金) 16:15 ┃ ┗(2):国語力、低下と少年犯罪、不祥事の増加との関連? 天地 正 04/12/12(日) 14:49 ┗Re(1):国語力、低下と少年犯罪、不祥事の増加との関連? もの申す 04/12/11(土) 14:11 ┗Re(2):国語力、低下と少年犯罪、不祥事の増加との関連? 珍 源斎 04/12/12(日) 12:50 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 国語力、低下と少年犯罪、不祥事の増加との関連? ■名前 : 珍 源斎 ■日付 : 04/12/10(金) 14:07 -------------------------------------------------------------------------
最近、折りにふれて感じる事として、全般的に日本人の 国語力「日本語力?」が低下してる現実にぶち当たる ことがある・・。 折しも新聞記事によると世界各国に比べて国語力に 相当する読解力が低下して、順位を大きく下げたとあった。 人間にとっての言葉は単にコミュニケーションの道具ではなく 考えるために大切なものであり、言葉無くしては考えたり、想像する ことは出来ない。事の「原因〜結果」に至ることの想像力を構成 するのは言葉であり。 それに続く語彙が裏付けとなってるように思われる。 自分自身の事を理解するのも言葉であり・・ それに増して周囲の状況や他人のことを理解するのには 申すまでもなく言葉「言語=思考の単位」無くしては成り立たない。 良く犯罪を裁いた「裁判官の言葉」判決文に短絡思考により ・・何々を省みず、自己中心の行為は許し難い・・・・など良く聞く処ですが、 短絡思考も自己中心も思考力・想像力が低いことにより生じることと すれば思考力、想像力の低い原因には語彙不足や国語力の低いことが 先ず挙げられる。 ・・「私は理性なるものを構成するの裏付けは言葉であると思う。」 その言葉;国語力の基礎に当たる部分は小学生の時代そしてそれが 急速にかつ、濃密に発展するのは小学生の高学年から中学生にかけて あるのではないかと思う・・が、現状を省みるに・・ 日本の教育システム・取り分け旧文部省の国語・教育政策に 結果論として大きな疎漏があったのではないかと思う・。 ・・基礎固めが出来ない処へたてた建築物のように・・ 授業に興味が持てずに、やたらと私語を交わす大学生もその 傾向を物語るのではない・・か? ・・以上・・危機感を込めて考えさせられています。 |
▼珍 源斎さん: >最近、折りにふれて感じる事として、全般的に日本人の >国語力「日本語力?」が低下してる現実にぶち当たる >ことがある・・。 > >折しも新聞記事によると世界各国に比べて国語力に >相当する読解力が低下して、順位を大きく下げたとあった。 > >人間にとっての言葉は単にコミュニケーションの道具ではなく >考えるために大切なものであり、言葉無くしては考えたり、想像する > >ことは出来ない。事の「原因〜結果」に至ることの想像力を構成 >するのは言葉であり。 > >それに続く語彙が裏付けとなってるように思われる。 >自分自身の事を理解するのも言葉であり・・ > >それに増して周囲の状況や他人のことを理解するのには >申すまでもなく言葉「言語=思考の単位」無くしては成り立たない。 > >良く犯罪を裁いた「裁判官の言葉」判決文に短絡思考により >・・何々を省みず、自己中心の行為は許し難い・・・・など良く聞く処ですが、 > >短絡思考も自己中心も思考力・想像力が低いことにより生じることと >すれば思考力、想像力の低い原因には語彙不足や国語力の低いことが >先ず挙げられる。 > >・・「私は理性なるものを構成するの裏付けは言葉であると思う。」 > >その言葉;国語力の基礎に当たる部分は小学生の時代そしてそれが >急速にかつ、濃密に発展するのは小学生の高学年から中学生にかけて >あるのではないかと思う・・が、現状を省みるに・・ > >日本の教育システム・取り分け旧文部省の国語・教育政策に >結果論として大きな疎漏があったのではないかと思う・。 >・・基礎固めが出来ない処へたてた建築物のように・・ > >授業に興味が持てずに、やたらと私語を交わす大学生もその >傾向を物語るのではない・・か? > >・・以上・・危機感を込めて考えさせられています。 全く同感です。最近の若者は などと言い出すと途端に年寄りの愚痴やお説教と押しやられ、全く会話になりません。 ただここで問題にしたいのは、日本語の乱れが単に若者だけにとどまらず、テレビのアナウンサーにもこの傾向が多く見られることです。しかも民放ならいざ知らず NHKのアナウンサーにもおかしな言葉や、イントネーションを間違えて平気な顔をしていたりすると思わずテレビに向かって無駄とは知りながら怒鳴りつけたりして全くあほらしい限りです。 自称文化人とのたまう人にも 語尾があがるしゃべり方や じゃあないですか 等とおよそ日本文化とは程遠い程度の低い方を見かけますが、是非とも直していただきたい!と悲憤慷慨しています。言葉の乱れは文化の乱れ、若者の教育の前に自分の自己改革をお願いしたいと念願しています。 |
▼頑固生きがいさん:最近、折りにふれて感じる事として、全般的に日本人の国語力「日本語力?」が低下してる現実にぶち当たるがある・・。>折しも新聞記事によると世界各国に比べて国語力に相当する読解力が低下して、順位を大きく下げたとあった。 人間にとっての言葉は単にコミュニケーションの道具ではなく考えるために大切なものであり、言葉無くしては考えたり、想像することは出来ない。事の「原因〜結果」に至ることの想像力を構成するのは言葉であり。それに続く語彙が裏付けとなってるように思われる。 困った問題だらけです。すべてが間違いだらけです。 文部省は個性のある先生を現場から抹殺している。 文部省通達・指導要綱等々入学式、卒業式等における君が代斉唱、ゆとり教育とか土曜日の休校。他諸学校行事で授業時間の不足。君が代は歌ったが声が小さい、校長、教師の再教育だとか、流れに沿った教育をしていれば、学力低下も起きるのが当然です。文部省、日教組は子供達、日本の将来が課せられている。先生は聖職者と思えば労働者だなんて、文部官僚よ本当に子供のことを考えているのか。 君が代は歌うのが当然。強制はどうか?とおっしゃったかたがいました。何かそのことばかりで、その他が誤魔化されている。服装は乱れ、女子のスカートは短く、男子はシャツを出しズボンはずらしてはき地べたに座る。外国の方が見て、何と思うか、家庭にも問題はある。教職員はどう思うか、指導要綱に無い問題だとすれば 学校長、教職員はどうですか、家庭からあのファッションで、学校現場へ授業が終われば家庭に戻る。この様な現状が総てに繋がる問題の原点だとも思います。 |
現役の頃、若手社員に取引先への手紙を書かせて唖然としたことがある。 まるで日本語になつていないのである。誤字脱字は序の口で起承転結などお構いなく、小学生の作文に等しいものだった。書いた社員はいずれも日本有数の有名大学を卒業して入社した者たちで、OECDの学力国際比較を待つまでもなく国語力の低下を身をもって知らされたことを鮮明に覚えている。 彼等の国語力を低下させた原因は様々だろうが、一番印象に残っているのは彼等の読書量が極端に少ないことと、文学書にまるで接していないことだった。 漱石や芥川龍之介の名前は知っていても、その著作を読んだことがないというものが大半であった。作者とその作品は入学試験に出るので必死になって覚えたと言う。 そのような彼等も入社10年もすれば中堅として活躍するが、10年経っても彼等の文章力はさほど進歩していなかった。しっかりした手紙が書けなくとも取引先との契約書は法務部門の専門家が作成してくれるし、余程重要な事柄でなければ電話で済ますことができ、自ら文章を書くチャンスはますます少なくなってゆく。 彼等が子供の教育に関心を持つ年頃になっても、子供に正しい文章の書き方を指導することはまず不可能だろう。国語力の低下は今に始まったことではなく、年々低下した国語力のDNAを子供が受け継いできた結果なのだから。加えて創造力よりも丸暗記を重視するような入学試験が、彼らの能力低下に拍車をかけたのではあるまいか。 ワープロやパソコンの多用が漢字力を低下させているのも事実であり、ゲームや絵文字の隆盛も国語力低下の一因かも知れない。意思伝達の手段として国語力の重要性は言うまでもないが、それならば尚更優れた書物に接する機会を増やすことが必要である。その為には教育のあり方を根本から変えなければならないが、仮に改めたとしてもその効果を確認できるのは5年、10年先のことである。生徒・学生の学力向上は最低でも10年がかりの大仕事だと思う。 |
もの申すさん:こんにちわ! 私の問題提起スレッドをお目通し頂き、かつコメントを頂き有難うございます。 >現役の頃、若手社員に取引先への手紙を書かせて唖然としたことがある。 >まるで日本語になつていないのである。誤字脱字は序の口で起承転結などお構いなく、小学生の作文に等しいものだった。書いた社員はいずれも日本有数の有名大学を卒業して入社した者たちで、OECDの学力国際比較を待つまでもなく国語力の低下を身をもって知らされたことを鮮明に覚えている。 > >彼等の国語力を低下させた原因は様々だろうが、一番印象に残っているのは彼等の読書量が極端に少ないことと、文学書にまるで接していないことだった。 >漱石や芥川龍之介の名前は知っていても、その著作を読んだことがないというものが大半であった。作者とその作品は入学試験に出るので必死になって覚えたと言う。 > >そのような彼等も入社10年もすれば中堅として活躍するが、10年経っても彼等の文章力はさほど進歩していなかった。しっかりした手紙が書けなくとも取引先との契約書は法務部門の専門家が作成してくれるし、余程重要な事柄でなければ電話で済ますことができ、自ら文章を書くチャンスはますます少なくなってゆく。 > >彼等が子供の教育に関心を持つ年頃になっても、子供に正しい文章の書き方を指導することはまず不可能だろう。国語力の低下は今に始まったことではなく、年々低下した国語力のDNAを子供が受け継いできた結果なのだから。加えて創造力よりも丸暗記を重視するような入学試験が、彼らの能力低下に拍車をかけたのではあるまいか。 全くその通りだと思います。考えずに済んでしまう雰囲気と マニュアルに頼りで、考えようとしないことによる弊害は既に 重大な産業事故などの原因として由々しきもんだいになってます。 >ワープロやパソコンの多用が漢字力を低下させているのも事実であり、ゲームや絵文字の隆盛も国語力低下の一因かも知れない。意思伝達の手段として国語力の重要性は言うまでもないが、それならば尚更優れた書物に接する機会を増やすことが必要である。その為には教育のあり方を根本から変えなければならないが、仮に改めたとしてもその効果を確認できるのは5年、10年先のことである。生徒・学生の学力向上は最低でも10年がかりの大仕事だと思う。 ワープロに頼りすぎると仰有るとおりの弊害に加えて想いや考えを 単純明快に表せずに「ついつい饒舌ぎみの長文化」になることは 常々感じて反省してます・・が。 明治時代に国を背負った方々の文章を拝見しましたが、実に簡潔・明瞭な ことで尊敬と共に感動を覚えました。 読み書き「言語能力は思考、想像力、洞察力」も含め人間らしさの 根幹に直結するものと思いますので、心して行かねば日本の将来にも 影響は必至であると感じて危機感をもって案じております。 |