Page 199 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼キリコに見る時代の不安 流水 04/3/9(火) 8:10 ┗Re(1):キリコに見る時代の不安 フルーツ 04/3/12(金) 3:33 ┗Re(2):キリコに見る時代の不安 流水 04/3/12(金) 5:54 ┗Re(3):キリコに見る時代の不安 フルーツ 04/3/13(土) 2:02 ─────────────────────────────────────── ■題名 : キリコに見る時代の不安 ■名前 : 流水 ■日付 : 04/3/9(火) 8:10 -------------------------------------------------------------------------
学生時代、大原美術館のキリコの絵(ヘクトールとアンドロマケーの別れ)を見たときの衝撃は忘れられない。大原美術館には、印象派の名画だけでなく、現代絵画も多数おさめられており、キリコ・ダリ・ミロ・フォンタナなどいわゆる現代絵画も多く収蔵されている。 その中で、フォンタナの絵とキリコの絵は、とりわけ衝撃的だった。フォンタナの絵は、真っ赤に塗ったカンバスを斜めに三本鋭い刃物で切り裂いていた。 カンバスを切り裂くという行為は、カンバスに塗り込められた過去の絵画を否定する、というフォンタナの明確な意志の表現である。 わたしには、フォンタナの絵より、さらにキリコの絵が衝撃的だった。 ロボットのように顔のない人間が描かれ、背景には深い緑色が、塗り込められていた。 その絵の前に立つと、なんとも言えない「不安な感情」を掻き立てられた。 大原美術館の本館にある印象派を中心とした絵画の前に立つのと、全く異質な感覚に襲われる。 セザンヌにしろルノアールにしろ、ゴーギャンにしろ、コローにしろ、こんな不安な感覚に襲われることはない。 むしろ、「浄化(カタルシス)」された感覚を覚える。 ところが、キリコの絵は、そうではない。彼は、科学文明の行き着く先の時代を予見したのであろう。 顔や表情を失った人間の背景に、見るものに何とも名状しがたい不安な感覚を掻き立てる「深い緑」をカンバスに塗ったのである。 「これが、われわれの生きている時代だ」と語りかけているように。 すぐれた芸術家がそうであるように、彼の予言は当たりつつある。20世紀末から21世紀初頭にかけてのわれわれの時代は、フォンタナのカンバスの鋭い裂け目が開き、キリコの深い緑よりもさらに深い暗黒の裂け目が目の前に広がっている。 米国で衝撃を与え、日本でも評判を呼んだ「羊たちの沈黙」は、キリコの「深い緑」に象徴される不安な時代を生きる人間たちの「病んだ精神」を描いている。 ロボットになり、顔も表情も自分自身が何者かすら見失った人間が、主体性を取り戻すには、キリコやフォンタナのようにこの現実を逃げずに見続ける以外にない。 21世紀が「宗教の時代」というのは、時代に翻弄される人間の不安が増大しているからである。だから、中には自らの主体性を何かに【仮託】して、自分の顔を取り戻したと錯覚する(ないしは、錯覚したい)人間が出てきてもおかしくない。 これが世界的な「カルト宗教の増大」「ナショナリズムの復活」につながっている。 インタネットのどこの掲示板でも、自分自身が【国家】であると錯覚したように、敵対者だと思い込んでいる組織・人間に対して、執拗な攻撃をかける人間がいる。 また、【宗教的信念】を執拗に繰り返す人間もでる。 彼らもまた時代の犠牲者なのである。 キリコの不安に耐え切れない人間の一つの逃げ道なのだと思う。 たしか、【存在の耐え切れない軽さ】という映画かあった記憶がある(記憶が定かでないので間違っていたらご容赦)が、この【耐え切れない軽さ】に耐え切れなかった人間の、【存在確認】の姿だと思う。 だから、彼らは決して自らの行為に対して反省しない。もし、反省するならば、【自らの存在の軽さ】それ自体に耐え切れないのだから。 |
流水さん、初めまして。 なかなか哲学的なお話で、ちょっと感動(?)しました。 絵画がお好きなんですね。 キリコとかダリなんかは、かなり風刺的な感じですよね。 ミロやルノアール、シャガールなどの方が、暖かみを感じホッとします。 彼らが日本人好みの画家と言われるのも、何となくわかる気がします。 |
▼フルーツさん: >> >ミロやルノアール、シャガールなどの方が、暖かみを感じホッとします。 >彼らが日本人好みの画家と言われるのも、何となくわかる気がします。 いずれも大原美術館にあります。 特に、ルノアールは大好きです。色使いが素晴らしい。 ミロは、楽しい漫画ですね。 わたしが何度か大原美術館に通った当時は、見学客も少なく、それこそルノアールの絵の前で昼寝もできるくらい静かでした。 |
お昼寝も出来る位って・・・季節に寄ってはそうかもしれませんね。 私は3度行ったことがありますが、 その時の年齢によって受ける印象も変わって来ますね。 |