Page 2121 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼食料の自給率を考える。 珍 源斎 04/11/30(火) 17:14 ┣Re(1):食料の自給率を考える。 王里 04/11/30(火) 22:54 ┃ ┗Re(2):食料の自給率を考える。 珍 源斎 04/12/1(水) 11:09 ┃ ┣Re(3):食料の自給率を考える。 北の老兵 04/12/1(水) 11:32 ┃ ┃ ┣Re(4):食料の自給率を考える。 珍 源斎 04/12/2(木) 13:13 ┃ ┃ ┗Re(4):食料の自給率を考える。 ほい 04/12/2(木) 18:14 ┃ ┃ ┗Re(5):食料の自給率を考える。 珍 源斎 04/12/4(土) 14:24 ┃ ┗Re(3):食料の自給率を考える。 風谷 米造 04/12/4(土) 17:42 ┃ ┣Re(4):食料の自給率を考える。 珍 源斎 04/12/4(土) 20:58 ┃ ┗Re(4):食料の自給率を考える。 市民賢 04/12/11(土) 20:56 ┃ ┗Re(5):食料の自給率を考える。 風谷 米造 04/12/11(土) 21:53 ┃ ┗足るを知る、調和を知る知恵 その1 退役軍人 04/12/11(土) 23:53 ┃ ┗足るを知る、調和を知る知恵 その2 退役軍人 04/12/12(日) 0:02 ┃ ┗足るを知る、調和を知る知恵 その3 退役軍人 04/12/12(日) 0:14 ┃ ┗Re(1):足るを知る、調和を知る知恵 その3 風谷 米造 04/12/12(日) 20:52 ┃ ┗Re(2):足るを知る、調和を知る知恵 その3 市民賢 04/12/12(日) 21:48 ┃ ┗Re(3):足るを知る、調和を知る知恵 その3 風谷 米造 04/12/14(火) 20:58 ┣Re(1):食料の自給率を考える。 北の老兵 04/12/4(土) 15:38 ┃ ┗Re(2):食料の自給率を考える。 数理梵哲 04/12/4(土) 17:47 ┃ ┗Re(3):食料の自給率を考える。 MNG 04/12/4(土) 18:38 ┃ ┗Re(4):食料の自給率を考える。 数理梵哲 04/12/6(月) 11:42 ┃ ┗Re(5):食料の自給率を考える。 市民賢 04/12/23(木) 20:40 ┃ ┗Re(6):食料の自給率を考える。 数理梵哲 04/12/25(土) 17:25 ┃ ┗Re(7):食料の自給率を考える。 松 04/12/26(日) 6:41 ┃ ┗Re(8):食料の自給率を考える。 数理梵哲 04/12/26(日) 8:38 ┣Re(1):農業の自立を阻害してきた補助金 珍 源斎 04/12/6(月) 17:56 ┃ ┗Re(2):農業の自立を阻害してきた補助金 風谷 米造 04/12/7(火) 22:22 ┃ ┣Re(3):農業の自立を阻害してきた補助金 北の老兵 04/12/8(水) 16:27 ┃ ┗Re(3):農業の自立を阻害してきた補助金 珍 源斎 04/12/8(水) 16:54 ┃ ┗Re(4):農業の自立 ▼北の老兵 殿:▼珍 源斎 殿: 風谷 米造 04/12/8(水) 22:48 ┣Re(1):食料の自給率を考える。案山子3体 山田の案山子 04/12/6(月) 18:03 ┣Re(1):食料の自給率を考える。 昼寝もぐら 04/12/6(月) 22:42 ┣新農法に期待 琉風 04/12/8(水) 15:32 ┃ ┗Re(1):新農法に期待 しろは 04/12/8(水) 15:58 ┣Re(1):にわとりの復活を思う。 珍 源斎 04/12/8(水) 22:20 ┃ ┣Re(2):にわとりの復活を思う。 月光仮面のおじいさん 04/12/9(木) 8:30 ┃ ┃ ┗Re(3):にわとりの復活を思う。 珍 源斎 04/12/9(木) 23:15 ┃ ┗Re(2):にわとりの復活を思う。 ニック 04/12/11(土) 22:52 ┣Re(1):農地はただ? 王里 04/12/9(木) 9:41 ┣食料自給率向上は農村の景観を守ることから。 風谷 米造 04/12/9(木) 23:15 ┃ ┗Re(1):食料自給率向上は農村の景観を守ることから。 珍 源斎 04/12/10(金) 15:05 ┃ ┗Re(2):食料自給率向上は農村の景観を守ることから。 北の老兵 04/12/10(金) 15:47 ┃ ┗Re(3):食料自給率向上は近未来の子孫への義務!から。 珍 源斎 04/12/10(金) 17:18 ┣食糧・農業生産物の泉源は何処に? 珍 源斎 04/12/16(木) 12:29 ┃ ┣Re(1):食糧・農業生産物の泉源は何処に? 北の老兵 04/12/16(木) 14:03 ┃ ┃ ┗Re(2):食糧・農業生産物の泉源は何処に? 市民賢 04/12/16(木) 19:18 ┃ ┗Re(1):食糧・農業生産物の泉源は何処に? 数理梵哲 04/12/18(土) 18:45 ┃ ┗Re(2):食糧・農業生産物の泉源は何処に? 珍 源斎 04/12/19(日) 18:43 ┃ ┗Re(3):食糧・農業生産物の泉源は何処に? 数理梵哲 04/12/25(土) 17:43 ┃ ┗Re(4):食糧・農業生産物の泉源は何処に? 珍 源斎 04/12/26(日) 13:40 ┣Re(1):家庭菜園も自給率を高める一助に! 珍 源斎 04/12/18(土) 9:38 ┃ ┗Re(2):家庭菜園も自給率を高める一助に! 王里 04/12/18(土) 12:08 ┃ ┗Re(3):家庭菜園も自給率を高める一助に! 珍 源斎 04/12/26(日) 14:14 ┃ ┗Re(4):家庭菜園も自給率を高める一助に! 市民賢 04/12/27(月) 20:54 ┃ ┗Re(5):家庭菜園も自給率を高める一助に! 珍 源斎 04/12/28(火) 0:40 ┣Re(1):食料の自給率&エネルギーを考える。 珍 源斎 04/12/21(火) 1:02 ┃ ┗Re(2):食料の自給率&エネルギーを考える。 市民賢 04/12/21(火) 20:18 ┃ ┗Re(3):食料の自給率&エネルギーを考える。 珍 源斎 04/12/22(水) 21:28 ┣Re(1):食料の自給率を考える。 珍 源斎 04/12/23(木) 14:32 ┗主な先進国の穀物自給率の変遷 ニック 04/12/28(火) 1:00 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 食料の自給率を考える。 ■名前 : 珍 源斎 ■日付 : 04/11/30(火) 17:14 -------------------------------------------------------------------------
食糧自給率について11月30日付けの朝日新聞・朝刊に掲載された 囲み記事によると「なぜか16%アップ?!」とあった。 その内訳?は廃棄したり食べ残した食糧を除いて計算すると、現在の食糧率40%が・56%に達すると云う試算をまとめたとのこと・・・・。 食糧自給率は供給される熱量「カロリー」に国産食糧による熱量の比率・・・。 輸入品を含め国内に供給されたすべての食糧によって得られた熱量の総量を、 人口と年間日数で割って供給熱量を計算するそう・・な。 前述の自給率56%であるとする試算は実際に食べられた熱量で 計算したとのこと・・・。 実際に食糧自給率を向上させる為には、地産、地消に加えて生産、 流通経路にて選別・廃棄される規格外品も消費に加えたり、 賞味期限などの規制に幅を持たせるとか・・、 土地に余裕のある農家的な家庭では庭先園芸・農芸・家畜飼育「鶏飼育」など ・元気なお年寄りや子供達にも手伝ってもらう等々で、かつての田園的な農村風景が復活すれば相当数の自給率向上に寄与するのではないか。 生ゴミにあたる残飯類も餌や肥料に還元できるし、広い意味での省エネ効果も 期待できる。 欧州やアメリカでの農村風景には現在でも田園的な農村風景を見ることができる。 それは、のどかで潤いのある風景である。 フランスやイタリアの街で見られる近隣の農漁村民が開いてる市場の様子は品数も豊富なうえに新鮮そのもの・加えて元気な「おじさんや・おばさん達が」売ってる 姿は共に健全な食生活が営まれてることを物語る風景であります。 地産・地消が健全に機能してることを現してます。 日本でもそのような市「いち」は何処にでもありましたが、今ではそれは 限られてるようです。一度・食料の自給に寄せて考えてみませんか・・?。 |
▼珍 源斎さん: >フランスやイタリアの街で見られる近隣の農漁村民が開いてる市場の様子は品数も豊富なうえに新鮮そのもの・加えて元気な「おじさんや・おばさん達が」売ってる >姿は共に健全な食生活が営まれてることを物語る風景であります。 > >地産・地消が健全に機能してることを現してます。 >日本でもそのような市「いち」は何処にでもありましたが、今ではそれは >限られてるようです。一度・食料の自給に寄せて考えてみませんか・・?。 近頃、産直市というのが流行のようです。生産者が流通経路にのせず直接販売するシステムで新鮮で安いのが魅力となって人気を集めています。さがせば、結構あちこちで開かれているようですよ。私の近所では生産者が名前いりで出荷してますので、同じ品物でも売れ具合に違いがあるそうです。 |
王里さん: 早速のレス有り難うございました。 > >近頃、産直市というのが流行のようです。生産者が流通経路にのせず直接販売するシステムで新鮮で安いのが魅力となって人気を集めています。さがせば、結構あちこちで開かれているようですよ。私の近所では生産者が名前いりで出荷してますので、同じ品物でも売れ具合に違いがあるそうです。 そうですね!良い方向への動きではないかと思います。 現在のような大量消費時代の以前では、普通のことでした。 その頃は地産地消が機能しており食料自給率は少なくても ヨーロッパの水準にあったようです。 今でも能登地方の輪島の朝市や地方に残ってる〜何々市はその面影を 残すようなものが見られますね。 要は、大量消費、大量流通時代と共に失われてしまったものが あり、その結果、諸々の弊害が顕わになってるようです。 ヨーロッパから発した市民運動的のスローライフ・スローフーズ 運動の主旨・生活の主体を市民に戻すことの目的意識をもっており その徹底が環境、健康、暮らし向きの改善に大きく役立ってる ことのようです。 ひたすら拡大を目指し欲望肥大型「グローバル経済?」の破局に向かって 「ひた走る」ような事では無く、持続可能な循環型の生活基盤の建設が エネルギーや環境問題の解決の糸口があるように思えます。 基本的なキーワードとしては「足を知る」ことに尽きるようです。 |
▼珍 源斎さん: こんにちは! 私も同意見です。 「わたし"の日本国家像」というスレッドの【33533】に述べた事と通ずるところがあります。近年の地震は別として、台風や水害、海面の上昇なども地球温暖化が原因と言われています。万物の霊長と言われる人間は、今一度立ち止まって考え直す必要があります。 イデオロギー、宗教等で対立している場合じゃないですよね。今のままの状態が続いたら全ての生物が滅亡する時期もそう遠くないような気がします。 本当に人間という動物は愚かです。 |
北の老兵さんへ レス・コメント有難うございました。 【33533】を拝見しました。全くその通りですね。 現在、様々な問題が露呈してますが、食料の自給率・ 環境問題・少子化のこと・経済や・暮らしのこと等々 総ての根幹にあたる部分は、竹の根っこのように繋がってるように 思えます。人間の持つ、知性と理性をもって全体像を理解することが 出来なければ、モズラ叩きゲームのようなことに終始して 改善・改革には到底及ばないので・・はないかと思います。 日本では肝心な時に「偉い人たち」が「思考停止症候群」を 発症して真の問題解決にならない「足して2で割る結論」や、あまつさえ 問題の先送りに明け暮れるさまは日本の悲劇の随所に見受けられます。 今までや過去はそれで凌げたかも知れません・・が、 これからの近未来はそれでは「アカン」ようです。 性根「しょうね」を入れ替えて望まねばならない破断界が迫り来る ように思えてなりません。 |
本当の危機は思わぬところからきます。かつて戦争で勝ち続けた日本は太平洋戦争でボロボロになりました。次に経済で成功しましたがバブル崩壊でめちゃくちゃに・・・。今度は食料かもしれません。 >イデオロギー、宗教等で対立している場合じゃないですよね。今のままの状態が続いたら全ての生物が滅亡する時期もそう遠くないような気がします。 本当に人間という動物は愚かです。 目先の事しか考えないうちはダメです。 |
食料の自給率の向上には、国の基本的な自立の意味も 大きく含まれてるように思えます。 既に国際的な食料「穀物に関わる市場」は「買い手市場から売り手市場」 へと趨勢は移ってます。 更に昨今の異常気象が穀物の主生産地帯を干ばつや長雨、洪水 日照不足、等々に影響を及ぼしてますことも考慮しなければなりません。 要は集約的な大規模農業に全面的な依存から生産から地産、地消も 含めてローカル的な」生産システムを平素の心がけとして維持する ことが近未来的なことで最重要であるのではないでしょうか。 欧州や北欧諸国では今に始まったことでなく、終始一貫して それらの構築に国を挙げて取り組んでることは随所に その形や成果を見ることができます。 |
▼珍 源斎殿: 興味深く、あなた様のご投稿読んでおります。 「足るを知る」同感です。 今、一番求められてる意識だと思います。 これは、食糧の生産者も、食糧の消費者にも求めなければならないものだと思っております。 実いう私も成り上がり百姓でありまして、辺ぴな地において細々と農耕に精を出しております。 現在の農業を見ておりますと、利潤の追求が第一位でありまして農業が商業化している状況が見られます。 かと言って、利潤の追求が悪いとは申しません。 人間、生活する上でお金の存在は必要です。 そこで、足るを知るです。 百姓は、商業主義に踊らされず、消費者の我侭に弄ばれずコツコツと信念を持って農耕にいそしみたいものです。 食糧生産は、我が国の国防と捉えております。 そして、農業は安全な国土がなければできません。 日本は昔より「農は国の大本」としてまいりました。 そこには、産霊が作物に宿るという発想というか、農の心があったわけです。 その心を大事にし、国を栄えさせてまいりました。 ひとつの国土、国家、国民の優れたバランスを2000年以上も維持してきました。 ところが、今はその心も失われ作物。。米や野菜は商品化された営業化された農産物と変化しました。 そこら辺りに日本農業、敷いては日本全体の荒廃化があるように思えます。 環境の悪化、農村の過疎化、人心の荒廃。。。 それらも、日本人が産霊というものが見えなくなった結果に思えてし方ありません。 今一度、国土に根ざした産業の精神を復活させたいものです。 |
風谷 米造 さま ご丁重なるレス・コメント有難うございました。 的確にまとまったご意見、その通りしであると存じます。 いつの間にか日本は何処へ行ってしまったのか? そして何処へ行くのか? この処、政治にしても日本人の家族観やマインドにしても 何とも、心許「こころもと」ないことが日々が続いており 気懸です。・・仰有るように環境・人心の荒廃と云うことに尽きます。 私は、首都圏に居住してますが、時折、北海道をはじめ地方都市を 訪れる折りに感じる地方「経済」の疲弊は一目で察せられることに いい知れない寂しさを覚えます。 日本の戦後の復興とその後の発展は地方を搾取、収奪してきた ことにあると断ぜられます。 「足を知らず」に欲望の赴くままに実を取らずに虚を追い求めたことで その大きなツケ「勘定書」が廻ってきてるようです。 日本人の精神的な復興など大それた事を申す立場にはありませんが、 食文化や地方文化・環境の復興を願い考えねばと存じます。 想いは具現化すると云う、宇宙の法則に照らして、 何とかせねばとの「多くの人々の想いが結集」すれば大きく事態の 改善に向かうエネルギーが発生するのでは・・と思います。 少なくても無知、無関心は大罪であるとする・原因と結果の法則 「大宇宙の法則」に当てはまることになります。 歴史を見れば大戦から敗戦に至った道も国民が真実を見通せなかった こと、或いは、無知、無関心、そして思考停止症候群に陥ったことに あります。12月8日が間もなくの「折しも」考えさせられてます。 |
ようするに今の自民党ではどうしようもないわけですね。というか、あの政治家の方々も元はといえば農民階級出身の人たちが圧倒的に多いわけでして、それがなぜ政治家になったとたんにやれ減反政策とか米の自由化とかを平気でやるのかよくわかりません。 私も団塊の世代の一番後の部類で、あと十年ほどで定年を迎えるわけですが、三重県の方の棚田で日曜百姓をやって十年、もはや公的年金制度もあてにはなりませんので、なんとか自給自足体制(いわゆるパーマカルチュア)で生きていこうと実験を試み中です。最近は若い人たちも結構農業に感心を持つ人たちが増えて心強い限りです。 |
▼市民賢殿: >ようするに今の自民党ではどうしようもないわけですね。というか、あの政治家の方々も元はといえば農民階級出身の人たちが圧倒的に多いわけでして、それがなぜ政治家になったとたんにやれ減反政策とか米の自由化とかを平気でやるのかよくわかりません。 >私も団塊の世代の一番後の部類で、あと十年ほどで定年を迎えるわけですが、三重県の方の棚田で日曜百姓をやって十年、もはや公的年金制度もあてにはなりませんので、なんとか自給自足体制(いわゆるパーマカルチュア)で生きていこうと実験を試み中です。最近は若い人たちも結構農業に感心を持つ人たちが増えて心強い限りです。 三重県在住の方とは、これは奇遇であります。 私も紀伊半島に住んでおります。 自民党でも如何なる政党でも無理であると思います。 政党政治がもはや無理であると思っております。 (これについては私見省きます。) 自給自足の考えには反対しませんが、これで全てが解決するものではありません。 やはり、農業は共同作業こそ基本かと考えております。 その共同作業を行うには社会が必要です。 個人的自給自足では豊かな生活はおくれません。 あくまでも地域共同体・社会を良くするという意識が無くては、いくら若者が農業に関心をもっても国土の無駄使いであると思っております。 |
風谷米造さん、初めましてよろしく。 ここでは「ネットウヨ」とか「アラシ」とか忌み嫌われている退役軍人と申します。(苦笑 中学生の時に、祖父から命じられて、山の田の「朝の水落とし」と「夕の水上げ」をやった経験を持っています。 平地の田んぼに比べて水温が上がりにくい山の田は、田んぼの水位を日照のある時間帯は低くして水温が上がりやすくし、夜は冷えにくいように水位を上げる作業を毎日しなければならなかったからです。 で、仙人の寓話を紹介させて頂きます。 ▼風谷 米造さん: >あくまでも地域共同体・社会を良くするという意識が無くては、いくら若者が農業に関心をもっても国土の無駄使いであると思っております。 調和を知る知恵 その1 (たわけの語源) 足るを知るとの風谷米造さんや珍源斎さんの書き込みがあり、その内容は大変興味深いものでした。 そこで、以前にお世話になった島根県某村の総務課長さんのお話を紹介したいと思い、この書き込みをいたします。 まぁ、課長さんのお話は目から鱗のお話ばかりで私にしてみれば ”仙人のうんちく” みたいなものでした。 で、ここでは ”仙人” として登場していただきます。 ここで紹介する言葉の定義は随分昔のお話で ”足るを知る” どころか、 ”足りないものでどうやって生き延びるか” が命題だった頃のお話です。 “たわけ者” (田分け者) の語意と語源について ご存じのように “たわけ者” という言葉は “愚か者” と同じで思慮に浅く愚かな行為をしてしまう者への戒めの言葉ですが、その根底には愛情があるのだそうです。 ではまず、 “田分け者” の語源について。 仙人曰く、 「昔は一反の田から五俵ぐらいしかとれんかった。 普通の百姓では年貢を納めれば食うのがやっとだった。 じゃけぇ、田を分けるちゅうことは集団自殺するのと同じ意味があったんじゃ。 昔は長男が後を継いで次男坊三男坊は嫁も貰えんし飼い殺しじゃった。 まぁ、作男(昔の農業労働者 喰わせて貰うかわりに働いた 当然給料みたいなものはなかった。)みたいなもんよ。 親としちゃあ、子はみな可愛いじゃろ。 そりゃあ ”田分け” して一家を構えさせ、嫁御も貰ろうてやりたいというのが親の心情じゃ。 そうしてしまえば “嫁の口” が増えるじゃろ。 嫁を貰ろうたら “オ**”に精出すじゃろ、それでまた “子の口” が増える、 一族の頭数が増えて、 みな食えんようになるんじゃ。 まぁ、人情に負けて皆を食えなくしてしまう、親馬鹿ちゅうか、お人好しを表した言葉じゃ。」 「なんちゅうても”オ**”ほど気持ちの良いものはないからのう、そりゃあ男親としちゃあ息子に”両足の間の息子”と同じ気持ちの良い思いをさせてやりたいじゃろ。 今みたいにテレビもラジヲも無いし、日が暮れてからの楽しみと言えば “オ**”しかないじゃろ。 アッハッハァ わしも好きじゃが、 退役軍人さん あんたも好きじゃろ。 アーッハッハ。 普通嫌いな者はおらんじゃろ。 アッハッハー」 ここで一同、大爆笑 自然の恵みと農作業から得られる物で、生き残るための方法と人間としての情の相剋を笑い飛ばした ”仙人の寓話” と感じていただければと思います。 失礼いたしました。 |
調和を知る知恵 その2(瀬わけの語源) ではまず、 “瀬分け” ってなに?から。 田植えの前から水を落とすまでの間、水田には水が張ってあります。 この水を張るために灌漑用の小川などをせき止めて、水位を高くするのです。 川魚たちにとっては安全な深みがいたるところにできます。 フナとか泥鰌等が、夏の間に大きくなります。 さて水を落とす時期になると郷(脚注参照)ごとに、瀬上げという共同作業をしていたそうです。 それぞれの家から人を出して共同でこの魚をつかまえるのです。 これを“瀬上げ”というのだそうです。 ★脚注 島根では郷というそうです。私の田舎では門内といいます。 まぁ小さな集落の自治会組織、いや互助会といったほうがいいかもしれません。 私の田舎では水田の灌漑用の水源として、 同じ小川や水路を使う農家が同じ門内だったそうです。 さて本題の瀬分けです。 まず、つかまえた魚を持ち寄ります。 参加者それぞれの獲物の重さ(合計)を計ります。 そして世話役がその重さを帳面に書いてたくさん獲った順に順番を付けます。 次に世話役の指示で魚を大きいものから順に並べます。 まず左から右へ参加者の人数分の列に並べます。 次の列は右から左に逆方向に並べます。これを繰り返して全ての魚を並べます。 こうして獲った魚を公平に分配できるようにするのです。 さて、 どの列の獲物を選択するかは、たくさん獲った人から順番に与えられます。 魚の種類や大きさによって、 干物にできる物や、池に放っておくことができる物、 あるいは滋養に富んだ物などなど、 いろんな種類があるのでたくさん獲った人はその働きに応じて良い物を選ぶことが出来たのだそうです。 また、たくさん獲れなかった人もそれなりの共同作業の分け前を手にすることが出来たのだそうです。 さらには、 家に病人を抱えていてどうしても滋養に富んだ魚がほしい人は、米一升で選択権を取引出来たそうです。 (なんか、 CO2排出権取引みたい??) さて仙人曰く、 「まぁ、資本主義と共産主義を足して二で割ったようなもんじゃな。 頑張ったもんにゃあ、 それなりの褒美があるちゅうこっちゃ。 頑張ったけど要領の悪かったり、運の悪うて少ししか獲れん者もおるけぇ、 それも考えてやらねばならんけぇのぅ。 まぁ気の利いた言葉で言うなら社会保障ちゅうことかの。 強い者や要領の良い者ばかりが良い思いをするようじゃあ、 皆で生き残ることは出来んということかの。」 私は示唆に富んだお話だと思います。 成果主義・富の配分・弱者救済 等々、 小さな社会が生き残れた ”調和の知恵” だと思うのです。 こういった知恵を地球規模で考えなければならないところまで来ているのかもしれませんねぇ。 失礼いたしました。 |
調和を知る知恵 その3(山分けの語源) ではまず、 “山分け” ってなに?から。 普通に考えれば、複数の人間の協同作業で得られた物を均等に人数割りで分配することですね。 【学研 パーソナル現代国語辞典】 やまわけ【山分け】 (する)公平に分けること。 獲物は山分けにしよう。 ところが、明治以前の日本では、「山分け」というのは、法律用語である「入会権」の運用の方法だったそうです。 入会権についての意味を示します。 明治以前、日本の農山村には入会権というものが存在していたそうです。入会権とは農山村が一定の林野を支配する慣習上の権利で、山は当時の村あるいは村連合の支配するものであったそうです。 ところが、明治政府の行った地租改正において林野の所有権が、官有地、公有地、民有地と区分されてしまいました。 政府は国有地に民法上の入会権が存続することを認めない方針をとり、入会権を、ほとんど否定・制限したそうです。この動きの背景には、国有林経営の本格的な展開という時の政府の目論見が隠されていたそうです。 ここで、仙人のお話です。 「昔の百姓はのう、森や林がなきゃあ生きていけんかったんじゃ。 森林を取り上げられてしまえば百姓に死ねち、言うんと同じじゃあ。 猫の額ぐらいの狭い田畑を耕しての、 色々工夫しての収穫をあげて、 なんとか、かんとか生きとったわけじゃ。 そういう時代はの、 田んぼや畑の周りに広がる山や森の幸が大きな助けじゃったんよ。 退役軍人さん、あんたも子供の頃聞いたことがあるはずじゃ。 なんの話じゃったか忘れたが、爺さんは、山に柴刈りに….ちゅうのがあったじゃろ。 この柴ちゅうんが煮炊きの燃料じゃったんじゃ。 まぁ、昔話にも出てくるぐらいじゃ、大事な物じゃったことはわかるじゃろ。 水に始まっての、田畑に入れる肥料、牛や馬の餌、薪や炭、山菜や茸、それに渓流魚や動物性タンパク質、家を造る材料、道具類………、四季折々に山から与えられる恵みを頼って、森の資源を大切に使うことで百姓のくらしは成り立っとんたんじゃ。 百姓を養っても、森は天然更新をすることができたんじゃあ。 昔の森には、力が漲っていたしのう、命が溢れとったんじゃ。 んっ、タンパク質がなんじゃったかて、 そりゃあ、山鯨とかのへっへっへ。 昔はほれ、四つ足の生き物は食べられんじゃったろ。 山鯨はイノシシの肉のことじゃあ。 肉は固いが、 味噌で炊いたら、美味い鍋になるんじゃあ。 それでものぅ、 取りたいだけ取りよったら、 そんうち生えんごとなる物もあるけんのう。 それで、郷の代表者が寄り合いをしての、その年一年の郷ごとの分け前を決めとったんじゃ。 この話し合いを「山分け寄り合い」ち、言いよったんじゃ。」 実はこのお話のあと、村に一軒しかない食堂にわざわざ頼んでもらい、「美味しい牡丹鍋」をいただきました。 ちょっと固くて独特の匂いもありましたが、 とても美味しかったのを憶えています。 このお話もなかなか示唆に富んだお話だと思います。 連続、かつ長文投稿失礼いたしました。 |
▼退役軍人殿: はじめまして。 >成果主義・富の配分・弱者救済 等々、 小さな社会が生き残れた ”調和の知恵” だと思うのです。 こういった知恵を地球規模で考えなければならないところまで来ているのかもしれませんねぇ。 とても良い話しを聞かせてもらいました。 昔からこうやって日本は「個」ではなく「公」という共同体の中で「和」の精神を培ってきたのでしょう。 また、分配についても、世界的に行き詰まった情況の中で多いに参考になる話しでした。 ありがとうございました。 この話しを読んで考えたことを少々、書かせてくださいませ。 そよそよと青田風吹く畦道に 村のしきたり学びおるかな (新聞文芸欄から) その昔、村や部落には、悪名高い、「村八分」や個人の自由を束縛し、民主主義にも反するとして非難された「しきたり」もあった。 しかし、それらも生き長らえるための共同体としては必要なものであったと思われる。 「田んぼ」は水を湛めることから始まる。 水が漏らないよう畔を塗らなければならない。これは中々、重労働である。 昔は、自分の田が終わっても隣の田が終わってなければ、水を引くことはできなかった。 それだけに廻りの田んぼにも気を配り「結い」という共同作業的な助け合いも生まれた。 このように村にとって「しきたり」とは絶対的なものであった。 「和」というものは、ある意味、自分を殺さなければ成立しない。 「朝には星をいただき夕べには月影を踏んで帰る」と言われるように、こういうことは農家の実情としては珍しくない。 かといって、これがイデオロギーの目で見た「貧農史観」でもない。 農民だけが、労働者だけが苦しんできた、搾取されてきたという考えではない。 大地に生きるという百姓としての心意気もあったのである。 畔塗りなどは、一鍬一鍬、腰をかがめ、泥をすくい上げながら塗り固めていく。 夕暮れ頃となると大変である。 田植えを控えての時期であり、気もあせり、汗だくとなり、まさに汗と泥にまみれての連日である。 足音で稲は育つと母言えり 青田の畔をゆっくりと歩む (新聞文芸欄から) 稲は人間の足音で育つ、1日1回は、鍬を持つか鎌を持つかして田んぼの見まわりを欠かすことはない。 物を作るとはこういうことである。 このようにして作られた物であるなら「もったいない」という言葉が出るのも当然である。 「もったいない」は「格物」の最も端的な日本的表現である。 「物」を神の被造物と片付けず、「格物」は単なる物の存在を神にまで高める人の側の謙譲感謝の行為を通して神の実存をたてることであるとも思える。 例え明日、食べる米がなくとも、餓死する身の上であっても、これまで米を炊くお世話になり続けてきた釜に対し、最後の報恩を尽くしきれいに洗う行い。 物は功利の手段ではなく、感恩の心持を実にすること。 ここに日本の百姓の物作りがあると感じいる。 またそれは、この伝統が、今も日本産業界に息づいていると確信している。 物は粗末にできない。 食糧なら尚更である。 便利と快適を与えられたこの近代は、一方では、社会に人間性を欠いた砂漠化を広げている。 個人主義の履き違えは人間同士の疎外感を生み、社会全体を美しく住み良いものにする道徳を不在化させる。 個々バラバラに得手勝手な生き方をするところに公共心とか人間尊重とか人情、友情は育たない。 物質的には昔と比較にならないほど充たされても人々の心は不安と孤独にさいなまれる。 物質的豊かさを享受している日本人の甘えとも受け取れる国際社会に対する無知、無関心や自国に対する勉強不足、無関心が目立つ。 大自然や生命への感動ももたない空白の心は霊性も荒ぶり低下させる。 先祖たちが素朴な言葉の中に伝えたものの中にほど、今、役に立つ人生観、世界観、宇宙観は存在する。 現代人はもっと謙虚になるべきである。 人道援助でアフリカは救えない。自然は適正規模しか残さない。 地球は適正規模でしか生き残れない。 |
いやどうも失礼いたしました。 自給自足体制といいましても決してエゴイステイックなそれではなく 、共同体的なそれをふくみます。現在一万坪の棚田では猪や鹿の被害を 防ぐなどの柵作りなど、皆での共同作業を続行ちゅうです。少し甘いかも 知れませんが色んな形の農業があっても良いのではないでしょうか? |
▼市民賢殿: >いやどうも失礼いたしました。 >自給自足体制といいましても決してエゴイステイックなそれではなく >、共同体的なそれをふくみます。現在一万坪の棚田では猪や鹿の被害を >防ぐなどの柵作りなど、皆での共同作業を続行ちゅうです。少し甘いかも >知れませんが色んな形の農業があっても良いのではないでしょうか? いえいえ、こちらこそ失礼しました。 近頃、当地あたりでは、若い人より定年間近の方々に余生を楽しむとか言って「我侭」な農業をなさってる傾向が見受けられましたので言ってみただけです。 まあ、色々な農業と申しましても、中には環境破壊や環境汚染に繋がる農業もありますから、そういう方向にはできるだけ進まないようにしたいものです。 |
食料自給率は、試算を始めた1960年度の79%から年々下がり続けているんですね。。その大きな理由は、食生活の洋風化でしょう。主食では、国内で100%自給できる米を食べる量が減り、9割が輸入の小麦で作られるパンやめん類の量が増えた。副食も、輸入飼料に頼る畜産物や植物油など油脂類の消費量が増えています。 食料自給率が40%ということは、食料の6割を海外に依存している訳です。穀物自給率は2000年時点で、世界175か国のうち128番目、先進国が加盟する経済協力開発機構(OECD)30か国のうちでは29番目と、最低水準です。 過剰生産が問題となっている米から、麦や大豆、飼料作物への転作を進める必要があります。イギリスの1970年度の食料自給率は46%と、当時は60%だった日本を下回っていました。しかし、小麦の増産などに取り組み、74%(2000年度)まで高めることに成功したそうです。 食料不足は、冷夏や干ばつなど異常気象による凶作時に心配されるだけではありません。戦争による輸入ストップや有害物質の混入等の不測の事態が起きた際に、国民が最低限必要な食料を確保するという「食料安全保障」の観点からも、自給率の向上は絶対必要なのです。 一方、消費面では、米を中心に多様な食品をバランスよく取る健康に良い日本型の食生活をアピールすることに加え、食品の廃棄・食べ残しを減らす努力も必要でしょう。 |
▼北の老兵さん: >一方、消費面では、米を中心に多様な食品をバランスよく取る健康に良い日本型の食生活をアピールすることに加え、食品の廃棄・食べ残しを減らす努力も必要でしょう。 米中心の食事に戻れば、米の消費量が増え、それだけ減反する必要が無くなり、食糧自給率も上がり、農村の活性化にもなります。また、農地の保全により、自然環境の保持にもつながります。一石二鳥どころか、三鳥四鳥です。その他、国民の健康の増進・・・医療費の削減・・・米には魚が合いますから、漁業の振興にも・・・ 子供達に早くから米を食べさせ、米の味を覚えさせたいものです。 |
▼数理梵哲さん: >▼北の老兵さん: > >>一方、消費面では、米を中心に多様な食品をバランスよく取る健康に良い日本型の食生活をアピールすることに加え、食品の廃棄・食べ残しを減らす努力も必要でしょう。 > >米中心の食事に戻れば、米の消費量が増え、それだけ減反する必要が無くなり、食糧自給率も上がり、農村の活性化にもなります。また、農地の保全により、自然環境の保持にもつながります。一石二鳥どころか、三鳥四鳥です。その他、国民の健康の増進・・・医療費の削減・・・米には魚が合いますから、漁業の振興にも・・・ >子供達に早くから米を食べさせ、米の味を覚えさせたいものです。 そうですね。 日本人が米を食べなくなったのが、自給率をはじめとする農業問題の原点だと思います。 そして日本人の味覚を変えた大きな要素は、戦後アメリカの余剰農産物が援助として大量に流入し、学校給食にパンが採用されたことです。 援助は有難かったのですが、無償のものは少なく、その後支払ったものが多いようです。 その後の小麦輸入やファストフードの進出等を考えれば、アメリカとしても十分に利益を得ているでしょう。 現在は米飯給食がかなり増えてきましたが、更に米を食べるようにしたいものです。 大型畜産を批判したアメリカの面白いサイトがありましたので紹介します。 マトリックスのパロディ風になってます。 http://www.themeatrix.com/ |
▼MNGさん: >そうですね。 >日本人が米を食べなくなったのが、自給率をはじめとする農業問題の原点だと思います。 > >そして日本人の味覚を変えた大きな要素は、戦後アメリカの余剰農産物が援助として大量に流入し、学校給食にパンが採用されたことです。 >援助は有難かったのですが、無償のものは少なく、その後支払ったものが多いようです。 >その後の小麦輸入やファストフードの進出等を考えれば、アメリカとしても十分に利益を得ているでしょう。 > >現在は米飯給食がかなり増えてきましたが、更に米を食べるようにしたいものです。 > >大型畜産を批判したアメリカの面白いサイトがありましたので紹介します。 >マトリックスのパロディ風になってます。 >http://www.themeatrix.com/ ご紹介ありがとうございました。 今,音声ソフトがトラブルで削除されてしまっている状態のため,絵で想像するしかありませんでしたが,拝見しました。 年末に帰省したとき音声ソフトを復元するCDを持ち帰るつもりですので,そのときにもう一度拝見したいと考えています。 とにかく,日本人は食生活から生活様式まで,日本的なものを捨ててきてしまいました。私はせめて食生活だけは日本のよいところを失いたくないと思っています。 |
大賛成! といいましても、パンを食べるかご飯を食べるかは、まったく個人の嗜好に依存しますのでなんともいえませんが……。 以前何かの本で読みましたが、戦後米国のなんらかの巨大資本がGHQと結びつき 日本に余った小麦粉を持ち込んでパン食の嗜好に変えて行ったそうですね? 市場開拓のためには手段を選ばずですか? |
▼市民賢さん: >大賛成! >といいましても、パンを食べるかご飯を食べるかは、まったく個人の嗜好に依存しますのでなんともいえませんが……。 >以前何かの本で読みましたが、戦後米国のなんらかの巨大資本がGHQと結びつき >日本に余った小麦粉を持ち込んでパン食の嗜好に変えて行ったそうですね? >市場開拓のためには手段を選ばずですか? 食の嗜好は、小さな頃何を食べたかによるという気がします。 子供達に、ご飯食、みそ汁の味を覚えさせたいものです。スローフードなどという必要はないと思います。十年ちょっと前の日本のほとんどの家庭食がそのまま通用するのではないでしょうか。ただ、今母親になる人達が、料理ができるかどうか心配です。スーパーで出来合いのものを買って平気な親が多いように思います。また、箸をまともに持てない親が増えているようにも思います。私の回りの20代の人で、キチンと箸を持てる人は半数に満たないように感じます。 ところで、今、魚を一匹買ってきて3枚に下ろせる母親はどのくらい居るのでしょうか。ちょっと気になるところです。 |
▼数理梵哲さん、おはようございます。 >食の嗜好は、小さな頃何を食べたかによるという気がします。 >子供達に、ご飯食、みそ汁の味を覚えさせたいものです。スローフードなどという必要はないと思います。十年ちょっと前の日本のほとんどの家庭食がそのまま通用するのではないでしょうか。ただ、今母親になる人達が、料理ができるかどうか心配です。スーパーで出来合いのものを買って平気な親が多いように思います。また、箸をまともに持てない親が増えているようにも思います。私の回りの20代の人で、キチンと箸を持てる人は半数に満たないように感じます。 >ところで、今、魚を一匹買ってきて3枚に下ろせる母親はどのくらい居るのでしょうか。ちょっと気になるところです。 私が以前読んだ本に書いてあった話なのですが、その著者が猫を拾って来て家で飼った時の話を紹介しています。 著者はその拾ってきた猫に愛情を注ぎできる限りの事をしました。 しかし、その猫は、捨てられていた時に子猫のうちから食べて覚えたらしいインスタントラーメンの味を忘れる事ができず、いくら栄養豊かな他の餌を与えても食べようとはせず、インスタントラーメンばかり食べて結局早死にしてしまったそうです。 著者はその猫の姿を見て、子供の頃に食べる味が一生に与える影響と言うのはこんなに大きなものなのだ、と嘆息していました。 人間もこれと同じだろうと思います。 世間で巷間言われているお袋の味が一番美味い、というのはまさにこの事ですよね。 去年だったか、若者に味覚障害が発生している、というニュースを見た事がありますが、いったいどの様な食生活をしているのか、と思います。 その若者達が育てるであろう子供達の食生活が心配になってきます。 私が読んだ本に出ている猫の様な事にならなければ良いのですが。 |
>▼松さん、おはようございます。 > >>食の嗜好は、小さな頃何を食べたかによるという気がします。 >私が以前読んだ本に書いてあった話なのですが、その著者が猫を拾って来て家で飼った時の話を紹介しています。 > >著者はその拾ってきた猫に愛情を注ぎできる限りの事をしました。 >しかし、その猫は、捨てられていた時に子猫のうちから食べて覚えたらしいインスタントラーメンの味を忘れる事ができず、いくら栄養豊かな他の餌を与えても食べようとはせず、インスタントラーメンばかり食べて結局早死にしてしまったそうです。 >著者はその猫の姿を見て、子供の頃に食べる味が一生に与える影響と言うのはこんなに大きなものなのだ、と嘆息していました。 > >人間もこれと同じだろうと思います。 >世間で巷間言われているお袋の味が一番美味い、というのはまさにこの事ですよね。 > >去年だったか、若者に味覚障害が発生している、というニュースを見た事がありますが、いったいどの様な食生活をしているのか、と思います。 >その若者達が育てるであろう子供達の食生活が心配になってきます。 > >私が読んだ本に出ている猫の様な事にならなければ良いのですが。 そうですか。やはり、子供の頃覚えた味の影響は大きいのですね。 今からでも、どうやったら取り戻せるのか国家的な取り組みが求められていると感じます。 |
三位一体の議論のなかで、諸々の補助金が問題となってましたが、 日本農業の真の自立や経営体としての成長を阻害してきたのは、 一見、農業、農家の為と称して営々と続いてた農林行政のうち 保護政策や補助金に絡む諸々の矛盾が結果として、 農業自体の産業としての自立に役立たなかったことは現況を俯瞰 すれば明白になってきました。 食糧の自給率の低下にも「原因と結果」の推移を見れば同列にある 現象とみてとれます。 欧州や北欧、アメリカでさえも農業の保護政策はシッカリとやってます。 それは、日本の各種補助金政策とはかなり異なり、 農家の自立へのサポートに徹しており、云われてる「ひも付き」の 補助金でなく、農家や農業者の主体性に多くは任されてるとのこと、 農業の真の意味での「甘やかし」を排した形にて根付いてるそうです。 それに引き替え日本の場合では今般の三位一体の改革騒動?にしても 相変わらず中央官僚は権益、利権の道具である中央制御の補助金を 放そうとせずに族議員共々に陰に陽にと改革案の骨抜きに終始してる 様子が報道されて・・ 地方の知事さんの憤懣やるかたない表情がアップでテレビに写されてました。 近未来での生活や暮らしに関係する問題として関心をもって 見つめる改革を求めないと手遅れになってしまう危機感を覚えます。 |
これは特に珍 源斎殿への反論ではありません。 食糧とはふたつの対極的な性質が同居している。 これなしには命を支えることができないという意味において、絶対的な必需品としての食糧。 もうひとつは、高度に選択的な商品としての食糧、毎日の生活に潤いをもたらす食品。 これらのどちらに重きを置くのか。 自給率向上、食糧の安全保障のためには必需品としての食糧だが、自給率をあげるためには高度に選択的な商品としての食糧、商品としての性質も必要になる。 ニーズにあった農産物が消費者にも受けいられ、自給率向上にもつながるからである。 生産者は消費者の手応えを感じ農業に情熱を注ぐ。 しかし、果たしてこれは正しい見解だろうか? 確かに、日本はこれまで絶対的な必需品としての性質に着目し農業政策を行ってきた。 供給の確保と公平な配分。 そして、それは。。 保護政策や補助金は、農業自体の産業としての自立には役立たなかった。 だが、だからと言って、食糧を商品にしてもいいものだろうかという疑念を拭えない。 国際情勢を照らし合わせれば、食糧は市場原理へと移行しようとしている。 果たして、本当にそれで食糧自給は向上できるのだろうか? 欧米と日本とは同じではないと思うのだが。。 |
風谷 米造さん こんにちは!北の老兵と申します。 私も貴方と同じような懸念を持っております。 農業に100%市場原理を持ち込んだら、農業をする人間がいなくなります。私は日本の農業技術はすぐれていると思っていますので、従来の補助金一辺倒の保護政策じゃなく、狭い耕地でも採算がとれるような付加価値の高い農作物に転作するとか、農業をやりたいと思うような農政をしなければ日本の農業はだめになると思います。 りんご、みかん等は海外でも高級フルーツとして脚光を浴びているというし、北海道の十勝地方のごぼうなども品質が良く高い評価を得ていると言います。 特にごぼうは世界中に分布するが、食するのは韓国と日本だけだそうです。 まだまだ探したらこのような物がたくさんあるのじゃないでしょうか。若い農業者の間では海外では真似の出来ない、そういう物を作りたいという動きもあるそうです。 私は自動車など工業製品の輸出は結構な事ですが、その見返りに農産物の市場開放を迫られています。日本の農業技術を子孫に継承するためにも100%市場開放は反対です。 |
▼風谷 米造さん:へ こんにちわ! 多くの方々が様々な問題を各人各様に意見として述べあう掲示板のもつ 役立つ機能かと思います。仰有るように物事には見る角度や焦点の当て方で 様々な考え方の糸口が開けますので意義あることと存じます。 >食糧とはふたつの対極的な性質が同居している。 >これなしには命を支えることができないという意味において、絶対的な必需品としての食糧。 >もうひとつは、高度に選択的な商品としての食糧、毎日の生活に潤いをもたらす食品。 > >これらのどちらに重きを置くのか。 > >自給率向上、食糧の安全保障のためには必需品としての食糧だが、自給率をあげるためには高度に選択的な商品としての食糧、商品としての性質も必要になる。 >ニーズにあった農産物が消費者にも受けいられ、自給率向上にもつながるからである。 >生産者は消費者の手応えを感じ農業に情熱を注ぐ。 > >しかし、果たしてこれは正しい見解だろうか? > >確かに、日本はこれまで絶対的な必需品としての性質に着目し農業政策を行ってきた。 >供給の確保と公平な配分。 >そして、それは。。 >保護政策や補助金は、農業自体の産業としての自立には役立たなかった。 > >だが、だからと言って、食糧を商品にしてもいいものだろうかという疑念を拭えない。 > >国際情勢を照らし合わせれば、食糧は市場原理へと移行しようとしている。 >果たして、本当にそれで食糧自給は向上できるのだろうか? > >欧米と日本とは同じではないと思うのだが。。 私は食糧の国際的な市場原理のもとに扱われる物と、 地域の局地的な生産と消費、「云わば、地産・地消的な」ローカルに根ざす ものが必要と思います。それは巨大化と単一化するものとの対極に当たり・・ 小さく分散することで、それには多様な形が必然的に形成されて気候変動や 災害にも強く安全や安定に大きく寄与します。 私のイメージする食糧の自給率向上に寄せる想いは近未来に於いて 子供や孫達、いやそれ以後の世代にとって危機に晒されない状態を 考える故です。農業には自然との共栄が基本ですが・・・、 それには「多様化」の肯定がキーワードとなります・。 それには国ごとの、町や村ごとの、各家庭ごとのマルチチャンネル型の 各々の規模を活かした多様な生産形態が望まれます。 市場経済に沿ったものがメインとしたら、それを補完するサブ・システムが あっても良いのではないか。 欧州や北欧、ロシアでも食についてのシステムは政策的にも自然発生的にも、 食糧の安全政策として長きにわたって構築されてるようです。 戦前の日本ではそのような形・地域それぞれの特色を生かしたシステムが 先祖伝来の形をもって定着してたと聞いてます。 |
▼北の老兵 殿:はじめまして。 ▼珍 源斎 殿:こんばんは。 >農業に100%市場原理を持ち込んだら、農業をする人間がいなくなります。(北の老兵 殿) はい。 米に絞って言いますと、米国の稲作は歴史は新しく農家数は微々たるものであるが、生産量は日本の全生産量の半分を上回っていると聞いたことがあります。 今では米人気も手伝い米国人も食するようになってきておりますが、国内消費量は少ない。 この生産量の多さの原因は、米が世界市場で有利な商品であるからです。 そこでの米作りは広大な土地に大型機械を用いた巨大経営です。 日本とは全然、異なります。 刈られて籾になった米は、農家の手を離れ精米業者の手に渡る。 米農家は、精米業者の下に系列化されており、精米業者のために米を作っている。 つまり、農業ではなく工場における工業なのです。 そして、その精米業者は、国内の同業者と共に協会を組織し米の販路拡大のために農政活動を行っている。 その精米業者協会は、資本主義経済は正義なのだという論理のもとに、米国国家の擁護をえて販路拡大に熱心である。 自分達が食うためにコツコツとやっている日本の米作りと国家をバックにした巨大会社経営の米国米作り。。。 これらが同じルールの上で競争できるものであろうか。 巨大な資本や権力をもった人たちが金儲けを目的に大規模に行う米作り、日本が真似せよと言われても物理的に無理である。 更には、誰もが毎日食べなければならない主食が、誰か一握りの人々によって作られ、遠くから運ばれてくるなど誠に不自然であります。 >私は食糧の国際的な市場原理のもとに扱われる物と地域の局地的な生産と消費「云わば、地産・地消的な」ローカルに根ざすものが必要と思います。(珍 源斎 殿) はい。 その両方共が必要で、その両方は交じり合い、バランスを取ることが必要と思います。 農業は基本的に適地適作です。 気象、地理、環境は千差万別です。その中で、そこに一番適した物というものがあるはずです。 それが、日本においては米であったろうし、欧州においては小麦だったのでしょう。 更に、細かく分けていけば、それぞれの土地における特産物もあるわけです。 また、大きい目で見れば、それらの産物が文化でもあるわけです。 その中で、村などの共同体が生まれ、それらが集り共同体をより強靭にするために国が生まれた。 そういった意味においての土地とは非常に人々と密接しております。 ただただ目新しい物を導入し農業を行うというよりも伝統的な農業を基本として発展させる方がエネルギー効率は良いものと思います。 しかし、そこで手に入らないものも存在しますし、豊かな生活を目指すなら市場の拡大も必要です。 そうなれば、有るところから無いところへ持ってくるという本来の商いの役割、責任が問われるくるものと思います。 日本などのように自然や気候に恵まれたところもあれば、中東の砂漠の国、熱帯の常夏の国等と色々存在するわけですが、そこではそこでしかない資源や産物、あるいは文化などあるわけです。 それらを、儲けのための商品と扱うか役立てるという産品と扱うかによって大きく世界情勢は変わってきます。 食糧自給の向上とは、まづ地域の自給からしか始まりません。 競争によって地域の自給が困難となれば、それは、いづれ将来、自給できている地域への圧迫ともなりえます。 総ては連鎖し、総ては役割があると思っています。 その役割の発見こそ、日本だけではなく世界の自給自足になるのではと考えています。 違った生態があり、違った価値観がある。 文化相対的に、それらが併存してこそ世界全体の自立だと思います。 共生を考えないといけない。 >戦前の日本ではそのような形・地域それぞれの特色を生かしたシステムが >先祖伝来の形をもって定着してたと聞いてます。 確かに存在したものと、私も思っております。 以前の日本の農業、農村のシステムがあったからこその日本だったと思います。 もう一度、日本人自身考えなくてはならないものです。 |
私の週末農園の少し上に高原野菜作っているところがある。我が家では白菜やキャベツが家の畑で取れなくなったら上の畑に分けてもらいに行く。出荷に適さない野菜を割安で分けてくれる。市価の5分の1ぐらいで白菜1個30円ぐらいである。この間その畑の横を通るといつものバーさんがうつむいて作業をしている。声をかけようとしたが少し様子がおかしい。よくみると案山子であった。 先日、中央高速で飯田の辺りを長野方面に走っていた時、りんご畑ではしごの上で作業している人を見かけたが良く見るとこれも案山子であった。 これも先日、四国愛媛県に用事が出来、国道11号線を走っていた時国道に隣接する田んぼに白い衣装を着けた案山子が拾数体東を向きに立ててあった。後で気がついたがあれは御遍路案山子であったと思う。 ばーさんの案山子はほとんど人気のないところなのでカラスやヒヨドリ向きであるが、飯田のりんご畑の案山子や御遍路案山子は道路から良く見える位置なので道路を走るヒトを意識したものだろう。人でも見間違うぐらいだから、動物の目にはどう映るのだろう。上野の西郷さんや桂浜の坂本竜馬の銅像なども動物の目にはどう見えるのか。 私の農園にもそろそろ案山子を作ってみようと思っている。時節柄、自衛隊や機動隊の案山子とも思うがご近所のことを考えると無理なような気がする。やっぱり、武蔵とお杉バーさん案山子あたりが御当地では無難なようだ。政党党首案山子5体を並べてみるのも面白そうですね。 |
食料の自給率向上は私も切に願うところです。 この間ラーメン屋でネギラーメンを食べた時、ふと厨房を見るとネギを入れていたダンボール箱には中国産と書かれていました。やはりそうかと残念に思いました。 日本の代表食品であるうどん、豆腐などにしてもその原料となる小麦粉、大豆などほとんど輸入となっている現状は、はたしてこのままでいいのか考えさせられます。輸入が悪いわけではありませんが、偏りすぎでしょう。 農業政策は良く知りませんが、生産性を上げるため、農家も規模拡大や企業化などを進めているところもあるようですね。小さな一世帯レベルでやる農業はほとんど無理なのではないでしょうか。 ところで先日ラジオで聞いたのですが、このごろ日本の果物をインドあたりに輸出していて好評だそうです。りんごなど現地の人が「こんなうまいりんごがあるのか」と驚いているとのこと。現在のターゲットは主に富裕層だそうです。 ごぼうなんかも保存が利くということで輸出されていると言ってました。 付加価値の高いものなら農産物でも充分輸出できるみたいです。 |
岩沢信夫さんの「不耕起栽培」はその名の通り耕さない農法で、冷害や虫の害に強いそうです。 http://www.tanbohakase.com/ 津野幸人さんの「紙マルチ及び綿マルチ農法」は紙や綿で田んぼを覆ってしまって雑草が生えないようにして作業を簡単にする方法です。 http://muses.muses.tottori-u.ac.jp/dept/A/crop/paper.htm アグロフォレストリーは外国で焼畑やプランテーションに替わる自然保護、循環型の農法です。 http://www.janjan.jp/special/0311/0311178639/1.php 他にも期待の出来る新農法があると思います、日本の農の将来に期待したいです。 |
琉風 様 はじめまして よろしくお願いします 我が家の家庭菜園で使ってみた感想ですが マルチをはった畑は雑草がつきにくく作業能率が優れています 私も同じく日本の農業の将来に期待したいです |
札幌〜東京間の航空運賃が大手の航空会社の 独占状態で高止まりしてることに、 憤慨して北海道の発展のためには安価な航空運賃が必要 であるとの想いから有志を募って新しい航空会社の設立して 初代の社長になられた方を存じ挙げてます。 彼は北海道に於いて大型の企業養鶏を経営されたました。 飛べない鳥の鶏屋さんが飛ぶ鳥にあたる航空会社か・・と 一時は大きく話題にもなりますた。 航空会社は設立されましたが、いざ経営面になると 航空行政に絡む諸々の規制と大手航空会社が航空運賃を 下げて対抗してきました為に当初の経営計画が外れ 航空経営には素人であったことも加わり、相当のご苦労が あったものと思われます。経営を立て直すために2機目の 航空機の導入がなされ、東京へ出張中に過労による心臓発作 にて急逝されて終いました。 ・・・ここまでは前置きです。・・ その大規模な養鶏場を経営してる「彼が」鶏を「にわとり」 にしようとの企画を立てました。 鶏たちが狭い鳥かごに押し込められて、 産卵機械のように、ただ「ひたすら」卵を産み続けなければ ならない鶏たちの事を思うと、その昔のように庭で遊ぶ鶏たちの いる風景に誰しも郷愁を覚えるのではないでしょうか!。 そんな事のイメージから発っしてか・農家や広い庭を持つ家に 戦前や戦後のように鶏を飼育してもらうことで、 餌は家庭の生ゴミや残滓を用いる、鶏たちの排泄物は家庭菜園の 肥料にと鶏小屋など施設の販売と鶏の雛の供給、 飼育技術のサポート等々で・・「にわとり」の復活を・・と 考えられましたが、動物を飼うための「法規制」が 立ちはだかり、加えて時流に沿わなかったこともあり 企画段階にて事業としては成り立たないとの結論で ・・それまで・・となりました。 今でも一部の農家で庭先で飼養されてる「にわとり」の卵を 頂いたことがありますが、これぞ卵と云う感動ものの味は 忘れられません。 その後その航空会社は幾たびかの曲折はありましたが [AIR DO}として北海道〜東京間を飛び続けてます。 鶏卵を見るたびに想い出される一こま、一こまです。 長くなりました。ご許容のほど! |
珍 源斎さま いつもさわやかな内容が大好きです。農業のことは良くわかりませんが、労力の割りに報われる報酬が少ないのではないかと思い続けています。しかし、それとは別に自然に囲まれ、自分で作った作物が最後まで見取ることができる充実感も素晴らしいとも思います。 実は今年の4月にオランダのアールスメール花市場を見学し(ツアーで組み込まれていましたので)その近代化にびっくりいたしました。サッカースタジアム125個分の壮大は花市場には近隣から持ち込まれた花々がコンテナに詰まれ、運搬車は右へ左に広大な市場を動き回っていました。その競り市はまるで株取引のようなハイテク会場。上から見学すると花は生鮮食品ではなく、まるでベルトコンベアーに乗って流れる工業製品のような感じがしました。ここからその日のうちにパリの町々にも送られていると話されていました。 そのせいか、花屋さんで見るバケツ一杯の花束が1000円程度、おそらく日本の10分の1程度かと感じました。それで見たショックは花は工業製品であると思い直したのでした。 今、農業の株式会社参入の話題が旬ですが、米に限らず既得権と新規参入組の攻めぎあいと私には写るのですがいかがでしょうか。 悲観論を立てに利益を守ろうとする人、強大な農協、しかし少しずつ崩れてきている現実。そして長い時間をかけ変化していくのではないかと認識しています。あれだけ強力な食管制度が崩れたのも大きな時間が掛かりました。これからを信じようと思います。それは新しい母体での農業が再生するはずですので。。。 北海道なら千歳のそばにアジアの農業物流拠点として壮大なアールスメールのような市場が出来ることを願っています。 |
月光仮面のおじいさん へ 暖かいお気持ちにあふれるレスコメント有難うございます。 海外旅行で良い処をご覧になりましたね! オランダはチューリップで有名ですが、 オランダは先進的な農業国の一面を持ってるそうです。 養鶏や、養豚、酪農なども盛んで、その水準は世界的にも トップクラスのものがあります。家畜の品種改良や バイオ関連技術の水準も高いそうです。 現在ではヨーロッパが一つになる理想への一歩として EUが出来ましたが、その域内での農業生産を産業として 育てる政策が採られてると聞き及んでます。 花類の栽培も野菜などの栽培も農地や施設の共用も 可能ですので「何かの」場合は食糧生産に切り替えられること。 農地を遊ばせて野生の荒れ地にしない配慮もあると聞いてます。 日本のように減反政策の後は雑草の生え放題の荒れた農地に しないで、狭い国土を有効に使ってるオランダには 見習うことが多いのではないかと思います。 農業は国の根幹でもあり、日本人の精神文化の拠り所でも ありますので、既得権や利権などの思惑を超えた新しい発想の 農業政策が待たれる処です。 |
珍 源斎様、今晩は。 鶏を飼うのは食糧自給にとって非常によい事だと思います、鶏糞は肥料になりますし、土壌を肥やします、またそれによって肥やされた土壌は豊かな作物を実らせます。 食糧自給率が低いわが国にとって、これは有効な手段の一つでしょうね。 ※因みに、まさかAIR DOの話しに行くとは思いませんでした、やられたって感じです(^^;) |
農地はただになりつつある。都会の皆さんには信じられないでしょう。 私の周囲では、農地の1割が放置されています。高齢化によって農業を続けられなくなった人たちが、やむなく耕作をやめ、せいたかあわだち草などの雑草が生い茂っています。 この雑草の種が周囲の農地に運ばれ、邪魔になります。困った農地所有者は、耕作してくれる人をさがし、どうかうちの田圃を使ってくださいと頼みます。頼まれた方も農業では、利益が出ないので、使用料を払ってまでは引き受けません。 この結果、土地使用料は無料、なかには逆に管理代を払っている例もあるようです。 昔の地主は小作料をとってました。今、地主は無料で土地を使って貰っております。これが、日本農業の現実です。 |
日本の稲作は典型的な灌漑移植稲作である。 人々は山林の谷間に共同で井堰を作り、先祖伝来の美田に苗を植えていく。それは安定した高収量をもたらし、また稲作にともなう共同作業は、地域社会のしっかりしたまとまりをも導いている。 日本の稲作は技術的にも社会的にも一つの完成した極相点をなす。 稲作社会の完成とは、稲作がその社会の中核にあるが、稲作がすべてではない。 単なる食糧生産活動にとどまらず、巨大なシステムを生み、村、国を造りあげる基礎となる。 日本は外国と比べ独特の景観をもっている。日本は盆地に人々が集住している。 平原や丘陵などに住む外国とは異なる。 盆地に集住し、そこに流れる川を利用し稲作水利社会を生んだ。 水田は耐えず管理しないと駄目になる。生き物のようなものである。 それ故に間断なき手入れが何世代にもわたって行われてきた。 だから、水田はご先祖様の汗のしみこんだ土地であり、自分も手に汗して次の世代にも伝えていかなくてはならない。 美田である。 稲作農家は一戸一戸が美田をかかえ、水の奪い合いや協力を演じ何百年を経過した。それは容易いものではなかった。 盆地に集住する稲作農民とはそういうものである。 そして、ここにあるものは単に地縁的に組織された村の一員というだけでなく過去から未来に永続していく伝統と財産の管理者である。 草地で麦を作り、羊を飼うヨーロッパの農民とは同じではない。 盆地で美田と水利権を死守して鍛えに錬えられた人間と平原の草地で放牧された馬のように生きてきた人間とは違う。 個人は井郷という小社会の一員である。井郷はそうした農民をしっかり束ねて崩さない力を持っている。 それが他の小社会も生み、それらがより大きなシステムを埋め内容を充実させる。 大小無数のピラミッドが積み上げられ巨大なピラミッドとなる。 それが日本である。 そしてその大小のピラミッドの多くには農民がかかわってきた。 そのピラミッドは強靭な構造を持ち外部からの衝撃にも強く容易に崩れない。 日本は個人の農民のようなバラバラの砂粒の集合ではないということである。 日本の景観を守ること、日本の強さを維持するためにはこれが必要だ。 人間も自然の一部という宇宙観が日本にはある。 それは草木虫魚とは共に生きて行くという考え方である。 他人に迷惑をかけない。収奪しない。という考え方である。 欧米のように自然は全て檻の中に入れて管理し、保存していくという考え方ではない。 盆地単位で自給的、自助的に生き、決して他の地域に迷惑をかけない。 当然、そこには「足るを知る」の精神が必要となる。 これが食糧自給率向上の基本中の基本と考える。 安定した世界経済もそこからしか生まれないのではと思ってしまう。 |
風谷 米造さん: >日本の稲作は典型的な灌漑移植稲作である。 >人々は山林の谷間に共同で井堰を作り、先祖伝来の美田に苗を植えていく。それは安定した高収量をもたらし、また稲作にともなう共同作業は、地域社会のしっかりしたまとまりをも導いている。 >日本の稲作は技術的にも社会的にも一つの完成した極相点をなす。 その通りと存じます。日本の水田・水稲方式は百年を超えての連作が可能です。 その連作を成立させてるのは山の林や森の木々のお陰です。 山の木々が発するところのミネラル・栄養塩類が毎年、田圃に水を引き入れる 毎に補充されて施肥と相まって稲の成長を促します。・・・ >日本は外国と比べ独特の景観をもっている。日本は盆地に人々が集住している。 山や川が生み出す様々な恩恵を日本人は受けてきたことは全くその通りです。 土木機械など無かった時代から、ご先祖は鋤「すき」鍬「くわ」もっこで汗をかきつつ石垣を積み水路を開き水田を築いてきた。本当に容易な事では無かったと思う。 そう云った先祖のご恩を意に解さない事は、忘恩、罰当たりの所業であると 云わざるを得ない、 沖縄でも先祖伝来の食文化を外れ、アメリカ占領下での肉食に偏った 食生活をする若い人たちには生活習慣病、や老いた親達より先に あの世に旅立ってしまう「逆さ仏」現象が見られるとのこと、 これは沖縄だけの事ではなく、日本全体にもフアーストフードや ジャンクフードの弊害として子供や若者達の間に於いても糖尿病や 高血圧、など老人病とでも云える生活習慣病に罹ってる者や、その予備軍が 増加してるとのこと、これは個人個人にしてみれば、罰当たりの所業として 断ずることが出来るが、その影響は国家の疲弊に直結してる由々しき 問題であると思う。 日本の人口構成が少子高齢化と云われて久しいが、次世代を担う 若者達の精神的、肉体的なポテンシャル「潜在力」低下は・・ 次世代の子供や孫達に直接、降りかかる問題であると思う・・。 |
▼珍 源斎さん: >風谷 米造さん: > >>日本の稲作は典型的な灌漑移植稲作である。 >>人々は山林の谷間に共同で井堰を作り、先祖伝来の美田に苗を植えていく。それは安定した高収量をもたらし、また稲作にともなう共同作業は、地域社会のしっかりしたまとまりをも導いている。 >>日本の稲作は技術的にも社会的にも一つの完成した極相点をなす。 > >その通りと存じます。日本の水田・水稲方式は百年を超えての連作が可能です。 >その連作を成立させてるのは山の林や森の木々のお陰です。 >山の木々が発するところのミネラル・栄養塩類が毎年、田圃に水を引き入れる >毎に補充されて施肥と相まって稲の成長を促します。・・・ > >>日本は外国と比べ独特の景観をもっている。日本は盆地に人々が集住している。 > >山や川が生み出す様々な恩恵を日本人は受けてきたことは全くその通りです。 > >土木機械など無かった時代から、ご先祖は鋤「すき」鍬「くわ」もっこで汗をかきつつ石垣を積み水路を開き水田を築いてきた。本当に容易な事では無かったと思う。 > >そう云った先祖のご恩を意に解さない事は、忘恩、罰当たりの所業であると >云わざるを得ない、 > >沖縄でも先祖伝来の食文化を外れ、アメリカ占領下での肉食に偏った >食生活をする若い人たちには生活習慣病、や老いた親達より先に 同感です。いわゆる昔の里山の風景を取り戻す事。その為には無駄なダムを造る事を止め、自然のダムと言われる山林を復元する事。洪水に弱い針葉樹は止め、広葉樹を増す事が地球温暖化を防ぐ意味でも大事です。 なお、美味しい米を作る条件は次に上げてみました。 1・水もちのよい粘土質の土 2・美味しいお米のとれる地域の環境 年間の寒暖差と昼夜の寒暖差、 3・山間部で豪雪地帯 4・きれいな水 ※3と4は共に森の木々のお陰です。 |
食糧の生産は世代を越えて需要に見合うものを生産続けねばなりません。 と云っても農地は機械のように原料を入れたら一定の割合で常に生産物が 出来る訳ではありません。生産量の変動に関連する要素は数多くあります。 農産物の生産には農業に適する環境も含めた土壌のもつポテンシャル に目を向けねばなりません。 現在のアメリカにみられる大規模農場の多くは、生産性を上げるに 化学肥料への依存と潅漑水の多給による塩害を含めて土壌の保全に ついても環境への負荷増大の観点からも問題は多く存在します。 資本上の利益を上げるために自然の持つ潜在的な力を根こそぎ収奪する ような収奪農法とも云える状態にありますことはアメリカでの 大農場を見れば、一目瞭然で持続的な生産力を考えた場合、 疑問視せざるを得ません・・。 世界中で推進されてるグローバル経済の仕組みは市民「消費者」には 作らせないで「買わせる」そして「ひたすら」大量に消費させることに 「収れん」されてると云っても過言ではありません・。 この仕組みは果たして持続可能なものでしょうか? これらの延長線上には破局を暗示する兆候も見えており・・ ヨーロッパの「心ある市民達」には既に・これに気付き対応する手段を 講じる具体的な方向への歩みを始めてます・。 グローバル経済より一歩引いた「地産・地消」スローライフ・ スローフーズ運動も、食の安全、暮らしの安全に向けた現れの一つで、 EU圏の統合とその中でも「エネルギーと食糧の自立」 地域の自立には政治的にも格段の配慮がなされてることが伺えます・。 振り返って我が日本の場合、其処には危機を・危機として感じない 「極楽トンボ症候群」に犯されてる事に危機の本質がある・と断ぜられます。 日本でも農業力の基礎にあたる、環境保全、里山保全のようなものを 柱として、小規模な生産物でも確実に消費者に亘る流通形態の構築・ 市井の八百屋さんや・米やさん・魚屋さん小規模な商いでも成り立つ ような・・もの、脱、効率万能も考えねばならないようです。 |
「森は海の恋人」「森は田圃のお母さん」キャッチコピー で表すとして、森の木々を育てるのは・何か?と 考えると木々に養分を与え、育ててるのは シロアリなど昆虫と多種、多様なバクテリア群であることが 近年より具体的にその関連が判るようになりました。 積雪が柔らかい白い毛布のように山肌を優しく包むとき その下では適度な湿気と温度によって前述の微生物群が 活賦されて山の木々を育てる養分や田圃の稲を育て 海に下っては昆布、わかめなど海王類、牡蛎や、あわび、 魚介類にまで及ぶ栄養分の供給源となってます。 昔から伝えられてる「大雪と豊作の関連」など それを裏付けるものがあります。 日本列島の山々の森林は日本の気象風土と相まって 他国には無い、高い生物・生産性を有しております。 「森林涵養」は日本国、国家を挙げて取り組めねば ・・ならぬ重要なことです。・・ 緑深い森林を近未来の子孫に残さねばならぬ優先順位 として整備新幹線どころの比ではありません。 |
▼珍 源斎さん: >考えると木々に養分を与え、育ててるのは >シロアリなど昆虫と多種、多様なバクテリア群であることが >近年より具体的にその関連が判るようになりました。 その通りだと思います。 例えそれが害虫と言えども、食物連鎖という自然界の掟の前には千に一つの無駄もないという事です。 森林は環境を改善する物理的な役目ばかりじゃなく、精神的に癒される事が医学的にも証明されています。 自然を愛する北の老兵 |
▼北の老兵さん: >▼珍 源斎さん: > >>考えると木々に養分を与え、育ててるのは >>シロアリなど昆虫と多種、多様なバクテリア群であることが >>近年より具体的にその関連が判るようになりました。 > >その通りだと思います。 >例えそれが害虫と言えども、食物連鎖という自然界の掟の前には千に一つの無駄もないという事です。 > >森林は環境を改善する物理的な役目ばかりじゃなく、精神的に癒される事が医学的にも証明されています。 > > 自然を愛する北の老兵 そや、そや、そのとおりや! わいら自然農法ではけっして自然界のサイクルを無駄にはせえへんのや! いや失礼いたしました。不耕起といいまして耕せずして雑草の力を借りてやる 農法なものですから。ですから土中の例えばミミズなども一応大切にして、その 生きる環境を共生する環境を作ってやるのですね。なんといいますか、自然のエネルギーの上にうまく乗っかっているといいますか……? しかし、慣行農法、有機農法など色々あってもいいと思いますよ。 田吾作 |
▼珍 源斎さん: >「森は海の恋人」「森は田圃のお母さん」キャッチコピー >で表すとして、森の木々を育てるのは・何か?と > >考えると木々に養分を与え、育ててるのは >シロアリなど昆虫と多種、多様なバクテリア群であることが >近年より具体的にその関連が判るようになりました。 > >積雪が柔らかい白い毛布のように山肌を優しく包むとき >その下では適度な湿気と温度によって前述の微生物群が > >活賦されて山の木々を育てる養分や田圃の稲を育て >海に下っては昆布、わかめなど海王類、牡蛎や、あわび、 > >魚介類にまで及ぶ栄養分の供給源となってます。 >昔から伝えられてる「大雪と豊作の関連」など > >それを裏付けるものがあります。 >日本列島の山々の森林は日本の気象風土と相まって > >他国には無い、高い生物・生産性を有しております。 > >「森林涵養」は日本国、国家を挙げて取り組めねば >・・ならぬ重要なことです。・・ > >緑深い森林を近未来の子孫に残さねばならぬ優先順位 >として整備新幹線どころの比ではありません。 森の木々を育てるのは、逆説的なようですが、環境なのだと考えています。 森が育んだ環境が、ひるがえって森を育てているのだというのが私の考えです。 言われる多様性は、確かに、南北に長くまた高低差のある国土を考えると、世界的にも恵まれたものと思います。自然が与えてくれた財産です。 ただ、それに価値を見いだすか、また活かすかは、人それぞれです。私としては是非活かしたいと思うのですが、それで生活している方の考えはまた別です。 何ヶ月か前、不耕起栽培のことを知り、農家の方に話したことがありますが、何年か前、試験的に行われたこともあったようですが、結局続かなかったそうです。周囲との関係等、解決すべき色々なことがあるのかと思いました。 ただ、整備新幹線については、私は、東海道新幹線のバイパスとして、日本海側にも必要であると考えています。万が一(地震、テロ等で)、東海道新幹線や東名高速道路が使えなくなったとき、空港や、他の道路だけでカバーするのは大変ではないでしょうか。 |
数理梵哲 さん! こんばんわ! 地球上に酸素(O2)が無く今のように生物が住める 環境でなかった時に藍藻類のような光合成・能力の ある微細な生物が太陽エネルギーを利用しつつ 地球上の大気に酸素を放出し続けた結果が今の 我々生命に欠くことの出来ない大気「空気」に 引き継がれてる事は、教科書にもあり広く知られてる 処です。石油、石炭などの化石燃料と云われてる 物も元を返せば太古の微生物群や後の木々の文字通り 化石であったものです。これも説明の必要はありませんね。 私のこのスレッドで一貫して述べさせて頂いてることは 地球上に現存する総ての生命は今でも様々な微生物群の 生産力を超えては成り立たないと云うことです・。 例えば、牛などの反芻動物は胃の中のバクテリアを 育てそれから得られるタンパク質により大きい体を維持してます。 牛たちの食してる牧草類を集めて人口的に牛乳やバター、チーズ など造ることは出来ません。それを可能にしてるのは 牛の消化器系に棲んでるバクテリアの働きによるものです。 山の木々の場合では山の土壌の中に生息する昆虫などの 虫類と虫類と共生してるバクテリア群が大きな連鎖の中で それを受け持ってます。・・環境その物が前述の微生物や バクテリア群に総ての泉源はあると云うことが・・ 近年、明確になり自然科学での共通の認識になってます。 環境を考える上で、これを抜きでは考えられない所以です。 整備新幹線の問題に触れたのは「国として限りある「お金」 を使う上での優先順位についてのことですが、 新幹線という高速鉄道システムも世界銀行からの 借款を得て東海道新幹線建設した当時と社会情勢も 大きく様変わりして今後、新しく建設される新幹線が 採算もとれ設備の建設に要した費用が償還可能なのか? 新幹線の建設された地方、地方に本当の意味で役立つのか? 新幹線のもつ地震など自然災害に極めて脆弱であること。 道路とは異なり新幹線は2点間の人員の高速輸送には 一定の役割があるとしても、バイパス機能は持ち得ません。 余り長くなるといけませんが? 高速を追い求めた人類の歴史に「もう少しスロー」 で良いのではないか・生活者本位考え方健康と幸福の ために「もう一度」考え直そうとする運動がヨーロッパ から起こり、日本でも「スローライフ・スローフーズ」 運動として生活者主体の考え方として広く理解され 実践されつつあります。 グローバル経済から一歩引いた考え方でもあるようです。 |
▼珍 源斎さん: > >私のこのスレッドで一貫して述べさせて頂いてることは >地球上に現存する総ての生命は今でも様々な微生物群の > >生産力を超えては成り立たないと云うことです・。 >例えば、牛などの反芻動物は胃の中のバクテリアを > >育てそれから得られるタンパク質により大きい体を維持してます。 >牛たちの食してる牧草類を集めて人口的に牛乳やバター、チーズ > >など造ることは出来ません。それを可能にしてるのは >牛の消化器系に棲んでるバクテリアの働きによるものです。 > >山の木々の場合では山の土壌の中に生息する昆虫などの >虫類と虫類と共生してるバクテリア群が大きな連鎖の中で > >それを受け持ってます。・・環境その物が前述の微生物や >バクテリア群に総ての泉源はあると云うことが・・ > >近年、明確になり自然科学での共通の認識になってます。 >環境を考える上で、これを抜きでは考えられない所以です。 > >整備新幹線の問題に触れたのは「国として限りある「お金」 >を使う上での優先順位についてのことですが、 > >新幹線という高速鉄道システムも世界銀行からの >借款を得て東海道新幹線建設した当時と社会情勢も > >大きく様変わりして今後、新しく建設される新幹線が >採算もとれ設備の建設に要した費用が償還可能なのか? > >新幹線の建設された地方、地方に本当の意味で役立つのか? >新幹線のもつ地震など自然災害に極めて脆弱であること。 > >道路とは異なり新幹線は2点間の人員の高速輸送には >一定の役割があるとしても、バイパス機能は持ち得ません。 > >余り長くなるといけませんが? >高速を追い求めた人類の歴史に「もう少しスロー」 >で良いのではないか・生活者本位考え方健康と幸福の >ために「もう一度」考え直そうとする運動がヨーロッパ > >から起こり、日本でも「スローライフ・スローフーズ」 >運動として生活者主体の考え方として広く理解され >実践されつつあります。 > >グローバル経済から一歩引いた考え方でもあるようです。 地球環境についての珍 源斎さんのお考えは、私もその通りだと思います。 ただ、新幹線(新幹線だけではなく高速道路も)については、私は採算だけで判断すべきではないと考えています。採算面から考えるのは一つの考え方であって、それがすべてではありません。採算とは関係のない投資は多くあります。例えば自衛隊もそうです。要は位置づけの問題です。私は、新幹線や高速道は、社会資本と考えて良いと思いますので、必要があれば、採算とは関係なく建設すべきと考えています。当然、他の政策と優先順位はありますが。 私が気になるのは、必ず来るといわれている東海地震です。東海道新幹線、東名高速道路が破壊された時、関東と関西圏の流通をどうするのかという問題です。 羽田空港と関西新空港とで人と貨物の移動をまかなえるかということです。 鉄道の良いところは、大量の人や物資を速やかに移動できることです。 船舶でも可能かとは思いますが、スピードが違いますので、緊急の場合は難があると、私は考えています。 |
▼数理梵哲さん:こんにちわ! 採算にはその時、その場だけではない、時代を超えたスパン「範囲」 での広い意味で捉えなければなりませんが、 採算には「収支、利、効果、原価償却」が不可分についてまわります。 時代が変わり時が流れれば、万里の長城は如何なもので有ったか? 今や観光資源としては格好な物ですが・・。 採算の採れてない新幹線にしろ道路にしろ歳月と共に老朽化もしますし。 その保全に必要な莫大な経費が次世代へと先送りされます。 次世代の人々が発展してその負担に耐えられるか・・と思うと、 疑問です。 勿論、先行投資として確かなものが予見出来るならば、それは 先人のの遺した資産として評価されるものになります。 しかし乍、現在に至る諸々の国が関わる先行投資的なものは その大きな無駄が現実の問題として浮上してきてます。 >ただ、新幹線(新幹線だけではなく高速道路も)については、私は採算だけで判断すべきではないと考えています。採算面から考えるのは一つの考え方であって、それがすべてではありません。採算とは関係のない投資は多くあります。 仰有ってる社会資本もお金が無尽蔵、無限に入るものであれば、・・ それはそれで良いと思いますが、現実はお金も思うように稼げなくなってる 時代に入ってます。莫大な借金を負わなければ国家としての経営が 成り立たなくなってます。・・・そこの処を考えて頂ければ、 私の申し上げてることのご理解はいただけるのではないかと存じます・。 日本の近未来の暮らしの安全を考えますと地域、地域の生存に関わる ことの自己完結機能を少しでも高めねばと思います。 それは再参述べさせて頂いてるように地産、地消の割合を少しでも 多くすること、遠隔地よりの高速輸送にに頼る物を減らして行くことが 近未来のより資源節約を図らねばならぬ趨勢から見て必要に 思えます。ことと同時に大地震など自然災害に対しての脆弱性を 減らす為にもその有り様を変えなければならない時が来てるように 思えます。 コンクリート製の橋脚や道路、建築物も予想以上に老朽化のスピードが 早いこと、鋼鉄製の部分の錆による腐食なども折角の社会資本の老朽化や 機能低下に現実には予想を超えて進んでるようです。 社会資本は造る事と併せて近未来を視野に入れた物の見方が 欠くことの出来ないことではないでしょうか・・・。 |
食糧自給率を考える時、マス「大量・大規模」で考える のとは別に家庭菜園規模のミクロの形でも 地産・地消スローフーズでの考え方に沿うものと思う。 戦後の食糧難当時やソ連時代のロシアの混乱期でも彼らは コルホーズなどの国営農場に働く者でさえ、自宅のまわり での家庭菜園を造り、余った物は現金収入の一助にしてたとか・ 都市住民でも近隣郊外にダーチャ別荘を意味するが 我々のイメージする別荘とは異なる・ささやかなもので 只、周囲の土地はあるので、それを活用して馬鈴薯や 野菜類を栽培すること、これは週末や、休暇での楽しみ 「レジャー」として一般的であったとのこと、 振り返って考えてみると身近での作物の栽培からは 植物の育成を通して云わずものがなに自然・環境・健康等々 様々なことが学べるばかりでなく、 自然に接することで得られる潤いや農作業で汗をながす こと、経験の積み重ねで得られる非言語系の身につく教え 「教唆」が特に子供達へは計り知れない経験、知識、知恵の 泉源みなるように思われる・・。 自給率云々の量的なレベルからは遠いとしても「チリツモ」的 に考えれば結構な数量にもなり得るのではないか・ ・・「チリツモ」とは?ちりも積もれば山になるの略・・ |
▼珍 源斎さん:こんにちは >食糧自給率を考える時、マス「大量・大規模」で考える >のとは別に家庭菜園規模のミクロの形でも >地産・地消スローフーズでの考え方に沿うものと思う。 > あなたの書込に触発されて 我が家の今朝の食卓に並んだもの。大根、ほうれん草、高菜、すべて自家菜園でとれたものです。 今年は台風で、野菜類の生育に影響が出ましたが、このところ順調に育ってくれています。 猫の額ほどの小さな菜園ですが、土おこし、施肥、植え付け、除草、病害虫駆除と結構忙しくしています。化学肥料や農薬をあまり使いたくないので、その分、手間ひまがかかるということもあります。 収穫もうれしいことのひとつですが、太陽や風、植物や土のかおりを感じられるのもいいものです。そう、自然からエネルギーというか気のようなものをいただいているようで…。 ごたぶんにもれず私の周囲にも高齢者のかたが多くいらっしゃいます。その方たちが元気に畑で働いています。いくつになっても畑仕事がしたい、みなさんそう言われます。 毎日の暮らしの中にお金では買えない小さな喜びがあります。 |
▼王里さん:こんにちは 今年も後、わずかになりましたね! レスコメント有難うございます。 >我が家の今朝の食卓に並んだもの。大根、ほうれん草、高菜、すべて自家菜園でとれたものです。 > >今年は台風で、野菜類の生育に影響が出ましたが、このところ順調に育ってくれています。 > >猫の額ほどの小さな菜園ですが、土おこし、施肥、植え付け、除草、病害虫駆除と結構忙しくしています。化学肥料や農薬をあまり使いたくないので、その分、手間ひまがかかるということもあります。 > >収穫もうれしいことのひとつですが、太陽や風、植物や土のかおりを感じられるのもいいものです。そう、自然からエネルギーというか気のようなものをいただいているようで…。 > >ごたぶんにもれず私の周囲にも高齢者のかたが多くいらっしゃいます。その方たちが元気に畑で働いています。いくつになっても畑仕事がしたい、みなさんそう言われます。 > >毎日の暮らしの中にお金では買えない小さな喜びがあります。 経済のグローバル化?の趨勢として生産者は大規模な形でしか残れなく なったり、私達はいつの間にか、物を造「作」らずに只〜ひたすら・・ それも大量に消費させられる役回りにされてしまったようです。 幸せも喜びもお金でしか買えない・・? ような思い込みすら擦り込まれてしまったような・・感さえ世状、 世相から「うかがえる」ことは国や社会にとっての 大きな危機ではないか・・と思います。 仰有るように、暮らしの中でお金で買えない喜び、例え小さくても 日常の中で取り戻す必要を強く感じます。・・ 私も高齢者の一人ですが、無為な消費者でなく、少しでも生産者てきな 役回りに徹したく日常を過ごさせて頂いてます。 |
畑仕事の周りに結構高齢者の方々が多いということですか? それで思い出しましたが、以前日経新聞の文化欄でアメリカ人の写真家が日本の高齢者(100歳以上)の写真を撮っているという記事がありました。 その中の感想で「百歳以上のお年寄りというのはどうも若い頃に農業に従事していた方が多いようだ」というのがあり、また最近発刊された「百歳万歳!」というNHKのドキュメンタリーの集成版の中でも、畑仕事をやっている方々が多かったと記憶しております。 それで、その辺の因果関係、つまり畑仕事と長寿の因果関係みたいなことを説明してくだされば有難いのですが……。 |
▼市民賢さん: こんにちわ! 元気な高齢者の特徴としては、 自然のリズムに適応し生活してるることが先ず第一に挙げられます。 畑仕事は単調に見えても季節の移ろい、植物であれ生物ですから 天候など微妙なことで影響を受けるので細かい観察力と対応が 必要になり・・結構・頭脳的な作業ですので絶えず頭脳を使ってる ことになるようです。 >畑仕事の周りに結構高齢者の方々が多いということですか? >それで思い出しましたが、以前日経新聞の文化欄でアメリカ人の写真家が日本の高齢者(100歳以上)の写真を撮っているという記事がありました。 >その中の感想で「百歳以上のお年寄りというのはどうも若い頃に農業に従事していた方が多いようだ」というのがあり、また最近発刊された「百歳万歳!」というNHKのドキュメンタリーの集成版の中でも、畑仕事をやっている方々が多かったと記憶しております。 >それで、その辺の因果関係、つまり畑仕事と長寿の因果関係みたいなことを説明してくだされば有難いのですが……。 長命な高齢者には音楽家など芸術家にも多く見受けられますね。 長命である方の「因果関係」には何れも頭脳を老化させてない ことが共通のようです。 頭脳を老化させないことは創造力を絶えず活賦させる事を 生活習慣として続けられてることに有るように思われます。 それには固定観念や思考停止に陥らず常に「好奇心」も 持ってることも挙げられます・・。 更に加えて食生活の習慣も大きな要素です。 バランスのよい食事、腹八分で食べ過ぎないことも・・・ 元気で長命な方々に共通してるようです・・。 |
北欧諸国では、F「フーズ・食糧」E「エネルギー」 C「ケアー・医療介護も含め」の自給自足圏を構成する 努力が国策、或いは政治的に目標としてるそうです。 そして着々と成果を挙げつつある様子は、 最近、良く聞く処です。 農作業をするにしてもこれからは例え規模が小さくとも 機械力に頼らざるを得ません事からも・・ その昔?のような人力や牛馬頼りと云う訳にはまいりません。 今や、農業は超のつく高度なハイテク産業になって ますので若い優秀な人たちが農業の価値を認識されて 食糧生産を担ってくれるようになる事を願わずにおれません。 教育もそう云った現場で働くやり甲斐と価値を示せるものに なって欲しいものです。 管理部門やホワイトカラーの職種の価値は相対的に 低下してることを認識することが必要ではないかと 思います。 |
北欧での三位一体での自給自足体制ですか?なるほど考えさせられるところがありますね! 人力に頼るところなく機械に依存するとありますが、そこのところ、もう少し補足的説明をお願いいたします。 |
▼市民賢さん:こんばんわ! レス有難うございます。 >北欧での三位一体での自給自足体制ですか?なるほど考えさせられるところがありますね! 北欧諸国の共通した理念は自主、自尊、自立の精神に富んでます。 緯度の高い北極圏近くの厳しい自然環境、或いは歴史がそのような 精神を育んだのかもしれません。 >人力に頼るところなく機械に依存するとありますが、そこのところ、もう少し補足的説明をお願いいたします。 人力に頼るにしても限界がありますので。それを越えて仕事を こなす場合は小型で高性能な動力農機具のお出ましが必要ですが、 そのようなカデゴリーの物は日本製として色々現存してますが、 現場で必要と需要があれば現存しない物でも開発が可能です。 田植機まで造ってしまう日本の技術はこれからの世界に 大いに役立つものと思えます。 日本人のセンスと技術が役立つと云う意味です。 |
食糧の少しでも自給を考えたとき、最も大切なことは 表土、土壌を守ることではないでしょうか? 表土を失った土壌の光景としてはテレビの映る北朝鮮の 木も生えてない山々の様子、これでは国民は飢えるな〜あ の思いを持たざるを得ません。治山・治水は為政者にとって 最も大切な役目、戦国時代の領主「武田信玄」は見事な 技術をもって治山、治水に努めた様子が今も残ってます。 その技術がなん・とアフガニスタンで活かされてることを 現地で献身的な働きをしてる中村医師が白衣・聴診器を まず、捨て置き大勢の日本人スタッフ、現地の人たちと 協力して潅漑水路造りに武田信玄譲りの工法もって 活躍してる様子を知り頭の下がる思いした。 作物が作れる表土の保全は食糧の自給率を少しでも 高める上での基礎にあたる最も大切なことです。 国策の方向もそのようになること、意識して推進せねば ならぬ処です・・。 |
オーストラリア 289%(1961-70)、293%(1991-2000) カナダ 170%(1961-70)、179%(1991-2000) アメリカ 123%(1961-70)、135%(1991-2000) ドイツ 72%(1961-70)、121%(1991-2000) イギリス 60%(1961-70)、113%(1991-2000) イタリア 72%(1961-70)、 86%(1991-2000) 日本 60%(1961-70)、 28%(1991-2000) スイス 33%(1961-70)、 64%(1991-2000) そして2002年資料では、日本は穀物自給率24%と下降の一途を辿っています、一方コンビニなどでの賞味期限弁当廃棄、食堂などでの食べ残しなど、民間レベルでの食糧の無駄遣いは数限り無く、国民を食べさせていく責務のある政府の無策ぶりは数字で明らかです。 これは米国などの、市場開放の圧力に負けた部分もあるのでしょう、結局の所日本の食を守れなかった政府には重大な責任があると言えます。 これで果たして高額の給与を貰う資格が政治家にあるのかは非常に疑問です。 |