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 ▼社会の中の人倫について  とうろう 04/12/31(金) 22:31

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 ■題名 : 社会の中の人倫について
 ■名前 : とうろう
 ■日付 : 04/12/31(金) 22:31
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   皆さん、本年はお世話になりました。どうかよいお年をお迎えください。

今年、最後に当たって、ふと、思ったことを書きたくなりました。

先に、流水さんの「漢字一文字」のスレッドに私は下のレスをつけました。

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「 敢えて、私が上げるとすれば、崩壊の「崩」です。
少し大袈裟かとも思いますが、社会の崩壊の兆しを感じています。

憲法の理念から離れゆく右傾化、平和理念の崩壊の兆し、政界、財界、官界、社会を壊す嘘、愚、災、家族の崩壊(引きこもり殺人、幼児虐待)、放任との履き違えによるに真の自由の崩壊、教育の崩壊、ダブスタ(得手勝手)による倫理観の崩壊・・・。」
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ここに挙げたようなことは、特に「得手勝手による倫理の崩壊」などは、私の倫理観からは信じがたいことですが、今までも、嫌と言うほど見てきたのも事実です。それが人間だとも思います。己にしても「武士は食わねど高楊枝」で、やせ我慢を張ったこともあるからです。

しかし、今思うことは、昔と言うか、戦前の倫理は「内に厳しく」「外に優しい」だったと言うような気がします。

身内(仲間)には身内だからこそ厳しく言い、外、外様には、知らない人だからこそ「優しく」当たる、これは、例えば、四国巡礼のお接待さんの雰囲気に残っていると思います。

このようなことは、昔の貴流伝説、高貴なお方の僻地での歓待などでも伺われます。現代でも、僻地と言うか、生活が厳しい環境の中でこそ、特に遊牧民に見られる如く、客人を歓待する気風が、モンゴル遊牧民、ベドウィン遊牧民に見られるようです。

日本は皆豊かになってこのような感覚がなくなったのでしょうか。よそ人は、排除すべきと思うのは、農耕民族の通弊かもしれませんが。しかし、そうでもなく、農村では、他所人を温かく迎えたようです。

これが、最近は、身内に優しく、外には厳しく、に変わっているような気がします。この掲示板創設関係者の姿勢そして私の経験からみてそう感じます。

また、今頃の犯罪被害者の「犯人」を憎むことの、直截的な報復期待発言を見ると、本当に苦しいのは「犯人」ではないかと、人としての優しさが見られないのを、被害者の関係者には、申しわけ無いと思いながら、もう少し、人としての優しさをみたいなぁ、といつも感じている次第です。

このようなことなども、自分の欲望に忠実、思いに忠実、それが人権、自由と言う、「勝組み・負組み」「負け犬」などという繊細のかけらもない表現を生む「rude 」( a. (天候などが)荒れる, 激しい; 荒々しい, 不作法な; 自然のままの; 粗末な; (見積りなど)ざっとの; 突然の; 〔話〕 わいせつな.)なものであり、(多分、人としては、誤まっていると私は思う)社会教育風潮の結果ではないかと思うものです。

そして、その結果の一つが、今見る掲示板の混乱であるような気もします。

老成の皆さんは如何お思いでしょうか。

身の程も顧みず、少し、お酒の入った感覚でお伺いいたします。

皆さんよいお年を。失礼しました。

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