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 ▼読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  珍 源斎 04/12/22(水) 13:31
   ┣Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  こんぺいとう 04/12/22(水) 16:48
   ┃  ┣[管理者削除]   
   ┃  ┃  ┣Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  頑固生きがい 04/12/22(水) 21:14
   ┃  ┃  ┃  ┗Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  九州渡辺 04/12/22(水) 21:49
   ┃  ┃  ┃     ┗Re(5):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  頑固生きがい 04/12/22(水) 22:31
   ┃  ┃  ┃        ┗[管理者削除]   
   ┃  ┃  ┃           ┣Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  頑固生きがい 04/12/23(木) 10:35
   ┃  ┃  ┃           ┗移動しました  管理スタッフ 04/12/23(木) 11:11
   ┃  ┃  ┗移動しました  管理スタッフ 04/12/22(水) 22:03
   ┃  ┗Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  珍 源斎 04/12/22(水) 21:08
   ┃     ┗Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  こんぺいとう 04/12/23(木) 16:58
   ┃        ┗Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  珍 源斎 04/12/23(木) 19:37
   ┣Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  白波 04/12/22(水) 23:12
   ┃  ┗Re(2)白波さんへ!:読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  珍 源斎 04/12/23(木) 11:53
   ┣Re(1):ある大学教官の嘆き!  珍 源斎 04/12/23(木) 12:11
   ┣Re(1):学力の根本論議を  団塊党 04/12/24(金) 20:35
   ┃  ┣Re(2):学力の根本論議を  小鉄 04/12/24(金) 20:52
   ┃  ┃  ┗Re(3):学力の根本論議を  団塊党 04/12/25(土) 7:01
   ┃  ┃     ┗Re(4):学力の根本論議を  小鉄 04/12/25(土) 18:33
   ┃  ┃        ┗Re(5):学力の根本論議を  団塊党 04/12/25(土) 20:48
   ┃  ┃           ┗Re(6):学力の根本論議を  数理梵哲 04/12/26(日) 9:15
   ┃  ┃              ┗Re(7):学力の根本論議を  団塊党 04/12/26(日) 12:55
   ┃  ┣Re(2):学力の根本論議を  北の老兵 04/12/24(金) 22:33
   ┃  ┃  ┣Re(3):学力の根本論議を  松 04/12/24(金) 23:28
   ┃  ┃  ┃  ┗Re(4):学力の根本論議を  数理梵哲 04/12/25(土) 7:44
   ┃  ┃  ┗Re(3):学力の根本論議を  団塊党 04/12/25(土) 7:47
   ┃  ┣Re(2):学力の根本論議を/人の教育とは  とうろう 04/12/24(金) 22:37
   ┃  ┗Re(2):学力の根本論議を  珍 源斎 04/12/26(日) 18:29
   ┃     ┣Re(3):学力の根本論議を  団塊党 04/12/26(日) 20:54
   ┃     ┃  ┣Re(4):学力の根本論議を  パンドラ 04/12/27(月) 1:13
   ┃     ┃  ┃  ┗Re(5):学力の根本論議を  団塊党 04/12/27(月) 19:48
   ┃     ┃  ┃     ┗Re(6):学力の根本論議を  パンドラ 04/12/28(火) 20:00
   ┃     ┃  ┃        ┗Re(7):学力の根本論議を  北の老兵 04/12/28(火) 21:24
   ┃     ┃  ┃           ┗Re(8):学力の根本論議を  団塊党 04/12/28(火) 22:31
   ┃     ┃  ┃              ┗Re(9):学力の根本論議を  パンドラ 04/12/28(火) 23:48
   ┃     ┃  ┃                 ┗Re(10):学力の根本論議を パンドラさん  k・satou 04/12/29(水) 12:29
   ┃     ┃  ┃                    ┗Re(11):学力の根本論議を パンドラさん  パンドラ 04/12/29(水) 17:57
   ┃     ┃  ┗Re(4):学力の根本論議を  珍 源斎 04/12/27(月) 14:33
   ┃     ┃     ┗Re(5):学力の根本論議を  団塊党 04/12/27(月) 22:02
   ┃     ┃        ┣Re(6):学力の根本論議を  珍 源斎 04/12/28(火) 17:32
   ┃     ┃        ┃  ┗Re(7):生活環境の変化  団塊党 04/12/28(火) 18:40
   ┃     ┃        ┗Re(6):学力の根本論議を  北の老兵 04/12/29(水) 20:05
   ┃     ┃           ┣Re(7):学力の根本論議を  北の老兵 04/12/29(水) 20:11
   ┃     ┃           ┃  ┣Re(8):学力の根本論議を  団塊党 04/12/29(水) 21:39
   ┃     ┃           ┃  ┗Re(8):学力の根本論議を  団塊党 04/12/31(金) 11:33
   ┃     ┃           ┗Re(7):学力の根本論議を  珍 源斎 04/12/30(木) 15:13
   ┃     ┗Re(3):学力の根本論議を  団塊党 04/12/26(日) 20:58
   ┣Re(1):ネアンデータル人は何故絶滅したか?  珍 源斎 04/12/31(金) 18:06
   ┗Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  山本隆博 05/1/4(火) 13:44
      ┗Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  とうろう 05/1/4(火) 14:00

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 読み書き算術・能力、学力低下の果ては?
 ■名前 : 珍 源斎
 ■日付 : 04/12/22(水) 13:31
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   明治の開国時において先進諸外国より学び
急速な経済発展の基礎となったのは、江戸時代における

寺子屋が果たした役割が小さくなかったと云われてます。
寺子屋では読み書き、算術、論語「道徳」など所謂、基礎的な学科?が

子供達へ教えられてたとのことで、当時の世界的に比べても
識字率が高いことはお雇い外国人教師も驚くほどであったそうです。

先般「経済協力開発機構」の実施した国際学力テストによれば
日本の15歳の読解力・数学応用力の順位を大きくさげたこと。

これは、読み書き・算術「算数」が出来なくなった事だ。

前述の「経済協力開発機構」によれば読解力の低下は
下位の生徒の成績がガタ落ちしたことで・・

上位の生徒の成績は変わってないこと・・で
此処でも学力の2極分化が進んでるようである。

今、世情では「勝ち組・負け組」の論議もあるが、
これの進み具合によると権力構造が固定化して

「支配者と被支配者」分断された富の偏在など社会構造が
不安定になるか、被支配者たる大衆が抑圧によるフラストレーション

が高進してフアシズムを受け入れてしまうような
剣呑で不安定な社会になるのではないか・の不安を覚える。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : こんぺいとう <shima-mama@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 04/12/22(水) 16:48  -------------------------------------------------------------------------
   かつて大宅壮一氏がテレビ番組の低俗化を称して「一億総白痴になる」
といったような気がします。

今思えば、文部省も国も、国民をコントロールできる安直な人間を
作る為に、30年かけて指導要領改定してきたのかもしれませんね。
何にも考えず、巷をうろうろする若者を作って、そろそろこれらの子を
洗脳する施設を作って一網打尽、気が付いたら若者は国の言いなりになる
サイボーグに仕立てられたりなんかして。オオコワ〜

早く若者を何とかしないと、文書も判読できないお馬鹿さんが増えて、
どこやらの総理の思う壺になるかも知れません。

考えすぎでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : [管理者削除]  ■名前 :  ■日付 :  -------------------------------------------------------------------------
   この書き込みは管理者によって削除されました。(04/12/26(日) 23:42)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 頑固生きがい <1934shouzou@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 04/12/22(水) 21:14  -------------------------------------------------------------------------
   ▼九州渡辺さん:
>今思えば、文部省も国も、国民をコントロールできる安直な人間を
>作る為に、30年かけて指導要領改定してきたのかもしれませんね。>>
>おやおや、これはまた異なことを。元々謝った平等主義から『詰め込み教育
>に反対する』とか言い出したのはサヨクイデオロギーに染まった親とか
>市民団体じゃなかったですか? 参加機会の平等ではなく、結果平等を
>推進した結果がこのザマですよ。 人ごとではありませんよ。
>小学生は7〜8時間の睡眠時間が必要とか、テレビ・ゲームの時間を限定
>するとか、百マス計算を実施するのが学力向上に繋がると、先日の報道
>2001で言ってましたが。

今この老人党の中で投稿内容や方法などが論議されていますが、貴方のような理屈をこねまわす人が多いことが最大の原因だと言うことがお分かりにならないようですね。

全てのことをサヨクとか、好戦的に論じようとされるから肝心の学力低下にどうやって歯止めを掛けるべきかというような本論から逸脱して乱戦になるのですよ。

そろそろ難癖をつける今のスタイルを改めませんか?。要は今の日本では世界に取り残されるという危機感からいろんな人がいろんな角度から問題提起をされているのです。その事を理解出来ないようでしたら矢張り振り分ける方がいいというような提言が出てくるのです。

因みに私は今のスタイルがベストと思っていたのですが、貴方やその他一連の方々を振り分けるのもやむを得ないかなと痛感しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 九州渡辺  ■日付 : 04/12/22(水) 21:49  -------------------------------------------------------------------------
   今この老人党の中で投稿内容や方法などが論議されていますが、貴方のような理屈をこねまわす人が多いことが最大の原因だと言うことがお分かりにならないようですね。>>私は『今思えば、文部省も国も、国民をコントロールできる安直な人間を作る為に、30年かけて指導要領改定してきたのかもしれませんね。』
この印象操作ともいえる部分に反論したまでです。誤解無きように。

肝心の学力低下にどうやって歯止めを掛けるべきかというような本論から逸脱して乱戦になるのですよ>>それは簡単ですよ。学校の週休二日制を以前のように
隔週にするとかが現実的でしょうね(授業時間の増加=特に理科)
しかしこれは一度週休二日にしてしまっており、ある意味では楽をする方向
に流れてしまっています。人間一度楽チンな方向に流れると後の修正は結構
キツイものがありますからね。 週休二日を隔週にするか、平日の授業時間
を増加するかの二者択一を当面は検討すべきでしょうね。 小学校では昔
熱伝導率の違い=ウィンカーの原理などを習いましたが、現在では教えてい
ません。 幸いに私共の学区では百マス計算を実施しており、これなどは
結構役立っています。とにかく生徒・教師共に一度楽な方向に流れています
から、それをいかにして修正するかが問題でしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 頑固生きがい <1934shouzou@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 04/12/22(水) 22:31  -------------------------------------------------------------------------
   ▼九州渡辺さん:
>今この老人党の中で投稿内容や方法などが論議されていますが、貴方のような理屈をこねまわす人が多いことが最大の原因だと言うことがお分かりにならないようですね。>>私は『今思えば、文部省も国も、国民をコントロールできる安直な人間を作る為に、30年かけて指導要領改定してきたのかもしれませんね。』
>この印象操作ともいえる部分に反論したまでです。誤解無きように。
>
>肝心の学力低下にどうやって歯止めを掛けるべきかというような本論から逸脱して乱戦になるのですよ>>それは簡単ですよ。学校の週休二日制を以前のように
>隔週にするとかが現実的でしょうね(授業時間の増加=特に理科)
>しかしこれは一度週休二日にしてしまっており、ある意味では楽をする方向
>に流れてしまっています。人間一度楽チンな方向に流れると後の修正は結構
>キツイものがありますからね。 週休二日を隔週にするか、平日の授業時間
>を増加するかの二者択一を当面は検討すべきでしょうね。 小学校では昔
>熱伝導率の違い=ウィンカーの原理などを習いましたが、現在では教えてい
>ません。 幸いに私共の学区では百マス計算を実施しており、これなどは
>結構役立っています。とにかく生徒・教師共に一度楽な方向に流れています
>から、それをいかにして修正するかが問題でしょう。

それは現場で つまり教師だけで解決できる問題なのですか?。貴方の論法ですと
週休二日制は教師と生徒が示し合わせて画策したように聞こえますが、これは文部科学省が決めたのではなかったのかな?。

なんでもかんでも教師を悪者にしようとするウヨクの常套手段のようですが、本質を見誤っているのでは・・・かといって私は今の教師がベストとは思っていません

努力が足りない、向上心に欠けている 指導とは何かなど問題は多々あることは事実です。然し貴方の意図するところは教師は全てサヨクである と思い込んでいるところに悪意を感じるのです。

子弟教育は誰の責任かと言う前に 何が大事なのか 今求められているのは何なのか と言うことを真剣に論議するべきなのではないでしょうか。

貴方も多分お子さんをお持ちの父親だと推察しますが、子弟教育は家庭の躾や環境の整備などが重要な要点に取り上げられています。その事をお忘れなく!!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : [管理者削除]  ■名前 :  ■日付 :  -------------------------------------------------------------------------
   この書き込みは管理者によって削除されました。(04/12/26(日) 23:42)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 頑固生きがい <1934shouzou@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 04/12/23(木) 10:35  -------------------------------------------------------------------------
   ▼九州渡辺さん:
>なんでもかんでも教師を悪者にしようとするウヨクの常套手段のようですが>>
>それこそ誤解・偏見というものでしょう。古い友人に高校教師がいますが
>非常に見識もあり間違ってもサヨクではありませんよ。一部の日教組連中
>が癌であると。
>
>子弟教育は家庭の躾や環境の整備などが重要な要点に取り上げられています。その事をお忘れなく!!>>それは当然のとこですよ。問題のある生徒に限って
>親が家庭教育放棄しています。 
>
>週休二日制は教師と生徒が示し合わせて画策したように聞こえますが、これは文部科学省が決めたのではなかったのかな?。>>それはあくまで方法論・解決策
>ですよ。現状の問題は学力低下にありますね? ではどうすれば問題解決に
>なるか?と考えた場合には、週休二日→土曜日の隔週休日とか、平日の授業時
>間の増加となる訳です。 それが文部省主導で週休二日になったとしても
>このままの現状維持では何ら解決策にはなりません。
>
>それと『子弟教育は家庭の躾や環境の整備など』は学力向上という問題のみに
>限定すれば何ら効果はあるとは思えませんけど。 これは学力以前の人間と
>しての常識・良識を家庭でいかに教えるかというべき問題であり、学力とは
>無関係と思います。

言うまでもないことですが、子供とは旺盛な知識欲と好奇心を持ち、善も悪も区別出来ないまま成長していきます。学力学力と特別に取り上げる事ではありません。

知徳教育も道徳教育も同じレベルで語らなければいびつな人間になることぐらいはお分かりでしょう。学力だけを向上させるのは案外たやすい事ではないですか?。

塾もあります。家庭教師制度も最大限利用できます。その他学力向上の方法はそんなに難しい事とは思えません。然し頭がよければ、また良くなれば全てオーライとはいえないでしょう。人間としての最低限のモラルも備わっていない事が今の悪質
官僚を生み出していることを考慮しなければなりません。

家庭の環境がバランスよく取れている家庭の子供であれば間違いなく社会に迷惑をかけない良質の大人になりますし、やかましく言わなくてもすすんで勉強する子供に育ちます。親になりきっていない父兄こそが問題なのです。

教育は学校が受け持つもの と決め付けるならば週休二日制は廃止すべきかもしれませんが、世界に通用する社会人を求めるのであれば父兄も共同責任を持たなければなりません。間違っていますか?。躾も出来ない親から質の高い子供は決して出てこない事を肝に命ずべきです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 移動しました  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 04/12/23(木) 11:11  -------------------------------------------------------------------------
   ▼九州渡辺さん(37112):

Ray@スタッフです。
この書き込みは、
>非常に見識もあり間違ってもサヨクではありませんよ。一部の日教組連中
>が癌である
との部分が掲示板のルールのうち
  * 差別的意図があると判断されるもの、もしくは差別用語を含む文章
  * 元投稿者の人格を否定する内容、誹謗中傷、脅迫的な文章
  * 読み手を不快にすることで掲示板の混乱を招くことを意図する文章、もしくはその恐れのある文章(いわゆる「荒らし」行為)
に抵触するものと見なし、削除対象としてスタッフ連絡板に移動しました。

以後、この書き込みへのレスを禁止します
(この件に関するご意見はスタッフ連絡板へお書きください)。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 移動しました  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 04/12/22(水) 22:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼九州渡辺さん(37063):

Ray@スタッフです。
この書き込みは、掲示板のルールのうち
  * 差別的意図があると判断されるもの、もしくは差別用語を含む文章
  * 元投稿者の人格を否定する内容、誹謗中傷、脅迫的な文章
  * 読み手を不快にすることで掲示板の混乱を招くことを意図する文章、もしくはその恐れのある文章(いわゆる「荒らし」行為)
に抵触するものと見なし、削除対象としてスタッフ連絡板に移動しました。

以後、この書き込みへのレスを禁止します
(この件に関するご意見はスタッフ連絡板へお書きください)。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/22(水) 21:08  -------------------------------------------------------------------------
   こんぺいとうさん!早速のレス有り難うございます。

言語には伝達の機能の他に思考の道具としての大切な
役割がある。近代日本の求めた言語能力は、工場従事者が

機械の操作方法、作業日誌が読め、また兵士・下士官が歩兵操典
を読め、或いは斥候報告書が記載できることを求め

またはそう云う目的に使われる言葉だけを重視してたのではないか・
思考の道具としての言葉の大切さを教えずに「思考力より記憶力」と

して一貫してたように、今にして気付きます。その効果が見事に
現れて物を考えない若者、考えられない大人も増えて社会現象で

犯罪や、産業事故等々で企業不祥事の根っこにあるように
思います。何れにしても思考停止症候群の弊害は残念なことに

もっと酷くなる趨勢にあるように思われます。
他人の事が理解出来ずに思いやりを欠くと感じたときは

自分自身のなかの思考停止症候群を疑い、意識して軌道修正を
図りたいと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : こんぺいとう <shima-mama@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 04/12/23(木) 16:58  -------------------------------------------------------------------------
   珍 源斎さん

私のレスにホローしていただき有難うございました。
私は左翼でも右翼でもなく、少々いまの親世代を皮肉ったつもりでした。
ほっておいた結果が、ニートなどという変な種属を生み出してしまったの
ですから.

以前、私も教育現場の裏方をしていましたので、かなりの現場の教育力の
低下を見てきました。5年周期ぐらいにチョコチョコ文部省の方針が
変わっては落ち着かない教育現場になるのではありませんか。

私自身は社会教育の中で20年以上も子供達と接しています。
もしかしたら、右向きの方がうれしがるような教育もしています。
子供は本質的に変わっていません。変わって来ているのは親世代です。
なんでも人任せ、親の役目はどこへ行ったのといいたくなるほどです。

社会教育団体は親の手伝いを必要としている団体が多いのですが、
手伝いをかって出る若い世代の親が少なくなしました。
目の前の格好の良い教育産業に載せられてあっちへ行ったり、こっちへ
行ったり、犠牲になっているのは子供です。
少し辛いことがあると子供のわがまま(?)を聞いてすぐ別のものを用意
します。様々な理由をつけて団体をやめさすのも親です。

こんな子供は精神的に落ち着きません。きちんと向かって話をしてあげると、
それなりにきちんと対話ができ、力をつけていくものですが、一緒に
励ます辛抱が親のほうにないような気がします。ただ、こんな親世代を育てて
きたのは、戦後の高度成長で一線にいた今のじいちゃんばあちゃん世代、
もちろん私もですが・・・
私は回りの若い親と少しでも接点を持ち話せればと活動しています。

学校の現場にいました関係で、言いたいことはいっぱいありますが、昔の
職場の方々の悪口になりますので止めましょう。
素敵な先生も多くいまもお付き合いがありますので。

教育の事になると、また喧喧諤諤、反応が恐ろしいです。
ちょっと、長くなりました。失礼いたしました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/23(木) 19:37  -------------------------------------------------------------------------
   こんぺいとう さん 重ねてのレス有り難うございます。

教育問題の切り口は多方面からあり、一刀両断のような
訳にはまいりませんことは、判りますが、

今、目の前に現れてる現象を見れば、子供が産まれて
ほ乳期、乳児期、幼児期と生きることの基本を身に

付けて行く最も大切な時期は親が独占?的に携わる
ことになってますが・それは「すり込み期」とでも

云いましょうか。・・良しにつけ、悪しきにつけ
その時期の親の有りようが大きく影響してるように

思われます。教育や社会が悪いと批判する以前の
問題ではないかと私は思います。

現代は親になりきれない精神的に未成熟な親が
我が子への虐待や諸々の社会現象になって現れてる

ように思います。親より基本的、躾や教えを受けられて
ない子供達は不幸の芽を背負ったまま成長して行くことに

なりますので、後段の学校教育にある種・いわれの
無い負担まで及んでるのではないかと思われます。

以前「昔」は親以外の近所のお爺さんでも、
お婆さんでもよその子供であっても「叱る」ことが

有ったように思います。云えば地域の教育力も
存在してたことにあります。今でも地方へ行くと

そのような事が続いてるようです。
礼儀正しく微笑ましい子供達に出会う事もあります。

少し長くなりましたが、私は子供への教育の責任、
結果責任も含めて総ては親にあると思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 白波  ■日付 : 04/12/22(水) 23:12  -------------------------------------------------------------------------
   珍 源斎(チンゲンサイとお読みすればよいですか?お野菜の?)さん、はじめまして。興味深い問題を提起していただき感謝申し上げます。

生まれつき「勉強が好きな子ども」というのは確かにいると思います。こういう子はほっておいても自分で本を読み、勝手にどんどん勉強をしていくでしょう。
また、記憶力が並外れて良かったり、計算する能力がずばぬけているといった、俗に天才と言われるような、生来頭脳の機能が優れている子どもというのも、数は極少ないですが存在しています。
つまり、ピラミッドの上の部分については心配をすること必要がない。では、全体の学力を上げるにはどうすればいいかと言えば、私は「底上げ」をするしかないと思います。語弊があるかもしれませんが、底辺のレベルを上げるということです。

今の教育は、「子どもにゆとりを与えて個性を延ばす」と言ってはいますが、個性を伸ばす為には、最低限の素養が必要だと思います。素養がなければ「自分が何が好きなのか?」を判断することもできません。
走ってみなければ、自分が足が速いのか遅いのか、好きか嫌いか分からないのと同じです。最初は無理やりにでも走らせてみる必要があるのです。多少苦しくとも走っているうちに体も鍛えられ、もっと走ることができるようになります。その上で、「陸上の選手になるのか」「趣味で走るのか」「走るのをやめるのか」を考えればいいのです。
ただし、生まれつき体が弱かったり欠陥があったりして「走ることができない(勉強を受け付けない)」子どももいます。「学習障害児」といわれる子どもたちがそうです。そうした子どもたちには、必要なケアをしなければならないと思います。

そのような理由で私は義務教育期間、少なくとも小学生まではある程度の「詰め込み」も必要と考えます。例えば百人一首を暗唱させ、日本語のリズムや音韻を体で覚えさせるというのもそうです。百人一首の歌の中には、「本当の意味」はとても子どもに教えられないものもありますが、「本当の意味」などはあえて教える必要はなく、興味を持った子どもにだけ教えればいいと思います。

子どもに必要な教育を受けさせない「ゆとり教育」は、現実には子ども個性や可能性を伸ばすのではなく、潰してしまっているように思われます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2)白波さんへ!:読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/23(木) 11:53  -------------------------------------------------------------------------
   白波 さん おはようございます。

こちらこそ、早速のレスコメントを頂き有難く存じます。
小生のハンドルネームはそのように読んで頂ければ結構です。

仰有るように底辺に当たる処の底上げは何と云っても
必要です。

江戸時代の寺子屋では、論語「師・曰わく〜」しのたまわく〜に
始まる人の道、道徳的な意味合いを子供達が「言葉の意味合い」

が理解出来ない時から、先生の言葉に合わせてオーム返しのように
唱えて暗唱したものが、読み書きを覚えて理解できるように

なるとその言葉が脳裏で甦り自身のものとして身に付くことに
なるそうです。イスラム神学校での子供達の学習風景を見ますと

一斉にコーランの暗唱をしておりますが、長じてその教えが
身に付くようになってるものと思われます。

九九算にしろ、道徳的なことを身に付けるのには、
暗記、暗唱が基本にあるように改めて感じます。

新聞やテレビのワイドショウー・ネタになる暗い事件も
人としての最低の基本が「ないがしろに」なったからでは

ないかと思われます。

私は「ボヤキ漫才の」ようにボヤクだけでなく
明日への想いや、次世代への期待を込めて想いの

ベクトル「方向性」が纏まったような形になるように
及ばずながら思考する処です・・。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):ある大学教官の嘆き!  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/23(木) 12:11  -------------------------------------------------------------------------
   教壇に立っても、学生達の私語が多い・
授業をそっちのけで携帯電話を用いてのメールのやり取り

小学校ならぬ学級崩壊現象が大学でも見られるとのこと、
その学生達の中で「文章が書けない」・「字が書けない」・

「計算が出来ない」連中が目に余って来てるとのこと。

レポートにしてもインターネットでキーワード検索し
それをダウンロードし印刷して出来上がり。

かつての学生達は提出レポートに頭を振り絞って書き込んだ
形跡があり、それなりに評価できるものがあったそうだ。

その結果は?自分の頭で考えられない、末広がりになる
ような議論の展開も出来ない、様々な事態への対応力や

創造力・想像力に欠ける・・等々、

優秀な学生と「そうでない」学生との格差は開くばかり
で折角の学べる機会を放棄してる姿は「何とも」
情けないと・・・の嘆き! 尤もだと同情と共感?も覚える。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/24(金) 20:35  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珍 源斎さん:

>先般「経済協力開発機構」の実施した国際学力テストによれば
>日本の15歳の読解力・数学応用力の順位を大きくさげたこと。
>
>これは、読み書き・算術「算数」が出来なくなった事だ。
>
>前述の「経済協力開発機構」によれば読解力の低下は
>下位の生徒の成績がガタ落ちしたことで・・
>
>上位の生徒の成績は変わってないこと・・で
>此処でも学力の2極分化が進んでるようである。

学力低下論がマスコミをにぎわしていますが、騒ぎすぎの感をぬぐえません。
つい10年ほど前までは、詰め込み教育だの、受験地獄だの騒いでいたのがてのひらを返したように論調が変わりました。
そして文部省もそれに踊らされるように方針が揺れてきました。
その結果、学校現場は大混乱です。
ころころ変化する方針に対応するだけで現場は大変な労力をつかいます。

そもそも学力とは何か。
その点がほとんど議論されないことが不思議でたまりません。
単に読み書き計算のことを言っているのか、あるいは思考力のことを言っているのか、それとも独創性や創造力のことを言っているのか、はたまた自然や社会への好奇心や追求心のことを言っているのか、社会的な正義感や自然の摂理に対する畏敬の念のことを言っているのか、民主主義を尊重する心のことを言っているのかよく分かりません。

どんな力を育てるのか、目標が違えば授業も全然違った内容になります。
義務教育段階ではどのような力を培うことが必要なのか、今の日本に求められている力は何かこの点の議論のない学力論議は空しく響きます。
マスコミも文部科学省ももっと腰を据えた根本の所の議論を尽くしていって欲しいですね。
少なくとも50年は変わらないというぐらいのどっしりとした方針を打ち出してもらいたい。
10年もたたないのにころころ変わるような方針が一番困ります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):学力の根本論議を  ■名前 : 小鉄  ■日付 : 04/12/24(金) 20:52  -------------------------------------------------------------------------
   >>私の手元に、「IQ100以下のバカがブッシュを再選させた」という雑誌サーカス12月号の記事の切り抜きがある。その記事は、米国50州のSAT(米国大学進学適性全国テスト)から試算したIQの表で、コネチカット州113をトップとして最低のミシシッピー州の85まで幅があるが、IQ100までの上位18州は17位のバージニア州を除いてすべてケリー、25位のIQ98アラスカ州以下は、ものの見事にすべてブッシュを選んでいる。小泉首相を支持する者のIQ調査を日本のマスコミもやったら面白い結果が出ると思う。

http://www.amaki.info/

 これは元レバノン大使の天木の発言だが、団塊党氏はこうしたIQ至上主義の風潮についてどう思われるか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/25(土) 7:01  -------------------------------------------------------------------------
   ▼小鉄さん:

> これは元レバノン大使の天木の発言だが、団塊党氏はこうしたIQ至上主義の風潮についてどう思われるか?

あなたの質問の意図は何ですか?
あなた自身はIQ至上主義なるものをどのように考えますか?
また、本当に天木さんが言ったことでしょうか?
天木さんが発言した内容を正確に教えてください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):学力の根本論議を  ■名前 : 小鉄  ■日付 : 04/12/25(土) 18:33  -------------------------------------------------------------------------
   >あなたの質問の意図は何ですか?
あなた自身はIQ至上主義なるものをどのように考えますか?
また、本当に天木さんが言ったことでしょうか?
天木さんが発言した内容を正確に教えてください。

 紹介したHPの「メディアの裏を読む(トップにあります)」のコーナーを見れば分かると思いますが、天木の発言です。
 私自身はIQなんてあてにならないと考えているのですが、いまだ社会にはそういった考えが根強いようで。
 個人的には高いIQを持つとされる人間がIQを基準に他人を見下す発言を行ってる時点で、IQのあてになりなさを証明している気がします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/25(土) 20:48  -------------------------------------------------------------------------
   ▼小鉄さん:

> 紹介したHPの「メディアの裏を読む(トップにあります)」のコーナーを見れば分かると思いますが、天木の発言です。
> 私自身はIQなんてあてにならないと考えているのですが、いまだ社会にはそういった考えが根強いようで。
> 個人的には高いIQを持つとされる人間がIQを基準に他人を見下す発言を行ってる時点で、IQのあてになりなさを証明している気がします。

天木氏にしては不用意な発言ですが、だから彼がIQ至上主義だとはこれだけでは言えないでしょう。

私は、IQは人の能力のごく限られた部分を測るための一つの参考程度にはなると思いますが、信用していません。
人の総合的能力を数値で測るなんて不可能だと思います。

最近は学校現場でも知能検査はされなくなりました。
参考にならないだけでなく、むしろ子どもを先入観で固定的に見るという弊害があります。

産業界の、差別・選別教育推進論者に利用されないようにしたいものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):学力の根本論議を  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 04/12/26(日) 9:15  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:

>私は、IQは人の能力のごく限られた部分を測るための一つの参考程度にはなると思いますが、信用していません。
>人の総合的能力を数値で測るなんて不可能だと思います。
>
>最近は学校現場でも知能検査はされなくなりました。
>参考にならないだけでなく、むしろ子どもを先入観で固定的に見るという弊害があります。
>
>産業界の、差別・選別教育推進論者に利用されないようにしたいものです。

話がずれてしまうかも知れませんが、私は、以前の教育制度で、勉強(知的分野)だけが、画一的なものを要求されていたように思えてなりません。今でも、いわゆる飛び級などは、例外的な制度のように感じます。
スポーツ(肉体的)分野では、その人だけに特別な訓練をしても批判されないのに、何故、知的(頭脳)分野だけ批判の対象になるのでしょうか。先日、アメリカのライス補佐官は15歳で大学生だったという記事を読みました。私も小中学生時代、アメリカや中国では、14歳、15歳の大学生が居るという雑誌記事を読むにつけ、うらやましかった記憶があります。
肉体の発達も頭脳の発達も一人一人異なるのが普通だと思います。できるだけ一人一人の発達段階に応じた教育や訓練が望ましいとしたら、スポーツ分野だけでなく知的分野も、もっと自由にすべきだと思います。
思うに、知的分野の自由化に反対する人は、人間の差別化を知的分野で考えている人で、スポーツの優劣では人に差は付かないが、知的分野では差が付くと考えている人ではないでしょうか。
私は、肉体も頭脳もその人それぞれであり、それがその人の個性だと思うのですが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/26(日) 12:55  -------------------------------------------------------------------------
   ▼数理梵哲さん:

>スポーツ(肉体的)分野では、その人だけに特別な訓練をしても批判されないのに、何故、知的(頭脳)分野だけ批判の対象になるのでしょうか。先日、アメリカのライス補佐官は15歳で大学生だったという記事を読みました。私も小中学生時代、アメリカや中国では、14歳、15歳の大学生が居るという雑誌記事を読むにつけ、うらやましかった記憶があります。
・・・・・・・
>私は、肉体も頭脳もその人それぞれであり、それがその人の個性だと思うのですが。

率直な疑問を出して頂きありがとうございます。
最近はまともに議論できる雰囲気がこの掲示板から無くなっているので、のどの渇きが癒されるような気持ちです。

知的分野でも才能のある人はどんどんその可能性に磨きをかけていくのは大いに必要なことだと思います。
伸びようとするものを無理にとどめることはありませんよね。
悪平等主義の例としてよく引き合いに出される、運動会の徒競走で手をつないでゴールするというようなことはおかしな事です。
(そんな幼稚園や学校があるなんて信じられませんが)

ただ公立学校にはいろんな子ども達がいますので、才能のある子どもばかりに目を配るわけにはいきません。
産業界のリーダー達の関心はもっぱらひとにぎりのエリートにだけあるようですが、その人達の言うことばかりを聞いて公教育はできません。
数理梵哲さんのご意見の主旨はそういうことではないと思いますが・・・

公立学校の教師は、多数の子を切り捨てる考え方に対する警戒心がどうしても起こるものですから、それが結果として悪平等主義に見える面はあるのかと思います。
公立学校にも競争は必要だと思います。
ぬるま湯のようになんでも平等というのは子ども達から緊張感を奪ってしまいます。

このあたりは以前、流水さんが「集団と個について」で詳しく論じられています。
ある漁村の共同体を例にして、共同と競争の両立を分かりやすく述べておられました。
民主主義というのは何でも平等でもないし、かといって競争ばかりでもない、その両立をどう図っていくかに一つのポイントがあるように思います。
公立学校もそのような理念と方法を隅々まで確立していかなくてはならないと思います。
公立学校の良さは種々雑多な子どもがいると言うことです。
この良さを最大限に生かしていくような教育が必要じゃないかと思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):学力の根本論議を  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 04/12/24(金) 22:33  -------------------------------------------------------------------------
   団塊党さん

こんばんは!お久しぶりです。
学力低下・・・私などはやっぱりと言う感じです。ころころ変わる文部科学省の姿勢、これが一番の問題でしょう。基礎学力は詰め込みでも良いから、ある時期には徹底してやらなければと考えます。基礎があっての応用です。これは人間に限らず全ての哺乳類についてもいえる事で。学習(訓練)の時期というのがあるのです。

私はなんでも平等という今の教育そのものに疑問を持っています。勉強の機会は平等に与えるべきですが、金太郎飴みたいに努力する者も、しない者も同じと言うのはおかしいと思います。実社会に出たら思い知らされ、そのギャップに右往左往するのです。

学力は広義には読み、書き、計算の他に「考える力」も当然入るのでしょうが、今問題になっているのは「基礎学力」では無いんでしょうか。単純に読み、書き、計算力と考えて矛盾が無いように思います。

私はテレビの報道を見てびっくりしました。テストに電卓を使って良いなどと知りませんでした。これでは計算の訓練が出来ないし、その計算の仕組みも忘れてしまうのではと心配しました。

また辞書を引く事も少なくなったとか、辞書を調べるそのプロセスに新しい発見や楽しみがあるのに、電子辞書であっという間に答えが出る。

また本を読まなくなったし、携帯電話の普及で手紙を書く事もなくなり、手書きの文章を書く事が少なくなった、いわゆる活字離れです。何でも知ろうと思えば便利になってPCを使ってインターネットで何でも簡単に調べられる。

だからこそよけいに基礎的な勉強が大事になるのではないでしょうか?答えに至るまでの理屈が分からずに応用は効くはずもありません。

それにしても文部科学省の考える事はさっぱり分からん。正に愚民の大量生産をしようとしているとしか思えないです。これでは近隣諸国にすぐに追い抜かれるでしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):学力の根本論議を  ■名前 : 松  ■日付 : 04/12/24(金) 23:28  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん

>学力低下・・・私などはやっぱりと言う感じです。ころころ変わる文部科学省の姿勢、これが一番の問題でしょう。基礎学力は詰め込みでも良いから、ある時期には徹底してやらなければと考えます。基礎があっての応用です。これは人間に限らず全ての哺乳類についてもいえる事で。学習(訓練)の時期というのがあるのです。
>
>私はなんでも平等という今の教育そのものに疑問を持っています。勉強の機会は平等に与えるべきですが、金太郎飴みたいに努力する者も、しない者も同じと言うのはおかしいと思います。実社会に出たら思い知らされ、そのギャップに右往左往するのです。
>学力は広義には読み、書き、計算の他に「考える力」も当然入るのでしょうが、今問題になっているのは「基礎学力」では無いんでしょうか。単純に読み、書き、計算力と考えて矛盾が無いように思います。

仰るとおりだと思います。
俳優のえなりかずき君が、「個性個性と言うが、個性とは基礎をしっかり身につけてからのものだ。」と言っていますが、私もこれに同感です。
土台をしっかり築かなければその上に建つ建物は不安定になります。

>私はテレビの報道を見てびっくりしました。テストに電卓を使って良いなどと知りませんでした。これでは計算の訓練が出来ないし、その計算の仕組みも忘れてしまうのではと心配しました。
>また辞書を引く事も少なくなったとか、辞書を調べるそのプロセスに新しい発見や楽しみがあるのに、電子辞書であっという間に答えが出る。
>また本を読まなくなったし、携帯電話の普及で手紙を書く事もなくなり、手書きの文章を書く事が少なくなった、いわゆる活字離れです。何でも知ろうと思えば便利になってPCを使ってインターネットで何でも簡単に調べられる。
>だからこそよけいに基礎的な勉強が大事になるのではないでしょうか?答えに至るまでの理屈が分からずに応用は効くはずもありません。

これも全く仰る通りだと思います。
これが端的に現れているのが、現在の漢字活用能力の低下です。
パソコンや携帯を利用する事で漢字を忘れてしまった、という声をよく耳にします。
人間の体は使わなければ退化するようになっており、便利な機械を使えばその機械に頼った能力は退化していくのです。
実際、手を使って書く事が記憶のメカニズムにとって大切であると聞いていますし、私も自分の体験上からその事を実感しております。
効率化を求められる仕事ならともかく、知識を身につけることが目的である勉強には、その過程を省く事は害はあっても益はない、と思います。

>それにしても文部科学省の考える事はさっぱり分からん。正に愚民の大量生産をしようとしているとしか思えないです。これでは近隣諸国にすぐに追い抜かれるでしょう。

同感です。
異論は全くないのですが、一言賛意を述べたくて書き込んでしまいました。

横レス失礼しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):学力の根本論議を  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 04/12/25(土) 7:44  -------------------------------------------------------------------------
   ▼松さん:
>▼北の老兵さん
>
>>学力低下・・・私などはやっぱりと言う感じです。ころころ変わる文部科学省の姿勢、これが一番の問題でしょう。基礎学力は詰め込みでも良いから、ある時期には徹底してやらなければと考えます。基礎があっての応用です。これは人間に限らず全ての哺乳類についてもいえる事で。学習(訓練)の時期というのがあるのです。
>>
>>私はなんでも平等という今の教育そのものに疑問を持っています。勉強の機会は平等に与えるべきですが、金太郎飴みたいに努力する者も、しない者も同じと言うのはおかしいと思います。実社会に出たら思い知らされ、そのギャップに右往左往するのです。
>>学力は広義には読み、書き、計算の他に「考える力」も当然入るのでしょうが、今問題になっているのは「基礎学力」では無いんでしょうか。単純に読み、書き、計算力と考えて矛盾が無いように思います。
>
>仰るとおりだと思います。
>俳優のえなりかずき君が、「個性個性と言うが、個性とは基礎をしっかり身につけてからのものだ。」と言っていますが、私もこれに同感です。
>土台をしっかり築かなければその上に建つ建物は不安定になります。
>
>>私はテレビの報道を見てびっくりしました。テストに電卓を使って良いなどと知りませんでした。これでは計算の訓練が出来ないし、その計算の仕組みも忘れてしまうのではと心配しました。
>
>>
>>それにしても文部科学省の考える事はさっぱり分からん。正に愚民の大量生産をしようとしているとしか思えないです。これでは近隣諸国にすぐに追い抜かれるでしょう。
>
>同感です。
>異論は全くないのですが、一言賛意を述べたくて書き込んでしまいました。
>
>横レス失礼しました。

算数の授業に電卓を使うことは、何十年も前からアメリカでは行われていたことです。私の知人の娘さんがアメリカの高校へ留学したとき、彼女が暗算で答えを出したのをみて、地域で彼女は天才だといわれたそうです。また、以前にも書いたことですが、日本の珠算検定をアメリカの教育者が30年以上前から毎年視察に来ていました。
私は、学力の低下は、教師ではなく、文部省(当時)に責任があると考えています。私の知っている英語の先生も、授業時間がどんどん減らされて、とても今までのような内容を教えきれるものではないと嘆いておられました。
私は密かに、日本人のレベルを低下させる陰謀があるのではないかと考えたものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/25(土) 7:47  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん とうろうさん レスありがとうございます。

仰るように、読み書き計算は大切です。
すべての学習の基礎ですからこれを鍛えるのは大いに必要です。
私も100ます計算を教室でやらせていますし、朗読カードを使って家で朗読をさせたりもします。

しかし、昔のように詰め込み教育でよいとは考えません。
学力の国際比較調査で、以前の日本は世界のトップクラスだったとよく言われますが、当時から勉強嫌いでも世界のトップクラスでした。
学力上位の国はすべて勉強嫌いの面でもトップクラスだということは見落とされていますが、重要だと思います。
韓国は今、ものすごい受験競争があるそうですが、やはり高学力で勉強嫌いというのは日本と同じです。
しかも、すし詰め教室という点でも同じです。
安い教育予算で、ひたすら効率だけを重んじてきた結果がこうなっていると思います。

これからの教育は、ただ勉強ができるだけではなく、勉強嫌いの克服の道を探っていかなければならないと思います。
学力の二極化現象が、今回の国際比較調査でもはっきりしてきていますが、これも効率主義の教育がもたらしていることです。
やり方だけをさっさと教えて、その中にある人類が築いてきた知恵の宝庫には目を少しも向けさせないような教育は、今も昔も変わりません。

もっと授業とは何か、何を子ども達は本当に求めているのか、などの本質的な議論をしていく必要を感じます。
今の子ども達の一番深刻な点は、学びからの逃走を始めていることです。
これらの子ども達がエネルギーを持てあまして町でたむろしているのです。
これらの子ども達が目を輝かすような授業を創り出していくことが、今最も大切だと感じています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):学力の根本論議を/人の教育とは  ■名前 : とうろう  ■日付 : 04/12/24(金) 22:37  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:

こんばんは。横レス失礼致します。

私も、教育については思うことが多々あります。

ここでは、人の教育について今思うところを述べます。

人が人として進化してきた大きな根源は「脳力」にあると、自然科学は教えていると思います。人間の脳は他の生物に比して、飛躍的な発達を遂げています。

尤も、脳の物理的な力は、類人猿と人とは大差ないようで、チンパンジーと人とのDNAの違いは微々たるもののようです。また、最近では、無駄なDNAも含んで勘定すれば微々たる違いかもしれないが、遺伝子の発現の制御に関しては大差あり、との研究もあるようです。

今、読んでいる本では、類人猿と人とを分けた違いは、ヒトは社会生活を営む上で、ヒトとヒトの関係を読む(推理する、考える)能力が必要とされ、知力が飛躍的に発展して来たと言っています。

閑話ですが、人を考える上でのご参考に。

しかし、今、ヒトは生まれながらにこのような能力を持っているわけではありません。教育の必要な所以です。ヒトは未熟児で生まれると言います。あとの、広い意味での教育で能力を確立するのです。脳の発達(知力だけでなく、認識力、社会性、倫理性など)に於いて三歳、六歳、九歳、反抗期、二十歳あたりが一つ、一つの区切りになる(自我の形成期、自己認識の確立期)と、心理学で学んだような気がします。

ヒトは皆「好奇心」を持って生まれます。赤ちゃんの吸収心は、外界に向うあのあどけない、邪気のない眼を見れば分かることです。

そして、少し成長した子供も同じと考えています。皆、好奇心があり、何でも知りたい筈なのです。この好奇心、学習心を伸ばすことが教育の第一と考えます。

しかし、子供は、単に好奇心をもって生まれるわけではありません。社会的動物たるヒトは常に自己と他を比較しながら、楽な道を選ぶようにも運命付けられています。楽をして食を得られればこれに越したことはないわけです。生物は、常に、コストと収穫を考えて来た筈で、それはヒトの行動原理に刷り込まれていると思います。

ヒトの脳がヒトの脳として確立する六歳、あるいは9歳、思春期までは、考える力をつける基礎的能力(知育:読み書き算盤、体育・食育;身体を意識させる、徳育:社会を意識させる)を、楽をさせず、強制的にでもつけるべきと思っております。

昔は、論語の素読(意味も分からず、ただただ子供に読ませる、ということ)、習字の手習い、算盤を教えたと聞いています。この基礎的能力(脳の育成)がないと自我が確立し、自己を認識して、新たな学習、吸収と創造に自ら向かうことが出来ないことが分かっていたからでしょう。

教育は、FDUCATIONです、引き出すことと言いましたが、先ず、引き出す為には、その前に、各子供の能力を定着させる為の強制的、圧制的とも見える詰め込みが必要と考えます。公文にしろ、百ます計算にしろ、「論語の素読の原理」を踏襲しているだけと私は思っております。

そして、子供には、彼が、彼女が達成したことを、それが仮令(たとえ)相対的に低くても彼の、彼女の能力の精一杯であれば誉めて、誉めて、誉めてやるべきとも思っています。

知育・体育で能力に差が生じたとしても、徳育に於いて、社会として人は皆平等であり、価値の差はない、それぞれの能力に応じて生き、社会に貢献すれば好い、「社会への貢献度」で「人の価値は決まる」のだと教えるべきと思っています。

知的偏差値が、あたかも、人の、人間としての全ての価値を決めるような風潮は誠に遺憾だと常々思っております。これは全くもって先生の責任を言っているわけではありません。社会の風潮を言っているのです。先生は、この社会の風潮(父兄)に、確信をもって、生徒に「真の人間教育」をして頂きたいと思うものです。

教育現場のご苦労も知らず、勝手なことを申し上げました。失礼。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):学力の根本論議を  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/26(日) 18:29  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
 こんにちわ!

マスコミ報道が学力低下論?をとりあげて「にぎわしてる」こと騒ぎすぎ
の感と仰有いますが・・私はそのように思いません・。

一般に学力の低下と云われてることは「学力」と云うか「知力」が
この所、勝ち組、負け組論ではありませんが、二極分化の傾向が
ハッキリとして来たことに「社会的な危機感」が持たれるよう
になったことにあると思います。

今や教育技術論?を超えたところに事態は至ってるように感じます。

今、云われてる学力の低下について教師や学校への責任云々ではなく
責任は社会全体が負わねばならぬと云う事を親「父兄」もとより・・
国や行政、一般社会も含めて、自覚せねばならぬことでないでしょうか?

教育関係者が「さわぎすぎ」と捉える辺りは危機感の欠如としての
感は「正直」 拭えません。

>学力低下論がマスコミをにぎわしていますが、騒ぎすぎの感をぬぐえません。
>つい10年ほど前までは、詰め込み教育だの、受験地獄だの騒いでいたのがてのひらを返したように論調が変わりました。
>そして文部省もそれに踊らされるように方針が揺れてきました。
>その結果、学校現場は大混乱です。
>ころころ変化する方針に対応するだけで現場は大変な労力をつかいます。

混乱してる様子は端で見てましても分からぬ訳ではありませんが
国家百年の基礎は教育にあると教育関係者の方々は口を開く毎に
云われてませんか・・?。本当にそのように思われるのでしたら
・・その目標、或いは方向性もあるはずです。

世間に阿「おもね」るような形で「ふらつく」のも当事者としての
自覚に欠けるようにも思えます。

>そもそも学力とは何か。
>その点がほとんど議論されないことが不思議でたまりません。
>単に読み書き計算のことを言っているのか、あるいは思考力のことを言っているのか、それとも独創性や創造力のことを言っているのか、はたまた自然や社会への好奇心や追求心のことを言っているのか、社会的な正義感や自然の摂理に対する畏敬の念のことを言っているのか、民主主義を尊重する心のことを言っているのかよく分かりません。

この論議も学力に至る基礎とは何ぞや、これも当事者としての
自問自答があれば自身で認識可能ではないかと思います。

学力の原点を私なりに考えますと、国語力の充実が最も大切に思われます。
言葉は単に読み書きのコミニュケーションの道具ではなく
「思ったり・考えたり」する大切なものであること・・・

幾ら外国語を習得しても前述の母国語をベースにした「思考回路」が
出来ていなければ基礎のない建物以下の存在でしかありません。

更に加えて、考えることが出来なければ善・悪の分別すら出来なくなることは
申すに及びません。

現在、日本の置かれてる危機的なことは、何かにつけて基礎のぐらつきが
目に付くことにありませんか?

団塊党さんレスの流れの中には教育者としてのご苦労は察せられる
ものの当事者意識が少々希薄のように感じられてなりません。

外国の事例など持ち出したくありませんが、先頃、放映された
北欧の教育事情などを見れば子供達を大切に育ててる様子など
なるほど・・と関心させられるものがありました。

日本の教師は管理部門への提出書類レポートなどに追われて
とても現場での教育に創意工夫を活かせない・・と云われてる

ことも多々あると「ボヤキ」を聞いたこともありますし、
管理者的な立場に存在する管理職と云われてる先生方に
「俗物」が多いと云うのも身近に見て知ってます。

「知識が有っても、知恵が無い」「知恵が有っても、愛が無い」
・・その辺りは子供達は一ぺんに見抜きます。

日本の教育システムの制度疲労が臨界点に来てしまってる感は
正直言って否めない処です。

長くなりました。お許し下さい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/26(日) 20:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珍 源斎さん

お久しぶりです。
率直な問題提起をして頂きありがとうございます。

>マスコミ報道が学力低下論?をとりあげて「にぎわしてる」こと騒ぎすぎ
>の感と仰有いますが・・私はそのように思いません・。

マスコミはとかく読者を喜ばせるために、センセーショナルな方向で話題を出します。
その点は十分に注意しながら受け止める必要があると思います。
それから、学力低下だけに焦点が当たると、その反動で以前の詰め込み教育に戻るのではないかという危惧もあります。
以上二つの理由で「騒ぎすぎ」と釘を刺したつもりでした。

学力の低下傾向を全面的に否定するつもりはありませんが、これもどこまで実態を繁栄した議論なのか、慎重でありたいと私自身は思っています。
なぜなら、OECDの調査ではっきり低下と言えるのは読解力だけであり、その他については誤差の範囲内だからです。
その読解力も、学校教育の問題ではなく読書しなくなったことに大きな原因があるのではないかと私は想像しています。
しかし、これもはっきりとした根拠があるわけではありません。

いずれにしても短絡的に、今度の結果から、詰め込み教育礼賛の流れが前面に出てくるのはどうかと思います。

ただ、学習指導要領の中に学力低下の誘因があるのは事実です。
算数など、計算力を鍛える内容がかなり削減されています。
それに国語では「聞く・話す」に比重がかかり「読み・書く」の比重が軽くなっているのは問題があると思います。

学習指導要領はもっと基礎にしぼり、それを豊かにたっぷりと学ばせる方向にしないと、基礎学力も付かないし、勉強嫌いも克服できません。
学力の二極分化にも拍車がかかってしまいます。
現在の学習指導要領は総花的でめりはりがありません。
私はここらへんに大きな問題を感じています。

>>そもそも学力とは何か。
>>その点がほとんど議論されないことが不思議でたまりません。
>>単に読み書き計算のことを言っているのか、あるいは思考力のことを言っているのか、それとも独創性や創造力のことを言っているのか、はたまた自然や社会への好奇心や追求心のことを言っているのか、社会的な正義感や自然の摂理に対する畏敬の念のことを言っているのか、民主主義を尊重する心のことを言っているのかよく分かりません。
>
>この論議も学力に至る基礎とは何ぞや、これも当事者としての
>自問自答があれば自身で認識可能ではないかと思います。

これは誤解です。
私がどう考えるか迷っているということを言ったのではありません。
そうではなくて、議論されている「学力低下」の「学力」は一体何を指しているのかはっきりしないことが多いということを言ったのです。
それをはっきりしないまま「学力低下」と言っても議論を曖昧にしてしまうということを言いたかったのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):学力の根本論議を  ■名前 : パンドラ  ■日付 : 04/12/27(月) 1:13  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党様

ご無沙汰いたしております
団塊党様の、このスレッドでの
ご意見、何時も興味深く拝読させて頂いております。

学校という教育の現場で、一人一人を大切にしながら、全体を指導して行くというのは、大変なお仕事だと思います。

団塊党様の、学力についての真摯で、深い思考と
子ども達の学びについてのご意見深く賛同致します


学力とは何でしょうか
その事は私が会員になっております
小さな会でも、時々話題になります

広い、本当に広い意味で言えば、自分が生きて行く為に必要な力のかな
と、言った子ども、もいます
基礎学力と言う点では、買い物をする、消費税の計算とお金のやり取りが出来る
人とコミニケーションを取る為に相手の言葉を理解出来る能力
そして自分の意志を相手に伝える為の言語の力
手紙、あるいは電子メールなどで必要事項あるいは意見を書き表せる文章力

などを挙げた子ども達もいます
私が其処で知っている子ども達は

殆どが、学校へ行く事を止めた子ども達です
学校という場を離れて、でも、勉強すること
を止めなかった子ども達もいます

その子達は強制ではなく、自分の意志で
私塾へ通ったり、誰かに教えてもらいながら独学で
勉強を続けている子ども、もいます。

何故その行為を続けられているかと言えば
それは、「目的があるから」なのだそうです
資格を取りたいとか、英語が話せるようになりたいとか

読解力についても、本を読む楽しさを知っている子は
強制しなくても読むし、興味の無い子にとっては
苦痛以外のなにものでも無いそうです

申し訳ありません、スレッドの趣旨とは違う話しになって
しまったのかも知れません。

学力の低下と言って大騒ぎするほどの事なのかな?
と、私もあの新聞記事を読んだ時に思いました。
むしろ、団塊党様のおっしゃられたように
行政の政策が色々変わりすぎるので、それに振り回される
現場の先生方や子ども達の方が大変な迷惑を被っているのでは
ないかと思います。

登校拒否をしている子ども達の「学力」はある意味、偏っている
部分もあると思います。
只、学びたいという意志は自発的なもので、
それが勉強に向かう大きなエネルギーになっている
場合もあると思うのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/27(月) 19:48  -------------------------------------------------------------------------
   ▼パンドラさん:

オフ会では有り難うございました。
この掲示板は今、じっくりとお話が出来る雰囲気が無くなってきていますが、せめて教育論議くらいは心おきなくやりたいものですね。
今後ともよろしくお願いします。

>学力とは何でしょうか
>その事は私が会員になっております
>小さな会でも、時々話題になります

学ぶとはいったい何なのか、何のために学ぶのか、学ぶ喜びとは?、学力とは?などという学ぶことに関わる最初にある問いをいつも忘れずに大事にしたいものですね。
こういうことが時々話題に出るなんて、パンドラさんの参加されている会はきっと良い雰囲気の会なんでしょうね。

今はもう亡くなっていますが、林竹二という哲学者(元宮城教育大学学長)は「人間について」というテーマで、全国の小・中学校、高校を尋ねて授業行脚をされました。
もう何百回となく行われました。その授業で子ども達はいつも深い学びを体験しました。
その授業記録と写真集を持っていますが、子ども達の顔が浄化され大変に美しい顔をしています。
学ぶということがこれほど人間を美しくするものかと、その時、私はその奥深さを初めて知りました。
学ぶということは何なのか、この根元的な問いを少なくとも私はいつも忘れずに持ち続けたいと思っています。

学力の話からちょっとずれたかも知れません。
学力の話につなげると・・・手っ取り早く身につけられる学力もあるでしょうが、それよりも、深く学ぶことのできる力、吸収力とか好奇心が私は決定的に大事な気がします。
吸収力や好奇心があれば一生その子は学び続ける人間になるんじゃないでしょうか。
これこそが学力の土台じゃないでしょうか。
吸収力とか好奇心は手っ取り早く身につけることは出来ませんが、良い授業(一口には言えないのでこう言っておきます)を受ける中で少しずつ育っていくものと思います。
そういう授業を創り出していくことが、我々教師の第一の責務じゃないかと常々考えています。

>私が其処で知っている子ども達は
>殆どが、学校へ行く事を止めた子ども達です
>学校という場を離れて、でも、勉強すること
>を止めなかった子ども達もいます
>
>その子達は強制ではなく、自分の意志で
>私塾へ通ったり、誰かに教えてもらいながら独学で
>勉強を続けている子ども、もいます。
>何故その行為を続けられているかと言えば
>それは、「目的があるから」なのだそうです

学校へ行くことをやめた子ども達が、勉強することはやめないという点に、子ども達の学びへの欲求を感じます。
確かに「目的があるから」に違いないでしょうが、意識はしなくとも深いところで学びへの欲求があるのだと思います。
この学びへの欲求こそ、最も大切にしたいことです。
今、子ども達は学びからの逃走を始めていると言われています。
しかし、好奇心をかき立てられるような授業を受ければ、彼らも学び始めます。

昔の子ども達はハングリー精神がありました。
勉強して立派な仕事につくんだと夢を持っていました。
だから、つまらない勉強にも耐えてがんばるだけの気力をもっていました。
今でも、優秀な子どもはそうでしょう。
いかし、そうでない子ども達は、驚くほど耐える力がありません。
将来の夢の無さを本能的に感じ取っているのでしょうか。
計算ドリルや漢字ドリルを与えても、すぐに飽きてしまう子が増えました。

こういう子ども達にどんなに訓練や練習が大事だと説教しても始まりません。
学ぶ意欲、学ぶ喜びを培わなければ彼らの学びからの逃走はくい止められません。
読解力が落ちたから読解力をトレーニングするということももちろん大切ですが、その前に彼らの学ぶ気力を回復させなければどうにもなりません。
学力低下が事実だとしたら、その本当の原因は学ぶ気力の低下にあるのかもしれません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):学力の根本論議を  ■名前 : パンドラ  ■日付 : 04/12/28(火) 20:00  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さま

お忙しい中レス頂き有難うございます

>オフ会では有り難うございました。
私こそお世話になりました

>この掲示板は今、じっくりとお話が出来る雰囲気が無くなってきていますが、せめて教育論議くらいは心おきなくやりたいものですね。
>今後ともよろしくお願いします。

本当におっしゃる通りですね
教育現場での先生方のお声を中々伺う機会が有りませんので
是非貴重なご意見を聞かせてください

>学ぶとはいったい何なのか、何のために学ぶのか、学ぶ喜びとは?、学力とは?などという学ぶことに関わる最初にある問いをいつも忘れずに大事にしたいものです
そうですね、その基本の部分を忘れてしまっている大人が多いのでしょうね

>今はもう亡くなっていますが、林竹二という哲学者(元宮城教育大学学長)は「人間について」というテーマで、全国の小・中学校、高校を尋ねて授業行脚をされました。
>もう何百回となく行われました。その授業で子ども達はいつも深い学びを体験しました。
>その授業記録と写真集を持っていますが、子ども達の顔が浄化され大変に美しい顔をしています。
>学ぶということがこれほど人間を美しくするものかと、その時、私はその奥深さを初めて知りました。
>学ぶということは何なのか、この根元的な問いを少なくとも私はいつも忘れずに持ち続けたいと思っています。

団塊党様の誠実で真摯なそのお気持ちは、きっと子ども達にも伝わっている事と
思います。
本当に今の、教育現場は、先生方に取っては厳しい環境に
変わりつつあると思います。
先日の新聞報道でも体調を崩した為の、休職や、退職が年々驚くべき数で増えて
いると記載されていました。

>手っ取り早く身につけられる学力もあるでしょうが、それよりも、深く学ぶことのできる力、吸収力とか好奇心が私は決定的に大事な気がします。
>吸収力や好奇心があれば一生その子は学び続ける人間になるんじゃないでしょうか。
>これこそが学力の土台じゃないでしょうか。
>吸収力とか好奇心は手っ取り早く身につけることは出来ませんが、良い授業(一口には言えないのでこう言っておきます)を受ける中で少しずつ育っていくものと思います。
>そういう授業を創り出していくことが、我々教師の第一の責務じゃないかと常々考えています。

本当におっしゃる通りだと思います
団塊党様のような先生がおられるから、学校へ通い続けることも悪くないなー
と大人の私でも思います

>学校へ行くことをやめた子ども達が、勉強することはやめないという点に、子ども達の学びへの欲求を感じます。
>確かに「目的があるから」に違いないでしょうが、意識はしなくとも深いところで学びへの欲求があるのだと思います。
>この学びへの欲求こそ、最も大切にしたいことです。
>今、子ども達は学びからの逃走を始めていると言われています。
>しかし、好奇心をかき立てられるような授業を受ければ、彼らも学び始めます。
>こういう子ども達にどんなに訓練や練習が大事だと説教しても始まりません。
>学ぶ意欲、学ぶ喜びを培わなければ彼らの学びからの逃走はくい止められません。
>読解力が落ちたから読解力をトレーニングするということももちろん大切ですが、その前に彼らの学ぶ気力を回復させなければどうにもなりません。
>学力低下が事実だとしたら、その本当の原因は学ぶ気力の低下にあるのかもしれません。

そうですね
子ども達の、学ぶことへの欲求と、意欲を高めていくー
その為には現場の先生方の並々ならぬご苦労とエネルギーが必要
なのかも知れません。
先生方も雑事(本学校の先生って授業以外の事で本当に忙しいのですね!)に
煩わされることなく、もっと、授業や子ども達に接する時間を取れたらよろしい
のでしょうね

私達大人も学校の外から、子ども達の為に頑張っておられる先生方を
支援することが、出来たらと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):学力の根本論議を  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 04/12/28(火) 21:24  -------------------------------------------------------------------------
   ▼パンドラさん:
>▼団塊党さま

こんばんは!横から失礼します。

>>学ぶとはいったい何なのか、何のために学ぶのか、学ぶ喜びとは?、学力とは?などという学ぶことに関わる最初にある問いをいつも忘れずに大事にしたいものです

私は人間は元々知識欲というものがあると信じて疑いません。その気持ちを強くさせるのは、偏に将来の目標とか夢だと思うのです。その知識欲を上手に刺激するかどうかで基礎学力の詰め込みも苦にならなくなると思うのです。

今の若者は昨今の社会情勢を見て、きっと将来に夢を描けなくなってきているのが大きな原因ではないんでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/28(火) 22:31  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:

>私は人間は元々知識欲というものがあると信じて疑いません。その気持ちを強くさせるのは、偏に将来の目標とか夢だと思うのです。その知識欲を上手に刺激するかどうかで基礎学力の詰め込みも苦にならなくなると思うのです。
>
>今の若者は昨今の社会情勢を見て、きっと将来に夢を描けなくなってきているのが大きな原因ではないんでしょうか?

その通りだと思います。
今の子ども達は将来への漠然とした不安を本能的に感じ取っているのじゃないかなと思うことがあります。
それに人間関係が希薄です。
人間関係の中で切磋琢磨し知識欲も刺激されるのじゃないかと思います。
もっと豊かな人間関係の中で目標や夢を語り合える雰囲気が必要ですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):学力の根本論議を  ■名前 : パンドラ  ■日付 : 04/12/28(火) 23:48  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
>▼北の老兵さん:
>
>>私は人間は元々知識欲というものがあると信じて疑いません。その気持ちを強くさせるのは、偏に将来の目標とか夢だと思うのです。その知識欲を上手に刺激するかどうかで基礎学力の詰め込みも苦にならなくなると思うのです。
>>
>>今の若者は昨今の社会情勢を見て、きっと将来に夢を描けなくなってきているのが大きな原因ではないんでしょうか?
>
>その通りだと思います。
>今の子ども達は将来への漠然とした不安を本能的に感じ取っているのじゃないかなと思うことがあります。

お二人のご意見に深く共感いたします。

夢というか、希望が持てないのではないでしょうか
フリーターになる若者達も、もちろん自分の意志でなっている
人もいるのでしょうが、何のスキルも無く社会に出て、安い
賃金で使い捨てにされている若者も多いのではないか
と思います。

スキルを磨かない自分が悪い、と言われればそれ迄ですが
今の日本の社会は、特にサービス業などフリーターがいなければ
一日たりとも回っては行かないのです
彼らを不安定な雇用条件で雇っておいて人件費を浮かすことにより
収益を上げ、でも自分の子どもはフリーターにはしたくはない
というのが大人社会の現実です。

村上 龍の「13歳のハローワーク」がベストセラーになったのも
せめて、将来の希望に繋がる情報を少しでも得たいという
大人や子どもの不安の現れではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(10):学力の根本論議を パンドラさん  ■名前 : k・satou <cbl13464@nifty.com>  ■日付 : 04/12/29(水) 12:29  -------------------------------------------------------------------------
   パンドラさん
 いつも真面目な貴方に文句を!
  家内に シャイな人とは?と聞いたら 貴方には一番遠い人よ!
  ますます人生とは?自分とは?と寝る前 2分ほど寝付かれなくなりました。
   2分を365日で・・ 3年もやるなら いっそ出家でもしようか?悩んでます。

 学力の論議は 根が深い。私のような素人はこんな風に考えます。
   イギリスのラスキンの童話に

”永遠の水”を神が3人にもってくるよう命じた。
 一人は 権力という永遠の水を 他の一人は 金という永遠の水をもち
  約束の日に戻ってきた。
  ところが 3人目の男は 約束の時間に遅刻しただけでなく
  私は永遠の水を得ることができませんでした と詫び
 私は途中で気の毒な人に会い それを介抱していたため時間を失い
 気がついたら なにをやってもうまくいかなかった。というのです。
 神はだまって 先の2人を退け 3人目の男こそ ”友情”という
 永遠の水をもってきた.といった。     (私は 曹洞宗とか)
  
今の子ども達に
 友情というものを育てるのが少しかけているように思えるのですが
 未来を信じて 希望をもち 友情に結ばれている。
  水前寺清子の ボロは着てても心は・・・

 あまりにも多い世の中の矛盾にたいして ものを正直に見・純粋に考えよう。
 と思うとただ良い 悪いとのみだけで決め付けるのは 良くなく
 大きな歴史の歯車を見据え小さい両目をしっかり開けていこうと思うのですが。

 自省の弁でもあり なださんならもう少ししゃれた言い回しをされるでしょう。


 

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(11):学力の根本論議を パンドラさん  ■名前 : パンドラ  ■日付 : 04/12/29(水) 17:57  -------------------------------------------------------------------------
   ▼k・satouさん:
いつも真面目ではないパンドラです

> 家内に シャイな人とは?と聞いたら 貴方には一番遠い人よ!
あはは、本当はシャイなご主人のことを分かってのユーモアですね

> ますます人生とは?自分とは?と寝る前 2分ほど寝付かれなくなりました。
> 2分を365日で・・ 3年もやるなら いっそ出家でもしようか?悩んでます。
真面目なK・satouさんとしては悩みますね

> 学力の論議は 根が深い。私のような素人はこんな風に考えます。
>   イギリスのラスキンの童話に
>
>”永遠の水”を神が3人にもってくるよう命じた。
> 一人は 権力という永遠の水を 他の一人は 金という永遠の水をもち
>  約束の日に戻ってきた。
>  ところが 3人目の男は 約束の時間に遅刻しただけでなく
>  私は永遠の水を得ることができませんでした と詫び
> 私は途中で気の毒な人に会い それを介抱していたため時間を失い
> 気がついたら なにをやってもうまくいかなかった。というのです。
> 神はだまって 先の2人を退け 3人目の男こそ ”友情”という
> 永遠の水をもってきた.といった。     (私は 曹洞宗とか)

なるほど、日本にも似たような話がありますね
>今の子ども達に
> 友情というものを育てるのが少しかけているように思えるのですが
> 未来を信じて 希望をもち 友情に結ばれている。

友情を育てるには安心して人と付き合える(コミニュケーションが取れる)
環境が必要だと思うのです。
是非、真面目なK・satouさんが子ども達に信頼できる大人として接してください

> あまりにも多い世の中の矛盾にたいして ものを正直に見・純粋に考えよう。
> と思うとただ良い 悪いとのみだけで決め付けるのは 良くなく
> 大きな歴史の歯車を見据え小さい両目をしっかり開けていこうと思うのですが。

そうですね、ファジーな部分も必要ですね
良いとも、悪いとも、考え様に寄っては言えないものもあると思うのですが
なださんは、ご自身のHPの中で「戦争によるストレス」の恐ろしさと
「いいかげんは、よい加減だと思うが
戦争に対してだけは、いいかげんではいられない」
と、おっしゃってますね。
真面目な話をしようとすると、茶化すような今の風潮に
高橋源一郎さんのように
「わらうなよ」と言いながら
「日本の片隅で何かを叫びたいー」
という気持ちも忘れたくないですね

所で、年末年始は美味しいお酒が飲める機会ではありますが
私も美味しいお酒は嫌いではありません

楽しいお正月を過ごされて

お酒にまつわる楽しい話しでも聞かせてください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):学力の根本論議を  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/27(月) 14:33  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
こんにちわ!

読解力の低下は、何を表してるか?
言語はコミュニケーションの機能だけでなく、脳裏に論理・思考回路を
構築する上で極めて重要なものと考えます。

読解力の低下には見過ごせない大きな要因を含んでます。
読解力の低下に関連して、想像力や非言語系に属する大切な事を
類推したり、思考の巾を広げられない、短絡思考にも至る要因を含んでます。

読解力の低下に「要因あり」とする反社会的な現象も多く見かけられます。
他人「ひと」が云うことの真意が理解出来ない事による問題にも多く
出くわします。・・多くの方が経験されてると思います。・・

OECDの調査が示してることの問題提起はやはり真摯に受け止めねば
ならないと思います。

>なぜなら、OECDの調査ではっきり低下と言えるのは読解力だけであり、その他については誤差の範囲内だからです。

>その読解力も、学校教育の問題ではなく読書しなくなったことに大きな原因があるのではないかと私は想像しています。

学校教育の問題として「読解力の大切」で有ることを観念的でなく
実際に効果が上がるような「工夫」を教育現場で実施して・・それぞれ

広げて行くこと・実際にはそのような取り組みをして実行を挙げてる
学校もあります。・・読解力を軽々しく扱ってない事例です。

前のスレッドでも申し上げたとおり「勝ち組・負け組」に相当する
二極分化を怖れるからです。

>いずれにしても短絡的に、今度の結果から、詰め込み教育礼賛の流れが前面に出てくるのはどうかと思います。

基礎的な分野「有る程度の漢字の暗記学習」「九九算の暗記」は
詰め込みの部類に入らないと考えます。
>
>ただ、学習指導要領の中に学力低下の誘因があるのは事実です。
>算数など、計算力を鍛える内容がかなり削減されています。
>それに国語では「聞く・話す」に比重がかかり「読み・書く」の比重が軽くなっているのは問題があると思います。
>
>学習指導要領はもっと基礎にしぼり、それを豊かにたっぷりと学ばせる方向にしないと、基礎学力も付かないし、勉強嫌いも克服できません。
>学力の二極分化にも拍車がかかってしまいます。
>現在の学習指導要領は総花的でめりはりがありません。
>私はここらへんに大きな問題を感じています。

・・・その通りであると思います・・・。

>>この論議も学力に至る基礎とは何ぞや、これも当事者としての
>>自問自答があれば自身で認識可能ではないかと思います。
>
>これは誤解です。・・・?

現場で真摯に問題を捉えてる教育現場では、既に議論の段階でなく
学力の低下に関わる要因をハッキリ認識して対処・対応してる処も
あると云うことを視野に入れて申し上げてる積もりです。

私がどう考えるか迷っているということを言ったのではありません。
>そうではなくて、議論されている「学力低下」の「学力」は一体何を指しているのかはっきりしないことが多いということを言ったのです。
>それをはっきりしないまま「学力低下」と言っても議論を曖昧にしてしまうということを言いたかったのです。

一般の社会での時代の移ろいは早く、次世代を担うべく子供達への
教育の事も、もはや小田原評定の段階でないと云う思いです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/27(月) 22:02  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珍 源斎さん

真摯な議論が出来ること感謝します。

>読解力の低下には見過ごせない大きな要因を含んでます。
>読解力の低下に関連して、想像力や非言語系に属する大切な事を
>類推したり、思考の巾を広げられない、短絡思考にも至る要因を含んでます。
>
>読解力の低下に「要因あり」とする反社会的な現象も多く見かけられます。
>他人「ひと」が云うことの真意が理解出来ない事による問題にも多く
>出くわします。・・多くの方が経験されてると思います。・・
>
>OECDの調査が示してることの問題提起はやはり真摯に受け止めねば
>ならないと思います。

ご指摘の通りで、読解力の低下を軽く見るつもりはありません。
ただ、私はその前に子ども達の学びの意欲、気力の衰退が気になるものですから、それを何とかしなければという気持ちが強いのです。
そのために、一見みなさんと意見がかみ合わないように見えるのかも知れませんが、基本的には同じ認識でいます。

基礎を大切にしなければ、学力の低下に一層拍車がかかると思います。
ある種の知識の詰め込みは必要でしょう。
大いにトレーニングすべきです。
しかし、種々雑多な知識を詰め込めばそれで学力が向上するということはありえないと考えています。
もっと基礎的な事項に絞り、それをしっかり訓練していく、そして一方では学ぶことの面白さにも目覚めさせていく、そういうことの大切さを言いたかったのです。

>学校教育の問題として「読解力の大切」で有ることを観念的でなく
>実際に効果が上がるような「工夫」を教育現場で実施して・・それぞれ
>
>広げて行くこと・実際にはそのような取り組みをして実行を挙げてる
>学校もあります。・・読解力を軽々しく扱ってない事例です。

そうですね。
そのような具体的な取り組みの必要を感じます。
しかし、対症療法的に、手っ取り早く、世間の批判をかわすために、ポーズでやるんではいけません。
残念ながら、そのような学校も中にはあるんです。
世の中が右と言ったらすぐに右を向くような、時流に乗ることだけを考えるような取り組みなら、やらない方がましです。
本当に地に足のついた取り組みをしていくべきだと思います。
珍源齋さんの仰る学校はそうではないと思いますが。

>基礎的な分野「有る程度の漢字の暗記学習」「九九算の暗記」は
>詰め込みの部類に入らないと考えます。

その通りですね。暗記は必要です。
でも最近の子どもは、こういうことにも拒否反応を示す子どもが一部に出てきました。
詰め込む工夫が必要になっています。

>一般の社会での時代の移ろいは早く、次世代を担うべく子供達への
>教育の事も、もはや小田原評定の段階でないと云う思いです。

私も呑気に構えているのではないということだけはご理解下さい。
教育現場はいろんな意味で厳しくなる一方です。
この点についてはまた機会を改めて書きたいと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):学力の根本論議を  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/28(火) 17:32  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:

こんにちわ! 再度のレス・コメント有難うございます。
実は、このスレッドの切り口とは異なりますが、

不登校や引き篭もりについて述べさせて頂いた中に
生徒の食生活のことや、日常の生活リズムについて

のことを取り上げましたが、
今の子供達に現れてる問題の基礎部分に当たることと
して脳生理学?的・見地からも取り分け「忍耐力」
「集中力」に関わることとして、

前述の子供達の食生活のことを考慮する必要が
あります。総ては親や家庭の責任に帰する処ですが、

この辺りの問題を社会全体として共通認識を図り
解決への方向ずけをする必要を痛感してます。

全部の子供達とは申しませんが、何かと問題になる
事の背景には食を含めて生活環境が大きく関わって来る

現実は認めざるを得ない処です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):生活環境の変化  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/28(火) 18:40  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珍 源斎さん:

>今の子供達に現れてる問題の基礎部分に当たることと
>して脳生理学?的・見地からも取り分け「忍耐力」
>「集中力」に関わることとして、
>
>前述の子供達の食生活のことを考慮する必要が
>あります。総ては親や家庭の責任に帰する処ですが、
>
>この辺りの問題を社会全体として共通認識を図り
>解決への方向ずけをする必要を痛感してます。
>
>全部の子供達とは申しませんが、何かと問題になる
>事の背景には食を含めて生活環境が大きく関わって来る
>
>現実は認めざるを得ない処です。

朝ご飯をきちんと取らない子が増えているのは事実ですね。
ある子どもは、両親が共働きのために夕ご飯が遅く、そのため朝はお腹がすかないからほとんど食べないと言っています。

これと関連しますが、子ども達の睡眠時間が短くなっているのが私は気になります。
生活が夜型になってきています。
クラスの子ども達を見ていてもそのことを実感します。

昼間、思い切り体を使って遊ばなければ、睡眠時間も必然的に少なくなります。
また、両親の共働きの家が増えたことも、夜型の一因です。
珍源齋さんが仰るように、食生活を含め生活環境全体の変化が子ども達に大きく影響しているようです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):学力の根本論議を  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 04/12/29(水) 20:05  -------------------------------------------------------------------------
   団塊党さん

今日の道新の夕刊に「教育現場の崩壊」という、ちょうどタイムリーな論評が載っていましたので照会します。
---------------------------------------------------
12月29日 道新の夕刊 時評「論壇」宮崎哲弥

人が人を教え育てるというのは本来不遜な行為である。この最低限の認識を欠いた教育論は顧慮するに値しない。然るに、教育が政治的な争点となった場合、しばしば、このあるべき抑制がなおざりにされがちだ。
教育をめぐる保守派、リベラル派の見解に耳を傾けると、双方、教育の万能性を前提にしているように響くことが少なくない。

経済思想家の猪木武徳氏は、教育を「機械の設計」ではなく「樹木の生育」譬えることの妥当性を説いている。前者は合理的に設計できるが、後者は外的条件の変化に大きく左右される。
では、いま教育を揺るがしている外的条件、すなわち社会条件の変化とは何か。猪木氏は少子高齢化、IT技術の進展、自然科学的方法の偏重を挙げる。これらが教育に間接的な影響を与えているというのだ。

少子高齢化が若い世代の意志を育む力を阻害し、IT技術が知のヒエラルキーを突き崩し、自然科学的な客観知の偏重が情操を圧倒しつつある。こうした悪条件の下で、「善き生」を送るための助力、という教育の意味が見失われている。子供たちの「学力低下」がメディアで喧伝され、危惧が広がっているが、学力水準さえ向上すれば、現代教育が抱える危機は解消するだろうか。そもそも、学力が落ち込み、学習時間が減った原因は文教政策のしくじりにあるのだろうか。

「中央公論」は「大異変!日本の小学校」を特集し、初等教育の現場で起こっている事態をつぶさにレポートしている。例えば、フリーライターの浅田志津子氏は、小学生や父母の心性の変化に振り回される教師たちの苦悩を報告する(「ルポ、悩める小学校教師たちの本音」)。それによれば、小学生が高学年にもなると、多くの生徒が教師の権威を認めず、あからさまに軽んじる態度を取るという。
「集団のなかで発揮される子供たちの意地悪さ、残虐さにぞっとすることもあります」「十歳の児童から、『しゃしゃるなよ』と言われたときは、怒りを通り越して怖かったです」などという教師の証言が掲げられている。

また、保護者側の学校や教師に対する不信や不満も根強く、そのためトラブルが起き易く、家庭との連携や協調が難しくなっている。
いずれにしても、現役の小学校教師が『自分の子を学校に通わせるのが怖い」との本音を吐露するというのは尋常ならざる状況だ。他方、フリーライターの渋井哲也氏は、小学生のインターネット利用の実態をレポートしている「大人は知らない小学生のどっぷり『ネット生活』。

----------------------続く---------------

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):学力の根本論議を  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 04/12/29(水) 20:11  -------------------------------------------------------------------------
   【38495】の続き

猪木氏の指摘する社会的条件の変化を、現場の様変わりにみる思いがする。教育社会学者の刈谷剛彦氏は、教育が社会のさまざまな問題を解決する「万能薬」と目され、その改革が不断に求められるようになった思潮の泉源を、十九世紀末のアメリカで興隆した教育思想に求める。刈谷氏によれば、教育改革が猫の目のように慌しく更改されるのは当然の成り行きだという。何故なら「自由の平等いう近代社会の理念間の葛藤を調整すること」、さらには「個人の内面の開発=発達」を支援することまでが教育に課されてしまったからだ。「解けそうも無い問題を抱え込むことで、教育の改革が永久運動のように回転し続けているのである。

教育の不全が社会に歪みをもたらしているのではなく、社会の側の矛盾が教育現場に持ち込まれているのだ。先の小学校の事情をみればわかるように、学校内における改良では、もはや十分に対処できない段階に差し掛かりつつある。いまや教育(の一部)を社会に「埋め戻す」ことが肝要なのかもしれない。

労働経済学者の玄田有史氏は、兵庫や富山で実施されている社会体験学習に注目している。両県では全ての公立中学校の二年生に対し。学期中の五日間、地域のなかで社会参加や職業体験などを行う事業を続けている。「たった五日間で何ができるのか」という疑義に対して、玄田氏は、この取り組みに関わった大人たちがそろって口にする感想を照会している。彼ら「とにかく『子供たちの顔が変わる』という印象を得たという。

こケースを踏まえて、玄田氏は、全国全ての中学二年生を一週間、大人社会が真剣に受け入れるという案を強く提唱している。「挨拶さえしっかりできれば。世の中なんとか生きていけると、本気で教えてくれる。叱ってくれる。そんな会社がたった5%あればいい。本当の大人に出会えるチャンスを創れるのだ」と。消費社会研究家の三浦展氏もまた、同様の認識を示している。「将来の職業生活イメージを子供たちに持たせることが生きる力の土台になる」。「生きる力」と学力とは決して相反するものではない。「学力」は「生きる力」の一部である。「生きる意欲」が阻喪していれば、「学ぶ意欲」沸き立つはずもない。

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以上
12月29日 道新の夕刊 時評「論壇」宮崎哲弥 より

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/29(水) 21:39  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:

長文の引用、大変な労力を有り難うございます。
じっくり読ませて頂き、後で感想など書いてみたいと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/31(金) 11:33  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:

道新の時評「論壇」への私の感想が削除されています。
もしかしたら、私がそのつもりがないのに削除したのかも知れません。
昨日、思い当たることがあります。
もう一度その通り書き直すのは出来ませんが、簡単にでもここに書いておきます。
(昨日のは多少評論的で自分でも気に入らなかったので、ちょうど良かったかも知れません。)

第一に学力低下の問題を単に学力の問題だけに帰着させずに、生きる意欲とか学ぶ意欲の問題に視点を置こうとしている点で共感しました。
北の老兵さんがわざわざ労力をさいて転記されたのもその辺の思いからじゃないかと想像しています。改めて感謝いたします。

第二に教育改革が猫の目のように更改されてきたこと、まるで学校が万能薬のように問題をすべて抱え込んできたことなどへの反省を取り上げており、この点も大変重要な指摘だと思いました。

第三に学校現場の荒廃の一面を捉えていること。
この点については、一部の現象を全体の現象のように誤解される恐れもありますが、現場を見てそこから問題を捉えていこうとする点で共感します。
あまり悲観的に見過ぎるのもどうかと思いますが、楽観できる状況ではないのも事実です。
現場にいても、感じることは多いです。

第四に兵庫や富山での社会体験学習の試みに見られるように、社会の中でも教育の責任の一部を担っていこうとしている点です。
学校だけにすべてを任せるのではなく、社会全体で教育していこうとする動きはこれから大事な要素だと思います。
これを昨日はやや否定的側面から強調しすぎました。
学校軽視の動きを懸念してのことだったのですが、杞憂でしょう。

以上、四点ともに非常に重要な視点を提供していると思います。
老兵さんの着目された記事だけあるなと思いました。
改めて感謝いたします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):学力の根本論議を  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/30(木) 15:13  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:
>団塊党さん  こんにちわ!

学力の問題、等々論議の切り口は多く根本的にと云っても根本としての
概念すら「なかなか」纏まり得ないものを感じてます。

北の老兵さんよりご紹介された「北海道新聞の時評「論壇での宮崎哲弥氏」

冒頭の「人が人を教え育てるというののは本来不遜な行為である。」
に始まる一連の捉え方には・・・その通りであると常々想うところでも
あり私は、この辺りが「総てに連なる根本」ではないかと思います。

人が成長して生活力「生きる力」を得る過程を考えてると、
離乳期を脱してからは一つ一つ模倣を積み重ねることから始まってる
ように思える、その中でも判断力が未熟な「すり込み」期にあっては

親や周囲の環境が大きく影響しある意味ではその後の人生を決するの
ではないか・・と思える程です。

よく云われる反面教師の教え?を活かせるのは、自己の確立して
「善悪の見極める」ことが出来なければ、反面教師のネガテイブな事を
そのまま、受け入れてざるを得ないこと・人生で不幸の縁から

脱せないのは、すり込み期を通して理屈を抜きにした善悪の見極めを
皮膚感覚で身に付けられなかった故・・と思う。

企業経営者でもバブル経済の華やかだった頃でも自己を確立してた
経営者はバブル経済の「異様さ」に気付いて本業一途に徹しておられ

現状認識をしっかり持ってたことは共通してます。
加えて「嘘や繕いが高く」つく事を当然ながら心得ていることは申すまでも
ありません。【この辺りは判っちゃいるけど止められないの】と
【判っているから止められる】の差になって現れ・時としてそれが
「天国と地獄」の分岐点だったりします。

少し視点がズレ加減になりましたが、江戸時代の寺子屋に習う訳でも
ありませんが、読み書きそろばんにに続いて善悪の見極めに資すること

を「学ばせる」ことが反復して「皮膚感覚」にまで達することが
出来れば・・大きく間違うことのない人生に役立つのではないかと
思います。

子供たちの潜在的な学習能力はもの凄いものがあり意欲と集中力さえ
働けば中学や高校での6年間での履修科目を半年程度で「こなして」
しまうものさえあるそうです。

逆説的で過激で恐縮ですが・【医者が病人をつくり】・
【教師が馬鹿者をつくる】と、を高名な医師からと
現役・教師から聞いたことがあります、聞いた当時はその言葉の意味が
理解で出来ませんでしたが・云われてみればそうかなあ〜と

一周遅れで気付かされた次第でした。

全体的に支離滅裂ぎみとなりました。ご許容のほど!
>---------------------------------------------------
>12月29日 道新の夕刊 時評「論壇」宮崎哲弥
>
>人が人を教え育てるというのは本来不遜な行為である。この最低限の認識を欠いた教育論は顧慮するに値しない。然るに、教育が政治的な争点となった場合、しばしば、このあるべき抑制がなおざりにされがちだ。
>教育をめぐる保守派、リベラル派の見解に耳を傾けると、双方、教育の万能性を前提にしているように響くことが少なくない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):学力の根本論議を  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 04/12/26(日) 20:58  -------------------------------------------------------------------------
   37909の続きです

>現在、日本の置かれてる危機的なことは、何かにつけて基礎のぐらつきが
>目に付くことにありませんか?

これは仰るとおりです。
基礎をしっかりさせた上での個性化なのに、お役所もマスコミもなべて個性化論議がお好きなようです。

>団塊党さんレスの流れの中には教育者としてのご苦労は察せられる
>ものの当事者意識が少々希薄のように感じられてなりません。

いえ、当事者として切実感があるからこそ、こうやって必死に訴えているのです。

>外国の事例など持ち出したくありませんが、先頃、放映された
>北欧の教育事情などを見れば子供達を大切に育ててる様子など
>なるほど・・と関心させられるものがありました。

フィンランドは最近、注目されています。
しかし、あちらは20人学級、日本はいまだに40人学級です。
20人学級ではできることも40人学級ではできないということはいくらでもあります。
これをもっとマスコミは言ってくれるといいのですが。

>
>日本の教師は管理部門への提出書類レポートなどに追われて
>とても現場での教育に創意工夫を活かせない・・と云われてる
>
>ことも多々あると「ボヤキ」を聞いたこともありますし、
>管理者的な立場に存在する管理職と云われてる先生方に
>「俗物」が多いと云うのも身近に見て知ってます。

ご指摘の通りです。

>「知識が有っても、知恵が無い」「知恵が有っても、愛が無い」
>・・その辺りは子供達は一ぺんに見抜きます。
>
>日本の教育システムの制度疲労が臨界点に来てしまってる感は
>正直言って否めない処です。
>

そうですね。
私は、学校がいろいろ背負い込みすぎているので、もっとシンプルになる必要があると思います。
放課後はすべて、授業の準備や研究にあてられたら、どれほど子ども達が救われるだろうと思います。
いろいろな意味で雑多なことが多すぎます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):ネアンデータル人は何故絶滅したか?  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 04/12/31(金) 18:06  -------------------------------------------------------------------------
   昨日30日の深夜・NHKの【地球大進化】を観てましたら・・
我々の先祖、ホモサピエンスとは別の系統に属するネアンデータル人が
・・・ある時期を境に絶滅してしまったとのこと・・・

現在まで種を存続した我々のご先祖に当たるホモサピエンスと
絶滅してしまったネアンデータル人との因果について知り愕然とする
思いを持ちました。

その理由は残された化石の頭部の状態からネアンデータル人は
咽頭の位置が高く発生に難があったようで、言葉を持つことが
出来なかった・・・ようで。

一方、我々の先祖にあたるホモサピエンスは咽頭「のど仏」の
位置が低く現在の私たちと同じ高さにあったことから、
声の制御が可能で言葉になる音声を発し得た結果、仲間同士の
共同作業を成立させることが可能であった。

狩りの場合でも仲間と協力して大型の動物を狩り、食料を得られた
情報の伝達、知恵の伝承に繋がったに留まらず・・・、

おそらく、語彙の集積による思考力を獲得して云ったものと思われる。
それが厳しい自然環境に適応して行ける能力になった。
・・もしその能力が獲得できなかったならば・・、

我々のご先祖も絶滅して現在の私たちに繋がるものは
おそらく残せなかったのでは・・・ないか?

改めて言葉のもつ力は大きく、人が人たる「ゆえん」は正に・
言語であり【読解力・言語力】の持つ力を改めて認識させられた。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : 山本隆博 <takasan14@hotmail.com>  ■日付 : 05/1/4(火) 13:44  -------------------------------------------------------------------------
   ちょっと老人党の掲示板を見ないうちに、
こんなに教育問題が議論されていたことに驚きました。
だれかメールくださいよ…(~_~;)

一応、一通り投稿を読んでみました。
それで、どこに意見を投稿すればいいかなぁ
と、考えたあげくここに書かせて頂きます。

>先般「経済協力開発機構」の実施した国際学力テストによれば
>日本の15歳の読解力・数学応用力の順位を大きくさげたこと。
>
>これは、読み書き・算術「算数」が出来なくなった事だ。
>
>前述の「経済協力開発機構」によれば読解力の低下は
>下位の生徒の成績がガタ落ちしたことで・・

おそらくそのテストはOECDのPISA調査だと思います。
2000年にも1度行われていますが、
その時には「PISAショック」という言葉が生まれたほどです。
いままでの国際テストには「IEAテスト」がありました。
しかし、「PISA調査」とは明らかに違います。
「IEA」は調査対象国の教育内容の共通部分でテストを作成し、
習得状況を調査したものです。

しかし、「PISA」には「リテラシー」と言う言葉が登場します。
「リテラシー」は簡単に言えば「読み取る力」です。
だから、「PISA調査」の結果冊子の表紙には
「Knowledge and Skill for Life」
「生きるための知識や技能」と書いてあります。

いろいろな掲示板を見ていて少し考えてほしいことがあります。
日本の学力が落ちているとマスコミは書いてありますが、
結果の冊子には、
日本の学力は「基礎学力」については問題ないを書いている
それより、「推論的思考」「批判的思考」が全くできない
いわゆる「選択問題」でなく「自由筆記」においては、
「空白」という結果が、ダントツで日本の1位が出た。
つまり、日本の教育に「百マス計算」はいらない。
今のままでも十分。言い過ぎれば、電卓でも十分。
問題は、電卓に打ち込む計算式を組み立てる能力が、
電卓を使いこなす能力が必要なのではないか…

もう一つは、「能力」の問題です。
どの掲示板をみても「能力」が「ability」であるように
書かれています。つまり、「今、目に見える能力」です。
しかし、教育が育てなければいけない「能力」は、
「capacity」の「潜在的能力」であると僕は考えます。
1月4日の読売の朝刊に「習熟度別学習」のことが載ってました。
ひどく言ってしまえば、「PISA調査」は、
「トラッキングの敗北」を示しています。
「習熟度別指導」も「トラッキング」の一つです。
「トラッキング」を行っていた国の結果が下位に来ています。
私は「習熟度別指導」の広がる今の日本教育に危機感を感じます。
日本教育の「平等」は世界から高く評価されてきました。
そして、「PISA調査」トップだった、フィンランド教育は、
「質」と「平等」が矛盾しないことを証明しました。

できれば、この投稿に感想をお聞かせ下さい。
批判的は意見なら、なお良いものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?  ■名前 : とうろう  ■日付 : 05/1/4(火) 14:00  -------------------------------------------------------------------------
   ▼山本隆博さん:

はじめまして。こんにちは。

私は、教育者でなく、正確には「学力」が何で測られているか、何を尺度として考えるかはよく知りません。しかし、「教育」は、結局「人間力」(曖昧な言い方ですが、社会的動物としての人間が、社会に適応し、社会に貢献する力、のようなことをイメージしています)をつけることと思っています。

そのような観点から、本スレッドにも【37517】でレスをしています。

>そして、「PISA調査」トップだった、フィンランド教育は、「質」と「平等」が矛盾しないことを証明しました。

これを詳しく説明いただけませんか。
「質」とは何の質で、「平等」とは、何が平等でしょうか。

>できれば、この投稿に感想をお聞かせ下さい。批判的は意見なら、なお良いものです。

お言葉に甘え、上にレスしました、失礼。

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