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 ▼読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  山本隆博 05/1/6(木) 0:08
   ┣Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/9(日) 1:32
   ┃  ┗Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  北の老兵 05/1/9(日) 16:08
   ┃     ┣Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ステディ ベア 05/1/9(日) 19:20
   ┃     ┃  ┗Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  虎キチ大好き 05/1/9(日) 21:42
   ┃     ┃     ┗Re(5):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ステディ ベア 05/1/9(日) 23:39
   ┃     ┃        ┗Re(6):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/10(月) 0:04
   ┃     ┃           ┣Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ウミサチヒコ 05/1/10(月) 0:23
   ┃     ┃           ┃  ┗Re(8):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/10(月) 9:02
   ┃     ┃           ┗Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ステディ ベア 05/1/10(月) 9:15
   ┃     ┣Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  数理梵哲 05/1/9(日) 20:41
   ┃     ┗Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/9(日) 23:33
   ┃        ┣Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ぎみゆら 05/1/10(月) 9:48
   ┃        ┃  ┗Re(5):意欲を引き出し、学力を高めるには(1)  団塊党 05/1/10(月) 14:11
   ┃        ┃     ┗Re(6):意欲を引き出し、学力を高めるには(2)  団塊党 05/1/10(月) 14:12
   ┃        ┃        ┗Re(7):意欲を引き出し、学力を高めるには  ぎみゆら 05/1/11(火) 17:38
   ┃        ┃           ┗Re(8):意欲を引き出し、学力を高めるには  北の老兵 05/1/11(火) 19:17
   ┃        ┃              ┗Re(9):意欲を引き出し、学力を高めるには  オルトン 05/1/11(火) 20:44
   ┃        ┃                 ┣Re(10):意欲を引き出し、学力を高めるには  オルトン 05/1/11(火) 21:10
   ┃        ┃                 ┃  ┣Re(11):意欲を引き出し、学力を高めるには  虎キチ大好き 05/1/12(水) 0:26
   ┃        ┃                 ┃  ┗Re(11):意欲を引き出し、学力を高めるには  団塊党 05/1/12(水) 1:02
   ┃        ┃                 ┃     ┣Re(12):意欲を引き出し、学力を高めるには  オルトン 05/1/12(水) 7:08
   ┃        ┃                 ┃     ┃  ┗Re(13):意欲を引き出し、学力を高めるには  団塊党 05/1/12(水) 22:43
   ┃        ┃                 ┃     ┗Re(12):学力論議の落とし穴  団塊党 05/1/12(水) 23:29
   ┃        ┃                 ┗Re(10):意欲を引き出し、学力を高めるには  悠々 05/1/11(火) 22:24
   ┃        ┗Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  数理梵哲 05/1/10(月) 10:52
   ┃           ┗Re(5):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/10(月) 14:35
   ┃              ┣Re(6):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  北の老兵 05/1/10(月) 14:44
   ┃              ┃  ┗Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/10(月) 16:09
   ┃              ┗Re(6):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  数理梵哲 05/1/10(月) 18:13
   ┃                 ┣Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  秋明菊 05/1/11(火) 8:32
   ┃                 ┃  ┗Re(8):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  数理梵哲 05/1/11(火) 22:21
   ┃                 ┃     ┗Re(9):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  秋明菊 05/1/12(水) 18:41
   ┃                 ┃        ┗Re(10):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  数理梵哲 05/1/13(木) 6:44
   ┃                 ┗Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/12(水) 0:34
   ┃                    ┗Re(8):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  数理梵哲 05/1/12(水) 6:58
   ┃                       ┗Re(9):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/12(水) 22:20
   ┣Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  虎キチ大好き 05/1/9(日) 14:40
   ┣Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  トビパパ 05/1/10(月) 0:01
   ┃  ┣Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  団塊党 05/1/10(月) 9:43
   ┃  ┃  ┗Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  トビパパ 05/1/11(火) 7:07
   ┃  ┗Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  虎キチ大好き 05/1/10(月) 16:05
   ┃     ┗Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  トビパパ 05/1/11(火) 10:41
   ┣[管理者削除]   
   ┃  ┗移動しました  管理スタッフ 05/1/10(月) 14:14
   ┣Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  山本隆博 05/1/10(月) 16:11
   ┃  ┣Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  山本隆博 05/1/10(月) 16:44
   ┃  ┗朝に続いてご返事します。  ステディ ベア 05/1/10(月) 23:16
   ┃     ┗ダメ教師排除システム→在ります。  ニッチモサッチモ 05/1/11(火) 1:31
   ┃        ┗訂正  ニッチモサッチモ 05/1/11(火) 3:17
   ┗Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  珍 源斎 05/1/10(月) 21:22

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2
 ■名前 : 山本隆博 <takasan14@hotmail.com>
 ■日付 : 05/1/6(木) 0:08
 -------------------------------------------------------------------------
   ▼とうろうさん:

さっそくの返事有り難うございます。

>これを詳しく説明いただけませんか。
>「質」とは何の質で、「平等」とは、何が平等でしょうか。

ここで言う「質」とは、今はやりの「習熟度別指導」です。
つまり、クラス分けをして、勉強の内容のレベルを上げる
これを「質」を上げるといっています。

しかし、これをするためには成績によって、
クラス分けをしなければならないので、
成績の良い子も悪い子もみんな一緒に教わる
という、「平等」が壊されます。

フィンランド教育は「平等」のままで
「質」を上げることをやってのけました。

その教育には、ポイントがあるんですが、
日本の教育は逆方向に向かっています。

いま、自分は小学生を対象にして、
成績アッププログラムを施行しています。
最初は、スポーツ教室だったのですが、
回数が2週に1回という、体力向上にはほど遠い
教室なので、フィンランド教育のポイントを
スポーツで実施し、そのまま勉強に生かせるような
体制を作ろうと奮闘しています。
やっと、芽がでてきたかなぁという感じです。
低学年の子は実感はありませんが、高学年の子は
僕がやろうとしていることをのみこみ始めています。
この高学年の子たちがどう動くか・・・
これが勝負だと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/9(日) 1:32  -------------------------------------------------------------------------
   ▼山本隆博さん:

横レス失礼します。

>ここで言う「質」とは、今はやりの「習熟度別指導」です。
>つまり、クラス分けをして、勉強の内容のレベルを上げる
>これを「質」を上げるといっています。
>
>しかし、これをするためには成績によって、
>クラス分けをしなければならないので、
>成績の良い子も悪い子もみんな一緒に教わる
>という、「平等」が壊されます。
>
>フィンランド教育は「平等」のままで
>「質」を上げることをやってのけました。
>
>その教育には、ポイントがあるんですが、
>日本の教育は逆方向に向かっています。
>

習熟度別学習については私も疑問を持っています。
多様な個性や能力の子どもが、お互いに協同し影響しあいながら学んでいく授業により豊かな可能性を感じています。

フィンランド教育が最近注目されてきていますが私は詳しくありません。
その点について少し教えて頂けないでしょうか。
参考図書などがあれば、是非ご紹介下さい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 05/1/9(日) 16:08  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
>▼山本隆博さん:
>
>横レス失礼します。
>
>>ここで言う「質」とは、今はやりの「習熟度別指導」です。
>>つまり、クラス分けをして、勉強の内容のレベルを上げる
>>これを「質」を上げるといっています。
>>
>>しかし、これをするためには成績によって、
>>クラス分けをしなければならないので、
>>成績の良い子も悪い子もみんな一緒に教わる
>>という、「平等」が壊されます。
>>
>>フィンランド教育は「平等」のままで
>>「質」を上げることをやってのけました。
>>
>>その教育には、ポイントがあるんですが、
>>日本の教育は逆方向に向かっています。
>>
>
>習熟度別学習については私も疑問を持っています。
>多様な個性や能力の子どもが、お互いに協同し影響しあいながら学んでいく授業により豊かな可能性を感じています。
>
>フィンランド教育が最近注目されてきていますが私は詳しくありません。
>その点について少し教えて頂けないでしょうか。
>参考図書などがあれば、是非ご紹介下さい。

現役教師の話は非常に興味深いです。もっと現場教師の話を聞きたいですね。
団塊党さん、次に照会するサイトも参考になると思いますよ。

http://www.finland.or.jp/education-j.html

現場の教師の声も知らない、子育てした事もない者が、いっぱしの評論家気取りで教育を語るのは私には奇異に見えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/1/9(日) 19:20  -------------------------------------------------------------------------
   ウーン、確かに、誇りある教師にとっては

>>現場の教師の声も知らない、子育てした事もない者が、いっぱしの評論家気取りで教育を語るのは私には奇異に見えます。<<

は、言えなくもありませんが・・・

じゃあ、文科省のお役人様は皆、教師で、子持ちでなければね。尤もあの方達の御子弟は私学か留学だから関係ないか。

ま、フィンランドもいいけれど、小柴博士も仰っていますが、私は日本の教師免許更新制度と、生徒による勤務評定(新学期に比べて、どのくらい理解できたか)の導入を強く、強く、強く願います。
信賞必罰は世の習い、よい評価を収めた教師にはボーナスを!いいなあ、これ!

ご自身が良い教師だったら、反対なぞなされませんよね。

え?生徒に依る評価なんて当てにならない?大人の評価のほうはどうなんでしょう。子供はドキッとする位、本当によく見ています。

子供を持つ無学な親として、教育論や教育技法をお持ち(のはず)の先生様の仰るとおりにお任せしていたら、とんでもない教室になっていた、そして、いつの間にか転勤して行ったが、次の学校でも同じだったなんて事があまりにも多いので、不安に駆られているんです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 虎キチ大好き  ■日付 : 05/1/9(日) 21:42  -------------------------------------------------------------------------
   9▼ステディ ベアさん:

>>ま、フィンランドもいいけれど、小柴博士も仰っていますが、私は日本の教師免許更新制度と、生徒による勤務評定(新学期に比べて、どのくらい理解できたか)の導入を強く、強く、強く願います。
>信賞必罰は世の習い、よい評価を収めた教師にはボーナスを!いいなあ、これ!
>
>ご自身が良い教師だったら、反対なぞなされませんよね。
>
>え?生徒に依る評価なんて当てにならない?大人の評価のほうはどうなんでしょう。子供はドキッとする位、本当によく見ています。


自分も貴方と同意見です。
学校を卒業後民間企業に入り9年社会に出て分かった事が3つ有ります。

1.民間では当たり前なユーザー評価(両親・子供による先生の教え方の良し悪しの評価が全く行われていない。

2.先生は事実上学校の中の世界しか知らない。

3、だから良く学校で染髪等が校則で禁止行為に指定されているが、今一般社会ではかつて言われていた染髪イコール不良と言う認識は無いのに未だ根拠の無いものが校則に載っていたりして、教育現場が社会の変化についていけていない。

私はこれを防ぐため教師の企業研修を必修化する必要性を感じました。
特に1.は企業がユーザーからどんな形で評価を受けるか、それによって何が得れるかを勉強してもらい、現場に生かすべきだと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/1/9(日) 23:39  -------------------------------------------------------------------------
   虎キチさん(どうもこの呼び名、抵抗を感じるなぁ)レス感謝。
ま、お互いにあんまり、熱くならない様にしましょう。

私はNo.3には少し意見が異なります。校則は問答無用が持論です。
また、教師の企業研修も大反対、というよりその有効性を120%疑っています。
研修の必要の無い方には有効で、研修の必要のある奴には全く無効です。
何度も言います、生徒による勤務評定、それと免許更新、これが一番。
何も、教師全員、金八になれ等とは言っていません。
跳び箱の苦手な子に、台に赤いテープを張り、「ここに手を突いて飛びなさい、」と教えたり、逆上がりの出来ない子に戸板を斜めに用いて、次第に踏み切りの高さを上げて行き、見事克服した話など、子供が涙ながらに喜ぶ話を聞くと、教育って工夫と熱意だなぁ、聖職だなぁって、つくづく思います。算数や国語だって同じです。米村伝次郎さんなんて、理科教師としては落ちこぼれでしたがね。

ダメ教師に鉄槌を!天誅を!
いかん、だんだん削除されそうになってきた・・・皆さん、さよーならー・・・

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/10(月) 0:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん:

>何度も言います、生徒による勤務評定、それと免許更新、これが一番。

生徒による勤務評定と免許更新が一番と言われる根拠は何でしょうか。
そうすることによってどのようなメリットがあり、どのようなデメリットがあるか具体的に予想されているのでしょうか。
制度を変えたから教育が良くなるとは限りません。
むしろ、これまでの私の経験してきた実感で言えば、制度を変えたことによって悪くなることが多いのです。
あなたのおっしゃる根拠を出して頂ければ有り難いです。

>何も、教師全員、金八になれ等とは言っていません。
>跳び箱の苦手な子に、台に赤いテープを張り、「ここに手を突いて飛びなさい、」と教えたり、逆上がりの出来ない子に戸板を斜めに用いて、次第に踏み切りの高さを上げて行き、見事克服した話など、子供が涙ながらに喜ぶ話を聞くと、教育って工夫と熱意だなぁ、聖職だなぁって、つくづく思います。算数や国語だって同じです。米村伝次郎さんなんて、理科教師としては落ちこぼれでしたがね。

これは同感です。
でも赤いテープを貼ったから跳び箱がどの子も跳べるようにはなりません。
戸板を斜めにすれば誰でも鉄棒が跳べるようにはなりません。
100人の子どもには100通りの方法があります。
それを見つけるのが大変なんです。
熱意があれば誰でも良い教師になれるとは言えません。
プロはどの職業もそうでしょう。
プロの厳しさです。

>ダメ教師に鉄槌を!天誅を!
>いかん、だんだん削除されそうになってきた・・・皆さん、さよーならー・・・

私もダメ教師かもしれません。
しかし、熱意は十分にありますよ。
勉強も人一倍しています。
そう簡単に鉄槌を下さないで頂きたいものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : ウミサチヒコ <movement@me.scn-net.ne.jp>  ■日付 : 05/1/10(月) 0:23  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
こんばんわ。休みの時にきっちり掲示板にでる、律儀な団塊党さん。ご苦労様です。
どの親もワシントンの親にはなれない。どの親も野口英世の母にはなれない。誰もが立派な親、誰もが立派な先生になれるものではない。カエルの子はカエルなのです。
奇跡を信じちゃいけない、のです。オリンピックで一位になるやつがどれだけいるか、絵で身を立てられるやつがどれだけいるか、人間サクセスストーリーに騙(だま)されてはいけない。地面に足をつけて生きることを教える、そういう先生であれば、それで十分すぎるほど先生は先生の役目を果たしていると思います。
団塊党さん、ガンバレ!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/10(月) 9:02  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ウミサチヒコさん:

>人間サクセスストーリーに騙(だま)されてはいけない。地面に足をつけて生きることを教える、そういう先生であれば、それで十分すぎるほど先生は先生の役目を果たしていると思います。
>団塊党さん、ガンバレ!

嬉しいお言葉です。
だけど、それに甘えちゃいけないと思います。
子どもの幸せは教師次第です。
明日から新学期がまた始まります。
いざ出陣、頑張ってきます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/1/10(月) 9:15  -------------------------------------------------------------------------
   皆さん、おはようございます!あぁ、良かった、まだ残ってた・・・
そして、団塊党さん、レス感謝。二重に嬉しい。

>>生徒による勤務評定と免許更新が一番と言われる根拠は何でしょうか。
そうすることによってどのようなメリットがあり、どのようなデメリットがあるか具体的に予想されているのでしょうか。
制度を変えたから教育が良くなるとは限りません。
むしろ、これまでの私の経験してきた実感で言えば、制度を変えたことによって悪くなることが多いのです。
あなたのおっしゃる根拠を出して頂ければ有り難いです。<<

そりゃぁ、都合の悪い人にはデメリットということでしょうが、教育専門家の団塊党さんには何がメリットで、何がデメリットなのか、瞬時にお分かりなのではないでしょうか?

生徒による勤務評定は、小柴昌俊教授が日経マスターズという雑誌で仰っていました。また、免許更新の話は、同じ頃NHK・TVで小柴先生と道傳愛子アナウンサーとの対談で出てました。

私は無学なので、見識あるお方のお考えの中で共感を覚えるものは、よく咀嚼して飲み込み、自分の意見としています。少しでも心の栄養になればと思っています。そこには、教えてくださった方への信頼と信用という前提があります。お前の意見ではないじゃないか!と言われるかもしれませんが、気にはしません。

したがって、小柴教授のお考えにメリット、デメリットは?等と不遜な考えは毛頭ございません。

今から、仕事に出かけます、とりあえず、きょうはここまで、では。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 05/1/9(日) 20:41  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:
>▼団塊党さん:
>>▼山本隆博さん:
>>
>>横レス失礼します。
>>
>>>ここで言う「質」とは、今はやりの「習熟度別指導」です。
>>>つまり、クラス分けをして、勉強の内容のレベルを上げる
>>>これを「質」を上げるといっています。
>>>
>>>しかし、これをするためには成績によって、
>>>クラス分けをしなければならないので、
>>>成績の良い子も悪い子もみんな一緒に教わる
>>>という、「平等」が壊されます。
>>>
>>>フィンランド教育は「平等」のままで
>>>「質」を上げることをやってのけました。
>>>
>>>その教育には、ポイントがあるんですが、
>>>日本の教育は逆方向に向かっています。
>>>
>>
>>習熟度別学習については私も疑問を持っています。
>>多様な個性や能力の子どもが、お互いに協同し影響しあいながら学んでいく授業により豊かな可能性を感じています。

私には、例えば大学生と小学生を同じ教室で同じ受業を受けさせることが「平等」であるとは、とても思えないのですが。
理解力のある生徒と、理解に時間がかかる生徒は、別の教室で別の受業を受けさせるのが当人達にも教師にも良いように思います。教師も、同じ教室で両者が満足する受業を行うのは、無理なのではないでしょうか。

>現役教師の話は非常に興味深いです。もっと現場教師の話を聞きたいですね。
>団塊党さん、次に照会するサイトも参考になると思いますよ。
>
>http://www.finland.or.jp/education-j.html
>
>現場の教師の声も知らない、子育てした事もない者が、いっぱしの評論家気取りで教育を語るのは私には奇異に見えます。

私も現役教師の話には興味がありますが、「現場の教師の声も知らない、子育てした事もない者」が教育を語る資格がないとは考えません。それは、人を殺した事のない者が殺人について語るのはおかしいと言っているのと同じで、それでは、殺人者でなければ裁判官にも検察官にも弁護士にもなれないことになってしまいます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/9(日) 23:33  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:

>現役教師の話は非常に興味深いです。もっと現場教師の話を聞きたいですね。
>団塊党さん、次に照会するサイトも参考になると思いますよ。
>
>http://www.finland.or.jp/education-j.html
>

そうですね。
できるだけ私もそうしたいと思っています。
サイトの紹介有り難うございます。

フィンランドの教育については今、大変興味を持っています。
山本さんがおっしゃるように、習熟度別、つまり能力別の学習ではなく、多様な個性や能力の子どもが同じ教室で学ぶという原則を維持しながら、しかも質の高い教育を実現しているからです。

今、日本では習熟度別の流れが強くなっています。
一つの学年を能力別にグループ編成し、そのグループごとに一人の教師が責任を持って授業をします。
特に算数でこの方法がよく取られています。

習熟度別学習は子ども達の能力差が少ないので、教える立場からすれば教えやすく効率的な学習になります。
従って教育成果も上がるかと、当初は考えられていました。
ところが、思ったほどの効果があがらず、むしろマイナス面が目に付くようになっています。

私の学校ではこの方法はとっていませんので、直接に経験していませんが、習熟度別学習の実践報告を見る限り、どうも芳しくありません。
この方法で恩恵を受けるのは、能力の非常に高い子と、逆に大変に理解の困難な子ども達です。
大多数の子ども達には効果が上がっていないのです。

何故、習熟度別学習は大方の予想に反して効果が上がっていないのでしょうか。
その一つの理由は、子ども達は自分の分かるレベルに戻って学習することよりも、自分の分からないレベルの事柄を教師や仲間(異質な個性や能力の)とのコミュニケーションを通して学ぶ中で、しっかりした本当の学力を形成していくということです。

教師は分かる授業を作るのに必死ですが、生徒は分からない授業を求めているのです。
学びには背伸びとジャンプが必要なのです。
習熟度別学習というのは、分かることを一つ一つ下から積み上げていく学習です。
ところが子ども達はむしろ上から引っ張り上げられる学習の中で学力を形成し意欲も持っていくのです。
これは私の授業の体験から言っても間違いないと思います。

フィンランドの教育も多分、そのような教育を行っているのではないかと想像しています。
そういう意味でフィンランドの教育に大変興味があります。
ところが具体的にどのような授業をやっているのかほとんど情報がなかったものですから、山本さんにお聞きしたわけです。

教育については常識のウソというのがたくさんあります。
能力別学習が効果が上がるという常識も、その一つです。
フィンランドの素晴らしいところは、その常識のウソに陥らないで、実際に効果を上げているところです。
日本がフィンランド教育に学ぶことはたくさんあるのではないかと期待しています。

>現場の教師の声も知らない、子育てした事もない者が、いっぱしの評論家気取りで教育を語るのは私には奇異に見えます。

一般の方も学校教育について意見をどしどし出して欲しいと私は思います。
中には誤解されていること、見当はずれの書きこみもありますが、それはそれで「ああ、そのように一般の人は学校をみているのだ」ということが分かり参考になります。
また、教師が見落としているようなこと固定観念に陥っているようなことも、自由な発想で指摘されることもありますので、いずれにしても勉強になります。

ただ、中には教師や学校に対する抜きがたい不信感のようなものを感ずることがあるのはたしかです。
これはその人の体験の中から出てきたことで、やむを得ないことですが、その体験を教師一般、学校一般への批判の根拠として絶対化して欲しくないとは思います。
こちらが何をどう言ってもかたくなに否定されると、非常に無力感を感じます。
私も自分の経験を絶対化してとらえないように気をつけなければいけないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/1/10(月) 9:48  -------------------------------------------------------------------------
   団塊党さん、こんにちは。
今年もよろしくお願いいたします。


書いてくださったことのうち、一見効率的と思われる「一つ一つ
下から積み上げる学習」より「上から引っ張り上げられる学習」の
ほうが、むしろ学力も意欲も伸びるし、子供たちもそちらを求めて
いる、という部分がとても印象的でした。

それで思いついたのですが、上のことに加えて、学習内容も、
クラス構成でも、「ゴチャマゼ」というか、以前に団塊党さんと
公立学校についてお話ししたときに出した言葉で「種々雑多」と
いうか、そういったことにも、何かかなり積極的な意味があり
そうに思うのですが、その辺はどんなものなのでしょうか。

いま、脳科学者の茂木健一郎さんの『脳の中の小さな神々』
(柏書房、2004年)という本を読んでいるんですが、これが
とても面白くて、何かと示唆に富んでいるんです。

大脳の地図というか、領野というのがありますよね。この辺は
視覚を司る場所、ここは運動野、ここは言語野とか。だけど茂木
さんが言うには、それはたぶんあんまり適当ではなく、たとえば
いまブローカ言語野といわれている領野は、言語、発話のほかに、
リズム楽器を扱うときなんかにも活動していて、むしろ、何か
時間の刻みのような働きに関係している領野なんじゃないか。

言語行為でも、その他の人間の認識や行動でも、どこか特定の
領野が特定の心身機能を分担しているというより、脳のいろんな
役割を持った領野の活動が、何かしらネットワークされることに
よって出てくるものなんじゃないか、といった話が出てきます。

そうすると、たとえばいま本がたくさん売れたりもしている、
これこれのドリルを毎日やると脳のこの部分が鍛えられるとか、
そういうのはたぶん、あまり意味のない考え方で、脳の特定の
領野と、単機能的な訓練と、結果として習得される人間の細分化
された行動とを単純に対応させるような見方自体、それじゃダメ
だろう、見当外れなんじゃないかと茂木さんは言うわけです。

そういえば、スポーツなんかでも、名将といわれる指導上手な人
ほど、単機能の訓練よりも実戦型の練習を重視する人が多い気が
します。高校野球の、横浜高校の渡辺監督が、特定動作の細切れの
練習は増やさず、なるべく実戦に近い状況で練習すると話していた
記事を、少し前に興味深く読んだ記憶がありますが、そんな
ことも、もしかしたらどこかつながっているのかもしれません。

機能主義とか、要素要素に分割してのアプローチというのは、一見
わかりやすいし、実際にも比較的手がけやすいし、もっともらしく
見えるけど、人間の成長や、生きていく実際の姿とは、かけ離れて
いるということなのかなぁと、そんなことを考えました。

あまりまとまりませんが、団塊党さんの柔軟な思考で、どこかで
うまいことお話をつなげていただけることを期待します。(笑)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):意欲を引き出し、学力を高めるには(1)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/10(月) 14:11  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ぎみゆらさん

お久しぶりですね。今年もよろしくお願いいたします。
明日から新学期なので今日はこれで書きこみをやめようと思っていたら、ぎみゆらさんからレスが来たので、やめるわけにはいかなくなりました。(笑)

>書いてくださったことのうち、一見効率的と思われる「一つ一つ
>下から積み上げる学習」より「上から引っ張り上げられる学習」の
>ほうが、むしろ学力も意欲も伸びるし、子供たちもそちらを求めて
>いる、という部分がとても印象的でした。
>
>それで思いついたのですが、上のことに加えて、学習内容も、
>クラス構成でも、「ゴチャマゼ」というか、以前に団塊党さんと
>公立学校についてお話ししたときに出した言葉で「種々雑多」と
>いうか、そういったことにも、何かかなり積極的な意味があり
>そうに思うのですが、その辺はどんなものなのでしょうか。

まさにそこがキーポイントだと思います。
均質な子ども達を集めて行う習熟度学習に一番欠けているのが「種々雑多」さの欠落です。
欠落というと大げさかも知れません。
しかし不足していることは確かです。

実際、習熟度学習を担当する教師が一番困っているのは、多様な意見や考えや質問が出てこないのだそうです。
教師が質問を出して、子どもがそれに答える。その子どもの答えに対して他の子がそれに関連したことを言う。それを聞いてまた別の子が考えを出してくるというようなつながりや発展性が授業に生まれにくいというのだそうです。
正解が出たらそれでおしまい。授業がそこで途切れてしまうそうです。
なかなか納得せずに「でもそれならこういうことはどうなんだ」と食い下がる子もなかなか出てこないそうです。

そういうところに、習熟度学習では本当の学力が育っていない理由があるのではないかと思っています。
しかし、これは私の仮説ですのであてにしないでください。
まだその辺まであきらかになっているわけではありません。      続く

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):意欲を引き出し、学力を高めるには(2)  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/10(月) 14:12  -------------------------------------------------------------------------
   >いま、脳科学者の茂木健一郎さんの『脳の中の小さな神々』
>(柏書房、2004年)という本を読んでいるんですが、これが
>とても面白くて、何かと示唆に富んでいるんです。

面白そうですね。
手に入れば読んでみます。

>そういえば、スポーツなんかでも、名将といわれる指導上手な人
>ほど、単機能の訓練よりも実戦型の練習を重視する人が多い気が
>します。高校野球の、横浜高校の渡辺監督が、特定動作の細切れの
>練習は増やさず、なるべく実戦に近い状況で練習すると話していた
>記事を、少し前に興味深く読んだ記憶がありますが、そんな
>ことも、もしかしたらどこかつながっているのかもしれません。
>
>機能主義とか、要素要素に分割してのアプローチというのは、一見
>わかりやすいし、実際にも比較的手がけやすいし、もっともらしく
>見えるけど、人間の成長や、生きていく実際の姿とは、かけ離れて
>いるということなのかなぁと、そんなことを考えました。

これは非常に参考になる話ですね。
生きた学力というか、生活の中で役立つ学力というかどう言えばよいか分かりませんか、とにかく本当の学力がどうすればついていくのかということに深くつながっている話だと思います。

細かな要素やステップに分けて、一段一段階段を上るように積み上げて学習していくというのは基本的には間違っているとは思いません。
私もずっとそのような考えで授業をやってきていますし、教科書も易しいものから難しいものへと配列されています。
だから、それを否定するつもりはありません。
それを否定しては、それこそ読み書き計算を始め基礎学力も身に付かなくなる恐れがあります。

しかし、一段とか二段下のステップが身に付いていないからその上のステップはまだ学習するには無理かと言えばそうではないと思うのです。
習熟度学習というのは出来なければその下のステップに戻すというやり方ですが、そこがどうも子どもの現実の頭の働き方や意欲と合わない時があるのではないかと思います。
分からないときには基礎に戻って学習するというのは一見正しいようですが、必ずしもいつもそれが子どもの学習スタイルに合っているとは言えないような気がします。

では、どのようなスタイルが良いのかと言う話しになります。
残念ながらそれには一つの答えはなく、多様な授業形態があり得ると思います。
ただ、一つだけあげろと言われれば、探求的な学習を私はあげます。
一時間に一つ、大きな課題がありそれをみんなで推理、発見していくような授業です。
これはもちろん「種々雑多」な子ども達がいればいるほど面白い授業になります。
これを具体的に話し出すと長くなりますので、今日は省略させてください。
後日、改めて具体的な授業の流れを説明します。

渡辺監督の話も面白いですね。
できるだけ実践に近い練習をするというのは授業でも当てはまります。
日常生活に当てはまるように問題を立て、それを解いていくことは面白い授業という点だけでなく、総合的に学力をつけていく一つの良い方法だと思います。
ばらばらに要素要素を学ぶ中では育たない、何かがそこで育っていくんじゃないでしょうか。

話が尻切れトンボになったような気がしますが、とりあえず今日はここまでにさせて下さい

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/1/11(火) 17:38  -------------------------------------------------------------------------
   団塊党さん、こんにちは。


読み応えのあるお返事、ありがとうございます。
やっぱりその辺が、ポイントみたいですね。

まず、前回のコメントで紹介した茂木健一郎さんの本は、歌田明弘
さんという編集者のインタビュー執筆の形で作られている本です。
聞き書きの本って失敗すると悲惨なんですが、(笑) この本は割と
よくできていて、おすすめできます。

「なるべく生きた現実に近い姿で」「学習内容と生活実感の結び
つき」等々は、何でもそれがいいということでもないんでしょう
けれど、学校教育だけでなく、いろんな場面でヒントになりうる
大事な視点ではないかという気がします。

たとえば、脳卒中後遺症など、リハビリテーションが大事になる
患者さんについて、入院病棟の看護師などがよく、「訓練室の
リハビリ」と「病棟のリハビリ」というようなことを言います。

リハビリって、実際に経験した人はみんな口を極めて言いますが、
とてもつらくて大変なんです。いったん動かなくなった腕や脚を
動かそうとするんですから、まずとにかく痛いし苦しい。それに、
以前は当たり前にできていたことを、幼児のように一から練習し
なきゃならない情けなさなど、精神的なつらさも大きい。

大きな病院やその種の専門病院に入ると、リハビリ用の訓練室が
あって、PT とか OT とかの専門スタッフがいます。患者さんは、
訓練室で頑張ってリハビリ訓練をやって、ぐったり疲れ切って、
あとは病室でずっと寝たきり、なんてことがよくあります。

だけど、腕でも脚でも、言葉が不自由になったときでも、本当に
回復したいのは日常動作ですから、訓練室でできても、それだけ
では意味がない。訓練室でできたことと、病室や病棟での動作、
たとえば自分でトイレまで行くとか、それをどう結びつけるかが、
リハビリ病棟の医師や看護師の大きな課題になったりします。

これを、通院、通所でリハビリ訓練をしている人に当てはめれば、
本当に大事なのは、訓練中に何をやるかだけじゃなく、ふだんの
時間をどう過ごすか、ということにもなります。

それでまた思い出すのは、だんだん話がクダけてきますが、(笑)
数年前に、シリトリ歌合戦の名人を追ったテレビのルポ番組って
いうのがありまして。その名人、奥さんや子供たち家族全員に
「いつでも問題を出して!」って、頼んでるんです。

食事中でも、テレビやお風呂の最中でも、いきなり「も!」とか
「き!」とか、誰かから声がかかる。そうすると、そのシリトリ歌
名人、「も」や「き」で始まる歌を、その場で即座に歌い出す。

……なんか、こうやって書いてくると、学校だけではなく、家庭や
地域のことも大きいなぁと、あらためて感じてきました。やっぱり
教育のことを考えると、いろんなところにつながってきますね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 05/1/11(火) 19:17  -------------------------------------------------------------------------
   ぎみゆらさん、団塊党さん

お二人の意見交換を興味深く見ていました。

>こうやって書いてくると、学校だけではなく、家庭
>や地域のことも大きいなぁと、あらためて感じてき
>ました。やっぱり教育のことを考えると、いろんな
>ところにつながってきますね。

教育は人づくりですからね。

今日テレビの地方トピックスで、非常に興味深いニュースをやっていました。札幌の上田市長と子供の討論会です。小学校の高学年だと思いますが、札幌市長にお願いしたいとして「札幌は赤字だと言っていますが、札幌市の職員は首になる心配ないし、安定しています。民間はリストラで大変です。もう少し職員を減らし給料も減らすべきだと思います」と。

中学生の女の子は「札幌はカラスが多く、ゴミを食い散らかして大変です。黄色いゴミ袋はカラスにはまっ黄色く見えてゴミが見えません。どうか黄色いゴミ袋を使って下さい」と。

いやはや、老人党の掲示板でくだらない議論をしている大人たち、しっかりしなければイカンゼヨ! と思いました。本論からちょっと外れてごめんなさい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : オルトン  ■日付 : 05/1/11(火) 20:44  -------------------------------------------------------------------------
   少々きつめの苦言です。

学力低下について、国会・新聞などにて論議がなされています。
けれども、論議に始まり、論議に終わるだけ・・という印象があります。
討議によって得られる醍醐味を感じる事で、完結していないか、と
残念に思うトコロがあります。


この老人党においても論議に終始しているように思えます。
そこから一歩前進して、どういった取り組みをしている、という
「実績」や「行動」をこの掲示板に持ち込みませんか。

老人党の方々が、地域において、実際具体的に、
何かを「実践」して欲しいと思います。

私自身にも言える事であるため、自主研究の一環として
都市問題を論じる講座・グループワークに取り組んでいます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(10):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : オルトン  ■日付 : 05/1/11(火) 21:10  -------------------------------------------------------------------------
   習熟度クラスについて、ある関西大都市の取り組みの背景

1.
LD,ADHD,このほかに、いわゆる精神発達遅延の児童が
理解出来るようなペースで進める授業と
普通授業、バリバリ勉強好きな児童の授業とでは
やはり進行速度も異なるという実態があることがひとつの要因です。
(今、これら児童が1つのクラスに占める割合は少なくなく、クラス中
13%の児童が該当するというデータを見聞した事があります)

→ただ、今、国家政府で進めている、教育におけるノーマライゼーションが
タテマエにしか過ぎないのかな?と疑問的視点を持つ事も必要かなと
思います。 教育におけるノーマライゼーションは、障害児向けの学校
(養護学校、聾学校等)を統廃合し、普通学校にての教育に一本化させて
ダイバシティを実現する理念をうたったものです。


2.〜老人党の皆さんが多く懸念されていることについて〜
 習熟度クラス導入の弊害として、価値観の似通った児童が同じクラスに
集まってしまい、多様性ある個性の交流による活性化が無くなるのでは、と
いった点がありますが・・

成績の優劣と、価値観の多様&一元は別個の問題として
みなせるのではないかと思います。
(趣味・嗜好・考え方は、児童の数だけやはり多様的にありますよ。
実際に、児童集団の宿直担当として一緒に過ごしているとそう思います)

☆それに、今までのクラスで、道徳的な問題をテーマに取り上げて、
先生から「みんなどう思うかな?」と聞いたところで、挙手が殆どない
という実態がありますよね。現時点で個性ある意見・価値観のぶつかりあい
による相互交流というのが残念ながら理想に終わってしまっている現場も
少なくないかな、と思います。しかも、今のクラスでの友人付き合いとは
大体が何らかの共通点・似通った点を持った者を友人として付き合う傾向が
あるように思います。
(私も、教育者ではないにせよ、児童とともに過ごす現場で感じる所です)


3.
保護者の教師への要望も多様化しているために習熟度クラスを
導入したのでは?
(ゆとりを希望する人もいれば、ハードな勉学を希望する人も
 いるからです)

教師が燃え尽き症候群に陥る事例が少なくない事への反省的な
取り組みではないかと個人的に思うこともあります(仮説です)

いずれにせよ、実際に導入して、その効果を見ながら
見直しをはかっていくことが大事ではないでしょうか?

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(11):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : 虎キチ大好き  ■日付 : 05/1/12(水) 0:26  -------------------------------------------------------------------------
   ▼オルトンさん:
>
>→ただ、今、国家政府で進めている、教育におけるノーマライゼーションが
>タテマエにしか過ぎないのかな?と疑問的視点を持つ事も必要かなと
>思います。 教育におけるノーマライゼーションは、障害児向けの学校
>(養護学校、聾学校等)を統廃合し、普通学校にての教育に一本化させて
>ダイバシティを実現する理念をうたったものです。

私は四肢麻痺(1種2級)なのですが、学齢期は小学校を地域の小学校、中高を県立養護学校で過ごしました。
小学校時代足が歩けず洋式トイレも特殊学級付近しか無かったので
普通学級と同じ教科書を使いながらも特殊学級にいました。
その為一部の親さんからは「あいつは馬鹿だ」と言われていたのですが小5の時不祥事から校長交代になり、その校長が「君はこれだけできるのにもったいない」の一言で3教科を普通学級でやる事になりました。

その時私はこう誓ったものですよ。

「今迄2軍(特殊学級)に居て1軍(普通学級)の親から馬鹿と言われたが
1軍のテストで結果を残し、俺が1軍で通用する事を見てもらい、子供に伝えて
馬鹿扱いして来た親を見返す」と
それ以来クラスの半分より上を目標としてきてクリアする事が出来ました。

私は自分の経験を踏まえた上で思うのですが、教育に於けるノーマライぜーションとは、例えば私の様な障害に「跳び箱を一緒に飛ぶ」なんて事は不能です。
だから何が何でもフラット化しろなんて無茶な事は言うべきじゃ無いと思ってます。むしろ私が言いたいのはその子の状態を見た上で、健常者と一緒に出来るものは一緒に、障害上明らかに無理なものは別個に戸言ってるんです。
出来ないのに無理に入って見てるだけ程辛い物は無いです。

養護学校の一元化についても私は経験者として反対です。
私の様な障害のタイプと知的障害者が同一クラスに入ってもそもそも障害のタイプが異なるので、伸びるとは思わないからです。

むしろ効果的だと思うのが、「習熟度別」に分ける事です。
養護学校は私の様な比較的軽い人間から、寝たきり状態迄障害の程度が様々で
それをごちゃ混ぜにして論ずる事はほぼ不能です。
「似たもの同士」でクラス分けした方がうちの学校がそうでしたが
伸びると思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(11):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/12(水) 1:02  -------------------------------------------------------------------------
   ▼オルトンさん お久しぶりです

>いずれにせよ、実際に導入して、その効果を見ながら
>見直しをはかっていくことが大事ではないでしょうか?

習熟度別授業への疑問はこれまでにも書いてきましたが、ここでは別の角度から書いてみます。
もともとどこから習熟度別という発想が文部科学省から出てきたのかと言う点が大事です。

それは言うまでもなく、学力低下論にあおられた形で出てきているのです。

ゆとり教育を謳った新学習指導要領が実施されてから皮肉なことに、子どもの学力を回復するためにはこれまで以上に詰め込む指導が必要だという立場が強調されるようになってきました。
例えば「分数ができない大学生」「本当の学力をつける本」などはその立場を代表する有名な本で学力ブームの火付け役になりました。

しかし、ブームの火付け役になった「本当の学力をつける本」には学力とは何かについての一切の言及がありません。
同書では「学力づくりは基礎鍛錬という子どもへの負荷からはじまります」「何問も同じ問題を解く」「まずできるようにしてしまうことを優先する」等の言葉が繰り返されています。
「蔭山メソッド」とも呼ばれるこのような方法には学ぶ主体である子どもの内面を丹念にさぐることよりも、学力がつきさえすれば学習への集中が生まれてくるという楽観的な考えが支配しています。

途中ですが今日はこれまでにしておきます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(12):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : オルトン  ■日付 : 05/1/12(水) 7:08  -------------------------------------------------------------------------
   団塊党さんへ

お久しぶりです。
習熟度クラスについて、虎キチ大好きさんの書き込みがありますが、
それについてはどう思われるでしょうか。

虎キチ大好きさんのカキコを見てると、
なるほどな、と考えさせられる事があります。

養護学級という名称は、確かに卑下される印象が強い。
私が小・中学校の頃そういう実態がありました。
(普通学級の子として、バカにするなど)

「バリバリクラス」「普通クラス」「ゆとりクラス」と分類すれば
養護学級に入る、いわゆる多動児、肢体不自由児、精神発達遅延児は
ゆとりクラスで、「跳べない跳び箱を課題として与えられる体育」を味わう
という、イヤな思いをする事なく、出来る事は皆と一緒にするという
一面があるなと思いました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(13):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/12(水) 22:43  -------------------------------------------------------------------------
   ▼オルトンさん:

>習熟度クラスについて、虎キチ大好きさんの書き込みがありますが、
>それについてはどう思われるでしょうか。

発達障害や肢体不自由の子ども達の問題と、習熟度別学習の問題は分けて考えるべきじゃないでしょうか。
それらの子ども達も普通学級に入ることこの良さはあります。
しかし個別のプログラムが必要な部分も当然あります。
それに支援態勢の充実という実際面の問題もあります。
そういうことをまず考えることが先で、習熟度別にするかどうかはその後の問題だと思います。
個別のプログラムの一つとして、習熟度別も選択肢の一つではあるでしょうが、それだけで、習熟度別を全体の子ども達にも取り入れるという結論にはならないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(12):学力論議の落とし穴  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/12(水) 23:29  -------------------------------------------------------------------------
   40119の続きです。

日本の子ども達の特徴は、田中孝彦「生き方を問う子ども達」によると、第一に操作はできるが、意味を理解していない。第二に学習を嫌い、苦しいと感じている度合いが高い。第三には獲得した知識も受験などが終わると急速に忘れてしまうような「はく落」する性質を持っている。というものです。

また、須藤敏昭氏は学力と授業のあり方との関係をこう述べています。
「問題は、子ども達にどれだけ楽しくかつその意味が感じ取れる本質的な学びを保障できるかというところにある。もちろん基礎的な知識や技能を身につけさせるためには、一定のトレーニングも必要である。しかし、小学校低学年の読み・書き・計算においてさえ、文字や言葉や数の持っている文化としての本質やおもしろさにふれるような学習を保障されるとき、子ども達は学習意欲を触発され、必要なトレーニングにも耐え、たしかな学力を獲得するのではないか。」

田中氏や須藤氏が指摘するように、学ぶことの意味やそのこととの関係から学力をとらえることが重要であり、そういう前提を無視して論議されている現在の学力低下論は授業をきわめて機械的で平板にとらえていると言えます。

また、現在の学力低下論議は、なぜ今子どもの学力が低下し勉強離れがおきているのかという問題意識がありません。
学力低下や勉強離れは、日本の学校を支配し続けてきた「受験」という競争刺激がもはや働かなくなった状況を示しているのです。
そして、それに変わるべき教育の内容と方法が待たれている状況のあらわれでもあるのです。
そうであれば、「学力とは何か」「学ぶとはどういうことか」ということについての再定義が今必要になってきていると言えます。

この点を十分に検討することなく学力低下を補うためにという理由だけで、習熟度別に飛びつくのは非常に危険だと思います。
理念なき教育は混乱を招くだけです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(10):意欲を引き出し、学力を高めるには  ■名前 : 悠々  ■日付 : 05/1/11(火) 22:24  -------------------------------------------------------------------------
   この日曜日に所属団体の新年の集いがありました。そこで出会った先生の
話では、今年度から総合学習に国際理解の時間を取り込んでいるということ
でした。すでに6回ほど、在住外国人市民を招いて交流をおこなったそうです。
一方的ではない双方向性をもつ継続的な交流が、互いの理解を一層深めて
いくに違いありません。ゲストのおひとりがこんなことを話されました。
「相手を理解しようとする気持ちが、こと外国人のみならず日本人にとっても
優しい社会をつくることにつながるのではないか」と。

受験生の末っ子はセンター試験まで秒読み段階。部活に明け暮れた高校生活の
最終章を迎えています。「部活にかけた情熱が受験にいきるんだよ」との
本人の言葉を信じたいところです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 05/1/10(月) 10:52  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:

>習熟度別学習は子ども達の能力差が少ないので、教える立場からすれば教えやすく効率的な学習になります。
>従って教育成果も上がるかと、当初は考えられていました。
>ところが、思ったほどの効果があがらず、むしろマイナス面が目に付くようになっています。

マイナス面とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。お教え戴ければ幸いです。


>私の学校ではこの方法はとっていませんので、直接に経験していませんが、習熟度別学習の実践報告を見る限り、どうも芳しくありません。
>この方法で恩恵を受けるのは、能力の非常に高い子と、逆に大変に理解の困難な子ども達です。
>大多数の子ども達には効果が上がっていないのです。

大多数のこども達には効果が上がっていないというのは、以前よりもレベルが低くなったということでしょうか。もし、そうではなく、以前と同じだというのであれば、能力の非常に高い子と逆に大変に理解の困難な子ども達に効果があった分、全体としては効果があったと評して良いように思うのですが。


>教師は分かる授業を作るのに必死ですが、生徒は分からない授業を求めているのです。
>学びには背伸びとジャンプが必要なのです。
>習熟度別学習というのは、分かることを一つ一つ下から積み上げていく学習です。
>ところが子ども達はむしろ上から引っ張り上げられる学習の中で学力を形成し意欲も持っていくのです。
>これは私の授業の体験から言っても間違いないと思います。

私には良く判らないのですが、習熟度別学習というのは、判ることだけを教えるのでしょうか。習熟度に応じて、判らないことを教えることは出来ないのでしょうか。もし、出来ないのだとしたら、そもそも習熟度別学習そのものが教育の体を成していなかったということではないでしょうか。私は、そうではなくて習熟度に応じて、判らないことを教えることが出来なかった可能性があるのではないかと考えます。

私は、そもそも人間には知的好奇心があり、学問は知らないことを知ろうとする行為であり、本来楽しい筈のものであると考えています。学ぶ歓びがあって欲しいと願っています。
ただ、学ぶ歓びを教えることのできない教師がいることも、体験として知っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/10(月) 14:35  -------------------------------------------------------------------------
   ▼数理梵哲さん:

>>習熟度別学習は・・・・

>マイナス面とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。お教え戴ければ幸いです。

ぎみゆらさんへのレスの中にかなり書きましたので、それをお読み下さい。
その他にも、小さい頃から能力別に分けることに対する心理的な影響も大きいと思います。
自分はがんばっても出来るグループにはなれないという劣等感のようなものが生まれたり、逆に変な優越感が生まれたりします。
子ども同士の関係もある意味でゆがんでくるんじゃないかと思います。

>大多数のこども達には効果が上がっていないというのは、以前よりもレベルが低くなったということでしょうか。もし、そうではなく、以前と同じだというのであれば、能力の非常に高い子と逆に大変に理解の困難な子ども達に効果があった分、全体としては効果があったと評して良いように思うのですが。

習熟度別授業では生きた学力、本当の学力が育たないのじゃないかという意味です。
これもぎみゆらさんへのレスをお読み下さい。
習熟度別で効果の上がる児童もいますのでそれを全面的に否定する気はありません。
それをどういう位置づけで取り入れていくのかが大事だと思います。

>私には良く判らないのですが、習熟度別学習というのは、判ることだけを教えるのでしょうか。習熟度に応じて、判らないことを教えることは出来ないのでしょうか。もし、出来ないのだとしたら、そもそも習熟度別学習そのものが教育の体を成していなかったということではないでしょうか。私は、そうではなくて習熟度に応じて、判らないことを教えることが出来なかった可能性があるのではないかと考えます。

この辺もぎみゆらさんへのレスをお読み頂けばと思います。
基本的におっしゃっていることは間違いないんですが、そういう発想だけでは拾えない部分、取りこぼす部分、育たない部分があるということです。

>私は、そもそも人間には知的好奇心があり、学問は知らないことを知ろうとする行為であり、本来楽しい筈のものであると考えています。学ぶ歓びがあって欲しいと願っています。
>ただ、学ぶ歓びを教えることのできない教師がいることも、体験として知っています。

そこは本当に大切なことだと思います。
その点も習熟度別だけでは解決できないと思っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 05/1/10(月) 14:44  -------------------------------------------------------------------------
   団塊党さん

あなたにどうしても見ていただきたくて、チョンボをし、イエローカードを貰いました。「管理スタッフ連絡掲示板」に移動しましたのでそちらを見てください。
【1587】です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/10(月) 16:09  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:

>あなたにどうしても見ていただきたくて、チョンボをし、イエローカードを貰いました。「管理スタッフ連絡掲示板」に移動しましたのでそちらを見てください。
>【1587】です。

有り難うございます。
老兵さんの熱意には本当にいつも頭が下がります。
非常に参考になることがたくさんあります。
教師達のあのような小さな試みの積み重ねが本当の学力をつけていくのだと思います。
促成栽培では本物は育たないというのが真実の所だと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(6):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 05/1/10(月) 18:13  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
きみゆらさんへのレス拝見しました。
幾つか疑問が生じましたので、書かせていただきます。お忙しそうなので、ご返事は要りませんが、こういう考え方をする人間も居るのかと思って戴ければ幸いです。

>>マイナス面とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。お教え戴ければ幸いです。
>
>ぎみゆらさんへのレスの中にかなり書きましたので、それをお読み下さい。
>その他にも、小さい頃から能力別に分けることに対する心理的な影響も大きいと思います。

1.私は、習熟度と能力は別物と考えています。能力があってもその分野の習熟度が追いついていない人は、子供でも大人でも大勢居ます。ましてや全てにおいて習熟度に勝れている大人など一人も居ないと言って良いのではないでしょうか。団塊党さんは、無意識に能力別と書かれたのだと思いますが、そのように習熟度を能力と考える大人の意識が子供にも反映するのではないでしょうか。私が小中学生の頃、オール5の生徒は希で、8割が5でも残り2割は3だったり2だったりする同級生はかなり居ました。算数はできるが図工は苦手、英語は上手だが100M競争はビリというような生徒です。逆に算数は苦手、英語はまあまあ、図工はダントツという生徒も居ました。習熟度別学習は能力別学習とは別物の筈というのが私の感覚です。

>>大多数のこども達には効果が上がっていないというのは、以前よりもレベルが低くなったということでしょうか。もし、そうではなく、以前と同じだというのであれば、能力の非常に高い子と逆に大変に理解の困難な子ども達に効果があった分、全体としては効果があったと評して良いように思うのですが。
>
>習熟度別授業では生きた学力、本当の学力が育たないのじゃないかという意味です。

2.私は、どんなに習熟度が近接した生徒を集めても一人ひとり個性が違うので、多様性はなくならない筈と考えていたのですが、今の子供達はそれほど均質化しているのかと驚きました。

>>私は、そもそも人間には知的好奇心があり、学問は知らないことを知ろうとする行為であり、本来楽しい筈のものであると考えています。学ぶ歓びがあって欲しいと願っています。
>>ただ、学ぶ歓びを教えることのできない教師がいることも、体験として知っています。
>
>そこは本当に大切なことだと思います。
>その点も習熟度別だけでは解決できないと思っています。

3.この点は、習熟度別だけでなく他の方法でも、一つの方法では恐らく困難だろうと思います。だからこそ、教師の役割が非常に重要だと思います。ただ、教師だけで解決するのは困難で、この点にこそ回りの協力(親、地域、県、国特に地域)が求められると考えます。私の田舎では今でも、小中学校に対しては、生徒を持たない家庭も(地域住民として)金銭的、労務的な協力をするのが毎年の行事になっています。

ともあれ、教育は国の基本だと考えます。自ら考え判断する力を持った生徒をお育て下さるよう期待します。

余談ですが、家庭には期待できないものもあります。今日の昼、知人と外食しました。夫婦と子供二人の席の隣の席だったのですが、子供の一人が靴のまま座席に上がっていてもその両親は注意しようともしませんでした。そのような親に育てられた子供を教育しなければならない先生方のご苦労には、同情致します。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 秋明菊  ■日付 : 05/1/11(火) 8:32  -------------------------------------------------------------------------
   数理梵哲さま

おはようございます。

>1.私は、習熟度と能力は別物と考えています。能力があってもその分野の習熟度が追いついていない人は、子供でも大人でも大勢居ます。ましてや全てにおいて習熟度に勝れている大人など一人も居ないと言って良いのではないでしょうか。団塊党さんは、無意識に能力別と書かれたのだと思いますが、そのように習熟度を能力と考える大人の意識が子供にも反映するのではないでしょうか。私が小中学生の頃、オール5の生徒は希で、8割が5でも残り2割は3だったり2だったりする同級生はかなり居ました。算数はできるが図工は苦手、英語は上手だが100M競争はビリというような生徒です。逆に算数は苦手、英語はまあまあ、図工はダントツという生徒も居ました。習熟度別学習は能力別学習とは別物の筈というのが私の感覚です。

地域や学校差があるとは思いますが、最近では運動会の徒競走などで、運動能力が劣る?子供達に配慮して、身長の順番に走らせないで、速度順で走らせたりしています。

知人の背が低い子供は、要領が悪くドンの合図より一拍遅れて走り出しましたが、足が速く前の走者をドンドン抜かし、いつも一等でした。
でも、速度順になってからは背の高い子達に囲まれて走る事になり、圧迫感を感じると共に一拍遅れで走るので、目の前の大きな壁にひるみ最後の方でゴールインするようになりました。運動会は楽しい日ではなくなりました。

私は、いわゆる運痴で運動会・体育祭が大の苦手でしたが、足の速い子・運動能力の優れた子を尊敬の目で見ていました。その日は彼らがヒーローでした。
成績の良い子もその日は脇役でした。それも良い経験になります。

小・中学校では、子供が多種多様な能力を認め合う事も重要ではないかと思います。勉強は苦手でも、運動の得意な子・絵の上手な子・裁縫の得意な子など、色々な場面でヒーロー(ヒロイン)を作る方が、子供の将来によい影響を与えるのではないかと思います。成績が良い事だけが、自慢になるわけじゃないよ、って。

>3.この点は、習熟度別だけでなく他の方法でも、一つの方法では恐らく困難だろうと思います。だからこそ、教師の役割が非常に重要だと思います。ただ、教師だけで解決するのは困難で、この点にこそ回りの協力(親、地域、県、国特に地域)が求められると考えます。私の田舎では今でも、小中学校に対しては、生徒を持たない家庭も(地域住民として)金銭的、労務的な協力をするのが毎年の行事になっています。

この点は、大いに賛成致します。
アメリカで地域のボランティアが活躍しているそうです。
特に生活の基本となる、読み書き計算の苦手な小学生には、1:1で教える必要があると思います。
地方分権が進んで、小さな地域でしっかり子育てが出来るようになると良いと思います。

>余談ですが、家庭には期待できないものもあります。今日の昼、知人と外食しました。夫婦と子供二人の席の隣の席だったのですが、子供の一人が靴のまま座席に上がっていてもその両親は注意しようともしませんでした。そのような親に育てられた子供を教育しなければならない先生方のご苦労には、同情致します。

小学校1年生の担任は、半分保育士のような仕事をしなければいけないと聞いたことがあります。躾や生活の基本が出来ていない子に時間を取られる事は、クラス全体に目を配る事がおろそかになる恐れがあります。
複数の先生、むしろ地域の熱意のあるボランティアが支える事が大切か、と思います。一主婦の感想です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 05/1/11(火) 22:21  -------------------------------------------------------------------------
   ▼秋明菊さん:

>地域や学校差があるとは思いますが、最近では運動会の徒競走などで、運動能力が劣る?子供達に配慮して、身長の順番に走らせないで、速度順で走らせたりしています。
>
>知人の背が低い子供は、要領が悪くドンの合図より一拍遅れて走り出しましたが、足が速く前の走者をドンドン抜かし、いつも一等でした。
>でも、速度順になってからは背の高い子達に囲まれて走る事になり、圧迫感を感じると共に一拍遅れで走るので、目の前の大きな壁にひるみ最後の方でゴールインするようになりました。運動会は楽しい日ではなくなりました。
>
>私は、いわゆる運痴で運動会・体育祭が大の苦手でしたが、足の速い子・運動能力の優れた子を尊敬の目で見ていました。その日は彼らがヒーローでした。
>成績の良い子もその日は脇役でした。それも良い経験になります。
>
>小・中学校では、子供が多種多様な能力を認め合う事も重要ではないかと思います。勉強は苦手でも、運動の得意な子・絵の上手な子・裁縫の得意な子など、色々な場面でヒーロー(ヒロイン)を作る方が、子供の将来によい影響を与えるのではないかと思います。成績が良い事だけが、自慢になるわけじゃないよ、って。

そうだと思います。全てに勝れている人間が居ないように、全てに劣っているという人間も先ず考えられません。或る面では勝れ、他の面ではそれほどでもないというのが大半の人間ではないでしょうか。
学業の得意な子も居れば、スポーツの得意な子も居ます。それぞれその子の特性であって、特性に優劣をつけようとすることが問題なのだと考えます。先生方の中には、無意識に学業の得意な子が能力のある子だと考える方がいらしゃるのではないでしょうか。私は、何故そういう意識が生まれるのかが問題だと思っています。恐らく、明治以来の西欧に追いつこうとした歴史の名残だと私は思います。
学業の得意な子、スポーツの得意な子、それぞれその子の特性と考えるべきで、優劣をつけるべきことがらではないと考えます。
ただ、中には人並み外れた特性を持つ人が居ますので、そういう人には、それが学業であってもスポーツであっても特別な指導が行われるのも必要なことだと思います。他でも書きましたが、このような場合、スポーツに特別な指導が行われることにはあまり世間の抵抗が無いようですが、学業で特別な指導をしようとすると、何故か世間の抵抗が多いように感じます。多分そのような人は、先の先生と同じで、学業の優秀な人が能力のある人だという考えを持っているのだと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 秋明菊  ■日付 : 05/1/12(水) 18:41  -------------------------------------------------------------------------
   数理梵哲さま

こんばんは。レスありがとうございます。

>学業の得意な子も居れば、スポーツの得意な子も居ます。それぞれその子の特性であって、特性に優劣をつけようとすることが問題なのだと考えます。先生方の中には、無意識に学業の得意な子が能力のある子だと考える方がいらしゃるのではないでしょうか。私は、何故そういう意識が生まれるのかが問題だと思っています。恐らく、明治以来の西欧に追いつこうとした歴史の名残だと私は思います。

今朝の新聞の「読者の声」に、

子供が小学3年の時、算数で習熟度別のクラス分けがありました。
1番レベルの低いクラスに入った子供は、担当になった教師から「ここは1番おばかなクラスですから!」と言われたそうです。
子供は意気消沈して、やる気がなくなりました。-中略-
学校は子供をダメにしている事に気付くべきだと思います。

との、意見が載っていました。

>学業の得意な子、スポーツの得意な子、それぞれその子の特性と考えるべきで、優劣をつけるべきことがらではないと考えます。
>ただ、中には人並み外れた特性を持つ人が居ますので、そういう人には、それが学業であってもスポーツであっても特別な指導が行われるのも必要なことだと思います。他でも書きましたが、このような場合、スポーツに特別な指導が行われることにはあまり世間の抵抗が無いようですが、学業で特別な指導をしようとすると、何故か世間の抵抗が多いように感じます。多分そのような人は、先の先生と同じで、学業の優秀な人が能力のある人だという考えを持っているのだと思います。

習熟度別のクラス分けはある意味、必要な事だと思いますが、その導入時期や教師の態度など考えなければいけない事も多いのではないかと思います。

スポーツの特別指導に関しては、本人の意思がはっきりする学齢から行われているのではないかと思いますが?スポーツに関しては、高校や大学・プロの育成機関もあるようですね。我が息子もJリーグの選手養成に応募した事があります。

勉学に関しても、数学や理科コンテストなどを幅広く催して、自分の頭脳を使って考える事の出来る優秀な子を、休日などを利用して大学などで特別指導出来るといいのでは、と思います。もちろん本人が望めばですが。

人と同じ事をしていないと苛められたりする子供の均一化した社会を、色々工夫して変えていかないと、自分の才能に気付く事無く劣等感を持ったまま生きて行く事になるのではないかと思います。もったいないです。

資源の少ない日本が経済大国になったのは、義務教育による人材育成が大きいのではないかと、もちろん平和が続いたおかげもありますが。

読み書きが出来て、計算が出来れば、立派に働く事が出来ます。
小学校の教育はとても大切です。教師・ボランティアなど複数の人で、一人一人を大切に育てていく事が出来るといいと思います。

上手く表現出来ません。ここらでストップします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(10):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 05/1/13(木) 6:44  -------------------------------------------------------------------------
   ▼秋明菊さん:

>>学業の得意な子も居れば、スポーツの得意な子も居ます。それぞれその子の特性であって、特性に優劣をつけようとすることが問題なのだと考えます。先生方の中には、無意識に学業の得意な子が能力のある子だと考える方がいらしゃるのではないでしょうか。私は、何故そういう意識が生まれるのかが問題だと思っています。恐らく、明治以来の西欧に追いつこうとした歴史の名残だと私は思います。
>
>今朝の新聞の「読者の声」に、
>
>子供が小学3年の時、算数で習熟度別のクラス分けがありました。
>1番レベルの低いクラスに入った子供は、担当になった教師から「ここは1番おばかなクラスですから!」と言われたそうです。
>子供は意気消沈して、やる気がなくなりました。-中略-
>学校は子供をダメにしている事に気付くべきだと思います。
>
>との、意見が載っていました。

そうなのです。そういう風に習熟度を能力と考える大人の存在が問題なのだと考えます。

>>学業の得意な子、スポーツの得意な子、それぞれその子の特性と考えるべきで、優劣をつけるべきことがらではないと考えます。
>>ただ、中には人並み外れた特性を持つ人が居ますので、そういう人には、それが学業であってもスポーツであっても特別な指導が行われるのも必要なことだと思います。他でも書きましたが、このような場合、スポーツに特別な指導が行われることにはあまり世間の抵抗が無いようですが、学業で特別な指導をしようとすると、何故か世間の抵抗が多いように感じます。多分そのような人は、先の先生と同じで、学業の優秀な人が能力のある人だという考えを持っているのだと思います。
>
>習熟度別のクラス分けはある意味、必要な事だと思いますが、その導入時期や教師の態度など考えなければいけない事も多いのではないかと思います。
>
>スポーツの特別指導に関しては、本人の意思がはっきりする学齢から行われているのではないかと思いますが?スポーツに関しては、高校や大学・プロの育成機関もあるようですね。我が息子もJリーグの選手養成に応募した事があります。

スポーツも小学生ぐらいからでないともう間に合わない時代になっていると思っているのですが。

>勉学に関しても、数学や理科コンテストなどを幅広く催して、自分の頭脳を使って考える事の出来る優秀な子を、休日などを利用して大学などで特別指導出来るといいのでは、と思います。もちろん本人が望めばですが。

コンテストですと問題が与えられてしまう可能性が高く、自分の頭脳で問題を発見する力が十分に醸成されないように思うのですが。

>人と同じ事をしていないと苛められたりする子供の均一化した社会を、色々工夫して変えていかないと、自分の才能に気付く事無く劣等感を持ったまま生きて行く事になるのではないかと思います。もったいないです。

やはり、親が支えてやるのが基本だと考えています。親の負担は大きいと思いますが、我が子を守るのは、最後はやはり親ではないでしょうか。

>資源の少ない日本が経済大国になったのは、義務教育による人材育成が大きいのではないかと、もちろん平和が続いたおかげもありますが。
>
>読み書きが出来て、計算が出来れば、立派に働く事が出来ます。
>小学校の教育はとても大切です。教師・ボランティアなど複数の人で、一人一人を大切に育てていく事が出来るといいと思います。

私もそうですが、多くの方は実社会で使うのはせいぜい中学校で学んだことまででは無いでしょうか。高校以上で学んだことは、基本的な思考力はともかく、専門職になった方以外は、あまり使う機会がないように思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(7):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/12(水) 0:34  -------------------------------------------------------------------------
   ▼数理梵哲さん:

確かに習熟度と能力は別ですね。
曖昧な言い方をしました。
しかし、実際問題、子どもを能力別に分けたり、習熟度別に分けたりすることは厳密にできることでしょうか。

能力別と言おうが習熟度別と言おうが、何を基準に分けるのでしょうか。
算数の習熟度とか算数の能力とか言っても、それをどうやって測るのでしょうか。
算数と言ってもいろいろな分野があります。ある子は計算は得意だが文章問題は苦手、ある子は計算は苦手だけど文章題は得意というようなことはいくらだってあります。国語だってどの教科だって同様です。

さらに、もっと細かく考えると、思考パターンや発想の仕方も一人一人違います。
そういうものをすべて考えに入れてグループに分けるのは不可能だし、そもそも不遜な事じゃないかという根本的な疑問があります。

君はこちらのグループと言われても、いや自分はもっと力を持っているとか、今は力はないけれど頑張るから別のグループで頑張りたいとかいう子もいるはずです。

仮に厳密に振り分けられるとしても、その作業が大変です。
本当に厳密に振り分けるとしたら、単元が変わるたびにグループ編成をし直す必要があります。
そんなことは実際上煩雑すぎて不可能です。
かりに出来たとしても、グループのメンバーが度々替わると、極端な話、教師は子どもの名前もろくに覚えないうちに1年が終わってしまうと言うことだって起こります。
名前ぐらいはいくらなんでも覚えるでしょうが、一人一人の特徴や個性はそんなに詳しくつかめなくなります。
そうなると、一人一人への指導も当然、その子の特徴に応じたものにはならなくなります。

なお、地域や保護者の協力については、学校ボランティア制度と言われるものが最近は徐々に充実してきています。
クラブ活動や総合学習、図書室の本の整理や読み聞かせなどで地域の人や保護者の協力が得られるようになりました。
私のクラスではお習字の指導のお手伝いをお願いしています。
今後、各教科の指導に協力が広がっていくと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(8):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 数理梵哲  ■日付 : 05/1/12(水) 6:58  -------------------------------------------------------------------------
   ▼団塊党さん:
>▼数理梵哲さん:
>
>確かに習熟度と能力は別ですね。
>曖昧な言い方をしました。
>しかし、実際問題、子どもを能力別に分けたり、習熟度別に分けたりすることは厳密にできることでしょうか。
>
>能力別と言おうが習熟度別と言おうが、何を基準に分けるのでしょうか。
>算数の習熟度とか算数の能力とか言っても、それをどうやって測るのでしょうか。
>算数と言ってもいろいろな分野があります。ある子は計算は得意だが文章問題は苦手、ある子は計算は苦手だけど文章題は得意というようなことはいくらだってあります。国語だってどの教科だって同様です。
>
>さらに、もっと細かく考えると、思考パターンや発想の仕方も一人一人違います。
>そういうものをすべて考えに入れてグループに分けるのは不可能だし、そもそも不遜な事じゃないかという根本的な疑問があります。
>
>君はこちらのグループと言われても、いや自分はもっと力を持っているとか、今は力はないけれど頑張るから別のグループで頑張りたいとかいう子もいるはずです。
>
>仮に厳密に振り分けられるとしても、その作業が大変です。
>本当に厳密に振り分けるとしたら、単元が変わるたびにグループ編成をし直す必要があります。
>そんなことは実際上煩雑すぎて不可能です。
>かりに出来たとしても、グループのメンバーが度々替わると、極端な話、教師は子どもの名前もろくに覚えないうちに1年が終わってしまうと言うことだって起こります。
>名前ぐらいはいくらなんでも覚えるでしょうが、一人一人の特徴や個性はそんなに詳しくつかめなくなります。
>そうなると、一人一人への指導も当然、その子の特徴に応じたものにはならなくなります。
>
>なお、地域や保護者の協力については、学校ボランティア制度と言われるものが最近は徐々に充実してきています。
>クラブ活動や総合学習、図書室の本の整理や読み聞かせなどで地域の人や保護者の協力が得られるようになりました。
>私のクラスではお習字の指導のお手伝いをお願いしています。
>今後、各教科の指導に協力が広がっていくと思います。

ここに私が教師ではない限界を感じます。ただ、それほど厳密にしなければならないのか疑問に思います。そのような厳密さが求められているのでしょうか。もし、求められているとしたら、求める方に問題があると私には思われます。
習熟度にしても、いつまでも同じとは限らないのではないでしょうか。或る生徒は、内容が変わるに連れ習熟度が上がり、また別の生徒は逆に習熟度が下がることもありそうなものです。習熟度別の編成には柔軟性が求められるのではないでしょうか。もし、学校の体制が追いついていず、教師の負担だけにしわ寄せされているとしたら、根本的に考えなければならないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(9):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/12(水) 22:20  -------------------------------------------------------------------------
   ▼数理梵哲さん:

>ここに私が教師ではない限界を感じます。ただ、それほど厳密にしなければならないのか疑問に思います。そのような厳密さが求められているのでしょうか。もし、求められているとしたら、求める方に問題があると私には思われます。
>習熟度にしても、いつまでも同じとは限らないのではないでしょうか。或る生徒は、内容が変わるに連れ習熟度が上がり、また別の生徒は逆に習熟度が下がることもありそうなものです。習熟度別の編成には柔軟性が求められるのではないでしょうか。もし、学校の体制が追いついていず、教師の負担だけにしわ寄せされているとしたら、根本的に考えなければならないと思います。

つきつめていけば習熟度別というのも曖昧なものでしかないということを言いたかったのです。
それに実際に実行するにも、さまざまな障害が予想されるということです。
子どもや保護者への心理的な影響は特に大きいと思います。

やはり習熟度別をやるとするなら、それはどのような教育観や授業観に支えられたものであるかをはっきりさせるべきです。
ご都合主義、実用主義で安易に取り入れると、大きなしっぺ返しを食う可能性があります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 虎キチ大好き  ■日付 : 05/1/9(日) 14:40  -------------------------------------------------------------------------
   はじめまして

よく今日の学力低下は、文部科学省の「ゆとり教育だ」やれ「5日制が悪い」等と言われていますが、私には単なる責任回避を念頭に置いた現場教師と事務方の
「責任なすりつけ合い」に過ぎないと思います。

そもそも5日制が月1回で導入された92年の2学期からでしたが私は現役中学生でしたが、この時期既に民間企業は、週休2日が多数派でした。
その状況と平行する形で95年に月2回、02年に完全になった訳ですが
完全になった時は週休2日になった時は業種で見れば「ラストグループ」でした。

しかも民間企業なら社長が決断すればすぐ導入ですが教育現場と言う特殊性から
月1回から完全導入迄10年と言う小学校でも1世代が卒業するような時間を要し
5日制対応を勉強する時間や「カリキュラム対策」を話し合う時間は十分すぎる
ほどあったのにいざ始まってみたらそういう事には全く触れず事務方と現場が「責任の転嫁合戦」が始まっている。

普通の会社に例えれば週休2日になったので生産能力が落ち売り上げが極端に落ちました。
と言ってる様なもんですが企業であればそんな理屈は全く通用せず、「まず週休2日の条件下で売り上げをプラスにするにはどうしたらいいか考えろ!」と言われるでしょう。

つまり責任のなすりつけになっている事自体、教育関係者がろくに勉強をしなかったかを恥ずべきです。
10年の期間が有りながら学力低下をあたかも5日制のせいにする行為は
現場の責任逃れに聞こえます。企業なら許される理屈ではありません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/1/10(月) 0:01  -------------------------------------------------------------------------
   進学のため、そして最終的には就職のために、すぐに役に立つ
ような教育をやってきたのが、そもそも間違いだったような
気がします。自分の頭で考える習慣、分からないことは教師の
答えを待たずに自分で調べるという学習姿勢、問題提起された
ことを討論するための批判力。子供たちにこういうものを育てる
要素が欠けていたのが、日本の学校教育の重大な問題ではない
でしょうか。

思考力と言っても、考えるためには、基本的な知識も必要です。
そういう基礎が、「ゆとり教育」の名の下に欠落してしまった
のが今の学力低下の原因であると見なす向きもあるようですが、
最大の原因は、「ゆとり」を子供たちの教育に生かせなかった
教師の指導力にあるようにも思うのです。

子供の教育の前に、教師をどう教育するか。あるいは、教師が
自らをいかに教師として成長させていくか。これを忘れては
教育の問題は改善されないでしょう。ちょうど医療の問題が、
医学教育の改革なしには改善されないように。

ぼくが心配に思うのは、こういう状況への反省として、またまた
オカミが余計な指導をしやしないかということです。あるいは、
保護者や子供たちも、就職戦争での勝ち組(やな言葉です)に
なるために、これまで以上に、教育と就職との関係の密接化を
期待するようになるのじゃないかということです。そして、
相変わらず、「すぐに役に立つ」教育が継続されることになり、
根本的な問題は何も解決しないままに、日本の「新しい歴史」が
動いてゆく。それが心配です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 団塊党  ■日付 : 05/1/10(月) 9:43  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん 初めまして

>相変わらず、「すぐに役に立つ」教育が継続されることになり、
>根本的な問題は何も解決しないままに、日本の「新しい歴史」が
>動いてゆく。それが心配です。

おっしゃることすべてに共感します。
親も教師も文部科学省も企業も社会も目先のことだけに惑わされ、教育の根本に立ち返ってじっくり考える姿勢が不足しています。

教育問題で安直に答えの出るようなことは殆どありません。
マスコミや評論家の言うことを鵜呑みにせず、また、自分の狭い体験の中で生まれてきた考え方を絶対化せず、自分の頭と目でもう一度その意味を問い直してみるだけのゆとりぐらい欲しいものです。
北の老兵さんの「いっぱしの評論家気取り」というご発言の中にはそういう意味があったのだと思います。

今、世の中は教育の産業化、市場化が進んでいます。
今日の新聞にも「体育の家庭教師」が出現したとありました。
これも世の中の流れかという思いもありますが、複雑な心境です。
「子どもの教育ぐらい親や教師が責任持って自分の手でつくって行かなきゃあどうするの」という気持ちです。

教育には一つの絶対的な正答はありません。
大人が目の前の子どもをよく見ながらそれに応じて教育していくしかありません。
トビババさんのように教育をその根本に立ち返って考えてみる大人が増えれば、日本の教育の見通しや理念がもっと明確に浮き出てくるように思います。
貴重なご発言を有り難うございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/1/11(火) 7:07  -------------------------------------------------------------------------
   団塊党さん、

> 今、世の中は教育の産業化、市場化が進んでいます。
> 今日の新聞にも「体育の家庭教師」が出現したとありました。
> これも世の中の流れかという思いもありますが、複雑な心境です。
> 「子どもの教育ぐらい親や教師が責任持って自分の手でつくって
> 行かなきゃあどうするの」という気持ちです。

ぼくの考えでは、子供の教育の目標は、家庭でのしつけも含めて、
社会での自立の基礎を作ることにあると思ってるのです。
学業の面で言うなら、子供たちがやがて必要に応じて自分で
問題提起できるようになり、その問題を自分で解決できるように
なることが教育の目標じゃないかと。ま、こんなことは今さら
ぼくが言うまでもない話でしょうが。

しかし、実際に日本の学校教育がやってきたことは、まったく
そういう目標には向いてなかったのじゃないでしょうか。
与えられた課題を、教師が用意してある解答と同じになるように
解決すれば、マルがもらえて、よくできましたと評価される。
だから、東大生になっても、物理学の実験の結果を*答え*として
書き連ねるなんて学生が出てくるわけですね。

*体育の家庭教師*の記事はぼくも読みました。こういう現象は、
日本の教育環境の中では必然として現われることなのでしょう。
子供の親自身が自立心を育てられないままに大人になってしまった
わけですし、奇妙な完璧志向に支配されてもいるわけですから。

団塊党さんの指摘された「教育の産業化」と関連して、学校現場
における「教師のサラリーマン化」という問題も大きいように
感じています。もちろん教師は昔からサラリーマンですし、
ぼくはことさらに他のサラリーマン諸君と比較して、教師を
特別に神聖化するつもりはないのですが、やはり、子供の教育に
携わる教師には、トヨタや松下で働くサラリーマンの方々と
同質の職業意識でやってもらっちゃ困ると思うのですね。
まして、現状維持コトナカレ主義のどこかのお役人と同質で
あっちゃあいかんと思うわけです。

まあ、お役人同様に、教師の方々にも、何かと世間の風当たりが
強い世の中でしょうが、そういう中でもベストを尽くして教育に
励んでおられる教師もいらっしゃるわけで、そういう教師を
きちんと見分けることが、子供の保護者には必要でしょうね。
ただ、人間を見分けるという能力も、その人の受けた教育(学校
教育に限りません)と関わってくるわけで、麻原を大先生と
仰ぐという極端な例を挙げるまでもなく、この問題は、相当に
奥が深いというか、大げさに言えば、歴史的・文化的な問題じゃ
ないかと、ぼくはぼんやり思うのです。

団塊党さんのような方の声は、これからの日本を考えるうえで、
非常に貴重です。日本の子供たちのため、また、ぼくの脳細胞の
ために、今後とも、現場からの生々しい情報とご見解を期待して
います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 虎キチ大好き  ■日付 : 05/1/10(月) 16:05  -------------------------------------------------------------------------
   ▼トビパパさん

>進学のため、そして最終的には就職のために、すぐに役に立つ
>ような教育をやってきたのが、そもそも間違いだったような
>気がします。自分の頭で考える習慣、分からないことは教師の
>答えを待たずに自分で調べるという学習姿勢、問題提起された
>ことを討論するための批判力。子供たちにこういうものを育てる
>要素が欠けていたのが、日本の学校教育の重大な問題ではない
>でしょうか。

自分は去年特に英語教育で決定的な間違いに気づいたんです。
それも拉致被害者の子供達が帰って来た際の各自治体の「支援プログラム」を見ていてです。

と言うのも日本の英語教育は中1から必修になり7割方「文法」を学び「会話」に重点は置かれていませんが、拉致被害者のお子さん達を初め、
外国人が始めて日本語を習う場合等は

片言の日本語→ひらがな・カタカナ→漢字→文法ですよね
ところが日本の英語の授業はいきなり文法を習う訳ですが
こんな順序でやるから頭では分かっていても実践では全く使えない
役に立たない英語になっているのだと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : トビパパ <mrtobysdaddy@yahoo.co.uk>  ■日付 : 05/1/11(火) 10:41  -------------------------------------------------------------------------
   虎キチ大好きさん、

「実践では全く使えない役に立たない英語」の話ですが、
確かに、ご指摘の文法偏重の英語教育の問題はありますね。
文法という形式で完璧に攻めていくやり方では、文法的に
正しい・悪いというような基準がガッチリでき上がってしまう。
そこに日本人らしい生真面目さが伴って、実際に英語を
使おうとするときに、正しい英語を話さなくっちゃという
プレッシャーが生じる。それで、言葉が出ない。

あるいは、会話教本に載っているような例文を思い出そうと
する人もいるでしょうか。今その時、目の前にいる生きた人間を
見ようとはしない。その人と生きた言葉のやり取りをしよう
という心がない。心から発しない言葉なんて、クリープを
入れないコーヒーのようなものです。

文法に支配されるときにも、会話教本に支配されるときにも、
共通するのは、言葉が本来もつはずの生命が忘れられていること。
そこが一番の問題のような気がします。

それと、英語を習得する動機が問題ですね。試験のため、進学の
ため、出世のため。そういう動機でも努力できる人なら、なんとか
形だけはでき上がるかもしれません。しかし、問題は何を英語で
しゃべるのかということです。

むかし、BBCの国際的なメーリング・リストに参加していたことが
あります。世界中の英語学習者や教師がメンバーの中心だった
ようでした。ぼくが参加した目的は英語学習じゃなくて、ただ
英語によって世界中の人とおしゃべりすることでした。だから、
他のメンバーが英語をテーマに真剣に意見交換しているのをよそに、
ぼくはパリ在住のイギリス人と犬の話題で盛り上がってるなんて
こともありました。

ある日、一人のメンバーがぼくにメールをくれました。ぼくは
その人のことがずっと前から気になっていました。というのは、
文法もスペルもどこかで空中分解したような英語で、その人は
いつも投稿していたからです。それだけじゃないんです。
確かに想像を絶するほどの驚異的な英語だったわけですが、
彼女の言わんとすることは、ぼくにはいつもよく理解できたし、
すごく共感してもいたのです。

おぼろげな記憶ですが、ぼく宛てのメールで彼女はこんなことを
書いてました。
「私は話したいことがイッパイあるけれど、あなたのような立派な
英語が書けない。いつもあなたのように自由に英語が使えたらと
思ってる」

ぼくは確かこう返事を書きました。
「ぼくはあなたの英語を理解できるだけじゃなくて、あなたの
英語を読むと、まるであなたがぼくのそばで話しているように
感じていた」
ぼくは時々ウソをつくけれども、これはウソじゃなかったんです。

ぼくはネット上で、文法的に正しい英語を使って、戦争や人種差別や
動物虐待を肯定する非英語圏の人たちの英文を見るたびに、
彼女のことを思い出したものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : [管理者削除]  ■名前 :  ■日付 :  -------------------------------------------------------------------------
   この書き込みは管理者によって削除されました。(05/1/10(月) 16:15)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 移動しました  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/1/10(月) 14:14  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん(39866・39868・39870・39871):

Ray@スタッフです。

これらの書き込みは、掲示板のルールのうち
  * 著作権に触れるもの
に抵触するものと見なし、削除対象として
スタッフ連絡板に移動しました。
以後、この書き込みへのレスを禁止します。

新聞・雑誌などの記事やウェブサイトの内容などを
原著者(著作権者)の許諾なしに転載することは、
著作権法に違反する行為です。

もしこれらの書き込みについて、北の老兵さんが
北海道新聞社の許諾を得ているのであれば、
その旨を明記なさってください。

なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの
返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください
(総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。
よろしくお願いいたします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 山本隆博 <takasan14@hotmail.com>  ■日付 : 05/1/10(月) 16:11  -------------------------------------------------------------------------
   新しい掲示板を作って、投稿がなかったので、
見てなかったら、「こんなに!」の状態でした。

いくつか返信みたいな形をしていきたいと思います。

【39753】より
>フィンランド教育が最近注目されてきていますが私は詳しくありません。
>その点について少し教えて頂けないでしょうか。
>参考図書などがあれば、是非ご紹介下さい。

フィンランド教育に関しても書いてあり、
新しい授業方法についても書いてある
佐藤学さんの「習熟度別指導の何が問題か」がお勧めです。(安いし…)


【39780】より
>よく今日の学力低下は、文部科学省の「ゆとり教育だ」やれ「5日制が悪い」等と言われていますが、私には単なる責任回避を念頭に置いた現場教師と事務方の
>「責任なすりつけ合い」に過ぎないと思います。

「習熟度別学習」こそ「責任転嫁」が簡単にできるのです。
教師は、「校長が薦めるし、学年単位での導入も始まっていて
一人反対することはできなかった。」
校長は、「過配教師は少人数指導のために配分されており、
習熟度による少人数の分け方となり、教育委員会からも、
過配教師の予算が組めるから、導入してくれと言われ、
反対できなかった。」
教育委員会は「県の教育委員会から、予算・・・」
県の教育委員会は「文科省から・・・」
文科省は「習熟度別学習の導入は各学校長の判断に任せている」となるのです。
このことは、佐藤学さんの本にも書いてあります。

【39800】より、
>ま、フィンランドもいいけれど、小柴博士も仰っていますが、私は日本の教師免許更新制度と、生徒による勤務評定(新学期に比べて、どのくらい理解できたか)の導入を強く、強く、強く願います。
>信賞必罰は世の習い、よい評価を収めた教師にはボーナスを!いいなあ、これ!

更新制度も解決すべき問題は山ほどあります。
なにを基準に更新するのか?(やっぱりテスト?)
勤務評定自体を廃止すべきような気がする。
勤務評定は文部省が教員組合つぶしに使ったものですから・・・
教師は自分の学問での真理を教えなければならないのであって、
教科書が間違っていたら、それを指摘しながら授業すべきなのです。
そのためには、教員の地位を確かなものとしてからでなければなりません。

(続く)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 山本隆博 <takasan14@hotmail.com>  ■日付 : 05/1/10(月) 16:44  -------------------------------------------------------------------------
   【39915】の続き

【39827】より、
>フィンランドの教育も多分、そのような教育を行っているのではないかと想像しています。
>そういう意味でフィンランドの教育に大変興味があります。
>ところが具体的にどのような授業をやっているのかほとんど情報がなかったものですから、山本さんにお聞きしたわけです。

フィンランド教育をそのまま「ポンッ」と日本教育に
導入することは不可能です。
大きな違いは、「プロジェクト教育」と「プログラム教育」の違いです。
日本に「プロジェクト教育」を導入するには、大学入試を廃止しなければ、
なりません。受験への授業を行っている以上、「プロジェクト教育」を
導入することはできません。
教育改革の後のフィンランド教育は、まったく変わりました。
教育指導要領は、半分以下になり、
教師の取得資格は教育科の大学院を出ていること、
また、教育実習の期間は2年間
そのうち、半分の授業は、内容も完全に実習生に任されています。
大学院を修了し、2年間の教育実習を終えても、
先生になれるのは10%です。
また、現役の先生達にも、大学に行って学ぶ義務が課せられ、
また、その待遇も整っています。
フィンランド教育において、授業で重視していることは、
「個人の考えをみんなで討論する」ことと。
自分が生きていくにしたがって、技術は高度化していきます。
一番重視して教えていることは、
「生涯、学び続けていく精神」です。
これが、失業率10%を超えてしまったフィンランドの教育改革で
1%以下に低下させることができたポイントです。
フィンランドは、教育改革によって、不況経済からの脱出を
行ったのです。

将来、ノーベル経済学賞を獲る教育学者が出てくることに期待します。

憲法26条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女を普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」とあります。
この義務は、子供にあるのでなく、親や社会にある。
つまり、「教育を受ける義務・受けさせる義務」でなく、
「教育を受けることのできる社会を作る義務」なのである。
教育は、社会の再生産につながる。だから、無償で行うのである。
教育基本法には、まだ、この精神が残っています。
もう一度、先生たちには読み返してほしいと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 朝に続いてご返事します。  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/1/10(月) 23:16  -------------------------------------------------------------------------
   皆さん、ただいま戻ってまいりました。
いやー、すごいレス、もう自分のような者の出る幕はありませんが・・・

団塊党さん、
貴方がダメ教師なんてそんな失礼なことは申して居りませんよ。お判りでしょう?
私の言うダメ教師って言うのはそんな高級な次元の話ではないのです。

いくつか事例を申し上げます。
小学校で、父兄参観日に後ろに展示する書道作品を展示することになり、各人、一番良くかけた物を提出させた。そして、予備にもう一枚、書かせ、集めた。当日張られたのは、その予備の方であった。これに気付いた生徒が当日指摘したが、「あ、そう」の一言で、握りつぶされた。子供は大変口惜しがった。
この女教師は授業中すぐにキレる、泣く、自習にする、休む、の札付きのぐうたらであったが、別の学校に普通に転勤して行った。次の学校でも同様だった。
授業中、トイレに行きたいと申し出た生徒に、すぐに行かせず、グダグダと説教を垂れ、子供がいよいよ我慢できなくなってからやっと行かせた。子供は漏らしながら泣いた。この漏らし事件は頻発しており、校内では有名であるが、休み時間に行かせるという方針から、改められていない。
英語の出来ない英語教師、裁縫や調理指導が全く出来ない家庭科教師、全て、我が子に降りかかった災難である。

団塊党さん等とは違う、明らかにダメな教師を排除できるシステムが無いことに本当に歯がゆい思いです。
それと、午前中言い忘れましたが、小柴教授は、生徒から良い評価を得た先生には、100万円くらいのボーナスを差し上げてもいいではないかとまで仰っています。極論ではありましょうが、私は大変説得力のあるお言葉と受け取りました。

山本 隆博さん、
>>更新制度も解決すべき問題は山ほどあります。
>>なにを基準に更新するのか?(やっぱりテスト?)
>>勤務評定自体を廃止すべきような気がする。
>>勤務評定は文部省が教員組合つぶしに使ったものですから・・・

免許更新は、そんなに特別なことではないのではありませんか?
日本では医者や教師に免許更新制度が無いことが今問題となっているのです。
更新制度を通じての研修は、普通の医者や教師にとってはレベルアップの良い機会と捉えられましょう。ダメ教師やヤブ医者にとっては恐怖でしょうがね。
まず教師の地位の確保が先、って仰いますが、貴方、「まず給料分働け、そしたら出そう」と言っても「まず出せ、そしたら働いてやる」って事でしょう?
世間はそれほど甘くありませんよ。大体、民間に先立っての週休二日制度は、実質給料増額でしょうが・・・時給換算で一体幾らになったんでしょうかね。
すいません、横道にそれました、お忘れ下さい。

解決すべき問題は山ほどありますって、他人事みたいですね。
乗り気でない方の常套句とも受け取れますが、貴方は違いますよね?
現在の勤務評定は、最早、完全に形骸化しているから、何とかしたいとは思いますが、この件は問題が発散するので、私は触れません。

以上、皆様がプロの片鱗を除かせながら、侃々諤々と議論を重ねておられることには「ある程度」期待いたしております。

し ろ う と が、大変失礼致しました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : ダメ教師排除システム→在ります。  ■名前 : ニッチモサッチモ  ■日付 : 05/1/11(火) 1:31  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん:
>英語の出来ない英語教師、裁縫や調理指導が全く出来ない家庭科教師、全て、我が子に降りかかった災難である。
>団塊党さん等とは違う、明らかにダメな教師を排除できるシステムが無いことに本当に歯がゆい思いです。

初めまして。宜敷願います。ところで、上記の件についてですがーー。
愚生、昨春NHK九州地区ニュースで、熊本県教育委員会が所謂ダメ教員を再研修させ、その結果の報を聞きました。
研修者数は失念しましたが、その結果:
1.復帰組 2.退職組 3.再研修組 となり、数は各々一桁だったと記憶します。
対象は、貴兄が指摘されたスキル面だけでなく、他資質をも欠いていた者らしい。
研修期間や退職組の依願・分限免内訳は不明です。なお、この制度、比較的新しいものらしい。余計なことですが、再研修なんぞは税金の無駄遣いの最たるものですね。
斯様なグータラ教員を一掃するよう、各位の地元委員会にエールを送りましょうや!

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 訂正  ■名前 : ニッチモサッチモ  ■日付 : 05/1/11(火) 3:17  -------------------------------------------------------------------------
   ・・3.再研修組 →3.再々研修組
・・余計なことですが、再研修 →余計なことですが、再々研修

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):読み書き算術・能力、学力低下の果ては?・2  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/1/10(月) 21:22  -------------------------------------------------------------------------
   学力の低下についてのことは、教育論を語る前の前提として
思い当たるのは「家庭・社会環境」の劣化が大きく影響してるように
思えます。

それらの事を見定めることは出来ないければ、教育論としては
土台の無い空論になりかねないと思います・・。

今日の現状を見るにつけ「家庭での教育や躾を」怠り、
学校や教育者に多くを期待してたことに誤りがあったように
思われます・・。

私も北欧の教育事情について関心を寄せておりましたが、
良く眼を凝らして見てみると、学校で学ぶことに生徒達は

極、自然に意欲を持ち教師もそれに応えるように見受けられ
ました・・。

何よりも生徒達は日本の都会地のような低俗な商業主義に
毒されてないこと、食生活はもとより生活のリズムが子供達の

生理に見合ったかたちで健全に維持されてることが上げられます。
フインランドの教育事情の視察などで教育関係者が訪れてると

聞いてますが、其処まで視野を広げて居られるでしょうか?
単に教育技術の事だけに関心は片寄ってないでしょうか・・・?

教育問題は親や父兄、社会環境も大きく関わることは
申すまでも無いことですが・・教師や教育関係者が学校という

閉鎖環境?から広く社会全体への協力を求める姿勢が日本では
欠けてるように思えてなりません。

今後その辺りの取り組みと議論も大いに必要ではないかと思います。

今、話題になってる学力の低下のことは二極分化が顕著化して
「勝ち組・負け組」の呈を示してると・・か?

勝ち組にしても知識・偏重で、それが知恵にまで広がらないと云う
欠陥はあらゆる場面で露呈して居るのが目立ちます。

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