Page 2254 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について とうろう 05/1/4(火) 10:08 ┣Re(1):佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について(2) とうろう 05/1/4(火) 10:10 ┃ ┣Re(2):佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について(2) しげちよ 05/1/4(火) 15:38 ┃ ┃ ┗Re(3):「天皇制」について(2) とうろう 05/1/4(火) 16:43 ┃ ┣Re(2):佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について(2) 告天子 05/1/15(土) 0:02 ┃ ┃ ┗Re(3):佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について(2) 告天子 05/1/15(土) 0:03 ┃ ┗Re(2):「天皇制」について(2) 告天子 05/1/15(土) 12:38 ┃ ┗Re(3):「天皇制」について(2) めだま君 05/1/15(土) 15:06 ┃ ┗Re(4):「天皇制」について(2) 告天子 05/1/15(土) 15:37 ┃ ┗Re(5):「天皇制」について(2) めだま君 05/1/15(土) 16:41 ┃ ┗Re(6):「天皇制」について(2) 告天子 05/1/15(土) 19:01 ┃ ┗Re(7):「天皇制」について(2) めだま君 05/1/15(土) 19:29 ┃ ┗Re(8):「天皇制」について(2) 告天子 05/1/15(土) 19:46 ┃ ┣Re(9):「天皇制」について(2) 告天子 05/1/15(土) 20:29 ┃ ┃ ┗Re(10):「天皇制」について(2) めだま君 05/1/15(土) 21:57 ┃ ┗Re(9):「天皇制」について(2) めだま君 05/1/15(土) 20:40 ┃ ┣Re(10):「天皇制」について(2) 告天子 05/1/15(土) 20:48 ┃ ┃ ┗Re(11):「天皇制」について(2) めだま君 05/1/15(土) 22:10 ┃ ┗Re(10):「天皇制」について(2) 相良唯夫 05/1/15(土) 21:11 ┣Re(1):佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について 佐藤 圭 05/1/4(火) 15:24 ┃ ┗Re(2):佐藤圭さん、すみませんでした とうろう 05/1/4(火) 16:24 ┣Re(1):佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について JIMBOUF 05/1/5(水) 7:18 ┣Re(1):佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について 昼寝もぐら 05/1/5(水) 12:57 ┣Re(1):お願い 「天皇制」について とうろう 05/1/5(水) 14:09 ┃ ┗Re(2):お願い 「天皇制」について 真人間 05/1/5(水) 16:23 ┃ ┗Re(3):お願い 「天皇制」について 市民賢 05/1/5(水) 19:52 ┃ ┣Re(4): 「天皇制」について JIMBOUF 05/1/6(木) 8:59 ┃ ┗Re(4):天皇制」国家神道 JIMBOUF 05/1/6(木) 10:58 ┃ ┗地球最大の欺瞞装置 沈黙の初夏 05/1/15(土) 9:24 ┃ ┣Re(1):地球最大の欺瞞装置 告天子 05/1/15(土) 10:33 ┃ ┣Re(1):地球最大の欺瞞装置 JIMBOUF 05/1/15(土) 10:41 ┃ ┃ ┗Re(2):地球最大の欺瞞装置 JIMBOUF 05/1/15(土) 14:21 ┃ ┗Re(1):地球最大の欺瞞装置 卑怯な者 05/1/15(土) 20:59 ┗Re(1):佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について 告天子 05/1/14(金) 23:23 ┣Re(2):「天皇制」について とうろう 05/1/14(金) 23:48 ┃ ┗Re(3):「天皇制」について 告天子 05/1/15(土) 0:48 ┃ ┗Re(4):「天皇制」について とうろう 05/1/15(土) 0:59 ┣Re(2):「天皇制」について/告天子さんに(序) とうろう 05/1/15(土) 22:10 ┃ ┗Re(3):「天皇制」について/告天子さんに(序) 告天子 05/1/15(土) 23:02 ┃ ┣Re(4):「天皇制」について/告天子さんに(序)/後にまとめて とうろう 05/1/15(土) 23:12 ┃ ┃ ┗Re(5):「天皇制」について/告天子さんに(序)/後にまとめて 告天子 05/1/15(土) 23:39 ┃ ┃ ┗Re(6):「天皇制」について/告天子さんに(序)/後にまとめて とうろう 05/1/15(土) 23:48 ┃ ┗Re(4):「天皇制」について/告天子さんに(序) めだま君 05/1/16(日) 0:06 ┃ ┗Re(5):「天皇制」について/告天子さんに(序) 告天子 05/1/16(日) 0:54 ┃ ┗Re(6):「天皇制」について/告天子さんに(序) めだま君 05/1/16(日) 1:16 ┃ ┗Re(7):「天皇制」について/告天子さんに(序) 告天子 05/1/16(日) 1:32 ┃ ┗Re(8):「天皇制」について/告天子さんに(序) めだま君 05/1/16(日) 2:24 ┃ ┣Re(9):「天皇制」について/告天子さんに(序) 告天子 05/1/16(日) 10:35 ┃ ┗Re(9):「天皇制」について/告天子さんに(序) 告天子 05/1/16(日) 10:36 ┣Re(2):「天皇制」について/告天子さんに(序)/追記 とうろう 05/1/15(土) 22:41 ┣Re(2):「天皇制」について、その1の(1) とうろう 05/1/16(日) 10:40 ┗Re(2):「天皇制」について、その1の(2) とうろう 05/1/16(日) 10:42 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 佐藤圭さんに、そして、「天皇制」について ■名前 : とうろう ■日付 : 05/1/4(火) 10:08 -------------------------------------------------------------------------
佐藤圭さん;今日は。かなり旧聞(旧年12月7日)に属しますが、以前、靖国問題を論じているスレッドで、天皇制について疑問を呈したところ、貴殿より、「 靖国問題を論じているのですよ。天皇制度の議論は別にしたい。議論したいのであれば別スレッドで。また人の意見を聞くときは はじめに 自分の意見を発表して聞くべきです。老婆心ながら よろしく 。 」とのご注意を頂きました。 実は、私は以前何方かに「人の意見を聞くときは はじめに 自分の意見を発表して聞くべきです。」と申したことがありました。どのような状況で、何方に申したかを調べようと思いましたが、結局分かりませんでした。己の言葉がそのまま自分に帰ってくる!とは、と「天に唾する」とはよく言ったものと、自戒することしきりであります。 しかし、かすかな記憶に拠れば、私が言った場合は、単にURLを引用され、ご意見は?と聞かれていたように思います。私の場合は、一応、曲がりなりにも、問題設定を自ら行い、その設定にある意味での己の問題意識を提示したつもりでした。 また、靖国神社は、戦前「別格官幣社」で陸軍省・海軍省の管轄下にあり、国家の殉難者を「英霊」として崇め奉りまた「国家神道」の下に神格化された「天皇」の統帥権の不可侵を盾に、帝国陸軍・海軍軍人が政治を壟断(ろうだん;思いのままにする)し、結果として、無謀な戦争に国民を誘導し、国家の破滅を招いたことはよく知られていることです。従って、「靖国神社」を語ることは「天皇制」を語ることとも思いました。 なお、本掲示板のスレッドの展開は、メインスレッドとは、全く関係のないレスの応酬にいたることも散見されます。従って、この場合に限って、なぜ、殊更、声高に?このような「ご注意」を受けるのかと、やや腑に落ちない気持ちも持っています。佐藤圭さんのコメントをいただければ幸いです。 佐藤圭さんのご助言に従い、ここに改めて天皇制に関する私の疑問を呈し、各位のご批判に供してご意見を頂きたいと思います。 さて、私は、先に以下のお伺いを致しました。 ****** 「 皆さん:こんばんは。皆さんにお伺いしたいことがあります。先に、馬鹿正直さんが「昭和天皇」に「戦争責任」があるかどうかとの質問を出されました。この「戦争責任」は、国民に対する、法的、道義的、人倫的、良心的・・・と区別して言わなければならないので、少し、議論が揺れているようです。そこで、少し観点を変えて、根本的にお伺いしたいと思います。 「天皇制」は必要でしょうか?日本国は「天皇」を「象徴」として、持たなければならないのでしょうか。「天皇が象徴としてあらせられる」ことで、「日本国民」はどのような利益を受けているのでしょうか?そして、若し、天皇制を廃したとしたら、どのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょうか?また、「天皇家」はどのような不都合を受けられるのでしょうか?念のため申し上げますが、ここで言う「利益」とは、「国益」総和としての国民の利益です。そして、勿論、経済的利益だけを言っているのではありません、国際社会における日本の利益、日本国民に還元される総合利益のことを言っています。ご意見をお願いいたします。」 ****** そこで、私の意見を下記します。 |
(承前) そこで、私の意見を下記します。 1.「天皇」が「日本国の象徴」としてある意義について 憲法に拠れば、日本国は、主権在民の民主国家であり、国民、皆、基本的人権を保障され、法の下平等である国民の総意に基づき、我が国日本が運営されるべき筈です。 天皇も国民の一人の筈です。それが、基本的人権も保障されない状態(政治的発言は出来ない、国家の法の制約の下に一個の人間としての多くの自由が束縛されているように思います。昨年の皇太子発言などもこの軌跡の上での発言ではないでしょうか。皇統を絶やすぬように子供を持つことにも国が口を挿むような、ある意味で、「基本的人権の侵害」があるようにも見えます) どのような法的脈略があるのか、寡聞、浅学にして分かりませんが、天皇は、戸籍を有せず、しかし、皇室財産の相続に際しては、相続税を納められたように聞いております。どこか、整合性が無いように感じます。 天皇に、このような人間としての犠牲を強いてまで、国民が「象徴」として頭(かしら)に頂く理由は無い、と考えるものです。そして、私は「天皇を頭(かしら)に頂いている国益」を特に実感しないものでもあります。 2.「天皇家」のあり方について 天皇家が、縄文・弥生時代以降の稲作文化、日本民族の習俗ともいえるアニミズム、自然崇拝「神道概念」を体現される象徴として、「万世一系」という虚構?何故なら、歴史的事実に鑑み、天皇家が万世一系であったことには疑いのあるところだからからです。室町時代の天皇などは、葬式も十分に行なえず、また八百屋の娘さんに子を作らせたとも言われます。このような虚構?の上に日本民族の文化、文明を体現されるご一家として、現在、国民の敬愛の的となっていることも否定できない事実です。京都の人々は「天皇さん」あるいは「天皇はん」として長く敬愛されていたようにも聞いています。 靖国神社が、明治薩長藩閥政府の国民統合のための「国家神道」の謂わば象徴として、明治維新以降の殉難者(薩長政府確立に貢献した人)を祭る、東京招魂社として創立され、また、天皇を明治国家の支柱として、国民統合のための象徴として、藩閥政治家が「象徴の設計」をしたことも明らかだと思います。 松本清張の小説「象徴の設計」に、山縣有朋?が天皇を明治国家、藩閥政治の安泰のために利用した?経緯が書かれているようです。天皇家はその実体権力を喪失して以降、歴代「政治権力」にその「権威」を利用され、天皇家もまたそれを甘受し、その権威を享受して来られたように思います。このことは、日本の歴史を顧みれば明らかではないかと思うものです。 天皇家も、主権在民、民主国家の国民の一員として、基本的人権を享受できるよう、現憲法でその人権を拘束される「日本国象徴」でなく、憲法の制約から解き放たれた、日本文化の伝統を象徴され、日本の伝統を代表する「代表名家」として存在されることが、天皇家にとっても憲法理念の平等な適用と言う「法の下の平等基本的人権」を完全に実現する為にも、最善ではないかと愚考するものです。 若し、天皇家の財政に問題が生ずるとすれば、「天皇を深く敬愛する国民の方々」の善意で支えるべきであり、全国民の「税」で支える所以は無いようにも思うものです。 そして、また、私は「天皇」さんおよび「そのご一家」が、お気の毒でならないのです。早く、現「日本国憲法の桎梏」から解放され、日本国を代表する「名家」として、そして、「普通の人間のおひとり」としてお生きになれるように願ってやまないのです。 以上、私の現憲法の下の「天皇制」の矛盾(と、私が考える)に関し、愚見を披露しました。本件に関心ある諸賢のご批判、ご意見を頂ければ、誠に幸いです。 以上。 |
▼とうろうさん: 明けましておめでとうございます。 わたしも天皇制について、書かせてください。 天皇制は、国民の総意によって成り立っています。 国民が必要とする存在であれば、継続していくことでしょう。 ただ、わたし個人としては、天皇家にたまたま生まれて、生き方を限定され、好きなこともできずに、大変お気の毒とも感じています。 できるならば、普通人として生きていかれるようにして差し上げたい気持ちもあります。 以前、今上天皇陛下は、「わたしの時代で天皇は終わりかもしれない」とおっしゃっておられました。天皇家は時代の流れと国民の総意に、自らを任せておられると思います。日本国民の意識の流れの上で、決まっていくと思います。 昭和天皇の戦争責任ですが、ご本人は責任があると思っていらっしゃったでしょうし、そのようにマッカーサー元帥にもおっしゃっておられます。 責任をとらなかったのではなくて、連合国と日本政府によってとらせなかったということでしょう。お気の毒と感じます。責任をとられたかっただろうと愚考するからです。 そういう周囲による決断があったのだから、いまさら天皇の戦争責任を云々するのは、さらにお気の毒と思います。 |
▼しげちよさん: おめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。 大体、しげちよさんの仰るご意見に同意いたします。 終戦時教育年齢以下でしたので、実感として分かってはおりませんが、敗戦後、天皇の赤子の一部であった小国民、予科練などの青年は「昭和天皇」に裏切られたとの想いを持ったのではないでしょうか。 何方かの随筆で、その父上が敗戦後「皇居に向って小便をひった」と書かれて居たような記憶もあります。 時と共に人の思いも変わります。確かに、今更「昭和天皇の責任」を言っても始まらないと思いますが、今後に生かすためにも「歴史的検証」を国民が共有することは必要だとも思います。 失礼申しました。 |
▼とうろうさん: >天皇も国民の一人の筈です。 日本国憲法ではそういう位置づけではありませんね。 >それが、基本的人権も保障されない状態(政治的発言は出来ない、国家の法の制約の下に一個の人間としての多くの自由が束縛されているように思います。 基本的人権の侵害ではなく、日本国憲法が「天皇が天皇であること」を侵害しているのです。 >・・・天皇は、戸籍を有せず、しかし、皇室財産の相続に際しては、相続税を納められたように聞いております。どこか、整合性が無いように感じます。 整合性がないのは、GHQが作られた皇室財産法などに問題があるからであり、天皇の存在に整合性がないのではありません。 >天皇に、このような人間としての犠牲を強いてまで、国民が「象徴」として頭(かしら)に頂く理由は無い、と考えるものです。 昔から「天皇に私なし」と申します。だから日本人は皇室を尊敬してきたのです。私なしは現代の目から見れば極端な表現ですが、そういうことです。したがって、とうろうさんのご意見は、全く逆さまだと思います。 >そして、私は「天皇を頭(かしら)に頂いている国益」を特に実感しないものでもあります。 実感できるありがたさというのは、単純なゼニカネのような話と違っているでしょう。とうろうさんが感じようが感じまいが、「自分が感じないからなくしてしまえ」というのなら、全く乱暴な話でしょう。天皇精神についての教育が、公教育で問題にされてしまうような憲法の作りですので、教育もままなりません。無知と暴力が結びつくとき、社会は「卑しく」なるのではないでしょうか。 >天皇家が、・・・「万世一系」という虚構?何故なら、歴史的事実に鑑み、天皇家が万世一系であったことには疑いのあるところだからからです。 長い歴史の中には、皇統の分裂などの不幸な事件もあり、「万世一系ではない」ことを言って貶めなければ済まないような説も多いようですが、虚構というような話は当たらないでしょう。万世一系を、極度に観念的に捉えればどうだかは分かりませんが、皇統は途切れることなく続いた、これが現実です。 >室町時代の天皇などは、葬式も十分に行なえず、また八百屋の娘さんに子を作らせたとも言われます。このような虚構?の上に日本民族の文化、文明を体現されるご一家として、・・・ いわゆる庶子でも、皇位を継いだ話はいくらでもあったでしょう。それを「虚構だ」というならば、一体何が本当なのですか?。八百屋の娘さんに子を作らせた、という話は、一種の「非常事態」でしょう。虚構だ虚構だと言いますが、何が虚構なのでしょうか。単に「虚構と言いたい」だけでそういう表現をするなら、その虚構の上に成り立つ日本民族の文化もやはり虚構と言うことになりますね。 >靖国神社が、明治薩長藩閥政府の国民統合のための「国家神道」の謂わば象徴として、・・・藩閥政治家が「象徴の設計」をしたことも明らかだと思います。 明らかではありません。国家神道の意味を「国家主義」と取り違えて使っているように思います。事実の説明ではなく、とうろうさんの史観の説明としては明らかですが、藩閥政治家を難ずるのは随意ですが、天皇は「象徴」ではなく、ご意志があり、国民も藩閥政治家の設計したからくりに操られるだけの存在ではありませんでした。 |
>松本清張の小説「象徴の設計」に、山縣有朋?が天皇を明治国家、藩閥政治の安泰のために利用した?経緯が書かれているようです。 それは利用はしたでしょうね。しかし、民権論者にしても、明治天皇の下に藩閥政治家と戦ったのです。 >天皇家はその実体権力を喪失して以降、歴代「政治権力」にその「権威」を利用され、天皇家もまたそれを甘受し、その権威を享受して来られたように思います。このことは、日本の歴史を顧みれば明らかではないかと思うものです。 日本国の正統性は、天皇にあったと言うことです。 >天皇家も、主権在民、民主国家の国民の一員として、基本的人権を享受できるよう、・・・日本の伝統を代表する「代表名家」として存在されることが、天皇家にとっても憲法理念の平等な適用と言う「法の下の平等基本的人権」を完全に実現する為にも、最善ではないかと愚考するものです。 まさに「憲法栄えて国滅ぶ」かと思いました。 >若し、天皇家の財政に問題が生ずるとすれば、「天皇を深く敬愛する国民の方々」の善意で支えるべきであり、全国民の「税」で支える所以は無いようにも思うものです。 やはり「ゼニカネ」の話だったようですね。 >そして、また、私は「天皇」さんおよび「そのご一家」が、お気の毒でならないのです。早く、現「日本国憲法の桎梏」から解放され、日本国を代表する「名家」として、そして、「普通の人間のおひとり」としてお生きになれるように願ってやまないのです。 日本国憲法が改正されて、その桎梏から日本が解放されることを願っています。 |
▼とうろうさん: 後半の方、さすがに眠くなって意見が甘くなったので、追加します。 総じて、とうろうさんのご意見は、「天皇」は虚構に基づいており、また、存在することで国民に対して利益をもたらさない。したがって、公金を出すのは不可であり、国家から排除すべきである、という論かと思います。 とうろうさんの説は、日本国憲法の第一章に反した意見です。天皇は、憲法にも記された公的存在であり、したがって、皇室財政は公費によりまかなわれるのは正当です。「公費を支出するな」は、法理に全く反しています。「役に立っていないから、公金も出すな」といった主張が通るなら、これは無法ということです。 >天皇家も、主権在民、民主国家の国民の一員として、基本的人権を享受できるよう、現憲法でその人権を拘束される「日本国象徴」でなく、憲法の制約から解き放たれた、日本文化の伝統を象徴され、日本の伝統を代表する「代表名家」として存在されることが、天皇家にとっても憲法理念の平等な適用と言う「法の下の平等基本的人権」を完全に実現する為にも、最善ではないかと愚考するものです。 これは、憲法を改正せよ、という意見を含んでの話ですが、平等思想の絶対化、とでも言うべきイデオロギー的な性格の強い意見で、そういうドグマが根底にある説には賛成しかねます。 >若し、天皇家の財政に問題が生ずるとすれば、「天皇を深く敬愛する国民の方々」の善意で支えるべきであり、全国民の「税」で支える所以は無いようにも思うものです。 皇室が公的存在である以上、公金の支出の「理由はない」という主張は、無法を示唆しています。こういう誤解は、天皇の存在を「国民の総意に基づく」と歴史を無視した、誤解しやすい規定を日本国憲法がしているからで、また、国民主権ということと天皇の存在を理論づける上で、憲法が矛盾を内包しているためでしょう。 また、とうろうさんは「公金」、すなわち「公」について根本的に誤解しているように思います。皇室を、「一文化人」に過ぎず、日本の中で特別な地位を持つものではない一家、としてしか「見ない」、という視点がまず日本史を無視しています。また、「全国民的に役に立つのでなければ、金は出さない」というのは、国家をあたかも私企業であるかのように捉える感覚であり、軽薄な論だと思います。もし日本に天皇がいなければ、そもそも日本国の存在自体が、はなはだ怪しいものであった、先の大戦の経緯を考えれば、そうではありませんか。どうやってその「利害」を、換算できますか。 >そして、また、私は「天皇」さんおよび「そのご一家」が、お気の毒でならないのです。 そのような「同情」は、事実をよく見た上での話ではなく、軽薄な論に過ぎません。 >早く、現「日本国憲法の桎梏」から解放され、日本国を代表する「名家」として、そして、「普通の人間のおひとり」としてお生きになれるように願ってやまないのです。 日本国憲法の欠陥がむしろ皇室を苦しめているのではないですか。日本を代表する皇室としてあることを願うなら、皇室が皇室たることを阻んでいるような「憲法の桎梏」を解くべきであり、しかしその先を「普通の人間であるべき」とするのは、とうろうさんの勝手な思い込みであり、皇室はとうろうさんのお考えによりあるのではありません。普通の人間の一人として生きることを願っている、などというのは、王道に対する侮辱でしかありません。 |
▼告天子さん: はじめまして、無学な「めだま君」ですが、教えていただけますか。 >とうろうさんの説は、日本国憲法の第一章に反した意見です。天皇は、憲法にも記された公的存在であり、・・ とありますが、天皇は憲法に「記されている」から公的存在なのであって、「憲法にも記された」と表現されるのは、どうしてなのですか?理解力が弱いので、簡単平明にお教えください。よろしくお願いいたします。 |
こんにちは、はじめまして。 ▼めだま君さん: >天皇は憲法に「記されている」から公的存在なのであって、「憲法にも記された」と表現されるのは、どうしてなのですか? 天皇が公の存在であるのは憲法以前の事実だからです。また、憲法に記されていなければ公的存在ではない、という疑問に対する答えでもあるからです。憲法に記されている「から」公的存在なのではなく、公的存在であることが反映されて憲法に記されているのです。 したがって、 >天皇は憲法に「記されている」から公的存在なのであって これは国家の最高規範である憲法について、誤った見解です。天皇が公的存在でなければ、憲法に記すことは出来ません。 |
▼告天子さん: ご回答、ありがとうございました。 >天皇が公の存在であるのは憲法以前の事実だからです。・・・憲法に記されている「から」公的存在なのではなく、公的存在であることが反映されて憲法に記されているのです。 >天皇が公的存在でなければ、憲法に記すことは出来ません なるほど、非常に重要な論点ですね。その論法でいくと、国民も公的存在だったから、憲法に記されたのですね。告天子さんも、そうお考えでしょうか?簡単明瞭にご回答いただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。 |
▼めだま君さん: >>天皇が公の存在であるのは憲法以前の事実だからです。・・・憲法に記されている「から」公的存在なのではなく、公的存在であることが反映されて憲法に記されているのです。 >>天皇が公的存在でなければ、憲法に記すことは出来ません > >なるほど、非常に重要な論点ですね。その論法でいくと、国民も公的存在だったから、憲法に記されたのですね。告天子さんも、そうお考えでしょうか?簡単明瞭にご回答いただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。 国民も公的存在だから憲法に記された、というのは違いますね。私は「天皇が」「公的存在だから」憲法に書かれている、と言っているのであって、憲法に書かれているから公的存在だと言っているのではないでしょう。 |
▼告天子さん: ご回答ありがとうございます。 が、 >国民も公的存在だから憲法に記された、というのは違いますね と仰る意味が、なんだか、よく判りません。 告天子さんは、 日本国憲法制定以前において、国民は公的存在ではなかったと認識されているのでしょうか? どうか、平易にお教え戴けませんか。よろしくお願いいたします。 |
▼めだま君さん: (先の書き込みから) >>>天皇が公の存在であるのは憲法以前の事実だからです。・・・憲法に記されている「から」公的存在なのではなく、公的存在であることが反映されて憲法に記されているのです。 >>>天皇が公的存在でなければ、憲法に記すことは出来ません >>なるほど、非常に重要な論点ですね。その論法でいくと、国民も公的存在だったから、憲法に記されたのですね。告天子さんも、そうお考えでしょうか?簡単明瞭にご回答いただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。 >国民も公的存在だから憲法に記された、というのは違いますね。私は「天皇が」「公的存在だから」憲法に書かれている、と言っているのであって、憲法に書かれているから公的存在だと言っているのではないでしょう。 ▼めだま君さん: >ご回答ありがとうございます。 >が、 >>国民も公的存在だから憲法に記された、というのは違いますね >と仰る意味が、なんだか、よく判りません。 ??。こちらこそ、めだま君の言われることが分かりません。私は「天皇が」、と主語を指定して、「天皇が」公的存在であるから憲法に書かれた、と言っているのであり、憲法に書かれているから公的存在なのではない、と上にも書いていますよね?。 したがって、「国民が公的存在であるから、憲法にも記された」というのは、全く別の主張になります。天皇について言っていることを、国民についても「同じである」というのはおかしいのではありませんか? >告天子さんは、 >日本国憲法制定以前において、国民は公的存在ではなかったと認識されているのでしょうか? >どうか、平易にお教え戴けませんか。よろしくお願いいたします。 どういう意味でしょうか?。ご質問の意味がよく分からないのですが。日本という国があるからには、国民も当然伴っていると思いますが。帝国憲法では、「臣民」と表現していますが、「国民が公的存在ではない」というご質問の意味がつかみかねます。 それから、「教えてください」とばかり書かれても、迷惑なのですが。ご自身のお考えを書かれたらいかがですか。 |
多少、補足させていただきますが、そもそもどうして「公的」という言葉が出てきたかというと、その前の議論で、「天皇も一名家であるに過ぎない、一国民になるべき」、つまり、天皇も一国民に過ぎず、私人としての存在なのだ、という経緯からです。それに対して、天皇は日本国憲法に規定された、公的な存在であって、一名家の内で特別に有名なものに過ぎないといった私的規定は当たらない、と言っているのです。 めだま君の論は、それまでの説を全く度外視して、「公的」という単語にこだわり、そればかりか、「国民も公的存在ですね」などと、先の議論の文脈を全然無視した質問を繰り返していますね。 では、めだま君は天皇が公的な存在ではない、というお考えですか。私は、「一国民に過ぎない」という意見に対比する形で、「公的」という語を用いたのです。めだま君は、「国民も公的存在だ」と言っていますが、それではそれに対する私的とは何を意味するのでしょうか。教えてください。めだま君は、質問をした当の本人なのですから、分かっているはずです。 |
▼告天子さん: ありがとうございます。が、レスが早すぎて、混乱しそうです。が、簡単にお答いたします。 >めだま君の論は、それまでの説を全く度外視して、「公的」という単語にこだわり、そればかりか、「国民も公的存在ですね」などと、先の議論の文脈を全然無視した質問を繰り返していますね。 ごめんなさい。 >では、めだま君は天皇が公的な存在ではない、というお考えですか。 とんでもありません。 >私は、「一国民に過ぎない」という意見に対比する形で、「公的」という語を用いたのです。 知っています。 >めだま君は、「国民も公的存在だ」と言っていますが、それではそれに対する私的とは何を意味するのでしょうか。教えてください。めだま君は、質問をした当の本人なのですから、分かっているはずです。 残念ながら、それがいまいち、よく判らないのです。「公」は国家権力だと解しますと、「私」は、国家権力の関与しえない領域を指すものと言えると思います。税金は公民としての義務。今夜、目玉焼きを作るかゆで卵を作るかは、国家権力は関与しないわたくし事。ここまでは、私にも判るのですが・・・ |
▼告天子さん: ご回答ありがとうございます。 >??。こちらこそ、めだま君の言われることが分かりません。私は「天皇が」、と主語を指定して、「天皇が」公的存在であるから憲法に書かれた、と言っているのであり、憲法に書かれているから公的存在なのではない、と上にも書いていますよね?。 はい、判ります。天皇は、憲法制定以前から、すなわち、憲法的存在として規定される以前から、非憲法的存在として公的存在だったと仰るのでしょう。私も、そのように捉えることは出来ると思います。 >したがって、「国民が公的存在であるから、憲法にも記された」というのは、全く別の主張になります。 そうです。 >・・天皇について言っていることを、国民についても「同じである」というのはおかしいのではありませんか? どうして、おかしいのですか?私は、天皇と国民の、双方が前憲法的存在として共に「公的存在」だったと言っているだけです。 >>告天子さんは、 >>日本国憲法制定以前において、国民は公的存在ではなかったと認識されているのでしょうか? >>どうか、平易にお教え戴けませんか。よろしくお願いいたします。 > >どういう意味でしょうか?。ご質問の意味がよく分からないのですが。日本という国があるからには、国民も当然伴っていると思いますが。帝国憲法では、「臣民」と表現していますが、「国民が公的存在ではない」というご質問の意味がつかみかねます。 ごめんなさい。質問の仕方が悪かったかも知れません。話題を、明治憲法に移して、もう一度、お尋ねいたします。 告天子さんの論法でいくと、天皇は、非明治憲法的存在としてすでに公的存在だったから、憲法に規定されたのですね。そうすると、その論法を用いて、国民は、非明治憲法的存在としてすでに公的存在だったから、憲法に「臣民」として規定されたと言えると、私は思った(私の考えの表明です)のですが、告天子さんは、私のこのような捉え方に賛成してくださるのでしょうか? |
▼めだま君さん: >話題を、明治憲法に移して、もう一度、お尋ねいたします。 >告天子さんの論法でいくと、天皇は、非明治憲法的存在としてすでに公的存在だったから、憲法に規定されたのですね。そうすると、その論法を用いて、国民は、非明治憲法的存在としてすでに公的存在だったから、憲法に「臣民」として規定されたと言えると、私は思った(私の考えの表明です)のですが、告天子さんは、私のこのような捉え方に賛成してくださるのでしょうか? 賛成、反対を言う以前に、やはり仰ることがよく理解できません。私は「論法を用いて」あれこれ言っているのではなく、憲法の内容に即してどうとか、事実はどうだったとかいう話をしているつもりですが、 >国民は、非明治憲法的存在としてすでに公的存在だったから、憲法に「臣民」として規定された 率直に言って、何を仰りたいのか理解できません。 |
▼告天子さん: ことば足らずでごめんなさい。 >>国民は、非明治憲法的存在としてすでに公的存在だったから、憲法に「臣民」として規定された > >率直に言って、何を仰りたいのか理解できません。 簡単平易に、表現してみます。 天皇にせよ国民にせよ、「非明治憲法的存在としてすでに公的存在だ」と言うことは、憲法を制定する人たちに、すでに、天皇にせよ国民にせよ、「非明治憲法的存在としてすでに公的存在だ」と言う「認識」が成立していたということだと思うんです。いかがでしょうか。 |
ややこしくなっていますね。 天皇に対する見方がちがうから当然かもしれませんね。 私は、憲法がどうあれ、今も昔も天皇は現人神で在られると思っています。 しかしね、私がそう思っているからと言って、人様に押し付けようとは毛頭考えていません。伊勢神宮を始め、日本の神社は天皇をお護りし、天皇は日本と日本国民の安寧をお祈り下さっています。じゃ、なぜ現人神かと言えば、天皇は無私で在られるからです。 さらに、日本は天皇が在られるから日本であると思っています。 |
とうろう さん。 明けまして おめでとう ございます。 今 仕事の合間に覗いたら びっくり 。 想いだしました。とうろうさんとは忘れていましたが。主題はよく覚えています。 あの時の真意をもう一度 再度 記します。 あの時の私の主張は ・昭和天皇の戦争責任はあり。最高責任者であることは免れない。 当時のスレッドの流れに、少々 抵抗もあり 皆さん 言い難いことを 私の所信を述べたものです。 ・天皇制についての意見について 天皇(昭和天皇に限ってですが)の戦争責任のついては あそこで議論したか ったが、{天皇制」そのものの議論の場ではない。(あの時のスレッドの前後 関係から、また 私の 時間の関係もあったし「昭和天皇の戦争責任」と「天皇 制論」は別問題と考えたからです) また 天皇制そのものを あそこで やったら あのスレッドが混乱すると思 ったからです。 では今天皇制について述べよといわれると、正直 避けたいです。 天皇制は複雑で述べるだけでも膨大なものとなること、今の天皇一家をどうす るの問題とは違います。 明治維新前と維新後また統帥権を明示された昭和20年まで、戦後の新憲法下 の天皇制では論点が違います。 今言いたい事は以上です。 でもとうろうさん ご自分の ご意見を 有難うございました。 あのころ 質問をだしっぱなしで 引っ込んでしまう人が多かったものですから やや感情的に言ったかもしれません。失礼しました。 昭和天皇の戦争責任については、もっと 議論があってよいと思っていたので。 それから 今日の猫の話 同感です。 これからも真面目(良心的)な記述を期待しています。よろしく。 |
▼佐藤 圭さん: こんにちは。レス感謝します。吃驚されましたか。私はずっと気にしていましたので「名指し」で失礼かとも思いましたが、旧い話なのでと思い敢えて上のタイトルにしました。お許しください。少し、事実関係を学んでからと言うことで遅くなりました。 >今 仕事の合間に覗いたら びっくり 。 >想いだしました。とうろうさんとは忘れていましたが。主題はよく覚えています。 > >あの時の真意をもう一度 再度 記します。 >あの時の私の主張は > ・昭和天皇の戦争責任はあり。最高責任者であることは免れない。 > 当時のスレッドの流れに、少々 抵抗もあり 皆さん 言い難いことを > 私の所信を述べたものです。 > ・天皇制についての意見について > 天皇(昭和天皇に限ってですが)の戦争責任のついては あそこで議論したか ったが、{天皇制」そのものの議論の場ではない。(あの時のスレッドの前後 関係から、また 私の 時間の関係もあったし「昭和天皇の戦争責任」と「天皇 制論」は別問題と考えたからです) > また 天皇制そのものを あそこで やったら あのスレッドが混乱すると思 ったからです。 よく分かりました。 > では今天皇制について述べよといわれると、正直 避けたいです。 > 天皇制は複雑で述べるだけでも膨大なものとなること、今の天皇一家をどうす るの問題とは違います。 > 明治維新前と維新後また統帥権を明示された昭和20年まで、戦後の新憲法下 の天皇制では論点が違います。 そうかもしれません。しかし、歴史上の「天皇家」は、今の万世一系家の「天皇家」だとも私は思っています。 > 昭和天皇の戦争責任については、もっと 議論があってよいと思っていたので。 そうだと思います。私には、昭和天皇の戦争責任については、よく分かりませんでした。政治、社会また法的背景を良く理解していませんので。人間的・良心的には責任は明白だと感じていますが。 > それから 今日の猫の話 同感です。 これからも真面目(良心的)な記述を期待しています。よろしく。 有難うございます。今後も宜しくお願いいたします。失礼致しました。 |
Californiaで放映しているNHKNewsがアメリカ局ならびに他国局に比べ余りに偏狭,日本一辺倒で国際性や世界の展開との乖離が甚だしいので投稿をし39206で次のように述べました 『さらに問題にして且つ別立てで論議debateされるべきと思うのは この間2日間に渡り1日は全news時間の半分も費やして前テンノーの子供の子供ですか何とかという娘が婚約をしたという話をしているのです 僕は前テンノーに全戦争責任ありと思っていますから このようなことに天下の公器を使うこと この家族の宣伝,exposureが最近甚だしく頻繁なこと 何でこんな家族に敬語を使うのか全く理解の範囲外なのです』メージが俄仕立ての土俗信仰に基づいた皇国史観なるものをたてに 富国強兵の基で近隣との間に戦争侵略関係を造成 ショ−ワは特別学校で幼少時から半分生き神と考えるような教育を受け 蟷螂が世界を相手の戦争に参加 1945年初頭から大都市の灰燼、原爆,ソ連進攻とさっさと降参すればよいものを計り知れない損失を受けながら戦争続行にしがみついた 無条件降伏の後は アイアムソリイの一言も言わず 東条英機氏のごとき股肱の臣の刑死を平然と見送った これで戦争責任がないとなんて言えますか 幼稚園の常識問題ですよ そして今でも莫大な税金で子孫が贅を尽くし敬われている この現代妖怪話を皆さんは何と解くのですか? |
長い歴史を考えると軽々には語れませんが、第二次世界大戦が終わり、日本が国民主権の国として新たな道を歩み出した時点で、天皇制の役目は終わったのではないかと思います。少なくとも税金で支えるものではなくなったと思います。 現時点ではそれほど強く皇室の廃止という気持ちはありません。しかし、宮内庁の実態はかなり怪しそうですね。(当面)皇室は残すにしても宮内庁は解体もしくは廃止すべきと考えます。 ちなみにイギリスでは「王室がなくなると、英国はよくなるか悪くなるか」という世論調査で、「悪くなる」という意見は、1990年頃の調査では70%だったのが、2000年は44%に低下しているとのこと。若い世代ほど王室に関心がないそうです。(わずか10年でこの低下は驚きです。NHK紅白の視聴率より低下率が大きそう) |
みなさん; このスッレドにレス頂く方にお願いいたします。 原タイトルは私が佐藤圭さんに呼びかける意味があって失礼ながら敢えて名を上げさせて頂きました(佐藤圭さんには重々改めてお詫びします)。 今後レスを頂く方はどうかタイトルから「佐藤圭さんに」を削除ください。宜しくお願いいたします。 なお、原スレッドのタイトルを墨守(そのまま維持)しなければならないルールがあるのでしょうか? 何方かお詳しい方に教えて頂ければ幸いです。宜しく。 |
そもそも、天皇制とは、明治において、時の権力勢の、薩長と朝廷公家,岩倉具視らが、なかば権力を私する為に、天皇を神とし、絶対として、崇めるような制度を作り、天皇の名においては、何人でも意見をできないようにしました。その時天皇は、人形であり、国の成り行きは、岩倉らが決めていたと思われます。 大東亜戦争敗戦後、マッカーサは、主権を天皇から国民に移したが、その時日本は猛烈な左翼化傾向にあり、それを防ぐ為に、天皇制を残し、利用されたと思われます。 したがって、私は、天皇には戦争責任がないと、思います。 失礼しました。 |
天皇に対する戦争責任ですか? なんやらどこやらの政党がよく問題にする論点ですね? うーんと、正直言って、戦後生まれかなりの私にとってよくわかりません。 私ら山奥の百姓は正月には五穀豊穣を願って近くの神社に一升瓶もって参拝に行くのですが、よくいわれる天皇と神社、神道との関連性についてご説明いただけたらありがたいのですが……。 |
今更テンノーもないという説もありますが 今憲法改正に伴ってテンノーを元首にするということが当然とされています しかし待って下さい700万の日本人と2000万のアジア人を犠牲にしたあの戦争の最大責任者である前テンノーの子孫がいつまで日本を支配し続けるのですか?何故責任の有る彼だけがすべて免責されて子孫にいたるまで敬語まで使って大事にされなければならないのでしょう 僕の考えは東条英機氏でさえ当時どっちかと言えば黙って軍人の仕事を続ける統制派に属し敗戦のときはもう辞職していたし PMを命じられた時は椅子から転げ落ちるほどびっくりしたと言いますからね まあゴミ箱の蓋を開けたり戦陣訓で捕虜になったら皆死んじまえなんていうのはまずかったけど 片方では皇道派というテンノーを奉って神そのものだと喚く狂信軍人を横に見ながらです A級戦犯と言いますが敵は本能寺にありなんです戦後テンノーに誰もヘーカなんて言わなかったのに何時の間にかすりよりの名人マスコミが言い出しましたね 次は法律による元号の制定です 次は例の日の丸,君が代の制定 これは共産党の不破氏が法律によるなら従うなんて口走ったら野中元幹事長が電光石火制定に漕ぎ着けました 不破氏も椅子から転げ落ちたんではないかな それからハト派を自認する野中氏が何故こんな事をあんなに早くやったのかな 日の丸はいいけど あの歌いやですね 陰隠滅滅としたmelody ”君は皆さんあなたの事よ”と言う嘘もいいところの国の説明 そして強制はしないと言っていたのを従わない学校関係者を片端から 容赦なく罰するところは治安維持法違反者検挙と同じですしね こうゆう法解釈をするところをKangaroo Courtと言います こうやってこっそり昔の支配体制へと戻っていくのです |
日本国家の成立は8世紀からとされているが当時は土俗信仰的な神話,神道が広がっていた 意外と早期に仏教が伝来したので上層階級はそちらに転向 一般民衆はそれぞれの村の畑や入会地に局脊し豆祠ぐらいの設備で祈りでもしてたのであろう 八百万神がいて狐の尻尾にもお山の杉の子の梢にも神が宿っていたのである 江戸瓦解に伴い岩倉,大久保達は西洋にはGODというものがあると聞く どうもヤオロズより絶対神のほうが格好がよい 明治と言ってもmale chauvinismの続きだからアマテラスではまずい 手っ取り早く其処にいるメージが若死にした公武合体主義だった孝明より遥かに気性が激しく幕府転覆にも積極的に参画したということで持ちかけ 彼も一議に及ばず賛成共同謀議のもとにメージを絶対主義王制の神に等しい存在に仕立て上げた これはチンは国家なりと言ったFranceのLuis-14より強烈な表現で文明開化,近代化と言いながら敗戦後今に至るまでの偏頗な日本の内政状況を作ってしまった 絶対権力の下の彼らの舞い上がりも激しく贅を尽くした生活と メージ当初30年間で江戸800万石の没収分730万石をはじめ各大名の所有林や入会地の接収 ゴ料林/地化でイギリス王室が300年かかって集積した資産を超えたと聞く 因みに今の四谷の迎賓館嘗ての赤坂離宮は メージが其の子タイショーの結婚に際し 新婚のための住居として建ててやったと言う 如何に豪奢な生活が行われたか判るであろう――――――――――という事であります |
天皇など歴史的発生過程から推測すれば盗賊の元締めだったろう。 アリや社会性習性を持つ蜂、シロアリの世界ならひとつの固体を尊重するのは理解できる。 なにしろ女王がいなければ繁殖ができないのだ。 が、 人間が人間に人間以上の価値をつけるのは、 たいがいよこしまな目的があるからにちがいない。 とくに日本における皇室制度は、 権力の二重構造をささえるには、とても魅力的な手段であったと思う。 なにしろ権力の実態を握る人間にとっては、 「詔勅」の一言で全てを黙らせることができる。 ・・・ 地上で、 これほど都合のいいことは、めったにあるまい。 あんなものをあがめる人間の頭はどうかしているのだろう。 繁殖を女王に頼ることのない人類にとって、 現時点では天皇など偶像にすぎない。 偶像でよいのなら、金親子、天皇、「モーニング娘。」 どれも等価値ではないか。 |
▼沈黙の初夏さん: >天皇など歴史的発生過程から推測すれば盗賊の元締めだったろう。 そのような説は聞いたことがありません。 >アリや社会性習性を持つ蜂、シロアリの世界ならひとつの固体を尊重するのは理解できる。 >なにしろ女王がいなければ繁殖ができないのだ。 人間はアリではないし、第一いわゆる女王アリを「女王」というのは比喩であって、シロアリが女王アリを「女王様」と崇めているわけではありません。 >が、 >人間が人間に人間以上の価値をつけるのは、 >たいがいよこしまな目的があるからにちがいない。 邪推でしょう。イエスについてはどう考えられますか。 >とくに日本における皇室制度は、 >権力の二重構造をささえるには、とても魅力的な手段であったと思う。 日本皇室の存在に人民が美を見出さなければ、そういう制度が続くこともあり得なかったでしょう。また、有力者が権力の一元化を図ろうとするなら、天皇を実力で排除することは出来たはずで、しかしそうはならなかったのです。 >なにしろ権力の実態を握る人間にとっては、 >「詔勅」の一言で全てを黙らせることができる。 それ故、偽詔勅に対するガードは、明治時代になってから強化されました。また、詔勅の形式についても、法的に整備されています。詔勅というのは非常に重いものでありますから、「出せば人を黙らせることが出来る」などという安易な気持ちで乱発すれば、その権威は失われるだけです。 >地上で、 >これほど都合のいいことは、めったにあるまい。 >あんなものをあがめる人間の頭はどうかしているのだろう。 異質な価値観に遭遇したとき、「相手が劣っている」とか、「相手は狂っているのだ」と、人は往々にして考えがちですが、そうならばこそ情理を尽くして考えるべきではないでしょうか。 >繁殖を女王に頼ることのない人類にとって、 >現時点では天皇など偶像にすぎない。 人の意義はただ繁殖にあるのではありません。人間はアリではないのです。 >偶像でよいのなら、金親子、天皇、「モーニング娘。」 >どれも等価値ではないか。 もー娘と金親子が等価値など、とんでもない話です。つまり、実質的にそういう論理は意味を持たないでしょう。 |
いい事言われますね 皮肉でなくて大賛成 同種の歯にもの着せない ご意見が出たことを 大変喜んでおります |
言葉 訂正====私の発言”歯にもの着せない”は 歯にきぬ〔衣〕の間違いでしたね また前投書の なになにさせるの てにおは 間違っているのですが 遠隔地に滞在中で分かりません ガク無くてあいすみません |
▼沈黙の初夏さん: 私はこの頃、いままでものをいわなかったこと、沈黙してきたこと、いろいろ自分が嫌になりました。 沈黙の初夏さんのおっしゃるとおりです。 うまく言えませんが、もうこれ以上黙っていてはいけないぎりぎりの所だと思ってきました。 >天皇など歴史的発生過程から推測すれば盗賊の元締めだったろう。 まあ、つまり、他人より少しばかりものを言う声が大きかったり、腕力があったりした人が、人を支配して、そんな人たちがあちこちで衝突して、いつのまにか勢力を大きくして、その立場を正当化するために、国つくりの神話を編んだりしたということが充分考えられます。 >人間が人間に人間以上の価値をつけるのは、 >たいがいよこしまな目的があるからにちがいない。 >とくに日本における皇室制度は、 >権力の二重構造をささえるには、とても魅力的な手段であったと思う。 > >なにしろ権力の実態を握る人間にとっては、 >「詔勅」の一言で全てを黙らせることができる。 その一家に見初められて、結婚しただけで、あるいはその一家に生まれただけで、歯の浮くようなお世辞と敬語がマスコミから広められて、ってやっぱり無理があるから、まともな神経があったら悩んでしまうのかも知れない。 >偶像でよいのなら、金親子、天皇、「モーニング娘。」 >どれも等価値ではないか。 日本の象徴は、ある人にとってはふるさとの姿だったり、私にとっては富士山、ひとにより違うと思うのに、憲法で決めるのはちょっと無理があると思います。 モーニング娘と言う人もあるも知れません。 金親子はちょっと無理でしょう。 まず、国民の総意と言うのからして、何時そうなったのでしょうね。 すくなくとも私は意識していないから、外してほしい。 すると非国民になるのでしょうか。 |
とうろうさん、こんにちは。では早速遠慮なくということで・・・。 ▼とうろうさん: >また、靖国神社は、戦前「別格官幣社」で陸軍省・海軍省の管轄下にあり、 そういうところから、「戦争反対」に絡めて靖国神社が攻撃されるのでしょう。私は別段、反軍感情はないので、軍の管轄下にあることが批判理由になるとは思っていません。 >国家の殉難者を「英霊」として崇め奉り あがめ奉りというよりも、霊をお慰めするという気持ちが個人的には強いですが・・・。 >また「国家神道」の下に神格化された「天皇」 ここは、明らかに誤りですね。国家神道というのは、むしろ政教分離的な意味合いから生まれた制度であって、帝国憲法では、神道を国教であるとかしてはいないわけですよ。国家神道、を、「神道の絶対化」みたいにイメージづけてはおられないでしょうか。ここはGHQ史観を根拠にしたお考えだと思いますね。 >神格化された「天皇」の統帥権の不可侵を盾に、帝国陸軍・海軍軍人が政治を壟断し、 ここも違いますね。統帥権干犯を言い出したのは、むしろ政党政治家の方であり、過激軍人が軍人としての本分、すなわち軍人勅諭を「無視したから」・・・天皇精神というものを閑却したところに、問題が起こるのです。こうしたことは、明治時代には考えられなかったことで、法解釈もドイツ風になり、また、民権の伸張と議会政治の発展が「進むと共に」そうなったのです。「天皇制で民主主義が足りなかったからだ」と説明されがちですが、むしろ民主主義の歪みが現れたものとして見た方が事実に即しています。 まあ、天皇さえ崇めておけば何でも上手く行く、というような話ではありませんが、天皇制が諸悪の根源、みたいに考えるのも、同じように単純な話です。 >「天皇制」は必要でしょうか?日本国は「天皇」を「象徴」として、持たなければならないのでしょうか。 必要です、というより、天皇がいるから日本なのであって、「象徴」などというのは敗戦の結果押しつけられた天皇のあり方であり、非常に日本史的には異例なあり方なんではないですか。 >「天皇が象徴としてあらせられる」ことで、「日本国民」はどのような利益を受けているのでしょうか? 天皇がおられることで国民が受ける「利益」という考え方そのものが軽薄なもののように思えますが、それは公的なものを「利益」を持ってのみはかる、というお考えでしょうか。 >そして、若し、天皇制を廃したとしたら、どのような不利益を「日本国民」が蒙るのでしょうか? 軽薄きわまる卑しい国になると思います。 >また、「天皇家」はどのような不都合を受けられるのでしょうか? 日本国の不幸を嘆かれることと思います。 >念のため申し上げますが、ここで言う「利益」とは、「国益」総和としての国民の利益です。そして、勿論、経済的利益だけを言っているのではありません、国際社会における日本の利益、日本国民に還元される総合利益のことを言っています。ご意見をお願いいたします。 天皇がいなければ、日本国は「統合」を失います。経済的利益でない総合利益というのが、上の文で何を意味しているのかよく分かりませんが、国が統合を失えば、勢力争い、内乱、政治不安など、単純に考えても不幸なことばかりありそうですね。また国民が「統合」精神を見失っても、同じことだと思います、そういうのが戦前の歴史にはあったんではないんですか。 |
▼告天子さん: こんばんは。早速レス有難うございます。 貴コメント全部を頂いてからレス差し上げます。尚、タイトルからは「佐藤圭さん」を外して頂きたく先にお願いしておリます。 では、宜しく。 |
▼とうろうさん: >▼告天子さん: > >こんばんは。早速レス有難うございます。 > >貴コメント全部を頂いてからレス差し上げます。尚、タイトルからは「佐藤圭さん」を外して頂きたく先にお願いしておリます。 > >では、宜しく。 タイトルの方、以後は気をつけます。 全体に、とうろうさんのご意見は、理由はどうあれ「廃帝論」です。 人間として気の毒に思う、だから・・・、というような理由を付けても、結論は廃帝であり、そこに向かっての話でしょう。天皇がいることで、何の利益があるか、よく分からない、と。 象徴、という言葉が表しているように、天皇という存在は、日本人と神道信仰に関係が深いでしょう。神道信仰抜きの天皇、ということは考えられません。 しかし、神道理論とか教学というものは、・・・「神学」として完成されたものなのでしょうか。そういう面で、統一され完成されたものでもないでしょう。 だから、明治時代にしても、そういう神道と天皇、というものをどのように国家の中に位置づけるか、大変な政治的・法的な知恵を働かせた上に、明治国家というものがあったわけでしょう、「国家神道」を責め立てるとき、本当は、人はもっと別のものを責めようとして、見当違いのものを責めているのだと僕は見ています。 明治維新後数年にして、国学者や神道家のグループは国家中枢からほとんど排除されています。明治の歴史は非常に複雑で、また、昭和史にしてもそうでしょう。それにたいして、「民主主義」を絶対化・ドグマ化した上に立つ廃帝論は、あまりに単純に過ぎますし、国史を無視しすぎています。 |
▼告天子さん: こんばんは。気付いてタイトル修正有難うございました。 貴見、熟読玩味の上ゆっくりレスをさせて頂きます。暫らく時間を下さい。 お願いします、宜しく。 |
▼告天子さん:今晩は。 丁寧に回答いただき有難うございました。これからゆっくり意見を述べます。 >とうろうさん、こんにちは。では早速遠慮なくということで・・・。 勿論、遠慮など何も要りません。私も遠慮なく、貴コメントに沿って逐一言わせて頂きます。かなり長くなると思いますがどうか最後までお付き合いいただくようお願い致します。 今日は先ず「序」ということで投稿します。以下、先の「貴コメント」に沿って逐一延々、延々と続くと思いますが宜しく。 >>また、靖国神社は、戦前「別格官幣社」で陸軍省・海軍省の管轄下にあり、 >そういうところから、「戦争反対」に絡めて靖国神社が攻撃されるのでしょう。私は別段、反軍感情はないので、軍の管轄下にあることが批判理由になるとは思っていません。 「靖国神社問題」と言うのは、勿論「戦争反対」の意味もありますが、現職の総理が参拝という「宗教行為」をするところに「政教分離」の原則に違反している問題があると思われるからです。 (政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)とは、国家権力と宗教とは相互に分離されるべきであり、国家権力が宗教団体を援助・助長、又は圧迫してはならないとする憲法上の原則をいう。これによって個人の自由の権利が確保される。日本国憲法においては、憲法20条においてこの原則が規定されている。出典:ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2) 「反軍感情」あるいは「親軍感情」などは関係ないことです。また、軍の管轄下にあったのは戦前のことです。事実を正確に捉えましょう。 ところで、貴方は(私よりはお若い方と想像しておりますので以下申します)「反軍感情」は無いと仰ってますが、戦前の帝国軍隊の実像についてどれほどのことをご存知でしょうか。また、戦争に於いて、兵隊、特に下級将校、下士官、兵たちがどのように戦争を最前線で戦い、死んでいったかを調べたことがありますか。 また、戦争殉難者がどのようにして死んでいったか良くご存知ですか(原爆被災者、東京大空襲の被害者がどのように悲惨な死を遂げたか考えたことがありますかまたよくご存知ですか)。 とても「英霊」と口先の綺麗事で奉られて済む様な死に様ではなかった、悲惨な、そして恨みを呑んで死んでいった方が殆どだと思います。 私も戦争を実体験したものではありませんが、色々見聞し、先達の本などを読んだ結果そのように考えています。 貴方にお勧めします。出来れば下記の書き物を読んでください。「昭和天皇」の名のもとに先の大戦が如何に戦われたか、前線の兵隊達が如何に悲惨な戦いを戦わされあるいは戦い、死んでいったかがある程度分かると思います。 大岡昇平:「野火」「レイテ戦記」(これは読んでおります) 山本七平:「一下級将校の見た帝国陸軍」 「 私の中の日本軍」 (これは読んでおりません) 花森安治:「見よぼくら一銭五厘の旗」これは戦前兵隊にとられ戦後「暮らしの手帖」を編集、発行していた氏の戦前から戦後そしてもはや戦後でないと言う時代を概括した詩というか、マニフェストと言われます。 なお、一銭五厘は当時の葉書代です。葉書一枚で兵を召集出来た時代です。 http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/pdf/hanamoriyasuji.pdf (これは名前は覚えていました、作者名を混同していましたが。読んだかもしれません) 今日はここまでにします。以下(2)以降に続きます。宜しく。 |
▼とうろうさん: >かなり長くなると思いますがどうか最後までお付き合いいただくようお願い致します。 了解です。 >今日は先ず「序」ということで投稿します。以下、先の「貴コメント」に沿って逐一延々、延々と続くと思いますが宜しく。 当方の返答もそうなると思いますが、よろしくお願いします。 >「靖国神社問題」と言うのは、勿論「戦争反対」の意味もありますが、現職の総理が参拝という「宗教行為」をするところに「政教分離」の原則に違反している問題があると思われるからです。 首相の靖国参拝は、憲法問題ではなく、「政治問題」です。また、外交問題です。この点、政教分離に違反していると「とうろうさんは」仰いますが、違憲判決が出たのでしょうか。 >(政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)とは、国家権力と宗教とは相互に分離されるべきであり、国家権力が宗教団体を援助・助長、又は圧迫してはならないとする憲法上の原則をいう。これによって個人の自由の権利が確保される。日本国憲法においては、憲法20条においてこの原則が規定されている。出典:ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2) この政教分離原則が、日本の現実に合わないものだから、問題を引き起こすわけです。政教分離をどの程度厳格にするかは、「解釈」の入る余地があります。解釈次第では、文化・慣習に対する極めて抑圧的・原理主義的に作用する規定でもあり得るので、「問題があると思われる」程度では不足です。 >「反軍感情」あるいは「親軍感情」などは関係ないことです。また、軍の管轄下にあったのは戦前のことです。事実を正確に捉えましょう。 現在も軍の管轄下にあるとは申しておりません。反軍感情から反靖国、というような安易な姿勢には反対する旨を示したまでです。 >ところで、貴方は(私よりはお若い方と想像しておりますので以下申します)「反軍感情」は無いと仰ってますが、戦前の帝国軍隊の実像についてどれほどのことをご存知でしょうか。 実情を知るなら、反軍感情を持って当然、ということでしょうか。私は特に親軍感情もありません。 >また、戦争に於いて、兵隊、特に下級将校、下士官、兵たちがどのように戦争を最前線で戦い、死んでいったかを調べたことがありますか。 調べなどしなくても、戦場の死は非人間的な死であることは明らかだと思います。 >また、戦争殉難者がどのようにして死んでいったか良くご存知ですか(原爆被災者、東京大空襲の被害者がどのように悲惨な死を遂げたか考えたことがありますかまたよくご存知ですか)。 私が戦争に対して賛美感情を持っているとお思いでしょうか。実体験はありませんが、聞くのは悲惨な話ばかりですよ。 >とても「英霊」と口先の綺麗事で奉られて済む様な死に様ではなかった、悲惨な、そして恨みを呑んで死んでいった方が殆どだと思います。 それは当然そうでしょう。しかし私は戦争というのはそういう悲惨な大量殺戮が「全て」であるとは思っていません。 >貴方にお勧めします。出来れば下記の書き物を読んでください。「昭和天皇」の名のもとに先の大戦が如何に戦われたか、前線の兵隊達が如何に悲惨な戦いを戦わされあるいは戦い、死んでいったかがある程度分かると思います。 あげられた本は何冊か読んだことがあります。如何に戦争が悲惨であるか、はよく分かると思いますよ。ならばとうろうさんにお尋ねしますが、日本はどうすればよかったのですか。また、日本をそういう戦争に叩き込んだ敵どもについては、どうお考えですか。 |
▼告天子さん: こんばんは。早速レス有難うございます。が、二次的レスについては後にまとめてご返事いたします。 先ず、一次レスについてお答えを完了したいと思います。 また、何かお急ぎの理由でもあれば頑張って弊レスを促進しますが・・・。 ご容赦ください。 |
▼とうろうさん: とりあえず、あまりご無理なさらないでください。 基本的に、私はとうろうさんの反戦感情については、反感は持っておりません。むしろ、自然素朴な感情としては、その通りだろうと思っております。 私は、そういう感情を、政治に利用したり、また、結局はミスリードすることでそういう気持ちを空しくすることに反対しているだけです。 本当にそういう声を受け止めるべき勢力がだらしないものだから、結果的にどうしようもない現状なのではないでしょうか。それなら、むしろ反戦・平和の精神の発揚を実質的に妨害しているようなものではないかと思っています。束ねておいてミスリードするなら、気持ちを空しくしているのと同じことですから。 |
▼告天子さん: こんばんは。お心遣い有難うございます。 無理はしていません。ただ、記憶に頼って書いていると後でとんでもないことになるかと思って、事実を確認しながら書きたいと「弊主張の事実を逐一確認」しながら書きたいと思うもので時間を要します。 宜しくご理解ください。 |
▼告天子さん: 横やりでごめんなさい。 >>(政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)とは、国家権力と宗教とは相互に分離されるべきであり、国家権力が宗教団体を援助・助長、又は圧迫してはならないとする憲法上の原則をいう。これによって個人の自由の権利が確保される。日本国憲法においては、憲法20条においてこの原則が規定されている。出典:ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2) > >この政教分離原則が、日本の現実に合わないものだから、問題を引き起こすわけです。 そうでしょうか? 「日本の現実に合わない」というのは、「私」的意見ではありませんか? だって、憲法は、アメリカ憲法よりも、より厳格に政教分離を規定しています。ですから、完全な政教分離こそが「公」であり、 >政教分離をどの程度厳格にするかは、「解釈」の入る余地があります。 というのは、「公的存在」を重んじない精神態度で、「公的」な大理想精神を軽んじる意見に過ぎないと、私は思います。 |
▼めだま君さん: >▼告天子さん: >>>(政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)とは、国家権力と宗教とは相互に分離されるべきであり、国家権力が宗教団体を援助・助長、又は圧迫してはならないとする憲法上の原則をいう。これによって個人の自由の権利が確保される。日本国憲法においては、憲法20条においてこの原則が規定されている。出典:ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2) >> >>この政教分離原則が、日本の現実に合わないものだから、問題を引き起こすわけです。 >そうでしょうか? 「日本の現実に合わない」というのは、「私」的意見ではありませんか? あなたの公私の分け方こそがあなたの恣意です。 >だって、憲法は、アメリカ憲法よりも、より厳格に政教分離を規定しています。 そこが異常な証拠です。「政教分離」はキリスト教国で生まれた考えですが、非キリスト教国である日本で、キリスト教国での政治原理がファナティックに厳格に叫ばれるのは異常です。 >ですから、完全な政教分離こそが「公」であり、 それこそ「私的意見」です。米国のような原理主義的な国家に於いてすら、国家と宗教は深い結びつきがあります。「完全な政教分離こそが公である」との意見には、何の根拠もありません。 >>政教分離をどの程度厳格にするかは、「解釈」の入る余地があります。 >というのは、「公的存在」を重んじない精神態度で、「公的」な大理想精神を軽んじる意見に過ぎないと、私は思います。 政教分離が理想であるなどと、聞いたこともない話です。 |
▼告天子さん: >あなたの公私の分け方こそがあなたの恣意です。 どうして、そう思われますか? >>ですから、完全な政教分離こそが「公」であり、 >それこそ「私的意見」です。米国のような原理主義的な国家に於いてすら、国家と宗教は深い結びつきがあります。「完全な政教分離こそが公である」との意見には、何の根拠もありません。 根拠はあります、私は憲法の規定に基づいて申し上げているのですから、「公的」お墨付きです。告天子さんは、憲法の規定は「私的意見」だと、認識されますか?これは、重大問題ですから、ぜひご回答願いたいと存じます。 >政教分離が理想であるなどと、聞いたこともない話です。 そうでしか、すこし嬉しいです。 |
▼めだま君さん: >▼告天子さん: >>あなたの公私の分け方こそがあなたの恣意です。 >どうして、そう思われますか? 自分でもよく分かっていないくせに、人には問いかけて平然としているからです。 >>めだま君は、「国民も公的存在だ」と言っていますが、それではそれに対する私的とは何を意味するのでしょうか。教えてください。めだま君は、質問をした当の本人なのですから、分かっているはずです。 >残念ながら、それがいまいち、よく判らないのです。 ↑上の如くです。あなたの姿勢は、全く疑わしいものです。 >>>ですから、完全な政教分離こそが「公」であり、 >>それこそ「私的意見」です。米国のような原理主義的な国家に於いてすら、国家と宗教は深い結びつきがあります。「完全な政教分離こそが公である」との意見には、何の根拠もありません。 >根拠はあります、私は憲法の規定に基づいて申し上げているのですから、「公的」お墨付きです。 それは単に、現憲法を盲信しているに過ぎず、「公」であるとは言えません。現憲法が全く正しい、疑うべからざるものであるなら別として、その前文からして嘘まみれであることは既に指摘済みです。「憲法に記されているから公だ」というのは、単なる思考の怠慢であり、また、官僚主義的な態度であり、きわめて強権的な姿勢であると言えましょう。それほど憲法が公として絶対的なものであるならば、改憲規定など設けているはずもないでしょう。しかもその改憲規定は、実質的に改憲不能なものであり、占領憲法でこのような規定であることが既にして「公」であることを疑うに足る十分な証拠であります。 >告天子さんは、憲法の規定は「私的意見」だと、認識されますか?これは、重大問題ですから、ぜひご回答願いたいと存じます。 早速回答しましたが、めだま君から満足な回答を得たことは今まで一度もありません。あなたの姿勢は、非常に疑わしいです。 >>政教分離が理想であるなどと、聞いたこともない話です。 >そうでしか、すこし嬉しいです。 まったくの独断、恣意であるということです。 |
▼告天子さん: ご回答、ありがとうございます。 >>>>ですから、完全な政教分離こそが「公」であり、 >>>それこそ「私的意見」です。米国のような原理主義的な国家に於いてすら、国家と宗教は深い結びつきがあります。「完全な政教分離こそが公である」との意見には、何の根拠もありません。 >>根拠はあります、私は憲法の規定に基づいて申し上げているのですから、「公的」お墨付きです。 >それは単に、現憲法を盲信しているに過ぎず、 「盲信」とは、失礼ではありませんか。現憲法制定には、昭和天皇も関わっておられます。 >「公」であるとは言えません。現憲法が全く正しい、疑うべからざるものであるなら別として、その前文からして嘘まみれであることは既に指摘済みです。 昭和天皇や平成天皇が、そう仰っておられるのですか? >「憲法に記されているから公だ」というのは、単なる思考の怠慢であり、 憲法を尊重しないのが、真の愛国者なのですか? >また、官僚主義的な態度であり、 失礼な言い方だと思います。合法的であることと、官僚主義とは、概念を異にしています。 >きわめて強権的な姿勢であると言えましょう。 それは、非常におかしい。完全な政教分離は、強権主義の完全否定ですから、仰ることは矛盾しています。 >それほど憲法が公として絶対的なものであるならば、改憲規定など設けているはずもないでしょう。 主権在民だから、憲法は改正できます。 >しかもその改憲規定は、実質的に改憲不能なものであり、 何を根拠に、そう言われますか? >占領憲法でこのような規定であることが既にして「公」であることを疑うに足る十分な証拠であります。 疑うのはご自由です。 >早速回答しましたが、めだま君から満足な回答を得たことは今まで一度もありません。あなたの姿勢は、非常に疑わしいです。 私も未熟で不完全な人間です。信用していただけないのは、わたしの責任です。申し訳ありません。 >>>政教分離が理想であるなどと、聞いたこともない話です。 >>そうでしか、すこし嬉しいです。 >まったくの独断、恣意であるということです。 私の意見は、遵法精神に基づくという意味では、「独断」とは断定できないでしょう。 それに引き替え、告天子さんは、ただ、 >占領憲法でこのような規定であること だけで、「憲法」の公的性格を >疑うに足る十分な証拠 だと言われているのですから、私よりも、さらにいっそう、根拠薄弱ではありませんか? (今夜は、ここまでで失礼いたします。ありがとうございました。) |
▼めだま君さん: >▼告天子さん: >>>>>ですから、完全な政教分離こそが「公」であり、 >>>>それこそ「私的意見」です。米国のような原理主義的な国家に於いてすら、国家と宗教は深い結びつきがあります。「完全な政教分離こそが公である」との意見には、何の根拠もありません。 >>>根拠はあります、私は憲法の規定に基づいて申し上げているのですから、「公的」お墨付きです。 >>それは単に、現憲法を盲信しているに過ぎず、 >「盲信」とは、失礼ではありませんか。現憲法制定には、昭和天皇も関わっておられます。 昭和天皇も日本国憲法も、「完全な政教分離こそが公である」などとしていません。しているのはめだま君です。しかも理に詰まると昭和天皇を持ち出すなど、その姿勢は天皇の名の下に権力を振りかざす「軍人」と重なるものがあります。 >>「公」であるとは言えません。現憲法が全く正しい、疑うべからざるものであるなら別として、その前文からして嘘まみれであることは既に指摘済みです。 >昭和天皇や平成天皇が、そう仰っておられるのですか? ここでもやはり同じ姿勢ですね。天皇陛下が憲法解釈などしたら、大変な話です。めだま君の発言は理にかなっていません。 >>「憲法に記されているから公だ」というのは、単なる思考の怠慢であり、 >憲法を尊重しないのが、真の愛国者なのですか? 憲法は尊重していますが、めだま君のように妄信的姿勢ではありません。 >>また、官僚主義的な態度であり、 >失礼な言い方だと思います。合法的であることと、官僚主義とは、概念を異にしています。 上記めだま君の憲法の盲信、また、権威として理屈ではなく天皇陛下を持ち出す辺り、極めて強権的・官僚主義的な姿勢だと思います。政教分離の完全な実施こそが「公だ」「大理想だ」として、憲法を楯に憲法にも書いていないことを主張しているのですから、それは「合法」の話ではありません。 >>きわめて強権的な姿勢であると言えましょう。 >それは、非常におかしい。完全な政教分離は、強権主義の完全否定ですから、仰ることは矛盾しています。 完全な政教分離などとは、憲法には書いていないし、めだま君の勝手な解釈に過ぎません。最高裁でそういう判決が出ましたか?。政教分離を完全に実施せよとか。出てはいませんね。 私は法律にも書いておらず、裁判所もそのように解釈しないようなことを、「憲法にそう書いてある」と、法律を持ち出し、あろう事か、天皇陛下まで持ち出して他人に押しつけようとするめだま君の姿勢は、やはり「極めて強権的」だと思います。 >>それほど憲法が公として絶対的なものであるならば、改憲規定など設けているはずもないでしょう。 >主権在民だから、憲法は改正できます。 帝国憲法にも改正規定はありますので、めだま君の主張は誤りです。 >>しかもその改憲規定は、実質的に改憲不能なものであり、 >何を根拠に、そう言われますか? では日本国憲法以上の硬性憲法をとる国を教えてください。 |
▼めだま君さん: >>占領憲法でこのような規定であることが既にして「公」であることを疑うに足る十分な証拠であります。 >疑うのはご自由です。 あなたの発言には全く説得力がありません。迷惑を感じています。 >>早速回答しましたが、めだま君から満足な回答を得たことは今まで一度もありません。あなたの姿勢は、非常に疑わしいです。 >私も未熟で不完全な人間です。信用していただけないのは、わたしの責任です。申し訳ありません。 今回の書き込みを読んでも、本当に反省しているとはとても思えませんでした。 >>>>政教分離が理想であるなどと、聞いたこともない話です。 >>>そうでしか、すこし嬉しいです。 >>まったくの独断、恣意であるということです。 >私の意見は、遵法精神に基づくという意味では、「独断」とは断定できないでしょう。 遵法精神ではありません。憲法の勝手な解釈であり、従って「恣意」であり「独断」です。 >それに引き替え、告天子さんは、ただ、 >>占領憲法でこのような規定であること >だけで、「憲法」の公的性格を >>疑うに足る十分な証拠 >だと言われているのですから、私よりも、さらにいっそう、根拠薄弱ではありませんか? 告天子は「憲法は公的ではない」などと一言も言っていませんので、これもめだま君の恣意的解釈に過ぎません。めだま君の説は根拠薄弱という以前に、論の体を取っていません。 |
皆さん: 私は、上のタイトルに「告天子さんに」と書きましたが、別に「告天子さん」と相対(あいたい)の議論に限定する意図はありませんので、皆さんの賛否の立場からの、ご意見、ご批判も仰ぎたいと思っております。 誤解されてはと思い、一言追記いたします。 今後ともどうか宜しくお願いいたします。 |
▼告天子さん&皆さん: おはようございます。先の(序)に続いて、告天子さんのコメントに沿って(その1)を書きました。ご笑覧ください。 >>国家の殉難者を「英霊」として崇め奉り >あがめ奉りというよりも、*霊をお慰めする*という気持ちが個人的には強いですが・・・。 >>また「国家神道」の下に神格化された「天皇」 >ここは、明らかに誤りですね。国家神道というのは、むしろ政教分離的な意味合いから生まれた制度であって、帝国憲法では、神道を国教であるとかしてはいないわけですよ。国家神道、を「神道の絶対化」みたいにイメージづけてはおられないでしょうか。ここはGHQ史観を根拠にしたお考えだと思いますね。 「英霊」と言う言葉の欺瞞性(と私が感じる)については先に述べました。「死んで護国の鬼になれ!」と言う言葉でお分かりになると思いますし、このスレッドでも何方かが戦時スローガン(「天皇の赤子」・・・など)の欺瞞性?を仰っています。 「霊をお慰めする」のは「神道信仰者」としては有りうること(信仰の自由です)と思います。「神道の歴史」に思いを馳せ、天皇の神格化を考えると、私の神道観・天皇の神格化(今までの知見と最近のネットからのにわか勉強から)は以下の通りです。 神道の変遷;古代の自然崇拝(アニミズム)に基づいた、北東アジアのシャーマニズムを取り入れた「祭政一致」(卑弥呼の時代です)の時代を経て、記紀神話で形成された「大君(天皇)」の権威を平安時代くらいまでは守っていたと思われます(天皇を頂点とする貴族公家支配)。以降、武士の時代となり「朝廷」(権威)と「幕府」(権力)は対立抗争を、明示的にあるいは暗黙裡に続けて来たわけです。 この間、天皇は「仏教」(奈良時代の国分寺制)を護国の教えとし、維持してきました。一方、土俗宗教?習俗としての「神道」との折り合いをつけるために神仏習合を図り、仏教を主とする「本地垂迹説」、神道を主とする「神本仏迹説」が唱えられました。 「神道」は、仏教系神道(両部神道;真言宗系、山王神道;天台宗系)そして神社系の伊勢神道(鎌倉時代)あるいは室町時代の「吉田神道」(神本仏迹系;仏教・道教・儒教の融合)、江戸時代前期には、儒学主として朱子学を基に「吉川神道(吉川惟足)」あるいは「垂加神道(山崎闇斎)」が現われ、本居宣長による記紀神話を「史実」として、これに基づいた「復古神道」が提唱され、更に、これから発展し、カトリック神学(一神教)を加味した「平田神道」(平田篤胤)が幕末の「尊皇攘夷」の精神的支柱であったことは事実でしょう。 明治維新がなって「復古神道」に基づき、廃仏毀釈、祭政一致(天皇の神格化;天皇家からは過っての「仏教色は一掃されました」)が進められ、政教分離の欧米思想に配慮し、非宗教性を謳った「国家神道(天皇を神とも、親とも敬う)」により、国民(臣民)が「天皇の赤子」となったのです。一方、宗教としての「神道」は「教派神道」として新興宗教(黒住教、天理教、金光教など)が派生し、現在に至っています。 (その1の(2)に続く) |
(承前:その1の(2)) 明治維新の後「平田神道」「復古神道」思想に基づき、「万世一系」の天皇を頂点とする「国体」「皇国史観」が構築され、天皇を「現人神(あらひとがみ)」あるいは「現御神(あきつみかみ)」とする支配体制が出来て行ったといわれます。 以上はネットの「神道」解説をベースに私の知見を加え、国家神道までの道のりを私なりに概括したものです。 告天子さんは「帝国憲法では、神道を国教であるとかしてはいないわけですよ。国家神道、を「神道の絶対化」みたいにイメージ」と仰っています。 確かに欧米の「政教分離の原則」に配慮し「国家神道」を「宗教」とはしていませんが、「天皇の神格化・絶対化」が行なわれたことは事実だと思います。 奉安殿をご存知でしょうか。昭和初年ごろから各学校に付設され、昭和天皇、皇后のご真影(写真)と教育勅語を収める社(やしろ)のことです。奉安殿が火事で神聖なご真影が焼けないように堅固な建築物であったと言われます。奉安殿、ご真影・教育勅語に粗相があったとして自殺・自決した学校長の例も本に書いてあったと記憶しております。 このように昭和以降敗戦まで「天皇の神格化・絶対化」を当時の学童、生徒は叩き込まれたのです。これは事実と思います。 これが国家神道の実体です。「天皇教」とも言うべき「宗教性」を持っていたことは明らかだと私は思います。また、敗戦後、天皇が「人間宣言」を出された事実から見ても実質天皇を神とする「国家宗教」だったことは明らかです。 「人間宣言」については以下を参照ください。 *** 「1946(昭和23)年1月1日、天皇裕仁(ひろひとー当時46歳)が「新日本建設に関する詔書」によって、自らの神格性を否定した 宣言が、この「天皇の人間宣言」(1月1日付新聞各紙は一面でこれを報じた)である。 『‥‥私は国民と共にあり、その関係は、お互いの信頼と敬意とで結ばれているもので、単なる神話や伝説に基づくものではない。私を神と考え、また、日本国民をもって他の民族に優越している民族と考え、世界を支配する運命を有するといった架空の観念に基づくものではない‥‥。』 大日本帝国憲法第3条では「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定されていたが、この宣言は天皇が「現御神(あきつみがみ)」(現人神=あらひとがみ⇒人の姿をして、この世に現れた神。天皇をいう)ではないと断言し、日本民族の優越を説く発想を戒めたが、その真の目的は、当時ほうふつとして上がりつつあった海外からの天皇の戦争責任追求をかわすところにあった。 (http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/ninngennsenngenn.htm)」 *** なお、「GHQ史観」とはどのような「史観」でしょうか。また、上の弊記述が誤りであれば、具体的にご指摘願います。 また、勿論良くご存知のことと思いますが、あえて付言すれば、神道、神社は「怨霊」の祟(たた)りを慰撫する為のもので「怨霊を鎮撫した」ものでもありました。政敵を倒した後にその祟りを怖れ、神社、仏閣を建立した例は、菅原道真(天神さん)はじめ多くあると思います。 靖国神社も多くの「英霊」の怨みを慰撫するためのものとしたら分かり易いと思います。また、神社は偉人、英傑の霊を祀るものでもあり、明治天皇の御霊を祀ったのが「明治神宮」、東郷平八郎提督の霊を祀ったのが「東郷神社」、乃木希典将軍の霊を祀った「乃木神社」・・・です。現代は、何れもその威徳を讃える一方「神社事業」にも忙しいようです。 ここはこれまでにします。以下(その2)以降に続きます。 |