Page 2255 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼国旗、国歌 相良唯夫 05/1/12(水) 0:01 ┣Re(1):国旗、国歌 めだま君 05/1/12(水) 1:54 ┣Re(1):国旗、国歌 MNG 05/1/12(水) 14:25 ┃ ┗Re(2):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/12(水) 18:16 ┃ ┣Re(3):国旗、国歌 あくまの査問官 05/1/12(水) 23:30 ┃ ┃ ┣Re(4):国旗、国歌 東光 05/1/12(水) 23:59 ┃ ┃ ┃ ┗警告>東光さん 管理スタッフ 05/1/13(木) 16:02 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):警告>東光さん あくまの査問官 05/1/14(金) 22:29 ┃ ┃ ┗Re(4):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/13(木) 1:33 ┃ ┃ ┗Re(5):国旗、国歌 イワオ 05/1/13(木) 2:12 ┃ ┃ ┣Re(6):国旗、国歌 JIMBOUF 05/1/13(木) 4:58 ┃ ┃ ┃ ┣Re(7):国旗、国歌 告天子 05/1/13(木) 13:19 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(8):国旗、国歌 告天子 05/1/13(木) 13:37 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(8):国旗、国歌 その1 JIMBOUF 05/1/14(金) 9:52 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):国旗、国歌 その1 告天子 05/1/14(金) 15:30 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):国旗、国歌 その2 JIMBOUF 05/1/14(金) 14:03 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):国旗、国歌 その2 告天子 05/1/14(金) 16:32 ┃ ┃ ┃ ┗業務命令と強制 J.J.Mack 05/1/13(木) 23:48 ┃ ┃ ┣Re(6):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/13(木) 12:49 ┃ ┃ ┣Re(6):国旗、国歌 しげちよ 05/1/13(木) 13:09 ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):国旗、国歌 イワオ 05/1/15(土) 1:51 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):国旗、国歌 しげちよ 05/1/16(日) 17:32 ┃ ┃ ┗Re(6):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/13(木) 19:34 ┃ ┃ ┣Re(7):国旗、国歌 めだま君 05/1/13(木) 21:35 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/13(木) 22:53 ┃ ┃ ┗Re(7):国旗、国歌 イワオ 05/1/15(土) 2:18 ┃ ┃ ┗Re(8):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/15(土) 10:10 ┃ ┃ ┗Re(9):国旗、国歌 遍巳亭 05/1/16(日) 13:05 ┃ ┃ ┗Re(10):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/16(日) 13:51 ┃ ┃ ┗Re(11):国旗、国歌 遍巳亭 05/1/16(日) 16:59 ┃ ┃ ┗Re(12):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/16(日) 19:06 ┃ ┗Re(3):国旗、国歌 MNG 05/1/14(金) 0:09 ┃ ┣Re(4):国旗、国歌 めだま君 05/1/14(金) 1:03 ┃ ┃ ┗Re(5):国旗、国歌 MNG 05/1/16(日) 18:05 ┃ ┗Re(4):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/14(金) 8:31 ┣Ray様へ 国旗・国歌 しげちよ 05/1/13(木) 13:32 ┃ ┗[管理者削除] ┃ ┗移動しました 管理スタッフ 05/1/13(木) 16:29 ┣国旗・国歌と主権在民ということ Ray 05/1/13(木) 16:23 ┃ ┣Re(1):国旗・国歌と主権在民ということ しげちよ 05/1/13(木) 16:42 ┃ ┣Re(1):国旗・国歌と主権在民ということ 告天子 05/1/13(木) 18:17 ┃ ┣Re(1):国旗・国歌と主権在民ということ 告天子 05/1/13(木) 19:07 ┃ ┃ ┗Re(2):国旗・国歌と主権在民ということ/告天子さんに とうろう 05/1/14(金) 22:46 ┃ ┗職務命令と主観 J.J.Mack 05/1/14(金) 1:39 ┣Re(1):国旗、国歌 楓 05/1/13(木) 19:06 ┗Re(1):国旗、国歌 トビパパ 05/1/16(日) 14:11 ┣Re(2):国旗、国歌 遍巳亭 05/1/16(日) 15:02 ┃ ┗Re(3):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/16(日) 16:10 ┣Re(2):国旗、国歌 相良唯夫 05/1/16(日) 16:34 ┃ ┗Re(3):国旗、国歌 真人間 05/1/16(日) 18:44 ┃ ┗Re(4):国旗、国歌 めだま君 05/1/16(日) 18:51 ┗Re(2):国旗、国歌 JIMBOUF 05/1/16(日) 16:48 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 国旗、国歌 ■名前 : 相良唯夫 ■日付 : 05/1/12(水) 0:01 -------------------------------------------------------------------------
日の丸は日本の旗で、君が代が日本の歌。 それだけで何故いけないのでしょう? 県には県の旗が、市には市の旗があるように国に国の旗があることが何故問題になるのでしょう?祝祭日には日本中の家庭に国旗が立てられたら、なんと素晴らしいことでしょう。子供時代、そんな光景を美しく思いました。 オリンピック等においても、日本選手に日の丸の小旗で応援するのは当たり前ではないでしょうか? |
▼相良唯夫さん: >日の丸は日本の旗で、君が代が日本の歌。 >それだけで何故いけないのでしょう? >県には県の旗が、市には市の旗があるように国に国の旗があることが何故問題になるのでしょう?祝祭日には日本中の家庭に国旗が立てられたら、なんと素晴らしいことでしょう。子供時代、そんな光景を美しく思いました。 >オリンピック等においても、日本選手に日の丸の小旗で応援するのは当たり前ではないでしょうか? 数年前、ベトナム南部をバスで旅行していたら、南部の貧しい農家はこぞってベトナム国旗を毎日玄関先に掲揚していました。ベトナム人の可愛いバスガイドは、補助金目当ての見えすぎた××根性だと軽蔑してました。問題は単純ではないようですよ。我が家の家旗・家歌は、どんなのがいいかなー!? |
▼相良唯夫さん: >日の丸は日本の旗で、君が代が日本の歌。 >それだけで何故いけないのでしょう? >県には県の旗が、市には市の旗があるように国に国の旗があることが何故問題になるのでしょう?祝祭日には日本中の家庭に国旗が立てられたら、なんと素晴らしいことでしょう。子供時代、そんな光景を美しく思いました。 >オリンピック等においても、日本選手に日の丸の小旗で応援するのは当たり前ではないでしょうか? こんにちは。 過去に日の丸・君が代が果たした役割のことはお忘れのようですので、将来のことを考えてみましょう。 個人が日の丸・君が代を愛好するのは自由ですが、やはり問題は強制です。 これらを強制しようとする自民党や石原都知事などの狙いは、日本を再び戦争できる国にすることにあります。 自民党には戦争責任者や特高警察の血脈と思想が連綿と流れており、常に憲法改正(彼らにとって)のチャンスを狙ってきました。 そして戦後60年となる今年、公明党を引き込んで、いよいよそのチャンスが巡ってきました。 有事法制はすでに成立しており、憲法が改正されれば、戦争準備は完了です。 今、彼らを止めなければ、私たちの子供や孫・ひ孫が、戦場で命を散らす日がやって来ないとは言えません。 日の丸バンザイ、君が代バンザイと言いながら、若者を戦場に送るのはまっぴらゴメンです。 相良さんは以前、平和を望むとおっしゃっていたと記憶しますが、そうであるならば、自民党政権・小泉政権にノーを突き付けて下さい。 今そうしなければ、私たちは自らの手で、愛する子孫を殺すことになりかねないのです。 |
▼MNGさん: >過去に日の丸・君が代が果たした役割のことはお忘れのようですので、将来のことを考えてみましょう。 MNGさん、レスありがとうございます。 このように国旗、国歌のことだけでも見方によってはさまざまな解釈があります。 何が正しくて何が間違いかを性急に答えを出すのではなく、このように話が出来ることがこの掲示板においては大切なことであり、感謝申しあげます。 右からしか勉強してない人は、左からは見えないのです。逆に左からしか勉強してない人は右が見えない。双方がじっくり(仲良く)話し合いが出来れば、どちらからともなく、相手の見方が自分の見方になってくることもあるのです。 ご存知のように私は、MNGさんと見方が異なります。日の丸・君が代に罪があったとは考えません。もしあったとすればそれを利用した者にあったのです。たとえ日の丸・君が代に変わる物があったとしても、人の心が変わらない限り、同じことになるでしょう。私は物心がついた時から日の丸が国旗で君が代は国歌でありました。国旗、国歌に対し、恨み辛みのある人はいるでしょう。旗や歌に嫌な思いをしたとしても、それは所詮、旗と歌です。人の間違った心までを日の丸・君が代の所為にして、なすりつけないで頂きたい。 |
〉日の丸・君が代に罪があったとは考えません。もしあったとすればそれを利用した者にあったのです。 (記事40178 相良唯夫さん) 問題は「それを利用した者」という人々・思想の是非がちゃんと為されているかどうかだと思います。 為されていないままに、日の丸・君が代が推進されれば(日の丸・君が代以外でも同じですが)、過去の歴史の繰り返しになるでしょう。 シンボル自体には力はなくても、シンボルを掲げる人にはその行為によって精神的な力が付与されます。 それを私は憂慮します。 |
▼あくまの査問官さん: >問題は「それを利用した者」という人々・思想の是非がちゃんと為されているかどうかだと思います。 是非を為す、というのは何のことだか分かりませんが、戦中の日本人の「思想」のことを言っているのかな?保田さんとかですか? あなた一冊でも保田を読んだことある? |
▼東光さん(40217): Ray@スタッフです。 この書き込みは、掲示板のルールのうち * 元投稿者の人格を否定する内容、誹謗中傷、脅迫的な文章 * 読み手を不快にすることで掲示板の混乱を招くことを意図する文章、もしくはその恐れのある文章(いわゆる「荒らし」行為) * いいかげんな姿勢、面白半分で書かれたもの、下品、低俗、口汚い文章(おまえ、てめえ呼ばわりなども含む) に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志のないものとして 削除および書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
〉あなた一冊でも保田を読んだことある? (記事40217 東光さん) 申し訳ないですが、私はその方の本を読んだ事はありません。 ですから、私の言っている概念は、東光さんの思われている概念とは違うと思いますよ。 |
▼あくまの査問官さん: >問題は「それを利用した者」という人々・思想の是非がちゃんと為されているかどうかだと思います。 >為されていないままに、日の丸・君が代が推進されれば(日の丸・君が代以外でも同じですが)、過去の歴史の繰り返しになるでしょう。 日章旗・君が代は過去の悲しい戦争以前から日本の国旗・国歌としてあり、それを日本の軍隊に利用されたから、国旗・国歌とすることが過去の歴史(戦争だと思いますが)の繰り返しになるとお考えにはならない方が良いと思います。 戦争は人の心が行ったのです。人の心に、争いというものがなかったら絶対に戦争は起きません。小さくは夫婦の争い、親子の争い、職場での争い、この板でも争いは見られます。この争いはどこからくるのでしょう?自分が正しくて相手が間違っていると思う心からではないでしょうか? これからの日本を良くしよう。平和という同じ志しを持ちながらも主義主張や目指すものが異なる場合はいくらでもあります。さらに平和をテーマにしながらも激しい争いが起きることはここだけでなく、国会においてもみられます。 それが国と国になれば戦争の火種になるのです。 何故戦争が起きるのでしょう?話し合いが出来ないからです。話し合いが可能であれば絶対に戦争は起きません。だからこうしてこの場にご縁があったお互いは、意見の違いがあるにせよ、話し合わなければなりません。先ず、足元から、自分にある争いの心を敵と思い、自制したいと思います。 昨年のオリンピックでは一番高いところに日章旗が16本(15)上がりました。 そのとき国旗がなかったら何を上げるのですか?日本の国旗に対し敬意を払うことができるから、他国の国旗にも敬意を払えるのではありませんか? アメリカが広島と長崎に原爆を落としたからけしからんと言って、横をむくのですか?今、大相撲が始まっていますが、モンゴル出身の横綱朝青竜も日本の国歌に敬意を払う姿勢を示していました。 私はどこかの書き込みで、批判を承知で敢えて教育勅語は素晴らしいと書き込んだことがあります。戦前のものが全て悪いと切り捨てるのは間違いであると言いたかったのです。あの中でもここはと思われるところがあれば、それは話し合えばいいのでしょう。(長くなって申し訳ございませんでした) |
相良唯夫今晩は ▼あくまの査問官さん: >>問題は「それを利用した者」という人々・思想の是非がちゃんと >>為されているかどうかだと思います。 >>為されていないままに、日の丸・君が代が推進されれば(日の >>丸・君が代以外でも同じですが)、過去の歴史の繰り返しになる >>でしょう。 >日章旗・君が代は過去の悲しい戦争以前から日本の国旗・国歌と >してあり、それを日本の軍隊に利用されたから、国旗・国歌とす >ることが過去の歴史(戦争だと思いますが)の繰り返しになると >お考えにはならない方が良いと思います。 お考えになった方が良いと思います たかが、国旗、国歌と言われますが、2次大戦前又はその最中に 「たかが国旗、国歌」と公言して無事にはすみませんでした。 たかがではなかったんです。 >戦争は人の心が行ったのです。人の心に、争いというものがなか >ったら絶対に戦争は起きません。小さくは夫婦の争い、親子の争 >い、職場での争い、この板でも争いは見られます。この争いはど >こからくるのでしょう?自分が正しくて相手が間違っていると思 >う心からではないでしょうか? このような精神論はやめにしましょう。20世紀に入ってからの世 界の国家、政府、社会は「人の心論」で説明できるほど単純ではあ りません。 戦争は基本的に経済政策の失敗から発生します。 >何故戦争が起きるのでしょう?話し合いが出来ないからです。話 >し合いが可能であれば絶対に戦争は起きません。だからこうして >この場にご縁があったお互いは、意見の違いがあるにせよ、話し >合わなければなりません。先ず、足元から、自分にある争いの心 >を敵と思い、自制したいと思います。 話し合いで解決しない問題たくさんあります。話し合いが通じない 相手もいます。お互い作り笑いで話し合えば解決すると思うのは単 純すぎます。争いの心忘れてはいけません。争いの心は反面で生き る力でもあります。 ガンジーの非暴力も、争う手段として暴力を使わないと言ってるの であって「争うな」とは言っていません。レジスタンスは彼の真骨 頂です。「不服従」は、不条理に反対すること、ファインティング ポーズまで止めろと言うのですか? >昨年のオリンピックでは一番高いところに日章旗が16本(1 >5)上がりました。 >そのとき国旗がなかったら何を上げるのですか?日本の国旗に対 >し敬意を払うことができるから、他国の国旗にも敬意を払えるの >ではありませんか? 国家、国籍、(それらに付随する国旗、国歌)は永遠に変わらない ものではありません。代えることはできます。自分にとって条件が よい国なら代えたってかまわないでしょう。実際、数カ国のパス ポートもっている人たくさんいますよ、前の旦那がイギリス人でそ の前がイタリア人、いまがカナダ人、でパスポート3種類もってい る友人います。 国、国籍は不変ではありません。そうめくじらたてて考えることも ありません。 |
私が君が代に反対の理由は 何回か申し述べたのですが 1.君というのはテンノーのことであることは昔から自明の理です この歌を歌うとき/聞いたときはその場で直立不動の姿勢をとらされて あえて反抗するものは 傍の教職者、警官、狂信市民、やがては特高あたりに引っ張られてひどい目にあうという図式だったのです 2.今はご承知のように復古はこっそり進んでいますが 少なくとももうテンノ-の世ではありません 3.国会で法成立に際し政府は実行の強制はしないと言いました 4.また君とは国民諸君あなた方であるとも言いました 5.そして法成立となるや 東京をはじめとする各地で一番効果のある公立校教職員を狙い打ちに 従はざるものを一網打尽命令違反として処罰することにしました 上記各項に明らかな如く国は国民に嘘をつき 国民を裏切り強制を強行しています |
こんにちは、はじめまして。別スレッドでも国歌について書いていたところですが、反対理由が興味深いので、書きます。 ▼JIMBOUFさん: >1.君というのはテンノーのことであることは昔から自明の理です 自明でありながら、祝い歌としても謡われた伝統もあり、これは日本の和歌の連想・推移の理を無視した論です。 > この歌を歌うとき/聞いたときはその場で直立不動の姿勢をとらされて あえて反抗するものは 傍の教職者、警官、狂信市民、やがては特高あたりに引っ張られてひどい目にあうという図式だったのです それは図式としては確固として成立していますが、事実を正確に反映した図式とは言えません。 >2.今はご承知のように復古はこっそり進んでいますが 少なくとももうテンノ-の世ではありません 平成の御代は天皇の御代です。君が代、の「よ」は、命とか寿命という意味を持っていますので、「天皇が支配する日本」というようなイメージで読むのは政治的に取りすぎる方の落ち度ではあっても、歌の責任ではありません。 >3.国会で法成立に際し政府は実行の強制はしないと言いました 強制など、とんでもない話です。自由な精神と尊皇は矛盾しませんので、かたくなな「反日」意識の方こそ、まさに「強要」で大問題です。 >4.また君とは国民諸君あなた方であるとも言いました 民謡ではそのように謡われてきたわけで、君が代にそのようなニュアンスを読み取るのもあながち不可ではありません。 >5.そして法成立となるや 東京をはじめとする各地で一番効果のある公立校教職員を狙い打ちに 従はざるものを一網打尽命令違反として処罰することにしました これを「強権による弾圧」というご理解かと思いますが、そうしたことに国民的な反対が起こったという話は聞いたことがありません。当局側の権力行動が好ましいとは思いませんが、もともと公教育の場で思想行動を取る側に問題があったからそうなったのでしょう。 >上記各項に明らかな如く国は国民に嘘をつき 国民を裏切り強制を強行しています 左様な事実は認められませんでした。これはJIMBOUFさんさんの理解の型であっても、事実の表現ではないと思います。 |
▼告天子さん: >▼JIMBOUFさん: > >>1.君というのはテンノーのことであることは昔から自明の理です > >自明でありながら、祝い歌としても謡われた伝統もあり、これは日本の和歌の連想・推移の理を無視した論です。 実際の話、「自明の理」とも言い難く、古今では君が代と我が代を対比して、長くあれと祈念する歌もありますし、天皇を明らかに示す場合には「大君」になるでしょう。「君」は一般名詞的な性質もあり、日本の国歌であるならば天皇を指すことは勿論自明ではありますが、含みと幅を持つものであります。 >>2.今はご承知のように復古はこっそり進んでいますが 少なくとももうテンノ-の世ではありません >平成の御代は天皇の御代です。君が代、の「よ」は、命とか寿命という意味を持っていますので、「天皇が支配する日本」というようなイメージで読むのは政治的に取りすぎる方の落ち度ではあっても、歌の責任ではありません。 天皇を絶対的な支配者のように誤解してはいないでしょうか。それは天皇の責任ではなく、誤解する側の責任です。「テンノーの世ではない」ということの根拠は何ですか。日本国憲法であるなら、多くの欠陥を持つこの憲法にひたすら盲従するのであればともかく、あるべき日本国の姿、天皇の御代を実現すべく君民一致で努力するのが、天皇をいただく日本国民の義務でしょう。 反政府、政府の政治が悪い、という批判ならば大いに結構ですが、そういうのが「反天皇」「反皇室」みたいにずらされるから、いつまでたってもダメなのです。 >>4.また君とは国民諸君あなた方であるとも言いました > >民謡ではそのように謡われてきたわけで、君が代にそのようなニュアンスを読み取るのもあながち不可ではありません。 君が代は、天皇の独裁的支配を称える歌である、とかとんでもない理解が横行しているのから比べれば、よほど美しい見解です。愛する者の命ながかれと願う気持ちは、どの国にも誇れる情愛的精神でしょう。 >>5.そして法成立となるや 東京をはじめとする各地で一番効果のある公立校教職員を狙い打ちに 従はざるものを一網打尽命令違反として処罰することにしました 君が代は恐ろしいもの、戦争のシンボル、などと子供に吹き込むようなことは、非常に嘆かわしいことだと思います。 >>上記各項に明らかな如く国は国民に嘘をつき 国民を裏切り強制を強行しています 国民を裏切り、強制を強行しているのは、本当のところ誰だ、ということです。現状の最高法規である日本国憲法の欠陥的性格が、そういう反国民的な方向につながることが問題なわけです。 |
色々topicsが一緒になりましたが順不同でいきます 国家神道については江戸瓦解から敗戦までの短命鬼子として神道で縁切りをしています 生身の人間を一神教の神に仕立てようとの大それたことが大間違い 神は全能絶対の正義真善美の現れです 地球45億年の最初から実在したとは思いませんが(これとても近来のbig bang学説による宇宙創生の力のsourceはどこにあったのでしょう)homo sapiensになってから絶対に到達することの出来ない精神とこころのあるべき極致としていずこかの実在として認識しているのではないですか 800万も神がいれば悪いことする奴もいるさと言いますが そのtopに騙しと偽の神として鎮座していたのだから罪なしと言えますか 戦争中の至尊だ聖上だ神・上御一人だとワメカレその上に乗って好戦主義者として世界を相手に戦ったのです 蟷螂の斧の如く そして命令のままに従った東条英機氏をはじめとする股肱の臣が悪者になって自分だけなんの責任もとらず 子孫にいたるまで特別の敬語を使われる 論理的思考の告天子さんそれでも "ヘイセイのミヨはテンノーのミヨ"と言えるのでしょうか 前テンノーの言動に就いては MIT Prof、Herberd Bix氏のHirohito and Making of Modern Japanと言う名著があります 講談社から翻訳も出ています(その1)) |
お返事ありがとうございます。 ▼JIMBOUFさん: >国家神道については江戸瓦解から敗戦までの短命鬼子として神道で縁切りをしています 国家神道については、これを否定したのはGHQの神道指令であって、神道の側ではないでしょう。いわゆる「国家神道」がかならずしも宗教としての神道・神社に対して「よいことばかり」であったわけでもないので、国家神道についてはそうした複雑な事情を考えて見るべきだと思います。 >生身の人間を一神教の神に仕立てようとの大それたことが大間違い 神は全能絶対の正義真善美の現れです 地球45億年の最初から実在したとは思いませんが(これとても近来のbig bang学説による宇宙創生の力のsourceはどこにあったのでしょう)homo sapiensになってから絶対に到達することの出来ない精神とこころのあるべき極致としていずこかの実在として認識しているのではないですか 一神教の神に仕立てる、と国民が受け止めてしまうような時代への反省と、「天皇そのものの糾弾」とは区別すべき、というのが私の考えです。JIMBOUFさんの言われる「神」は、どの宗教にも属さないような、名もなき宇宙の神、とでも言うべきものでしょうが、それは傾聴しますが、また私は日本の宗教的伝統の精華である明治維新の精神も尊重するわけです。 それは軍国・独裁的政治への批判とはまた別です。 > 800万も神がいれば悪いことする奴もいるさと言いますが そのtopに騙しと偽の神として鎮座していたのだから罪なしと言えますか 罪、ということを道義として考えるなら、いかなる罪もないというような話は強弁でしょう。しかし、罪がある、だから責任を取れ、というような単純な話もおかしいし、それを誰が問える立場であるのか、と思います。責任、というなら戦勝国の指導者の、誰が責任を取りましたか。彼らに罪はなかったですか。罪を見るなら、より深く大きな罪を見ずに、日本の政治指導者や体制、天皇にのみ罪ありとするのは公平を欠きます。また、道義として罪を責めるというのであれば、いかにして罪を購えばよいのですか。 >戦争中の至尊だ聖上だ神・上御一人だとワメカレその上に乗って好戦主義者として世界を相手に戦ったのです 蟷螂の斧の如く そして命令のままに従った東条英機氏をはじめとする股肱の臣が悪者になって自分だけなんの責任もとらず 子孫にいたるまで特別の敬語を使われる 私は天皇は不幸にあった人とも心を同じくしてくれると信じるから、敬うのです。真に日本人のために祈ってくれる人は天皇陛下しかいないと考えるからです。戦勝国の立場に乗っかって、政治指導者を責め立てることは潔いことではないし、そんなことをしても喜ぶのは敵国だけです。戦前の日本の全てが素晴らしかったかのように「復古」の目で見るのには反発を感じますが、天皇が絶対の神として日本を支配し、国民を戦争に巻き込んだ、というような史観には賛成しかねます。 > 論理的思考の告天子さんそれでも >"ヘイセイのミヨはテンノーのミヨ"と言えるのでしょうか 今回は多少感情の入ったコメントになりましたが、やはり平成の御代は天皇の御代であると思います。勿論それは、私たち同時代人の代でもあるわけですが。 |
靖国神社と日本人の死生観にはいるべきでしょうが連続なのでここに投稿します 私は神話や生身の人間の神は信じませんから 伊勢とか明治の神社には参拝しません グループで引っ張っていかれることがあっても 拝むことはしません しかし靖国神社には機会があったり近くを通る時は必ず寄って頭を下げます 神社としての構成物は単なるドンガラと割り切って霊でもsoulでもない、日本の場合はあの超国家主義や皇国主義の国家ではない 国という地縁で集まった共同体に命を捧げた その無くなってしまったobjectと言うべきものに敬意を表しているのです 実体はそれぞれの場所でatomやmoleculeに分解しているんでしょうが 誰かがobjectをまとめてくれたと思って行っています 外国でも無名戦士のmemorialには必ず通れば寄ります アーリントン、ハワイのパンチボール、昔の東独BerlinのHitlerのbunkerの少し先の記念の火、クレムリンのドアくぐって直ぐにある記念火、Singaporeの華人殉難の碑幾つ位行ったかな 僕はなださんの如くその一寸先で敗戦を迎えました 軍人だけが特に陸軍だけが非難されるのはおかしいと思っています 軍人は特に命令に絶対服従を求められました 政治には不介入も強く求められました 具体的にほかに大物で戦争を煽ったのは沢山います 立花隆さんが書いていましたが 法律の穂積group、右翼平沼、国家社会主義近衛、満ゴロ岸・甘粕、秀才軍人石原、国史教室に幡居していた平泉澄・蓑田胸喜 なんだか東大と東幼ばかりですね 1年に百万人づつぐらい無くなって60年その間1人も戦死というものが無かったのだから今死生観と言うのも難しい話ですが戦争中その極致にさらされた 特攻隊の戦士の死生観に就いては海兵出身の深掘道義さんの特攻の真実/総括と言う二部作に精緻に解析されています まず特攻は形は志願だが事実上の強制ですからそれをさしめたものは テンノー・村社会・戦場の三つ ここでもテンノーが一番先に特攻をしてあの悲劇的な行動をせしめたことが明快に映し出されています さらに最大公約数的な六つのfactorがあって そして最後の遺書にはテンノーとか国家のためと書くのは少数で地縁の故国である国という表現を充分弁別して書いてあると言うのです |
▼JIMBOUFさん: >1年に百万人づつぐらい無くなって60年その間1人も戦死というものが無かったのだから今死生観と言うのも難しい話ですが戦争中その極致にさらされた 特攻隊の戦士の死生観に就いては海兵出身の深掘道義さんの特攻の真実/総括と言う二部作に精緻に解析されています まず特攻は形は志願だが事実上の強制ですからそれをさしめたものは テンノー・村社会・戦場の三つ ここでもテンノーが一番先に特攻をしてあの悲劇的な行動をせしめたことが明快に映し出されています さらに最大公約数的な六つのfactorがあって そして最後の遺書にはテンノーとか国家のためと書くのは少数で地縁の故国である国という表現を充分弁別して書いてあると言うのです 天皇に対する国民感情と、肉親や故郷に対する感情が違うのは当たり前です。それが違っているからと言って、天皇に対する国民の忠誠心はあたかも狂信を強制されたものであるかの如く、また、天皇が人を死に追いやったものであるかの如く説明するのは、むしろ死者の為した犠牲を空しくするものでしょう。 特攻作戦を非難し、返す刀で天皇や戦前の日本を非難するのはたやすいことですが、最後まで抵抗力を示したから日本国は分割されることもなく、現在も存続し得たのでしょう。特攻隊の精神力を見たから、米国にしても日本本土決戦に進まずに終戦を迎えたわけで、(もたもたしているとソ連が侵攻するのは明らか、本土決戦に突入すれば、時間がどれほど掛かるか分からなくなる)、聖断にしても天皇陛下のすることでなければ、誰がああいう話を聞くか。日本に天皇がいなければ、今の日本もあり得ない。また、戦争被害生々しい時代にも、天皇をいただく形で日本国憲法が成立した。これは日本人と天皇のつながりの強さを示すものであり、JIMBOUFさんの説くような「天皇こそ悪」と言った史観に基づいて日本人が行動していたら、戦争もなかったかもしれないが、日本もなかったかもしれない。 |
日の丸・君が代が国旗・国歌として相応しくないと言う論は成り立つ。 また、国旗・国歌など不要だとする論も、成り立つ とは思います。 少なくとも一理はある。(小生とて、君が代は 消極的賛成の域を出ない。) 当然ながら、そう主張する権利もある。 個人として拒否する権利もある。(妨害する権利はないが) しかし、以下の論は成り立たないと思います。 ▼JIMBOUFさん: >3.国会で法成立に際し政府は実行の強制はしないと言いました >5.そして法成立となるや 東京をはじめとする各地で一番効果のある公立校教職員を狙い打ちに 従はざるものを一網打尽命令違反として処罰することにしました >上記各項に明らかな如く国は国民に嘘をつき 国民を裏切り強制を強行しています 学校行事における国旗掲揚・国歌斉唱は 教育の一環であり、 教師にとっては勤務時間です。 勤務時間中、業務命令に服さない者を処罰することは、むしろ当然ではありませんか。 (自宅に日の丸を掲げない、が処罰の理由ではないのです。) (ミッションスクールの教師が、式典で賛美歌を歌うのを拒否したら処罰の対象でしょう?) 業務命令も教育も、強制力を伴いは します。 しかし、これらは”強制”とは、あきらかに意味が違います。 これらを混同した論は、牽強付会としか言いようがない。 学校行事における国旗掲揚・国歌斉唱は、業務命令として妥当、適法です。 不服従の教師には相応の処罰、生徒には教育、があって然るべきです。 日の丸・君が代が 国旗・国歌として 相応しいか否か とは、全く別の問題ではないでしょうか。 |
▼イワオさん: >たかが、国旗、国歌と言われますが、2次大戦前又はその最中に >「たかが国旗、国歌」と公言して無事にはすみませんでした。 >たかがではなかったんです。 たかが、国旗、国歌とはどなたが言われたのでしょうか? 私の書き込みにありましたか?私は、国旗・国歌の所為にしてはいけないと申しあげたつもりです。 文章力に欠けていることは承知していますが、日本の国旗・国歌の素晴らしさをお伝え出来なくて残念です。 |
▼イワオさん こんにちは。 >国家、国籍、(それらに付随する国旗、国歌)は永遠に変わらない >ものではありません。代えることはできます。自分にとって条件が >よい国なら代えたってかまわないでしょう。実際、数カ国のパス >ポートもっている人たくさんいますよ、前の旦那がイギリス人でそ >の前がイタリア人、いまがカナダ人、でパスポート3種類もってい >る友人います。 個人の問題ではそのとおりでしょう。 国として考えた場合,やはり国としての旗や歌は必要であるし,日本人というアイデンティティも必要でしょう。 必要でなく,ただ安全に暮らせたらそれでいいのだったら,米国の一州に編入されても,中国の一省に編入されても,かまわないという,気持ちになるはずです。 >国、国籍は不変ではありません。そうめくじらたてて考えることも ありません。 そのとおりです。変わっていかないものはありません。 ただ,変わらなければならないものと,変わってもいいものと,変わってはいけないものもあるでしょう。(といっても変化するのですが) それと国旗,国歌というのはちがうと思いますし,自分の国旗・国歌の認識がなければ,他のものにも尊敬の心は持てないだろうと思います。 |
▼しげちよさん: >>国家、国籍、(それらに付随する国旗、国歌)は永遠に変わらな >>いものではありません。代えることはできます。自分にとって条 >>件がよい国なら代えたってかまわないでしょう。実際、数カ国の >>パスポートもっている人たくさんいますよ、前の旦那がイギリス >>人でその前がイタリア人、いまがカナダ人、でパスポート3種類 >>もっている友人います。 >個人の問題ではそのとおりでしょう。 >国として考えた場合,やはり国としての旗や歌は必要であるし, >日本人というアイデンティティも必要でしょう。 ほとんどの民族は、彼らがいま生活している地域の文化のの中で生 きていますし、文化は何年も何百年も前からの慣習が続いてきてい ます。その慣習の中に、歌があったり音楽があったりします。 小さな地域は複雑に絡み合って、国と言う組織を形作ります。 形は違ってもシンボルとしての国歌、国旗は昔から連綿と続いてい ます。 マクロ的に見たらどの民族でもどの時代でも、シンボルは存在しま すが、存在することと、必要だと言うことは別問題です。 ある瞬間を切り取ったとき、個人個人に絶対必要なものかというと そうでもありません。 日本人というアイデンティティが必要なのではなく、日本で生きる 上で、私自身の、あるいはあなた自身アイデンティティが必要なの であって、すべての人が同じ「日本人としてのアイデンティティ」 という、お面を着ける必要は皆無です。 まず、「日本人としてのアイデンティティ」は作ることは不可能で す。そして誰が作るのですか、誰が作った、「アイデンティティ」 が公式なのですか? 同じ「日本人としてのアイデンティティ」というお面を付けた日本 人、他の国から気味悪がられますよ。一億以上の人が、同じお面付 けていて、他の国の多様性を理解できるのですか? 同じお面付けた気味悪さは、何年か前、北鮮個人旅行したとき、少 年宮で見た、合唱隊を思い出します。 皆同じ笑顔で、首もペコちゃん人形が数十体首振ってるようで。 しげちよさん、そんなのが希望ですか。 >必要でなく,ただ安全に暮らせたらそれでいいのだったら,米国 >の一州に編入されても,中国の一省に編入されても,かまわない >という,気持ちになるはずです。 安全に楽しく暮らせたら、どこの国だってかまいませんよ。日本で 生まれたから、日本の文化がそのひとにぴったりかというとそうで もありません。親子だって、仲の良い親子と、仲の悪い親子います でしょう。相性が悪いのは、努力はしたとしてもよくなることはあ りません。親子は、取り替えができないので努力するとして、友人、 恋人、国の関係だって相性悪ければ取り替えればいいと思います。 以上のことと、日本がアメリカの一州になったり、中国の一省にな ったりすることと何の関係もありません。思考の飛びすぎです。 しかし、私個人の好みで言えばどちらかを選べと言われたらアメリ カの方がベターでしょう。チベットの様になりたくないし。 でも、アメリカのインディアンへの扱いみると、ちょっと考えます けど。 >それと国旗,国歌というのはちがうと思いますし,自分の国旗・ >国歌の認識がなければ,他のものにも尊敬の心は持てないだろう >と思います。 国旗・国歌の認識以前に、自分のアイデンティティ確立してます か! しげちよさん、そっちの方が先でしょう。 |
▼イワオさん: >マクロ的に見たらどの民族でもどの時代でも、シンボルは存在しま >すが、存在することと、必要だと言うことは別問題です。 日本国中、同様の状況で同じ歌を歌っていた、ということは少ないと思います。 国旗、国歌が必要になるのは、外国を意識した時点ということになるでしょう。 >ある瞬間を切り取ったとき、個人個人に絶対必要なものかというと >そうでもありません。 もちろん、必要でないときもあるでしょう。 >日本人というアイデンティティが必要なのではなく、日本で生きる >上で、私自身の、あるいはあなた自身アイデンティティが必要なの >であって、すべての人が同じ「日本人としてのアイデンティティ」 >という、お面を着ける必要は皆無です。 ポイントがよくわからないんですが、お面をつけることではないんです。 国民一人一人、ということではなく、国の歌、旗ということです。 学校にも歌がありますが、卒業すると、その歌は自分に必要かなどということは考えません。しかし、在校中はその歌を歌うこともあるでしょう。 何も帰属意識にまで言及する必要もありません。 >まず、「日本人としてのアイデンティティ」は作ることは不可能で >す。そして誰が作るのですか、誰が作った、「アイデンティティ」 >が公式なのですか? アイデンティティという語を使いましたが、そのような大げさなものではありません。まさか、国際的な場面で国歌を演奏してくれ、といわれ、黒田節やよさこい節を演奏するわけにも行かない。国歌というものを用意している必要がある。 そのときに「わたしの国を表す歌」だと思えることです。 >同じお面付けた気味悪さは、何年か前、北鮮個人旅行したとき、少 >年宮で見た、合唱隊を思い出します。 >皆同じ笑顔で、首もペコちゃん人形が数十体首振ってるようで。 日本人がアイデンティティをもつということが、そんな金太郎飴のように同じような人間ができるとお思いですか? 人間には消しようもない個性というものがあります。そんなものは、消そうと思っても無理です。 北朝鮮では、政治的な思惑で同じ考えをもつように強要されているのであって、自然にもったアイデンティティではないでしょう。皆がみな、本音で生きているわけではないでしょう。 >安全に楽しく暮らせたら、どこの国だってかまいませんよ。日本で >生まれたから、日本の文化がそのひとにぴったりかというとそうで >もありません。親子だって、仲の良い親子と、仲の悪い親子います >でしょう。相性が悪いのは、努力はしたとしてもよくなることはあ >りません。親子は、取り替えができないので努力するとして、友人、 >恋人、国の関係だって相性悪ければ取り替えればいいと思います。 だから、個人個人はそれでいいといっているんです。 日本がいやなら、どこの国でも移住する自由はあるでしょう。 それをしばるとか、制限することと、国歌、国旗を制定することとは全然関係のない話です。 日本人は個人個人、すべて個性と考え方が違うでしょう。しかし、日本人が固まりになると、やはり民族性というものがあります。どこの国も同じでしょう。それを共有したいかしたくないかは自由です。 >以上のことと、日本がアメリカの一州になったり、中国の一省にな >ったりすることと何の関係もありません。思考の飛びすぎです。 わたしが言いたかったのは、日本という国、それを言葉ではなかなか表せないけれども、そういう実体がなくなっていい(生活が変わらなければ)と思っているかどうかというということを書いたまでです。 >しかし、私個人の好みで言えばどちらかを選べと言われたらアメリ >カの方がベターでしょう。チベットの様になりたくないし。 >でも、アメリカのインディアンへの扱いみると、ちょっと考えます >けど。 わたしも若いころは、日本はいっそのこと米国の51州目になったらよいと思ったこともありました。いまはまったく思いませんが。 >国旗・国歌の認識以前に、自分のアイデンティティ確立してます >か! >しげちよさん、そっちの方が先でしょう。 そっちのほうが先、というのはどういう意味でしょう? 質問なのか、断定なのか? また、個人のアイデンティティと国旗・国歌の問題とは関係がありません。 自分は自分ですね。当然、変わる部分もあるし、変わらない部分もある。 あなたはどうなのですか? |
▼イワオさん: >話し合いで解決しない問題たくさんあります。話し合いが通じない >相手もいます。お互い作り笑いで話し合えば解決すると思うのは単 >純すぎます。争いの心忘れてはいけません。争いの心は反面で生き >る力でもあります。 >ガンジーの非暴力も、争う手段として暴力を使わないと言ってるの >であって「争うな」とは言っていません。レジスタンスは彼の真骨 >頂です。「不服従」は、不条理に反対すること、ファインティング >ポーズまで止めろと言うのですか? 議論も論争という言葉通り「争い」であります。お互いが熱くなれば論争になることはこの掲示板においても理解できます。 精神論を解くつもりはありませんが、しかしここで考えたい。 思想の違う者とは話し合いは出来ないと決め付けて良いものかということです。 それが国と国においては戦争になることも在り得るのです。 国旗・国歌に対する見方においてもこれだけ熱がこもるのです。 せめて老人と名乗るこの掲示板においては相手を罵ることなく、人様の書き込みに対しては、行間を読むぐらいの姿勢で丁度いいと思いますが・・・・・? 管理人さんは大変であると思いますが、管理人さんからご覧になって異論であっても寛大な心で仕切っていただきたい。異論を唱える方も、素晴らしい日本を築きたいと願われている人であると察して・・・。 国旗・国歌がないことは不都合ですし、不自然だと思います。 これからの日本の為に、国旗・国歌に誇りが持てるように、よりよい日の丸・君が代にして行こうとはお考えにならないのですか? そう簡単には新しい国旗・国歌は作られないと思いますが・・・? |
▼相良唯夫さん: 大活躍ですね、はじめまして、かな!? 横やり入れさせてくださいね。 >思想の違う者とは話し合いは出来ないと決め付けて良いものかということです。 はい、悪いことです。 >国旗・国歌がないことは不都合ですし、不自然だと思います。 はい、不都合ですし、不自然だと思います。 >これからの日本の為に、国旗・国歌に誇りが持てるように、よりよい日の丸・君が代にして行こうとはお考えにならないのですか? 考えます。そこで、ジョーダンではなく、「国家」は以下のように解釈し、広めたいと密かに考えています。(コピイで失礼) 「きーみーがーあ、よーおーはー」 →《天皇が、国民主権・平和主義を唱う日本国憲法制定により象徴となられ、日本が世界で名誉ある地位を占めようとする時代は、》 「ちーよーにーいい、やーちーよーに」 →《千年も万年も》 「さーざーれー、いーしーの」 →《最初は、憲法の有り難みが分からない、小石のように心が狭小で、理性が足らず、スローラーニングの私たちであっても》 (補注1)「小石のように心が狭小」とは、「日本人のこころ」の厚かましさに無知な未熟な精神態度のことなどを言う。 (補注2)「理性が足らず」とは、政治を「愛」や「無私」などの観念・情緒の問題として捉え、客観的に捉えられない弱点のことなどをいう。 (補注3)「スローラーニングの私たち」とは、百、千年のスパンで考えること。 「いーわーおーと、なーりてー」 →《次第に憲法精神を体現する、巌のような立派な存在として世の中の手本となり》 「こーけーのー、むーうーすーうー、まーああでー」 →《末永く末永く、日本国憲法の番塀としてお仕えいたします。》 これぞ、日本男児、大和撫子。 ぼくは、こころは21歳くらいの成年です。小さいころから今まで、日の丸にも君が代にも、それほど抵抗はありません。デザインも悪くないし、音調も変なところが個性的で面白い。 でも、日本人もいろいろだから、嫌な人は嫌といえばいいし、唱いたくなければ唱わなくていい。ぼくは、ぼくの心に鑑み、気分が乗れば唱うし、嫌なときには唱わない。 どうも、「唱え唱えと大きな声でいう人」には、往々にして狡賢いひとが多く、 「唱うな唱うなと大きな声でいう人」には、対話の精神が足りないような気がします。 憲法なければ、国家はないんだから、みなさん(改憲の人も護憲の人も)憲法を大切にしましょう。 ぼくは、とっても大切にしてますよ。だって、昭和天皇が・・・・ |
▼めだま君さん: 楽しく、愉快に、しかもじっくり意味をかみしめながら読ませていただきました。 ありがとうございました。 |
▼相良唯夫さん: >>話し合いで解決しない問題たくさんあります。話し合いが通じな >>い相手もいます。お互い作り笑いで話し合えば解決すると思うの >>は単純すぎます。争いの心忘れてはいけません。争いの心は反面 >>で生きる力でもあります。 >>ガンジーの非暴力も、争う手段として暴力を使わないと言ってる >>のであって「争うな」とは言っていません。レジスタンスは彼の >>真骨頂です。「不服従」は、不条理に反対すること、ファインテ >>ィングポーズまで止めろと言うのですか? >思想の違う者とは話し合いは出来ないと決め付けて良いものかと >いうことです。それが国と国においては戦争になることも在り得 >るのです。 決めつけはいけません。ケースバイケースで柔軟に判断するのです。 常にこの社会は動いています、自分の気持ちも動くし、社会も動く 当然相手も動く、瞬間をとらえてその時点での結論を明確にするの です。 10分前話し合った方が良いかもしれませんし、いまは話し合い決 裂と判断した方が良いときもあります。 戦争になるような状態の時は、相手が敵か味方か、あるいは敵の敵 であるのか、害になるのかとりあえずほっておいてもよいのか、瞬 時の判断が必要です。 そんなときにも、思想が違っても話し合いが必要だという単純なス ローガンに頼るのですか。 思想が違う中にも、敵もいるし味方もいる、有能な奴もいるし、無 能な奴もいる。 思想が違うものとは話し合いができないとしか考えない人も、思想 が違っても話し合うべきだとしか考えない人も、たぶん、前者は決 断の誤りで、後者は決断の遅れで、生きてはいけないと思います。 >国旗・国歌がないことは不都合ですし、不自然だと思います。 >これからの日本の為に、国旗・国歌に誇りが持てるように、より >よい日の丸・君が代にして行こうとはお考えにならないのです >か? 実際国旗、国歌存在しますでしょ。 国旗・国歌よりまず自分に誇りが持てるようになりましょう。 それらはよりよい自分のシンボルになる場合もあるし、人によって はそうでないこともあります。 人間が先、シンボルはその人間の手段です。 |
▼イワオさん: >争いの心忘れてはいけません。争いの心は反面で生きる力でもあります。 争いの心?半面で生きる力? あなたのご高説までに及ばないことをお許し頂いて、私の感じたままを申しあげます。 日本(世界)の豊かさは、先人の努力の賜物であると思いますが、物質社会、競争社会に対する弊害も出てしまいました。昨年から続いている世界的な災害も、人間の驕りに対する自然界からの警告であるようにも感じられます。 日本には災害を単に災害と捉えないで、それを浄化と捉え、大自然の大いなる営みのなかで人間は生かされていると考え、自然に対し畏敬の心を持ちました。 太陽をお日様、お天道様と言い、その太陽をシンボルとした日の丸を日章旗、国旗としたのです。私はこの国旗を世界一美しい旗であると思い、誇りに感じています。さらに君が代も国歌として素晴らしいと感じています。 大自然の大いなる営み、はたらきをある学者はサムシング・グレートと言っています。それを神と置き換えることも出来るかと思います。 私たちは、自然を征服するという考え方でなく、自然と一体になるように教えられ、この考え方は、人に対しても相和(愛和)と教えられました。 また、現代は普通に「幸せ」という字を使用していますが、仕え合うことが「しあわせ」であるという考え方から「仕合せ」を使用しました。このような言葉の意味においても、私は日本人および日本の文化が大好きです。 スポーツの国際競技においても日本人を応援するのは民族意識からだと思いますが、それが自然の心の表れであると思います。 人はそれぞれ見方、感じ方は違いますが、日本の伝統文化を受け継ぎ、後世に伝えたいと願う一人です。 |
▼相良唯夫さん: はじめまして。 横レス失礼します。 >▼イワオさん: >>争いの心忘れてはいけません。争いの心は反面で生きる力でもあります。 > >争いの心?半面で生きる力? 生きる、つくることが破壊と創造であるとしたら、個人でも社会でも企業でも、国益を追求する国と国とでも、大きく「私益」、「・・・益」のあるところ、争いは在って、争いの心がないところ、生存競争が常態だとすると生きる力も無いということになりませんか?「争いの心は半面で生きる力でもある」というのは正直に事実を事実として見つめたところで、欺瞞を排したところで見られる思想以前のことと。 その前提から、事実を事実として正直にみつめるところから、むしろ悲惨な「争い」を回避する方途に近づくことができるのではないでしょうか。それが、倫理道徳、法、制度として成る。国際協調、国連中心主義の方向などもその類でしょう。 >人はそれぞれ見方、感じ方は違いますが、日本の伝統文化を受け継ぎ、後世に伝えたいと願う一人です。 これまでといま、これからは状況、諸問題が異なるのですから、伝統文化を生きた形で受け継ぐのなら「批判的に受け継ぐ」ということが欠かせないはずです。 この「批判的な」ということ、批判的な継承について相良唯夫さんのご見解をお聞かせいただければ幸いです。 「批判的な」を置きますと、今これからどこをどうすればいいのかの議論に結びついていきます。 日本国憲法の「平和主義」などは「批判的な」の典型の一つと私は考えています。結構、日本の伝統とよく調和しつつ、いまこれからに向けて強く生きる思想だと思われるのですが。 |
▼遍巳亭さん: >>>争いの心忘れてはいけません。争いの心は反面で生きる力でもあります。 >> >>争いの心?半面で生きる力? > >生きる、つくることが破壊と創造であるとしたら、個人でも社会でも企業でも、国益を追求する国と国とでも、大きく「私益」、「・・・益」のあるところ、争いは在って、争いの心がないところ、生存競争が常態だとすると生きる力も無いということになりませんか?「争いの心は半面で生きる力でもある」というのは正直に事実を事実として見つめたところで、欺瞞を排したところで見られる思想以前のことと。 論争という言葉がある通り、論じ合うことは大切な事柄です。 さらに決断という言葉にも断って決めると書いてあるように、新しい物事を決める場合には、片方を絶つことも必要となります。 そのお考えから、松下電器の中村社長(?)が行われた破壊と創造は理解できます。でもそれを争いの心とは申しません。想像の為の破壊です。 そのプロセスで論争はあったでしょうが、それは相手を詰る、打ちのめすことではなく、生まれ変わるための議論であった筈です。 >その前提から、事実を事実として正直にみつめるところから、むしろ悲惨な「争い」を回避する方途に近づくことができるのではないでしょうか。それが、倫理道徳、法、制度として成る。国際協調、国連中心主義の方向などもその類でしょう。 そうですね。そのような姿勢で話し合うとは、相手が100%間違いであるという前提(決め付けて)で話さないということです。同じようにこちらも改めるべきは改めるという姿勢が大切かと思います。 >これまでといま、これからは状況、諸問題が異なるのですから、伝統文化を生きた形で受け継ぐのなら「批判的に受け継ぐ」ということが欠かせないはずです。 「批判的に受け継ぐ」とはどういうことでしょう? 批判の意見も謙虚に受け止めることは大切です。批判されたから争うのではなく、 批判的な意見もしっかり聞き、一旦は受け止め、その上でこちらの意見を述べることが大切であると思います。 松下電器の破壊と創造も、創業者の方針を破壊したことになりますが、争ったのではありません、全てを受け入れ、その上に、壊すべきところをこわし、創造したのです。 |
▼相良唯夫さん: >そのお考えから、松下電器の中村社長(?)が行われた破壊と創造は理解できます。でもそれを争いの心とは申しません。想像の為の破壊です。 >そのプロセスで論争はあったでしょうが、それは相手を詰る、打ちのめすことではなく、生まれ変わるための議論であった筈です。 > 「争い」を「諍い」と言う意味で使われているのではないでしょうか。 自らの考え・方向を通そう、貫こうとするときに、それと異なる考え・方向と衝突します。相撲に似ています。争うのが嫌だから、というのでは投げ飛ばされて、他の考え・方向に席を譲ることになります。 創造するには破壊があります。破壊される方は抵抗をします。創造しようとするものが自らの意図を実現しようとすればそこに平和的であろうが非平和的であろうが「闘争」が起こります。権力闘争。なにかを実現しようとするときには、それは必然的に抵抗を伴うものであるのなら(つまり、なんらかそれまでを破るものであるのなら)、小さなものか大きなものかは別にして闘争が起こります。闘争の意志無くして自律的な闘争は成り立ちません。「争う心」とはその意志をいいます。 生きるとは畢竟闘争なのではないでしょうか。良寛さんの生き方にもすさまじい闘争があったと思います。闘争の形態はいろいろとして。 例えば有機農業に徹底的にこだわる人があったとして、当初はずいぶんな闘争を経験したことと思われます。 争い、闘争を専ら否定的な、暴力的な意味で用いているわけではありません。 以上がイワオさんのお考えについての私の解釈件私の考えです。 >「批判的に受け継ぐ」とはどういうことでしょう? >批判の意見も謙虚に受け止めることは大切です。批判されたから争うのではなく、 >批判的な意見もしっかり聞き、一旦は受け止め、その上でこちらの意見を述べることが大切であると思います。 「批判」即「否定」ということではなく、精査、取捨選択、作り替え、というような意味で考えています。 > >松下電器の破壊と創造も、創業者の方針を破壊したことになりますが、争ったのではありません、全てを受け入れ、その上に、壊すべきところをこわし、創造したのです。 松下電器のことは知らないのですが、「全てを受け入れ、壊すべきところをこわし」ということは、一旦全てを受け入れたとしても、捨てるところは捨て、変えるところは変えた、ということなのでしょう。 捨てられる、変えられるものが、創造には伴う。利益と不利益が生じます。これまでと結びつくことによる利益とこれからに結ぶつくことによる利益。これまでとこれからの関係が矛盾をはらむものであるのなら、一方の利益は他方の不利益となります。 人は利益、不利益を巡って闘争をするものなのではないでしょうか。 |
▼遍巳亭さん: >「争い」を「諍い」と言う意味で使われているのではないでしょうか。 >自らの考え・方向を通そう、貫こうとするときに、それと異なる考え・方向と衝突します。相撲に似ています。争うのが嫌だから、というのでは投げ飛ばされて、他の考え・方向に席を譲ることになります。 無学故「諍い」という字を知らずに書いています。 争いを肯定なさるのですね。国と国との争いを戦争というのではありませんか? 戦争をするからには勝たねばなりません。 勝てない喧嘩なら逃げることです。勝つために体力的に不利であれば凶器を持つことになるでしょう。あるいはジム等へ通って身体を鍛えるでしょう。 スポーツにはルールがありますが、喧嘩にはルールなどありません。とにかく勝つことです。それを国家レベルで考えれば武器を持つことになります。 争いがあると想定すれば、武器を備えざるを得なく、軍備を増強をするのですね。軍事国家に対し話し合いが出来ないのであれば、こちらはそれ以上の軍備を増強するのは当然であるということになるのですね・・・??? さらに >創造するには破壊があります。破壊される方は抵抗をします。創造しようとするものが自らの意図を実現しようとすればそこに平和的であろうが非平和的であろうが「闘争」が起こります。権力闘争。なにかを実現しようとするときには、それは必然的に抵抗を伴うものであるのなら(つまり、なんらかそれまでを破るものであるのなら)、小さなものか大きなものかは別にして闘争が起こります。闘争の意志無くして自律的な闘争は成り立ちません。「争う心」とはその意志をいいます。 >闘争の意志無くして自律的な闘争は成り立ちません。 争いの心がないと克己心というのでしょうか?自立的な闘争が成り立たないのですか??? 内に向けたものも争いですか? 「自身の甘え心に打ち勝つとか」。 この場合、どのような意味で「争い」という言葉を使ったのだろうかと相手の心を思いやることも大切ですね。そうするとあなたと私では開きがありすぎるかな?でも、争いでなく、縮めよう、お互いに理解しようと思えば可能であると思います。争えばますます開きます。限りなく争いは無くすことが出来ると考えますが、いかがでしょう? じゃ、日本は抑止力のために「核」を持つことも辞さないということですか? (乱暴な言い方ですが、そうならないためにも争いの心は捨てたい。) 論争でもそうですが、負けた者は納得するよりも、負けた悔しさの方が大きく残り、ますます溝が深くなってしまうものです。そこで、論争においても相手の人格に勝つのではなく、論点を明らかに示さなければなりません。 >人は利益、不利益を巡って闘争をするものなのではないでしょうか。 そう思いますが、その弊害がこの競争社会の中で表れています。 人は闘争するものであると決め付けない方が良いと思います。 |
▼相良唯夫さん: こんばんは。お返事が遅くなりました。 >MNGさん、レスありがとうございます。 >このように国旗、国歌のことだけでも見方によってはさまざまな解釈があります。 >何が正しくて何が間違いかを性急に答えを出すのではなく、このように話が出来ることがこの掲示板においては大切なことであり、感謝申しあげます。 >右からしか勉強してない人は、左からは見えないのです。逆に左からしか勉強してない人は右が見えない。双方がじっくり(仲良く)話し合いが出来れば、どちらからともなく、相手の見方が自分の見方になってくることもあるのです。 >ご存知のように私は、MNGさんと見方が異なります。日の丸・君が代に罪があったとは考えません。もしあったとすればそれを利用した者にあったのです。たとえ日の丸・君が代に変わる物があったとしても、人の心が変わらない限り、同じことになるでしょう。 まさにおっしゃる通りで、日の丸・君が代を利用した者があり、その悲惨な結果ゆえに色々な意見が戦わされているわけですが、私はそのことは一応措いておいて、今再び、自民党や石原都知事が日の丸・君が代を利用しようとしているということを指摘したつもりです。 私は、日の丸・君が代を強制しようとする人たちが、憲法を変え、日本を再び戦争へと導こうとしていると思いますが、その点についてはどう思われますか? >私は物心がついた時から日の丸が国旗で君が代は国歌でありました。国旗、国歌に対し、恨み辛みのある人はいるでしょう。旗や歌に嫌な思いをしたとしても、それは所詮、旗と歌です。人の間違った心までを日の丸・君が代の所為にして、なすりつけないで頂きたい。 |
▼MNGさん: 横やりですが、ごめんなさい。 >私は、日の丸・君が代を強制しようとする人たちが、憲法を変え、日本を再び戦争へと導こうとしていると思いますが、その点についてはどう思われますか? おそらく、それは極論でしょう。おそらく戦争がしたいなどとは、思っていないと思いますよ。地震も戦争も、みんないやなんです。 いま、日の丸・君が代をやかましくいう人たちの多くは、いまの日本の勝ち組の方のようす。日本では、最近、勝ち組と負け組が顕在化してきています。その事実を放置していたら、いずれ負け組から勝ち組批判が強まるかもしれない。そこで、負け組のみなさん方には、予防注射を受けてもらって、あんまり現実のことに囚われないで、日の丸を崇め、君が代を唱ってもらって、理性を曇らし、こころを穏やかにすごして頂こうという勝ち組のみなさんからの「おもいやり」なんだろうと、思いますよ。 |
▼めだま君さん: また遅くなってしまいました。 >>私は、日の丸・君が代を強制しようとする人たちが、憲法を変え、日本を再び戦争へと導こうとしていると思いますが、その点についてはどう思われますか? >おそらく、それは極論でしょう。おそらく戦争がしたいなどとは、思っていないと思いますよ。地震も戦争も、みんないやなんです。 普通の人はいやだと思いますよねえ。いやだと思う人が大多数でしょう。 では、なぜ戦争がなくならないんでしょう。 自分は安全な所に身を置いて、戦争で儲ける輩がいるからではないでしょうか。 その最たるものがアメリカ政府であり、そのアメリカにおいても史上最悪なのがブッシュ政権だと思います。 そして小泉政権はブッシュ政権に対して、まさに奴隷のように付き従おうとしています。 憲法を改正(改悪)して、自衛隊を米軍と一緒に動けるようにしようとしているのです。 そこで戦闘が起きれば、日本も戦争に巻き込まれる可能性も出てきます。 昔のように中国に攻め込むということはないでしょうが、アメリカとの共同行動から戦争に突入する可能性は大きくなると思いす。 そして庶民の犠牲の上に、軍需産業とそれに結びついた政治家が儲けるということでしょう。 >いま、日の丸・君が代をやかましくいう人たちの多くは、いまの日本の勝ち組の方のようす。日本では、最近、勝ち組と負け組が顕在化してきています。その事実を放置していたら、いずれ負け組から勝ち組批判が強まるかもしれない。そこで、負け組のみなさん方には、予防注射を受けてもらって、あんまり現実のことに囚われないで、日の丸を崇め、君が代を唱ってもらって、理性を曇らし、こころを穏やかにすごして頂こうという勝ち組のみなさんからの「おもいやり」なんだろうと、思いますよ。 私の言ったことが極論で済めばその方がいいんですが、最近の改憲勢力の動きを見ると、とてもそうは思えないんです。 気付いた時には手遅れだったということにならないよう、用心深いに越したことはないと思います。 |
▼MNGさん: 今再び、自民党や石原都知事が日の丸・君が代を利用しようとしているということを指摘したつもりです。 >私は、日の丸・君が代を強制しようとする人たちが、憲法を変え、日本を再び戦争へと導こうとしていると思いますが、その点についてはどう思われますか? おはようございます。 お答えにならなくて申し訳ございませんが、自民党や都知事が戦争へと導こうとしているようには思いません。私自身も憲法の欠陥は改めるべきであると思います。 MNGさんが、自民党や都知事の危険を察知されるならば、大いにご指摘されればよろしいかと思います。それも愛する日本のためでしょう。 |
別スレッドのRayさんのレスにレスです。 =========================== Rayです。 まとめレスで失礼いたします。 昨年春の都立学校の卒業式・入学式に関する教員の処分問題に話を限りますが、 彼らが処分されたのは 「国旗・国歌に関して児童・生徒に教えなかったから」 ではなく、 「卒業式等において国歌斉唱に参加しなかったから」 だと聞いていますので、 >教育は自己(教員の権利)だけではなく、 >教育を受ける側(児童・生徒の権利)を満たさねばなりません。(ゆきりんさん) >国歌,国旗を教える義務が先生方にはある(しげちよさん) ということはこの件には関係のないことであると思います。 ============================ の部分ですが,もっと現実的にとらえていただけませんでしょうか。 国歌斉唱,国旗掲揚の場面で,先生方がそれらを無視するようなことは,子どもに国歌,国旗は無視してもいいのだ,と教えているようなものではありませんか? それは子どもたちへの無言の教育(反国旗・国歌)だと思います。 反対ならば,事前に「わたしは反対だが,式典だからしかたがない」という事情を生徒に話してもいいとは思いますが。 私生活で,先生方に国歌を歌え,国旗を掲揚しろ,と言っているのではありません。あくまで学校行事として,公式の式典においてしてほしいと要請されているのではないでしょうか。 何も,先生の家に国旗を揚げろ,とは言っていないと思いますよ。 実際の話,国旗は知っているけれど,国歌をろくに知らない子どもが多いですよ。 |
この書き込みは管理者によって削除されました。(05/1/14(金) 10:56) |
▼枯葉さん(40277): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 >物を追求する、権利のみを追求する 『赤い教育』 との表現が掲示板のルールのうち * 差別的意図があると判断されるもの、もしくは差別用語を含む文章 * 元投稿者の人格を否定する内容、誹謗中傷、脅迫的な文章 * 読み手を不快にすることで掲示板の混乱を招くことを意図する文章、もしくはその恐れのある文章(いわゆる「荒らし」行為) に抵触するものと見なし、削除対象として スタッフ連絡板に移動しました。 以後、この書き込みへのレスを禁止します。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
前スレッド(日の丸・君が代)の告天子さんの書き込みへのレスです。 ▼告天子さん(40230): Rayです。 >少なくとも第二次世界大戦当時、その歌・旗のもとに >多くの人々が殺された事実を考えれば、 >それを見たくない・歌いたくないと考える人がいても >不思議はないと思います(Ray) と書きましたが、これは >君が代があり、日章旗があり、また皇室があったが故に戦争があった、それらが戦争の原因だ(告天子さんお書き) という趣旨ではありません。 「君が代・日の丸をかかげる軍によって肉親を殺されたり 傷つけられたりした人々が、その象徴であった歌や旗を 見たくない・歌いたくないと考えても不思議はない」 との趣旨ですのでお間違いのないよう、お願いいたします。 また、 >公務員は一私人ではなく、職業人として教育現場に関わっているのですから、思想・良心の自由に制限を受けるのは当然のことです。 とお書きですが、都立学校の教員が処分された件では、 式典における振舞を理由に処分が行なわれています。 つまり、「式典において、自己の信念に基づいて 国歌を歌わないこと」が「公務員がその職務遂行に当たって維持するべき 公平性の侵害(?)に当たるかどうか」が問題とされているのですが、 私はこの場合はそれにはあたらないと考えていますので、 公務員であることを理由に処分を正当化する(思想・良心の自由が制限される) のは妥当でないと思います。 また、 >「国旗国歌を教えることは、思想統制だ」とする説の方に無理があります。 につきましては、先に書きましたとおり 「国旗国歌を教えること(教えないこと)が思想統制であるか否か」が 本件の問題点なのではなく、 「式典において国歌を斉唱しなかった」ことを理由に 行政がその職員を処分したことが問題とされています。 この二つはまったく異なる問題ですし、 この件における東京都の姿勢に反対している人の多くは 「国旗国歌を教えることは思想統制だ」とはしていないと思いますので 事実を確認していただきたく思います。 さらに、 >天皇という地位は、当然に国民に仰がれる地位であり、それは主権の存する日本国民の総意に基づくものですから、臣民であることを重んじるからといって、主権在民に反しないでしょう。 とお書きですが、憲法において ・天皇は象徴であること ・主権は国民に存すること ・すべての国民は平等であること が定められていますから、 「当然に国民に仰がれる地位である」 とのご認識は憲法の内容を誤解なさっているものだと思います。 また、「臣民」という語は、 「君主国において、君主に支配されるものとしての人民」 の意ですから、主権者としての国民と両立するものではありません。 したがって、「臣民であることを重んじること」は 主権在民に反していますので 「(国民が)臣民であることを重んじることは主権在民に反しない」 とのお考えは間違いであることを申し上げます。 |
Ray様 何度も書きますが,先生方の私生活に国旗・国歌を取り入れろと行っているのではないと思います。あくまでも,式典の中での問題です。公務です。 また,式典でさえも国旗,国歌を無視するような先生方が,国旗,国歌を教えているとは到底思えません。 式典で,無視するということ自体,そのように教育していると取られてもしかたがないでしょう。公務内のことですから。 先生の生徒の前の振る舞いも教育という公務であることを忘れてはいけないと思います。 |
前スレッドが50に達したので、こちらに書きます。 ▼宮天狗さん >▼告天子さん: >明治政府は徳川幕府から政権を引き継ぐにあたって「万世一系の神聖にして犯すべからざる天皇」を君主であると同時に「現人神」とする、万邦その比を見ない政体 >すなわち「国体」を構築することによって人心の統一を図ったのだからむしろ独裁以上といってよいでしょう。 天皇が直接に政治権力を行使することはなかったのですから、「独裁」には当たりません。また、天皇が「神聖にして侵すべからず」であることが、「独裁以上」というのであれば、諸外国でもこういう規定はありますから、宮天狗さんは君主制を「独裁以上」と評することになります。 >また臣民はウィキペディアにも「君主に支配されるものとしての人民、君主に支配される国民」と書かれており、主権在民とは明らかに反します。誤っているのはあなたです。 私は臣民と国民とは同じである、とは言っていません。言っているのは宮天狗さんです。 >>日本国民=天皇の臣民 なるほど北朝鮮と同じなんですね。 告天子は >また、国民と臣民は、等号で結ばれるような関係ではありません こう書いていますので、宮天狗さんの指摘は当たりません。 >>軍人勅語のその部分は、ほんのしばらく前まで武士階級が存在していた、という当時の事情を考えないところに、そういう誤解があります。旧身分と上下関係が混在する近代軍において、上官の命に服させるということは難事業だったのであります。やはり宮天狗さんの文は誤り。 >誤解するもしないもない!私たちの世代は朝から晩まで教育勅語と軍人勅語に支配されていたのです。だから親や教師はもちろん上級生にだって口答えするのは許されなかった。誤っているのはあなたです。 明治時代と昭和初期における教育勅語・軍人勅語のあり方は異なります。成立事情を無視して「勅語の支配」「天皇の支配」を主張されているようでしたので、それは誤りであると言っているのです。また、宮天狗さんの体験は体験として認めますが、それが後の世の歴史意識の全てを縛るべきである、とは言えないと思います。 ご体験は尊重しますが、意見は意見として別に考えたく思います。 >日本ほどすばらしい国はないと思っています。 >平和だった平安時代や江戸時代に花開いた文化は世界に誇れるもの。 >私はとても幸せです。ただあなたのような人がいるのが残念なだけです。 私は別に宮天狗さんのような方がいるのを残念には思いません。 ▼Rayさん: >これは >>君が代があり、日章旗があり、また皇室があったが故に戦争があった、それらが戦争の原因だ(告天子さんお書き) >という趣旨ではありません。 了解です。 >「君が代・日の丸をかかげる軍によって肉親を殺されたり > 傷つけられたりした人々が、その象徴であった歌や旗を > 見たくない・歌いたくないと考えても不思議はない」 >との趣旨ですのでお間違いのないよう、お願いいたします。 そういう場合は、それを「尊重」するのではなく、「善導」するのが教師のつとめだと思います。 >「式典において、自己の信念に基づいて >国歌を歌わないこと」が「公務員がその職務遂行に当たって維持するべき >公平性の侵害(?)に当たるかどうか」が問題とされているのですが、 憲法秩序において天皇の存在、また、「日本国」というものが確かにある以上、健全な国家意識を訓導することは教育上必要なことです。式典参加は宗教・政治儀式などではありませんので、それを拒否することは公平に反していると、私は考えます。国歌斉唱にしても、同様かと存じます。 >>天皇という地位は、当然に国民に仰がれる地位であり、それは主権の存する日本国民の総意に基づくものですから、臣民であることを重んじるからといって、主権在民に反しないでしょう。 >とお書きですが、憲法において >・天皇は象徴であること >・主権は国民に存すること >・すべての国民は平等であること >が定められていますから、 >「当然に国民に仰がれる地位である」 >とのご認識は憲法の内容を誤解なさっているものだと思います。 国民統合のシンボルなのですから、当然に仰がれるものです。主権が国民にあることとは矛盾しません。 |
▼Rayさん: >>天皇という地位は、当然に国民に仰がれる地位であり、それは主権の存する日本国民の総意に基づくものですから、臣民であることを重んじるからといって、主権在民に反しないでしょう。 >とお書きですが、憲法において >・天皇は象徴であること >・主権は国民に存すること >・すべての国民は平等であること >が定められていますから、 >「当然に国民に仰がれる地位である」 >とのご認識は憲法の内容を誤解なさっているものだと思います。 多少言葉が足りませんでしたので、この部分追加で書きます。 国民「統合の」シンボルなのですから、天皇は当然に国民に仰がれるものです。主権が国民にあることとは矛盾しません。主権者である国民の総意により、「天皇」を統合のシンボルとし、なおかつその天皇とは、世襲の・・・と表現されますが、これは大日本帝国憲法で言えば「万世一系」に当たるものです。第一、それ以外に日本に天皇はありません。 主権が国民にあることは、日本国憲法に規定するところですが、また憲法は、天皇が国民に仰がれる存在であることもやはり規定しているのです。逆に、「仰がれる存在では」「ない」、のであれば、その理由をご指摘ください。 >また、「臣民」という語は、 >「君主国において、君主に支配されるものとしての人民」 >の意ですから、主権者としての国民と両立するものではありません。 定義として、君主国の人民を臣民というのであるならば、天皇をいただく日本国民は、臣民でもありましょう。 Rayさんの言われる、「君主に支配される人民」の義は、大日本帝国憲法下の帝国臣民についてそもそも当たりません。天皇の「統治」、それも臣下への委任により、直接に権力を行使することがない形での「統治」はありましたが、「支配」ではありませんでした。 支配というのは、いわゆる「独裁者」のするものであり、君主による統治、とは言いますが、君主による「支配」というのは既に悪イメージが入っています。 もし主権在民のみで、天皇が日本国憲法に規定されていないのであれば、私の書いた文章は誤りです。しかし、主権在民、及び天皇の地位、そして天皇とは、事実として「歴史上の天皇」であることが明らかである以上、天皇と国民との関係は「臣民関係」を含んでいます。もちろん、イコールではないから、「重んずる」というのです。 |
▼告天子さん: こんばんは。横レスごめんなさい。 告天子さんは、端的に言えば「神国日本」を理想と考えておられるように感じました。 そこでお願いいたします。私は、現日本の天皇制についての疑問をスレッド【39204】http://www.6410.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=one;no=39204;id=sougou 【39205】http://www.6410.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=one;no=39205;id=sougou に記しました。 上の各スレッドに述べました私の意見に即して、逐一、告天子さんの意見をお願いしたいと思います。 私は、失礼ながら、告天子さんのご意見、価値観がどのような根拠・背景に基づいて形成されたのか、実は、非常に興味があるのです。 その意味でお願いすることです。どうか宜しくお願いいたします。 |
日の丸・君が代が教育方針である以上、 (今は この善悪を論じているのではないですよね) 学校の教職員は、生徒に対して範を示す義務があります。公の場では! 少なくとも勤務中は! ▼Rayさん: >つまり、「式典において、自己の信念に基づいて >国歌を歌わないこと」が「公務員がその職務遂行に当たって維持するべき >公平性の侵害(?)に当たるかどうか」が問題とされているのですが、 >私はこの場合はそれにはあたらないと考えていますので、 >公務員であることを理由に処分を正当化する(思想・良心の自由が制限される) >のは妥当でないと思います。 なぜ”それにはあたらないと考えていますので”しょうか? ぜひ お聞かせください。 これに納得いく論拠がありませんと、 >「式典において国歌を斉唱しなかった」ことを理由に >行政がその職員を処分したこと を問題視できないと思います。 職務命令を、主観的価値観によって拒否して、ノーペナでは組織は成り立ちません。 |
前スレが50レスになって投稿できないので、トビパパさんのレスに対しての私の考えをここで述べようと思います。 トビパパさん >神格化された天皇を頂点として、日本が愚かな戦争に突入した歴史を >今ここで解説する必要はないでしょう。 愚かな戦争かどうかはともかくとして、この時代は欧米列強の波だとか、太平洋戦争前に石油を止められたりもしたのだから、戦争に突入せざるをえない状況だったと僕は認識しております。だから当時の日本の戦争が悪くてしてはいけないものだとするのなら、日本は植民地になったのではないかとも思うので、愚かな戦争だとしても、事情がきちんとあったわけで、日本は単なる私利私欲だとか戦争したわけではないと考えています。 最近は歴史を勉強していないので、日本の戦争と天皇はどう関わってきたのかはしっかりと理解はしてないのですが、天皇が日本の戦争において精神的支柱の役割はしてきたのだろうけど、天皇自身が積極的に戦争を啓蒙してきたとかそういう事実は、確か無いはずです。天皇の戦争責任とかそういうのを言い出すようになったのは、戦後において生じた中国とか米国のプロパガンダによって歪められてきたものだと思っています。 >オリンピックで「君が代」が歌われてるじゃないか。それを国歌に >して何が悪い。ま、多くの日本人は、この程度の感想なのでしょう。 確かにその程度が多くの日本人の感想ではあるかと思いますが、なぜ国歌が歌われるのかと考えると、人間というのは集団の中で何かをする際には自分の位置というのを確認したいからではないか、と思います。ですから、オリンピックというのは世界各国から参加者がいるわけですから、そこでは自分の国というのを強く意識するようになる。ですからその自分の存在位置を確認したくなり国歌を歌おうとするものだと思うのです。自分の存在位置が曖昧なれば、その行動もやはり自信もなく不確かなものになる、と思っています。だから、国歌というのは僕は重要なものだと考える。 >しかし、たとえば、石原都知事とその配下にある都教育委員会の >動向を見るに、事はそう単純な話じゃないようです。彼らの言う >「愛国心のない」日本人を再教育するために、「君が代」を再利用 >しようとしている。 あまり石原都知事と国歌の問題の事に関してあまり情報集めてないのですが、国歌を歌わない事に対しての罰則とかいうのはあまり関心はしていない。というのは、脅迫観念で従わせるという事ではその意味合いや価値というのが薄れてしまうのではないかと思う。だから「罰則を受けるので仕方がないから国歌を歌う」というのが姿勢であったり、そういう印象でまかり通るのは、積極的には僕は賛成しない。ただまあ、そうでもしなければならない事情というものを感じたからそうした動きがでているのではあるのでしょうけど。 >それが今のぼくの感想であり、10代の頃に >漠然と感じた疑問は、現在の権力体制への不信につながるのです。 権力体制の不信といっても、権力自体は僕は必要だと思っています。だから私的な要求をし続けるのは悪いと考えている。でも、私的な要求ではなくそれが公益に沿ったものであれば要求するのは悪いとは思っていない。国家と国民の連帯の絆が大事なのであって、良き未来のためと将来の世代のための事を念頭においてあらゆる物事を考えねばならない。 だから権力体制の不信というのならばそういった考えが前提にあるべきではないかと考えるので、それを話題からずれているようだけどあえて記しておきます。 |
日本国憲法によって基本的人権が保障され、我々は初めて、 すべて人は法の前に平等であり自由であるということを 知りました。しかし、その自由を我々は、必死になって 守ろうとしてきたでしょうか。むしろ、権力によって自由が 抑圧される傾向を傍観してきたのではないでしょうか。 国家が不法を行なうときには、ノーと言う。国を愛するが ゆえに歌えない歌がある。それが本当の愛国心です。 |
▼トビパパさん: >日本国憲法によって基本的人権が保障され、我々は初めて、 >すべて人は法の前に平等であり自由であるということを >知りました。しかし、その自由を我々は、必死になって >守ろうとしてきたでしょうか。むしろ、権力によって自由が >抑圧される傾向を傍観してきたのではないでしょうか。 > >国家が不法を行なうときには、ノーと言う。国を愛するが >ゆえに歌えない歌がある。それが本当の愛国心です。 「愛国心」というのはなんなんでしょう?「愛国家心」とは言いません。 「愛国心」と「愛国家心」とは同じとはいえない。 国を愛するが故に国家に対して不従順ということは、時と場合によって十分に考えられます。国家がそれを許容するか否か。いまの日本はどうもその問題と向き合う局面にあるように思われます。 イラクの人質の件で、米国のパウエル国務長官はこの消息に通じていたように思われます。「市民的不服従」の伝統。その伝統はYesが美徳とされるような日本、右向け右で愛国者であるかのような日本がいまこれから学んで、日本のこれまでを批判的に見つめるテキストになります。 |
>右向け右で愛国者であるかのような日本 そうでしょうか?それを愛国心というのでしょうか? 国を愛する心。字義の通りでよろしいでしょう。 >国家が不法を行なうときには、ノーと言う。 それも国を愛する心から発した、愛国心でしょう。 言葉にいろいろな理屈付けは入れず、純粋に「愛国心」を持ちたい。 |
▼トビパパさん: >権力によって自由が抑圧される傾向を傍観してきたのではないでしょうか。 と仰る前に、どんな自由が抑圧されたかをお述べになったらいかがでしょう。 >国を愛するがゆえに歌えない歌がある。それが本当の愛国心です。 その人を強制的に歌わせることは出来ないでしょう。でもその人が思想的に歌わないことで、他に影響力が強ければ、「歌う」、「歌わない」の良し悪しを問われるのは当然であります。式典であればそのときの場、学校であれば先生という立場、それさえも無視するならば、お咎めがあるのは当然と思われます。 |
▼相良唯夫さん: トビパパさん、横レス失礼致します。 >その人を強制的に歌わせることは出来ないでしょう。でもその人が思想的に歌わないことで、他に影響力が強ければ、「歌う」、「歌わない」の良し悪しを問われるのは当然であります。式典であればそのときの場、学校であれば先生という立場、それさえも無視するならば、お咎めがあるのは当然と思われます。 今の国歌、君が代は、天皇を神とする帝国時代が、千年も、万年も続くことを歌ったものです。それを、今の国民主権で平和主義の時代に歌えと言うのは、無理があるのではないでしょうか。 |
▼真人間さん: 横レス、ごめんなさい。 >今の国歌、君が代は、 「国歌」になった瞬間から、日本国憲法と一体のものになりました。したがって、「国歌としての君が代」は、 >天皇を神とする帝国時代が、千年も、万年も続くことを歌ったもの ではなくなったのです。もしも公的立場の人が、そのような日本国憲法の精神に反するような解釈を公言するなら、それは憲法99条違反です。 >今の国民主権で平和主義の時代に歌えと言うのは、無理があるのではなにでしょうか。 もちろん、一般国民への強制はいけませんが、こころある国民が、「国歌としての君が代」に日本国憲法の精神を吹き込むことは出来ますし、「国歌」となった以上、新しい国歌が制定されるまでは、「君が代」をそのように解釈しなおし広めることは、国民の責務だとも言えると思います。 |
沈黙の夏さん 貴投書既に満杯と言うので別スレッドにて参照させていただきます RE=40502】地球最大の欺瞞装置 沈黙の初夏 - 05/1/15(土) 9:24 1.天皇など歴史的発生過程から推測すれば盗賊の元締めだったろう。 2.人間に人間以上の価値をつけるのは たいがいよこしまな目的があるからにちがいない とくに日本における皇室制度は 権力の二重構造をささえるには、とても魅力的な手段 であったと思う。 なにしろ権力の実態を握る人間にとっては、 「詔勅」の一言で全てを黙らせることができる。 3.地上で これほど都合のいいことは、めったにあるまい。 4. あんなものをあがめる人間の頭はどうかしているのだろう。 偶像でよいのなら、金親子、天皇、「モーニング娘。」 どれも等価値ではないか =============== To1.日本国家の成立は8世紀天武辺りからと考えられています それまでは部族国家で盗賊どころか 年中凄惨な殺し合いをしていました その前の酋長とされる 天智は後の女帝斎明とされる人の前で入鹿を殺しました 天智と天武は異母兄弟でしたが 最後は戦争となり天智の子供は負けて近江の山中に一足の靴を残し消息を絶ちました 此れは壬申の乱として専門家は昔から知っていましたが一般国民は知ってはいかんということでした 天智天武と結婚した額田王は不倫的な関係のときに天武に恋歌を捧げ『茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る』と歌い 天武は『紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋めや』と返歌しました 万葉の秀歌とされています こんな美しい歌を作りながら 何かで憎悪が増せば敵の物の収奪はおろか 近親殺戮までやったのです To2.全くの事実です 我々の実体験なのですから To3.世界の中で日本だけの優れたsystemと宣伝されて散々悪用されましたね To4.北鮮へのbashingは度を通り越しています 将軍様がそんなにいけないなら あってはならない偽神をあんなに崇めたのはどうしてですか 朝鮮校の女の子の清楚なチョゴチョマリを切り裂いたり こちらが今ずっと大人の国なら 一斉に集団主義的に動くより自制の聞いた 対抗、報復手段がありそうです |