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 ▼戦争体験を語って下さい  珠 05/2/12(土) 21:45
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  佐藤 圭 05/2/12(土) 22:46
   ┃  ┗どうぞ戦争体験を語って下さい  珠 05/2/13(日) 14:04
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  北の老兵 05/2/14(月) 12:32
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  しげちよ 05/2/14(月) 12:50
   ┃  ┣Re(2):戦争体験を語って下さい  こころ 05/2/14(月) 14:29
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語って下さい  こころ 05/2/14(月) 15:01
   ┃     ┣Re(3):戦争体験を語って下さい  しげちよ 05/2/15(火) 18:30
   ┃     ┗Re(3):戦争体験を語って下さい  MNG 05/2/16(水) 17:54
   ┃        ┣Re(4):戦争体験を語って下さい  告天子 05/2/16(水) 18:05
   ┃        ┗Re(4):戦争体験を語って下さい  しげちよ 05/2/16(水) 18:57
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  珍 源斎 05/2/14(月) 14:17
   ┃  ┗乙女の祈り  ステディ ベア 05/2/14(月) 16:53
   ┃     ┗Re(1):乙女の祈り  珍 源斎 05/2/14(月) 22:09
   ┃        ┗乙女の祈り−第2楽章  ステディ ベア 05/2/15(火) 10:20
   ┃           ┗Re(1):乙女の祈り−第2楽章  英 05/2/15(火) 19:12
   ┃              ┗乙女の祈り−第4楽章  ステディ ベア 05/2/16(水) 0:59
   ┃                 ┣Re(1):乙女の祈り−第4楽章  珍 源斎 05/2/16(水) 14:17
   ┃                 ┃  ┗乙女の祈り−最終楽章  ステディ ベア 05/2/16(水) 15:00
   ┃                 ┗日本国が無ければ・・・  英 05/2/16(水) 18:32
   ┃                    ┗警告>英さん  管理スタッフ 05/2/18(金) 18:28
   ┃                       ┗もう止めて下さい。  英 05/2/18(金) 19:01
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  佐藤 圭 05/2/14(月) 16:30
   ┣戦争が好きな人はいないでしょう。  英 05/2/14(月) 22:54
   ┃  ┣Re(1):戦争が好きな人はいないでしょう。  桃李 05/2/15(火) 1:48
   ┃  ┃  ┗Re(2):戦争が好きな人はいないでしょう。  英 05/2/15(火) 19:03
   ┃  ┣矛盾をなくすためにするべきこと  Ray 05/2/15(火) 20:34
   ┃  ┃  ┗Re(1):矛盾をなくすためにするべきこと  英 05/2/15(火) 20:59
   ┃  ┗平和と和  風谷 米造 05/2/17(木) 21:32
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  北の老兵 05/2/15(火) 13:13
   ┃  ┗乙女の祈り−第3楽章  ステディ ベア 05/2/15(火) 18:49
   ┃     ┣警告>ステディ ベアさん  管理スタッフ 05/2/15(火) 20:29
   ┃     ┗Re(1):乙女の祈り−第3楽章  珠 05/2/16(水) 2:31
   ┃        ┗[管理者削除]   
   ┃           ┣Re(3):乙女の祈り−第3楽章  憲法9条改正 05/2/16(水) 20:02
   ┃           ┃  ┗Re(4):乙女の祈り−第3楽章  憲法9条改正 05/2/16(水) 20:04
   ┃           ┃     ┣Re(5):乙女の祈り−第3楽章  石頭の息子 05/2/16(水) 20:24
   ┃           ┃     ┗[管理者削除]   
   ┃           ┃        ┗移動しました  管理スタッフ 05/2/18(金) 18:32
   ┃           ┗移動しました  管理スタッフ 05/2/18(金) 18:30
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  ビーンズきし 05/2/16(水) 4:49
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  佐藤 圭 05/2/16(水) 17:57
   ┃  ┣Re(2):戦争体験東京空襲を語って下さい  佐藤 圭 05/2/16(水) 18:04
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語って下さい  ぎみゆら 05/2/17(木) 12:17
   ┣Re(1):戦争体験を語って下さい  北の老兵 05/2/16(水) 19:49
   ┃  ┣Re(2):戦争体験を語って下さい  こころ 05/2/17(木) 15:03
   ┃  ┃  ┣Re(3):戦争体験を語って下さい  佐藤 圭 05/2/17(木) 16:08
   ┃  ┃  ┗Re(3):戦争体験を語って下さい  珠 05/2/18(金) 1:16
   ┃  ┃     ┗Re(4):戦争体験を語って下さい  相良唯夫 05/2/18(金) 2:38
   ┃  ┗Re(2):戦争体験を語って下さい  ほい 05/2/17(木) 23:31
   ┗Re(1):戦争体験を語って下さい  大河 一滴 05/2/20(日) 17:27

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 ■題名 : 戦争体験を語って下さい
 ■名前 : 珠
 ■日付 : 05/2/12(土) 21:45
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   昨夜、BS1で放映された「スターリングラードの攻防」を見ました。スターリンの名を冠した町だったばかりに(現在はボルゴグラード)、ヒットラーとスターリンの名誉をかけた戦いの犠牲となった沢山の兵士達の話でした。古い白黒フィルムの間に、生き残ったドイツ、ロシア双方の人たちのインタビューが挟まれた、両国共同制作の番組でした。

ヒットラーの命令で戦場に向かったのは、ドイツ陸軍の精鋭部隊第6軍。兵士の数は約30万人。彼らはこの町は簡単に陥落できると、冬の用意もせずに出兵。しかしスターリンは、自分の名の付いた町の防御を厳命していたのです。ドイツ軍はいったんは町に入ります。しかし空爆で廃墟と化した町に進軍したドイツ軍は、物陰から撃ってくるソ連軍兵士相手の市街戦に神経をすり減らして行くのです。そしてロシアの寒さが彼らを襲います。

ドイツ主脳たちは、苦戦の状況に撤退が何度か提案されます。しかしヒットラーはことごとくそれを退けるのです。スターリンの名の町を陥落させたいという名誉心だけのために。そしてドイツ国民には偽りの映像と情報だけが流されるのです。大本営発表というのはいつでもこうしたものなのでしょう。

でも、国民は気づいていた。一時帰国した夫を送りだす妻が、「私たちは無力でした。夫を引き止めることなどできませんでした」と涙を流して語っていました。そして夫は2度と彼女のもとには帰って来ませんでした。

一たん戦争が始まってしまえば、個人の生命や希望など、国家の「命令」一つで踏みにじられて行く。「私たちは無力でした」なぞ言いたくない。そうなる前、戦争が始まる前、まだものが言えるうちに、私たちは憲法九条を守り、日本を「戦争の出来ない国」にしておかなくてはならないと思うのです。

そういうとすぐ「攻めて来られたらどうするのだ」という意見が出ます。「戦争の出来ない国」であると固く誓うことで、日本は「攻めて来られないように」外交を重んじ、武力によらない問題解決に真剣に取り組む国、地球上の和平を模索する国として生き抜いて行くことだと私は思います。

さてスターリングラードでドイツ兵は追い詰められ、負傷者が続出します。その負傷者をドイツに輸送するための航空機に群がって乗り込み、逃げ帰ったのはドイツ軍の高級将校達でした。敗戦直前の満州から列車や車輌で逃げ帰ったのも日本軍であって、そこに住んでいた民間人ではなかったと聞きます。沖縄でも軍が使うからと、洞窟から民間人を追い出したと聞きます。

これはドイツ人だから、日本人だから、という問題ではなく、戦争とはこうしたことが引き起こされる異常な状態に他ならない。戦争とは、そして敗戦のどさくさとは、やはりこうしたもの、力のあるものが自分の命を守ろうとする行動なのでしょう。
極限状態の人間の姿なのだと思います。もちろんその中に人間らしさを失わなかった人のエピソードもあるでしょうが。

さてスターリングラードでは零下30度と言う氷付く寒さ、そして飢餓がドイツ兵を襲います。援軍も引き上げ孤立化し、とうとう降伏。戦死者20万人。生き残った兵10万人はシベリアへ送られます。戦後アデナウワーの努力で帰還しますが、ドイツに近付いた時、列車の中では、捕虜収容所内でソ連側に協力したドイツ人が何人も仲間に殺されたと言う陰惨な話もありました。

祖国に帰り付いたのは、わずか7000人。花束を手に駅に迎えに出て抱き合う人々の横で、胸に息子の、夫の写真を掲げ、呆然と立ち尽くす人々。

命を守るための戦争なんてあるのでしょうか? 祖国を守るための戦いと言うけれど、祖国ってそこに住む人間の命以上に大切なものがあるのでしょうか? そんなことを考えさせられた番組でした。

この掲示板にいらっしゃっているご高齢の方々にお願いします。どうぞご自分の経験なさった戦争のありのままを語って下さい。ご自分のご両親、ご兄弟、ご友人から聞いた、ありのままの戦争の姿を。それこそ後世への贈り物だと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 佐藤 圭  ■日付 : 05/2/12(土) 22:46  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珠さん:
>大本営発表というのはいつでもこうしたものなのでしょう。
>
>一たん戦争が始まってしまえば、個人の生命や希望など、国家の「命令」一つで踏みにじられて行く。「私たちは無力でした」なぞ言いたくない。そうなる前、戦争が始まる前、まだものが言えるうちに、私たちは憲法九条を守り、日本を「戦争の出来ない国」にしておかなくてはならないと思うのです。
>
>そういうとすぐ「攻めて来られたらどうするのだ」という意見が出ます。「戦争の出来ない国」であると固く誓うことで、日本は「攻めて来られないように」外交を重んじ、武力によらない問題解決に真剣に取り組む国、地球上の和平を模索する国として生き抜いて行くことだと私は思います。
>
>さてスターリングラードでドイツ兵は追い詰められ、負傷者が続出します。その負傷者をドイツに輸送するための航空機に群がって乗り込み、逃げ帰ったのはドイツ軍の高級将校達でした。敗戦直前の満州から列車や車輌で逃げ帰ったのも日本軍であって、そこに住んでいた民間人ではなかったと聞きます。沖縄でも軍が使うからと、洞窟から民間人を追い出したと聞きます。
>
>これはドイツ人だから、日本人だから、という問題ではなく、戦争とはこうしたことが引き起こされる異常な状態に他ならない。戦争とは、そして敗戦のどさくさとは、やはりこうしたもの、力のあるものが自分の命を守ろうとする行動なのでしょう。
>極限状態の人間の姿なのだと思います。もちろんその中に人間らしさを失わなかった人のエピソードもあるでしょうが。
>
>さてスターリングラードでは零下30度と言う氷付く寒さ、そして飢餓がドイツ兵を襲います。援軍も引き上げ孤立化し、とうとう降伏。戦死者20万人。生き残った兵10万人はシベリアへ送られます。戦後アデナウワーの努力で帰還しますが、ドイツに近付いた時、列車の中では、捕虜収容所内でソ連側に協力したドイツ人が何人も仲間に殺されたと言う陰惨な話もありました。
>
>祖国に帰り付いたのは、わずか7000人。花束を手に駅に迎えに出て抱き合う人々の横で、胸に息子の、夫の写真を掲げ、呆然と立ち尽くす人々。
>
>命を守るための戦争なんてあるのでしょうか? 祖国を守るための戦いと言うけれど、祖国ってそこに住む人間の命以上に大切なものがあるのでしょうか? そんなことを考えさせられた番組でした。
>
>この掲示板にいらっしゃっているご高齢の方々にお願いします。どうぞご自分の経験なさった戦争のありのままを語って下さい。ご自分のご両親、ご兄弟、ご友人から聞いた、ありのままの戦争の姿を。それこそ後世への贈り物だと思います。

全く同感です。
よくぞ このスレッド立ててくれました。
私は昭和一桁生まれで兄、叔父、従兄弟 各々 満州引き揚げ、同じ職場の同僚は帰国できずシベリア抑留、私自身は空襲爆撃、焼夷弾にあい、兄は特攻隊 など等の語りたいこと、(自分の戦争体験と同僚、特に2〜3年先輩の死と体験談)が山ほどあります。
体験者がガンや老齢で毎年亡くなっていきます。
私も 生きている間に、ボケないうちに 戦時中のこ戦後の飢えの苦しみとを 子供とまた孫に伝えていきたい。
また同僚、先輩(特にシベリヤ抑留、満州など中国東北からの引揚者、関東軍の生き残り、東京空襲、広島、長崎原爆 体験者)にも薦めています。
今の仕事をリタイヤしたら書き残そうと考えています。
今 強く感動(同感、そうだ、そうだと)したので とりあえずレスします。
今後 老人党の掲示板で体験的に護憲9条を叫んでいきたいと考えます。
早々、昭和ひとけた生まれの 佐藤 圭です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : どうぞ戦争体験を語って下さい  ■名前 : 珠  ■日付 : 05/2/13(日) 14:04  -------------------------------------------------------------------------
   ▼佐藤 圭さん:

>>この掲示板にいらっしゃっているご高齢の方々にお願いします。どうぞご自分の経験なさった戦争のありのままを語って下さい。ご自分のご両親、ご兄弟、ご友人から聞いた、ありのままの戦争の姿を。それこそ後世への贈り物だと思います。

>体験者がガンや老齢で毎年亡くなっていきます。
>私も 生きている間に、ボケないうちに 戦時中のこ戦後の飢えの苦しみとを 子供とまた孫に伝えていきたい。

お返事ありがとうございます。昨夜、大江健三郎氏と中曽根康弘氏の、憲法九条への思いを聞いていて、中曽根氏は実際の戦闘とはなんら関わりなかった主計局の人間だったんだよなあ、決して銃弾の中をかいくぐった悲惨な体験も、飢えにも苦しめられずに来た人だよなあ……と思いました。

戦争で悲惨な目に合うのは、庶民、市民です。私は第2次世界大戦はじめ、ベトナム、イラク、パレスチナ等々、戦いで亡くなった方々の手記を読む度に、胸が詰まります。死ななくていい人たちが、若くて将来があったはずの人たちが、なぜこんなにも政治家達の愚かな判断で始まった戦いで殺されて行くのだと。

そして普通なら決して人を殺すことなどしなかった人々が銃を持って殺し合い、命があって帰ってきても、殺したことで苦しむ。いまイラク帰還兵にトラウマを抱えた人が多いと聞きますが、私は息子を殺されたくないし、殺す体験をさせたくもありません。そしてイラクの自衛隊員が、そんな思いをすることなく無事に早く帰って来て欲しいと願っています。

老人党員の方々には掲示板をご覧になるだけの方々、議論には加わりたくない方々もいらっしゃると思います。そうした方々も、ご自身の、そして身近な方々から伺った戦争体験を語って下されば嬉しいです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 05/2/14(月) 12:32  -------------------------------------------------------------------------
   戦争を知る世代はどんどん少なくなり、体験談を聞く機会もなくなりました。私がまだ青二才の頃、一時農業共済組合にいた事があります。そこにいた獣医から(確か50歳は超えていたと思う)聞いた話は今でも忘れません。折りしも北海道新聞で「軍馬の涙」という、私が聞いた話とほぼ同様の特集記事が載っていました。

軍馬の悲惨さはあまり語られる事はありませんが、人間ばかりじゃなく馬も悲しい運命があったのです。当時「兵隊は消耗品、馬は貴重品」とよく言われたそうです。軍隊では兵隊は1銭5厘のはがき一枚で召集されましたが、馬は数百円もし、馬の方が価値があるとされたのです。

馬産地、北海道には当時、「軍馬補充部」ありました。軍馬補充部とは馬を育て軍馬として調教する施設の事です。馬はご存知のように非常に利口な動物です。また貴重な動物ですから、精一杯の愛情を受けて育てられたと言います。

いざ戦地に送られる時、馬は感ずるのか悲しい目をして、軍服をかじり離さないのだそうです。(※私も経験あります。伝貧という伝染病にかかったとき、注射によって「法令殺」にされますが「馬捨て場」に連れて行こうとするとき、悲しい目をして涙を流し抵抗するんです。今でも忘れません)

食べ物も水も少なく、おまけに酷い暑さの中を、いう事を聞いて二トンもの砲を引く姿に、満州を行軍した兵士にとって戦友そのものだったといいます。

人間ですら「生きて帰って来い」と言ってはいけない時代。まして軍馬は、戦地に赴け二度とふるさとの草をはむことがないのです。

「馬だって好きで戦争に来ている訳じゃない。ふるさとで家族と一緒に畑仕事をしているほうが、どれだけ幸せか。満期除隊み、復員もなく、骨も帰れない馬がふびんだった」として、戦友の遺骨と共に軍馬の骨を見つけて帰った人がいます。

私に話をしてくれた獣医さんも、その話をするときは遠くを見つめ、悲しそうな顔をして話をしてくれました。

戦争でいい思いをするのは、本のごく一部の「政商」といわれる人間、戦争は常に、なんの関係ない弱いものたちが大勢死ぬのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : しげちよ  ■日付 : 05/2/14(月) 12:50  -------------------------------------------------------------------------
   あなたの戦争への思いは同感です。
戦争は人間を人間でなくします。
戦争ほど悲惨なものはないでしょう。
これには同意いたします。

しかし,
>そういうとすぐ「攻めて来られたらどうするのだ」という意見が出ます。「戦争の出来ない国」であると固く誓うことで、日本は「攻めて来られないように」外交を重んじ、武力によらない問題解決に真剣に取り組む国、地球上の和平を模索する国として生き抜いて行くことだと私は思います。

とのことですが,これはいささか甘いのではないでしょうか。
老人党でもよく見られた意見ですが,
「アメリカはイラクに下足で立ち入った」のではないですか?
イラクの外交努力が足りなかったのでしょうか?
ベトナムはどうだったのでしょう? コソボは?

武器をもっていなかったら物理的に戦争はないでしょう。
そのかわり,なぶり殺しの目に遭う可能性がないとはいえません。
一方的な虐殺がないとはいえません。
ユダヤ人は,独立国ではありませんでしたが,対抗手段がないため,
虐殺されていったのではないでしょうか?
そして亡命したユダヤ人が,アメリカに戦争資金などを与えたのではないですか?

21世紀にヒトラーが出ない保証はありません。独裁国家はたくさんあります。
そのときに抵抗するのか,しないのか。
オーストリア・ポーランド・チェコ・フランスのように占領されるのか。
武装の廃棄という理想はわかりますが,これらのことに目をつぶっていてはいけないのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語って下さい  ■名前 : こころ  ■日付 : 05/2/14(月) 14:29  -------------------------------------------------------------------------
   ▼しげちよさん:
>しかし,
>そういうとすぐ「攻めて来られたらどうするのだ」という意見が出ます。「戦争の出来ない国」であると固く誓うことで、日本は「攻めて来られないように」外交を重んじ、武力によらない問題解決に真剣に取り組む国、地球上の和平を模索する国として生き抜いて行くことだと私は思います。
>
>とのことですが,これはいささか甘いのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語って下さい  ■名前 : こころ  ■日付 : 05/2/14(月) 15:01  -------------------------------------------------------------------------
   ▼しげちよさん:
細かいことよりもまずは「戦争は絶対にいけないのだ」という想いを強く持つことですよ、国民にその想いが強ければ強いほど戦争は起こせなくなるのだし、仕掛けられる可能性も減るのです。

右傾化した人達がよく口にする「誰が好きこのんで戦争なんぞしますか、国難に遭えば国を護るために武器を持って立ち上がるのがマコトの日本男児である」と言う言葉の奥には戦争の悲惨さや悲しみがまるで伝わってきません。
表現はちがいますがあんたもこの人達と同様の考え方であると私には感じられます、やられたらやり返すとかやられる前に武威を示すなど「目には目を」の理論ではいつになっても戦争はなくなりませんよ。
日本人はよく平和ぼけしているなどと平和しか知らない人達が口にしますが、平和であることがどんなに素晴らしい事なのかもう一度よく考えてみる必要があります、終戦を迎えた時の大人達の晴れ晴れとした表情が全てを物語っていると思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語って下さい  ■名前 : しげちよ  ■日付 : 05/2/15(火) 18:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼こころさん:

>表現はちがいますがあんたもこの人達と同様の考え方であると私には感じられます、やられたらやり返すとかやられる前に武威を示すなど「目には目を」の理論ではいつになっても戦争はなくなりませんよ。

戦争を美化したこともないし,戦争ほど悲惨なものはないと考えております。

>日本人はよく平和ぼけしているなどと平和しか知らない人達が口にしますが、平和であることがどんなに素晴らしい事なのかもう一度よく考えてみる必要があります、終戦を迎えた時の大人達の晴れ晴れとした表情が全てを物語っていると思います。

平和についてはおっしゃるとおりです。
残念ながら,日本が非武装でも非武装の国はほかにほとんどありません。
日本周辺ならなおさらです。では,なぜ他の国は武装していると考えますか?

どのように平和を守るか,その方法論が違うのだと思います。
なぜ,警察はピストルをもっているのでしょう?
必要がなければ使いませんが,やはり必要がある場合が考えられるからでしょう。
それと,一般人がもっていないものを持っていることで,逆らえないことを示唆しているのでしょう。
日本列島は,太平洋に出るためには,ロシア・朝鮮半島・中国にとっては邪魔な存在です。
当然,友好的な信頼関係を保つ方が先です。
ただ,いざというときのために,安全装置は必要なのではないでしょうか?
友好条約を結んでいる国でさえ,軍隊をもち,あるいはミサイルを向けている現実を考えると,国の安全を考えるのは当然ではないでしょうか?

わたしは直接の戦争体験はありませんが,いとこが学校への登校時,グラマン編隊に襲われ,彼は米を積んでいる貨車の下に隠れたらしいのです。グラマンの発射した弾が貨車を貫通したけど,米で止まって助かったと聞きました。
米を積んでいない貨車の下に隠れた人々は,中には弾が貫通して死んだ人もいたそうです。
父は,満州へ騎兵部隊として馬に乗っていき,マラリアにかかって満足な治療も受けられず,内地に帰ってきて腐ってしまった腎臓を1つ取り出しました。それ以来,病弱になり,あまり長生きはできませんでした。
満州でどのようなことがあったのかを聞くまでに,死んでしまいました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語って下さい  ■名前 : MNG  ■日付 : 05/2/16(水) 17:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼こころさん:ごめん下さい。

>細かいことよりもまずは「戦争は絶対にいけないのだ」という想いを強く持つことですよ、国民にその想いが強ければ強いほど戦争は起こせなくなるのだし、仕掛けられる可能性も減るのです。

おっしゃるとおりです。

>日本人はよく平和ぼけしているなどと平和しか知らない人達が口にしますが、平和であることがどんなに素晴らしい事なのかもう一度よく考えてみる必要があります、終戦を迎えた時の大人達の晴れ晴れとした表情が全てを物語っていると思います。

平和ボケと言うなら、軍隊を持てば国を守れると思うことこそ、平和ボケではないでしょうか。
アフガニスタンにもイラクにも大日本帝国にも軍隊はありましたが、国も国民も守れませんでした。
武力を持てば何となく安心な気がするだけの、自己満足だと思います。

国防に必要なのは、武力ではなく外交力です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 告天子  ■日付 : 05/2/16(水) 18:05  -------------------------------------------------------------------------
   ▼MNGさん:
こんにちは。

>平和ボケと言うなら、軍隊を持てば国を守れると思うことこそ、平和ボケではないでしょうか。

軍隊を持っていたからといって、国が守れるわけではありません。しかし、軍隊を持たないから国が守れるわけでもありません。

>アフガニスタンにもイラクにも大日本帝国にも軍隊はありましたが、国も国民も守れませんでした。

仮に大日本帝国に軍隊がなければ、アジアの歴史は全く変わったものとなっており、日本という国は存在していなかったかもしれません。「国」も「国民」も、おそらく存在できなかったでしょう。

>武力を持てば何となく安心な気がするだけの、自己満足だと思います。
>
>国防に必要なのは、武力ではなく外交力です。

外交は、要するに方策です。武力を持つことで、可能な外交策は増えます。それは確かです。

そして、外交は必ずしも常に成功するとは限りません。「国防」が問題になるときは、生死が問題となるときです。その時、口先だけ、方策だけで武力対決が避けられればそれも結構ですが、必ずしもそうなるとは限りません。

「外交力」に於いても我より他の方が上回るならば、日本国も日本国民も相手に翻弄され、苦しめられるだけです。外交力があれば国防は出来る、というのは違うと思います。それで出来ればそれに超したことはありませんが・・・。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):戦争体験を語って下さい  ■名前 : しげちよ  ■日付 : 05/2/16(水) 18:57  -------------------------------------------------------------------------
   ▼MNGさん:

こんばんは。
防衛力の話が続いているので,続けます。

>平和ボケと言うなら、軍隊を持てば国を守れると思うことこそ、平和ボケではないでしょうか。

軍隊を持ったら必ず国を守れる,とは誰も言っていません。
軍隊を持ったら外交努力が必要ないなど,あるわけないじゃないですか。
それに,日本は外交に軍事力を使えません(改憲してもそうなると思います)。
したがって,外交努力は常に必要とされているのです。
政府が北朝鮮の経済制裁に慎重な態度であるのも,ここからきています。

>アフガニスタンにもイラクにも大日本帝国にも軍隊はありましたが、国も国民も守れませんでした。

すべて,戦略がなっていない国ですね。軍隊があってもどう守るかが大切です。
イラクも軍隊はあったが,アメリカに対してどのように守るか,何も考えていませんでした。フセインが無茶でしたね。
フランスがナチスドイツに占領されたのも,まさかフランスには攻めてこないだろうという油断が,多分にあったのです。イギリスもポーランドが攻め取られるまで,ヒトラーの行為を黙認しています。

もし軍隊が必要ないというのならば,海上保安庁は必要ないことになるでしょう。あれは,外国では正規の軍隊ではないけれども,軍隊に準じるものとされています。また,丸腰でも対話ですべて解決するならば,警察も警棒や拳銃を持つべきではありません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/2/14(月) 14:17  -------------------------------------------------------------------------
   珠さん:
こんにちわ!

私も「スターリングラードの攻防」を以前に見ました。
悲惨な戦争の様子を冷静に撮られてた番組であったように
記憶してます。

>一たん戦争が始まってしまえば、個人の生命や希望など、国家の「命令」一つで踏みにじられて行く。「私たちは無力でした」なぞ言いたくない。そうなる前、戦争が始まる前、まだものが言えるうちに、私たちは憲法九条を守り、日本を「戦争の出来ない国」にしておかなくてはならないと思うのです。

全くその通りです。

>そういうとすぐ「攻めて来られたらどうするのだ」という意見が出ます。「戦争の出来ない国」であると固く誓うことで、日本は「攻めて来られないように」外交を重んじ、武力によらない問題解決に真剣に取り組む国、地球上の和平を模索する国として生き抜いて行くことだと私は思います。

戦争の悲惨さと実態を知らぬ人、自分が直接弾丸に当たったり吹き飛ばされて
命を失う事を想像できない人、かけがえの無い家族を戦争で失うことを
イメージ出来ない人も多くなり、

あまつさえ戦争の勇ましさや軍事オタクと云われる若者はじめ
懲りない面々が増えてることは「ある種危機感さえ覚えます」

かく言う私もかつての「軍国少年」で七・五・三の祝いの写真に
海軍士官の格好で写した写真があるくらいです。

その「軍国少年」が空襲で周りが火の海の中を逃げまどった記憶と
今でもサイレンの音を聞くと空襲の記憶が甦り身震いを覚えるほどです。

戦争で悲惨な目に遭うのは弱い者子供たちです。上野駅に続く地下道に
戦災孤児が悲しそうな目をして大勢いたのもハッキリと覚えてます。

社会に出てからゼロ戦の操縦士であった方の薫陶を得る機会が
ありましたが、神風特別攻撃隊の護衛機に操縦士としての体験を
お聞きしましたが、若くして死と直面せねばならなかった人たちの

実態には美談として祭り上げるのに余りにも悲しい「哀しい」ことで
あったそうです。その苦悩を消すために「ヒロポン」なる覚醒剤が

その当時使用されてたことは良く知られてます。

少し話は逸れますが・その方の話で戦後昭和29年になり日本人も
空を飛ぶことが許されることになり、日本人のパイロットを再び

育成の為に中古の練習機をアメリカ人より買い受けるための
下調べでその機体のエンジン部分をみて「ぞ〜と」したそうです。
相当古い機体にも関わらずエンジン部分にはオイル漏れもなく
黒光りしてたとのこと・・思えば当時、新鋭の零戦でも操縦席にも

時として漏れたオイルが伝わってきたほどでエンジン部のオイルもれは
酷かったそうです。

この事はアメリカの工業力の基本を示すもので、こんな国を相手に
よく戦争をしたものだ・・と云うことに話は繋がる訳です。

話は戻りますが、現代の戦争は核や大量破壊兵器の出現により
勝者も敗者も無い戦争が目に見えてます。戦争の形もイラク現状の

ように終点が見えにくい形になり、一旦戦争になれば取り返しの
つかない悲惨な結果を招きますので戦争は絶対避けると云う
強い意志の力が・・今ほど大切な時期はないのではないかと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 乙女の祈り  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/2/14(月) 16:53  -------------------------------------------------------------------------
   こころ さん、珍 源斎 さん、失礼致します。

こころさん:
<<細かいことよりもまずは「戦争は絶対にいけないのだ」という想いを強く持つ
<<ことですよ、国民にその想いが強ければ強いほど戦争は起こせなくなるのだ
<<し、仕掛けられる可能性も減るのです。
<<・・・「目には目を」の理論ではいつになっても戦争はなくなりませんよ。
<<日本人はよく平和ぼけしているなどと平和しか知らない人達が口にします
<<が、平和であることがどんなに素晴らしい事なのかもう一度よく考えてみる
<<必要があります。

珍 源斎さん:
<<現代の戦争は核や大量破壊兵器の出現により勝者も敗者も無い戦争が目
<<に見えてます。戦争の形もイラク現状のように終点が見えにくい形になり、
<<一旦戦争になれば取り返しのつかない悲惨な結果を招きますので戦争は絶
<<対避けると云う強い意志の力が今ほど大切な時期はないのではないかと思
<<います。

お二人が仰りたいことに、否定はしませんが・・・疑問があります。
戦争には戦争の論理があり、法則があります。その術(すべ)を心得ていなくては、戦争回避も対処も出来ません。ましてや、勝利を得ることも出来ません。
さらに大事なことは、外交で他国から対等に扱ってもらえません。

お二人には共通したお考えが伺えます。
それは戦争を「道徳」で考え、「個人の良心のレベル」で答えを出そうとしていることです。それは殆ど宗教です。信心深ければ、国は安泰・・・でしょうか。

私は、決してそうは思いません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):乙女の祈り  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/2/14(月) 22:09  -------------------------------------------------------------------------
   ステディ ベアさん:
>
><<現代の戦争は核や大量破壊兵器の出現により勝者も敗者も無い戦争が目
><<に見えてます。戦争の形もイラク現状のように終点が見えにくい形になり、
><<一旦戦争になれば取り返しのつかない悲惨な結果を招きますので戦争は絶
><<対避けると云う強い意志の力が今ほど大切な時期はないのではないかと思
><<います。
>
>お二人が仰りたいことに、否定はしませんが・・・疑問があります。
>戦争には戦争の論理があり、法則があります。その術(すべ)を心得ていなくては、戦争回避も対処も出来ません。ましてや、勝利を得ることも出来ません。
>さらに大事なことは、外交で他国から対等に扱ってもらえません。

超疑問です。戦争の論理とは何ですか?
戦争の論理とは戦争が人類、地球環境にとって、これ程、理不尽で
不合理のものはありません。法則と仰有るならば、宇宙の大法則があります。
それは「原因と結果の法則」であり、すべては因果関係に帰することが
説かれてます。現代戦は勝利者の利益は無いと云う現実を知らねばなりません。

外国や人様の尊敬を得るために必要なことは戦力ではなく国の「徳」に
よる処が主体でありで武力、戦力の優先順位は低いのではないでしょうか。

>お二人には共通したお考えが伺えます。
>それは戦争を「道徳」で考え、「個人の良心のレベル」で答えを出そうとしていることです。それは殆ど宗教です。信心深ければ、国は安泰・・・でしょうか。

真の国力を発揮するのは軍事力ではなく国民の理性を背景とした
外交力にあり戦争の芽を摘み去ることにあります。ガン細胞を

小さいうちに除去する如くに・・。戦争になり実際に砲弾が着弾し
炸裂する、際になれば平時に於いて勇しい事を云う人に限って
恐怖の余り小便を「チビッタ」リするものです。

前の大戦でも戦争の実態を知らずに「戦争を謳歌した連中」も「一緒くた」
に戦地の送られて容赦のない弾幕に晒されると後悔の後にちの命と引き替え
に戦争の愚を悟った・と云うこと・独ソ戦スターリングラード攻防戦のさなかの
エピソードが伝えられてます。日本においても同様な話は良く
聞く処です。

戦争の現実は弾に当たって死ぬ人と死とは遠い処にいて生き残り
美味しい思いをする人とが明確に分かれるのも戦争の現実です。

自分の戦死を意識の外において勇ましい事を云う人たちが
国の進路を誤らせることになります。

第一次大戦当時の日本軍の参謀「水野 公徳」氏が欧州戦線を
視察して余りにも悲惨な状況にふれて帰国以後戦争の愚を説いた

事は良く知られてます・アメリカのイラク攻略の前に
ベトナム戦に参加した経験をもつ軍人であったパウエル国務長官は

戦端を開くことに抵抗したとのことが報じられてます。
若い方とお見受けしますが、戦争に真実に関した書物は多くありますので
お目通し頂ければ・・と存じます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 乙女の祈り−第2楽章  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/2/15(火) 10:20  -------------------------------------------------------------------------
   珍 源斎さんがある種の確固とした宗教心の様な物をお持ちであることは、理解できました。そのこと自体を否定するつもりはありません。

▼珍 源斎さん:
>超疑問です。戦争の論理とは何ですか?
>外国や人様の尊敬を得るために必要なことは戦力ではなく国の「徳」に
>よる処が主体でありで武力、戦力の優先順位は低いのではないでしょうか。

国の「徳」と言うのが全く判りません。そんなものが現実に存在するとは到底思えませんし、これから生ずるとも思えません。
国家と個人とを混同した架空の思い入れに過ぎないのではありませんか?
だから、「個人の良心のレベル」での発想だと申し上げているのです。
バチカンのパウロ法王が戦争の抑止力になるのでしょうか?
宗教とは死に直面し、絶望的な人間に心の安楽を与え、支えとなりましょうが、
しかし、その宗教さえも戦争の種になっているのではありませんか?

戦争の論理、法則はありますよ、戦争や武力紛争は、人類社会の本質的な属性でしょう。絶えず発生する戦争や紛争に備えて、国としていかなる態勢をとっていくのか、あるいは未然防止にはどうするのか、考えること自体は悪ではありませんよね。方法論として、祈るのか、具体的に対策を考えるのかの違いはあるでしょうが。

その他、縷々お述べになっていることについては、特に異論はございません。
まぁ、宗教論をここで戦わすつもりはありません。
お互い、持論を述べ、あとは、ROMerの方たちの声なき判定に委ねましょう。

>若い方とお見受けしますが、戦争に真実に関した書物は多くありますので
>お目通し頂ければ・・と存じます。

温かいご指導有難うございます。未熟な私、さらに勉強いたします。
でも、年を経ても、狭量でただの頑迷固陋な存在も居るかもしれません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):乙女の祈り−第2楽章  ■名前 : 英  ■日付 : 05/2/15(火) 19:12  ■Web : http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?rinzi  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん:

横から失礼します。
私は国にも「徳」があると考えます。
その国徳は、国の歴史と国民性から積み上げられていくものだと考えます。
憲法云々は表面上の事であり、国がどの様な憲法を有するかは、やはり国がどの様な歴史を歩み国民性がどの様に紡がれてきたか、その結果だと。

浪花節ではないですが、日本人は耐える事を美徳とする傾向にあります。
それ故、憲法九条や専守防衛といったものが受け入れられてきたのでしょう。
しかし日本人の美徳とはそれだけではありません。
私は飼い犬のように振り回されなければ自国の安全を守れないような現状は、受け入れがたく思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 乙女の祈り−第4楽章  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/2/16(水) 0:59  -------------------------------------------------------------------------
   英さん、レス、有難うございます
英さん以外の方にも申し上げるつもりですので「釈迦に説法」をお許し下さい。

▼英さん:
>私は国にも「徳」があると考えます。
>その国徳は、国の歴史と国民性から積み上げられていくものだと考えます。

私は、国(近代国家)とは
1 一定の国土を保有 2 国民が定住 3 組織された政府
4 主権をもって統治している社会組織
と習いました。(実はノートから引いて書いているんですけどね)
すなわち無人格だと。無人格なものに徳が求められるのでしょうか。

国民性なら、今でも各国に在ります。
日本の過去においてなら儒教的道徳体系が、少なくとも精神的体系として存在する国ではあったと思います。心情としては理解しますが、しかし、それをもって国徳というのは、ちょっと納得しかねます。
ましてや、国徳をもって、防衛力に優先させ、国家の安寧を委ねるなどという「たわけた」論旨には血が逆流する思いです。

>憲法云々は表面上の事であり、国がどの様な憲法を有するかは、やはり国がどの
>様な歴史を歩み国民性がどの様に紡がれてきたか、その結果だと。
>浪花節ではないですが、日本人は耐える事を美徳とする傾向にあります。
>それ故、憲法九条や専守防衛といったものが受け入れられてきたのでしょう。

私は九条を始め、憲法は忍耐の所産ではなく、痴的怠慢の産物と断定します。
多くは述べませんが、多数の他の条文(例えば六十六条二項 文民条項)と整合していないところなど、滅茶苦茶です。
決して国民が我慢してきたわけでなく、国家の一番大事なところをうやむやにして、他人任せにし、全て人のせいにする社会に変容させた、と心底口惜しがっています。

>しかし日本人の美徳とはそれだけではありません。
>私は飼い犬のように振り回されなければ自国の安全を守れないような現状は、受け入れがたく思います。

同意です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):乙女の祈り−第4楽章  ■名前 : 珍 源斎  ■日付 : 05/2/16(水) 14:17  -------------------------------------------------------------------------
   ステディ ベアさん:


>>私は国にも「徳」があると考えます。
>>その国徳は、国の歴史と国民性から積み上げられていくものだと考えます。

>国民性なら、今でも各国に在ります。

国民性の中に徳・徳目があります。

その個人としての国民性も含めてその集団が国家を構成してる
処からもその国民性なる中に徳目があります。盗まない、殺さない
、素直で、尊敬する心、賢く理性的である等々・・・・、

街を観てもゴミが散らかってない、住民が明るく親切である等々・・・
その街の評価は高まります。・・背景として徳をの高さ故です。

他人がみて尊敬に値すると云うこと・・も 
広義の意味において・・徳・徳目に値すると・・思われませんか?

視点を少し変えてみます。日本では警察官及びそれに準ずる人にしか
拳銃を持たせません。・これは誰でも拳銃や銃を持ってる
国とは大違いですね。・

警察官の拳銃に所持は暴力を併せ持つ犯罪者への備えです。
イギリス「スコットランド・ヤード」では一般の警官は拳銃を
持っておりません。

日本の自衛隊も戦力はあっても戦争に加担したことは一度だって
ありません。・・これも多くの外国から尊敬に値すること
との評価がある位です。

先の大戦に敗北、以来、日本人は否日本国民は意識はせずとも
国としての徳目を積んできたことは間違いの無い事実です。

想えば敗戦後日本は東洋のスイスになるんだと云う戦後復興の
中で聞いたこともありますし、私もそのようになりたい・・と
考えたことがあります・・。

狭義の意味に閉じ込められた「徳」でない広い意味を理解する
柔らかい想像力を持って欲しいと思います。

戦争の実態と現実を真摯に想像することが出来れば考え方も
変わってくるのではないかと常々感じてます。

思えばアイゼンハワー米国大統領、彼は第二次大戦、欧州戦線
での最高司令官でしたが、大統領を辞任するにあたっての
演説の中に戦争の芽を造らせない戒めに準じた内容があった
ように記憶してます。

>ましてや、国徳をもって、防衛力に優先させ、国家の安寧を委ねるなどという「たわけた」論旨には血が逆流する思いです。

もう少し焦点を広角にして頂ければ「たわけた」論旨が実は
人類の未来を決する大切なものであることが理解され・・
・・血の逆流も治まるでしょう。

論点が少々ズレますが・もし、憲法による保護が無ければ、
日本は徴兵制があり、場合によってはベトナム戦や他の戦線に
狩り出されてたのではないか・との思いも併せて持ってます。

戦後60年直接戦争に関われずに来れたのも現憲法のお陰で
あったとの思いを強く持ってます。
>
>>憲法云々は表面上の事であり、国がどの様な憲法を有するかは、やはり国がどの
>>様な歴史を歩み国民性がどの様に紡がれてきたか、その結果だと。
>>浪花節ではないですが、日本人は耐える事を美徳とする傾向にあります。
>>それ故、憲法九条や専守防衛といったものが受け入れられてきたのでしょう。
>
その通りです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 乙女の祈り−最終楽章  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/2/16(水) 15:00  -------------------------------------------------------------------------
   珍 源斎さん 私の暴走気味の書き込みに逆ギレもされず、ご丁寧なご返事有難うございます。スルーされなかったことに、何より感謝です。

▼珍 源斎さん:
>国民性の中に徳・徳目があります。

>もう少し焦点を広角にして頂ければ「たわけた」論旨が実は
>人類の未来を決する大切なものであることが理解され・・
>・・血の逆流も治まるでしょう。

>戦後60年直接戦争に関われずに来れたのも現憲法のお陰で
>あったとの思いを強く持ってます。

これからは、もう少し穏やかな表現に心がけるように努力致します。

色々ご返事致したいのですが、所詮私は少数派、しつこいのは自分自身の美学に沿うところではないので、この辺で失礼致します。
これからもよろしくお願い致します。

重ねて、有難うございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 日本国が無ければ・・・  ■名前 : 英  ■日付 : 05/2/16(水) 18:32  ■Web : http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?rinzi  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん:

レスを受け取りました、ありがとうございます。

私は日本という国はまれに見る有徳の国であると考えます。
今でこそは醜く歪められた話で日本という国が見えなくなっておりますが、日本という国が無ければアジアの地図は大きく塗り変わり、アジア諸国の発展も無かったであろうと思います。
戦時中の、まるで虫けらを焼き殺すような空襲や原爆投下、このような暴虐の限りをつくす白人勢力に一矢報いたのが日本国です。
累々の無残な仏とそれに合わせる手。
しかしながら日本人は恨みつらみを飲み込んで平和への道を歩んできました。
日本の徳分と、私は考えております。

徳分とは、数字や測定で見えてくるものでは無いので、なかなか理解しがたいかもしれません。
「犬に仏性は有りや無しや!?」との禅問答では有りませんが、考えても解るものではないのです。
ただ見えるのは、日本国と日本人の足跡でしょう、それだけで物語るものは多いと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 警告>英さん  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/2/18(金) 18:28  -------------------------------------------------------------------------
   ▼英さん(43638):

Ray@スタッフです。

この書き込みは、
>戦時中の、まるで虫けらを焼き殺すような空襲や原爆投下、このような暴虐の限りをつくす白人勢力に一矢報いたのが日本国です。
等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/
字種、文字数の制限)のうち
  1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止
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に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。

なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの
返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください
(総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。
よろしくお願いいたします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : もう止めて下さい。  ■名前 : 英  ■日付 : 05/2/18(金) 19:01  ■Web : http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?rinzi  -------------------------------------------------------------------------
   ▼管理スタッフさん:

一目見て意味の解らない処理は止めて下さい、掲示板運営の混乱の元になります。
(その意味で処理自体が削除対象です、自覚して下さい。)

処理の方法と謳い文句に欠陥があります。
正常なサイト運営を目指すのであれば、改善の必要性がある事をお知らせします。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 佐藤 圭  ■日付 : 05/2/14(月) 16:30  -------------------------------------------------------------------------
   珠さん
やっと体験談でてきましたね。例 北の老兵さんのように。
ただ注意したいのは
体験というものは記述は難しいのです。
 下手な部分的体験より小説(ノンフィクション)、映画、劇 などがよいですね。特定なことを聞かれて答えることのほうが易しいです。
このスレッド北の老兵さんのような体験談もっと欲しいでしょうが私の記述はパンチが利かなくて、あるいは長々となりやすいです。
 私体験は山ほど沢山あると言いましたがそのとおりですが単発的、部分的にしか語れません。書くよりも 孫らに語っていきたい。または 体験を元にした小説などの紹介がよいと思います。
この珠さんのスレッドROMの方が多いとおもいます。
この次は勤労奉仕、被爆と防空壕、食べられない空腹、軍事教練など少しずつ記述、いや語りましょう。1930年前後(大正、昭和一桁)生まれの方是非語り合いましょう。
珠さん ゆっくり 待ちませんか。
北の老兵さん どうも 有難うございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 戦争が好きな人はいないでしょう。  ■名前 : 英  ■日付 : 05/2/14(月) 22:54  ■Web : http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?rinzi  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珠さん:

確かに戦争は避けられるものなら避けたいのが、常人の感覚です。
私もアメリカが行ったイラク侵攻のような不条理な戦争に駆出されるのはゴメンですし、逆に侵攻を受けて家族や知人が殺されるのも勘弁です。
これはおおよそ日本人ほとんどが、当然のように抱く考えではないでしょうか。

かえって、
>一たん戦争が始まってしまえば、個人の生命や希望など、国家の「命令」一つで踏みにじられて行く。「私たちは無力でした」なぞ言いたくない。そうなる前、戦争が始まる前、まだものが言えるうちに、私たちは憲法九条を守り、日本を「戦争の出来ない国」にしておかなくてはならないと思うのです。
>
>そういうとすぐ「攻めて来られたらどうするのだ」という意見が出ます。「戦争の出来ない国」であると固く誓うことで、日本は「攻めて来られないように」外交を重んじ、武力によらない問題解決に真剣に取り組む国、地球上の和平を模索する国として生き抜いて行くことだと私は思います。

現在の日本はアメリカの核の傘の下でのうのうと惰眠を貪っています。
核の傘の下からイラクまで出向いて平和を訴える日本人もいます。
私は、わざわざ他国の軍隊に駐留されないと物も言えない現在の日本に、なんとも情けない思いをしております。
更にその上、本来なら、他国の諜報員や特殊部隊が本土に上陸し、邦人を拉致していくなど侵略行為です。
そしてその邦人は相手国のご機嫌を取らねば、返還協議もおぼつかないありさまです。

侵略する軍隊は当然欲しくありません、また周辺諸国においてもご遠慮願いたい。(無理ですが)
ならば侵略は一切しないが、国民と国益は毅然と守ってくれる、そんな自衛隊を望みます。
これは自衛隊に注文を付けるのでは無く、シビリアンコントロールの元にある自衛隊ですから、自衛隊にどうあって欲しいかを国民全員がしっかりと自覚をしなければなりません。
自衛隊が理不尽な侵攻に付き合わされる事が無いようにするには、どうしたらいいのか、しっかり考えるべきです。

自衛隊自衛隊と、何かにつけて非難をする人がいますが、現在は自衛隊が日本国の矛盾と不条理を背負っているだけです。
国民が国民を生贄にしているこのおぞましさ。
いつかは、自衛隊だけでは背負いきれなくなるかもしれません。
その時は誰が生贄になるのでしょうか。
そうならないように現実をしっかり見据えた考えが必要とされるのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争が好きな人はいないでしょう。  ■名前 : 桃李  ■日付 : 05/2/15(火) 1:48  -------------------------------------------------------------------------
   自衛隊は生贄ではないです。
徴兵制ならそういうことも言えますが、志願して入るのですから、
違います。

それから、戦争については、人間の本来持っている破壊欲求も頭に入れて考えなければなりません。

人間という生き物が集団になり、一つの方向に向けて、何かを破壊するために進んでいく時の非情な心理も考察の対象です。

戦争の歴史と、人間の顕在意識と潜在意識を考察して人間自体を知ることも、理性で戦争を避けるための知恵です。

国防などと並列で常に考えなければいけない問題です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争が好きな人はいないでしょう。  ■名前 : 英  ■日付 : 05/2/15(火) 19:03  ■Web : http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?rinzi  -------------------------------------------------------------------------
   ▼桃李さん:

>自衛隊は生贄ではないです。
>徴兵制ならそういうことも言えますが、志願して入るのですから、
>違います。

これは私の書き方がますかったですね。
自衛隊が生贄になるとは、本来必要である自衛の為の組織が、無理やりの憲法解釈と無節操な軍隊批判により、日本国の歪みを背負っていると、こう言いたかった訳です。
何も自衛隊員は歪みを好き好んで受け入れている訳では無く、日本国の安寧を願っての奉公です。
軍人サマサマとはこれは間違った考え方ですが、少なくとも同じ国の同胞が危険を背負い役目に勤しむ以上、私は敬意をはらいたいと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 矛盾をなくすためにするべきこと  ■名前 : Ray  ■日付 : 05/2/15(火) 20:34  -------------------------------------------------------------------------
   ▼英さん(43499):

Rayです。横レス失礼します。

英さんのご意見をまとめると、
「戦争したいわけではないが、日本が侵略されるのも嫌なので、
日本の国民と国益を守るための軍事的防衛力として自衛隊は必要であり、
そのように明記するべく改憲するべき」
ということなのだと思いますが、
自衛隊と憲法に矛盾が生じてきたのは、政府が
「憲法九条が『自衛権は、これを認めない』としている
『自衛権』は集団的自衛権であって個別的自衛権ではない」
などとして解釈改憲を押し進め、既成事実化を続けてきて
しまったからであって、憲法そのものがもともと
矛盾を含むものまたは実行不可能なものであるからではありません。

したがって、この矛盾を解消するために改憲する、というのは、
法を犯してきた人が自分の違法性を正当化するために
(自らの行為が合法となるように)
法律を改正するようなものであり、
筋の通らない行為であると思います。

さらに、英さんは
>侵略する軍隊は当然欲しくありません、また周辺諸国においてもご遠慮願いたい。(無理ですが)
>ならば侵略は一切しないが、国民と国益は毅然と守ってくれる、そんな自衛隊を望みます。
とお書きですが、現在自衛隊は多国籍軍の一員として
イラクで活動を続けています。

この活動は確かに「国益を守るため」ではあるのかも知れませんが、
そのような理由で海外での活動を認めるのであれば、
それが相手に対する「侵略」に発展する可能性もあると思います。

現在その歯止めになっているのは憲法九条の存在ですが、
九条を改訂して自衛権やそのための軍事力の保持を認めてしまえば、
日本の軍事行動に対する歯止めを失うことになり
(九条はアメリカの要求を拒否するための論拠にもなっています)、
「国民と国益を守るため」という理由で
他国に対する軍事行動が許容されることにつながるでしょう。

今、ここまで解釈改憲で押し進めてきた人たちが
新しい憲法の文言をそのとおりに遵守するとは
私にはとても思えませんし、
「侵略する」と宣言して侵略する国はないと思いますから、
九条を改訂することが日本の軍事行動の拡大につながる
という見方は決して過剰な反応ではないと思います。

また、第二次世界大戦以降の国際情勢は、
冷戦や各地での民族紛争などがあったものの、
国際的な問題は軍事力で解決するのではなく、
外交交渉を通じた平和的な解決を目指す方向に
向かっていますから、憲法を改訂して(たとえ自衛のためであれ)
軍事力を使えるようにすることは、
時代の流れに逆行するものでもあると思います。

英さんは
>侵略する軍隊は当然欲しくありません、また周辺諸国においてもご遠慮願いたい。(無理ですが)
とお書きですが、初めから「無理」と決めつけてしまうのではなく、
周辺諸国に限らず世界に向けて
「侵略する軍隊を持つのはやめる」
という憲法九条の精神を広めることこそが
日本にできる最大の国際貢献であると思います。

以上の理由から、
「自衛権と自衛隊の保持を明記することで現実と憲法の矛盾をなくす」
という改憲には私は賛成しません。

念のために付記しておきますが、
私は日本が侵略されることを望むわけではありませんし、
他国の紛争被害者を救済する行動を
日本が国として行なうことに反対するわけでもありません。

なお、北の老兵さんが(43525)でお書きのとおり、
改憲の是非・軍備の要不要について議論することは
このスレッドの趣旨とはずれますので
この件に関して議論はいたしません。
あらかじめお断り申し上げます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):矛盾をなくすためにするべきこと  ■名前 : 英  ■日付 : 05/2/15(火) 20:59  ■Web : http://www3.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?rinzi  -------------------------------------------------------------------------
   ▼Rayさん:

>自衛隊と憲法に矛盾が生じてきたのは、政府が
>「憲法九条が『自衛権は、これを認めない』としている
>『自衛権』は集団的自衛権であって個別的自衛権ではない」
>などとして解釈改憲を押し進め、既成事実化を続けてきて
>しまったからであって、憲法そのものがもともと
>矛盾を含むものまたは実行不可能なものであるからではありません。

常識的に考えて単純明快に実行不可能なものです。


矛盾をなくすためにするべき事は、理想を目指すべく現実的な認識を持つ事です。
軍隊を持たず平和を強く希求すれば戦争が起きないなどとは、暴論です、亡国物の暴言です。
戦争の無い世の中は誰もが望むものでしょうが、何もかもをすっ飛ばしていきなり究極の理想郷などと、漫画のごとくの展開です。
何十年いや百年二百年かかるであろう出来事を、下積みもなしに道理も世界情勢もお構い無しに「ハイ軍隊無いのです、戦争できませんよ〜」とやったところで火に油を注いで戦争を作り出すだけです。
ゲーム狂の少年が殺人事件を起こしましたが、バーチャルとリアルの区別を持って下さい、皆さんいい年した大人なのですから。
国民の認識が矛盾だらけなのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 平和と和  ■名前 : 風谷 米造  ■日付 : 05/2/17(木) 21:32  ■Web : http://www.king-crimson.com/graphics/entrance2.jpg  -------------------------------------------------------------------------
   特に英殿へのコメントではありません。
戦時体験ではないのでこの場所をお借りいたします。


久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ

東洋人、ことに日本人は古来「平和」といった固定観念化したものを云々したことは一度もない。生きて働くものにとって刻々が和の実現に他ならない。

上記の歌の如く、生きている万物はうつろいゆく。
生あるものは必ず死があると諦観するが、現実は咲いた花がいま散ってゆくそのあわただしさをみつめることによって、久方の春の日ののどけさが身にしみてわかる。
それは観念ではなくて人生の体験なのである。

他を侵略せねば生きてゆけなかった環境のもと西洋発生のイデオロギーなるものは、一度咲いた花が散らないと受け取るのである。
まさにそれは造花思想である。
生き物の世界を断絶し抽象化し、殺戮しているのである。
弱肉強食であるが故に弱肉強食のない世界を、即ち平和に心からあこがれる。
しかし、人は猛獣の王として、他の動物、植物の生を奪わねば生きていけぬ。

「体験の拒否」である。
平和思想も同じである。
人生は生き物として刻々に生まれかつ死んでゆき、停まる事を知らない。
これからがいよいよ平和ですなどと区切りがつけられるであろうか。
戦争か平和かという分け方がすでに非体験的である。

平和を叫び、闘争をこととする人々の顔は陰気にゆがみ、いささかもなごやかなものがない。
それは己の環境や物的不平に克つ、武の志が欠如しているからである。
「御国人はおのづから武く正しく、直く、生まれつく。これを大和心とも御国魂ともいふてござる」(佐藤通次)という日本人の格式は、実に己に克つところに「和」の達境を養正したのである。

聖徳太子の言われる「和」とは、人間の闘争的本能をみずからに克ち超えられる大悟の心境を言われている。
内なるエゴイズムをそのまま肯定して、外に平和をかち取ろうと闘争するは永遠に終わらない。
平和と和の似て異なる点をあきらかにすることは、現代の西欧化したあらゆる問題を解決する鍵となろう。
和とはエゴイズム、つまり利我心を克服した瞬間に発揚される真我のむすび、自他一如の風韻を意味する。

「生」の現実にたたないあらゆる観念的平和論は砂上楼閣にすぎない。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 05/2/15(火) 13:13  -------------------------------------------------------------------------
   スレッドに「戦争体験を語って下さい」とあるじゃないですか。

どうして、自衛隊、軍拡、戦争の可否の方に話を持っていくのか不思議でならない。スレッドの趣旨に合わないレスはスルーするのが懸命。ほとんど右よりの人の常套的な論調ですから。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 乙女の祈り−第3楽章  ■名前 : ステディ ベア  ■日付 : 05/2/15(火) 18:49  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:
>スレッドに「戦争体験を語って下さい」とあるじゃないですか。
>どうして、自衛隊、軍拡、戦争の可否の方に話を持っていくのか不思議でならない。スレッドの趣旨に合わないレスはスルーするのが懸命。ほとんど右よりの人の常套的な論調ですから。

趣旨に合うか合わないか、決め付けはいけないと思います。
「乙女の祈り」とは、スレッドを立ち上げた方への私の思いです。
それはそれでいいんです。何も知らない乙女なんだから・・・

しかし、見識ある老人党の皆さんは、体験は勿論、目や耳(書物等)を通して得た、戦争と言うものに対する色々な考え方、見方を示してやることが、乙女に対する責務でしょう。

無知の大罪と言います、戦争と言うものの一面しか知らない人に、なるほど、そういう見方もあるのかと伝えること(これは左右両方に共通)・・・立派に趣旨に適っているではありませんか。
間違ったことを伝えるのは、教えないこと以上に罪です。

それにしても、気に食わないからと言って、右だの左だの、決め付けはお止し下さいな。言論で行きましょう。私は素直ですよ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 警告>ステディ ベアさん  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/2/15(火) 20:29  -------------------------------------------------------------------------
   ▼ステディ ベアさん(43544):

Ray@スタッフです。

この書き込みは、
>「乙女の祈り」とは、スレッドを立ち上げた方への私の思いです。
>それはそれでいいんです。何も知らない乙女なんだから・・・
等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/
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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):乙女の祈り−第3楽章  ■名前 : 珠  ■日付 : 05/2/16(水) 2:31  -------------------------------------------------------------------------
   おお、ステディ・ベアさんが純情な「乙女」なのだと思っていた!(爆)

しかし、ここはハッキリ、「戦争体験を語る」スレッドですから、論争をなさりたい方は別のスレッドを立ててなさって頂きたいと願います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : [管理者削除]  ■名前 :  ■日付 :  -------------------------------------------------------------------------
   この書き込みは管理者によって削除されました。(05/3/18(金) 12:38)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):乙女の祈り−第3楽章  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/2/16(水) 20:02  -------------------------------------------------------------------------
   その2

その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 彼がわが子のように育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青年たちが,斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。

和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は,つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。

A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?)

B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。

 間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て,彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで,ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら,自分も殺されただろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。

 和夫には,一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて,両親の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に,近隣住民たちは眠れなかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず,知らないふりをした。結局,彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の幼子だった。和夫の財産は,勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り,この事件は村人たちの沈黙の中,しだいに忘れられて行った。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):乙女の祈り−第3楽章  ■名前 : 憲法9条改正  ■日付 : 05/2/16(水) 20:04  -------------------------------------------------------------------------
   その3

振り返って考えてみれば,日本の敗戦後朝鮮半島では,このような殺害劇がたくさん発生しただろうと思われる。日本の無条件降伏以後,北韓地域にはソ連軍がすばやく進駐し,軍政を敷いたが,南韓に米軍が上陸したのは9月中旬だった。したがって,約1カ月程度,南韓地域には無政府状態が続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由で日本人とそれに加担した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろうし,彼らは日本人を殺し,財産を強奪し,日本女性を強姦しただろうと思われる。

 そして,朝鮮人たちが8月15日,日本の降伏を喜んだいちばん大きな理由は,おそらく,日本の一部として敗戦国の暗澹たる未来をともにするのが嫌だったためではなかろうか。日本統治の最後の期間,特に大東亜戦争が始まった,最後の4年間は,日本人はもちろん,日本の統治を受けていた地域の住民たちも,大きな苦痛に見舞われた時期だ。それゆえ,朝鮮人たちにとって8月15日は,忌まわしい戦争の苦痛から脱することのできたという点で,また日本人たちを殺し,財産を奪える機会が与えられたという点で,とても喜ばしいことだっただろう。

問題は,韓国社会において,朝鮮人によってほしいままにされたこのような虐殺と残酷な行為はまったく知られておらず,また調査されたこともなく,われわれが受けた被害だけは,繰り返し強調されているという点だ。そして日帝統治の期間に受けたとされる被害なるものも,事実よりずっと膨らまされているだろうことは,容易に想像がつく。

朝鮮は日本の統治を受け,未開な農業社会から短期間に資本主義工業国へ発展し,高い生活水準を享受してきた。しかし,日本が戦争に負けるやいなや,素知らぬ顔で,まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのごとく,日本を呪詛し,彼らの財産を奪い,虐殺した行為は,明らかに人倫に悖る犯罪行為にほかならない。このようにして日本人をすべて追放したあと,南韓国と北韓国の政府は,強奪した日本人の土地と工場を「敵産」と呼び,堂々と山分けした。

もし日本が戦争で勝利したり,少なくとも領土を保全され,休戦にでもなったなら,はたして朝鮮人たちはこのように振る舞えただろうか。おそらく,前よりもっと自発的に日本人であることを主張しつつ,忠誠を尽くしただろう。ところが,戦争に負け,くっついていても別にいいことがないと判断した瞬間,彼らは態度を急変させ,日本に仇として接し始めたのだ。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(5):乙女の祈り−第3楽章  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 05/2/16(水) 20:24  -------------------------------------------------------------------------
   憲法9条改正さん,

悲しい話ですね、その韓国人孤児達の行いの源泉を辿ればもっと悲しい話があるのでしょう。

戦争は嫌ですね、歴史に「もし」はないが、もし軍国日本が韓国を植民地にしていなければ、その悲劇は起こらなかったのだ。

自衛隊が居るイランにもおなじような悲劇が此れからも起こるのだろうか、歴史に「もし」はないが、歴史は未来への警鐘になる。

果てしなく想像を働かせていくと、、、茫漠たる悲哀に胸が痛む。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : [管理者削除]  ■名前 :  ■日付 :  -------------------------------------------------------------------------
   この書き込みは管理者によって削除されました。(05/3/18(金) 12:38)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 移動しました  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/2/18(金) 18:32  -------------------------------------------------------------------------
   ▼英さん(43703):

Ray@スタッフです。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 移動しました  ■名前 : 管理スタッフ  ■日付 : 05/2/18(金) 18:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼憲法9条改正さん(43656・43657・43658):

Ray@スタッフです。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : ビーンズきし  ■日付 : 05/2/16(水) 4:49  -------------------------------------------------------------------------
   前略 老人党員の皆様、ぜひ戦争体験をお聞かせ下さい。私の父親は昭和4年生まれ、終戦が一年遅ければ体験者・・・いや、この世にいなかったかも知れません。ついでに、わたしも。

 その父親から生の声で聞けるのは、尋常小学校で軍人の先生が日本刀で鉛筆を削っていた話と、焼夷弾の雨に降られた話のみです。

 ぜひ、皆様のお話を読ませて下さい。このスレッドが賑わえば、「自分は戦争はキライだけど、戦争は否定しない」みたいな方々は言葉を失うはずです。

 最後に、珠さんへ感謝を込めて「ジョークの広場2005」書込みを贈ります。草々

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 佐藤 圭  ■日付 : 05/2/16(水) 17:57  -------------------------------------------------------------------------
   昭和20年3月の東京空襲は 米軍B29による波状焼夷弾落下で1回2時間で約20万人の死傷者を出す悲惨極まりない惨劇であった。
火災で逃げる多くの人を目がけ低空から数十機で爆弾を落とすので荷物、着物まで焼いた。本所、深川、浅草、日本橋など隅田川周辺の木造住宅を焼き尽くした。
下から見るとB29の腹から爆弾がでてくるのがよく見えた。

この状況は後にこの辺に住んでいた早乙女勝元さんによって克明に報告されている。「東京が燃えるー戦争と中学生」岩波ジュニア新書でみることができる。
直後の写真、体験のみでなく、後で彼が調査した実態がリアルに描かれている。

人の骨まで焼き残らず灰だけになった電話交換室、消防署などの死人数を確認するのに残った鉄兜、がま口の金物(当時1人1個もっていた)で死人数を確認したことが報告されている。

またこの実態は焼け跡作家の野坂昭如作品の「火垂る(ほたる)の墓」が感動的に描かれている。アニメ独特の映画がある。ぜひ見て欲しい。

戦争の被害、非人間的体験、文字、言葉では表現できない惨事が多い。
戦争被害体験で戦地でのことは話題になるが
私は東京など内地(特に都市部)の苦しみ、毎日、毎晩のような空襲警報、(電灯の周囲を黒の布で包み外に光が見えないようにする)食べるものが無くいつも腹へってひもじい、勤労動員で中学(旧制)など学校は生徒がいないなど等が以外と伝わっていないのではないか。
沖縄、広島、長崎は生き残り者によってまた多くの著書、作品で知られ、南方戦線も戦後よく語られているが内地の普通の生活者の戦争被害が語られていないと思う。
また次回語りますが疎開先の田舎での生活も悲惨なものでした。

消防隊、隣組は守ってくれたが軍隊は住民を守ってくれなかったのが事実。
満州、沖縄では軍隊は先に引き揚げている実態など。
もう戦争はごめんです。
そのために「護憲9条」は自衛など理屈に妥協はしません。
戦争前後の体験を語ることは平和と護憲9条に直結します。どうぞ 老人党の皆さん1940〜1950年(戦争前後)をもう一度想いだして、語りましょう。
嫌でしょうが。自分で見た文献、作品の紹介も是非 出し合いましょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験東京空襲を語って下さい  ■名前 : 佐藤 圭  ■日付 : 05/2/16(水) 18:04  -------------------------------------------------------------------------
   是非 見る、聞く、後でわかったことなど 体験者は語ってください。
簡単なことから。(追記)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語って下さい  ■名前 : ぎみゆら <gimiyura@fox.dti2.ne.jp>  ■日付 : 05/2/17(木) 12:17  -------------------------------------------------------------------------
   佐藤圭さん、こんにちは。


おっしゃるとおり、東京大空襲など都市部の戦災の記憶を語り継ぐ
のは、とても大事ことの一つだと思います。

勝手ながら、以下の二冊の本は、現在でも書店等で通常の方法で
入手できますので、私がやっている「百冊の本」スレッドのほうで、
リストに加えたいと思います。

◆『東京が燃えた日ー戦争と中学生ー』
   (早乙女勝元著、岩波ジュニア新書、1979年)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/50/3/5000050.html

◆『アメリカひじき・火垂るの墓』
   (野坂昭如著、新潮文庫、1968年)
http://shinchosha.co.jp/cgi-bin/webfind3.cfm?ISBN=111203-7

ありがとうございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 北の老兵  ■日付 : 05/2/16(水) 19:49  -------------------------------------------------------------------------
   戦争体験を語って下さい。

戦争体験を語って下さい。

戦争体験を語って下さい。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語って下さい  ■名前 : こころ  ■日付 : 05/2/17(木) 15:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼北の老兵さん:
>戦争体験を語って下さい。
>
>戦争体験を語って下さい。
>
>戦争体験を語って下さい。


昭和19年、大阪は危険だと言うことで、わたくしは9歳で縁のあまり濃くない親類のところへ疎開いたしました
疎開先で大阪空襲を知らされ、その後ずいぶんたってから空襲で母が死んだことを知りました
疎開先は農家であったせいか大阪にいた頃よりもひもじい思いをせずに済みましたが、やはりいつも腹を空かせていた思い出ばかり浮かんできます

父は出征先で病死いたしましたので大阪にいた頃も貧乏ではありましたがそのころはまだそれほど切迫した思いはなく、平凡な日々を暮らして居ったのですが、疎開する頃くらいから町中の雰囲気も学校の雰囲気も変わってまいりまして、戦争なんだなあと子供心に感じておりました

戦争が終わりしばらくたって大阪へ帰されたのですが、それから先の事柄は他人様はおろかわが子にも話す気にはなりません
惨めでもありますしわたくしの下手な物言いではとうてい理解してもらえないでしょうと思います。
戦争の体験とは言えぬ程度の話で恐縮ですが「あの戦争がなかったらなあ」それだけをいまだに強くおもいます
戦争について語ることは簡単ですが思いを伝えることは難しいものです
小難しい、小賢しい、知ったかぶりの戯れ言にはあきれてものも言えませんし、そういう者達に言うて聞かせてやる気持ちもありません

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 佐藤 圭  ■日付 : 05/2/17(木) 16:08  -------------------------------------------------------------------------
   見ました。 こころ打たれ(感動)しました。
私のほうが少し年上ですが、よーくわかります。
私も書きましたが、本当の心情、は書けませんよね。
お子さんには機会あるとき語ってください。
戦後 戻ったあとのことを。
私も孫に語ります(嫌われないようチャンスをみて)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 珠  ■日付 : 05/2/18(金) 1:16  -------------------------------------------------------------------------
   ▼こころさん:
ご両親とも戦争で亡くなられたのですね。まだ10歳にならない前に。本当に大変な思いをされたのでしょうね。語りたくないほどの辛い思いを乗り越えて、今日のこころさんがお有りなのだと思います。

私の母からは、空襲の火の中を濡らした布団を被って逃げた話をよく聞きました。父は飛行機が低空飛行して来て機銃掃射を受け、溝に飛び込んでかろうじて助かったこと。特攻隊を志願して部隊を抜けたら、その部隊が南方に行って、ほとんど全滅してしまい、特効で死ぬはずの自分が生き残ってしまったことをよく聞きました。

町の亡くなった人を記念した石塔のある小さな公園を、戦争に出征した町の人たちと毎月掃除していましたが、皆年老いて、今では父1人で掃除を続けています。父の学友の3分の1は戦争で死んだそうです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(4):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 相良唯夫  ■日付 : 05/2/18(金) 2:38  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珠さん:
はじめまして。場違いは承知の上レスさせて戴きます。
私は家族は町内でも珍しく兵隊にも行きませんでしたし、戦争の犠牲者もいません。そんな私が戦争の体験は語れませんが、恩師と恩師のお父様が広島の原爆で被災されました。私は古神道の信徒であり、毎月氏神様と崇敬神社にお参りし、世界の平和をお祈りしています。
ここに投稿されている方は、深い知識をお持ちの方ばかりで、私などが加わる余地の無いほどレベルが高く、毎日楽しく勉強させていただいています。
戦争を好む者は居ないと思いますが、残念ながら争いの火種は消えませんね。
日本が平和の発信地になるには、世界から信頼に足る日本にしなければなりません。信頼に足る日本にするにはどうすべきか。どこを改めるべきかを考える必要があると思います。
また、老人党のこの掲示板が平和の発信地になるには、少なくとも仲間内だけで満足せず、幅広く意見を聞き、信頼に足る掲示板を心掛けなければならないと思います。平和という志のある者は、道は異なっても目的は同じはずです。
面と向えば殴り合いもあるかも知れませんが、ここは自覚(字書く)して冷静に書けるといいですね。
真剣であり、熱くなっても、相手を罵ることを慎み、仲良く喧嘩ができないものでしょうか?品性も大事であり、信頼に足る書き込みを願っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):戦争体験を語って下さい  ■名前 : ほい  ■日付 : 05/2/17(木) 23:31  -------------------------------------------------------------------------
   この話は私がユナイテットデフェンスというホームページの掲示板にて90式改というハンドルネームで書き込んだ文章です。
引用開始
今月2日に実家(市内で3キロしか離れていないけど)へ帰って母の再婚相手(ちなみに被爆二世)の話を聞いてきました。
母の再婚相手の両親は広島に原爆が投下された後の10日に広島に行き、被爆しました。その際、橋に裸で縛られて殺害されたアメリカ軍捕虜を見たそうです。
捕虜は8人いて4人は原爆で即死、2人は橋に縛られて被爆者が投石して殺害、2人が本国に戻ったそうです。
私はその話を聞いて胸が痛みました。
正月早々こんな書き込みをして申し訳ありません。
引用終了
そしたら、http://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/sarugaku/970728.htmlに詳しく載っていました。どうも米軍捕虜は約23人が被曝死、6人が橋に縛られて殺されたみたいです。
戦後生まれの私ですが、戦争の狂気を感じました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):戦争体験を語って下さい  ■名前 : 大河 一滴 <koides@mac.com>  ■日付 : 05/2/20(日) 17:27  -------------------------------------------------------------------------
   はじめて投稿させていただきます。
 私はこの目で広島の原子爆弾を見ました。20日ぐらい後、宇品から広島駅まで焼け野原を歩きました。まだ被災者もおられ、悲惨なものでした。あのピカという閃光と原子雲が今も網膜に焼き付いたままです。大阪の市内にいて3月の大空襲も受けました。空一面から火が落ちてくる下にいましたので、今でも花火大会を近くで見ると当時の光景が蘇って来ます。死んだ友人もいました。
 原爆や空襲の悲惨さ、非人間性などのついては多くのことが語られていますが、外国では、その悲惨さは理解してくれても、戦争には反対だが、日本が起こした侵略戦争があの原爆のおかげで早く終わったのだから仕方がないという意見も出ます。日本では加害者意識がますます薄くなっていっています。
 都市の無差別爆撃は、「渡洋爆撃」「重慶爆撃」などと子供の時に、皇軍のかっかくたる戦果として聞かされましたが、日本が先にやっているのです。有名な「南京事件」の南京陥落の時も、私たちは旗行列をして喜んだものですが、当時の大人たちの中には、チャンコロ何人切りだの、自分で穴を掘らせてその前で銃殺しただの、銃剣でついて殺しただの、自慢話として話している人がいました。当時は中国人といわず、支那人というのが普通でしたが、喋るときはチャンコロ、鮮人、チョウセンなどと言われることが多く、皇軍に刃向う匪族、馬賊、便衣隊は敵だから、殺して当たり前だったのです。そう言われていました。
 中学校の授業には教練があり、立てかけた藁人形を銃剣で突き刺す訓練をさせられ、そんなやり方では
敵は殺せんぞと怒られたものです。
 そんなことから考えると、「南京事件」は殺された人数が何人であったにしろ、普通の市民を巻き込んだ虐殺があったことは間違いなかろうと私は思っています。イラク戦争を見ていても、都市の占領時には市民の抵抗があるのが当然だし、市民と敵兵の区別がつくわけではなく、怪しい者はこちらの安全性を見越して虐殺しなければ、こちらがやられることになりかねません。戦争はそういうものですし、日本が中国に侵略して、大勢の市民が住んでいる南京を占領したことは紛れもない事実なのです。
 沖縄の戦闘が如何に過酷なものであったかを思い出すたびに、戦場になった中国の人たちの苦しみもどんなであったかを想像することができます。
 原爆や空襲の被害を語り継ぐ時に、日本が中国や朝鮮半島の人たちに加えた罪悪にも思いを馳せてこそ、世界の人の共感が得られ。ともに戦争に反対しようという共通意識が育つのではないかと思います。
それでこそ、原爆の碑にある「あやまちは二度と繰り返しません」という誓いも人類全体の共通な願いとなるでしょう。
 私たちが原爆や空襲を語り継ぐ時、朝日新聞の天声人語の受け売りですが、ドイツのノーベル賞受賞作家ギュンター・グラス氏の言うように「私たちドイツ人が始めた。まず、英国の都市を爆撃した。しかし、ドレスデンへの爆撃もまた罪だ」という立場に立つことが大切だと思います。

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