Page 2422 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼甘やかしの末 もの申す 05/2/15(火) 14:24 ┣Re(1):甘やかしの末 ふくちゃん 05/2/16(水) 11:51 ┃ ┗Re(2):甘やかしの末 しげちよ 05/2/16(水) 12:20 ┗Re(1):甘やかしの末 JS 05/2/16(水) 14:59 ┗本当に「甘やかしの末」?1 珠 05/2/20(日) 12:39 ┣Re(1):本当に「甘やかしの末」?2 珠 05/2/20(日) 17:13 ┃ ┗Re(2):本当に「甘やかしの末」?2 JS 05/2/21(月) 17:08 ┃ ┗Re(3):本当に「甘やかしの末」?2 王里 05/2/21(月) 18:06 ┃ ┗Re(4):本当に「甘やかしの末」?2 数理梵哲 05/2/21(月) 21:54 ┃ ┗Re(5):本当に「甘やかしの末」?2 JS 05/2/22(火) 8:50 ┗Re(1):本当に「甘やかしの末」?1 もの申す 05/2/20(日) 17:33 ┗「厳しい罰」とは? 珠 05/2/20(日) 20:29 ┗刑務所と少年院の再犯率 珠 05/2/20(日) 23:29 ┗Re(1):刑務所と少年院の再犯率 もの申す 05/2/21(月) 10:20 ┗そんなに犯人の人権が大事なら・・・ ステディ ベア 05/2/21(月) 12:37 ┗警告>ステディ ベアさん 管理スタッフ 05/2/21(月) 18:28 ┗有難うございます。 ステディ ベア 05/2/22(火) 13:23 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 甘やかしの末 ■名前 : もの申す ■日付 : 05/2/15(火) 14:24 -------------------------------------------------------------------------
大阪の池田小学校事件の記憶が生々しい中でまたもや類似の事件が起こった。 これまで犯罪を犯した青少年に共通するのは、幼少の頃から甘やかされるか、親にスポイルされて育ったということだ。欲しいものは何でも与えられ、勉強する環境を整えられ、我慢することも苦しみに耐える躾けも受けず、我侭を通すことが当たり前となって成長したことである。その結果、少しプレッシャーがかかると内に閉じこもり、自分の言い分が通らないと直ぐに暴力を振るい、親も教師も猛獣を前にしたように逃げ回るだけとなる。 かくして多くの甘やかされた人間の中から犯罪者が生み出されてゆく。少年犯罪はたまたま二十歳未満の時期に起きたというだけで、成人となって犯罪を犯す人間と本質は何も変わっていないように思う。 寝屋川の教師殺傷事件の犯人(17才の男)に対する処置は、これまでの少年事件の経緯から凡そ推測できる。悪の仲間に入っていたわけではなく、ごく普通の少年であった(?)との理由で、本人の将来を考えて(被害者の将来や遺族の生活には何の配慮もしないまま)検察庁への逆送はせず、少年院などの施設に送り四、五年で社会に復帰させるのだろう。 果たしてこのようないい加減な処置でよいのだろうか。未成年が起こす凶悪事件はいつも犯人を厳しく罰することなく、施設送りでお茶を濁す例が後を絶たない。 犯罪を犯した者にはたとえ未成年であってもそれに見合う厳しい罰を与えるべきではないのか。犯罪者が未成年だからと言って被害者が生き返るわけではなく、遺族の気持ちが和らぐわけではない。犯した罪を償うことの苦しさ、厳しさを心底味わうことがなければ、どうして反省や謝罪の気持ちが湧くというのだろうか。 我々は犯罪者の人権を過剰に意識しすぎてきたように思う。人権擁護は必要なことだが、他人の人権を蹂躙した犯罪者の人権が多少(勿論限度は設けられるべきだが)制約されるのはやむを得ないことではなかろうか。それは未成年の場合でも同様である。ただ規則に従うだけで誰も責任を取ろうとしない曖昧な措置で、犯罪を犯した未成年を扱うのは国による甘やかし以外のなにものでもないと思う。 親が甘やかし、社会がこれに倣い、国が甘やかして健全な青少年が育つとは到底考えられないのである。 |
今朝のテレビ番組でも取り上げられておりました。 内容は「ゲーム脳」ゲームを続ける事により、考えるよりも先に手が動く。 簡単に言えば「してはいけない事か!」「して良いのか!」 の判断をせずに行動してしまうと言う事です。 ゲームを続ける事により、 脳の35%を占める前頭葉の「前頭前野」という所を通らず、 脳が物事を判断してしまい、今回の様な事件を起こしたという事でした。 最近は何処に行ってもゲーム機が設置されており、 そこで若者が“たむろ”しているのを見受けます。 ”殺す””死んだ””死ぬ”があちらこちらで飛び交っています。 近年の狂気に満ちた若者の殺傷事件も、 いわば文明が引き起こした土産(警告!)なのかも知れません。 ゲーム機ではリセットが効きます。ボタン一つで生き返る事が出来る! しかし、人間はそうはいかない! 神戸市の連続児童殺傷事件、長崎県佐世保市・小学六年生女児殺害事件、 少年事件の凶悪化・低年齢化、育て方も在るかも知れません。 しかし、こういった事件があるたび、親御さんの悲しむ顔が目に浮かびます。 |
▼ふくちゃんさん: こんにちは。 >今朝のテレビ番組でも取り上げられておりました。 > >内容は「ゲーム脳」ゲームを続ける事により、考えるよりも先に手が動く。 >簡単に言えば「してはいけない事か!」「して良いのか!」 >の判断をせずに行動してしまうと言う事です。 > >ゲームを続ける事により、 >脳の35%を占める前頭葉の「前頭前野」という所を通らず、 >脳が物事を判断してしまい、今回の様な事件を起こしたという事でした。 わたしも見ましたが,どうなんでしょうか。人間の行動をゲーム1つに大きな要因をもってくるのは,広範な調査の裏付けがあれば納得しますが,少々疑問です。 このような傾向はあるのでしょう。また,事件を誘発したのかもしれません。 しかし,ゲームをしていても思考力が必要な部分もあります。反射神経だけでもありません。 むしろ,ゲームをやりすぎて,学校に行けなくなり,それらの鬱屈の問題のほうが大きいのではないでしょうか。 |
▼もの申すさん: >これまで犯罪を犯した青少年に共通するのは、幼少の頃から甘やかされるか、親にスポイルされて育ったということだ。欲しいものは何でも与えられ、勉強する環境を整えられ、我慢することも苦しみに耐える躾けも受けず、我侭を通すことが当たり前となって成長したことである。その結果、少しプレッシャーがかかると内に閉じこもり、自分の言い分が通らないと直ぐに暴力を振るい、親も教師も猛獣を前にしたように逃げ回るだけとなる。 >かくして多くの甘やかされた人間の中から犯罪者が生み出されてゆく。 世間やマスコミは解っているのか疑問ですが、我々の子供時代は対人関係が重要だったのです。 遊びにしろ、勉強の場である学校の教室でも、対人関係を抜きにして成長できませんでした。 もの申すさんの仰るとおり、引きこもりや我を通させたりする事を許すからです。 ある程度の暴力(愛のムチ)は必要で、悪いことをしたら体でその報いを受けさせるべきです。 >果たしてこのようないい加減な処置でよいのだろうか。未成年が起こす凶悪事件はいつも犯人を厳しく罰することなく、施設送りでお茶を濁す例が後を絶たない。 これで良いわけない。未成年の凶悪事件が、本人を処罰出来なければ、親と教師が替わりに責任を負うべきです。 >犯罪を犯した者にはたとえ未成年であってもそれに見合う厳しい罰を与えるべきではないのか。犯罪者が未成年だからと言って被害者が生き返るわけではなく、遺族の気持ちが和らぐわけではない。犯した罪を償うことの苦しさ、厳しさを心底味わうことがなければ、どうして反省や謝罪の気持ちが湧くというのだろうか。 中学時代、教室で凶悪犯罪に居合わせてしまったことがありますが、犯人(正確には犯人にならない)は全くわびれませんでした。結果的に少年院送りになったのです。それでも反省は全く無かったそうです。 その結果、成人に達してから本当の犯罪を犯して、やっと刑務所に入りました。 当然ながら、罪を償う気持ちがない本人に代って、親が謝罪したという事実もありませんでした。 未成年は、絶対に犯罪を犯さないと言う前提の「少年法」が間違っていることは、昔から解っているのに、法改正はいつもおざなりです。 >我々は犯罪者の人権を過剰に意識しすぎてきたように思う。人権擁護は必要なことだが、他人の人権を蹂躙した犯罪者の人権が多少(勿論限度は設けられるべきだが)制約されるのはやむを得ないことではなかろうか。それは未成年の場合でも同様である。ただ規則に従うだけで誰も責任を取ろうとしない曖昧な措置で、犯罪を犯した未成年を扱うのは国による甘やかし以外のなにものでもないと思う。 むしろ、被害者の人権を最重点に考えるべきです。 被害者が未成年でも、成人でも、氏名・年齢、顔写真が堂々とテレビ、新聞に出まくってしまうのは人権を無視している行為でしょう。 >親が甘やかし、社会がこれに倣い、国が甘やかして健全な青少年が育つとは到底考えられないのである。 その通りです。だから小泉みたいに、議員の息子と言うだけで(甘やかされて)議員になったのが多い議会で、まともな議論が出来ないのです。 |
▼JSさん:▼もの申すさん: お書きになったことを拝見して、どうしても多少の違和感がぬぐい去れなかったのです。 >>これまで犯罪を犯した青少年に共通するのは、幼少の頃から甘やかされるか、親にスポイルされて育ったということだ。 >>かくして多くの甘やかされた人間の中から犯罪者が生み出されてゆく。 >もの申すさんの仰るとおり、引きこもりや我を通させたりする事を許すからです。 >ある程度の暴力(愛のムチ)は必要で、悪いことをしたら体でその報いを受けさせるべきです。 このお2人のご意見から汲み取れるのは、「犯罪を犯した青少年は、甘やかされて育った、厳しく育てるべきだ」、というものです。でも私たちはたくさんの事件を起こした彼らにも、彼らの親にも会ってないですよね。どうしてお2人に「親が甘やかして育てた」と断言できる程、分かるのかが私には分かりません。沢山ある事件の報道がみな「甘やかしていた親」がいた、と断言していたのかどうか。もしかすると「こんなに厳しく育てたのに」あるいは「ぶん殴っていたのに」とう親がいるかも知れないではありませんか? もちろん、私は「甘やかして育てる」ことをよいと思っているわけでもありません。しかし「愛のムチ」というものが、実際はおやの「腹いせ」だったり、「カッとして」だったり、という事が多いと思っています。日頃からスパルタ式で厳しく育てることは、「良い兵士を育てるために良い方法」だと聞きました。自分の頭では何も考えずに、親の言うことを聞くからです。 もちろん、悪いことをした時は、厳しく接しなくてはならないと思います。そしてその時こそ、親の愛情が溢れなくてはならない。それは「ある程度の暴力(愛のムチ)」などではなくて、心からの親の語りかけ、いえ上手に話せなくてもいい「必死な子供への親の思い」なのではないかと思います。もちろん「思わず手が出る」ことだってあるかもしれない。しかし「ある程度の暴力(愛のムチ)」を肯定することは違っていると思います。 >>犯罪を犯した者にはたとえ未成年であってもそれに見合う厳しい罰を与えるべきではないのか。 >結果的に少年院送りになったのです。それでも反省は全く無かったそうです。その結果、成人に達してから本当の犯罪を犯して、やっと刑務所に入りました。 このことに関しては、青少年の場合、罪を犯した後の彼らへの教育がどうなっているかでしょう。本当の厳罰とは「自分の犯した罪の重さに気づくこと」ではないでしょうか。法を改正して長い間刑務所に放り込んでも、そこできちんとした教育が行われなければ、また出所後に犯罪をくり返すでしょう。 >>犯した罪を償うことの苦しさ、厳しさを心底味わうことがなければ、どうして反省や謝罪の気持ちが湧くというのだろうか。 その通りです。それは厳罰というよりも、青少年は大人より考え方に幼い部分を残している、完成してないと考えられているから、少年院で教育的な措置をとろうというのは、おおむね間違っては居ないように、私には思えます。 >当然ながら、罪を償う気持ちがない本人に代って、親が謝罪したという事実もありませんでした。 このことですが、どの親も自分の子供が加害者となったことで仰天するでしょう。謝罪する親もいます。したいけどする勇気のない親もいるでしょう。親は親、子は子、という親もいるでしょう。(私も息子が「目をつけた」という言い掛かりで怪我をさせられた時、その親は両親とも高学歴で、その少年を転校や留学までさせて、なんとか立ち直らせようとしたが、もうあの子にはかかわらない……という手紙をよこしました)。 私はもし自分が親なら誤るべきだと思います。できることならどんなことでもして少しでも子供の罪をつぐないたいと思います。けれども、その親がしないからと、周りの人が親を責めてはならないのではないでしょうか。赤軍派事件の頃、何人かの親が自殺しました。そこまで追い込んだのは、世間の「親の責任だ」という視線でした。加害者の親もどんなにか苦しい思いをしているか、という視点もあっていいのではないかと思います。 |
>未成年は、絶対に犯罪を犯さないと言う前提の「少年法」が間違っていることは、昔から解っているのに、法改正はいつもおざなりです。 そうではないと思います。未成年は未熟だから、その罪の重さに気づかせる必要がある。教育する必要があると言うのが少年法だと私は捉えています。 >我々は犯罪者の人権を過剰に意識しすぎてきたように思う。人権擁護は必要なことだが、他人の人権を蹂躙した犯罪者の人権が多少(勿論限度は設けられるべきだが)制約されるのはやむを得ないことではなかろうか。それは未成年の場合でも同様である。ただ規則に従うだけで誰も責任を取ろうとしない曖昧な措置で、犯罪を犯した未成年を扱うのは国による甘やかし以外のなにものでもないと思う。 すでに拘束されることで犯罪者の人権は制限されます。問題は「甘やかし」ではなくて「教育効果」「教育の方法」でしょう。海外では、罪を犯して収監(院?)中の青少年に、「罪を犯した他の青少年の事件を裁かせる」という方法をとって、自分の罪を自覚させる方法や、ボランティアをさせる等、人間性を回復させるためにいろいろ模索し成功しているようです。こうした方法をもっと取り入れて行くことも必要でしょう。 >むしろ、被害者の人権を最重点に考えるべきです。 このことに対しては、大賛成です。あまりにもおざなりだったことは確かでしょう。もっと大事にされなければならない。それは本当に確かなことでしょう。今の状態ではあまりにも気の毒だったと思います。 しかし加害少年やその家族の人権を、それと比較することは違うと思います。加害者家族にも人権はあります。彼らを追い込むことより、サポートし、時にはカウンセリング等の教育をすることも必要なのではないでしょうか。 >>親が甘やかし社会がこれに倣い、国が甘やかして健全な青少年が育つとは到底考えられないのである。 「甘やかす」とはどういうことなのか? 本当に昔は「健全な青少年」がほとんどで、今の「青少年は甘やかしの末に犯罪が多い」のか? 青少年犯罪統計などもご覧になっていただければ良いと思います。この統計については、以前にもこの掲示板でご紹介したのですが、また同様のご発言ですので、再度、紹介致します。事実に基づいた発言をなさるためにも、ぜひご覧下さい。 http://www2.gol.com/users/mct/GTmaeda/maedabody.htm 確かに近年、青少年の犯罪は少しの上昇が見られるのですが、そのほとんどが軽犯罪であり1945〜55年と比べれば、どんなに減っているかがお分かりになると思います。ことに凶悪事件は減っているそうです。そして下記のように説明しています。 「1946年から2002年までの少年に関するそれを比較検討しました。その結果、それぞれの世代には固有の殺人検挙人員を輩出する傾向が存在し、それは1930年から1945年までに生まれた世代に最も顕著であることが分かりました。少年に関しては、1965年以降に生まれた世代の殺人検挙人員人口比はピーク時の3分の1程度でしかありませんでした。 そして、この結論から、少なくとも殺人事件に関しては(治安の悪化が生じていると仮定しての話ではありますが)、1965年以前に誕生した中高年が鍵を握っていることが理解できます。つまり、青少年の健全育成を政治的目標とするよりも、中高年の動向に警戒した方が、殺人事件の増加を未然に防げる可能性が高いということになります。」 現在の60〜70歳代(1930年から1945年までに生まれた世代)の方々にお訪ねします。あなた方の時代の親は、「子供を甘やかして育てる親」が多かったとお考えでしょうか? 私が思うには、多分そんなことはなかったのではないでしょうか。むしろ戦後、親を亡くして愛情を受けられなかったり、大人も生きるのに必死だった時代、子供にとっても大変な苦しい時代だったのだろうと思います。 そして立派に成長された方々は、苦しい生活の中でも子供に愛情をかけた親を持ち、または親の愛を受けられない困難な方々も、どなたかからの愛情や励ましを心の支えに成長されたのではないでしょうか。子供には大人の愛情(甘やかしでも体罰でもなく)が必要なのです。ことに罪を犯した少年には「罪を犯さざるを得なかった心の叫び」に注目して、そこに大人が応えることこそ、再犯を防ぐ道に他ならないと私は思います。 |
▼珠さん: >>むしろ、被害者の人権を最重点に考えるべきです。 > >このことに対しては、大賛成です。あまりにもおざなりだったことは確かでしょう。もっと大事にされなければならない。それは本当に確かなことでしょう。今の状態ではあまりにも気の毒だったと思います。 > >しかし加害少年やその家族の人権を、それと比較することは違うと思います。加害者家族にも人権はあります。彼らを追い込むことより、サポートし、時にはカウンセリング等の教育をすることも必要なのではないでしょうか。 ご意見ありがとうございます。 しかし、加害者家族に人権があるという事は納得できるのですが、「少年法」に護られた加害者が責任を負わない場合は、その親に責任が及ぶのは当然のことだと思います。 法的に責任を負う必要がないと言うことでなく、道義的に絶対に責任を負うべき者であるでしょう。 それが、被害者に対する慰撫になるかどうかは別にしても、事件後の事を知らん顔していることは許されないことだと思います。 |
▼JSさん:こんにちは >▼珠さん: >>>むしろ、被害者の人権を最重点に考えるべきです。 >> >>このことに対しては、大賛成です。あまりにもおざなりだったことは確かでしょう。もっと大事にされなければならない。それは本当に確かなことでしょう。今の状態ではあまりにも気の毒だったと思います。 >> >>しかし加害少年やその家族の人権を、それと比較することは違うと思います。加害者家族にも人権はあります。彼らを追い込むことより、サポートし、時にはカウンセリング等の教育をすることも必要なのではないでしょうか。 > >ご意見ありがとうございます。 > >しかし、加害者家族に人権があるという事は納得できるのですが、「少年法」に護られた加害者が責任を負わない場合は、その親に責任が及ぶのは当然のことだと思います。 >法的に責任を負う必要がないと言うことでなく、道義的に絶対に責任を負うべき者であるでしょう。 >それが、被害者に対する慰撫になるかどうかは別にしても、事件後の事を知らん顔していることは許されないことだと思います。 非難されることを承知であえて申し上げます。親に責任が及ぶのは当然というご意見には反対です。法律で責任が問われない者が犯した罪を、親だからという理由で負わねばならないという考え方に、抵抗を感じるからです。 親子といえども人格は別です。勿論、保護者としての責任はありますし、その範囲で責任を問われることは当然ですが、法的にとわれない責任を道義的に押しつけるのは良くないと思います。 いろいろの事件が起こるたびに必ずと言えるほど、親の責任が問題になります。犯罪者を育てたという理由で責任を感じ、あるいは責任を追及され、結果的に過大な犠牲を強いられている親や家族がいます。 もし、自分の子供が犯罪を犯したとして、それだけで申し訳なく思うのが普通の親でしょう。心の葛藤も激しいと思います。道義的責任を言って、その傷口に塩をすり込むような行為は慎むべきだと考えます。 世の中に絶対の正義はありません。自分もまた、罪を犯すかもしれない存在であるということを忘れないようにしたいと思います。 |
▼王里さん: >非難されることを承知であえて申し上げます。親に責任が及ぶのは当然というご意見には反対です。法律で責任が問われない者が犯した罪を、親だからという理由で負わねばならないという考え方に、抵抗を感じるからです。 > >親子といえども人格は別です。勿論、保護者としての責任はありますし、その範囲で責任を問われることは当然ですが、法的にとわれない責任を道義的に押しつけるのは良くないと思います。 > >いろいろの事件が起こるたびに必ずと言えるほど、親の責任が問題になります。犯罪者を育てたという理由で責任を感じ、あるいは責任を追及され、結果的に過大な犠牲を強いられている親や家族がいます。 > >もし、自分の子供が犯罪を犯したとして、それだけで申し訳なく思うのが普通の親でしょう。心の葛藤も激しいと思います。道義的責任を言って、その傷口に塩をすり込むような行為は慎むべきだと考えます。 > >世の中に絶対の正義はありません。自分もまた、罪を犯すかもしれない存在であるということを忘れないようにしたいと思います。 私は、親の責任は免れないと考えるものです。それは、その子を誕生させたのは親だからです。法的に責任を追及されるかどうかの問題ではありません。その国の法や考え方が親の責任を追求しないから親には責任が無いという考えは、他が追求しさえしなければ責任を負わなくて良いという考え方ですが、私には賛成できません。 昔読んだものに、ある有名な人(軍人?)が子供の頃何かいたずらをしたところ、その方のお母さんが短刀を前に置き、「貴方を刺して私も死にます。」と言ったときは、本当に怖かったと書いたものがありました。これが親の基本的な態度ではないでしょうか。人間は他の動物とは違います。単にセックスして子供を作ればよいというものではないというのが私の認識です。親は子を、人間に育てる義務と責任があると考えます。 |
▼数理梵哲さん: >私は、親の責任は免れないと考えるものです。それは、その子を誕生させたのは親だからです。法的に責任を追及されるかどうかの問題ではありません。その国の法や考え方が親の責任を追求しないから親には責任が無いという考えは、他が追求しさえしなければ責任を負わなくて良いという考え方ですが、私には賛成できません。 フォローありがとうございます。 親は、子供を一人前にするまで責任を負って育てる義務と責任があるのは自然の原理です。 当たり前のことですね。 >昔読んだものに、ある有名な人(軍人?)が子供の頃何かいたずらをしたところ、その方のお母さんが短刀を前に置き、「貴方を刺して私も死にます。」と言ったときは、本当に怖かったと書いたものがありました。これが親の基本的な態度ではないでしょうか。人間は他の動物とは違います。単にセックスして子供を作ればよいというものではないというのが私の認識です。親は子を、人間に育てる義務と責任があると考えます。 これは反論ではありませんが、動物だって巣立ちまで親が護っています。 自然の摂理ですよね。 子供が殺人などの重大犯罪を犯して、親が何の責任もないと知らん顔している事は絶対許せません。 |
珠 様 珠様は犯罪被害者、特に少年犯罪の被害者の遺族(又は家族)の声を聞いたことがありますか。私は犯罪被害者の会を支援しており、時々開かれる講演会には必ず参加してこれまでに幾度と無く皆様の悲痛な叫びを聞いてまいりました。 極端な言い方をすれば、「加害者の更正など望まない、この世から消えて欲しい」と願うご家族の何と多いことか。また「加害者は親から何も躾けられておらず、動物も同然」と批判する人も大勢おりました。 総ての加害者がそうだとは思いませんが、前述の話から同じ未成年でもよく躾けられた人間が犯罪に走る例は少ないと思われるので、「甘やかしの末」と言ったものです。 罪に対しては厳しい罰こそ必要と確信しています。未成年だからと言うだけで罰を科することを避ける理由はどこにあるのでしょうか。加害者の前途を考えるならば、尚更痛みを経験させて人の苦しみを身をもって理解させる必要があると考えます。少年院での矯正指導や退院の判断が、どれだけ確信をもってなされているのか疑問が多いとも聞いております。少年院を退院した加害者が、被害者や家族に謝罪にきた例はほとんど無いと言うのも現実の姿だということです。先日の安城市で起きた仮釈放中の受刑者が赤子を殺害した事件は、官の無責任を絵に描いたような事例だと思っています。 |
▼もの申すさん: 被害者の会へのご尽力に頭が下がります。 私ももし子供が殺されたら、と想像したら、きっと加害者を殺したいくらい憎むと思います。事実、息子が怪我させられた時、相手の子に会うのが苦痛でした(親は一切謝りませんでした)。しかし、その子が、親に見限られているのを知った時「あなたのために、あなたがもう決して、人に暴力を振るわないことを努めて欲しい。願うのはそれだけ」という事を、私は必死で訴えたつもりです。でもこれも自分の子は怪我だけで生きていたから許せたのでしょう。殺されたら簡単には許せないだろうことは想像できます。 今の少年院は、大変な努力はしているのでしょうが、少年院を出て謝りに行かない、また犯罪を起こす率が高いのなら、成功しているとは言えないのかも知れませんが、それなら何故、多くの専門家は今の方法を選択しているのでしょうか。怠慢だけではないと思います。 刑務所(こちらの法が厳しいのでしょう?)を出た人間と、少年院を出た人間の再犯率の比較はご存じですか? また、「厳しい罰」とおっしゃることの中身は、具体的に、どういう「痛み」を与えたら、どういう「苦しみ」を与えたら、更正できるとお考えですか? (質問ばかりですみません) |
とりあえず自分で刑務所と少年院の再犯率を調べてみました。まずは刑務所から(13年犯罪白書) ---------------------------------------------- 最近の10年間では窃盗前科者(窃盗により有罪判決を受けたことがある者)が増加し,12年には9.5%に,また,再犯者(何らかの前科・前歴を有する者)が,平成期に入って増加傾向を示し,12年には30%を超えた。覚せい剤取締法違反の送致人員中に占める再犯者の比率は極めて高く,平成12年は49.8%である。 (3) 平成7年出所受刑者の再入率 平成7年における出所者について,5年を経過した12年末までの再入状況を出所事由別に見ると,満期釈放による者の約50%,仮釈放による者の約30%は,いずれも4年以内に再入している。 (3) 保護観察期間中の再犯の状況 保護観察期間中に,再度罪を犯し,かつ,新たな処分を受けた者の比率(再犯率)は,近年,仮出獄者についてはおおむね1%前後で,また,保護観察付き執行猶予者についてはおおむね30%台で,それぞれ推移している。 ------------------------------------------------------------------------- つぎに少年院の場合 ------------------------------------------------------------------------- 保護観察処分少年及び少年院仮退院者の「再犯率」(保護観察期間中の再処分率)を見ると,保護観察処分少年は平成9年以降上昇しており,12年の保護観察処分少年の再犯率は17.3%となっているが,少年院仮退院者は上昇・低下を繰り返しており,12年は前年より1.1ポイント高い23.6%となっている。(13年犯罪白書) http://www.moj.go.jp/HOUSO/2001/hk1_3.html ---------------------------------------------- イ.家裁に送られる少年のうち、再犯者の占める率は、最近低い傾向にあります。 ロ.少年院に送致された少年の再犯率(少年時代)は、1998年(平成10年)には24.3%でした。 ハ.殺人で少年院に収容された少年の再犯率(同)は、1988年(昭和63年)から1997年(平成9年)までの累計で12.1%でした。しかし、再犯で凶悪犯罪を犯すケースは、10年に一人いるかいないかです。(犯罪白書平成10年版より) ニ.1998年(平成10年)の刑務所の新受刑者(裁判の確定により初めて刑務所に入所した者)のうち、少年院経験者は10.5%です。 (子どもの視点から少年法を考える情報センター)http://www.kodomonoshiten.net/enquete.htm ------------------------------------------------------------------------ 簡単には言えないことであるのは承知していますが、これで見る限りでは、少年院の方が再犯率は少ないようですし、刑務所で大人の受刑者と一緒にして覚醒剤等、再犯率の高い大人とは触れあわさない方が賢明なように思います。 |
珠 様 資料提供ありがとうございます。またご子息の件は心からご同情申し上げます。 ご質問の厳しい罰とは、極端な言い方をすれば少年と雖も私利私欲のために人を殺害したら、自分の命をもって償わせるという意味です。日本の刑法はご存知のとおり明治中期に制定され、その後若干の見直しはされましたが概ね刑罰は軽く、本年一月から施行された改正刑法も厳罰化を図ったというものの未だ不十分だと考えております。同様に少年法も最近改正されましたが、少年犯罪の凶悪化に対応できるものとは思いません。そもそも18才、19才にもなった人間を少年と看做すことに違和感があります。 刑罰に対する考え方はさまざまであり、その国の社会情勢や文化、宗教ならびに風土を色濃く反映するものだと思います。死刑制度廃止が亀井静香議員などのグループから提案されており、EC加盟国では死刑制度を廃止していると言いますが、日本もこれに倣うべきとの主張には無条件で与するわけにはゆきません。内閣府の世論調査では81.4%の国民が存続を支持しているとの結果も出ています。 日本人は犯罪に対して極めて寛大な民族ではないでしょぅか。裁判報道を知るにつけ実感しています。平成十年から十五年の六年間で8112件の殺人事件が認知され、8186人が逮捕・起訴されました。この間裁判で死刑判決が確定した者は27名(0.33%)となっています。どんなに残虐な殺人を犯しても死刑になるのは運が悪かった者だけでしかないのです。日本の死刑制度は全く機能していないと思います。 また、社会的責任を負うべき高い地位にある人間が金銭を横領したり、脱税したり収賄しても実刑が科されることは例外でしかありません。家の近所に某省の元高官が住んでいます。彼は収賄で懲役三年の判決を受けましたが、執行猶予が付された為毎日悠々自適の生活を送っています。最近元の勤務先が管理する特殊法人に就職したとのことです。黒い送迎車に乗り込む時、あたりを睥睨する様はまさに犯罪者天国を思わせます。 犯罪の防止(再犯も含め)には厳罰化以外実効ある方法はない、と言うのが私の基本的な考えです。勿論厳罰化と並行して心理カウンセラーの充実、矯正教育や実社会で役に立つ職業教育など、更正を助ける措置の強化も必要であることは言うまでもありません。 かつてマレーシアでは犯罪多発が国の近代化を阻害する要因だとして、マハティール首相は刑法の全面改正を議会に提案し、厳罰化により犯罪の大幅な削減に成功した例があります。特に殺人や強盗などの重要犯罪、横領などの経済犯罪ならびに麻薬犯罪には厳罰を課しました。中でも暴力団の横行を許す麻薬犯罪などは、2.5グラム以上の密輸入には例外なく死刑を適用するなど、日本では考えられないほど厳しいものでした。この結果犯罪は大幅に減少し(1995年当時の新聞報道では法改正の一年後には概ね十分の一程度に減少したとのこと)、アジア諸国の中では最も安全な国のひとつになったと言われております。 毎日虫けらのように人が殺害されています。多くの人が傷つけられています、金銭を騙しとられています。万引きが横行しています。不況が大きな要因であることも確かでしょう。しかし、それ以上に犯罪を犯しても厳しく罰せられないことが最大の要因ではないでしょうか。酒酔い運転で27才の前途ある青年を撥ね殺し、逃走した犯人に科された刑が懲役三年という信じられない判決がまかり通っています。 仮に万引きをしたら最低でも禁固六ヶ月、酒酔い運転で人を撥ね殺したら死刑、振込め詐欺は一件につき懲役一年、三十件の詐欺を働いたら懲役三十年としたらどうでしょうか。犯罪がゼロにはならないまでも大幅に減ることが期待できます。 犯罪防止対策が論議されても即効ある対策は容易に見つかりません。しかし犯罪被害者は毎日のように発生しています。未来ある人生を断たれる人、老後のための貯金を奪われ途方に暮れる人、長期の入院を余儀なくされる人、一生癒えない障害を負い職場を失う人、等々が後を絶ちません。私は罪もない人達を不幸に陥れる犯罪者を心から憎みます。 |
もの申すさん、全く同感です。 そんなに犯人の人権が大事なら、敵討ち、あだ討ちを認めろ、って言いたい。 ▼珠さん: >私ももし子供が殺されたら、と想像したら、きっと加害者を殺したいくらい憎むと思います。事実、息子が怪我させられた時、相手の子に会うのが苦痛でした(親は一切謝りませんでした)。しかし、その子が、親に見限られているのを知った時「あなたのために、あなたがもう決して、人に暴力を振るわないことを努めて欲しい。願うのはそれだけ」という事を、私は必死で訴えたつもりです。でもこれも自分の子は怪我だけで生きていたから許せたのでしょう。殺されたら簡単には許せないだろうことは想像できます。 犯罪少年の人権、などと・・・自分が重罪の被害者になってもまだ言えますか? 大事が自分の身に降りかからないからこそできる発言には、血が逆流する思いです。(私、よく逆流します・・・これからは逆流男と呼んで下さい) ▼もの申すさん: >ご質問の厳しい罰とは、極端な言い方をすれば少年と雖も私利私欲のために人を殺害したら、自分の命をもって償わせるという意味です。(中略)・・・ >日本人は犯罪に対して極めて寛大な民族ではないでしょぅか。日本の死刑制度は全く機能していないと思います。 >犯罪の防止(再犯も含め)には厳罰化以外実効ある方法はない、と言うのが私の基本的な考えです。勿論厳罰化と並行して心理カウンセラーの充実、矯正教育や実社会で役に立つ職業教育など、更正を助ける措置の強化も必要であることは言うまでもありません。 >犯罪防止対策が論議されても即効ある対策は容易に見つかりません。しかし犯罪被害者は毎日のように発生しています。未来ある人生を断たれる人、老後のための貯金を奪われ途方に暮れる人、長期の入院を余儀なくされる人、一生癒えない障害を負い職場を失う人、等々が後を絶ちません。私は罪もない人達を不幸に陥れる犯罪者を心から憎みます。 亀井 静香なんて奴は警察官僚のクセして、とんでもないワルでありながら、死刑廃止論をほざいております。他意があるに違いありません。 高速道路のサービスエリアでの酒の販売を許可したのはこいつです。 個人に依る復讐を禁止した見返りに法律があるはずです。 死刑はもっと強化、無期懲役を廃止、全て累積の有期刑とする、これで、カポネもお陀仏になりました。心神耗弱等による情状酌量には、一生精神病院に放り込んでおく、強姦犯は去勢の上おでこに刺青・・・被害者の無念というものをもう少し考えたまともな社会にして欲しい。 裁判官の娘が、横断歩道で暴走車にひき殺された事例では、深夜、赤信号を無視して暴走して来る車が居るかもしれないという注意義務を怠ったとして、暴走ドライバーに情状を酌量した判例もあります。裁判官は怒りのあまりに自費出版してこれを訴えましたが、遅いっちゅーの! ストーカーから逆恨みされ、ガソリンで火を点けられ、醜く大やけどを負った女性が居ます。犯人は傷害で3年余りの実刑、このままじゃ、被害者は浮かばれません。私の娘だったら、出所した犯人を殺します。 |
▼ステディ ベアさん(43963): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 >心神耗弱等による情状酌量には、一生精神病院に放り込んでおく、強姦犯は去勢の上おでこに刺青・・・ 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
▼管理スタッフさん: >Ray@スタッフです。 >>心神耗弱等による情状酌量には、一生精神病院に放り込んでおく、強姦犯は去勢の上おでこに刺青・・・ >等の表現が掲示板のルールのうち > 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現 >は禁止に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。 かろうじて削除されなくて嬉しかったです。 共感を持たれた方も居られるんじゃないかと思いますが、今後気をつけます。 |