Page 2451 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/27(日) 23:55 ┣Re(1):愛国心教育の過去の姿−続き1 こころ 05/3/28(月) 0:33 ┃ ┗Re(2):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/28(月) 1:18 ┃ ┗Re(3):愛国心教育の過去の姿−続き1 MNG 05/3/28(月) 23:21 ┃ ┣Re(4):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/28(月) 23:46 ┃ ┗Re(4):愛国心教育の過去の姿−続き1 告天子 05/3/28(月) 23:49 ┃ ┗Re(5):愛国心教育の過去の姿−続き1 こころ 05/3/29(火) 15:18 ┣Re(1):愛国心教育の過去の姿−続き1 流水 05/3/28(月) 10:11 ┃ ┣Re(2):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/28(月) 13:09 ┃ ┃ ┗Re(3):愛国心教育の過去の姿−続き1 流水 05/3/28(月) 14:06 ┃ ┃ ┗Re(4):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/28(月) 14:51 ┃ ┃ ┗Re(5):愛国心教育の過去の姿−続き1 流水 05/3/28(月) 15:12 ┃ ┃ ┗Re(6):愛国心教育の過去の姿−続き1 秋明菊 05/3/28(月) 18:50 ┃ ┃ ┣Re(7):愛国心教育の過去の姿−続き1 流水 05/3/28(月) 21:21 ┃ ┃ ┃ ┣Re(8):愛国心教育の過去の姿−続き1 パンドラ 05/3/28(月) 23:47 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):愛国心教育の過去の姿−続き1 秋明菊 05/3/29(火) 8:20 ┃ ┃ ┣Re(7):愛国心教育の過去の姿−続き1 相良唯夫 05/3/28(月) 22:06 ┃ ┃ ┃ ┣Re(8):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/28(月) 22:34 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):愛国心教育の過去の姿−続き1 秋明菊 05/3/29(火) 8:44 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/29(火) 11:11 ┃ ┃ ┗Re(7):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/28(月) 22:26 ┃ ┃ ┣私が提案する、「新国旗」「新国家」 森下 泰典 05/3/28(月) 22:40 ┃ ┃ ┃ ┣Re(1):私が提案する、「新国旗」「新国家」 しげちよ 05/3/28(月) 22:50 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):私が提案する、「新国旗」「新国家」 パンドラ 05/3/28(月) 23:10 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):私が提案する、「新国旗」「新国家」 k・satou 05/3/29(火) 5:03 ┃ ┃ ┗Re(8):愛国心教育の過去の姿−続き1 秋明菊 05/3/29(火) 11:10 ┃ ┃ ┗Re(9):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/29(火) 12:05 ┃ ┃ ┗Re(10):愛国心教育の過去の姿−続き1 秋明菊 05/3/29(火) 14:19 ┃ ┃ ┣Re(11):愛国心教育の過去の姿−続き1 こころ 05/3/29(火) 14:36 ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):愛国心教育の過去の姿−続き1 秋明菊 05/3/29(火) 15:15 ┃ ┃ ┗Re(11):愛国心教育の過去の姿−続き1 しげちよ 05/3/29(火) 15:35 ┃ ┗Re(2):しげちよ氏の泣き言に答える 流水 05/3/28(月) 23:38 ┃ ┣泣き言ではなく事実です1 しげちよ 05/3/29(火) 11:03 ┃ ┃ ┗泣き言ではなく事実です2 しげちよ 05/3/29(火) 11:05 ┃ ┗相変わらずですねー・・・・ YOTA 05/3/29(火) 17:50 ┃ ┗Re(1): 流水 05/3/29(火) 17:59 ┣警告です 管理スタッフ 05/3/28(月) 22:28 ┃ ┗Re(1):警告です しげちよ 05/3/29(火) 12:09 ┣愛国心と「愛国心教育」について Ray 05/3/28(月) 22:50 ┃ ┣Re(1):愛国心と「愛国心教育」について しげちよ 05/3/28(月) 23:09 ┃ ┣Re(1):愛国心と「愛国心教育」について 告天子 05/3/28(月) 23:19 ┃ ┃ ┣Re(2):愛国心と「愛国心教育」について 相良唯夫 05/3/29(火) 0:10 ┃ ┃ ┗全部書かれてしまった。 退役軍人 05/3/29(火) 11:40 ┃ ┣左右の立場を超えて ステディ ベア 05/3/29(火) 0:08 ┃ ┃ ┗Re(1):左右の立場を超えて Gokai Sezutomo 05/3/29(火) 1:26 ┃ ┗Re(1):愛国心と「愛国心教育」について 海幸彦 05/3/29(火) 15:54 ┃ ┗Re(2):愛国心と「愛国心教育」について 海幸彦 05/3/29(火) 15:58 ┗過去のしがらみのない「愛国」こそ 森下 泰典 05/3/29(火) 0:02 ┗Re(1):過去のしがらみのない「愛国」こそ しげちよ 05/3/29(火) 0:10 ┗Re(2):過去のしがらみのない「愛国」こそ taka 05/3/29(火) 2:03 ┗Re(3):過去のしがらみのない「愛国」こそ しげちよ 05/3/29(火) 2:15 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 愛国心教育の過去の姿−続き1 ■名前 : しげちよ ■日付 : 05/3/27(日) 23:55 -------------------------------------------------------------------------
▼流水さん: 返事を書こうとしたら,いっぱいでしたので,僭越ながら新しくスレッドをたてさせていただきました。 >>抵抗できないことはないと思います。新しいものを切り開いてきた人たちは,そういう狭いところをこじ開けてきたのではないでしょうか。 >>本当にそう思うのであれば,教育委員会であろうと政府であろうと戦うべきでしょう。ただし,当然合法的・常識的にですけど。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >戦っている人はたくさんいますよ。しかし、現在東京などでは職を追われるような事態に追い込まれている人もたくさんいるのです。 >抵抗するとは、自分の職をかける覚悟がいるのです。 それは必要です。しかし,信念があるのならば,戦うべきです。わたしもそういう危機を前にして戦うことがあります。 ただ,その式典の中で,決められたことを履行しないような戦い方は常識的とはいえません。教育委員会に介入させないようにするにはどうしたらよいか,教育委員会に対してどのように運動すればよいか,考えるべきでしょう。 >自分を高みにおいて、この不況の世の中で、そういうことを平気で言い放つ冷酷な人間が語る【愛国心】とは何でしょうかね。 そういう当てこすりは必要ないどころか,削除対象にもなりかねませんので,ご注意ください。 ●愛国心を涵養するだけでよろしいではないですか。何も軍国主義に進まなくても。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これぞ、ファッシズムの露払いの言葉です。どうやったらそれが可能なのですか。 きちんと具体的に語ってみなさいよ。 あなたが歴史をどのように乗り越えれているのか、皆で検証してあげましょう。 流水さんが主張されるところによれば,愛国心は軍国主義のいわば土台ということでしょう。しかし,愛国心は軍国主義だけの土台ではありません。愛国心をどのように,悪い言葉で言えば利用するかはその時代によります。 いまは軍国主義の国ではありません。日本をリストラクチャーしなければならない時期です。そのときに愛国心がなければ,日本なんてどうでもいい,という重いしかない人間しかいなければ,リストラクチャーできないと思いませんか? >まるで、軍国主義と結びつけたことが悪いようなことをいう。まるで、わたしが勝手に結びつけたようなことをいう。これもあなたの常套手段のデマゴギー。 デマゴギーではありません。流水さんの論理を当てはまればこうなります。 国を思うことができなければ,国を心からよくすることなどできないでしょう。 >愛国主義と結びついた軍国主義というのは、歴史の事実でしょう。それを考えるのは当たり前でしょうが。 軍国主義に結びつけるような為政者が出たら危険でしょう。 しかし,日本人はそこまで馬鹿ではありません。 一般に,憲法改正や愛国心に反対される方々は,日本人に対する信頼感が薄いことが感じられます。 >国を愛せない人間が増えたら、【あなた自身はどう困るのですか】。さぞかし、お困りなのでしょうから、具体的に詳細に語ってください。 流水さんは,日本などどうなってもいいとお考えですか? そうではないから日本のことについて心配されているのでしょう。それこそが愛国心だと主張しているのです。 自分たちが日本がどのような国になってもかまわない,と考えてしまったら,日本の国は荒れるのではないですか? この場でこんなことを話しているのも,日本人がこの国土で快適に過ごせることを願っているからでしょう? ただのぐだまきではないでしょう? そういうふうに,日本のことを真剣に考えられる人が育たなければならないってことですよ。 |
▼しげちよさん: 過去戦時中に日本がおこなった愛国心教育というのは、たとえ話で言うならば「この女性だけを愛しなさい」「毎朝、愛していると声を出して叫び続けなさい」と言った馬鹿馬鹿しい洗脳教育なのですよ。 お国のために、兵隊さんのためにと言いながら国民に犠牲を強いてゆく事が洗脳ではなく教育と呼べるものかどうかわかりませんが、それを教育と称して少年少女に強要した居ったことは紛れもない事実なのです、これを現在に蘇らせるべく行動は、近い将来において我が国が戦争行動を想定して居ると考えることに何の不思議がありましょう。 もっと極端な発言が許されるならば、数十万人の人間が戦争という狂気によって命を落とした「イラク」の地へ日本の兵隊を送り込んでいる現在の日本国というのは既に戦争状態に突入していると言えます。 他国から見てこのような危ない国家が強制的に愛国心教育をおこなえば、世界に平和を誇ってきた我が国の信用が地に落ち、ひいては世界平和の妨げになること間違い無しであります。 国を愛する心は人間みな持っております、これを一括りにして政府的愛国心を植え付けることは時代が戦時中へ逆戻りすると言うことをあなた方も肝に銘じてここで語ってください。 今、とにかく怖いです。 理由を雄弁には語る能力はありませんが嫌な予感がします。 |
▼こころさん: こんばんは。 >過去戦時中に日本がおこなった愛国心教育というのは、たとえ話で言うならば「この女性だけを愛しなさい」「毎朝、愛していると声を出して叫び続けなさい」と言った馬鹿馬鹿しい洗脳教育なのですよ。 戦前,戦時中はそうでしょうね。それを否定はしていません。 >お国のために、兵隊さんのためにと言いながら国民に犠牲を強いてゆく事が洗脳ではなく教育と呼べるものかどうかわかりませんが、それを教育と称して少年少女に強要した居ったことは紛れもない事実なのです、これを現在に蘇らせるべく行動は、近い将来において我が国が戦争行動を想定して居ると考えることに何の不思議がありましょう。 まったく考えられません。だいたい,初めから申していますように,愛国心は強制できません。「お国のために」といった時点でそれは強制です。相手の行動を「愛国心」という名の下に規定してしまう行為です。 愛国心をもって,何をなすかは個人個人の自由であるし,愛国心教育を行ったとしても,愛国心をもてない人もいるでしょう。それはいまの時代,自由でしょう。 >もっと極端な発言が許されるならば、数十万人の人間が戦争という狂気によって命を落とした「イラク」の地へ日本の兵隊を送り込んでいる現在の日本国というのは既に戦争状態に突入していると言えます。 >他国から見てこのような危ない国家が強制的に愛国心教育をおこなえば、世界に平和を誇ってきた我が国の信用が地に落ち、ひいては世界平和の妨げになること間違い無しであります。 オーストラリアやスペイン,ブルガリア,イタリアなどがそのような国に思えますか? 自分の国の誇りをどこも教えていますよ。 >国を愛する心は人間みな持っております、これを一括りにして政府的愛国心を植え付けることは時代が戦時中へ逆戻りすると言うことをあなた方も肝に銘じてここで語ってください。 わたしの初めからの発言を読んでいただければわかりますが,一括りにしたり強制したり,愛国心に呼びかけて人に特定の行為を押し付ける,というようなことを考えて発言しているのではありません。 嫌日教育をやめてほしい,といっているのです。 ちゃんと,日本の国旗は日の丸である,日本の国歌は君が代であり,音楽の時間に教える。そういう,ふつうのことをしたらよいと言っているのです。 みなに愛国心があればいいです。しかし,調査では「ない」のです。それが問題なのです。 >今、とにかく怖いです。 >理由を雄弁には語る能力はありませんが嫌な予感がします。 愛国心を自分の野望のために利用することには,誰しも反対でしょう。 |
▼しげちよさん:こんばんは。 >>過去戦時中に日本がおこなった愛国心教育というのは、たとえ話で言うならば「この女性だけを愛しなさい」「毎朝、愛していると声を出して叫び続けなさい」と言った馬鹿馬鹿しい洗脳教育なのですよ。 >戦前,戦時中はそうでしょうね。それを否定はしていません。 >>お国のために、兵隊さんのためにと言いながら国民に犠牲を強いてゆく事が洗脳ではなく教育と呼べるものかどうかわかりませんが、それを教育と称して少年少女に強要した居ったことは紛れもない事実なのです、これを現在に蘇らせるべく行動は、近い将来において我が国が戦争行動を想定して居ると考えることに何の不思議がありましょう。 >まったく考えられません。だいたい,初めから申していますように,愛国心は強制できません。「お国のために」といった時点でそれは強制です。相手の行動を「愛国心」という名の下に規定してしまう行為です。 >愛国心をもって,何をなすかは個人個人の自由であるし,愛国心教育を行ったとしても,愛国心をもてない人もいるでしょう。それはいまの時代,自由でしょう。 >わたしの初めからの発言を読んでいただければわかりますが,一括りにしたり強制したり,愛国心に呼びかけて人に特定の行為を押し付ける,というようなことを考えて発言しているのではありません。 >嫌日教育をやめてほしい,といっているのです。 どうしてこんなに能天気なことが言えるのか、不思議でたまりません。 戦前・戦中に愛国心教育の下に侵略戦争を推進した者達の子孫が同じ地位や立場に立ち、再び愛国心教育を行おうとしているのに、「愛国心は強制できません。」とは。 強制には罰則や処分が伴いますが、今まさに罰則や処分を伴った強制が行われているではありませんか。 なぜ、あなたには目の前の事実が見えないのですか。 法律の条文に「強制しない」と書いてあれば、強制は行われないというのですか? 実際に行われているのに。 いくら自分が「一括りにしたり強制したり,愛国心に呼びかけて人に特定の行為を押し付ける,というようなことを考えて発言しているのではありません。」と言ってみても、実際に行われていることを容認していれば同じ事です。 「嫌日教育」。やったことをやったという正直な教育を「嫌日教育」と言うようですね。 では「愛国心教育」とは何でしょう。日本人がやったことは悪いことでもすべて目をつぶり、なかったことにするのが「愛国心教育」のようですね。 泥棒も殺人も強姦も、日本人がしたのだから悪いことではないのですね。 >ちゃんと,日本の国旗は日の丸である,日本の国歌は君が代であり,音楽の時間に教える。そういう,ふつうのことをしたらよいと言っているのです。 >みなに愛国心があればいいです。しかし,調査では「ない」のです。それが問題なのです。 >愛国心を自分の野望のために利用することには,誰しも反対でしょう。 ではなぜ、自民党や東京都の「愛国心」教育に反対しないのですか。 「自分の野望」というのは少し変ですが、「お国のために」強制しようとしているのは見え見えでしょう。 自分が見えないからといって、見えてる人の目をふさごうとするのはやめてください。 こころさん、しげちよ氏の発言を分かりやすくするために、失礼ですがこころさんの発言の一部を割愛させて頂きました。 ご了承頂ければ幸いです。 |
▼MNGさん: こんばんは。 >戦前・戦中に愛国心教育の下に侵略戦争を推進した者達の子孫が同じ地位や立場に立ち、再び愛国心教育を行おうとしているのに、「愛国心は強制できません。」とは。 強制はできないと思います。 非国民だから罰する,などということはできないと思います。 >強制には罰則や処分が伴いますが、今まさに罰則や処分を伴った強制が行われているではありませんか。 教職員の方々のことでしょうか。業務命令に反したのですから。教職員は飾りであそこにいるわけではありません。「仕事」をしているのです。 「仕事」に「強制」が伴わないのならば,「仕事」とは言いません。 >実際に行われているのに。 「強制」という言葉を間違っておられます。 公務員には公務員の義務があります。公務員法に書かれているのです。 地方公務員法 第32条「職員はその職務を遂行するに当たって,法令,条例,地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」(国家公務員法にも同様の規程があります) それをわかって公務員になっているのですよ。 反対するならば個人の資格において,しなければなりません。 それは式典の最中といった職務中の場面ではないでしょうと言っています。 >「嫌日教育」。やったことをやったという正直な教育を「嫌日教育」と言うようですね。 わたしの投稿をよく読んでいただければわかりますが,そういうことは一切書いていません。 日の丸,君が代を忌避するような教育,日本に対して誇りのもてないような教育を言っています。 >では「愛国心教育」とは何でしょう。日本人がやったことは悪いことでもすべて目をつぶり、なかったことにするのが「愛国心教育」のようですね。 すべてを明らかにすることが教育だと思います。したことをしていないように教えるのは,教育でなく洗脳です。 >泥棒も殺人も強姦も、日本人がしたのだから悪いことではないのですね。 そんな話は,アメリカ人はインディアンを虐殺したから,悪者だというようなものです。どの国民も,先祖は他国民と殺し合いをしているのです。 どの国にも犯罪者もいるのです。切のない話です。 >ではなぜ、自民党や東京都の「愛国心」教育に反対しないのですか。 >「自分の野望」というのは少し変ですが、「お国のために」強制しようとしているのは見え見えでしょう。 >自分が見えないからといって、見えてる人の目をふさごうとするのはやめてください。 自民党の「愛国心教育」の具体的な内容はなんですか? 東京都の「学校行事で国旗を掲げ,国歌を斉唱せよ」との通達のどこが間違っているといえるのかわかりません。 国旗,国歌が嫌いという人には,いやなことだということはわかりますけど。 |
▼MNGさん: >▼しげちよさん:こんばんは。 しげちよさんへのご意見ですが、横レスさせていただきます。 >どうしてこんなに能天気なことが言えるのか、不思議でたまりません。 >戦前・戦中に愛国心教育の下に侵略戦争を推進した者達の子孫が同じ地位や立場に立ち、再び愛国心教育を行おうとしているのに、「愛国心は強制できません。」とは。 侵略戦争、ですか? そしてそれが、愛国心教育の下に、というのはどうした話でしょう。 日本は、戦争はしましたが、侵略戦争とは、一方的に日本が悪の侵略国であるかの如き表現です。どういう、事情でそう仰るのでしょう。 >強制には罰則や処分が伴いますが、今まさに罰則や処分を伴った強制が行われているではありませんか。 >なぜ、あなたには目の前の事実が見えないのですか。 >法律の条文に「強制しない」と書いてあれば、強制は行われないというのですか? >実際に行われているのに。 強制だから、全て悪いのでしょうか。戦前の教育が、全て良かった、などと言うことは出来ませんが、強制とは、具体的にどのようなことを指しての話でしょう。 >では「愛国心教育」とは何でしょう。日本人がやったことは悪いことでもすべて目をつぶり、なかったことにするのが「愛国心教育」のようですね。 >泥棒も殺人も強姦も、日本人がしたのだから悪いことではないのですね。 泥棒も、殺人も、強姦も、「日本人が」されたことについては一言も触れず、「日本人がした」ことであれば、ふれないで済まさずにはおらぬ、という著しい不公平性を指して、しげちよ氏は「嫌日教育」と表現されているのかと思います。 >ではなぜ、自民党や東京都の「愛国心」教育に反対しないのですか。 >「自分の野望」というのは少し変ですが、「お国のために」強制しようとしているのは見え見えでしょう。 >自分が見えないからといって、見えてる人の目をふさごうとするのはやめてください。 「国」の名の下に、国家主義をごり押しするような教育も不愉快ですが、絶対化された「私」の名の下に展開される反国家主義、反日本運動の如きも、公教育にふさわしいとは思えません。 |
▼告天子さん: >「国」の名の下に、国家主義をごり押しするような教育も不愉快ですが、絶対化された「私」の名の下に展開される反国家主義、反日本運動の如きも、公教育にふさわしいとは思えません。 これについては同感です。 しかしここで考えねばならぬことは、戦時中の愛国心教育(洗脳教育)が戦争という大犯罪の為におこなわれたものであると言うことです 戦争で人を殺したり殺されたりする為に国を愛せよと教育した日本国を謙虚に反省することから真の愛国心は生まれてくると思います。 |
▼しげちよさん: > ●流水さんが主張されるところによれば,愛国心は軍国主義のいわば土台ということでしょう。しかし,愛国心は軍国主義だけの土台ではありません。愛国心をどのように,悪い言葉で言えば利用するかはその時代によります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これが歴史認識ですか。時代による、というだけで、後は説明なし。人のあら捜しは良くできるのですが、自分の認識を書くとなると、「時代による」ですか。これで何の説明になります。 >いまは軍国主義の国ではありません。日本をリストラクチャーしなければならない時期です。そのときに愛国心がなければ,日本なんてどうでもいい,という重いしかない人間しかいなければ,リストラクチャーできないと思いませんか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これが愛国心が必要な理由ですか。要するにリストラするために、愛国心が必要なのですか。新説ですね。 > >●デマゴギーではありません。流水さんの論理を当てはまればこうなります。 >国を思うことができなければ,国を心からよくすることなどできないでしょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あなたも誰かさんと同じで、全く何も理解していない。わたしは、【愛国心教育と軍国主義】との関係を書いてきたのです。「愛国心」そのものを論じていないことくらい理解して、反論しなさいよ。 わたしの書いたことは歴史の事実。 あなたの書いているのは愛国心。そんなものをもっともらしく論じてみたところで、百人に百人の考えから・解釈がありますよ。 あなたは、【リストラするために愛国心がなければならない」のでしょう。勝手にそう思っていればよいのです。 ●>自分たちが日本がどのような国になってもかまわない,と考えてしまったら,日本の国は荒れるのではないですか? この場でこんなことを話しているのも,日本人がこの国土で快適に過ごせることを願っているからでしょう? ただのぐだまきではないでしょう? >そういうふうに,日本のことを真剣に考えられる人が育たなければならないってことですよ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしは個人的に具体的にどう困るか、と聞いているのですよ。何も答えていませんね。 わたしの書いた戦前の例には、当然ながら多くの具体的に個人的に困った人々がいるのですよ。東京都の場合でも、現在司法の争いになっているのですよ。この人たちは、具体的に個人的に本当に困っているのです。 あなたは、結局何も困らないのでしょう。一つも具体性がなく、何の個人的要素もないのではないですか。あるのは、あなたが頭の中で勝手に考えている【思い】だけでしょう。 つまり、わたしの書いた歴史的事実や、東京都の事例には、愛国心教育の名目で非常に迷惑を受けたり、困ったりした人々の具体的・個別的なものが込められているのです。こういうものを歴史的事実というのです。それと、【あなたの頭の中の勝手な思い】とを同格に対置して論じようというのですから、話になりませんね。 |
▼流水さん: >これが歴史認識ですか。時代による、というだけで、後は説明なし。人のあら捜しは良くできるのですが、自分の認識を書くとなると、「時代による」ですか。これで何の説明になります。 そういう表現で書くのはやめましょう。荒れる原因になりかねません。 わたしはまじめに書いているので,「あら捜し」「何の説明になる」といった言い方はやめていただきたいと思います。 わたしが書いているのは,「過去,愛国心はこのように利用された」ということについては,反対ではありません。 しかし,そのことを理由に,いまの愛国心をどのようにするかについてを,否定する形でこのような事例を出されたことは読みとれますし,そのように解釈しています。だから,いまはそうではないと申し上げているのです。 >これが愛国心が必要な理由ですか。要するにリストラするために、愛国心が必要なのですか。新説ですね。 リストラというとおかしいですが,日本はいま再構築されないと次世代にもっていけないほど,システムや外交も含めて疲弊しています。あるいは,時代に合わなくなってきています。そういう意味で,日本をどのように改築するかについては,国民総出で考えるべき問題であると認識します。だから,小泉改革は当初,支持率が異常に高かったのだと思います。 そのときに,国のことに何の関心もない層が多数であれば,国がそれらの人々の意志に関係ない方向に変わっていく可能性がある,ということですよ。 >あなたも誰かさんと同じで、全く何も理解していない。わたしは、【愛国心教育と軍国主義】との関係を書いてきたのです。「愛国心」そのものを論じていないことくらい理解して、反論しなさいよ。 語っている内容はそのようでも,実際の言いたいことは現在,愛国心などを語ると,このような事例があるのだから,危険である,ということをおっしゃっているということでしょう。 >わたしは個人的に具体的にどう困るか、と聞いているのですよ。何も答えていませんね。 急に困るということはないでしょう。しかし,自分の子や孫のことを考えると,非常に心許ない思いがします。心配です。その思いを書いたのがいけないのでしょうか。 >つまり、わたしの書いた歴史的事実や、東京都の事例には、愛国心教育の名目で非常に迷惑を受けたり、困ったりした人々の具体的・個別的なものが込められているのです。こういうものを歴史的事実というのです。それと、【あなたの頭の中の勝手な思い】とを同格に対置して論じようというのですから、話になりませんね。 きつい表現で書かれますが,東京都の事例にしても,教職員が逆の意味で国旗,国歌というものを真っ白な生徒の頭に教育している,という現実があります。 中立ではない,それこそ「忌み嫌うものだ」というメッセージが含まれた行為であるのです。国旗,国歌を教えることだけがマインドコントロールではなく,「忌み嫌う」ことも同じことでしょう。 |
▼しげちよさん あなたと話しのは、いいわけの山ですね。 > ●わたしが書いているのは,「過去,愛国心はこのように利用された」ということについては,反対ではありません。 >しかし,そのことを理由に,いまの愛国心をどのようにするかについてを,否定する形でこのような事例を出されたことは読みとれますし,そのように解釈しています。だから,いまはそうではないと申し上げているのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いまはそうではない。過去を何一つ検証しないで(あなたは何も語っていない)現在が違うということがどうして証明できます。 治安維持法だって当時は合法的ですよ。国旗・国家法案を契機にして、合法的に多くの教師が排除され、団塊党さんのレスにあるようにかなりの数の教師が沈黙を余儀なくされているのは事実です。 過去の軍国主義教育まで、もう一歩でしょう。 こういう姿から、過去の愛国心教育と密接に結びついた軍国主義教育を見直すのがそれほどあなたの気に入らないのですかね。 わたしには、あなたのこの一連の投稿は、皆の目からそういう都合の悪い議論を読ませたくないから、まるで違う方向へ論議を導こうとしている、と読めますね。 ●語っている内容はそのようでも,実際の言いたいことは現在,愛国心などを語ると,このような事例があるのだから,危険である,ということをおっしゃっているということでしょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あなた得意のいい回しでいいえば、危険があるということは歴史的に証明されているでしょう。それに反対するあなたは、きちんと危険がないということを証明する義務があるのですよ。 過去の経験から、この危険性を具体的にどのような形で乗り越えるかを書く義務があるでしょう。 例えば、東京都の事例でいいますと、あなたはこれまで一貫して東京都教育委員会を弁護してきましたね。それで、反対しないのは、首をかけ、生活をかけて、言わない教師たちが悪いと主張してきましたね。 今そこにある危険すら、認識できない人間が、危険がないなどといって何の説得力があるのですか。 ●急に困るということはないでしょう。しかし,自分の子や孫のことを考えると,非常に心許ない思いがします。心配です。その思いを書いたのがいけないのでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ また、開き直る。その程度の心配なら誰でもしていますよ。結局、何も困っていないのでしょう。 愛国心教育を声高に叫ぶ連中は、具体的に人を巻き込のですよ。現実には、職を失った人も出ているでしょう。 あなたの心配とは全く次元が違うのですよ。それをあなたは簡単に職を賭せ、とおっしゃる。だから、わたしはあなたを自分を高みにおいて簡単に人を切り捨てっる発想だと申し上げている。 > >●つまり、わたしの書いた歴史的事実や、東京都の事例には、愛国心教育の名目で非常に迷惑を受けたり、困ったりした人々の具体的・個別的なものが込められているのです。こういうものを歴史的事実というのです。それと、【あなたの頭の中の勝手な思い】とを同格に対置して論じようというのですから、話になりませんね。 > >きつい表現で書かれますが,東京都の事例にしても,教職員が逆の意味で国旗,国歌というものを真っ白な生徒の頭に教育している,という現実があります。 >中立ではない,それこそ「忌み嫌うものだ」というメッセージが含まれた行為であるのです。国旗,国歌を教えることだけがマインドコントロールではなく,「忌み嫌う」ことも同じことでしょう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【幽霊の正体見たり枯れ尾花】 民主主義の国だから心配ない、危険はない、と言っておきながら、お定まりの【教職員がイデオロギー教育をしていたから悪い】という理屈ですか。結局、街宣右翼の言い分とどこが違うのですかね。マイクでがなるのと、紳士的な言葉遣いとの差だけでしょう。 |
▼流水さん: こんにちは。 >【幽霊の正体見たり枯れ尾花】 >民主主義の国だから心配ない、危険はない、と言っておきながら、お定まりの【教職員がイデオロギー教育をしていたから悪い】という理屈ですか。結局、街宣右翼の言い分とどこが違うのですかね。マイクでがなるのと、紳士的な言葉遣いとの差だけでしょう。 国民皆兵で,皆を戦争に行かせることを意図するものではない,という意味の「危険がない」ということです。 式典で騒ぎを起こした教職員は,残念ながら公務員としての職務を果たしていないことは明らかです。その方々が戦う場は,式典の中ではないと思います。 生徒が見ているのです。そこは教育の場ですから,立派な反国旗・国歌教育だったと認識しています。 残念ですが,あなたは最後までわたしの言葉を,何か陰謀を秘めたもののようにおっしゃっておられますが,まったくの的はずれであることは指摘させていただきます。陰謀説は,よく使われる手段です。 正当な言論も陰謀というレッテルで,殺されることもあります。 わたしの言いたいことは言い尽くしました。 どうもありがとうございました。 |
▼しげちよさん: ●残念ですが,あなたは最後までわたしの言葉を,何か陰謀を秘めたもののようにおっしゃっておられますが,まったくの的はずれであることは指摘させていただきます。陰謀説は,よく使われる手段です。 >正当な言論も陰謀というレッテルで,殺されることもあります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 結局、何一つ論証できないということを証明しただけですね。 はい、ご苦労様でした。 |
流水さん しげちよさん こんばんは。横から失礼します。 私は、国旗・国歌に対してイヤな思い出もありませんし、皇室には親しみも尊敬もしています。 でも、国旗・国歌の強制には疑問を持ちます。 特に、子供達の教育の場において、強制は相応しくありません。 子供達の三無(無気力・無関心・無感動)について言われてから随分経ちますが、輝く眼を持つ他国の子供達に比べ、物質的に恵まれ命の危険性も低いこの日本にいる子供達の元気の無さは、どうしてでしょう? 恵まれすぎて心身共にひ弱になった子達が多くいます。 他方、家庭での躾も教育もきちんとされず、思いのままに振る舞う子供も増えました。気に入らないとイジメたりもします。 子供達が入学して、勉学以外に身につける大切なモノは「要領の良さ」ではないかと思います。 心優しいから?親に心配掛けたくない、プライドも高いからイジメられているなんて周りに思われたくない。 イジメにあっても周りの子供は助けてくれない。大人だって助けてくれない。 だったら、自分の事は自分で守らなければいけない。周りに気を配り要領よく危険を回避します。運が悪ければ、要領が悪ければ学校生活は辛いモノになります。 そんな子供達の前で、国歌・国旗を強制し、従わない教師に罰を与える事は、本当に子供の為の教育になるのでしょうか? 大人の世界でも要領が悪いと辛い目に遭うよ、余分な事は考えずに周りを見回して要領よく生きなさい、って教えているみたいです。 「国」というのは、そこに住む多くの人々が集まって出来ています。 その人々の為に、国の制度・機構が出来たのです。 多くの人達の人権を認めて暮らしやすくすれば、自然に「愛国心」は育つと思います。 三無主義の人が増える事は、国に取ってもマイナスだと思います。 そんな人達が、しっかり意見を持った外国の人達と渡り合えますか? それとも、為政者にはその方が都合が良いのでしょうか? それこそ、愛国心を持って欲しいと思います。 他のスレッドにも書いてありましたが、帰国子女は世界を自由に飛び回っています。私の知人の子供もイジメに遭いましたが、専門学校を卒業してヨーロッパに渡り、働いています。 世界は狭い。大切に扱ってくれる国に行く事も出来るようになりました。 眼を輝かせた魅力のある子供達が多くなるような教育を願っています。 |
▼秋明菊さん: お久しぶりです。相変わらず目線の付け所が素晴らしいと思います。 ●子供達の三無(無気力・無関心・無感動)について言われてから随分経ちますが、輝く眼を持つ他国の子供達に比べ、物質的に恵まれ命の危険性も低いこの日本にいる子供達の元気の無さは、どうしてでしょう? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 変な話ですが、アフガンの戦争孤児の子供たちのドキュメンタリーを見た時、何ときらきら輝く目をしているのだろうと感動したことがあります。 よく考えると、子供たちの目を輝かせていたのは、【希望】だったのです。 戦争が終わり、タリバン政権の抑圧から自由になった時、はじめて子供たちに希望が生まれたのでしょう。 口々に勉強して人の役にたちたいと語っていました。 今の日本には、子供たちに希望がないのでしょう。国旗・国歌を強制する前に、教育現場に希望を育てるのが先決です。 ●そんな子供達の前で、国歌・国旗を強制し、従わない教師に罰を与える事は、本当に子供の為の教育になるのでしょうか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そういう人々は、子供のためなどどうでもよいのです。わたしの言葉で言うと、【子供を粘土細工】と考えている人間なのです。粘土ですから、どうとでも形は変えられると考えているのです。TVで放映される北朝鮮の子供たちの芸は凄いのですが、昔風の言葉で言うと角兵衛獅子の子供を見るような無残さを感じます。 この無残さを良しとする人とそうでない人の違いだと思います。 わたしは、形を決定するのは子供たち自身と考えています。それを手助けするのが、大人や教師の仕事です。 > |
▼流水さん: こんばんは 今日の朝日新聞夕刊に 「卒業生最後に一言、都教委に、先生をいじめないで(在校生に)考え、成長、行動して」と訴える という記事が掲載されていました。 これは都立戸山高校での卒業式の際に、壇上で卒業証書を受け取った男子 生徒が、止むに止まれぬ思いで残した言葉です 卒業式を遂行するに当たって東京都教育委員会の通達に 今年度からは、「適正に生徒を指導する」という項目も加わり更に厳しさ が徹底したようです 秋明菊さんからのレスにあった >●子供達の三無(無気力・無関心・無感動> とは程遠い、生徒さんの柔らかなで力強い心を感じました ●そんな子供達の前で、国歌・国旗を強制し、従わない教師に罰を与える事は、本当に子供の為の教育になるのでしょうか? というご意見に私も共感致します(秋明菊さん、ごめんなさい、引用させていただきました) >>そういう人々は、子供のためなどどうでもよいのです。わたしの言葉で言うと、【子供を粘土細工】と考えている人間なのです。粘土ですから、どうとでも形は変えられると考えているのです。TVで放映される北朝鮮の子供たちの芸は凄いのですが、昔風の言葉で言うと角兵衛獅子の子供を見るような無残さを感じます。 >この無残さを良しとする人とそうでない人の違いだと思います。 >わたしは、形を決定するのは子供たち自身と考えています。それを手助けするのが、大人や教師の仕事です。 おっしゃる通りです。 生徒さんの柔らかな心が踏みにじられ、「どう抵抗しても駄目なんだ」と 無力さを感じ、大人の「強制ではない」という建て前と「指導」という名の 強制の中身を知ったとき、無気力、無関心、そして、無感動へと繋がって いくのではないでしょうか |
流水さん おはようございます! いつも、ご意見を読ませて戴いて、理路整然とした論理そして頷ける内容に感心させられています。 このような議論の場に私の意見など相応しくないと思いましたが、胸のモヤモヤが大きくなったので、母親の1人として意見を述べさせて戴きました。 >変な話ですが、アフガンの戦争孤児の子供たちのドキュメンタリーを見た時、何ときらきら輝く目をしているのだろうと感動したことがあります。 >よく考えると、子供たちの目を輝かせていたのは、【希望】だったのです。 >戦争が終わり、タリバン政権の抑圧から自由になった時、はじめて子供たちに希望が生まれたのでしょう。 >口々に勉強して人の役にたちたいと語っていました。 世界の貧しい国の子供達は、ほとんど輝く眼をしていますね。表情も明るく溌剌としています。 >今の日本には、子供たちに希望がないのでしょう。国旗・国歌を強制する前に、教育現場に希望を育てるのが先決です。 その通りです。 たぶん、親の生活を見ていてもあまり希望は持てないのでしょう。 学校が終われば塾・お稽古へ行き、遊ぶ時間は少なく、塾などの待ちじかんなどで塾仲間と遊ぶのがやっとの状態、の子供達が多いのではないかと。 近所の子供達の疲れた、元気のない表情が気に掛かります。 >●そんな子供達の前で、国歌・国旗を強制し、従わない教師に罰を与える事は、本当に子供の為の教育になるのでしょうか? >・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ >そういう人々は、子供のためなどどうでもよいのです。わたしの言葉で言うと、【子供を粘土細工】と考えている人間なのです。粘土ですから、どうとでも形は変えられると考えているのです。TVで放映される北朝鮮の子供たちの芸は凄いのですが、昔風の言葉で言うと角兵衛獅子の子供を見るような無残さを感じます。 >この無残さを良しとする人とそうでない人の違いだと思います。 >わたしは、形を決定するのは子供たち自身と考えています。それを手助けするのが、大人や教師の仕事です。 この国の教育界のリーダー達は、どのような国を理想としているのか、その為にどのような人間を育てたいのか? まさか、周りの事に関心を持たず考えもせず、為政者などの方針に唯々諾々と従う人間を育てたいのでしょうか? そのような人達は、他に強いモノが出てくれば簡単に変心するかもしれないのに。 大袈裟かもしれませんが、人生は一度きり。復活なんてありません。 人間は「考える葦」であり、「考える」から「我」があるのだと思います。 子供が自分の人生を考える事を、自分らしく生きる事を助ける教育をして欲しいと思います。 |
▼秋明菊さん: こんばんは、お久し振りです。横レス失礼します。 >>私は、国旗・国歌に対してイヤな思い出もありませんし、皇室には親しみも尊敬もしています。 > >でも、国旗・国歌の強制には疑問を持ちます。 >特に、子供達の教育の場において、強制は相応しくありません。 >子供達の三無(無気力・無関心・無感動)について言われてから随分経ちますが、輝く眼を持つ他国の子供達に比べ、物質的に恵まれ命の危険性も低いこの日本にいる子供達の元気の無さは、どうしてでしょう? > >恵まれすぎて心身共にひ弱になった子達が多くいます。 >他方、家庭での躾も教育もきちんとされず、思いのままに振る舞う子供も増えました。気に入らないとイジメたりもします。 > >子供達が入学して、勉学以外に身につける大切なモノは「要領の良さ」ではないかと思います。 > >心優しいから?親に心配掛けたくない、プライドも高いからイジメられているなんて周りに思われたくない。 >イジメにあっても周りの子供は助けてくれない。大人だって助けてくれない。 > >だったら、自分の事は自分で守らなければいけない。周りに気を配り要領よく危険を回避します。運が悪ければ、要領が悪ければ学校生活は辛いモノになります。 > >そんな子供達の前で、国歌・国旗を強制し、従わない教師に罰を与える事は、本当に子供の為の教育になるのでしょうか? > >大人の世界でも要領が悪いと辛い目に遭うよ、余分な事は考えずに周りを見回して要領よく生きなさい、って教えているみたいです。 > >「国」というのは、そこに住む多くの人々が集まって出来ています。 >その人々の為に、国の制度・機構が出来たのです。 > >多くの人達の人権を認めて暮らしやすくすれば、自然に「愛国心」は育つと思います。 > >三無主義の人が増える事は、国に取ってもマイナスだと思います。 >そんな人達が、しっかり意見を持った外国の人達と渡り合えますか? > >それとも、為政者にはその方が都合が良いのでしょうか? >それこそ、愛国心を持って欲しいと思います。 > >他のスレッドにも書いてありましたが、帰国子女は世界を自由に飛び回っています。私の知人の子供もイジメに遭いましたが、専門学校を卒業してヨーロッパに渡り、働いています。 >世界は狭い。大切に扱ってくれる国に行く事も出来るようになりました。 > >眼を輝かせた魅力のある子供達が多くなるような教育を願っています。 「愛国心」と言うだけで難しいことになるのですね。 物心が付いてから、日章旗が国旗で、君が代が国歌であると当たり前のように思っていて、国旗・国家法が制定され、なんで今更って思う程度の知識しかありませんでした。 この板では、知識がないと話もできません。「知識のない者は黙っておれ!」ということですね。 ここで疑問に感じるのは、なぜ「人様を蔑む言葉を平気で吐く」かということです。誰にでも理解される言葉で語ることは大切であり、大多数の国民は「知識人ではない」ということです。(国民を蔑んでいるのではありません) 子どもから訳の分からないことを聞かれたれ、「お前は馬鹿か!」と応えられれば子どもは2度と聞けなくなる。それと同じであると思うからです。 人を説得するには、「商売人の心」で話すことだと思います。 それは、お客さんに議論で勝っても、買っていただけなかったら、負けたと同じです。 買っていただくには、納得して頂くことです。納得させるのではなく、納得して頂くように話を進めます。 スレッドの趣旨に外れたことを書きまして申し訳ございません。 どのようにお感じになっておられますか? |
▼相良唯夫さん: >ここで疑問に感じるのは、なぜ「人様を蔑む言葉を平気で吐く」かということです。誰にでも理解される言葉で語ることは大切であり、大多数の国民は「知識人ではない」ということです。(国民を蔑んでいるのではありません) > >子どもから訳の分からないことを聞かれたれ、「お前は馬鹿か!」と応えられれば子どもは2度と聞けなくなる。それと同じであると思うからです。 >どのようにお感じになっておられますか? まさにおっしゃるとおりです。反論をすれば,蔑みで返ってきますね。ここ2,3日でよくわかりました。 こちらの態度とは関係のないことがわかりました。 わたしも人のことが言えないくらい,荒い言葉遣いのときもありましたが,ここの管理人さんの納得いく言葉で反省し,蔑み・当てこすりなど,相手をイラつかせるような言葉を書くのをやめました。 「愛国心」を説く人間は「非人間」のように忌み嫌われます。国旗,国歌に対する思いと同じなのでしょうね。 |
相良唯夫さん おはようございます。レスありがとうございます。 >「愛国心」と言うだけで難しいことになるのですね。 憲法に書いてある通り、人々が集まって国が出来、沢山の人が円滑に生活出来るように国の制度や組織が出来たのだと思います。 ですので、「愛国心」とは、そこに住む人達を愛する心だと思います。 そこの住民や地域などを愛する事は、その国を自然に愛する事になります。 >物心が付いてから、日章旗が国旗で、君が代が国歌であると当たり前のように思っていて、国旗・国家法が制定され、なんで今更って思う程度の知識しかありませんでした。 私も、自然に受け入れていました。今も変わりはありません。 卒業式などで、国旗が掲げられたり国歌を歌うのも当然だと思っていました。 でも、強制され従わない教師を罰する事になったので、疑問を持つようになったのです。 >この板では、知識がないと話もできません。「知識のない者は黙っておれ!」ということですね。 >ここで疑問に感じるのは、なぜ「人様を蔑む言葉を平気で吐く」かということです。誰にでも理解される言葉で語ることは大切であり、大多数の国民は「知識人ではない」ということです。(国民を蔑んでいるのではありません) >子どもから訳の分からないことを聞かれたれ、「お前は馬鹿か!」と応えられれば子どもは2度と聞けなくなる。それと同じであると思うからです。 > >人を説得するには、「商売人の心」で話すことだと思います。 >それは、お客さんに議論で勝っても、買っていただけなかったら、負けたと同じです。 >買っていただくには、納得して頂くことです。納得させるのではなく、納得して頂くように話を進めます。 > >スレッドの趣旨に外れたことを書きまして申し訳ございません。 >どのようにお感じになっておられますか? 申し訳有りません。何をおっしゃっているのかよく分かりません。 私は、知識も浅く理論的でもない、よく変換ミスをする普通のおばさんです。 以前、相良唯夫さんに良いお言葉を贈って戴いたお礼に、先日、朝刊のコラムに載っていた言葉を贈らせて戴きます。 「世界で一番有能な先生によってよりも、分別のある平凡な父親によってこそ 子供は立派に教育される」 ルソー |
▼秋明菊さん: おはようございます。 >憲法に書いてある通り、人々が集まって国が出来、沢山の人が円滑に生活出来るように国の制度や組織が出来たのだと思います。 >ですので、「愛国心」とは、そこに住む人達を愛する心だと思います。 >そこの住民や地域などを愛する事は、その国を自然に愛する事になります。 自然に発生するものだと思っていました。しかし,現在の調査では若者にそういう心がないというのです。 >でも、強制され従わない教師を罰する事になったので、疑問を持つようになったのです。 式典での国旗,国歌さえ否定する教職員が出てきたということでしょう。 戦後生まれの世代が中核をなすようになり,そういうものに対して抵抗感がある世代が,教職員をしているということでしょうね。 >「世界で一番有能な先生によってよりも、分別のある平凡な父親によってこそ > 子供は立派に教育される」 ルソー いい言葉です。また,考えてみれば当然のことですね。 |
▼秋明菊さん: ご丁寧なご意見の表明,ありがとうございます。 >でも、国旗・国歌の強制には疑問を持ちます。 >特に、子供達の教育の場において、強制は相応しくありません。 式典で国旗・国歌が強制,というのには疑問が残るのです。 というか,日本の国旗はこれで,国歌はこれです。これらは式典などに使われます,という教育だと思うのですが。 強制されていると感じているのは子どもたちではなく,教職員という大人だと思うのですが。 >恵まれすぎて心身共にひ弱になった子達が多くいます。 >他方、家庭での躾も教育もきちんとされず、思いのままに振る舞う子供も増えました。気に入らないとイジメたりもします。 > >子供達が入学して、勉学以外に身につける大切なモノは「要領の良さ」ではないかと思います。 > >心優しいから?親に心配掛けたくない、プライドも高いからイジメられているなんて周りに思われたくない。 >イジメにあっても周りの子供は助けてくれない。大人だって助けてくれない。 > >だったら、自分の事は自分で守らなければいけない。周りに気を配り要領よく危険を回避します。運が悪ければ、要領が悪ければ学校生活は辛いモノになります。 このへんの子どもの周辺の事情は同じ思いがします。 公共の場で非常識な行動があったとしても親は注意しないことが多いし,まして昔のように他人が注意することができないような状況ですね。 >そんな子供達の前で、国歌・国旗を強制し、従わない教師に罰を与える事は、本当に子供の為の教育になるのでしょうか? 子どもが強制されているとは思いません。「君が代」を教えるのも,「春の小川」を教えるのも,子どもにしたら同値でしょう。 >大人の世界でも要領が悪いと辛い目に遭うよ、余分な事は考えずに周りを見回して要領よく生きなさい、って教えているみたいです。 教職員で反対が多いのであれば,意見書なり署名を集めて,教育委員会に提出したり,街頭で賛同する署名を集めたり,やり方はいろいろとあると思うのですけどね。教育現場でいきなり式典を台無しにするようなやり方は,生徒のことを考えているとは思えないのです。 >「国」というのは、そこに住む多くの人々が集まって出来ています。 >その人々の為に、国の制度・機構が出来たのです。 そのとおりです。ですから,国民が選んだ代表が,法律を決めています。 >多くの人達の人権を認めて暮らしやすくすれば、自然に「愛国心」は育つと思います。 高校生の大半が日本に対して何も感じないほど,人権がそんなに毀損されているのでしょうか? 韓国や米国はどうなのでしょうか? 日本に比べて人権が圧倒的に擁護されているといえるのでしょうか? >三無主義の人が増える事は、国に取ってもマイナスだと思います。 >そんな人達が、しっかり意見を持った外国の人達と渡り合えますか? そのとおりです。わたしの危機感もそこからきています。実際に現在,困らないと意見をいえないようなことを言われますが,危機感を感じるからこそ書いているのです。 >それとも、為政者にはその方が都合が良いのでしょうか? >それこそ、愛国心を持って欲しいと思います。 それはないでしょう。為政者にとっても国民にやる気がないのは困るでしょう。 >他のスレッドにも書いてありましたが、帰国子女は世界を自由に飛び回っています。私の知人の子供もイジメに遭いましたが、専門学校を卒業してヨーロッパに渡り、働いています。 >世界は狭い。大切に扱ってくれる国に行く事も出来るようになりました。 > >眼を輝かせた魅力のある子供達が多くなるような教育を願っています。 そのとおりだと思います。 |
▼しげちよさん: >式典で国旗・国歌が強制,というのには疑問が残るのです。 >というか,日本の国旗はこれで,国歌はこれです。これらは式典などに使われます,という教育だと思うのですが。 >強制されていると感じているのは子どもたちではなく,教職員という大人だと思うのですが。 そこまで言うのならば、過去の戦争のしがらみの無い、 「新国旗・新国歌」を、貴方達「愛国心推奨者」の 側から提示されよ。 私としては、 まず、国旗としては、 金「未来への躍進」 白「戦争のどす黒い煙から洗われた世界」 青「澄んだ心で全ての人々と対等に扱う」 以上の3色をモチーフとした国旗を提案致します。 (他の国の国旗とダブってたら、ごめんなさい)。 そして、国歌としては、 あの、サッカーのワールドカップの応援歌としても有名になった、 「翼をください」 http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/tsubasawo_kudasai.htm そこまでしなければ、護憲派の方々からも納得の得られる結論には 達しない、と考えますが、如何か。 (それで納得しないのならば、ただの『復古主義者』と見られても 致し方ない、と私は見ます) |
▼森下 泰典さん: 新たな提案ありがとうございます。 これは画期的なことですね。 >そこまで言うのならば、過去の戦争のしがらみの無い、 >「新国旗・新国歌」を、貴方達「愛国心推奨者」の >側から提示されよ。 > >私としては、 >まず、国旗としては、 >金「未来への躍進」 >白「戦争のどす黒い煙から洗われた世界」 >青「澄んだ心で全ての人々と対等に扱う」 >以上の3色をモチーフとした国旗を提案致します。 >(他の国の国旗とダブってたら、ごめんなさい)。 黄色はあるけど,金色はないと思います。 それにしても,すごい発想力ですね。 その3色の意味については,内容的に賛成します。 ぜひそういう国になってほしいですからね。 >そして、国歌としては、 >あの、サッカーのワールドカップの応援歌としても有名になった、 >「翼をください」 これをオリジナルで歌った人が近所に住んでいます。まだ歌手活動もされています。でも,国歌となるとどうでしょうか。 日本国民の心を表して余すことがない,というのは贅沢でしょうが。 しかし,他のデザインや歌を提案されたことは,非常に全体的に(わたしも含めて)前進できると思います。 これだというものが決まれば,運動してもいいのではないですか? 要するに,「日本をよくしていきたい,日本に生まれてよかった」という心を若者に持っていただければいいわけですから。 |
▼森下 泰典さん: こんばんは >私としては、 >まず、国旗としては、 >金「未来への躍進」 >白「戦争のどす黒い煙から洗われた世界」 >青「澄んだ心で全ての人々と対等に扱う」 >以上の3色をモチーフとした国旗を提案致します。 >(他の国の国旗とダブってたら、ごめんなさい)。 おお、若い発想で素敵な国旗を考えてくださいましたね >そして、国歌としては、 >あの、サッカーのワールドカップの応援歌としても有名になった、 >「翼をください」 >http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/tsubasawo_kudasai.htm 「翼をください」は、今年私の職場で「六年生を送る会」の時選んだ曲で サビの部分は手話コーラスで、在校生達が、他は全員で歌いました とても良い歌だと思います。 祝典や儀式の折に小中学生からお年寄り迄、この歌を歌うなんて 考えただけでも楽しいですね。 |
▼パンドラさん: >▼森下 泰典さん: そりゃいいですね! トイレのとこにある さざれ石がイワヲになるという 不合理なのより よほどいいですね。 > >こんばんは > >>私としては、 >>まず、国旗としては、 >>金「未来への躍進」 >>白「戦争のどす黒い煙から洗われた世界」 >>青「澄んだ心で全ての人々と対等に扱う」 >>以上の3色をモチーフとした国旗を提案致します。 >>(他の国の国旗とダブってたら、ごめんなさい)。 > >おお、若い発想で素敵な国旗を考えてくださいましたね >>そして、国歌としては、 >>あの、サッカーのワールドカップの応援歌としても有名になった、 >>「翼をください」 >>http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/tsubasawo_kudasai.htm > >「翼をください」は、今年私の職場で「六年生を送る会」の時選んだ曲で >サビの部分は手話コーラスで、在校生達が、他は全員で歌いました >とても良い歌だと思います。 > >祝典や儀式の折に小中学生からお年寄り迄、この歌を歌うなんて >考えただけでも楽しいですね。 |
しげちよさん こんにちは!レスありがとうございます。 >式典で国旗・国歌が強制,というのには疑問が残るのです。 >というか,日本の国旗はこれで,国歌はこれです。これらは式典などに使われます,という教育だと思うのですが。 >強制されていると感じているのは子どもたちではなく,教職員という大人だと思うのですが。 いつも接している先生が強制されていると感じてるのなら、子供達にも伝わります。子供達は感じやすい心を持っています。 >>そんな子供達の前で、国歌・国旗を強制し、従わない教師に罰を与える事は、本当に子供の為の教育になるのでしょうか? >子どもが強制されているとは思いません。「君が代」を教えるのも,「春の小川」を教えるのも,子どもにしたら同値でしょう。 歌を教えるのでは同じかも知れませんね。 でも、「春の小川」は歌う時に起立しなくても罰せられません。 「春の小川」を引き合いに出して、何をおっしゃりたいのか??? >教職員で反対が多いのであれば,意見書なり署名を集めて,教育委員会に提出したり,街頭で賛同する署名を集めたり,やり方はいろいろとあると思うのですけどね。教育現場でいきなり式典を台無しにするようなやり方は,生徒のことを考えているとは思えないのです。 通達を出す前に、教育委員会が先生や生徒の事を考えるべきだったのではないのでしょうか? 式典を台無しにするようなやり方は教育委員会の方にも責任があると思います。 > >>「国」というのは、そこに住む多くの人々が集まって出来ています。 >>その人々の為に、国の制度・機構が出来たのです。 > >そのとおりです。ですから,国民が選んだ代表が,法律を決めています。 国民が選んだ代表が立候補の時の公約を守ってくださっていれば、信頼できます。 > >高校生の大半が日本に対して何も感じないほど,人権がそんなに毀損されているのでしょうか? 韓国や米国はどうなのでしょうか? 日本に比べて人権が圧倒的に擁護されているといえるのでしょうか? 高校生の大半が日本に対して何も感じない事がどうして分かります? 声を出す事は辛い立場になると、「要領よく」避けているのかもしれません。 日本人は、起きてしまった事は仕方がない、現状を受け入れよう、などという気持ちが韓国や米国の人達より大きいと思います。 韓国や米国の人達は、小さい時から自分の意見をはっきり言うようです。 知人の米国人は、はっきり自分の意見を持っていると、たとえ反対意見でも喜んで話してくれます。その方がただ賛成してくれるより、尊敬するそうです。 韓国人の話している様子をTVで観る事がありますが、ケンカしているみたいに見えるほど、自分の意見をはっきり言っています。 自分の意見を持ってはっきり表明すると煙たがられる様な社会が、子供にとって良いとは思えません。 思った事でも上の通達と違う意見は、外では言わないで内だけで・信用できる人の間だけで話そう、なんて思う世の中は息苦しいのではないのでしょうか? >>三無主義の人が増える事は、国に取ってもマイナスだと思います。 >>そんな人達が、しっかり意見を持った外国の人達と渡り合えますか? > >そのとおりです。わたしの危機感もそこからきています。実際に現在,困らないと意見をいえないようなことを言われますが,危機感を感じるからこそ書いているのです。 何に危機感を感じていらっしゃるのか良く理解出来ません。??? 普段着の言葉でしか話す事ができませんので、不愉快に思われた事と思います。 失礼しました。 |
▼秋明菊さん: こんにちは! >いつも接している先生が強制されていると感じてるのなら、子供達にも伝わります。子供達は感じやすい心を持っています。 強制されていると感じている,だけで,決して本当の意味の「強制」ではないと思います。 業務命令を「強制」と感じていたら,仕事はできません。 式典中は職務中ですから。 >>子どもが強制されているとは思いません。「君が代」を教えるのも,「春の小川」を教えるのも,子どもにしたら同値でしょう。 > >歌を教えるのでは同じかも知れませんね。 >でも、「春の小川」は歌う時に起立しなくても罰せられません。 >「春の小川」を引き合いに出して、何をおっしゃりたいのか??? 君が代で,子どもが立たなくても罰せられませんよ。「春の小川」も「君が代」も子どもにしたら同値です。色をつけているのは,大人のほうですよ。 >通達を出す前に、教育委員会が先生や生徒の事を考えるべきだったのではないのでしょうか? 教育委員会におはちを回すような言い方では,解決しないでしょう。 そういう教育委員会だからこそ,やらねばならないのではないでしょうか。 >式典を台無しにするようなやり方は教育委員会の方にも責任があると思います。 教育委員会には通達を出す権限があります。それらの決定に反対であるならば,教育委員会の解散を民意で発する運動にするしかありません。それが民主主義です。 そういうことをしないで,式典を混乱させるやり方が,大人のやり方とは思えません。 >国民が選んだ代表が立候補の時の公約を守ってくださっていれば、信頼できます。 守らないのは,次に落とすべきですね。 >高校生の大半が日本に対して何も感じない事がどうして分かります? >声を出す事は辛い立場になると、「要領よく」避けているのかもしれません。 そういわれるとどうしようもありませんが。 >自分の意見を持ってはっきり表明すると煙たがられる様な社会が、子供にとって良いとは思えません。 それは国民性としてありますね。 ここでも,反対意見を書くと煙たがられるのも同じことだと思います。 >>>そんな人達が、しっかり意見を持った外国の人達と渡り合えますか? >> >>そのとおりです。わたしの危機感もそこからきています。実際に現在,困らないと意見をいえないようなことを言われますが,危機感を感じるからこそ書いているのです。 > >何に危機感を感じていらっしゃるのか良く理解出来ません。??? つまり,政治,財政や外交は国民の利益に直結している,ということです。 >普段着の言葉でしか話す事ができませんので、不愉快に思われた事と思います。 >失礼しました。 いえいえ,ご丁寧なもの言いですので,何も不快感はありませんでした。 |
しげちよさん こんにちは > >>いつも接している先生が強制されていると感じてるのなら、子供達にも伝わります。子供達は感じやすい心を持っています。 > >強制されていると感じている,だけで,決して本当の意味の「強制」ではないと思います。 >業務命令を「強制」と感じていたら,仕事はできません。 >式典中は職務中ですから。 「式典」には、子供達が参加しています。子供達が見ています。 「強制」ではないのに、通達に従わないと罰則が与えられるのですか? 通達・業務命令がすべて正しいモノなのでしょうか? 職務中は、自分の考えと相容れない命令にも盲従しなければいけないのですか? 個人の尊重は、どこにあるのでしょう? >>通達を出す前に、教育委員会が先生や生徒の事を考えるべきだったのではないのでしょうか? > >教育委員会におはちを回すような言い方では,解決しないでしょう。 教育委員会が決めたのではないのですか? そのおはちが、教師・生徒たちに回ったのです。 >そういう教育委員会だからこそ,やらねばならないのではないでしょうか。 何を「やらねばならない」のでしょうか? >教育委員会には通達を出す権限があります。 権限がある人には、普通の人より厳しい規律があると思います。 この頃の権威者には、安易にその権限を使う傾向があるような気がします。 >それらの決定に反対であるならば,教育委員会の解散を民意で発する運動にするしかありません。それが民主主義です。 無関心が多い国民に、その様な運動をする気持ちが薄い事をご存知で、おっしゃっている様な気がしますが? そして、教育委員会の通達は、国民をより無関心にさせるのではないかと心配しています。 >そういうことをしないで,式典を混乱させるやり方が,大人のやり方とは思えません。 もう一度申し上げますが、式典を混乱させるような通達を行ったのは、どちらでしょうか? >>国民が選んだ代表が立候補の時の公約を守ってくださっていれば、信頼できます。 > >守らないのは,次に落とすべきですね。 と言うより、守らせるような決まりを作る方が良いのではないのでしょうか? >ここでも,反対意見を書くと煙たがられるのも同じことだと思います。 相手の意見をまともに理解しようとされれば、建設的な意見交換になると思います。 > >>>>そんな人達が、しっかり意見を持った外国の人達と渡り合えますか? >>> >>>そのとおりです。わたしの危機感もそこからきています。実際に現在,困らないと意見をいえないようなことを言われますが,危機感を感じるからこそ書いているのです。 >> >>何に危機感を感じていらっしゃるのか良く理解出来ません。??? > >つまり,政治,財政や外交は国民の利益に直結している,ということです。 ですから、教育の場を政争の場にならないよう、子供達がビクビクする事がないよう、大人達、特に権威のある人達は考えなければいけないと思います。 自分の意見をはっきり話す事が出来るような環境を作って、ノビノビ育てれば、良い人材が得られると思います。 少子化が進んでいる今、1人1人の子供達の心・人権を守る事はとても大切です。 今の状態が良い状態ならば、子供達が希望を持って生きているはずですが、新聞などによると、他の国(米、韓など)と比べると、日本の子供には虚無感があるように思えます。 大相撲や色々なスポーツで、国歌が歌われます。国旗も掲揚されます。 私も一緒に口ずさんだり、単純だけど目立つ国旗を見れば嬉しい気持ちになります。それは国民の多くの人達の気持ちだと思います。 そんな気持ちに水を差すような事はして欲しくありません。 天皇陛下が、園遊会(だったと思いますが)でおっしゃったのは、その国民の気持ちを大切に思われたからだと思います。 どうか、子供の立場に立って、親の立場に立って、弱い者の立場に立ってお考え下さい。 |
▼秋明菊さん: こんにちは 愛国心と日の丸や君が代を一緒くたに考えない方が良いのではないですか。 卒業式などの式典において国旗掲揚、国歌斉唱というものがプログラムに盛り込まれて居ればそれに従うのがルールを守ると言うことであるのだから、ルール違反をしてでも己の信念を曲げぬのははたして良いことなのだろうか。 世の中のルールには理不尽なものがたくさんある、しかし決められたことは守らねば大勢の人間の中で生きていくことは出来ぬ。どうしても国旗や国歌が嫌なら理由をつけて式典を休めばよい、わざわざ出かけていってルール破りをする人間にこそ非があると思いますよ。 戦時中の愛国心教育は戦争のためにおこなわれた、これを現在に復活させようという動きには断固反対するが、社会のルールは守るべきであると考える。 |
こころさん こんにちは。レスありがとうございます。 >愛国心と日の丸や君が代を一緒くたに考えない方が良いのではないですか。 >卒業式などの式典において国旗掲揚、国歌斉唱というものがプログラムに盛り込まれて居ればそれに従うのがルールを守ると言うことであるのだから、ルール違反をしてでも己の信念を曲げぬのははたして良いことなのだろうか。 >世の中のルールには理不尽なものがたくさんある、しかし決められたことは守らねば大勢の人間の中で生きていくことは出来ぬ。どうしても国旗や国歌が嫌なら理由をつけて式典を休めばよい、わざわざ出かけていってルール破りをする人間にこそ非があると思いますよ。 その方は、曲げてはいけない信念と思われているのではないでしょうか? 他の人が歌ったりするのを妨げる場合はともかく、信念のため起立しないのは、罪になるのでしょうか? ルール破りとして罰しなければいけないような行動なのでしょうか? こころさんのご意見は正論だと思います。 でも、最近の権力者のやり方に不安を覚えます。 「茶色の朝」のように、ルールだからって安易に受け入れている内に、がんじがらめになる日があるかもしれません。 全員右向け右に、左を向いた人がいても、笑って済ます世の中の方が住みやすくないですか? 私には出来ませんが、そんな人達もいても良いと思いますが。 >戦時中の愛国心教育は戦争のためにおこなわれた、これを現在に復活させようという動きには断固反対するが、社会のルールは守るべきであると考える。 戦時中の愛国心教育はよく知りませんが、教育の場の主人公は子供達です。 その先生達は、子供達の眼に正直に写りたいと思われたのではないのでしょうか? |
▼秋明菊さん: レスをありがとうございます。 >「式典」には、子供達が参加しています。子供達が見ています。 だからこそ,見苦しい真似はしないほうがいいのです。 式次第に決まっているのならば,その場では抗議行動などとるべきではないでしょう。 >職務中は、自分の考えと相容れない命令にも盲従しなければいけないのですか? 国家公務員法,地方公務員法をごらんください。このスレッドでもMNGさんのレスに引用しています。 公務員は,国の機関,地方公共団体の機関の命令に「職務中」は忠実に従わなければならないと規定されております。 >教育委員会が決めたのではないのですか? 教育委員会のメンバーを決めたのは誰ですか? 東京都の場合,知事の任命でしょう。では,その知事を決めたのは誰ですか? >何を「やらねばならない」のでしょうか? 職務外で,反対の運動を起こすことです。 あるいは,一般市民の声を糾合し,是正に向けて動かせる,ということです。 >権限がある人には、普通の人より厳しい規律があると思います。 >この頃の権威者には、安易にその権限を使う傾向があるような気がします。 そうお思いになるのならば,権限のある人を変える選択をするのが,市民の権利であり,義務です。 >無関心が多い国民に、その様な運動をする気持ちが薄い事をご存知で、おっしゃっている様な気がしますが? そんなことはないでしょう。そういう国旗,国歌の押しつけに反対である意見が多ければ,多数を形成するのはむずかしくないでしょう。もし,無関心層が多いのであれば,それは公共心のない人が多いということですね。 >もう一度申し上げますが、式典を混乱させるような通達を行ったのは、どちらでしょうか? 通達は教育委員会ですが,教職員でしょう。わたしの子ども時代,国旗や国歌を扱っていても,そのようなことはなかったですけど。 >相手の意見をまともに理解しようとされれば、建設的な意見交換になると思います。 理解しようとしていますよ。それはお互い様ということではないでしょうか。 わたしが一方的に理解しなければならないということはないのでしょう? >ですから、教育の場を政争の場にならないよう、子供達がビクビクする事がないよう、大人達、特に権威のある人達は考えなければいけないと思います。 なぜ,通達する方だけが責められないといけないのかわかりません。 そういう通達があったときに,当日の現場では国旗,国歌というものを扱うことがわかっているのでしょう。 子どもに迷惑をかけることによって,自分たちの主張を通そうとする,人を犠牲にしてのやり方だと見えましたが。 >大相撲や色々なスポーツで、国歌が歌われます。国旗も掲揚されます。 >私も一緒に口ずさんだり、単純だけど目立つ国旗を見れば嬉しい気持ちになります。それは国民の多くの人達の気持ちだと思います。 と,われわれの世代は思えるのでしょうが,若者はそうではないとの調査結果です。あくまで調査結果だから,まちがいもあるでしょうが,そういう調査を根拠にしなければ何の話もできません。 >天皇陛下が、園遊会(だったと思いますが)でおっしゃったのは、その国民の気持ちを大切に思われたからだと思います。 「強制はいけません」ですね。当然です。米長氏は「国民全員が日の丸・君が代に敬意を払うようにするのがわたしの仕事」みたいなことを言ったのですね。 「敬意をはらうかどうか」は個人のレベルでは,自由のはずです。 >どうか、子供の立場に立って、親の立場に立って、弱い者の立場に立ってお考え下さい。 わたしも人の親ですし,とくに何の権威ももちあわせておりません。 その子たちが「君が代」を知らない,夜10時に「蛍の光」がスーパーで流れても,その意味がわからない,という状態なのです。 それは寂しすぎます。 |
上の方でしげちよ氏が、さげすみを受けたと泣き言いっているので、わたしの立場をきちんと説明しておきましょう。 わたしは、30年以上公立中学校の教師をしてきましたが、新採用時代から国旗・国歌のない卒業式などしたことはありませんよ。君が代も歌わなかったこともありませんよ。 私自身も君が代を歌いましたよ。 わたしは、それをしたからといって、自分の節を曲げたとも思っていません。 その中で卒業式を如何に子供のものにするかで、必死に工夫をしてきたのですよ。これは私流の抵抗の方式です。 国旗・国歌を教育現場に定着させるために、戦後一貫して教育現場に介入してきたのが、自民党文教族をはじめとする国権派の政治家たちですよ。その中には、中曽根康弘もいれば、神の国発言で有名な森元首相もいるのです。彼らの政治的イシューは、誰の目にも明らかです。 愛国心を説く人間の正体を、誰よりもよく分かっているのが教師たちなのです。愛国心を説く人間が如何にも危険がない人間のようにしげちよ氏は書いていますが、それがどんなに嘘とデマゴギーに満ちているか、誰よりも現場で生きてきたわたしたちが知っているのですよ。あなたが抵抗の方式などを書いていましたが、そんなものは何十年も教師たちがやってきたことですよ。それが如何に虚しいものか、ということも誰よりも知っているのです。 何をいまさらいうかと、ちゃんちゃらおかしいのです。 言葉遣いが正しいからといって、しげちよ氏の論法が正しいのではないのです。 愛国心教育と愛国心とは明確に違うのです。 教育の現場でいうならば、愛国心教育は、政治意志そのものなのです。 愛国心は個人の領域です。そんなものは、一人一人が個人の責任で持てばよいことです。誰がどんな考え方をもとうと他人に迷惑をかけない限り、問題ないのです。 当初から私が論じてきたのは、愛国心教育ですよ。 それを愛国心がどうのこうのと問題を混同させてきたのはしげちよ氏です。 わたしは、愛国心そのものなど当初から論じていないのです。 しかも、愛国心教育は、軍国主義教育とは違う、と歴史的評価まで踏み込んで書いているのですから、それを証明しろというのは、理の当然です。 それに対して何一つ証明できないのですから、さげすみを受けて当然です。なぜなら、彼は愛国心がない人間を逆の意味でさげすんでいるからです。 だいたい、わたしの立場など何一つ分かっていないで、反論することが間違いのはじまりです。まず、自分の間違いを素直に認めましょう。さげすみなどと被害者面をして、泣き言を言う前に、自分の認識のなさを反省するのが先ではないですか。 学校では、悪いことをしたり、自分が間違っていたら素直に謝りましょう、と教えます。愛国心がどうのこうのという前に、自分の認識の足りなさを素直に認めたらどうですか。 |
▼流水さん: おはようございます。 >わたしは、30年以上公立中学校の教師をしてきましたが、新採用時代から国旗・国歌のない卒業式などしたことはありませんよ。君が代も歌わなかったこともありませんよ。 初めて伺いました。 >愛国心を説く人間の正体を、誰よりもよく分かっているのが教師たちなのです。愛国心を説く人間が如何にも危険がない人間のようにしげちよ氏は書いています 「愛国心をとく人間が危険がない」とは一切申しておりません。現在,愛国心を養うことに関して,危険がないということです。 >あなたが抵抗の方式などを書いていましたが、そんなものは何十年も教師たちがやってきたことですよ。 >ちゃんちゃらおかしいのです。 ちゃんちゃらおかしいでしょうが,それしか方法はないと思います。 職務中は,地方公務員法によって規程されているように,「地方公共団体の機関の決定,上司」などの命令には忠実に従わないといけないのですから。 しかし,個人の立場では別でしょう。だから,戦う場がちがうと申しているのです。式典中は,職務中でしょう。その場で反抗すれば,業務命令違反に問われてもしかたがない。 >愛国心教育と愛国心とは明確に違うのです。 >教育の現場でいうならば、愛国心教育は、政治意志そのものなのです。 しかし,愛国心が育っていない現状を考えると,教育が必要であると思わざるをえません。それでなぜ困るのかといわれるでしょうが,それは自分たちにじわじわせまるものでしょう。 いま,ここで多少のフロンを排出しても,すぐには困りません。しかし,それがたまりたまって,オゾン層破壊が起こるように。 >愛国心は個人の領域です。そんなものは、一人一人が個人の責任で持てばよいことです。誰がどんな考え方をもとうと他人に迷惑をかけない限り、問題ないのです。 それを受けてどう思うかは個人の自由です。無理矢理「愛国心を持て」などと言っても,持てる道理はありません。 しかし,はなから国に誇りをもてる教育をしないことには,そういう心は育たないでしょう。 たとえば,明確な意志をもった選挙投票棄権ならばわかるのですが,めんどうだ・関係ない・どうせ変わらない,こういった諦念があるのは政治腐敗が原因の一部ではありますが,腐敗しているからこそ変えねばならない,という気運が生じないのは,すべて「日本に絶望」または「日本を見放」しているからにほかならないと思います。 >それを愛国心がどうのこうのと問題を混同させてきたのはしげちよ氏です。 >わたしは、愛国心そのものなど当初から論じていないのです。 「戦前」の愛国心教育を語る中で,愛国心をもつことさえも危険である,という論旨だと認識しています。 >しかも、愛国心教育は、軍国主義教育とは違う、と歴史的評価まで踏み込んで書いているのですから、それを証明しろというのは、理の当然です。 それはあなたがおっしゃったことです。 「愛国心教育は,軍国主義教育の土台になる」 つまり,愛国心教育は軍国主義教育とは別物であるとおっしゃっておられるのです。だから,証明の必要はありません。 続きます |
続きです。 >それに対して何一つ証明できないのですから、さげすみを受けて当然です。なぜなら、彼は愛国心がない人間を逆の意味でさげすんでいるからです。 老人党のシンパであるあなたが,多少踏み外しても警告はないでしょう。しかし,嘘はいけません。わたしがさげすんだでしょうか。 わたしは「個人的には愛国心をもつ,もたない,もてないは自由である」とずっと書いていますよ。 >だいたい、わたしの立場など何一つ分かっていないで、反論することが間違いのはじまりです。 >まず、自分の間違いを素直に認めましょう。さげすみなどと被害者面をして、泣き言を言う前に、自分の認識のなさを反省するのが先ではないですか。 あなたの立場がわかっていないのは,わたしのせいとは思えません。 ある意見をあなたが書き,それに対して答えるのに,あなたの生きてきた背景から,今まで書いた記事を参照した上で,書かないといけないのでしょうか。 それであれば,意見など誰も書けませんね。 掲示板ではまったく知らない者どうしが文字でやりとりしています。いきなり,「わたしの立場をわかっていないのに発言するな」と言われましてもそれはお互い様であり,こちらがそちらの立場をわかっていないと気がつき,「立場がわからないから,自分の言っていることがわかっていないのだ」と思うのならば,蔑む前委にすることがあるでしょう。 >学校では、悪いことをしたり、自分が間違っていたら素直に謝りましょう、と教えます。愛国心がどうのこうのという前に、自分の認識の足りなさを素直に認めたらどうですか。 確かにそうです。間違っていたら謝罪すべきです。ここには,自分の錯誤で人を罵倒しながら,謝罪しない人も出入りしているようです。 しかし,認識の足りなさとは何を指しているのでしょうか。 あなたのおっしゃっていることを訳すと,「あなたみたいな認識の足りない馬鹿がわたしに意見をするな」というふうにもとれますよ。 そう解釈させていただいてよろしいですね。 |
▼流水サン 態度を改めようというつもりは、全く持っておられないようですね。それは重畳。 >しかも、愛国心教育は、軍国主義教育とは違う、と歴史的評価まで踏み込んで書いているのですから、それを証明しろというのは、理の当然です。 >それに対して何一つ証明できないのですから、さげすみを受けて当然です。 へえ。 では私から一つお願いがあるのですが。貴方が以前靖国問題で発言したことについて、何故、 『靖国神社を参拝して祈る人達はオウム真理教を笑えない』のか、 一つ証明していただけませんか。理の当然なんでしょう?どうぞ大々的に。 お待ちしています。 恐惶謹言。 |
▼YOTAさん: 相変わらず根に持つ性格は直らないようですね。結構結構。 >恐惶謹言。 |
▼このスレッドにお集りのみなさまへ: Ray@スタッフです。 このスレッドおよび前スレッドの書き込みの多くが 警告対象となっているため、スレッド全体に対して警告いたします。 掲示板をご利用の際は掲示板のルールを遵守することで、 掲示板の秩序を保ち、実りのある議論を進めることに ご協力くださるよう、重ねてお願いいたします。 |
▼管理スタッフさん: >▼このスレッドにお集りのみなさまへ: > >Ray@スタッフです。 > >このスレッドおよび前スレッドの書き込みの多くが >警告対象となっているため、スレッド全体に対して警告いたします。 > >掲示板をご利用の際は掲示板のルールを遵守することで、 >掲示板の秩序を保ち、実りのある議論を進めることに >ご協力くださるよう、重ねてお願いいたします。 管理人様には,ご苦労様です。 ここで,参加者のほとんどが警告対象の書き込みをしているかのようにお書きですが,人を傷つけるような言い方をなさっているのは,若干一名だと思いますが,いかがでしょうか。 |
▼みなさま: Rayです。 ここまでの議論を見てきて、また以前から考えていた 「愛国心教育」についての私見を述べます。 まず、「自分の国を愛する心」という文字通りの意味での 「愛国心」そのものを否定する方はまずいらっしゃらないだろうと思います。 このことは、これまでの議論を見てきてもわかることですし、 私自身もこのことには賛成です。 逆に、「国が愛国心を強制すること」に対しては 賛成する方が非常に少ないこともご了解いただいていることと思います。 そして、今問題になっているのは、 卒業式等の式典において、日の丸に拝礼したり 君が代を歌うことを事実上義務づけていることが、 「愛国心の強制・強要」にあたるかどうか、という点であることも みなさまご了解いただけることと思います。 これまでに出されたご意見の中で、 「愛国心の強制・強要にはあたらない」 という主張の根拠として、 「公立学校の教職員(=公務員)であれば通達には従うべき」 「国(自治体)を尊重するべき」 という趣旨のことがあげられていましたが、 これらのご意見は、 「『公』は『私』よりも重視されるべき」 というものであり、主権在民の原則を侵すものであると思います。 また、 「強制されているのは教師であって生徒ではないのだから問題はない」 とのご意見もありましたが、同様の理由によって 「教師であれば強制されても問題はない」 という論理はまったく成り立ちません。 さらに、 「国旗・国歌に敬意を表さないのは反国家的」 という趣旨のご意見については、 「日の丸・君が代が第二次世界大戦当時 日本軍の侵略および国による国民の虐待の象徴であったから」 日の丸・君が代には反対だ、とする意見を完全に否定するものであり、 誹謗中傷的差別的なご意見であると思います。 「教師がそのような態度を取ることによって 生徒(子ども)に反国家的な教育を行っているのと同じことになる」 というご意見については、日の丸への拝礼や君が代の斉唱を義務化することは 「教師が国旗国歌に対するある特定の態度を強要されているのを見せることは、 生徒に対して『個人の思想・信条の自由よりも公の命令の方が重い』 という教育を行うものである」 ことから、同様に子どもに対して悪影響を及ぼすものであるとして反論いたします。 以上の理由により、私は、日の丸・君が代の問題は 「愛国心の強要」すなわち憲法に保障された「思想・信条の自由」の 侵害にあたると思いますので反対いたします。 |
▼Rayさん: いま,森下様の提案に対し,わたしの意見を書きました。 Rayさんのまとめは非常に要を得ていますが,少し勘違いのところもありますので,訂正させてください。 >まず、「自分の国を愛する心」という文字通りの意味での >「愛国心」そのものを否定する方はまずいらっしゃらないだろうと思います。 >このことは、これまでの議論を見てきてもわかることですし、 >私自身もこのことには賛成です。 世論調査では,それがないようなのです。わたしはそれを初めに問題にしました。 >逆に、「国が愛国心を強制すること」に対しては >賛成する方が非常に少ないこともご了解いただいていることと思います。 これは了解です。 >これまでに出されたご意見の中で、 >「愛国心の強制・強要にはあたらない」 >という主張の根拠として、 >「公立学校の教職員(=公務員)であれば通達には従うべき」 >「国(自治体)を尊重するべき」 >という趣旨のことがあげられていましたが、 >これらのご意見は、 >「『公』は『私』よりも重視されるべき」 >というものであり、主権在民の原則を侵すものであると思います。 公務員は,職務であり,ふつうの会社でも職務を言い渡されるのは当然のことです。それを強制といえば,仕事ではなくなります。 式典は,職務中のことです。プライベートな時間ではありません。 >また、 >「強制されているのは教師であって生徒ではないのだから問題はない」 >とのご意見もありましたが、同様の理由によって >「教師であれば強制されても問題はない」 >という論理はまったく成り立ちません。 職務命令を「強制」ととられるのならば,その職を辞するしかないでしょう。 社長の業務命令を聞けなければ,おれないでしょう? この掲示板でもそうでしょう。管理人さんの判断を覆すことはなかなかできないでしょう。そして逆らっていたら,アクセス禁止にもなるでしょう。 そういうことは「強制」だとは,いえません。 >さらに、 >「国旗・国歌に敬意を表さないのは反国家的」 >という趣旨のご意見については、 >「日の丸・君が代が第二次世界大戦当時 > 日本軍の侵略および国による国民の虐待の象徴であったから」 >日の丸・君が代には反対だ、とする意見を完全に否定するものであり、 >誹謗中傷的差別的なご意見であると思います。 これはわたしの発言ではありませんね。国旗・国歌を個人でどう思おうとそれは自由です。心の中にまで,入り込むことはできません。 だから,教職員が自宅で国旗をあげていないのを注意するのは,強制だと思います。しかし,式典の式次第に決められたことを,その場で抗議行動をとるのは,式典を台無しにするというのです。 個人の信条も大切ですが,他の人の迷惑にならない程度にするべきです。 >「教師がそのような態度を取ることによって >生徒(子ども)に反国家的な教育を行っているのと同じことになる」 >というご意見については、日の丸への拝礼や君が代の斉唱を義務化することは >「教師が国旗国歌に対するある特定の態度を強要されているのを見せることは、 > 生徒に対して『個人の思想・信条の自由よりも公の命令の方が重い』 > という教育を行うものである」 >ことから、同様に子どもに対して悪影響を及ぼすものであるとして反論いたします。 反対ならば,手続き上で反対すべきで,現場ですべきではありません。 学校は教職員のための場ではありません。あくまでも主人公は生徒です。 自分の信条を通すことによって,ほかのものを犠牲にしてもいいとは言えません。 なぜなら,その場には賛成の人もいるのでしょう。また,賛成でも反対でもない人がいるのでしょう。 なぜ,反対の人の信条だけが尊重されるのでしょうか。 |
▼Rayさん: こんばんは。 >「愛国心の強制・強要にはあたらない」 >という主張の根拠として、 >「公立学校の教職員(=公務員)であれば通達には従うべき」 >「国(自治体)を尊重するべき」 >という趣旨のことがあげられていましたが、 >これらのご意見は、 >「『公』は『私』よりも重視されるべき」 >というものであり、主権在民の原則を侵すものであると思います。 Rayさんのご意見は、主権在民であるが故に、「公」よりも「私」が重視されるべき、という流れのようですが、これは主権が国民に存することと、何の関係もないです。「主権が国民に存する」ことと、「教師が通達に従うべき」こととは、ハッキリ言って無関係の話です。 >「強制されているのは教師であって生徒ではないのだから問題はない」 >とのご意見もありましたが、同様の理由によって >「教師であれば強制されても問題はない」 >という論理はまったく成り立ちません。 教師であれば、その職業上の要請から、政治活動や政治意見については、職務上、制約を当然に受けます。 >「国旗・国歌に敬意を表さないのは反国家的」 >という趣旨のご意見については、 >「日の丸・君が代が第二次世界大戦当時 > 日本軍の侵略および国による国民の虐待の象徴であったから」 >日の丸・君が代には反対だ、とする意見を完全に否定するものであり、 >誹謗中傷的差別的なご意見であると思います。 国旗、国歌に、「公的な式典の場に於いて」、敬意を表さないのは、という風に、私は場所的な限定をつけて、「敬意を表さないのは、公共の精神に反する」し、つまりは反社会性、そして反国家思想ではないか、としているのです。 Rayさんのお考えになるような意見の発表やそう信じることを、「完全に否定して」、誹謗中傷差別をする、という趣旨ではないことは、読めば分かると思います。そういう意見を持ち、異なる意見を戦わせるのは、これは自由です。 しかし、教師の立場を利用して、そういう思想を生徒に広めることは、職権の濫用です。つまり、弁えるべき時と場があろう、と申しているのです。 >日の丸への拝礼や君が代の斉唱を義務化することは >「教師が国旗国歌に対するある特定の態度を強要されているのを見せることは、 > 生徒に対して『個人の思想・信条の自由よりも公の命令の方が重い』 > という教育を行うものである」 >ことから、同様に子どもに対して悪影響を及ぼすものであるとして反論いたします。 義務化、というより、当然のことではないかと思っていたので、これに反対すること自体が意外ですが、流水さんやRayさんのお話を聞くと、国家観が根底から違うのではないかと思うようになりました。権力に盲信的に従う、みたいなことではいけませんが、強制は、私は必ずしも常に悪いとは思いませんけどね。教育なんて、形から入るところもありますし、一切の強制を教育から抜き去ることは出来ませんしねえ。 >以上の理由により、私は、日の丸・君が代の問題は >「愛国心の強要」すなわち憲法に保障された「思想・信条の自由」の >侵害にあたると思いますので反対いたします。 憲法上の「思想・心情の自由」というのは、無制限に主張されるようなものではないわけですよ。時と場所、場合によって違うわけで、下位の法律とかでもって、具体的な「思想・心情の自由」の在り方が、決まってくるわけですよ。いくら「思想の自由だ」といっても、いかなる思想も、常に自由だ、とは言えませんよね?。 これはむしろ、「日の丸・君が代は国民弾圧のシンボルだ」みたいな思想の方が、公共の場で尊重されるに値する思想と言えるかどうか、という話になると思います。また、それが侵害されたからといって、憲法上の自由侵害に当たるのか、と。当たらないと思いますがね、僕は。 |
▼告天子さん: こんばんは、 私の言わんとすることを書いてくださり、ありがとうございました。 毎年新年互例会の式典に出席していますが、ある党の議員さんだけが壇上で起立せず、国家を歌われません。 信念に基づき、やっておられるようですが、数千人の中で一人だけ(勇気のいることでしょうが)とても不自然ですし、批判の的になっています。同じ党の方が数人いらっしゃいますが、今年は起立されていました。 学校以外でも色々な式典が行われていますが、国旗・国歌に敬意を表すことが強制云々という問題が起きたことはありません。ごくごく自然に、当然のように行われれています。教育現場で粛々と出来ないのは何故でしょう? 粛々とた式典にするには、その場では合わせることですね。 全員の先生が協力すれば荒れた卒業式はなくなるでしょう。 成人式でも同じことが言えることと思います。 主権在民も解釈によりややこしくなりますね。 |
告天子さん、おはようございます。 言いたいことは全部言われてしまいました。(微笑 私の投稿より平明で判りやすい文章ですよね。 見習って、簡潔に平明にかけるようになりたいなぁ。 事例を一つだけ。 フィリピンの観光地セブ島で十人ほどの日本人技術者と現地技術者を率いて働いていたことがあります。 毎週金曜日に皆で晩飯を食べながら雑談というか、フランクな反省会を開いていました。 ある金曜日に、同じホテルのレストランで地元ロータリークラブの例会が開かれようとしていました。 例会の初めに、フィリピン国旗に向かって国歌を歌い始めたとたんにレストランの全ての動きが止まりました。 その場に居合わせた人達は、みんな飾られた国旗に向かって姿勢を正して向かい、右手を左胸に当てて、国歌を歌っているのです。 私の現地スタッフも同じです。 日本人技師達にも同じようにせよと促して立ち上がり敬意を表しました。 終わって着席すると、例会を主催する司会者から我々日本人に対して感謝の言葉が述べられ、レストランのウェイターやウェイトレスの皆さんが、テーブルに来る度に「ありがとう」という言葉と素晴らしい笑顔を置いていってくれました。 彼らが帰属するフィリピンという国家に対して、外国人である我々が敬意を表した行為に対する感謝であったと思っています。 自身が帰属する国家という名の土地とコミュニティを愛し、帰属することを誇りに思い、敬意を表すという行為は、自身を愛するという行為でもあると思いますよ。 自身と自身が帰属する社会に対して敬意を払うというのはごく自然な行為であると思います。 敬意を表す手段としての、作法や立ち居振る舞いを教育に於いて教えるのは、至極当然な事で、相手の立場や考え方を尊重するという人としての原点にも通じるものだと思います。 「尊重されたくば尊重しろ」というヒト社会の原点があると思います。 むしろ、自身の考え方に忠実であることを「起立しない」「国家を歌わない」という方法で意志表示することに独善があると思います。 公の場であり違う考え方を持つ者もいるであろう場では、【私は「起立し国歌を歌っているあなた方」に対して「敬意を持たない」】といっているに等しい行為ではないのかなぁ。 少なくとも、公務員である教師がイデオロギーの独善にとらわれた行為を卒業式という次の世代を社会に送り出す儀式においてするべきではないでしょう。 安直な行為で、【自身の帰属する社会への不満と不信の表明】にすぎないと思いますよ。 これに対して、教育という場の責任を持つ教育委員会が、「場を弁えろ」と指導監督するのは当たり前のことでしょう。 「日の丸」や「君が代」を否定するのはご自由ですが、先にやることがありませんか。 【社会のコンセンサス】を得るということ。 世論形成に努めるなり、政治の場で多数派を形成するなり、「反君が代・反日の丸」法案を成立させるなり、そういった方法は反論や反対する政治的な動きはあったとしても、処罰のような具体的方法では誰も妨げませんよ。 そういった社会の「抵抗の拠点」という試練を経た物でなければ「社会のコンセンサス」とは言えないと思いますよ。 そういった過程で「公務員としての義務」に従わないことで、己のイデオロギーという独善を行為として正当化するのは、 順番が間違っていますよ。 失礼いたしました。 |
▼Rayさん: >これまでに出されたご意見の中で、 >「愛国心の強制・強要にはあたらない」という主張の根拠として、「公立学校の >教職員(=公務員)であれば通達には従うべき」「国(自治体)を尊重するべ >き」という趣旨のことがあげられていましたが、これらのご意見は、「『公』は >『私』よりも重視されるべき」というものであり、主権在民の原則を侵すもので >あると思います。 何が、どこが、誰が主権在民ですか、とてもまともとは思えません。 私立の学校教師なら、金ピカ先生だろうが、ヤンキー先生だろうがどうぞご自由に。すぐにコレ(首のところで手を水平に動かす)でしょうが・・・ 公務員教師に(税金もらって)採用される以上は、学校側が定める最低限のルールは守らないと生徒に示しがつかないでしょう。「約束は守ろう、決められたことはきちんとやろう」って小学校から教育していないんですか? えっ?政治家がでたらめをやっているじゃないかって? 関係ない! |
▼ステディ ベアさん: >▼Rayさん: >>これらのご意見は、「『公』は >>『私』よりも重視されるべき」というものであり、主権在民の原則を侵すもので >>あると思います。 > >何が、どこが、誰が主権在民ですか、 『公』を管理するのは政治家であり、政治家を管理するのはそれを選ぶ選挙民だと思う。 だから、本当は今の『公』は選挙民に建前上は監視されているわけだから、『公』が『公である教師』に命令するのは、選挙民が命令していると同義であるから、 主権在民の原則は侵されていないことになる。 ステディ ベアさんと同じ結論になってしまったが、 間違っているのだろうか? しかし、論理は正確に展開されるように細心の注意を払うべきだと思うし、誤りも即座に訂正すべきと思う。 もしこれが出来ないのなら、話し合いから結論は出ない気がするし、 適切な話し合いが出来ないのなら、 この世から、戦争を含めた争いをなくすなどは、はじめから無理なように思います。 |
▼Rayさん: >▼みなさま: > >Rayです。 >ここまでの議論を見てきて、また以前から考えていた >「愛国心教育」についての私見を述べます。 > >まず、「自分の国を愛する心」という文字通りの意味での >「愛国心」そのものを否定する方はまずいらっしゃらないだろうと思います。 >このことは、これまでの議論を見てきてもわかることですし、 >私自身もこのことには賛成です。 > >逆に、「国が愛国心を強制すること」に対しては >賛成する方が非常に少ないこともご了解いただいていることと思います。 > >そして、今問題になっているのは、 >卒業式等の式典において、日の丸に拝礼したり >君が代を歌うことを事実上義務づけていることが、 >「愛国心の強制・強要」にあたるかどうか、という点であることも >みなさまご了解いただけることと思います。 > >これまでに出されたご意見の中で、 >「愛国心の強制・強要にはあたらない」 >という主張の根拠として、 >「公立学校の教職員(=公務員)であれば通達には従うべき」 >「国(自治体)を尊重するべき」 >という趣旨のことがあげられていましたが、 >これらのご意見は、 >「『公』は『私』よりも重視されるべき」 >というものであり、主権在民の原則を侵すものであると思います。 > >また、 >「強制されているのは教師であって生徒ではないのだから問題はない」 >とのご意見もありましたが、同様の理由によって >「教師であれば強制されても問題はない」 >という論理はまったく成り立ちません。 > >さらに、 >「国旗・国歌に敬意を表さないのは反国家的」 >という趣旨のご意見については、 >「日の丸・君が代が第二次世界大戦当時 > 日本軍の侵略および国による国民の虐待の象徴であったから」 >日の丸・君が代には反対だ、とする意見を完全に否定するものであり、 >誹謗中傷的差別的なご意見であると思います。 > >「教師がそのような態度を取ることによって >生徒(子ども)に反国家的な教育を行っているのと同じことになる」 >というご意見については、日の丸への拝礼や君が代の斉唱を義務化することは >「教師が国旗国歌に対するある特定の態度を強要されているのを見せることは、 > 生徒に対して『個人の思想・信条の自由よりも公の命令の方が重い』 > という教育を行うものである」 >ことから、同様に子どもに対して悪影響を及ぼすものであるとして反論いたします。 > >以上の理由により、私は、日の丸・君が代の問題は >「愛国心の強要」すなわち憲法に保障された「思想・信条の自由」の >侵害にあたると思いますので反対いたします。 ▼Rayさん >まず、「自分の国を愛する心」という文字通りの意味での >「愛国心」そのものを否定する方はまずいらっしゃらないだろうと思います。 >このことは、これまでの議論を見てきてもわかることですし、 >私自身もこのことには賛成です。 私はそれ自体に反対です。 愛国心(国を愛する心)が往々にして排外心を助成するものになっている現状を見逃せないのです。 誰でもが認める感情・理屈―それで金縛りにして、国を愛する、民族を愛する、自衛隊さんを愛するというふうに持って行くのです。 なぜ日本の教育が他国を愛するというコンセプトを掲げられないのでしょう、掲げてはいけないのでしょう。愛国心などというものは、原始宗教のようなもので、どこにでもあります。それはことさら取り上げるべきものではありません。ちょうどイワシの頭を格別誰も好き嫌いを問題にしないでしょう、ただし臭いらしいですが。 |
▼海幸彦さん:自己レス イワシの頭など、どこにでも転がっています。自国にもお隣にも、国のない人たちにも。イワシの頭は日本・日本人だけのものではありません。日本人が、日本にあるイワシの頭だけありがたがってワイワイ言っているのは、地球の外から見たら、滑稽です。 |
▼しげちよさん: 21世紀に達した今こそ、20世紀的、もっと言えば、戦前・戦中的な 「愛国」とは一線を画すべき事、護憲派の方々にも納得の行く 「21世紀的愛国」の形を示すべき時ではないでしょうか? それは、かの「大日本帝国」が、「私」を「公」の歯車となさしめ、 あの戦争の惨禍に引きずり込んだ事を率直に反省し、その反省の上に 立脚した上で主張すべきものであります。 すなわち、 「公」は「私」をいたずらに抑圧してはならない (その反面教師とすべきが、他でもない、北朝鮮であります) 「私」の側から見て、「公」は恥ずかしくない存在であるべき事 (その反面教師とすべきが、道路公団であり、社会保険庁で あったりしますし、果ては、公道での猥褻行為に及んだ中西前議員で あったりします)。 ともあれ、「公」の側から、「私」の範たる姿勢を露にしてからこそ、 「私」の方で、「公」を尊重する気概があふれるもの、そう考えます。 「公」の側から、過去の戦争のしがらみを断ち切る姿勢を露にする事 こそ、「私」の方で、「公」を尊重する気概があふれるもの、そう考えます。 異論がある方もおられましょう。 ですが、改めて言います。 「大日本帝国的な愛国」とは一線を画し、「主権在民」という日本国憲法の 精神を尊重し、かつ、反映した上での「愛国」を提示されること、 心よりお待ちしております。 それが出来ないのならば、ただの「復古主義」でしかない事、ここに 明言しておきます。 |
▼森下 泰典さん: >異論がある方もおられましょう。 いえ,おっしゃるとおりと思います。 そのとおりです。日本が日本人に誇りと思える国になることも大切であるし,日本人が日本を誇りに思うことも大切です。これはどちらが先という,因果関係ではなく,同時進行すべき事柄だと思います。 >「大日本帝国的な愛国」とは一線を画し、「主権在民」という日本国憲法の >精神を尊重し、かつ、反映した上での「愛国」を提示されること、 >心よりお待ちしております。 現在の「愛国心」を書いているのです。愛国心を戦前は,戦争に利用したこともあったでしょう。認めています。 何も愛国心を育てるからといって,政権に唯々諾々とする人間を育てるのではありません。 日本を愛するからこそ,大きな目で見て政権の政策に反対ができる心も育つでしょう。自分の利害も大切で,それが基本でしょうが,日本という大きなものを見て,判断ができる人間が育つことがもっと大切です。 |
▼しげちよさん: >▼森下 泰典さん: > >>異論がある方もおられましょう。 > >いえ,おっしゃるとおりと思います。 >そのとおりです。日本が日本人に誇りと思える国になることも大切であるし,日本人が日本を誇りに思うことも大切です。これはどちらが先という,因果関係ではなく,同時進行すべき事柄だと思います。 > >>「大日本帝国的な愛国」とは一線を画し、「主権在民」という日本国憲法の >>精神を尊重し、かつ、反映した上での「愛国」を提示されること、 >>心よりお待ちしております。 > >現在の「愛国心」を書いているのです。愛国心を戦前は,戦争に利用したこともあったでしょう。認めています。 >何も愛国心を育てるからといって,政権に唯々諾々とする人間を育てるのではありません。 >日本を愛するからこそ,大きな目で見て政権の政策に反対ができる心も育つでしょう。自分の利害も大切で,それが基本でしょうが,日本という大きなものを見て,判断ができる人間が育つことがもっと大切です。 しげちよ さん こんばんは 私も貴方の言われる通り、日本を愛しております。 理由は簡単、日本に 生れ落ちたからです。 愛国心は持ち合わせております!!! 私ごときの小さな目で見ても、小泉・竹中・は「売国奴」に見えるんですが。 この政策を続けていけば、アジア諸国に対し(約20億人)アメリカ(約2億5千万人)の砦と化し敵対するのは明白だと思います。 貴兄の言われる「日本という大きなものを見て」が私には理解できません。 これからは全地球規模での考え、政策が必要ではないでしょうか? taka |
▼takaさん: こんばんは > 私も貴方の言われる通り、日本を愛しております。 理由は簡単、日本に > 生れ落ちたからです。 愛国心は持ち合わせております!!! そうですか。そういう意味の愛国心を望みます。 > 私ごときの小さな目で見ても、小泉・竹中・は「売国奴」に見えるんですが。 この政策を続けていけば、アジア諸国に対し(約20億人)アメリカ(約2億5千万人)の砦と化し敵対するのは明白だと思います。 具体的にはどういうことでしょうか。また教えてください。 > 貴兄の言われる「日本という大きなものを見て」が私には理解できません。 > これからは全地球規模での考え、政策が必要ではないでしょうか? ああ,もちろんです。これは,「個人の困ること」と対比したので日本としましたが,もちろん世界を視野に入れてのことです。 世界も,日本という国を中心において(日本中心主義という意味ではありません),考えるべきだと思います。 |