Page 2454 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼愛国心教育の過去の姿(1) 流水 05/3/25(金) 13:54 ┣Re(1):愛国心教育の過去の姿(1) 王里 05/3/25(金) 14:29 ┃ ┣Re(2):愛国心教育の過去の姿(1) 流水 05/3/25(金) 15:43 ┃ ┗Re(2):愛国心教育の過去の姿(1) 相良唯夫 05/3/25(金) 19:29 ┃ ┗Re(3):愛国心教育の過去の姿(1) 王里 05/3/25(金) 23:01 ┃ ┗Re(4):愛国心教育の過去の姿(1) 相良唯夫 05/3/26(土) 1:02 ┃ ┗Re(5):愛国心教育の過去の姿(1) ステディ ベア 05/3/26(土) 1:37 ┃ ┣Re(6):愛国心教育の過去の姿(1) 王里 05/3/26(土) 22:22 ┃ ┃ ┣Re(7):愛国心教育の過去の姿(1) 相良唯夫 05/3/26(土) 23:12 ┃ ┃ ┗ディベートの基本 ステディ ベア 05/3/27(日) 0:08 ┃ ┗警告>ステディ ベアさん 管理スタッフ 05/3/26(土) 22:43 ┣Re(1):愛国心教育の過去の姿(1) 告天子 05/3/25(金) 14:48 ┃ ┗Re(2):愛国心教育の過去の姿(1) 流水 05/3/25(金) 16:24 ┃ ┗Re(3):愛国心教育の過去の姿(1) 告天子 05/3/25(金) 18:23 ┃ ┗Re(4):これで打ち止めにしましょう。 流水 05/3/25(金) 18:32 ┃ ┗Re(5):これで打ち止めにしましょう。 告天子 05/3/25(金) 19:03 ┣Re(1):愛国心教育の過去の姿(1) 告天子 05/3/25(金) 15:01 ┣Re(1):愛国心教育の過去の姿(2) 流水 05/3/25(金) 15:41 ┣愛国心教育では無いでしょうね。 英 05/3/25(金) 21:02 ┃ ┗Re(1):愛国心教育では無いでしょうね。 しげちよ 05/3/25(金) 21:55 ┃ ┗Re(2):愛国心教育では無いでしょうね。 英 05/3/26(土) 18:06 ┗Re(1):愛国心教育の現在の姿(3) 流水 05/3/26(土) 8:49 ┣Re(2):愛国心教育の現在の姿(3) パンドラ 05/3/26(土) 9:53 ┃ ┣Re(3):愛国心教育の現在の姿(3) 流水 05/3/26(土) 10:25 ┃ ┃ ┣Re(4):愛国心教育の現在の姿(3) 団塊党 05/3/26(土) 21:01 ┃ ┃ ┗Re(4):愛国心教育の現在の姿(3) 牛の5 05/3/27(日) 8:20 ┃ ┃ ┗Re(5):愛国心教育の現在の姿(3) 告天子 05/3/27(日) 11:54 ┃ ┃ ┗Re(6):愛国心教育の現在の姿(3) 牛の5 05/3/27(日) 14:51 ┃ ┃ ┣Re(7):愛国心教育の現在の姿(3) 相良唯夫 05/3/27(日) 16:41 ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):愛国心教育の現在の姿(3) 牛の5 05/3/27(日) 17:39 ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):愛国心教育の現在の姿(3) 相良唯夫 05/3/27(日) 18:21 ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):愛国心教育の現在の姿(3) 牛の5 05/3/27(日) 21:47 ┃ ┃ ┗Re(7):愛国心教育の現在の姿(3) 告天子 05/3/27(日) 23:11 ┃ ┗Re(3):愛国心教育の現在の姿(3) しげちよ 05/3/26(土) 10:36 ┃ ┗Re(4):愛国心教育の現在の姿(3) パンドラ 05/3/26(土) 19:32 ┃ ┣Re(5):愛国心教育の現在の姿(3) しげちよ 05/3/27(日) 17:19 ┃ ┃ ┣Re(6):愛国心教育の現在の姿(3) パンドラ 05/3/27(日) 20:28 ┃ ┃ ┗Re(6):愛国心教育の現在の姿(3) 相良唯夫 05/3/27(日) 22:01 ┃ ┗Re(5):愛国心教育の現在の姿(3) k・satou 05/3/27(日) 21:25 ┣何に反対しているのか 告天子 05/3/27(日) 11:36 ┃ ┣Re(1):何に反対しているのか〜 何となく思っていた事! 枯葉 05/3/27(日) 14:56 ┃ ┣Re(1):何に反対しているのか 英 05/3/27(日) 14:57 ┃ ┗Re(1):何に反対しているのか 牛の5 05/3/27(日) 22:46 ┗Re(2):愛国心教育の現在の姿(3)皆さんへ! 流水 05/3/27(日) 15:40 ┣Re(3):愛国心教育の現在の姿(3)皆さんへ! しげちよ 05/3/27(日) 17:39 ┃ ┣Re(4):愛国心教育の現在の姿(3)皆さんへ! 牛の5 05/3/27(日) 18:49 ┃ ┃ ┣Re(5):愛国心教育の現在の姿(3)皆さんへ! としごろ 05/3/27(日) 22:54 ┃ ┃ ┗Re(5):愛国心教育の現在の姿(3)皆さんへ! しげちよ 05/3/27(日) 23:06 ┃ ┗Re(4)なるほど、この居丈高の姿勢が愛国心教育そのまま 流水 05/3/27(日) 19:36 ┃ ┗Re(1):Re(4)なるほど、この居丈高の姿勢が愛国心教育そのまま 相良唯夫 05/3/27(日) 21:11 ┗皆さんへ! 英 05/3/27(日) 18:40 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 愛国心教育の過去の姿(1) ■名前 : 流水 ■日付 : 05/3/25(金) 13:54 -------------------------------------------------------------------------
『愛国心』教育の是非をイデオロギー的・感情的に論じても、所詮交わることはないと思います。それで具体的な事例について述べてみます。 わたしは、この種の教育が政治的過程をとるかのメカニズムは46613で書きました。 46676では、その極限の思想について見てきました。今回は、それがどのような具体的な形で、当時の学校現場で行われていたかを見てみます。 次に書くものは、『軍人援護教育部を設け全職員を以って組織し理論の研究と実践』にあたった埼玉県下の石原国民学校の軍人援護教育行事の一覧です。 『年中行事』・・・・・『埼玉教育』第120号(唱和17年11月号) ★4月⇒・9日護国神社例祭(1、護国神社遥拝2、訓話)・29日天長節(1、軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話2、神社参拝3、慰問作品発送) ・30日靖国神社例大祭(1、靖国神社遥拝2、皇后宮御歌奉唱3、慰霊並招魂祭「忠霊祭」) ★5月⇒・27日海軍祭(1、海軍講話2、映画紙芝居3、春季体育祭 ★6月⇒・上旬勤労奉仕(遺家族宅勤労奉仕)・25日皇太后陛下御誕辰日(1、軍人援護に関する皇太后陛下の御仁愛についての謹話) ★7月⇒・7日支那事変記念日(1、訓話2、戦勝祈願行軍3、慰問品袋作品発送)・20日梅の記念日(1、訓話2、水泳訓練) ★8月⇒上旬 勤労奉仕・干草供出(1、遺家族宅勤労奉仕「少年団」2、少年団員奉仕 ★9月⇒・4日故永久王殿下御命日(1、訓話)・15日満州国承認記念日(訓話)・満州事変記念日(1、訓話2、散歩・行軍)・20日航空記念日(1、訓話2、模型航空機競翔会)・23日秋季皇霊祭(1、忠孝墓参) ★10月⇒・上旬軍人援護強化運動機関(1、3日は月中行事と同2、標語ポスター募集3、廃品献納4、遺族宅訪問「少年団」5、慰問作品発送) ・10日行幸記念日(1、軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話2、体育大会)・23日靖国神社大祭(1、春季大祭と同じ)招魂祭(1、代表参列2、訓話) ★11月⇒・3日明治節(軍人援護に関する明治天皇の御仁愛についての謹話) ・下旬 傷病兵慰問(熊谷陸軍飛行学校へ慰問) ★12月⇒・8日開戦記念日(1、月中行事と同 2、慰問袋慰問作品発送3、行軍) ★1月⇒・新年(軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話) ★2月⇒・11日⇒紀元節(1、金鵄勲章について訓話し皇軍に感謝せしめるよう心がけしむ)2、慰問作品発送 ★3月⇒・上旬学芸会(遺家族慰安)6日地久節(皇后陛下の御仁愛についての謹話2、軍人援護についての御歌奉唱 ・10日陸軍記念日(1、神社参拝又は行軍)・21日春季皇霊祭(秋季皇霊祭と同) これは、いわゆる軍人援護教育の計画だけであり、その他勤労奉仕など諸々の行事が組み込まれていました。わずか、60年ほど前、日本の子供たちが受けてきた教育は、このようなものだったのです。明治以降の愛国心教育の行き着いた一つの極点をこの一覧によって見ることができます。 |
▼流水さん:こんにちは >『愛国心』教育の是非をイデオロギー的・感情的に論じても、所詮交わることはないと思います。それで具体的な事例について述べてみます。 >わたしは、この種の教育が政治的過程をとるかのメカニズムは46613で書きました。 >46676では、その極限の思想について見てきました。今回は、それがどのような具体的な形で、当時の学校現場で行われていたかを見てみます。 >次に書くものは、『軍人援護教育部を設け全職員を以って組織し理論の研究と実践』にあたった埼玉県下の石原国民学校の軍人援護教育行事の一覧です。 > >『年中行事』・・・・・『埼玉教育』第120号(唱和17年11月号) >★4月⇒・9日護国神社例祭(1、護国神社遥拝2、訓話)・29日天長節(1、軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話2、神社参拝3、慰問作品発送) >・30日靖国神社例大祭(1、靖国神社遥拝2、皇后宮御歌奉唱3、慰霊並招魂祭「忠霊祭」) >★5月⇒・27日海軍祭(1、海軍講話2、映画紙芝居3、春季体育祭 >★6月⇒・上旬勤労奉仕(遺家族宅勤労奉仕)・25日皇太后陛下御誕辰日(1、軍人援護に関する皇太后陛下の御仁愛についての謹話) >★7月⇒・7日支那事変記念日(1、訓話2、戦勝祈願行軍3、慰問品袋作品発送)・20日梅の記念日(1、訓話2、水泳訓練) >★8月⇒上旬 勤労奉仕・干草供出(1、遺家族宅勤労奉仕「少年団」2、少年団員奉仕 >★9月⇒・4日故永久王殿下御命日(1、訓話)・15日満州国承認記念日(訓話)・満州事変記念日(1、訓話2、散歩・行軍)・20日航空記念日(1、訓話2、模型航空機競翔会)・23日秋季皇霊祭(1、忠孝墓参) >★10月⇒・上旬軍人援護強化運動機関(1、3日は月中行事と同2、標語ポスター募集3、廃品献納4、遺族宅訪問「少年団」5、慰問作品発送) >・10日行幸記念日(1、軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話2、体育大会)・23日靖国神社大祭(1、春季大祭と同じ)招魂祭(1、代表参列2、訓話) >★11月⇒・3日明治節(軍人援護に関する明治天皇の御仁愛についての謹話) >・下旬 傷病兵慰問(熊谷陸軍飛行学校へ慰問) >★12月⇒・8日開戦記念日(1、月中行事と同 2、慰問袋慰問作品発送3、行軍) >★1月⇒・新年(軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話) >★2月⇒・11日⇒紀元節(1、金鵄勲章について訓話し皇軍に感謝せしめるよう心がけしむ)2、慰問作品発送 >★3月⇒・上旬学芸会(遺家族慰安)6日地久節(皇后陛下の御仁愛についての謹話2、軍人援護についての御歌奉唱 ・10日陸軍記念日(1、神社参拝又は行軍)・21日春季皇霊祭(秋季皇霊祭と同) > >これは、いわゆる軍人援護教育の計画だけであり、その他勤労奉仕など諸々の行事が組み込まれていました。わずか、60年ほど前、日本の子供たちが受けてきた教育は、このようなものだったのです。明治以降の愛国心教育の行き着いた一つの極点をこの一覧によって見ることができます。 このような愛国行事をみると、TVなどで報道される北朝鮮のそれとダブってみえてしまうのは私だけでしょうか。 |
▼王里さん: ●このような愛国行事をみると、TVなどで報道される北朝鮮のそれとダブってみえてしまうのは私だけでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 戦前の教育を体験された方の多くがそのように証言されていますね。 ただ、このようにまとまった形で行事を見ると、実感がわきますね。 |
▼王里さん: >このような愛国行事をみると、TVなどで報道される北朝鮮のそれとダブってみえてしまうのは私だけでしょうか。 北朝鮮のそれとダブル??、どこが??? 政治家に「国を愛する心」がなければ、国政に対する使命感も生まれない。 同じように、政府を批判するにも、根底に「国を愛する心」がなければならない。 国を愛するから、改革、改善、あるいは批判も生まれるのです。 このような「愛国心」はいけないと言うのであれば、話は通じるが、 ただ愛国心がいけないというのでは、いかにも非建設的な話だ。 愛を嫌いその対極にある言葉を選び、愛国心の愛と置き換えれば、 「?国心」になる。 愛の対極は「憎む」「嫌い」のようであるが、実は無関心である。 国に対し、無関心であって良い筈がない。 良きに付け、悪しきに付け、日本の現状を教えることは必要である。 「よりよい日本に」と考える。それが愛国心である。 戦前の教育がどうあれ、私たちは現在を生きており、「今からどうする」ということが肝心であり、現在から未来に向け、よりよくしようと考えよう。 それが「愛国心」であり、それを教えない弊害はあるが、教えて悪いことはない。議論するのであれば、どのように愛国心教育をすべきかということである。 ごちゃごちゃ言い回して、わざとややこしくする必要はない。 本気になって、この国の為を思って考えよう。 |
▼相良唯夫さん:こんばんは >▼王里さん: > >>このような愛国行事をみると、TVなどで報道される北朝鮮のそれとダブってみえてしまうのは私だけでしょうか。 > >北朝鮮のそれとダブル??、どこが??? > >政治家に「国を愛する心」がなければ、国政に対する使命感も生まれない。 >同じように、政府を批判するにも、根底に「国を愛する心」がなければならない。 >国を愛するから、改革、改善、あるいは批判も生まれるのです。 >このような「愛国心」はいけないと言うのであれば、話は通じるが、 >ただ愛国心がいけないというのでは、いかにも非建設的な話だ。 >愛を嫌いその対極にある言葉を選び、愛国心の愛と置き換えれば、 >「?国心」になる。 >愛の対極は「憎む」「嫌い」のようであるが、実は無関心である。 >国に対し、無関心であって良い筈がない。 >良きに付け、悪しきに付け、日本の現状を教えることは必要である。 >「よりよい日本に」と考える。それが愛国心である。 >戦前の教育がどうあれ、私たちは現在を生きており、「今からどうする」ということが肝心であり、現在から未来に向け、よりよくしようと考えよう。 >それが「愛国心」であり、それを教えない弊害はあるが、教えて悪いことはない。議論するのであれば、どのように愛国心教育をすべきかということである。 >ごちゃごちゃ言い回して、わざとややこしくする必要はない。 >本気になって、この国の為を思って考えよう。 はっきりと申し上げて、あなたが何を主張されたいのか、さっぱり解りません。ご自分の論理で決めつけられても私には、理解しずらい個人的感情を表現されているとしか思えません。あなたが愛国心を好むのであれば、それは個人的嗜好なので、お好きにどうぞとしかもうしあげようがありません。 |
▼王里さん: >>政治家に「国を愛する心」がなければ、国政に対する使命感も生まれない。 >>同じように、政府を批判するにも、根底に「国を愛する心」がなければならない。 >>国を愛するから、改革、改善、あるいは批判も生まれるのです。 >>このような「愛国心」はいけないと言うのであれば、話は通じるが、 >>ただ愛国心がいけないというのでは、いかにも非建設的な話だ。 >>愛を嫌いその対極にある言葉を選び、愛国心の愛と置き換えれば、 >>「?国心」になる。 >>愛の対極は「憎む」「嫌い」のようであるが、実は無関心である。 >>国に対し、無関心であって良い筈がない。 >>良きに付け、悪しきに付け、日本の現状を教えることは必要である。 >>「よりよい日本に」と考える。それが愛国心である。 >>戦前の教育がどうあれ、私たちは現在を生きており、「今からどうする」ということが肝心であり、現在から未来に向け、よりよくしようと考えよう。 >>それが「愛国心」であり、それを教えない弊害はあるが、教えて悪いことはない。議論するのであれば、どのように愛国心教育をすべきかということである。 >>ごちゃごちゃ言い回して、わざとややこしくする必要はない。 >>本気になって、この国の為を思って考えよう。 > >はっきりと申し上げて、あなたが何を主張されたいのか、さっぱり解りません。ご自分の論理で決めつけられても私には、理解しずらい個人的感情を表現されているとしか思えません。あなたが愛国心を好むのであれば、それは個人的嗜好なので、お好きにどうぞとしかもうしあげようがありません。 好むと好まざるにかかわらず、愛国心は必要です。もし、必要でないとするならば、それは曲解された愛国心です。王里さんは「TVなどで報道される北朝鮮のそれとダブルってみえてしまう」と書かれたことは、北朝鮮に対し良い印象をお持ちでないからでしょ。言外に「日本がそのような国に成り下がってはならない」という気持ちはどこかにありませんか?もし、そう思われるならば、それは立派な愛国心です。 「人を愛する心」を誰が否定できましょう。 あなただけ、私だけという幸せはないのです。あなたも、わたしも、社会が、日本が幸せになって、本当の幸せがあるのではないでしょうか? 不安もない、恐怖もない、平和な国を築こうとするのが愛国心ではないでしょうか?このスレッドの題名が「愛国心教育の過去の姿(1)」とありますが、過去の姿がいけないのであれば、現在の正しい愛国心教育にしたらいいのです。 愛国心がなかったら国は成り立ちませんから。 |
>▼王里さん: >>はっきりと申し上げて、あなたが何を主張されたいのか、さっぱり解りません。ご自分の論理で決めつけられても私には、理解しずらい個人的感情を表現されているとしか思えません。あなたが愛国心を好むのであれば、それは個人的嗜好なので、お好きにどうぞとしかもうしあげようがありません。 こんなに判り易い説明なのに理解に苦しむのですか。 「言葉は理解したい人には電光の如く伝わる。伝わらないのはその人が理解したくないからで、理解は能力ではなく、願望であると言われる所以である」(故山本 夏彦氏)の言を、いましみじみとかみ締めています。 >▼相良唯夫さん: >言外に「日本がそのような国に成り下がってはならない」という気持ちはどこかにありませんか?もし、そう思われるならば、それは立派な愛国心です。 >「人を愛する心」を誰が否定できましょう。 ディベートにおけるひとつの勝利方法として、「相手自身が無意識の本人の前提の矛盾を突く」というのがあります。 これなどは典型的なその見本です。多分、反論はこないでしょう。 それを一般的には「スルー」と称している方も居られるようですが、世間では負け惜しみとも言います。 |
▼ステディ ベアさん: >>▼王里さん: >>>はっきりと申し上げて、あなたが何を主張されたいのか、さっぱり解りません。ご自分の論理で決めつけられても私には、理解しずらい個人的感情を表現されているとしか思えません。あなたが愛国心を好むのであれば、それは個人的嗜好なので、お好きにどうぞとしかもうしあげようがありません。 > >こんなに判り易い説明なのに理解に苦しむのですか。 > >「言葉は理解したい人には電光の如く伝わる。伝わらないのはその人が理解したくないからで、理解は能力ではなく、願望であると言われる所以である」(故山本 夏彦氏)の言を、いましみじみとかみ締めています。 > >>▼相良唯夫さん: >>言外に「日本がそのような国に成り下がってはならない」という気持ちはどこかにありませんか?もし、そう思われるならば、それは立派な愛国心です。 >>「人を愛する心」を誰が否定できましょう。 > >ディベートにおけるひとつの勝利方法として、「相手自身が無意識の本人の前提の矛盾を突く」というのがあります。 > >これなどは典型的なその見本です。多分、反論はこないでしょう。 > >それを一般的には「スルー」と称している方も居られるようですが、世間では負け惜しみとも言います。 どこのどなたかは存じませんが、ご自身のこと、よ〜く解っておられる方のようで…。 論評に値しないという駄文ですな。 |
▼王里さん: >どこのどなたかは存じませんが、ご自身のこと、よ〜く解っておられる方のようで…。 > >論評に値しないという駄文ですな。 人にはそれぞれの主義主張がありますから、それは認めましょう。 考え方を異にするからと言って、「論評に値しないという駄文」と決め付けるのは、愛国心を語る以前の人間性の問題です。 どんな正論でも、それが人様に聞いてもらえなかったら、その時点で価値がなくなります。 「仲間内だけに通用すればいい」とお考えなら言うことはありません。 少なくとも、管理人さんがいらっしゃるこの掲示版で、人を蔑む言葉は慎みましょう。 |
▼王里さん: >どこのどなたかは存じませんが、ご自身のこと、よ〜く解っておられる方のようで…。 >論評に値しないという駄文ですな。 はい、私はよーく判って(こっちの字でしょ)おりやす、駄文です。 あれで十分です。 レスは私へではなく、ディベート相手にした相良さんへしなくちゃ・・・ねっ? 無理か・・・ |
▼ステディ ベアさん(46867): Ray@スタッフです。 この書き込みは、掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」および 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 に抵触する可能性が高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志がないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
▼流水さん: >『愛国心』教育の是非をイデオロギー的・感情的に論じても、所詮交わることはないと思います。それで具体的な事例について述べてみます。 >わたしは、この種の教育が政治的過程をとるかのメカニズムは46613で書きました。 >46676では、その極限の思想について見てきました。今回は、それがどのような具体的な形で、当時の学校現場で行われていたかを見てみます。 46613、46676については、あちらのスレッドが満杯気味なので、お話を打ち切りましたが、王里さんが「北朝鮮のようだ」と驚いておられるし、流水さんも「何が問題のつもりで議論しているのか分からない」と言うことでしたから、改めて書きます。 具体的にしかじかの事実があった、それは誰が見てもその通りでしょう。問題はその評価、位置づけです。 >次に書くものは、『軍人援護教育部を設け全職員を以って組織し理論の研究と実践』にあたった埼玉県下の石原国民学校の軍人援護教育行事の一覧です。 > >『年中行事』・・・・・『埼玉教育』第120号(唱和17年11月号) >★4月⇒・9日護国神社例祭(1、護国神社遥拝2、訓話)・29日天長節(1、軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話2、神社参拝3、慰問作品発送) >・30日靖国神社例大祭(1、靖国神社遥拝2、皇后宮御歌奉唱3、慰霊並招魂祭「忠霊祭」) >★5月⇒・27日海軍祭(1、海軍講話2、映画紙芝居3、春季体育祭 >★6月⇒・上旬勤労奉仕(遺家族宅勤労奉仕)・25日皇太后陛下御誕辰日(1、軍人援護に関する皇太后陛下の御仁愛についての謹話) >★7月⇒・7日支那事変記念日(1、訓話2、戦勝祈願行軍3、慰問品袋作品発送)・20日梅の記念日(1、訓話2、水泳訓練) >★8月⇒上旬 勤労奉仕・干草供出(1、遺家族宅勤労奉仕「少年団」2、少年団員奉仕 >★9月⇒・4日故永久王殿下御命日(1、訓話)・15日満州国承認記念日(訓話)・満州事変記念日(1、訓話2、散歩・行軍)・20日航空記念日(1、訓話2、模型航空機競翔会)・23日秋季皇霊祭(1、忠孝墓参) >★10月⇒・上旬軍人援護強化運動機関(1、3日は月中行事と同2、標語ポスター募集3、廃品献納4、遺族宅訪問「少年団」5、慰問作品発送) >・10日行幸記念日(1、軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話2、体育大会)・23日靖国神社大祭(1、春季大祭と同じ)招魂祭(1、代表参列2、訓話) >★11月⇒・3日明治節(軍人援護に関する明治天皇の御仁愛についての謹話) >・下旬 傷病兵慰問(熊谷陸軍飛行学校へ慰問) >★12月⇒・8日開戦記念日(1、月中行事と同 2、慰問袋慰問作品発送3、行軍) >★1月⇒・新年(軍人援護に関する天皇陛下の御仁愛についての謹話) >★2月⇒・11日⇒紀元節(1、金鵄勲章について訓話し皇軍に感謝せしめるよう心がけしむ)2、慰問作品発送 >★3月⇒・上旬学芸会(遺家族慰安)6日地久節(皇后陛下の御仁愛についての謹話2、軍人援護についての御歌奉唱 ・10日陸軍記念日(1、神社参拝又は行軍)・21日春季皇霊祭(秋季皇霊祭と同) 以上を見ると、軍国主義がどう、というよりも、基本的に「慰霊」についての式典が多いことがまず目につきます。 当時の国民の多くが、出征した軍人を親族に持っていたことと思います。そういう背景事情を見ないと、 「それ、こんなに愛国心教育がなされていた、ああ、恐ろしい、北朝鮮と同じだ」、「現代も、愛国心教育をすると、こういう事態になりかねないぞ」 ・・・、という話になるのではないでしょうか。 >これは、いわゆる軍人援護教育の計画だけであり、その他勤労奉仕など諸々の行事が組み込まれていました。わずか、60年ほど前、日本の子供たちが受けてきた教育は、このようなものだったのです。明治以降の愛国心教育の行き着いた一つの極点をこの一覧によって見ることができます。 愛国心教育が、祖霊の顕彰、尊敬、慰霊に結びついていたこと、上の史料からも明らかで、その辺り、国を愛することと、祖先慰霊の自然な感情とが結びついていること、。それを無理に断ち切り、「軍国主義」に結びつけようとする姿勢の方が不自然で人工的であることなど、思われます。 |
▼告天子さん: ●以上を見ると、軍国主義がどう、というよりも、基本的に「慰霊」についての式典が多いことがまず目につきます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前には愛国心と愛国心教育とを完全に読み違えて投稿していましたね。反論するのだったら、少しはきちんと人の文章をよんでからするものですよ。 わたしは、軍人援護教育と書いているでしょう。教育には、さまざまな分野があります。それまで、軍人援護教育という独立した教育分野はなかったのです。それがこの時代入ってきたということは、あからさまに軍国主義教育が教育現場に入ってきたということです。歴史的事実の評価を書くのなら、その程度のことは知って書いてください。 軍人援護教育ですから、内容が愛国的精神論(訓話など)、慰問、慰霊などが多くなるのが当たり前でしょう。 他にも軍事教練、体育内容の変化、儀式のありようなどいくらでもあります。 ●当時の国民の多くが、出征した軍人を親族に持っていたことと思います。そういう背景事情を見ないと、 > >「それ、こんなに愛国心教育がなされていた、ああ、恐ろしい、北朝鮮と同じだ」、「現代も、愛国心教育をすると、こういう事態になりかねないぞ」 > >・・・、という話になるのではないでしょうか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あなたが当時の背景事情をよく知っているとも思えませんね。あなたが書かなければならないのは、愛国心教育によってどんな素晴らしい日本ができたのか、ということを歴史的事実(※ここが重要です)によって論証することです。それなしに、いくらそんなことをいっても、説得力はゼロです。 それなしに、いくらレスをつけても、これからは返事はしないので、悪しからずご了承ください。 > > |
▼流水さん: >前には愛国心と愛国心教育とを完全に読み違えて投稿していましたね。反論するのだったら、少しはきちんと人の文章をよんでからするものですよ。 愛国心教育と、軍国教育の区別がむしろ流水さんの説では混然として区別が付いていないように思いますね。たとえば、 >あなたのいう『愛国心』とはこんなに恐ろしい結果をもたらしているのですよ、といっているのです。少しはまともに文章を読んではどうですか。 「愛国心」が、「恐ろしい結果をもたらしている」と言いますが、その因果関係がおかしいのではないか、という指摘に対して、「何を主張したいのか分からない」という返事が返ってきたのですよ。流水さんの言う「愛国心」と「愛国心教育」の違いとは、何なのですか。また、それと軍国教育の違いとは。 >わたしは、軍人援護教育と書いているでしょう。教育には、さまざまな分野があります。それまで、軍人援護教育という独立した教育分野はなかったのです。 そうですね。存じていますよ。 >それがこの時代入ってきたということは、あからさまに軍国主義教育が教育現場に入ってきたということです。歴史的事実の評価を書くのなら、その程度のことは知って書いてください。 日本は軍国でしたから、軍国主義が教育にも入ってくるでしょう。 >軍人援護教育ですから、内容が愛国的精神論(訓話など)、慰問、慰霊などが多くなるのが当たり前でしょう。 >他にも軍事教練、体育内容の変化、儀式のありようなどいくらでもあります。 では、愛国的精神論が問題なのですか。それとも、そうした精神論とは別に、軍人が教育に関係したことが問題なのですか。流水さんの説では、その両方が問題なのか、片方だけが問題なのか、判然としません。ただ「恐ろしい」というムードは伝わりますが。 >>●当時の国民の多くが、出征した軍人を親族に持っていたことと思います。そういう背景事情を見ないと、 >> >>「それ、こんなに愛国心教育がなされていた、ああ、恐ろしい、北朝鮮と同じだ」、「現代も、愛国心教育をすると、こういう事態になりかねないぞ」 >> >>・・・、という話になるのではないでしょうか。 >あなたが書かなければならないのは、愛国心教育によってどんな素晴らしい日本ができたのか、ということを歴史的事実(※ここが重要です)によって論証することです。それなしに、いくらそんなことをいっても、説得力はゼロです。 日本は敗北しましたから、愛国心教育が実を結んだかどうかは、論証不能でしょう。逆に言えば、愛国心教育によってどんな「駄目な日本」が出来たか、その教育と結果との因果関係を論証せずに、ただ「ああ、恐ろしい・・・」だけでは、同様に説得力はゼロです。 また、日本の敗北を以て、全てが「愛国心教育が行われていたことが原因である」などとするのならば、それこそ因果関係として成り立たないでしょう。 |
結局、読み間違えたのも人のせい、自分のせいではない。愛国心教育の検証もできない。不毛な論議でしたね。 民主的論議を主張するわりには、お粗末ですね。 これから以降、一切レスしませんので悪しからず。 |
▼流水さん: >結局、読み間違えたのも人のせい、自分のせいではない。愛国心教育の検証もできない。不毛な論議でしたね。 >民主的論議を主張するわりには、お粗末ですね。 >これから以降、一切レスしませんので悪しからず。 そうですか? 私は軍国教育に対しては批判的なのですが、そういうのと、「愛国心」「愛国心教育」というのは、なかなか分かちがたくある。 ならば、どこが問題なのか、何故問題なのか。愛国心ならよくて、愛国心教育が悪いのは何故か、また、軍国主義教育が悪いとするならどこが、何故か。愛国心教育との違いは? それが、流水さんとのお話を通じて明らかになれば有意義かと思っておりましたが、「不毛だ」「お粗末だ」「そんなことも分からないのか」というようなお返事が返ってくるので、まあ、残念に思いますよ。 率直にお話しすることで、お互い得るところもあるかと思うのですが。 |
▼流水さん: さて、流水さんのお言葉によると、上の式典などは >明治以降の愛国心教育の行き着いた一つの極点をこの一覧によって見ることができます。 「愛国心教育の行き着いた一つの極点」だ、とのことですが、内容を見てみると、「戦時に於いて」、戦勝を祈願し、戦没者を慰霊し、兵士への慰問、勤労奉仕などです。 愛国心教育の行き着いた極点、とか、思想の極点、という表現を何度も見ましたが、どういう具合に「極点」なのでしょう。単なる形容かと思いますが、戦時に戦争関係の行事が行われるのは、どの国でも当然と思いますし、どの辺りが「極点」なのかが不明です。 ああ、恐ろしい、国の暴虐がこの時点で最高点に達したのです、と仰りたいムードは伝わるように思いますが、戦時に於いて戦没者を慰霊したり、戦勝祈願をしたりするのは至極当然のことかと思いますが、どういう次第で「極点」なのでしょう。単純に、疑問です。 |
次に、このようなイデオロギーが、支配権力から現場まで降りてくるメカニズムを具体的な事例で見てみましょう。 昭和17年7月26日、時の首相東条英機は、大阪中央公会堂で行われた『大東亜戦争完遂国民総力結集大会』で次のように演説しました。 ★「国内体制強化の根本方針は、わたしは『必勝』の二文字に要約せらるるものと信じておる。銃後ご奉公の要諦は、まさに皇軍の戦う力の充実に存する。皇軍をして、常に縦横の作戦を行って敵を屈服せしむるが如く銃後の勤めを果たすことに在る」 ↓ これが,地方のイデオローグでは以下のように語られます。(埼玉教育:第118号) 「まことに戦争こそは最も切実なる日本精神練成の機会であり、軍人援護精神とは、皇民練成を指標とする日本教育の根本儀が戦争遂行時に於いて特に顕揚されるに過ぎず、銃後国民をして、国体の本義に徹せしめ、軍人援護精神を不抜に培うことこそ我が教育の根本儀である。」 さらにこういう 「時局下の教育を考える時、それは広い意味に於ける軍人援護教育であり、現代の日本教育は具体的、直接的に『必勝』の大方針の実現に参画し、隣保団結、八紘一宇の国体精神に培われた軍人援護精神に徹することによって真の教育になる」 ↓ では、具体的に現場ではどうだったか。(埼玉県 蓮田南国民学校の例) 【教育目標】 軍人援護精神を昂揚し、是が実践を強化すべし 【実践項目】 1、軍人援護思想の普及 2、軍人援護志操の啓培(大御心の奉戴・軍人援護教材の研究・軍人援護行事の研究)3、軍人援護の実践(祈願・慰霊・慰問ー慰問文・慰問袋・家庭訪問・慰安会ー、奉仕、出征軍人子弟の会組織) このようなメカニズムで、時の支配権力→地方のイデオローグ→現場まで、降りてきているのです。 教育現場は弱いもので、時の支配権力のイデオロギーでどのようにも変えられるということを、この軍人援護教育の例は示しています。【はじめは処女のごとく、終わりは脱兎のごとく】は、権力の常套手段です。愛国心教育の歴史的ありようをよく見て、その当否は論議されるべきなのです。 |
▼流水さん: これはなんと言いますか… 愛国心と軍国化とを混同されて批判されているのでは? これは愛国心と銘打とうとも愛国心ではないですよ。 |
▼英さん: >▼流水さん: > >これはなんと言いますか… >愛国心と軍国化とを混同されて批判されているのでは? >これは愛国心と銘打とうとも愛国心ではないですよ。 そのとおりですね。愛国心教育=軍国教育ととらえていることがよくわかります。 愛国心>軍国主義 ということでしょう。 吉田松陰も楠正成も坂本龍馬も,その時代の愛国者といえるでしょう。 「愛国」とは,その国の「ありよう」によって変化すると思います。 いまの時代では,「愛国」の前には当然,より普遍的な人類愛があることになります。しかし身近な生活では,国を基盤として生活をしているのです。したがって,次に普遍的な国を愛する心があらねばならないでしょう。 いまの時代,愛国心を説くからといって,軍国主義になりようがない。 なぜなら,国民皆兵の時代ではないし,そんなことしたらたとえ今一番大きい勢力の自民党ですら,つぶれてしまうでしょう。 戦争がいかに馬鹿げたことかを知ったうえでの,愛国心教育なのです。 |
▼しげちよさん: >そのとおりですね。愛国心教育=軍国教育ととらえていることがよくわかります。 ですよね。 という事は、愛国心とは何か解らぬままという困った事態なのですよね。 自分が生まれ育ち暮らしていく国が愛せない。 悲しい事です。 一人でも多くの大人が公徳心や文化・伝統や歴史や民族性や国土や四季〜〜etc、その他もろもろの結晶である愛国心を持ち、隣人と分かち合い次代に伝えていく事が大事だと確信します。 愛国心の無い民族が住む国はかならず荒み、唯物的になり近隣に軍靴を響かせる事になります。 愛国心は大切なものです。 |
今日の朝日新聞、【私の視点】で、今春の都立高校卒業生が投稿していた。 わたしが、(1)で示した事例を軍国主義教育で愛国心教育ではないなど、如何にも自分たちの語る愛国心教育が民主的なものだと主張する人間がいるようなので、その反証の一つとして、紹介してみよう。 「・・(前略)・・私の高校の卒業式はかって「対面式」と呼ばれる形式をとっていた。式場の体育館で卒業生と在校生、保護者が向かい合い、中央であいさつ、答辞が行われる。結果として、卒業生は壇上にある「日の丸」に背中を向けることになる。まず、この形式が非難の対象になった。昨年の卒業式から対面式は廃止され、卒業生は在校生と保護者に背を向け、礼をするたびに「日の丸」に向かって 頭を下げることになった。 このような形式の変更は東京都教育委員会から通達があったからだと報道された。 ・・・・(中略)・・・「圧力」は生徒にも及ぶことになった。生徒が「国歌斉唱」の起立を拒めば、担任教諭が厳重注意などを受けるおそれがある。私たち生徒は戸惑った。もし私たちが「国歌斉唱」の時に座れば、担任の先生に迷惑がかかると思ったからだ。これは国旗・国歌法制定時の「生徒に対し強制するものではない」という政府見解と矛盾している。「君が代」を歌う声の大きさまで指導の対象とされるところもある・・・・(後略)・」(26日付、朝日新聞24面 私の視点) 今、東京の教育現場で何が行われているかが、よく分かる投稿である。こういう教育が常態化し反対者が駆逐された時、わたしの示した事例のような、どう見ても異常な教育が現出するのです。 ファッシズムのことを「規律ある狂気状態」(カール・リープクネヒト)と呼んだ人もいるが、日本もそのとば口に立っているようです。 |
▼流水さん: おはようございます >今日の朝日新聞、【私の視点】で、今春の都立高校卒業生が投稿していた。 >わたしが、(1)で示した事例を軍国主義教育で愛国心教育ではないなど、如何にも自分たちの語る愛国心教育が民主的なものだと主張する人間がいるようなので、その反証の一つとして、紹介してみよう。 > >「・・(前略)・・私の高校の卒業式はかって「対面式」と呼ばれる形式をとっていた。式場の体育館で卒業生と在校生、保護者が向かい合い、中央であいさつ、答辞が行われる。結果として、卒業生は壇上にある「日の丸」に背中を向けることになる。まず、この形式が非難の対象になった。昨年の卒業式から対面式は廃止され、卒業生は在校生と保護者に背を向け、礼をするたびに「日の丸」に向かって >頭を下げることになった。 >このような形式の変更は東京都教育委員会から通達があったからだと報道された。 >・・・・(中略)・・・「圧力」は生徒にも及ぶことになった。生徒が「国歌斉唱」の起立を拒めば、担任教諭が厳重注意などを受けるおそれがある。私たち生徒は戸惑った。もし私たちが「国歌斉唱」の時に座れば、担任の先生に迷惑がかかると思ったからだ。これは国旗・国歌法制定時の「生徒に対し強制するものではない」という政府見解と矛盾している。「君が代」を歌う声の大きさまで指導の対象とされるところもある・・・・(後略)・」(26日付、朝日新聞24面 私の視点) この記事私も読みました。 これは、明らかに「本音とたてまえ」を使い分けている ダブル・スタンダードだと思います。 「強制ではない」という、たてまえを使いながら、その現場では 歌うこと、国旗を敬うことを、強制する こんなことをされたら、君が代も国旗、も気の毒です 本当に私達日本の国歌、国旗として愛していきたいのなら もっと国旗、国歌についての議論を積み上げるべきです こんな姑息なことをされたら嫌な記憶が残るだけです。 >今、東京の教育現場で何が行われているかが、よく分かる投稿である。こういう教育が常態化し反対者が駆逐された時、わたしの示した事例のような、どう見ても異常な教育が現出するのです。 >ファッシズムのことを「規律ある狂気状態」(カール・リープクネヒト)と呼んだ人もいるが、日本もそのとば口に立っているようです。 もっとも、流水さんがおっしゃっているように 嫌な思いを残すような考え方さへ植え付けないように、子ども達の 教育からコントロールしょうとしているのかもしれません。 それにしても、記事を読んだだけでも、とても素敵な卒業式が今まで 行われていたのに残念ですね 自由な校風とかいうと、放任、とか野放し、とか言われる方も おられると思いますが、本当の自由とは、それに伴う、自分で選択し、決定した ことに対する結果を負うことだと私は思います。 |
▼パンドラさん: おはようございます。レスありがとうございます。 ●この記事私も読みました。 >これは、明らかに「本音とたてまえ」を使い分けている >ダブル・スタンダードだと思います。 >「強制ではない」という、たてまえを使いながら、その現場では >歌うこと、国旗を敬うことを、強制する ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この方法は、権力の常套手段なのです。前に、文部科学省→地方教育委員会→教育現場 と降りてくる間に中身が変質してくることを書いたことがありますが、国旗・国歌法案も同様です。 国民は、一つの法案が出された時、その法案が現場に降りてきた時、どのような結果を生み出すかを想定して見ていかなければ、よく分からないうちに情勢が全く変化していたということになるのだと思います。 > ●もっとも、流水さんがおっしゃっているように >嫌な思いを残すような考え方さへ植え付けないように、子ども達の >教育からコントロールしょうとしているのかもしれません。 > >それにしても、記事を読んだだけでも、とても素敵な卒業式が今まで >行われていたのに残念ですね >自由な校風とかいうと、放任、とか野放し、とか言われる方も >おられると思いますが、本当の自由とは、それに伴う、自分で選択し、決定した >ことに対する結果を負うことだと私は思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これまでも、全国各地の学校で素晴らしい卒業式が作られてきました。今年も長野県とか新潟県などから、素晴らしく感動的な卒業式が放映されていました。 対面式の卒業式、生徒代表の答辞でなくて、卒業生全員の呼びかけ方式など、さまざまな方法が工夫されてきたのです。 学校における卒業式や入学式などの儀式は、象徴的な意味があるのです。 この東京都の卒業式は、【生徒が主役の学校】から【大人が主役の学校】への変質を象徴的にあらわしているのです。 |
▼流水さん >対面式の卒業式、生徒代表の答辞でなくて、卒業生全員の呼びかけ方式など、さまざまな方法が工夫されてきたのです。 >学校における卒業式や入学式などの儀式は、象徴的な意味があるのです。 >この東京都の卒業式は、【生徒が主役の学校】から【大人が主役の学校】への変質を象徴的にあらわしているのです。 私の学校では一部、二部に分けて行いました。 二部は卒業を祝う会という形で、対面式で子どもが主役の会をやりました。 ここでは子どもも教師も感慨深く本当の卒業式が実現できました。 誰にも文句の出しようのない方法でやりました。 なぜなら一部では国歌斉唱をし、国旗には背を向けませんでしたから。 そのかわり、二部では国歌も国旗もまったく関係ない卒業を祝う会です。 妥協かも知れませんが、こういう方法でしか今はとても出来ない時代です。 それにしても卒業式の予行練習の時から、監視に来るのはまったく異様な空気を感じます。こういう空気が怖いですね。 |
すべておっしゃるとおりだと思います。愛国心は尊皇攘夷思想の現代版です。とてもアナクロ。第一崇め奉られる当人が嫌がっている。恐らく。 国を想う奇特な人もいる。それも結構。わたしにはどういう思考回路の結果そのような上等なこころが生まれるのか理解できない。国士を気取りたいのか悲憤慷慨「日の丸」「君が代」とわめく。見ていられないね。 わたしはなんの感慨も湧かない。むろん斉唱も唱和も起立脱帽もしない。 やりたい人はどうぞ。 強制はするな。 |
▼牛の5さん: >すべておっしゃるとおりだと思います。愛国心は尊皇攘夷思想の現代版です。とてもアナクロ。第一崇め奉られる当人が嫌がっている。恐らく。 天皇を思う心は遠い昔から続く心ですから、「古い」には違いありませんが、それこそ日本の歴史の重みということです。 >国を想う奇特な人もいる。それも結構。わたしにはどういう思考回路の結果そのような上等なこころが生まれるのか理解できない。国士を気取りたいのか悲憤慷慨「日の丸」「君が代」とわめく。見ていられないね。 日の丸、君が代を「喚いている」人などはよほど見ませんが、「反日の丸」「反君が代」を喚く人は、時々見ます。「見ていられないね」と、相手を蔑む感情が強く伝わってきますが、自分たちの国を愛することを、蔑む、卑しむような人を多く作ってしまったこと、それを「強制で歌わせる」ようなことになってはならない、との天皇陛下のお考えではないかと、私はそのように感じました。 >わたしはなんの感慨も湧かない。むろん斉唱も唱和も起立脱帽もしない。 >やりたい人はどうぞ。 >強制はするな。 国は自分たち、みんなのものでしょう。一緒に歌いもしない、敬礼を取ることもしない、「自分は自分だ、強制はするな」などと公共の場で言い放つのは、エゴイズムの政治化というものでしょう。 公金を受けての身分だ、ということもわきまえずに、エゴイズムを自由とすり替えるなら、他の国民に対して全く失礼そのものです。 儀式は教育の節目であり、君が代だ、国旗だというのは、「他の日本国民」に対する意味もあります、そこに国家が統合されているのですから。それを、「何の感慨もわかない」、「起立も脱帽もしない」、「やりたい人はどうぞ」、「強制はするな」、・・・。こんなことを言う「国民」というのは、一体どこの国の人なのでしょうか。 |
丁寧なお返事ありがとうございます。 天皇を思う気持ちはもちろん小生にはありませんが、あなたは何をどう思ってらっしゃるのでしょうか。それと尊王攘夷とどう違うのですか。それに天皇家が萬世一系同様我々新臣民も系図は不確かながらおんなじ。歴史の重みを感じませんか。 失礼ながら、あなたは近代日本史の常識に無知です。「日の丸」「君が代」が戦前少国民教育に果たした役割をご存知ないのですか。戦後60年、またぞろ法制化され、職務命令というかたちで教育現場で強制されている。国家権力による同様の意思を感じないのは、鈍感というもの。明仁天皇もやんわりとそのことを言っているのではないか。彼が即位時に「憲法を尊重する」といったのは、彼なりの意思表明だった。 後段は殆ど趣味の問題でしょう。昔から儀式嫌い。学校もナントカ式はすべてずる休みしてました。図らずも日本国に生まれて、税金を払って、義務を果たしているのですから、それでいいんじゃないですか。鼓腹撃壤でいいじゃないか。それとも徴用に積極的に協力して、ほかの非国民を許さないのかな。このヴァーチャル政党なんかも、解散を命じられるかもよ。 |
▼牛の5さん: >昔から儀式嫌い。学校もナントカ式はすべてずる休みしてました。図らずも日本国に生まれて、税金を払って、義務を果たしているのですから、それでいいんじゃないですか。 「人として生きる」にも、守らなければならない筋道があるのです。 儀式嫌い、学校のナントカ式にすべてずる休みして、それが自慢になることではありません。むしろ恥じることです。 この世で、自分の思い通りに生きれる人が果たして何人いるでしょうか? スポーツ選手でも、芸能人でも、国会議員でも、国民の数からは、ほんの一握りどころか、指先の一つまみにも満たないのです。 会社でもそうです。思い通りに出来ることなど限られています。殆どは自己を仕事など他に合わせて行くのです。 先人が築いた儀式を尊ぶことなく、牛の5さんのように皆がずる休みしたら、どうなるでしょう。社会や学校は崩壊します。 「税金を払って、義務を果たしているからそれでいい」と言われますが、とんでもないことです。義務は税金を払うだけではありません。自由に物が言えることも、こうして掲示板に書き込めることも、社会の恩恵です。 この恩恵も、身近で人様にして頂いくことも、感謝であるのです。 もし、為政者に対し批判すら許されなかったら耐えられますか? 掃除が嫌いだからと言って、地域の清掃に出なくてもいい、ということはありません。地域の集会に出たくないと言って、サボっていいということはありません。 私の友人は、私の100倍の税金を納めていますが、それでも地域の清掃にも進んで出られますし、氏神様の祭礼にも多額の寄付をされます。 学校でも、地域でも、職場でも「和」のない所には美しい感動がありません。 節目、節目の儀式を大切にすることは先人が築いた美しい文化です。 一部の人の主張を受け入れ、厳粛な式典を経験させることなく、子供たちを世に送り出したら、はたして彼らは嘆かないだろうか? 卒業式で感動の涙を流すことが少なくなったそうですが、「蛍の光」「仰げば尊し」を涙で詰まらせて歌ったことが思い出されますが、彼らにはその体験がないのですね。 批判することは、目が覚めれば、直ぐにでも出来ますが、「自分はどうであったか」と自省するには努力が要ります。「自分は正しい、人が悪い」と言って、反省しなければ告発者が告発される世になって行くのです。 愛国心は悪い筈がありません。もし、悪いとするならば、それは愛国心ではないのです。「愛国心がなかったらどんな国になるか分かりません」「感謝と反省を極めれば、悪い国にはならない」と断言します。 |
学びてときに習う亦楽しからずやと孔子が言ったそうだが、ほんとはあんまり楽しくなかったのではないか。自らを鼓舞してそう言ったのかもしれない。相良さんはどうお思いですか。 レで終わる日本古謡もひのまるもデザインとしてすばらしいかもしれない。しかしそれを踏みにじり、汚したのが軍国日本だった。 成立時、法令化するが強制はしないと言った。ブッシュに限らず、日本国の政治家もウソつきだ。軍国日本時代も平成の御世の権力者もこうして国歌国旗を汚す。それこそが問題なのではないだろうか。 相良さんが愛国者ならば、自民党にこそ嘘をついて国旗国歌を政治的に利用するなと抗議すべきでしょう。慎太郎にも文句をいわなきゃならないだろう。 式が嫌いですみません。葬式も結婚式もあるほうが便利でしょう。その程度のもんでしょう。式は文化であるとの意見、は文化人程度の意味でしたら、当たっているかもしれません。 |
▼牛の5さん: >学びてときに習う亦楽しからずやと孔子が言ったそうだが、ほんとはあんまり楽しくなかったのではないか。自らを鼓舞してそう言ったのかもしれない。相良さんはどうお思いですか。 >レで終わる日本古謡もひのまるもデザインとしてすばらしいかもしれない。しかしそれを踏みにじり、汚したのが軍国日本だった。 >成立時、法令化するが強制はしないと言った。ブッシュに限らず、日本国の政治家もウソつきだ。軍国日本時代も平成の御世の権力者もこうして国歌国旗を汚す。それこそが問題なのではないだろうか。 >相良さんが愛国者ならば、自民党にこそ嘘をついて国旗国歌を政治的に利用するなと抗議すべきでしょう。慎太郎にも文句をいわなきゃならないだろう。 > >式が嫌いですみません。葬式も結婚式もあるほうが便利でしょう。その程度のもんでしょう。式は文化であるとの意見、は文化人程度の意味でしたら、当たっているかもしれません。 私は、ここに投稿されている方々のような知識を持ち合わせていません。 いろいろな見方があってもいいが「自民党がどう、民主党がどう」と異論に対し敵対し、罵声を浴びるのではなく、「なぜ?」と伺う位で丁度いいと思います。 大相撲の千秋楽が終わりましたが、あの朝青龍も国歌を歌っていました。 あの中も、一人だけ起立せず、下を向いていてもおかしいですね。テレビの画面で見る限りそんな人は一人もいませんでした。 学校の式典においても、粛々と行ったら良い。国歌斉唱の反対者は信念に基づいて歌わないでしょうが、教育者として生徒に対する影響力を考えると、個人ではあるが、公人として自覚して欲しい。 私の場合は、勉強の出来ない子でありましたから、勉強をしなくてもいい世界に憧れ、大学には行きませんでした。というより、行ける学力がなかった。 小さな会社を経営していますが、「こんなオレでもやれた」と言って、私と同じ悩みを持つ従業員や若い人を励ましています。 偉そうなことを言っても、人間は、親や社会をはじめ、さまざまな恩恵の中で生かされているのです。その恩に報いようとするのも人の生き方です。 |
相良さんはさぞかし立派な経営者であろうと思います。大学とりわけ東大法学部卒業の諸君は徒党して日本国を食い物にしている。唾棄すべき連中です。だいたい若年にして、公務員になろうという魂胆が卑しい。 さて、そんなことではなくて、公人です。公人は公務員の意でしょうか。ならば憲法に明確に全体の奉仕者と謳ってあるように、教員が生徒に国歌国旗を強いるのはよからぬことであるのは明白です。 |
▼牛の5さん: >丁寧なお返事ありがとうございます。 いえ、こちらこそ、ありがとうございます。 >天皇を思う気持ちはもちろん小生にはありませんが、あなたは何をどう思ってらっしゃるのでしょうか。それと尊王攘夷とどう違うのですか。それに天皇家が萬世一系同様我々新臣民も系図は不確かながらおんなじ。歴史の重みを感じませんか。 一言では上手く言えないように思います。もしかしたらそれほど牛の5さんと違わないかも知れません。尊皇はともかく、攘夷はその時々での話ですから、「尊皇精神」だけでよいかと思います。 庶民も勿論それぞれの歴史を歩んできた重みを持っているでしょうが、それは私事であって、皇室の歴史と比べたりするような話ではないでしょう。 >失礼ながら、あなたは近代日本史の常識に無知です。「日の丸」「君が代」が戦前少国民教育に果たした役割をご存知ないのですか。 知っていますよ。 >戦後60年、またぞろ法制化され、職務命令というかたちで教育現場で強制されている。国家権力による同様の意思を感じないのは、鈍感というもの。明仁天皇もやんわりとそのことを言っているのではないか。彼が即位時に「憲法を尊重する」といったのは、彼なりの意思表明だった。 国家権力による同様の意思、とは何ですか。今は当時とは違って、軍国日本ではありませんし、日本を巡る周辺事情も、大分当時とは違います。何より、国家権力の担い手は全然別の人たちです。「国家権力」というものが、戦前と同じ形で今も存在しているものでしょうか?? 天皇陛下の憲法尊重こそ、皇室の伝統精神のあらわれであり、たとえばドイツ皇帝などは憲法無視の独裁をよしとした。そういう日本天皇を、国民が仰ぐことは、単純によいことだと思いますが。 国家主義のごり押しみたいなことが、教育現場で推進されるなら、それはそれで反対すべきですが、愛国心否定とか、愛国心教育は軍国主義につながる、戦争を起こすのだ、みたいな意見に、私は反対するわけです。 >後段は殆ど趣味の問題でしょう。昔から儀式嫌い。学校もナントカ式はすべてずる休みしてました。図らずも日本国に生まれて、税金を払って、義務を果たしているのですから、それでいいんじゃないですか。鼓腹撃壤でいいじゃないか。それとも徴用に積極的に協力して、ほかの非国民を許さないのかな。このヴァーチャル政党なんかも、解散を命じられるかもよ。 儀式が嫌いなのは、ご趣味の話ですから、それは自由です。しかし、それが「権利」である、「強制は、権利の侵害である」かの如き論となるなら、単なる趣味の話ではありません。それ自体、政治主張を教育の場に持ち込む話かと思います。 国がけしからん軍国化を推進している、無謀な戦争に突入しようとしている、そういうことには大いに反対すべきでしょう。しかし、それと国旗・国家への尊敬心の否定とは、全然別の話です。 |
▼パンドラさん: おはようございます >この記事私も読みました。 >これは、明らかに「本音とたてまえ」を使い分けている >ダブル・スタンダードだと思います。 >「強制ではない」という、たてまえを使いながら、その現場では >歌うこと、国旗を敬うことを、強制する 式典の中ということを考えれば,強制とはいえないのではないかと思います。 自宅に日章旗を掲げろ,というプライベートな時間まで口に出されたら強制でしょうが,式典の中で強制というのなら,式典の式次第自体が強制でしょう。 式典の中で,こういう段取りで行うことが決められたら,それに従うのは当然のことではないですか? 運動会で,次は100m競走と決まっているのに,「いやおれは100mはいやだから50mにする」と言えるのでしょうか。 では,伺いますが,たとえばあなたが他国の儀式の来賓に呼ばれ,式典の中で国歌斉唱があったとします。 このとき,国歌,国旗に尊敬の念を表すのは当然であり,礼儀です。 そうは思われないのでしょうか? その国および来賓の中であなただけ,一人座っていられるのでしょうか? 無理でしょう。 それは矛盾していませんか? 他国のものには敬意を表せても,日本のものには敬意を表せない。 つまり,この議論は「強制,非強制」という議論ではなくて,日本の国旗・国歌が好きでないという,個人的な意見に過ぎないということです。 >こんなことをされたら、君が代も国旗、も気の毒です >本当に私達日本の国歌、国旗として愛していきたいのなら >もっと国旗、国歌についての議論を積み上げるべきです 積み上げる努力をしてきてないのは,賛成派も反対派も同じです。 反対派からは,「反対」としか聞こえてこず,「このようにする」といった提案があったのでしょうか? それに,どうするというのでしょうか。デザインを変える,歌を変えるですか? 日章旗は,日本の旗として広く世界に認知されています。国旗国歌法が制定されるずっと前からです。 国歌のほうは可能かも知れませんが,国旗のほうはむずかしいでしょう。 >それにしても、記事を読んだだけでも、とても素敵な卒業式が今まで >行われていたのに残念ですね >自由な校風とかいうと、放任、とか野放し、とか言われる方も >おられると思いますが、本当の自由とは、それに伴う、自分で選択し、決定した >ことに対する結果を負うことだと私は思います。 在校生や父兄に背中を見せるやり方ではなく,従来の対面式にするかどうかは,話し合えばいい問題です。 「無理矢理変えさせられた」→「もう元のやり方はできない」と考え,あきらめることは,まったくないと考えますが。それこそが自由でしょう。 |
▼しげちよさん: こんばんは >式典の中ということを考えれば,強制とはいえないのではないかと思います。 >自宅に日章旗を掲げろ,というプライベートな時間まで口に出されたら強制でしょうが,式典の中で強制というのなら,式典の式次第自体が強制でしょう。 >式典の中で,こういう段取りで行うことが決められたら,それに従うのは当然のことではないですか? でも、国歌、国旗法が決まるまでは、強制的なものは無かったと聞きますし 式典と言っても卒業して行く生徒達の為の式なのですから、きちきちに 決める必要もないのではないのでしょうか >運動会で,次は100m競走と決まっているのに,「いやおれは100mはいやだから50mにする」と言えるのでしょうか。 それはちょっと違うと思います。 >では,伺いますが,たとえばあなたが他国の儀式の来賓に呼ばれ,式典の中で国歌斉唱があったとします。 >このとき,国歌,国旗に尊敬の念を表すのは当然であり,礼儀です。 >そうは思われないのでしょうか? その国および来賓の中であなただけ,一人座っていられるのでしょうか? 無理でしょう。 話を広げすぎていませんか。 そんな経験も無いのでその時になったら考えます >つまり,この議論は「強制,非強制」という議論ではなくて,日本の国旗・国歌が好きでないという,個人的な意見に過ぎないということです。 そんなことはありません。 好きとか、嫌いとか一言も申しておりません。 >>こんなことをされたら、君が代も国旗、も気の毒です >>本当に私達日本の国歌、国旗として愛していきたいのなら >>もっと国旗、国歌についての議論を積み上げるべきです > >積み上げる努力をしてきてないのは,賛成派も反対派も同じです。 >反対派からは,「反対」としか聞こえてこず,「このようにする」といった提案があったのでしょうか? >それに,どうするというのでしょうか。デザインを変える,歌を変えるですか? >日章旗は,日本の旗として広く世界に認知されています。国旗国歌法が制定されるずっと前からです。 >国歌のほうは可能かも知れませんが,国旗のほうはむずかしいでしょう。 何をどう変えるとかい前に、私達がどう考えるかという所からの議論ではないでしょうか >>それにしても、記事を読んだだけでも、とても素敵な卒業式が今まで >>行われていたのに残念ですね >>自由な校風とかいうと、放任、とか野放し、とか言われる方も >>おられると思いますが、本当の自由とは、それに伴う、自分で選択し、決定した >>ことに対する結果を負うことだと私は思います。 > >在校生や父兄に背中を見せるやり方ではなく,従来の対面式にするかどうかは,話し合えばいい問題です。 >「無理矢理変えさせられた」→「もう元のやり方はできない」と考え,あきらめることは,まったくないと考えますが。それこそが自由でしょう。 確かに話し合うことが出来ればいいですね 通達という形に従うのではなく。 |
▼パンドラさん: レスありがとうございます。 >でも、国歌、国旗法が決まるまでは、強制的なものは無かったと聞きますし >式典と言っても卒業して行く生徒達の為の式なのですから、きちきちに >決める必要もないのではないのでしょうか わたしの通った中学では,ふつうに君が代を歌っていました。わたしは吹奏楽部だったので,演奏するほうだったのですが。 強制的,というよりも,法律が決まったから式次第に入ってきたということはあるでしょう。が,それは段取りの中に入ったことなので,特段強制とはいえないでしょう。それに国旗,国歌に反対しているのは生徒立ちなのでしょうか? ほとんどが教職員ではないのですか? >話を広げすぎていませんか。 >そんな経験も無いのでその時になったら考えます 他国の国旗国歌に敬意を表するのは当然です。 しかし,そういうこともわからない日本人が出てくるのです。 自分たちのものにも敬意を表すような教育を受けていないのだから。 >そんなことはありません。 >好きとか、嫌いとか一言も申しておりません。 言葉の中にすき,嫌いという言葉を入れているかいないかの問題ではありません。 要するに,国旗・国歌(国の象徴,国の誇り)には敬意を表する…これが当然ですから,そうできないということは,嫌いということにほかなりません。 >何をどう変えるとかい前に、私達がどう考えるかという所からの議論ではないでしょうか 日本には国旗も国歌もない,そういう国です,と世界に発信しますか? 日本は国ではない,というのと同義であるように思いますが。 >確かに話し合うことが出来ればいいですね >通達という形に従うのではなく。 教職員は,(国家)地方公務員ですから,通達にはふつう従うものです。 ただ,式典が始まってから急にぐずるぐらいだったら,その前にそういう意見を職員会議などで出すべきでしょうね。 |
▼しげちよさん: こちらこそ、レスありがとうございます >わたしの通った中学では,ふつうに君が代を歌っていました。わたしは吹奏楽部ったので,演奏するほうだったのですが。 そうですか、吹奏楽部でいらしたのですか 何の楽器を演奏なさっていたのですか 練習もさぞかし大変だったのでしょうね 私の姪も、吹奏楽部で、練習の為帰りも遅く、でも楽しそうに部活に励んで いるようです >強制的,というよりも,法律が決まったから式次第に入ってきたということはあるでしょう。が,それは段取りの中に入ったことなので,特段強制とはいえないでしょう。それに国旗,国歌に反対しているのは生徒立ちなのでしょうか? >ほとんどが教職員ではないのですか? でも一度通達という形が教育委員会から来ると大変みたいですよ それに生徒さんも自分達の大切な卒業式だから 先生や今まで育ててくれた親御さんに感謝して、贈りたい歌もあると聞いた 記憶があります >他国の国旗国歌に敬意を表するのは当然です。 >しかし,そういうこともわからない日本人が出てくるのです。 >自分たちのものにも敬意を表すような教育を受けていないのだから。 > そうでしょうか 敬意を表する表現の仕方も色々でしょうね 人生色々と、総理大臣もおっしゃっていましたものね >言葉の中にすき,嫌いという言葉を入れているかいないかの問題ではありません。 >要するに,国旗・国歌(国の象徴,国の誇り)には敬意を表する…これが当然ですから,そうできないということは,嫌いということにほかなりません。 そう決めつけられても困ります 私が好きか嫌いかなんて、何故分かるのでしょう 私の心の中を覗かれたのですか >日本には国旗も国歌もない,そういう国です,と世界に発信しますか? >日本は国ではない,というのと同義であるように思いますが。 そんなに、慌てて考えることもないでしょう >教職員は,(国家)地方公務員ですから,通達にはふつう従うものです。 >ただ,式典が始まってから急にぐずるぐらいだったら,その前にそういう意見を職員会議などで出すべきでしょうね。 通達というのは、何か凄い力があるようですよ 中々逆らえない、ハリーポッタの魔法の呪文みたいな力があるのでしょうか。 |
▼しげちよさん: >わたしの通った中学では,ふつうに君が代を歌っていました。わたしは吹奏楽部だったので,演奏するほうだったのですが。 私も吹奏楽部で、トランペットを吹いていました。 行進曲は得意だったが、今はどうなのかな? 日本の二ニーロッソと言われました。(勝手に自分で思っていただけですが) >他国の国旗国歌に敬意を表するのは当然です。 同感です。 >日本には国旗も国歌もない,そういう国です,と世界に発信しますか? >日本は国ではない,というのと同義であるように思いますが。 「日の丸が国旗で、君が代が国歌」は議論する以前の当たり前のことと思い、むしろ反対する人を不思議に思っていた。 ここ(老人党掲示版)へ来て色々勉強させられた。 でも、平和を語る人が争いを好み、異論に対し、罵声を浴びせ、人の意見を聞かず、相手に自分の書き込みをしっかり読むように促す。議論って難しいですね。 私は物心が付いた時から、祝祭日には国旗を立てて来ました。 最近は立てる人も少なく「なぜみんな立てなくなったんだろう」と残念に思います。もちろんわが社では毎日、国旗掲揚をしています。 |
パンドラさん えらそうに少しだけね! 要は 嫌いなのも自由でしょ! 歌うのは義務なんですか? 自分が悪いことしてないのに ”土下座して謝れ!”と強制 された時 だれだって いやーな気持ちがするはずです。 俺は 悪いことなんぞ してねんだから 謝りたかない という 人間としての ゆずれない思いがあります。 もし めんどくさいから 謝ちゃおうか と思いながらも 自分が自分ではなくなるから 絶対いやだ。 こういう人格の本質にかかわることについては なにものも たとえ 法によっても強制することはできません。 君が代斉唱を強制されることがその人にとって こうしたものである時 その強制は 憲法違反になります。 憲法違反を 公務員への職務命令での強制は できませんし まして 子ども達に事実上の強制などできるはずはありません。 自分らしく生きたいという個人尊重の根に ”思想・良心の自由”があります 日の丸・君が代の強制は これらを 真向から否定するものです。 嫌なものは 嫌!というわけですね! |
▼流水さん: さて、流水さんはもう私にはレスをしないということですが。 流水さんのお説の、「軍国主義教育を批判しているのであり、愛国心(愛国心教育)の否定ではない」、これは本当かどうか。 自説の強化のためにあげておられる、朝日新聞の記事、君が代斉唱や、国旗へ向かっての礼は、軍国主義教育ではありません。だから、流水さんが反対しているのは、軍国主義教育などではなく、「日本という国家そのもの」に対してかと思われます。つまり、反日政治思想に基づく、政治的意見表明です。 国旗や国家、これは法律で定められたものだという以前に、天皇が国民統合のシンボルであること、憲法に定められたことです。 従って、公共の場でそれに対する敬意や礼を取ることを拒否するというのは、反憲法的な、反社会的な行動であるということです。 まして、学校職員は、学童の社会性を教育しなければならない立場である以上、自ら反社会的な政治思想を教育の場で体現するなど、社会的に許されないことです。 その上、公金から支出された給料、学校教育への公金の支出を受けての生徒なのですから、「強制された」などというのであれば、どれほど学童教育に金をつぎ込んでいるのか、分かった上で「楽しい卒業式」なるものをどこかで自費でやればよいのです。血税を受けておりながら、「強制には反対するぞー」では、何の道義があるか。 政治思想以前に、「自らの政治思想を信ずるが故に、公共性を踏みにじっても構わない」、とする反社会性、反公共性、そして反日思想が、教育現場で「軍国主義反対」の名の下に言われるならば、恐ろしい政治教育、政治による公共性に対する暴力であると考えます。 このような大きな暴力を見逃して、国家公共に対して取る礼は「強制だ」、「自由の侵害だ」とする倒錯性、視点の違いから、こういうことになるのです。 何が本当の暴力なのか、それを不問にして、「強制だ」「ファシズムだ」と叫ぶところに、本当の政治暴力があるのではないでしょうか。 愛国心教育に反対しているのであり、愛国心に反対などしていない、とか、軍国主義教育を非難しているのであり、愛国心教育と混同するなとか、話がややこしくなりましたが、 要するに、一言で言えば、反日。そういうことでしょう? |
▼告天子さん: レス頂いて居りましたが家の行事でゆっくり出来ず、失礼かと思いつつも 遅くなりました。 私の二度目のレスに為りますが退役軍人さんの緑の国を愛する気持や、 相良唯夫さんのレスに、そうだ、そうさと相槌を打っておりました。 なだ氏の講演会で著書を4冊買ったところで、護憲派+とか何も知らずに 穏やかな老人のイメージで老人党にレスをする様になって 反対者に対する辛辣な言葉の暴力を知ってブルッタのですが、 少しの方が穏当な発言をなされるのを読ませて頂く事もあって なだ氏の本代に使ったお金が丸損で無いと分りました。 普段何となく感じていた事がきちんと活字にしていただきまして よ〜く分りました。海氏の蔑み暴言が際立ちますのにお咎めは軽いし 人様の文章を駄文とか値踏みを付けてくださって、気にして読んでくださっ たのかも分って満更でもないです。 > >国旗や国家、これは法律で定められたものだという以前に、天皇が国民統合のシンボルであること、憲法に定められたことです。 > >従って、公共の場でそれに対する敬意や礼を取ることを拒否するというのは、反憲法的な、反社会的な行動であるということです。 > >まして、学校職員は、学童の社会性を教育しなければならない立場である以上、自ら反社会的な政治思想を教育の場で体現するなど、社会的に許されないことです。 > >その上、公金から支出された給料、学校教育への公金の支出を受けての生徒なのですから、「強制された」などというのであれば、どれほど学童教育に金をつぎ込んでいるのか、分かった上で「楽しい卒業式」なるものをどこかで自費でやればよいのです。血税を受けておりながら、「強制には反対するぞー」では、何の道義があるか。 > >政治思想以前に、「自らの政治思想を信ずるが故に、公共性を踏みにじっても構わない」、とする反社会性、反公共性、そして反日思想が、教育現場で「軍国主義反対」の名の下に言われるならば、恐ろしい政治教育、政治による公共性に対する暴力であると考えます。 > >このような大きな暴力を見逃して、国家公共に対して取る礼は「強制だ」、「自由の侵害だ」とする倒錯性、視点の違いから、こういうことになるのです。 > 金メダルを頂いて日章旗に敬意を示さなかったフジTVのスポーツ社員が 六本木の高級店のVIPルームで逆セクまがいの蛮行に及んだと 報道されましたがやっぱり大事な心は何も育っていなかった証拠ですね。 金の輝きが又も失せました。 オリンピックの成績万能の上にもっと大事な教育を誰もして差し上げなかった 大人の責任ですね。 |
▼告天子さん: 私の学生時代ですが。 「君が代」や「日の丸」だけではありませんよ。 正面には大きく市旗がかかげられ、「蛍の光」やその他の歌を何度も「歌え」「もっと大きな声で」と、繰り返し指導を受けました。 また卒業生は自分の学年の教師に対して礼をして挨拶を要求されていました。 その教師に世話になってなかろうが、的外れな教育で反感を持っていようが、一律に「礼!」でした。 が… これに対して「強制」だのなんだのとオカシナ話は出てきませんでした。 私もおかしいとは思いませんでした。 「無駄に長いよぉ〜〜」くらいでしたかね☆ |
馬脚を顕しましたか。言うに事欠いて「反日」とは。天子さんが正日だとは。かの国のキム氏の同調者とはとても思われませんが。 あなたは憲法条文を真面目に読んだことがありますか。「天皇の地位」「公務員」すべてあなたの誤読、よく言って、恣意的な解釈じゃないか。つまりでたらめ。教員の反社会的政治思想に至ってはまさに噴飯もの。だれがどんな考えを持とうが自由じゃないか。キムジョンイル氏の同類なのはあなたかな。首領様には逆らうな。 戦後60年も経てばこういった新国士が台頭する。 歴史は繰り返し、古いマルスの歌がまたぞろ歌われる。 |
団塊党さん、牛の5さん、パンドラさん、はじめ皆さんへ 少し、外での活動が増えたので、レスが遅れてすみません。 さて、一見、民主主義的な顔をして、ファッシズムの露払いをする人間は、いつの時代にも存在します。 儀式の中で行われているのは、強制とはいえない、などと三百代言まがいのことを主張する人間もいるようですが、こういう論理を屁理屈というのだと思います。教育委員会が儀式のあり方自体を決定して下ろしてくるのですから、強制そのままですよ。 こういう屁理屈をいって、愛国心教育は民主的などと幻想を振りまく人間が、一番たちが悪いのです。 対面式など話し合えばなどと如何にも強制ではないようなことを言っていますが、教育委員会からその形式は認められない、と指導しているのですから、話し合いなどそれこそ幻想にすぎないのですよ。 団塊党さんの学校のような方法が必要になるわけです。 校長など管理職は教育委員会の任命なのですから、抵抗できるわけがないのです。 こういうメカニズムを一切語らないで、儀式の中のみのことをさも訳知り顔に語る のです。 しかも、軍国主義教育と愛国心教育は違うなどと断定的に語っていますが、まあ、教育史を少しは勉強していれば、そんなことは口が裂けてもいえないのです。 まず、愛国心を涵養しなくて軍国主義教育が可能なのでしょうか。こんなことは、子供にでも分かる理屈です。 軍国主義教育を可能にするのは、愛国心を強制しているからなのでしょう。つまり、軍国主義教育と愛国心教育は車の両輪なのですよ。 これを端的に示す言葉が、【教育報国】というのです。 一番当初に書いた歴史的事実については、何も語らず、あれは軍国主義教育で愛国心教育とは違うというわけです。 どんな政策でも具体的事実を積み重ねで行われるのです。教育していく時の具体的事実の一つ一つが、すべて法律違反でもなければ、反民主主義的であるはずがありません。こんなことは、誰にでもすぐ理解できることです。 現代のファッシズムは、【優しい顔】をしているのです。 |
▼流水さん: >儀式の中で行われているのは、強制とはいえない、などと三百代言まがいのことを主張する人間もいるようですが、こういう論理を屁理屈というのだと思います。教育委員会が儀式のあり方自体を決定して下ろしてくるのですから、強制そのままですよ。 わたしのことですので,反論させていただきます。 「決定」をおろしたら「強制」というのならば,すべての業務が強制なのです。しかし,「日の丸・君が代を強制しない」というのは,教職員に対してではありません。なぜ他の業務は「強制」とは言わないのに,国旗国歌だけを特段取り上げて「強制」というのでしょうか。 ただ,「強制」というのではなく,「嫌い」というだけの感情を生徒に押し付けているだけですよ。それこそ,強制です。 >こういう屁理屈をいって、愛国心教育は民主的などと幻想を振りまく人間が、一番たちが悪いのです。 >対面式など話し合えばなどと如何にも強制ではないようなことを言っていますが、教育委員会からその形式は認められない、と指導しているのですから、話し合いなどそれこそ幻想にすぎないのですよ。 認められないなら,認められるまで教育委員会と戦うのが当然でしょう。 それもしないで,あきらめている姿勢はどうかと思います。 >校長など管理職は教育委員会の任命なのですから、抵抗できるわけがないのです。 抵抗できないことはないと思います。新しいものを切り開いてきた人たちは,そういう狭いところをこじ開けてきたのではないでしょうか。 本当にそう思うのであれば,教育委員会であろうと政府であろうと戦うべきでしょう。ただし,当然合法的・常識的にですけど。 >こういうメカニズムを一切語らないで、儀式の中のみのことをさも訳知り顔に語るのです。 公務員なのだから,決定に対しては守らないといけないということは知っていますよ。戦わないで,グチグチ言っているだけでは,何も変わらないということですよ。 >しかも、軍国主義教育と愛国心教育は違うなどと断定的に語っていますが、まあ、教育史を少しは勉強していれば、そんなことは口が裂けてもいえないのです。 >まず、愛国心を涵養しなくて軍国主義教育が可能なのでしょうか。こんなことは、子供にでも分かる理屈です。 愛国心を涵養するだけでよろしいではないですか。何も軍国主義に進まなくても。 >どんな政策でも具体的事実を積み重ねで行われるのです。教育していく時の具体的事実の一つ一つが、すべて法律違反でもなければ、反民主主義的であるはずがありません。こんなことは、誰にでもすぐ理解できることです。 >現代のファッシズムは、【優しい顔】をしているのです。 もし日本の行く末,日本人の行く末を心配してそういうことをおっしゃっておられるのならば,あなたも立派な愛国者ですよ。 愛国っていうのは,畢竟そういうことでしょう? 何をすぐに軍国主義に結びつけるのですか? 「羹に懲りて膾を吹く」ということでしょうが,国を愛せない人間が満ちた国というのは,どんな国になるか,ということを考えれば,わかるでしょうに。 |
愛国心とはなんぞや。しげちよさん教えてください。 わたしにも愛するものはいくつかあります。でもとても人さまには申せませぬ。まして涵養したり、教育などもってのほか。あなたに愛米心や愛独心はたまた愛仏心はおありでしょうか。愛日本心はあるのですね。わたしは愛他国心がないように愛自国心もありません。あなた同様偶然日本に生まれた。長じて日本文化を学べば愛着が生まれることもあるかもしれない。しかしそれは愛国心と同一ではない。翻ってあなたの言う愛国心の涵養は何を生むのか、教えてほしい。わたしはできそこないの粘土細工のようなものではないかと疑ってます。このまがいものを誰が鼓吹し始めたか。オレオレ詐欺同然の卑劣さですが、だまされたがっている人がいて、詐欺も成立するのです。 もしどうしても涵養が必須ならば日本国憲法と国連憲章の素読を国民の義務にすれば如何。 |
牛の5さん 愛国心とはなんですか、しげちよさん教えてください。と言われています。難しい問いです。そこで一言発言させてもらいます。 愛国心について 愛国心と言う言葉は漢字の合成語である。国、心、愛と分解して一つ一つ自分なりに解釈すれば自然に、自分なりの定義が成り立つと思われる。 ここで国の概念がやっかいで難しくなってくる。人類の20世紀、すなはち、2000年の歴史の中で、その概念が変化しているという事実を認知するかどうかにかかっている。 現在の国家は、この地球上に二つ以上の国家があって1.国土(領土)2.国民(居住者)3.統治権者(住民の代表者)4.国家間の承認の四つの基本要素から構成される。王、元首、大統領、首相が表見統治権者となり、国家権力を掌握する。国家権力が個人、社会的部族、社会的階級、社会的グループに集中されていれば専制国家である。日本は主権在民で国民(居住者)の意志が国家権力の源である。手続きを踏んで統治権者を替える事ができる。 心は、対人関係の側面から言えば殺意から自己犠牲までのとてつもない幅広い葛藤の中で自分なりに模索することである。 愛は、言葉ではなく日常生活の一日一日の時間の流れの中に見出すべきである。 言葉では表現できなくても自分の気持ちは定まるのではないか。 |
▼牛の5さん: こんばんは。レスありがとうございます。 >愛国心とはなんぞや。しげちよさん教えてください。 人にお教えするようなものではありませんが,わたしの考えを書かせえていただきます。 >わたしにも愛するものはいくつかあります。でもとても人さまには申せませぬ。まして涵養したり、教育などもってのほか。あなたに愛米心や愛独心はたまた愛仏心はおありでしょうか。 愛仏心とお書きですが,仏教では四恩ということを申します。 まず,父母の恩,師匠の恩,そして国恩です。 父母の恩はかけがえのないものです。最近は無条件にいえないのかもしれませんが,底知れぬ愛があるのですね。わたしも受けたし,渡しております。 師匠の恩とは,仏教上は僧侶になるのでしょうが,広く捕らえると影響を受けた学校の先生だったり,近所のおっちゃんだったり,あるいは著作者だったりと。 自分の生き方に影響を与えた人です。 国の恩とは,とにかく自分の活動の場を与えてくれた世界への恩でしょうね。国から迫害を受ける場合もあるのに,それにしても国には恩があるというのです。深い部分はよくわかりませんけどね。 >愛日本心はあるのですね。わたしは愛他国心がないように愛自国心もありません。 それはかわいそうですね。何にしても先祖から考えて,何代もこの国で生まれ死に,生活の場をとにもかくにも与えてくれたものには恩を感じます。 王権やそのときの政権に特定して感じるのではないのです。そういう歴史の上に築かれたこの日本。そこで生まれた自分。周囲の人々。そういう因果関係の上で,とにかく暮らしている。その日本というものに対して,自分が何か返したいと思うのです。 これは,自分が感じたことで,これを人に押し付けようとは思いません。 ただ,自分が日本に生まれてそれを誇りに思えないとしたら,日本をよくしようとする意欲も生まれないだろうし,自分もアイデンティティを失い,主張の波の中で漂流するのではないか,結局自分の利益しか考えられない人間になるのではないかと感じるのです。 これからの若い日本人が,日本を建国していこうという思いに立たないで,国が維持できるのでしょうか。 >もしどうしても涵養が必須ならば日本国憲法と国連憲章の素読を国民の義務にすれば如何。 涵養と書いたのは,流水さんの言葉を引用しただけです。 (愛国心を涵養してから軍国主義にもっていくというような表現から) 日本国憲法と国連憲章の間には,日本人が超えることができていない大きな溝があります。それなのに,国連の加盟国になっていることを何も矛盾を感じない人がいること,それが信じられない思いです。 また,日米安保条約を憲法上から批判する論調があまりないことにも不思議な思いです。 |
▼しげちよさん: ●認められないなら,認められるまで教育委員会と戦うのが当然でしょう。 >それもしないで,あきらめている姿勢はどうかと思います。 > >>校長など管理職は教育委員会の任命なのですから、抵抗できるわけがないのです。 > >抵抗できないことはないと思います。新しいものを切り開いてきた人たちは,そういう狭いところをこじ開けてきたのではないでしょうか。 >本当にそう思うのであれば,教育委員会であろうと政府であろうと戦うべきでしょう。ただし,当然合法的・常識的にですけど。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 戦っている人はたくさんいますよ。しかし、現在東京などでは職を追われるような事態に追い込まれている人もたくさんいるのです。 抵抗するとは、自分の職をかける覚悟がいるのです。自分を高みにおいて、この不況の世の中で、そういうことを平気で言い放つ冷酷な人間が語る【愛国心】とは何でしょうかね。 > ●愛国心を涵養するだけでよろしいではないですか。何も軍国主義に進まなくても。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これぞ、ファッシズムの露払いの言葉です。どうやったらそれが可能なのですか。 きちんと具体的に語ってみなさいよ。 あなたが歴史をどのように乗り越えれているのか、皆で検証してあげましょう。 > ●もし日本の行く末,日本人の行く末を心配してそういうことをおっしゃっておられるのならば,あなたも立派な愛国者ですよ。 >愛国っていうのは,畢竟そういうことでしょう? >何をすぐに軍国主義に結びつけるのですか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まるで、軍国主義と結びつけたことが悪いようなことをいう。まるで、わたしが勝手に結びつけたようなことをいう。これもあなたの常套手段のデマゴギー。 愛国主義と結びついた軍国主義というのは、歴史の事実でしょう。それを考えるのは当たり前でしょうが。 >「羹に懲りて膾を吹く」ということでしょうが,国を愛せない人間が満ちた国というのは,どんな国になるか,ということを考えれば,わかるでしょうに。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 国を愛せない人間が増えたら、【あなた自身はどう困るのですか】。さぞかし、お困りなのでしょうから、具体的に詳細に語ってください。 |
▼流水さん:横レス失礼します。 >愛国主義と結びついた軍国主義というのは、歴史の事実でしょう。それを考えるのは当たり前でしょうが。 愛国主義と書くからおかしくなるのです。 それは当たり前でもあり、当たり前ではないのです。 歴史から学ぶことは必要ですが、愛国心を否定し、自分勝手主義に陥ってはなりません。 この日本が好きで、この日本ををより良くしようと考えるのは素晴らしいことです。そのような心を促して悪い筈がありません。むしろ必要なことです。 愛国心の「心」を「主義」と書かれるとニュアンスが変わり、意味も変わってきますね。国を愛する主義っておかしいです。 やっぱり愛国主義より、愛国心が良い。 >国を愛せない人間が増えたら、【あなた自身はどう困るのですか】。さぞかし、お困りなのでしょうから、具体的に詳細に語ってください。 困りますね。日本を愛せない人間が為政者では、日本の将来を託すことはできない。日本の経済が破綻すれば直接打撃を被るのはわれわれ国民です。 流水さんが、こうして書き込みをされるのも、国を想われてではありませんか? それは立派な愛国心の表れであると思いますが・・・。 |
▼流水さん: だんだん言葉が悪くなって話もぼやけてきているようですよ。 アレが悪いこれが悪いと剣を突き立てるような攻撃的な話は掲示板を騒がしくするだけです。 処分の対象にならないうちに収束させましょう。 |