Page 2485 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/4(金) 14:52 ┣Re(1):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 北の老兵 05/3/4(金) 15:00 ┃ ┣Re(2):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/4(金) 15:17 ┃ ┃ ┣Re(3):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/4(金) 15:23 ┃ ┃ ┣Re(3):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/4(金) 15:27 ┃ ┃ ┃ ┣警告>告天子さん 管理スタッフ 05/3/5(土) 12:11 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 沈黙の初夏 05/3/6(日) 23:51 ┃ ┃ ┃ ┣Re(5):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/7(月) 0:08 ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か沈黙の初夏さん 2 k.satou 05/3/7(月) 13:32 ┃ ┃ ┗Re(3):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 青春の詩、兼 yama1481_00 05/3/4(金) 17:39 ┃ ┃ ┣Re(4):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/4(金) 19:00 ┃ ┃ ┗Re(4):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/4(金) 19:07 ┃ ┗Re(2):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 珍 源斎 05/3/5(土) 10:48 ┃ ┣Re(3):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/5(土) 11:33 ┃ ┃ ┗Re(4):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/5(土) 11:52 ┃ ┗Re(3):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 北の老兵 05/3/5(土) 14:29 ┃ ┗Re(4):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/5(土) 23:14 ┃ ┗Re(5):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/5(土) 23:18 ┣戦後教育は片手落ち 風谷 米造 05/3/4(金) 20:17 ┃ ┣Re(1):戦後教育は片手落ち 相良唯夫 05/3/4(金) 23:01 ┃ ┗夏目漱石と個人主義について Ray 05/3/5(土) 14:00 ┃ ┣Re(1):夏目漱石と個人主義について 流水 05/3/5(土) 15:12 ┃ ┃ ┗廃仏毀釈 風谷 米造 05/3/5(土) 23:49 ┃ ┃ ┗Re(1):廃仏毀釈 珠 05/3/6(日) 0:56 ┃ ┃ ┣Re(2):廃仏毀釈 告天子 05/3/6(日) 12:39 ┃ ┃ ┗廃仏毀釈 風谷 米造 05/3/6(日) 20:12 ┃ ┃ ┗Re(1):廃仏毀釈 珠 05/3/6(日) 23:07 ┃ ┃ ┗Re(2):廃仏毀釈 告天子 05/3/6(日) 23:16 ┃ ┃ ┗Re(3):廃仏毀釈 告天子 05/3/6(日) 23:21 ┃ ┣Re(1):夏目漱石と個人主義について 風谷 米造 05/3/5(土) 21:24 ┃ ┗個人主義,全体主義 真人間 05/3/7(月) 17:00 ┣歴史継承否定の弊害 相良唯夫 05/3/4(金) 22:06 ┃ ┣憲法と教育を変えれば家庭円満・犯罪撲滅となるのか。 MNG 05/3/4(金) 23:46 ┃ ┃ ┣Re(1):憲法と教育を変えれば家庭円満・犯罪撲滅となるのか。 告天子 05/3/4(金) 23:59 ┃ ┃ ┃ ┗戦前の諸制度破壊と『堤義明』は戦前生まれで経済犯罪との関係は如何に 青春の詩、兼 yama1481_00 05/3/5(土) 21:01 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):戦前の諸制度破壊と『堤義明』は戦前生まれで経済犯罪との関係は如何に 告天子 05/3/5(土) 22:39 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):戦前の諸制度破壊と『堤義明』は戦前生まれで経済犯罪との関係は如何に 青春の詩、兼 yama1481_00 05/3/5(土) 23:23 ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):戦前の諸制度破壊と『堤義明』は戦前生まれで経済犯罪との関係は如何に 告天子 05/3/5(土) 23:35 ┃ ┃ ┗Re(1):憲法と教育を変えれば家庭円満・犯罪撲滅となるのか。 相良唯夫 05/3/5(土) 0:51 ┃ ┃ ┗Re(2):憲法と教育を変えれば家庭円満・犯罪撲滅となるのか。 MNG 05/3/5(土) 19:47 ┃ ┃ ┗Re(3):憲法と教育を変えれば家庭円満・犯罪撲滅となるのか。 相良唯夫 05/3/5(土) 20:56 ┃ ┃ ┗Re(4):憲法と教育を変えれば家庭円満・犯罪撲滅となるのか。 MNG 05/3/7(月) 18:07 ┃ ┗Re(1):歴史継承否定の弊害 告天子 05/3/5(土) 0:22 ┗Re(1):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 イワオ 05/3/5(土) 2:27 ┣Re(2):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 松 05/3/5(土) 7:29 ┃ ┣道徳の荒廃 しげちよ 05/3/5(土) 12:06 ┃ ┗Re(3):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 イワオ 05/3/5(土) 14:17 ┣Re(2):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 遍巳亭 05/3/5(土) 8:52 ┗Re(2):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/5(土) 11:19 ┗Re(3):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 イワオ 05/3/6(日) 1:05 ┗Re(4):家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 告天子 05/3/6(日) 1:38 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 家庭崩壊の原因は憲法と戦後教育か 2 ■名前 : 告天子 ■日付 : 05/3/4(金) 14:52 -------------------------------------------------------------------------
前スレッドの続きを立てさせていただきます。 家庭崩壊の原因が、直接に「憲法と戦後教育」である、という具合に因果関係で結ぶことは出来ないでしょう。しかし、「関係がない」とも言えない。 日本国憲法や、戦後教育に欺瞞が「全くなかった」かの如き意見は、無反省のそしりを逃れられないでしょう、国家の最高法規が「欺瞞に満ちている」のであれば、それを正していくのが国民の正しい道です。 |
告天子さん >日本国憲法や、戦後教育に欺瞞が「全くなかった」かの如き意見は、無反省のそしりを逃れられないでしょう、国家の最高法規が「欺瞞に満ちている」のであれば、それを正していくのが国民の正しい道です。 日本国憲法と戦後教育の、どの部分に欺瞞があるのか具体的に教えて下さい。 |
▼北の老兵さん: >告天子さん > >>日本国憲法や、戦後教育に欺瞞が「全くなかった」かの如き意見は、無反省のそしりを逃れられないでしょう、国家の最高法規が「欺瞞に満ちている」のであれば、それを正していくのが国民の正しい道です。 > >日本国憲法と戦後教育の、どの部分に欺瞞があるのか具体的に教えて下さい。 日本国憲法については、前文の世界観がおかしいと思います。それから、成立過程も問題があるし、ヤルタ協定など、日本が敗北するに至った過程にも国際法違反がたくさんあります。 日本国政府は、連合国の国際法違反・・・捕虜虐待・虐殺や、原爆投下、大空襲による一般市民の殺戮、満州での日本人虐殺、そうしたことについて公的には全く連合国側に非難をせず、逆に謝り方にばかり懸命になる始末です。日本国憲法というのは、そういう「連合国秩序」が絶対正しい、という欺瞞の上にあるものです。 個々の条文では、政教分離規定など、天皇を頂く日本国に於いてはもう少し吟味が必要なところがあるかと思います。 戦後教育は、戦前の日本帝国の「存在自体」に対して否定的であり、中立的であるとは思えません。文部省・体制側は、親米的体制でこれにも不満ですが、「戦後教育」に積極的価値を主張する側では、ソ連の共産主義的な人間観・社会観を前提にしていると思われ、国民と天皇との関係について破壊的である点、どちらも同じです。 |
▼告天子さん: >▼北の老兵さん: >>告天子さん >> >>>日本国憲法や、戦後教育に欺瞞が「全くなかった」かの如き意見は、無反省のそしりを逃れられないでしょう、国家の最高法規が「欺瞞に満ちている」のであれば、それを正していくのが国民の正しい道です。 >> >>日本国憲法と戦後教育の、どの部分に欺瞞があるのか具体的に教えて下さい。 特に、最近の教育については、「加害者としての日本」を教えるのには過度に熱心ですが、「被害者としての日本」については、全く教えようとしません。 いや、「日本帝国に、日本臣民が被害を受けていたのだ」、ということは教えているように思いますが、そうではなく、たとえば中国の排日運動や日本人虐殺の背景には、英米勢力があったのだとか、・・・政治が絡むので教えづらいとは思いますが、ソ連の謀略にしても、教えないわけでしょう。 そういう歴史の現実を教えないで、原理主義的な「人権教育」みたいなことばかりに熱心になり、「国家に要求するばかりの人民」に育てるようでは、これはいかんと思います。戦後教育が「全部悪い」とはいいませんが、バランスを失しているのではないかと思います。また、基本的に教育に限らず、社会全体が、戦前日本を「暗黒の日本」として、ふたをして、見えないようにしていたと思いますね。 |
▼告天子さん: >▼北の老兵さん: >>告天子さん >> >>>日本国憲法や、戦後教育に欺瞞が「全くなかった」かの如き意見は、無反省のそしりを逃れられないでしょう、国家の最高法規が「欺瞞に満ちている」のであれば、それを正していくのが国民の正しい道です。 >> >>日本国憲法と戦後教育の、どの部分に欺瞞があるのか具体的に教えて下さい。 > >日本国憲法については、前文の世界観がおかしいと思います。それから、成立過程も問題があるし、ヤルタ協定など、日本が敗北するに至った過程にも国際法違反がたくさんあります。 ヤルタ協定、ポツダム宣言の「歴史観」が、日本国憲法のバックボーンになっているわけですが、これは日本人の見た歴史じゃないでしょう。 英米、ソ、そして中国、これらの諸国の思惑と、政治宣伝と、自己正当化と、謀略。これ、信じるわけですか?。 信じる必要はないと思いますがね。 そういう嘘っぱちが、国憲として、でんとあるわけだから、これは欺瞞じゃないか、ということですし、要するに戦後の後始末が全然ついていないわけでしょう。 |
▼告天子さん(44753・44762ほか): Ray@スタッフです。 これらの書き込みは、 >そりゃあ、分からないでしょう。分かってしまえば、流水さんのお説は危うくなるのですから。 等の表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 2. 差別、誹謗中傷、侮蔑、罵倒、脅迫または他者を傷つける恐れのある表現は禁止 の「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」および 「侮蔑または他者を傷つける恐れのある表現」に、 また、書き込みの趣旨が 7. この掲示板の設置目的から著しく逸脱した書き込み、または無関係なサイト等の宣伝、勧誘は禁止 の「掲示板の設置目的から著しく逸脱した書き込み」 に該当する可能性が高いものですので警告いたします。 同様の書き込みが繰り返される場合には 掲示板のルールを遵守する意志がないものとして 削除・書き込み制限措置の対象と見なします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
よくまぁ短時間に連続投稿できるものだ。 しかも自分自身の発言への投稿。 ひどいときには2〜3分のインターバル。 思いつきだけで言葉を吐き出してるのがみえみえだ。 でなくば、 どこか他人の借り物の言葉を撒き散らすだけ。 ただでさえ50スレッドの制限があるというのに 恥ずかしくないのだろうか。 自身の投稿ならいったん削除して編集しなおせばよいではないか。 アホウが。 右翼街宣車の騒音。 ネット国粋趣味者も同類にしか見えん。 低脳につける薬は無いとはよく言ったものだ。 |
ああ、どうも、沈黙の初夏さん、お元気でしたか? 私も至らぬところばかりの書き込みで、出来るだけ悪いところは改めていきたいと思いますので、またよろしくお願いしますよ。 沈黙の初夏さんの書き込みを読むと、あまりに正直なので、却って爽快な気がしますね。 |
▼沈黙の初夏さん: はじめまして とらわれた目でものを見てはいけない。 と 右目・左目といろいろ変えてるんですが 糖尿からきた緑内障でどうしても 最近片目がちなんです。 別にウインクなんかしてるわけではありません。 初夏まではすこし時間がありそうなんですが 憲法改悪までは まだまにあうのか? 大丈夫なのか? なんて ドキドキしてあせってるもので・・・・・ ついつい ごめんなさい。 あんまり 怒んないでくださいね! 私のことだよね? 怒ってんのは? >よくまぁ短時間に連続投稿できるものだ。 >しかも自分自身の発言への投稿。 >ひどいときには2〜3分のインターバル。 > >思いつきだけで言葉を吐き出してるのがみえみえだ。 >でなくば、 >どこか他人の借り物の言葉を撒き散らすだけ。 > >ただでさえ50スレッドの制限があるというのに >恥ずかしくないのだろうか。 > >自身の投稿ならいったん削除して編集しなおせばよいではないか。 >アホウが。 > >右翼街宣車の騒音。 >ネット国粋趣味者も同類にしか見えん。 > >低脳につける薬は無いとはよく言ったものだ。 |
告天子さん 貴方の発言する一環の流れは、日本の敗戦を認めない頑固派で敗軍の将は語らずでなく、負け犬の遠吠えのようなものですね。 若し負け戦のドサクサニ於いて天皇の人間宣言も認めず徹底抗戦をすれば、連合国側は神と崇める神聖天皇の頭に第三第四の原爆を皇居の真下に直撃して投下したらどうしますか!。 また、重光外務大臣が全権として日本降伏の降伏調印式、戦艦ミズリー艦上、日本側重光外務大臣降伏文書に調印(1945.9.2)とかサンフランシスコ講和条約は否定をするのですかお聞きしたい!。 |
▼青春の詩、兼 yama1481_00さん: >告天子さん >貴方の発言する一環の流れは、日本の敗戦を認めない頑固派で敗軍の将は語らずでなく、負け犬の遠吠えのようなものですね。 いえ、日本は負けましたから。それから、私は別段敗軍の将ではなく、敗戦国民の一人として発言しているんですよ。 >若し負け戦のドサクサニ於いて天皇の人間宣言も認めず徹底抗戦をすれば、連合国側は神と崇める神聖天皇の頭に第三第四の原爆を皇居の真下に直撃して投下したらどうしますか!。 第三発目を準備するのには、少なくとも半年が必要だったらしいです。日本側は当然ながら、この情報は知らなかったわけですが・・・。 徹底抗戦を続けていたら、おそらくポツダム宣言受諾、の形ではなく、もっと別の敗戦の形となっていたでしょう。米国での厭戦気分の蔓延も相当なものでしたし。日本側の要求が一切拒否されたような形での「無条件降伏」ではない敗戦も、あり得たと思いますね。 >また、重光外務大臣が全権として日本降伏の降伏調印式、戦艦ミズリー艦上、日本側重光外務大臣降伏文書に調印(1945.9.2)とかサンフランシスコ講和条約は否定をするのですかお聞きしたい!。 ですから、日本は負けていないとか言っているのではないのですが・・・。 否定されるべきは、東京裁判であるとか、日本国憲法及びその体制の「盲信的な肯定」です。 いわゆる右翼的な文脈での、日本を軍国の昔に戻したい、みたいなつもりで書いているのではないです。どちらかというと、「日本を戦争の出来る国にしてはならない」、みたいなスローガンでは、こりゃダメだ、と思うので書いているんですが・・・。 そういう、デタラメな改憲反対だと、結果的に戦前よりなお悪い体制に至るのではないか、という気持ちでいますもので。 |
▼青春の詩、兼 yama1481_00さん: >告天子さん >貴方の発言する一環の流れは、日本の敗戦を認めない頑固派で敗軍の将は語らずでなく、負け犬の遠吠えのようなものですね。 >若し負け戦のドサクサニ於いて天皇の人間宣言も認めず徹底抗戦をすれば、連合国側は神と崇める神聖天皇の頭に第三第四の原爆を皇居の真下に直撃して投下したらどうしますか!。 >また、重光外務大臣が全権として日本降伏の降伏調印式、戦艦ミズリー艦上、日本側重光外務大臣降伏文書に調印(1945.9.2)とかサンフランシスコ講和条約は否定をするのですかお聞きしたい!。 日本の、国体の維持。領土保全。この日本の要求を容れていた方が、余程世界は平和だったでしょう。朝鮮の分断もなかった、中国の革命もあんな熾烈なものにはならなかったかもしれない、アメリカにしてもしなくて済んだ戦争はたくさんあったでしょう、人類の不幸は大幅に減っていたのではないかと。 米英の考える世界秩序、ソビエト共産主義の唱える人間観・社会観、これが人類にもたらした不幸は計り知れないものがある。日本はこんな奴らの愚かしい発想からは自由であるべきですね。 |
北の老兵さん: 横レスをお許し下さい。 日本国憲法に欺瞞が満ちてる・との見解には違和感を覚えます。 日本国の現在の憲法には「親心にも喩えられる慈愛に満ちた」ものであると 思います。「不戦の誓いに通じ」「基本的人権」についての意図する処は その基本の基ではないでしょうか・。 例え占領軍、軍政によって出来上がった憲法にしても第二次大戦後の 戦争のもたらした不幸、取り分け日本人「日本国民」が被った不幸に 対する配慮もあったのではないかと思います。 人類の理想の姿を現してるように感じてます。その憲法が日本国民への 恩恵としては敗戦以来、日本人が戦場に駆り出されること無く60年も 来られたことは日本国民への安堵を「もたらし」加えて前の戦争で不幸を 与えた近隣諸国への安堵にも通じてるのではないでしょうか・。 更に軍事費の巨額な負担により国民生活を圧迫されることなく・ 来られた諸々の恩恵は正に現憲法の有してる親心であるように思われます。 もし現憲法について異を唱える人があるとしたら・ 俗に言われる「親の心・子知らず」の親不孝の謗りは免れません。 世の中が悪くなったのは憲法のせいでは無く、親の心を理解、 斟酌出来ない自己中心的で不心得な親不孝的所行のなせる業で憲法の 欠陥ではないはずです。 > >>日本国憲法や、戦後教育に欺瞞が「全くなかった」かの如き意見は、無反省のそしりを逃れられないでしょう、国家の最高法規が「欺瞞に満ちている」のであれば、それを正していくのが国民の正しい道です。 > >日本国憲法と戦後教育の、どの部分に欺瞞があるのか具体的に教えて下さい。 横レスになりますが憲法に欺瞞があるとの見解には承伏できませんので 思わず・投稿に及んだ次第です・・。 |
▼珍 源斎さん: >北の老兵さん: >横レスをお許し下さい。 こんにちは。 > >日本国憲法に欺瞞が満ちてる・との見解には違和感を覚えます。 >日本国の現在の憲法には「親心にも喩えられる慈愛に満ちた」ものであると >思います。 アメリカは親ではありません。 >「不戦の誓いに通じ」「基本的人権」についての意図する処は >その基本の基ではないでしょうか・。 不戦の誓いと基本的人権については、私は何も言っていません。九条関係については、基本的に発言していませんし、基本的人権についても、むしろ促進すべきという意見ですが・・・。 >例え占領軍、軍政によって出来上がった憲法にしても第二次大戦後の >戦争のもたらした不幸、取り分け日本人「日本国民」が被った不幸に >対する配慮もあったのではないかと思います。 これは、思い入れの問題だと思うし、「そんな配慮などない」と言っても水掛け論ですので、特に無意見です。 >人類の理想の姿を現してるように感じてます。 しかし、日本人の理想ではありません。また、現実的な理想でもありません。真に人類の理想に高めるべき努力はすべきだと思います。 >その憲法が日本国民への >恩恵としては敗戦以来、日本人が戦場に駆り出されること無く60年も >来られたことは日本国民への安堵を「もたらし」加えて前の戦争で不幸を >与えた近隣諸国への安堵にも通じてるのではないでしょうか・。 近隣諸国は思想の暴力、内乱、国家犯罪に苦しんでいます。一国平和の脳天気な憲法で、「安堵」しているのは暴虐の権力者、ということはないでしょうか。 >更に軍事費の巨額な負担により国民生活を圧迫されることなく・ >来られた諸々の恩恵は正に現憲法の有してる親心であるように思われます。 そのつけを米軍に負わせているのですから、日本人はずるいとも言えるし、また、結局その負い目でアメリカの暴力に対して口答えも出来ないわけで、どうもあまり上等ではない「親心」だと思います。 >もし現憲法について異を唱える人があるとしたら・ >俗に言われる「親の心・子知らず」の親不孝の謗りは免れません。 親に足りないところがあれば、それを補うのが子のつとめです。親孝行は盲目的服従ではありません。 >世の中が悪くなったのは憲法のせいでは無く、親の心を理解、 >斟酌出来ない自己中心的で不心得な親不孝的所行のなせる業で憲法の >欠陥ではないはずです。 憲法には欠陥があります。世の中が悪くなっていることの遠因にはなっているでしょう、それはただ憲法だけではない、戦争裁判、アジア史の隠蔽、「日本否定」の精神こそが、根本的な「親不孝の所行」であって、日本人の精神の独立をむしばんでいるのかと思います。 父祖の歴史に泥を塗って、「自分たちは新憲法に従う善良の民」とし、異見を封殺するならば、・・・・・これは新憲法自体が採っている姿勢ですが・・・・・、これこそ「親不孝の薦め」そのものです。 |
▼告天子さん: >>人類の理想の姿を現してるように感じてます。 > >しかし、日本人の理想ではありません。また、現実的な理想でもありません。真に人類の理想に高めるべき努力はすべきだと思います。 銃剣を突き付けられて、「賛成、賛成」と、「言わされて出来た憲法」が、真に人類の理想の姿でしょうか。 陰湿な暴力と、底意地の悪い精神、呪わしい感情、こういう憲法を作らせて、民族ないで対立させて苦しむのを見て喜んでいるような、米国の腹黒さというのは見えても、とても「人類の理想」などとは言えません。 まあ、米人は自分たちが思ったことは「理想」だとか「普遍」だとか言うんでしょうがね。 >父祖の歴史に泥を塗って、「自分たちは新憲法に従う善良の民」とし、異見を封殺するならば、・・・・・これは新憲法自体が採っている姿勢ですが・・・・・、これこそ「親不孝の薦め」そのものです。 占領した民族に向かって、「さあ、お前たちの先祖の墓に泥を塗れ、つばを吐け」と、そういうことをやらせて喜ぶような・・・被占領国の「歴史の連続」をぶった切って、民族同士で内輪もめをさせる。 「作らせておいて」、それを「自ら作ったものです」、と相手に言わせて、こういうのって、倒錯なんじゃないんですか。 撃たざるを得ないところまで追いつめておいて、「お前が先に撃ったんだ」と、相手を滅茶苦茶に痛めつけるアメリカの西部劇流のやり方と、ほとんど似ていると思いますが。日本人の精神と言うより、アメリカ流の安っぽい偽善を見ます。 |
珍 源斎さん レス拝見しました。あなたの言うとおりです。 告天子さんがあまりにも自信ありげに、憲法と戦後教育に欺瞞があると言い切るものですから、その理由をあげて下さいとお願いしました。そうする事で皆さんの反論を期待したのです。 しかし、その理由は改憲派がいつも言う常套句で、新しい憲法解釈を聞けると思ったのに期待はずれでした。私が反論するまでもなく、皆さんが私の言いたいことを代弁してくださったので、高見の見物をしてしまいました、お許しのほどを。 私は家庭崩壊の原因を、憲法、教育に押し付ける事に、どだい無理があるという考えです。 前のスレッドで流水さんが分かりやすく解説してくれています。私も全面的に同意しております。 |
▼北の老兵さん: >告天子さんがあまりにも自信ありげに、憲法と戦後教育に欺瞞があると言い切るものですから、その理由をあげて下さいとお願いしました。そうする事で皆さんの反論を期待したのです。 反論は、あまりなかったように思いますので、北の老兵さんにお願いしたいところです。 >しかし、その理由は改憲派がいつも言う常套句で、新しい憲法解釈を聞けると思ったのに期待はずれでした。 期待はずれだった、というのは結構ですが、反論はない、ということでしょうか。 >私が反論するまでもなく、皆さんが私の言いたいことを代弁してくださったので、高見の見物をしてしまいました、お許しのほどを。 改憲派の常套句である、ということは、反論になっていません。 >私は家庭崩壊の原因を、憲法、教育に押し付ける事に、どだい無理があるという考えです。 私は、直接の原因であるとか、あるいは逆に、改憲さえすれば問題は解決するとかいう意見ではない、と既に書いています。(このスレッドの投稿一番など。) >前のスレッドで流水さんが分かりやすく解説してくれています。私も全面的に同意しております。 流水さんのご意見は、社会は複雑であるから、憲法と家庭崩壊や犯罪増加との因果関係は知り得ない、というご説明だったと思います。 MNGさんの、憲法理念を高めることで・・・、というお話には説得力を感じましたが、流水さんの不可知論的説明からすると、「法律がどうだろうと、社会の現実との因果関係は証明不能である」というだけの話で、現憲法が積極的に国民道徳に貢献していることの説明には全くなっていません。 むしろ、現憲法を正当化するあまり、過去の事実も見ずにふたをしてしまう、憲法さえ守っていればいいのだという安易な姿勢に私は反対しているのであり、現憲法をよしとする体制が圧殺している歴史・・・について書いたところ、それへの反論は全くなし。北の老兵さんからも、「改憲派の常套句だ」という台詞を聞いただけで、これ自体は、全く説得力ある反論とはなっていません。 ごまかしや嘘が横行するような社会では、道徳も何もないでしょう。現憲法について、その暗黒部を正視することなくして、何の道徳か、という話ですよ、私がしているのは。成立過程や、占領憲法として違法的性格があることなど、現憲法の暗黒を「なかったことにする」こと自体が、ひどく「不道徳な」話ですよ。 |
▼告天子さん: >▼北の老兵さん: 法律だけよくても、厳しい正義、善への意志というものがなければ、法律など紙切れ同然の空念仏です。 別スレッドの、もの申すさんの司法に対する厳しい意見など、これこそ真に「人権」の問題とすべきことが、まったくレスも付かず流れてしまう、私はそういう傾向から主張されるところの「憲法礼賛」に、非常な疑問を感じているのです。また、人権、人権と言うけれども、本当に人権が大事だと思っているのか、と。本当に道徳を築かねばならないと、思っているのか、と。 |
戦後民主主義が立脚しているのは人命尊重のヒューマニズムである。 その人命とは肉体における生であり、魂や精神の生死ではない。 憲法もしかり、肉体の安全は保障するが、魂の安全は保障しない。 滅私奉公と言えば、日本軍国主義の標語であったが、漱石は則天去私と言った。 聖徳太子は背私向公、「私に背き公に向うは是れ臣の道なり」と言っておられた。 近代的な自我主義に立てば私を滅すとは暴言と響くやもしれない。 しかし、漱石も聖徳太子も「私」なるものを悪しきものとしている。 戦争中の滅私奉公の生ま殺しの反動は、この「私」が徒党を組んで集合団結しすべて旧来の国家至上主義が人間の「生」の自由を妨げるものとしてはげしく戦いを挑んできた。 その結果、「公に背き私に向う」ことが正義であると受け取られた。 それが戦後民主主義の根本理念となって各種運動活動の指導原理となった。 かって西郷が「私を先するのはよからぬ事の第一なり」とさとされたが、その「私」を否定することがよからぬ事の第一となって逆転した。 この「私」に思いっきた活躍をなさしめ「私」の自由を妨げ、弾圧する国家とか道徳、または法律制度こそはよからぬものの第一であって、これをぶちこわすこと、つまり「私」を抑圧する体制をまず破壊することが、第一の正義行動であり、この「私」を去ったり、殺したり、背いたりすることをすすめる宗教や道徳ことごとく旧体制の救うべからざる障害残存意識であり、新しい教育とはそれを一変させて各自の「私」の生活をまもりとおすことであると、我々は教え込まれてきた。 「私」とか「個人」とか「自我」の高まりにより、その「生活欲望」も高まり、それが近代文化の中心となりそれは限りない欲望の発展を助長し「豊かさ」を手に入れるに至った。 それはそれで、いいとしよう。 ここで欲望を否定する気もない。 欲望には生理的なものから立身出世の名誉欲望もある。 これらのいずれをも否定はしない。 しかし、欲望には更に上があるのを忘れてはならない。 「道義欲望」である。この実現のためには、生理欲望も、名誉欲望も捨てることしばしばである。 すなわち「私」ということを主体として「公」をないがしろにして「私欲」すなわち生理、名誉欲にとらわれたことに気がつくや、ただちにそれを弊履のごとく捨てる「勇気」がある。 志士仁人たるの仁道欲望でもある。 肉体の死ぬことばかりを恐れている人間で日本が占められなら無事安泰である。 しかし、そこに魂や精神の死を恨むことなくしては、生の価値も如何ほどのものであろうか。 私欲を超越したところによる「道義欲望」を蔑ろにして、人命尊重とは片手落ちである。 |
▼風谷 米造さん: こんばんは、素晴らしいお教え、ありがとうございます。 >戦後民主主義が立脚しているのは人命尊重のヒューマニズムである。 >その人命とは肉体における生であり、魂や精神の生死ではない。 >憲法もしかり、肉体の安全は保障するが、魂の安全は保障しない。 > >滅私奉公と言えば、日本軍国主義の標語であったが、漱石は則天去私と言った。 >聖徳太子は背私向公、「私に背き公に向うは是れ臣の道なり」と言っておられた。 > >近代的な自我主義に立てば私を滅すとは暴言と響くやもしれない。 >しかし、漱石も聖徳太子も「私」なるものを悪しきものとしている。 「則天去私」「背私向公」いい言葉ですね。 われ木鶏にいたらずです。 |
▼風谷 米造さん(44782): Rayです。 漱石のファンとして一点だけ反論します。 漱石は『私の個人主義』という題で講演しており、その中で、 ---- 「近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似を しても構わないという符徴(ふちょう)に使うようですが、 その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。 彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、 他人の自我に至っては毫も認めていないのです。 いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、 自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、 その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。 我々は他が自己の幸福のために、己(おの)れの個性を勝手に発展するのを、 相当の理由なくして妨害(ぼうがい)してはならないのであります。」 「個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、 その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を 及(およ)ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、 僕(ぼく)は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、 自分でも把持(はじ)し、他人にも附与(ふよ)しなくては なるまいかと考えられます。 それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。」 「だから個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、 けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも 何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に 自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、 立派な主義だろうと私は考えているのです。 もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。 朋党(ほうとう)を結び団隊を作って、権力や金力のために 盲動(もうどう)しないという事なのです。」 ---- と述べ、さらに 「それからもう一つ誤解を防ぐために一言しておきたい」 と断わって ---- 「何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、 それを打ち壊すように取られますが、そんな理窟(りくつ)の 立たない漫然(まんぜん)としたものではないのです。 (中略) ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ 立ち行かないように云いふらしまたそう考えています。 しかも個人主義なるものを蹂躙(じゅうりん)しなければ 国家が亡(ほろ)びるような事を唱道するものも少なくはありません。 けれどもそんな馬鹿気たはずはけっしてありようがないのです。 事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、 同時にまた個人主義でもあるのであります。」 ---- と続けています。 その後、 ---- 「国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云って あたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。 常住坐臥(じょうじゅうざが)国家の事以外を考えてならない という人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を 考えている人は事実あり得ない。」 「国が強く戦争の憂(うれい)が少なく、そうして他から 犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、 その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは 理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。」 「国家の平穏(へいおん)な時には、徳義心の高い個人主義に やはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。」 ---- ともつけ加えていますから、「則天去私」の一語を理由に >漱石も聖徳太子も「私」なるものを悪しきものとしている。 となさっている風谷さんのご意見は 「則天去私」という語を曲解したものであるように私には思えます。 #引用はすべて青空文庫所収の『私の個人主義』 (底本はちくま日本文学全集 夏目漱石』筑摩書房による)から (読みやすくするため、Rayが適宜改行を入れました)。# |
▼Rayさん: >●「国が強く戦争の憂(うれい)が少なく、そうして他から > 犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、 > その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは > 理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。」 > >「国家の平穏(へいおん)な時には、徳義心の高い個人主義に > やはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。」 >---- >ともつけ加えていますから、「則天去私」の一語を理由に >>漱石も聖徳太子も「私」なるものを悪しきものとしている。 >となさっている風谷さんのご意見は >「則天去私」という語を曲解したものであるように私には思えます。 > ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Rayさん、こんにちは お説の通り、漱石の個人主義を【則天去私】の一言で概括するのは、無理があります。 漱石が30前、鎌倉の円覚寺(臨済宗の古刹)に参堂したことはご存知だと思いますが、その時漱石は神経衰弱(今でいうノイローゼ)気味だったことはよく知られています。彼は、毎日黙々と座禅を組んでいたそうです。 わたしが理解した限りでは、漱石という人物は、強すぎる自我と周囲との調和に一生悩み続けた人だと思います。 彼がロンドン留学中、下宿の部屋から一歩も出なかった話も有名ですが。家では家人の寝息さえ勘にさわった神経質な人だったとも言われています。 これはどう見ても漱石の病的な神経病的気質をうかがわせる挿話です。しかし、漱石の凄さは、それを日本の近代の病にまで昇華したところにあります。 明治維新政府の【和魂洋才】政策は、日本の近代化を促進させた政策であったのですが、日本の過去を切り捨てる政策でもありました。例えば、狂ったような廃仏毀釈運動は、多くの寺から国宝級の仏像などを流出させました。日本文化の再評価は、フェノロサなどの外国人の手によらねばなりませんでした。彼ら外国人の手によって日本の仏像などが再評価されたのですが、同時に多くの文化遺産(例えば、浮世絵など)が外国に流出したのです。(※フェノロサの言によれば、そうして保護しないと貴重な文化遺産が消失する危険性があったのです) この中で明治の一級の知識人たちは、自らのアイデンテイテイを探し続けたのだと思います。圧倒的な西欧の物質文明の浸透の中で、自我とは何か、日本人とは何かを必死で考え続けたのだと思います。彼がロンドン留学中に下宿から出なかったのもその意識の現われでもあったのだと考えられます。 この漱石の悩みは、鴎外の悩み(舞姫など)でもあったし、島崎藤村の悩みでもあり、近代文学すべての悩みでもあったのです。 わたしは、【則天去私】という言葉には、一生をかけてのた打ち回った漱石の苦しみが込められていると考えています。 滅私奉公などという封建支配のスローガンなどと同列に論じられるものではないと思います。 |
▼流水殿: >明治維新政府の【和魂洋才】政策は、日本の近代化を促進させた政策であったのですが、日本の過去を切り捨てる政策でもありました。例えば、狂ったような廃仏毀釈運動は、多くの寺から国宝級の仏像などを流出させました。 うっかり見過ごしていたが、その書き方は誤解であろう。 明治政府が近代化を急ぐあまりの失敗は色々とあったのは事実であると考える。 だが、その中で、廃仏毀釈は神仏分離令がきっかけとはなったものの、これは庶民の仏教への攻撃である。 政府が直接、廃仏せよと令を出したわけではない。 江戸幕府の保護で堕落していった寺院は、時代半ばから民衆の不満が大きくなっていたことにもよるのである。 相当激しい破壊活動で政府は運動の行き過ぎを禁止する通達も出したほどである。 全国の寺院の約半数がこの時廃寺となったという説もある。 なんとも悲惨で嘆かわしい出来事ではあった。 廃仏毀釈の治まった明治10年代には、仏教界にも反省が行われ仏典研究を重んじ民衆を教化していこうとし、それはそれでまた、民衆の心のささえとなったのである。 過去を切り捨てるというが、悪い伝統は残すべきものではない。 しかし、伝統本来が悪しきものではない。 悪を取り除き、新たに良くし、伝統を子孫に残す事こそ大切なことである。 その際、悪を取り除くには痛みも伴うものである。 |
▼風谷 米造さん: >だが、その中で、廃仏毀釈は神仏分離令がきっかけとはなったものの、これは庶民の仏教への攻撃である。 >政府が直接、廃仏せよと令を出したわけではない。 明治政府は通達を出しています。とりあえず下記をご覧下さい。庶民の仏教攻撃だけとは、到底言えないと存じます。 http://www.tabiken.com/history/doc/O/O206C100.HTM http://www.photo-make.co.jp/hm_2/ma_20.html |
▼珠さん: >▼風谷 米造さん: > >>だが、その中で、廃仏毀釈は神仏分離令がきっかけとはなったものの、これは庶民の仏教への攻撃である。 >>政府が直接、廃仏せよと令を出したわけではない。 > >明治政府は通達を出しています。とりあえず下記をご覧下さい。庶民の仏教攻撃だけとは、到底言えないと存じます。 >http://www.tabiken.com/history/doc/O/O206C100.HTM >http://www.photo-make.co.jp/hm_2/ma_20.html 明治政府の神仏分離令の通達は、江戸期に於ける神道研究の学問的成果と、中世以降の神仏混淆の実態との乖離を理解しないと、分からないものがあります。 また、明治時代には、「これからは仏教ではダメだから」と、一夜にして神社に変貌してしまった仏寺もあったそうで、「神仏分離」は今でこそ当たり前のように考えられますが、当時としては「革命的アイディア」であり、また、広く庶民に支持されたものでもあった、ということです。 それを、現代の感覚で、「政府が通達を出したのだから、政府の関わった宗教弾圧だ」みたいに考えるのは、時代感覚としてどうかと思います。 風谷さんのご説明は、筋の通った適切ものでしょう。 もし仮にこうした運動が西洋キリスト教国で行われていたとしたら、「こんな話では済まなかった」ろうし、政府が人民の運動加熱を宥めるようなこともしたものかどうか、また人民もそれを聞いたかどうか、定かではありません。 |
▼珠様: >>廃仏毀釈は神仏分離令がきっかけとはなったものの、これは庶民の仏教への攻撃である。 >>政府が直接、廃仏せよと令を出したわけではない。 > >明治政府は通達を出しています。とりあえず下記をご覧下さい。庶民の仏教攻撃だけとは、到底言えないと存じます。 >http:// >http:// HPをご覧下さい、ですか。。 以前、仕方なく、私が戦後憲法作成の経緯についてのHPの紹介だけで意見したところ、管理説明も無く投稿を抹殺されたことがありましたが、今回は管理人さんがこれをどう判断なされるのか見物です。 まぁ、それはどうでもよろしいですが、要するにあなたの言いたいことは庶民は悪くない、悪いのは国家権力だといういつもこの掲示板で見られるようなパターンということでしょうか? 私の説明は、先にレスされた告天子殿の意見とほとんど同じです。 告天子さん、ありがとうございました。 しかし、これだけでは珠様に失礼ですので、返事させていただきます。 前投稿にも書いたよう政府にも落ち度はあります。 時代が時代ですから良し悪しの判断は致しませんが、当時の政府は価値観の分裂を抱えていたとはいえ進む方向性はそう間違ったものではなかった、結構「うまくやった」と思っております。 それについては、ここでは議論はいたしませんが。 しかし、どこに政府が直接、廃仏せよとの通達を出しておると書かれてあるのでしょうか? 廃仏毀釈運動と神仏分離令を混同なさらないようお願い致します。 ところで、珠様は江戸時代後期における神仏習合の実態をご存知なのでしょうか? 平安時代に完成した神仏習合です、良い面もありましたが、これは神道の仏教化(言い過ぎか?)というべきものでした。「本地垂迹説」などその典型です。 それによって人間らしい生き方を進めてきた神道が、徐々に他力本願的な信仰形態と化し神道の実態から遠いものとなってきました。 更に、その後の紆余曲折を経て、江戸時代、幕府の過保護や寺請制度にもより仏教界は僧侶の道徳的頽廃が見られるようになりました、つまり墓地の経営や葬礼での不当な利益や修行を疎かにし遊びに現を抜かす僧侶などです。 これを知れば、その僧侶の下に置かれていた神官や庶民の寺院への不満の爆発にも同情の余地があると思われます。 勿論、その不満からの暴挙は許されるものではありません。 堕落した僧侶ばかりだったとも思えませんが、多くの民衆は本来の神仏のあり方を望んでいたのも事実です。 それがなければ、もっと酷いことになっていたのは告天子殿の指摘のとおりだと思います。 上にも書きましたように、明治政府にもこの混乱の一部責任はあるでしょう。 その後の神社合祀なども無謀で愚かな政策でした。 西洋列強を前に食うか食われるかの状況の中で、如何に国家をまとめるか試行錯誤の政策だったと思います。 が、廃仏毀釈運動は神仏分離令の直接的ではなく民衆の寺院への不満が大きな引きがねです。 ちなみに江戸時代にも廃仏毀釈運動は起こっています。 悲惨な目にあったのは仏教界です。 被害者の立場で語ればその説得力も大きいでしょう。 その悲惨な事実も否定しません。 しかし、どうしてこういう出来事が起こったのか、攻撃された寺院にもその原因はあるのです。 言っておきますが、ただただ権力は悪、庶民は正義とか、悲惨な現実に直面したものが正義、攻撃したものが悪の図式では歴史を見誤ることになりはしませんか? 近年の犯罪における加害者が被害者よりも弁護される状況と矛盾した展開ではありますが。。。 これもまた不思議ではあります。 これも、戦後民主主義のヒューマニズムなのでしょうか。 おっと、話しがずれたのか、本来に戻ったのか。。 失礼しました。 どうも、わざわざレス頂きありがとうございました。 |
▼風谷 米造さん: くわしいご説明をありがとうございました。私も政府だけとは思っていません。私の紹介したURLでも、双方からの動きが書かれたものと私は読みましたがいかがでしょうか? しかし廃仏が、行き過ぎた民衆だけの責任とは思いません。もし政府がこれを行き過ぎと感じたなら、すぐさま、その力をもって押さえられたと思います。すぐさまでなかったところに政府の意図もあったのではないでしょうか? >言っておきますが、ただただ権力は悪、庶民は正義とか、悲惨な現実に直面したものが正義、攻撃したものが悪の図式では歴史を見誤ることになりはしませんか? それはおっしゃる通りでしょう。ただし、権力側は「強い」し、「利も得やすい」ことを、いつも踏まえておく必要があると存じます。 |
▼珠さん: >▼風谷 米造さん: >くわしいご説明をありがとうございました。私も政府だけとは思っていません。私の紹介したURLでも、双方からの動きが書かれたものと私は読みましたがいかがでしょうか? しかし廃仏が、行き過ぎた民衆だけの責任とは思いません。もし政府がこれを行き過ぎと感じたなら、すぐさま、その力をもって押さえられたと思います。すぐさまでなかったところに政府の意図もあったのではないでしょうか? 横レスになりますが、明治初期の維新政府は、人民を力で押さえるほど安定した政権ではありません。状況を度外視した推測は、的外れだと思います。「現在とは状況が違う」、ということを度外視して、「政府にも責任はあった、あったはず、全くなかったとは言えない」、ということを追及するのでは、事実を知ろうとしてのことではない、政治的な「ためにする」言論になってしまいます。 >>言っておきますが、ただただ権力は悪、庶民は正義とか、悲惨な現実に直面したものが正義、攻撃したものが悪の図式では歴史を見誤ることになりはしませんか? > >それはおっしゃる通りでしょう。ただし、権力側は「強い」し、「利も得やすい」ことを、いつも踏まえておく必要があると存じます。 明治の初期に於いては、つい先日までの旧政権、しかも強力な武力を持った武士階級が在野勢力として明治新政府を睨んでいたこと。いつ新政権の基盤がひっくり返ってもおかしくない状況、それを見ないで「権力は強い」ことを踏まえるも何もありません。 それは真実を知ろうとすることではなく、イデオロギー的政治的歴史解釈です。つまり政治に過ぎません。 |
▼告天子さん: >▼珠さん: ちと、しつこい横レスになったかもしれませんが、私が一番嫌うのは、「政治で認識を曇らされること」です。 そして、歴史認識を政治の都合でごまかしたり、あったこともなかったことにしたり、ごく一部だけをクローズアップしたり・・・。そういう「政治認識」を排除しないことには、道徳も何もない。 現在の自分たちの政治の都合や、認識でもって、当時の人の・・・父祖の歴史を、勝手に作り直したり、裁いたり、見当違いの「有罪判決」を出したりする政治裁判、そういうのがベースになってしまえば、人間性の基盤が根底から危うくされるんではないかと思うんですよ。 |
▼Rayさん: >「国家の平穏(へいおん)な時には、徳義心の高い個人主義に > やはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。」 >---- >ともつけ加えていますから、「則天去私」の一語を理由に >>漱石も聖徳太子も「私」なるものを悪しきものとしている。 >となさっている風谷さんのご意見は >「則天去私」という語を曲解したものであるように私には思えます。 曲解などいたしておりません。 漱石の「個人主義」と「則天去私」の「私」は同じものではありません。 それをあなたは理解なさっておられないのですか? それとも漱石の「個人主義」は「ただの個人主義」とお考えですか? 私が前回投稿したものをよく御読みください。 「徳義心の高い個人主義」が「私」と同じになっているでしょうか? |
個人主義とは、自分が、他から干渉されたくない、自分のIDを大事にしたい、それゆえ、他の人のIDも尊重して、干渉しない。つまり、よーくみると全体主義なのである。極めて、平和的で争い事が少ない考え方だと思います。 しかし、個人主義と聞くと、其其が好き勝手な事をして、仲違いが生じて争い事に、なる様な嫌いがありますが、上に挙げているように、決して、そうではありません。 個人主義の対して、全体主義がありますが、これは、1部の人が決めた方針に従う、つまり、個人が他人に干渉される事になります。よーくみると1部の人の利己主義なのである。当然、個人の意が反すると、葛藤が起き、それが元となり争が起こり得ます。所謂、排他的な考え方だと思います。 しかし、全体主義と聞くと、皆仲良くして、争い事が無い様に思えますが、上に挙げているように、決して、そうではありません。 だから、個人主義と、全体主義を、別々にするのでは無く、個人主義が有ってこそ初めて、全体主義と成り得るのだと思います。 以上失礼致しました。 |
▼告天子さん: こんばんは、貴兄の投稿には、いつも感心し、勉強させて頂いています。 スレッドが50を超えましたので、ここでレスさせていただきます。 倫理とは、人として守らなければならない筋道をいうのであって、自然の摂理を人に当てはめたものあります。当然それは人が造り定めたものではありませんから、どんな時代になっても倫理が政治、経済、あらゆる主義思想などの基盤であります。たとえ宗教であっても、倫理から外れたものであれば、邪教と言わざるを得なく、多くの宗教も人の生き方(倫理)を教えていると思います。 前回にも書き込みしましたが、今日生じている社会問題の多くは、この無秩序な個人主義と憲法に象徴される歴史の連続性を断ち切る考え方に起因しているのではないかとと思われます。 例えば財政の悪化であります。 財務省の発表によれば昨年六月末の公的債務は729兆円にも達しています。 元号が平成に変わったばかりの頃、日本は「財政の優等生」といわれ、世界の羨望を集めていた。それが、バブル崩壊後の場当たり的な景気対策のため、国債の増発が続き財政は急速に悪化。現在、社会保険や公的年金に暗い影を落としています。 これはまさに、過去に祖先が築いてきたものを、私たちの代で食い潰して、子孫に大きな借金を残しているようなものであります。こうした問題の根底にも「世代の継承」の意識の欠落があるように思えてなりません。 深刻化する少子化問題も同様であります。 古代ローマ帝国が衰亡した原因の一つに若者の未婚化と、それにともなう少子化があったと言われているが、現状のままでは日本が同じ道をたどらないとも限らない。 フランスの思想家・モンテスキューは、その頃のローマ帝国の状態について「腐敗し始めていた習俗は公民を結婚嫌いにした」と述べていますが、日本にもその傾向がみえるからであります。結婚を個人の自由に対する拘束とみなし、出産・育児を心理的、肉体的、経済的な負担と思わせ、「結婚にこだわらない生き方」や「子どもを持たない楽しさ」などとメディアが煽り立てている現状は、かつてのローマと同様の腐敗した習俗にほかならないと思います。 確かに結婚生活においては独身時代のような自由は失われ、子どもの誕生によってますます生き方が制約されることになる。 個人の自由を追求する戦後社会の価値観を持ち続ける限り、少子化傾向は続くでしょう。それに歯止めをかけるとしたら、私たちが一世代だけで存在しているのではなく、過去の世代から受け継いだものを、次の世代に受け渡す役割を担った存在であることを自覚することである。戦後社会の価値観からの離脱、世代継承の場である家族を尊重する政策こそが最善の少子化対策であると思いますが如何でしょう。 教育勅語に対する見方がさまざまであることは大いに勉強になりました。しかし、私は現在にも通用する素晴らしい教えてあると思っています。 反対なさるならば、それに代わる、それに勝る道徳的規範を示すことが必要であると思います。 校則が緩くなり、服装や身だしなみも各自の自主性に任されたので、口ひげを蓄えた男子生徒や、ピアスをし、マニキュアを塗った女子生徒が平気で登校する状況に対し、危機感を感じるのは思い過ごしでしょうか? |
▼相良唯夫さん:こんばんは。 【44754】は読んでいただけたでしょうか? http://www.6410.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=one;no=44754;id=sougou それから一つ質問です。 歴史継承否定の弊害 ということですが、明治維新はどうなんですか? 江戸以前の歴史を継承していますか? それとも継承すべきは、明治から戦前までの歴史なのですか? さて、ここからが本題ですが、家庭の崩壊の原因が憲法と戦後教育だとするならば、憲法をどのように変え、その下にどのような法律を作れば、家庭円満・犯罪撲滅となるか、ご教示願えませんでしょうか? よろしくお願いします。 |
▼MNGさん: >▼相良唯夫さん:こんばんは。 > >【44754】は読んでいただけたでしょうか? >http://www.6410.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=one;no=44754;id=sougou > >それから一つ質問です。 >歴史継承否定の弊害 ということですが、明治維新はどうなんですか? >江戸以前の歴史を継承していますか? >それとも継承すべきは、明治から戦前までの歴史なのですか? こんにちは、MNGさん。 しています。しているのです、江戸以前の歴史の継承を。明治維新は。 徳川幕府は、「いざというとき」、その国難の時、国を開くときに、誰の権威を頼りましたか。国家の重大事に於いて、諸藩の意見を聞こうとし、また、ご皇室にお伺いを立てた上で、方針を定めようとした。 ・・・結果は、幕府の望んだ「開国」とは、逆でしたが・・・。しかし、皇室こそが日本国を統べる唯一の正統の証であり、専制の徳川幕府でさえ、いざ国難の時には、その伝統に従った。 それが、日本の国史です。明治政府は、前政権の徳川幕府のことを悪く言って自分らの功を誇るため、前政権を悪く言い過ぎた嫌いがある。しかし、明治維新とは、復古であり、なおかつ革新。これ以上ないほどの革新であり、なおかつ神武創業に帰れという、最大の復古なのです。 >さて、ここからが本題ですが、家庭の崩壊の原因が憲法と戦後教育だとするならば、憲法をどのように変え、その下にどのような法律を作れば、家庭円満・犯罪撲滅となるか、ご教示願えませんでしょうか? >よろしくお願いします。 法律を変えれば、直ちに家庭円満・犯罪撲滅となるような結果は得られますまい。速効への期待は、法律というものの効能を誤解しての話です。 憲法だけでなく、民法典も破壊されたこと・・・家制度の破壊など、新憲法体制下の「精神の破壊」は、広範で、深刻です。しかし、基本となるところは憲法、何と言っても憲法です。明治憲法に学ぶ、明治の歴史を学ぶということを抜きにした「憲法論議」は、軽薄でしかないでしょう、明治憲法、教育勅語の復権、これがスタート地点になると思います。日本近代化の原点ですから。 |
告天子さんへ >憲法だけでなく、民法典も破壊されたこと・・・家制度の破壊など、新憲法体制下>の「精神の破壊」は、広範で、深刻です。しかし、基本となるところは憲法、何と>言っても憲法です。明治憲法に学ぶ、明治の歴史を学ぶということを抜きにした >「憲法論議」は、軽薄でしかないでしょう、明治憲法、教育勅語の復権、これがス>タート地点になると思います。日本近代化の原点ですから。 私はYahoo掲示板の政治/法律関係でも類似したテーマで問題提起した投稿をしましたが、有価証券の虚偽報告の疑い[仏教的普遍なる戒律精神の一つ、不妄語戒(ふもうご)嘘、偽りをつかない]で逮捕された、更に堤前コクド会長は70歳の戦前生まれで、明治憲法体制下の教育で重要なる倫理道徳観の教育勅語を叩き込まれて学んだはず、堤は戦後の敗戦によりあっさりと倫理道徳観も破壊して捨て去ったのでしようか?。 またこの家族?は堤義明の親である故堤康次郎氏は今の自民党の前身である自由党で衆院議長も勤めた名誉ある家訓という家憲を指針に故郷滋賀県出身の同郷でありながら江戸期の近代商人で中村治兵衛の家訓『三方よし』の倫理倫理観の精神にドロを塗った罪は重いですね。 従って戦前生まれで今でも現役で活躍している政官業の幹部たちの教育勅語の心の精神的倫理道徳観はどうなっているのでしょうか!?。 |
▼青春の詩、兼 yama1481_00さん: >私はYahoo掲示板の政治/法律関係でも類似したテーマで問題提起した投稿をしましたが、有価証券の虚偽報告の疑い[仏教的普遍なる戒律精神の一つ、不妄語戒(ふもうご)嘘、偽りをつかない]で逮捕された、更に堤前コクド会長は70歳の戦前生まれで、明治憲法体制下の教育で重要なる倫理道徳観の教育勅語を叩き込まれて学んだはず、堤は戦後の敗戦によりあっさりと倫理道徳観も破壊して捨て去ったのでしようか?。 具体的な個人については、事情を知りませんし、公表された事実からだけでは窺い知れないことはたくさんありましょう。人の内面を倫理的に裁くことなど私には出来かねます。 >またこの家族?は堤義明の親である故堤康次郎氏は今の自民党の前身である自由党で衆院議長も勤めた名誉ある家訓という家憲を指針に故郷滋賀県出身の同郷でありながら江戸期の近代商人で中村治兵衛の家訓『三方よし』の倫理倫理観の精神にドロを塗った罪は重いですね。 他人を倫理的に裁くことも、罪だと思います。無責任な立場で他人を裁くことは、倫理的だとは思いません。 >従って戦前生まれで今でも現役で活躍している政官業の幹部たちの教育勅語の心の精神的倫理道徳観はどうなっているのでしょうか!?。 分かりません。 さて、以上のことは、教育勅語に倫理的意味がないことを意味するものではありません。むしろ、拝金の道に堕ちて人道を忘れたとするなら、それこそ「教育勅語の精神を思い出せ」と言うのが、筋です。 |
告天子さん >従って戦前生まれで今でも現役で活躍している政官業の幹部たちの教育勅語の心の>精神的倫理道徳観はどうなっているのでしょうか!?。 分かりません。 貴方は戦後敗戦後の諸制度を押し付けられたような右翼的な言い方に近い意識の矛盾した発言から戦前回帰の素晴らしさを取り上げていますが無責任ですね。 戦後の諸制度下に於いて、政官業の指導的リーダーたちは、戦前の教育(教育勅語)を受けてきた割には総理大臣級の二人(TとH)と多くの国会議員たちは・ロッキード・リクルート・日歯連の迂回献金他の贈賄事件が多々あり、経済関係で官民結託の汚職事件等は何回となくモラルハザードを繰り返す現実を、 一般庶民から見ると『子は大人・社会の背中を見て育つ』とか『悪貨は良貨を駆逐する』のことわざに示されるように戦後の憲法と教育基本法は法治国家としての法を遵守する精神を無視されてきた事です、これで何で明治憲法とか教育勅語が素晴らしいといえるのでしようか!?。 |
▼青春の詩、兼 yama1481_00さん: >告天子さん > >>>従って戦前生まれで今でも現役で活躍している政官業の幹部たちの教育勅語の心の>精神的倫理道徳観はどうなっているのでしょうか!?。 > >>分かりません。 > >貴方は戦後敗戦後の諸制度を押し付けられたような右翼的な言い方に近い意識の矛盾した発言から戦前回帰の素晴らしさを取り上げていますが無責任ですね。 分からないものを分かるとは言えないので、分からない、と言うことは無責任ではありません。 なお、戦前回帰の素晴らしさなどは主張していませんので、悪しからずご了承ください。 >戦後の諸制度下に於いて、政官業の指導的リーダーたちは、戦前の教育(教育勅語)を受けてきた割には総理大臣級の二人(TとH)と多くの国会議員たちは・ロッキード・リクルート・日歯連の迂回献金他の贈賄事件が多々あり、経済関係で官民結託の汚職事件等は何回となくモラルハザードを繰り返す現実を、 >一般庶民から見ると『子は大人・社会の背中を見て育つ』とか『悪貨は良貨を駆逐する』のことわざに示されるように戦後の憲法と教育基本法は法治国家としての法を遵守する精神を無視されてきた事です、これで何で明治憲法とか教育勅語が素晴らしいといえるのでしようか!?。 >これで何で明治憲法とか教育勅語が素晴らしいといえるのでしようか!?。 言えます。何故なら、犯罪は、むしろ教育勅語の精神に「従わなかったから」であり、基本的に教育勅語の無力の理由にはならないからです、上にあげた事例は。 教育勅語に「従ったが故に」そういう事件が起こったのだ、というのなら納得しますが、そうではないので、青春の詩、兼 yama1481_00さんのご意見は的外れです。 |
▼MNGさん: >▼相良唯夫さん:こんばんは。 > >【44754】は読んでいただけたでしょうか? >http://www.6410.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=one;no=44754;id=sougou 読ませて頂きました。 >それから一つ質問です。 >歴史継承否定の弊害 ということですが、明治維新はどうなんですか? >江戸以前の歴史を継承していますか? >それとも継承すべきは、明治から戦前までの歴史なのですか? 世界に類を見ない大変革の明治維新でしたが、継承すべきは継承しています。その日本の誇れる歴史を断ち切ってはいけません。 もちろん現在に於いても「破壊と創造」ということがありますが、破壊したものを悪者にするという考えではなく、破壊はしたが、その上に新しいものを築いたという考え方にしたら、如何でしょう。 >さて、ここからが本題ですが、家庭の崩壊の原因が憲法と戦後教育だとするならば、憲法をどのように変え、その下にどのような法律を作れば、家庭円満・犯罪撲滅となるか、ご教示願えませんでしょうか? >よろしくお願いします。 レーガン政権が誕生する前、民主党政権下のアメリカでは反戦運動が盛り上がり、それに触発されてさまざまな反体制運動がてんかいされた。その一つに「子ども解放運動」があった。学校のカリキュラムや校則から子どもたちを解放し、子どもの自主性を尊重しようというものである。 実際、多くの学校がこれに倣ったが、結果は惨澹たるものだった。カリキュラムに縛られなくなった子どもたちは、好きな教科しか勉強しなくなり学力は大幅に低下。校則が緩くなり、服装や身だしなみも各自の自主性に任されたので、学校は無秩序になり、荒廃の一途をたどるしかなかった。 1981年に誕生したレーガン政権は、教育改革への国民の期待を重くみて、教育改革に取り組んだ。一連の教育改革を象徴する理念に「ゼロ・トレランス」というものがあるが、これはもともと産業界で使われる言葉で、「不良品を出荷しない」という意味である。子どもたちを「不良」にしないように、再び学校に厳しい規律を求めた。 以前にも書きましたが、ウイリアム・ベネットが編纂した「教育読本」であります。ベネットは、子どもたちが毎日の生活の中で道徳を実践できるように、日本の「修身」の教科書をまねて、具体的なエピソードを中心にして同書をつくったのだ。多くのアメリカ国民は道徳教育の重要性に気づいた。規律の回復と道徳の再興を柱とする教育改革は、アメリカ再生の大きな力となったのである。 私たちの父祖は高貴だった。その道徳性の高さは、何十世代、何百世代もの時を経て、われわれの祖先が築き上げたものだ。道徳とは、長い歴史によって磨かれ洗練された、民族の宝といってもよい。わが国の戦後の発展と犯罪率の低さは、戦前の教育を受けた人たちが社会の中心にいたからである。 政治や経済を構造改革すれば日本はよくなる、といった論調をよく耳にする。だが、確実かつ長期的な発展を望むなら、社会構造に目を向けるよりも、その基盤となる人間を教育することを考えなくてはならない。 ご質問のお応えにはならなく、不十分であると思いますが、以前にも書き込んでいますから重複をさけます。 |
▼相良唯夫さん:こんばんは。 >>それから一つ質問です。 >>歴史継承否定の弊害 ということですが、明治維新はどうなんですか? >>江戸以前の歴史を継承していますか? >>それとも継承すべきは、明治から戦前までの歴史なのですか? > >世界に類を見ない大変革の明治維新でしたが、継承すべきは継承しています。その日本の誇れる歴史を断ち切ってはいけません。 >もちろん現在に於いても「破壊と創造」ということがありますが、破壊したものを悪者にするという考えではなく、破壊はしたが、その上に新しいものを築いたという考え方にしたら、如何でしょう。 これは本題ではないので、意見として承っておきます。 >>さて、ここからが本題ですが、家庭の崩壊の原因が憲法と戦後教育だとするならば、憲法をどのように変え、その下にどのような法律を作れば、家庭円満・犯罪撲滅となるか、ご教示願えませんでしょうか?よろしくお願いします。 <前略> >私たちの父祖は高貴だった。その道徳性の高さは、何十世代、何百世代もの時を経て、われわれの祖先が築き上げたものだ。道徳とは、長い歴史によって磨かれ洗練された、民族の宝といってもよい。わが国の戦後の発展と犯罪率の低さは、戦前の教育を受けた人たちが社会の中心にいたからである。 >政治や経済を構造改革すれば日本はよくなる、といった論調をよく耳にする。だが、確実かつ長期的な発展を望むなら、社会構造に目を向けるよりも、その基盤となる人間を教育することを考えなくてはならない。 > >ご質問のお応えにはならなく、不十分であると思いますが、以前にも書き込んでいますから重複をさけます。 そうですか。 簡単に言えば、戦前までの日本人は、教育勅語に書かれているような高い道徳性を持っていたが、戦後の新憲法によりダメになったのであり、もう一度戦前のような道徳教育が必要だということですね。 しかし相良さんの主張には、戦前と戦後の間に厳然としてあった、戦争というものの存在が抜け落ちています。 教育勅語によって高い道徳性を備えていた筈の日本兵が、なぜ中国で残虐行為を働いてしまったのでしょうか。 あれほど悲惨だった戦争を無視して、戦前は良かったというのは、あまりにも粗雑だと言わざるを得ません。 家庭崩壊の原因が憲法と戦後教育だと言われれば、そうかもしれないなと思う人もあるかもしれませんが、では憲法と教育を変えれば家庭円満になるかと考えてみれば、相良さんもそうであったように具体的方策は思い浮かばないでしょう。 つまり現代の社会問題を憲法と戦後教育のせいにするのは、今、自民党が躍起になっている改憲のための口実に過ぎないということです。 個人主義については、Rayさんが夏目漱石の講演を紹介して下さったとおりだと思います。 個人を尊重するという事は、自分だけでなく他人も尊重する事であり、これが成し遂げられれば、教育勅語がなくても自ずと道徳性の高い社会になっていくと思います。 戦後教育に問題があるとすれば、この憲法の理念をきちんと教えてこなかった、流水さんがおっしゃった教育基本法の理念が実現されてこなかったことではないでしょうか。 安全で安心な社会は、改憲・戦前回帰によってではなく、憲法理念の更なる実践と実現によって作っていくべきだと思います。 |
▼MNGさん: >しかし相良さんの主張には、戦前と戦後の間に厳然としてあった、戦争というものの存在が抜け落ちています。 >教育勅語によって高い道徳性を備えていた筈の日本兵が、なぜ中国で残虐行為を働いてしまったのでしょうか。 >あれほど悲惨だった戦争を無視して、戦前は良かったというのは、あまりにも粗雑だと言わざるを得ません。 教育勅語、高い道徳性が戦争を引き起こしたのではありません。 倫理や道徳を教育するのに、なぜ戦争と結びつけるのですか? 戦争の原因は高い道徳性が引き起こしたのではないことはMNGさんもご存知でしょう。戦争の原因は道徳と全く別なところにあるのです。 悲惨な過去の戦争を語るのなら、別スレッドをお立てになったらいかがでしょう。 道徳教育と一緒にしない方が良いと思いますが・・・。 「戦前は良かった」というのと、「戦前にあったものが現在にない」というのではまるでニュアンスが異なります。 >家庭崩壊の原因が憲法と戦後教育だと言われれば、そうかもしれないなと思う人もあるかもしれませんが、では憲法と教育を変えれば家庭円満になるかと考えてみれば、相良さんもそうであったように具体的方策は思い浮かばないでしょう。 憲法と教育は変えなければならないと思います。 >つまり現代の社会問題を憲法と戦後教育のせいにするのは、今、自民党が躍起になっている改憲のための口実に過ぎないということです。 自民党の改憲案も賛成出来ないところがありますが、この件については議論を好む者ではありませんから、コメントは控えさせて頂きます。 >個人主義については、Rayさんが夏目漱石の講演を紹介して下さったとおりだと思います。 >個人を尊重するという事は、自分だけでなく他人も尊重する事であり、これが成し遂げられれば、教育勅語がなくても自ずと道徳性の高い社会になっていくと思います。 ここはMNGさんと私では意見が異なるところで、私は、支え合い、仕え合うことの仕合せを教えて行く必要があると考えています。 >戦後教育に問題があるとすれば、この憲法の理念をきちんと教えてこなかった、流水さんがおっしゃった教育基本法の理念が実現されてこなかったことではないでしょうか。 > >安全で安心な社会は、改憲・戦前回帰によってではなく、憲法理念の更なる実践と実現によって作っていくべきだと思います。 戦前回帰によってというより、歴史の連続性を断ち切ることの弊害を言っています。原因、結果、真実を知り、日本の素晴らしいところは受け継ぎ、後世に伝えて行かなければ、自国に対して誇りが持てなくなります。 |
▼相良唯夫さん: >教育勅語、高い道徳性が戦争を引き起こしたのではありません。 >倫理や道徳を教育するのに、なぜ戦争と結びつけるのですか? >戦争の原因は高い道徳性が引き起こしたのではないことはMNGさんもご存知でしょう。戦争の原因は道徳と全く別なところにあるのです。 >悲惨な過去の戦争を語るのなら、別スレッドをお立てになったらいかがでしょう。 >道徳教育と一緒にしない方が良いと思いますが・・・。 >「戦前は良かった」というのと、「戦前にあったものが現在にない」というのではまるでニュアンスが異なります。 教育勅語・高い道徳性が戦争を引き起こしたなんて全然言ってませんよ。 教育勅語に加えて軍人勅諭による教育によって、日本兵は高い倫理感と道徳性を身に付けていたはずなのに、実際にはとても道徳的とは言えない行動を取ったという事実を指摘しているわけです。 いくら教育勅語や軍人勅諭で厳しく教育されていても(実際鉄拳制裁やビンタは日常茶飯事だった)、必ずしも倫理的な行動には結びついていないということなのです。 戦前は教育勅語のおかげで皆が立派な人間だったという前提が崩れているのですから、現代に再び教育勅語を導入しても、家庭崩壊や犯罪を防ぐ事にはつながらないし、家庭崩壊を憲法と教育のせいにして改憲の口実にするのは、的外れと言わざるを得ないのです。 以上50レスで、このスレッドは終わりです。 |
▼相良唯夫さん: >▼告天子さん: >こんばんは、貴兄の投稿には、いつも感心し、勉強させて頂いています。 ありがとうございます。私の場合どこかの本で読んだことなどが多いので、相良さんや風谷さんの実感的なお話の方に、むしろ啓発されるところがあります。 >前回にも書き込みしましたが、今日生じている社会問題の多くは、この無秩序な個人主義と憲法に象徴される歴史の連続性を断ち切る考え方に起因しているのではないかとと思われます。 日本国憲法は、まさしく、無秩序的な個人主義、価値観の白紙的な空想性、歴史的伝統的意識との断絶、仰る通りの性格のものだと思います。 何とも辻褄が合わないものだから、「日本国憲法成立の時点で革命があったのだ」などと説明しなければならないほど、整合性のない憲法、「頭がバラバラになった憲法」、こういうものを国民が何とかしなければ、どうしようもない。 こういうダメな憲法を何とかしなければ、日本はますますダメになり、三流、四流以下の国に成り下がってしまうのではないか。そこで、昔を知っている老人に期待したいところだが、その老人党で憲法護持、護持はよいが、辻褄の合わない護持を主張するようでは、これは全く頼りない。 戦争反対、これはよい。これはよいが、現に世界から戦争をなくす現実的な見込みがない以上、「現実を見据えた上での、戦争反対」でなければ、非現実な反戦運動は、むしろ「戦争」を促進する。 これは、日本人の平和精神、善男善女の平和愛好の精神に対する冒涜であると思い、しばらく書き込みを停止していましたが、また書き込んだ次第です。空想的な「戦争反対」は、戦争反対が如何に「ダメ」かを若い人に見せつけているも同然です。年寄りがそんなでは、断じていけません。 またよろしくお願いします。 |
前スレッド書き込めないのでここから続けさせてもらいます <44730>の続きです。 告天子さん >>ほとんどの人は道徳や倫理観をよりどころにして日々生活してい >>るわけではありません。それらは日々平穏な生活が長く続くこと >>によって培われるものです。日々ゆったりと走り続けなくとも生 >>きていける社会なら人びともギスギスせず犯罪も少ない世界にな >>ります。 >こんにちは。イワオさんのお説は、「衣食足りて礼節を知る」か >と思います。それに一理は認めつつも、「衣食が足りた後に、道 >徳が崩壊していたことを見せつけられた」のが、現代日本の道徳 >問題の特徴でしょう。 衣食住足ったかどうかは、常にその時代の所得に対し相対的なもの です。むしろバブル通過することで、衣食住足らなくなったと思い ます。貧富の差と既得権者の不公正さが目立ち始めましたので。 >衣食が足りなかったときには、むしろ道徳は保たれていた。とこ >ろが、衣食が足りたバブル期以後でしょう、「道徳」が問題とな >ったのは。 道徳が保たれていたのはいつの時代のことですか。 二次大戦前のこととおっしゃるのなら、童謡「花いちもんめ」 を送ります。 北関東の地方を発祥としてるようですが。 「あの子が欲しい あの子じゃわからん」 「この子が欲しい この子じゃわからん」 は、女の子を買いに来た女衒と、親のかけひきの歌です。 餓死するより、花街に売った方が家族の当座はしのげるし、女の子 もきれいな着物が着られる。 こんな世界に道徳など無かったですよ。 このころでも道徳あったのは、庄屋さんの世界です。 >役人、政治家の道徳意識については、パスします。 なぜです。両者とも国民の公僕ではありませんか。 えらいから、道徳無くとも良いわけですか? >>道徳精神的態度が今最も必要なのは、公共や国家ではないです >>か? >基本的に合意。しかし、国民に強い道徳意識があれば、公共や国 >家に対しても強くそれを要求できるでしょう。まず、国民の道徳 >意識の崩壊、及びその原因追及が、先に問題になるんじゃないで >しょうか。 いいえ、違います。 公共や国に強制力権力がなければそうでしょうが、強制力権力を 持つのが、公共国家です。彼らの義務は国民の義務の数百倍です。 政治家は選挙の時、「私が当選した暁には皆様のために粉骨砕身 がんばる所存です」と言うでしょ。やってもらおうじゃないですか。 公共(官僚の意味なら)憲法に確か、公務員の義務明記されてい ませんでした。 |
▼イワオさん、おはようございます。 横からちょっとだけ失礼。 >衣食住足ったかどうかは、常にその時代の所得に対し相対的なもの >です。むしろバブル通過することで、衣食住足らなくなったと思い >ます。貧富の差と既得権者の不公正さが目立ち始めましたので。 これはちょっと違うように思います。 バブル通過して衣食住足りなくなったにしては、昨今の遊びでの海外旅行者の何と多い事か。 特に、社会で働いてる若い女性と話す時は、海外未経験者がほとんどいません。 現在は社会的には充分に衣食住足りていると思います。 |
▼松さん お久しぶりです。 青年(だけではないが)の道徳の荒廃ということですが,経済的なことも大きいのでしょうが,おっしゃるように,現在食うにも困って,着るものもないといったことはないと思います。 むしろ,恵まれすぎてハングリー精神がなく,将来に夢をもてないことが大きいのではないかと思います。 したいことができないと,簡単に短絡的行動に出るのは,忍耐力とか計画力などが欠如しているからではないかと思えます。 また,大人でも公共心のうすい人が多いですね。 政府・体制に反抗することが正義,という風潮があるように思います。 正当な政府批判,体制批判はあるべきことと思いますが,自分を律することができない人々が,それをいいことにして,公共にも反抗するということがあるのではないでしょうか。 また,歴史のとらえ方において,ずっと「日本悪玉論」を押しつけられ,日本国に生まれたことへの誇りを持てない→日本は悪い→政府は悪い→法律など守らなくてもよい というような短絡的な思考に陥る人も,なかにはいるようです。 (注意:これは野党批判・護憲派批判ではありません。正当な体制批判はあってしかるべきです。間違っているのは,政府が悪いから自分は何をしてもよいと考える一部の考え違いの人々を指しているのです) 話は変わりますが,幕末時代,アジアでかろうじて独立をしているのは,タイと日本くらいなものでした。あとは欧米列強に蚕食されていた。明治に入り,日本は日本の防衛を果たすため,大陸に進出しました。この考えは,ペリー来航より以前に島津斉彬や勝海舟などから提示されていました。 大正,昭和に入り,台頭してきた日本をよろしく思わない米英は,日本の敵対勢力に莫大な資金援助をあたえ,白色人種の優位を保とうとしたのです。米英との戦いは,真珠湾前から始まっていたといえます。 戦争になり,敗戦となりましたが,インドのパル判事のみ「日本の立場に立てば,どんな小国であろうとも,やむにやまれず立ち上がったであろう」と弁護しましたが,戦争裁判という,もっともらしい戦勝国の復讐のセレモニーによって,日本を悪と断罪しました。 自分たち白色人種が長年やってきた非道な侵略の歴史を隠蔽,すり替えをしたといっていいでしょう。 一方的な歴史を押しつけるのは日本ではなくて,欧米中です。 そして,日本人が日本国に誇りをもてない国にしてしまっています。 それが,日本人の根幹に大きな問題を生じさせているのではないかと思ってしまうのです。 道徳から少しはずれたかもしれません。失礼しました。 |
▼松さん: >>衣食住足ったかどうかは、常にその時代の所得に対し相対的なもの >>です。むしろバブル通過することで、衣食住足らなくなったと思い >>ます。貧富の差と既得権者の不公正さが目立ち始めましたので。 >これはちょっと違うように思います。 >バブル通過して衣食住足りなくなったにしては、昨今の遊びでの海 >外旅行者の何と多い事か。特に、社会で働いてる若い女性と話す時 >は、海外未経験者がほとんどいません。 実際旅行先での彼女ら心から楽しんでいると思いますか。 海外旅行は彼女らの必須のアイテムですから、脅迫感に駆られて旅行 に行くのです。一回も海外体験してないとかっこわるいことですから。 若女性ほとんどの方々月収20万越えません。実家から通っている人 除いて、生活費使った後海外旅行の費用ひねり出すのは大変です。 休暇もなかなか取れません。皆さん職場の方々への心遣い忘れないよ う帰国前必ずちょっとおしゃれな小物大量に買い込みます。 心から、現世離れて楽しむほどの余裕有りません。 オッサンとは、海外旅行の話楽しそうに話すでしょう。 だからと言って、彼女らが余裕持って楽しんでいると思ったら大間違 いです。 まず「OL500人委員会おじさん改造講座」 でも読んで勉強して下さい。 アマゾンのページは http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/489036756X/qid=1109995541/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/249-1885378-0616343 >現在は社会的には充分に衣食住足りていると思います。 アフリカのソマリアなどと比較して 「服を着ている、雨露がしのげる、一応餓死は希」という意味では 足りてると言えば、足りてるかも。 しかしそれだけでは何の意味も持ちません。もう一度繰り返しますが 飢餓感(衣食住に対しての)は相対的なものです。 通常の都会のサラリーマン家庭では、年収500から600万円が 普通のところでしょう。田舎はもっと低いでしょう。今後どんどん 昇給するあてはまずありません。 親から家土地を引き継げる人以外この金額で、住(しかも快適な) が用意できますか。食、まあ贅沢しなければこれはクリアーできます 衣、一目でユニクロかイトーヨーカ堂のものだとわかっても平気なら OK。しかし、おしゃれしたいとき、予算はありません。 もし家族の誰かが大病煩ったら、即アウト。 どこが十分に(充分)足りてますか。 |
▼イワオさん: >前スレッド書き込めないのでここから続けさせてもらいます イワオさんのご見解に同感です。 三角形は逆三角形を180度回転させて三角形になりますが、そのような逆三角形と三角形の関係に似ているようです。 昔々 「ワルイコトをしてはいけない」と子供は教えられます。 「エライヒト」と子供は教えられます。 親、社会:アノヨウナヒトになりなさい。規則正しい生活をして、マナーを守って、勉強をして。 情報:「エライヒト」がワルイコトを沢山します。並エライヒト、中エライヒト、上エライヒト、特上エライヒトもワルイコトを一杯します。エライヒトはたくさん、たくさん、ワルイコトをします。エライヒトはけれども親や社会とか、道徳の本に書いてあるような「ワルイコトをしてはいけない」とお説教をします。 ニュース:ある日、並のエライヒトが捕まりました。エライヒトにも「ハイ・アンド・ロー」のゲームがあって、特上エライヒトも並エライヒトに下がったのですが、するとその並エライヒトは捕まりました。そのエライヒトは少し前まではとてもエライヒトでヒトは誰も悪口など言いませんでした。タダタダエライヒトでした。けれども、「ハイ・アンド・ロー・ゲーム」で特上エライヒトは位階が下がってしまいました。水に落ちてしまったのです。エライヒトは悪い人になりました。 子供:アタマがクラクラします。エライヒトは偉くないヒトになりました。エライヒト達は「ワルイコトをしてはいけない」と教えてくれていました。エライヒトはワルイコトをして、いま、「ワルイヒト」と皆々から非難されています。 混乱します。なにが変わったのだろう?子供は考えます。「ワルイコト」は「ワルイコト」で変わらないはずです。でも、なにかが変わってしまったのです。「ハイ・アンド・ロー・ゲーム」と子供は気づきました。「ゲーム」の結果でした。ゲームで「エライヒト」は「並・中・上・特上」と上下移動します。その結果、「エライヒト」は並エライヒトに下り、さらには番外の「ワルイヒト」に、その逆「ワルイヒト」は「エライヒト」に上ります。 雲が少し晴れてきました。「ゲーム」です。「ハイ・アンド・ロー・ゲーム」。「ワルイコトをしてはいけない」という教えは? 「ワルイヒト」になってしまった「エライヒト達」もよくそう言っていました。けれども、そう言ってワルイコトをして「ワルイヒト」として警察に捕まってしまいます。 クラクラします。どこまでも納得するまで考えていく能力は子供にはまだありません。とりあえず、「ハイ・アンド・ロー・ゲーム」は正しいようです。一番説得力があります。決めるのは「お金と地位と権力」。 子供はいぜんクラクラしながら学びました。学びはこころに下りました。こころで子供は生き始めました、とさ。 |
▼イワオさん: >前スレッド書き込めないのでここから続けさせてもらいます よろしくです。 > ><44730>の続きです。 > >告天子さん >>衣食が足りなかったときには、むしろ道徳は保たれていた。とこ >>ろが、衣食が足りたバブル期以後でしょう、「道徳」が問題とな >>ったのは。 >道徳が保たれていたのはいつの時代のことですか。 >二次大戦前のこととおっしゃるのなら、童謡「花いちもんめ」 >を送ります。 二次大戦前のことは実感してよく知りません。時流として、謝罪外交、オウム事件、少年の凶悪犯罪の増加、こうした平成になってからの動きを指して、それまでの道徳では考えられない事件だろう、と申しているのです。 それを、「いつの時代で道徳が保たれていたか」というのであれば、いつの時代も完全に道徳が保たれていた時代などありませんよ。 >餓死するより、花街に売った方が家族の当座はしのげるし、女の子 >もきれいな着物が着られる。 >こんな世界に道徳など無かったですよ。 その世界に道徳がない、とはこれ如何にですね。それなら、戦国時代の殺し合いをした武士にも道徳はないし、戦場に赴く兵士にも道徳はないし、およそこの世界のどこにも、道徳などないでしょうよ。 >このころでも道徳あったのは、庄屋さんの世界です。 衣食が足りると道徳があり得るのだ、というお話のようですね、やはり。 で、バブル期には相対的に衣食が足りないと「感じたから」、という話ですが、巌さんのお話だと、道徳はそもそも富者にしかあり得ない、ということのようですから、要するに「道徳を求めることは、富を求めることと道義」という話にしかならないでしょう。 あるいは、「道徳は富者に求めるべきだ」、ということでしょうか。 >>役人、政治家の道徳意識については、パスします。 > >なぜです。 まあおよそろくなものではないだろうと思うので、異議なしといったところです。 >両者とも国民の公僕ではありませんか。 >えらいから、道徳無くとも良いわけですか? そういうことは言っていませんが・・・・。 >>>道徳精神的態度が今最も必要なのは、公共や国家ではないです >>>か? > >>基本的に合意。しかし、国民に強い道徳意識があれば、公共や国 >>家に対しても強くそれを要求できるでしょう。まず、国民の道徳 >>意識の崩壊、及びその原因追及が、先に問題になるんじゃないで >>しょうか。 > >いいえ、違います。 >公共や国に強制力権力がなければそうでしょうが、強制力権力を >持つのが、公共国家です。彼らの義務は国民の義務の数百倍です。 公共国家の政治家、役人に道徳がない、と責め立てたところで、相手が聞きますか?。また、道徳のない世界に棲んでいる貧者があれこれ言ったところで、無力でしょう。「道徳的国民」が道義のクレームを付けるところに、百倍万倍の威力があるのです。 >政治家は選挙の時、「私が当選した暁には皆様のために粉骨砕身 >がんばる所存です」と言うでしょ。やってもらおうじゃないですか。 > そうですね。 >公共(官僚の意味なら)憲法に確か、公務員の義務明記されてい >ませんでした。 やはり改憲が必要です。 |
▼告天子さん: >>>衣食が足りなかったときには、むしろ道徳は保たれていた。と >>>ころが、衣食が足りたバブル期以後でしょう、「道徳」が問題 >>>となったのは。 >>道徳が保たれていたのはいつの時代のことですか。 >>二次大戦前のこととおっしゃるのなら、童謡「花いちもんめ」 >>を送ります。 >二次大戦前のことは実感してよく知りません。時流として、謝罪 >外交、オウム事件、少年の凶悪犯罪の増加、こうした平成になっ >てからの動きを指して、それまでの道徳では考えられない事件だ >ろう、と申しているのです。 まず謝罪外交は、外務省の無能のためであって「道徳」とは何ら関 係のない問題です。オウム事件は「道徳」の問題も無いことは無い のですが宗教法人への日本政府のへっぴり腰が招いた(苦情がむち ゃくちゃ出ていたのに、脅されて宗教法人登録を許した東京都も同 罪)問題です。 少年犯罪は、個々の家族だけが対応できる問題ではありません。 個々人の道徳問題にすり替え責任逃れしているそれぞれの関係諸機 関の方々が第一の原因です。 >それを、「いつの時代で道徳が保たれていたか」というのであれ >ば、いつの時代も完全に道徳が保たれていた時代などありませんよ。 さすが告天子さん解っておられるではないですか。 >>餓死するより、花街に売った方が家族の当座はしのげるし、女の >>子もきれいな着物が着られる。 >>こんな世界に道徳など無かったですよ。 >その世界に道徳がない、とはこれ如何にですね。それなら、戦国 >時代の殺し合いをした武士にも道徳はないし、戦場に赴く兵士に >も道徳はないし、およそこの世界のどこにも、道徳などないでし >ょうよ。 なら、なぜ道徳を特に、庶民側に必要だとされるのですか? >>このころでも道徳あったのは、庄屋さんの世界です。 >衣食が足りると道徳があり得るのだ、というお話のようですね、 >やはり。 いいえ、皮肉の意味で使ったのですが。 余裕かましていると、道徳などについて考え下々に押しつける事が できると言う意味です。自分は守らなくともです。 >要するに「道徳を求めることは、富を求めることと道義」という >話にしかならないでしょう。 少しずれています。 「富、権力を求めることに、道徳は必要条件です」 違う言葉で言うと 「ノーブリスオブリージ」とも言います。 要するにエリートは、最前線に立てと言うことです。逃げてはいけ ません。逃げないエリート見たら庶民は道徳少し信用します。 >あるいは、「道徳は富者に求めるべきだ」、ということでしょう >か。 いいえ、「道徳持たない富者は排除すべきだ」と言うことです。 >>>役人、政治家の道徳意識については、パスします。 >>なぜです。 >まあおよそろくなものではないだろうと思うので、異議なしとい >ったところです。 シニカルに考えてはいけません。遠い地域の個人が犯罪犯しても影 響はないですが、今住んでいる地域の首長、病院長などが道徳無い 奴なら多大な影響有ります。 >>>>道徳精神的態度が今最も必要なのは、公共や国家ではないです >>>>か? >>>基本的に合意。 有り難うございます。 >>>しかし、国民に強い道徳意識があれば、公共や国家に対しても >>>強くそれを要求できるでしょう。まず、国民の道徳意識の崩壊、 >>>及びその原因追及が、先に問題になるんじゃないでしょうか。 国民は道徳的水準がどうで有れ、道徳を公共、国家に強く請求でき ます。 理由、国民は庶民だから。ごまめの歯ぎしりだからです。 >公共国家の政治家、役人に道徳がない、と責め立てたところで、 >相手が聞きますか?。 聞くまで責め立てたら? ストレス解消になります。まずは問題有ると思ったら、関係各庁、 関係者に電話、メールを。案外聞いてくれますよ。 >>公共(官僚の意味なら)憲法に確か、公務員の義務明記されてい >>ませんでした。 >やはり改憲が必要です。 なんで? どこが? |
▼イワオさん: >まず謝罪外交は、外務省の無能のためであって「道徳」とは何ら関 >係のない問題です。 いや、あります。国民の道徳意識に多大な影響を与えたと思います。また、謝罪をよしとするような道徳意識の横行が、「謝罪外交」を招いたのでしょう。あの当時、「謝った者が立派だ」「そうでない者は軍国主義者なのか!?」みたいな気分は蔓延していましたよ。 >オウム事件は「道徳」の問題も無いことは無い >のですが宗教法人への日本政府のへっぴり腰が招いた(苦情がむち >ゃくちゃ出ていたのに、脅されて宗教法人登録を許した東京都も同 >罪)問題です。 何故、宗教法人へのへっぴり腰が招来されたかというと、「脅されたから」というだけでなく、現行法制では政府が宗教に対して強い姿勢を取れないからではないでしょうか。いや、現行法制では、取れるか。しかし、取れば、「宗教に対する弾圧だ」などと攻撃を受けかねない風潮を恐れてのことでしょう。 じゃ、何故そんな風潮になるのかといえば、宗教法人に対する政治当局サイドの価値判断において、敗戦後の法改正により、何が問題かについてイニシアチブを取れないからでしょう。断固たる姿勢を取れば、逆にイチャモンを付けられるが故に、へっぴり腰になるのも当然であって、これは戦後体制の欠陥のあらわれだと思う。 >少年犯罪は、個々の家族だけが対応できる問題ではありません。 >個々人の道徳問題にすり替え責任逃れしているそれぞれの関係諸機 >関の方々が第一の原因です。 断固たる措置を取ることが出来ないのは、国民の支持を得られそうにないという自信の欠如も原因になっています。この辺りは、水掛け論になるので、固執はしません。 >>その世界に道徳がない、とはこれ如何にですね。それなら、戦国 >>時代の殺し合いをした武士にも道徳はないし、戦場に赴く兵士に >>も道徳はないし、およそこの世界のどこにも、道徳などないでし >>ょうよ。 > >なら、なぜ道徳を特に、庶民側に必要だとされるのですか? 庶民が多数だからです。 >いいえ、皮肉の意味で使ったのですが。 >余裕かましていると、道徳などについて考え下々に押しつける事が >できると言う意味です。自分は守らなくともです。 庶民に強力な道徳意識がなければ、おかみの「デタラメな押しつけ」に対抗することも出来ません。官製道徳と、庶民の道徳が違うなら、徹底的に対立すればよろしい。 >>要するに「道徳を求めることは、富を求めることと道義」という >>話にしかならないでしょう。 > >少しずれています。 >「富、権力を求めることに、道徳は必要条件です」 >違う言葉で言うと >「ノーブリスオブリージ」とも言います。 >要するにエリートは、最前線に立てと言うことです。逃げてはいけ >ません。逃げないエリート見たら庶民は道徳少し信用します。 左様なことでしたら、納得です。 >>あるいは、「道徳は富者に求めるべきだ」、ということでしょう >>か。 > >いいえ、「道徳持たない富者は排除すべきだ」と言うことです。 同意します。 >国民は道徳的水準がどうで有れ、道徳を公共、国家に強く請求でき >ます。 >理由、国民は庶民だから。ごまめの歯ぎしりだからです。 それも同意します。しかし、国民の道徳水準が高いに越したことはありません。 >>公共国家の政治家、役人に道徳がない、と責め立てたところで、 >>相手が聞きますか?。 > >聞くまで責め立てたら? それもそうですが、私は、庶民だからといって、必ずしも主張がまっとうであるとは信用しません。責め立てるなら、筋が通っていることが必要です。 >ストレス解消になります。まずは問題有ると思ったら、関係各庁、 >関係者に電話、メールを。案外聞いてくれますよ。 まあ、公僕ですからね。 >>>公共(官僚の意味なら)憲法に確か、公務員の義務明記されてい >>>ませんでした。 > >>やはり改憲が必要です。 > >なんで? >どこが? 現行憲法では、行政の無責任について何ら規定するところではありません。昨今、政治改革、政治改革と叫ばれてはいますが、本当の問題は行政のコントロールが巧く出来ていないところにあるのではないかと思います。 |