Page 2507 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼「九条の会」・老人党へ(III) 佐藤 圭 05/3/4(金) 11:32 ┣Re(1):「九条の会」・老人党へ(III) 海幸彦 05/3/4(金) 12:14 ┃ ┗Re(2):「九条の会」・老人党へ(III) 佐藤 圭 05/3/4(金) 22:42 ┣Re(1):「九条の会」・老人党へ(III) ぎみゆら 05/3/4(金) 12:34 ┣Re(1):「父と暮らせば」「九条の会」・老人党へ(III) 佐藤 圭 05/3/4(金) 17:08 ┃ ┗Re(2):「父と暮らせば」「九条の会」・老人党へ(III) 佐藤 圭 05/3/5(土) 21:20 ┃ ┣Re(3):「父と暮らせば」「九条の会」・老人党へ(III) ぎみゆら 05/3/6(日) 11:59 ┃ ┗宮沢りえが『父と暮せば』で芸術選奨 ぎみゆら 05/3/9(水) 21:56 ┃ ┣Re(1):宮沢りえが『父と暮せば』で芸術選奨/喝采 とうろう 05/3/9(水) 22:10 ┃ ┗Re(1):宮沢りえが『父と暮せば』で芸術選奨 海幸彦 05/3/10(木) 6:22 ┃ ┗警告>海幸彦さん 管理スタッフ 05/3/11(金) 17:41 ┣佐藤 圭さんへ 管理スタッフ 05/3/5(土) 14:40 ┃ ┗Re(1):佐藤 圭さんへ 佐藤 圭 05/3/5(土) 18:59 ┣3/3映画人九条の会 黒木和雄氏の話 ぎみゆら 05/3/6(日) 11:50 ┣3/3映画人九条の会 『父と暮せば』のこと ぎみゆら 05/3/6(日) 12:34 ┣3/3映画人九条の会 小森陽一氏の話 ぎみゆら 05/3/6(日) 13:03 ┗明日3/13、「九条科学者の会」が結成の集いへ。 ぎみゆら 05/3/12(土) 10:10 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 「九条の会」・老人党へ(III) ■名前 : 佐藤 圭 ■日付 : 05/3/4(金) 11:32 -------------------------------------------------------------------------
43924(元43051)の継続スレッドです。 昨日の「映画人九条の会」(文京区民センター)に参加しましたので速報します。 小森陽一と黒木和雄の対談 黒木監督は戦争体験(年代)から言葉少なく、小森さんの問いかけに「う〜ん」 と無言の場があった。私には同一体験者としてよく解った。その中でも次の言葉 が印象的だった。 ・「核保有国へ持ち運び可能な映画(芝居と対比)を運ぶ仕事をしたい。」 (長崎、広島 原爆題材での日本映画(爆撃現象でない日常生活への内面)の ことー佐藤注) ・戦争の惨禍の体験は日常的に埋没してしまう、見えなくなっている。時々憎し をみを感じたときハイ叩きしたい。」 ・終戦の日(1945.8.15)の思い出 「黒木家の家にラジオがあったので駐屯の軍隊、将校は部屋のなかで聞き座っ て首をたれていた。しかし裏の竹林にいた兵隊たち(多く)は ああ死ななく て済んだとホット喜びの顔つきだった。 ・長崎とポーランドのコルペ神父、アウシュビッツの残酷劇にひかれて調査、制 作した「かよこ桜の咲く日」(テレビ作品)の話。(ボソボソと) 著書「私の戦争」で黒木は次のようにかいている。(引用) 「アウシュビッツと長崎、強制収容所と原爆、これらに共通するもの、それは人 類が人類に犯した許しがたい残酷な暴力です。私は心の中で「これだ」と思っ たものです。アウシュビッツと長崎という遠く離れた点と点がコルペ神父を通 じてつながったような気がしました。」 (このことは遠藤周作の「女の一生」に詳しく描かれていますー佐藤注) 私は黒木和雄の言葉少ない(小森さんとは一味違う)体験と育ちからくる本物にひかれました。 長くなるので後はぎみゆらさんへ任せます。 特別報告 (1)会の終了後 小森陽一(会の事務局長)と会いました。私が持っていた小 さい三 角の旗「九条の会・老人党」を見せて報告宣伝しました。 小森さんは知っています(ほんとかな)なだいなださんによろしくと言いこの 旗 に自書サインしてくれました。(余計なことをしたかな、珠さん もしそ うだったらRayさんなどへとりなしを) (2)質疑応答のときがあり ぎみゆらさんがたちました。 お父さんの長崎被爆の話と黒木監督との対話〜ナイス質問だった。 帰りに黒木監督とも話しが出来、私も持っていた黒木著書「私の戦争」(岩波 ジュニア新書)にサインをもらいました。 (結果的に九条の会・老人党が少し知られることになっちゃた。) 帰り雪にも負けず ぎみゆら青年と一杯やりながら話がはずみ閉店で追い出さ れました。ぎみゆらさん ありがとう ございました。 |
▼佐藤 圭さん:44731 報告読みました。三角の旗はいつまでもいつまでも、老人党9条の会の宝物です、大切にして下さい。先日私が作った三角の旗は、割り箸を強力粘着テープでつないだ「棒」にA4のコピー用紙を三角に折り曲げ、巻きつけたものでした。簡易なものですから、終わったあと、捨ててしまいました。(残念だったなあ。) |
▼海幸彦さん: >▼佐藤 圭さん:44731 >報告読みました。三角の旗はいつまでもいつまでも、老人党9条の会の宝物です、大切にして下さい。先日私が作った三角の旗は、割り箸を強力粘着テープでつないだ「棒」にA4のコピー用紙を三角に折り曲げ、巻きつけたものでした。簡易なものですから、終わったあと、捨ててしまいました。(残念だったなあ。) 了解。 小森陽一 署名入りの「九条の会・老人党」の旗は大切に持っています。 乃木大将のような間抜け(かれは西南戦争でとられちゃった)になりたくありません。雪にも風にもまけずに守りましょう。擦り切れるまでは。 この次はまた持っていきます。 |
佐藤圭さん、こんにちは。 昨夜はどうもありがとうございました。 いろいろと、楽しかったです。 今日はこれから夜まで出かけてしまいますので、 映画人の会、黒木監督のお話などの報告は、 もう少し待ってください。 またいずれ。 |
「父と暮らせば」の映画の案内 九条の会 推薦 再演です。 明日3月5日8(土曜)より 岩波ホール 11.30、14.00、17.00より 最寄駅 神保町(地下鉄半蔵門、新宿線) 黒木和雄 脚本、監督 井上ひさし 原作 評判の高い作品です。ぜひ ご覧ください。 |
岩波ホールで「父と暮らせば」を見てきました。 原爆の悲惨さを現象面だけでなく、生き残った人たちの身近な死んでいった人に対し「生き残ったことが申し訳ない」後ろめたさにこだわり生きる主人公をテーマに痛切な現代への訴えをしている映画だと思う。 井上ひさしと黒木和雄の戦争時体験からの想いがピッタリと重なっている。生き残った我われ(昭和ひとけた)の宿命として戦争の悲惨さを伝えるんだと著書でまた3日の対談で語っていた黒木監督の想いがこの映画で滲んでいた。 今日も黒木監督は短く挨拶し、終了後は帰る人を送ってくれた。 私は2人の主張のとおりこの映画を世界の核保有国へ送り上映し伝えていきたいものだと思う。 特に米国のクリスチャンに伝えたい。キリスト信者なら原爆と戦争を罪と重く意識するはずだ。米大統領はキリスト信者ではないのか。 イラク攻撃を指示する米大統領はエセ信者であろう。 戦争体験を後に語り継ぎ、2度と戦争をなくす誓い 護憲9条を訴え続けることが我われ(昭和ひとけた)の責務であることを再認識させられた。 見ていない人に是非お薦めしたい作品です。 |
佐藤圭さん、みなさん、こんにちは。 映画『父と暮せば』のご感想、ありがとうございました。 私からもみなさまに、しつこく、おすすめいたします。 映画『父と暮せば』オフィシャルホームページ http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/chichitokuraseba-top.htm 岩波ホール http://www.iwanami-hall.com/ 核保有国、とくにアメリカでの上映、ぜひとも、実現させてほしい ものですね。 |
みなさま すでにご存じの方も多いかとは思いますが、女優の宮沢りえが、 映画『父と暮せば』の演技を高く評価されて、芸術選奨文部科学 大臣賞を受賞しました。 http://www.asahi.com/culture/update/0308/010.html ヒロシマをテーマにした黒木映画に、文部デージンがどの面下げて 偉そうに、といいたくなる気持ちも正直いってあるんですが、でも、 あの映画での「りえぼう」の演技が、それくらい素晴らしいもので あったことは、ほんとうに、確かなんです。 一人でも多くの方に、ぜひ、映画『父と暮せば』を、ご覧いただき ますよう、繰り返し、繰り返し、お願いいたします。 * 映画『父と暮せば』オフィシャルホームページ http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/chichitokuraseba-top.htm 岩波ホール http://www.iwanami-hall.com/ |
▼ぎみゆらさん: こんばんは。 りえさんの受賞、喝采ですね。 少しでもこの映画が世に広まれば!と言う意味で。 一言、言い添えたく、蛇足を言いました。 失礼。 |
▼ぎみゆらさん: おはようございます。頑張っていますね。私も「りえなんとか」のファンです。貴乃花があれで一遍に嫌いになりました(笑い)。ところで、… ▼ぎみゆらさん:45210 この書き込みは、 >文部デージンがどの面下げて偉そうに、 等の表現が掲示板のルール のうち、 の、 に、 該当するものと見なします。 またよろしく〜。 |
▼海幸彦さん(45220): Ray@スタッフです。 この書き込みは、 >「りえなんとか」 との表現が掲示板のルール(投稿内容、転載、引用その他/ 字種、文字数の制限)のうち 1. 伏せ字、隠語の使用および掲示板を混乱させる恐れのある投稿は禁止 の「伏せ字の使用」に、また >▼ぎみゆらさん:45210 > >この書き込みは、 以下の書き込みが「掲示板を混乱させる恐れのある投稿」 に該当する可能性がありますので警告いたします。 なお、この件に関するご意見は、私の書き込みへの 返信としてではなく、スタッフ連絡板にお書きください (総合掲示板に書かれたご意見には原則としてレスいたしません)。 よろしくお願いいたします。 |
▼佐藤 圭さん(44731): Ray@スタッフです。 「映画人九条の会」の報告書き込みをありがとうございました。 ただ、その中で一点だけ気になったのが >余計なことをしたかな、珠さん もしそうだったらRayさんなどへとりなしを との部分です。 以前、オフ会やリアルでの活動の幹事を勤めるようにとのご要望を スタッフに対していただいた際に 「スタッフにはそれだけの余裕がない (各自の実生活と老人党サイトの管理で手一杯である)」 としてお断り申し上げたので誤解なさっているのかも知れませんが、 私をはじめ、老人党のスタッフは、 老人党員・賛同者がご自身の考えで自主的に活動なさることを 「余計なこと」だなどとは決して考えておりません。 自主的に考え、積極的に行動してくださるようにお願いしていますし (「老人党の目的」の5には そのために、老人と未来の老人が協力しあって自ら行動する とあります)、 佐藤さんをはじめ、リアルで行動してくださっている方には 本当にありがたく思っています (本当は「ありがたく思う」というのもおかしいことなのですが)。 老人党はピラミッド形の組織ではありませんから、 現在の管理スタッフの役割も老人党サイト(特に掲示板)を 参加者が使いやすいように維持することにあり、 活動を先導したり指示したりする立場・役割ではありません。 もちろん、集会その他の情報が入ればお知らせしますし、 活動を呼び掛けることもいたしますが、これは スタッフだからやっていることではなく、 老人党員(老人党賛同者)の一人として 他の方と情報を共有するためにやっていることですから、 そのような書き込みの場合は「@スタッフ」ではなく それぞれ個人名で書き込みをしています。 以下は私の私見に過ぎませんが、 それぞれの参加者(賛同者)が自分自身とまわりの人を 引っぱっていくつもりで老人党に参加していただけたらと思います。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 (追伸) 一点だけご注意申し上げます。 >文京区民センター の部分で半角カタカナをお使いになっていますが、 半角カタカナは種々のトラブルの原因となる可能性があるため、 掲示板のルールでは 1. 使用機種によって異なった文字として表示される半角カナ文字、ギリシャ文字、○で囲まれた数字などの特殊記号(機種依存文字)の使用は禁止 としております。 細かいことで恐縮ですが書き込みの際にはご注意くださるよう、 重ねてお願いいたします。 |
了解しました。 ご配慮を有難うございました。 |
みなさま 3/3、佐藤圭さんとご一緒に参加してきた「映画人九条の会 黒木 和雄、小森陽一対談集会」の報告と感想を、私も少し書いてみます。 まず、黒木和雄監督のお話。小森氏が初めに「戦後生まれの私には、 戦争はいつも映画で見るものだった」と切り出したのを受けて、 黒木氏がご自身の戦争体験を語り、これが対談の基調になりました。 太平洋戦争末期、1945年5月、そのころ勤労動員で毎日通っていた 飛行機工場への途上、中学校の級友らとともに突然米軍機に襲われ、 一瞬早く気づき身を伏せた黒木少年は助かり、級友が11人死んだ。 撃たれて苦しむ級友らを見ながら、黒木少年は無我夢中で走り出し、 近くの防空壕に駆け込んで、その片隅でがたがた震えていた。瀕死の 級友を助けようともせずに、ただもう恐くて、逃げ出してしまった。 その「後ろめたさ」が、その後ずっと、いまでも、トラウマになって いる。自分は、その「後ろめたさ」と向き合うために、映画を撮り 続けているようなものだ。黒木監督はそう言います。 この「後ろめたさ」は、実に多くの戦争被災者、生き残った人たちの 口から聞かれる言葉でもあります。 ヒロシマ原爆から生き残った、映画『父と暮せば』のヒロイン福吉 美津江は、女学校の友達がみんな死に、自分だけ生きていて申し訳 ない、自分は幸せになどなってはいけないと、頑なに思っています。 やはりヒロシマで被爆した、マンガ『夕凪の街 桜の国』の平野 皆実は、同僚の男性からの求愛されたとき、「お前の住む世界は そっちではない」という「誰かの声」が聞こえ、逃げ出します。 大勢が死んだ。自分は生き残った。だから後ろめたい。これだけ では、まだ大事なことが抜け落ちていると、私は思います。 『夕凪の街 桜の国』の平野皆実の独白に、こんな言葉があります。 「わかっているのは『死ねばいい』と誰かに思われたということ 思われたのに生き延びているということ そしていちばん怖いのは あれ以来 本当にそう思われても仕方のない人間に自分がなって しまったことに 自分で時々気づいてしまうことだ」 誰かに、何か大きく強力な意志のようなものに、「お前たちは死ねば いい」「みんな死んでしまえ」と言われた。毎日生き、暮らしている 街に、頭上から原爆が落ちて来る、あるいは原爆に限らず、大きな 戦災に逢うとは、そのような体験であるのではないかと思います。 親は子供に、教師は教え子に、医師や看護師は患者に、「生きよ」 「育て」と心底願います。戦争は、その正反対なんだと思います。 人が、人に「死ね」と言う。国が、人に「死になさい」と命じる。 何か大きな意志のようなものが、大勢の人々に「死んでしまえ」と 言い放つ。それが、戦争というものの、本質なのだと思います。 その「みんな死んでしまえ」という大きな意志によって、生き残った 者たちも、その後何十年も苦しみ続ける。黒木監督も、そのように、 いまもなお苦しみ続けているお一人なのだと、よくわかりました。 |
黒木和雄監督のお話のなかに、現在岩波ホールでアンコール上映中の 映画『父と暮せば』が出来上がるまでのエピソードもありました。 『父と暮せば』は、もともとは、井上ひさし氏が脚本を書き、劇団 こまつ座が繰り返し上演してきた二人芝居です。黒木監督も、十年 ほど前に見ているそうです。 ヒロシマをテーマに映画を撮りたいとずっと思っていた黒木監督は、 あるとき『父と暮せば』を映画化できないかと考え、「ダメモト」の ような気持ちで井上氏のところに聞きに行った。 井上氏は、とくに演劇に関しては、業界では完璧主義者としてよく 知られている人ですから、黒木監督の「ダメモト」というそのときの お気持ちは、たぶん本音だろうと、私も思います。 ところが意外にも、井上氏はすぐに了解してくれた。この種の話では 通例、脚本料とか原作料とかいう名目で、かなり多額の謝礼を支払う ものですが、それも一切要らないという。実際には、相談のうえ、 それなりにお払いになったそうですが。(笑) ただ、一つお願いしたいことがあると、井上氏は言った。 二人芝居『父と暮せば』を、海外の人たちにもぜひ見てもらいたいと 考え、モスクワとパリで上演した。だけど、演劇の海外公演はすごく お金がかかり、なかなか後が続けられないでいる。 でも映画になって、プリントができれば、海外にもかなり持って行き やすくなる。だからぜひ、映画『父と暮せば』が出来上がったら、 いろんな国、とくに核兵器保有国で、いずれは上映してほしい。 それが、事実上ほとんどただ一つの条件のようなもので、そのような 経緯で、映画『父と暮せば』が実現した、ということでした。 私も3/3、集会終了後、黒木監督と短く言葉を交わすことができ ましたので、そのときに、「核兵器保有国での上映、ぜひ実現して ください。何かご協力できることがあれば、教えてください」と、 名刺を渡してきました。 本当に、ぜひとも実現してほしい話だと思います。 * 映画『父と暮せば』オフィシャルホームページ http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/chichitokuraseba-top.htm 岩波ホール http://www.iwanami-hall.com/ |
3/3映画人九条の会では、黒木和雄氏と小森陽一氏の対談の後、 会場との質疑応答の時間があり、その中で小森氏が、「九条の会」の 「第二段階」について、次のようなことを言っていました。 * 昨年6月に「九条の会」が発足したとき、朝日新聞が小さな記事に した。それから半年のうちに、全国5ヶ所で「九条の会」主催の 講演会を開き、どこでも会場定員の倍くらいの参加者を集めてきた。 地方紙や地方のテレビ局は、ずいぶん取り上げている。全国各地で 「○○九条の会」という小組織が増え続け、もう1000を超えた。 今年の1月、NHKの憲法番組に加藤周一氏と大江健三郎氏が出演した ことで、「九条の会」は全国的に認知されたと思う。 いま発売中の『広告批評』で、天野祐吉氏が頑張ってくれて、憲法 九条の特集をやっている。近々出る『暮しの手帖』でも、九条の 特集が掲載される。これからも、みんなが「おやっ?」と思うような メディアで、九条の話題が取り上げられるだろう。 ──この辺までが、「九条の会」の「第一段階」だと思っている。 いま、全国の「小さなうねり」が、少しずつ「大きな渦」を作り ながら、「第二段階」へと向かう過程だと考えている。 * 4月22日に、呼びかけ人9人全員が集まり、今後のことを話し合って もらい、その日に記者会見をする。 やっていくこと自体は、これまでと大きく変わりはしないかもしれ ないが、これからは、全国に生まれつつある「小さなうねり」を、 いろんな形で、横に繋いでいく。 そんな「横の連携」を、いろいろな形で試してみたい。そこで何か、 予想もしないような面白いこと、意外な動きが出てくるのではない かと、そんなふうに、私としては期待している。 * 小森氏は、だいたいそんなような「見通し」を、聞かせてくれました。 以上、みなさまに、ご報告いたします。 |
みなさま 「集会・イベント情報」のスレッドにも書き込みましたが、 http://www.6410.jp/bbs/c-board.cgi?cmd=one;no=45367;id=sougou 大学等で研究、教育の立場に就く科学者、研究者たちが、「九条の 会のアピールを広げる科学者・研究者の会」(九条科学者の会)を 作り、明日3月13日(日)に、東京・神田駿河台の日本大学歯学部 2号館で、結成の集いを開催するそうです。 「一般市民の方々も多数ご参加を」とのことですので、ご興味の ある方、お出かけになってみてはいかがでしょうか。 * ◆「九条科学者の会」結成の集い 概要 (詳細は、下記のサイトをご覧ください) 日時 2005年3月13日(日)、13時開場、13時半開会 場所 日本大学歯学部2号館第1講堂 記念講演 「今日本国憲法について何が論ぜられるべきか」(仮題) 奥平康弘さん(「九条の会」呼びかけ人・憲法研究者) *資料代 500円 終了後、同じ会場で記者会見を予定 ◇「九条の会のアピールを広げる科学者・研究者の会」サイト http://www.9-jo-kagaku.jp/ |