Page 2550 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼誇りの持てない国,日本 しげちよ 05/3/16(水) 12:21 ┣Re(1):誇りの持てない国,日本 北国の春 05/3/16(水) 20:21 ┣Re(1):誇りの持てない国,日本 進化する未老人 05/3/16(水) 21:05 ┃ ┗Re(2):誇りの持てない国,日本 しげちよ 05/3/16(水) 21:13 ┣Re(1):誇りの持てない国,日本 海幸彦 05/3/16(水) 21:31 ┃ ┗Re(2):誇りの持てない国,日本 しげちよ 05/3/16(水) 21:42 ┃ ┗Re(3):誇りの持てない国,日本 海幸彦 05/3/16(水) 22:42 ┃ ┗Re(4):誇りの持てない国,日本 しげちよ 05/3/16(水) 22:49 ┃ ┗Re(5):誇りの持てない国,日本 海幸彦 05/3/16(水) 22:52 ┃ ┗Re(6):誇りの持てない国,日本 しげちよ 05/3/16(水) 23:09 ┃ ┣Re(7):誇りの持てない国,日本 海幸彦 05/3/17(木) 0:02 ┃ ┃ ┗Re(8):誇りの持てない国,日本 しげちよ 05/3/17(木) 0:40 ┃ ┗Re(7):誇りの持てない国,日本 海幸彦 05/3/17(木) 0:08 ┣Re(1):誇りの持てない国,日本 三吉 05/3/17(木) 0:47 ┃ ┣愛国心とは何ぞや? ニック 05/3/17(木) 2:43 ┃ ┃ ┣Re(1):愛国心とは何ぞや? しげちよ 05/3/17(木) 7:39 ┃ ┃ ┃ ┗Re(2):愛国心とは何ぞや? 安本単三 05/3/17(木) 10:42 ┃ ┃ ┣Re(1):愛国心とは何ぞや? 北の老兵 05/3/17(木) 13:37 ┃ ┃ ┃ ┣強制された愛国心 しげちよ 05/3/17(木) 15:12 ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):愛国心とは何ぞや? 相良唯夫 05/3/17(木) 19:06 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(3):愛国心とは何ぞや? 進化する未老人 05/3/17(木) 21:38 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):愛国心とは何ぞや? 相良唯夫 05/3/17(木) 23:52 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(5):愛国心とは何ぞや? 進化する未老人 05/3/18(金) 21:25 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(6):愛国心とは何ぞや? 進化する未老人 05/3/18(金) 21:26 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(7):愛国心とは何ぞや? 相良唯夫 05/3/18(金) 22:45 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(8):愛国心とは何ぞや? 進化する未老人 05/3/19(土) 14:39 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(9):愛国心とは何ぞや? 告天子 05/3/19(土) 15:43 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(10):愛国心とは何ぞや? 進化する未老人 05/3/19(土) 19:46 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(11):愛国心とは何ぞや? 相良唯夫 05/3/19(土) 20:12 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):愛国心とは何ぞや? 王里 05/3/19(土) 22:09 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(13):愛国心とは何ぞや? 石頭の息子 05/3/19(土) 22:27 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):愛国心とは何ぞや? 相良唯夫 05/3/19(土) 23:27 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(11):愛国心とは何ぞや? 告天子 05/3/19(土) 20:18 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(12):愛国心とは何ぞや? 進化する未老人 05/3/20(日) 13:36 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(13):愛国心とは何ぞや? 告天子 05/3/20(日) 15:56 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(14):愛国心とは何ぞや? 進化する未老人 05/3/20(日) 17:19 ┃ ┃ ┃ ┃ ┣Re(15):愛国心とは何ぞや? 告天子 05/3/20(日) 19:19 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(16):愛国心とは何ぞや? 進化する未老人 05/3/20(日) 20:30 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗Re(15):愛国心とは何ぞや? 告天子 05/3/20(日) 19:19 ┃ ┃ ┃ ┣Re(2):愛国心とは何ぞや? 王里 05/3/18(金) 19:52 ┃ ┃ ┃ ┗大事なものとは何か ニック 05/3/20(日) 1:04 ┃ ┃ ┃ ┗Re(1):大事なものとは何か 悠々 05/3/20(日) 20:36 ┃ ┃ ┣Re(1):愛国心とは何ぞや? 真人間 05/3/17(木) 14:31 ┃ ┃ ┗Re(1):愛国心とは何ぞや? 相良唯夫 05/3/17(木) 17:25 ┃ ┗Re(1):誇りの持てない国,日本 ごまめの翁 05/3/17(木) 11:50 ┗Re(1):誇りの持てない国,日本 梟 05/3/20(日) 0:09 ┣Re(2):誇りの持てない国,日本 三吉 05/3/20(日) 0:41 ┣Re(2):誇りの持てない国,日本 昔神童・今人道 05/3/20(日) 0:55 ┣Re(2):誇りの持てない国,日本 しげちよ 05/3/20(日) 1:14 ┗Re(2):誇りの持てない国,日本 ニック 05/3/20(日) 1:35 ┣Re(3):誇りの持てない国,日本 しげちよ 05/3/20(日) 2:04 ┗Re(3):誇りの持てない国,日本 告天子 05/3/20(日) 10:46 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 誇りの持てない国,日本 ■名前 : しげちよ ■日付 : 05/3/16(水) 12:21 -------------------------------------------------------------------------
今朝の新聞の報道では,高校生へのアンケートで,日本に誇りをもっていない人が50%を超えている。また,国旗,国歌に誇りをもっていない人も同様な割合と言うことだった。 米国,韓国ではこれが逆で,誇りをもっている人が50%を超えている。 自分の国に誇りをもてない若者がどんどん増えている。 これで,日本の将来が大丈夫なのか? |
頑張ろう・・・・・日本!!! |
▼しげちよさん: >今朝の新聞の報道では,高校生へのアンケートで,日本に誇りをもっていない人が50%を超えている。また,国旗,国歌に誇りをもっていない人も同様な割合と言うことだった。 >米国,韓国ではこれが逆で,誇りをもっている人が50%を超えている。 > >自分の国に誇りをもてない若者がどんどん増えている。 >これで,日本の将来が大丈夫なのか? 私は小学生のとき名古屋に越してきました。 途中、大学で東京にいた時期もありますが、働いていた場所はほとんど名古屋です。 最近、万博やら中部空港など名古屋(ほとんど愛知県と同じ意です)を巡る話題が多く、結構、名古屋に誇りを持ってしまいました。 ところが名古屋(愛知県)の発展にそれほど寄与していない私は「誇り」よりはむなしさを感じてしまう今日この頃です。 まずはご自分を誇ることからはじめましょう。 国家であれ、何であれ、自分と直接関係無いことで誇るのはむなしいことです、 (これは私の個人的感想) 忘れてました。名古屋市内からは一人の自民党議員も出さないという名古屋市民の決意は、私も同じ志を持っておりますので、誇っております。 |
▼進化する未老人さん: こんばんは。 >まずはご自分を誇ることからはじめましょう。 それはわかります。 子供たちもそうあってほしいと思いますが、一歩まちがって唯我独尊になるのはどうかと思います。 >国家であれ、何であれ、自分と直接関係無いことで誇るのはむなしいことです、 >(これは私の個人的感想) ある面そうかもしれませんが、国に対して愛着も愛情もないことが、選挙の投票率の低さとか、公共心の薄さに現れているのではないかとも思えます。 >忘れてました。名古屋市内からは一人の自民党議員も出さないという名古屋市民の決意は、私も同じ志を持っておりますので、誇っております。 名古屋市には、いくつの小選挙区があるのですか? それを全部非自民で占めるにはかなり苦労があるでしょうね。 |
▼しげちよさん: >今朝の新聞の報道では,高校生へのアンケートで,日本に誇りをもっていない人が50%を超えている。また,国旗,国歌に誇りをもっていない人も同様な割合と言うことだった。 >米国,韓国ではこれが逆で,誇りをもっている人が50%を超えている。 > >自分の国に誇りをもてない若者がどんどん増えている。 >これで,日本の将来が大丈夫なのか? 開店おめでとうございます。(←ハナワ贈呈。バラの花束。トゲ入りやで。) スレッド自分でたてるの初めてやんけ?めずらしいこともあるんやんけ? あんた、自民党の国会議員さんて言うウワサもあるが、(自民党の)国会議員てのは、やっぱそんなにラベルが低いのケ? 自民党でもいいから、9条変えない、憲法守ると言ってみたらどう? |
▼海幸彦さん: こんにちは。 >開店おめでとうございます。(←ハナワ贈呈。バラの花束。トゲ入りやで。) >スレッド自分でたてるの初めてやんけ?めずらしいこともあるんやんけ? 実は、3度目ですよ。でもはやらなかったんで、見逃していたのでしょう。どこかへ流れていってしまいました。 >あんた、自民党の国会議員さんて言うウワサもあるが、(自民党の)国会議員てのは、やっぱそんなにラベルが低いのケ? 自民党の国会議員? ただの会社員ですよ、残念ながら。 でも議員のようにパワフルに活動できませんから、無理ですね。 また、人相もあまりよくならないようですから、やめておきます。 >自民党でもいいから、9条変えない、憲法守ると言ってみたらどう? 外交手段として武器で脅したり、紛争を解決する手段にはしないという、いまの第9条第1項は変えないほうがいいと思いますよ。 それを変えるような改憲案であれば、わたしも反対します。 |
▼しげちよさん: ありがとう。護憲派のしげちよさんにカンパーイ。 では改憲反対・小選挙区廃止で一致したわけですね。 |
▼海幸彦さん: >ありがとう。護憲派のしげちよさんにカンパーイ。 >では改憲反対・小選挙区廃止で一致したわけですね。 以前から、第9条第1項の変更は認めないという考えなのですが…。 第2項は変更の必要があると主張しています。 小選挙区廃止は、こちらに来たときからのわたしの主張です。 |
▼しげちよさん: >▼海幸彦さん: > >>ありがとう。護憲派のしげちよさんにカンパーイ。 >>では改憲反対・小選挙区廃止で一致したわけですね。 > >以前から、第9条第1項の変更は認めないという考えなのですが…。 >第2項は変更の必要があると主張しています。 > >小選挙区廃止は、こちらに来たときからのわたしの主張です。 いまいちはっきりしないのですね。(ため息)。 この際、小選挙区が改まるまで、改憲は棚上げ、というような妥協ができませんか?国民的和解の筋道作りです。 |
▼海幸彦さん: >いまいちはっきりしないのですね。(ため息)。 いやつまり、自衛隊によって国を防衛するということを明示したほうがいいと思っているのです。 >この際、小選挙区が改まるまで、改憲は棚上げ、というような妥協ができませんか?国民的和解の筋道作りです。 なるほど。 わたしはいいですが、改憲を進めているのはわたしじゃないから。 まぁ、改憲もそうすぐに、というわけではないでしょうけど、選挙制度改革はまだ何も見えていませんからね。公明党(社民党も?)が中選挙区に戻すようにはたらきかけてはいるようですが。 しかし、二大政党は単純小選挙区に移行したいようですし、なかなか進まないような気がしますね。 ところで、ここでの問題点は、「若者が日本の国に誇りをもっていない」というテーマなのですが、海幸彦さんはどうお考えですか? |
▼しげちよさん: >▼海幸彦さん: > >>いまいちはっきりしないのですね。(ため息)。 > >いやつまり、自衛隊によって国を防衛するということを明示したほうがいいと思っているのです。 > >>この際、小選挙区が改まるまで、改憲は棚上げ、というような妥協ができませんか?国民的和解の筋道作りです。 > >なるほど。 >わたしはいいですが、改憲を進めているのはわたしじゃないから。 >まぁ、改憲もそうすぐに、というわけではないでしょうけど、選挙制度改革はまだ何も見えていませんからね。公明党(社民党も?)が中選挙区に戻すようにはたらきかけてはいるようですが。 >しかし、二大政党は単純小選挙区に移行したいようですし、なかなか進まないような気がしますね。 > >ところで、ここでの問題点は、「若者が日本の国に誇りをもっていない」というテーマなのですが、海幸彦さんはどうお考えですか? 改憲を急ぐより、よじれたものをまづほぐすことが先ではないかと思う次第です。汚職やら癒着やら、国民財産の浪費・横領をなくすこと、国民の本当の意思を組む制度を作ること(=小選挙区を廃止すること)、そうしたプロセスを経て、堂々と憲法について語ればいいと思います。姑息な「改憲国民投票法案」など通したら、それはもう日本の政治の恥・汚点でしょう。今までも汚点には事欠きませんが。 |
▼海幸彦さん: >改憲を急ぐより、よじれたものをまづほぐすことが先ではないかと思う次第です。汚職やら癒着やら、国民財産の浪費・横領をなくすこと、国民の本当の意思を組む制度を作ること(=小選挙区を廃止すること)、そうしたプロセスを経て、堂々と憲法について語ればいいと思います。姑息な「改憲国民投票法案」など通したら、それはもう日本の政治の恥・汚点でしょう。今までも汚点には事欠きませんが。 はい、おっしゃる意味はよくわかります。 政治がちゃんとしていないのに、官僚が汚職しまくっているのに、民意が反映されていないのに、憲法改正も何もないだろうとのご意見ですね。 |
▼しげちよさん: >ところで、ここでの問題点は、「若者が日本の国に誇りをもっていない」というテーマなのですが、海幸彦さんはどうお考えですか? 「若者が…」という問題の建て方をしません。私は、そういうマスコミ論調的な話題作りには無関心です。若者を論ずる前に「ずるい30代」「ずるいオトナ」を論じたい気持ちはありますが。 |
祖国には誇りを持ちたいですよ、本当は。 昨日、大相撲春場所を見てきました。 お相撲さんが街を 闊歩する姿、礼に始まり礼に終わる勝負、櫓太鼓の音・・・ 情緒があっていいですね。 そんな国技も今や外国勢の天下に なっておりますがね。 まあそれはともかく。 愛国心、愛国教育云々と言っている方(特に議員)、本当に 愛国心があるのですか? 誇るべき美しい自然を次々と破壊し、 くだらないリゾート開発を進め、「南セントレア市」とか 外国(特に西洋)に媚を売った名前をつけ、京都の鴨川に 『フランス風の歩道橋』をかける計画をした地方議員(ほぼ 自民党系)。恥ずかしくないのですか? それから某東京都知事さん、「NOと言える日本」とか言いながら 難解な外来語をやたらまじえて話をしないで下さいな。 背筋が ゾッとします。 正しい日本語を使いましょうよ。 |
▼三吉さん: >愛国心、愛国教育云々と言っている方(特に議員)、本当に >愛国心があるのですか? 誇るべき美しい自然を次々と破壊し、 >くだらないリゾート開発を進め、「南セントレア市」とか >外国(特に西洋)に媚を売った名前をつけ、京都の鴨川に >『フランス風の歩道橋』をかける計画をした地方議員(ほぼ >自民党系)。恥ずかしくないのですか? >それから某東京都知事さん、「NOと言える日本」とか言いながら >難解な外来語をやたらまじえて話をしないで下さいな。 背筋が >ゾッとします。 正しい日本語を使いましょうよ。 ドイツなどでは景観を保護する条例などがありますし、欧州の他の地域でも景観や自然を大事にする法律を、産業との兼ね合いを計りながら制定しています。 工業一辺倒で日本の文化を大事にしない行動を見て、若者が文化を大事にしようとか、国土を愛する(国を愛する)心を育める訳がありません。 今の政治家の言う所の愛国心とは、イコール、戦争になった時にどれだけ国に命を捧げられるかと言う事と同義のように考えます。 |
▼ニックさん: >ドイツなどでは景観を保護する条例などがありますし、欧州の他の地域でも景観や自然を大事にする法律を、産業との兼ね合いを計りながら制定しています。 > >工業一辺倒で日本の文化を大事にしない行動を見て、若者が文化を大事にしようとか、国土を愛する(国を愛する)心を育める訳がありません。 それが、日本人が日本に誇りをもてない、本質的な原因でしょうか。 高校生が日本や日本の国旗、国歌に愛情がもてないのは、当然教育の問題ではないかと思えます。 >今の政治家の言う所の愛国心とは、イコール、戦争になった時にどれだけ国に命を捧げられるかと言う事と同義のように考えます。 そういう政治家もいるでしょうが、すべてがそうとは限らないでしょう。 政治家の中で、与野党を通じて、本気で戦争を考えている人がいるのかも、疑問です。 |
▼しげちよさん: >▼ニックさん: > >>ドイツなどでは景観を保護する条例などがありますし、欧州の他の地域でも景観や自然を大事にする法律を、産業との兼ね合いを計りながら制定しています。 >> >>工業一辺倒で日本の文化を大事にしない行動を見て、若者が文化を大事にしようとか、国土を愛する(国を愛する)心を育める訳がありません。 > >それが、日本人が日本に誇りをもてない、本質的な原因でしょうか。 >高校生が日本や日本の国旗、国歌に愛情がもてないのは、当然教育の問題ではないかと思えます。 > >>今の政治家の言う所の愛国心とは、イコール、戦争になった時にどれだけ国に命を捧げられるかと言う事と同義のように考えます。 教育の問題ですって。 >そういう政治家もいるでしょうが、すべてがそうとは限らないでしょう。 >政治家の中で、与野党を通じて、本気で戦争を考えている人がいるのかも、疑問です。 君が代と日の丸を別々にアンケートをとったら違う結果が出ると確信しています。 私は、日の丸大好きです。(その理由はここでは省略) 君が代は私にとっては不気味な響きがします。 ご承知のとおり君が代は明治になって、そそくさと、日本古来のメロディーをもとにドイツ人が吹奏楽にした出来損ないのものであり、まあ、今の若者にはダサくって、聞くのも耐え難く、歌えたものではないでしょう。強制したらその場しのぎで歌うかも知れませんがね。今の流れだと歌わぬ奴は退学なんてことになるかもね。 日本は島国ですから言われなくても潜在的に愛国心は持っていますよ。イチローの活躍を誇りに思うかどうかを聞いたら大半が誇りに思うと答えるでしょう。 大国の圧迫に対する小国の愛国心(例えばロシアに対するフィンランド)は賛美されることがありますが、大国の愛国心ほど危険なものはありません。 教育の問題ですって?教育するとしたら、過去大日本帝国が愛国心の名のもとに他国を蹂りん、圧迫したこと。 米国の愛国心が原爆2個を日本に投下したこと。 学校でどんな授業をしてもそれは表向きのこと。 NHKの週刊子供ニュースで堤義明のことを報道していましたが、この国の世界的大金持ちが脱税王ではね。子供らがこの国をどう誇りに思いますかね。 |
▼ニックさん: >▼三吉さん: 愛国心は強制されるものでありません。 再三引用しますが、倉本総さんと、自然派で作家のCWニコルさんと対談した番組がありました。 その時の倉本総さんの言葉が全てだと感じました。「自然を愛するものは、親兄弟を愛し、友人、隣人を愛する事が出来る。親兄弟、友人隣人を愛する事が出来る人は黙っても国を愛する。愛国心とはそういうものだ」と。 つまり、身近なものを愛する事が出来ない人が、国を愛せよと強制するのは如何に偽善かという事です。 |
▼北の老兵さん: ▼安本単三さん: >愛国心は強制されるものでありません。 そのとおりです。愛国心を強制すると,裏切られたときにものすごく大きい反動がきます。いい例が,戦後の日本です。 >つまり、身近なものを愛する事が出来ない人が、国を愛せよと強制するのは如何に偽善かという事です。 そういうことです。 わたしが教育という言葉を出したのは,教育が愛国教育ではなく,漢字をあてはめると嫌国教育をしている,という意味です。 ことさら,愛国教育をと望んでいるのではなく,ニュートラルな教育をすべきだということです。 ニュートラルという中には,日の丸・君が代は一応日本の国旗,国歌であるから,そのように伝え,教えることもふくまれます。 国旗,国歌のことで書きますと,式典では,そのように決定したのならば教師の職務として,淡々とこなすべきものです。そこで,批判的な態度を教師がとるということは,すなわち嫌国教育の1つとなりうるのです。 教育委員会などで,国旗掲揚・国歌斉唱が決まったならば,職務として教育者は受け入れるべきでしょう。 ただ,式典に対して圧力がある場合は,これをのぞきます。あるいは,教職者の意見も採り入れる方法を考えるべきであると,思います。 |
▼北の老兵さん: >愛国心は強制されるものでありません。 >つまり、身近なものを愛する事が出来ない人が、国を愛せよと強制するのは如何に偽善かという事です。 愛国心は強制できるものでしょうか? 心を強制するとはどのようなことでしょう? 日本に住んでいて日本が好きになるのはごくごく自然な心であると思います。 それは地域、家族に至るまで同じではないでしょうか。 そのごく自然に湧き出る心が失われるということは、どこかが狂っていると言えないでしょうか? 腹を痛めて産んだ子を虐待する。育ててくれた親に平気で汚い言葉を吐く、食卓に運ばれた食べ物に感謝の心をいだかない。これらは異常なことです。 異常なことを異常と感じられなくなるのは、教育が異常を来たしていると言えないでしょうか? 日本には戦争という大きな過ちがありました。しかし、その敗戦を境に、伝えるべき美しいものまでも切り捨てることは間違いです。 戦前の教育を復活せよとは申しませんが、あの廃墟となった日本を立て直したのは戦前の教育を受けた人です。戦前の教育の全てが間違っていたならば、あの奇跡の復興はなかったでしょう。 日本人の誇るべきことを教えずに、この日本が好きになるでしょうか? 誇るべきは「日本国憲法」と仰る人がいますが、信念に基づいてそう言われるのは結構ですが、戦前にも今に劣らない素晴らしい教育や文化があったことを見直し、現在に甦らせることも大切なことであると思います。 それを逆に、悪いところだけを教えられれば、日本を好きになるどころか、先祖に対する敬の心も失って行くのではないでしょうか? |
▼相良唯夫さん: こんなことを書くのは誠に残念ではありますが私は父親が大嫌いでした。 私のような経験はかなりの人が経験されているようです。 戦前の小説でも子供と父親との葛藤を描いたものがあるでしょう。 > >>愛国心は強制されるものでありません。 >>つまり、身近なものを愛する事が出来ない人が、国を愛せよと強制するのは如何に偽善かという事です。 身近なものを愛することができない場合は、人類の歴史に数限りなくあります。 >愛国心は強制できるものでしょうか? >心を強制するとはどのようなことでしょう? 誠におっしゃるとおり、人の感情はたとえ親でも強制できません。 >日本に住んでいて日本が好きになるのはごくごく自然な心であると思います。 >それは地域、家族に至るまで同じではないでしょうか。 日本に住んで日本が嫌いになる場合もありうるし、それを誰も非難できません。 あなたがおっしゃるように人の心は誰も強制できないのです。 >そのごく自然に湧き出る心が失われるということは、どこかが狂っていると言えないでしょうか? 誰もが自然湧き出る心ではでは無いと思います。 日本を嫌いになっても、狂っているわけではないとお考えいただいたら幸いです。 >腹を痛めて産んだ子を虐待する。育ててくれた親に平気で汚い言葉を吐く、食卓に運ばれた食べ物に感謝の心をいだかない。これらは異常なことです。 >異常なことを異常と感じられなくなるのは、教育が異常を来たしていると言えないでしょうか? これも戦後に限ったことではありません。戦前から、もっと言えば太古以来このような現象はあったでしょう。 だからこそ様々な悲劇が誕生してきたのです。教育にこの罪を擦り付けるのは、ちょっと教育者に気の毒です。 私自身の経験で言えば、子供のころから教師の言いつけを守った記憶がありません。 高校からは教師に対して反抗だけをしてきました。大学では教師をつるし上げてしまいました。 > >日本には戦争という大きな過ちがありました。しかし、その敗戦を境に、伝えるべき美しいものまでも切り捨てることは間違いです。 >戦前の教育を復活せよとは申しませんが、あの廃墟となった日本を立て直したのは戦前の教育を受けた人です。戦前の教育の全てが間違っていたならば、あの奇跡の復興はなかったでしょう。 >日本人の誇るべきことを教えずに、この日本が好きになるでしょうか? 日本人の誇るべきことは何でしょう。 私は、アメリカ人がアメリカを誇っているのを見ると虫唾が走ってしまいます。 どの国の人でも、自国を誇る人に対しては、いい気持ちがしません。 彼らには自分に誇るべきものがないから、彼らが偶然所属した国家を誇っているのだと思ってしまうのです。 >誇るべきは「日本国憲法」と仰る人がいますが、信念に基づいてそう言われるのは結構ですが、戦前にも今に劣らない素晴らしい教育や文化があったことを見直し、現在に甦らせることも大切なことであると思います。 例えば江戸時代の浮世絵などすばらしい文化があったことを否定する人はそれほど多くないでしょう。しかし今でも春画扱いで裁判沙汰になったりしております。(浮世絵を我々は本当に教えられてきたのか若干疑問ですが) >それを逆に、悪いところだけを教えられれば、日本を好きになるどころか、先祖に対する敬の心も失って行くのではないでしょうか? 我々は縄文、弥生から教えられてきましたが、残念ながら、戦前についてあまり教えてもらっていないのが事実ではないですか。(たいていはその辺から駆け足でざっと流してしまっていたように記憶しております) 戦前について多くの人は学校ではなく、様々な書物を通じて学んできたように思うのですが。 |
▼進化する未老人さん: >こんなことを書くのは誠に残念ではありますが私は父親が大嫌いでした。 そうでしたか、でも過去形で言われているということは現在はそうでもないのかな? 親はたとえ大嫌いであっても、命の元です。無力であった赤ん坊から育ててくれたのです。親を恨んで良いことはありません。子は親の鏡と申します。自分が子ども時代に大嫌いであった心が、自分の子に鏡のように映し出されなければ良いのですが。子育ての基本は親孝行と夫婦愛和です。 >人の感情はたとえ親でも強制できません。 強制できないから、育児は育自とも言い、子は親の言う通りにしなくても、親のする通りにする。あるいは、親の背中を見て育つとも言うのです。 >日本に住んで日本が嫌いになる場合もありうるし、それを誰も非難できません。 >あなたがおっしゃるように人の心は誰も強制できないのです。 それは非難できませんでしょうね。もちろん強制もできません。 サッカーでもオリンピックでも、誰に頼まれるのでもなく、日の丸を振って応援するのは民族意識です。それは自然な心であると思います。 >誰もが自然湧き出る心ではでは無いと思います。 >日本を嫌いになっても、狂っているわけではないとお考えいただいたら幸いです。 国民の安寧を願う人に、日本を嫌いな人はいるでしょうか? 日本が好きだから、この日本を何とかしようとするのではないでしょうか? >>腹を痛めて産んだ子を虐待する。育ててくれた親に平気で汚い言葉を吐く、食卓に運ばれた食べ物に感謝の心をいだかない。これらは異常なことです。 >>異常なことを異常と感じられなくなるのは、教育が異常を来たしていると言えないでしょうか? > >これも戦後に限ったことではありません。戦前から、もっと言えば太古以来このような現象はあったでしょう。 >だからこそ様々な悲劇が誕生してきたのです。教育にこの罪を擦り付けるのは、ちょっと教育者に気の毒です。 教育とは学校教育だけを言うのではありません。 一番影響力が強いのは家庭です。教育とは教え育てることです。 教え育てるには、親の勉強も必要です。子に尊敬される親になることです。 「お父さん好き」と言われる(思われる)親の努力も必要なんです。 これら全てが教育です。当然、学校の先生も、生徒から尊敬されるべく努力も必要となってくるのです。 >私自身の経験で言えば、子供のころから教師の言いつけを守った記憶がありません。 >高校からは教師に対して反抗だけをしてきました。大学では教師をつるし上げてしまいました。 残念ながら私には大学へ行ける学力がありませんでしたが、教える立場、教えを請う立場があると思います。美しい師弟関係も多く見てきました。 >日本人の誇るべきことは何でしょう。 >私は、アメリカ人がアメリカを誇っているのを見ると虫唾が走ってしまいます。 >どの国の人でも、自国を誇る人に対しては、いい気持ちがしません。 そうでしょうか? 中国人の友だちも、アメリカ人の友だちもいますが、彼らがお国の誇りを語ってくれるとき、真剣に聞いてあげましたよ。教えて下さったことが感謝でした。 >例えば江戸時代の浮世絵などすばらしい文化があったことを否定する人はそれほど多くないでしょう。しかし今でも春画扱いで裁判沙汰になったりしております。(浮世絵を我々は本当に教えられてきたのか若干疑問ですが) >我々は縄文、弥生から教えられてきましたが、残念ながら、戦前についてあまり教えてもらっていないのが事実ではないですか。(たいていはその辺から駆け足でざっと流してしまっていたように記憶しております) >戦前について多くの人は学校ではなく、様々な書物を通じて学んできたように思うのですが。 その通りです。そこが問題なんです。歴史を踏まえて、現代、未来とつなげて行かなければならないのです。 例えは悪いですが、「鬼婆」と言われる人がいるとします。 その「鬼婆」はある日突然「鬼婆」になったのではありません。立派な「鬼婆」になるための道を踏んできたのではないでしょうか? 逆に「可愛いお婆ちゃん」もいます。その方も、若い時から、「可愛いお婆ちゃん」になるための道を踏んで来られたと思います。 このように、物事には全て、原因と結果があるように感じられますが如何でしょう。 |
▼相良唯夫さん: >そうでしたか、でも過去形で言われているということは現在はそうでもないのかな? >親はたとえ大嫌いであっても、命の元です。無力であった赤ん坊から育ててくれたのです。親を恨んで良いことはありません。子は親の鏡と申します。自分が子ども時代に大嫌いであった心が、自分の子に鏡のように映し出されなければ良いのですが。子育ての基本は親孝行と夫婦愛和です。 誠に誠意のこったようなお言葉で痛み入ります。 どうぞご心配なく、夫婦、親子、兄弟仲良く暮らしております。 (よけいなお世話というべきでしょうか) 「子は親の鏡」という言葉で泣いた人も沢山いるであろうことをご想像いただければと思います。 親も子も人間です。単純な生き物ではないのです。 >強制できないから、育児は育自とも言い、子は親の言う通りにしなくても、親のする通りにする。あるいは、親の背中を見て育つとも言うのです。 親のように生きようと考えるか、親を反面教師として生きてゆくか、 親の背中を見てどのように育つかはその子の問題です。 >それは非難できませんでしょうね。もちろん強制もできません。 >サッカーでもオリンピックでも、誰に頼まれるのでもなく、日の丸を振って応援するのは民族意識です。それは自然な心であると思います。 自然な心はまさにその人自身に任せればよいことです。 自然な心ではなく、教育によって日の丸を振らせようとしているところに問題があるのです。 > >国民の安寧を願う人に、日本を嫌いな人はいるでしょうか? >日本が好きだから、この日本を何とかしようとするのではないでしょうか? 好き嫌いは「心」の問題です。日本を嫌いな日本人がいてもちっとも不思議ではありません。 我々の現在の政治制度は「心」でどのように感じようとも、日本国籍を持つものに政治的・経済的・社会的権利を平等に与えることを前提にしております。 日本は嫌いだけど もっと住みやすい国になってほしいと考えている人がいてももかまわないのです。 >教育とは学校教育だけを言うのではありません。 >一番影響力が強いのは家庭です。教育とは教え育てることです。 >教え育てるには、親の勉強も必要です。子に尊敬される親になることです。 >「お父さん好き」と言われる(思われる)親の努力も必要なんです。 >これら全てが教育です。当然、学校の先生も、生徒から尊敬されるべく努力も必要となってくるのです。 誠に「教育」とはその字そのまま教え育てることでしょう。 大事なことは何を教えどう育てるかです。 この中身は家庭に任せるべきです。 親が勉強してもしなくても、子に尊敬されてもされなくても、「お父さん好き」と言ってもらえるようにするもしないも、すべてその家庭の問題です。 他人がとやかく言う問題ではないのです。 ついでに言えば「国」が関与する問題でもないのです。 あなたも、私も他人の生き方に教えをたれる立場にはないのです。 教師はやや意味合いが違ってくるでしょう。 あらゆるレベルの教師は第一に自己の専門とする学問分野の研鑽が必要でしょう。 また児童心理学をはじめとする科学的な教育術を身につける必要もあるでしょう。 「尊敬」は結果です。尊敬されるために努力するのではなく、自分の学んだ学問を誠実に子供たちに伝えることに努力を傾注すべきです。 。 |
続きます >残念ながら私には大学へ行ける学力がありませんでしたが、教える立場、教えを請う立場があると思います。美しい師弟関係も多く見てきました。 「美醜」の評価も人によって異なります。あなたが美しいと感じたことが、誰にでも同じように美しいと見えるかどうかはわかりません。 >そうでしょうか? >中国人の友だちも、アメリカ人の友だちもいますが、彼らがお国の誇りを語ってくれるとき、真剣に聞いてあげましたよ。教えて下さったことが感謝でした。 私と外国人との付き合いは、「聞いてあげる」といった関係ではありません。 個人と個人の付き合いです。「国」を持ち出されること自体意味がないのです。 彼が、彼女が、何をしたか、何をしたいのかが問題なのです。 >その通りです。そこが問題なんです。歴史を踏まえて、現代、未来とつなげて行かなければならないのです。 >例えは悪いですが、「鬼婆」と言われる人がいるとします。 >その「鬼婆」はある日突然「鬼婆」になったのではありません。立派な「鬼婆」になるための道を踏んできたのではないでしょうか? >逆に「可愛いお婆ちゃん」もいます。その方も、若い時から、「可愛いお婆ちゃん」になるための道を踏んで来られたと思います。 >このように、物事には全て、原因と結果があるように感じられますが如何でしょう。 原因と結果をあまりにも単純化しすぎていませんか |
▼進化する未老人さん: >「子は親の鏡」という言葉で泣いた人も沢山いるであろうことをご想像いただければと思います。 会った事もありませんし、想像すらできません。 >親のように生きようと考えるか、親を反面教師として生きてゆくか、 反面教師と生きるか、親のようになりたいと思うか、それは強制できません。 でも、親が子に与える影響は大きいです。 >自然な心ではなく、教育によって日の丸を振らせようとしているところに問題があるのです。 教育によって日の丸を振らせる?話をあなたの方向に誘導するのですか? >>国民の安寧を願う人に、日本を嫌いな人はいるでしょうか? >>日本が好きだから、この日本を何とかしようとするのではないでしょうか? >日本は嫌いだけど >もっと住みやすい国になってほしいと考えている人がいてももかまわないのです。 さまざまの人がいらっしゃることは認めます。 政党を名乗る人が日本が嫌いでは困りますね。嫌いなところがあってもそこを直そうとする動きがあることは良いことです。その思いは日本が好きだからではないでしょうか? 例えは悪いかもしれませんが、 自分の子どもが嫌いで、育てられるだろうかと考えてしまいます。愛情があるから育てられることと思います。(少なくとも私は) 「子どもを善導したい」と思う心は、子どもに対する愛情から生まれるように思います。 同じように、政治家は日本が好きだから日本を良くしようと働けるのではありませんか? >原因と結果をあまりにも単純化しすぎていませんか 単純ではありませんが、因果は存在するということです。 |
▼相良唯夫さん: 「道」を説くあなたと、それを拒絶する私とでは議論は平行線をたどるだけかと思います。 折角しげちよさんの立てたスレッドですので話を戻して「誇り」についてお話したいと思います。 私はこの2回ほど「日本の嫌いな日本人」について書きました。書きながら違和感を感じていました。 「日本」という抽象的な姿形のないものに「好悪」の感情が生まれるのだろうか。 日本の「風景が好きだ」日本の「祭りが好きだ」といった具合に具体的なものに対して「好悪」の感情が生まれるのではないかと思ったからです。 それは「誇り」についても同じことが言えます。 「国を愛する」という表現も似たような感じを受けてしまいます。 江戸時代以前、日本を好きになる、日本を誇る、日本を愛するなどといった表現があったのでしょうか。 おそらく明治維新後の表現だと思います。なぜ明治維新後にこのような表現をするようになったか。最初にこのような表現をしたのは「ナポレオン」ではないかと疑っています。(全くのあて推量) 日本では江戸以前庶民が戦争当事者になるなど考えられませんでした。ヨーロッパでもフランス革命前は同様でした。「禄」の反対給付としての戦役義務と同じようにヨーロッパでも経済的給付と戦役義務は分かちがたく結びついていました。 しかも戦争は日本でもヨーロッパでも本質的には国家間ではなく「武家」「王家」の戦いでした。そこでは兵士に忠義あるいは忠誠などを要求しましたが、それは経済的給付の補完物だったと思います。 革命直後、1793年、フランスは「国民総動員令」をだし初めて国民を兵士に仕立て上げ戦場に駆り出しました。その後ナポレオンは「国民軍」を組織してヨーロッパ征服戦争を仕掛けてゆきます。 それまで戦争に縁のなかった庶民を戦場に赴かせるために、経済的な反対給付の代わりに「国の誇り」「愛国心」といった抽象的だが、耳障りがよく、美しく響くイデオロギーを作り上げたのではないかと思っています。 ナポレオンが作ったというのは私の冗談ですが |
▼進化する未老人さん: >▼相良唯夫さん: こんにちは。横レスします。 >「日本」という抽象的な姿形のないものに「好悪」の感情が生まれるのだろうか。 >日本の「風景が好きだ」日本の「祭りが好きだ」といった具合に具体的なものに対して「好悪」の感情が生まれるのではないかと思ったからです。 具体的なものに対して以外は好悪感情はわかない、ということはないと思いますね。たとえば、嫌韓感情というのは、よかれ悪しかれあるでしょう。 愛国感情というのは、確かに抽象的な性格があるというか、外国との対立関係などが生じて意識されてくるものだから、具体的と言うより、より高度に発達した文明的な性格を持っていると思います。 よって、私は一概に愛国感情を否定的に捉える見方は、反文明的だと考えます。 >江戸時代以前、日本を好きになる、日本を誇る、日本を愛するなどといった表現があったのでしょうか。 江戸時代に於いて「日本とは何か」を強く意識する必要や時代的環境が生じたために、「風景」とか「祭り」といった自然な風物の奥にある「日本そのもの」について知ろうとする思想運動が出てきました。 それ以前にも、たとえば中国大陸の高度文明に接した日本インテリは、「日本なるもの」、「日本独自のもの」を強く意識して、文学作品などに残しております。既に古事記に於いて、日本を愛する姿勢は表れていると思います。 勿論、それは明治時代と同じような愛国心とは違いますが、時代環境が違えば、当然違ってくるでしょう。しかし、「愛国心そのもの」の存在を否定するというのは、どうかと思います。 >それまで戦争に縁のなかった庶民を戦場に赴かせるために、経済的な反対給付の代わりに「国の誇り」「愛国心」といった抽象的だが、耳障りがよく、美しく響くイデオロギーを作り上げたのではないかと思っています。 愛国心という飴たまを預けられた日本人民が、喜んで戦争に参加した、かのような見方は、日本人民の心情を理解しての話ではないと思います。 愛国心というのは、自然感情と違って、文明的高度的なものであるから、戦争などに利用されることのないよう、適切な教育が必要かと思います。「愛国教育など必要ない」とする方が、むしろ、愛国精神の健全な発展を歪めてしまうのではないかと思います。 |
▼告天子さん: >▼進化する未老人さん: >>▼相良唯夫さん: > >こんにちは。横レスします。 > >>「日本」という抽象的な姿形のないものに「好悪」の感情が生まれるのだろうか。 >>日本の「風景が好きだ」日本の「祭りが好きだ」といった具合に具体的なものに対して「好悪」の感情が生まれるのではないかと思ったからです。 >具体的なものに対して以外は好悪感情はわかない、ということはないと思いますね。たとえば、嫌韓感情というのは、よかれ悪しかれあるでしょう。 良かれでしょうか、あしかれでしょうか。 >愛国感情というのは、確かに抽象的な性格があるというか、外国との対立関係などが生じて意識されてくるものだから、具体的と言うより、より高度に発達した文明的な性格を持っていると思います。 > >よって、私は一概に愛国感情を否定的に捉える見方は、反文明的だと考えます。 高度に発達した文明的性格かどうか疑問のあるところです。 戦争動員的性格を持っていると思うと申し上げています。 もちろん国家間の戦争を文明的と理解されるのであればそれはもはや見解の相違です。 > >>江戸時代以前、日本を好きになる、日本を誇る、日本を愛するなどといった表現があったのでしょうか。 > >江戸時代に於いて「日本とは何か」を強く意識する必要や時代的環境が生じたために、「風景」とか「祭り」といった自然な風物の奥にある「日本そのもの」について知ろうとする思想運動が出てきました。 > >それ以前にも、たとえば中国大陸の高度文明に接した日本インテリは、「日本なるもの」、「日本独自のもの」を強く意識して、文学作品などに残しております。既に古事記に於いて、日本を愛する姿勢は表れていると思います。 > >勿論、それは明治時代と同じような愛国心とは違いますが、時代環境が違えば、当然違ってくるでしょう。しかし、「愛国心そのもの」の存在を否定するというのは、どうかと思います。 > どのような時代環境の変化なのでしょうか。 問題はその時代環境の変化が更に変化してゆく可能性を信じられない人々の感性にあると考えております。更に言えば1945年8月14日以来停止したその感性です。 >>それまで戦争に縁のなかった庶民を戦場に赴かせるために、経済的な反対給付の代わりに「国の誇り」「愛国心」といった抽象的だが、耳障りがよく、美しく響くイデオロギーを作り上げたのではないかと思っています。 > >愛国心という飴たまを預けられた日本人民が、喜んで戦争に参加した、かのような見方は、日本人民の心情を理解しての話ではないと思います。 喜んで参加したなど申し上げていない。 私の見たことのない叔父は無念の死を遂げ、祖母は死ぬまで彼のことを涙とともに思い出していました。 「愛国心」は、まさに、あなたが言うようにすべての兵士が喜んで戦争に参加するという意識を作り出すことはできなかった。しかしこの掲示板でも明らかなように愛国心を強調することで日本国民の資格さえ云々するような環境を作ってしまうのです。 >愛国心というのは、自然感情と違って、文明的高度的なものであるから、戦争などに利用されることのないよう、適切な教育が必要かと思います。「愛国教育など必要ない」とする方が、むしろ、愛国精神の健全な発展を歪めてしまうのではないかと思います。 再度申し上げます。愛国心なるものは庶民を戦争に動員するためのイデオロギーです。 今、アメリカは「愛国者法」(Patriot Act of 2001)なる稀代の悪法が大手を振るっています。 そんな悪法が日本で制定されないことを祈るばかりです。 |
▼進化する未老人さん: >再度申し上げます。愛国心なるものは庶民を戦争に動員するためのイデオロギーです。 それが老人党の考えですか?「愛」をどうしても戦争に繋げたいのですね。 自国を愛せない者、日本がどうなってもいいと思う者が大手を振るって歩けば、国は滅びます。それは、会社のことを思わず、「会社が潰れるのは構わない、私に給料を沢山下さい。」と言っている自分勝手主義な社員に似ています。 国民も、社員も、地域住民も、家庭も、そして個人も、みんな繋がりがあるのです。 |
▼相良唯夫さん:こんばんは。横から失礼します >▼進化する未老人さん: > >>再度申し上げます。愛国心なるものは庶民を戦争に動員するためのイデオロギーです。 > >それが老人党の考えですか?「愛」をどうしても戦争に繋げたいのですね。 > >自国を愛せない者、日本がどうなってもいいと思う者が大手を振るって歩けば、国は滅びます。それは、会社のことを思わず、「会社が潰れるのは構わない、私に給料を沢山下さい。」と言っている自分勝手主義な社員に似ています。 > >国民も、社員も、地域住民も、家庭も、そして個人も、みんな繋がりがあるのです。 愛国心を説明されるのに愛社精神と関連づけて述べられているようですが…。みんなが繋がって、お互いがあるという、非常に心あたたまるお考えをされているように受け取りました。 ただ、実際のところ、古典的な家族的雰囲気の会社などもう殆どみられなくなって…。 会社が大きくなれば、みんなの生活も楽になる。将来はもっとよくなると言われ、少ない給料でも頑張ってきた結果が、リストラで弊履のごとく捨てられた者がどれだけの数にのぼっているか。 働いただけの給料はいただく。明日のために今日を我慢しても、明日の保証はないと思うのです。さびしい話ですが…。 愛国心を強制される国ではなく、自然と愛国心をもてる国であって欲しい。国民の多くはそう考えているのではないでしょうか。 |
▼王里さん: 横から前後のやり取りも知らずに失礼します。 「愛国心」を植えつけられて死んでいった親父の世代を想起しますね。 「愛社精神」の最後はリストラでした、愛社精神の無い奴は残った。 愛・・(伏字じゃありません)って云われると身構えるんじゃないですか、その点最近の若い人は見抜いていますね。 邪魔してすみません。 |
▼王里さん: >ただ、実際のところ、古典的な家族的雰囲気の会社などもう殆どみられなくなって…。 私は零細中小企業を経営していますが、従業員の給料の半分でしのいだ時もありましたが、従業員一人一人のガンバリに対し、そんなのは辛いことではありませんでした。今は、私を含め従業員も高齢化となり、経営が厳しくなっていますが、それでも、一つ心になっていると言うか、一緒に苦楽を味わっています。会社経営は和が大切ですね。 年に一度ですが、会社あげての家族ぐるみの慰安旅行は楽しみの行事です。 家族的雰囲気の会社がみられなくなることは寂しいことです。 地元にトヨタ、デンソー、ソニーなど大企業がありますが、皆さん愛社精神を持っておられ、嬉々として働いているご様子です。 私もサラリーマン時代があり、友だちの会社にライバル心を持ちました。 それも愛社精神ではなかったかな。 日本国の国民ならば愛国心は当然でしょう。 国を愛することを語るのに、いちいちイデオロギーを持ち出さない方が良いと思いますが・・・。 |
▼進化する未老人さん: >>>「日本」という抽象的な姿形のないものに「好悪」の感情が生まれるのだろうか。 >>>日本の「風景が好きだ」日本の「祭りが好きだ」といった具合に具体的なものに対して「好悪」の感情が生まれるのではないかと思ったからです。 >>具体的なものに対して以外は好悪感情はわかない、ということはないと思いますね。たとえば、嫌韓感情というのは、よかれ悪しかれあるでしょう。 > >良かれでしょうか、あしかれでしょうか。 良いとか悪いとか、一概に言えますか?。悪感情を持つのは、必ずしも悪いことではない。 >>よって、私は一概に愛国感情を否定的に捉える見方は、反文明的だと考えます。 >高度に発達した文明的性格かどうか疑問のあるところです。 >戦争動員的性格を持っていると思うと申し上げています。 >もちろん国家間の戦争を文明的と理解されるのであればそれはもはや見解の相違です。 戦争動員的性格が、愛国心の全てだとお思いでしょうか。愛国心がそういうことに結びつかない、とは言えない。だが、それは愛国心の全てが悪であることを意味しないし、「戦争を文明的だと理解するのか」と相手に尋ねるのは、「自分は戦争に反対する立場だから絶対正しい、お前は戦争に賛成するのか」と、絶対正義の立場から相手を詰問する姿勢でしょう。 >問題はその時代環境の変化が更に変化してゆく可能性を信じられない人々の感性にあると考えております。更に言えば1945年8月14日以来停止したその感性です。 そんな人は誰もいないと思いますよ。 >>愛国心という飴たまを預けられた日本人民が、喜んで戦争に参加した、かのような見方は、日本人民の心情を理解しての話ではないと思います。 > >喜んで参加したなど申し上げていない。 >私の見たことのない叔父は無念の死を遂げ、祖母は死ぬまで彼のことを涙とともに思い出していました。 そういう体験が、他人にはないとは思われていないでしょう。言わないだけですよ。 >「愛国心」は、まさに、あなたが言うようにすべての兵士が喜んで戦争に参加するという意識を作り出すことはできなかった。 それは違う。喜んで戦争に参加する者など、誰がいるか。愛国心教育が、「喜んで戦争に参加させるためのもの」であるかのように前提して、勝手に論を進めるのはおかしい。 >しかしこの掲示板でも明らかなように愛国心を強調することで日本国民の資格さえ云々するような環境を作ってしまうのです。 日本国民の資格は、法律により決まるので愛国心とは関係ないです。要するに「愛国心を強調することは、危険な風潮だ」と危惧されるのでしょうが、私は「健全な愛国心が必要だ」と言っているのであって、日本の良民として愛国心はあった方がよろしかろうと思いますね。 あたかもそれを持つことが、戦争を肯定することであるかのように極論する方こそ、危険な思考体制かと思います。闇雲な愛国心の否定は、むしろ抑圧された愛国感情を爆発させます。 >>愛国心というのは、自然感情と違って、文明的高度的なものであるから、戦争などに利用されることのないよう、適切な教育が必要かと思います。「愛国教育など必要ない」とする方が、むしろ、愛国精神の健全な発展を歪めてしまうのではないかと思います。 > >再度申し上げます。愛国心なるものは庶民を戦争に動員するためのイデオロギーです。 愛国心を最初からそのように定義づけているのであれば、議論にはならないと思います。 >今、アメリカは「愛国者法」(Patriot Act of 2001)なる稀代の悪法が大手を振るっています。 >そんな悪法が日本で制定されないことを祈るばかりです。 されないでしょうね。杞憂だと思います。どんな法律かは知りませんが。 ただ、あまりに「反日的日本人」が目に余るようだと、そんな法律を作ろうということにならないとも限りませんが。自分たちは絶対に正しいから、法を犯そうが秩序を破ろうが許されるのだ、という正義への狂信は大変危険ですから。 |
▼告天子さん: >良いとか悪いとか、一概に言えますか?。悪感情を持つのは、必ずしも悪いことではない。 韓国という国家に良い感情を持つことも、悪感情を持つこともすべて幻想です。 韓国人にも様々な人がおり、様々な生活がある。 「国家に対する感情」はたぶん人為的に作り出したものでしょう。 >戦争動員的性格が、愛国心の全てだとお思いでしょうか。愛国心がそういうことに結びつかない、とは言えない。だが、それは愛国心の全てが悪であることを意味しないし、「戦争を文明的だと理解するのか」と相手に尋ねるのは、「自分は戦争に反対する立場だから絶対正しい、お前は戦争に賛成するのか」と、絶対正義の立場から相手を詰問する姿勢でしょう。 少なくとも「愛国心」が戦争動員的性格を帯びて出現したものと理解しております。それとも「愛国心」を国民に要求する他の理由があるのでしょうか。 私はあらゆる戦争に絶対反対です。たとえ自衛戦争だとしても反対です。人間の命を危険にさらすほど重要な国家的利益など存在していないと考えています。国家指導者の責務は徹底して国民の生命を守り通すことにあると考えています。 >>問題はその時代環境の変化が更に変化してゆく可能性を信じられない人々の感性にあると考えております。更に言えば1945年8月14日以来停止したその感性です。 >そんな人は誰もいないと思いますよ。 この掲示板では良く見かけるのですが。 >>>愛国心という飴たまを預けられた日本人民が、喜んで戦争に参加した、かのような見方は、日本人民の心情を理解しての話ではないと思います。 >> >>喜んで参加したなど申し上げていない。 >>私の見たことのない叔父は無念の死を遂げ、祖母は死ぬまで彼のことを涙とともに思い出していました。 > >そういう体験が、他人にはないとは思われていないでしょう。言わないだけですよ。 ここは重要です。戦争体験者がしだいに黄泉の国に旅立たれていき、直接伝え聞いた我々も老境に入ろうとするとき、戦争の悲惨さをいやというほど語らなければならない、そのことが戦争を抑止する大きな柱になると思っています。 戦争愛好者にとって耳障りなことを声を大にして語らなければなりません。 >それは違う。喜んで戦争に参加する者など、誰がいるか。愛国心教育が、「喜んで戦争に参加させるためのもの」であるかのように前提して、勝手に論を進めるのはおかしい。 嫌々戦争に参加させるために、愛国心教育をわざわざ行ったとは、とても思えません。 >日本国民の資格は、法律により決まるので愛国心とは関係ないです。要するに「愛国心を強調することは、危険な風潮だ」と危惧されるのでしょうが、私は「健全な愛国心が必要だ」と言っているのであって、日本の良民として愛国心はあった方がよろしかろうと思いますね。 あなたが言うように日本国籍を持つものはすべて日本人であり、良民と悪民の区別もありません。 >あたかもそれを持つことが、戦争を肯定することであるかのように極論する方こそ、危険な思考体制かと思います。闇雲な愛国心の否定は、むしろ抑圧された愛国感情を爆発させます。 今度は脅しのように聞こえます。ニックさんが書き込まれていたように、アジアカップでの中国のサポーターの振る舞い、今回の竹島問題での一部の韓国人の振る舞いなど愛国教育の悪しき成果といえましょう。 > >>今、アメリカは「愛国者法」(Patriot Act of 2001)なる稀代の悪法が大手を振るっています。 >>そんな悪法が日本で制定されないことを祈るばかりです。 > >されないでしょうね。杞憂だと思います。どんな法律かは知りませんが。 > >ただ、あまりに「反日的日本人」が目に余るようだと、そんな法律を作ろうということにならないとも限りませんが。自分たちは絶対に正しいから、法を犯そうが秩序を破ろうが許されるのだ、という正義への狂信は大変危険ですから。 「反日的日本人」のお仲間に入れたのなら光栄です。 ところで私の文章のどこが法と秩序を犯したことになるのでしょう。 |
▼進化する未老人さん: >▼告天子さん: > >>良いとか悪いとか、一概に言えますか?。悪感情を持つのは、必ずしも悪いことではない。 >韓国という国家に良い感情を持つことも、悪感情を持つこともすべて幻想です。 >韓国人にも様々な人がおり、様々な生活がある。 >「国家に対する感情」はたぶん人為的に作り出したものでしょう。 なるほど、それでは韓国などの反日感情も、全て幻想であるわけですか。 >少なくとも「愛国心」が戦争動員的性格を帯びて出現したものと理解しております。それとも「愛国心」を国民に要求する他の理由があるのでしょうか。 戦争動員とは関係なしに、明治維新の前から愛国心はありましたよ。 あなたの愛国心の定義が著しく限定された特殊なものであるために、上のように指摘したのです。 >私はあらゆる戦争に絶対反対です。たとえ自衛戦争だとしても反対です。人間の命を危険にさらすほど重要な国家的利益など存在していないと考えています。国家指導者の責務は徹底して国民の生命を守り通すことにあると考えています。 あなたの意見が、全ての他の人にも適用されることがふさわしいとは思いません。それに、大体国家指導者の責務は国民の生命を守ることにあるならば、自衛戦争もしないで黙って国民は死ね、という話は矛盾しやしませんか。 あなたの発言は、全体的に矛盾しており、認めがたいです。 >>そんな人は誰もいないと思いますよ。 >この掲示板では良く見かけるのですが。 どなたでしょう。他人の完成がある時点で停止したままだとは、随分と傲慢な物言いですね。 >>そういう体験が、他人にはないとは思われていないでしょう。言わないだけですよ。 > >ここは重要です。戦争体験者がしだいに黄泉の国に旅立たれていき、直接伝え聞いた我々も老境に入ろうとするとき、戦争の悲惨さをいやというほど語らなければならない、そのことが戦争を抑止する大きな柱になると思っています。 そのことには反対していませんよ。むしろ、デタラメで筋の通らない政治主張に、そうした尊い犠牲が利用されることに、怒りを覚えますね。 >戦争愛好者にとって耳障りなことを声を大にして語らなければなりません。 だからその、「戦争愛好者」というのは少なくともこの掲示板にはいないと思うのですが。また、歪んだ歴史意識を元に、絶対的な戦争反対をムード的に行うことは、かえって「反戦」を無力化するように思えるのですが。 反戦なら反戦で、筋の通った話でなければならないと思いますね。 >>それは違う。喜んで戦争に参加する者など、誰がいるか。愛国心教育が、「喜んで戦争に参加させるためのもの」であるかのように前提して、勝手に論を進めるのはおかしい。 >嫌々戦争に参加させるために、愛国心教育をわざわざ行ったとは、とても思えません。 じゃあ、日本国民は喜んで戦争に参加したのですか?。愛国新教育とは、戦争教育である、というあなたの定義がループしていることに、議論のすれ違いの原因があるのだと思います。 >あなたが言うように日本国籍を持つものはすべて日本人であり、良民と悪民の区別もありません。 良民かどうかは法律上の区別ではありません。たちの悪い人民のことは、良民とは言わないでしょうね。 >>あたかもそれを持つことが、戦争を肯定することであるかのように極論する方こそ、危険な思考体制かと思います。闇雲な愛国心の否定は、むしろ抑圧された愛国感情を爆発させます。 >今度は脅しのように聞こえます。ニックさんが書き込まれていたように、アジアカップでの中国のサポーターの振る舞い、今回の竹島問題での一部の韓国人の振る舞いなど愛国教育の悪しき成果といえましょう。 脅しと感じる方に問題があるのかと思いますが。あなたは愛国教育と、自国中心のエゴイズムとを混同しているように思えますね。韓国の愛国は、反日ですか。そういうのは、本当の意味での「愛国」とは違うんじゃないんでしょうか?。単なる国家主義、国家エゴに思えますね。 >「反日的日本人」のお仲間に入れたのなら光栄です。 そうなんですか?。なぜ反日だと、光栄なのですか?? >ところで私の文章のどこが法と秩序を犯したことになるのでしょう。 主語がないので混乱させてしまったようですが、一般的な話を言っているだけで、進化する未老人さんの文章のことを言ったのではないですよ。 |
▼告天子さん: >なるほど、それでは韓国などの反日感情も、全て幻想であるわけですか。 もちろん幻想です。先に書いたように、どこの国の愛国教育も排外的性格を持つのです。 >戦争動員とは関係なしに、明治維新の前から愛国心はありましたよ。 > >あなたの愛国心の定義が著しく限定された特殊なものであるために、上のように指摘したのです。 それではあなたの愛国心の中身を教えてください。 神聖日本などといった神がかり的愛国心なのでしょうか。 >あなたの意見が、全ての他の人にも適用されることがふさわしいとは思いません。それに、大体国家指導者の責務は国民の生命を守ることにあるならば、自衛戦争もしないで黙って国民は死ね、という話は矛盾しやしませんか。 >あなたの発言は、全体的に矛盾しており、認めがたいです。 自衛戦争もしないのに、国民が死ぬことがあるのでしょうか。 ある日突然非武装の日本を外国軍が襲って国民を皆殺しにするといった妄想を抱いているのではないですか。 >>>そんな人は誰もいないと思いますよ。 >>この掲示板では良く見かけるのですが。 > >どなたでしょう。他人の完成がある時点で停止したままだとは、随分と傲慢な物言いですね。 これは訂正しておきます。 1945年8月14日より悪賢くなっているかもしれません。 >そのことには反対していませんよ。むしろ、デタラメで筋の通らない政治主張に、そうした尊い犠牲が利用されることに、怒りを覚えますね。 この言葉はそっくりあなたにお返ししておきます。 > >>戦争愛好者にとって耳障りなことを声を大にして語らなければなりません。 > >だからその、「戦争愛好者」というのは少なくともこの掲示板にはいないと思うのですが。また、歪んだ歴史意識を元に、絶対的な戦争反対をムード的に行うことは、かえって「反戦」を無力化するように思えるのですが。 この掲示板を見る人が判断するのです。 > >反戦なら反戦で、筋の通った話でなければならないと思いますね。 あなたの言う「筋のとおった話」とはどんな話でしょう。 まず神聖日本から始めるような話はできません。 > >じゃあ、日本国民は喜んで戦争に参加したのですか?。愛国新教育とは、戦争教育である、というあなたの定義がループしていることに、議論のすれ違いの原因があるのだと思います。 > あなたの愛国、新教育を聞かせてください。 >良民かどうかは法律上の区別ではありません。たちの悪い人民のことは、良民とは言わないでしょうね。 どのような人物をたちの悪いと考えておられるのでしょう。 > >脅しと感じる方に問題があるのかと思いますが。あなたは愛国教育と、自国中心のエゴイズムとを混同しているように思えますね。韓国の愛国は、反日ですか。そういうのは、本当の意味での「愛国」とは違うんじゃないんでしょうか?。単なる国家主義、国家エゴに思えますね。 愛国の中身です。 >そうなんですか?。なぜ反日だと、光栄なのですか?? ここは注釈がいるところでしょう。 「反日日本人」なる語は右翼的人士の造語だと承知しております。 彼らの非難を浴びることは誠に光栄である、自分の立場を確認させていただいているようです。 >>ところで私の文章のどこが法と秩序を犯したことになるのでしょう。 > >主語がないので混乱させてしまったようですが、一般的な話を言っているだけで、進化する未老人さんの文章のことを言ったのではないですよ。 |
▼進化する未老人さん: >▼告天子さん: >>なるほど、それでは韓国などの反日感情も、全て幻想であるわけですか。 >もちろん幻想です。先に書いたように、どこの国の愛国教育も排外的性格を持つのです。 何故排外的性格を持つと幻想なのですか?。脈絡が全然通っていませんよ。 >>戦争動員とは関係なしに、明治維新の前から愛国心はありましたよ。 >> >>あなたの愛国心の定義が著しく限定された特殊なものであるために、上のように指摘したのです。 >それではあなたの愛国心の中身を教えてください。 >神聖日本などといった神がかり的愛国心なのでしょうか。 公共のために己を空しくして尽くす気持ちが、愛国心です。では、あなたの愛国心を教えていただきましょうか、と言いたいところですが、何でも「幻想だ」そうですから、質問しても無駄ですね。 >>あなたの意見が、全ての他の人にも適用されることがふさわしいとは思いません。それに、大体国家指導者の責務は国民の生命を守ることにあるならば、自衛戦争もしないで黙って国民は死ね、という話は矛盾しやしませんか。 >>あなたの発言は、全体的に矛盾しており、認めがたいです。 >自衛戦争もしないのに、国民が死ぬことがあるのでしょうか。 外国に攻められたら、どうするのか、と尋ねているのですよ。 >ある日突然非武装の日本を外国軍が襲って国民を皆殺しにするといった妄想を抱いているのではないですか。 日本が戦争に巻き込まれることは、決してないと、どうして言えるのでしょうか?。あなたにその保証が出来ますか。全体に、あなたは「相手はこう思っているに違いない」と勝手に思い込んで、それに基づいて反論を返すから話がおかしくなるんですよ。愛国心にしても、「それは戦争教育に等しいのだ」と勝手に思い込んで、それに基づいて私の反論されても、どうかと思いますがね。 >>>>そんな人は誰もいないと思いますよ。 >>>この掲示板では良く見かけるのですが。 >> >>どなたでしょう。他人の完成がある時点で停止したままだとは、随分と傲慢な物言いですね。 >これは訂正しておきます。 それから、私のした質問にもきちんと答えないのですね。よく見かける、とは、誰のことですか。 >1945年8月14日より悪賢くなっているかもしれません。 何故ですか。 >>そのことには反対していませんよ。むしろ、デタラメで筋の通らない政治主張に、そうした尊い犠牲が利用されることに、怒りを覚えますね。 >この言葉はそっくりあなたにお返ししておきます。 オウム返しに怒りを返しているだけで、これでは議論とは言えないでしょう。あなた、自分は尊い犠牲を思っているが相手はそうではない、という筋で私に話をぶつけておいて、だったらどこがどうデタラメかをきちんと説明したらいいではないですか。 質問には答えもしないで、相手には尋ねるとは、フェアじゃないです。 |
▼告天子さん: >▼進化する未老人さん: >>▼告天子さん: >何故排外的性格を持つと幻想なのですか?。脈絡が全然通っていませんよ。 簡単です。国家は人為的に作られたものだからです。 私がはじめに申し上げたように、庶民は国家など関係なく生きてきたのです。 もし御不審なら、国家制度ができる前から人間は生まれて生きて死んでいったのです。多分15万年前からです。 > >公共のために己を空しくして尽くす気持ちが、愛国心です。では、あなたの愛国心を教えていただきましょうか、と言いたいところですが、何でも「幻想だ」そうですから、質問しても無駄ですね。 そのとおり無駄です。愛国心を否定しているのですから。 ところで、「公共のために己を空しくして尽くす気持ち」とはどのような内実なのでしょう。例えば近所の人が急に体調を悪くした。救急車を呼ぶ手配をする。あるいは、最近、近所で物騒な事件が起きた。町内の有志で夜回りをしようといったことであれば、それを否定するつもりはありません。しかしそんなことを「愛国心」などと呼んでいるのですか。愛「国」心というからには外国を意識しているのではないのですか。 >日本が戦争に巻き込まれることは、決してないと、どうして言えるのでしょうか?。あなたにその保証が出来ますか。全体に、あなたは「相手はこう思っているに違いない」と勝手に思い込んで、それに基づいて反論を返すから話がおかしくなるんですよ。愛国心にしても、「それは戦争教育に等しいのだ」と勝手に思い込んで、それに基づいて私の反論されても、どうかと思いますがね。 別にあなたと議論するつもりで書き込んでいたわけではありません。 これも簡単な話です。武器を持つより持たないほうが戦争になる危険は圧倒的に減少します。 更に外国を敵視しなければ、あるいは外国と異なる神聖な日本などといわなければその危険は更に減少します。 >それから、私のした質問にもきちんと答えないのですね。よく見かける、とは、誰のことですか。 あなたの質問がくだらないからです。 掲示板を見ている人が判断することです。 なぜ特定の名前を私に言わせたいのかそのほうがとても興味があります。 >>1945年8月14日より悪賢くなっているかもしれません。 >何故ですか。 これも簡単な話です。現憲法の人権・民主主義・平和主義の表面だけを簒奪し、戦争のできる日本に変えようとしているからです。 >>>そのことには反対していませんよ。むしろ、デタラメで筋の通らない政治主張に、そうした尊い犠牲が利用されることに、怒りを覚えますね。 >>この言葉はそっくりあなたにお返ししておきます。 >オウム返しに怒りを返しているだけで、これでは議論とは言えないでしょう。あなた、自分は尊い犠牲を思っているが相手はそうではない、という筋で私に話をぶつけておいて、だったらどこがどうデタラメかをきちんと説明したらいいではないですか。 >質問には答えもしないで、相手には尋ねるとは、フェアじゃないです。 あなたのお言葉は上に記載してあるとおりです。「デタラメ」「筋の通らない政治主張」「尊い犠牲」 論理的ですか。 |
続きです。 >>反戦なら反戦で、筋の通った話でなければならないと思いますね。 >あなたの言う「筋のとおった話」とはどんな話でしょう。 >まず神聖日本から始めるような話はできません。 少なくとも、愛国心は幻想だとか戦争教育に等しいだとかいう話は、筋が通っていないです。神聖日本?。そんな話、私がいつ持ち出しましたか?。あなたは、勝手な思い込みに基づいて話をしています。 >>じゃあ、日本国民は喜んで戦争に参加したのですか?。愛国新教育とは、戦争教育である、というあなたの定義がループしていることに、議論のすれ違いの原因があるのだと思います。 >> >あなたの愛国、新教育を聞かせてください。 質問するだけでなく、きちんと私の問いにも答えてください。 >>良民かどうかは法律上の区別ではありません。たちの悪い人民のことは、良民とは言わないでしょうね。 >どのような人物をたちの悪いと考えておられるのでしょう。 また質問ですか。もはや文脈を無視して、オウム返しに、「あれは何ですか、これは何ですか」と尋ねるだけになっていますね。 >>脅しと感じる方に問題があるのかと思いますが。あなたは愛国教育と、自国中心のエゴイズムとを混同しているように思えますね。韓国の愛国は、反日ですか。そういうのは、本当の意味での「愛国」とは違うんじゃないんでしょうか?。単なる国家主義、国家エゴに思えますね。 >愛国の中身です。 愛国の中身です、とはどういう趣旨か分かりませんよ、それだけじゃ。韓国の愛国は反日か、それが正当で立派な愛国だと思うのか、と尋ねているのに、「愛国の中身です」じゃあ、何が言いたいのか分かりませんよ。 >>そうなんですか?。なぜ反日だと、光栄なのですか?? >ここは注釈がいるところでしょう。 >「反日日本人」なる語は右翼的人士の造語だと承知しております。 >彼らの非難を浴びることは誠に光栄である、自分の立場を確認させていただいているようです。 反対論者に非難されることで自分の光栄が確認されるなど、自己満足に過ぎません。あなたの主張する中身が立派であったときに、初めて立場を確認できるのです。残念ながら、あなたの説は脈絡が通っていないと判断せざるを得ません。 |
▼北の老兵さん:こんばんは >▼ニックさん: >>▼三吉さん: > >愛国心は強制されるものでありません。 >再三引用しますが、倉本総さんと、自然派で作家のCWニコルさんと対談した番組がありました。 > >その時の倉本総さんの言葉が全てだと感じました。「自然を愛するものは、親兄弟を愛し、友人、隣人を愛する事が出来る。親兄弟、友人隣人を愛する事が出来る人は黙っても国を愛する。愛国心とはそういうものだ」と。 > >つまり、身近なものを愛する事が出来ない人が、国を愛せよと強制するのは如何に偽善かという事です。 仰せの通りです。 国の中に争いが少なく、統治者にかたよりがなく、皆が安心して生活できる国。住民が安心して平和に長生きができる国なら、愛国心は自然と育まれてくるものだと思います。 その逆に、争いが多く国民が不安で死におびえる国。そんな国がいくら強大な軍事力をもったとしても、国を守れないことは歴史的に証明されています。 |
▼北の老兵さん: >▼ニックさん: >>▼三吉さん: > >愛国心は強制されるものでありません。 >再三引用しますが、倉本総さんと、自然派で作家のCWニコルさんと対談した番組がありました。 > >その時の倉本総さんの言葉が全てだと感じました。「自然を愛するものは、親兄弟を愛し、友人、隣人を愛する事が出来る。親兄弟、友人隣人を愛する事が出来る人は黙っても国を愛する。愛国心とはそういうものだ」と。 > >つまり、身近なものを愛する事が出来ない人が、国を愛せよと強制するのは如何に偽善かという事です。 まさに北の老兵様のおっしゃる事が核になると思います。 私が考える通常人の考える大事なものの順位はこうです。 家族・妻・恋人・友人 → 地域 → 都道府県 → 国。 これを見れば北の老兵様のおっしゃる様に、「親兄弟、友人隣人を愛する事が出来る人は黙っても国を愛する」になると思います。 そして愛国心を強制する考えの方も似たような事を良く口にされます、何故か愛国心を語る方には軍隊を持つ事に大賛成の方が多いのですが、諸手を上げて軍隊を持つ考えの方々は「国を護る為に軍隊が必要」と言い、その根拠として「家族や恋人を守るため」だとおっしゃいます。 しかしいつも「おや?」と思うのは、優先順位が上記のようにはなっておらず、「国 → 家族・恋人・・・・」の様に、何故か「国」が守るべき最重要項目になっています。 私がいつも疑問に思うのはここです、「家族や兄弟、恋人」などは物理的に直ぐ側に存在しますから容易に理解できますが、「国」とは一体何なのでしょうか?、「国を護る」と一口に言いますが、では何を護れば「国を護った」事になるのでしょうか? これがはなはだ疑問です、漠然としたイメージの「国」は存在しても、明確な定義の「国」は存在しないように感じます。(どなたか何を護れば国を護った事になるのか説明していただけますか?) 又、国を護ると言う事は異なる考え方の人間であっても「同朋は護る」と言う事ですが、考え方が違う私のような人間は「媚中派」と認定され、護る対象にはならずに「日本が嫌なら海外に住め」とまで言われます。 この考え方には二重に「???」です、「考え方の違う人間は護る価値が無い」と言う事なのでしょうが、その様な考え方の人間が果たして第二次大戦の頃の「特高警察」の様に暴力で考え方が違う人間を従わせないと言い切れるのでしょうか。 私は最小単位の「家族」が国を形成する基本であり、定義が甚だ曖昧な国を護る事がイコール家族を護る事と言うようなすり替え議論には疑問を感じます。 そもそも第二次大戦中には軍隊は国民を護りませんでしたし、最小単位の家族を護らない軍隊が国を護っていると言えるのでしょうか。 北の老兵様のご発言はこの部分を指摘してらっしゃると思います。 |
市民活動団体の交流会に参加しました。地域の60近い団体が紹介されました。 いずれも、ネットワ−クづくり→ひとづくり→まちづくりを念頭に地道な活動を 行っている団体でした。外国人市民が2人、元気な高校1年生も参加していました。 そのなかで、かつて荒れていた学校を核にした活動をしている方の話 「相手の気持に寄り添うという主体的体験がそのものの周りを変えていく のではないか」。また、フリ−スクールの関係者いわく「見て、聞いて、 触って、そして考える体験が心を育てる」と。 もっとも身近なところから【大事なものとは何か】を確認したいものです。 |
愛国心とは、自分が、守られている,認められている,許されている、と思った時に、感じるものだと、思います。 |
▼ニックさん: > >今の政治家の言う所の愛国心とは、イコール、戦争になった時にどれだけ国に命を捧げられるかと言う事と同義のように考えます。 そうかなぁ、政治家は愛国者であり、愛国心のない者は政治家になる資格がないだけでなく、そんな人は政治家と言えないでしょう。 民族意識からも、国を愛する心は自然に湧き出てしかるべきであり、その心が失われて行くということは、憂うべきことであると思います。 戦争になってはいけませんが、なったときは国を守ることは当然でしょう。 国に命を捧げられるかというように、戦前の悪しき道徳心を引き出し、結び付けない方がよいでしょう。それを言うから道徳が悪者になってしまいます。 道徳は道徳、倫理は倫理、人が生きるためのすじ道です。どの時代にも通用する不易なものです。 当然、自然を破壊することは人倫の道に外れた行為です。倫理に外れたことはすべきではなく、その反省を促すために災害があったのかな? |
三吉さん 初めまして ほんとほんと全く貴方の仰る通り。特に >難解な外来語をやたらまじえて話をしないで下さいな。 背筋が >ゾッとします。 正しい日本語を使いましょうよ。 大だい賛成です。 |
いい加減な国会答弁や、いい加減な政治家の発言ばかりを聞かされていたんじゃ将来に何のヴィジョンも見えないし期待も持てない。こんな状態で国に誇りを持てと言うほうがおかしい。まず、この国の積年の埃を掃除してもらいたい。 |
▼梟さん: >いい加減な国会答弁や、いい加減な政治家の発言ばかりを聞かされていたんじゃ将来に何のヴィジョンも見えないし期待も持てない。こんな状態で国に誇りを持てと言うほうがおかしい。まず、この国の積年の埃を掃除してもらいたい。 ほんとに困ったもんですねー。 つい先日の国会で、ある女性議員が「パートや 契約社員の待遇など」について質問をしている時に、「いやなら正社員になれば いいじゃないか!」とヤジを飛ばした馬鹿がおりました。 あんな世間知らずが 国民の代表として選ばれた事自体情けないです。 昨日(19日)、奈良の薬師寺に行って参りました。そこの和尚さん(あの高田 好胤住職のお弟子さん)も嘆いておられました。 「祖先より受け継がれた 素晴らしい自然と文化を持つ我が国が、我々人間の手で滅茶苦茶にされつつある。 我々一人一人が何か小さな一つでいいから、子や孫や今後生まれ来る子供達の為に 良いものを残さねば・・・」 更に「同じ水を飲んでも、蛇はそれを毒に変えて 嫌われるが、牛は乳に変えて喜ばれる(勿論蛇にも効用はありますが)。」 同じように学問を積んでも、ある者は悪用したり、弱者いじめに用い、ある者は 多くの人を救う。 前者ばかりがやたら目立って困ります。 私も足りない頭を こすって立ち上がりたいです。 |
▼梟さん:こんばんは 初めまして >いい加減な国会答弁や、いい加減な政治家の発言ばかりを聞かされていたんじゃ将来に何のヴィジョンも見えないし期待も持てない。こんな状態で国に誇りを持てと言うほうがおかしい。まず、この国の積年の埃を掃除してもらいたい。 全く仰る通りです。 極悪非道の政権党の為に「笑う余裕」も奪われた人間(庶民)に無理やり誇りを持て持てと煽られても・・・ 何処かの狭量な「正論」を垂れる自由を履き違えた新聞屋にご注意を。 部屋に閉じ込めて高額な商品を売りつける「催眠商法のヤカラ」にご注意を。 振り込めサギにご注意を。ネットフィッシング(カードの暗証番号聞き取りサギ) にご注意を。 国会の大政翼賛会化、メディアの右傾化に対抗するには分かっていても、我が親愛なる心有る老人党党員のためには念押しの「注意喚起」を定期的に続ける以外ないです。気が付いた党員は党員皆のためになるメッセージを常に発しましょう。それがこの掲示板なのです。 大里さんの言を再掲します。 「愛国心」とは上から押し付けるものではない。 イデオロギーでも何でもない。ごくごく当たり前の意見である。 |
▼梟さん: >いい加減な国会答弁や、いい加減な政治家の発言ばかりを聞かされていたんじゃ将来に何のヴィジョンも見えないし期待も持てない。こんな状態で国に誇りを持てと言うほうがおかしい。まず、この国の積年の埃を掃除してもらいたい。 いい加減な国会答弁,いい加減な政治家の発言,これらはそのとおりです。 これらが世間を悪くする原因となっている。一面の真理です。 でも,それが愛国心を若者から失わせる原因であるというには,疑問があります。 話題にした高校生の多数は,国会答弁など聞いたことがないでしょうし,国会中継がやっていることすら,知らないのではないでしょうか。 小泉さんはさすがに就任期間が長いので,首相として認識されているでしょうけど,その発言となるとわかっていない人が多いと思います。 わたしの疑問は,米国や韓国の高校生の,愛国心の高さです。 逆に言うと,日本人の愛国心の低さです。関心の薄さです。 今の若者がこれでは,さらに選挙の投票率は下がるでしょう。 また,国などの抽象概念は愛情をもつ対象にはならない,との意見もありますが,アメリカではブッシュ賛成の人も星条旗を掲げて賛成し,ブッシュ反対の人も星条旗を掲げて反対する。国旗が政権を表しているのではなく,国を表しているのが明瞭です。そして,国は政権をとっている人のものではなく,自分たちのものという意識が強いように思われます。 ところが,日本では国旗は右翼の象徴であり,政府の象徴である,ということです。反政府の方々の中に日の丸をよく言う人はあまりいません。 もし,反政府の方々が応援する政党などが政権について,その政権下で国の式典をするとき,日の丸を使用すると思うのですが,そのとき日の丸についてどう思われるのでしょうか。 |
いい加減な国会や議員の答弁をTV中継などで見なくても、ニュースなどで飽きるほど贈収賄事件や選挙違反、裏金問題などの事件を見る事が出来ますね。 これを認めながら「軍隊を持てば法律で決めたとおりに全てを行う」と考える事が出来る方がいらっしゃるのが私には不思議でなりません。 また教育で「愛国心を植え付ける」と本気で語っている方がいらっしゃいますが、何を隠そう話題に出てくる「中国」も同じ手法を使っています、その結果がサッカーなどでの暴動騒ぎな訳ですが、あの結果を見て「素晴らしい愛国心だ」と考えた方が果たしていらっしゃるのでしょうか? 米国式の愛国心は良く兵士等に使っています、「国を愛しているならば戦って証明せよ」と言うやつですね。 植え付けられた愛国心が素晴らしいものと錯覚しているところに私は恐ろしさを感じます、北の老兵様がおっしゃる様に、教えなくても自然にわいてくるのが愛国心だと思います、それは教えなくても家族を愛するのと同じ事でしょう。 その心を芽生えなくさせているのが政治家やモラルの無い大人の行動だと言えますね。 |
▼ニックさん: >また教育で「愛国心を植え付ける」と本気で語っている方がいらっしゃいますが、何を隠そう話題に出てくる「中国」も同じ手法を使っています、 ここのスレッドには「愛国心を植えつける」と主張している人はいませんし,中国の話も関係ないと思います。何かの勘違いでしょう。ピンとはずれです。 >その心を芽生えなくさせているのが政治家やモラルの無い大人の行動だと言えますね。 一部はそうでしょうが,全部ではありません。米国でも政治家がいいとは思えませんし,モラルがある大人ばかりとも思えません。 こんなに国に対して関心の薄い高校生は,他国では見られないかもしれません。 |
▼ニックさん: >いい加減な国会や議員の答弁をTV中継などで見なくても、ニュースなどで飽きるほど贈収賄事件や選挙違反、裏金問題などの事件を見る事が出来ますね。 政治は汚いものです。権謀術数、悪巧み、利害損得、・・・世は汚辱に満ちています。目を背けたくなることばかり、それが現実でしょう。 >これを認めながら「軍隊を持てば法律で決めたとおりに全てを行う」と考える事が出来る方がいらっしゃるのが私には不思議でなりません。 軍隊とはいえ、政治が全くないとは言えない。だから、軍隊に限って「法律の通りに全てが行われるはずだ」とは言えない。 問題は、そういう「政治の汚さ、見落としのなさ」が、国の全てであるか、あるべき姿であるか、ということでしょう。こと軍事については、人の命が懸かった話です。最も神聖なものであるべきで、公平中立、一片の私が入ってもならない、そこに道義道徳があり、神聖な「愛国心」というものが輝くことに何の不思議もない。 ただ恋人のため家族のためであればこれは私事であるが、それを越えた公共の場として国というものがある。だから、軍事に於いて、軍人が示した「愛国心」というものは、通常の私的な愛の生活を越えて、人の心を動かし奮い立たせる力があり、先人が公共性に於いてどう生きたか、その理想的な姿を教えることが「愛国教育」である。それは「政治教育」ではない、むしろ政治を越えた神聖さ、政治が侵してはならない人間の美を教えるものである。 それを、「人間は汚らしい存在なのだ」とばかりに、如何に日本人が醜いかを教えるばかりなら、やる気がなくなるのは当たり前だと思う。 >また教育で「愛国心を植え付ける」と本気で語っている方がいらっしゃいますが、何を隠そう話題に出てくる「中国」も同じ手法を使っています、その結果がサッカーなどでの暴動騒ぎな訳ですが、あの結果を見て「素晴らしい愛国心だ」と考えた方が果たしていらっしゃるのでしょうか? 日本人は、愛国心が高貴なものであり、卑しい愛国エゴではないことを知らずの内に気づいている。その高貴な国民性を高めるために、なおの教育が必要なのである。 >米国式の愛国心は良く兵士等に使っています、「国を愛しているならば戦って証明せよ」と言うやつですね。 さような強固な尋問めいた、強迫観念的な「愛国」を国民に強要しないと、米国のような国は統一体として成り立たないのではないか。米国の神聖と、日本の神聖とは異なるだろう。 >植え付けられた愛国心が素晴らしいものと錯覚しているところに私は恐ろしさを感じます、北の老兵様がおっしゃる様に、教えなくても自然にわいてくるのが愛国心だと思います、それは教えなくても家族を愛するのと同じ事でしょう。 それは統一国家という歴史的かつ人工的な組織、つまり、我々が生きる場としての国家、これを守ることとの間には大きな距離がある。「教えなくても自然にわいてくる」というのであれば、教育は不要だが、生死に際しての本当に美しい人間の姿は、教えて示されなければ分からない。これは日常平凡の人間愛とは異なるものである。 >その心を芽生えなくさせているのが政治家やモラルの無い大人の行動だと言えますね。 政治に権謀術数やごまかしはある意味付きものだから、その悪を以て「モラルがない」とは言えない。むしろ日本の神聖を国家公共の場から追い出してしまおうとするような体制が、本当の意味で「モラルと誇りをスポイルしている」のである。 |