Page 2669 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼事件後の処置に注目 もの申す 05/4/7(木) 11:30 ┗Re(1):事件後の処置に注目 MNG 05/4/9(土) 19:11 ┗Re(2):事件後の処置に注目 もの申す 05/4/9(土) 22:26 ┣加重刑という解決法 退役軍人 05/4/10(日) 0:00 ┃ ┗Re(1):加重刑という解決法 もの申す 05/4/10(日) 8:05 ┗Re(3):事件後の処置に注目 MNG 05/4/11(月) 23:24 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 事件後の処置に注目 ■名前 : もの申す ■日付 : 05/4/7(木) 11:30 -------------------------------------------------------------------------
凶悪事件が後を絶たない。いとも簡単に人の命が奪われてゆく。犯人達はどんな気持ちで人を殺したり、死体を遺棄しているのだろうか。 事件が起きるとメディアは一斉に騒ぐ。しかし犯人が逮捕されると急速に関心を示さなくなる。裁判の判決を報道するのは、特別騒がれた事件だけである。 しかし、我々は事件後の動向に注目する必要がある。刑法が百年ぶりに改正され重罰化が図られたが、裁判は相変わらず加害者に優しく被害者や遺族には冷いままである。今の日本ではひとりや二人殺害しても決して死刑にはならない。重くても10年経てば仮釈放が認められる無期懲役という曖昧な刑罰で処理されることとなる。時には懲役10年にも満たない刑罰で、遺族の悲しみが癒えぬ間に晴れて社会復帰する加害者も多い。 死刑は残酷な刑罰だと言うが、罪も無い女性や子供を、命乞いをする被害者を、平然と殺害することは残酷ではないのかと問いたい。日本では古来から人の命を理不尽に奪った者は、己の命を差し出して償うとの文化があった。これも今では死語同然となっている。検察は滅多に死刑を求刑せず、裁判所は三人以上の命を奪った場合を除き死刑判決を下すことはほとんどない。 死刑の廃止が世界的な潮流になっており、これが日本の裁判にも大きく影響していると思う。ヨーロッパ諸国の多くはは死刑制度を廃止しているが、代替刑として仮釈放のない終身刑を導入している。 遺族の多くは加害者の社会復帰を望んでいないが、死刑に躊躇する遺族もいる。死刑に問題があるならば、日本も仮釈放を認めない終身刑を導入すべきである。 理不尽な殺人を犯した加害者に社会復帰を約束するような刑罰が、犯罪抑止に役立つとは到底思えないからだ。 |
▼もの申すさん: この話題が語られる時、「加害者に優しく被害者や遺族には冷い」と言う風に、加害者と被害者をセットにして死刑・重罰化を肯定されることに疑問を感じます。 犯罪被害者や遺族に対する国の援助は不十分であり、改善されるべきだと思いますが、それと死刑の是非は分けて考えた方が良いと思います。 刑罰には、犯人に対する懲罰・被害者や遺族の恨みを晴らす・犯罪の抑止などの効果が考えられる思いますが、死刑について私見を述べます。 死刑判決を考える場合、最も危惧されるのが冤罪の恐れです。 近年の事件で言えば、松本サリン事件という大冤罪事件がありました。 容疑が晴れたから良かったようなものの、危うく無実の人が刑を受ける所でした。 警察の現状を考えた場合、冤罪が発生する可能性はぬぐえないでしょう。 犯罪に対する抑止力にも疑問ありです。 殺人を犯すような極限状態にある人間が、量刑の事を考える余裕があるでしょうか。 無期懲役なら殺人を実行するが、死刑になるからやめようなどと考えるでしょうか。 はなはだ疑問だと思います。 そして最近気付いたのが、死刑制度が凶悪犯罪を誘発するということです。 多数の小学生が犠牲となった池田小事件を考えた場合、犯人は初めから死刑になるつもりでした。 自分ひとりで死ねない弱い人間が、子供の命を道連れに、死刑制度を利用して自らの命を絶ったのです。 死刑制度がなければ、池田小事件は起きなかったのではないでしょうか。 自暴自棄になった人間には、死刑といえども抑止力は働かないのです。 |
MNG 様 私は犯罪被害者の援助団体を支援しており、日頃から被害者や遺族の方々と接している為、どうしても被害者側に立って判断することが多いことを予めご承知おき下さい。 死刑制度については様々な意見があり、ここで存続の是非を言うつもりはありません。しかし死刑制度を論ずる時、論者が被害者感情や遺族が受けた経済的、精神的および社会的ダメージをどの程度理解しているのか、いつも疑問に感じています。 何の罪もない家族の一員が理不尽な理由で殺されることは、家族全員が精神的に殺されることになるのです。特に子供を奪われた親は死ぬまで犯人を恨み、自分達の不幸を嘆き悲しみます。 身内を殺害された家族の大部分は、犯人が極刑に科されることを心の底から願っています。それが果たせないならば、せめて犯人を生涯獄舎に繋ぐことを求めています。 しかし、現実の裁判では遺族の気持ちを汲んだ判決はほとんどみられません。多くの遺族が裁判で再び傷口に塩を塗られてしまうことが多いのです。 被害者は永遠に帰ってこないのに、何故犯人には社会復帰が約束されてしまうのか、いつも自分自身と戦い最後はあきらめるのです。 現実の捜査では冤罪の惧れが無いとは言えないのも事実です。捜査は常に科学的であって欲しいと願います。しかし、殺人事件の大半は(99%以上が)物証で科学的に犯人が特定できるものばかりです。 私は懲役30年、40年があっても良いと考えています。死刑制度廃止が国民的な合意ならば、仮釈放のない終身刑を導入すべきです。 私利私欲のため人の生命を奪うことは、己の命を差し出しても足りないほどの重罪であることを社会が認識すべきと思います。 命の尊さに比べると現実の裁判で科す刑罰は、余りにも軽いと痛感しております。 MNG様の下記のご意見は一理ありますが、宅間は例外ではないでしょうか。 殺人犯の多くは遊ぶ金欲しさ、性的欲望の捌け口として弱い人々を殺害しています。人を殺したら死刑になる、または生涯監獄から出られないことが社会通念として定着したら、年間1300件の殺人事件は大幅に減少すると考えています。 >そして最近気付いたのが、死刑制度が凶悪犯罪を誘発するということです。 >多数の小学生が犠牲となった池田小事件を考えた場合、犯人は初めから死刑になるつもりでした。 >自分ひとりで死ねない弱い人間が、子供の命を道連れに、死刑制度を利用して自らの命を絶ったのです。 >死刑制度がなければ、池田小事件は起きなかったのではないでしょうか。 >自暴自棄になった人間には、死刑といえども抑止力は働かないのです。 |
もの申すさん、こんばんは。 横レス失礼いたします。 刑法犯、それも殺人のような重罪に対して究極の刑罰である死刑を適用するケースって、少ないと見ています。これは、人の命を奪うという犯罪を犯した犯罪者へ実際に下される刑罰が軽すぎると見ているということです。 現在の刑罰は、罰するというより罰を与える過程で更生させて社会に戻すという考え方に傾斜しすぎていると思います。 そしてそれは、犯罪被害者や残された家族への配慮の欠如という形に現れているのかもしれません。 しかしながら、人が捜査し、人が起訴し、人が裁く、訳ですから冤罪の可能性も否定できないと思います。 こういったジレンマを解決するにはどうすれば良いか。 私はある種の解決法のヒントが、米国の制度にあると思います。 陪審員制には否定的ですけれど、一級あるいは二級と起訴の時点でランクを付けるシステムを評価できると思っています。 それぞれの事件ごとに、状況や犯意の構築過程さらには動機などについて法律で細かな規定を設けて指定するのです。 具体的な考え方として、死刑と無期懲役は廃止します。懲役刑は全て有期刑にするということ。 まぁ一例としての私案ですけれど、量刑は一級殺人罪なら懲役30年で仮釈放無し、二級殺人罪なら懲役25年で仮釈放無し、三級殺人罪なら懲役20年で量刑期間の80%を超えた日から仮釈放を認めるという形にします。 また、裁判官の情状酌量の余地を小さくします。(情状酌量の余地は刑期の20%以下とする、但し一つ下の級への軽減を裁判官の裁量に任せる) 勿論これは、殺人一件(一人殺害)についてということですから、三人殺害して一級殺人罪として有罪になれば、懲役150年仮釈放無しとなりますから、実質的な終身刑となります。 三級殺人罪でも二人殺害して有罪となれば情状酌量を最大限得たとしても懲役36年、そして仮釈放は28年と十ヶ月を経た時点で始めて考慮の対象とされる。 更に、再犯を犯したものは自動的に一級上の犯罪として裁かれる規定を設ければ、加重犯に対してかなりの犯罪抑止力として働くと考えます。 もう一つの点は、冤罪の救済措置を合わせて整えるということ。 再審への敷居を低くして、刑期確定犯へ再審への道を開く措置も合わせて必要でしょうね。 こういった措置はかなりの費用というかコストを必要とします。新たな刑務所も設けなければならないでしょうし、刑務官の大幅増員も必要となりますから。 社会として、こういった費用を冤罪を防ぐコストとして負担するというコンセンサスが必要になりますけれど。 さて、犯罪抑止をどう捉えるかですけれど。 実例として上げるとかってシンガポールはフリーポートであるということと、麻薬栽培地に近いということから麻薬密輸の中継地となっていました。 副作用として市中に流れた麻薬で多くの中毒患者が出現し大きな社会問題となりました。 そこで取られた措置は「麻薬犯罪の厳罰化」でした。 麻薬の種類にもよるのですが、シンガポールでは効果の高いヘロインや覚醒剤については、理由の如何を問わず15g以上不法所持しているだけで【死刑】となります。大麻樹脂などは50g以上だったかな。 施行直後は、多くの密売人や中毒患者が摘発されると同時に、裁判において死刑宣告され死刑執行されたために、麻薬を扱う密輸業者が全て逃げ出してしまいました。 結果として市中にも麻薬が出回らなくなったのと、中毒患者を強制的に施設にいれて治療と社会復帰のためのカリキュラム等で職業訓練なども行いました。 現在では、もっとも麻薬犯罪が少ない国家の一つとなっています。 長文失礼いたしました。 |
退役軍人 様 早速のレスありがとうございました。『48289』は或る遺族の方の生活について相談にのった後に書いた為、多少感情的になっていたかも知れません。 その方は若い時夫に先立たれ、一人息子を女手ひとつで育ててきました。一昨年27才になった息子さんは、婚約も整い希望に満ちた人生でしたが帰宅途中の或る日の夕刻、交差点で酔っ払い運転の車にひき逃げされ亡くなりました。 ひき逃げ犯は二ヵ月後に逮捕されました。23才の無職の男で逮捕のきっかけは飲酒運転による物損事故でした。 裁判の判決は懲役3年でした。裁判官は被告が反省していること、前途があるので更正の機会を与えることが必要との理由で、求刑(懲役5年)を大幅に引き下げました。母親は無念のあまり、法廷で罪が軽すぎると思わず叫んでしまったところ、直ちに法廷の外へつまみだされたそうです。 被害者には前途が無かったのでしょうか、人ひとりを殺して何故懲役3年なのでしょうか。反省しているならば何故自首しなかったのでしょうか。酔っ払い運転で事故を起こした犯罪者の多くは、飲酒運転が常習化しているそうです。 このような被害者感情を無視した理不尽とも言える求刑と判決がまかり通っています。その他の犯罪についても同様です。 退役軍人様の提案は大変示唆に富んだものだと思います。犯罪が割に合わず自分自身の人生をも台無しにすることを知らしめる為には厳罰以外にはないと思います。 日本の刑罰は諸外国に比べて全般的に軽いと思います。麻薬犯罪などシンガポールやマレーシアと比べると雲泥の差があります。この軽すぎる刑罰が犯罪を増大させているのは事実だと思います。 凶悪犯罪の多発でいつの間にか我々は犯罪に麻痺してしまう傾向があります。他人の命を絶つことほど人権を蹂躙することはありません。人権を大切にするならば、それを蹂躙した罪は譬えようも無いほど重いものであることを、我々は認識する必要があると考えます。その他の犯罪でも同様です。社会の犯罪を憎む姿勢が少しでも弱まった時、我々自身に危害を及んでくることを知るべきだと思います。 |
▼もの申すさん:こんばんは。 被害者の心情を考えた時、もの申すさんのおっしゃることも非常によく分ります。 私も、やったことが確実な犯人には、相応の罰が与えられるべきだと思いますし、終身刑はあってよいと思います。 その上であえてこだわるのは、やはり警察に対する信頼感の問題があるからです。 次々に明らかになる警察の不祥事、裏金作りやずさんな捜査、暴力団との癒着や覚醒剤の使用などもあります。 桶川ストーカー事件では、身の危険を感じて警察に助けを求めた女性が、何の保護も受けられず遂に殺されてしまいました。 こういう警察の体質を見る時、本当に国民の方を向いているのか非常に疑問です。 そして小泉政権や石原都政による国民への締め付けが強まっているこの時期に、厳罰化ということを考えると何か不安なものが胸をよぎるのです。 「微罪逮捕→自白強要→厳罰」というような図式が思い浮かびます。 検挙率が2割台にまで落ち込んでいるのに、犯罪捜査よりもビラ撒きの逮捕に血道を上げる警察の体制が改革されなければ、厳罰化を素直に受け入れる気持ちになれないのです。 >私は犯罪被害者の援助団体を支援しており、日頃から被害者や遺族の方々と接している為、どうしても被害者側に立って判断することが多いことを予めご承知おき下さい。 >死刑制度については様々な意見があり、ここで存続の是非を言うつもりはありません。しかし死刑制度を論ずる時、論者が被害者感情や遺族が受けた経済的、精神的および社会的ダメージをどの程度理解しているのか、いつも疑問に感じています。 >何の罪もない家族の一員が理不尽な理由で殺されることは、家族全員が精神的に殺されることになるのです。特に子供を奪われた親は死ぬまで犯人を恨み、自分達の不幸を嘆き悲しみます。 >身内を殺害された家族の大部分は、犯人が極刑に科されることを心の底から願っています。それが果たせないならば、せめて犯人を生涯獄舎に繋ぐことを求めています。 >しかし、現実の裁判では遺族の気持ちを汲んだ判決はほとんどみられません。多くの遺族が裁判で再び傷口に塩を塗られてしまうことが多いのです。 >被害者は永遠に帰ってこないのに、何故犯人には社会復帰が約束されてしまうのか、いつも自分自身と戦い最後はあきらめるのです。 >現実の捜査では冤罪の惧れが無いとは言えないのも事実です。捜査は常に科学的であって欲しいと願います。しかし、殺人事件の大半は(99%以上が)物証で科学的に犯人が特定できるものばかりです。 >私は懲役30年、40年があっても良いと考えています。死刑制度廃止が国民的な合意ならば、仮釈放のない終身刑を導入すべきです。 >私利私欲のため人の生命を奪うことは、己の命を差し出しても足りないほどの重罪であることを社会が認識すべきと思います。 >命の尊さに比べると現実の裁判で科す刑罰は、余りにも軽いと痛感しております。 > >MNG様の下記のご意見は一理ありますが、宅間は例外ではないでしょうか。 >殺人犯の多くは遊ぶ金欲しさ、性的欲望の捌け口として弱い人々を殺害しています。人を殺したら死刑になる、または生涯監獄から出られないことが社会通念として定着したら、年間1300件の殺人事件は大幅に減少すると考えています。 > >>そして最近気付いたのが、死刑制度が凶悪犯罪を誘発するということです。 >>多数の小学生が犠牲となった池田小事件を考えた場合、犯人は初めから死刑になるつもりでした。 >>自分ひとりで死ねない弱い人間が、子供の命を道連れに、死刑制度を利用して自らの命を絶ったのです。 >>死刑制度がなければ、池田小事件は起きなかったのではないでしょうか。 >>自暴自棄になった人間には、死刑といえども抑止力は働かないのです。 |