Page 2700 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼森林が育ってない朝鮮半島 珍 源斎 05/4/15(金) 11:06 ┣Re(1):緑が消えると・ 珍 源斎 05/4/15(金) 18:36 ┣オンドルの習慣 YOTA 05/4/15(金) 21:43 ┣Re(1):森林が育ってない朝鮮半島 北の老兵 05/4/16(土) 8:44 ┃ ┗Re(2):森林が育ってない朝鮮半島 珍 源斎 05/4/16(土) 13:12 ┗Re(1):森林が育ってない朝鮮半島 もの申す 05/4/16(土) 15:07 ┣Re(2):森林が育ってない朝鮮半島 石頭の息子 05/4/16(土) 16:33 ┗Re(2):森林が育ってない朝鮮半島 珍 源斎 05/4/16(土) 18:48 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 森林が育ってない朝鮮半島 ■名前 : 珍 源斎 ■日付 : 05/4/15(金) 11:06 -------------------------------------------------------------------------
韓国を訪れたときソウル近郊の山は岩山のようで樹木の茂る 山は余り見掛けられないようでしたので不思議に思ってました。 先日NHKテレビにて鎌倉時代の蒙古襲来を当時のフビライ皇帝の 「元」側からの史実や資料にて取り上げられた番組を見て・・ 日本を襲うために仕立てられた軍船の建造に膨大な木材を 使ったことで一次、二次は三度目の日本攻略には当時の朝鮮半島 高麗の山には軍船を建造する木材は無くなったことや日本攻略には 多大な犠牲が伴うのでグビライ帝に思い留まるように諫めた・ 話もあった・ようです。 回りくどくなりましたが、北朝鮮の荒れ山も含めて400年前の 徹底した森林収奪が自然的な回復力さえも奪った結果ではないかと 感じました。屋久島の森林に見られるように山の木々の 消長に要する年月は数百年単位ですから・日本の森林を守る 事は自然環境の維持にとって基本でもありますので、 子孫の為には「心せねば」ならぬことと痛く感じました。 |
古代文明の多くは、その周囲から緑(森林)が消えると例外なく 消滅してます。 古代文明ならずとも、周囲の森林がう失せると共に文明や文化力が低下して、 人間の営みさえもひさん悲惨な末路をたど辿る事は歴史の中には幾たび となく繰り返すようにきざ刻まれてます。 近年の自然科学や関連する環境問題から生命が森林の営みをささ支え てる連鎖のおおもとである微生物やら昆虫や虫たちの生産(創造) 力にひとえに依存してると云う現実がようや漸くにして 視野に入り理解へのみち途が拓けつつある段階です。 彼らこそがすべ総ての動植物の生命の源であると改めて 認識することが必要に思えます。 雪が豊年、豊作の兆しなどの言い伝えも山のきぎ樹木と雪の相互協力に より山の生産力がつど都度向上することで、雪が山肌を優しく包むとき、 それに抱かれた木々や森の土壌の中の生命群が活賦して 栄養塩類を生産して、それが川筋から田畑、そして海まで豊かに するからにほか他ありません。 その森も人間の都合で植林した杉や檜の単一種でなく、広葉樹、落葉樹、 針葉樹、木の実や、山葡萄、等々山の「けもの」たちもう飢えさせない 多様性に富んだ森の山が人間に対しても豊かな水の提供や緑のダムならぬ 保水力豊かな自然の恩恵として好ましい形での循環が保障される ことになります。 稲作も毎年、田圃に水を引き込みますが、その水に含まれるミネラル 栄養塩類が米の持つ豊かでバランスの良い独特の穀物として特色の裏付けてます。 その田圃も単一種(稲)の多年、永年の連作にも土壌の疲弊や塩害なども 生じないこと等々、日本の国土は稲作と山の森林がお互いに協力し合い 世界中でまれ稀にみる程の自然環境と稲作文化圏を形成してきたことは 誰でも認める処です・・。 長くなりましたが、ご許容の程! |
▼珍さん >回りくどくなりましたが、北朝鮮の荒れ山も含めて400年前の徹底した森林収奪が自然的な回復力さえも奪った結果ではないかと いや、さすがに400年も経てば、自然はある程度回復すると思いますよ? 朝鮮半島に禿山が多いのは、『オンドル』と呼ばれる床暖房の習慣があったからですね。薪を暖炉で燃やした熱気を壁や床に通して暖めるもので、山地にあった木は冬が来る度に、ほとんど全てこの燃料として伐採されてしまったのです。結構寒いですから、あの辺りは。 昔の朝鮮には『植林』というものが無かったそうで、それを繰り返しているうちに土地が痩せ、すっかり禿山だらけになってしまったという話。 日本統治時代に総督府の奨励で、寒さに強いアカシアの木が大量に植樹されたそうですが、日本の敗戦後も韓国の植林事業というのはいまいち振るわないらしく、緑の山々、というのはかの地にはほとんど見受けられません。 北朝鮮は言わずもがなです。 >日本攻略には多大な犠牲が伴うのでグビライ帝に思い留まるように諫めた話もあったようです。 元々クビライに『日本を属国にするなら手伝いますよ』と唆したのは、彼らなんですけどね・・・・クビライも面食らったことでしょう。 『惟んみるに、日本は未だに聖化を蒙らず。故に詔を発し、軍容を継耀せしめんとせば戦艦兵糧まさに須いるべきあらん。もし此事を以って臣に委ねなば王帥を少助せん』1272年、高麗王忠烈 (『元史』より) 恐惶謹言。 |
珍 源斎さん こんにちは。100万ドルの夜景と言われる函館山からの夜景は有名ですが、その函館山が昔は禿山だった事は以外と知られていません。 江戸後期 ニシン漁に使う材木の切り出しで禿山になった函館山が、高田屋嘉兵衛らの手で何十万本ものスギが植林され、明治初めの要塞建築で、以後100年にわたり立入り禁止区域になりましたので、その間手付かずの自然が山野草や野鳥達の濃密な生態系をはぐくみ、今では自然の宝庫になりました。 >回りくどくなりましたが、北朝鮮の荒れ山も含めて400年前の >徹底した森林収奪が自然的な回復力さえも奪った結果ではないかと >感じました。 また北海道の襟裳岬一帯は、かつての豊かな森林が薪炭など燃料に伐採され、戦後の一時期には剥き出しになった表土から、襟裳岬の烈風が赤土を舞い上げ、襟裳砂漠と言われるほどだったといいます。海岸線はもとより、沖合い十数キロまで土砂が流れ出し、海は荒廃し魚も姿を消しました。 しかし昭和二十八年に始めた植林は、現在の柏や松の林を形成しました。森は海を育み守って、昆布も魚も育つようになりました。特にブナ科の広葉樹である柏は、海に豊かな恵みまで与えてくれるのです。 日高地方では、牧場にも柏の木があり、牛馬に木陰を作ったり、防雪林となったりしています。きっとかつて柏は多く自生していたと思われます。 このようにやる気になれば何十年かで、森林はかなり回復できるのです。昔はどこにもあった里山が失われ、山は竹で荒れ放題になり、一度大雨が来ると表土が削られ洪水に見舞われます。 森林を回復する事は、どんな科学もかなわないほどいろんな力があります。国も森林の整備に大きな予算を使うべきです。洪水を防ぎ、水を清め、空気をきれいにし、いろんな動植物の生育に力を与えます。CO2の削減にもなるし、スギ花粉による花粉症も予防できます。 |
北の老兵さん こんにちわ! 函館山には何十回となく登ってます。 私は函館と云う街に無性に魅力を感じます。何かしらエキゾチックな 風情がたまらなく好きです。 > >江戸後期 ニシン漁に使う材木の切り出しで禿山になった函館山が、高田屋嘉兵衛らの手で何十万本ものスギが植林され、明治初めの要塞建築で、以後100年にわたり立入り禁止区域になりましたので、その間手付かずの自然が山野草や野鳥達の濃密な生態系をはぐくみ、今では自然の宝庫になりました。 ニシン漁が不振に至った原因は森林乱伐によること始めは理解されなかった そうですが、今ではその因果は明らかになってます。 > >このようにやる気になれば何十年かで、森林はかなり回復できるのです。昔はどこにもあった里山が失われ、山は竹で荒れ放題になり、一度大雨が来ると表土が削られ洪水に見舞われます。 確かに有る程度の回復力は自然は持ってますが、それを超してしまうと 回復は不能になります。 その昔、蒙古襲来時の軍船は今風に云えば100トン内外の大きさ だと思いますがその船体の竜骨に当たる部分や側板には継ぎ目の無い 長い巨木に相当する木材が必要になりますので、 それらには樹齢が数百年に及ぶものがあり、それらを根こそぎ 伐採すると植物の生態系に大打撃を与えその回復には数百年の 歳月が必要になるだけでなく、その後の手当が悪ければ巨木が 育つ生態系は完全に断絶してしまいます。 森林や木々たちの時間単位は人間や動物のそれに比べて数十年否 数百年単位と云っても良いはずです。 これは文明史を語る史跡の中にハッキリと刻まれてます。 日本では縄文時代より竈「カマド」が既に考案実用化されており 竈は少ない燃料で熱を無駄なく使える優れものです。 その竈があったからこそ日本には豊かな森林が残ってるの では無いでしょうか・ 日本のご先祖が山を守って来た知恵はその辺りにもあります。 炭焼き炭造りも山の木々を間伐して樹木の新陳代謝を助け森を 守る意味もあります。 山の木々を育ててる肥料養分は信じられないほどの微量である との事です。その肥料成分は昆虫や土壌細菌や鳥、獣の生活に よるモノだそうです。 アメリカ、アラスカ州の生態学者の研究によりますと鮭や鱒の ような河川を遡る習性のある魚類の年ごとの量により、樹木の 年輪の巾に違いがあるそうです。 産卵後、命が終わる魚たち、途中にて熊や猛禽類などの捕食者の 餌食になったモノも含めて山の樹木の肥料養分になるとの事 生態系は超精密に出来上がってると云うことを今こそ認識しなければ ・・と思います。 |
珍 源斎 様 二十年ほど前、仕事でソウルと仁川(インチョン)に行ったことがありますが、車窓からみた山々がほとんどハゲ山だったことに驚きました。現地の方に理由を質したら、暖房や煮炊きの燃料として木を伐採したが、植林を怠った(植林をする余裕がなかった)為あのような姿を晒しているとの説明でした。 また昨年トルコに旅行した時、ローマ時代の遺跡を取り囲む山々にハゲ山が目立ちました。ガイドの説明では、ローマ人が浴場の燃料として大量の木材を伐採したことが原因とのことでした。人が意識して対策を講じないと千年経っても山は復活しないことを学びました。 山が樹木に覆われ、緑の中で数多くの生き物が生息できるようになるまでには、とてつもない歳月が必要です。植林が極めて重要であることは、韓国やトルコの例からも言えることと思います。戦後荒れ果てた山々に植林を行い、山の緑を復活させた我々の先輩達の努力に頭が下がります。 しかし今、日本の山が荒れ放題になっていると言います。市場原理最優先の行き方が、本当に我々や子孫を幸せにするのか、考え直す時期にあるのではないでしょうか。 |
▼もの申すさん: >珍 源斎 様 > >二十年ほど前、仕事でソウルと仁川(インチョン)に行ったことがありますが、車窓からみた山々がほとんどハゲ山だったことに驚きました。現地の方に理由を質したら、暖房や煮炊きの燃料として木を伐採したが、植林を怠った(植林をする余裕がなかった)為あのような姿を晒しているとの説明でした。 >また昨年トルコに旅行した時、ローマ時代の遺跡を取り囲む山々にハゲ山が目立ちました。ガイドの説明では、ローマ人が浴場の燃料として大量の木材を伐採したことが原因とのことでした。人が意識して対策を講じないと千年経っても山は復活しないことを学びました。 >山が樹木に覆われ、緑の中で数多くの生き物が生息できるようになるまでには、とてつもない歳月が必要です。植林が極めて重要であることは、韓国やトルコの例からも言えることと思います。戦後荒れ果てた山々に植林を行い、山の緑を復活させた我々の先輩達の努力に頭が下がります。 >しかし今、日本の山が荒れ放題になっていると言います。市場原理最優先の行き方が、本当に我々や子孫を幸せにするのか、考え直す時期にあるのではないでしょうか。 そうですね、日本が戦後フイリッピンの山林を禿山にしましたね、今ではボランティアが植林していますが微々たるもののようです、植林には援助せずにダム建設に援助しているようですが、その建設は日本の会社が請け負っています、さらにダム建設で下流流域の自然破壊が進むと現地の住民が反対しています、難しい問題です。 |
もの申すさん: こんばんわ!レス有難うございます。 >また昨年トルコに旅行した時、ローマ時代の遺跡を取り囲む山々にハゲ山が目立ちました。ガイドの説明では、ローマ人が浴場の燃料として大量の木材を伐採したことが原因とのことでした。人が意識して対策を講じないと千年経っても山は復活しないことを学びました。 >山が樹木に覆われ、緑の中で数多くの生き物が生息できるようになるまでには、とてつもない歳月が必要です。植林が極めて重要であることは、韓国やトルコの例からも言えることと思います。戦後荒れ果てた山々に植林を行い、山の緑を復活させた我々の先輩達の努力に頭が下がります。 >しかし今、日本の山が荒れ放題になっていると言います。市場原理最優先の行き方が、本当に我々や子孫を幸せにするのか、考え直す時期にあるのではないでしょうか。 子孫に残すべきは紙幣でなく豊かな山の緑で無いでしょうか・ 近年、生態系での研究が進むにつれて山の緑や樹木があらゆる生命の 基本、基礎であることが改めて認識されるようになってます。 海の魚たちや海草類も含めてのその恵みに「あやかってる」そうです。 仰有るように自然環境に対する「考え方」を変えないと「取り返し」の つかない禍をを子孫に残すことになりかねません。 緑の少ない処に住むと人の気性は荒くなるそうです。 健康で豊かで優しい心を持つにも緑は大切です。樹木の発する「精気」は 人間の心身・伴なる健康に役立つことが学術的にも確かめられてます。 |