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 ▼軽すぎる刑罰  少し考える葦 04/3/28(日) 9:48
   ┣Re(1):軽すぎる刑罰  数理梵哲 04/3/29(月) 13:30
   ┃  ┗死刑もまた人の命を奪うこと  珠 04/3/30(火) 1:22
   ┃     ┗Re(1):死刑もまた人の命を奪うこと  閑人 04/3/30(火) 10:06
   ┃        ┗Re(2):死刑もまた人の命を奪うこと  数理梵哲 04/3/30(火) 11:32
   ┃           ┗厳罰化は犯罪を減らさないという定説もあるそうです  珠 04/3/30(火) 22:48
   ┃              ┣犯罪を減らすのは教育では?  珠 04/3/30(火) 23:03
   ┃              ┃  ┗Re(1):犯罪を減らすのは教育では?  少し考える葦 04/4/1(木) 10:42
   ┃              ┣Re(1):厳罰化は犯罪を減らさないという定説もあるそうです  数理梵哲 04/3/31(水) 6:17
   ┃              ┗Re(1):厳罰化は犯罪を減らさないという定説もあるそうです  一文字 04/4/1(木) 13:30
   ┃                 ┗死刑反対についてと、若い世代について  珠 04/4/3(土) 11:44
   ┃                    ┗Re(1):死刑反対についてと、若い世代について  数理梵哲 04/4/4(日) 10:03
   ┃                       ┗Re(2):死刑反対についてと、若い世代について  海幸彦 04/4/4(日) 11:07
   ┃                          ┗Re(3):死刑反対についてと、若い世代について  数理梵哲 04/4/4(日) 13:28
   ┃                             ┗共通認識を大切にしたい  珠 04/4/4(日) 14:27
   ┗Re(1):軽すぎる刑罰  しゃねる 04/3/31(水) 0:35

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 ■題名 : 軽すぎる刑罰
 ■名前 : 少し考える葦 <satoru-t@a00.itscom.net>
 ■日付 : 04/3/28(日) 9:48
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   ひとりくらい殺しても死刑にならず、巨額な脱税をしても、国民の保険料や税金を詐取しても刑の執行を猶予されるなど、日本は犯罪者天国になってしまった。
この国の代議士どもは利権の臭いのする案件には敏感だが、社会秩序の安定や平和の維持には全くと言っていいほど無関心である。
百年前に作られ抜本的な見直しもしないまま放置されてきた刑法をはじめとする各種法律の罰則規定は、いずれも善良な日本人が満ち溢れていた良き時代にはその役割を果たしていたが、犯罪者が激増し凶悪犯罪が多発する現在社会ではむしろ犯罪者を助けるものに変貌してしまっている。
加えて法律を運用する司法関係者は、霞ヶ関の官僚と同じく責任回避には天才的な能力を発揮し、問題に気づいても事件が起こるまでは自ら動こうとはしない。
中でも裁判官の社会情勢の疎さは特筆すべきものであり、法を執行するにあたり社会・国民の目線よりも前例と判例にしか顔を向けていない。
殺人被害者が一人だけの場合は検察が死刑を求刑しても、必ずと言っていいほど無期懲役に減刑するのが通例となってしまった。その他の犯罪にしても自分の存在を誇示するが如く、求刑に対しては七割、八割に刑を軽くすることに腐心している。弁護士達の間で古くから言われている八割判決である。
被告が反省していることを理由に必ずと言っていいほど減刑するが、中には弁護士に言われて法廷で反省の態度を演技する被告も多いのである。
起訴されて己の罪を反省しない被告に対してはむしろ刑を重くするべきであり、被告の内面を推し量るのはもっと慎重であってよいと思う。
このように刑罰もその運用者達も極めて甘い日本は、国内の不心得者や不良外国人達にとって、かっこうの稼ぎ場となっており犯罪はますます増加するのは確実である。加えて万引き(窃盗)を犯罪と思わない子供や大人(親)の増加が目立っており、
国民の犯罪に対する憎悪感覚が麻痺しつつあるのが気がかりである。
政府の最大の務めは国民の生命・財産を守ることであるが、小泉内閣のみならず歴代の自民党政権は最も大切な務めを放棄し、犯罪と不安に満ち溢れた危険な日本を作り上げてしまった。この責任は一体誰にあるのだろうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):軽すぎる刑罰  ■名前 : 数理梵哲 <log29@mail.goo.ne.jp>  ■日付 : 04/3/29(月) 13:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼少し考える葦さん:
>ひとりくらい殺しても死刑にならず、巨額な脱税をしても、国民の保険料や税金を詐取しても刑の執行を猶予されるなど、日本は犯罪者天国になってしまった。
>この国の代議士どもは利権の臭いのする案件には敏感だが、社会秩序の安定や平和の維持には全くと言っていいほど無関心である。
>百年前に作られ抜本的な見直しもしないまま放置されてきた刑法をはじめとする各種法律の罰則規定は、いずれも善良な日本人が満ち溢れていた良き時代にはその役割を果たしていたが、犯罪者が激増し凶悪犯罪が多発する現在社会ではむしろ犯罪者を助けるものに変貌してしまっている。
>加えて法律を運用する司法関係者は、霞ヶ関の官僚と同じく責任回避には天才的な能力を発揮し、問題に気づいても事件が起こるまでは自ら動こうとはしない。
>中でも裁判官の社会情勢の疎さは特筆すべきものであり、法を執行するにあたり社会・国民の目線よりも前例と判例にしか顔を向けていない。
>殺人被害者が一人だけの場合は検察が死刑を求刑しても、必ずと言っていいほど無期懲役に減刑するのが通例となってしまった。その他の犯罪にしても自分の存在を誇示するが如く、求刑に対しては七割、八割に刑を軽くすることに腐心している。弁護士達の間で古くから言われている八割判決である。
>被告が反省していることを理由に必ずと言っていいほど減刑するが、中には弁護士に言われて法廷で反省の態度を演技する被告も多いのである。
>起訴されて己の罪を反省しない被告に対してはむしろ刑を重くするべきであり、被告の内面を推し量るのはもっと慎重であってよいと思う。
>このように刑罰もその運用者達も極めて甘い日本は、国内の不心得者や不良外国人達にとって、かっこうの稼ぎ場となっており犯罪はますます増加するのは確実である。加えて万引き(窃盗)を犯罪と思わない子供や大人(親)の増加が目立っており、
>国民の犯罪に対する憎悪感覚が麻痺しつつあるのが気がかりである。
>政府の最大の務めは国民の生命・財産を守ることであるが、小泉内閣のみならず歴代の自民党政権は最も大切な務めを放棄し、犯罪と不安に満ち溢れた危険な日本を作り上げてしまった。この責任は一体誰にあるのだろうか。

私も、少し考える葦さんのご意見に賛成です。
人に対して正当な理由無く殺しても死刑にならないのは、納得できません。世に死刑廃止論を唱える人がいますが、理解に苦しみます。自分の命をよほど軽く考えているのでしょう。自分が命がけで生きた経験が無いから、殺された人の人生を軽く考えることができるのでしょうね。ある人の人生を自分勝手な理由で断ち切ったのなら、死刑により自分の人生を断ち切られて当然だと考えます。死刑廃止論者は、自分達は人の命を大切に考えているからだというような言い方をするのでしょうが、それは真っ赤な嘘だと、私は断言します。そのようなことは、自分の人生を真剣に、大切に生きた人からは、決してでないと考えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 死刑もまた人の命を奪うこと  ■名前 : 珠  ■日付 : 04/3/30(火) 1:22  -------------------------------------------------------------------------
   今の世の中がよいとは、まったく思いませんが、
>いずれも善良な日本人が満ち溢れていた良き時代
なんて世の中が、いつあったのでしょうか? どの時代にも、いろんな詐欺事件や汚職事件、殺人事件が起こっています。統計すらなしでの「昔は良かった」的な話には疑問を感じます。メディアによってニュースが伝わり易くなった今の状態と、過去の「知らないですんでいた」ような状態があるなかで、感覚でものを言う危険性を感じます。

>世に死刑廃止論を唱える人がいますが、理解に苦しみます。自分の命をよほど軽く考え
>ているのでしょう。自分が命がけで生きた経験が無いから、殺された人の人生を軽く考
>えることができるのでしょうね。ある人の人生を自分勝手な理由で断ち切ったのなら、
>死刑により自分の人生を断ち切られて当然だと考えます。死刑廃止論者は、自分達は
>人の命を大切に考えているからだというような言い方をするのでしょうが、それは
>真っ赤な嘘だと、私は断言します。そのようなことは、自分の人生を真剣に、大切に
>生きた人からは、決してでないと考えます。

このご意見にも、どうしてこの方が、死刑廃止論者の主張を、「真っ赤な嘘だと断言」できるのか、理解に苦しみます。ご家族が殺されながらも、死刑廃止の立場をとっておられる方々がいらっしゃいますが、その方々がどんな苦しみの中で、その考えに至ったかを思えば、このような事は言えるものではないと思います。

私が「廃止論者か?」と問われれば、私は胸をはって「はい」とは言えないかも知れません。もし、私の子どもや連れ合いや親兄弟、大事な友人を殺されたら、きっと殺した相手を、殺したいくらい憎むだろうと思いますから。ただ幸いなことに「殺したいくらい憎む」のと、「殺す」または「死刑にしてくれ」ということとの間には溝があると思います。許せるかどうかは自信がありません。すごく苦しむだろうと思います。でも「殺したい」「あいつの命を奪いたい」という思いだけは、何とか乗り越えられたらと願います。

「目には目を」という人間の憎しみや恨みの感情から、人間は理性を持ってその感情を乗り越えようとしてきたのではないでしょうか。もし目を潰されたら、その人の目を潰して仕返しをなさいますか? 「死には死刑を」はそれと同じことのように思えます。死刑は、やはり人を殺すことには変わりありません。死刑にされる人にもまた家族はおり、その家族に苦しみを与えることは当然なのでしょうか?

この前、テレビで、それぞれ相手の民族に殺されたパレスチナとイスラエルの遺族が集まって、殺された家族や子どもの事を語り合うという番組をしていました。赦すなんて言葉は簡単には出てこない。相手の民族を憎みそうになる。その気持ちを乗り越えて、ともに家族を失った悲しみを共有することで、憎しみの輪を断ち切って、和平を築いていこうとしていました。死刑とテロの問題は同列ではないかも知れません。でも「テロにはテロを」という世界には決して平和が来ないのと同じように、「死には死をもって償え」という考え方は、もう一度、よくよく考え直す必要があると感じています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑もまた人の命を奪うこと  ■名前 : 閑人  ■日付 : 04/3/30(火) 10:06  -------------------------------------------------------------------------
   珠さんのご意見は一理あるものの、私には大変きれいな主張に聞こえます。
いつの時代にも不心得者はおりました。しかし、昭和50年と平成10年を比べた時、人口一人当たりの犯罪件数が倍増している事実から私は「善良な人たちで満ち溢れていた」と表現したもので、「昔はよかった」などと旧懐を述べたのではないことをお断りしておきます。死刑反対論者の多くは、珠さん同様「死刑は国家が人の命を奪う残酷な行為」と言いますが、死刑が残酷なのであれば罪もない人を私利私欲のために殺害するのは死刑以上に残酷な行為ではないのでしょうか。やったことは仕方がないと犯罪者を許すのであれば、刑罰を法律で定める必要などなくなります。刑罰が軽すぎる時社会がどのようになるか、現在の状況を見れば誰にでも理解できることです。
検察も裁判所も死刑から逃げ回っている現状では、日本の社会から凶悪犯罪はなくなるどころかますます増加し、犯罪犠牲者は増え続けることでしょう。
かつて麻薬犯罪に苦しんだマレーシアでは、刑法を改正し死刑を含む厳罰化を図った結果、犯罪件数が大幅に減少した事実があります。同国に麻薬十数グラムを密輸入した米国人を米政府の圧力にも拘わらず死刑に処したニュースをご記憶の方も多いと思います。今では刑罰の軽い日本とは桁違いに少ない犯罪件数を誇っていることを我々は認識せねばなりません。
死刑制度の是非に絶対ということはありませんが、平和な社会を作るひとつの方法として、厳罰化を図り死刑も辞さないとの意思を示し実行することは、犯罪を抑制する為の強力なメッセージであることは間違いないと確信します。
私は死刑を奨励するものではありませんが、犯罪者や不心得者達が恐れる刑罰が用意され実行されなければ、社会秩序は絶対に維持できないと強調したいのです。
余談ですが、この二年間で私が住む横浜市内の静かな住宅地で二件の殺人事件が発生しました。一年半前ひとり暮らしのOLが自室で絞殺され金品を奪われました。
四ヶ月前の事件は36才の看護師が自室で殺害され金品を奪われたものです。遺体の傍で三歳の子供が泣きじゃくっていたとの記事が涙を誘いました。後者の犯人は逮捕されましたが、裁判の結果はまだ分かりません。珠さんにお伺いします。このような犯罪者にも生きる権利を認め、10年経てば出獄可能な無期懲役刑もしくはもっと軽い刑罰にすべきなのでしょうか。犯罪者に寛容な社会は必ず崩壊するのではないかと私は危惧しております。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑もまた人の命を奪うこと  ■名前 : 数理梵哲 <log29@mail.goo.ne.jp>  ■日付 : 04/3/30(火) 11:32  -------------------------------------------------------------------------
   私も珠さんにお伺いしたいのですが、もしゆえなく人を殺し、且つ死刑にされなかった人間が再び彼に対して何の関わりもない人間を殺したとき、珠さんとしてはどのような責任を取る覚悟を持って、発言されているのでしょうか。人は誰しも自分の言葉に対しては全存在を掛けて責任をとらなければならないと考えます。ですから、珠さんは当然自分の存在をかけて発言なさっているものと考えています。だとすれば、珠さんの命はそれほど軽いものなのでしょうか。
厳罰化が予防的効果を持つことは、交通違反の例で明らかだと思います。1〜2年程前に、飲酒運転の責任が強化されたとき、誰からも異論が出なかったように思います。また、その後の統計で、飲酒運転による交通事故が減ったとの報道もあったような気がします。厳罰化に抑止的効果があるということと、罪の無い人を厳罰に処することとは別問題です。審理は当然慎重に行われなければなりませんが、罪に対してしかるべき責任を取らせることはまた別です。
死刑もまた人の命を奪うこととのご指摘はその通りです。それを昔のように個人の仇討ちにまかせては社会が混乱する虞があるとの判断から、国家による執行に委ねられているのだと思います。また、それは弱い者を守るという機能も果たしているのではないでしょうか。個人では強い者に対して責任を問うことさえ難しいでしょう。
人間は、生きている限り何らかの加害者です。それを原罪と表現する人もありましょう。しかし、積極的に加害者になるか、できるだけ加害者にならないように努力するかは、その人の生き方の問題です。
ゆえなく人を殺す者を許し、多くの人を危険にさらしたり恐怖を与えたりする社会にすることに力を貸すか、人を殺せば死刑になることを周知させ、できるだけ安全な社会を作ることに努力するか、自分の生き方の問題だと考えます。
また、自分の家族を殺された人の全てが、死刑を望むわけではないことも承知しています。深くは言いませんが、ある国では、車で人をひき殺しても、その家族に数十ドル支払えば済んでしまう場合もありますから。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 厳罰化は犯罪を減らさないという定説もあるそうです  ■名前 : 珠  ■日付 : 04/3/30(火) 22:48  ■Web : http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/news/documents/news_2004-006.htm  -------------------------------------------------------------------------
   私は、「殺人を犯すという行為が残酷ではない」、「やったことは仕方がない」などとは、一言も言っておりません。どうぞきちんと読んで下さい。殺人が残酷だからこそ、死刑という行為も非常に残酷だと感じるのです。

また刑罰は、社会生活を営む上で必要なことだと思いますし、罪を犯したらしかるべき刑を受けることは、おっしゃるように当然のことだと思っております。人を殺して無期懲役の刑を受けたはずの犯罪者が、減刑されて早く出所できることに関しては、もっと慎重にしなくてはならないのではないかとも、おっしゃるように同様に思っております。

なお死刑にされなかった人間が再犯を犯した場合、死刑をもっと慎重に考えるべきだと発言した私に責任を取れ、とおっしゃる発言は非常に奇妙なもので、そう発言され、死刑を主張なさる方が、死刑にされた人間の親兄弟の悲しみの責任をとれるわけではないのと同じことと思います。こうした発言は、私には非常に不毛なものに思われます。

死刑廃止といいますと、たいてい「きれいごと」という言葉が言われます。私に関して言えば、先に述べたように「もし」という範疇ですから、「きれいごと」と言われても反論しえないだろうと思います。

しかし、家族を殺されながら死刑を望まない方々の、塗炭の苦しみと、それを乗り越えての発言は、私にはとても「きれいごと」とは思えませんでした。そこに「人は人を殺してはいけない」という信念に基づく非常に苦しい選択があったであろうことを思うと、「きれいごと」などどはとても私には言えません。またその方々に対し、「車でひき殺されて家族に数十ドル」の発言は冒涜的であるとさえ思います。なぜこのような全く違うような事例をお引きになるのでしょうか?

私も「もし」そのような立場になったら、(先に述べたように自信があるわけでは全くありませんが)この方々のようでありたいと願うばかりです。「目には目を」の社会、憎しみを憎しみで返す社会が、平和や安全な社会を生み出すとは、私にはどうしても思えないからです。

厳罰化が犯罪を減少させると言うことは、よく言われます。死刑が犯罪を減少させるかどうかは、私は、統計的には存じません。けれども飲酒運転と死刑を同列に論じることは、問題が違うのではないかと思います。また、犯罪研究家の間では、厳罰化も犯罪の減少には効果がないと言うのが定説になっていると聞きます。私は法律家ではないので、確信があるわけではありませんが、下記のHPにはそのことについて、竜谷大学法学部教授(犯罪学)のお話が出ていますので、ご覧いただければと思います。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/news/documents/news_2004-006.htm

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 犯罪を減らすのは教育では?  ■名前 : 珠  ■日付 : 04/3/30(火) 23:03  ■Web : http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/news/documents/news_2004-006.htm  -------------------------------------------------------------------------
   死刑の話からはそれますが、私は人間が罪を犯すことが全くなくなるとは思いません。大昔から人間は犯罪を犯して来たし人間の本質はそう変わるものではないと思いますから。

アメリカの犯罪を犯した少年達の刑罰に、同じような犯罪を犯した少年の裁判に関わるというものがあるそうです。また殺された家族の話を聞くというプログラムもあるそうです。こうしたプログラムを受けた少年達の再犯率は、ただ収監されていた少年たちよりも格段に低いという統計が出ているそうです。犯罪には教育こそが必要なのだと思います。
また大人に対しても、同様に心の教育が必要だろうと、それが一番再犯率を下げる、ひいては犯罪率をも下げるのではないかと思います。また「きれいごと」と言われそうですが。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):犯罪を減らすのは教育では?  ■名前 : 少し考える葦  ■日付 : 04/4/1(木) 10:42  -------------------------------------------------------------------------
   珠さん、おっしゃる通りです。教育こそ犯罪防止対策の基本であることに異議ありません。
これは我々大人の責任ですが、自分のような苦労はさせたくない、もっとましな生活をさせたい、と子供を叱咤激励しながら時には誤った方向に導いてしまいました。社会生活で最も大切な人へのおもいやり、助け合いの精神等々教育本来の目的を軽視し、物質的な豊かさばかり強調してしまいました。
その結果が我侭と無責任に固まった子供達を大量に育て、その中から善悪の見分けすら出来ない犯罪者を生み出してしまったと思います。
世界中で米国と並び日本ほど物資に恵まれた国はありません。もう物質的な豊かさを追い求めるのはやめましょう。
日本人が過去に追いやった精神の豊かさを復活すべき時です。教育本来の姿を取り戻した時こそ、犯罪の少ない日本になって行くのだと考えます。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):厳罰化は犯罪を減らさないという定説もあるそうです  ■名前 : 数理梵哲 <log29@mail.goo.ne.jp>  ■日付 : 04/3/31(水) 6:17  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珠さん:
>私は、「殺人を犯すという行為が残酷ではない」、「やったことは仕方がない」などとは、一言も言っておりません。どうぞきちんと読んで下さい。殺人が残酷だからこそ、死刑という行為も非常に残酷だと感じるのです。
>
>また刑罰は、社会生活を営む上で必要なことだと思いますし、罪を犯したらしかるべき刑を受けることは、おっしゃるように当然のことだと思っております。人を殺して無期懲役の刑を受けたはずの犯罪者が、減刑されて早く出所できることに関しては、もっと慎重にしなくてはならないのではないかとも、おっしゃるように同様に思っております。
>
>なお死刑にされなかった人間が再犯を犯した場合、死刑をもっと慎重に考えるべきだと発言した私に責任を取れ、とおっしゃる発言は非常に奇妙なもので、そう発言され、死刑を主張なさる方が、死刑にされた人間の親兄弟の悲しみの責任をとれるわけではないのと同じことと思います。こうした発言は、私には非常に不毛なものに思われます。
>
>死刑廃止といいますと、たいてい「きれいごと」という言葉が言われます。私に関して言えば、先に述べたように「もし」という範疇ですから、「きれいごと」と言われても反論しえないだろうと思います。
>
>しかし、家族を殺されながら死刑を望まない方々の、塗炭の苦しみと、それを乗り越えての発言は、私にはとても「きれいごと」とは思えませんでした。そこに「人は人を殺してはいけない」という信念に基づく非常に苦しい選択があったであろうことを思うと、「きれいごと」などどはとても私には言えません。またその方々に対し、「車でひき殺されて家族に数十ドル」の発言は冒涜的であるとさえ思います。なぜこのような全く違うような事例をお引きになるのでしょうか?
>
>私も「もし」そのような立場になったら、(先に述べたように自信があるわけでは全くありませんが)この方々のようでありたいと願うばかりです。「目には目を」の社会、憎しみを憎しみで返す社会が、平和や安全な社会を生み出すとは、私にはどうしても思えないからです。
>
>厳罰化が犯罪を減少させると言うことは、よく言われます。死刑が犯罪を減少させるかどうかは、私は、統計的には存じません。けれども飲酒運転と死刑を同列に論じることは、問題が違うのではないかと思います。また、犯罪研究家の間では、厳罰化も犯罪の減少には効果がないと言うのが定説になっていると聞きます。私は法律家ではないので、確信があるわけではありませんが、下記のHPにはそのことについて、竜谷大学法学部教授(犯罪学)のお話が出ていますので、ご覧いただければと思います。
>
>http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/news/documents/news_2004-006.htm

死刑という行為が残虐だというのは、形式的にはそのとおりだと思います。私が言いたいのは、自分の発言や行為がもたらした結果について責任を負う覚悟です。殺人者を死刑にせずに再犯があった場合、死刑にしなかった人間は、明確に再犯の幇助者だと考えます。その責任は自覚しなければなりません。自分は殺人者を助けたことによって、次の殺人の共犯者であるという自覚です。そのときに、自分にどう対するかは、その人の生き方の問題でしょう。まったく無自覚にのうのうと生き続けるか、再犯の共犯者として自分を処するか、その人の人間性が問われるわけです。
私が漠然と思うのは、死刑廃止論者は、自分の精神的な苦痛を軽減するために、社会を危険な状態にすることに平気なのではないかということです。自分さえ我慢していればという自分の精神的安定と引き換えに、他の人の危険に対して無関心なのではないかということです。
また、教育が大切というご指摘はもっともだと思いますが、私は、それ以前の躾が最も大切であると考えています。昔から、三つ子の魂百までもと言われました。大脳生理学では、脳も3歳くらいでほぼ完成するとのことですので、当たっているのでしょう。話が違うかも知れませんが、ずいぶん前に小学校教育に対する母親達の要求というのを雑誌で読んだ記憶がありますが、その中にどう考えても家庭でしつけるべきことだとおもわれるものがあり、あきれた覚えがあります。自分の子供を人間の子として育てる責任を放棄して、すべてを子の誕生に対して何の責任もない学校の先生に押しつけるという親が増えている気がしてなりません。私は、昔2年間、東京でタクシードライバーをした経験がありますが、日本人の子ほど行儀の悪い子はありませんでした。社内で騒ぐ、シートの上に靴のままあがる、全て日本人の子供でした。外国人の子供は決してそのようなことはしませんでした。日本人の子共は、人間の子として育てられていないと感じたことを思い出しました。
また話がずれて申し訳有りませんが、子を守る、子を育てるのは、第一義的には親の責任であると考えます。あまり言う人が居ないようですが、この度の六本木のビルの事故にしても、親がきちんと子の手を握り、子を守っていれば発生しなかったことです。外ではこの手を離さないという基本が守られていなかったのが最大の原因という気がします。全てをビルの側の責任にしようという報道には、賛成できません。今のままでは、ドアのしまり掛けた電車に飛び乗ろうとして首を挟まれる事故が起こったとしたら、全て運送者側の責任だということになります。いくらホームで注意を呼びかけていても、責任については無意味だと云うことになります。今回の事故も、報道によれば、しまり掛けたところに頭から突っ込んだとありました。とすれば、回転ドアの通常の使用からは考えられない使用方だったと云うことができると思います。三菱自動車の場合とは質的に違います。三菱自動車の場合は、車の通常の使用上、生じた事態だからです。(と云っても、六本木の事故の親(父親だったか母親だったかは解りませんが)を特別に責めているわけではありませんので)
今の日本は、一昔前までは当たり前であったことが当たり前でなくなっている異常な状態であると思えてなりません。自分の発言や行為に対しては、きちんと責任を取る、同時に他人に対しても、責任を取る能力を認め、きちんと責任をとってもらう。自分には責任をとる能力があるが他人にはそれだけの能力がないなどとは考えない。他人に責任を転嫁した方が勝ち、などという社会にはしたくないものです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):厳罰化は犯罪を減らさないという定説もあるそうです  ■名前 : 一文字  ■日付 : 04/4/1(木) 13:30  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珠さん:
死刑廃止論の1番目の理由は人道的立場でしょうが、私は廃止の必要はないと考えています。
理由としては日本に終身刑がないからです。無期懲役では最速数年で、平均で10年ほどで出所できます。
これでは軽すぎるでしょう。
しかし死刑廃止の2番目の理由として冤罪だった場合取り返しがつかないことが上げられます。
これに関しては私も賛成です。しかしだからこそ警察等は細心の注意を払い捜査するということもあります。

厳罰化が犯罪を減らした例はありすぎるくらいあると思います。確かに近年は厳罰化だけでは犯罪抑止にならないケースが多くなってきました。しかし仮に厳罰をなくしてしまえば
犯罪はさらに広がるのは必至でしょう。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 死刑反対についてと、若い世代について  ■名前 : 珠  ■日付 : 04/4/3(土) 11:44  -------------------------------------------------------------------------
   >理由としては日本に終身刑がないからです。無期懲役では最速数年で、平均で10年ほど
>で出所できます。これでは軽すぎるでしょう。

私は死刑に関しては、「人が人の命を奪うことはしてはならない」という考え方から、反対の立場です。でも、一文字さんのおっしゃるように「無期懲役で早々出て来てしまう」ということについては、奪われた命を思えば、あまりにも軽すぎるというご意見については賛成です。人の命を奪うと言うことは、自分の一生を刑務所で過ごすことになっても当然。それ以上に、深い反省と他者のため働き続けても取り返しがつかない重い罪だと思います。しかし、もちろんそこに情状酌量はなくてはなりませんが。

>しかし死刑廃止の2番目の理由として冤罪だった場合取り返しがつかないことが上げら
>れます。これに関しては私も賛成です。しかしだからこそ警察等は細心の注意を払い
>捜査するということもあります。

はい、これも一文字さんのおっしゃる通りですね。そして人間はどんなに慎重にしたつもりでも、間違いをするものだということを付け加えたいのです。

>殺人者を死刑にせずに再犯があった場合、死刑にしなかった人間は、明確に再犯の
>幇助者だと考えます。自分は殺人者を助けたことによって、次の殺人の共犯者である

死刑囚が失効後に冤罪だったとされたり、直前に分かって死刑を取り消されたことは、今までにあったそうです。とすると、数理梵哲さんのご意見に基づきますと、死刑賛成の方々は、この場合にその冤罪により失われた命の責任を取らねばならないことになります。どちらにせよ、そこまでの責任はとれないのではないかと申し上げたのです。そこを追求すると、議論ができなくなってしまわないでしょうか? もちろん発言に対して責任を持たねばならないことは承知しておりますし、まともな議論と言うものは数理梵哲さんがおっしゃるように自分の責任、そして心の痛みすら伴いながらの発言でなければならないと思います。しかしそれでも、こうした指摘は反対論を言わせない、そしてまともな議論をさせない方向に働くように思われます。

厳罰化に関して言えば、この掲示板では効果があったとされる方が多いのですが、それではなぜ犯罪学者が「厳罰化は犯罪予防にならない」というのかが分かりません。研究者としてデータに基づいた上でものを言っているであろうと思うことと、私自身は「教育」こそ犯罪減少につながる。厳罰化よりも効果的なのは「教育」と、「経済的弱者への経済的福祉的援助」こそ犯罪を減少させるのではないかと思っています。

躾については、「躾のできない(とされる)若い親を、いったい誰が育てたのか」という問題があります。若い世代に大しての批判は、「少し考える葦」さんのご指摘通り、自分の痛み、自分の世代としての責任を伴うものでなくてはならないと、つくづく思います。

ただ、私は、私の子どもたちの友人達や会社の後輩をみていると、いろいろあっても人に対してとても優しく、仕事も一生懸命、気配りもあって、彼らなりに真剣に生きているなあといつも思います。異常な事件も起きていますが、虐待については、かつては「親が子どもを殴ることは躾として当然」という風潮すらあったことを思いますと、ちゃんと言い聞かせることを第一にしていて、叩いたとしても頭や顔でなくお尻だったりと、全体としては良くなっているのではないかと思うのです。

以前は、虐待はその家庭内のこととして、世間には全く出てこなかった。それがニュースとして取り上げられるようになったことはとても良いことだと思います。どの時代にも、残酷なことはあったのです。戦前は、花街や織物工場に前金で幼い娘が売り飛ばされても、「親孝行な娘」とされていたではありませんか。そこでの過酷な状況は児童虐待でなくて何でしょう。そういう点では、今の社会に良くなって来たことは沢山あると思います。もちろん、問題は正していかなくてはなりませんが、若い世代をまったく否定的に考えることはないし、異常な事件のマスコミの報道量に乗せられてはいけないとも思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):死刑反対についてと、若い世代について  ■名前 : 数理梵哲 <log29@mail.goo.ne.jp>  ■日付 : 04/4/4(日) 10:03  -------------------------------------------------------------------------
   ▼珠さん:
>>殺人者を死刑にせずに再犯があった場合、死刑にしなかった人間は、明確に再犯の
>>幇助者だと考えます。自分は殺人者を助けたことによって、次の殺人の共犯者である
>
>死刑囚が失効後に冤罪だったとされたり、直前に分かって死刑を取り消されたことは、今までにあったそうです。とすると、数理梵哲さんのご意見に基づきますと、死刑賛成の方々は、この場合にその冤罪により失われた命の責任を取らねばならないことになります。どちらにせよ、そこまでの責任はとれないのではないかと申し上げたのです。そこを追求すると、議論ができなくなってしまわないでしょうか? もちろん発言に対して責任を持たねばならないことは承知しておりますし、まともな議論と言うものは数理梵哲さんがおっしゃるように自分の責任、そして心の痛みすら伴いながらの発言でなければならないと思います。しかしそれでも、こうした指摘は反対論を言わせない、そしてまともな議論をさせない方向に働くように思われます。

冤罪はなんと云っても避けなければなりません。ましてや、決して作り出されてはならないものです。松川事件や狭山事件などというのは論外です。政治的謀略や警察のメンツなどで、作り出されてはならないものです。従って、死刑を支持する者は、冤罪事件に関しては極めて敏感なのが、現実だと思います。
自分の発言に対して責任を負うのは、念を押すまでもなく当たり前の事の筈です。冤罪の虞がある事件に対しては、できる限り支援しますし、不幸にも力が及ばなかった場合は、一生重荷を負って生きることになるでしょう。当然のことです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):死刑反対についてと、若い世代について  ■名前 : 海幸彦 <hrdjapan@me.scn-net.ne.jp>  ■日付 : 04/4/4(日) 11:07  -------------------------------------------------------------------------
   ▼数理梵哲さん:貴信3604
>▼珠さん:

>冤罪はなんと云っても避けなければなりません。ましてや、決して作り出されてはならないものです。

オリジナルスレッド番号:3312【軽すぎる刑罰】

横レスになりますが…
私は、死刑については一応反対です。冤罪もその一つの理由です。
しかし、一番大きな問題は、われわれ市民には、逮捕の経過から取り調べ・裁判に至るまで、その経過・内容が事実上、何も知らされていないということが一番問題です。恣意的な逮捕・拘留がまかり通っています。戦後有名な松川事件、何々事件、無数にあります。(←最近では立川ビラ撒き事件も恣意的な逮捕権の乱用)
商業ジャーナリズムは書きません、また書かせません。ロスの銃撃事件の大騒ぎは、は何んだったのでしょう。あれこそワァワァです。
イラクでの外交官殺害事件にしても、最大の証拠品【4WD】そのものを日本に持ってきて、調査・公開ぐらいしてもいいではないでしょうか? 情報操作・情報隠しがまかり通っているのです。神戸の事件も本当にあったことですか?9・11も本当にあったことですか? 情報を隠すからこんな疑問が出てくるのです。
そうした日本・世界の成り立ちを考えるとき、安易に死刑制度も支持できないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):死刑反対についてと、若い世代について  ■名前 : 数理梵哲 <log29@mail.goo.ne.jp>  ■日付 : 04/4/4(日) 13:28  -------------------------------------------------------------------------
   ▼海幸彦さん:
>私は、死刑については一応反対です。冤罪もその一つの理由です。
>しかし、一番大きな問題は、われわれ市民には、逮捕の経過から取り調べ・裁判に至るまで、その経過・内容が事実上、何も知らされていないということが一番問題です。恣意的な逮捕・拘留がまかり通っています。戦後有名な松川事件、何々事件、無数にあります。(←最近では立川ビラ撒き事件も恣意的な逮捕権の乱用)

「われわれ市民には、逮捕の経過から取り調べ・裁判に至るまで、その経過・内容が事実上、何も知らされていないということが一番問題です。」というご意見はその通りだと思います。しかし、私には、その割には、別スレッドでの裁判員制度に参加する意志のない人が多いのが気になります。裁判員となることは、その疑問を解決する最も効果的な手段ではないでしょうか。私には、この国の国民が本当に裁判について知りたがっているかどうかが疑問です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 共通認識を大切にしたい  ■名前 : 珠  ■日付 : 04/4/4(日) 14:27  -------------------------------------------------------------------------
   引用なし
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  ▼数理梵哲さん
>冤罪はなんと云っても避けなければなりません。ましてや、決して作り出されては
>ならないものです。松川事件や狭山事件などというのは論外です。従って、死刑を
>支持する者は、冤罪事件に関しては極めて敏感なのが、現実だと思います。

 避けなければならないと言っても、人間は間違いを犯します。また、死刑を支持する方々が冤罪に敏感な方とは決められません。「人を殺したんだから殺されて当然」とおっしゃる方の中に、冤罪については指摘されるまで、何も考えてないという方もいらっしゃいますから。そしてもちろん数理梵哲さんのように敏感な方もいます。
 また死刑反対の人が、冤罪や殺人の再犯にたいして鈍感であるとも決めつけられません。死刑反対の立場で、犯罪防止に力を注いでおられる方を存じ上げていますが、とてもこれらに鈍感であるとは思えません。

 つまりこうした自分と反対の意見を持つ人を、その人の人格に関わる部分で決めつけたり、非難することは、その後の議論によい方向を生み出さないと、私は思うのです。現在は死刑が日本では行われていますし、幅広く死刑が行われている国もあります。またEU諸国では死刑はありません。それが何故かを考え、検証していくことが必要でしょう。

>自分の発言に対して責任を負うのは、念を押すまでもなく当たり前の事の筈です。
>冤罪の虞がある事件に対しては、できる限り支援しますし、不幸にも力が及ばな
>かった場合は、一生重荷を負って生きることになるでしょう。当然のことです。

しかし数理梵哲さんが、どんなに重荷を負って下さったとしても、冤罪によって命を奪われた人は戻ってこないし、その家族の悲しみは負えるものではないと思います。また再犯で殺された人があったとして、その命を私が負えるものでもない。そのことを私は言ったのです。負いきれない責任を「負う」と言うのはむしろ無責任ではないか?と思うのです。このことは、発言に対して責任を持つということとは違います。

 私は今回の議論で一番大切だと思うことは、死刑賛成のお二方とも、死刑反対の立場の私とも、共通認識として確認できた事があったことだと思います。それは、犯罪に対して「教育が非常に大切であること」、「無期懲役犯の安易な釈放はされてはならない」、「発言には社会的責任が伴う(これは改めて言うまでもないことですが、私の発言に対して数理梵哲さんが指摘されたので、あえて挙げました)」ということです。

 これに加えて、海幸彦さんのおっしゃる「事件と捜査、裁判の透明性」の問題を、今、出来うることの課題として、機会あるごとに発言や世論を喚起して行きたいと願っています。数理梵哲さんがおっしゃる「裁判員制度」の問題は、海幸彦さんが指摘されたように、あまりにクローズな裁判所であったところに、急に制度として持ち込まれ、しかも裁判員として要求されるものがあまりに厳しいため、大多数の国民が戸惑っているのが実情ではないでしょうか? この問題は、数理梵哲さんがおっしゃるように別スレッドで話し合いが行われていますね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):軽すぎる刑罰  ■名前 : しゃねる  ■日付 : 04/3/31(水) 0:35  -------------------------------------------------------------------------
   日本の刑務所の待遇のよさ、それに刑罰の軽さが
世界中の犯罪者を日本に集めている。
せめて中国と同等の刑罰基準にしないと
外人犯罪は減少しないよ。
それに犯罪者に荷担し、裁判を長引かせ国民の
血税をジャブジャブ使う悪徳弁護士何とかならないか。
オームの教祖の裁判費用いくら使えばいいのか。
弁護士の反省を。せめて法廷外の裁判官として事実関係を
見極めた上で、犯罪者に反省を求め、短期結審に協力したら。
金のため悪者の味方ばかりしてるとそのうち国民から石をぶっつけられるよ。

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