Page 285 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼教育問題2 (学校/子ども/青少年) 珠 04/3/14(日) 23:12 ┣Re(1):教育問題2 (学校/子ども/青少年) ワクチン 04/3/15(月) 8:33 ┃ ┗教員の「危険意識」 Ray 04/3/15(月) 22:29 ┃ ┗Re(1):教員の「危険意識」 流水 04/3/16(火) 10:42 ┃ ┣Re(2):教員の「危険意識」 団塊党 04/3/16(火) 22:35 ┃ ┃ ┣Re(3):教員の「危険意識」 なお 04/3/16(火) 23:10 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):教員の「危険意識」 団塊党 04/3/20(土) 8:46 ┃ ┃ ┣Re(3):教員の「危険意識」 ワクチン 04/3/17(水) 8:20 ┃ ┃ ┃ ┗Re(4):教員の「危険意識」 団塊党 04/3/20(土) 8:51 ┃ ┃ ┗Re(3):教員の「危険意識」 流水 04/3/17(水) 10:56 ┃ ┃ ┗Re(4):教員の「危険意識」 団塊党 04/3/18(木) 1:19 ┃ ┗Re(2):教員の「危険意識」 koga 04/3/17(水) 8:59 ┃ ┗Re(3):教員の「危険意識」 団塊党 04/3/19(金) 19:39 ┃ ┗Re(4):教員の「危険意識」 海幸彦 04/3/19(金) 21:34 ┃ ┗Re(5):教員の「危険意識」 団塊党 04/3/19(金) 23:57 ┃ ┗Re(6):教員の「危険意識」 海幸彦 04/3/20(土) 7:22 ┃ ┗地域創りについて 団塊党 04/3/20(土) 7:54 ┣Re(1):教育問題(日本代表スポーツ選手)へ一言! koga 04/3/20(土) 8:10 ┃ ┗Re(2):教育問題(日本代表スポーツ選手)へ一言!Zico's nice decision 悪い子 04/3/20(土) 16:39 ┃ ┗Re(3):教育問題(日本代表スポーツ選手)へ一言!Zico's nice decision koga 04/3/21(日) 10:57 ┃ ┗Re(4):教育問題(日本代表スポーツ選手)へ一言!Zico's nice decision ワクチン 04/3/21(日) 11:23 ┃ ┗Re(5):教育問題(日本代表スポーツ選手)へ一言!Zico's nice decision koga 04/3/22(月) 8:45 ┃ ┗Re(6):教育問題(日本代表スポーツ選手)へ一言!Zico's nice decision ワクチン 04/3/22(月) 19:03 ┃ ┗Re(7):教育問題(日本代表スポーツ選手)へ一言!Zico's nice decision koga 04/3/23(火) 20:07 ┃ ┗Re(8):教育問題(日本代表スポーツ選手)へ一言!Zico's nice decision ワクチン 04/3/24(水) 8:01 ┣Re(1):教育問題2 (日本(学校)はなぜ英語が弱い!) koga 04/3/21(日) 11:22 ┃ ┗Re(2):教育問題2 (日本(学校)はなぜ英語が弱い!) しゃねる 04/3/23(火) 9:56 ┃ ┗Re(3):教育問題2 (日本(学校)はなぜ英語が弱い!) koga 04/3/23(火) 19:39 ┣Re(1):教育問題2 (子どもの教育は親の責任) 大平昌克 04/3/22(月) 22:48 ┣:教育問題(文部省のジェンダーフリー教育に反対!) koga 04/3/23(火) 8:52 ┃ ┣Re(1)::教育問題(文部省のジェンダーフリー教育に反対!) しゃねる 04/3/23(火) 9:18 ┃ ┣Re(1)::教育問題(文部省のジェンダーフリー教育に反対!) denen 04/3/23(火) 13:48 ┃ ┃ ┗Re(2)::教育問題(文部省のジェンダーフリー教育に反対!) ワクチン 04/3/23(火) 19:39 ┃ ┃ ┗Re(3)::教育問題(文部省のジェンダーフリー教育に反対!) 団塊党 04/3/24(水) 20:15 ┃ ┃ ┗Re(4)::教育問題(文部省のジェンダーフリー教育に反対!) 流水 04/3/24(水) 21:48 ┃ ┃ ┗教育研究のあり方 団塊党 04/3/24(水) 22:40 ┃ ┣Re(1)::教育問題(文部省のジェンダーフリー教育に反対!) koga 04/3/26(金) 10:28 ┃ ┃ ┗Re(2)::教育問題(文部省のジェンダーフリー教育に反対!) 数理梵哲 04/3/27(土) 11:32 ┃ ┣私はジェンダーフリー教育に賛成します Ray 04/3/27(土) 16:54 ┃ ┃ ┗Re(1):私はジェンダーフリー教育に賛成します koga 04/3/27(土) 20:18 ┃ ┃ ┗ジェンダーフリー教育(問題)に反対! koga 04/3/27(土) 20:32 ┃ ┗教育問題、文部省のゆとり教育、ジェンダーフリー教育の謎! koga 04/4/6(火) 10:59 ┣(1):教育問題(教育を育てよう!) koga 04/3/25(木) 10:00 ┃ ┗Re(1):(1):教育問題(教育を育てよう!) 団塊党 04/3/25(木) 20:07 ┃ ┗Re(2):(1):教育問題(教育を育てよう!) koga 04/3/26(金) 18:57 ┃ ┣Re(3):(1):教育問題(教育を育てよう!) 団塊党 04/3/26(金) 20:14 ┃ ┃ ┗Re(4):(1):教育問題(教育を育てよう!) ワクチン 04/3/27(土) 13:02 ┃ ┃ ┗Re(5):(1):教育問題(教育を育てよう!) 団塊党 04/3/27(土) 15:46 ┃ ┗Re(3):(1):教育問題(教育を育てよう!) 数理梵哲 04/3/27(土) 11:46 ┃ ┗Re(4):(1):教育問題(教育を育てよう!) 団塊党 04/3/27(土) 15:53 ┗Re(1):教育問題2 (学校/子ども/青少年) ワクチン 04/3/27(土) 11:15 ┗Re(2):教育問題2 (学校/子ども/青少年) 団塊党 04/3/28(日) 18:28 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 教育問題2 (学校/子ども/青少年) ■名前 : 珠 ■日付 : 04/3/14(日) 23:12 ■Web : http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/12paper.htm#SEA -------------------------------------------------------------------------
スレッドが長くなったので、kogaさんから新提案が出たところで、新スレッドに移します。 以下、コピーです。 >koga 「子供の安全」の問題に一言! 学校への登校、下校の時の子供達のことだが、予想以上の「危険な状況」になっていることが、昨日、途中から聞いたNHKラジオで多少解った。 NHKラジオのコメンテータの方が云ったのは、調査の結果、学校の先生の33%の人が、危機意識がないと云う。総合的な危機意識の向上、即ち、学校対策が必要と思うが、、。 子供の安全問題に対し、皆さんの忌憚のないご意見を乞う!。 |
▼珠さん: >>koga 「子供の安全」の問題に一言! > >学校への登校、下校の時の子供達のことだが、予想以上の「危険な状況」になっていることが、昨日、途中から聞いたNHKラジオで多少解った。 > >NHKラジオのコメンテータの方が云ったのは、調査の結果、学校の先生の33%の人が、危機意識がないと云う。総合的な危機意識の向上、即ち、学校対策が必要と思うが、、。 > >子供の安全問題に対し、皆さんの忌憚のないご意見を乞う!。 私は先生の意識が低いのは地元の意識が低いせいなんじゃないかと思います。 子を持つ親は危機意識はあっても地域全体の意識が低ければ、学校もそのようになります。実際、事件の起こった地域では町全体の意識が違うはずです。 |
▼kogaさん、ワクチンさん: >>NHKラジオのコメンテータの方が云ったのは、調査の結果、学校の先生の33%の人が、危機意識がないと云う。総合的な危機意識の向上、即ち、学校対策が必要と思うが、、。 >> >>子供の安全問題に対し、皆さんの忌憚のないご意見を乞う!。(kogaさん) > >私は先生の意識が低いのは地元の意識が低いせいなんじゃないかと思います。 >子を持つ親は危機意識はあっても地域全体の意識が低ければ、学校もそのようになります。実際、事件の起こった地域では町全体の意識が違うはずです。(ワクチンさん) 高崎での事件に関連しての「危険意識」ということであると考えて 私の意見を述べます。 まず、子どもの登下校の際に町が安全であるかどうかは 町によって大きく異なるだろうと思います。 地域に平日昼間にいる大人がどのくらいいるか、 あるいはその人たちがどのくらい地域に関心があるかでも 大きく違ってくるでしょう。 一方、学校・教員が危険意識をもっているかどうかも 町の状況によって変わってくるだろうと思います。 kogaさんは >NHKラジオのコメンテータの方が云ったのは、調査の結果、学校の先生の33%の人が、危機意識がないと云う。 とおっしゃっていますが、危険意識がある人が2/3いるのですし、 「危険意識がない」33%の先生というのが本当に何も考えずに 「登下校時が危険ではない」と思っているのかどうかは このコメントだけではなんとも言えないだろうと思います。 また、昨夜のNHKニュースで 「下校時に先生に各家庭まで送ってきて欲しい」 という保護者の方のコメントを聞きましたが、 住んでいる地域ごとに集団で下校するか、 保護者の方が学校まで迎えに行くかのどちらかのほうが 現実的な対応策だろうと思います。 学校の先生は基本的に一人で三十人程度の児童・生徒を担任しているわけですから、 (地域差もあるでしょうし、担任をもっていない先生もいることはいますが) 一人一人の子どもを自宅まで送り届けるというのは それでなくても忙しい教員の負担が大きくなり過ぎると思うのです。 もちろん、仕事を持っている人が子どもを迎えに行くのは無理ですから、 近所の人(退職した人、自営業の方、など)どうしで 助け合うなりなんなりの方策は必要でしょう。 このようなことを通じて、普段から子どものいない人も 地域の子どものことを知っておいたり、 子どもたちも地域の信頼できる大人の人を知っていたりすれば 町の危険度も下がるのではないかと思います。 |
▼Rayさん: >▼kogaさん、ワクチンさん: > >>>NHKラジオのコメンテータの方が云ったのは、調査の結果、学校の先生の33%の人が、危機意識がないと云う。総合的な危機意識の向上、即ち、学校対策が必要と思うが、、。 >>> >>>子供の安全問題に対し、皆さんの忌憚のないご意見を乞う!。(kogaさん) >> この問題に関して、わたしの意見をいうことは差し控えますが、論議をする上での基本的視点だけを提示しておきます。 ●学校が子供の安全に責任を負える範囲はどこかの問題⇒【原則】学校の敷地内ただし学校行事が校舎外で行われたとき(修学旅行など)を除く。 つまり、登下校は敷地外ですから、基本的には親の責任という原則をどう考えるか、という問題です。 1、登下校も学校・教師の責任という原則を立てるなら⇒確かに、安全を確保することはかなりできるようになるが、子供を迎えにいき、子供を送り届けるためには、相当の人員と設備(バスなど)の費用が必要になる。これをどう負担するか。 教育的に考えれば、【自分の命は自分で守る】という大原則を踏みにじる結果になり、すべて自分の命さえ他人任せという依存的体質を増幅する可能性がある。 2、登下校は家庭の責任という原則を明確にする⇒自分の命は自分で守るという自立心はできるかもしれないが、現在のような犯罪が横行しているときには、高崎の事件のように、原則論だけでは律しきれない事態が想定される。 3、子供の安全を確保するのは、学校・保護者・地域社会の共同責任という原則⇒これが実質的には、現在行われているやり方です。全国の多くの小学校で行われている「集団登校」(地域ごとに1年生から6年生までが一緒に登校する。上級生が下級生の面倒を見るやり方)で、途中、途中に保護者が交通整備に出て、交通の危険なところや校門前に教師が出るというやり方です。 ただ、この方式の問題点は、【下校時】にあります。小学校では、低学年と高学年では下校時刻が違います。低学年では1学期くらいは、下校時には教師がかなり指導しますが、子供たちの帰る方向が一方向ではないわけですから、家まで送り届けることまで現実的には面倒を見れません。まして、高学年になると、それこそまちまちの下校時刻になるわけですから、現実論として面倒をみれません。 この【下校時の安全をどう守るか】かが、最大の問題になる由縁です。朝なら、保護者も面倒をみれますが、まちまちの下校時をどう安全を確保するかは、保護者の協力も難しいのです。 この辺りをどうするかが、知恵の出しどころだと思います。 |
▼流水さん: >▼Rayさん: >>▼kogaさん、ワクチンさん: >> >>>>NHKラジオのコメンテータの方が云ったのは、調査の結果、学校の先生の33%の人が、危機意識がないと云う。総合的な危機意識の向上、即ち、学校対策が必要と思うが、、。 >>>> >>>>子供の安全問題に対し、皆さんの忌憚のないご意見を乞う!。(kogaさん) 子供の安全を守るには親も学校も地域も自治体もそれぞれができることをやるしかないと思います。 問題は、それぞれが現実にできるのはどこまでかということになります。 その一つは流水さんが仰るように、守備範囲の問題です。 私は登下校の安全は学校と親との協力で守ることだと思います。 (厳密に言えば敷地外なので親の責任範囲と思いますが、そうも割り切れない。) 私の学校では、朝の登校中はボランティアで地域の老人が立ってくださっています。(教頭や生活指導部担当教員も交代で時々立ちます。) その好意に親も学校も甘えているというのが実情です。 下校の時は親が交代で立ちます。 全部の親が、自分の出来る日を希望で調整し、年間を通して必ず数回は立つことになっています。(特殊な事情の方は免除) したがって学校は大変助かっています。 その分我々教員は子供を良くするために頑張る。そのことでお返しをするということです。 (朝も放課後も教員はやることがいっぱい。ですから本当に助かります。) このような協力が得られない学校は教員がやるしかないことになります。 学校側が親や地域に協力を求めればほとんどは何らかの協力をやってくれるのではないでしょうか。 子供が学校にいるときの安全は学校が責任を持つことになりますが、自治体の後押しが決定的に大事です。 学校に侵入されたらもう遅いのです。未然に防ぐしかありません。 (もちろん、侵入されたときの対応は学校でマニュアル化し訓練をしていますが・・・) 侵入を未然に防ぐためには、警備体制を整えるしかありません。 人的には警備員、もしくはボランティアの方。 施設的には防犯カメラの設置や門や塀の補強などです。 (各教室に緊急用の電話は既に設置されていますし、警察への非常通報のラインは しかれていますが、これだけでは不十分) 予算を最大限捻出して欲しいと思います。 |
>全部の親が、自分の出来る日を希望で調整し、年間を通して必ず数回は立つことになっています。(特殊な事情の方は免除) >したがって学校は大変助かっています。 > >その分我々教員は子供を良くするために頑張る。そのことでお返しをするということです。 ”地方自治”してますね。先生が子どもを良くするのに頑張る、父母もその姿を見て先生に協力して手助けをする、さらに先生が父母に応えて頑張るというような良い循環があればいいですね。すばらしいことだと思います。 |
▼なおさん: >”地方自治”してますね。先生が子どもを良くするのに頑張る、父母もその姿を見て先生に協力して手助けをする、さらに先生が父母に応えて頑張るというような良い循環があればいいですね。すばらしいことだと思います。 励ましの言葉有り難うございます。 心にしみるくらい嬉しいです。 |
▼団塊党さん: そうですね。今でも(私の子はとっくに小学校は卒業しましたが)ときどき朝のミドリのおじさんしてます。しかし、下校時については自分としてどうしたものかと考え、流水さんの返答がかけません。難しい。 がっちり地域、学校でかためるのもひとつの方法ですが、子供の自己責任、自覚を養うことも必要・・・ 昔は道草して覚えることのほうが多かったのですけどね・・・ |
▼ワクチンさん: >そうですね。今でも(私の子はとっくに小学校は卒業しましたが)ときどき朝のミドリのおじさんしてます。しかし、下校時については自分としてどうしたものかと考え、流水さんの返答がかけません。難しい。 >がっちり地域、学校でかためるのもひとつの方法ですが、子供の自己責任、自覚を養うことも必要・・・ >昔は道草して覚えることのほうが多かったのですけどね・・・ ミドリのおじさん、今後も頑張ってください。 道草も食えない時代、寂しいですね。 やはり、地域が連帯できるようにしていくしかないと思います。 |
▼団塊党さん: わたしの視点 ●長期的視点 教育の【内的事項】と【外的事項】をどう考えるか、の視点が必要。 明治時代から敗戦直後くらいまで、小学校などの校舎建築は、それぞれの地域に任されていました。だから、それぞれの地域の財政状況に合わせた校舎建築が行われました。 だから、長野県の開智小学校のような個性豊かな学校建築ができたのです。 これが、文部省のいう【外的事項】にあたります。 明治政府は教育の重要性をぶち上げたのですが、初等教育の校舎建築などをする予算はまったく無く、それを各地方の自主性に任せたのです。【外的事項】=ハード面の整備は、地方の自主性に任せ、【内的事項】=ソフト面(教育内容)は、国が統括するというわけです。 これの善悪の議論はさておき、地方の小学校建設には、その地域の人々が資金も出し、建設にもボランテイアで参加しました。だから、その地域の小学校は、その地域の教育・文化の中心になり、【おらが村の学校・俺たちの学校】意識が形成され、【地域の共同意識形成】の中心になったのです。 この地域社会の共同意識が、近代日本の人材輩出の大きな原動力になったことは否定できません。 戦後、文部省はこの【外的事項】への国家の関与を拡大してきたのです。これは、教育環境の整備とか平等な環境整備という名目がつけられていますが、結局は教育への国家統制の拡大という結果をもたらしたことは否定できません。文部省・教育委員会の権限拡大につれ、【おらが村の学校・俺たちの学校】意識は薄れ、【官の学校】意識が拡大していったのです。 そのため、学校・教師は、おらが村の教育・文化を高めてくれる尊敬すべき存在から、子供たちの生殺与奪の権を握る小権力者・官の窓口的存在に変質したのです。 もちろん、この裏には、戦後の教育の大衆化が背景にあり、教師という存在が過去のような尊敬すべき存在から、ただの勤め人という普通の存在になっていった事情もあります。 大阪教育大事件・京都の事件など、学校の【安全神話】を揺るがす事件の頻発は、基本的には上記の【学校観】の変化が背景にあります。つまり、【おらが村の学校意識】を【官の学校意識】に変えていった戦後の教育政策それ自体が問われているのです。 学校の【安全神話】を復活させる長期的・抜本的対策は、如何にして【おらが村の学校】意識をどのようにして作り出すか、という制度的変更が必要です。 ●短期的視点 学校・保護者・地域・自治体三者による総合的対策が必要です。その場合、一番重要なのは、教師の動き方です。子供の通学範囲をカバーした目に見える動き方が求められます。 危険な場所(交通だけでなく、連れ去り事件や理不尽な暴力なども考慮した)マップを作成し、これを教師・保護者・地域の人たち共有の知識として蓄積する必要がある。(※この作成の共同作業の過程が、保護者と学校の距離を縮める) 地域の自治会に学校・保護者代表が出かけ、子供たちの安全確保の現状を積極的に説明し、地域住民の協力を頼む。(※この協力要請する場合、最初に書いた教師が通学範囲をカバーした動きをしていることが、地域住民によく見えていれば、協力姿勢が全く違ってくる) ◆できれば、学校・地域住民共同の「安全確保運動」の形になれば、ベスト。 校舎の安全対策 団塊党さんの書いているマニュアルの徹底をする必要がある。 |
▼流水さん: >●長期的視点 >・・・だから、その地域の小学校は、その地域の教育・文化の中心になり、【おらが村の学校・俺たちの学校】意識が形成され、【地域の共同意識形成】の中心になったのです。 >この地域社会の共同意識が、近代日本の人材輩出の大きな原動力になったことは否定できません。 終戦直後あたりまでは学校が地域の教育・文化の中心であり、共同体意識形成の中心であったのは、その通りだと思います。 そうありえたことの理由の一つが校舎建設にあったのですね。 >・・・学校・教師は、おらが村の教育・文化を高めてくれる尊敬すべき存在から、子供たちの生殺与奪の権を握る小権力者・官の窓口的存在に変質したのです。 マクロの視点で見るとそうでしょうね。 否応なく小権力者・官の窓口的存在に押し込まれ続けてきたと言えるでしょう。 しかし今の状況はさらに進行し、学校の背後にあったそういうものが無力化し力を失いつつあります。 親や地域の住民たちはもう単純に学校を信頼してくれません。 学校の質が地域から問われ、場合によっては厳しい批判を受ける時代になってきています。 学校の情報公開も盛んに叫ばれていますね。 >もちろん、この裏には、戦後の教育の大衆化が背景にあり、教師という存在が過去のような尊敬すべき存在から、ただの勤め人という普通の存在になっていった事情もあります。 そうですね。親たちが高学歴化しています。価値観も多様化しています。 >大阪教育大事件・京都の事件など、学校の【安全神話】を揺るがす事件の頻発は、基本的には上記の【学校観】の変化が背景にあります。つまり、【おらが村の学校意識】を【官の学校意識】に変えていった戦後の教育政策それ自体が問われているのです。 地域社会が崩壊してきていることが大きいと思います。 教育政策と同時に、時代の流れがそれを助長しているのではないかと思います。 >学校の【安全神話】を復活させる長期的・抜本的対策は、如何にして【おらが村の学校】意識をどのようにして作り出すか、という制度的変更が必要です。 現代版「おらが村の学校」をどう実現していくかですね。 そのためには制度面からの後押しが必要ですし、学校と地域がどう協力して実践を創っていくかが問われています。 浜の郷小はその一つの具体例を見せてくれていると思います。 >●短期的視点 >学校・保護者・地域・自治体三者による総合的対策が必要です。その場合、一番重要なのは、教師の動き方です。子供の通学範囲をカバーした目に見える動き方が求められます。 >危険な場所(交通だけでなく、連れ去り事件や理不尽な暴力なども考慮した)マップを作成し、これを教師・保護者・地域の人たち共有の知識として蓄積する必要がある。(※この作成の共同作業の過程が、保護者と学校の距離を縮める) 危険箇所マップは作られているところが多いと思いますが、流水さんの言われるような意味での実質的な働きをしているかどうかはやや疑問があります。 >地域の自治会に学校・保護者代表が出かけ、子供たちの安全確保の現状を積極的に説明し、地域住民の協力を頼む。(※この協力要請する場合、最初に書いた教師が通学範囲をカバーした動きをしていることが、地域住民によく見えていれば、協力姿勢が全く違ってくる) >◆できれば、学校・地域住民共同の「安全確保運動」の形になれば、ベスト。 この運動が地域連帯のきっかけになれば、一石二鳥です。 声かけ、挨拶運動、美化、環境整備運動などと関連させながら取り組めると思いますが、かなり腰を据えてかからないと行き詰まる可能性が大きいと思います。 世の中全体がせわしない、落ち着かない、忙しい。 このような雰囲気が地域作りを阻害している面があると思います。 そう考えるとどのような社会を目指して政治が行われているかが、大きな問題ですね。 もっと世の中全体にゆとりが欲しいとつくずく思います。 体感速度20km程度の。 |
▼流水さん: >> >>>>NHKラジオのコメンテータの方が云ったのは、調査の結果、学校の先生の33%の人が、危機意識がないと云う。総合的な危機意識の向上、即ち、学校対策が必要と思うが、、。 >>>> >>>>子供の安全問題に対し、皆さんの忌憚のないご意見を乞う!。koga >>> >この問題に関して、わたしの意見をいうことは差し控えますが、論議をする上での基本的視点だけを提示しておきます。 > >●学校が子供の安全に責任を負える範囲はどこかの問題⇒【原則】学校の敷地内ただし学校行事が校舎外で行われたとき(修学旅行など)を除く。 >つまり、登下校は敷地外ですから、基本的には親の責任という原則をどう考えるか、という問題です。 > >1、登下校も学校・教師の責任という原則を立てるなら⇒確かに、安全を確保することはかなりできるようになるが、子供を迎えにいき、子供を送り届けるためには、相当の人員と設備(バスなど)の費用が必要になる。これをどう負担するか。 >教育的に考えれば、【自分の命は自分で守る】という大原則を踏みにじる結果になり、すべて自分の命さえ他人任せという依存的体質を増幅する可能性がある。 > >2、登下校は家庭の責任という原則を明確にする⇒自分の命は自分で守るという自立心はできるかもしれないが、現在のような犯罪が横行しているときには、高崎の事件のように、原則論だけでは律しきれない事態が想定される。 > >3、子供の安全を確保するのは、学校・保護者・地域社会の共同責任という原則⇒これが実質的には、現在行われているやり方です。全国の多くの小学校で行われている「集団登校」(地域ごとに1年生から6年生までが一緒に登校する。上級生が下級生の面倒を見るやり方)で、途中、途中に保護者が交通整備に出て、交通の危険なところや校門前に教師が出るというやり方です。 > >ただ、この方式の問題点は、【下校時】にあります。小学校では、低学年と高学年では下校時刻が違います。低学年では1学期くらいは、下校時には教師がかなり指導しますが、子供たちの帰る方向が一方向ではないわけですから、家まで送り届けることまで現実的には面倒を見れません。まして、高学年になると、それこそまちまちの下校時刻になるわけですから、現実論として面倒をみれません。 > >この【下校時の安全をどう守るか】かが、最大の問題になる由縁です。朝なら、保護者も面倒をみれますが、まちまちの下校時をどう安全を確保するかは、保護者の協力も難しいのです。 > >この辺りをどうするかが、知恵の出しどころだと思います。 学校の現状が理解できた。ご意見有難う。私は基本的に「教育」の場合、「教」(学問)は学校で、「育」(躾け)は家庭だと思う。親子は「共育」(共に学ぶ)が必要と思う。 即ち、過去(戦前)は、封建的な時代の中に学ぶ(道徳心、等)ところもあった。誰の子供であれ、悪いことをしたら、知らない大人に叱られた。子供は国の宝であり、皆で育てる意識があった。 現在の社会(大人)は、自分に関係ない子供に余り関心を示さない様になった。また、自分の子供の躾を、学校の責任にする無責任な親がいることを知人に聞いて驚いた。 社会(大人)が、他人の子供に対する「無関心」さが問題だと思う。子供の危機管理は「社会全体」の問題ではないか、、。 |
▼kogaさん: >現在の社会(大人)は、自分に関係ない子供に余り関心を示さない様になった。また、自分の子供の躾を、学校の責任にする無責任な親がいることを知人に聞いて驚いた。 > >社会(大人)が、他人の子供に対する「無関心」さが問題だと思う。子供の危機管理は「社会全体」の問題ではないか、、。 その通りですね。 世の中全体にゆとりがなくて、よその子供まで面倒見てられないという雰囲気があります。 昔は良くも悪くもつながっていた地域が今は孤立化。 町内会の役員さえなり手がいなくて困る状況です。 挨拶も交わそうとしない人が増えています。 住民の意識が自分の地域にもっと関心を持つようになればいいのですが・・・ |
▼団塊党さん: >▼kogaさん: > >>現在の社会(大人)は、自分に関係ない子供に余り関心を示さない様になった。また、自分の子供の躾を、学校の責任にする無責任な親がいることを知人に聞いて驚いた。 >> >>社会(大人)が、他人の子供に対する「無関心」さが問題だと思う。子供の危機管理は「社会全体」の問題ではないか、、。 > >その通りですね。 >世の中全体にゆとりがなくて、よその子供まで面倒見てられないという雰囲気があります。 > >昔は良くも悪くもつながっていた地域が今は孤立化。 団塊党さん 良くいえば、土地から自由になった、ということですね。昔は挨拶せずには地域に住めなかった。今は気にいらなければ挨拶などしなくても生きてゆける。あと、アメリカ人もよく人に挨拶をしますね。あれも、オレはお前の敵でないよ、という社会的サインなのかも知れない。 何の協同もしていないのに、挨拶、挨拶と言われてもね。 しかし、日本人には、過去の「鬼畜米英」「千人針」「竹槍訓練」「バケツリレー」などのトラウマがあるから、地域町内会で何かをやるのに極めて強い抵抗・アレルギーがある。いかに前の戦争の傷跡が深いか、ということだね。人間との連帯一般や教育のあり方を語る前に、過去の清算をチャントやらないと社会の再構築はかくのごとく、難しい。なぜ60年もこの問題を私たちは引きずらなければならないのだろう。 >町内会の役員さえなり手がいなくて困る状況です。 >挨拶も交わそうとしない人が増えています。 >住民の意識が自分の地域にもっと関心を持つようになればいいのですが・・・ |
▼海幸彦さん: >良くいえば、土地から自由になった、ということですね。昔は挨拶せずには地域に住めなかった。今は気にいらなければ挨拶などしなくても生きてゆける。あと、アメリカ人もよく人に挨拶をしますね。あれも、オレはお前の敵でないよ、という社会的サインなのかも知れない。 >何の協同もしていないのに、挨拶、挨拶と言われてもね。 確かにその通りです。 協同の場で無くなっているのがより根本の問題です。 昔の地縁的なつながりではなく、新しい形の協同的なつながりを模索していく時代だと思います。 >しかし、日本人には、過去の「鬼畜米英」「千人針」「竹槍訓練」「バケツリレー」などのトラウマがあるから、地域町内会で何かをやるのに極めて強い抵抗・アレルギーがある。いかに前の戦争の傷跡が深いか、ということだね。人間との連帯一般や教育のあり方を語る前に、過去の清算をチャントやらないと社会の再構築はかくのごとく、難しい。なぜ60年もこの問題を私たちは引きずらなければならないのだろう。 町内会で何かやるのに過去のトラウマがあるというのは、よく分かりません。 そういうものを引きずっている人は、ほとんどいないように思いますが・・・ ただ、過去の清算をちゃんとやることについては賛成です。 |
▼団塊党さん: >▼海幸彦さん: >>良くいえば、土地から自由になった、ということですね。昔は挨拶せずには地域に住めなかった。今は気にいらなければ挨拶などしなくても生きてゆける。あと、アメリカ人もよく人に挨拶をしますね。あれも、オレはお前の敵でないよ、という社会的サインなのかも知れない。 >>何の協同もしていないのに、挨拶、挨拶と言われてもね。 > >確かにその通りです。 >協同の場で無くなっているのがより根本の問題です。 >昔の地縁的なつながりではなく、新しい形の協同的なつながりを模索していく時代だと思います。 > > >>しかし、日本人には、過去の「鬼畜米英」「千人針」「竹槍訓練」「バケツリレー」などのトラウマがあるから、地域町内会で何かをやるのに極めて強い抵抗・アレルギーがある。いかに前の戦争の傷跡が深いか、ということだね。人間との連帯一般や教育のあり方を語る前に、過去の清算をチャントやらないと社会の再構築はかくのごとく、難しい。なぜ60年もこの問題を私たちは引きずらなければならないのだろう。 > >町内会で何かやるのに過去のトラウマがあるというのは、よく分かりません。 >そういうものを引きずっている人は、ほとんどいないように思いますが・・・ > >ただ、過去の清算をちゃんとやることについては賛成です。 団塊党さん 新しい協同、というのは、今の時代、趣味とか、自治会・PTAくらいでしょうね。でも私はそういうもんじゃなくて、市民運動そのものがそれでありうると思うようになりました。ですから、両隣・町内会にそれを働きかけようと思っているところです。でも、お隣さんだからとか、顔見知りだからとかではなくて、そういう既存のしがらみでなく、真正面から問題を提起しての市民運動を考えています。歩いて落ち合え、近くの焼き鳥屋で語り合えるようなのがいいのでないかと思っています。 過去・戦前の町内会運動のトラウマ、わかるでしょ?9月にやる「防災訓練」、わたしはこれに参加したことはありません。訪問販売、宗教、君が代、日の丸、防災訓練、私の嫌いなものです。間違いなく、ひきずっています。 |
▼海幸彦さん: >新しい協同、というのは、今の時代、趣味とか、自治会・PTAくらいでしょうね。でも私はそういうもんじゃなくて、市民運動そのものがそれでありうると思うようになりました。ですから、両隣・町内会にそれを働きかけようと思っているところです。でも、お隣さんだからとか、顔見知りだからとかではなくて、そういう既存のしがらみでなく、真正面から問題を提起しての市民運動を考えています。歩いて落ち合え、近くの焼き鳥屋で語り合えるようなのがいいのでないかと思っています。 市民運動を地域にも広げていこうという発想は独創的で面白い。 なるほどです。 それこそ新しい形の地域創りではないでしょうか。 ただ、私の場合は職業柄「子供にとっての地域」により関心があるわけです。 ですから、どうしても地域の人間関係を濃くしていく方向に発想がいきます。 色々な形や発想で地域創りがあって良いと思います。 海幸彦流地域創りのご健闘を祈ります。 >過去・戦前の町内会運動のトラウマ、わかるでしょ?9月にやる「防災訓練」、わたしはこれに参加したことはありません。訪問販売、宗教、君が代、日の丸、防災訓練、私の嫌いなものです。間違いなく、ひきずっています。 そういう意味なら分かります。 ですから、新しい形の地域創りが必要なんですね。 過去の固定観念で発想しないことが大切でしょう。 |
「日本代表」スポーツ選手に一言! 本日、某新聞の記事に吃驚した、「日本代表サッカー選手」(8名)を、除外と掲載されていた。 日本代表強化合宿中に無断外出し、キャバクラで飲食し、店内で酷い状況だったと記載してあったが、これが事実なら、8選手の除外は当然の処置と思う。 日本代表は、日本の誇りであって、子供達の夢であり、プロ選手も、子供達の憧れでもある。だから、代表(人間)やプロ選手としての自覚が必要であると思うのだが、、。 信頼した選手が最低限のルールを破った.私に対する裏切りだ。競技場の内だけでなく、外でも国の代表としての責任がある。一部の選手が代表としてのレベルに達していなかった、と、ジーコ監督、コメント。 「自律心があって、初めて、個人の自由も認められる」と、川渕三郎会長、コメント。 |
▼kogaさん: >「日本代表」スポーツ選手に一言! > >本日、某新聞の記事に吃驚した、「日本代表サッカー選手」(8名)を、除外と掲載されていた。 > >日本代表強化合宿中に無断外出し、キャバクラで飲食し、店内で酷い状況だったと記載してあったが、これが事実なら、8選手の除外は当然の処置と思う。 > >日本代表は、日本の誇りであって、子供達の夢であり、プロ選手も、子供達の憧れでもある。だから、代表(人間)やプロ選手としての自覚が必要であると思うのだが、、。 > >信頼した選手が最低限のルールを破った.私に対する裏切りだ。競技場の内だけでなく、外でも国の代表としての責任がある。一部の選手が代表としてのレベルに達していなかった、と、ジーコ監督、コメント。 > >「自律心があって、初めて、個人の自由も認められる」と、川渕三郎会長、コメント。 ======== 今回のジーコの決断は大変良かったと、評価します。日本のサッカーが今後このスタンスを基本とするよう望みます。 でも、ジーコは大分まえサラ金のCMに頻繁に出ていましたよね。若者に多大な悪影響を与えた事と思います。サッカー会の指導者も何ら介入していませんでしたが。このことと、今回の彼の決断との整合性がわたくしには理解できないので、ジーコからなにかコメントが欲しいな。東京三菱がアコムとタイアップする世の中、時代が変わっちゃったのかな。ドイツのゴールキーパーも同じようにワールドカップの後、日本のサラ金のCMにでていましたね。 I appreciate very much Zico's decision to eliminate 8 players who had indulged in a drinking binge and have acted improperly during training camp. I do not understand the gap between his recent decision and his past CM in which he had promoted for Sarakin company. I would like to have his comment for consistancy over his behaivior. |
▼悪い子さん: >>「日本代表」スポーツ選手に一言! >> >>本日、某新聞の記事に吃驚した、「日本代表サッカー選手」(8名)を、除外と掲載されていた。 >> >>日本代表強化合宿中に無断外出し、キャバクラで飲食し、店内で酷い状況だったと記載してあったが、これが事実なら、8選手の除外は当然の処置と思う。 >> >>日本代表は、日本の誇りであって、子供達の夢であり、プロ選手も、子供達の憧れでもある。だから、代表(人間)やプロ選手としての自覚が必要であると思うのだが、、。 >> >>信頼した選手が最低限のルールを破った.私に対する裏切りだ。競技場の内だけでなく、外でも国の代表としての責任がある。一部の選手が代表としてのレベルに達していなかった、と、ジーコ監督、コメント。 >> >>「自律心があって、初めて、個人の自由も認められる」と、川渕三郎会長、コメント。 >======== >今回のジーコの決断は大変良かったと、評価します。日本のサッカーが今後このスタンスを基本とするよう望みます。 > >でも、ジーコは大分まえサラ金のCMに頻繁に出ていましたよね。若者に多大な悪影響を与えた事と思います。サッカー会の指導者も何ら介入していませんでしたが。このことと、今回の彼の決断との整合性がわたくしには理解できないので、ジーコからなにかコメントが欲しいな。東京三菱がアコムとタイアップする世の中、時代が変わっちゃったのかな。ドイツのゴールキーパーも同じようにワールドカップの後、日本のサラ金のCMにでていましたね。 > >I appreciate very much Zico's decision to eliminate 8 players who had indulged in a drinking binge and have acted improperly during training camp. I do not understand the gap between his recent decision and his past CM in which he had promoted for Sarakin company. I would like to have his comment for consistancy over his behaivior. ご意見有難う。一流スポーツ選手の場合には、競技同様に、社会人(人間)としての規則を厳守する自覚が必要だと思っている。 即ち、選手に依っては、両親、関係者(学校、先輩、監督,等)からの、社会人としての支援(指導、教育)が必要かも知れない、、。 |
▼kogaさん: >▼悪い子さん: >>>「日本代表」スポーツ選手に一言! >>> >>>本日、某新聞の記事に吃驚した、「日本代表サッカー選手」(8名)を、除外と掲載されていた。 >>> >>>日本代表強化合宿中に無断外出し、キャバクラで飲食し、店内で酷い状況だったと記載してあったが、これが事実なら、8選手の除外は当然の処置と思う。 >>> >>>日本代表は、日本の誇りであって、子供達の夢であり、プロ選手も、子供達の憧れでもある。だから、代表(人間)やプロ選手としての自覚が必要であると思うのだが、、。 >>> >>>信頼した選手が最低限のルールを破った.私に対する裏切りだ。競技場の内だけでなく、外でも国の代表としての責任がある。一部の選手が代表としてのレベルに達していなかった、と、ジーコ監督、コメント。 >>> >>>「自律心があって、初めて、個人の自由も認められる」と、川渕三郎会長、コメント。 >>======== >>今回のジーコの決断は大変良かったと、評価します。日本のサッカーが今後このスタンスを基本とするよう望みます。 >> >>でも、ジーコは大分まえサラ金のCMに頻繁に出ていましたよね。若者に多大な悪影響を与えた事と思います。サッカー会の指導者も何ら介入していませんでしたが。このことと、今回の彼の決断との整合性がわたくしには理解できないので、ジーコからなにかコメントが欲しいな。東京三菱がアコムとタイアップする世の中、時代が変わっちゃったのかな。ドイツのゴールキーパーも同じようにワールドカップの後、日本のサラ金のCMにでていましたね。 >> >>I appreciate very much Zico's decision to eliminate 8 players who had indulged in a drinking binge and have acted improperly during training camp. I do not understand the gap between his recent decision and his past CM in which he had promoted for Sarakin company. I would like to have his comment for consistancy over his behaivior. > >ご意見有難う。一流スポーツ選手の場合には、競技同様に、社会人(人間)としての規則を厳守する自覚が必要だと思っている。 > >即ち、選手に依っては、両親、関係者(学校、先輩、監督,等)からの、社会人としての支援(指導、教育)が必要かも知れない、、。 実は私はそれほどスポーツ選手(他にもいろんな場合の実力者)が社会人としての・・ということにこだわりはありません。確かに日本代表とか公の代表に選抜されてしまったことに対しての自覚は必要ですが、私も以前はスポーツをやり、そこそこの成績は収めましたが、動機はとにかく強くなりたい、うまくなりたい。それだけでした。他になにも考えず、スポーツ、勝負という目標に対してだけに集中して頑張ってきました。でも、成績が上がり、なにかに持ち上げられる(学校代表、地域代表)と余計なことを意識しないといけなくなり、急につまらないものに変わってしまった記憶があります。自分は個人としての実力のみを上げたかった、そのために日々努力してきただけなのに回りの目を意識しなければいけなくなって、そのプレッシャーというか、なにかに抑えられるような感じになり成長が妨げられる、そんなことは選手にとっては可愛そうな気もします。 そういう人は代表にならなければいいということかもしれませんが、、、 かつてのマッケンローはコート内で暴言を吐き、ラケットを投げ捨て、観衆を敵に回しても、実力で勝つ。スポーツや、その世界では実力が全てといったほうがいいんじゃないかとも思います。(子供や社会的に悪影響はでるかもしれませんが・・・) ただ、社会を敵にまわすと選手生命が短くなるかもしれませんが。 |
▼ワクチンさん: >>>>「日本代表」スポーツ選手に一言! >>>> >>>>本日、某新聞の記事に吃驚した、「日本代表サッカー選手」(8名)を、除外と掲載されていた。 >>>> >>>>日本代表強化合宿中に無断外出し、キャバクラで飲食し、店内で酷い状況だったと記載してあったが、これが事実なら、8選手の除外は当然の処置と思う。 >>>> >>>>日本代表は、日本の誇りであって、子供達の夢であり、プロ選手も、子供達の憧れでもある。だから、代表(人間)やプロ選手としての自覚が必要であると思うのだが、、。 >>>> >>>>信頼した選手が最低限のルールを破った.私に対する裏切りだ。競技場の内だけでなく、外でも国の代表としての責任がある。一部の選手が代表としてのレベルに達していなかった、と、ジーコ監督、コメント。 >>>> >>>>「自律心があって、初めて、個人の自由も認められる」と、川渕三郎会長、コメント。 >>>======== >>>今回のジーコの決断は大変良かったと、評価します。日本のサッカーが今後このスタンスを基本とするよう望みます。 >>> >>>でも、ジーコは大分まえサラ金のCMに頻繁に出ていましたよね。若者に多大な悪影響を与えた事と思います。サッカー会の指導者も何ら介入していませんでしたが。このことと、今回の彼の決断との整合性がわたくしには理解できないので、ジーコからなにかコメントが欲しいな。東京三菱がアコムとタイアップする世の中、時代が変わっちゃったのかな。ドイツのゴールキーパーも同じようにワールドカップの後、日本のサラ金のCMにでていましたね。 >>> >>>I appreciate very much Zico's decision to eliminate 8 players who had indulged in a drinking binge and have acted improperly during training camp. I do not understand the gap between his recent decision and his past CM in which he had promoted for Sarakin company. I would like to have his comment for consistancy over his behaivior. >> >>ご意見有難う。一流スポーツ選手の場合には、競技同様に、社会人(人間)としての規則を厳守する自覚が必要だと思っている。 >> >>即ち、選手に依っては、両親、関係者(学校、先輩、監督,等)からの、社会人としての支援(指導、教育)が必要かも知れない、、。 > >実は私はそれほどスポーツ選手(他にもいろんな場合の実力者)が社会人としての・・ということにこだわりはありません。確かに日本代表とか公の代表に選抜されてしまったことに対しての自覚は必要ですが、私も以前はスポーツをやり、そこそこの成績は収めましたが、動機はとにかく強くなりたい、うまくなりたい。それだけでした。他になにも考えず、スポーツ、勝負という目標に対してだけに集中して頑張ってきました。でも、成績が上がり、なにかに持ち上げられる(学校代表、地域代表)と余計なことを意識しないといけなくなり、急につまらないものに変わってしまった記憶があります。自分は個人としての実力のみを上げたかった、そのために日々努力してきただけなのに回りの目を意識しなければいけなくなって、そのプレッシャーというか、なにかに抑えられるような感じになり成長が妨げられる、そんなことは選手にとっては可愛そうな気もします。 >そういう人は代表にならなければいいということかもしれませんが、、、 >かつてのマッケンローはコート内で暴言を吐き、ラケットを投げ捨て、観衆を敵に回しても、実力で勝つ。スポーツや、その世界では実力が全てといったほうがいいんじゃないかとも思います。(子供や社会的に悪影響はでるかもしれませんが・・・) >ただ、社会を敵にまわすと選手生命が短くなるかもしれませんが。 特に、一流のスポーツマンは自覚が必要と思う。例えば、野球の長島、王、一郎、松井、野茂、等、国際的に評判が良い。一流選手は勝てば良いという単純なことでない。 即ち、マッケンローはテニス界に汚点を残し、国際スポーツ団体やフアンから孤立した。前阪神の星野監督は、以前から、技術がどんなに上でも規則を守らない選手を除外した。 某一流の有名なラグビー部の故北島監督は、ルールを守れない選手はこの部を去れ、、。「人の見ていない」ところで、ルールを守ることがスポーツマンだと云っていた。 即ち、一流の各スポーツ選手には、国民や沢山の子供達のフアンが観戦しており、大人や、子供達の夢を壊してはいけないと思うが、、。 |
▼kogaさん: >特に、一流のスポーツマンは自覚が必要と思う。例えば、野球の長島、王、一郎、松井、野茂、等、国際的に評判が良い。一流選手は勝てば良いという単純なことでない。 > >即ち、マッケンローはテニス界に汚点を残し、国際スポーツ団体やフアンから孤立した。前阪神の星野監督は、以前から、技術がどんなに上でも規則を守らない選手を除外した。 > >某一流の有名なラグビー部の故北島監督は、ルールを守れない選手はこの部を去れ、、。「人の見ていない」ところで、ルールを守ることがスポーツマンだと云っていた。 > >即ち、一流の各スポーツ選手には、国民や沢山の子供達のフアンが観戦しており、大人や、子供達の夢を壊してはいけないと思うが、、。 日ごろ思うことですが、スポーツ選手はその道の成績が全てであり、これは自分の為に精進、努力してきたもので、ファンとか子供達のためになんて思う必要があるのかって思います。特にアマチュアは自分の為にやっているんだからそれ以上のことはいいんじゃないでしょうか。団体スポーツでチームの輪を乱すことはチームの為になりませんが、個人スポーツでは強ければいい。よくテレビのインタビューなどで、子供たちのため・・とかいう選手もいますが本気で言ってるのかなって思います。 周りで協力してくれた人には感謝しても、オレは日本のためにやったんじゃない、知らない子供達のためでも、勝手に応援している人のためでもない、自分の為にやったんだって言えないんでしょうか・・・。 ちょっと変かなあ |
▼ワクチンさん: >>特に、一流のスポーツマンは自覚が必要と思う。例えば、野球の長島、王、一郎、松井、野茂、等、国際的に評判が良い。一流選手は勝てば良いという単純なことでない。 >> >>即ち、マッケンローはテニス界に汚点を残し、国際スポーツ団体やフアンから孤立した。前阪神の星野監督は、以前から、技術がどんなに上でも規則を守らない選手を除外した。 >> >>某一流の有名なラグビー部の故北島監督は、ルールを守れない選手はこの部を去れ、、。「人の見ていない」ところで、ルールを守ることがスポーツマンだと云っていた。 >> >>即ち、一流の各スポーツ選手には、国民や沢山の子供達のフアンが観戦しており、大人や、子供達の夢を壊してはいけないと思うが、、。 > >日ごろ思うことですが、スポーツ選手はその道の成績が全てであり、これは自分の為に精進、努力してきたもので、ファンとか子供達のためになんて思う必要があるのかって思います。特にアマチュアは自分の為にやっているんだからそれ以上のことはいいんじゃないでしょうか。団体スポーツでチームの輪を乱すことはチームの為になりませんが、個人スポーツでは強ければいい。よくテレビのインタビューなどで、子供たちのため・・とかいう選手もいますが本気で言ってるのかなって思います。 >周りで協力してくれた人には感謝しても、オレは日本のためにやったんじゃない、知らない子供達のためでも、勝手に応援している人のためでもない、自分の為にやったんだって言えないんでしょうか・・・。 >ちょっと変かなあ 他人に影響なく、指導も受けず、自分の努力で、自分自身が満足する程度のスポーツなら、自分の為にやったんだと云えるかも知れない。 但し、一流選手は、様々な方の技術、教養、等の指導を受けている。尚、ノンプロ選手の場合でも、アジア大会、オリンピック、等は、日本の代表であり、皆さんの税金が使われているから、日本の為と思うのが当然ではないか、、。 尚、アジア大会、オリンピック等で、利己的な自分の為と云う感覚の参加選手は、自分の費用で参加し、謙虚に教養を学ぶべき、、。 |
▼kogaさん: > >他人に影響なく、指導も受けず、自分の努力で、自分自身が満足する程度のスポーツなら、自分の為にやったんだと云えるかも知れない。 > >但し、一流選手は、様々な方の技術、教養、等の指導を受けている。尚、ノンプロ選手の場合でも、アジア大会、オリンピック、等は、日本の代表であり、皆さんの税金が使われているから、日本の為と思うのが当然ではないか、、。 > >尚、アジア大会、オリンピック等で、利己的な自分の為と云う感覚の参加選手は、自分の費用で参加し、謙虚に教養を学ぶべき、、。 当然素直に考えればkogaさんの言うとおりとは思いますが,なにかこう・・なんでもいい子主義?(すみません適切な言い方がわかりません)になっているのが気持ちよくないっていうか 私的にはその世界で実力No.1であればいいじゃないか、文句あるかってのもあっていいんじゃないかとも思ったりしています。かつて(今はわかりませんが)有名塾講師は高級外車に乗り、ときどき銀座等で飲みあるき、豪遊もしたらしいですが、その講師はだれにも教えることには負けない自負もあり、周りからも実力は認知されていたらしいですから、これはこれで悪いことではないし、学校の先生だって人間だからエッチもしたいだろうし、でも校内ではだれより立派な先生していれば問題ないし、朝青龍だってどんなに生意気な態度とっても誰にも負けなければかまわないし、政治家だって1億円ごまかしても100億円の利益を国民に与えれば何もしない政治家より功績はあるだろうし・・・ 子供達の夢も、これだけ強くなれば、実力があればモテるんだ、お金持ちになれるんだでもいいんじゃないかなとも思う今日この頃です。 そのせいで世の中乱れてるとも思いますが・・・。 |
「日本の英語」教育、指導に一言! 国際時代に、日本の英語教育は現状でよいのかと思う。英語指導方法を改善、努力した私立学校もあると聞いているが、日本全体としては、アジア地区でも最低の水準である。 尚、本日の某新聞にも、30ケ国の中で、1位、シンガポール、〜30位が北朝鮮であり、日本は、北朝鮮の前に(28〜29位)、モンゴルと並んで日本とあるが、、。 文部科学省の指導問題か、学校の教育問題か、社会(家庭、国民性、他)の環境問題か、個々の意欲の問題か、皆さんの「英語教育」について忌憚の無いご意見を乞う! |
日本の学校の英語教育は受験英語の制約かに ある。これを改善するためには高校も大学も あるいは大学院も今はやりのトエイック? 方式を加味するのが一番。 在日ネイテイブ大人が50点しか取れないような 受験問題はおかしいのでは。 たとえばアクセント問題、教室では名前、動後とか tionの前とか原則を暗記するのに汲汲として発声は 1年生のはじめのみ、あとは試験で知らない単語の アクセントの位置を確率で当てるテクニックの習得の お勉強。ほかも押して知るべし。 かくて中学3年、高校3年、受験予備校?、大学4年 単語は1万暗記してもネイチブの会話さっぱりわからず おまけにアメージンググレイス歌詞と楽譜を手に聞いていて どこを歌っているのか文字と歌唱が一致せずウロウロ、 数年会話主体の英語学校に通っている女房に馬鹿にされる 始末。 英語が聞けて話せても、デイベイトの経験がなかったり 日本語で話すべき内容、日本人のアイイデンテテイ 禅とか茶道等を話せない人、はたまたしゃれた小話が その場その場で出ない人はパーテイでも通用しないよ。 内容があれば、ごつごつした英作文の漢文調の英作の 受験英語をしゃべっても一生賢明聞いてくれるよ。 ネイテイにパーテイで彼の英語理解できないといったら 彼は南部出身で酒が入ると俺にもわからんいっていたので 下手な英語をしゃべっても結構努力して聞く習慣があるのでは。 でも私みたいなつんぼではねえ。 ニ 院生 |
▼しゃねるさん: >日本の学校の英語教育は受験英語の制約かに >ある。これを改善するためには高校も大学も >あるいは大学院も今はやりのトエイック? >方式を加味するのが一番。 >在日ネイテイブ大人が50点しか取れないような >受験問題はおかしいのでは。 >たとえばアクセント問題、教室では名前、動後とか >tionの前とか原則を暗記するのに汲汲として発声は >1年生のはじめのみ、あとは試験で知らない単語の >アクセントの位置を確率で当てるテクニックの習得の >お勉強。ほかも押して知るべし。 >かくて中学3年、高校3年、受験予備校?、大学4年 >単語は1万暗記してもネイチブの会話さっぱりわからず >おまけにアメージンググレイス歌詞と楽譜を手に聞いていて >どこを歌っているのか文字と歌唱が一致せずウロウロ、 > 数年会話主体の英語学校に通っている女房に馬鹿にされる >始末。 >英語が聞けて話せても、デイベイトの経験がなかったり >日本語で話すべき内容、日本人のアイイデンテテイ >禅とか茶道等を話せない人、はたまたしゃれた小話が >その場その場で出ない人はパーテイでも通用しないよ。 > >内容があれば、ごつごつした英作文の漢文調の英作の >受験英語をしゃべっても一生賢明聞いてくれるよ。 > > ネイテイにパーテイで彼の英語理解できないといったら >彼は南部出身で酒が入ると俺にもわからんいっていたので >下手な英語をしゃべっても結構努力して聞く習慣があるのでは。 >でも私みたいなつんぼではねえ。 >ニ >院生 *様々な意見(情報)を有難う。参考になったよ、、。 koga |
子どもの教育は親の責任です。もちろん、親、兄弟、祖父・祖母、祖父母、や親戚など、その子どもを取り巻く家族が第一です。 その外に、学校や近所、友達、など順に広がりはでてきますが。 その子どもの一番身近にいる人間から始まるものと思います。 学校に期待すること、もっと原点に戻って考えること、と思いますが。 ご意見を御願い致します。 |
「文部省のジェンダーフリー教育」に一言! 現在の「文部省ジェンダーフリー教育」方針反対である。平等問題(男女問題、等)でも、湾曲した解釈が非常に多い様に思っている。 1、男の子供に「##君」呼びは駄目とか。全て「##さん」呼びにするとか。 2、男らしさの表現が駄目とか、女らしさの表現が駄目とか。 3、学校の名簿を男女分けたら差別とか。 4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 文部省の指導にて、日本人は徐々に競争心が後退しているし、また、男は男らしく、女は女らしく、で良いと思うが、、。 *文部省の教育方針に対して、皆さんの忌憚の無いご意見を乞う!。 |
男が妊娠出産できるようになるまでぜったに反対。 イギリスの騎士道の精神を受け継いだ社交ダンス(競技ダンス) の世界では、男性はその力強さを背中に隠し、いかに女性を 美しく優雅に見せるかできそいます。 リードするのはあくまで男性主体、ごく一部に女性から 積極的ドライブをかけないと全体として美しくならない 部分はありますが、そこは妙味、ダンスの醍醐味です。 でもいつも女性から感謝されるとは限りません。 気に入らないリードを受けた女性はいろいろ注文を つけます。最悪の場合はハイヒールが飛んでくることも。 所詮男と女、ゼンダーフリーは文部省の問題でなく 個人間の問題、我が家は亭主関白ですが実権は 完全に専業主婦が握り、手のひらの上で遊ばれています。 それでも双方結構幸せです。 女性の権利をかみ振り乱して女性の主張する皆さん、 一度男性を手のひらの上であそばせては、母性とは そういうものでしょう。 |
▼kogaさん: >「文部省のジェンダーフリー教育」に一言! > >現在の「文部省ジェンダーフリー教育」方針反対である。平等問題(男女問題、等)でも、湾曲した解釈が非常に多い様に思っている。 > >1、男の子供に「##君」呼びは駄目とか。全て「##さん」呼びにするとか。 >2、男らしさの表現が駄目とか、女らしさの表現が駄目とか。 > >3、学校の名簿を男女分けたら差別とか。 >4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 > >文部省の指導にて、日本人は徐々に競争心が後退しているし、また、男は男らしく、女は女らしく、で良いと思うが、、。 > >*文部省の教育方針に対して、皆さんの忌憚の無いご意見を乞う!。 まさにそのとおり。 自然の采配を差別と強論し、自然の采配に反した反応を強制することは、むしろ虐待でしょう。 |
▼denenさん: >▼kogaさん: >>「文部省のジェンダーフリー教育」に一言! >> >>現在の「文部省ジェンダーフリー教育」方針反対である。平等問題(男女問題、等)でも、湾曲した解釈が非常に多い様に思っている。 >> >>1、男の子供に「##君」呼びは駄目とか。全て「##さん」呼びにするとか。 >>2、男らしさの表現が駄目とか、女らしさの表現が駄目とか。 >> >>3、学校の名簿を男女分けたら差別とか。 >>4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 >> >>文部省の指導にて、日本人は徐々に競争心が後退しているし、また、男は男らしく、女は女らしく、で良いと思うが、、。 >> >>*文部省の教育方針に対して、皆さんの忌憚の無いご意見を乞う!。 > > >まさにそのとおり。 >自然の采配を差別と強論し、自然の采配に反した反応を強制することは、むしろ虐待でしょう。 文部省がやってきていること(他省庁も同じかもしれませんが)は実は文部省が独自に考えて決めているわけではなくて、その前に世論(多くはマスコミによる誘導に近いもの)がそうさせています。毎回の教育改革にしても、ゆとり教育にしても、その当時(それ以前)はじつは国民全体が肯定的な雰囲気をもっていました。なにかにつけ子供たちの環境が・・とか、昔と比べて今はおかしいとか言いながらそれを教育のせいにして騒いだあげく、文部省が実質調査もせず、そのときの一番国民受けする方法で改革といいながらやってきた歪みが毎回のようにでてきているんだと思います。これが世論だなんていっている無責任なマスコミや、一部の知識人といわれる人の意見をくんでわけもわからんことを決めているんでしょう。 |
▼ワクチンさん: >文部省がやってきていること(他省庁も同じかもしれませんが)は実は文部省が独自に考えて決めているわけではなくて、その前に世論(多くはマスコミによる誘導に近いもの)がそうさせています。毎回の教育改革にしても、ゆとり教育にしても、その当時(それ以前)はじつは国民全体が肯定的な雰囲気をもっていました。なにかにつけ子供たちの環境が・・とか、昔と比べて今はおかしいとか言いながらそれを教育のせいにして騒いだあげく、文部省が実質調査もせず、そのときの一番国民受けする方法で改革といいながらやってきた歪みが毎回のようにでてきているんだと思います。これが世論だなんていっている無責任なマスコミや、一部の知識人といわれる人の意見をくんでわけもわからんことを決めているんでしょう。 そうなんです。 文部省が世論(マスコミ、評論家)に動かされふらふら方針を変えるから現場はかき回されるのです。 ゆとり教育とか詰め込み教育とか言葉に幻惑され、現場での実態はどうなのかよく確かめないで、方針を変えるから混乱するのです。 流水さんが「集団と個について」スレッドで、体感速度20kmという感覚が人間らしさ、豊かさの条件だというようなことを仰いましたが、ここに正解があると思います。 30kmは速過ぎる。10kmは緩すぎる。これは現場の感覚なんでお役人には分からないのです。 程良い速さがなかなか分かってくれません。 20kmというのは道草程度はできる速さですね。 30kmは道草が食えません。 そんな勉強は味気ないし、かと言って10kmでは挑戦意欲がわかない、緊張感のない勉強になります。 流水さん、こんな言い方で間違っていませんか? |
▼団塊党さん: おっしゃるとおりだと思います。文部省の方針のぶれが、現在の教育状況を招いた元凶です。 わたしは、日本の教育の問題点は、教育研究のあり方にもあると考えています。日本の教育研究の現状が、あまりにも、技術論的過ぎたり、微細になりすぎているのです。その結果、官製の研究授業が典型なのですが、日常の授業とかけ離れた研究が多すぎるのです。 前に書いた「自由の限界」論と同じことをいうようですが、研究が先端的になりすぎ、【バランス】を欠いているのです。 当たり前のことですが、教師はずっと同じ現場にいるのですが、子供は年々入れ替わります。教師が進歩するように子供は進歩しないのです。4月になれば、子供は入れ替わるのです。 この単純な事実を忘れがちなのです。年々歳々入れ替わる子供を、教師はまた一から【ご破算で願いましては】とはじめなければならないのです。 どんなに先端的な研究をしても、子供がついてこれなければ終わりです。つまり、文部省や教育委員会のいう研究が、教師にとっての【実験場】になりがちなのです。子供にとっては、迷惑な話です。 先日、泌尿器科の医師が人体実験まがいのことをやって告発された事件がありましたが、【研究至上主義】の教師も似たようなものです。医師のように人命を奪いませんが、このことは心しておかなければならないのです。 文部省や御用学者の方針は、子供や学校を【実験場】にしているところがあります。 研究はしなければなりませんが、目の前の子供の実態に即した研究をするべきで、研究のための研究という研究至上主義から脱却しなければならないと思います。 |
▼流水さん: >わたしは、日本の教育の問題点は、教育研究のあり方にもあると考えています。日本の教育研究の現状が、あまりにも、技術論的過ぎたり、微細になりすぎているのです。その結果、官製の研究授業が典型なのですが、日常の授業とかけ離れた研究が多すぎるのです。 現実の子供の実態に合わなかったり、日常の実践には持ち込めないような手間のかかりすぎるものであったり、ということが多いですね。 授業案を見てもちっとも頭に入ってこなかったりしますね。 いつも中立的で個性や破綻がない。おもしろみが無い。 将棋で言えば定跡ばかりで、実践的な研究が少ない。 おおかたの教師には付属の子供を対象にしたような研究は何の役にも立たないですよね。 特に条件の悪い地域で悪戦苦闘している教師にはなおさらです。 目の前にいる子供に即して研究するという一番の根本が忘れられていることが多いですね。 受け持つクラスは、10クラス持てば10クラス全部色合いが違います。 それを無視して研究してもほとんど役に立たないです。 しかも流水さんが仰るように4月になれば「ご破算で願いましては」になるわけですから、ますます現実離れしてきます。 |
「文部省のジェンダーフリー教育」に一言! > >現在の「文部省ジェンダーフリー教育」方針反対である。平等問題(男女問題、等)でも、湾曲した解釈が非常に多い様に思っている。 > >1、男の子供に「##君」呼びは駄目とか。全て「##さん」呼びにするとか。 >2、男らしさの表現が駄目とか、女らしさの表現が駄目とか。 > >3、学校の名簿を男女分けたら差別とか。 >4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 > >文部省の指導にて、日本人は徐々に競争心が後退しているし、また、男は男らしく、女は女らしく、で良いと思うが、、。 > >*文部省の教育方針に対して、皆さんの忌憚の無いご意見を乞う!。 学校の「時間制限の異常!」 昨日、某高校のスポーツクラブ活動に友人の監督を尋ねた。学校の方針で、体育館、運動場は、午後五時迄で閉めるように云われて、監督と選手は練習時間が短いと困っている。 これも、クラブ毎の時間の差別と云う「ジェンダーフリー」の影響なのか!、、。 |
▼kogaさん: >「文部省のジェンダーフリー教育」に一言! >> >>現在の「文部省ジェンダーフリー教育」方針反対である。平等問題(男女問題、等)でも、湾曲した解釈が非常に多い様に思っている。 >> >>1、男の子供に「##君」呼びは駄目とか。全て「##さん」呼びにするとか。 >>2、男らしさの表現が駄目とか、女らしさの表現が駄目とか。 >> >>3、学校の名簿を男女分けたら差別とか。 >>4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 >> >>文部省の指導にて、日本人は徐々に競争心が後退しているし、また、男は男らしく、女は女らしく、で良いと思うが、、。 >> >>*文部省の教育方針に対して、皆さんの忌憚の無いご意見を乞う!。 > >学校の「時間制限の異常!」 > >昨日、某高校のスポーツクラブ活動に友人の監督を尋ねた。学校の方針で、体育館、運動場は、午後五時迄で閉めるように云われて、監督と選手は練習時間が短いと困っている。 > >これも、クラブ毎の時間の差別と云う「ジェンダーフリー」の影響なのか!、、。 私は、差別を論ずる人の多くが差別と区別を混同しているのではないかと考えています。 差別は感心しませんが、区別することは必要です。 ただ、差別が必要なことも事実です。例えば恋愛です。ある人を他の人と差別しないと恋愛はまず成り立たたないのではないでしょうか。私の場合は、一人ひとりの違いが見えるため(私は自分の目は画家の目だと云っていますが)、大抵の人を好きになります。一人ひとり魅力が違うため、差別できないのです。ただ、このことを異性に話すと、その人は遠のき始めることが多いのです。自分を他の人と差別して貰いたいのに、他の人と同列だと云われるのが嫌なのでしょうか。理解に苦しみます。天上天下唯我独尊ではないのでしょうか。 |
▼kogaさん: こんにちは、Rayです。 亀レス(遅い返信)ですみません。 まず、言葉の定義について一言です。 「ジェンダー」とは「社会的な性別」を指す言葉ですから、 男女に関係しないことがら(運動会で競走に順位をつけない、など)は 「ジェンダーフリー」とは別の問題だと思います。 その上で、kogaさんの(3145)のご意見に対しての私見を申し上げます。 ・ジェンダーフリー教育について 私は基本的にジェンダーフリー教育を支持します。 ジェンダーフリー教育というのは、 >男は男らしく、女は女らしく というときにイメージされる男らしさ・女らしさ(ジェンダー)を押しつけることなく、 子どもの個性を尊重していこうという教育のことだと思います。 「基本的に」というのは、kogaさんが1、としてご指摘になっている 呼び方の問題などは行き過ぎであると思うからですが、 個人(子どもであれ大人であれ)がどのような「自分」でありたいかは その人の性格や考えによってその人自身が決めることであって 親や教師など、周りの人から押し付けられるべきものではないと思います。 男らしくありたい、女らしくありたいと思うこと自体がいけないというのではなく、 それを周りが押しつけるのがよくない、というのが 本来の「ジェンダーフリー」だと思いますので、 私はジェンダーフリー教育を支持します。 (生物学的に男と女が別物であるのは当たり前ですが、 男(女)であれば誰も同じだ、というのも正しくない、ということです) ・差別のない教育 「差別と区別は違う」というのも、「差別はいけない」というのも kogaさんをはじめみなさまよく御承知だとは思いますし、 kogaさんがご指摘なさっている >4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 というようなことは行き過ぎであり、おかしいと私も思います。 (それなら入学試験などは一切行えないはずですよね) ただ、「差別(個人の努力とは関係ない事柄を理由に 特定の人が不利益を被ること)は許されないことだ」ということを 子どもたちに教えていく必要はあると思います。 一方、(3263)で >昨日、某高校のスポーツクラブ活動に友人の監督を尋ねた。学校の方針で、体育館、運動場は、午後五時迄で閉めるように云われて、監督と選手は練習時間が短いと困っている。 >これも、クラブ毎の時間の差別と云う「ジェンダーフリー」の影響なのか!、、。 とおっしゃっていますが、これはクラブごとの差をなくすためではなく、 教員・職員の勤務時間や定時制高校とのかねあいなどに よるものなのではないかと思います。 詳しい事情はわかりませんので 見当違いのことを申し上げているかも知れませんが。 |
▼Rayさん: >こんにちは、Rayです。 >亀レス(遅い返信)ですみません。 >まず、言葉の定義について一言です。 >「ジェンダー」とは「社会的な性別」を指す言葉ですから、 >男女に関係しないことがら(運動会で競走に順位をつけない、など)は >「ジェンダーフリー」とは別の問題だと思います。 >その上で、kogaさんの(3145)のご意見に対しての私見を申し上げます。 > >・ジェンダーフリー教育について >私は基本的にジェンダーフリー教育を支持します。 > >ジェンダーフリー教育というのは、 >>男は男らしく、女は女らしく >というときにイメージされる男らしさ・女らしさ(ジェンダー)を押しつけることなく、 >子どもの個性を尊重していこうという教育のことだと思います。 > >「基本的に」というのは、kogaさんが1、としてご指摘になっている >呼び方の問題などは行き過ぎであると思うからですが、 >個人(子どもであれ大人であれ)がどのような「自分」でありたいかは >その人の性格や考えによってその人自身が決めることであって >親や教師など、周りの人から押し付けられるべきものではないと思います。 > >男らしくありたい、女らしくありたいと思うこと自体がいけないというのではなく、 >それを周りが押しつけるのがよくない、というのが >本来の「ジェンダーフリー」だと思いますので、 >私はジェンダーフリー教育を支持します。 > >(生物学的に男と女が別物であるのは当たり前ですが、 >男(女)であれば誰も同じだ、というのも正しくない、ということです) > >・差別のない教育 >「差別と区別は違う」というのも、「差別はいけない」というのも >kogaさんをはじめみなさまよく御承知だとは思いますし、 >kogaさんがご指摘なさっている >>4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 >というようなことは行き過ぎであり、おかしいと私も思います。 >(それなら入学試験などは一切行えないはずですよね) >ただ、「差別(個人の努力とは関係ない事柄を理由に >特定の人が不利益を被ること)は許されないことだ」ということを >子どもたちに教えていく必要はあると思います。 > ご意見有難う。私の会った先生方の意見は、ジェンダーフリー教育に賛成する人が、約25%、反対が、約75%程度であった。しかし、様々な意見があって良いと思う、、。 ジェンダーフリー教育の言葉の定義は理解できる。しかし、昨年秋、小学校の運動会で、男女の区別無く、同組で競争をしたが、順位を着けないのに吃驚した。 子供達への個性の尊重は当然と思うが、与えられた条件の中(男は男らしく、女は女らしく)で、個性を表現できる様に指導すべきだと思う、、。 子供に対して、教える時に、押し付けと云う言葉は、強制的に取れる。しかし、教育指導(躾)であれば良いと思う。尚、時と場合に依っては強制指導も必要ではないか、、。 子供達(男、女)は、機能が異なり、社会的に全く未熟である。即ち、自己判断、新規情報の理解が困難だと思う。だから、社会(両親、学校、他)の教育(躾)指導が要る、。 >一方、(3263)で >>昨日、某高校のスポーツクラブ活動に友人の監督を尋ねた。学校の方針で、体育館、運動場は、午後五時迄で閉めるように云われて、監督と選手は練習時間が短いと困っている。 >>これも、クラブ毎の時間の差別と云う「ジェンダーフリー」の影響なのか!、、。 >とおっしゃっていますが、これはクラブごとの差をなくすためではなく、 >教員・職員の勤務時間や定時制高校とのかねあいなどに >よるものなのではないかと思います。 >詳しい事情はわかりませんので >見当違いのことを申し上げているかも知れませんが。 最近の事情(治安の悪化等)により、最初、女子部の活動のみ、練習時間を午後5時迄に決定した。しかし、男女差別問題の為に「男子部」の活動も午後5時までと成った、、。 |
▼Rayさん: >>こんにちは、Rayです。 >>亀レス(遅い返信)ですみません。 >>まず、言葉の定義について一言です。 >>「ジェンダー」とは「社会的な性別」を指す言葉ですから、 >>男女に関係しないことがら(運動会で競走に順位をつけない、など)は >>「ジェンダーフリー」とは別の問題だと思います。 >>その上で、kogaさんの(3145)のご意見に対しての私見を申し上げます。 >> >>・ジェンダーフリー教育について >>私は基本的にジェンダーフリー教育を支持します。 >> >>ジェンダーフリー教育というのは、 >>>男は男らしく、女は女らしく >>というときにイメージされる男らしさ・女らしさ(ジェンダー)を押しつけることなく、 >>子どもの個性を尊重していこうという教育のことだと思います。 >> >>「基本的に」というのは、kogaさんが1、としてご指摘になっている >>呼び方の問題などは行き過ぎであると思うからですが、 >>個人(子どもであれ大人であれ)がどのような「自分」でありたいかは >>その人の性格や考えによってその人自身が決めることであって >>親や教師など、周りの人から押し付けられるべきものではないと思います。 >> >>男らしくありたい、女らしくありたいと思うこと自体がいけないというのではなく、 >>それを周りが押しつけるのがよくない、というのが >>本来の「ジェンダーフリー」だと思いますので、 >>私はジェンダーフリー教育を支持します。 >> >>(生物学的に男と女が別物であるのは当たり前ですが、 >>男(女)であれば誰も同じだ、というのも正しくない、ということです) >> >>・差別のない教育 >>「差別と区別は違う」というのも、「差別はいけない」というのも >>kogaさんをはじめみなさまよく御承知だとは思いますし、 >>kogaさんがご指摘なさっている >>>4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 >>というようなことは行き過ぎであり、おかしいと私も思います。 >>(それなら入学試験などは一切行えないはずですよね) >>ただ、「差別(個人の努力とは関係ない事柄を理由に >>特定の人が不利益を被ること)は許されないことだ」ということを >>子どもたちに教えていく必要はあると思います。 >> >ご意見有難う。私の会った先生方の意見は、ジェンダーフリー教育に賛成する人が、約25%、反対が、約75%程度であった。しかし、様々な意見があって良いと思う、、。 > >ジェンダーフリー教育の言葉の定義は理解できる。しかし、昨年秋、小学校の運動会で、男女の区別無く、同組で競争をしたが、順位を着けないのに吃驚した。 > >子供達への個性の尊重は当然と思うが、与えられた条件の中(男は男らしく、女は女らしく)で、個性を表現できる様に指導すべきだと思う、、。 > >子供に対して、教える時に、押し付けと云う言葉は、強制的に取れる。しかし、教育指導(躾)であれば良いと思う。尚、時と場合に依っては強制指導も必要ではないか、、。 > >子供達(男、女)は、機能が異なり、社会的に全く未熟である。即ち、自己判断、新規情報の理解が困難だと思う。だから、社会(両親、学校、他)の「教育(躾)指導」が、要るのではないか、、。koga > >>一方、(3263)で >>>昨日、某高校のスポーツクラブ活動に友人の監督を尋ねた。学校の方針で、体育館、運動場は、午後五時迄で閉めるように云われて、監督と選手は練習時間が短いと困っている。 >>>これも、クラブ毎の時間の差別と云う「ジェンダーフリー」の影響なのか!、、。 >>とおっしゃっていますが、これはクラブごとの差をなくすためではなく、 >>教員・職員の勤務時間や定時制高校とのかねあいなどに >>よるものなのではないかと思います。 >>詳しい事情はわかりませんので >>見当違いのことを申し上げているかも知れませんが。 > >最近の事情(治安の悪化等)により、最初、女子部の活動のみ、練習時間を午後5時迄に決定した。しかし、男女差別問題の為に「男子部」の活動も「午後5時まで」に成った様に思う、、。koga |
「文部省のジェンダーフリー教育」に一言! > >現在の「文部省ジェンダーフリー教育」方針反対である。平等問題(男女問題、等)でも、湾曲した解釈が非常に多い様に思っている。 > >1、男の子供に「##君」呼びは駄目とか。全て「##さん」呼びにするとか。 >2、男らしさの表現が駄目とか、女らしさの表現が駄目とか。 > >3、学校の名簿を男女分けたら差別とか。 >4、競争で1着、2着、3着、等、順位をつけると差別とか。 > >文部省の指導にて、日本人は徐々に競争心が後退しているし、また、男は男らしく、女は女らしく、で良いと思うが、、。 > >*文部省の教育方針に対して、皆さんの忌憚の無いご意見を乞う!。 文部省「ゆとり教育」に一言! 文部省が、「ゆとり教育」を始めて、授業時間を30%削減(561時間短縮)したが、様々な、問題に遭遇しいる。至急に改善すべきと思う。 文部省は、国民からの不評を認め、以前の状態に戻る事を、検討している様だが、、。 |
「文部省の指導」に一言! 「ゆとりある教育」と云って、文部省が、学習内容の「3割削減」を指示したことが、子供達の学習意欲と学力を一段と低下させたと思う。 子供達へ学習の機会は与えるべきだが、「学習意欲」を阻止すべきでないと思うが、、。 |
▼kogaさん: >「文部省の指導」に一言! > >「ゆとりある教育」と云って、文部省が、学習内容の「3割削減」を指示したことが、子供達の学習意欲と学力を一段と低下させたと思う。 > >子供達へ学習の機会は与えるべきだが、「学習意欲」を阻止すべきでないと思うが、、。 3割削減は私も行きすぎだと思います。 前の学習指導要領は詰め込みすぎと言われましたね。 その反動で、また思い切って削ったものです。 時間数も削減したので、道草食える余裕がないのは以前のまま。 本当のゆとり教育にはなっていません。 小学校で言えば算数の時間数を削ったのが失敗だと思います。 算数は子供の思考力を鍛えるのに一番適している教科です。 |
▼団塊党さん: >>「文部省の指導」に一言! >> >>「ゆとりある教育」と云って、文部省が、学習内容の「3割削減」を指示したことが、子供達の学習意欲と学力を一段と低下させたと思う。 >> >>子供達へ学習の機会は与えるべきだが、「学習意欲」を阻止すべきでないと思うが、、。 > >3割削減は私も行きすぎだと思います。 > >前の学習指導要領は詰め込みすぎと言われましたね。 >その反動で、また思い切って削ったものです。 > >時間数も削減したので、道草食える余裕がないのは以前のまま。 >本当のゆとり教育にはなっていません。 > >小学校で言えば算数の時間数を削ったのが失敗だと思います。 >算数は子供の思考力を鍛えるのに一番適している教科です。 「算数は学力の基本」 日本の算数の学力が下降中なのは感心しませんね。中国、韓国、シンガポール等のアジア諸国に越されたが、、。世界、第一位の算数王国、日本が現在低迷し残念でならない。 約20年前、米国の算数が悪い時代に、米国の教育長官が、日本を学べと、子供達にソロバンを導入し、学力(算数)向上の基本になったとの事ですが、、。 |
▼kogaさん: >「算数は学力の基本」 > >日本の算数の学力が下降中なのは感心しませんね。中国、韓国、シンガポール等のアジア諸国に越されたが、、。世界、第一位の算数王国、日本が現在低迷し残念でならない。 > >約20年前、米国の算数が悪い時代に、米国の教育長官が、日本を学べと、子供達にソロバンを導入し、学力(算数)向上の基本になったとの事ですが、、。 算数、数学は何も科学者だけのための学問ではなく、一般の人たちにとっても大切なものだと思います。 習ったことが世の中に出て直接に役につかどうかということよりも、数学的な頭の働かせ方ができるかどうかということが大事なことじゃないでしょうか。 そのような力がつくためには勉強の量を単純に増やして詰め込んでもだめだと思います。 一つ一つの学習がよく消化吸収されるような量と適切なスピードが必要です。 周りの景色を楽しめる程度の体感速度20kmがベストじゃないでしょうか。 |
▼団塊党さん: >算数、数学は何も科学者だけのための学問ではなく、一般の人たちにとっても大切なものだと思います。 > >習ったことが世の中に出て直接に役につかどうかということよりも、数学的な頭の働かせ方ができるかどうかということが大事なことじゃないでしょうか。 > >そのような力がつくためには勉強の量を単純に増やして詰め込んでもだめだと思います。 >一つ一つの学習がよく消化吸収されるような量と適切なスピードが必要です。 >周りの景色を楽しめる程度の体感速度20kmがベストじゃないでしょうか。 私は小学校の教育は学力より脳力を鍛えるものだと思っています。その過程の一部として社会性への教育もあるかと思いますが,この時期にしか成長しえない脳ミソ教育が必要と考えます。そのためには、ある程度の詰め込みによる訓練、繰り返しによる訓練、その他脳の発達のためにはいろいろあると思います。 ただ、能力、性格的に合わない子もいるとは思います。一様にはいえないとも思いますが。(このあたりは学校でなく塾の領域かもしれません) |
▼ワクチンさん: >私は小学校の教育は学力より脳力を鍛えるものだと思っています。その過程の一部として社会性への教育もあるかと思いますが,この時期にしか成長しえない脳ミソ教育が必要と考えます。そのためには、ある程度の詰め込みによる訓練、繰り返しによる訓練、その他脳の発達のためにはいろいろあると思います。 >ただ、能力、性格的に合わない子もいるとは思います。一様にはいえないとも思いますが。(このあたりは学校でなく塾の領域かもしれません) 小学校の教育は脳力を鍛えるということはそうだと思います。 (もちろん協力性や社会性や情操などを育てる面もありますが) ワクチンさんが仰るように確かに訓練は必要です。 これが軽視されていたので見直す空気が出てきています。 計算力や音読など繰り返しトレーニングする学校があちこち出てきているようです。 ただ、これは学校の全活動の中の一部に位置づけられるもので、トレーニングが全面に出過ぎるとこれはまた行きすぎだと思います。 学校の活動は一日のリズムがあり、集中と解放の微妙なバランスで成り立っています。 小学校の場合は特にこれが崩れると子供は生き生きしなくなります。 ですから、単純に量を増やすとか訓練すればよいとかいうのはまた弊害が出ると思います。 (訓練は受け身になりやすいと言う意味でも問題です。これについては流水さんの自主性と訓練の融合という考えが高校スポーツと老人力スレッドに出されています。) 野菜や肉や魚などバランス良く食べることで健康に成長するわけで、それと同じようなことが教育の場合にも言えるように思います。 ワクチンさんのおっしゃるのはそういう意味ではありませんが、ややもするとすぐそっちの方向に行きすぎるので書きました。 今は、ゆとり教育が盛んに批判されますが、その反動で一気に訓練主義、詰め込み主義に針が振れるのを注意しなければいけないと思っています。 |
▼kogaさん: >▼団塊党さん: >>>「文部省の指導」に一言! >>> >>>「ゆとりある教育」と云って、文部省が、学習内容の「3割削減」を指示したことが、子供達の学習意欲と学力を一段と低下させたと思う。 >>> >>>子供達へ学習の機会は与えるべきだが、「学習意欲」を阻止すべきでないと思うが、、。 >> >>3割削減は私も行きすぎだと思います。 >> >>前の学習指導要領は詰め込みすぎと言われましたね。 >>その反動で、また思い切って削ったものです。 >> >>時間数も削減したので、道草食える余裕がないのは以前のまま。 >>本当のゆとり教育にはなっていません。 >> >>小学校で言えば算数の時間数を削ったのが失敗だと思います。 >>算数は子供の思考力を鍛えるのに一番適している教科です。 > >「算数は学力の基本」 > >日本の算数の学力が下降中なのは感心しませんね。中国、韓国、シンガポール等のアジア諸国に越されたが、、。世界、第一位の算数王国、日本が現在低迷し残念でならない。 > >約20年前、米国の算数が悪い時代に、米国の教育長官が、日本を学べと、子供達にソロバンを導入し、学力(算数)向上の基本になったとの事ですが、、。 米国の教育関係者が算盤を研究していたのは事実です。30年以上前から、日本の珠算大会を10人位で視察していました。私は直接目撃しています。 ただ、私は、算数のみでなく、昔の寺子屋で行われていたという、読み、書き、算盤が基本であると考えています。中でも特に、読みを大切にしたいと考えています。多くの日本人は、何か考えるときには、先ず日本語で考えると思います。日本語で考えること以上のレベルを他国語で考えることは難しいでしょうから、日本語できちんと考える力を付けることが必要だと思います。ただ、言語構造の違いによるのか、日本語で考える場合と外国語で考える場合とで結論が異なる場合もありますが、そういうことを知るのも大切だと考えています。 なお、NHKを始め、放送関係者には、キチンとした日本語を喋って戴きたいと願っています。格調の高い日本語を喋る大人が少なくなりました。 |
▼数理梵哲さん: >・・・私は、算数のみでなく、昔の寺子屋で行われていたという、読み、書き、算盤が基本であると考えています。中でも特に、読みを大切にしたいと考えています。多くの日本人は、何か考えるときには、先ず日本語で考えると思います。日本語で考えること以上のレベルを他国語で考えることは難しいでしょうから、日本語できちんと考える力を付けることが必要だと思います。ただ、言語構造の違いによるのか、日本語で考える場合と外国語で考える場合とで結論が異なる場合もありますが、そういうことを知るのも大切だと考えています。 >なお、NHKを始め、放送関係者には、キチンとした日本語を喋って戴きたいと願っています。格調の高い日本語を喋る大人が少なくなりました。 仰る通りだと思います。 寺子屋教育時代からの読み、書き、計算は基本だと思います。 最近、脳科学者の研究では、本を声を出して読んでいるときや、計算をしているときに人間の脳は大変活発に活動しているという研究が出ていますね。 |
今週ずっと某国立大学の実験室を借りてある実験をおこなっておりましたが、私たちが一週間もわりと大掛かりな実験をおこなっていたのですが、不思議なことにだれもそのゼミの学生が見にきませんでした。この実験室や、ゼミでの内容とはかなり別の実験だったのですが、隣の部屋には何人も学生がタムロしているのにです。(ここの本来の実験助手の方も見ませんでした)私だったらなにやってんのかなって興味深々で見たり聞いたりしてると思うんですが今の学生は何も興味を示してくれませんでした。たったこれだけのことですが、なにか心配になってしまいます。 |
▼ワクチンさん: >今週ずっと某国立大学の実験室を借りてある実験をおこなっておりましたが、私たちが一週間もわりと大掛かりな実験をおこなっていたのですが、不思議なことにだれもそのゼミの学生が見にきませんでした。この実験室や、ゼミでの内容とはかなり別の実験だったのですが、隣の部屋には何人も学生がタムロしているのにです。(ここの本来の実験助手の方も見ませんでした)私だったらなにやってんのかなって興味深々で見たり聞いたりしてると思うんですが今の学生は何も興味を示してくれませんでした。たったこれだけのことですが、なにか心配になってしまいます。 私は学校教育が育てるべき事のかなりの部分は好奇心だと思います。 たまたま昨日、大学生の息子が 「いやあ、小学校の先生の影響は大きいよ。今の自分を考えるとかなり影響されているよ。今の自分はもしかしたら無かったかも知れないよ。」 などと言うので、嬉しくてにんまりしながら聞いていました。 これは教師の私にお世辞を言っているわけではなく、感慨深げに言っていたので確かだと思います。 この長男は親が言うのも何ですが、非常に好奇心が豊です。 好奇心が豊というのは、精神が生き生きとしているということで、これは人間の魅力を作る源です。 高校生の次男にはこれが足りません。 学校時代に良い先生に巡り会わなかったのかなあ? 親も次男には気を抜いたのでそのしっぺ返しがきたのでしょう。 今振り返ると、確かに会話が少なかったなと反省しています。 今となっては、もう手遅れかもしれませんが・・・ |