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 ▼一銭五厘の旗!  流水 04/5/16(日) 15:36
   ┣Re(1):一銭五厘の旗!  昔神童・今人道 04/5/16(日) 16:23
   ┣Re(1):一銭五厘の旗!  地球人 04/5/16(日) 16:46
   ┃  ┗Re(2):一銭五厘の旗!  敦煌(本物) 04/5/16(日) 19:11
   ┃     ┗敦煌(本物)とやら  御前拉他 04/5/17(月) 21:35
   ┣Re(1):一銭五厘の旗!  桃李 04/5/16(日) 16:56
   ┣Re(1):一銭五厘の旗!  石頭の息子 04/5/16(日) 17:17
   ┣Re(1):一銭五厘の旗!  こんぺいとう 04/5/16(日) 18:42
   ┣Re(1):一銭五厘の旗!  流水 04/5/17(月) 9:24
   ┣Re(1):一銭五厘の旗!  ニック 04/5/17(月) 11:25
   ┣Re(1):暗黒日記に学ぶ  流水 04/5/17(月) 16:44
   ┣「一銭五厘の旗」をどう伝えていくか  ワン太郎 04/5/17(月) 16:48
   ┃  ┗Re(1)わたしの伝え方  流水 04/5/18(火) 8:26
   ┃     ┣Re(1):訂正:補足  流水 04/5/18(火) 8:47
   ┃     ┣Re(1):Re(1)わたしの伝え方  ワン太郎 04/5/18(火) 9:19
   ┃     ┃  ┗Re(2):Re(1)わたしの伝え方  流水 04/5/18(火) 10:25
   ┃     ┃     ┗Re(3):Re(1)わたしの伝え方  ワン太郎 04/5/18(火) 12:54
   ┃     ┣Re(1):Re(1)わたしの伝え方  石頭の息子 04/5/18(火) 9:51
   ┃     ┃  ┗Re(2):Re(1)わたしの伝え方  流水 04/5/18(火) 10:32
   ┃     ┗Re(1):Re(1)わたしの伝え方  桃李 04/5/18(火) 15:40
   ┃        ┗Re(2):Re(1)わたしの伝え方  流水 04/5/18(火) 16:25
   ┣Re(1):一銭五厘の旗!  ごまめの翁 04/5/18(火) 20:16
   ┃  ┗Re(2):一銭五厘の旗!  流水 04/5/18(火) 21:12
   ┃     ┗語り継ごう一銭五厘の旗!  ごまめの翁 04/5/19(水) 12:53
   ┣「一銭五厘の旗」への僅かな抵抗感  ワン太郎 04/5/19(水) 14:58
   ┃  ┗Re(1):「一銭五厘の旗」への僅かな抵抗感  流水 04/5/19(水) 16:06
   ┃     ┗Re(2):「一銭五厘の旗」への僅かな抵抗感  ワン太郎 04/5/19(水) 17:05
   ┗Re(1):一銭五厘の旗!  ごまめの翁 04/5/20(木) 11:04

 ───────────────────────────────────────
 ■題名 : 一銭五厘の旗!
 ■名前 : 流水
 ■日付 : 04/5/16(日) 15:36
 -------------------------------------------------------------------------
   ◆ここで紹介するのは、【暮らしの手帳】編集長として有名な花森安治氏が、昭和45年に書いた【一銭五厘の旗】という散文詩である。
戦前、戦後の混乱期を【庶民の視点】を手離さずに生き抜いてきた第一級の知識人の面目躍如たるものがある。

彼は、敗戦直後の心象風景を以下のように書く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(前略)
昭和20年8月15日

あの夜

もう空襲はなかった

もう戦争は すんだ

まるで うそみたいだった

なんだか ばかみたいだった

へらへらとわらうと 涙がでてきた
  (中略)

何時間も歩いて 職場へいった

そして また何時間も歩いて

家に帰ってきた

家に近づくと くじびきのくじをひらく

ときのように すこし心がさわいだ

召集令状が 来ている

でなければ

その夜 家が空襲で焼ける

どちらでもなく また夜が明けると

また何時間も歩いて 職場へいった
  (中略)
その戦争が すんだ

戦争がない ということは

それは ほんのちょっとしたことだった

たとえば 夜になると 電灯のスイッチ

をひねる ということだった

たとえば ねるときには ねまきに着か

えて眠るということだった

生きるということは 生きて暮すという

ことは そんなことだったのだ

戦争には敗けた しかし

戦争のないことは すばらしかった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆彼は戦争と日常を複眼的に眺めている。このアンビバレンツな現実を真正面から見詰めている。【ねるときはねまきに着替えてねむる】というおそろしく当たり前の日常を【生きて暮らす】ことの意味としてとらえている。
この視点を生涯貫いたところに、彼の凄さがあった。
次に、彼は一銭五厘の兵隊を次のように描く。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍隊というところは ものごとを

おそろしく はっきりさせるところだ

星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹

が 突如として どなった

貴様らの代りは 一銭五厘で来る

軍馬は そうはいかんぞ

聞いたとたん あっ気にとられた

しばらくして むらむらと腹が立った

そのころ 葉書は一銭五厘だった

兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも

召集できる という意味だった

(じっさいには一銭五厘もかからなか

ったが……)

しかし いくら腹が立っても どうする

こともできなかった

そうか ぼくらは一銭五厘か

そうだったのか

〈草莽(そうもう)の臣〉

〈陛下の赤子(せきし)〉

〈醜(しこ)の御楯(みたて)〉

つまりは

〈一銭五厘〉

ということだったのか

そういえば どなっている軍曹も 一銭

五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を

どなったり なぐったりしている
 (中略)
考えてみれば すこしまえまで

貴様ら虫けらめ だった

寄らしむべし知らしむべからず だった

しぼれば しぼるほど出る だった

明治ご一新になって それがそう簡単に

変わるわけはなかった

大正になったからといって それがそう

簡単に変わるわけはなかった

富山の一銭五厘の女房どもが むしろ旗

を立てて 米騒動に火をつけ 神戸の川

崎造船所の一銭五厘が同盟罷業をやって

馬に乗った一銭五厘のサーベルに蹴散ら

された

昭和になった

だからといって それがそう簡単に変わ

るわけはないだろう

満洲事変 支那事変 大東亜戦争

貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ と

どなられながら 一銭五厘は戦場をくた

くたになって歩いた へとへとになって

眠った

一銭五厘は 死んだ

一銭五厘は けがをした 片わになった

一銭五厘を べつの名で言ってみようか

<庶民>

ぼくらだ 君らだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆【一銭五厘は死んだ】という言葉に、花森安治の戦後への思いが凝縮されている。
【ぼくらだ 君らだ】には、〈庶民〉に対する哀切な思いがこめられている。
しかし、時代が進むにつれ、彼の幻滅は深くなる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

あの八月十五日から

数週間 数カ月 数年

ぼくらは いつも腹をへらしながら

栄養失調で 道傍でもどこでも すぐに

しゃがみこみ 坐りこみながら

買い出し列車にぶらさがりながら

頭のほうは まるで熱に浮かされたよう

に 上ずって 昂奮していた


戦争は もうすんだのだ

もう ぼくらの生きているあいだには

戦争はないだろう

ぼくらは もう二度と召集されることは

ないだろう

敗けた日本は どうなるのだろう

どうなるのかしらないが

敗けて よかった

あのまま 敗けないで 戦争がつづいて

いたら

ぼくらは 死ぬまで

戦死するか

空襲で焼け死ぬか

飢えて死ぬか

とにかく死ぬまで 貴様らの代りは

一銭五厘でくる とどなられて おどお

どと暮していなければならなかった

敗けてよかった

それとも あれは幻覚だったのか

ぼくらにとって

日本にとって

あれは 幻覚の時代だったのか

あの数週間 あの数カ月 あの数年

おまわりさんは にこにこして ぼくら

を もしもし ちょっと といった

あなたはね といった

ぼくらは 主人で おまわりさんは

家来だった

役所へゆくと みんな にこにこ笑って

かしこまりました なんとかしましょう

といった

申し訳ありません だめでしたといった

ぼくらが主人で 役所は ぼくらの家来

だった

(中略)

そういえば なるほどあれは幻覚だった

主人が まだ壕舎に住んでいたのに

家来たちは 大きな顔をして キャバレ

ーで遊んでいた


いま 日本中いたるところの 倉庫や

物置きや ロッカーや 土蔵や

押入れや トランクや 金庫や 行李の

隅っこのほうに

ねじまがって すりへり 凹み 欠け

おしつぶされ ひびが入り 錆びついた

〈主権在民〉とか〈民主々義〉といった

言葉のかけらが

割れたフラフープや 手のとれただっこ

ちゃんなどといっしょに つっこまれた

きりになっているはずだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆彼の言葉は、焼け跡に輝いた戦後の光芒を見事にとらえている。そして、復興の槌音とともに、輝きを失っていく「民主主義」「主権在民」のありようを描いている。
そして、彼の視線は、自らの内部の臆病さに向けられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつのまにか 気がついてみると

おまわりさんは 笑顔を見せなくなって

いる

おいおい とぼくらを呼び

おいこら 貴様 とどなっている

役所へゆくと みんな むつかしい顔を

して いったい何の用かね といい

そんなことを ここへ言いにきてもダメ

じゃないか と そっぽをむく

 (中略)

そのかわり 高度成長とか 大国とか

GNPとか そんな言葉を やたらに

まきちらしている

物価が上って 困ります といえば

その代り 賃金も上っているではないか

といい

(まったくだ)

住宅で苦しんでいます といえば

愛し合っていたら 四帖半も天国だ と

いい

(まったくだ)

自衛隊は どんどん大きくなっているみ

たいで 気になりますといえば

みずから国をまもる気慨を持て という

(まったく かな)

どうして こんなことになったのだろう

 (中略)

書く手もにぶるが わるいのは あの

チョンマゲの野郎だ

あの野郎が ぼくの心に住んでいるのだ

(水虫みたいな奴だ)

おまわりさんが おいこら といったと

き おいこら とは誰に向っていってい

るのだ といえばよかったのだ

それを 心の中のチョンマゲ野郎が

しきりに袖をひいて 目くばせする

(そんなことをいうと 損するぜ)

役人が そんなこといったってダメだと

いったとき お前の月給は 誰が払って

いるのだ といえばよかったのだ

それを 心の中のチョンマゲ野郎が

目くばせして とめたのだ

 (中略)
ほんとは 言いたかった

それを チョンマゲ野郎が よせよせと

とめたのだ

そして いまごろになって

あれは 幻覚だったのか

どうして こんなことになったのか

などと 白ばくれているのだ

ザマはない

 (中略)
先祖代々 きさまら 土ン百姓といわれ

きさまら 町人の分際で といわれ

きさまら おなごは黙っておれといわれ

きさまら 虫けら同然だ といわれ

きさまらの代りは 一銭五厘で来る と

いわれて はいつくばって暮してきた

それが 戦争で ひどい目に合ったから

といって 戦争にまけたからといって

そう変わるわけはなかったのだ

交番へ道をききに入るとき どういうわ

けか おどおどしてしまう

税務署へいくとき 税金を払うのはこっ

ちだから もっと愛想よくしたらどうだ

といいたいのに どういうわけか おど

おどして ハイ そうですか そうでし

たね などと おどおどお世辞わらいを

してしまう
(中略)
みんな 先祖代々

心に住みついたチョンマゲ野郎の仕業な

のだ

言いわけをしているのではない

どうやら また ひょっとしたら

新しい幻覚の時代が はじまっている

公害さわぎだ

こんどこそは このチョンマゲ野郎を

のさばらせるわけにはいかないのだ

こんどこそ ぼくら どうしても

言いたいことを はっきり言うのだ

 (中略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◆彼は、心の中の「ちょんまげ野郎」を見つめながら、次のように語る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
今度こそ ぼくらは言う

困まることを 困まるとはっきり言う

葉書だ 七円だ

ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで

来るのだそうだ

よろしい 一銭五厘が今は七円だ

七円のハガキに 困まることをはっきり

書いて出す 何通でも じぶんの言葉で

はっきり書く

お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し

て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう

ぼくらは 下手でも まずい字でも

じぶんの言葉で 困まります やめて下

さい とはっきり書く

七円のハガキに 何通でも書く


ぽくらは ぼくらの旗を立てる

ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない

ぼくらの旗のいろは

赤ではない 黒ではない もちろん

白ではない 黄でも緑でも青でもない

ぼくらの旗は こじき旗だ

ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた 暮しの旗だ

ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し

台や屋根に立てる

見よ

世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ

ぼくら こんどは後(あと)へひかない


(8号・第2世紀 昭和45年10月)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆少々、長文ですが、花森の言葉は、老人党の趣旨にぴったりだと思います。
わたしたちは、〈心の中のちょんまげ野郎〉に負け続けてきたのです。
小泉政権になって、江戸時代ばりの収奪者としての支配のあり方が、誰の目にも明らかになったのです。
この悪政を止めるためには、「一銭五厘」の旗を掲げて、〈心の中のちょんまげ野郎」を押しつぶして、闘う以外に方法はないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : 昔神童・今人道  ■日付 : 04/5/16(日) 16:23  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん

こんにちわ


>◆ここで紹介するのは、【暮らしの手帳】編集長として有名な花森安治氏が、昭和45年に書いた【一銭五厘の旗】という散文詩である。
>戦前、戦後の混乱期を【庶民の視点】を手離さずに生き抜いてきた第一級の知識人の面目躍如たるものがある。
>
>彼は、敗戦直後の心象風景を以下のように書く。
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>(前略)
>昭和20年8月15日
>
>あの夜
>
>もう空襲はなかった
>
>もう戦争は すんだ
>
>まるで うそみたいだった
>
>なんだか ばかみたいだった
>
>へらへらとわらうと 涙がでてきた
>  (中略)
>

>その戦争が すんだ
>
>戦争がない ということは
>
>それは ほんのちょっとしたことだった
>
>たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
>
>をひねる ということだった
>
>たとえば ねるときには ねまきに着か
>
>えて眠るということだった
>
>生きるということは 生きて暮すという
>
>ことは そんなことだったのだ
>
>戦争には敗けた しかし
>
>戦争のないことは すばらしかった

今こそ、「上っすべりのパフォーマンス」に明け暮れるどこかの総理大臣に読ませたい。

今こそ、「調子コイテ改憲・改憲」とシャカリキになっている為政者に読ませたい。

今こそ、全世界とりわけ中東イラクで何が起こっているかも、「平成の大本営発表:戦争

屋の脅しに屈しての報道管制」で何も正確に伝えていない「腑抜け・腰抜け・マヌケな日

本のマスメディア」に読ませたい。

今こそ、小泉自民・公明詐欺師デタラメ内閣を追及しない・できない「腑抜け・腰抜け・マヌケな日本のマスメディア」に読ませたい。

今こそ、この国に生まれた者として、ひとり一人が確認することからはじめよう。

と思いました。


流水さん 本当にありがとうございました。
>


>戦争は もうすんだのだ
>
>もう ぼくらの生きているあいだには
>
>戦争はないだろう
>
>ぼくらは もう二度と召集されることは
>
>ないだろう
>
>敗けた日本は どうなるのだろう
>
>どうなるのかしらないが
>
>敗けて よかった
>
>あのまま 敗けないで 戦争がつづいて
>
>いたら
>
>ぼくらは 死ぬまで
>
>戦死するか
>
>空襲で焼け死ぬか
>
>飢えて死ぬか
>
>◆少々、長文ですが、花森の言葉は、老人党の趣旨にぴったりだと思います。
>わたしたちは、〈心の中のちょんまげ野郎〉に負け続けてきたのです。
>小泉政権になって、江戸時代ばりの収奪者としての支配のあり方が、誰の目にも明らかになったのです。
>この悪政を止めるためには、「一銭五厘」の旗を掲げて、〈心の中のちょんまげ野郎」を押しつぶして、闘う以外に方法はないと思います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : 地球人  ■日付 : 04/5/16(日) 16:46  -------------------------------------------------------------------------
   >◆ここで紹介するのは、【暮らしの手帳】編集長として有名な花森安治氏が、昭和45年に書いた【一銭五厘の旗】という散文詩である。
>戦前、戦後の混乱期を【庶民の視点】を手離さずに生き抜いてきた第一級の知識人の面目躍如たるものがある。

流氷さま、
読ませていただきました。ジーンと心にくるものがあります。戦争など知らない世代ですが、平和がいかに大事なことであるか、あらためて考えさせられました。

◆少々、長文ですが、花森の言葉は、老人党の趣旨にぴったりだと思います。

まったく同感です。いい散文詩紹介していただきありがとうございました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):一銭五厘の旗!  ■名前 : 敦煌(本物)  ■日付 : 04/5/16(日) 19:11  -------------------------------------------------------------------------
   おーい、在日さん。ここに居たか

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 敦煌(本物)とやら  ■名前 : 御前拉他  ■日付 : 04/5/17(月) 21:35  -------------------------------------------------------------------------
   無意味なresはひかえたほうがよい

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : 桃李  ■日付 : 04/5/16(日) 16:56  -------------------------------------------------------------------------
   こんにちは。

貴重な作品を紹介してくださってありがとうございます。
この詩は「暮らしの手帖」のなかで一部読んだことがあります。が、こんなに長い詩だとは知りませんでした。プリントして家族と読んでみようと思います(^-^)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 04/5/16(日) 17:17  -------------------------------------------------------------------------
   流水さん、

暮らしの手帳は結婚してから家人が20年くらい愛読していました、いまは取っていませんが。

一銭五厘は召集令状の葉書、戦中生まれですが良く聞かされていました、この散文のような戦争体験談で育ちましたが、読み返してみてもいまだに鮮やかで衝撃です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : こんぺいとう <shima-mama@jcom.home.ne.jp>  ■日付 : 04/5/16(日) 18:42  -------------------------------------------------------------------------
   久しぶりに読ませてもらいました。「一銭五厘の旗」は出版された時
衝撃的でした。そうだった、両親が戦後こんな話をしていたナと
思い出した。これは本当に庶民の心です。
「水戸黄門」を喜んで見ている人は日本の民主主義にあきらめて
しまった人かいまだにお上が何かをしてくれると幻想を持っている人、
と言っていた大学の女性教授の話を最近聞いたことがあります。
庶民は印籠をかざしてでもこの世に中をなんとかして欲しいとついつい
あのテレビを見てしまう自分の情けなさを思い知っています。
でも印籠の変わりに一票があるのですね。庶民が一丸となってこの一票が
目に入らぬかと言ってやればいいのですね。
でも議員はそれで何とかなっても、何かと勘違いしてしまっている官僚や
公務員にはどんな印籠が利くのでしょうか。
誰か教えてやってください。この国の上から下まで勘違いをしている
公務員達に自分たちはシチズンサーバントなんだと言うことを。
決して公務員は「お上」ではないということを。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/17(月) 9:24  -------------------------------------------------------------------------
   【ぽくらは ぼくらの旗を立てる

ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない

ぼくらの旗のいろは

赤ではない 黒ではない もちろん

白ではない 黄でも緑でも青でもない

ぼくらの旗は こじき旗だ

ぼろ布端布(はぎれ)をつなぎ合せた 暮しの旗だ

ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し

台や屋根に立てる

見よ

世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ

ぼくら こんどは後(あと)へひかない】


老人党の設立趣意にぴったりではないですか。旗の色は、赤でも黒でも白でもない、というところに、花森氏の心意気があります。
政治を語ると、どうしても赤になったり白になったりしがちです。結局、旗の色にこだわった争いに埋没して、本質的な問題がうやむやにされ続けたのです。

老人党は、そんな不毛な争いから脱却して、庶民の視点から、一票を行使しようというのが、設立の趣旨だと思います。
わたし自身は、自分のスレッドを常にこの視点から書こうと心がけています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : ニック  ■日付 : 04/5/17(月) 11:25  ■Web : http://www.geocities.jp/rojinto_goken/  -------------------------------------------------------------------------
   これがこの時代に生きた人達の声でしょうね。

(出典:新人物往来社)

兵営内暴力の正当性の基礎。(一部抜粋)

兵営内における軍人の精神教育は、前述のように「天皇神聖」と言う建前を基幹とし、是を徹底強化するために暴力による強圧が加わった。

このことは、思想教育の浸透のため、警察力によって国民を恐怖の沈黙に追い込んだのと、その構造は同一だということができる。

もとより、「天皇陛下の股肱の臣」であり、「全国民の中核」であるべき軍隊の方が。その強度が一般社会よりもずっと厳しかったことはいうまでもない。


小泉純一郎氏は、自衛隊に対し「尊敬」の念を持てと発言しましたが、靖国神社参拝などと共に考慮してみると、彼の理想とする社会が自ずと見えてくると言うものです。

日本にライオンは必要ありません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):暗黒日記に学ぶ  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/17(月) 16:44  -------------------------------------------------------------------------
   昭和17年12月9日(水)
近ごろのことを書き残したい気持ちから、また日記を書く。
昨日は大東亜戦争記念日だった。ラジオは朝の賀屋(興宣)大蔵大臣の放送に始まって、終始感情的叫喚であった。◆米国は鬼畜、英国は悪魔だといった放送で、軍人さえもスイッチを切った。かくも感情に訴えなければ、戦争を完遂できぬのか。

昭和18年2月19日(金)
東条首相が、今秋の選挙には推薦制を用いないといった。また、官憲が指導することもいけないといった。そこで、『朝日』は社説で、推薦制度が公選にもとることを論じている。◆政府が声明すると、はじめてこれについて論ずる。かって当時は一人もこれについて講義するものはなかったが。
これが日本の言論である。

4月24日(土)
昨年4月18日の帝都空襲の米人を死刑に処したので、米国が日本を野獣のように行っている旨、今朝の新聞は報ず。そして、抗議がきたそうである。米国その他の世論が如何に悪化しているかは、想像に足る。◆この前の第一次大戦のドイツに対するように、この世論が戦争遂行にどんなに大切なものであるかは、今の指導者に絶対分からぬ。力主義のみだからである。・・(中略)
来るべき新しい時代には、言論自由の確保ということがー個人の名誉に対する不当な毀損に対しては厳罰を条件にしてー政治の基調とならなくてはならぬ。

6月3日(水)
朝、ラジオで徳富蘇峰の講演あり。ペルリが日本占領の意図あり、彼の銅像を建てたごときはもっての外という。また、日露戦争にルーズベルトの仲介したのを感謝するごときも、バカバカしいことだという。◆米国は好戦国民である。仁義道徳のない国だ。そうしたことがこの講演の内容だ。
このところ徳富時代である。◆この曲学阿世の徒!この人が日本をあやまったこと最も大なり。

7月7日(水)
日支事変六周年である。朝のラジオは「支那をあやつるのは米英である。蒋介石のみが取り残され、支那民衆は日本とともにある。」といったことを放送した。この考え方は日支事変六周年になっても、まだ日本国民の頭を去らないのである。米英を撃破したら、支那民衆はただちに親日的になるのか。支那人には自己というものは全然ないのか。−中略ー

◆H・G・ウエルズのThe shape of things to come を読む。ウエルズは満州事変を出発点にして、日本と支那は全面戦争になる。日本は、支那に三度勝って、ナポレオンの如く敗れる。それから、日本は1940年に米国と戦争をするという筋書きだ。ウエルズの予言は実によく当たる。そして、ウエルズは「将来の歴史家は日本が正気であったかどうかを疑うだろう」といっている。

まだまだ、紹介したいが。長くなるのでこの辺りで終わりにする。
これは、清沢洌の『暗黒日記』の一部である。
引用した部分だけでも、彼が如何に普通の感覚を持っていたかがよく分かる。
太平洋戦争下の狂気の時代に、これだけの透徹した目を保持していたということは、清沢の知性が如何に本物であるということを証明している。
特に、◆印の文を読んでもらえば、現在との類似性に驚かされる。

『かくも感情に訴えなければ・・』という感想も、現在のマスコミ状況と酷似している。TVアナウンサーの絶叫口調に辟易している人も多いはずである。
2月19日のマスコミ批判も、現在のマスコミ批判としても十分通用する。
徳富蘇峰批判も、現在TVで世論誘導している学者・評論家と称する人間を彷彿とさせる。
力主義批判は、これを米国批判と読めば、現代にそのまま通用する。

このように見ていくと、戦前清沢のような知識人を持っていたことを誇りたくもなるが、彼のような意見が力を持ち得なかったところに、時代の狂気を感じる。

間違いなく、今年は日本にとって、大きな歴史的転換点になる。わたしたちは、清沢のような冷静な視点を持って、この時代に対処しなければならないと思う。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 「一銭五厘の旗」をどう伝えていくか  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 04/5/17(月) 16:48  -------------------------------------------------------------------------
   我々「老人」はこの詩を理解し感動します。
(さきの大戦を反省する人はもとより、容認する人であっても
「何かしらの」心が動かされる事は間違いないでしょう)

しかし現代の「若者」たちに、これを、どう理解してもらい、感動してもらうことを期待するのか。
一抹の不安をおぼえるのは私だけでしょうか?

若者たちに「解って欲しい」のです、「解ってもらわなくてはいけない」と思っています。

老人同士が論争し「2度と同じ過ちを繰り返さない」分別がついたとしても・・・手遅れでしょう。
次の世代に伝えなくてはいけないと思うのです。

戦後の“自由で民主的”な教育を受けた老人(私)は、それを忘れていた気がします。

私が子供であった当時の老人たちは、私に色々話して(伝えて)くれました。
今、老人にさしかかった私は「伝える」ことに怠慢であります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1)わたしの伝え方  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/18(火) 8:26  -------------------------------------------------------------------------
   戦争経験もそうですが、戦後の日本人は、多くのものを捨ててきました。伝統的建築物、町の名前、日本人の風習、日本人の食生活などなど。
特に高度成長期以降の日本は、【捨てる】ことが一種の美徳でもあるかのような風潮がありました。

わたしは、当時中学教師(社会科教師)をしていたので、このような風潮の中で、子供たちが育っていくのを一種の危機感を持って眺めていました。
わたしたちに、一体何ができるかを本当に真剣に考えました。

そこで、考えたのが、【夏休み】に家族・親族・近所などに存命している戦争経験者(おじいちゃんだけでなく、おばあちゃんにも)の話を聞いて、レポートにまとめるという【課題】をだしました。
また、【冬休み】には、大晦日・正月などの行事を観察して、レポートにまとめるという【課題】を出しました。

また、家庭科教師とも相談して、御節・雑煮の作り方などの日本の伝統的食生活などもレポートにまとめさせました。

日本では、教育現場で、【戦争と平和】の話を取り上げる場合、すぐに【イデオロギー論争】に巻き込まれる危険性があります。
わたしは、このあり方を大変不幸な情況だと考えていたので、何とかそんな不幸な論争に巻き込まれないで、子供たちに戦争体験を継承させたいと考えいました。
そこで、家族・親族・近所の人などの話を聞いて、子供たちに自分の頭で考えさせたのです。
こうすれば、イデオロギー教育などの批判を受けずに戦争体験の継承ができると考えたのです。

この試みは、大成功でした。「おじいちゃん、おばあちゃん」などから、孫に半紙ができたとか、久しぶりに親戚のおじいちゃん、おばあちゃんと話せたとか、様々な反応がありました。
つくずく思ったのは、【戦争経験者はどういう形であれ、それを伝えたいと思っておられるのだなあ】ということでした。

わたしは、地域・学校・家族など皆が手を携えて、この種の試みを行うことが、重要だと考えています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):訂正:補足  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/18(火) 8:47  -------------------------------------------------------------------------
   半紙→話に訂正

〈補足)
レポートの処理ですが、夏休みの後、子供たちのレポートをまとめて印刷し、一冊の冊子にまとめ、それを配布しました。
そのときは、とにかく「しっかり読みなさい」とだけ、子供たちに指示しました。
もちろん、おじいちゃん、おばあちゃん、家族の人にも読んでもらいなさい、ということも指示しました。
これは、意外と好評で、多くの保護者から、感謝の言葉をもらいました。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):Re(1)わたしの伝え方  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 04/5/18(火) 9:19  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:
>【夏休み】に戦争経験者(おじいちゃんだけでなく、おばあちゃんにも)の話を聞いて、レポートにまとめるという【課題】をだしました。
>【冬休み】には、大晦日・正月などの行事を観察して、レポートにまとめるという【課題】を出しました。
>また、家庭科教師とも相談して、御節・雑煮の作り方などの日本の伝統的食生活などもレポートにまとめさせました。
>

すばらしい!何の負荷やストレスもなく家族のコミュニケーションが高まりそうです。
学校教育の醍醐味ですね。

でも、現実には「おじいちゃんや、おばあちゃんのいない子供はどうするのだ!」と声高にクレームをつける父兄が目に浮かびそうです。
(流水さんは対策をとられたのでしょうか?)

>日本では、教育現場で、【戦争と平和】の話を取り上げる場合、すぐに【イデオロギー論争】に巻き込まれる危険性があります。
>

この点が学校教育に対する私の一番の不信です。
また、現在の小中学校では「自由に」というお題目での「自己責任回避教育」がはびこっています。
私は、子供たちを学校教育に任せ過ぎたと深く反省しています。

>わたしは、地域・学校・家族など皆が手を携えて、この種の試みを行うことが、重要だと考えています。

大賛成です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):Re(1)わたしの伝え方  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/18(火) 10:25  -------------------------------------------------------------------------
   ◆でも、現実には「おじいちゃんや、おばあちゃんのいない子供はどうするのだ!」と声高にクレームをつける父兄が目に浮かびそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当然そのことは考えました。
おじちゃん、おばあちゃんのいない子供たちには、まず親戚のおじいちゃん、おばあちゃんを探させました。
それでも心当たりのない子供には、近所の戦争経験者を探させました。

また、両親のいない子供、家庭的な事情のある子供には、わたしの方で何人かの地域の戦争経験者を紹介しました。もちろん、その方には、事前にわたしの方から話を通しておきました。(PTA役員の協力、保護者の協力も頼みました)
また、地域の食文化、伝統行事などを調べさせる場合は、地域の方に全面協力をしてもらいました。

学校(教師)側から、このような協力をお願いすると、地域の人々はこころよく協力してくれます。同時に、こちらの意図をきちんと説明すると、奇妙なイデオロギー問題など出てきません。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(3):Re(1)わたしの伝え方  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 04/5/18(火) 12:54  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:
>◆でも、現実には「おじいちゃんや、おばあちゃんのいない子供はどうするのだ!」と声高にクレームをつける父兄が目に浮かびそうです。
>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>当然そのことは考えました。
>おじちゃん、おばあちゃんのいない子供たちには、まず親戚のおじいちゃん、おばあちゃんを探させました。
>それでも心当たりのない子供には、近所の戦争経験者を探させました。
>
>また、両親のいない子供、家庭的な事情のある子供には、わたしの方で何人かの地域の戦争経験者を紹介しました。もちろん、その方には、事前にわたしの方から話を通しておきました。(PTA役員の協力、保護者の協力も頼みました)
>また、地域の食文化、伝統行事などを調べさせる場合は、地域の方に全面協力をしてもらいました。

すごい、そこまでチャンとフォローされての実施とは、大したものだと思います。

>学校(教師)側から、このような協力をお願いすると、地域の人々はこころよく協力してくれます。同時に、こちらの意図をきちんと説明すると、奇妙なイデオロギー問題など出てきません。

そうですね、イデオロギーの入り込む余地が無いのでしょう。

自分の子供のことではないのですが、「ありがとうございます」と言わせてください。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):Re(1)わたしの伝え方  ■名前 : 石頭の息子  ■日付 : 04/5/18(火) 9:51  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:
>
>わたしは、当時中学教師(社会科教師)をしていたので、このような風潮の中で、子供たちが育っていくのを一種の危機感を持って眺めていました。
>わたしたちに、一体何ができるかを本当に真剣に考えました。

流水さん、私は教えられる児童として終戦後の小学校で貴方のような恩師に教育を受けました、思い返せば恩師の教えは私のこれまでの生き方に大きく影響しています、それを誇りに思っています。

恩師には戦争体験を基に「既成価値観」の脆さ、「民主主義と数々の思想」について「新聞、ラジオ」の報道の本質、など教科書には書いていない大切なことをおそわりました。勿論、学業もおろそかではありませんでした、その証左に当時全国学力テストでは幾度も日本一(何処の小学校かはすぐ判る)になりました。

荒廃していると言われている今の学校教育ではありますが、貴方や、私の恩師のような方はおられると思います、そう願っています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):Re(1)わたしの伝え方  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/18(火) 10:32  -------------------------------------------------------------------------
   ◆恩師には戦争体験を基に「既成価値観」の脆さ、「民主主義と数々の思想」について「新聞、ラジオ」の報道の本質、など教科書には書いていない大切なことをおそわりました。勿論、学業もおろそかではありませんでした、その証左に当時全国学力テストでは幾度も日本一(何処の小学校かはすぐ判る)になりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
戦後教育の光輝いている時期ですね。
この時代の教師には、希望がありました。新しい日本を担う子供たちを育てるという使命感もありました。
だから、授業に熱もあり、工夫もありました。
また、文部省・教育委員会の締め付けも、いまほど厳しくありませんでした。

教育は、指導者に負う部分が大きいのです。教師が萎縮し、自己規制をしなければならないようでは、すばらしい教育は期待できません。
政治の教育支配が進もうとしている現状を深く憂いています。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):Re(1)わたしの伝え方  ■名前 : 桃李  ■日付 : 04/5/18(火) 15:40  -------------------------------------------------------------------------
   流氷さん、こんにちは。

昨日、私の知っている大学で、授業でこの詩が扱われたそうですよ♪
いい授業だったそうです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):Re(1)わたしの伝え方  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/18(火) 16:25  -------------------------------------------------------------------------
   そうですか。
うれしいですね。
若い人に読んでもらうことが大切です。
ぜひ、多くの人に読んでもらえることを願います。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : ごまめの翁  ■日付 : 04/5/18(火) 20:16  -------------------------------------------------------------------------
    たまたまネットサーフィンで「見よぼくらの一銭五厘の旗」を拝見しましたが今の若者は此の文章を呼んでどう感じるのでしょうか。

 戦争に付いて少しは語れるのは私ぐらいが最低の年代だと思います。
 一銭五厘を語れと云えば赤紙いわゆる召集令状を思い出します。
 善し悪しは別として国家が強制的に軍隊に入隊する手続きの一つで、一般国民は拒否は出来ないのです。
 軍とは何か、当時の教育では国の為、上天皇の為には命をもさしだせ、と云う教育で軍隊に入るのはためらいはなかった気がしております。
 私が戦争に少し疑念を感じる様に成ったのは、兄が甲種予科連に入隊するために、当時住んでいた北朝鮮と満州(中国)国境の小さな町の駅に兄を見送りに行った時、一番下の妹を背負った母が汽車が見えなく成っても立って手を振っている姿です。そして後日、母が炊事場の片隅で声をころして咽んでいる姿を見た時、今思い出しても涙が出て参ります。
 そして母がポツッと「何故、戦争なんか有るのだろう」と呟いたのを聞いた私は、母の心の中は兄に戦争、特に戦闘機乗りには成ってほしくなかったのだと思います。でも当時は表に向って此の様な事は言えない時代でしたから。
 兄は自ら予科連に入りましたが、一銭五厘で召集されたお家族は口には出せませんが、其の当時の母と同じだと思うと其の複雑な気持は分ります。父母は敗戦後、38度線まで下がれず満州に逃避し、かの地で餓死した様です。戦争と云うのは戦闘が終っても悲惨なものなのです。

 一銭五厘、人の命が一銭五厘、今は葉書は50円。小泉さん、イラクで自衛隊員に犠牲者が出たら一億円だすとか云っていたが、50円いや一億円で日本国の為自分の命を差し出しますか。
 私も流水様と同じ職業を目ざしましたから教育には興味が有ります。おっゃる通り戦後の教育は日本の美徳とするものを拒否し破壊する事から始まった気が致します。言語にしても美しい日本語をやたらにカナ言葉や横文字に変える。これも流水様の云われる日本分化の分解を速めたと思うのです。
 テレビに出ている外国の方が日本人より綺麗な日本語を使うのを見て、何か日本人として恥ずかしく感じるのは歳のせいでしょうか。
 先日、団塊の世代の連中と憲法9条に付いて論争しました。再軍備をして昔の様に徴兵制度に成り、一銭五厘の召集令状について話しました。彼等は曰く「行きたくなければ行かなければよい。行きたい奴が行けばいい」人権が有る自由だというのです。
 戦後の教育はこんなものだったのですね。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):一銭五厘の旗!  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/18(火) 21:12  -------------------------------------------------------------------------
   今年、作詞家で作家のなかにし礼原作の【赤い月】が、放映されていました。
彼の母親が主人公ですが、満州へ出かけ、敗戦とともに、全てを失った人々の塗炭の苦しみを描いた作品です。

先年、わたしは満蒙開拓団の生き残りの人と酒場でご一緒する機会がありました。
満州での苦労話を聞きながら、お互いに酒を酌み交わしていたのですが、そのときカラオケがはじまりました。
わたしは気を利かせたつもりで、「帰り舟」を歌いました。
そのとき、彼は涙を一杯浮かべて、その歌を平静な気持ちで聞けるまでに、30年以上かかったとうめくように語ったのを聞いて、言葉では語りつくせない体験をされたのだな、と自分の浅はかさを恥じました。

それから、図書館にいって、満州引揚者の方の記録を何冊か読みました。今、TVで政治評論家として活躍している岩見氏も、敗戦後大連の街角で物を売って生計を立てていた話などはじめて知りました。彼の政治評論の原点は満州の経験にあるのだと感じました。

敗戦後、満州に住んでいた多くの日本人は、【国家】というものの裸の姿を目の当たりにしたことがよく理解できました。
【王道楽土】を信じた満蒙開拓団の人々は、国家の「棄民政策」の犠牲者であることもよく分かります。
上の方のスレッドで、満州国の歴史的正当性論争が行われていますが、満蒙開拓団の歴史、敗戦後彼らがどんな悲惨な目にあったかを少しでも調べれば、今更そんな馬鹿なことを論争できるはずがないのです。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 語り継ごう一銭五厘の旗!  ■名前 : ごまめの翁  ■日付 : 04/5/19(水) 12:53  -------------------------------------------------------------------------
    流水様
 戦争はどのような理由が有ってもいけません。特に国家権力の強い国ほど、民主主義とか自由そして表には出しませんが宗教、経済を旗印に然も其れが正義のごとく戦争を起こす、これは人間社会権力者の性でしょうか。

 満蒙開拓団の事を書かれていましたので、先の書込みで書いていなかった事を書いてみます。
 父は銀行員でしたので、38度線以北の都市を幾つか転勤しました。7月ソ連参戦十日前に阿吾地と云う所へ着任しました。ですから先任地からの荷物は届かなかったので、着の身着の儘の状態で 逃避生活に入っております。私は学業でソウルに居ましたが、家族がどちらに居るか分らなかったので帰郷出来なかったのが幸いして、現在こうして生きているのだと思っています。
 弟と妹の話によると逃避を始めた初期に、急性肺炎で重篤な状態の開拓義勇軍の若者を看病して助けたそうです。まだ逃避間もない頃で父母も余力が有ったのでしょう。また此の青年、予科連に入隊した兄と同じ様な年頃で、身寄りのない若者を捨てておけなかったのかもしれません。しかし、此の事が弟妹の将来によい結果をもたらす事に成りました。
 其の若者を看病した後、兄の入隊時に母が背負っていた妹が死亡しています。終戦の年の12月に父は死亡、翌年の夏までは母は何とか生きていましたが、幼い子供達に少しの食べ物を分け与えたのか衰弱死してます。母が死ぬ前に「予科連に行ったお兄ちゃんがひょっとしたら日本で生きているかも分らないから何とか日本に帰りなさい」と言われて、国民学校(小学)6年と3年の弟妹の満州放浪が始まったそうです。
 弟は畑泥棒や豚追いの手伝いをしながら逃避中に出あったのが、先に書いた開拓義勇軍の青年で、「何をしているお父さんお母さん亡くなったのか、こんな所でうろうろしたら日本に帰れなく成る」と二人の弟妹をつれて引上げ船、乗船場所の葫蘆島に連れていき自分の故郷まで連れて帰っていただきました。父母が見知らぬ青年を助けたから日本に帰れたかも分りませんが、其の青年も命を助けてもらったにしろ自分の身も侭ならないのにと思うと兄としては感謝しています。それでないと中国の日本人孤児に成っていたと思います。
 でも驚くのは逃避の出発点・阿吾地・は満州と朝鮮、ロシアの国境に当る豆満江の(日本海)河口から大連(黄海)より東の葫蘆島まで何百キロか分らない距離を歩いた事、舞鶴上陸じは着る物が無くドンゴロスの袋を被っていたと言っておりますので、当時どの様だったかは、兄の私でも想像はつきません。
 私達兄弟姉妹は、篤志家の個人商店に住み込みで働く事が出来、施設には世話に成らなく今日まで生きてきました。小学校も卒業していない弟は当時の事を語るのを好みません。しかし最近は歳か、年月がそうさしたのか少しは話す様に成りました。
 兔に角人が人を殺す行為は、例え国家間でも許すべきではないと思うのです。

 一銭五厘はいっせんごりん。人の命は地球より重い
 勝ても負けても犠牲者は庶民、ぬくぬくしているのは権力者
 戦争は正義の戦争有り得ない、世界の揉め事、宗教と経済(金儲け)
此れは私の現在の気持です。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : 「一銭五厘の旗」への僅かな抵抗感  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 04/5/19(水) 14:58  -------------------------------------------------------------------------
   この詩は「反戦」を訴えています、誰の心にも響いていくでしょう。
しかし、僅かながら抵抗を感じる「部分」があります。

これは「大東亜戦争」の肯定・容認者が反感を持つだけでなく、
平和希求者においても指摘する人がいます。

それは「敗けて よかった」の一節です。

国のためでもない、陛下のためでもない、
「オレは妻や子の為に・・・」と戦死した夫や父を思うと、
「敗けて よかった」とは、とても言えない、納得できない、という方がいます。

この一節の意味は、「早く敗けてよかった」でしょう。
ここに抵抗する方もいます。
広島や長崎を容認するのか?
「早く敗ける」(「早く勝つ」)ために、広島、長崎に原爆を落としたのだ、という米国の理屈が引っかかってくるのです。

せめて、「もっと早く 敗けて ほしかった」と詩ってくれなかったのか、と。

全体を通して「心に響く」のは花森氏の「心情的反戦」です、しかし、所々に「社会的反戦」が顔を出します。
その臭いが、この詩の広まりを妨げているような気がします。
残念至極であります。
(花森安治氏を批判してのことではありません)

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):「一銭五厘の旗」への僅かな抵抗感  ■名前 : 流水  ■日付 : 04/5/19(水) 16:06  -------------------------------------------------------------------------
   ◆全体を通して「心に響く」のは花森氏の「心情的反戦」です、しかし、所々に「社会的反戦」が顔を出します。
その臭いが、この詩の広まりを妨げているような気がします。
残念至極であります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この問題は、戦前から戦後の一時期まで盛んだった、プロレタリア文学の問題点でもあると思います。
花森氏のこの作品は、それでもプロレタリア文学の持つ一種の臭みが希薄な作品だと思います。

〈政治と文学〉〈思想と文学〉の問題は、戦前・戦後を通じて、文学者にとっては骨がらみの問題でもありました。小林多喜二は獄中で殺された(言論弾圧)ことのほうが記憶に残り、彼の作品(蟹工船)は忘れられがちであるのは何故なのか?
という問題でもあります。

花森氏もこの問題の尻尾を引きずっているのだと思います。同時に、それが彼が背負った【時代】の限界だともいえるのではないでしょうか。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(2):「一銭五厘の旗」への僅かな抵抗感  ■名前 : ワン太郎  ■日付 : 04/5/19(水) 17:05  -------------------------------------------------------------------------
   ▼流水さん:
>花森氏もこの問題の尻尾を引きずっているのだと思います。同時に、それが彼が背負った【時代】の限界だともいえるのではないでしょうか。

そうですね、<彼が背負った【時代】の限界>全くその通りと思います。

この詩を「現在の視点」に置き換えて読み直していくと、全く古さを感じません。
ほとんど同じ状況に自分がおかれているような気がします。

私も「どうして こんなことになったのだろう」といいたくなります。

流水さんのおっしゃる通り
<「心の中のちょんまげ野郎」を押しつぶして、闘う以外に方法はない>のですが・・・。

「どう闘うか それが問題だ!」であります。

 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re(1):一銭五厘の旗!  ■名前 : ごまめの翁  ■日付 : 04/5/20(木) 11:04  -------------------------------------------------------------------------
     花森安治さんの散文詩、これは見る年代とか育った環境によって感じ方が違うと思います。私達昭和一桁でも真ん中より前の世代、終戦直後の民主主義なる教育と戦前教育と混在されている方、戦争を全く知らない世代で此の散文詩を見て感じる事は違うのではないかと思いました。


 草莽(そうもう)の臣〉
〈陛下の赤子(せきし)〉
〈醜(しこ)の御楯(みたて)〉


 遠い昔の忘れていた言葉を思い出させてくれ、当時の校長先生の訓辞の中に良く使われた言葉で当時の国家政策を彷彿させました。


といえばよかったのだ
それを心の中のチョンマゲ野郎が
目くばせしてとめたのだ

先祖代々きさまら土ン百姓といわれ
きさまら町人の分際でといわれ
きさまらおなごは黙っておれといわれ
きさまら虫けら同然だといわれ


 は、現在でも云える事は、チョンマゲ野郎時代の士農工商の江戸時代の基本的身分制度で軍隊でも民間でも身分によって差がある事を訴えて居られたのだと思いました。
 これは現代が、議員が殿様、官僚お代官に置き換えれば、結構、現代にも通ずるのではないでしょうか。


企業よそんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ


 戦争は国と国との争いですが、軍事産業が組みしていると思います。それを花森安治さんが諷刺されたのではないでしょうか。


一証券会社が倒産しそうになったとき
政府は全力を上げてこれを救済した
ひとりの家族がマンション会社にだま
されたとき政府は眉一つ動かさない


 35年前の昭和45年に書かれて古い様ですが、全文今の時代に通ずる散文詩です。

ワン太郎様も書かれおられますが


    我々「老人」はこの詩を理解し感動します。
(さきの大戦を反省する人はもとより、容認する人であっても
「何かしらの」心が動かされる事は間違いないでしょう)
しかし現代の「若者」たちに、これを、どう理解してもらい、感動してもらうことを期待するのか。
一抹の不安をおぼえるのは私だけでしょうか?


 全く其の通りだと改めて思いました。この「見よぼくらの一銭五厘の旗」は現代に通ずる散文詩。戦時中の老人として此のスレッドは消したくないものです。
 流水様のおかげで此の散文詩を拝見する事が出来ました有り難うございます。

 因に「見よぼくらの一銭五厘の旗」流水様のスレッドを拝見してネットサーフィンしていると
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/pdf/hanamoriyasuji.pdf

Acrobat Reader 5.0ファイルで取りだせました。

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