Page 566 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼部落史教育のあり方 流水 04/5/21(金) 14:17 ┣Re(1):部落史教育のあり方 小鉄 04/5/21(金) 15:45 ┃ ┣Re(2):部落史教育のあり方 流水 04/5/21(金) 16:06 ┃ ┗Re(2):部落史教育のあり方;追加 流水 04/5/21(金) 16:19 ┃ ┗Re(3):部落史教育のあり方;追加 小鉄 04/5/21(金) 17:16 ┃ ┗Re(4):部落史教育のあり方;追加 流水 04/5/21(金) 17:33 ┃ ┗これも「彼らの思い」? 小鉄 04/5/21(金) 17:51 ┃ ┗Re(1):これも「彼らの思い」?2 小鉄 04/5/21(金) 17:52 ┃ ┗Re(2):自分の言葉で語りなさい 流水 04/5/21(金) 18:02 ┃ ┣Re(3):自分の言葉で語りなさい しゃねる 04/5/22(土) 2:48 ┃ ┗Re(3):自分の言葉で語りなさい 小鉄 04/5/22(土) 17:08 ┃ ┣Re(4):自分の言葉で語りなさい 数理梵哲 04/5/22(土) 18:43 ┃ ┃ ┣Re(5):自分の言葉で語りなさい 高橋 04/5/23(日) 13:08 ┃ ┃ ┗Re(5):自分の言葉で語りなさい 高橋 04/5/23(日) 13:55 ┃ ┃ ┗Re(6):自分の言葉で語りなさい 数理梵哲 04/5/24(月) 5:18 ┃ ┗Re(4):自分の言葉で語りなさい 団塊党 04/5/23(日) 13:46 ┣Re(1):部落史教育のあり方 JS 04/5/21(金) 16:19 ┃ ┗Re(2):部落史教育のあり方 流水 04/5/21(金) 16:46 ┃ ┗Re(3):部落史教育のあり方 小鉄 04/5/21(金) 17:04 ┃ ┗Re(4):部落史教育のあり方 流水 04/5/21(金) 17:42 ┃ ┗Re(5):部落史教育のあり方 小鉄 04/5/21(金) 17:57 ┃ ┗Re(6):これも同じく 流水 04/5/21(金) 18:04 ┃ ┣Re(7):これも同じく 敦煌(本物) 04/5/21(金) 22:59 ┃ ┃ ┗Re(8):これも同じく 流水 04/5/21(金) 23:14 ┃ ┣流水さん。 敦煌(本物) 04/5/21(金) 23:39 ┃ ┃ ┗Re(1):流水さん。 流水 04/5/22(土) 0:28 ┃ ┃ ┗Re(2):流水さん。 敦煌(本物) 04/5/22(土) 0:47 ┃ ┗Re(7):これも同じく 小鉄 04/5/22(土) 17:11 ┣Re(1):部落史教育のあり方 peace 04/5/22(土) 0:32 ┃ ┗Re(2):部落史教育のあり方 数理梵哲 04/5/22(土) 6:02 ┣Re(1):部落史教育のあり方 しゃねる 04/5/22(土) 2:30 ┗投稿の意味;これで打ち止め 流水 04/5/22(土) 8:37 ┣Re(1):投稿の意味;これで打ち止め ぎみゆら 04/5/22(土) 12:31 ┣私の単純な部落史観 曳馬野 太郎 04/5/22(土) 14:38 ┗Re(1):投稿の意味;これで打ち止め つるみ 04/5/23(日) 1:22 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 部落史教育のあり方 ■名前 : 流水 ■日付 : 04/5/21(金) 14:17 -------------------------------------------------------------------------
下のスレッドで、【差別用語】問題について、真剣な論争が繰り広げられていた。わたしは、中学校で社会科教師をしていたので、歴史教育の中で、【差別の歴史】をどのように取り扱うかについては、真剣に討論し考えてきた。 現場教師がどのように考え、どのように実践してきたかについては、あまり知られていないので、話題提供のつもりで書いてみる。 下に書く内容は、ある学校で、わたしが提示した部落史学習の基本的立場である。その学校では、この立場に基づいて、社会科教師は部落史学習を行ってきた。 1、部落史学習の目的→ただ単に被差別部落の歴史的変遷をなぞる授業ではなく、 被差別部落民の日常・非日常を通しての闘いを通して、【人間解放の歴史】を通 して、生き生きと描きたい 2、部落史学習をする場合の注意点 1.クラス単独の試みでないこと 2.知識偏重の教育をしないこと→差別事件を起こす原因になる 3.部落差別の歴史は悲惨である。しかし、その悲惨さを正面から受け止め、解放 への苦難の道を歩んだ部落の人々の歩みを、【人間解放の歴史】として受け止 め、明日への明るい展望を信じる授業にしたい 4.部落差別を語ることは、自らの差別意識を覗き込むことであり、教師自身が 問われていることを自覚するべきである。 3、部落史学習と日常性 部落史学習で見られる差別・偏見に基づく行動は、単に歴史のひとこまではなく、人間存在の根源に横たわる問題としてとらえることが重要である。生徒・教師双方が、自らの心の奥底を覗き込む契機にできるように考えられる必要がある。 4、新しい部落史学習の視点 1.部落史を日本史全体の中にきちんと位置づけること 2.支配の仕組みや差別政策を押さえるともに、部落民衆の生活・文化・解放への戦いを重視すること 3.部落史学習の中で、特に近現代史を重視すること 4.地域の身近な部落の歴史を掘り起こすこと 5、部落問題学習のなかに位置づけること 1.被差別の立場の子供を中心に置く 2.差別的な部落問題認識を破ること 3.生活に結合した学習であること 4.仲間つくりと結合すること 5.常に、教職員の部落問題に対する認識が問われる必要があること 一口に部落問題に対する認識といっても、個人差がある。このような深刻な問題を取り扱う場合は、認識をできるだけ共有する必要がある。 わたしの提示した基本的立場は、当時の全国同和教育研究会の立場や部落解放同盟の立場を参考にしており、当時としてはそれほど遅れたものではないと考えている。 この文章をたたき台にして、真剣に討論し、お互いの教案を出し合い、授業を公開して、授業を行った。 【差別・偏見】をなくすなど、文部省は簡単にいうが、現場の教師から言わせれば、それこそ死に物狂いの努力を積み重ねても、簡単にできるものではない。 【賽の河原の石積み】の覚悟がいる。 差別と偏見の問題が、【用語の問題】に矮小化されている現状を深く憂います。 |
>支配の仕組みや差別政策を押さえるともに、部落民衆の生活・文化・解放への戦いを重視すること 階級闘争史観からは何も生まれませんよ。運動を行って来た被差別者は別に好きでやってる訳ではないのだから「妙な英雄視」はそれはそれで逆の差別です。「戦い」を重視するのでなく、「普通の人間」としての彼らを見ていかないとそれは単なる「差別の再生産」にしかなりません。 |
◆階級闘争史観からは何も生まれませんよ そういうだろうと思っていましたよ。 わたしは、階級闘争史観の持ち主ではないと自認していますが、参考までに お聞きしたい。 ◆運動を行って来た被差別者は別に好きでやってる訳ではないのだから「妙な英雄視」はそれはそれで逆の差別です ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ という考え方はどこから生まれるのですか。わたしたちは、別に彼らを英雄視などした授業をした覚えがないのですがね。 自分のせいでもないのに、卑賤視され、差別された人間の気持ちがどのように歴史に反映されていったかを、事実に基づいて教えていただけですよ。 では、あなたに反問しましょう。 あなたなら、どのように部落史を教えますか。そして、それが子供たちにどのように受け止められ、どのような影響を与えるかをきちんと論証できますか。 それを提示してもらえないと、あなたの【階級史観では何も生まれない】という断定はただの個人的思い込みにしか過ぎませんよ。 |
◆。「戦い」を重視するのでなく、「普通の人間」としての彼らを見ていかないとそれは単なる「差別の再生産」にしかなりません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わたしは、生活・文化・解放への戦いを重視することと書いています。 生活・文化を見るということは、生活者としての部落民を見るということです。 引用するなら、正確に引用してから、書いてください。 また、部落民の「解放への戦い」を重視するのも、当たり前でしょう。1969年に出された【同和対策審議会の答申】は、どうして出たと考えているのですか。 何もしないで、あのような答申が出たとでも考えているのですか。 あなたの考え方をぜひ伺いたいものですね。 |
「同和をむさぼる人」を抜きに、同和問題を語っても意味がありません。社会が悪いとか国が悪いとか言う前に、弱者を食い物にするやつ等の問題を片付けるのが先でしょう。同和利権をむさぼって来た人達は「補助金」という打出の小槌を持ち付ける為に、とにかく差別を残して置きたかった。 「同和」と名がつけば誰も手が出せない。だからこそ京都で「同和対策の金を使った、豪華温泉旅行(コンパニオンまで補助金で)」という醜い事件が起きた。 2000年。補助金がでなくなってからも今度は「人権」というのが彼らの利権になった。 よく考えて下さい。人権ゴロにとって差別とは何なのか?被差別者が求めるのは啓蒙か?それともそっとしておく事か? 広島では部落差別開放を目指す団体が、国旗国歌を抜きにした卒業式を行わせる為に街宣車まで使って妨害してますわな。これって、こういう使われかたって、本当の被差別者にとって有難い事なのか? 世の中には差別を防ごうとすればするほど、差別が生まれるというパラドックスが存在します。何も知らない子供にとっては、見た目は普通の日本人で何とも思ってなかった子が「部落出身」とすれば子供は残酷だからそこをつつくでしょう。やってはいけないと言われればやりたくなる。教師がいくら善人ぶっても「悪い事」といえば余計な知識が子供にインプットされる。結局教師の自己満足ですよ。自分だけは良い事やったように思える。でも被差別者に言わせればいい迷惑。 現代において未だに「あいつは足軽の子。あいつは百姓の子」なんて差別がありますか?無いでしょう。それは何故か。誰もいちいちそんな事を言わないから。だから時代とともに消える。 |
あなたは、わたしの問いには、何も答えていない。 論争をするためには、相手の問いにきちんと正面から答えるのが、礼儀というものです。 同和対策審議会の答申が出されたのは、水平社以来の運動があったからですよ。 今日も北朝鮮の拉致被害者家族の会見が報道されていましたが、彼らの運動(戦い)が当初から現在にような成果を挙げていたわけではないのですよ。 何年にもわたる被害者家族の孤独な戦いがあって、はじめて、彼らの思いが結実していったのでしょう。 部落民にも、何百年にわたる長い戦いがあったのですよ。部落史を教えるとき、それを重視するのは、当然でしょう。 それから、あなたは、自分ならこうするというきちんとした根拠も論理も提示していないですよ。 ◆現代において未だに「あいつは足軽の子。あいつは百姓の子」なんて差別がありますか?無いでしょう。それは何故か。誰もいちいちそんな事を言わないから。だから時代とともに消える。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あなたは1960年代の被差別部落の現状を知っているのですか。 足軽の子と百姓の子と部落民の子とが、どれくらいな意味の違いがあったか知っていますか。 あなたのいっていることは、簡単に言えば【寝た子を起こすな】理論です。 それがかなり通用するのは、同和対策事業が行われ、外目からは実態的差別が見えなくなったからです。 つまり、外目から見えなくなったから、誰がどこの子という問題がいわれなくなってきた、ということなのですよ。 もう少しきちんと勉強して、ものをいってください。 |
不正の歴史(〜85) 1968年 1月、当時の高木文雄・大阪国税局長と解同中央本部、大阪部落解放企業連合(略称・大企連)とのあいだに、税務申告に関する7項目の密約が成立。 その内容は、大阪府同和建設協会(略称・同建協)加盟業者など同和地区出身の業者が提出する税務申告書は事実上フリーパス…というもので、解同系業者団体の所得隠し、いわゆる脱税が、国税庁公認のもとにまかり通る大義名分となった。エセ同和出現の原点 1969年 4月9日、大阪市教組東南支部の役員選挙に立候補した木下浄教諭の挨拶状が、解同大阪府連矢田支部から「差別文書」と一方的に決めつけられ、玉石藤四郎氏ら推薦人3人が多数の解同員により解放会館に拉致監禁され、深夜まで激しい糾弾を受けた。その糾弾の内容は野次・怒号・罵声・恫喝に満ちており、まさに人権侵害そのものであった。 「(われわれは)差別者に対しては徹底的に糾弾する、糾弾を受けた差別者で逃げおおせた者はない。差別者であることをすなおに認めて自己批判せよ、差別者は日本国中どこへ逃げても草の根をわけても探しだしてみせる。糾弾を受けてノイローゼになったり、社会的に廃人になることもあるぞ、そう覚悟しとけ」 「お前らいつまでたったら白状するのや、お前らは骨のある差別者や、ともかく徹底的にあしたでもあさってでも続いて糾弾する」(大阪地裁1975年6月3日判決、判例時報782号23頁より) 玉石氏らはのちに解同矢田支部長を監禁罪で刑事告訴(矢田事件刑事訴訟)。さらに不当な配置転換の取り消しを求めて民事訴訟を起こした(矢田事件民事)。 一方で、解同はこれを厚顔にも矢田「教育差別」事件と称し、この事件を踏絵として全国の各自治体で一斉に「糾弾」という名の犯罪行為を繰り広げていった。 なお、玉石氏は部落出身者の子孫であり、この事件の本質は「部落出身者」対「部落外出身者」という単純な図式の中には収まりきらない面がある。 1974年 9〜11月、八鹿(ようか)・朝来(あさご)暴力事件が兵庫県南但馬地方を震撼させた。これは、南但馬に誕生したばかりの解同丸尾派がその勢力拡大のため、暴力主義と利権あさりの体質を露呈し、南但馬の自治体や学校教育現場をその支配下におさめるべく、空虚で観念的な朝田「理論」と解放教育論をふりかざして暴力と恫喝の限りをつくし、多数の住民を恐怖のどん底に叩き落とした事件であり、起訴された事件だけでも8件、被害者数200余名にたっする一大暴力犯罪であった。 11月22日の八鹿高校事件は、そのなかでも最大の事件である。これは、兵庫県養父(やぶ)郡八鹿町の県立八鹿高校で、生徒が学内に部落解放研究会をつくりたいと要求したことを口実に教育への介入をはかった解同が、抵抗する教職員集団(同校のほぼ全員)に対し、彼らを校内に拉致監禁したうえ、「糾弾」と称する凶悪・凄惨・陰湿な集団リンチを加え、うち48名に瀕死の重傷を含む傷害を与えた(入院も29名に達した)事件である。教育の現場が流血の惨状、阿鼻叫喚の巷と化した。主犯丸尾良昭らが逮捕され、監禁(致傷)・強要・傷害の罪で起訴された。解同の暴力糾弾の頂点を示した事件だが、解同タブーに支配された一般のマスコミは警察発表をごく簡単に伝えただけだった。 1975年 6月3日、矢田事件刑事裁判の1審判決が大阪地裁で言い渡され、「木下挨拶状は差別的であり、被告人の行為は刑事罰を科すほどではない」と無罪が宣告された。この結果に増長した解同は、「糾弾権が裁判所に認められた」と得意満面で糾弾闘争を強化した。 1979年 10月30日、矢田事件民事裁判(配転取り消し請求)の1審で、大阪地裁が「木下挨拶状は、労働条件の改善を訴えるもので、差別性はない」という判断を示した。 1981年 3月、矢田事件刑事2審の大阪高裁は、「木下挨拶状は差別助長につながるが、被告らの監禁行為は限度を超えており、処罰に値する」と逆転有罪判決を下した。解同矢田支部長は懲役3月、執行猶予1年。 6月16日、北九州市のローカル紙「小倉タイムス」が「北九州土地ころがし事件」をスクープ、解同小倉地区協の木村書記長が土地ころがしで巨利を得ていると暴露した。 この事件は、北九州市が同和住宅建設などのために土地を買い上げる前、地主から第三者のもとにその土地の所有権を移し、10ヶ月〜半年程度が経過したところで、2〜7倍で市に買収させる、いわゆる土地ころがし行為のパイプ役として、市の職員や解同小倉地協の木村書記長らが暗躍していたというものであった。78年から79年ごろにかけてのことである。浮かんだ疑惑は10数件。第三者に転がり込んだ差益は10数億円にも上るとされた。しかも、市が買い上げた土地の大半は、数年経っても遊休状態のままになっていた。その一方で、西日本最大規模の被差別部落といわれる約1800所帯の北九州市内北方地区の環境改善が全くの手つかずであるなどの、行政のいびつさを露呈した。この土地疑惑問題での紛糾がつづいているさなか、別の解同地協幹部による公共事業の入札や教育人事への介入、さらには土地転用問題で苦情をつきつけた解同地協前役員が、北九州市の同和対策課長を折り畳み椅子で殴りつけて負傷させ、逮捕される事件も起こった。 1982年 3月、最高裁が矢田事件刑事2審の判決を支持。被告らの有罪が確定した。 1983年 2月、解同埼玉県連支部の幹部が、同和地区と無関係な住民を「にわか支部員」に仕立てて国税局に相続税を申告、被差別部落住民の税に関する特別配慮によって、普通の場合より相続税を減らすことができたとして、その「にわか支部員」から手数料および謝礼の名目で2800万円を巻き上げたが、その金が県連の会計に納入されず、「蒸発」して問題になった。結局、その支部幹部らによる着服が露見した。 8月、兵庫県多紀郡篠山町(現・篠山市)で、解同中央糾弾闘争本部長の車などに、スプレーで「ヨツコロセ」などと書かれた落書きが発見され、大騒ぎになった。 解同篠山支部は行政闘争の方針を決めたが、やがて落書きは支部長の仕業ではないかとの疑惑がささやかれるようになった。支部長が「この頃支部の活動が盛り上がらないので、差別落書きを書いたらどうか」などと発言していた事実も判明した。 その後もさらに続々と、支部長が犯人であることを示唆する証拠が出てきた。ところがこの事件は84年3月、最悪の形で終結してしまった。疑惑がいっそう深まる中、この支部長がガス自殺を遂げてしまったのである。 12月14日、八鹿高校事件刑事1審判決で、神戸地裁が、解同の丸尾良昭被告人ら13人に有罪判決を下した(懲役3年〜6月、執行猶予つき)。「糾弾の手段方法は社会的に相当と認められる程度を明らかに越え、被害結果も甚大で、法秩序全体からみて可罰的違法を優に肯定出来る」と。 やはり12月、福岡県警は、解同赤池連協幹部ら2人を恐喝容疑で逮捕、その父親の元同町議会副議長、元解同赤池連協副会長を同容疑で取り調べた。この親子は、赤池町土地開発公社事務局長に対し、自分たちの土地でもない国有地の一部を買い取らせようと「境界も違う」などと言いがかりをつけ、アルミ製の灰皿を投げつけるなど乱暴、「道路に杭を打って通れないようにするぞ」などと脅し、土地買い上げ代金として30万円を脅し取った疑い。それまでにも「国有地の払い下げを受ける予定だから、同和住宅を建設せよ」などと脅し、すでに自分たちが売っていた土地などの買収を迫り、多額の現金を脅し取った疑いも出ていた。 1985(昭和60)年 1月26日、大阪府吹田市江坂町2丁目で、山口組系竹中組の竹中正久組長(当時51歳)ら3人を、一和会系組員が射殺。現場は、竹中組長の愛人N(当時31歳)が住むマンション「GSハイム第2江坂」の前であった。Nの部屋の508号室は、解同飛鳥支部の小西邦彦支部長が借り主で、竹中組長も「小西邦彦」を名乗って同マンションに出入りしていた。解同の支部長が山口組の企業舎弟だったのである。 11月、解同岡山市西大寺協議会宿毛支部長が、他人の名義を勝手に使い、同和対策事業の低所得者住宅整備資金給付制度用の住宅補修資金の給付申請書を岡山市西大寺支所へ提出、2回にわたり約150万円を詐取した疑いで、岡山県警に逮捕された。 12月、福岡県直方市の議会で、市の発注による指名競争入札落札の上位一覧表にある業者名の公表を市の側が拒否したため、決算審議が混乱に陥った。けっきょく公表することになったが、84年度土木・建築両工事を落札した上位17社のうち13社が、解同員らの経営する土建業者によって占められていることが発覚、市の同和関係業者への優遇策が、一部業者に偏る不公平を生んでいると、295の指名登録業者から批判の声が挙がった。解同員10、全日本同和会員3の計13社が、土木・建築2部門の上位10社の請負高18億5092万円のうち、84%に近い15億5901万円を受注していたのである。この18億円の工事額のうち地域改善対策事業は55.5%の10億5070万円で、地対事業だけでなく、一般工事の発注も同和関係業者に偏っていることがわかった。 直方市では、84年12月の市議会でも、総事業費の3割を同和団体幹部の経営による3社が集中的に受注していることが指摘され、傍聴の同和関係者らの野次と怒号で本会議が流れ、機動隊を導入してやっと決算が認定されるという事態が発生しており、市が初め公表を拒否したのは、ふたたび同様の事態が発生することへの懸念からだったという。 |
不正の歴史(86〜) 1986(昭和61)年 10月26日、大阪高裁が矢田事件1審判決を支持。解同側の有罪が確定。 1988(昭和63)年 3月29日、八鹿事件の刑事裁判2審判決。大阪高裁は、解同の丸尾良昭被告人らに対し、1審に続いて有罪を宣告した。 6月17日、リクルート事件。株譲渡の政界波及として、宮沢蔵相・竹下首相・中曽根前首相ら政府自民党の実力者や野党議員の名も登場。11月8日、リクルート疑惑で、解同の上田卓三議員(社会党)が辞職。上田は69年の矢田事件で拉致監禁の現場に立ち会った暴力糾弾の推進者であった。 11月から翌年6月にかけて、滋賀県野洲(やす)町の野洲中学校で37件もの「差別落書き」事件が起き、大きな問題になった。しかしこれは、同校内で解同などがいうところの「解放教育」を進めようとする教員によって仕組まれた「自作自演」の疑いが極めて濃厚であることが、今日では明らかになっている。 教育委員会や解同などは「犯人は生徒」という前提のもとに、同校での同和教育の不充分さを問題にした。事件後、この中学ではそれまで校内で反対の強かった「解放教育」が取り込まれていく。 ところが後になって、事件を追及する先頭に立っていた解同滋賀県連教育対策部長の口から、意外な真相が語られた。90年6月に滋賀県の某自治体で行われた「同和研修」の講演で、この「差別事件」について、教育対策部長は次のように証言したのである。 「野洲中の落書きをしたのは実は大人なんです。そして学校内部の人間なんです。だれやと思います? 実は先生なんです。だいたいわかってますけど、言うてしまうといろいろ問題になるし、子どもらもちゃんと知っているんです。ほんなん先生しかできひんわ、いうているんです。わたしらいいひんとき、何で差別落書きが出てくるんか、おかしいやんか、みな言うんです」 教師が「差別事件」を演出し、生徒を「差別者」に仕立て上げ、そして反発の強かった特定団体の意向に沿った教育が強引に導入されていく――という仕掛けであった。 1989年 11月11日、奈良県天理西中学校で、解同県連書記長らが反解同派に集団暴行を加え、6人が負傷、車4台が破損。全解連は第2の八鹿高校事件として抗議した。 1990年 3月28日、八鹿高校事件の損害賠償請求の民事裁判で、1審の神戸地裁豊岡支部が16年ぶりに、解同の丸尾良昭被告らに対して約3000万円の罰金の支払いを命じた。判決では「糾弾権は実定法上何ら根拠なし」と言明され、これをもって解同が固執する「糾弾権」なるものの法的根拠は完全に否定された。 6月19日、ニセ税理士・大西省二が税理士法違反容疑(無資格営業)で逮捕された。大西は、解同を背景にもつ税務経営相談団体「中企連」の元幹部で、山口組最高幹部の宅見勝の腹心であり、2年前に独立し、税務署幹部と癒着しながら顧客の脱税を請け負っていた。 大西は2年聞に脱税工作約100件を請け負い、計4億4000万円の報酬を得る一方、税務署幹部らを高級クラブなどで連日のように接待、「国税の顔役」と言われた東税務署の特別調査官(副署長級)Nと旭税務暑の統括調査官Hに計2000万円以上の現金を渡していた。 11月30日、八鹿高校事件の刑事上告審で最高裁(第1小法廷、角田禮次郎裁判長)が大阪高裁の有罪判決を支持。これによって、解同の丸尾良昭被告人ら13人の刑が確定した。 これも「彼らの思い」であるとでも言うのか?貴方の言葉を借りれば「もう少しきちんと勉強して、ものをいってください。」(まぁこの言い方はいかにも教師的でいやらしく、好きじゃないんだが・・・) 「寝た子を泣かせ、甘い汁を吸ったのは誰ですか?」 |
あなたは、コピペだけしかできない人間ですね。 自分の言葉で自分の歴史観を語って、はじめて会話は成立します。 ネット上にうろうろしている右翼坊やと語る言葉は持ちません。 |
この掲示板のコピーでずいぶん勉強させてもらいました あなたは特定思想の持ち主ですか. ほかにいっぱいコピーやHPの紹介があるのに なぜこのコピーだけ問題にするのか不思議です. オリジナル文書の投稿だけ認める掲示板なら ルールに明示してくださいよ. もっとも私は他人の文書探してコピーするほど 専門家で無いのですべて書きなぐりですが. 2チャンネルはNHKナのですが、まだ地上波BS契約 してないので投稿できません.あしからず. |
>あなたは、コピペだけしかできない人間ですね。 自分の言葉で自分の歴史観を語って、はじめて会話は成立します。 ネット上にうろうろしている右翼坊やと語る言葉は持ちません。 事実を事実として見る事も出来ませんか・・・。それでよく人を教える事が出来ましたね。「先生と 言われるほどの 馬鹿でなし」という川柳を思い出しました。 思想を現実に合わせるのでなく、現実を思想に合わせるなんてアクロバティックな事をするから「エセ同和行為容認」なんて無茶な結論に行くんですよ・・・(苦笑 教師が何故世の中の常識から乖離してしまうか。それはまさしく、学校という物が閉鎖空間であり、そこでは教師が裸の王様になってしまう。そして教室では「教師の思想」のみが法律になってしまい、ソ連と変わらないような状況に陥ってしまう。 やはり学校という「閉ざされた空間」に世間の風を入れる事が重要でしょうね。今井紀明の父親だって、学校という閉鎖空間から出て世間の風に当たって初めて軌道修正出来たのだから。 |
▼小鉄さん: >>あなたは、コピペだけしかできない人間ですね。 >自分の言葉で自分の歴史観を語って、はじめて会話は成立します。 >ネット上にうろうろしている右翼坊やと語る言葉は持ちません。 > > 事実を事実として見る事も出来ませんか・・・。それでよく人を教える事が出来ましたね。「先生と 言われるほどの 馬鹿でなし」という川柳を思い出しました。 > > 思想を現実に合わせるのでなく、現実を思想に合わせるなんてアクロバティックな事をするから「エセ同和行為容認」なんて無茶な結論に行くんですよ・・・(苦笑 > > 教師が何故世の中の常識から乖離してしまうか。それはまさしく、学校という物が閉鎖空間であり、そこでは教師が裸の王様になってしまう。そして教室では「教師の思想」のみが法律になってしまい、ソ連と変わらないような状況に陥ってしまう。 > やはり学校という「閉ざされた空間」に世間の風を入れる事が重要でしょうね。今井紀明の父親だって、学校という閉鎖空間から出て世間の風に当たって初めて軌道修正出来たのだから。 小鉄さんのご意見は、流水さんに対する主張にはなっていないのではないでしょうか。 私には、流水さんが「エセ同和行為容認」などなさっていないように読めましたが。 また、他の教師を引き合いに出して、あたかもそれが流水さんの行為であるかのように主張なさるのは筋違いのように思います。小鉄さんは、流水さん自身に対して、きちんと主張されるべきだと思います。 ただ、私には、部落問題とその他の差別とは異なるように思われます。部落問題はカーストと同様、もともと違いがないところに人為的に、他の方が言われたような「いわれなき差別」を作りだしたものだと思います。もともと違いが無いものを人為的に作り出したに過ぎないのですから、解消されて当然だと思います。 私の個人的経験では、すでに私の子供時代(50年近く前)には、大人の間には差別意識があったようですが、私達子供は、そのようなものが存在することすら知りませんでした。その後、もしこの子達が差別意識を持ったとしたら、それは大人が教えたのでしょう。 私は、差別と一口に言っても、原因は一つではないと考えますので、部落問題が他の差別全部を考える際の基準になるとは思いません。 今ある差別は、経済的・宗教的な要因によるものが多く、統治目的によるものは少ないように思うのですが、如何でしょうか。 また、この問題を提起された流水さんが、このスレッドの終結を宣言されましたが、それでよいのでしょうか。世間では、発案者の想定を超えて議論が進む場合があり、発案者は単にきっかけを作ったに過ぎないことがよくあります。このHPでのルールを再確認させて下さい。 |
流水さんの初めの投書、7174を熟読すれば、氏の教育者としての長年の真摯な体験と考察が凝縮されていることが良く分かります。ただ,深い思考が短い文章に籠められているので、さっと読み飛ばすと、氏の言わんとするところを全てフォロー出来無いかも知れません。その後に寄せられた感想のいくつかは、(いわれの無い反論は別として、)氏の言って居られることの敷衍みたいなところもあるように存じます。 「自分の言葉で語れ」というご意見もありましたので、この問題に関する私の感想を述べます。 私は、他のスレッドでも触れましたけれど、子供の頃は所謂部落の子供達と全く分け隔てなく、仲良く遊んでいました。ある友人の2,3軒隣に、ものすごく美人,というか可愛い女の子が居ました。当時は同級生でも、異性と口を利くのが噂の種になる時代で、1,2年下のその子とは、たまに見かければ胸をときめかす程度のことでしたが、今でもその時の印象ははっきり残って降ります。後年、もしあの子と仲良くなれていたら結婚したろうかと思うことがあります。 今ならば本人の意思がかなり通るし、世間の目も緩くなって来ている(何しろ外国人との結婚も珍しくない)、また私もその頃よりは自己を確立できているように思うので、今なら踏み切れたと思います。しかし、当時だったらどうだったろうか。本人,家族は説得できたろうけど、一応旧家を名乗っている親戚達と、先方の親戚達とをつなぐのに頑張りきれたろうか、と思うと自信が無く、多分結婚は諦めたろうと思っています。 差別なんて、そんなものです。その人達の立場にどこまで沿えるか。これは部落問題にだけあることではなく、人間は(いわれの無い)差別を心に持つことによって、安心できる、ということもあり得るのです。「シナ」「チャンコロ」「チョーセン」と呼んで、何か自分達が偉いような錯覚に陥っていたりすることはないでしょうか。私はだから、ある人達のことを考える時、(勿論好きになれば、だけれど)その人たちと結婚できるか、ということで自分の中に差別意識が残っていないかをチェックすることもあります。全く一方に立ったままの差別論議は何か不十分な気がします。 同和問題について言えば、東京辺りに出てくれば取りあえず出身なんて関係なくなるし、家の観念も随分薄れてきているので、数十年前より緩和されてきているようには思いますが、地方では、今でも”ХХ町の人”というような陰湿な意識も残っているし、”同和”といえば公共事業の何割かは流れてくるといったような役所のいい加減な”同和政策”もあったりして、中々差別意識は根治できないように思われます。しかし他のスレッドにも国籍問題が論じられていたように、いずれよう意味でのグローバル化が進み、cosmopoitan 意識、市民の中にも,他民族に対しても、差別意識が希薄になることを願ってやみません。 |
数理梵哲さんへ追伸 流水さんは自分の語るべきことは全て語った、根拠の無い、反論のための反論にはもう答えたくない、だから自分はもう議論を終わりにすると言った迄で、他の人が更に議論を続けることを禁止したわけでも何でも無い、従って管理スタッフに動向という必要は全く無いと思います。 |
▼高橋さん: >数理梵哲さんへ追伸 > >流水さんは自分の語るべきことは全て語った、根拠の無い、反論のための反論にはもう答えたくない、だから自分はもう議論を終わりにすると言った迄で、他の人が更に議論を続けることを禁止したわけでも何でも無い、従って管理スタッフに動向という必要は全く無いと思います。 そうですよね。こういうときは、「自分は、このテーマから抜ける」と云えば良いのだと思います。 |
▼小鉄さん: > 事実を事実として見る事も出来ませんか・・・。それでよく人を教える事が出来ましたね。「先生と 言われるほどの 馬鹿でなし」という川柳を思い出しました。 > > 思想を現実に合わせるのでなく、現実を思想に合わせるなんてアクロバティックな事をするから「エセ同和行為容認」なんて無茶な結論に行くんですよ・・・(苦笑 流水さんは終始一貫して、どこにでもある現実の差別・偏見の根深さを訴えておられます。 現実の問題が否応なくのしかかってくるから取り組んでこられたのです。 差別・偏見の問題を放置して教室の生活は一日たりとも成立しませんよ。 差別・偏見は部落だけではありません。 どこにでもころがっています。 老人党の掲示板にも時々見かけるじゃないですか。 日本国中の教室でよく見れば毎日、毎日、この問題は起こっています。 ないなんて言う教師の目は節穴です。見えていないだけです。 教師はこれから逃げるわけにはいかないのです。 仮に逃げたらどうなりますか? 想像できませんか?学級崩壊です。 学級崩壊はごめんです。 |
難しい問題提起です。 私には、答えるすべがありません。 世の中には、いろいろな差別がありますね。 最近では、ハンセン病元患者の宿泊拒否事件もありました。 これらの差別意識を教育だけでなく、社会的にも何らかの意識改革を施さなければならないのでしょうけど、私にはどうすれば良いか判りません。 でも、小中学校での教育で差別意識をなくす努力は、次世代でその成果が現れてくると思いますので、頑張って欲しいと思います。 |
世の中から、【差別・偏見】をなくすことは、至難の業です。 ただ、あまり知られていないのですが、教育現場では、このような試みが行われてきたことは確かなのです。 教育史でいうと、1969年に同和対策審議会の答申が出されたのが、一つの転機でした。 ところが、同じ年に【情報化社会の教育は、「わかる」教育ではなく「できる」教育である】という経済審議会情報教育研究会作成「日本の情報化社会ーそのビジョンと課題」という提言が出されています。 この二つの矛盾した理念が、教育現場に押し付けられたのです。 「同対審」の答申の理念からいえば、差別の現実から学力が劣る子供たちをどのように【分からせる】かが、教育の主目的になります。 ところが、経済界の要請は【できる教育】という理念になります。 この理念の股先状態に置かれたのが、教育現場ということになるのです。 被差別部落が少ない学校では、【できる教育】という経済合理性に基づいた理念が、席巻するのは無理はなかったのです。 そのため、「同対審」の理念が行われるのは、被差別部落がある学校という形態になっていったのです。 この間の事情を知る人があまりにも少ないため、日教組がイデオロギー教育をしているなどという誤解が蔓延しているのです。 だから、教育を語る人の多くが、政治的イデオロギーに走りすぎて、本当に子供の視点に立った教育改革という発想がないのです。 |
>この間の事情を知る人があまりにも少ないため、日教組がイデオロギー教育をしているなどという誤解が蔓延しているのです。 岩井章【日本教職員組合制度検討委員】 「教育というものについて私がたえず思っているのは、教育は思想と関係ないといういわば『教育の中立性』をどうしても主張せざるをえないという面もあるが、しかしこれはじつは非常に大きな偽りで、教育はやっぱり思想の問題だということです。日本は資本主義の国だからそういう『中立性』によって反動思想の及んでくるのを食い止めるのが精一杯。だがあの国(引用者注:北朝鮮のこと)では根本的に知育、体育、徳育の三つを強調する。その根本になっているのは人間の尊重だ。そして社会主義、共産主義の思想を子供のころからほんとうにあらゆる形で討論したり、議論したりしている。私はこのことをまず非常に印象深くみたのです。」 出典元:1972年12月号『世界』より その69年の3年後。その時期に「教育とは共産主義思想を注入することだ」という本音を図らずも暴露していますが? 日教組は思想教育をしていない・・・?まぁウソも100ぺん繰り返せば本当になると誰かさんが言ってましたが・・・。 子供にウソをついていけないと教えたのではなかったのですか? |
あなたは日教組が、教育内容に容喙できるとでも思っているのですか。 教育内容は、指導要領にきちんと定められており、それから逸脱することは許されていませんよ。 日教組書記長が何を発言しようと、個別具体的な学校教師を縛る法的根拠は何もないのです。 あなたは、そのことを知って書いているのですか。 つまり、公立学校教師は、国家公務員か、地方公務員なのですから、きちんと法に縛られているのです。 まず、このことをきちんと頭においてものを言ってください。 |
卒業式を毎年毎年混乱させ、東京都では処分者まで出した人達は「法に縛られていた」のですか、初耳です。 100人斬りのウソ記事を使い生徒に「神経科に行ったら、人殺し!」と書かせた宮城の先生方も「指導要領にのっとって」指導していたのですか。成る程。未だかつて学習指導要領に「ウソをついててでも、子供たちをして自国の歴史を呪わせろ」と書いてあるとは聞いた事が無いのですが? 法にのっとってる先生たちが破り年休なんて卑怯な手を使ったり、校長を吊るし上げ、自殺に至らしめ、その葬式にも来ないなんて初めて聞きましたよ。教師とは大したご身分ですね。 |
右翼坊やの手口は一緒。 コピペとネガテイブキャンペーン。 もう少し、論理的に話せる人間かと思ったら、期待はずれでしたね。 2チャンネルでもいって、たわごとを言っていなさい。 |
横レスすみません ほら、すぐ右翼呼ばわり・・・ こんな人たちが味方の先生は さぞ凄まじいんだろうな? くわばら、くわばら・・・。 |
わたしは右翼坊やと書いています。 彼やあなやの書くことなど、真性右翼から見れば、右翼の名に値しない代物ですよ。 わたしは、北一輝、大川周明、保田與十郎など戦前の右翼の論考は、ほとんど読んでいます。 あなたがたの書くことなど、右翼の名に値しないと思いますよ。 少しは、北一輝の爪の垢でも煎じて飲んだらいかがですか。 |
部落差別だけが差別ではありません。 ではなぜ部落差別排除教育が学校教育で重視されているか? こ難しい議論はひとまず・・・ それは単に「言われ無き差別」だからですよ。 私が中学時代。校区に被差別部落がありました。 クラスメイトがあるときカミングアウトしましたが 無知な我々は「だから何?」ってなもんでした。 そこの出身だからってダチはダチであったし、何も変わらない・・・ と思っていました。しかしそこからがもう・・・ 同和地区には放課後先生が交代で出かけて行って 勉強を教える。全校集会で被差別部落出身者の冤罪事件について 被差別部落の生徒が発表しそれについて皆で討論。 始めから冤罪と決め付けているから異論は許されない。 あるときPTAの一部から「逆差別」と抗議があったら 全市の教師が抗議を問題とする。 これが公平な教育でしょうか?違いますよ。 特に私の担任は生粋の「活動家」でしたから・・・。 「世界中で尊敬する人は誰ですか?」と聞かれたら 「真っ先に金日成主席の名を挙げる」と言って憚らないのは 槙枝元文 元日教組委員長です。 ヒトラー顔負けの独裁者を尊敬するとは・・・いやはや恐れ入ります。 教師は教育の場にイデオロギーを持ち込むのをやめていただきたい。 |
◆それは単に「言われ無き差別」だからですよ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これだけは肯定します。 しかし、それだけではないのですよ。 【同和対策審議会の答申】が出され、特別措置法ができたから、行ってきたのです。法成立以前は、一部の教師がボランテイア的に行ってきていたのです。 まず、そこをきちんと押さえておかなければなりません。 だから、同和教育が全国で(主として西日本で)行われてきたのです。 それから、あなたの経験した事例は、あなたの書いていることだけでは、内容がよく分かりませんね。 ただ、同和地区での学習会は全国で行われていました。理由は簡単です。特別措置法(要するに同和地区が長年月にわたって差別され、経済的基盤、住居、環境その他で放置されてきたことを取り返すために、特別に予算措置を組むこと)(時限立法)があったからですよ。 国の方針が決められ、予算措置が講じられ、それが行政の末端の学校現場に降りてきたのです。 江戸時代以来の差別を解消することを短期間で行うのですから、同和地区以外の父兄には、逆差別と映ずるのは無理はないのです。 また、お金が絡むことですから、様々な不祥事が起きるのも、無理からぬところがあります。 そのことを同和教育のせいだとか、教師のせいだとかに短絡させるのは、筋違いというものです。学校・教師は、【法】に縛られるわけですから、【法】が制定され、行政がそれを執行すると決めたら、末端組織である学校もそのように動くわけです。 ただ、同和問題はあなたのいうように【いわれなき差別】が原因なわけですから、法に決められたからやるという消極的な姿勢だけではなく、自分から率先して積極的に行うという差異はあります。 槙枝元文が何をいおうと、関係なしです。理由は単純明快。彼は、組合の委員長です。組合は、教師の待遇改善のためにあるのです。 子供が好きで好きでたまらない教師は、組合員であっても、組合活動の専従にはなりません。専従になる人は、政治が好きな人間です。 教師というのは、意外と頑固で、簡単に人のいうことを鵜呑みにするようなタイプは少ないのです。 槙枝元文がこういったから自分もそう思うなどと考えている人間は、ほとんどいませんよ。あなたが教師をその程度の人間だと考えているのだったら、人を馬鹿にしすぎですよ。 彼がそういったから、イデオロギー教育をするなどということは、現場では関係ないのです。あなたの担任は、自分の政治信念にそって行ったのでしょうがね。 あなたの言っていることなど、教師の現実を知らないもののいうことです。 |
なるほど、流水さん。20数年の疑問がすっきりしました。 ちなみにカミングアウトしたクラスメイトは大工の棟梁になり 我が家は彼の作です。 因みに私の住む長野県の田中康夫は「同和対策事業費」を廃止することを 提案しています。 私は教師も大変な仕事だと認識しています。 3人の倅の親でもありますし・・・ しかし、東京都の都立高校のような事案は全国にあるようで・・・ ごく身近にもあったもので、教師とは大半がイデオロギーの特化した方々かと・・・。 偏見ですね。すみません。 |
卒業式混乱: 都立高校元教諭宅を捜索 警視庁 東京都板橋区の都立板橋高校の卒業式で、元教諭(62)が保護者らに週刊誌のコピーを配布し、「君が代」斉唱時に卒業生の大半が起立しなかった問題で、警視庁板橋署は21日午前、威力業務妨害の疑いで埼玉県騎西町の元教諭宅を家宅捜索した。「卒業式の混乱」を理由とした強制捜査は極めて異例。同署はビラやハガキなどの関係資料を押収したとみられる。 都教委によると、元教諭は3月11日の同校の卒業式に来賓として出席したが、式開始前、教頭らの制止にもかかわらず、都教委の「日の丸・君が代」徹底方針を報じた「サンデー毎日」の記事コピーを父母らに配布した。この影響で開式が約5分間遅れたという。 元教諭は21日、「教頭らは配り終わってから追い出しに来た。妨害はしていない」と話した。【奥村隆】 毎日新聞 2004年5月21日 15時00分 ------------------------------------------------------------------ 教諭不祥事: 少女らのメールアドレス、1件2千円で紹介 少女にみだらな行為をしたとして神奈川県青少年保護育成条例違反容疑で逮捕、起訴された元横浜市立中学校教諭、宮園聡被告(31)=同市金沢区=が、出会い系サイトなどで知り合った少女ら約40人のメールアドレスを携帯電話の掲示板を通じ、1件2000円を取って紹介していたことが21日、県警少年課の調べで分かった。 調べでは、宮園被告は03年2月ごろから、「知っている女の子を紹介します」などと出会い系サイトに記入。サイトを見た男性が連絡すると、横浜市内の路上で紹介料2000円でメールアドレスを教えていたという。少女らの同意は得ていたといい、1000円を渡していた。少女らの半数以上は18歳未満。紹介した男性は約100人に上るが、実際に少女らが男性と会ったかどうかなどは分からないという。 調べに対し、宮園被告は「小遣いが欲しかった」などと話しているという。宮園被告は4月23日に同条例違反容疑で逮捕され、同30日付で懲戒免職となった。【広瀬登】 毎日新聞 2004年5月21日 12時14分 こういうのもネガティブキャンペーンかね・・・。流水殿には「王様は裸だ」という声も届かないようだ・・・ 風邪をめされるなよ・・・(苦笑 |
今、差別問題に関して同和問題を持ち出すのは時代錯誤ではないでしょうか? 1950年代ならば意味があったかもしれませんが。 今の時代に解放同盟を肯定するのはパレスチナを攻撃するイスラエルをアンネの日記を持ち出して正当化するのと同じではないですか? 豊郷町の小学校校舎の建て替え問題の根底にあるのは何かごぞんじですか? 筑紫哲也の話をごぞんじですか? 一度「同和利権の真相」をお読みになった方がいいのではないでしょうか。 僕はちょっと本屋で立ち読みしただけですが、ここまですごいとは思いませんでした。 おすすめ本です。 |
▼peaceさん: >今、差別問題に関して同和問題を持ち出すのは時代錯誤ではないでしょうか? >1950年代ならば意味があったかもしれませんが。 >今の時代に解放同盟を肯定するのはパレスチナを攻撃するイスラエルをアンネの日記を持ち出して正当化するのと同じではないですか? > >豊郷町の小学校校舎の建て替え問題の根底にあるのは何かごぞんじですか? >筑紫哲也の話をごぞんじですか? >一度「同和利権の真相」をお読みになった方がいいのではないでしょうか。 >僕はちょっと本屋で立ち読みしただけですが、ここまですごいとは思いませんでした。 >おすすめ本です。 同和問題は、今でもそれほど大きいのでしょうか。私は逆に、行政が問題にするからその存在に気付く子供が多いのではないかと感じています。事実、私もかつてそうでした。私が子供の頃、母が「あの人はニシの人だから」と言ったことがありますが、そのときには何のことか判りませんでした。その後、当地では、被差別部落をニシと言っていたのかなと思うようになりましたが、具体的には判りませんでした。 利権については、かつて、収用で同和がからむと、価格が1割や2割は簡単に上がると聞いたことがあります。話してくれた人の話では、行政の担当者から、そのように金額を出してくれと要望されるのだそうです。(この例は神奈川県) また、関西の知人が相続税の申告を忘れ税務署から督促されたとき、同和に相談したら、自分の目の前で税務署長に、「この人間の申告は自分の方でするから」と電話し、知人は、税務署に税を納めるのではなく、同和に謝礼を支払って済んだと聞きました。(この例は大阪府) その他、韓国の人にもあります。韓国の人が経営する料理店の料理飲食税が、行政との談合で、日本人が経営するお店の2分の1から3分の1で済んでいたことがあります。これでは、日本人の経営者はとても競争に勝てないと感じたことがあります。(この例は川崎市) 上記は、いずれも20年以上前のことですが、当時はそれが現実だったのでしょう。すべて行政が関わることであり、税が関係しています。しわ寄せは、一般の納税者に来るわけです。 君が代については、私は、教師の意志を尊重して良いと考えています。学校で、両者がその理由を生徒に説明し、生徒に考えさせれば良いのではないでしょうか。強制する必要はないと思います。もしかしたら、歌わないという先生は、その理由を説明できるかも知れませんが、歌うべきだという先生は、説明できないかもしれませんね(教育委員会からの指示だということ意外に)。 蛇足ですが、アンネの日記は小説だという説があります。私も子供の頃読んだ口ですが、驚きでした。根拠の一つは、ペーター(?)と会った隠れ家が存在しないということだったと思います。知人でわざわざドイツまで行って来た人に話したところ、そういえば、アンネの生家だというところには行ったが、隠れ家だっというところには行かなかったと言っていました。今、イスラエルがパレスチナに対して行っていることやユダヤ人が世界で行っていることを思うと、ユダヤ人というのは、お金が全てでお金のためには何でもする人種かと考えてしまいます。ユダヤ人の基本は、シェイクスピアのベニスの商人に出てくる金貸しなのかという気がしてきます。もしかしたら、ヒットラーがユダヤ人に対してしようとしたことは正しかったということになってしまうのでしょうか。 |
私のいる学区では同和教育は十分すぎるほど効果をあげています. 担任の教師は、あの中学はもと同和地区にあるから私学に進学させようと したらすさまじい妨害をしました.むちゃくちゃな私学への通知書.落第です. 市役所は同和地区の象徴的な狭い道路を拡幅工事し、市営住宅の団地を 建設しまくり、半数は低家賃で同和地区の人たち、残り半数は地元住民で は入居希望者がいないため県外から入居者獲得と血のにじむ努力をしました. まあこれで差別がなくなるだろうと思ったところ、人間と人間としての まともなコミニュケーションが取れず、事情を知らずに入居したひとも 子供と親の正常な対話が出来ず転居. 同和教育のやり方おかしいんじゃない.もし教師が重点的に同和地区を 家庭訪問するなら、日本の礼儀作法と口の聞き方からまず親を再教育しないと 道路と建物立派なの建てても、どうにもならないよ. 同和に対する差別をしようと思ってるひとモウいないし、結婚で戸籍 取り寄せても分からなくしてるし実質的に出来ないよ. あとはもと同和部落出身者がいかに普通の人として同化できる、 個人の努力の問題、何時までも、えせ同和推進者に頼っている ようではどうし様も無いよ. |
如何に差別意識が根深いかが、大変よく理解できた。 まず、第一点。 1、「特別措置法」の意味が、まったく理解されていない。 数百年にわたる差別を認め、同和地区が行政の光が当てられていなかったため、 その環境整備のために【特別】な【措置】を行うと【法】で定められたのです。 つまり、数百年にわたる差別をわずかの年月で外側だけでも埋めようというのですから、相当な配慮がなされたのは、やむ負えないわけです。 だから、【特別】という言葉がついているわけです。 2、同和行政の問題 まず、世界各国にあるスラム街を想像してください。特別措置法制定以前は、そういう状態だった、と考えてください。 生活が苦しく、学校に行けない子供が多数いたため、字が読めない子供も多数いたわけです。(これは、地域によって違う)さらに、他地域との婚姻が難しいため、近親結婚が多数存在したわけです。血が濃くなっていたわけです。 さらに、他地域などから差別を受け続けて生きていくと、その中での作られていく倫理観は、他地域と異なるのもやむ負えないわけです。 同時に、差別された地域ですから、誰か力のある人(有力者)を中心として、団結しなければ、生きていけないわけです。 一種の部族社会的な状態になるわけです。 このような状況のところに、初めて行政の光があたったわけですから、様々な問題がおきるのは、ごく当然なわけです。 まして、巨額のお金が動くのですから、その利権に群がる人間が出てきても不思議ではありません。 行政側も最初は、手探り状態だったわけです。特に、行政がもっとも恐れたのが、糾弾闘争だったと思われます。 どのような組織でも運動体でもそうですが、指導者層はきちんとした言葉で、様々な場合を想定して行動するのですが、構成員すべてがそうであるとは限りません。 まして、差別され続けて生きてきた人々です。積年の恨みが、行き過ぎた行動をとらせた側面は否定できません。 さらに、巨額のお金が動いたわけですから、その周りで様々な動きがあったことは、想像に難くありません。 わたしは、解放同盟の幹部などと話す機会があるときは、【物取り運動】は駄目だ、とよく主張してきました。わたしの勤務していた地区は、きわめて理性的な指導者がいたので、わたしの言うことをよく理解してくれました。 わたしの主張は、解放運動の【理念運動】の側面を大切にしよう、というものでした。 一例を挙げると、夜わたしたちが教えに行くと、子供たちが来ないことがよくあるわけです。教師が怒るのは当然ですが、わたしの勤務していた地域では、地区の指導者が先頭にたって怒るのです。 【お前たちが勉強して、あんな立派な人間を差別するのは、差別する方が間違っていると多くの人から思われるような人間になってくれ。そのためには、勉強しなければ駄目だ】と叱るのです。 つまり、解放運動も玉石混交なわけです。 誤解しないようにはっきりさせておくと、同和教育は、同盟が行う解放運動とは同じではないのです。あくまでも、教育現場で行う【差別・偏見をなくす】教育なのです。 だから、【同和教育】はあくまでも【理念的教育】なわけです。社会運動としての同盟の運動とは、立場を異にしているのです。 最初に書いたわたしの問題提起をきちんと読んでいただきたい。【差別・偏見】をなくすためには、という視点で書いているはずです。 そして、その視点をきちんと掘り続ければ、あらゆる【差別】をなくす視点と共通する考え方が出てくるのです。 わたしが、なぜ今回の問題を提起したかといえば、同和教育の追及した理念や方法論が、あらゆる差別をなくす視点とクロスするのだから、これに対するきちんとした総括が必要になるという発想だったのです。 レスをくれた人全てに共通しているのですが、「同和教育」と解放運動とは違う、ということを理解していない、また【特別措置法】の意味を理解していないということです。 他の一つは、運動に参加している人すべてが、同じ理念で動いているわけではない、ということです。300万ともいわれた部落民すべてが、運動が掲げている理念通りに行動しているわけではないのです。 まして、お金がからむ問題です。だから、中には欲にかられる人もいるし、理性的でなく、感情に駆られる人間も出てきます。 しかし、その問題と解放運動が推進してきた理念とは、きちんと分けて考えなければならないということです。 それを論議しようと思ったのですが、どうやら無駄だったようですね。これで、打ち止めにしましょう。 |
▼流水様 はじめまして。 別スレッドでのご発言【7158】と、本スレッドを立てた【7174】は、 私の別スレッド発言【6868】【6919】からの流れという意味があると 思いますので、一点だけ申し上げます。 「これで打ち止め」という意志表示にはまったく異論がありません。ただ、 この話題に関する流水様の一連のご発言により、私は目を開かれました。 部落問題、同和教育、差別表現、どれについても、断片的な知識は持って いましたが、たしかに、同和対策事業が、戦後の日本において、政治的、 行政的、社会的に、いかに大胆で大規模な「実験」であったのかについて、 私はこれまで、認識が足りなかったように思います。明快な構図に裏打ち された過不足のないご説明で、一つ、非常によい頭の整理ができました。 一方で強い批判、非難が絶えない背景も、かなりイメージできました。 敦煌さんも、二十数年の疑問がすっきりしたとおっしゃっています。 それに、自ら発言はしないものの、お書きになったことを読んで、 気づいたり、学んだりした人も多いと思います。 私はとくに、同和対策事業の成り立ち、経緯、その後、等々について、 機会を見つけて、一度きちんと系統的に調べてみようという気持ちに なりました。本当に、ありがとうございました。 |
私の単純な部落史観 「君子危うきに近寄らず」と言いますが、まして凡人においてはなおさらで、私などは部落問題などと言う恐ろしげな問題は遥か彼方から傍観するのみで過ごしてきました。 何十年も前のことで記憶も定かではありませんが、部落問題の深淵の端緒はここにあると感じた話を読んだような気がします。 それについてうろ覚えながら書いてみましょう。 徳川家康は、徳川政権の安定構造構築において当時としては天才的政治能力を発揮しました。 その一環として、次ぎのような構造を作ったと、私は考えています。 それは士農工商としての身分階層を定める中で(実際は農工商にさしたる差異は無かったようですが)小数権力者たる士が多数者たる農民の不平不満、反抗反乱を抑える装置として(武力とは別に)この底辺の民のさらに下に部落民を隠微に滑り込ませた、ということです。 図形的述べると ピラミッドの底辺(ここが一番広がりを持ちますが)の最下部の中程を部分的にえぐるような形で小数者の被抑圧者のグループを挿入したものになります。 なぜこんな事をしたか? 人が不満を持つのは概ね他者との比較の上であるでしょう。 誰もが稗粟しか食っていないのに自分もそれしか口にしないからと言って不満を感じることは無いでしょうが、一方上を見れば米を食らっている者達がいれば妬みを感じます。 しかし他方下を見れば、権力者によって、この稗粟すら満足に食えない極貧の差別分離された小グループが作られたとします。 しかも、必要であるが、忌み嫌われるような仕事を押しつける事で、生かさず殺さずの政策をとれば、お上に不満を持つ農民も、眼を転ずれば、彼らに対する優越感と哀れみがない交ぜとなって表れ、こちら側が不満のはけ口の受け皿として機能してくるでしょう。 この思いは、上に対する反感を削減する働きを促します。 家康は民衆の心理を知悉していて、これを、武力を使わない治安の安定装置としたのではないでしょうか。 徳川300年にわたり、この治安安定装置が有効に作用し続けた結果、民衆の中になぜ差別が存在するようになったかという原因を隠されたまま、何となく忌避する文化がひそかに醸成され続けてきたと私は解釈しています。 この構造は形を変えて現代にも存在します。 例えば北朝鮮は階層社会「核心階層(統治層)、動揺階層(基本群集)、複雑階層(敵対階層)と、3大階層64部類」と聞いていますが、この敵対階層の下にさらに政治犯の収容所が存在します。 これは上記と同様の効果を狙った、金政権の治安安定装置としての機能を持つものです。 上述したことは私の恣意的解釈です。 同和問題を語る知識を持ち合わせませんが、部落問題のことを子供に語りその差別意識の不条理さを理解させようとすれば、その端緒として、このような事があったのではないかとの観点から語るのも効果があるかなと考えます。 |
▼流水さん: 私は東北出身なのであまり身近に【同和部落】じたいを感じたことがありません。 しかし、受けた教育の中で【同和】があり、そういうこともあったのか、としか思いませんでした。大体が東北では「部落」といっても「民家が固まって生活しているところ」以上の意味は無く、普通に「どこそこの部落」と言っていました。 しかし、教師が熱心に差別のことを話すのでかえって逆効果な事がありました。子供のことですから、「ブラク」が一時的に流行り言葉になってしまいました。 たしかに、現代に至るまで様々な被差別部落民の方々の闘いや経緯があった事は事実ですが、史実として既に編入されてよい時期なのではないかと思います。 西日本・九州には居住したこともないし、行った事も数えるほどしかないのであくまで東北出身者の個人的な感想ですが。 ただ、謂れの無い不当な差別の問題を特定のイデオロギーと結びつけている運動体があって、その影響を受けている教育労働者がいることは事実のようで、これは問題だと思います。 |